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信頼されることではないか?

色んな人間関係があるし、
うちには、猫と人間の関係もあるけれど、
最も重きを置くべきは、信頼できるかどうか、ではないだろうか。

家族を信頼できないことは、悲しいことだ。

わたしは、自分の生まれ育った家を、自分の家と感じたことがなかった。
ここは、父と母の家で、自分はお荷物、だと思っていた。
一人娘だったけれど、
婿を取るとか、近所に住むとか、
考えたこともなかった。

一人娘であることについては、わたしには責任はなく、
すべて親の都合でしかないのに、
長男とは結婚するなと、遠くに行ってはならないとか。
言われる筋合いないし!と思っていた。

わたしが帰宅すると、母が、自分がその日にやった家事を、
一個一個、報告する。
アンタの家なんだから、そりゃやって普通でしょうよ、
なんでいちいち、報告するの、と思っていた。

わたしには手の汚れる、めんどくさい作業ばかりやらせておいて、
自分だけ華々しく料理したような顔をして、
裏で働いていた、叔母やわたしの苦労なんてまったくなかったもの同然だ。

なのに、「やってやったのに、お返しと言うことを知らない。」と、
叔母のことを批判してばかり。
自分の妹なのに、なんで悪口言うのかな。
妹なんだから、やってあげられることを、やってあげればいいじゃん。

自分で、わたしの前に生まれるはずだった兄を殺しておいて、
「アンタが息子だったら、お嫁さんもらって、家事から引退できるのに。」
とか言いやがったから、
「お母さんは、絶対に無理だよ。自分のやり方しか認めないじゃん。
お嫁さんの料理なんて、ケチ付けて絶対食べないよ。」と言ってやった。
そーんなことないわよー!と言っていたが、
母は自分至上主義だ。
人の料理を褒めることなんてありえない。

だからわたしは実家に行っても一切料理はしなくなった。
本人が、口に合わなくて、まずいと思うなら仕方がないが、
いつも「お父さんが、まずいなあって言うとったで。」と、
そういう言い方をする。

なにせ、小学生のわたしが、初めてサラダを作る!と言って、
おぼつかない手つきでやっていたら、
「お母さんもサラダ作ったわ~。」と、
自分もサラダを作るような、ひどい人なのだ。
わたしのがまずいに決まってるじゃないか。

熱を出して怒られ、
日曜しか休みが無くて、毎日残業で疲れ果てて昼まで寝ていては怒鳴られ、
早く、どうにか、ここから逃げなければ!と、いつも思っていた。

会社の寮に入ることを画策したが、
「絶対に許さへんからな!」と阻止された。
二十歳過ぎても、友達の家に泊りに行くのさえ、禁止された。

もう、馬鹿なんじゃないの?
書いててあきれるわ。
あほくさ。


具合が悪いと怒られるので、
黙って寝ていると、
仕事から帰って来た母に起こされる。
なんで起こすのよ、と聞いたら、
「親が働いて帰って来たのに、寝とるとはどういうことや!」と怒鳴られる。

具合が悪い時だってあるよ。
いやむしろ、ずーーーっと具合が悪い人生だよ。

社会人になって、自分の保険証を持つようになってからは、
こっそり病院に行けて、助かった。


具合が悪いの、と甘えることが出来ない。
信頼して何かを頼むことが出来ない。
そういう家庭だったのだ。

最初の結婚でもそうだった。

だから、今、夫に頼れることは、ありがたいことだと思っている。


お姑さんの春服を、そろそろ用意せねばと思い、
通販カタログに、良さそうなページに付箋を貼っておいた。

金曜日に夫とそれを見て、
更に、夫がお姑さんのタンスの中を、本人立ち合いのもと確認したのだろう、
着られるものが、ほとんどないことがわかったらしい。

さっきメールが来て、着られる春物がないから、
急ぎ注文して欲しい、とのことだったので、
わたしのチョイスで、選んで、注文した。

こんなふうに、信頼されて、任せてもらえると、それはそれで嬉しい。
介護のお手伝いも、話し相手もできないけれど、
見えないところで役に立てるなら、嬉しいと思う。

入院する時に、お姑さんのタンスを開けたら、
どの引き出しも、全部、お姑さんが編んだニットばかりだったのだ。
あとは、卓球をやっていらしたので、スポーツウェアしかない。

骨折で緊急入院し、リハビリ病院を経て、3カ月半くらいで戻っていらした。
その後、動くことがなく、
食べる量も増えたので、
Sサイズだったはずなのに、ズボンがLLしか入らなくなってしまったのだ。
なので、秋になってから急いで冬服を買った。

通販カタログが届くと、自然に、
自分がいいなと思うものと、お姑さんにいいなと思うものを、
選んで、色の違う付箋を貼ってしまう。

わたしは、「見立ててあげる」ということが、
どうやら、好きらしい。

弁護士Zと親しく交流していたときには、
彼女の服やバッグも見立ててあげて、
家を買った時には一緒にカーテンまで選んで、楽しかったな。

センスを信じてもらえて、任せてもらえたことで、
わたしは、幸せの、おすそ分けをもらっていたんだね。

彼女が30万のシャネルのバッグを買った時、
わたしは、別に、羨ましいとか妬ましいとか、感じなかった。
似合うものを見立ててあげられた喜びが、大きかったのだ。

役割りを担うことはしんどいことかもしれないけれど、
それがないと、生きてく意味もわからない。

わたしは、みんなから見えないところで、
少しだけ、頑張っている。

嬉しいということは、信頼をされることではないだろうか。

                                           伽羅moon3



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