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ほらね、ちゃんとおかしい。

(昨日の続きです。)

ムギのところから帰って来ると、わたしは玄関で服を脱ぎ、
帽子やネックウォーマーを外し、
手を石鹸で洗ってから、部屋に入る。

ちまへの、せめてもの心遣いだ。

ムギのところに行くときは、「ちょっとムギちゃん見て来るね」と、
言ってはいるが、やはりムギ臭をあからさまに部屋に持ち込むことは、
ちまに悪いので、そうしている。

で、部屋に入って、カーディガンのポケットから携帯を出して、
テーブルに置いた。
すると、ランプがチカチカ光っている。

あれ? おかしいな。
音もバイブも鳴る設定にしてあるのに、
何も気が付かなかった。

開けて見ると、着信があったというお知らせが、
ショートメール経由で来ていた。

調べたら、わたしの親からの着信だった。

な…なに?

何で、急に、電話?
どっちか、死んだの?


お正月以来、わたしは一切コンタクトをしていない。
当然、電話なんてありえない。

わたしが、魂を削って書いた手紙を、無視されたのだから。
親がわたしを、切り捨てたのだ。

わたしも、この手紙は、相当の覚悟を持って書いているので、
これを受け入れられない、理解できない、
もうお前なんて要らない、ということであれば、
粛々とそれを受け入れます、と書いた。

それに対して、父からはノーリアクション。
母からは、「あれはわたしがもらったお土産だから。」と、
自分を正当化する短い手紙が来たが、
わたしは、無視した。

そして半年間泣いて、
ひっそりと、「娘」を、降りたのだ。

だから、気軽には電話してはこないと思っていた。
だから、死んだのか、と思ったのだ。

時計を見たら、ちょうどぴったり、17時45分だった。
夫の終業の時刻である。
すぐに夫に電話をした。

夫が、「はい?」と出てくれた。
わたしはもう、既にパニック状態である。
「あのね、今ね、実家から着信が続けて2回も入ってた。
わたし、実家からの電話は、着信拒否にしてるから、鳴らなくて、
今画面で見て知ったの。」

すると、夫は、自分には電話はかかって来ていない、という。

夫にかかって来ていないということは、
死んだわけではなさそうだ。

けれど、明らかに絶縁しているこの状態で、
いったい何が起きて、いきなり電話なんてしてきたのか、
悪いけど、あなたが電話して、聞いてもらえる?と、
夫にお願いした。

終業後、本当ならすぐに着替えて駅まで走って、
電車に乗るはずなのに、うんわかった、いいよ、と
夫は快諾してくれた。


ムギと長くいて、空腹だったので、食べようと思って、
パンを温めてたのだが、
一気に具合が悪くなり、ガクガクして、吐き気もした。

なんなんだろう。
なんでいきなり電話なのよ。


15分か20分くらいして、夫から、メールが入った。
走って電車に飛び乗ったそうだ。
一本、見送ったらしいが、次の電車には走って乗ったとのこと。

なんだったかと言ったら、
伯母(父の姉)が、意識不明になり、招集されたのだが、
呼びかけたら意識が戻った、という話だって、とのこと。

なにそれ!

いや、誤解しないで欲しいのだが、
わたしは伯母のことは好きだ。
お世話にもなった。
再婚の時にも、お祝いをくれた。

その伯母は90歳で、そろそろ危ないということは、
時々会う、都内の従姉から聞いて、知っていた。
(その従姉の母親ではない)

だから、危篤になったとしても、ああそうか、もうダメなのかと、
悲しい気持ちにはなる。

でも、意識不明だったけど、目を開けた、って話で、
何で、電話を気軽に掛けて来るのか!

わたしは、腹立たしかったし、夫にも申し訳なかった。

帰りの電車の中から夫がメールをくれて、
お葬式には行けないってスタンスでいいよね?と聞いたら、
僕がそのようにもう伝えたよ、とのこと。

なんてありがたい!!

わたしは、この人と結婚して、本当に良かったと思った。

庇となり、盾となって、守ってくれているのだ。
ありがたくて涙が出た。
もう力が抜けて、レトルトカレーで夕飯にしてしまった。

夜、資源ごみの分別があるので、母屋に行った。
夫は歯磨きをしており、
わたしがゴミを分別して袋を縛った。

そして、夫が階段に座って、あらためて、どういう話だったのか、
どういうニュアンスだったのかを、聞かせてもらった。

電話をかけて来たのは、父だったそうだ。
夫が掛け直して、話したのも、父だったそうだ。

とにかく、伯母が意識不明になって、朝、招集された、とのこと。
その伯母は、若いころにガンになり、何度も手術していて、
肺も半分ないのか、四分の一無いんだったか、
とにかく、満身創痍の人なのだ。

叔父は早くに亡くなっており、教員をしている一人娘(従姉)のために、
人生をささげて生きて来たような人だ。
ついこの間まで、車の運転もしていた。
パワフルな人だったが、90歳にもなったし、
さすがに体に限界が来たのだろう。

呼びかけたら、意識が戻ったので、帰って来たのだが、
その段階で、わたしに電話をしてきたということは、
お前、葬式には出るだろうな?という、圧力だと思った。

夫もそれはすぐにわかって、
お葬式には、行けません。と、はっきり言ってくれたそうだ。
ありがたいことだ。
で、その時、父の反応はどうだった?と聞いたら、
「そやろなあ。」みたいな雰囲気だった、とのことだった。


話の途中だったが、わたしはもう壊れそうになり、
階段に座っていた夫のオマタめがけてハイハイで頭を突っ込み、
激しく叫びながら、号泣した。

抑えようがなかった。


ああ、わたしには、生まれてこのかた、
「これ」をさせてくれる人が、いなかったのだ、と、
わかった。

涙とか、鼻水とかより、叫び声がすごかった。
わたしはこれを、50年、封印して生きてきたのだ。

泣くことを禁じられていたからだ。

なんでなの?
一人っ子なのはわたしのせいじゃない、親の勝手な都合なのに、
なんでわたしに責任があるの、
どうしてこんなに苦しめるの、
わたしの何がいけないの、と、
わめきながら、泣いていたように思う。

夫は、黙ってわたしの頭をはさんで、背中をさすってくれていた。

そして、もう娘たちが帰って来るから、おいで、と
自分の部屋に連れて行ってくれて、布団を敷き、
そこに乗らせてくれた。

まだしばらく泣いていた。

葬式になんて行く必要ないのに、なんでそんなにこだわるの?と
夫は不思議がった。

わたしは、親に洗脳されて育っている。
面子ばかり気にする親に育てられた。

叔父(父の弟)が亡くなった時も、母から電話が来て、
わたしは、行ける自信がない、と言ったのに、
同じ東京に住んでいる、従姉の〇〇ちゃんが来るのに、
あんたが来られへんでは、成り立たん。と言われた。
それで、無理をして、行ったのだ。

うちの親は、父の父(祖父)の法事を、50回忌まで務め上げている。
それは偉いと思うし、本人たちも、誇りだろう。

けれど、何の為かと言ったら、
親戚の手前、面子なのだ。

ただ、手厚く法要された祖父は、
わたしの後ろについてくれているそうだ。


夫とは色々喋った。
親として、子供に聞かせてはならない話ってあるよね、とか、
いやいや、うちの母だって酷かったよとか。

夫の長い留守中に、お姉さんとお会いして、
色々お話したことも、詳しく話せた。

お姉さんは、親の介護はわたしたちで手分けしてやるから、
あなたは、弟の話し相手になってくれてたらいいのよ、
でも、倒れられると困るから、大事にしてねとおっしゃってくださったのだ。

最後は、お姑さんが隠れてビールを飲んでいるカメラ映像を見て、
二人で笑った。


泣き腫らして、遮光土偶みたいな顔になった。
けれど、あんなに叫んで泣いた経験は、
生きて来た中で、多分ゼロだったと思う。

裁判所で、求刑が、思ったより重く、
もう私たちにやれることが何もないと、絶望した時も、
激しく泣いたが、
裁判所なので、大声をあげることは出来ず、
数時間、ベンチに座って、ひたすら泣いた。


あんな涙とは違う。

わたしは、辛い育ち方をしてきた。
今も、親と絶縁している。
褒められた生き方ではないのは、わかっている。

わたしはそれをわかっているが、
親たちは、自分たちに間違いがあったこと、
わたしや息子を傷つけたことを、全く、1ミリも、理解していない。

絶対に許さない。
自分にされたことについては、蓋をして、生きて行く手立てがある。
しかし、
わたしの、命よりも大切な息子の、美しい気持ちを踏みにじり、
しかもそれを説明しても理解しようともせず、
善人ぶっている親に、
わたしは怒りと絶望を消すことはない。


翌日、運よく、カウンセリングだった。
短い持ち時間の中で、上手に話せた。

旦那さまが、非常にいい意味で合理的な方で、
良かったですね、と言ってくれた。



葬式には行かせない、香典はちゃんと出す、と言ってくれた夫。
心から感謝している。
結婚して、本当に良かった。

わたしは今、生まれて初めて、守られて生きている。
ありのままの、おかしいわたしで。

夫が言ってくれた。
ほらね、いくら取り繕っても、キミはちゃんとおかしいんだから、
無理しないでいいんだよ。って。

ちゃんとおかしい。
うん、そうだよね。

                                           伽羅moon3


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