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ただひたすらのグレー。

今テレビでやっている、女性刑務所のドラマを見ている。

まあ、かなり誇張されているし、ちょっとこれはないよね、ってことも、
知ってるだけに、気になるところではあるけれど、
わたしが思うのは、刑務所では、犯罪者は、
更生しない、ということだ。

出所したら、なんらかの仕事に就けるよう、
作業を教えてもらえたり、資格が取れたりすることは、いいと思う。
けれども、なんじゃこれは!みたいな、作業も当然あって、
日本国内で、最も安い時給で、モノが作られている。

時給は、数十円なのだ。

それでも、拘置所に比べたら、
刑務所は、全然楽だと思う。

まず、人と話す機会がある。
窓があって外が見える。
作業が与えられて、毎日働ける。
外で運動したり、みんなで慰安ショーを見たり、
映画を観たりできる。

クリスマスにはケーキが、お正月には簡素なおせちが出る。

わたしから見たら、刑務所なんて、昭和の学校みたいなものだ。


ホリエモンこと、堀江貴文さんが言っていた。
東京拘置所にいる期間が、最も辛かったと。

そう、刑務所は、拘置所から比べたら、
気楽なものなのだ。

わたしは、東京拘置所しか知らないが、
おそらくは、あそこが、日本一厳しく、
日本一強固な拘置所だろう。

それは「要塞」と呼んでいいと思う。

まず、拘置所に入れられると、個室しかない。
全く話し相手がいない。

そして、窓はあるが、はめ殺しである上に、浮いた隠し板で覆われていて、
隙間から、光がちょっと見えるだけにすぎず、
天気も、気温も、季節も、何も想像のしようがない。

取り調べが終わり、本人が罪を全部認めるまで、
誰とも接見・面会は出来ない。
取り調べは、一日に何時間も行われる。
最長で3週間の拘留と、接見禁止が認められている。

面会が禁止なので、基本は誰も来ない。
着の身着のままで、寝る時もそのまま。

しかし、実は接見禁止中でも、差し入れが可能であった。
わたしは途中でそれを知った。
急いで暖かい下着を差し入れた。

そこに拘留されていると、誰かが知ってくれて、
しかも、わざわざ、あの荒涼とした、小菅という地に足を運び、
差し入れをしてくれないと、
着替えすらないというわけだ。


取り調べが終わり、罪状が決定すると、
やっと面会が解禁になる。
ホームページなどでは、一回30分以内、と書かれてあったが、
実情は、たった10分だった。

抗議したが、この東京拘置所は、多くの面会人が来るため、
刑務官の時間を回せないので、
10分が限度だと言われた。
容疑者自身は、やることもなく、暇を持て余しているのに、
面会は、一日に一組のみ、
時間はたった10分なのだ。


東京拘置所は、一面が、ただひたすら、グレーであった。

記憶しているのは、あの冷たいグレーだけなのだ。

入館するのは厳しく、
バッグはロッカーに入れて鍵を持ち、
そのほかに持って面会したいものがあれば、
ゲートで全部トレイに出して、手帳は中まで入念に見られる。

それが済むと、長い長い、グレー一色の廊下を歩いて行く。
窓はあるが、足元に、ちょこっとはめ殺しのガラスがあるだけで、
全く、外は見えない。

長い廊下を歩いて、エレベーターホールに着く。
そこは屋上がヘリポートとなっているらしく、
エレベーターが円形のホールに並んでいる。

受刑者によってフロアが分かれているらしく、
わたしが行っていたのは8階だった。

たまに、誰かと乗り合わせることもあるが、
誰も、決して、口を開くことはない。

わたしのように毎日行っていると、やはり毎日来ている人を覚えるが、
決して、声を掛けて話すことはない。

エレベーターを降りたホールには窓があったが、
面会室に向かう廊下は、窓がなく、また一面の冷たいグレー。

面会室にも、全く窓はない。

仕切りのアクリル板が天井までを区切っていて、
テレビのように、真ん中に通話用の穴があるわけではなく、
真っ平なアクリル板の下の方がちょっと隙間になっていて、
下から声が聞こえる。

刑務官は、容疑者のすぐ隣のデスクに陣取り、
会話を筆記具で、記録している。

たまに、口を挟むこともある。


裁判が結審して、刑が確定するまでは、
「容疑者」であって、まだ「受刑者」ではない。

容疑者には、作業も与えられず、運動も屋上で一人きり、
網で囲まれた空間で、見張られながら、15分体を動かすだけ。

テレビと同じで、刑務官のことを「先生」と呼ぶ。



裁判が終わって刑が確定すると、
容疑者は、「受刑者」となる。
その期間は、まちまちで、人によるし、拘置所の都合にもよる。
ある朝、突然言い渡される。

受刑者になると、頭髪を、丸刈りにされる。
長さは、5分刈りと3分刈りがあったそうだ。

女性の場合はどうなるのかは知らない。

そして、面会は、月にたった一回だけになってしまう。
差し入れてあったものは、すべて、領置(一時的な没収)となる。
食品や花は、捨てられてしまう。

受刑者になると、簡単な作業を与えられる。

街で配るティッシュに広告の紙を挟み込んだり、
箱の芯になる紙を折ったりというような、
至極簡単な作業である。

拘置所に居る間は独居なので、作業が終わってしまうと、
一人で待つしかない。


やがて、全国の刑務所に、振り分けられる。

事前に知らされることはなく、ある朝、グループに分けられて、
護送バスなり、新幹線なりで、
刑務所のある街に送られる。

拘置所から、刑務所に行ってしまったことを、
外の人は、知ることは出来ない。

刑務所に入って、色々と調査があり、
部屋とか、作業とかの配置が決まってから、
やっと、一通の簡単な通知を出すことを許可される。
この刑務所に、入りました、という、一行だけの書類。

同時に、刑務所から、身元引受人に対して、
本当にあなたは身元を引き受けますか?という、
問い合わせの書類が来る。

それで、あの地方のあの市の刑務所に入ったんだなとわかる。


刑務所では、処遇が決まっていて、
階級が上がるごとに、可能なことが増えて行く。
わたしが知っているのは、刑務所法が改正される前のことなので、
古い知識だけれど、
最初が4級で、手紙を出せるのは、月に2回。
もらうのは何通でもいいが、出せるのが2回だったと思う。

面会は、月に一回。
刑務所にもよるが、拘置所みたいに10分で終わりということはなくて、
30分くらい会えた。

本人の行いが良く、作業態度や実績が見られると、
3級に上がれる。
すると、手紙は月に4通になり、面会も月に2回が認められる。

2級になると、月に4回の面会ができ、
1級になると、仕切りのない、個室で、
刑務官抜きで、二人で面会ができる。


拘置所とは比べ物にならないほど、外が丸見えだ。
とはいえ、刑務所なので高い木立で外界からは見えず、
お堀もあって、外からも見えにくくなっている。

門を入って行くと、古い昭和の鉄筋の小学校のような雰囲気で、
拘置所の、あのグレー一色の陰鬱な感じが全然ない。

建物に、普通に窓があって、格子がはまっているだけなのだ。

面会のさいの、持ち物検査などなく、
堅牢なゲートもなく、
面会室のドアには窓さえあった。


作業は、まずは簡単な物からあてがわれるが、
のちに、その人の適正に合わせた職場に変えてもらえるようだ。

基本は雑居で、
朝の起床から点検までの短い時間などは、
どうしても小競り合いが生まれて、新参者はいじめを食らうが、
一人入ってくれば、今度はそいつがターゲット。

作業の種類によって、食事の量が決められており、
力仕事をする人は多くもらえる。


外の世界で働いて、
ストレスによって体を壊し、大量の血を流しながら、
新幹線代を稼いでいたわたしに比べて、
中にいる人は、イキイキとし、つやつやとして見えた。

階級が上がって、月に2回、面会が許可されるようになったとき、
月に2回、ちゃんと来て欲しいと言われた。

…その、新幹線代を、どうやって稼げと?


わたしは、糸が切れて崩れ落ち、
坂を転がるように、どこまでも落ちて行った。

こころも、からだも、既に限界を超えていたのだ。



あの当時、東京拘置所は、長い工事をしていた。
まだまだ、建物を八方に伸ばしていたし、
地面も、仮り固めのガタガタのアスファルトで、
工事現場を、歩道橋で渡って、建物に向かっていたのだ。
今はもう、完全に完成しただろう。

駅は、「小菅」という、日比谷線の駅一つのみ。
高架の駅で、いつも風がごうごうと吹き荒れており、
売店もなく、そこもまた、グレー一色の、荒んだ駅であった。

駅を出て、首都高に沿って、延々と道を歩く。
拘置所の正門と、面会の門は違う場所にある。
正門の前を、門番のおじさんに頭を下げて通り抜け、
角を曲がって、また延々と、塀に沿って歩き続ける。

門を入ると駐車場で、それを迂回して歩き、
歩道橋を渡って建物の入り口に入る。

向こう向きに、ソファがずらりと並んでいて、
面会を申し込む窓口、差し入れのものを買う売店、
売店で買ったものではない物や、現金を差し入れする窓口。

自動販売機が2台。


その光景を、見たことがない人は、
幸福な人だ。

限りなく、ただひたすらのグレー。

                                          伽羅moon3


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