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12時間睡眠。

もともとの性質と、病気とが合わさって、
根をつめやすく、
区切りのつけ方がわからない。

病気由来ではない、と言っていいのか、
それとも、生まれた時から病気だったのか、
どちらかは、わからない。

保育園に通っている頃、
つまり3歳児当時、
わたしは、いくらトイレに行きたくても、
今やっているお絵描きをやめられなくて、お漏らしをした。

途中でやめるタイミングが、わからないのだ。

それで、しょっちゅうお漏らしをして、
お寺がやっている保育園だったのだけれど、
そのお寺のお姉さんの大きいパンツをはかされて帰って来る。

すると母が、「また〇〇ちゃんのパンツはかせられとるやん!」と、怒る。
いやいや、しょっちゅう漏らすんだから、
替えのパンツを、持たせておいてくれよ。

保育園ではお昼寝の時間があったが、
わたしは当時から不眠で、
みんながすやすや寝ているのに、眠れずに悶々とし、
やっと、ウトウト…とし始めるタイミングで、
けたたましく音楽が鳴って、起きる時間になる。
みんなはわーっと起きて、トイレに行ったり、遊んだりするのだが、
やっと寝付いたところを起こされたわたしは、ものすごく不快で、
あの、起きる時に鳴る音楽が、今でも大嫌いだ。

それは、「トルコ行進曲」だと、小学生の高学年で知った。
大嫌い。


今も、制作をしていると、
ある程度のところまでやっておかないと、
無駄になってしまうことが起きるので、根を詰めがちなのだが、
やっと、ペースを落とし始めることが出来てきた。

自分にとって、本当に大事なことを、忘れてはならない。

制作をすることは、それがどの種類であろうと、
粘土だろうが、石だろうが、紙に字を書くことであろうが、
こうして文章を書くことであろうが、
それはわたしにとっての、アイデンティティーである。

世の中には、発信したい人と、
受けたい人の、両方がいて、成り立っている。
わたしは、常に発信者でないと、生きて行けない体質なのだ。

上手い、下手を問わず、
何かを発信していないと、わたしは、わたしではいられなくなる。

ただ、その分量のコントロールがなかなか難しいだけであって、
それは、自分で気をつけて、
抑えて行かないと、と考えている。

もっとやっておきたい、と思っても、
そういう自分に「いや、今日はここまでにしよう。」とブレーキをかける、
それが出来ないと、続けることはできない。


夕べ、夜中早めにムギに会いに行ったが、
時計を持っているムギにとって、早かったせいか、
帰って来てはくれなかった。

朝、夫がケアをしてくれた。

今日の夕方行くと、待ちかねていたようで、庭から鳴きながら出て来て、
待ってたよ、会いたかったよと、甘えてくれた。

そういう時間を、大事にしないと。
この子たちとの時間には、限りがあるのだ。
後悔のない別れなんて、ありえないが、
なるべく一緒に居られるようにしないと。
それが自分のためになるから。

夕べはムギに会えなくて、部屋に返ってちまをブラッシングし、
一緒に寝た。
今、ちまは。わたしの顔の真横で寝てくれている。

夏用のベッドもあるのだが、
気が付くと、わたしのベッドで、寄り添って寝ていてくれたので、
枕の横に、小さいベッドを入れ込んだら、
毎晩、そこで寝てくれる。

眠りが浅くなった時に触れると、ふわふわしたものがある。
それはとても幸せなことだ。
ぜいたくだと思う。


昨日は、作りものが、想像したようには出来ないことがわかり、
がっくりして、早めに寝たのだけれど、
今日は何度、ちまに起こされても、どうしても起きられなかった。
うん、わかった、ごめんよ、ちま、起きるね、と言いながら、
全然起きられず、
延々、12時間も眠った。

ちまに申し訳がなかった。
空腹を抱えて隣で待っていてくれた。
こんなに起きられなかったのは、久しぶりのことだ。



粘土の制作を始めたのは、息子がまだ幼稚園に入る前だった。
その時は、ただ、穴の開いた玉を作って、ゴムに通して髪を縛ったり、
ブローチを作ってみたり、
息子と一緒に作ったりしていただけだったが、
売れるものを作り始めたのは、その5年後くらい。
離婚してからのことだ。

25年前。

その時から、デザインに苦しんだことはない。
デザインが良すぎて、自分に作る技術がないことはあったが、
デザインが浮かばないことは、なかった。

さて考えましょう、といって描くときより、
なにかのついでに、さらっと描いたデザインが優れていて、
逆に再現に困ることはあったが、
今も、作りたいものは山のように脳内にある。

でも、体力も気力も、本当に少なくなった。

一過性ではなく、長く愛してもらえるようなものを、
シンプルなのに、惹かれる、ってものを、
作って行きたいと思う。

それで一儲けしようとかは考えていない。
ただ、作りたいし、それを気に入ってくださる人がいるのだとしたら、
お届けしたい。
だから、値段も、24年前と同じに設定しているのだ。


わたしがわたしであるために。
わたしが、なりたい自分になるために。
わたしにしか生み出せないものがあるのなら、
それを出すために。


ゆっくりね。
無理をしないでね。
じっくりね。


                                            伽羅moon3

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