病院に行けない。

以前わたしの『自慢の小部屋』として紹介したアパートのトイレ。
2009_scape_006_2 2009_scape_005_2
いまはもう、見る影もありません。その広さが仇となり物置小屋のようになっています。





今日起きたら夕方でしたshock
昨日Zとデパートを歩いたとはいえ、体が重く、立っていることができません。
けれど冷蔵庫は空っぽだし、何よりナプキンがもう無いのでどうしても買いに行かねば…。


あんず一人の時にはそんなに散らからなかったのですが、ちまはパワーが凄くて、起きて眺めると部屋はこの掃除ギライのわたしが見過ごせないよいうな惨状になっています。

起きて後始末をして、着替えてスーパーに…。
帰って来たらもう6時です。
まだ起きぬけなんだけど、夕飯のしたく始めなきゃ…。

造血剤を飲んでいても、こう出血が続くとそろそろ限界かな…。
動悸や息切れがし始めました。
出血し始めて17日目。
病院に行かなきゃ…。でも、もう少し待ったら止まらないかな…?と期待。
ちまの耳ダニの駆除に毎日通わなきゃいけないし。

わたしの婦人科の主治医は隣の市です。つまり隣の県です。
早起きして電車を乗り継いで行って、受け付けのあと2時間余りの待ち時間…。
もうそんな気力体力は残っていません。

かといって近所の知らない婦人科に行って、過去4年分の状況を話すことももはや億劫です。
主治医なら説明は無用。
頑張って早起きして出かけて、2時間待つだけ…。


でもそれができません。できないのです。

トイレにはナプキンが山積み。大き目のゴミ袋も置きっぱなしです。
主食として食べているかのようにナプキンもトイレットペーパーもぐんぐん減って行きます。

なんなのよっsign01 どうだっちゅーのよっimpact もういい加減にしてよっannoy

自分の体に腹が立ち、それがストレスにもなり、肌はボロボロです。
もう使わないから『上がり』にして欲しい…。疲れたよ…。

うつ病やっかいだな…。
病院に行けないくらい具合悪いよ…weep


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悲しき脂肪肝

ねこは夕べ夜中にケージから出してやったら、一人で大運動会を行い、ガツガツとごはんも平らげたので、病院には連れて行かないことにしました。

なのでわたしの心療内科と肝臓の超音波検査のみ。


…わたしの肝臓、フォアグラでした(泣)

明日大好物のフォアグラを食べるのに、知ってしまいました。
けっこうな脂肪肝だそうですshock


エコーを当てながら、先生が「んむむ。」と眉をひそめ、モニターをわたしに向けました。
「見えますか~? あなたの肝臓。」
「ええ…と…。」
「見えないでしょう? わたしにも見えない。」
へっ???

「こりゃあなかなか立派な脂肪肝だ。」

shock

確かにわたし太いです。
でも、誉められるほど立派なフォアグラ育ってますかあ…?

「これはいかんね。治療しないとね。お薬ふやしますよ。」
また増薬ですbearing


食生活がひどいですわたし。栄養めちゃ偏っています。
アパートで、自分で料理をするようになったらきっと改善してみせます。
運動も、します(ちょっとだけ。)

ついでに診てくださった胆嚢と腎臓は異常なしでした。良かったcatface


片道1時間の通院に疲れて、帰りは電車でもバスでも爆睡gawksleepy
帰宅してからはねこと一緒にまた寝ました。

わたしもねこみたいだなあ。


出血は、止まりました。
でもホルモン薬、20日分飲み切らなくちゃいけないかなあ…。
気持ち悪くなるんだよね…。


ねこと一緒に暮らすようになって、一日一日ねこが慣れたりなついたり、リラックスしてくれているのを見るにつけ、生活に笑いと微笑みがついて回るようになりました。

可愛い。愛おしい。そしておもしろい。
眠っていても、毛づくろいしていても、一人で遊んでいる姿も、食べている姿も、飽きることなくわたしは見つめて微笑んでいます。

うつ病はきっと快方に向かうでしょう。
あとはこの脂肪肝。何とかしなくちゃcoldsweats01

                                      pencil伽羅moon3

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病院ハシゴ

ねこに合わせて夜遅くまで起きているので、最近はまた朝起きられない生活です。
婦人科の診察に行こうと、やっとの思いで起きたところ、どうもねこの様子がおかしい。

どこがどうおかしいかと言われるとはっきりとはわからないのだけれど、目のふちが赤いような気がするし、全体の雰囲気がなんだか弱々しい。

ねこを飼うのは初めてだけれど、子育てをした経験が「何となく変。」という勘になっているようです。
わたしの息子は5歳になるまで死にそうに弱々しい子供で、例えば風邪をひくと、その治りかけの時に「耳が痛い。」と言い、小児科から耳鼻科に変更。
耳が良くなってきたと思ったら今度は「目がかゆい。」で、眼科にも通う。

風邪を引くたびに必ず中耳炎と結膜炎がセットになって付いてきて、半月は病院通い。
そんな子供を育てた経験は無駄ではないはず…。

でも、とにかくわたしはこの出血を止めないと倒れてしまう。
エアコンをつけて、ねこに毛布をかぶせて、わたしは病院に行きました。

平日なので患者さんが少なく見えました。2時間待ちはないかな、という期待は裏切られ、やっぱり二時間待ち。
診察室に入るや否やわたしは言いました。
「先生、止まりません!!」
「ああ…そうでしたか、ではお薬を使って止めましょう。」

幸い、癌検査の結果はシロでした。
だけど土曜日に来たときに薬を出してくれていたら、今日、具合の悪いねこを一人にしなくて済んだのに…と、正直わたしはイラつきました。

しかも初めて電車で一人で来たので、行くときも道を間違えて人に聞いて辿り着き、帰りも駅とは逆方向に歩いてしまって引き返し。そんな自分にまたイラつく。

ペットショップに寄ってキャリーバッグを買い、おにぎりを買って急いで帰宅すると、もう3時近くでした。

そして「あんず~、ただいまー。」と声をかけたわたしの目に飛び込んだものは、故意に荒らされたようにしか見えないグッチャグチャのケージの様子…。

ベッドは逆さまになって下に落ちており、トイレの紙砂は撒き散らされ、水は引っくり返って毛布も水浸し。
居場所のないねこは、何もなくなったケージの上段に正座していました。

「あんず、どうしたの! 大丈夫?」
抱き上げると手足が濡れています。
まず拭いてやって、ケージの内外の掃除をしました。
あんずは、外に放り出された逆さまのかまくらベッドに潜むようにもぐってその様子を見ています。
「あんず、どうしたの。どうしちゃったの…。」
わたしは掃除しているあいだに、寂しくて暴れたのであろうねこが不憫でぽろぽろ泣けました。

掃除が終わり、トイレの砂も水もゴハンも全部取り替えると、ねこはケージに入ってオシッコをしました。きっと我慢していたのでしょう。
またトイレを掃除して、やっとおにぎりをかじり出したのが3時半でした。
そこへ夫から電話が入り、動物病院に行くのに、末っ子を頼んであるから一緒に行ってもらうようにとのことでした。
そういえば、キャリーに入れたねこを担いで知らない道を地図を見ながら辿る元気は残っていません。
末っ子からメールが入り『もうすぐ帰れるけど、あんずのことでなにか手伝えることある?』という優しい言葉をもらいました。
『病院の住所と地図はあるんだけど、わからないから連れて行ってもらえる?』とメールをしたら、『わかった。』と返事が来ました。

ほどなく彼が帰宅して、わたしはねこをキャリーバッグに入れ(なぜかおとなしく入った。)
それを彼が肩に掛けて地図を持って、病院に向かいました。

診てもらった結果、軽い風邪と軽い結膜炎だろうということで、目薬を出してもらいました。
病院でねこはおとなしかったです。

帰宅して、かまくらベッドにねこを入れ、ウールのマフラーで体をくるんでやると、ゴロゴロと喉を鳴らしました。
わたしは疲れ果てて、夫の帰るメールにも気が付かないくらい寝入ってしまいました。

          ******************

今日は休息日。
朝、何か夫と会話したと思うのですが、記憶にありません。
ただ、ふとんの足元で、うごうごしている感触がありました。
『あんずだ…。ママのお布団にもぐって来たんだ…』
甘酸っぱい思いで胸がきゅんとしました。
わたしは眠り続け、あんずは少しづつ位置を変えながらもずっとわたしの足元にいました。

夕方、やっと起きてねこを探し出し、抱き上げてみると、ただ抱っこしただけでグルグルと喉を鳴らしました。
目薬もおとなしくされてくれます。
そのあとケージに入りましたが、どうにも弱々しい姿なので、また抱き上げて、布団に入れてやると、そのまま今も寝ています。

明日、わたしは心療内科で肝臓のエコー検査もあるのだけれど、このまま元気が無いようならまたねこを病院に連れて行こうかと思っています。

病院ハシゴ再び、です。

                                          pencil伽羅moon3
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具合が悪い。

今日は全く起きられなかった。
朝、ねこの世話をして、それから眠り続け、意識がもうろうとする中、弁護士Zとすこしメールのやり取りをしたが、途中で意識を失って中断した。

夕方夫に早く帰って来てくれるようメールをして、帰宅の電車に乗っている夫とやり取りをしたが、こちらも途中で意識を失った。

夫が帰宅してようやく目覚めたが、夜の7時を過ぎていた。

昼間、トイレに行ってナプキンを換えるたびにうんざりとした。
フラフラと布団に戻り、残っていたパンを押し込むように食べて水で流し込み薬を飲む。
夢と現実の区別がつかないまま日は暮れて雨が降り気温は下がった。


無理を言ってホルモン剤を出してもらえばよかった。
病院に行くというのは、気力も体力も必要なのだ。
水曜にまた婦人科に行って、金曜は心療内科。肝臓のエコーを診ますと言われているので、何も食べずに行かなくてはならない。


ひさしぶりにやった講座の仕事は楽しかったけれど、それ相応のストレスがあったということか。
それとも子宮に異常があるのか。

異常なのはせめて脳だけにしておいて欲しい。


雨の日は、ねこも休息日。
遊びをせがまず、ときどき薄目をあけてわたしを確認しながら、かっぱのぬいぐるみを枕にして寝ている。

わたしも、座っていられない。
また布団の虫となります。

                                       pencil伽羅moon3

diamondレスできなくてごめんなさい。みんなありがとうheart


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止まらない。

体調が悪くて、病院に一人で行く気力の出なかったわたしは、土曜日、混んでいるのを覚悟で夫に車で連れて行ってもらいました。

…2時間待ちでした(泣)

本も持たずに来たのでやることもなく、たまたま持っていた東京都の地図を飽きるほど眺めました。

結婚の当初も出血が止まらず、余っていた薬を飲んで無理矢理止めて新婚旅行に行き、帰って来てから大学病院に行って紹介状をもらい、6月に訪れて以来の病院です。

医師はわたしを覚えていました。
大先輩からの紹介患者だからでしょうか。

超音波で診てもらいましたが、「これはそろそろ止まるでしょう。」と言われました。
「先生、そろそろって言ったって、もうまるっと二週間です。長すぎます~。」
わたしは訴えましたが、ホルモン剤は出してもらえませんでした。
癌検査のための細胞を2種類採って、また水曜日にいらっしゃい、と言われて帰されました。

…疲れました。
貧血検査は、断りました。貧血なのはわかりきっているからです。
かかっている心療内科は、内科・循環器科併設なので、血液中の鉄の割合が低いわたしに、先生はいつも鉄材を出そうかどうしようか迷って、出さずに我慢しているのですから。


で?
もうそろそろ終わりって…
…全然止まりません(泣)
もううんざりです。
そして水曜日は一人で何とか病院に辿り着かなきゃいけません。
妊婦さんだらけのなかにぽつんとおばちゃんがいるのって心地よくないし…。

脳の指令がバカなのか、子宮がバカなのかわかんないけど、もういい加減にしてくれ!とうんざりします。

水曜日までにあとどれくらいの血が失われるのか…。


もゥやだ~!

                                     pencil伽羅moon3

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青い帯

その夜、久しぶりに湯船に浸かった。
この2日シャワーだけでは寒かったのだが、明日からの復帰に備えて熟睡できるよう、寝る前にお風呂に入った。

湯船に浸かって、足を浴槽の縁にあげて、ふと気が付いた。
なんだこれ…。

両足の甲に、くっきりと幅4cmくらいの青い帯があるのだ。

内出血?

わたしは婦人科の診察台を思った。
足を差し入れる部分を考えた。
それだ…。

途端に悲しくなってわたしは風呂のなかで泣いた。


麻酔をかけられたのは、【脳】なのだ。
脳が痛みを感じないように操作されたにすぎないのだ。
意識のないうえでの処置に、体は必死に耐えていたに違いない。

力んだのか、暴れようとしたのか、踏ん張っていたのかはわからない。
ただ、わたしの知らないところで体は必死に耐えていたのだ。
切なくて不憫で、リラックスするためのお風呂は、涙をかき消すためのものに変わってしまった。


術後4日目に仕事に復帰した。
季節の変わり目で、店内の商品を入れ替える一週間である。
つまり、お客さんが来なくて、椅子に座って気を抜くヒマもなく、立ち仕事・力仕事・階段の上り下りの多い期間なのだ。
一日目は、蒼ざめた顔をしているわたしを気遣って、みんな時々休ませてくれたし、力仕事もやってくれた。
けれども毎日そう甘えるわけにもいかない。
出血は少なくなったが止まることはなく、立っているとお腹が痛むのが辛かった。

自分の担当フロアになると、主となってレイアウトを考えるのはわたしになる。
痛いの痒いの言っている暇は無かった。
6日間をかけて店の入れ替えは完了し、小さな達成感を胸に公休を迎えた。
よく頑張れた。自分を誉めた。

けれど、足の甲の「青い帯」は、なかなか消えることが無かった。
それを見るたびに切なくて、わたしは毎晩お風呂で少し泣いた。


この手術が響いたのか、それともそれとは関係なく、フタをしてある病気が溢れそうになったのか、わたしは体調に異変を感じ始めるようになった。
どうにも辛くて休んでしまった翌日、精神科で説明をすると、
「あきらかに過労。時間を短くするとか、週2日休むとかはできないの?」と担当医に聞かれた。
「できません。このまま5月まで働きます。どうしたらいいですか。」
医師は困った顔をした。
「じゃあ、ユンケル飲んでやり過ごすしかないね。」
「ユンケルが、いいですか。」
「ユンケルがいいです。」
少し笑った。

わたしは毎朝ユンケルを飲んで出勤した。
けれども、徐々に変な症状が出始めてきてしまった。

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心を救うもの。

点滴の管の途中から麻酔薬が入れられ、わたしはスッと意識を失った。

意識が戻って頭をうごかすと、モヤの向こうで主任さんの声がした。
「終わったわよ。大丈夫よ。もう少し寝ていてね。」
わたしは再び眠りに堕ちた。

次に目覚めたときには、モヤは晴れてはいたが、声もうまく出ず、体もままならなかった。
わたしはゆっくりと起こされ、診察台に座り、そこから二人に両脇を抱えられて婦人科の処置室に戻った。

ザンバラの髪、胸元がはだけそうな衣服。
わたしは、江戸時代の罪人が刑場に引っ立てられていく姿を思い起こした。
見たことなどないはずなのに、思い出した。

あらためて、この姿をNさんに見せなくて良かったと実感した。

ベッドに戻ると、カラカラの喉に耐えかねて、「何か飲んでいいですか?」と聞くと、主任さんはわたしから離れず、持参していたペットボトルの水を飲み終わるまでじっと見つめていた。
見届けると安心して、「じゃあ、あと1時間か1時間半くらい休んだら帰っていいわよ。」と言い残して、仕事に戻って行った。

主任さんには心を救ってもらった。
医療とはこうであってほしい。わたしは今も感謝している。

もう涙も枯れ、喪失した下腹には代わりに鈍痛が訪れており、わたしは何をするでもなく、ベッドに横たわっていた。

痛みは、時に人の心を救うのではないかと考えた。
これが痛みのない空洞であったならば、その喪失感に心は耐えられるだろうか。
痛みに気を取られているあいだに、心は守られ、壊れるのを防御されているのかもしれないと、ぼんやり思ったりした。

小一時間休んで、わたしは着替えて主任さんにお礼をいうと、支払いをし、薬局に寄ってからタクシーで帰宅した。
夕方までウトウトとし、息子が買ってきたお弁当を食べ、また泥のように眠った。

翌日タクシーを使って消毒に行った以外はZZzz…の記録しかない。
最後の休みの日は精神科の診察日だった。
11時の予約だったが、わたしは早く家を出て予約をしていない婦人科に先に行った。
落合先生に会いたかったのだ。

すぐに呼ばれて、診察室に入った。
「お騒がせしてすみませんでした。」わたしが頭を下げると、先生はニッコリとして、
「いえいえ、どうですか具合は。」と聞いてくださった。
痛みが全く弱まっていないことを告げると、「じゃあちょっと診てみましょう。」と、超音波で診てくださった。
「大丈夫ですよ。順調に回復しています。出血もあと2~3日だと思います。心配ないですよ。」
やさしい口調で言われ、わたしはとても嬉しかった。主任さんにとても良くしていただいたことも話し、わたしは深々と一礼して婦人科を後にした。

精神科で、担当医に、今回のことをカミングアウトした。叱られるかとビクビクしながら話したが、医師は「その事柄自体は、世間ではよくあることというふうに考えて、今は、あまり思い悩まないようにしましょう。」と言ってくれた。

会計のあと、領収書の内訳を見ると、婦人科の請求はゼロ円だった。

落合先生は、わたしが先生に会いに行ったのだということを、わかっていたのだ。
まさに、心を診てくださる医師であった。

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厳戒態勢

わたしが診察台に上がっている間にその日の婦人科の診察は開始した。
わりと朝9時ピッタリにいつも開始される科だった。
落合先生が患者さんを呼ぶ優しい声を聞いた。
だから落合先生はいらっしゃるのに、わたしを診てくれなかったのだと、わたしは考えたのだ。

いい子じゃないから見捨てられた。

インナーチャイルドを抱え持つわたしの思考にはそういう構造があった。
これは今だから言えることであって、うつ病の初心者であり、ただこれ以上進行しないよう薬を飲んでフタを閉め、メタクソに働いているだけの当時のわたしは、意味も理由もわからず、突然起きた錯乱状態に、その抑え方もわからなかった。

騒ぎを聞きつけて、落合先生は自分の診察室から来てくれたのだ。

「どうした?」という医長の問いに答えられる人はおらず、しかし先生はわたしの顔だかカルテだかを見て、「ああ…。」というため息交じりの声を洩らした。

泣き喚いているのが自分の担当患者で、今日が手術の日であることを思い出し、わたしが泣いていることを、うつ病と関連付けてそれなりに納得されたのだろうと思う。
誰かに何かを小声で指示している様子があった。

そして、落合先生はわたしの前に立ち、無言で、
頭を
「よしよし」と撫でてくれたのである。

幼い頃、父がよくそうしてくれたように…。

わたしは、安堵感と切なさで一層泣いた。
先生は怒ってない。見捨てたわけではないのだきっと…。


診察台に再び寝かされ、血圧計を巻かれ、主任看護師が脈を取った。
相当な興奮状態にあるわたしを彼女は優しくなだめ続けた。

10分…15分…。やっとわたしの硬直が解けはじめたのを見て、彼女は質問した。
今日一人で来たのか・迎えに来る人はいるのか・自宅に誰かいるのかと。
予定だと、このあと一旦家に帰って、1時半にまたここへ戻ってくることになっている。
まだ全身は痺れ、涙は溢れており、声はかすれていた。

昨日からお腹の張りと軽い出血もあり、今薬を入れたことでひょっとして子宮口が開いてしまうのではないかとも思い、まずそれを聞いてみた。
「長くここで勤めてるけど、そんなふうになった人はいなかったわよ。でも、おうちに帰っても一人なの? 心配?」
「…わたし、うつ病なんです…。こちらの、精神科に掛かっているんです…。」
途切れ途切れにそう言うと、担当医を聞かれ、主任さんはわたしの顔を覗き込んだ。
「じゃあ、内科の処置室のベッド確保してくるから、帰らないでそこに居る?」
わたしは頷いた。
初めての錯乱に自分が動揺し、一人で一人の家に帰って、またタクシーを拾える道路まで出て病院に戻ってくる気力はもう無かった。

主任さんはすぐ隣の内科の処置室のベッドを確保してきてくれ、わたしはそちらに移動した。
「見にくるからね。大丈夫よ。」と笑顔を見せて、主任さんは婦人科に戻って行った。

貴重な時間を割かせてしまい申し訳なかった。

内科のベッドで、わたしはそのあと2時間くらい泣いていた。
それは、この子に対する申し訳なさと、失う切なさの涙だった。

何回も主任さんが、「だいじょうぶ~?」と覗きに来てくれた。
内科の看護師さんもこっそり様子を伺っていてくれた。
慈愛に満ちた監視下のもと、病院は午後になった。


わたしは呼ばれて婦人科の処置室に戻り、そこで手術着を渡された。
前にずらりとスナップのついた服で、驚いたことに、袖を含めて前身ごろと後ろ身ごろもスナップ止めになっている。つまり、何か起きたら瞬時に前面を素っ裸に出来る構造なのだ。

舞台衣装の、早変わりってのも、こんな感じなのかねえと、考えるだけの余裕が戻って来ていた。

診察台(兼掻爬室)に行くと、手術をしてくれる医師のほかに、看護師が4人わたしを取り囲んだ。

厳戒態勢だなこりゃ…。
あきらめてわたしは台に上がった。


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錯乱

車の中で、何を話したのか、何も話さなかったのか、わたしは覚えていない。

レストランに入って書類を見せながら説明した。
朝診察開始前に行ってまず子宮口を柔らかくする薬を入れる処置をすること。
それで一旦帰って来て、午後1時半くらいに病院に戻ること。
翌日消毒に行くこと。その他、術後に気をつけること。
Nさんは書類を読みながら理解し、同意書に署名をして印を捺した。

食事だけして、送ってもらった。

自宅の前に車を停めて、降りる前にふと思い立ち、わたしは彼の手を取って、自分の腹部に押し当て、その上から自分の手を重ねた。
「今夜が最後だから…サヨナラって…」

言い終わらないうちに思いがけず涙がボトボトこぼれた。

今思い出してもあの夜のことは泣ける。
申し訳なかった。不憫だった。切なかった。
命の尊さを知っているのに、とんでもないことをしてしまった。
彼もまた、泣いていた。
食事していたのよりも長い時間、わたしたちは泣いていた。


彼が帰り着いてから、少しメールのやり取りをした。
わたしは、考えた挙句、筋違いかもしれないが、彼の亡くなった奥さんに、この子を頼みたいと伝えた。
亡くなった奥さんのことは彼を通してしか知らないが、彼が心底愛し、その彼に「ありがとう」と言って旅立った人である。この子を頼めるのは彼女しかいないとわたしは思った。
彼も、「わかりました。よく頼んでおきます。」と返信してきた。
今も時々、わたしは見知らぬ彼女に呼びかけ、この子のことを頼んでいる。


手術当日の朝、歩いて行ったかタクシーに乗ったかは記憶にない。
ある瞬間までの記憶が無いのだ。
記憶のわたしは早朝の診察台にいて、処置されるのを待っていた。

「じゃあこれからお薬を入れますから。」
そう言ってカーテンを開けて顔を出したのは、落合先生ではなかった。
医長である落合先生が、手術をしてくれるわけではないのは当然のこことして理解していた。けれど、わたしは落合先生の患者なのである。この瞬間までは落合先生が主治医である。
朝の処置は落合先生がやってくださるのだと信じていた。

見知らぬ先生がカーテンを開けて、既に脚を開いているわたしの顔を見たこともショックだった。

けれど何より、落合先生に見放されたという思いが全身を駆け巡った。

処置は、痛みを伴うものだった。
けれどやり過ごせるくらいの痛みだった。
処置が終わって、先日説明をしてくれた年配の主任看護師が「痛かった? 大丈夫?」と、優しく声をかけてくれた。


途端、わたしは錯乱した。

こらえにこらえていたものが、ここに来て爆発したかのように。


看護師が二人がかりでわたしを押さえ、手を下した医師は立ち尽くしてオロオロした。
そういう光景を冷静に見ているのに、わたしの中の誰かが泣き喚いて暴れようとしている。

「どうした?」 聞きなれた声がした。
落合先生だった。


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いたわりの瞳

妊娠のことを、わたしは今は親友である弁護士に知らせた。

彼女は
「どこまでも試練だねえ。うつ病だけでもオオゴトなのに…。でも、でもね、産むという選択肢はないの? ひょっとしてうつ病もぶっ飛んじゃうかもしれないしさ、Nさんに、産ませて欲しいって、頼んでみたら?」とメールを返してきた。
わたしにもその選択肢は無いのだが、彼にはもっと無いのだと答えると彼女は憤懣した。
「だって、悪いのは男じゃない! なんでアンタばっかりそんな大変な思いしなくちゃいけないのよ! あんたの精神はどうなっちゃうのよ! この先どう生きてくのよ!」

自分のために泣いたり怒ったりしてくれる相手がいるということは、なんと幸せなことだろう。

わたしは疲れた脳がもう思考を停止しており、彼女をなだめることもできなかった。
わたしは病院に行く前にすでにNさんに、彼を罵り怒るメールを送りつけたのだった。
彼は一言もいいわけをせず、ただ謝ってくれた。
それで気を静めてから病院に向かったので、弁護士が怒り狂っても、わたしには反論はもう無かった。

彼女は、「Nさんに転送してください」とコメントをつけて、長いメールを送って来た。
【今回の彼女の背負う重荷にわたくしのほうが呻いております。産めないのは仕方ないにしても、疲れきった彼女に休暇を与えてやってはもらえないでしょうか。彼女は、わたくしの知る限り、休んだことのない人生です。生真面目に生きてきて背負いすぎて、精神を壊してしまいました。これ以上の呵責に耐えうるとはわたくしには思えません。どうかあなたの手で、彼女を休ませてやってはもらえませんか。一生に一度だけの人生の休暇を与えてやってください。お願いします。】
そんな内容のメールだった。

彼女もまた、盾となりわたしを守ってくれる人であった。

Nさんは承諾し、この店の仕事が終わったら、半年間の休養を保証すると、約してくれた。
わたしは、このちいさい命によって、療養生活を手に入れられることになったのだ。
それを励みに乗り越えよう。

わたしは社長に、自分の公休日を含めて4日間の休みをお願いした。店に居る間に何かあっては大変なので、子宮と卵巣の癒着部分を剥がす簡単な手術を受けるのでと説明しておいた。(癒着があるのは事実であった。)

手術までの4日間、わたしはお腹に手を添えながら働いた。
休むと知って社長が「在庫取りをやっておいてほしい」と作業を前倒しにしてきた。
例年わたしがやっていることなので、これは終わらせなくてはならない。
4日目は日曜だったので結構来客があり、わたしは階段を登ったり下りたりを繰り返した。
夕方、お腹が張って出血しはじめた。

待って、もう少し…。
あした病院に行くから…。

仕事終わりには、Nさんが車で迎えに来てくれた。
書類に署名してもらうためだ。
いたわりの色を瞳に湛えて、彼はわたしを迎え入れ、車はゆっくり発進した。

3人での最後の晩餐だった。

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