« 優しい人とはだれなのか。 | トップページ | 本意が見えない。 »

薔薇の箱。

ホワイトデーが終わると、
ネットの広告には、ゴールデンウィークと共に、
「母の日」が、燦然と姿を現してくる。

わたしは、苦しい。

母の日が、とてもとても苦しい。

一生苦しい。
いい思い出なんて一度もない。
闇歴史だ。


18歳で働き始めて、最初の給料をもらうのが、
5月の15日だった。
だから18歳のわたしには、その年の母の日の前、お金がなかった。

なので、母の日に、800円のマグカップを買って、
ちゃんと渡した。
母は、開けて見て、フン、と言って、
食器棚の奥に、それを入れた。

その月末に、何か他ののことで母と言い争いになった。
いつものことだ。
いつも、母は理不尽なのだ。

そのとき、こう言ったのだ。
「そういえば、アンタ、母の日に何にもしてくれへんやったな!」

わたしは、マグカップを、あげたのだ。
「あげたじゃない!」
そう言うと、母は、
「あんなもんで、ごまかすつもりかっ!」と、怒鳴った。

あんなもん?
あんなもん?
ごまかす?



わたしが行っていた高校は、進学校だったので、
三学期になると、みんな受験のことで一杯で、
授業に出て来なくなる。
実質、お休み状態だ。
かと言って、わたしは家にはいたくないし、
校則では禁止だけれども、この高校を出てすぐ就職をする子はいなかったので、
わたしは担任の先生に事情を話した。

自分は就職するが、それまでの二カ月半、授業は行われないし、
その間、バイトすることを認めて欲しいと、言ってみた。
担任の先生は、社会勉強になるからいいでしょう、と許可してくれたので、
わたしはファストフードの店で働いていた。

時給は当時、たった430円だった。
でも、コツコツお金をためて、それで、就職の、入社式に着るスーツや、
バッグや、財布や、化粧品を、自分で買い揃えた。

親に、買ってやったと言われたくなかったからだ。

だから、最初の給料がもらえるまで、お金がなかったのだ。



結婚してからは、両方の親に贈り物をしなくてはならず、
苦しかった。
前夫とは職場結婚だったので、給料日は、
月末締めの、翌月15日払い。

5月のGWあたりは、もうお金が無くなりかけて来ているけれども、
息子を連れて動物園くらいには行きたいし、
ちょっと外食くらいしたいし、
そうすると、母の日の買い物をするときには、
残金が、ほとんどないような状況だったのだ。

当時はクレジットカードなんてものもなかった。

本当に毎年、苦しかった。
でも、「あんなもん!」と言わせないために、わたしは必死に頑張って、
デパートで倒れるまでの期間、
ずっと意地でも、贈り続けて来た。

再婚してからは、夫が花を贈ってくれるようになり、
母はやっと、上機嫌になった。


わたしが、最後にあげた母の日のプレゼントは、
漆ではないが、漆塗り風に見えるウレタン塗装の、美しい桜の柄の、
黒い、文箱だった。
ネックレスを入れたりしたら、綺麗だろうなと思った。

でも、母の日がトラウマなわたしは、どんどん気分が悪くなった。

それに決めて、デパートで送り状を書くとき、
わたしはもう、立っていることができずにしゃがみ込み、
店員さんが椅子に座らせてくれた。
震える手で、何とか送り状を書いた。

そして、帰宅して、吐いて、下して、二日間、寝込んだ。

母から電話があって、
「なんやこんなもん、何に使うんやって、お父さん言っとったわ。」
だった。



さかのぼれば、わたしの母の日のトラウマは、
小学生の時にもう既に形成されている。

貧乏だったので、お小遣いは100円とかしかもらえてない。
何かを買って渡すことは不可能だ。

作るしかない。

7歳のわたしは、色紙を折って、くるくる撒いて留めて、
切れ込みを入れて開き、お花に見立てたものを、いくつか作った。
いろんな形に切り抜いた、色とりどりの色紙も、用意した。
大事に取ってあった金色の色紙も、奮発して使った。

その当時から、今もだが、
わたしは「箱」が大好きで、綺麗な箱が欲しくてたまらなかった。

でも、平社員の父には贈り物も届かないし、
わたしがその時持っていた、一番お気に入りだったのは、
薔薇の写真の、石鹸がいくつか入る、紙箱だった。

これは、一番のお気に入りだったが、
わたしは、母に、喜んでもらいたかったので、
思い切って、その箱を使った。

中に、色紙で作ったお花と、切り抜いた色紙片を入れて、
「おかあさん、いつもありがとう。」と書いた紙も入れて、
母に渡した。


その時の母の様子をなぜか、覚えていない。
きっと、いい態度ではなかったはずだから、
わたしが記憶をシャットダウンしているのかもしれない。

だが、その二日後、
わたしは、その「薔薇の箱」が、
お風呂の焚きつけに使う、新聞や広告と一緒に、
ゴミ箱に、無造作に捨ててあるのを、
見た。


捨てられた…。
燃やされる…。


わたしの記憶はそこでストップしている。
その後、働きに出た18歳までの母の日を、
どうやりすごし、どう心を守ってきたのかが、
記憶にないのだ。



そうだよね。
不器用なわたしが作った、あんな色紙の花。
綺麗でもなんでもないし、
母にとって、「薔薇の箱」だって、何の意味もない。
ただの、焚きつけに使う紙類でしかないのだ。

そうだよね…。

わたしはその悲しみとともに、ずっと生きて来た。



わたしは息子が買ってくれた母の日のプレゼントは、
全部取ってある。
キティちゃんの半透明の化粧ポーチを買ってもらった時は、
すごく嬉しかった!

お金がない時は、絵や手紙をくれた。
もちろん、全部取ってある。

息子が結婚した時、わたしは、彼らを苦しめたくなかった。
だからこう言った。
「母の日とか、誕生日とか、わたしは、プレゼントは一切いらないよ。
でも、会いたいから、いつでも、会える時に、会って欲しい。
それだけが願いなの。」


わたしは、今も、綺麗な箱を、集めている。
だれにとがめられることなく、
好きな箱を取っておいて、
飾り棚の段差に使ってみたり、引き出しの小物を分けるのに使ったり、
誰かになにかを差し上げる時に使ったりしているが、
ただ、好きで持っているものもある。

あの「薔薇の箱」
悲しい思い出。
わたしのトラウマ。

                                          伽羅moon3



 いつもお読みくださり応援ありがとうございます。クリックお願いしますclover

|

« 優しい人とはだれなのか。 | トップページ | 本意が見えない。 »