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手術の、そのあとは。

日にちが空いてしまいました。
夫に家事を全部頼んで、お姫さま生活をしています。
お姑さんが家にいないので、夫にゆとりがあって、ラッキーでした。
以下、前々回の続きです。

   ****************

ICUでは、寝られることはなく、明け方、5時くらいにちょっとウトウトしただけだった。
もとの自分のリズムが、朝の5時になら寝付ける体質なので、
ある意味、そのまま。

吐いたのが、一回だけで済んだ。
これには救われた。
卵巣摘出のときの吐き気は、当日から翌日のお昼過ぎまで続いており、
4人部屋だったので、みなさんのお食事の匂いにえづいてしまい、
申し訳なくて辛かったのだ。
それを思えば、一回吐いたくらい、どうってことはなかった。

あのキビキビとした看護師さんと別れて、
次はHCUという部屋に移ることになった。
経過がとても良かったら、ICUからもう病室に帰しても、と
主治医は口にしてはいたが、
念のために一晩、HCUに入ることになった。

それが、連れて行かれたのは、4人部屋で、
あろうことか、男女混合の病室なのだ。

いやいやいや、これはアカンやろ!
わたしは一気に具合が悪くなった。

個室じゃないと無理、ってカルテには記載されてあるはずなのに、
あろうことか、男女混合の4人部屋。
わたし以外の3人は男性。

しかも、このHCU、ICUとは比べ物にならないくらい、
看護師の質が悪い。
わたしは車いすで移動して来たのだが、
尿の袋は、その角度によって、管が痛くなることがある。
なので、微妙な位置加減で自分で持って入ったのだが、
それを奪われて、ベッドに投げられたのだ。
「痛い!」と、わたしは大げさに叫んだ。

向かいのベッドのおじさんが、何回ナースコールを鳴らしても、
看護師は奥でお喋りしていて、来やしない。
わたしは、これは耐えられない、と思って、
精神安定剤を持ってきてもらえるように頼んだ。
それだって、同じ院内で保管しているのに、届いたのは3時間後くらいだ。

精神科の先生が心配して見に来てくださった。
わたしは、この窮状を訴えたが、精神科医に権限はない。

夫が来て、それから、術後初めての夕飯が出た。
お粥に、カレイを煮たものがついていて、食べたいのだが、
精神的にやられていて、気持ちが悪い。

すると、そこに主治医が、わたしを探してやってきてくれた。
聞けば、このHCUにも、個室があって、空いているという。
それを見つけた主治医が、「なんであの人を個室に入れてないんだ!」と
抗議してくれて、その個室を抑えてくれたとのこと。

わたしは、一晩だし、食事中だし、と躊躇したが、
夫と、主治医が、「変わったほうがいい。」と言ってくれて、
わたしを乗せたベッドごと、食事もつけて、部屋を個室に移動させてくれた。
ありがたかった。
食事はもう食べる気力をなくしてしまったが、
個室に入れてもらえたおかげで、その夜はぐっすり眠ることが出来た。

そして、翌日、管が、合計8本刺さったその状態で、
朝、レントゲンを撮りに行ってこいとのこと。
看護師さんだったか、助手さんだったか、連れて行ってくださったのだが、
体から管が8本も出ている姿は、異様だったらしく、
外来で来ている患者さんたちに、奇異の目で見られた。

あ~そうだろうな~、相当重症っぽいだろうし、
管だらけで、ろくに服が着れていない状態なので、
四角いストールがあったら良かったなあと思った。
持っていたのに、人にあげてしまったのだ。

そのレントゲンの結果、病室に戻れることになった。

体からは管が8本も出ていて、
レントゲンを撮る時も、だれかこれ持っててとか、
これをここに縛ろうかとか、大変な状態だったので、
その体で、尿の袋をわたしは自分の膝に乗せ、
ICU・HCU・に持って行ってた荷物も、わたしの膝に乗せ、
点滴の架台もわたしが自分で持って、
そんなわたしを車椅子に乗せて、看護師さん一人が、
病室まで連れて帰ってくれた。

そこで、左手の管が一本になり、ドレーン2本のうち、一本が抜かれた。
少し身軽になれた。


それが土曜日で、ちょうどそのタイミングで、息子が来てくれた。
夫に、HCUに居るけど、移動の可能性があるから、
面会受け付けで確認してから行ったほうがいいよ、と言われており、
確認したら、HCUに入ってると言われたので、迷路のような病院を、
歩いてHCUに行ってくれたら、
「さっき病室に出発しました。」と言われたそうだ。

息子は、人がいなくなると、まっすぐわたしの脇に来て、
手を差し出してくれたので、
わたしはその手を握った。
愛情が繋がっていることを感じた。

ちまをペットホテルに預けているので、朝、息子に面会に行ってもらったのだ。
ちまの様子を聞いたら、
面会室に連れてこられて、ちまは震えていたそうだ。
息子のことを思い出せないのか、それどころじゃないくらい怯えてたのか、
わからないけれど、ずっと震えながら、
右斜め上を見てたよ、と言うので、
なにそれ、怖い怖い、と笑った。
ちゅーるを一本やってもらったのだが、
食べたものの、ちまは終始怯えた様子だったと聞いた。

売店の横に、ドールの果物ジュースの自販機があるから、
キミの分も含めて買って来て、小銭入れが引き出しにあるから、と頼むと、
息子は、自分の財布を持って出て、
自分にはマスカット味、わたしにはグレープフルーツ味を買って来てくれた。
午後はお嫁ちゃんと合流して予定があるらしく、
すぐに帰って行った。


病室、は無駄に広くて、見晴らしがよく、
けれども、術後ではやり疲れていると見えて、わたしはよく眠った。

入院して食べたごはんがものすごくマズかったので、
主治医に頼んで、全粥にしてもらった。
白米は、「いつの米?」というくらい、マズくて臭い。
お粥だったら甘みが出て食べられるので、
結局退院するまでずっとわたしはお粥を食べていた。

だんだん、管が抜けて、自力でトイレに行けるようになったのは嬉しかった。
ただ、一日にどれだけ飲んだか、どれだけ出たかを全部報告しないといけなくて、
なかなか、忙しい入院生活だった。


トイレの回数はもちろん、一回に出た量もカップで計って、
全部記入しないといけないので、
トイレなしの大部屋の人は、一体どうしてるんだろう?と、心配になる。
わたしは、寂しいとかはなく、誰かと交流もしなくて平気で、
とにかく、一人じゃないとだめなのだ。

後半、管が全部抜けてからは、持って行ったタブレットで、
FBを見ては、コメントしたり、投稿もしていた。


長くなるので、また続きを書きますね。

                                           伽羅

                

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