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手術7時間。

ご無沙汰でした。

2月12日に入院して、14日の朝イチから手術だった。
腫瘍をころっと取るだけなら3~4時間、
それ以外に何かあれば、7時間ほどの手術になる可能性があるという、
事前説明だった。

開けてみないと何もわからない。
腫瘍マーカーはやや高く、悪性の箇所がもしも肺に癒着していたら、
肺を切り取らなくてはならない。
肺の静脈に癒着していたら、切りたくても切るわけにもいかない。
心配してもキリがないので、わたしはあまり考えずにいた。

入れられた部屋は、タワーの病棟の最上階の角部屋。
そこしか空いてなかったようだ。
わたしは精神病患者で、わたしの主治医からの診断書と、
こちらの大学病院の精神科の医長との面談で、
個室が必要と判断され、
差額ベッド代は払わず、こんな最高な部屋があてがわれた。
夜になると東京タワーとスカイツリーが両方見えて、
晴れた朝なら、富士山も見えるはずだった。

入院してからは忙しく、
持って来た本を読む暇もなく、
あっという間に当日になってしまった。
朝イチの手術なので、点滴も、手術室に入ってからとなり、
身軽に、エレベーターで、手術室に移動した。

ベッドは、胆のうを摘出した病院は、3年のうちにテンピュールになっていて、
びっくりしたのだが、
今回は、ベッドというよりは、割れ物を送る時の緩衝材みたいで、
そーっと横たわると、中の空気が温かかった。

そして、恒例の、痛み止めの管を背中に入れる作業。
これが辛くて痛くて怖いのだ。
でも、これをしておくと、麻酔から覚めた時に、
既に、傷は痛くない。
術後も痛みがないので、すぐに動ける。なので回復がすごく早い。
わかっているから、必死に耐えていた。

ところが、途中で、手術室付きの看護師が、
「失敗しました! 切れちゃった!」と言いやがった。
それ、言っちゃダメなところ!

耐えに耐えていたわたしの精神は崩壊し、
わたしに技を決めて、体を丸めていた男性看護師の服を掴んで、
わたしはしゃくりあげて泣いてしまったのだ。

呼吸が乱れると手術に入れない。
わかってる。
パニックを起こしてはいけない。
だけど、あとちょっと、あとちょっと、と耐えているのに、
「切れちゃった!」って!
この辛さを、オマエ知ってるのか!

しゃくりあげているわたしに、麻酔医が声をかけて励ましてくれる。
執刀医も看護師ももう準備をしてそばにいるのだが、
手術が始まるまでの手術室を、取り仕切っているのは、麻酔医なのだった。

やがて眠りに落ちた。
臨死体験もしなかった。

目を覚ますと、そこは部屋のようだった。
ICUに運ばれてから、夫が「ブツ」を見せられて説明を受け、そのあと、
わたしは起こされたらしい。

今回に限り、息子にも来てもらっていたので、
わたしのベッドの横には、頭に近い方に夫が、
お腹の横に息子が立っていた。
頭に何かかぶって、マスクもしていたと思う。
わたしは息子の手を握った。
しっとりとしていて、温かい大きな手。

夫がわたしの頭を撫でて、「よく頑張ったね。」というので、
壁の時計を見たら、もうすぐ17時だった。

朝の8時20分に病室を出発したのに、もう夕方5時…。
きっとなにか、面倒なことが起きたんだろうな…と思った。

息子も、初めてそんなに長時間、手術を待つという経験をして、
疲れただろうから、帰っていいよ、と伝えた。
すると、夫も、一回帰って、そのあとまた来るからといって、
帰って行った。

ICUは、患者一人につき、看護師一人、という計算らしいが、
見ていると、決してそうしているわけではなく、
患者3人を、看護師3人が助け合って診ているような感じだった。

わたしは、いろいろな症状が出ていたが、
まずはとにかく、「鎖骨」が痛くてたまらなかった。
執刀医である主治医が来たので、鎖骨がものすごく痛い、と訴えると、
開胸して、肋骨とともに、鎖骨もぐいーんと広げたので、
痛いのは仕方がないと言う返事。
傷口は痛まないのに、鎖骨が痛くてそれがすごく辛かった。

その次に、強烈に上半身が痒くなった。
左手には、手の甲と手首に3本も針が刺されているので使えない。
わたしは右手で、掻けるところはガシガシ掻いたが、
痒みはエンドレスで、どんどんひどくなっていく。

ふと触ると、着させられているのが、綿の浴衣とかではなく、
化繊の、毛羽立った術衣だった。
それが合わなくて痒いのかもしれない。
手術前に着ていた、綿の甚平に、何とか着替えさせてもらえないか、
担当の看護師に訴えた。

戻って来た夫が体の出ているところをさすってくれるが、
テープだらけ、コードだらけで、痒みは一向に収まらない。

看護師さんは、着替えさせてくれると言ったが、
なにせ、緊急な患者ばかりのICUなので、看護師さんたちは走り回っている。
わたしの担当の看護師さんは、
若い、小柄な、きびきびとして優しい看護師さんだった。

「お着換えなんですけど、もちろんやるんですけど、
あっちで、ちょっとお通じが出ちゃった患者さんがいて、
そっちを今からみんなでお世話するので、
痒くて辛いと思うんですけど、ちょっと待っていただけますか?」
と言いに来てくれた。
「もちろんいいわよ、行って来て。」とわたしが言うと、
彼女は風のようにいなくなった。

そして、着替えの甚平を持って来ると、
点滴やら、コードやら、ドレーンやらで超ややこしいわたしを、
着替えさせてくれて、
その時に肌を見て、掻き壊して血が出てるのも見た。

面会時間が終わって夫が帰り、わたしは一人になった。
ICUでもわたしは個室に入れてもらえていた。
もちろん、眠くもなれないし眠れないので、ずっと看護師さんを見ていた。
よくもまあ、あんなに動けるなと思うくらい走り回っていて、
見ていて飽きなかった。
不自由に体を掻いているわたしを見て、
「ひょっとしたら、乾燥して痒いかもしれないですね。」と言う。

そうだ、わたしは、手術室で、消毒液を、ザバザバとかけられ、
それが乾くのを待ってからの手術だったのだ。
その間に麻酔が効いてわたしは意識をなくした。

つまり、消毒液で体を洗われたのに、なにも潤いを与えてもらえず、
テープだのシールだの貼られて、
化繊のシカシカする服を着せられていたわけだ。

ICUには、持ち込めるものが限られていて、
それぞれに全部名前を貼ってある。
わたしは、キュレルというローションを持ち込んでいることを思い出し、
それを塗りたいとお願いした。

出してもらって顔に塗ると、顔も乾燥してカピカピしていた。
看護師さんが、「お体に塗りましょうか?」と言ってくれたので、
甘えた。
頑張って体位を変えて、背中とか脇腹とかにも塗ってもらった。

そしたら、痒みは楽になった。
救われた。

麻酔の副作用で、やや熱が高い。
でも、熱なんて辛くない。

夜半を過ぎたあたりで、あの嫌な感じが、徐々に高まって来た。
気持ちが悪い。
ムカムカする。

なんとかやり過ごしたくて、ひたすらじっとして、目も閉じていたが、
ダメだった。
夜中一時半過ぎに、看護師さんが戻って来た時、
「気持ちが悪いです。」と言って、
脇に置いてあった豆型の容器に顔を持って行った。
かと言って、何も食べてないので、出るものがない。
苦しんでいると、上手に背中をさすってくれ、
えづくと、そのタイミングで合いの手を入れて、
吐きやすい環境を、整えてくれる。
これは、非常に高度な技術だと思った。
さんざんえづいて、彼女の合いの手とさすってくれる手のおかげで、
胃液を吐いた。

3回くらいに分けて吐いたが、それ一回で済んだので、
卵巣の時みたいに、ずっと吐き気と闘うことはなく、助かった。
長く麻酔をかけられていたから、副作用が出て然りだと思った。

ICUの夜は、こんな風に更けて行った。


また、続きをいずれ書きます。
(術後なので、無理をしてはならないのです。)

                                         伽羅

                

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