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「仕事の流儀」というもの。

録画しておいた、NHKさんの宇多田ヒカルの番組を見た。

彼女が編曲まですべて一人でやっていたとは知らず、
びっくりした。
全てを一人でやる、ということに、彼女はこだわりを持っているそうだ。

楽器は何を使うか。
キーボードの音はどれを当てるか。
どのタイミングでどの楽器を入れるかを、彼女一人で決めているのだ。

今どきの、電子音で何でもできる時代に、
敢えてオーケストラを招いている。
妥協のない音作り。

けれど、そこに、孤独感は全くなかった。

楽器を演奏してくれる、そうそうたるメンバーにヘルプ!と言うことはあれども、
「答えは必ず自分の中にある。」
「自分が持っていないものは出せない。」
「真摯に向き合い、自分に嘘をつかない。」
「自分だけが知っている何かを、探しているような感じ。」

そう語る彼女の流儀は、わたしにはとてもよく理解できたのだ。

今、わたしは、人の手を借りず、一人で物づくりをしている。
そこには、かつては自分のパートではなかった分も含まれている。
自分ではなく、相方がやっていた箇所。
完全分業だったので、お互いにお互いの脳内は理解していなかった。

だけど、今は一人だ。
一人で完結する。

あの当時、本当は、どうしたかったのか。

わたしの作り出すものは、時代の先に行きすぎていて、
買いたいと思う人も、これが買いたい・欲しい、でも、
いったいこれを、どうやって使えばいいの?と
疑問を抱くようなものを、作って来ていた。
粘土のミニチュアブームが始まる、はるか数年前に、
わたしはミニチュアのケーキや和菓子を作っていたのだ。

まだ、携帯電話を、誰も持っていなかった時代に、
わたしはストラップのようなものを、もう売り出していたのだ。
どう使えばいいんですか?と聞かれても、
それは、わたしの魂の記憶から生まれ出てきたものであるので、
わたし自身にも、答えようがなかった。

あの時、本当に作りたかったものを、おそらく今は、作り出せていると思う。
大きな作品はもう無理。
そこまでの体力と気力がない。
量産も無理だし、意味がない。
でも、直径数センチの小さな丸の中に、
世界を描くことは、出来ている。

それが本当にやりたかったことなのではないだろうか。

もう、バリエーションを増やす必要もないとわかった。
わたしの作品の特徴として、
ころんとしてまあるいもの、
色合いが華やかで透明感があるもの、
青い色が印象的なもの、
そういう、特徴を、ただなぞらえて、それに沿って作ればいいのだと思う。

梱包も発送も自分一人。
持っているものを工夫して、素敵に梱包してお届けする。
それは、「真心」である。
お金を出してまで買ってくださった方への、感謝。
気に入ってくださってありがとう。
買ってまでくださってありがとう。
使ってくださってありがとう。

隅々まで、その精神を生かしていく。

「見えない部分も美しく。」
これもまた信条だった。
裏返して見られても、裏は裏なりに、それ相応に美しく仕上げておくこと。
花びらが重なって最後は見えなくなる箇所にも、
手を抜かず、きちんとした仕事をしておくこと。
こういうことが自分を納得させられる仕事だし、
信頼を得るために、重要なことだと思う。


わたしは、粘土を、誰にも習ったことがない。
誰かに師事していない。
全ては独学、というか、学ぶというよりも、
やはり、
自分の魂に刻まれている記録を出して来て、
それを具象化している、といった表現が一番正しいと思う。

だから、出来上がって、写真も撮影して、
画面でその写真を見た時、
はたして、自分なら、お金を出してこれを買うだろうか?と問うてみる。

もしも、それが、NO、であれば、
いくら惜しくても、捨てる。
自分が要らないものは、人も要らないのだ。
わたしの感性に感応してくれる人に向けて、発信しているので、
そこで、嘘をついてはならない。

ああ、こんなものがあったら買いたいな、と
自分で思うもののみを、掲載する。


わたしには、「生みの苦しみ」というものは、ない。

メーカーの仕事をしていた時は、制約が多いので、苦心はしたが、
それでも、ずいぶん斬新なものを提案してきたはずだ。

デザインは無限にある。
いくらでも取り出せる。
具象化できる技術が伴っているかどうかが、問題点だ。


グラデーションを作るのに、必要で、
クレイ専用のパスタマシーン的なものを、「中古」で購入した。
パスタ用のマシンまでは必要ないし、
安いものは油でギトギトとかいうレビューを読んで二の足を踏んでいたところ、
わたしが本を出した時に、
メーカーがアメリカから直輸入した、クレイ専用のマシンが見つかって、
新品が1万円くらいしたので、中古でいいやと、
中古のマシンを通販で購入した。

それは、驚きのマシンだった。

箱はちょっと傷んでいたが、中のマシンは綺麗で、
付属品でもないのに、
硬くてどうしようもない粘土をすり下ろすおろし金までつけてくれてあった。

そして、説明書やら、色々、書類が入っていたので、
広げてみていると、
驚愕のものが、出て来たのだ。

それは、14年くらい前に、わたしが、メーカーに頼まれて、
そのクレイの、キット(必要な粘土と、作り方のレジュメがついたセット)を、
制作したのだが、
そのうちの一つ、「いちごのショートケーキ」の、レジュメが、出て来たのだ!

そう、まぎれもない、わたしの描いたイラスト、わたしの描いた文字!

このマシンを買った人は、
わたしの企画したキットを、制作するために、
このクレイ用パスタマシンを、買ったのだ。

それが、14年の時を経て、巡り巡って、
わたしの元にやって来たのだ!

ありがとう。
買ってくれて、作ってくれてありがとう。
わたしは、中古を買って本当に良かったと思った。
こんな巡り合わせが用意されてただなんて。


わたしの物づくりに、夫は難色を示している。
夫は、就きたい仕事に就くことができた、100人に一人の幸運な人だ。
わたしのように、たたき上げで必死にのし上がった気分はわからないだろう。

わたしから創作を奪うことはできない。
これはわたしの生きている証。

あふれ出すものは、形にしていかないと、死んでしまう。

6年間、活動を休止して、スタジオに戻った宇多田ヒカルさんは、
スタジオこそが、
自分が最も安心して、最も必要としている自分の場所だったことに気づいた。

わたしも今、同じ気持ちでいる。

一人で向かう。
一人でやれることだけを、やる。
あふれ出るものを、形にすることを続ける。

そうしないと死んでしまう。

他人から見れば、売れてもいないし、仕事として成立もしてないし、
タダの趣味じゃん、と思われるかもしれない。

趣味ではない。
魂を表現することは、趣味なんかではできない。

別に、「この世界、変えてやるぜ!」みたいな、野望はない。
ただ、感応してくれる人を、
わたしは探している。

あなたのこれが好き、って、
言ってくれる人との出会いを、わたしはひたすらに待っている。

                                          伽羅moon3

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