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人生の醍醐味!

前回の続き。

美容師さんを失って、わたしには雑談をできる相手がいなくなった。
それが結構、こたえる。

月に5~6回は会って喋っていたのだから、
ごく些細な話をする相手を失い、
わたしは途方に暮れている。

美容師さんとは本当に親しくて、何でも話せていたのに、
寂しくてたまらない。

でも、これが、人生のステージが分かれて行くということなのだろう。
いくらこちらが好きで、いくらこちらが会いたくても、
向こうにはもう、違う世界が広がっているのだろうから。

頑張ってるかな、大丈夫かな、と時々…しょっちゅう、思うけれど、
わざと、メールもしていない。


マッサージ師さんとは、話してて楽しいが、
困ったことに、わたしは、喋りたくもあるけれど、
彼女の卓越した施術をしっかり無言で受け止めたいのだ。
なので、首や肩を始めたあたりで、ちょこちょこと話して、
彼女が台の上に立って、わたしを踏み始めたら、もう、無言。

それでも先日はいっぱい喋れたほうかな。
ぐい飲みが割れていたことで、ムギの話も出て、
そうだよねえ、と思っていると、彼女が自分の話をしてくれた。

彼女は、お裁縫をする人。
刺繍も大好きらしい。
クロスステッチとか、永遠にやりたいと言っていた。

それは子供のころから好きだったそうで、初めて、親にどうしても、とねだったのが、
セルロイドのお針箱だったそうだ。

えーと、平成生まれの方は、セルロイドもお針箱も、通じませんね。

プラスチックが全盛となる前の昭和に君臨していた素材。
熱に弱いのが難点で、柄は、緋鯉の柄を思い浮かべてみてくだされば、
イメージが近いかな。
筆箱も、ソーイングボックスも、おもちゃも、
プラスティックが導入される前は、セルロイドで出来てたのだ。

その、彼女の大切なお針箱。
大人になってみると、ちょっと小さすぎて、針箱としては使えない。
布を切るラシャばさみが、入らないのだから。

でも、大事な箱なので、大事に取っておいたそうだ。

あるとき、あれ?これはもしかして…?と、
彼女は、そのセルロイドの箱に、
ご祝儀袋を、入れてみたそうだ。

そのとき、「ああ~! これだあ!」と、一人で万歳をしたらしい。
サイズが、ピッタリだったのだそうだ。
祝儀袋と、不祝儀袋を、重ねて入れると、
水引細工の部分で、中央が盛り上がる。

でも、そのセルロイドのお針箱は、ぷっくりと中央が盛り上がった形なのだ!
わかるわ~!とわたしも声をあげた。
わたしも箱フェチで、いい箱は取ってあって、
何かを入れて渡したり、引き出しの仕切りにしたり、
枕元にも、携帯やウォークマンがベッドと壁の隙間に落ちないよう、
箱を設置してあって、そこに携帯2つ(一つはアラーム用)と、
充電器と、巾着に入れたウォークマンを入れている。

彼女は、祝儀袋だけでなく、ちょっとした手紙に使うポチ袋や、
筆ペンも入れたら、
ああ、まさしく、この日・この時のために買ったのか、と思うぐらい、
フィットして、嬉しかったそうだ。

うんうん、わかる~。
箱を組み合わせてうまく行った時とか、たまらんのよね~。


それでわたしは、ムギの話に戻った。

「わたしの体にはいつも触れているからわかっているでしょうけど、わたし、ひどい、
O脚でしょ? この形状のせいで、早く走れないし、負荷がかかって、疲れやすいし、
痛めやすいんだよね。
見た目も悪いでしょ。わたしね、母に、このO脚のこと、どれだけ馬鹿にされたか、
わからないのよ。母はわたしより小さいけれど、確かにO脚ではなくて、
これは父方に似たの。」

「こんな脚で、損ばっかりで、いいことなんて何一つなくてね。
自分の体で、ここはいいでしょうって箇所が、ないんだ。」

「でもね、ムギと出会ってね、わたしがムギの床に脚を伸ばして座っていると、
ムギが、脚に乗って来てくれるのね。
するとね、わたしのO脚のへこみと、ムギのふっくらとした体のフォルムが、
ピッタリ、一致するのよ!」

そう、ムギがわたしの脚に乗ると、
わたしの開いた脚の隙間に、ムギのふっくりとしたお腹が入り込み、
長さと言い、深さと言い、これ以上の相性はないんじゃない?と思うくらいの、
究極のフィット感なのだ。

ムギが乗ってくれているほうが、気持ちがいいのだ。
みっちりと満たされて。

ああ、50年あまり、この脚で生きて来て、母親にすら馬鹿にされて、
自分も疲れやすくて、一つもいいことなかったけれど、
ムギと出会って、ムギが乗ってくれるようになったとき、
なにこのフィット感!って、びっくりしたよ。

お互いが気持ちよくなっちゃって、
お互いに寝ちゃうこともあるよね。


そんな話をした。

長生きがしたいとは思わない。
90歳まで生きて息子に面倒をかけたくはない。

でも、長く生きていると、こんな風に、ふと、何かが「符合する」ことが、
起きるんだね。
それこそが、人生の醍醐味なんだね。


わたしには、今後、自分のまいた種を刈り取る時期がやって来る。
その時に、いい符合があるような人生だったらいいなあ。

ある日ストンと腑に落ちる。
これが、醍醐味。

                                         伽羅moon3

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