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「最愛」。

息子と二人きりで初めて行ったカラオケは、
もう、めっちゃ楽しかった!

おそらくは、こんなに楽しい相手は、いないだろう。
24年、一緒に生きて来たということはそういうことであるし、
また、好みが非常に似ていることも、偶然ではない。
わたしは、年齢の割に感覚が若く、
息子にとっては懐メロ級のクイーンを知っているのは、
完全にわたしの影響だ。

クイーンの他に、「こち亀」も、
息子は全巻、単行本を持っている。
「こち亀」も、なぜかクイーンと同じ、わたしが中学2年の時に始まったのだ。

最初は、投稿されて金賞を獲った一話が掲載されたのだが、
その強烈なインパクトにみなが打ち震えた。
即、連載が決定して、すぐに少年ジャンプの、巨頭となったのだ。

当時、秋本治氏は、ペンネームを使っていた。
それが、ふざけ過ぎたペンネームで、
その頃、流行していた「ガキデカ」(がきデカかな…??)という漫画の、
作者名が、「山上たつひこ」という人なのだが、
秋本氏は、まさか、と思っていたのか、
「山止たつひこ」(やまどめ・たつひこ)というペンネームで、
デビューする羽目になってしまったのだ。

賞を取ったのはまあ、それで行ったとしても、連載が決まった時点で、
名前をすぐに直せば良かったのだが、
ジャンプ編集部も、ここまでの実力があり、支持があるとは思っていなかったようで、
そのままの名前で、しばらく連載をせざるを得なかった。

途中、やっと、これはいかん! 長期戦になる!と気づいて、
やっと本名の、秋本治という名前に変更をした。

けれども、その頃には、単行本ももう出ていて、
わたしは、「山止たつひこ」名義の、貴重過ぎる単行本を、
数冊持っている。
働くようになって買い足して揃えていたのだが、
やがて息子が少年ジャンプを読むようになり、わたしも読ませてもらい、
二人が離れる時、息子が、この貴重な初版の単行本をもらいたい、と言った。
(あと、スキャットマン・ジョンのCDも持って行かれた)
息子は、物を大切にする子だし、価値もわかっているので、
あげることにした。
本当に貴重なものだと思う。


ああ、話がズレまくり。

つまりわたしと息子は、気の合う間柄なのである。

カラオケを堪能して、また都心の映画館に戻った。
トイレに行き、直前にももう一回行こうねと話しながら、開場を待った。
実はカラオケで、クイーンを2曲ほど入れてみたら、
なんと、これから見る「ボヘミアン・ラプソディー」のシーンが使われた映像だった。
開場して、席について、コートを脱ぎ、鞄を置いて、
お互いにもう一回、トイレに行っておいた。

ああ、ワクワクする!
小さい頃、わたしの流すカセットでクイーンを聴いていた息子。
今、一緒に映画が見られるだなんて。



映画「ボヘミアン・ラプソディー」は、
クイーンの成功体験の映画ではない。
フレディ・マーキュリーという、クイーンのボーカリスト、
彼の人生とコンプレックスを描いた作品である。

長い期間の話を二時間に納めるため、
やむを得ず、時系列の変更を許可した箇所があると、
インタビューで、ブライアンが語っていた。

息子は、最後の「ライブ・エイド」のライブシーンが圧巻だよと言っていた。
感動したらしい。
息子からメールなんて、まずないのに、わたしに思わずメールして来たくらい、
感動的だったようだった。

映画は、とてもよく出来ていた。
役者さんは、すごくちゃんと、メンバーを演じていて、
ロジャーは本物みたいに可愛かったし、
ブライアンの弾き方も本当にそっくりで、
ジョンにいたっては、本人よりもめちゃハンサムだった。

フレディを演じた人は、フレディのコンプレックスを出し切るために、
義歯をつけて演じた。
フレディは、一般の人よりも上の歯が4本も多かったため、
かなりな出っ歯で、それがコンプレックスではあったが、
口腔内が広くなるめ、もともとある4オクターブと言う声域を、
活かしきって歌うことが出来る、稀なるボーカリストだったのだ。

アフリカで生まれ、インドの寄宿舎制の学校に入れられていたことに、
ほんの一行しか触れられていなかったけれども、
そのことも、フレディのコンプレックスを描くためには、
もっと強調すべきだった。

何よりも、クイーンと言うバンドは、
世界に先駆けて、「日本」で火がついて、売れて、
それが逆輸入されて、本国イギリスで売れ始めたことに、
全く触れていなかった。
そこだけは、失敗であると言える。

リアルタイムでクイーンが日本に入って来た時のこと、
アッというまに日本で売れて行き、
ファンクラブが設立されたこと、
ミュージックライフ誌でしか情報を得られず、
隅々まで読みつくしたこと、
初来日の時の、羽田の大混乱、
ホテルへのグルーピーたちの乱入など、
実話を実際に体験しているわたしから見たら、
日本の話を飛ばしての映画作りは、ちょっとあまりにも、空洞が大きすぎる。
一分でいいから、描いてくれていれば、
フレディが、寝る時に着物の長襦袢を着ていたことへの、
もっと深い意味が添えられたのに、と残念である。

ライブの時の映像は、素晴らしかった。
この時、フレディは、自分の命の限界を悟っている。
その上で聴く「ボヘミアン・ラプソディー」の深みはすごい。

何十万人もの観客を操れる、あの、血が沸くような感動を、
彼は胸に抱いて、昇華して行ったことだろう。

わたしはボロボロ泣きながら見た。

ライブ・エイドは、1985年のものだった。
わたしは、その年に結婚し、年末に息子を出産しているので、
クイーンどころではなかったのだ。

翌年、東京に転勤でやって来て、
カセットで自由に曲をかけて、おやつを作ったり、夕飯を作ったりしていて、
息子は1歳前から、クイーンを聴いていたことになる。


映画が終わり、わたしは涙をふきふき、
まだ、息子と一緒に居たくて、
「軽く何か食べて帰ろう?」と誘って、
イタリアンの店に入った。

映画の話をしながら、ピザとパスタをシェアして食べて、
駅まで送ってもらう時、
ポケットに手を入れている息子の手の内側に、
わたしは手を滑り込ませた。

しっとりと暖かい手。

別れたくない、もっと一緒にいたい。
わたしにとって、ずーっと一緒にすごしても平気なのは、
息子ただ一人なのだと思った。

改札で、わたしが階段を上がるのに曲がるまで、
ずっと見ていて、手を振ってくれた。

毎年、とは言わない、でも、何年かに一回、また、こうしたいな、と言ったとき、
息子は「うん。」とだけ答えた。

「最愛」。

わたしにとっての最愛は、息子だ。
息子にとってはお嫁ちゃん。それで正しい。

思えば、生まれて来たとき、
わたしは一人で息子を産んだ。
看護師さん以外は誰もいなくて、
へその緒が二重に首に絡んでしまっていて、降りて来れなくなった息子は、
一時、心臓が止まった。

慌てて医者が飛んできて、会陰を切開し、
トイレのきゅっぽん!やるヤツを見せて、
「ちょっと苦しがっとるからな、これで吸引するでね。」と言い、
下から吸引され、
わたしのお腹に、看護師さんがまたがって、
思いっきりお腹を下に向けて押し出した。

死ぬかと思った!

生まれた息子は仮死状態で、泣かない。
赤い色ではなく、緑色をしている。
心臓が止まって血液が行かなかったせいだ。

やがて、数分して、やっと泣いたと思ったら、
泣き止まなくて、ずっと泣いていた。

緑色で、頭がぎゅいーんと伸びていて、
お世辞にも可愛いとは言えない新生児だった。


いい息子に育ってくれた。
わたしにとって、わたしなんかから生まれたにしては、
あの子は、立派だと思っている。
いい子を育てさせていただけた、と思って感謝している。

わたしの肺の手術については、
もうお嫁ちゃんに話してもいいよ、と伝えたのだが、
まだ話してないと言っていた。
話すかどうかもわからないと言っていた。
彼には彼の考えがあるのだろう。


肺の手術は、正式に、2月14日に決定した。
いい日取りだ。
開胸手術にしてもらった。無駄は嫌だから。
入院は二週間の予定。
ちまは、動物病院に併設の、ペットホテルに預ける。
それが不敏だが、他にどうすることも出来ない。
頑張って早く退院できるよう努力する。

                                     伽羅

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