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2019年1月

「最愛」。

息子と二人きりで初めて行ったカラオケは、
もう、めっちゃ楽しかった!

おそらくは、こんなに楽しい相手は、いないだろう。
24年、一緒に生きて来たということはそういうことであるし、
また、好みが非常に似ていることも、偶然ではない。
わたしは、年齢の割に感覚が若く、
息子にとっては懐メロ級のクイーンを知っているのは、
完全にわたしの影響だ。

クイーンの他に、「こち亀」も、
息子は全巻、単行本を持っている。
「こち亀」も、なぜかクイーンと同じ、わたしが中学2年の時に始まったのだ。

最初は、投稿されて金賞を獲った一話が掲載されたのだが、
その強烈なインパクトにみなが打ち震えた。
即、連載が決定して、すぐに少年ジャンプの、巨頭となったのだ。

当時、秋本治氏は、ペンネームを使っていた。
それが、ふざけ過ぎたペンネームで、
その頃、流行していた「ガキデカ」(がきデカかな…??)という漫画の、
作者名が、「山上たつひこ」という人なのだが、
秋本氏は、まさか、と思っていたのか、
「山止たつひこ」(やまどめ・たつひこ)というペンネームで、
デビューする羽目になってしまったのだ。

賞を取ったのはまあ、それで行ったとしても、連載が決まった時点で、
名前をすぐに直せば良かったのだが、
ジャンプ編集部も、ここまでの実力があり、支持があるとは思っていなかったようで、
そのままの名前で、しばらく連載をせざるを得なかった。

途中、やっと、これはいかん! 長期戦になる!と気づいて、
やっと本名の、秋本治という名前に変更をした。

けれども、その頃には、単行本ももう出ていて、
わたしは、「山止たつひこ」名義の、貴重過ぎる単行本を、
数冊持っている。
働くようになって買い足して揃えていたのだが、
やがて息子が少年ジャンプを読むようになり、わたしも読ませてもらい、
二人が離れる時、息子が、この貴重な初版の単行本をもらいたい、と言った。
(あと、スキャットマン・ジョンのCDも持って行かれた)
息子は、物を大切にする子だし、価値もわかっているので、
あげることにした。
本当に貴重なものだと思う。


ああ、話がズレまくり。

つまりわたしと息子は、気の合う間柄なのである。

カラオケを堪能して、また都心の映画館に戻った。
トイレに行き、直前にももう一回行こうねと話しながら、開場を待った。
実はカラオケで、クイーンを2曲ほど入れてみたら、
なんと、これから見る「ボヘミアン・ラプソディー」のシーンが使われた映像だった。
開場して、席について、コートを脱ぎ、鞄を置いて、
お互いにもう一回、トイレに行っておいた。

ああ、ワクワクする!
小さい頃、わたしの流すカセットでクイーンを聴いていた息子。
今、一緒に映画が見られるだなんて。



映画「ボヘミアン・ラプソディー」は、
クイーンの成功体験の映画ではない。
フレディ・マーキュリーという、クイーンのボーカリスト、
彼の人生とコンプレックスを描いた作品である。

長い期間の話を二時間に納めるため、
やむを得ず、時系列の変更を許可した箇所があると、
インタビューで、ブライアンが語っていた。

息子は、最後の「ライブ・エイド」のライブシーンが圧巻だよと言っていた。
感動したらしい。
息子からメールなんて、まずないのに、わたしに思わずメールして来たくらい、
感動的だったようだった。

映画は、とてもよく出来ていた。
役者さんは、すごくちゃんと、メンバーを演じていて、
ロジャーは本物みたいに可愛かったし、
ブライアンの弾き方も本当にそっくりで、
ジョンにいたっては、本人よりもめちゃハンサムだった。

フレディを演じた人は、フレディのコンプレックスを出し切るために、
義歯をつけて演じた。
フレディは、一般の人よりも上の歯が4本も多かったため、
かなりな出っ歯で、それがコンプレックスではあったが、
口腔内が広くなるめ、もともとある4オクターブと言う声域を、
活かしきって歌うことが出来る、稀なるボーカリストだったのだ。

アフリカで生まれ、インドの寄宿舎制の学校に入れられていたことに、
ほんの一行しか触れられていなかったけれども、
そのことも、フレディのコンプレックスを描くためには、
もっと強調すべきだった。

何よりも、クイーンと言うバンドは、
世界に先駆けて、「日本」で火がついて、売れて、
それが逆輸入されて、本国イギリスで売れ始めたことに、
全く触れていなかった。
そこだけは、失敗であると言える。

リアルタイムでクイーンが日本に入って来た時のこと、
アッというまに日本で売れて行き、
ファンクラブが設立されたこと、
ミュージックライフ誌でしか情報を得られず、
隅々まで読みつくしたこと、
初来日の時の、羽田の大混乱、
ホテルへのグルーピーたちの乱入など、
実話を実際に体験しているわたしから見たら、
日本の話を飛ばしての映画作りは、ちょっとあまりにも、空洞が大きすぎる。
一分でいいから、描いてくれていれば、
フレディが、寝る時に着物の長襦袢を着ていたことへの、
もっと深い意味が添えられたのに、と残念である。

ライブの時の映像は、素晴らしかった。
この時、フレディは、自分の命の限界を悟っている。
その上で聴く「ボヘミアン・ラプソディー」の深みはすごい。

何十万人もの観客を操れる、あの、血が沸くような感動を、
彼は胸に抱いて、昇華して行ったことだろう。

わたしはボロボロ泣きながら見た。

ライブ・エイドは、1985年のものだった。
わたしは、その年に結婚し、年末に息子を出産しているので、
クイーンどころではなかったのだ。

翌年、東京に転勤でやって来て、
カセットで自由に曲をかけて、おやつを作ったり、夕飯を作ったりしていて、
息子は1歳前から、クイーンを聴いていたことになる。


映画が終わり、わたしは涙をふきふき、
まだ、息子と一緒に居たくて、
「軽く何か食べて帰ろう?」と誘って、
イタリアンの店に入った。

映画の話をしながら、ピザとパスタをシェアして食べて、
駅まで送ってもらう時、
ポケットに手を入れている息子の手の内側に、
わたしは手を滑り込ませた。

しっとりと暖かい手。

別れたくない、もっと一緒にいたい。
わたしにとって、ずーっと一緒にすごしても平気なのは、
息子ただ一人なのだと思った。

改札で、わたしが階段を上がるのに曲がるまで、
ずっと見ていて、手を振ってくれた。

毎年、とは言わない、でも、何年かに一回、また、こうしたいな、と言ったとき、
息子は「うん。」とだけ答えた。

「最愛」。

わたしにとっての最愛は、息子だ。
息子にとってはお嫁ちゃん。それで正しい。

思えば、生まれて来たとき、
わたしは一人で息子を産んだ。
看護師さん以外は誰もいなくて、
へその緒が二重に首に絡んでしまっていて、降りて来れなくなった息子は、
一時、心臓が止まった。

慌てて医者が飛んできて、会陰を切開し、
トイレのきゅっぽん!やるヤツを見せて、
「ちょっと苦しがっとるからな、これで吸引するでね。」と言い、
下から吸引され、
わたしのお腹に、看護師さんがまたがって、
思いっきりお腹を下に向けて押し出した。

死ぬかと思った!

生まれた息子は仮死状態で、泣かない。
赤い色ではなく、緑色をしている。
心臓が止まって血液が行かなかったせいだ。

やがて、数分して、やっと泣いたと思ったら、
泣き止まなくて、ずっと泣いていた。

緑色で、頭がぎゅいーんと伸びていて、
お世辞にも可愛いとは言えない新生児だった。


いい息子に育ってくれた。
わたしにとって、わたしなんかから生まれたにしては、
あの子は、立派だと思っている。
いい子を育てさせていただけた、と思って感謝している。

わたしの肺の手術については、
もうお嫁ちゃんに話してもいいよ、と伝えたのだが、
まだ話してないと言っていた。
話すかどうかもわからないと言っていた。
彼には彼の考えがあるのだろう。


肺の手術は、正式に、2月14日に決定した。
いい日取りだ。
開胸手術にしてもらった。無駄は嫌だから。
入院は二週間の予定。
ちまは、動物病院に併設の、ペットホテルに預ける。
それが不敏だが、他にどうすることも出来ない。
頑張って早く退院できるよう努力する。

                                     伽羅

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なにこれ!

肺に腫瘍が見つかり、
それがけっこうな大きさで、
手術をして摘出することに決まった時、
良性だとは思うけれど、と前置きして、息子にも知らせた。

何かが決まるまでは、まだお嫁ちゃんには言わないでねと伝えて。

その時、人生、何がどうなるかわからないものだなあと思って、
遺言書を書き換え、
息子には、「二人でデートしたい。出来れば1月の三連休の時に。」と、
お願いをしてみた。

息子は一人っ子だが、お嫁ちゃんもまた一人っ子で、
彼らはお嫁ちゃんの実家近くにマンションを買って、
共働きで暮らしている。

お嫁ちゃんは、結婚してからも、両親と3人で旅行に行っている。
年越しは、息子はわたしの実家に行って、わたしの両親と過ごしてくれて、
お嫁ちゃんは自分の実家で年越しをして、
新年2日に、わたしの実家に行ってくれて、一泊して、
3日に二人は帰京している。

けれども、わたしは、息子が結婚してからは、
一度も、二人で会えてない。
結婚前に、「結婚しちゃったら、もう二人では会えないの?」と聞いたら、
「う~ん。まあ、時と場合によるよね。」という曖昧な返事。
お嫁ちゃんがご両親と旅行に行っているなら、その日にわたしに会ってよと言っても、
友達ととことん飲んだりしてるようで、
会えないまま、5年目に突入した。

年末にわたしがイレウスになり、緊急入院して、
住所の違う保証人が二人必要な病院なので、
一人はもちろん夫だが、息子に、来てもらえないか尋ねた。
息子の会社は、業務内容上、30日までが仕事なので、
無理であったら、お嫁ちゃんでもいいのだけれど、と頼んだ。
そしたら、29日の午前中に休みを取って、二人で来てくれた。

その時、彼らが11月に見た、クイーンの映画、
「ボヘミアン・ラプソディー」の話をした。


わたしは中学2年の時に、クイーンを知って虜になった。
クイーンは、イギリスのバンドだが、本国イギリスではクソミソに叩かれており、
日本の「ミュージックライフ」誌という、洋楽の専門誌の、
星野編集長と、東郷副編集長が、真っ先にクイーンの可能性を見い出し、
彼らの写真を掲載し、その時発売になっていた、セカンドアルバム、
「QueenⅡ」の紹介をした。

当時は、ネットがないので、海外の情報は、この雑誌でしか手に入らない。
テレビでも洋楽は放映されることはない。
ラジオを聴きながら、ミュージックライフを読むしか情報がなかった。

クイーンは、曲の意外性と、ルックスの良さが、日本の女性に受けた。
瞬く間にファン層が広がり、ファンクラブが設立された。
そんな中、初来日が決まったのである。

彼らは、遠い東の島国である、日本で、
一万五千人入る会場(武道館)のチケットが完売したことを、
不審に思っていた。
そして、羽田に到着した時、彼らを待ち構えていた数千人のファンを見て、
混乱したと言う。

その騒動を逆輸入した形で、
クイーンはイギリスでも徐々に売れ始めた。

セカンドアルバムの次に、ファーストアルバムが売れた。
順序は逆であったのだ。
その後に出されたサードアルバム「シアーハートアタック」も売れて、
満を持して出されたのが、今回の映画にもなった、「ボヘミアン・ラプソディ」を含む、
「オペラ座の夜」というアルバムだったのだ。

わたしは、そのあたりで高校生になり、
働き始めてからは、洋楽だけでなく、幅広く聴くようになったため、
クイーンから離れている。

映画でのライブシーン「ライブ・エイド」は、1985年のものだった。
わたしはその年に結婚し、息子を年末に出産している。
翌年には東京に引っ越して来た。
なので、カセットテープで、よく初期のクイーンをかけていた。

それを聞いて育った息子が、クイーンファンになり、
彼が働き始めてから、クイーンのアルバムの、
紙ジャケ仕様のCD全集を大人買いして、
デスクの引き出しに、綺麗に並べて眺めていた。


11月に、「映画がすごく良かった、おススメだよ!」とメールをくれたのだが、
その時わたしは気管支炎の咳が酷く、
映画館に行ける状態にはなく、
年末に行こうかな?と思ったら、腸が絡んで入院、となったのだ。

来てくれた息子に尋ねたら、
日本では一館しかない、特別な音響システムの映画館で観たそうだ。
「連れて行ってくれる?」と聞いたら、
「うん、いいよ。もう一回見たいし。」と言ってくれた。


その、5年ぶりの二人きりデートが、13日に、実現したのだ。
マヤ暦を始めたわたしにとって、その日は、
好きなことをとことんやって、楽しむ日にするといい日だったので、
息子と二人で、カラオケに行きたい!とせがんだ。
息子は歌が上手いらしいのだ。
でも、聞いたことがない。
死ぬ前に一回聞かせろ!と言って、強引にカラオケも承諾させた。

都心で待ち合わせて、映画館を目指す。

息子は、ボディバッグ派なのだが、
わたしが買ってあげたバッグを、その日は体にかけていた。
お嫁ちゃんと来るときには、使っていない。
だから、そこには明らかに「意図」があった。
ちゃんと、わかるようにしてくれてるんだ…と、じーん。

チケットは、わたしの要望通り、
一番後ろの席の、真ん中あたりが取れたとメールが来ていた。
ところが、いくら発券機に入力しても、
「そのチケットはございません。」という表示の繰り返し。

息子がスマホを隅々まで見ていて、
「!」と息を呑んだ。

「…昨日のチケット、買ってた…。」

ええ?
昨日の日付のを買っちゃってたんだ?

そりゃ大変だ!
慌てて、購入器の前に行き、いくつものスクリーンで何回も上映されているので、
後ろの方の席で、二人並んで座れる回はないかと探し回った。

そしたら、18時からの回で、同じ音響システムのスクリーンで、
後ろの左のほうに、二人分空いていたので、すかさずそこをゲット!

だけど、昨日の分のは、もう、どうすることも出来ないね。

さて、じゃあ、全部の順番を総入れ替えして、まずは飲みに行くか!と、
息子に、アメ横に連れて行かれた。

都心とは違う匂いがして、
まだ午前中なのに、立ち飲み屋も、大衆酒場も、すごい繁盛している。
スーツケースのアジア人も多く、
息子はするするとその中を抜けて、
一軒の大衆居酒屋に入って行った。

一品200円~500円。お酒は400~600円。
ソフトドリンクは、250円で、ジョッキになみなみ来た。

それまでわたしは、体調を崩すまじと、お粥生活を続けて来ていたが、
ここで解禁し、ちょっとずつ、色々食べた。

そこを出て、カラオケに行った。
息子は抵抗していたが、「3時間で!」とわたし。
「わたしが2曲入れて、キミが1曲入れる、って感じでいけばいいじゃん!」と
押し切った。

息子の歌を聴くのは初めてだ。
わくわく。
どんな声で、何を歌うのだろう?

一曲目は「星空のディスタンス」だった!
普段、低い声で、ぼそぼそとしか喋らない息子が、
力強い高い声で歌う!
すごい!

そんなに歌えないしー、そんなにレパートリーないしーとか言ってたのだが、
マヤ暦すごい、やっぱりこの日は「楽しむ」日なので、
息子も不思議そうに、「今日は声が潰れないし、歌いたい気分だわ~。」
と言っていた。

わたしは、息子が知っていそうな曲を選んで歌った。
小さい頃に歌ってあげた「まっくら森のうた」も歌ったが、
あまり覚えがないとのこと。

B'z、サザン、ドリカムなどは一緒に聴いていたので、
わたしが好きだと知っている曲を選んで息子は歌ってくれた。
わたしもドリカムを2曲歌った。

B'zとサザンは一緒に歌った。
なにこれ、めっちゃ楽しいんだけど!

お腹にいた期間を含めて、24年、一緒に暮らした仲であるし、
同じ射手座・B型・一人っ子・27日目の月の日の生まれ・動物占いはコアラ、と、
何もかも一緒の息子。

マヤ暦では、わたしにとって息子は、
「鏡の向こうの相手」である。
ビジネスパートナーとして最適らしい(笑)


カラオケの三時間は、アッと言う間に終わった。
すごくスッキリして、すごく二人で盛り上がった。
    続きます。

                                        伽羅

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普通食OK。

(少し不快な内容が含まれています。)



今日は、退院して初めての、消化器内科の診察だった。

病院都合で早々と退院させられた感があったが、
腸の動きを見るお薬のおかげで、大デトックスをしたわたしの体は軽く、
自分で作るお粥はとても美味しくて、
きっと飽きると思って買っておいたうどんを食べることもなく、
毎日、毎食、お粥を食べて、全く飽きなかった。

お粥を作る過程も楽しく、毎日実験しているようで、
コトコトと鳴る鍋の隣で野菜を切って、
煮物を作ることもまた、
今のわたしにはとても大切なことだったと思う。

今日は、入院費を支払う必要があったので、診察予約の一時間前に、
病院に到着した。
診療明細を出してもらうのに、時間がかかったりするからだ。

けれども、あっさり出してくれたので、すぐに支払いは終了し、
消化器内科の受け付けをした。

先にレントゲンを撮る。

実は、退院してすぐは、本当に食べるのが楽しくて美味しくて、
お腹もすいていたのに、
その後、便通がなくて、お腹がズドンと重たい。
それは自分でもわかっている。

大腸に便があるのは感じている。
でも、まったく、出てくれないのだ。

繊維質を徹底的に排除した食事をしているので、
自然なお通じが難しい。

ガセリ菌のサプリを飲み、「オリゴのおかげ」をミルクに入れて飲み、
ドリンクヨーグルトも飲んでいるが、
頑として出ない。

その状態でのレントゲンだったので、あ~あ、恥ずかしいな~と思った。

わたしが最後の予約患者だったようで、
早くに受け付けが終了していても、全く呼ばれず、
予約時間を一時間過ぎてもまだ呼ばれず、
最近は病院で待ってばかりだ。

やっと呼ばれて、「大腸が大渋滞ですね。ぎっしり。」
と言われた。
ゆるくなりますよ、と言われた漢方を、欠かさず飲んでいるのに、
この大渋滞。

「もうこれは、下剤を処方して、どうにかして出すしかありませんね。」
と綺麗な先生は言って、
二種類のお薬を追加してくれた。

大渋滞がすごくて、食欲もなく、今日は何も食べないまま夕方になった。

それでも、イレウスは再発はしておらず、終息したとのことで、
もう普通食にしてもいいとのこと。
「でも、食べないほうがいいものは、何ですか?」と詰め寄ったら、
「うーん、何でも、度を超すのは良くないですよね。
繊維の多い牛蒡を山盛り食べるとか、
そういう無茶をしなければ、そんなに神経質にならなくて大丈夫よ。
あ、でも、お餅はやめてね。」

ちーん。

お餅…
大好きなのに…
わざわざ買ったのに…。

そして、肺の手術が2月14日に決まったことを伝え、
受けても大丈夫かを確認させてもらった。
もう普通食でいいんだし、大丈夫よ、と先生が太鼓判をくれた。
「で、何? 肺ガンなの?」とサラッと聞いて来たので、
「いえ、今のところ、脂肪腫か、もしくは脂肪肉腫かといった見解のようです。」
と返答した。

急いで支払いを済ませ、
急いで薬局に処方箋を出して、
急いで駅に引き返してバスに乗り、動物病院に行ってきた。

ちまの薬が無くなるのと、
ムギの検診&注射の日程、ちまを預ける算段を、担当の先生としてきた。

預けるのが二週間くらいになってしまうので、
もう、餌は持って来なくていい、こちらで、いいと思われるものを提供するとのこと。
お薬も、そのあたりでちょうど切れるように処方してもらった。

ちまを預けるにあたって、ちまが普段使っているベッドを持ち込むのは、
返って迷惑かどうか、聞いてみた。
すると、ちまちゃんは、初めての預かりですし、期間も長いので、
出来るだけ自分ちのものと同じがいいと思うので、
どうぞ、持ち込んでください、と言ってくれた。

今使っているドームベッドを、持って来ていいとのこと。
ドームなら、怖い時、奥に隠れられるしいいと思いますと言われた。

「ちまは、預けたことが一度もなくて…でも、人が好きで、なつっこいので、
どうか時間の許す限り、撫でてやってもらえますか?」と、わたしはお願いをした。

自分のことはいいが、ちまが不敏でならない。
早く良くなって、引き取りに行きたい。


帰宅したら、ムギとの約束の時間になってしまっていた。
着替えて、ちょっとだけお粥を食べて、
降りて行ったが、ムギは留守で、呼んでも帰って来なかった。
帰って来れないような、膠着状態にある、ということなので、
カイロを交換し、餌を補充して帰って来た。

昨日などはムギは超甘えっ子モードで、驚異の二時間コース。
延々わたしに乗って、チャージしていた。

そして、降りてもらって、部屋に帰ってきたら、
ラグに、ちまが、吐いてあった…。

こんなにフローリングなのに、なぜ、ラグの中央に吐くの…。

それはまだ良くて、
他の場所にも吐いてないか、探したら、
自分のドームベッドから、顔だけ出して、吐いたらしく、
ドームベッドは無事だったが、
わたしのベッドと、ちまのドームベッドを置いている家具の隙間に、
どっさり、やられてた…。

ちーん。

家具の裏を掃除して、床を拭いて、
自分のベッドのシーツを交換。
はああ。
夕飯にありつけたのは、9時を過ぎていた。

「あちら立てればこちら立たず。」と思っていたら、
食事中に夫が入って来て、今頃食事?みたいなことを言ったので、
「メール読んで。」と言ったら、読んで、
「あちら立てればこちら立たずだね。」と言った。

まさしく。
ママは一人しかいないんだよね。
そのママが、入院しちゃう。
ムギは、餌を山盛り入れておいても、食べたいだけ食べて残すが、
ちまは、出したら出しただけ食べて、吐くので、
一回一回、量を計っている。
そこに、毎日4つの薬を混入。
だから、預けるしか手立てがないのだ。

さて、下剤が効いて、渋滞が緩和されることを願うよ。

なんか、シモの話やら吐く話ですみません。

                                             伽羅

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わたしの肺の腫瘍。

去年の11月に、肺に腫瘍があることが発見された。

それは本当に、不幸中の幸いで、ラッキーなことだった。
気管支炎をこじらせて、地元の総合病院にかかり、
初診だと、総合内科の初診専門医が診るのだが、
「じゃあレントゲンを…、いや、あなたぐらいになったら、もういいですね、
CTを撮りましょう。」と、
ふとした気分か、それともその方が儲かるからか、わからないけれど、
最新機器のCT画像を撮った。

そのあとさんざん待たされて、看護師がわたしを探しに来て、
「これを持って、別館の、呼吸器内科に行って欲しいそうです。」
と、ファイルを渡された。

別館に移動しながら、ちらっと盗み見ると、
「気管支炎として帰してもいいかとは思ったが、左肺に病変を認むる。
確認されたし。」と、記入してあった。

12時を過ぎてしまっていたのに、呼吸器内科の先生が待っていてくれて、
すぐに診てくださった。

肺に、約5センチの、まあ、「腫瘍」と呼ぶしかないものが、出来ている。
肺に出来た場合は、それが例え良性でも、手術で摘出することになっている。

わたしは不思議だった。
5センチもの塊が、心臓の前にあるのに、
どうして、毎年の検診でのレントゲンに、写らなかったのだろうか。
先生に聞いても、その写真がないからわからない、と言うばかり。
たった半年で、なかったものが5センチにまで成長するとは思えないし、
だとしたらとてつもなく悪性だし。

紹介されて、電車で12分ほどの駅にある、大学病院に行って、
そこで手術を受けることになった。

11月、12月と、検査検査検査で、
今日(7日)、やっとすべての結果が出揃ったので、
わたしは夫に会社を休んでもらい、同行してもらった。

腫瘍は、しっかりと、あった。
間違いじゃなかった。
大動脈との間には、数ミリ隙間があるが、
肺のほうには、くっついている。
そして、医師たちの間では、「奇形腫」か、「脂肪腫」ではないか、という意見で、
「脂肪腫である」という意見の方が多かったようだ。

ただ、「脂肪腫」と、「脂肪肉腫」とがあって、両者はほとんど同じ見え方をするが、
「脂肪腫」は良性で、「脂肪肉腫」は、悪性である。

「奇形腫」とは、多くは卵巣に出来る腫瘍だが、今だ解明されておらず、
その中身には、髪の毛や歯が含まれていることが多い。
細胞分裂の異常で出来てしまったものであろう、と考えられている。

だが、「奇形腫」が肺にできることはまれで、
わたしの腫瘍の写真は、やや透明感がある。
なので、中味が色々詰まった「奇形腫」ではなく、
「脂肪腫」ではないか、という所見なのだ。

しかし、一点問題があって、血液検査の、「腫瘍マーカー値」が、
ちょっと高めだそうだ。
つまり、良性だとしても、一部が悪性化してきている可能性があるという。
腫瘍マーカーは繊細で、数値が安定しないこともあるらしいので、
今日、帰りに採血をして、もう一回、腫瘍マーカー値を調べることになった。

手術日はもう、決定していた。
2月の14日。
入院は、2月の12日。
手術日をいくつかから選べるのかと思っていたが、
なんらかの事情がない限り、それで決定とのこと。

まだ一か月以上も先だ。

そこで、夫をつついて、精神科医から出されている診断書について、
念押しをしてもらった。
療養には個室が必要な患者である、という診断書。

これは、ERに入院してみて、実感した。
早く回復したいのであれば、個室じゃないと、無理。
精神的におかしくなる。耐えられない。

すると、ええ、そういう予定になっています、とのことだった。
良かった…。

それまでに、麻酔科・歯科にも行かなくてはならない。
麻酔科での予約を入れて、帰った。

すると、母屋の家電に、担当医から電話があったそうで、
16日、麻酔科の診察に行く前に、精神科に行って来て欲しいとのこと。
麻酔科の予約が11時なのに、精神科が8時半だよ。
どうするんだよ…。

夫もそこは、気付いてくれなくて、はいわかりました、と受けてしまって、
8時半に行かなくてはならない。
今日の9時半だってもう必死だったのに、8時半は無理だよ…。
しかも、精神科が終わってから、麻酔科まで、めちゃ待ち時間長いじゃん。
どうするんだよ…。

今日は、「駐車場代がもったいない」と夫が言うので、
電車で二人で行ったのだが、
「16日は、駐車場代を払うから、車を出してもらえない?」と、お願いした。
精神科のあるのは、別館なので、わたしは更にわからないし、
朝のぼやけた頭で、行きつけそうにないよ。
電車はきっとラッシュだし。

そしたら、夫は午前中だけ休んで連れて行くと言ってくれた。


今までの、卵巣の摘出、胆のうの摘出は、腹腔鏡手術だったし、
5日くらいで退院だったので、
卵巣の時は夫に退院時、迎えに来てもらったが、
胆のうの時は、一人で行って、一人で帰って来た。
お見舞いもみなさんお断りをした。

けれど、今回の手術は、わたしの希望としては、胸をばっさり開けて欲しい。
取り残しがあって、そこから再発するのが嫌だからだ。

胸に針を刺して細胞を採って検査するのは、
場所によって、悪性・良性が入り混じっている可能性があるので、
やらないことになった。
もちろん、わたしはその検査には最初から同意をしていない。
どうせ全部取るのだから、
開けてみてしっかり見てくれればいいし、
残らず取って、それから調べてくれればいい。

今回の手術は、ちょっと厄介だし、入院も二週間近くになる。

わたしは、初めて、息子に「手術の日に、来てもらえないかな。」と頼んでみた。

100%安全な手術はないし、もし何かあった時に、
彼が後悔しなくていいように、来てもらいたいと考えたのだ。

息子は速攻で、2月14日、休み取りました、と返事が来た。
腸が絡んだ時、保証人が二人必要で、息子に来てもらったのだが、
その時の姿がまだ記憶に新しい中、
次は大変な手術になるということで、息子にも不安があったのだろうと思われる。

長い待ち時間、夫と喋りながら待っていてくれたら、お互いに気が紛れるし、
術後、摘出したものを夫が見せられて説明を受けている時に、
息子には、わたしのストレッチャーに着いて来てもらいたいと思った。


今まで、ずっと、気丈にふるまって来た。
でも、今回は、いっぱい人に甘えようと思ったのだ。
そういう時があってもいいじゃないか。
ずっと一人で耐えていたのだから。

悪性の部分が肺に貼り付いていないことを願う。


9日は、消化器内科の診察日。
レントゲンを撮って、大丈夫かどうか診てもらう。
多べてはいけないものを、しっかり聞いてくる。
それも、手術に反映される。
せめて全粥が食べれてればいいんですが、と、
呼吸器外科のドクターが心配したので、
「病院の時から、全粥でしたし、お肉もお魚も食べてますよ。」と言ったが、
9日の診察でしっかり聞いて来て欲しいとのことだった。

帰って来てから、ちまとお昼寝をした。
夕方、ムギと会っている時に、敵が門の前に現れて、ムギと大鳴きしながら、
膠着状態が続いた。
わたしは相手をライトで照らして威嚇したが、
どうも、今回は、ムギが劣勢なのだ。
腰が引けて、斜め後ろを向いている。
敵は大声は出さず、じりじりとムギを追い詰めて来たので、
わたしは門扉を開けて外に出て、わたしがじりじりと敵に近づき、
黙って走って近寄ったら、ダッシュで逃げたので、ダッシュで追い払った。

ムギは、バツが悪かったらしく、しばらく来なかったので、庭に行って呼びかけたら、
小さく鳴いて出て来て、小一時間、乗っていた。

ムギ、もう7歳だもんね。
相手は、若そうだったね。今まで見たことがないね。どこから来たのかな。


そんな一日でした。

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                                       伽羅

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ムギが会いに来た。

年末30日に退院してから、
最初はレトルトのお粥と雑炊を食べたが、
病院で出された、全粥の、あのねっとりとした甘さが忘れられない。

レシピを調べて分量を知り、お友達にコツを教えてもらって、
今は、毎日自分が食べるお粥を炊いている。

一回に二食分できるので、毎日炊く。
わたしは、お粥が嫌いだったのに、
病院のお粥が本当に甘くてねっとりしていて、美味しくて、
それを再現したくて、毎回鍋で、生米から炊いている。

夫は、炊飯器で勝手に炊いてくれるだろうよ、
タイマー設定も出来るんだし、というが、
そうじゃないんだ。
わたしには、今、「お粥を作って食べる」という、その行為が必要なのだよ。
作っていて、毎日少しずつ仕上がりが違う。
あ、出来上がった、と思う時間も毎日違う。

実験のようで、とても楽しい。

コトコトとお粥を煮ながら、その横で他の煮物などをする。
この作業が、今のわたしに必要とされたことなのだ。

でも、徹底的に繊維質を排除した食事なので、
やはり、腸が動いているかどうか、お通じがあるかどうかが、心配の種である。
友人に聞いて、ガセリ菌のサプリを注文し、
オリゴ糖を買って来てミルクに入れて飲み、
昨日はお通じがあって、ホッとした。

今日、夕方前に、夫が部屋に来て、
手帳の、カレンダー部分やアドレス帳部分をはぎ取ったものを差し出し、
布張りの表紙が欲しいという。

わたしは厚紙を出して、寸法を計り、
表表紙・背表紙・裏表紙を一枚の厚紙で切り出し、
夫に布を選ばせてあげて、その布を貼り、
表紙・裏表紙の内側に織り込んで貼った布の端が見えないよう、
やや厚手の、マーメイドという紙で、封をした。

背表紙がしっかり貼り付くまで、一晩クリップで挟んだままにするように言って、
渡した。

夫が帰ろうとしたとき、
「わ。ムギがいるよ。」と言った。
わたしは、てっきり、ムギが庭先で、夫の帰りを待っているのだと思った。
そしたら、「違う、ここの階段に登って来てて、三段目か四段目に居るんだよ!」と言う。

わたしは、ちまを部屋に入れ、夫を押しのけて、
玄関から顔を出して、見てみた。

ムギが、階段の4段目くらいに、伏せをしていて、わたしを見た。

退院して来てから、夫が休みなので、ムギのことは夫に任せていた。
わたしとムギは、会うならば徹底的に、長く一緒に過ごす。
一時間では足りず、一時間半が普通で、
時には二時間コースの日もあるくらいだ。

だから、「適当にちょっとだけ会う」ということは、
ムギとわたしの間には、決して成立しない。
じっくり会えないのであれば、ゼロにするしかない。
なので、夫と戯れている、ムギの可愛い声を聞いて、
会いたいと思ってはいたが、
自分の体調もまだあやふやで、次の外来までは「患者生活」ですよと、
医者にきつく言われていたので、
ムギに会いに行っていなかったのだ。

そうしたら、ムギは、階段を登って、わたしに会いに来た。

玄関から顔を出してムギに声を掛けた。
逃げる気配はない。
ムギちゃん! そう呼ぶと、ムギはじっとわたしを見つめる。
「ムギ、ママに会いに来てくれたの?」
そう聞いてみると、ムギは「そうだよ!」と、鳴いた。
いろいろ質問してみたが、今一度、
「ムギ、ママに会いに来てくれたの?」と尋ねると、
やはり、その箇所だけに、返事をする。

「わかった、じゃあ、ママ、ムギのお部屋に会いに行くね。
お着換えしたらすぐに行くから、ムギ会ってくれる?
待っててね、いい? 待っててねムギ!」

ムギは、わたしが退院したことは、夫に聞いて知っている。
気配も匂いもわかっているはずだ。
いつまで経っても、自分に会いに来てくれないので、
ムギが自分から階段を登って来たのだ。

夫を帰し、わたしはトイレに行って、背中にカイロを貼り、
モコモコに着込んで、ムギに会いに行った。
12月26日に会って以来だ。

ムギは爪とぎに座っていて、
「ムギ、ママ会いに来たよ!」と言ったら、きゅう~ん、と鳴いた。
でもわたしが座ると、姿が消えた。

あれれ?
でも、呼びかけに応じて鳴くときは、会ってくれる合図なので、
待っていると、すぐにムギは戻って来た。
そして、当たり前のようにわたしの脚に乗って来た。
「ムギ、オシッコして来たの?」と聞いたら、そうだと言う。
久しぶりにムギの体を撫でて、
風が強くて寒いので、すぐにひざ掛けでくるんだ。

それで、ムギに、色々説明をした。
体調が読めなくて、会いに来れなかった。
でも、もうママ、良くなったと思うから、今日からは毎日来るね!

ムギ、もしかして、一昨日の夜、ママの玄関に、会いに来た?

わたしはムギに尋ねた。
宵の口に、玄関のドアが、不規則に、ゴン、ゴン、と何回か鳴ったのだ。

夫が何か作業をしに来たのか?と思ったが、そうではない。
ノックなら、コンコン!と素早く叩かれる。
不規則に、ゴン、ゴン、と数回鳴ったのだが、
わたしは出なかった。

ねえ、あれ、ムギだったの?
ムギがドアにゴッツンコしてたの?

そう尋ねると、ムギは、脚の上に向こう向きに乗っていたのだが、
わざわざ振り向いて、そうだよ、と言った。

ああ、ムギちゃん、ごめんよ、ママ気が付かなくて!
会いに来てくれてありがとうね…。


階段でわたしを待っている姿は、本当に切なくて、
胸がきゅう~っとした。
なのに、ゆっくり会うつもりで行ったのに、どうも不穏らしくて、
40分で、ムギは居なくなってしまった。

自分の体調も心配なので、カイロを交換して、餌を入れて、
帰って来たが、
案の定、ムギが敵と争っている声が聞こえ始めた。
いつもなら10分くらいで制圧できるのだが、
よく聞いていると、相手が二匹いるような感じがする。
わたしはテレビを消して、聞いていたが、叫び声の応酬が一向にやまない。
30分経ってもまだ、あ~おう~!と叫び合っている。

我慢できなくて、コートを羽織って、声がする方に行って、
「ムギ! 大丈夫?」と声を掛けた。
すると、人間が介入して来たのを嫌って、
奴らはいなくなり、声もしなくなった。


ムギの所に行かず、制作もせず、ちまを抱いて録画した番組を見ていたので、
ちまもすっかり甘えっ子モードに入ってしまい、
抱っこ抱っことせがむので、
全然制作に戻れない。

このあと、明日のお粥を炊かなくては。


ムギが会いに来てくれたのは、切なくて、愛おしかった。
愛してるだけじゃない、愛されてると、思った。

明日からも行くことにした。
大事な子たち。

                                           伽羅

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そして急転直下。

そこからの記憶が、あいまいだ。

夫がずっとそばにいたのか、それもわからない。
横になって、点滴をされて、一切の水分も遮断。

わたしは、一睡もしていないので、痛みが途切れるとフッと眠ってしまう。
それは陣痛の時と似ていた。
陣痛は、当然、痛くない瞬間が定期的に訪れるのだが、
その間、精神が壊れないようにホルモンが出て、
瞬間眠るようになっている。
あれと同じだった。

問診票で痛さの度合いを聞かれて、
「出産を10としたら、7。」とわたしは答えたが、
この世の痛みで一位なのは、出産ではないのだ。

一位は、腸の病気なのだ。
中でも、「超捻転」、「腸重積」などが、飛びぬけて痛いそうだ。
わたしは、小腸だったので、出産の痛みを超えなかったのかもしれない。

医者が回診に来て問診しているのに、痛みが去るとフッと眠ってしまい、
医者に起こされる。
生ものは食べてないし、チョココロネだって買った来たばかりのものだ。

夫が車を置きに行って、入院荷物を持って歩いて来てくれた。

その日の夕方になると、痛みは治まって来た。
押されれば痛いが、じっとしていてもうんうん唸るようなあの痛みは去った。

夫がレントゲンやCTの画像を見せられて、入院手続きをしていたようだが、
わたしはその時ERで痛みと乾きと闘っていたので知らなかった。

夫が帰ったか、いないときに、病棟の看護師さんが来て、
「今は、二人部屋が空いていて、でも今、入っているもう片方の患者さんが、
夜通し痰を吸ったりするような患者さんなんですけど…
明日になれば、個室が空くんですけど、どうします?」と言いに来た。
ERは、救急車が横付けされる位置にあるので、もちろん騒がしい。
でも、病室で、知らない人と一緒なのはしんどい。
ならばここでもいい、と思い、
「じゃあ、今夜はこのままここでいいです。個室が空き次第、入れてください」と頼んだ。
すると看護師さんが、
「旦那さんの書いた書類だと、個室の優先順位が3番目なんですけど、いいですか?」
なにい?
あれほど、個室じゃないと無理!って言ってあるのに、
三番目ってどういうことだよ!

まあ、とにかく、明日、移れるならいいや、一晩耐えようと決めると、
看護師さんたちが「じゃあせめて、一番奥の場所にしますね。」と、
ベッドを一番奥で、誰も入って来ないところに移動してくれた。
優しい。
黙って指を折りたたむようなひどい看護師が居ないのが幸いだ。

傷みさえなければ、あとは乾きを闘うのみ。
水を飲めないのは本当に辛いことだ。
胆石が詰まって、緊急入院して、丸五日間の絶食を経験したが、
あの時は、お水とお茶は飲めた。
ただし、四人部屋だったので、三人は食事をしており、
匂いがするわけで、それが本当に辛かった。
だから個室じゃないと、無理なのに!

ERで眠って、起きた時、朝かと思ったら、
夜中の0時だった。
痛みは治まっている。
一時間おきに点滴を見に来ては、「ガス出ませんか?」と聞かれるので、
何回目かに「あの、ガスが出れば、お水飲めるってことですか?」と聞くと、
「まあ、少しずつではありますが。」とのこと。

点滴をガンガン入れているので、トイレは近く、トイレに行くたびに力んでみるが、
ぷすっとも出ない。

そして、明け方4時に行った時に、
プスっと、出た!
あっ! 今、出たよね?
出たでいいよね?

でも看護師さんには、決定権はない。

朝9時前の回診で回って来た、昨日とは違う医師に、
「四時半に、ガスが二回出たんです、もうお水飲んでもいいですか?」と聞くと、
「ああ、出ましたか、ええ、いいですよ。え? 許可してあげてなかったの?」と、
看護師を見た。

やった!
わたしは売店が空くのを待って、お水とお茶を買って来て、
こわごわ、少しずつ飲んだ。

お腹は、押されると鈍痛があるものの、
寝ている分には痛くなくなった。

救急救命室なので、夜中に何台も救急車が来て、
「次骨折ー!」
「次は血まみれー!」
「血まみれどうすんだよ!」
「看護師、何で二人しかいねえんだ!」
「ICUに取られた! ICU満室!」
と、怒号が飛び交う。
まあそれは辛くなかったが、昼間、隣のババアが電話しまくって喋ってることや、
他のオッサン患者が叫ぶことの方が、よっぽど辛い。

早く個室に移りたい。
翌日は、夫は仕事納めなので、出勤して、
納会は出ないで帰れば、五時くらいには家に着くから、
ちまの世話をしたら、来ると言って出勤して行った。

わたしはその間に、個室に移った。
ERでは、ウォークマンのノイズキャンセラー機能をずっと使っていたが、
もう、これで一人だ。
ああ、一人っていいなあ。

そう思ったのもつかの間、
看護師さんが、一枚の書類を持ってきて、サインをしろとのこと。
読んでみると、それは「入院内容同意書」で、
病名は「小腸癒着性イレウス」とあり、
「7日間~10日間の入院治療を必要とする。」と書かれていた。

ちーん。

27日に入院して、最短の7日間でも、退院は、
正月三が日が明けた、4日になるだろう。

病院での年越し、決定…。
はああ。

1月5日に出展を予定していて、新作をめっちゃいっぱい作ってあって、
告知もいっぱいして来ていて、
1月だったら行ける、という人もいっぱいいたのに、
4日に退院して5日出展は、無理だ…。

わたしは、主催者さんに、事情を説明し、
申し訳ないがキャンセルさせていただいた。

あんなに頑張って新作をいっぱい作っていたのに、
すごく残念だったが、仕方がない。


この病院は、入院に際して、住所の違う保証人が二人必要である。
一人はもちろん、夫だが、
まさか、夫の息子くんやお姉さんをお呼びたてするわけには行かないので、
息子に、29日に来れないか、メールしてみた。
息子の会社は30日までが仕事なのだ。
だから、もし息子が休めなければ、お嫁ちゃんでもいい、と頼んだ。
すると、29日なら行けるとのこと。
お嫁ちゃんも一緒に来たがってるけど、今は嫌だよね?と、
息子はちゃんとわたしをわかっていて、尋ねてきたので、
断ったのだが、
病院で年越しという長い入院になると知って、
お嫁ちゃんにも来てもらうことにした。

夫が、そこへ、長女を連れて来て、会わせて挨拶させる、と
勝手に決めていたので、
ちょっと待ってよ、と制した。

息子夫婦には、ちゃんと母屋に行かせて、
お姑さんと、長女に挨拶をさせて、手土産も渡している。
なにも、こんな、わたしが入院しているような時に、
そんなことさせないでよ、
ちゃんと会わせて挨拶させてるよ?と返したら、
夫は一切覚えていなかった。

大勢でワイワイされるのが大嫌いなので、
長女には遠慮してもらった。

わかってないなあ。
必要なことなのであれば、元気な時に全員で食事会でもやればいい。
なんで今、病室で集わなくてはならないんだよ。

息子には、「お見舞い要らないからね。でももし何かと思うのであれば、
この病院の売店酷いし、年末年始休みになっちゃうので、
色んなお茶を買って来て。」と頼んだ、

そしてその29日朝、突然、何の予告もなしに、
「通り検査をしたいそうなので、レントゲン室に行ってください」と看護師に言われた。
はて?
なんだろう?
降りて行くと、どうやら、小腸が落ち着いたようなので、
いまから、まずい薬を飲んでもらい、それが、小腸を通過するかどうか、
大腸にどれくらいで到達するかを見て、
もしも通っていれば、夕飯を出す、
それで痛くならなかったら、朝食を出す、
それでも大丈夫だったら、年末年始で人手もないし、
病院で年越し嫌だろうから、明日退院させる、
と言うではないか。

えええ?
昨日、一週間から十日間の入院加療が必要って書類にサインして、
予定全部キャンセルしたんです、と言ったら、
「病人なんですから、キャンセルは当たり前です。
退院出来ても、病室だと思って患者生活ですよ。」とのこと。

それで、変な味の液体の薬を400ミリリットル程度飲んで、
すぐさま横になり、
レントゲンでライブで動きを見られた。
しばらくして、薬は、小腸に達したようで、小腸も動いているのが見えたらしい。
「小腸の動きが思ったよりいいので、夕方大腸をレントゲンで、と思ってたけれど、
一時間後に、またレントゲンにします。」
と言われて、部屋に戻った。

夫が来ていて、そのあと、息子とお嫁ちゃんが来た。
息子に書類を記入してもらい、
息子とお嫁ちゃんと、談笑した。
いいと言ったのに、お見舞いに可愛いプリザードフラワーと、
あとはお茶を5種類も買って来てくれた。

一時間で、レントゲンで呼ばれてしまったので、
夫と彼らは食事に行き、わたしはレントゲンに行った。

また一人になり、部屋にいると、主治医がやってきて、
「思ったより早く大腸に到達してます。なので、夕飯を出します。」と言った。
「低残瑳食ですね? わたしの母がやっているので知ってます」
「そうなの。そう、それを食べて、明日の朝食も食べて、大丈夫だったら、
明日の11時に退院ね。」
「先生、わたし、あの夜、夕飯に、牛蒡と蓮根とコンニャクのきんぴらを食べました。」
と、告白した。
「それは、最悪な組み合わせを食べましたね。」
主治医は顔をしかめた。

そう、原因は、チョココロネではなく、夕飯に食べた、
繊維質だらけのお惣菜にあったのだ。

わたしは、忙しさにかまけて、
自炊もせず、買って来たお総菜やレトルトで済ませ、
歩いてもいなかった。

わたしは、二年前に、胆のうを摘出している。
腹部の手術をしたことがある人、臓器が減った人に、
良く起きる病例だそうだ。

胆のうを摘出した時、腹腔鏡だったのだが、
執刀医が、臓器と腹膜の癒着に気が付き、
ついでだからと、はがしてくれたのに、
わたしは自分で、自分の悪い生活で、それを無駄にしてしまったのだ。

原因は自分にあるのだと思った。


レントゲンのために飲んだ薬は、下剤の役割もあったそうで、
そのあと、トイレに籠城する羽目になった。

入院する直前にトイレに行って、下痢状態になってから入院し、
今日まで何も食べてないのに、何が出ててるの?と思うくらい、
ジェット噴射した。
看護師さんが、何度見に来てもわたしがトイレに入っているので、
心配してトイレをあけて見に来た。

トイレ付きの個室で本当に本当に良かった。

だから、わたしには「個室」は「贅沢」ではなく、「必須」なのだと、
夫にずっと訴えているのに。
お金が惜しくてたまらないらしい。


夕飯が来た。
半量の全粥と、鶏肉をほろほろに煮込んだもの、
湯豆腐、クタクタの「超軟菜」指示の、春雨の酢の物。
ああ、なんて美味しいんだろう!
ここの病院は、食事が絶品なのだ。
一食1,000円以上取るけれどね。
お粥も、嫌いだけれど、甘みがたまらない。

お腹は痛くならず、夜もぐっすり眠って、
朝食を食べる前に、もう一度レントゲンを撮り、
朝食を食べた。

主治医が、退院を告げに来た。

夫に知らせて、キャリーバッグを引いて来てもらい、
歩いて帰った。


病院で年越し、と覚悟してから、急転直下で、
30日のお昼前に、部屋に帰って来た。

ちまは、ストレスからか、唇になにかオデキができていた。
ちまはわたしから離れず、ずっと抱いてベッドで過ごした。

買い置きのレトルトお粥を食べてから、
歩いてスーパーに行ってきた。
豆腐、鶏肉、鱈、はんぺん、大根などを買って来た。
後半はうどんを煮込んでも大丈夫と言われたが、基本、お粥に、豆腐に、
卵ね、パンもお餅もダメ、野菜は細かく刻んでクタクタに煮てね。
もちろん、低残瑳を徹底してねと、医者に強く言われた。

病院都合で強制退院になっただけで、
まだ「患者」であり、「病人」なのだ。

わたしは、お粥と、白菜をクタクタに煮込んで、
鶏肉団子を入れたものや、
湯豆腐に鱈を入れたものを食べている。

それでも、自室でちまと過ごせるのは、幸せなことだ。
30日はずっとちまを抱いてアメトーーク!を見て、
夕べはちまを抱いて「ガキの使い」を見て爆笑した。

大好きなお餅もパンも食べられず、
あらゆる誘惑に耐えて過ごすのは修行だけれど、
病気は自分が引き起こすものだとわかった。

これからは、もうちょっと自炊をして、温かいものをちゃんと食べよう。


みなさまも、時節柄、ご自愛くださいませ。

                                          伽羅

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緊急入院だった話。

みなさま、あけましておめでとうございます。
(新年早々、あまり楽しくない話です)

年末27日に、実は緊急入院していた。

26日に予定がいったん終わり、映画でも行こうかな、と考えていたのだが、
なんとなく、「いや、年明けにしよう。」と思って、
チケットを取るのをやめた。

明けて27日の夜中1時半に、空腹を感じて、
夕方買って来た「チョココロネ」を食べた。

そうしたら、胃?が痛くなってきた。

んん?
なんでだ?

リウマチ内科の先生から、大概の胃の不調は、
「太田胃散」で大丈夫、と聞いていたので、
わたしは太田胃散を山盛り飲んだ。
10月に血を吐いた時も、それで乗り切ったのだ。

けれど、痛みは治まるどころか、酷くなってきた。
おかしいな、遅い時間に食べたのがいけなかったかな、と思い、
もう一回、太田胃散を飲んだ。

それで、睡眠薬を一式飲んでベッドに入ったのだが、
痛みはどんどん増していて、眠るどころではない。

けれど、この時点でわたしにはまだ、夫を起こすという選択はしなかった。
今日の朝、お姑さんをショートステイに出すための準備が大変だと、
聞いていて知っていたせいだ。
夫を寝かしてあげないといけないし、お姑さんの世話もさせてあげないといけない。
ひどく痛いことはメールをしておいた。が、返事はない。
なので、耐えて耐えて、
6時半まで耐えて、夫に電話をした。

けれど、夫はスマホを手元に持っておらず、お姑さんの準備やら家事で忙しく、
出ない。
わたしは、母屋の家電に、電話をした。
母屋の電話は、二階では鳴らない。
お姑さんが出て、オレオレ詐欺にあうことを防ぐために鳴らないようにしてある。
一階でしか鳴らない。
でも、そんな早朝に家電がなるのは、何かあったと思わざるを得ないはずと思い、
わたしは家電にかけた。

夫が出てくれた。
「あ、わたし! 夕べからお腹が痛くてもう耐えられない! 尋常じゃない!」
そう叫ぶと、夫は「わかった、今行く。」と言って、
すぐに飛び出して来てくれた。

夫が来たので、途切れ途切れに状態を説明し、
さてどこの病院に行くかを話し合ったが、
消化器内科にかかったのは、地元の総合病院だけなので、
そこに行くことにして、夫が救急で電話をかけてくれて、
病状を説明し、今から連れて行くと言ってくれた。

わたしは、肺の手術に備えて、書いておいた「ちまの取り扱い説明書」を出して、
留守の間、夫に世話をしてもらえるようにテーブルに置いた。

そして、入院荷物から、要らないものを出し、必要なものを入れた。
夫は、そんなもの、必要だったら、あとで持って行くから!と言い、
診察券と保険証だけ持ってればいい、と言って、
車を出して来て、わたしを乗せた。

わたしはあまりの痛みに、うんうん唸っている。

病院に到着しても、「座ってお待ちください」とパイプ椅子を示される。
ひどくない?
記入する書類がいくつかあり、
夫がわたしに質問して、わたしが途切れ途切れに答えて、
夫が記入するが、最後のサインはさせられる。

大分待たされて、救急の診察室に入り、座ったまま、看護師に、
お腹を押されてギャッ!と言った。
胃ではなくて、腸だという。
真ん中あたりと、右側が痛かったので、
「虫垂炎の可能性あり!」と看護師が叫んでいる。
ええ? 盲腸だったら、手術決定じゃん!

先生が来るまで待っててと言われるので、
「せめて、横にならせてもらえませんか?」と頼んで、
救急救命(ER)の部屋のベッドに横にならせてもらい、
体を丸めてうんうん唸った。

やがて医者がやって来てお腹を押され、
レントゲンと、CTを撮りに行ってきた。
もうそこからの記憶は、途切れ途切れだ。


結論は、「小腸が、ねじれて絡んで、狭窄を起こしている」だった。

ひどくなると、絡んでいる箇所が「壊死」を起こしたり、
ちぎれてしまったり、破裂してしまうことがあるため、
その場合は、一刻を争う手術になる。命に関わる。

けれど、この病院は、今日までしか手術室を使えない。
年末の大掃除と殺菌に入り、
同時に、器具の棚卸しに入るので、
もし手術室が空いても、器具がない、
なので、悪化したら、他の病院に救急搬送して手術になる、と宣告された。

ひえええ。
怖い!
我慢しすぎたのだ。
わたしは、我慢強いし、夫が忙しいのを知っているだけに、
朝6時半まで、5時間も耐えてしまった。
もっと早くに電話して起きてもらえば良かった。

当然、腸に一切の、栄養が行かないように遮断する必要があるので、
絶食。
お水すらダメと言われて、乾燥した室内で、それが苦しかった。

続きます。

                                           伽羅

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