カルチャーショック

ロッカーに鞄と傘を入れ、その鍵と手帳とハンカチとだけを手に持って、わたしは狭い待合室を見回しました。

壁には受刑者の所内での様子を撮影した写真パネルが数点展示してあります。
入所教育・作業・慰問・部活動などの写真。
わたしは『待ちに待った釈放』と銘打った写真を繁々と眺めました。
今日初めて面会に訪れた身にとっては、それははるか遠い未来のことのように感じられました。

ガラスのショーケースがあり、中に展示してある物を見てわたしは仰天しました。

それは、差し入れの出来る品物の一覧だったのですが、ノート・鉛筆・石鹸・タオル・シャンプー・歯磨き・歯ブラシなどの日常品のみ。
それが、いまどきこれをまだ売ってるの!? という昭和なものばかりだったのです。
これわたしが子供のころには既にあったし、今どき田舎のビジネスホテルに行っても、これは売ってないだろうというレトロなものばかりでした。

例えば、シャンプーなら「シャワラン」か「トニックシャンプー」です。
こんな鉛筆も消しゴムももう見たこと無いよ…と絶句しました。
カルチャーショックでした。
刑務所とは、
いったいいつの時代を生きているのだろう、と。


やがて受付の窓が小さく開いて、面会の申請書が中に引き込まれました。
後ろではガラガラと音をたててシャッターが開き、売店が登場しました。

鼓動は服の上からでもわかるくらいに跳ね上がっていました。

「33番の方」と、窓口から呼ばれました。駆け寄ると、
「今日、初めての面会ですね? 何か身分を証明できるものはありますか?」と聞かれました。
わたしはまたロッカーを開けて、鞄から免許書を出して見せに行きました。
係官は何かを記入していました。
「面会できますか?」 不安に耐えかねて聞いてみました。
「ええ、大丈夫ですよ。」

会える…。
わたしは免許書をしまって、また座ってスタンバイしました。

不鮮明な放送が入り、番号を呼ばれました。

持ち物検査も、金属探知機も無く、係官もいないゲートらしきものを通ると、すぐに面会室が並んでいました。
これでいいの? 刑務所。

そのうちの一室に入って鍵をかけました。
アクリルの仕切りは古くて曇ったり傷ついたりしており、暗い照明の面会室でした。

区切られた向こう側のドアには上部に覗き窓があり、そこから確認している人影に気付くと、それが1ヵ月半ぶりに会う、彼の姿でした。

わたしを見て涙を浮かべました。よほど辛い思いをしてきたのでしょう。

面会時間は20分ほど取られました。
先週末にやっと内妻の認定がなされ、それまで領置されていたわたしの手紙10通が手渡され、月曜に来るのだと知ったのだそうです。
そして、移監の手紙は、特別発信許可をもらって書いたもので、内妻の認定が下りてようやく彼からも発信が出来ることになったそうです。
明日が、月に一回の発信日となるとのことで、拘置所で受刑者となってから書き溜めたものも含めて出すと言ってくれました。

終わりが告げられたとき、かれは珍しく食い下がりました。
『もうすこし駄目ですか、東京から来たんです。』
もちろん答えはノーでした。

沢山手紙を書くことを約して、彼が連れて行かれるのを見送りました。
拘置所で太った彼は、元に戻っていました。
丸刈りの、その犯人顔に、わたしは慣れませんでした。

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時代錯誤な刑務所

バス乗り場はデパートの脇に数箇所あります。
わたしが乗るバスは「こども病院行き」です。乗り場を見つけて時刻表を見ると、間もなくバスが来るはずでした。

大急ぎで時刻表を手帳に書き写し、待っていますと、ヨレヨレのスーツを着た年配の弁護士と、これまた年配の婦人がやって来て、このバス停でいいのだろうかと思案顔でした。
弁護士なら調べていらっしゃいよ…と思っているうちに黄色いバスが遅れてやってきました。
整理券を取り、降りるときに表示の料金を払う仕組みでした。わたしは金額もバス停の順も頭に叩き込んでありましたから悠然と乗り込みました。
すると、先ほどの弁護士がヨレヨレしながらわたしに聞くのです。
『○○○にはこのバスは停まりますか。』わたしが降りる停留所です。
わたしは、ハイと言って頷きました。でも、わたしだって始めてなんだよ…。


バスは市内を曲がり、旧街道に沿って走ってからバイパスに入り、20分ほどの道程です。

わたしはバスを降りて日傘を差しました。弁護士と老婦人も降りて来ました。
ここから歩いてまだ6~7分かかります。早足で歩き出しました。頭の中の地図に沿ってスタスタと。
大きな交差点を渡って曲がると、堀が掘られ、生垣があり、その奥にコンクリートの塀のそびえる通りになりました。
静岡刑務所でした。バイパスから少し入ったところです。
人里離れており、山裾でタクシーで行くしかなく、寒い黒羽刑務所より、静岡で良かったと感じました。
彼にも、わたしにとっても。


やがて門が見え、堀を渡って入ろうとすると、門番の人が「面会ですか?」と聞きます。
ハイと頷くと、数字の入った丸いバッチを渡して、説明してくれました。
胸の良く見えるところにつけること、右手奥の、あの小さいドアから入って面会の申し込みをすること。
東京拘置所のような冷たい雰囲気も無く、とても親切でした。
写真で見ていた正面入り口から入らせてはもらえず、脇についた、小さなドアが面会の待合室の入り口だというのです。
丸い真鍮のノブを回しました。そこに廊下があって受付に通じるのかと思って開けました。

ところがそこがそのまま待合室だったのです。


言うなら昭和40年代の町の医院のような空間がそこにありました。
東京拘置所との余りの差に愕然としました。
これで、大丈夫なの?と心配になるような造りなのです。
あらためて、東京拘置所の建物とシステムがどんなに凄かったのかをここで知りました。


時代錯誤なこの刑務所に、彼は確かに居て、これからわたしは通うのです。


面会の申し込み用紙を記入しました。それを持って昼休みで閉まっている小さい窓口(木製の引き戸で、医院の受付そのもの!)の前で呆然としていると、先に居てソファに座っていた50代半ばと思われる女性が「その板の下に置けばいいのよ。」と教えてくれました。
拘置所で話し掛けられた経験がなかったのでビックリしましたが、お礼を言ってそのようにしました。やがて先ほどの弁護士と老婦人も到着しました。


会えるだろうか。午後の分の面会の受付開始にはまだ時間がありました。

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血の涙

手紙は、恨めしいほど素っ気無い「連絡事項」のみでした。

こんなに待ち侘びていたのに、体が
血の涙を流すくらいに辛いのに、たったこれだけ…。

22日に静岡刑務所に移監になったこと、身元引受人・内妻として申請してあるのでよろしくお願いします…
これが手紙の全内容でした。

わたしは、さっき別れたばかりの友人にメールをして知らせました。
同時にPCですぐさま静岡刑務所を調べました。
場所を調べ、HPを見ると、車寄せのある鉄筋作りの建物で、築山があるあたりは小学校のような雰囲気でした。
友人からメールが戻り、同じようにPCで見ていると知り、笑う余裕が出来ました。

静岡であったという知らせは、その日のうちにメンバーには行き渡りました。
弁護士にも知らせ、月曜が休みのわたしは、面会に行ってみると言うと、彼女に止められました。
行っても会えるとは限らない、少し待ちなさい、と。

その代わりわたしは月曜、静岡刑務所に電話をしました。
電話に出た人も代わった人も、おっとりした感じでした。
わたしは電話口で詰め寄りました。
『面会時間は何分ですか?』
『30分です。』
騙されないぞーとわたしは思い、続けて聞きました。
『それって、実質どうなんですか。ホントーに30分会えるんですか。どこかの拘置所みたいに、いやそれは
30分まとするっていって、10分で切り上げたりされないでしょうね…。』
電話口の係官は、少し笑って、
『いやあ~、そうですねえ~…ほぼ、30分です…かねえ。』
これにはわたしも笑ってしまいました。
『東京から新幹線で行くんです。10分で切り上げられるわけには行かないんですよ。』
『大丈夫だと…思いますよ、忙しくない限り…。』
『何曜日が忙しいんですか!』
『いやー、うちは結構ヒマかな。』
そこでまたドッと笑ってしまいました。

そのあと時間や差し入れのことなどを尋ねて、電話を切りました。
弁護士の言うとおりにもう少し待って…無駄に行っても仕方が無い。でも、7月中に行かないと7月分の面会が出来なくなる。
わたしは月末の月曜日に行くと決めました。

しかし、新幹線で往復すると14000円ほどかかります。それを毎月捻出することは不可能。 
まして病院通いで困窮しているのに…。

人には言えない方法で現金を手に入れるしかない。自己破産を申請しているわたしには、貸してくれるところは無い…。
けれど、それが不可能なのもすぐにわかりました。
出血が、どんどん増えてきているのです。
怖いぐらいに…。

わたしの体は、どうなってしまったのだろう…。
もう、薬も注射も効かなくなってしまいました。 

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最後の拘置所

そしてわたしは、やはり「会えるかも」という甘い期待を見事に裏切られました。

『本人もうここにはいません。22日に移送になりました。あとは、本人からの手紙を待ってください。』

もう居ない…
どこに移送されたかわからない…
店のオープンの、あの雨の日にどこかに移されたんだ…。

わたしは力なくベンチに腰を下ろしました。
そして思い出してもう一度窓口に行き、
「じゃあ、手紙が来るまでこちらからは手紙を出さないほうがいいでしょうか?」と聞きました。
「そうですね、そのほうがいいと思います。」
「移送されたのを知らなかったので…こちら宛に出していたわたしの手紙はどうなっているんでしょうか?」 
「それは、転送されると思いますので大丈夫です。」


下獄して刑務所に入ると、手紙のやりとりも、面会も、配偶者か親族しか出来なくなります。
わたしたちは籍を入れていないので夫婦ではありません。内妻と認定されれば、手紙も面会も大丈夫です。しかし、内妻の条件は、「一緒に暮らしていること」なのです。
アパートの鍵を受け取りに行く日の朝に彼は逮捕されたので、一緒に暮らした経緯はありません。ですが、借りたアパートの書類はあります。いざとなったらそれで言い張るしかありません。
全てを見越して、差し入れの続き柄の欄には、「内妻」と書き続けてきました。
認定するのは、行った先の刑務所の所長です。万が一認めてもらえなかったら、そのときには婚姻届を出す覚悟でいました。  


これで、この拘置所に来るのも最後。


初めて来てから
4ヶ月が経過していました。
冬の景色から、桜が咲き、散り、葉が出て茂り、その日その日のわたしの服装を見ては、彼は季節の移り変わりを感じ取るようでした。
窓のないグレー一色の拘置所から、彼はどこに送られたんだろう。
雑居になって、どんな扱いを受けているんだろう…。 

わたしは、ゆっくりと待合室と売店を見回してから、外に出ました。もう二度と、ここに来ることは無い。

歩道橋を渡り、駐車場を横切り、コンクリートの門を出たところでわたしは振り返り、東京拘置所に向かって深々と一礼しました。 

すり減り、傷だらけになった
銀の靴は、その役割を終えました。

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砂の城

彼が受刑者となってしまい、会えなくなる恐怖から逃れるかのように、わたしはその週も目一杯人と会う約束を詰め込んでありました。
一日も隙間なく7日間ずっとです。
わたしは
極限の緊張状態にあり、そしてそれと比例するかのように、体調が崩れて行きました。

水曜日は、夕方メンバーとの飲み会を控えていたため、わたしは何となく
利便だけを考えて4時近くに面会に訪れました。
申し込み票を書き、申請し、目で呼ばれて許可票をもらいに行くと、月曜に「えっ?」と見つめあった係官がわたしを見つめて言いました。

『本人は今日から受刑者に切り替わりました。今日の面会が6月分となりますがいいですか?』

余りの衝撃にわたしの目から涙がわっとあふれ出ました。

わかっていたはずなのに!

拘留期間が延長になったことで油断していた!
なんの覚悟もなく、何気なく来たこの日が
「その日」になるとは…。

今日の面会を延ばしても、いつ彼がどこの刑務所に移送されるかがわからないため、いつ会いにくればいいのか判断がつきません。
今日会って、丸刈りにされたばかりの彼を見るのがわたしの務めだ…。
そう考えて、「はい」と答えました。


同じように東京拘置所内に居ても、被疑者や被告ではなく、
受刑者となるのです。
そしてそう遠くない日のうちに、どこかの刑務所に送り込まれる…。
そうすると、どこに行ったかは本人から手紙が来るまでわからず、面会も向こうからの手紙も月一通しか出せません。
彼も辛いでしょうが、彼はそれも罪の償いと矯正の一環です。
わたしはその辛さに耐えながらも、働き生きて行かなくてはならない。
支えて助けてくれる人はいる。でも、盾となり守ってくれる人も無く、抱いてくれる人も無い、一人ぼっちの女として、この先ずっと…。


面会室に入ると、程なく彼が入って来ました。
丸刈りの頭に、グレーの作業着姿でした。
おどけて頭を撫でながら入室してきましたが、わたしが既に涙をこぼしているのを見て、神妙な顔つきになりました。


彼の赤毛が好きでした。彼のクセ毛が好きでした。
彼が居なくなってから、わたしは一緒に歩いた街に彼を探し、繋ぐ手が無いことを悲しみ、彷徨いました。
その面影は消え、わたしの知らない
犯人顔の男性がそこには居ました。

説明によると、今朝突然、受刑者になりますと告知され、わたしが差し入れした、高い缶詰もスカシユリもかりんとうも、没収になってしまったそうです。
手元に持っていて時々読み返していたわたしからの50通を超える手紙も領置。
作業が与えられ、紙を折る作業をしたこと。
刑務所は、どこに行くのか当日まで本人にも知らされないが、栃木の黒羽が有力らしいこと…。

真面目に頑張って、一日も早く姫のところに帰れるよう耐えるから…。

彼のその言葉を最後に、非情にも刑務官は立ち上がりました。
わたしは彼の名を叫びました。

ドアの向こうに、彼は消えました。


わたしの体は、その日を境に悲鳴を上げて壊れ始め、砂の城は足元を削られて行きました。

拘置所のベンチで、長く長く泣きました。

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その日は来る。

翌週いつものように朝イチに面会に行くと、「拘留期間が20日間延長になった。」と言います。どうして?と聞くと、わからないと。
自分のことなのになんで質問しないんだと首を傾げながら、また弁護士に連絡して調べていただきました。
彼女は本当にお金にならない頼まれ事をたくさん受けてくれました。
すると、受刑者になるまでに規定の拘留期間が切れてしまうため延ばしたにすぎず、特に意味はないとのことでした。
延長された分、受刑者にならず面会できるのかと期待したのですが、だいたいは判決後二週間が経ったのちのある日突然、はい今日から受刑者ですからと言い渡しされるのだそうです。

きっちり二週間だと6月6日に受刑者になる計算でした。もしそうだと、朝本人に通達があり、荷物を整理(捨てたり領置=没収されたり)し、丸刈りにされ、私服ではなく受刑者の作業服になるとのことでした。
そしてわたしには、面会の窓口で、面会許可票を渡される時に、
「本人は今日から受刑者です。この面会が今月分となってしまいますがいいですか?」と言い渡されるのです。
そのセリフは、窓口で毎日のように誰かが言われており、いずれわたしも言われるのだと怯えているセリフでしたから、もう暗記していました。

そしてそれより怖いセリフはこれでした。
「本人はもうここにはいません。」

どこに行ったのですか、いつ行ったのですか…!
すがるような身内や内妻の質問に、窓口の係官は「それはお伝えできません。本人から手紙が来るまで待っていてください。」と、冷淡に撥ね付けるのです。

わたしにもその日は確実に来る…。

その日、もし受刑者になっていると、午前中は会えないと思われるため、覚悟をして、受付ギリギリの4時少し前に面会の申し込みをしました。
許可票を渡されながら、あのセリフをとうとう聞くかもしれないのだ…。

もうすっかり顔なじみになった窓口の係官は、目でわたしを呼びました。
おずおずとピンクの用紙をもらい、言葉を待ってみたが、係官は何も言いません。

「えっ!」とわたしが声を上げると、係官も「えっ?」と言って二人見つめあいました。
いえ、と言ってわたしは用紙を手にそそくさとソファに座りました。

普通に、会えるんだ。
拍子抜けしたような、こそばゆい嬉しさがあり、えっ!?と見つめあった係官の表情に初めて親しみを感じて頬がゆるんでしまいました。

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残酷なる落差

笑顔の無い彼に、良かったねとは言えなくなり、『気分はどう?』と質問しました。
彼は首を傾げました。
納得いかない、とでも言うようなひねり方でした。
わたしは、心底がっかりしました。涙を浮かべて減刑を喜び合うという設計が崩れてしまったからです。

『控訴する気があるとか…?』 わたしは恐る恐る聞きました。
『…んー。判決文を見てみないと何とも…。』
エエッという感じでした。
私たちにはもう使い果たした感があり、控訴すると、次はまた国選弁護人は代わってしまうのです。また一からという気力は残っていませんでしたし、何より、判決の結果について、彼が何の感謝もせず不服を持っているということににがっかりしました。

言っておくけど、検察からの控訴って可能性も、ゼロではないんだからね。検事は悔しそうな顔をして出て言ったし、弁護人は、よくて4年って考えてらしたのよ?
すこし厳しく伝えたものの、彼の態度はやはり煮え切らないままでした。

そのときは、判決後に出したわたしの2通の手紙はまだ彼の手元に届いておらず、彼は手紙を出しておらず、お互いの気持ちや事実を知らずに面会していたのです。


二日後、彼から判決の夜に書いた手紙が届きました。
それを読んでわたしは泣きました。彼は、3年と10ヶ月でも重いと感じたようです。客観的に罪状を考えれば充分軽減されているのですが、当の本人にとっては、長い月日だと感じたのでしょう。
そして、知られざる事実がそこには書かれていました。

裁判を終えた被告たちを乗せた護送車は、どの入り口から首都高に乗る規定なのかは知りませんが、察すると数寄屋橋を抜けて晴海通りを行くのでしょう。
そして、銀座4丁目の交差点の信号待ちで停まったときに、窓にかかっているカーテンを全て開けられたのだそうです。

夕暮れの銀座の真ん中で、護送車内は人目にさらされ、そしてそれよりも、犯人たちは、目の前に現実を突きつけられるのです。
通りを楽しげに歩いている人たちと、護送車に乗った彼ら。自らの犯した罪とはいえ、その落差には動揺を隠せないことでしょう。見せしめのためにか、と彼は表現していました。


手紙は、こう締めくくってありました。

【銀座の街とも、姫とも、会のみなさんとも、しばらくの間お別れです。さようなら。】

便箋が、ところどころたわんでいました。
彼との間にある、残酷なほどの落差に、わたしは泣きました。

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