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2018年8月

家事はエンドレス。

ここ数カ月、星や月を読む人のブログを見ているが、
あることに気が付いた。

わたしが寝付けない日は、満月になる日なのだ。

金曜日、宵の口にもう眠くてだるくて何もできず、
けれど、夜8時9時に寝てしまったら、次に寝られなくなるので、
必死に耐えて起きていた。

わたしは完全な夜型で、月のリズムで生きている。
なので大体、夜11時くらいからが一番調子がいい。

それで午前3時ごろに寝れば、ひょっとしたら、
睡眠薬を飲まなくても行ける日が、やってくるように思える。
家族を気にせず、世間を気にせず、
本来の自分のリズムで生きれば、薬はいらなくなる日が来るかもしれない。

金曜日から土曜日にかけて、とうとう寝付けずに朝になり、
体には薬は効いているので、
脳が覚醒していても、体はフラフラなので、何かができるわけもない。
また、睡眠薬を飲み直して、朝から眠るしか、仕方がない。
満月の前だから、しょうがない。
狼に変身しないだけマシだ。

早朝に起きている夫にメールをした。
まだ寝付けていない、これから、ちまに餌を少し与えて、
自分は睡眠薬を飲み直して寝ようと思うが、
時間があまり空いてしまうと、ちまが吐きやすくなるし空腹で可哀想なので、
お昼前後に、一度餌をやってもらいないだろうか、と頼んでみた。

夫が快く、了承してくれたので、気をつけて起き上がって、
つかまりながらゆっくり歩いて、
ちまに餌をやり、自分は睡眠薬を飲み、
お昼に与えてもらう餌を用意してラップしてキッチンに置いて、
それから寝た。

どうにか眠れて、土曜日の15時に目が覚めた。

夫が夕方用事で出かけるというので、外食とカラオケ目当てで着いて行って、
二人で楽しく過ごした。

で、なーんにも、やれなかった。

なので、今日は、家事をやった。

まだ、制作をしたい気分は戻って来ないので、
洗濯を回して、ハンディモップでホコリ取りをして、
自分の夕飯をきちんと作った。

洗濯物を干して、夫のシャツにアイロンをかけた。
いつもは2~3枚なのに、今日は6枚あって、気分的にめげそうになったので、
録画してあったアメトーーク!を見ながらかけた。

それから、食器を洗い、排水溝とシンクを洗い、
冷蔵庫の食材の点検をし、
洗濯物を畳んで片づけて、
チュニックのボタンが一個取れたのを、放置してあったのでボタンをつけた。

炊いたご飯の残りでお握りを作って、冷凍した。
また洗い物をした。

掃除までは、やれる気力が残っていなかった。
無念。

しかし、家事とは、重労働だな。
しかも、エンドレスで、毎日毎日。
誰からも認められず褒められない作業。
これを、子育てしながらこなしている主婦の方はすごい。
働いてもいる人は、もっとすごい。
もっともっと、賞賛されるべきことだと思う。

食べることは、健康に直に繋がっているので、
毎日手作りで、栄養バランスを考えた食事を作ってもらえる人は、
すごく幸せなことなのだ。
家事って本当に大変だ。

とりあえず、掃除を残して、あとは全部やれたので、
明日からは制作に戻りたい。

家事をやってくれている家族を持つ人は、
感謝すべきだと思う。
仕事は、目に見えて成果が出るし、人から褒められたり感謝されることもあるだろう。
でも、家事とは、
やってあると気が付かなくて、
やってないと、気が付くという、憎らしい仕事なのだ。

今日からすぐに、やってくれててありがとう、と言おう。
言わないと伝わらないよ。
家事をやっている人は、偉い!
感謝!
わたしも、自分のためだけになるけれど、やると気持ちがいい。
自分で作った料理は、どんな感じになっても、美味しい!
感謝!

                                              伽羅

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ちまと話したい。

ムギは、猫の中でも霊性の高い猫なので、
話が通じる。
あの子は時間もわかっていて行動している。

ちまは、普通の、可愛い猫だ。
話し合うことは出来ない。

ちまは、3つの症状を抱えており、幾種類もの薬を飲んできたが、
そろそろ、方針を固めなくてはならなくなった。

まず、腎不全のステージ2.
これは、最優先で進行を止めておかなくてはならないもの。
即、命に関わるから。
なので、高価な飲み薬を2種類飲んで、
腎不全の子用の缶詰を、おやつ代わりに食べている。

それから、よく吐くこと。

そして、アレルギー持ちで、痒みが酷いらしく、
お腹は、ザリザリの舌で舐め壊して、つるっぱげ。毛が無い。
それだけならいいのだが、痒いらしくて、舐めすぎて、
血が出てカサブタになっている時もある。

当然、毛を舐めて飲み込むので、吐きやすくもなる。

それで、「免疫抑制剤」を使って、痒みを留めて、
毛も生やそう、という作戦に出た。
痒みに効く、少量で害が残らない程度の、ステロイドも併用。

確かに、毛は生えて、舐めている時間は減った。

けれど、だんだん、副作用が出てしまい、
免疫抑制剤を飲ませると、翌日から吐くようになってしまった。

薬をストップして様子を見ていたら、
二週間、止めている間、吐かなかったので、
ドクターと相談して、再開してみた。

それでもわたしは怖くて、規定量より少なめに与えた。

そしたら、ちまはまた吐いて、
三日間続けて吐いた。

もうダメだ、あの薬は与えたくない。

やめると、吐かない。
けれども、痒みは増したようで、一日中お腹や内ももを舐めて、
うっすら生えていたお腹の毛は、
またすっかりなくなって、ハゲになり、
中央あたりが一番痒いのか、赤くなってしまっている。


痒みは、最も辛い症状だとわたしは思っている。

痛みには、何らかの終わりがある。
でも、痒みは、エンドレスなのだ。
痒い間、何も考えられない。
何も出来ないし、気が狂いそうになる。

それが終わりなく、毎日続いているのだとしたら?



わたしが、鬱病を発症したとき、
まだ働いていた。
すごく好きな仕事だったので、辞めたくなかった。
けれども、鬱病ですとやっとわかってから、仕事に復帰するまで、
たった三週間しかなかった。

睡眠薬を数種類試して、効くのを探し、
薬を飲みながら仕事に行ったのだが、
本当に色々な症状が出て、すごく苦労した。

まず、「鉛様症状」というものがある。
手足が、鉛のように、重たくて、立っていられないし、
電車で自分のバッグを持っていられないのだ。
わたしはバッグを床に置いて、脚で挟んで、吊革につかまって何とか帰った。

帰り付いて、服を着替える。
冬場だったし、暖房がない職場だったので、分厚いタイツを履いていた。
それを脱いで、ブラジャーを外した瞬間から、
全身、火だるまのようにカーッ!と熱くなり、
猛烈な痒みが襲ってくるのだ。

血流が良くなると同時に、アレルゲン物質が全身に巡るのか、
仕組みは知らないけれども、鬱病の症状の一つに上げられてはいた。

痒さで気が狂いそうになる。
手が届くところは手で掻きむしり、
届かないところは、竹の孫の手で、血が出るまで掻きむしる。

全身、血だらけになって、やっと痒みが去って行くのだが、
その後一時間は、
何も考えられず、動けず、放心状態になる。

太宰治の短編小説にも、若い奥さんが体に湿疹が出来て痒くて泣く話があった。
彼女は、痒くて、醜くて辛いと泣く。
お医者に行って体を見せるのはまた恥ずかしいと泣く。
若い旦那は、「お医者を男と思っちゃいけねえ。」と慰め、
連れて行くと、何かの食あたりだろうということで、
何を書きたかったのかややわかりにくい小説なのに、
わたしはその話が好きだった。


痒みに終わりはなく、常に常に辛い。

ちまの、免疫用製剤を辞めるなら、
痒みがぶり返す。
ぶり返している。
「ねこじゃすり」を夫に買ってもらっておなかをさすってやるのだが、
ちまは、はっし!と手で挟んで、カジカジしてしまう。

どうしようね、ちま。
どうしてあげたらいいかね、ちま。

わたしはちまを抱いて泣いた。

ステロイドを増やせば、痒みは抑え込むことが出来る。
毛も生えるし、本人は楽になる。

けれども、ステロイドは、強力な毒でもある。
他の病変を隠してしまう。
だから、病気に気が付きにくくなる。

ステロイドを強くすれば、その副作用も強くなり、
寿命を縮めることにもなる。

だからこれまでの数年間、
毒にまではならない程度の、ステロイドを少量、
与え続けて来たのだ。

でももう、それで抑えられなくなった。
ちまは、毎日痒くて、一日中お腹を舐めている。


わたしは、一日でも、ちまに長生きしてもらいたい。
どんな姿でもいい、ただ生きていてくれればいいと、思う。
失いたくない。
ちまを失うなんて耐えられない。

けれど、それは、わたしのエゴだ。

ちまがどう考えているのか、それだけ、一回でいいから、
ちまと話し合いたい。

痒みを抑えてやって、一日快適にしてやって、
でも、20年生きられる昨今の猫事情なのに、15歳で死んでしまうかもしれない。

けれど、痒いばかりの20年に、ちまが耐えなくてはならない理由は?
それは、わたしのエゴ。

離れたくない。生きてて欲しい。長生きして欲しい。
でも、ちまが辛かったり、苦しいことを、望んではいない。

ステロイドを、増やそうか。
ちま。
そして痒いのを減らそうか。
そしたら、もっと、毎日が幸せ?
ちまは、長生きなんていいのか悪いのか、わからないよね。

今日も一日、ちまを抱いていた。
しっとりと重いちま。
可愛い可愛いちま。
あどけない、天使のちま。

もう9歳。
立派なオバチャン猫だ。
もうすぐわたしを追い越す。


長生きだけが、幸せではない。
長生きして欲しい。
そこで思考はぐるぐる回っている。

どうしようね、ちま。
痒いのは辛すぎるよね。
ママ、知ってるからわかるよ。
血が出るまでやらないと、気が済まないんだよね。

ドクターと相談して、薬を変えよう。
もう、免疫抑制剤は使わない。

ちまの生活の質を向上してやりたい。
20年、生きられなくても、痒いばかりの毎日は、可哀想すぎる。

毎日、幸せに、のほほんと生きててもらいたい。
ちまは、天使ちゃんなのだから。

                                           伽羅

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痛みは、ただ痛いだけ。

リウマチの薬で、重篤な副作用が出てしまい、
飲み薬を減らさざるを得ない状況になった。

まだ、注射には、2種類、選択肢が残っているそうなので、
絶望しないで欲しい、とドクターは言ってくれた。

けれども、もうすぐ仕事に行かなくなる夫が、
そんな高い注射を打たせてくれるとは思えない。

わたしの指の関節は、痛みを持ったままか、
変形して固まるか、
どちらかになる可能性はある。

でも、仕方がない。
自分は働けないんだもの。
情けないけれど、働きには出られない。
今も、過去の辛い職場の夢を見ては、
「辞めたい、でも辞めたら生きて行けない。」と苦しんで目が覚める。

隣には猫がいてわたしを舐める。
部屋は新しくてきれいな広い部屋だ。

わたしは、ああ、そうだ、再婚して、働かなくても生きていさせてもらえてるんだ、と、
やっとそこで気が付き、
心底安堵する。
生きてていいんだ。
バラ色じゃないか。


せんだって、気管支炎を起こして、舌の先端にできものが出来て、
お醤油味の煮物さえ食べられなかった時、
痛みが余りにも辛くて、
「一生口内炎が出来ない口を、与えてください!」と、真剣に願ってしまった。
食べられないのは、人間の尊厳を左右する。
痛みでおかしくなる。

けれど、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と言うように、
痛みは、去ってしまえば、「すっごい痛くて辛かったんだよ~。」と、
笑い話にもできる。

わたしは進行形で指の関節が痛くて、
鍋や大きなコップを洗う時が一番辛い。

文字も汚くなって、
樹脂粘土を始めた当初、手書きで書いていた値札の文字を、
「なんていう書体ですか? かわいい。」と言われたこともあったのに、
今はもう、無残な文字だ。

痛い。痛いけれども、
心に負った傷よりは、痛くない。
何故なら、痛みには、恨みがペアになってないから。
ただの痛みでしかないから。

胆のうを摘出する手術の時、個室に入りたいと夫にお願いした時、
「ガンでもないくせに。」
「死ぬわけでもないのに!」と言われたことのほうが、
人生において、よっぽど、痛く刺さっている。
そうだよ、ガンじゃないし、死なないよ?
あなたの大切な奥さんは、あの病院の個室で、亡くなったんだもんね。
わたしは、死ぬわけじゃなし、個室、もったいないんだよね。

だけど、そう言われたわたしの、「心」が死んだこと、
知らないでしょう。

壊死と同じで、その部分はもう回復しないんだよ。
組織が死んだのだから。


だから、リウマチで、治療を打ち切られ、その後指が毎日痛くても、
それは人のせいではないし、
自分が黙って耐えていればいいだけだから、
心を刺されるより、全然辛くない。

心を刺されたこと、あるかな。
それは一生消えないんだよ。
許せたとしても、
自分の魂レベルが上がったとしても、
実際に、あったこととして、魂には刻まれている。

その魂でまた生まれ変わるのだから、
次に結婚することはないだろうと思う。
夫も、先妻さんと出会って、どうか添い遂げられますように。
それが彼の幸せだと思う。
きっと出会って、次は二人で幸せに生きて欲しいと、心から願う。
これはわたしなりの、夫への一種の愛である。


マッサージ師さんに、絶対に読んでみて!と言われて、
「働く細胞」という人気漫画を、電子書籍のお試し版で読んだ。
すっごく面白かった。
白血球さん、マジでカッコいいっす!
ちょうど、わたしの血小板がたったの9しかない、とわかったときだったので、
あの可愛い血小板少女たちが、
わたしには9人しかいないのか…とがっくり来た。

怪我をしないように、気をつけて暮らしている。
注射のあとも、しばらく注射針を抜かずに、15秒~20秒待ってから抜くといいそうだ。


心の病のほうが、辛い。
体の痛みは、治れば、いつか笑いに変えられる。


                                             伽羅

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永遠の孤独。

自分の孤独を嘆く人がいる。

例えばわたしの母親。

父は三交替勤務だったので、食事の時間もまちまちで、
夕飯時に居ないことも多く、
夜勤のときなどは、このあと仕事なので、居ても機嫌が良くなくて、
一家団欒の夕飯は、少なかった。

朝ご飯を揃って食べた経験もない。
いつも、焼いたトーストにマーガリンを塗ったものを出され、
一人で食べる。
それがわたしの朝食。

家を建て替えて、キッチンにテーブルが無くなり、
わたしが働き始めると、
三者三様に、キッチンで立って朝食をとる。

わたしは、自分のお弁当を作らなくてはならず、
田舎の工場勤務で、始業は朝の8時。
その前にいろいろな準備作業がある。
なので6時台のバスに乗らなければならず、
お弁当を作るのがやっとで、朝食なんて食べられないことが多かった。

日本がバブルに突入して行く時期だったので、
毎晩毎晩、残業。
バスの本数が少なく、帰宅すると夜の9時を回る。

そしてヘトヘトで帰り付くと、
母が怒るのだ。
「もう! 何やっとんの! 遅いやないの! 」
母は、父が仕事でいない夜、わたしの帰りを待って、
一緒に夕飯をとろうとしていた。
そりゃあ、9時過ぎれば、お腹もすくだろうし、怒りもわくだろうが、
「なんで、働いて帰って来て、それでまた怒られなくちゃいけないの!」
とわたしが怒ると、
母は、
「だって、一人暮らしみたいなんだもの!」と怒る。
「だったら、おばあちゃんと一緒にご飯食べればいいでしょ?
わたしは残業で遅くなるんだから、それで怒られるのは納得が行かない!」と反論した。

母は、祖母を嫌っていて、一緒に夕飯を食べたくないのだ。
だからといって、勝手にわたしを待っていて、
ヘトヘトになって帰って来たわたしに、「遅い!」と怒ることは、
誰がどう考えても、稚拙で、自分勝手で、間違っている。

母は、精神的に、自立できていない人なのだ。
いつも誰かを味方につけておかないと、不安でどうしようもない人だ。

だから、わたしには父の愚痴を言い、祖母の悪口を言い、
父にはわたしの悪口を言い、
そうやって味方を作らないと、何事にも、一人で立ち向かえない人なのだ。

自分がいかにいい人で、優しくて、頼りにされて、
こ~んなに褒められるの!と、自慢話を延々するのは、
自分に対するコンプレックスの裏返しなのだ。
あの人は、一人になれない、一人では生きて行けない、
孤独な人だ。


けれども、その「孤独」を、人のせいにしている人は、
永遠に、孤独である。
その孤独が、癒されることはあり得ない。


何故なら、孤独とは、自分自身が、引き寄せていることだからだ。


自分の言動が、自分の孤独を、作り出していることに気づかず、
夫が留守がちで寂しいとか、
娘の帰りが遅いから腹が立つとか、
そうやって、人のせいにしているが、
実際は、孤独とは、
自分の中が、自分によって、満たされていないからなのだ。

孤独は、自分が満たして自分が癒すしか、方法がない。
いくら近しい間柄でも、
その相手が、自分の孤独を満たしてくれると思ったら、大間違いだ。

自分で自分を満たす作業が出来ない人、
あいつがこうだからわたしが寂しい!と人のせいにする人、
何かで縛り付けておけば、その人は自分から離れず、
自分は孤独にならなくても済むと勘違いしている人の、
何と多いことか。

他人が、自分の孤独を、一体どうやって満たしてくれようか。

自分が持っているその孤独は、
自分の言動が、自ら引き寄せたものだと、
気が付くことがない限り、
その人の孤独とは、永遠のものである。


わたしは、少女期は、孤独だった。
それは、家庭が安全ではなかったからだ。
味方が一人もいなくて、親は双璧で、
分かち合える相手も、慰めてくれる相手もいなかった。
そういう意味で、孤独だった。

でも、今、一人で暮らさせてもらえて、
孤独とは無縁である。

自分の内部を満たすことが出来ていれば、
孤独ではなくなる。
もし、少し寂しいことがあったとしても、
それはすべて自分が招いていることでしかないと、落とし込むことができれば、
人間、死ぬときは一人、
誰にも知られず、ここでひっそり亡くなっていて、
発見が一週間後であっても、
わたしはそれを「孤独死」とは感じない。

死ぬときに、道連れがいるわけもなく、どのみち一人なんだから、
どんな死に方だって、大差ない。
わたしはそう考える。
息子にも、そう伝えてある。
決して気に病まないようにと。
わたしは、孤独だとは感じてないから。
満たされているから。
寂しくないし、幸せだから。


他者は、自分の孤独を、癒してはくれない。
自分の感じ方次第。
自分を自分で満たしてあげないと、
永遠の孤独は続く。

                                          伽羅

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「仕事の流儀」というもの。

録画しておいた、NHKさんの宇多田ヒカルの番組を見た。

彼女が編曲まですべて一人でやっていたとは知らず、
びっくりした。
全てを一人でやる、ということに、彼女はこだわりを持っているそうだ。

楽器は何を使うか。
キーボードの音はどれを当てるか。
どのタイミングでどの楽器を入れるかを、彼女一人で決めているのだ。

今どきの、電子音で何でもできる時代に、
敢えてオーケストラを招いている。
妥協のない音作り。

けれど、そこに、孤独感は全くなかった。

楽器を演奏してくれる、そうそうたるメンバーにヘルプ!と言うことはあれども、
「答えは必ず自分の中にある。」
「自分が持っていないものは出せない。」
「真摯に向き合い、自分に嘘をつかない。」
「自分だけが知っている何かを、探しているような感じ。」

そう語る彼女の流儀は、わたしにはとてもよく理解できたのだ。

今、わたしは、人の手を借りず、一人で物づくりをしている。
そこには、かつては自分のパートではなかった分も含まれている。
自分ではなく、相方がやっていた箇所。
完全分業だったので、お互いにお互いの脳内は理解していなかった。

だけど、今は一人だ。
一人で完結する。

あの当時、本当は、どうしたかったのか。

わたしの作り出すものは、時代の先に行きすぎていて、
買いたいと思う人も、これが買いたい・欲しい、でも、
いったいこれを、どうやって使えばいいの?と
疑問を抱くようなものを、作って来ていた。
粘土のミニチュアブームが始まる、はるか数年前に、
わたしはミニチュアのケーキや和菓子を作っていたのだ。

まだ、携帯電話を、誰も持っていなかった時代に、
わたしはストラップのようなものを、もう売り出していたのだ。
どう使えばいいんですか?と聞かれても、
それは、わたしの魂の記憶から生まれ出てきたものであるので、
わたし自身にも、答えようがなかった。

あの時、本当に作りたかったものを、おそらく今は、作り出せていると思う。
大きな作品はもう無理。
そこまでの体力と気力がない。
量産も無理だし、意味がない。
でも、直径数センチの小さな丸の中に、
世界を描くことは、出来ている。

それが本当にやりたかったことなのではないだろうか。

もう、バリエーションを増やす必要もないとわかった。
わたしの作品の特徴として、
ころんとしてまあるいもの、
色合いが華やかで透明感があるもの、
青い色が印象的なもの、
そういう、特徴を、ただなぞらえて、それに沿って作ればいいのだと思う。

梱包も発送も自分一人。
持っているものを工夫して、素敵に梱包してお届けする。
それは、「真心」である。
お金を出してまで買ってくださった方への、感謝。
気に入ってくださってありがとう。
買ってまでくださってありがとう。
使ってくださってありがとう。

隅々まで、その精神を生かしていく。

「見えない部分も美しく。」
これもまた信条だった。
裏返して見られても、裏は裏なりに、それ相応に美しく仕上げておくこと。
花びらが重なって最後は見えなくなる箇所にも、
手を抜かず、きちんとした仕事をしておくこと。
こういうことが自分を納得させられる仕事だし、
信頼を得るために、重要なことだと思う。


わたしは、粘土を、誰にも習ったことがない。
誰かに師事していない。
全ては独学、というか、学ぶというよりも、
やはり、
自分の魂に刻まれている記録を出して来て、
それを具象化している、といった表現が一番正しいと思う。

だから、出来上がって、写真も撮影して、
画面でその写真を見た時、
はたして、自分なら、お金を出してこれを買うだろうか?と問うてみる。

もしも、それが、NO、であれば、
いくら惜しくても、捨てる。
自分が要らないものは、人も要らないのだ。
わたしの感性に感応してくれる人に向けて、発信しているので、
そこで、嘘をついてはならない。

ああ、こんなものがあったら買いたいな、と
自分で思うもののみを、掲載する。


わたしには、「生みの苦しみ」というものは、ない。

メーカーの仕事をしていた時は、制約が多いので、苦心はしたが、
それでも、ずいぶん斬新なものを提案してきたはずだ。

デザインは無限にある。
いくらでも取り出せる。
具象化できる技術が伴っているかどうかが、問題点だ。


グラデーションを作るのに、必要で、
クレイ専用のパスタマシーン的なものを、「中古」で購入した。
パスタ用のマシンまでは必要ないし、
安いものは油でギトギトとかいうレビューを読んで二の足を踏んでいたところ、
わたしが本を出した時に、
メーカーがアメリカから直輸入した、クレイ専用のマシンが見つかって、
新品が1万円くらいしたので、中古でいいやと、
中古のマシンを通販で購入した。

それは、驚きのマシンだった。

箱はちょっと傷んでいたが、中のマシンは綺麗で、
付属品でもないのに、
硬くてどうしようもない粘土をすり下ろすおろし金までつけてくれてあった。

そして、説明書やら、色々、書類が入っていたので、
広げてみていると、
驚愕のものが、出て来たのだ。

それは、14年くらい前に、わたしが、メーカーに頼まれて、
そのクレイの、キット(必要な粘土と、作り方のレジュメがついたセット)を、
制作したのだが、
そのうちの一つ、「いちごのショートケーキ」の、レジュメが、出て来たのだ!

そう、まぎれもない、わたしの描いたイラスト、わたしの描いた文字!

このマシンを買った人は、
わたしの企画したキットを、制作するために、
このクレイ用パスタマシンを、買ったのだ。

それが、14年の時を経て、巡り巡って、
わたしの元にやって来たのだ!

ありがとう。
買ってくれて、作ってくれてありがとう。
わたしは、中古を買って本当に良かったと思った。
こんな巡り合わせが用意されてただなんて。


わたしの物づくりに、夫は難色を示している。
夫は、就きたい仕事に就くことができた、100人に一人の幸運な人だ。
わたしのように、たたき上げで必死にのし上がった気分はわからないだろう。

わたしから創作を奪うことはできない。
これはわたしの生きている証。

あふれ出すものは、形にしていかないと、死んでしまう。

6年間、活動を休止して、スタジオに戻った宇多田ヒカルさんは、
スタジオこそが、
自分が最も安心して、最も必要としている自分の場所だったことに気づいた。

わたしも今、同じ気持ちでいる。

一人で向かう。
一人でやれることだけを、やる。
あふれ出るものを、形にすることを続ける。

そうしないと死んでしまう。

他人から見れば、売れてもいないし、仕事として成立もしてないし、
タダの趣味じゃん、と思われるかもしれない。

趣味ではない。
魂を表現することは、趣味なんかではできない。

別に、「この世界、変えてやるぜ!」みたいな、野望はない。
ただ、感応してくれる人を、
わたしは探している。

あなたのこれが好き、って、
言ってくれる人との出会いを、わたしはひたすらに待っている。

                                          伽羅

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わたしのリウマチ。

リウマチと言う病気は、
親族間で発症することが多いと言われている。

遺伝的、とまではいかないが、親族にリウマチの人がいると、
発症の度合いが上がるようだ。

わたしは、母の叔母くらいしか、いないのだけれど、
母屋の夕飯を作っていた時期に発症してしまった。

指と手首と膝が、猛烈に痛かった。
6人分の食事を作ってたので、毎日寸胴鍋に煮物を作る。
それを抱えて運んで行って、
均等にしておいてくれと言われていたので、
トングで、どの具材も、全員が同じ量になるように数えて、
分けて器に入れていた。

そしてまた寸胴鍋を抱えて戻って来て、鍋を洗うのだが、
その時の手首の痛さは、涙が出た。

夫に訴えてみたら、
この歳になったらみんなどこかしら痛くなるものであって、
そんなのは、治らないよ、と言われた。

なのでわたしは、自分の判断で、総合病院の外科のリウマチ科に、行った。

そしたら、その病院には、膠原病由来を診る、内科のリウマチ科があって、
あなたはそちらに行ってください、と回された。

検査の結果、関節リウマチであることがわかった。

まだ発症して一か月か二か月かだったので、
早い段階で、強い薬で叩いてしまいましょう、と言われて、
強いとされる飲み薬が処方された。

効果はあった。
手首の痛みに泣けるほどだったが、手首の痛みが軽減した。
けれど、膝がよくなるまではずいぶんかかった。
指の関節はとても痛くて、
違う種類の飲み薬を追加してみたが、どうにも軽減しないので、
とうとう、注射を打つことになった。

一本2万円の、高い注射だ。
それで、膝もよくなって、手首はすっかり良くなって、
手を握ることもできるようになってきた。

しかし、そこからが頭打ち。
どうしても、指関節の痛みが、なくならないのだ。

注射の種類を変えた。
それでも、どうしても指だけは痛みが残る。

また注射を変えた。
それまでは、二週間ごとに売っていたのだが、
種類が変わって、毎週打つものになった。
値段はやや安い程度。

それに変えた時、あ、効いた!という実感があった。
指の関節の痛みが減ったと思ったのだ。
実際、炎症反応も、少し抑えられた。

そして、その注射を、毎週自分で打っているが、
また数値は頭打ちになり、炎症反応は横這いで、
改善が見られなくなった。

肝臓に薬の負担が重くのしかかり、肝機能の数値は、
健診でもD判定。要精密検査、である。
精神科の薬は、ささやかに減らすことが出来たので、
リウマチの薬が、強いのだ。

けれども、この年齢で、治療してしまわないと、
放置したら、歳をとってから、骨折したり、脱臼しやすくなるそうだ。
だから、ドクターは焦っている。

夫が会社に行ける期間もドクターには告げてある。
給料が入らなくなれば、こんなに高い治療はもう受けさせてもらえないと思う、と
伝えてあって、カルテにも記載されている。

それに加えて、他の副作用が出て来てしまった。
血液内の、血小板の減少だ。
これは、重篤な副作用にあたるそうだ。

確かに、調べてみると、血小板が年々、すごい減少していることがわかった。

血小板は、通常、14~40くらいの幅であるものらしいが(単位はわからない)、
わたしの血小板は、2012年には、20あったのが、
昨日の数値では、たった9しかない。

最近、ちょっとしたひっかき傷や、
自分で打った注射の後から血が出やすく、
しかも、なかなか止まらなくて、絆創膏を変えなければならないようになっている。
ちょっとおかしいな、とは思っていた。

肝臓を守るために、わたしは一切の飲酒をしていない。
胆のうも無いことだし、脂ものもあまり食べていない。
つまり、わたしの肝臓は、飲んでいる薬の解毒だけで、ヘトヘトなのだ。

血小板の減少も困る。
注射を打つたびに出血しているし、内出血して真っ青になっている日もあるし、
そう話すと、ドクターは頭を抱えた。

今、叩いておきたいのに、もうこれ以上、飲み薬は増やせません。
むしろ、減らさないと危ない。

注射には、あと2種類の選択肢があるので、
希望はある。
注射には副作用が少ない。

そう説明されて、苦渋の決断で、
ずっと飲んで来た、メトレート(リューマトレックス)を、減らす方向にします、と
言われた。
減らすだけ。
何も出来ない。
それで血液と肝臓を観察しながら、
注射を変えなくてはならないかを、また模索することになった。


苦しい決断だと思う。
後戻りする可能性があるのだから。
けれど、このまま様子見をしていることもできなくなった。

ひどい口内炎も、リウマチの薬の副作用であることは明白である。


わたしは、今日、いつか、指が固まって、
イラストが描けなくなる日が来るのかもしれない、と思った。

リウマチの酷い時に書いた文字は、乱れまくって尖った字で、
今やっと少し、まともな文字が描けるようになったのに。

作品には、繊細な月や星の図柄を、細い面相筆で描いているが、
それも、出来なくなる日が来るのだ。

やっと、最後にこの仕事をまた、とやり始めたのに、
先の見通しは、決して明るくない。


夫のお姉さんも、「隠れリウマチ」だったことがわかった。
痛みがあったのに、数値に出ない種類のリウマチが存在していて、
お姉さんは、それだったのだ。
もう70歳なので、「この年齢になってしまうと、もう治せない。」と言われたそうだ。
わたしはまだ50代なので、ドクターが焦って治したがるのがわかる。

いつか、好きなことが出来なくなる。
こんな進化した世の中でも、治せない病気はある。


けれど、若い頃に持っていた、勢いや集中力や、
裸眼での繊細な作業は、今は無理になったが、
あれから色々経験して、知恵は増えている。
描けなくなったら、描かなくても美しく見えるものを、作ればいいのだ。

デザイナーになりたかったのに、
聞いてももらえず、話し合いすらなく、就職するしかなかった自分が、
必死に吸収して、自分の力で、クラフトデザイナーになった。
美大に行っていないけど、現場で培った技術と情報がある。

自分でつかんだ仕事なのだ。
儲けるつもりはない。
自分の、アイデンテティーとして、続けたいことなのだ。
わたしから、創作を奪ったら、何も残らない。
生きている意味なんてない。

だから、指が固まったら、その時は、
固まった指で作れる何かを、作るよ。
知恵はあるよ。きっと何かはやれるはずだよ。
そのために、必死に勉強したんじゃないか。


指の痛みなんて、大したことはない。

ざっくり切り付けられた、心の痛みに比べたら、
ただ、痛いだけだもの。
何とか生きていける。

でも、やれるうちにやりたい。
指が動くうちに、
わたしは、細く美しい三日月を、作品に描きたい。
尾を引いて流れる流星を描きたい。

それが自分の、生きている証だから。
それが「わたし」だから。

                                         伽羅

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ムギはかわいい、サクラもかわいい。

体調が良くなって、食べるものが美味しく感じる。
気管支炎と、舌先のデキモノで、寝込んで一週間。
ろくに食べられなかったのに、
たった1キロしか減らないという、肝の座った、この肉体。

女性って、二通りの太り方があって、
ふわっ・ぽちゃ、としている方と、
わたしみたいに、ガッチリ・ミッチリ太っている筋肉質の人。

今のマッサージ師さんにたどり着くまで、長年放浪したが、
どの店に行っても必ず、
「うちの店に来た人の中で一番硬いです。」と、言われる。
「すごい筋肉量なんですけど、柔道やってたんですか?」と聞かれたこともある。
やっとるか~い!
スポーツ出来る体なら、こんなことになっておらんわ!

今のマッサージ師さんは、華奢な女性で、
でも、編集者という華々しい仕事を捨てて、
人を喜ばせたくて、こっちの仕事を選んだという人だ。

色々心得ていて、実に巧みである。
心もこもっていて、最上級。

それまで、「背中にまな板入ってますよ?」と言われていたわたしだったが、
彼女はわたしを揉む前には、充分にエネルギー補給をし、
ストレッチもして、待っていてくれる。
ありがたい。

前回は気管支炎の始まった時に行ってしまったので、
途中咳き込んで辛かったが、
今日は体調は万全。
しっかり丁寧に、ほぐしてもらえた。
ああ、極楽。

帰りに、普段行かない方向なので、ホームセンターに寄って、
普段歩かない道を家に向かっていたら、
猫に呼び止められた。

サクラだった。

サクラは、ムギの妹だ。
なにせ、顔がおんなじで、ただ、ムギを一回り小さくして、
左耳にカットが入っているだけ。

サクラはわたしを知っていて、それで呼び止めたのだ。

「サクラ、久しぶりだね! 元気そうじゃない。」
わたしは声を掛けながら近寄って、荷物を地面に置いた。

わたしがこの道を通る時は、駅に行かない用事、つまり電車に乗らないので、
簡素なショルダーバッグである。
そこに、サクラに会った時用に、シーバを持っている。
「サクラ、シーバ持ってるけど、食べる? あげるね。」

わたしがしゃがんで、手にシーバを乗せて差し出すと、
サクラはちょっと身構えた。
「そっか、手から食べるのは怖いのね。じゃあ、ここに置くから、どうぞ。」

シーバを数粒置いて、わたしが一歩下がると、
サクラは一歩出て来て、シーバを拾って食べた。

毛並みがツヤツヤしていて、ふっくらしているから、
誰かに世話になっていることは間違いない。

でも、ここまでの美猫で、なつっこいのに、
何故誰も飼おうとしないんだろう?

わたしを覚えていて声を掛けて来るくらいだから、頭もいい。

うちだって、最初、ノラ猫が7~8匹、一斉に現れた時、
最初に鉄砲隊で来たのが、サクラだったから、
余りにも可愛くて、サクラを捕まえて飼おうよ、と、
夫と話したのだ。

その時、サクラはもう充分餌をもらって、
わたしが洗濯ネットを取りに行っている間に、しゅるしゅると逃げてしまった。

それを、階段の下でじっと見つめていたのが、ムギだったのだ。

そして、翌日から、夫をターゲットにして餌をねだったのは、
サクラではなく、ムギになった。

ムギは必死で、怖いから、シャーッ!と口では言うものの、
「他意はありません、餌をください!」と、必死にお腹を見せて、
敵意がないことを知らせていた。

そんなムギが可愛くて、色々あって、今は母屋の庭とガレージで主として暮らしてる。

サクラに鉄砲隊をさせておいたのに、
後日サクラが来ると、ムギは容赦なく怒って追い払った。
サクラは、にゃ、にゃ、と小さく鳴いて、
ねえ、ちょっとだけ、いいじゃない、とまとわりついていたが、
ムギは頑として許さなかった。

ムギが命がけで手に入れた住処だもんね。

サクラは可愛い。
今日はサクラの写真がいっぱい撮れた。
本当にムギにそっくりだけれど、声はムギの方が可愛い。

写真を撮って、サクラと喋っていたら、
路地に人が入って来て、見られたので、わたしは、立ち上がって、
なんにもしてませんよ~という感じで、立ち去ろうとした。
その女性は、
「トマト!」と呼んだ。
すると、サクラが、にゃっ!と返事をして、その人のほうへ駈け出して行った。

あの人が、サクラを世話してくれてるのか。
トマトっていう名前なんだ?
でも、なぜ、家で飼わないんだろう?
やはり、ムギと同じで、生粋のノラで、
家に入れられることを良しとしない子なんだろうか。

でも、サクラがトマトになって、イキイキと暮らしていて、
良かった。
とても元気そうだった。
あの当時にいた、他の、ムギを襲いに来ていた猫たちは、
もう全然、見かけなくなった。
完全なノラ猫の寿命は、平均で4年と言われている。
ムギと会ってからもう4年経つので、
奴らは、可哀想ではあるが、淘汰されたのだろう。

夕方ムギとラブラブした。
ムギは可愛い。とても甘い声。
この声で鳴かれたら、たまらん。
ムギもツヤツヤしていて、元気そうで、嬉しい。
ちまよりもツヤツヤしている。

みんなが長生きできますように。

ちまも、ムギも、トマトも。
元気で長生きして欲しい。

                                           伽羅

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猫に頼っちゃダメなのに。

わたしが調子を崩し、寝込むと、
ちまは寄り添ってくれる。
仮眠するときには、タオルケットの中にもぐって来てくれる。

でも、ちまは、わたしの具合の悪さを、吸い取ってくれてるんだ。
だからいつも、わたしが寝込んで、そろそろ良くなったな、という段階で、
ちまが体調を崩す。

今回もそう。
でも、ちまが吐いて苦しんでるのを見るくらいなら、
自分の具合が悪い方がマシだ。
寝ていることも出来るし、薬も飲めるし、病院にだって頑張れば行ける。

でも、ちまは、具合が悪いって言わずに黙って寝ていて、
わたしが起きるまで耐えていて、
起きたら、食べなかったり吐いたりして、やっと気づいてもらえる。

そんなの、嫌だ。

だからいつも、ちまには、
「ちま、ママの病気、吸わないで。ママは大人だから、何とかするから。
ちまの具合が悪い方が、辛いんだよ。」と、
言い聞かせている。

昨日の夕飯のあとも、ちょっと具合が悪くてベッドに横になっていたら、
ちまはもぐって来て、わたしの立てた膝の下で、うごうごしていた。


でも、今日はお互いに元気。
ちまも食欲が戻って、欲しがってばかり。
吐かないように、少量ずつ、何回にも分けて餌をやってきた。
でも、わたしは明日、出かけてしまう。

長い時間のお留守番、久しぶりにさせるけど、
大丈夫かな…。
夕方、夫が餌をやって、様子を見てくれるというので、助かった。


具合が悪くても、わたしは創作がしたい。
それはわたしの、生きている証だからだ。

いろいろ理由はあれど、それを阻もうとする夫。

もう、迷惑はかけないように、ちゃんと考えてやってるのに。
成長を認めようとはせず、わたしを抑圧することを常に考えている人。

座敷牢のように、ただここにいればいいのか。
わたしの生きる意義をなぜ潰そうとするのか。

わたしは、夫がどこに行こうと、どんな団体の活動に行こうと、
何を見に行こうと、それが女性と二人でだったとしても、
一切、とがめたことなどない。
だって、それは夫の望む世界であって、わたしには関係ないから。
それぞれ、世界を持っててもいいんだもの。

好きなものを見に行き、好きな本を読む。
相手に強要しない。
協力することはやるけれども、世界を共有はしない。

それがわたしの幸せ。


明日は、自主製作映画を観てからのトークショーに参加。
仲間の子と一緒に行く。

灼熱地獄らしい。
会場が駅から遠いので、バスに乗りたいと、
彼女に伝えて調べてもらってある。
若い友達はいいねえ。

ここ数日で、作品も作れた。
ショップにUPしたので、良かったら見てやってください。


この酷暑。いつまで続くんだろう。
日本は一年の半分が夏になってしまうのか。
熱いのが嫌いなわたしには、地獄だ。

外でお仕事をしている方に頭が下がる。
扇風機付きの作業着を着て欲しい。

みなさまも、体調にはお気をつけて。

                                            伽羅

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悲しいことだね。

一週間、具合が悪くて、寝たり起きたりしていた。

咳はすごく苦しいし辛いが、
舌先にデキモノができて、それが痛くて、
食べたら痛いのではなく、何もしていなくても痛くて、
そっちの方が精神的にダメージが大きかった。

昨日、久しぶりに出かけて、買い物をして、
シャワーして洗濯して夕飯作ったら、
もうダウン寸前。

まだまだ、体は治りきっていなかった。

ちまが、また調子を崩している。
わたしが寝込むと、ちまは、邪気を吸ってくれるのか、
わたしが治りかけた頃に、必ずひどく吐いたりして、調子を崩す。

一昨日、ものすごい量の液体を吐いて、
今日もまた吐いた。

ちまには、「ママの病気を吸っちゃダメだよ。ママ、大人なんだから、何とかするからさ。
ちまの具合が悪い方が辛いんだよ。」と、
言い聞かせてあるのだが、
今日も吐いてしまったので、辛い。

お姑さんを、今、ショートステイに預けているので、
夫も娘ちゃんたちも、楽だと思う。
でも、夫は不機嫌なままだ。
つまりは、いつでも不機嫌な人なのだ。

夫に言われたことに対して、
そう言われたのは初めてだけど、どうして?と、尋ねたら、
反抗的だと怒られた。
質問しただけなのに、なんで怒るの?聞いたら、
「ハイわかりました、って言えばいいんだよっ!」と怒鳴られた。
ああ、そうですか、はいわかりました。
そう言ってわたしは帰って来た。

この前も、夕方行ったら門扉が開いててね、ムギが座って門番してたよ、という、
微笑ましかったことを話しているつもりだったのに、
(今はお姑さんが留守なので)うちには、門扉を開けっ放しにする者はいませんよ、と
返事が来た。
なので、そっか、じゃあ、誰か訪ねてきたのかもしれないね、
回覧板は置いてなかったよ、と返したら、
「不満そうなので、じゃあ、次女が開けっ放しで行ったってことでいいです!」
という一文が来て、
それにもびっくりした。

ただ、不思議だね、ムギが門番してて、けなげだったよ、って
話したかっただけなのに。
どうしていちいち、そうやっていきなり怒るのかが、
わたしにはわからない。

穏やかに話し合うことはもう、無理のようだ。
お姑さんのことでストレスが多くて、イラついているのだと思っていたら、
居なくて楽な期間も、こんな感じなので、
何もかもが気に入らないらしい。

そういうのって、自分が引き寄せちゃうんだって、
気が付かないだろうなあ。

それとも、娘ちゃんたちには優しくしてて、
当たれる相手がわたししかいないから、
標的になってるのかな。
そのためにわたしが必要なのかな。

とにかく、悲しい気分だよ。

ユンケル、プレゼントして~?と以前甘えてみたら、
買って来てはくれたが、
しっかり生活費から引かれていた。
プレゼントはもう期待してはいけないようだ。

でも、前触れなく急に料理の差し入れが来るときもあり、
今日も、わたしにかぼちゃを渡しておいて、
わたしが「焼いて食べるね。」と言ってもらったのに、
「かぼちゃ炒め作ったけど食べますか?」って。

いや、カボチャ、昨日も一昨日も食べたし、なんなら今日もカボチャだし。
まあ、事前に聞いてくれたので良かった。丁重にお断り申し上げた。


再婚して10年経って、10年だねえって言った時、
離れてるんだから年数なんか経っても関係ない、って言われた。
そうですか。
でも、その圧力のもと、一緒に暮らしてたら、
10年持たなかったと思うね。

何でも自分が一番で、自分だけが正しくて、人を見下してる。
確かに優秀な人材だと思うけれど、
人の心を傷つけて、優秀でもねえ。

なんとか、もう少し楽しく暮らせる方法はないのだろうか。

質問しただけで反抗的だとキレられて、
もう、話の内容がどうであれ、はいはい、わかりました、って、言っておけばいいのかな。
極論、そうなるよね。

来世では、先妻さんと添い遂げられるよう、
わたしも祈っておくね。
あの人だったら良かったのにね。
あの人しかダメなんだろうにね。

もう辛い。

しんどいよ。

ビクビクして暮らす人生ばっかり。

                                          伽羅

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