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2017年11月

体力なさ過ぎ。

今週は、わたしにしては珍しく、
火曜日に美容院の予約が入っているだけだった。

知人で、古くからの知り合いである、有名な猫造形作家さんの、
DMをもらっていた。

年に二回は東京で個展をしているのだが、
スケジュールが合わなかったり、
わたしの気持ちが行きたい方向に行かなかったりして、
しばらく、行けてなかった。

ずっと長く、銀座の、猫作家さんのみの個展を行うギャラリーで、
彼も個展を開催してきていたのだが、
オーナーがご高齢になり、ギャラリーを閉鎖されてからは、
個展の会場が毎回違う。

DMの地図を見ては、この場所にはたどり着けないなあ、と
諦めることも多かった。

今回は、京橋だった。
あの辺は道が斜めじゃなく碁盤になっているので、
行くときは、一番近いと書いてある、宝町の駅で降りて、
地図を頼りに行けそうに思った。

帰りに、東京駅に行こう!
高い牛肉のお弁当を、「見学」してこよう!

火曜日で終わってしまうので、月曜日に思い切って出かけた。

本当は、もっと早く出掛る予定で起きたのだが、
ちまが吐いてしまったので、まさかそのまま出かけるわけにもいかず、
様子を見て、スープをやって、様子を見て、
カリカリを少しやって、様子を見ていたので、
スタートが大幅に遅れた。

それでも、久しぶりに地下鉄に乗って、
目指すギャラリーに、たどり着けた。
路地、と書いてあったが、路地っていうか、
これって、ビルとビルの「隙間」だよね?ぐらいの、
細い路地にあった。

ドアを開けると彼がいて、わあ、伽羅さん久しぶり、
何年ぶりだろうね、と言われた。

そうか、そう言われれば、3年くらい、来れてなかったかもしれない。



彼とは、昔、とある店の、造形作家さんの集まりで出会った。

お互いに、その店に作品を委託して置いており、
お互いにお互いの作風に惚れていて、
初めて会った時は、すごく嬉しかった。
年齢も近く、彼もまた、もとはグラフィックデザイナーだったこともあり、
親しくなった。
手作りの作品を、アート系のフリマで売り始めたことがスタートだったのも、
同じだった。

彼はすぐ、有名なプロデューサーに才能を見抜かれ、
バックがついて、瞬く間に売れっ子の猫作家になった。

最初は、立体の猫を作るだけだったが、
そこは元がグラフィックデザイナーなので、多才で、
作品写真も自分で取って作品集を出したり、
日本画を書いたり、書も素晴らしく、
墨絵も味わい深く、
いまでは海外からのオファーも来ている。

わたしは、相方と駄目になり、造形からは遠ざかってしまったが、
彼とはずっと、仲間意識があって、
誕生日にはメールをしている。

線の細い、いわゆる、やさ男で、
人生も波乱で、あらゆることを経験して、
今やっと、穏やかになったそうだ。

それが作風に、如実に表れていた。
初期の頃のあの繊細な筆のタッチが、戻って来ていた。
売れっ子で、ストレスを抱えながらやっていた時より、
はるかに、彼の作る猫たちは、イキイキとしていた。

お客さんが他に居なかったので、一つ一つの作品について、
じっくり説明してもらったり、
わたしは、ちまの天真爛漫さと、
ムギをガレージで飼っている事情を話した。

ずっと罪悪感で辛くてたまらなかったんだけれど、
この間退院して来たときの、ムギの喜びようを見たら、
今のムギには、この暮らしでも、幸せなんじゃないかなって、
思えるようになった、と話したら、
彼も、猫によるし、すべて部屋に閉じ込めておくことだけが、
いいとはいえないんじゃない?と言ってくれた。

じっくり話し込んでしまい、でも、いつもなら色んなファンの方で一杯なので、
ゆっくり作品を見れて、話せて、行って本当に良かった。


東京駅に行くことは容易かった。
でも八重洲側なので、丸の内側の、あの美しいであろう姿を、
見に行く時間はもうなかった。

東京駅の、キャラクターストリートをちょっと見て、
繋がっている大丸のお弁当売り場に入って、
東京駅が改装されたときに何度もテレビで見た、
お高い牛肉のお弁当などを、「見学」した。

わたしが行っているカウンセリングの街にはデパートがあるので、
そこに入っていないテナントで、
食品の催事にも来たことがない店で買おうと思って、
見て歩いて、
亀戸のお弁当屋さんで、牛肉のお弁当を買った。

それで帰途についたのだが、
帰宅ラッシュに巻き込まれてしまって座れず、すごく疲れてしまった。

帰って来て、ちまに餌をやって、シャワーして、
急いでムギに会いに行った。
ムギは、わたしが帰って来たのを知っていたのだろう、
もう庭の真ん中で、待ち構えていてくれた。
一時間ほど一緒に過ごした。


部屋に帰って、お弁当を食べ、洗い物をして、
さて何か見ようかと思ったのだが、
ドバっと疲れが出た。

だめだ、起きていられないや。
ムギに、また夜中に来るからねって言ったけど、
ごめんよ…。
10時半に、夫に、夜中にムギのところに行けない旨をメールして、
11時くらいに倒れこんだ。

途中、2時くらいに一回起きて、
くしゃみがひどかったので、葛根湯を飲んで、
ちまが、ゴハン、ゴハン!と言うのであげて、
また寝た。

そのまま午後まで寝た。
寝すぎて、腰が痛かった。

体力ないなあ。
すぐに疲れてしまう。

今週はちょっとゆっくりしよう。
でも、行きたかったところに自力で行けて良かった。

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縁を切るための縁。

人はみな、カルマ(業)を背負って生まれて来て、
今生でそれを解決するのが務めなんだと信じて、
耐えに耐えて生きてきたが、
わたしが信じているある霊能者の方の話によると、
今回が最後のトライで、
今回は、「縁を切る」ために生まれて来る場合もあるということだ。

その言葉は、何回かその方のブログで読んでいたのだけれど、
このところで、急に、腑に落ちた。
その言葉が、ストンと体に入ったのだ。

わたしは親に、体裁や義理を刷り込まれて生きてきたが、
「縁を切る」ために出会う縁もある、とわかった。

今生で何とかしないと、と焦っていたのだが、
もう、これからは、わたしの代で、縁を切るために、生まれて来たため、
いびられて、受け入れられないままで生きて来たんだ、とわかった。

なら、簡単だ。
自分がされて嫌だったことを、自分のまわりの人にしなければいいだけ。

相手を変えることなんて、到底できないことであった。
頑張った数十年が、馬鹿みたいだが、
人生の後半で、縁を切るための縁、とわかったことは、
楽になれるいい機会だった。

わたしは世界一息子が可愛いし、
息子を愛してくれているお嫁ちゃんも愛おしくてたまらない。

二人が幸せであるならば、わたしはもう、なにも望むことはない。
ただただ、死ぬまで仲良く一緒に居てあげてほしいと願うばかりだ。

縁を切ることが悪いことだと刷り込まれていたので、
縁を切るための縁、が、すごく楽になれるキーワードとなった。

わたしを守ってくれているおじいちゃんには申し訳ないけれど、
わたしは、娘を降りるね。
わたしはわたしの人生をゆくよ。


昨日は、夕方、ムギが後追いしてきてたので、
切なかった。
夜中、会いに行ってみると、ムギは留守だった。

切ない気持ちで、呼んで、待つ。

ムギ、今夜は会えないの?
帰って来てくれないの?

待っている時は、会える確約はないので、すごく切ない。

そしたら、本当にかすかな足音がして、
かすかなぴちょぴちょという音がした。
ムギだ!
そのあと、センサーライトがパッとついて、
わたしが、「ムギちゃん!」と声を掛けると、
ムギはきゅーんと鳴きながら帰って来てくれた。

お帰り~!
声が一段高くなる。
ムギ、帰って来てくれたんだね、嬉しいよ!

わたしは、聴力が良くなったような気がするよ。
猫の足音が聞こえるんだもの。

ムギはちょっと毛づくろいをすると、わたしにまっすぐ乗って来た。

切なかったから、会えて嬉しかった。

お腹が空いていたようで、早めにちゅーるを要求。

その後は、まったり乗っていて、3時過ぎても全然降りないので、
別れがたかったけれど、翌日起きなくてはならなかったので、
抱き上げて、抱きしめたら、降りてくれた。
その隙に帰った。


今日は明るいうちにと思って、16時にムギのところに行った。
わたしの足音を聞いて、ムギは出て来て、
車の横まで出迎えに来てくれて、きゅーんと鳴いた。

座る準備をしていると、待ちきれずにもう足元でウロウロしている。
わたしがあれこれ整えて、座って、ひざ掛けを掛けると、
ムギはすぐさま乗って来た。

振り向いて、顔を見て、ニコニコしてくれる。
ムギが喜んでくれて嬉しい。

途中、おかかを食べただけで、後は向きを変えて乗り、
ひたすら乗っていて、
一時間半も経過してしまった。
脚も痛いし、ちまにも悪いし、疲れて来たので、
「ムギ、ママそろそろ帰るね。」と言って降りてもらった。

それで、荷物を片づけて、
ごみ入れにしているビニール袋を、一枚ずつに畳んでいたら、
ムギが戻って来て、またちゃっかり乗って来た。

あれれ、まだ足りなかった?
乗られちゃったものはしょうがないなあ。

しばらく経っても、ムギが全然降りないので、
ちょっと、本当に、疲れてしまい、
「ムギ、抱っこさせてね。」と言って、
毛布をはいで、抱き上げて、わたしが立膝になって、
ムギを胸で抱っこした。
夕べはこれで降りたのだ。

ところが今日は、抱っこされていて、そのままじっとしていて、
もぞもぞともしないし、全然降りないので、
ムギ、ママ疲れちゃったから、そろそろ帰るね、と言った。
そしたらやっと降りてくれたのだ。

結局、二時間以上、ムギと過ごした。

わたしは、ロングスリーパーだし、ムギにこうして時間を割くので、
なかなか、暇がない。

ムギのところから帰る時、ポストにピザーラのチラシが入っていて、
部屋でそれを眺めてたら、
もう、ご飯の支度をする気力がないことに気が付いた。

ムギに吸われちゃったよ。

なので、初めて一人でピザを取った。
日曜の夕飯時なので、一時間待ちだと言われたが、
それで良かったので頼んだ。

美味しく食べた。
残りはまた明日、トースターで焼いて食べよう。

一人暮らしの、ささやかな贅沢。
好き。

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後追い。

昨日はいい日だった。
ムギにちゃんと二回とも会えて、
ムギは甘えて乗ってくれて、ゆっくり過ごせた。

ムギが、小屋のベッドの奥に居ると、
心底ホッとする。
暖かいようにと、いろいろ工夫をこらしているので、
それが伝わっていて、いてくれるのなら、とても嬉しい。

寒くても、強風が吹き荒れていない限りは、
ムギは律義に出て来て、脚に乗ってくれる。

体を拭いて、ブラッシングして、お尻をチェックして、
全身を撫でておかしいところがないかを調べて、
それから、毛布を掛けてくるむ。

ムギはゴロゴロと言い、時々振り返ってニコニコしたり、
向きを変えて、こちら向きに乗って、手を舐めてくれたりと、
愛情表現をしてくれている。

ムギが、欲しいというまでは、おやつも餌も出してはならない。
愛情が満ちてからしか、欲しがらない。

でも、昨日は行けたのが遅かったので、腹ペコだったらしく、
早めに「おかかくれ!」と言って降りて座った。

そう、ムギは、飼い犬のように、お座りも待ても、出来る子なのだ。


今日はまだほのかに明るいうちに会いに行った。
ムギは小屋に入っていた。
手を入れて撫でると、可愛いポーズをして、お腹を見せてくれた。

わたしが座って、ひざ掛けをすると、
ムギはすぐに出て来て、乗って来てくれる。
わたしのO脚の隙間と、ムギのふっくらとした体が、
ジャストフィットして、しっとり治まる。

さんざん、このO脚を、母に馬鹿にされたが、
ムギと出会って、このためのO脚だったのね、と思った。

しかし、自分で産んでおきながら、その子の容姿をけなす親って、
いるんだねえ。
わたしには、息子は可愛くてどのパーツも全部愛おしかったのに。


すっかり暗くなって、一時間半も乗っていて、
脚も痛くなったし、わたしがもぞもぞとしたら、察して、
ムギが降りてくれた。

小屋に餌を入れ、ムギ毛布をくるくるまとめて片づけて、
アヤメの鉢の水を飲んでいるムギに、
「ムギ、ママまた夜中に来るからね。また後でね。」と
声を掛けて、部屋に戻った。

コートを脱いで、ネックウォーマーやら帽子を取り去り、
洗濯をしようとして、洗濯かごを持って、玄関を開けたら、
階段の中段くらいまで、ムギが登って来ていた!

ムギは慌てて降りた。

ああ、ムギちゃん…。

ママについて来たのね?
まだ、もっと一緒に居たかったのね?
ママのところに会いに来たのね?

階段に座って、降りてしまい階段の下に座ったムギと、話した。

ねえムギ。
初めて会った頃、ムギがママにも懐いて、
ママがここから呼んだら、
名前をすぐに覚えたムギが、どこからともなく現れて、
餌の袋を振って、「ムギ、おいで!」と呼んだら、
ムギ、階段を登って来てくれたんだよね。

怖かったでしょう。
今みたいな信頼関係は、まだ全然ないのに、
ムギは、家猫になるために、必死だったね。

怖いのを我慢して階段を上がって来てくれて、
そんなに好きじゃない缶詰をあげた時も、
頑張って食べてたよね。
あの時はまだ、好き嫌いがわからなかったんだよ。

ママがドームベッド買って来て、洗濯機の前に置いておいたら、
ムギ、入っててくれたよね。
カイロとか入れてあげてなくて、ただ、ベッドを置いただけでも、
ムギはそれが自分のだってわかって、
寒い日には、入っててくれたね。

ムギは、にゃ~ん、と返事をしている。

懐かしいね、ムギ。

来てごらん?
階段、登って来てごらん?

でも、ムギは、もう登らず、かといってどこにも行かないので、
わたしがゆっくり降りて行くと、
塀の角の柿の木の根本に座った。

わたしが階段に腰かけて座って撫でると、
ムギは黙って撫でられてた。


ムギ、もしかして、時々、ママの玄関に、来てるの?
ママ、気が付かなくて、ごめんね。
ムギが自由に出入りできるパタパタドアが、玄関についてたらいいのにね。

お隣の屋根に来てても、見ると辛いから、
ママ、シャッター開けてないんだ。
そこでムギを見ても、こっちにおいで、って言えないし、
じゃあムギのお部屋に行こう?って誘っても、
ムギも来ないもんね。

お互い、切ないね、ムギ。

会いたい時に会えないのは、切ないね。

やがてムギは母屋の門扉をくぐって自分の場所に戻って行った。


後追い。
切ない。
ムギは甘えっ子ちゃんだから、もっともっと、一緒に居たいんだよね。

ごめんよムギ。部屋猫にしてあげられなくて。

でも、心から愛しているよ。

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虹が出たそうだ。

今朝、都内の従姉から、伯母の葬儀が無事に終わったとメールをもらった。

火葬場から帰って来る時、長い時間、虹が見えていたそうだ。
そうか、それは良かった、おばちゃんが渡る橋だね、と思いながら、
生きてて意識のあるうちに、本当にお礼を伝えたかったと、
心から悔やんだ。
また泣いてしまった。


従姉に対しては、うちの母が、あたかも、他の親族に、
「うちの娘は病気で来れないの。」とアピールするかのように、
何度も、「いつも伽羅子が世話になって。」とか、
「よろしく頼むね。」とか、繰り返し言っていたとのこと。

もう、そんなポーズになんて、騙されないよ。
あの人が心配をしているのは、わたしのことではなくて、
「心配をする自分」が、心配なのだ。

うつ病になった時に言われた。
「アンタ、自殺とかせんとってや。そんなこと、この年になってもう嫌やからな。」
と言ったのだ。

わたしの心の病になど、あの人は興味がない。
あくまでも、自分のみが、大切なのだ。

だから、小さいころからわたしは、
「心配かけさせないで、面倒なことを持ち込まないで。」と言われ続け、
ついには泣いても怒られ、
具合が悪くても怒られるようになり、
わたしは絶対的な秘密保持者になった。

母には、全く甘えてはならないのだと、身に染みているわけだ。

葬儀では、母が取り仕切っていたようだ。
数をこなしているので、知識がある。
それで、伯母の娘に指図して、それは確かに助かったかもしれないが、
また母の自慢話が増えただけだ。


亡くなった伯母の娘である従姉宛に、
小さい手紙をつけて、香典を送ったが、
改めてお悔やみの手紙を書こうと思う。

そこに、わたしが伯母にしてもらって、人生が変わったことも書いて、
伯母の仏壇の前で、読んでもらおうと思っている。

まだ、わたしと親のことは、書けない。
万が一、もれたら、大変だからだ。
いつか、うちの親が二人とも亡くなったら、話をすることがあるかもしれない。
外面は馬鹿みたいにいいので、
あの母に、わたしが精神的虐待を受けていただなんて、
その従姉には、信じられないかもしれないからだ。

伯母は、洋裁を教えていたし、
娘である従姉は、現役の教員なので、
参列者が多かったそうだ。
母は悪口しか言わなかったが、伯母を慕う人は多かったということだ。

わたしも、本当に、話ができたら良かったのに。
伯母にお礼が言いたかった。


わたしも伯母を見習って、自分の始末をつけてから死にたいものだ。
自分の家で、自分のベッドで、
静かに息を引き取るだなんて、いいなあと思う。

わたしは、その時に、一人であっても全然かまわない。
看取ってもらいたいとか、思わない。
息子には面倒を掛けたくないから、ひっそりと息絶えていたい。

一度書いた遺言書があるが、そろそろ書き直そう。

おばちゃん、
虹の橋を渡ったんだね?
お疲れさまでした。
頑張った90年だったね。

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結局世話をかけている。

少し前、夫が長く出張で留守にしていた時、
お姉さんや、お姉さんの娘さんが来ては、
お姑さんのお世話をしてくださった。

わたしは、お姉さんに合わせる顔が無くて、
ずっと避けていたのだが、その時にお会いして、お話しした。

介護のために結婚してもらっただなんて思ってないから、
わたしたちで何とかするから、
あなたは、介護のことは考えないで、と言ってくださった。

ただ、あなたまで具合が悪くなってしまうと、弟がしんどくなるから、
どうか、元気でいてね、とおっしゃってくださったのだ。

それを聞いたのもあって、わたしは、脚立を買った。

本当は、このアパートに入居する時に、買うつもりをしていたのだが、
夫が、2段のステップを買って来たので、
買うことが出来なくなり、以来、高い所の作業は、
夫がガレージの物置小屋からわざわざ脚立を出して、
それを担いでアパートの急な階段を登り、
行ってくれていた。

でも、脚立がこの部屋にあれば、
簡単な作業、例えば電球を換えるだけとかなら、
自分でもやれるし、夫に何かを頼むとしても、
脚立を担いでくるという手間が省けるので、
先日、買ったのだ。

アルミ製で軽く、わたしにも運べるし、
それがあって、やっと、押入れの天袋の一番奥まで手が届き、
何が入っているのかを確認して、箱に書けた。
それまでは、椅子の上に、小さい椅子を乗せて、
恐る恐る、上の段のものを取っていたのだ。
だから、買って良かった。

そうやって、なるべく夫を煩わせないように、と思っていたのに、
伯母が亡くなって、お香典を出してもらい、
袋の名前も、夫は字が上手なので書いてもらった。

そして、気持ちを表すためにも、と言われて、
速達で出して来た。

夕べ、遅くに、わたしの部屋の天井の照明が、
一つ、ご臨終になった。
部屋は10.5畳あるので、照明を北側と南側、
二つつけてあるのだが、
圧倒的に北側をつけたままにしているので、そっちが壊れた。

でも、この部屋に入居してもうすぐ9年だから、
まあ、寿命なんだろうね。
9年前だから、まだLEDでもなかったし。

結局、電球くらいならやれると思ったくせに、
照明器具は、やったことがないので、怖いし、見てもわからないので、
夫に来てもらって、外してもらった。

蛍光灯が黒くなってしまっていた。

どちらも一緒につけたので、両方外して見てもらったが、
熱で、天井が茶色に変色していた。
南側は、すこし天井のシートがなくなっていた。
危なかったね。

夫は疲れてるのに、夜遅くまで、ネットで照明器具を探してくれて、
(すぐに来ないと不便で困るので)
明日、届くのを注文してくれた。

明日は祝日で夫は休みだが、お姑さんがデイサービスで留守だから、
キミが望んでた、ズボンのすそを、ミシンで直してあげるよ、と
言ってくれた。
そう、夫は料理も上手なのだが、ミシンも掛けられる、
スーパー主夫でもあるのだ。
ありがたい。

裏地が毛布みたいなズボンを買ったのだけれど、
すそが狭いのを買えば良かったのに、
少し広がってるのを買ってしまい、
それだと寒いので、すぼめて欲しいと頼んであったのだ。
パジャマにするやつだから、多少のことは平気。

こうして、結局色んな面倒をかけて生きていて、
全然自立していない。

迷惑を掛けないように、と思ってるんだけど、先週は寝込んでしまったし。

でも、夫が年を取って、不自由なことができてきたら、
一緒にやろう。
7歳弱、歳が離れているが、わたしの脳はちょっといかれてるので、
わたしの方が絶対迷惑かけそうではあるけれど。

それでも、助け合って生きて行けたらいいなって、
やっと思えるようになってきた。

夫のいいところは、頼んだことを、即座にやってくれることだ。
それは、わたしも見習っている。
振込みに行って来て、とか、ハガキ売って来て、とか、
お姑さんの靴下探して来て、とか頼まれたら、
即日、それを実行する。

いいところは吸収しないとね。

色々ご面倒をおかけしますけどね。

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新しいマッサージ店。

指名していて、仲良くしているマッサージ師さんが、
近所の店から、本来登録をしている店に、変わった。

わたしの家からは遠くなるが、もちろん、彼女に着いて行く。
今日は初めてその店に行く日だった。

わたしは、出かける一時間前に起きるのだが、
午前中に、しつこくドアをコンコンする奴がいて、
宅配が来るはずがないので、無視していたが、
腹立たしいくらいコンコンやられた。

あとでポストを見たが、不在表などは入っていなかったので、
完全にセールスだろう。
起きなくて良かったよ。

アラームが鳴って、起きようとして、スヌーズを止めて、
そのあと、あろうことか、寝落ちしてしまったらしい。

でも、わたしは念のため、30分後にもう一回アラームをセットしてあるので、
それで慌てて起きた。

ちまの餌をやり、トイレを綺麗にし、歯磨きをして顔を拭いて、
着替えて、GO!

夫にプリントしてもらった地図を持って、快調に歩いた。

精神科に行くときと違って、アップダウンがないので、楽だ。

けれど、最後、曲がる道を、
真逆に曲がってしまった。

夫に「ここがケーキ屋のある交差点ね。」と
説明されたことが頭に残っていて、
ケーキ屋側に、曲がってしまったのだ。

すると、行けども行けども、住宅地で、
3丁目に行きたいのに、ずーっと2丁目のままなのだ。

だいぶ歩いて、これは間違ってる、
大きい通りまで戻って、やり直そう、と思い、
大きい通りに戻った。

そこで予約時間になってしまったので、店に電話をかけた。
優しい女性の店長さんが出て、
迷ってしまって…と涙声のわたしに、
マッサージ師さんと電話を替わってくれて、
ちょうど、その交差点を渡って、まっすぐに進めば、店があります、
3~4分ですから、焦らないで、
店の前で手を振って待ってますから、と言ってくれた。

わたしは、涙やら鼻水やら出しながら、店に到着した。

ほんわかと明るい、いいお店だった。
着替えるスペースもあったし、お水とお湯のサーバーもある。
いいムード。
これからはここに通うんだなあと思うと、嬉しかった。

店長さんも、優しいいい方だった。

気持ちのいい時間は、あっという間におしまい。
次回の予約をして、店を出た。

ちょっと周りを散策してみたら、安い八百屋があったので、
リンゴを買って帰った。

帰ってみると、都内に住む従姉が、
伯母のお通夜・お葬式に参列するために、
彼女の実家に到着したとメールが来た。

彼女の親は、伯母の家に行っているらしく、留守だが、
彼女の名前で、香典袋が用意されており、
金額も書かれてあったので、教えてくれた。
わたしも同額じゃないとまずいから、夫にお願いして、
お香典を出してもらった。

夕べ、伯母をしのんで泣いていて、
そうだ、大人になってからも、素敵なワンピースを作ってくれたっけ、と
思い出した。
それは、「紫根色」という、ちょっと茶色がかった紫に、
ベージュの花が散らされている生地で、
とても着やすくて、わたしはよく、それを着て会社に行った。

わたしが、市の文芸際に詩を投稿して、
優秀作品に選ばれ、新聞に名前が載った時、
伯母が見つけて、お祝いの電話をくれたこともあった。

親はわたしのことになんて興味がないのに、
伯母がちゃんと気付いてくれたのだ。

夫と再婚する前にも、会ってもらっている。
再婚した時は、お祝いをくれた。

もう会えないんだと思うと悲しいけれど、
いろんなエピソード、覚えているからね。
ありがとうおばちゃん。


夕方、ムギに会いに行ったら、
ムギはもう、待ちかねていて、大きな声でわたしを呼んだ。

夫には、今朝、父から電話があったそうだ。
夫は今朝は、お姑さんの下のお世話が大変だったようで、
時間をだいぶ取られたみたいだったが、
会社ではなく、講演会を聞きに行く仕事の日だったそうで、
ちょっとだけ時間に余裕があったから、
やれたけど、と言っていた。

大変だと思う。
手伝えないけど、夫の愚痴は聞こうと思っている。

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伯母が逝きました。

父の姉にあたる、伯母が、
20日の夕方、静かに息を引き取ったそうだ。

これを、わたしは、親からではなく、
都内に住む、父方の従姉から聞いて知った。

伯母は、若いころから何度も手術をしていて、
肺も片方しかないし、すぐに肺炎になるので、
しょっちゅう入院はしていたが、
非常にパワフルな人で、90歳になってもまだ、
車をかっとばして、
教員をしている娘を助けて生きていた。

もう余命いくばくもないと知っていたが、
亡くなったと知れば、とても悲しい。

本来ならば、亡くなる前に会って、お礼を言いたいことがあった。
けれども、それも叶わない。

今夜は、伯母をしのんで泣く。


一時的に意識不明になったが、
行って呼んだら目を開けた、ってことで、気軽に電話して来た父。
それは、「いくらなんでも、葬式には来るよな?」という、
圧力をかけるつもりだったに間違いない。

わたしが頼んだわけではないのに、夫がちゃんと理解していて、
「もし亡くなっても、葬式には行けません。」と伝えてくれたのだ。
ありがたかった。
そして、連絡は、自分に電話してください、と伝えたのに、
うちの親は、夫に電話して来ていないのだ。

どういうつもりだ!

やっぱり、大切なのは単に「面子」であって、
来ないのであれば、知らせる必要もないと、思っているのだろうか。
わたしは非常に腹立たしい。

もし、そうだとしたら、勝手にわたしの名前で、
香典を出すに決まっている。
嘘八百並べて、わたしが来ないことを説明し、
自分たちには非がないと言い続け、
香典代は、あとで夫に請求するのだ。

夜、夫がやってきたが、やはり電話がかかって来ないとのこと。
それで、相談して、夫からメールを出してもらった。

こちらの従姉の〇〇さんから聞きました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
こちらからは行けませんので、些少ですがお香典を、
直接、従姉の△△さんに送らせていただきます。と書いて、
夫からメールをしてもらった。

それについての返事もやはりなかった。

わたしの親にとって、大事なのは、あくまでも体裁だ。
わたしが、伯母を慕い、お別れを言いたいけど行けないなんてことは、
おそらくは全く思い浮かばないだろう。

来ないのであれば、知らせる意味もない、と
思っているに違いない。
非常に腹立たしい。



母からは、伯母の悪口ばかり聞かされてきたが、
わたしにとって、伯母は、恩人なのだ。

母はわたしが、女の子らしくあることを、徹底的に嫌った。

スカートも買ってもらえず、着る服は紺とか緑。
リボン、フリル、ピンクなんてものは無縁。

髪を伸ばすことも禁止されていて、
短い髪で、ズボンをはいていた私は、
もう生理もあったのに、12歳まで、男の子に見られていた。

小学校には制服があり、
男の子が紺色で、女の子がこげ茶の制服だったのだが、
制服姿を見て、初めて、わたしが女子だったと知った親御さんもいた。

中学に上がる前にわたしは髪を切ることを拒否した。
もう、男の子と間違われるなんて嫌だ。

母は、天然パーマである。
だから、髪を伸ばすことも不可能で(横に広がるだけ)、
髪でおしゃれすることを、自分が知らないから、
わたしは床屋で刈り上げられて来たのだ。


中学生になる春休みに、その伯母の家に預けられた。
4つ年上の従姉がいて、
よくおさがりをもらった。
レースやリボンが付いたシュミーズをもらって、
そういうものを一切与えてもらえなかったわたしは、
その下着が、パーティドレスに見えて、喜んで着た。

その春休みのわたしの髪の毛は、伸び放題で、荒れていた。
ボッサボサだった。

それを見かねて、その伯母が、
行きつけの美容院に、わたしを連れて行ってくれたのだ。
それが、生まれて初めての、美容院だった。

何とかしてやって、と頼んでくれて、
わたしは、当時流行し始めてた、
マッシュルームカットに、してもらえた。

大変身である。
わたしは、我ながら、可愛くなった!とビックリした。

伯母はわたしに、シュークリームを作ってくれた。
買ったものとは比べものにならないくらい、美味しかった。

中学のセーラー服が、たまたま、その従姉の学校と、
同じだった。
白い太いラインが一本入ってるだけのセーラー服。
なので、伯母は、自分が縫ったものも含めて、
従姉のおさがりをくれた。

伯母が縫ったほうの夏服は、前開きで着やすくて、
友達の間で、羨ましがられた。
洋裁の腕が良くてプロ級なので、色々縫って、母にくれる。
でも、母は、人からの行為を、無にする天才なので、
「こんなん要らんから、あんた持って行きや。」と言って、
ポケットティッシュ入れや、ポーチなどをもらった。
もちろん、全部使っている。

それが伯母の形見だ。

父の姉だから、母に対して、きつく当たったかもしれない。
でも伯母は、意地悪な人ではなかった。
大変に正直な人だった。


22日がお通夜で、23日がお葬式だとのこと。

会って、意識があるうちに、お礼を伝えたかったが、
今は、伯母の魂に呼びかけて、お礼を伝えよう。
行けなくてごめんね。
でも、悲しい気持ち、悼む気持ちは、行くことより強いからね。


その伯母の娘も一人っ子である。
父は4人兄弟だが、叔父のところが女の子二人で、
それ以外は全員、女の子の一人っ子だ。

子供の頃は、従姉が集まると、楽しかった。

今は、亡くなった伯母のところの従姉とは交流していないが、
メルアドも聞いたし、
あらためて、手紙を書こうと思っている。


おばちゃん。
あのとき、わたしを救ってくれてありがとう。
おばちゃんのおかげで、可愛い髪型になれて、
みんなにも、可愛いって言ってもらえたんだよ。

シュークリーム、美味しかったよ。


自宅のベッドで、みんなに看取られ、
苦しまずに、静かに逝ったそうだ。

もう自分ですべての整理を終えてあったそうで、
意識が戻って、亡くなるまでのあいだ、
下の叔母に、思い出話を色々したそうだ。

いい最期だと、思う。

おばちゃん、満身創痍のその体で、90年、よく頑張ったね。
お疲れさま。
ありがとう。

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どうしても欲しかった。

金曜日には無事に精神科に通院できた。

即効性のある強い頓服をもらったのに、
ちゃんと、目の届く場所に置いておいたのに、
2回続けて、失くした。

薬をためてるって疑われたらどうしよう、と思いながらも、
実はまた失くしてしまいまして、
ゴミ箱に落として捨ててしまったかもしれないんですが、と
お願いしたら、
ドクターは、笑いながら、「どの家にもブラックホールがあるんですよ。」と
そう言ってまた処方してくださった。

今度は絶対なくさない。

急いで帰って来て、シャワーして、ムギに会いに行ったが、
ムギは留守で、呼んでも帰って来なかった。
でも、夜中に行ったときは、小屋に入っていて、
喜んで出て来て、脚に乗ってくれて、ゆっくり過ごせた。


過食でめちゃくちゃ太り、
お気に入りだった水色のダウンコートが着れなくなり、
もう一着持っているのは、オークションで買った、
暖かそうに見えるのに、実は寒いアンゴラ混のコート。

だからどうしても、暖かい、ちゃんとしたダウンコートが欲しかった。
長く着るから、ちゃんとしたいいものが欲しかった。

でも、自分で数万円を出す勇気がない。

それで夫にねだったのだ。

土曜日に、美容院が16時に終わるので、そのあと、
用事を終えた夫と合流して、一緒に見てもらう予定にしてあった。

でも、あまり長く付き合わせるのも悪いと思って、
二つある駅ビルの内、一つのビル内のテナントの下見は、
美容院に行く前に、終えておいた。

コートの中でもダウンコートは、今から本格的に売れて行くらしく、
どのテナントでも、「昨日入荷したんですよ。」言っていて、
種類も多かったし、LLサイズを置いている店もあった。

まずは、もちろん、着られることが大前提だが、
着られれば何でもいいとは思えず、
背が低いから長すぎるのは駄目だし、
色も、黒や紺やグレーは嫌だし、
実物、かなり太っているので、これ以上太って見えるのも嫌だし、
人があまり着ていない色合いで、
着ぶくれしないものが、どうしても欲しかった。

テナント、全部回った。
どの店にもダウンコートは入荷していて、
どうかな、と思うものも、一応、羽織らせてもらった。

しかし、お腹の部分のボタンが閉まらないとか、
全身を締め上げられているみたいに苦しいとか、
着れるんだけど、アームホールが細くて腕があげられないとか、
デザインは素敵なのに、黒と紺しかないとか。

結局、そっちの駅ビルのテナントでは、
いいかも、と思えるものは、一着もないまま、
時間切れになって、美容院に行った。

あとは、紳士服の大きいサイズを扱っている店のレディスコーナーを見て、
さっき行った駅ビルの、テナントじゃない直営部分の、
大きいサイズコーナーを見て、
そこになかったら、もう一つの駅ビルで、13号を扱ってる店を、
事前にチエックしてあったので、
そっちに回ろう、と思っていた。

もしそれでも、気に入るものがなかったら、
新宿の京王デパートに行くつもりだった。
京王は、もう10年以上前に、
ミセスに特化した百貨店に切り替えて、成功を果たしている。
電話して確認したら、確かにそうでございます、
大きいサイズのコーナーは4階の半分くらいの面積があり、
直営部分とテナント数店がございます、ってことだった。


紳士服の店には全然いい物がなく、事前に見れなかった、
駅ビルの直営の大きいサイズコーナーに行ってみた。

黒とベージュしかない。
うーん。
もし着られるとしても、喜びが湧かないなあと思いながら、
大きいサイズコーナーの隣のラックに近寄った。

そこは、テナントでもなく、直営でもなく、
不思議な空間で、
ハンガーラック4台のみで、オバチャンが、商売をしているのだ。

その存在は知っていたが、しっかり見たことはなかった。
ミセス向けの商品ばかりだ。
すると、オバチャン、わたしをさっきから観察していたのだろう、
「ダウン探してるんでしょ、これならあなた、入るわよ。」と
一着のコートを取り出した。

それは、くすんだピンクと薄い紫の中間のような色合いで、
生まれてこのかた、着たことがない色だ。
しかも、もうさんざん試着して来たから、
こういうホンワカした色で自分が膨張して見えるのはわかっている。
「こういう色はちょっと…。」と言うと、
「わかった! あなたにはこれ! もう、これしかないわ!」
と、偉い勢いで、もう一着を出した。

それは、光沢のある素材で、色は青みの強い深緑。
取り外しができるフードと、
取り外しができるフードのファーが付いていた。

まずは、この体が入るのかどうかが先決なので、
オバチャンの勢いに任せて、羽織ってみた。

…着られる。

ファスナーを全部閉めて、ホックも全部止められる。
しゃがんでみたが、苦しくない。
あれれ?

胴体部分には、斜めにステッチが入っていて、
実はそんなに絞っていないのに、
ウェストを絞ったように見える、かすかなAライン。

腕が超短いわたしだが、見えない裏地にゴムが入っていて、
袖丈もちょうど良くて、しかも風が入らない仕組みだ。

何よりも、ダウンの量が多すぎないのか、
全然、着ぶくれしない。
むしろ、太ってることをごまかせるデザインなのだ。

オバチャンはヒートアップして、
「ね、ほらね、すごい似合う! 楽でしょ。これ、値下げして、今18,000円なのよ。」

わたしは袖にぶら下がっているタグを読んだ。
ダウン80%、フェザー20%、表地・裏地はポリエステルで、
表面には撥水加工をしてある。

どの店でも見たことのない、珍しい深緑色。

色違いで、紫もあったので、それも着てみたいと言うと、
オバチャンは、あなたにはそっちなのよねえ~と言いながら、
紫を持ってきてくれた。

着替えてみると、一気に顔色がくすんだのが見てわかった。
ホントだ…。
さっきの青い深緑のほうが、似合うんだ…。

わたしは、もう、これに決めようと思った。
なんらかの理由で安いのだ。
どこかがB級か、サンプル品で量産されなかったか、
去年とか一昨年の品だとか、
何か理由があって安いのだろうが、
ちゃんとダウンとフェザーが入った、正真正銘のダウンコートなのだ。

「もうすぐスポンサーが来るんです。」と言ったら、
オバチャンはコートを脱がせて、
「じゃあこれ、もう取り置きしちゃうわね、一着しかないし、
フッと売れちゃうことがあるから。」

夫からは、もうすぐ着きますとメールが来ていた。

わたしが見るともなしにセーターとかを眺めていると、
そのオバチャン、なんと、
コートを買う、と言っているわたしに、
違うコートを、勧めて来た!
えええ?

それは、去年ちょっと流行った、昭和レトロっぽい、
ざっくりしたツイードのコートだった。

去年、そういうアンティーク調のウールのコートを、
ショーウィンドウで見て、すごく素敵で、
昭和レトロだなあ、と思って、
そのテナントに行ってみたのだ。

確かにすごく好きな雰囲気だったが、
まず、値段が69,000円もした時点でアウト。
素敵だなあと思っていた、そういう雰囲気のコートを、
オバチャンが出して来たのだ。

去年は、息子の家に遊びに行ったときに、
お嫁ちゃんが、ちょうどそういう、昭和レトロっぽいコートを持っていて、
すごく素敵で、似合ってた。
そうだよねえ、あれは、若い子が着るからこそ、アンティークな感じがして、
素敵に見えるのであって、
本物の昭和のオバサンが着たら、
単なる、古ぼけた薄汚い格好に見えちゃうんだろうなって、
諦めたのだ。

なので、いや、オバサンにこれは無理じゃ?と言ったら、
「いいじゃないの、羽織ってみなさいよ。」と言うので、
羽織ってみた。

…一目惚れだよ…。

何で?
全然オバサンっぽくはならないのだ。
デザインは、大きなボタンが一つ真ん中についているだけの、
やや衿の大きく開いた、チェスターコート。
色は茶系だがヘンリーボーン柄に、こげ茶のボーダーライン、
細いワインレッドのストライプが入った、
複雑なツイードだ。

オバチャンが、赤いマフラーを持ってきて、襟元にかけた。
すごく見栄えがする!
ああ、これ、欲しいよ…。

値札を見たら、二回値下げされてあって、
シールが二枚重ねて貼ってあり、14,000円になっていた。

ダウンコートに、きっと5万くらいかかると思ってたので、
ここなら、両方買っても35,000円以内だ。

「旦那さんに、お願いしてみなよ、すごく似合ってる。
赤いストールがあれば完璧!」

このオバチャン、ただ者ではないな、と感服した。

わたしも、物を売る仕事をしていたから、わかるのだ。
まずは、お客さんの目線を忠実に追うのだ。
何を探してるのか、予算をどれくらい持ってるかが、
だんだん分かるようになる。

安いから買うのであれば、ユニクロでもGUでもいい。
でもわたしは、個性的なものが欲しかった。
オバチャンはそれを見抜いていたし、
似合う色を見抜く力もちゃんと持っている。

その、昭和レトロのコートを着ているさなかに、
夫が合流した。

それで、いきさつを話した。
ダウンコートを着て見せて、どうかな、太ってるのがばれなくない?と
聞いてみたら、うんそうだね、という。

それでね、こっちのコートも、実は去年から欲しいタイプのもので、
14,000円なんだって。
だから、両方、欲しくなっちゃって…と、夫を見上げてみた。

そうしたら、夫が、すぐさま、「いいよ。」と
承諾してくれたのだ!

うああ、嬉しい!!

わたしが喜ぶと、オバチャンも、
「優しい旦那さんだねえ、良かったよ、似合うのがあって。
よそじゃ売ってないからね!」と、すぐにレジに誘導してくれた。

夫が、しぶしぶではなく、瞬時に理解をして、
さっと、「いいよ。」って言ってくれたことが、
本当に本当に嬉しくて、涙目になった。

嬉しいよ。本当に嬉しい。
着られるコートが見つかったこともだけど、
それよりも、甘えて、
それを許してくれて、いいよっていってもらえたことが、
ものすごく嬉しかったのだ。


しょっちゅう書くが、わたしには、貧乏の経験しかない。
親に、どうしても買って欲しいとねだったのは、
カセットテープレコーダーと、ヘッドホンだけなのだ。
何にも買ってもらったことがないのだ。

それは、断られるときの悲しさ、惨めさを、知り尽くしているからだ。
そんなもん、いらん、必要ない、と
切り捨てられて、買ってもらえなかった。

従姉のおさがりの服をもらい、
友達にリカちゃんを貸してもらい、
自分は、欲しいと言えずに、生きて来たのだ。


コートを持って帰って来て、ハンガーにかけて、
カーテンレールにつるした。

あちこち調べたり、触ったり、写真撮ったりした。

ダウンコートは、フードそのものも取り外せるし、
フードのファーだけを取り外すことも可能で、
開閉はファスナーとホックボタン。
一番上のボタンにだけ、ガンメタ色の四角い金具がついていて、
ちょっとした隠れアイテムみたいで、いい。
ななめに縫ったラインが綺麗で、痩せて見える。
アームホールもゆったりしているし、長さは膝上で、ちょうどいい。
撥水加工は、何回かクリーニングに出すと、効果はなくなるらしい。
ミャンマー製だった。
だから安いのね。

ツイードのチェスターコートは、ポリエステル80%にウールが20%で、
胸元が大きくあいているので、防寒用ではない。
でも、すごくおしゃれで、見とれてしまう。
ななめにポケットが付いていて、それもおしゃれ。
こっちは韓国製だった。

オバチャンは、赤いストールがいいと言ってた。
でも、ターコイズでも、ダルオレンジでも、ピッタリだ。
探そう。

余りにも嬉しくて、わたしはカーテンレールにコートを掛けたまま、
その下で眠った。
今もまだ、掛けてあって、飽きずに眺めている。

嬉しいなあ。
本当に嬉しいなあ。
どうしても欲しかったコート。


この間、夫のオマタに頭を突っ込んで号泣してから、
精神的に距離が縮まったような感じがする。

わたしは、こうして、確かに夫に守られて生きている。
再婚して、もうすぐ10年になるが、
ああ、結婚して良かったなあと、思えるようになった。

わたしにはきょうだいがいないので、わからないが、
やはり、一番話を共有できるのは、夫婦であるといいと思う。

今後、そう言う風になって行きたいと思っている。

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久しぶりに寝込んだ。

火曜日、雨の中、色々用事をこなして帰宅して、
慌てて帰って来てシャワーして、
ムギに会いに行って夜8時くらいまで乗せていて、
夕飯を食べた後、洗濯をするつもりがあったのだが、
しんどくて、テレビを見ているうちに、
寝落ちしていた。

いかんいかん、こんなことしてたら風邪引く。
というか、既にもう、具合が悪い。

わたしはパソコンを開くのもやめて、
ムギのところに行かない選択をして、
夫に朝、ムギに会えたらちゅーるをあげてねとメールをして、
早めに寝た。

翌、水曜日の記憶は、とぎれとぎれだ。

朝6時くらいにトイレに行きたくて起きたら、
ちまがついてきて、何か食べたいというので、餌をやり、
10時に、年に一回だけ買っている化粧品が宅配で届いたので、
起きて受け取り、
ちまがまた何か食べたいというので、何かを食べさせ、
またベッドに倒れこんで、夕方近くまで寝ていたように思う。

空腹だけど、あたたかいうどんを作ってくれる奥さんはいないし、
起きて自分でインスタントラーメンを作って食べて、
また寝た。

夫からメールがあり、
今日は母屋はお弁当を買うけど、何かいるかい?と
聞いてくれたので、
シウマイと、ジョナゴールドを頼んだ。

シウマイと、高いジョナゴールドを一個買って来てくれた。
スーパーなら100円台で買えるものだと思ったが、
450円もするジョナゴールドを買ってくれた。
美味しかった。

レトルトのおかゆとシウマイとリンゴを食べて、
ちょっとちまを構っていたら、
またベッドで伏せて寝落ちしていたので、
いかんいかんと思って、ちゃんと毛布をかぶって寝た。
夜中に一度起きてみたが、やっぱりまだ、
座ってるのもしんどいので、ムギのところには行けない。

ムギという子は、「適当にあしらう」ことができず、
餌でごまかすこともできない。
きちんとじっくり向き合ってあげられないとダメなので、
中途半端には行けないのだ。

なので、夕べも行かない選択にして、
ゴミもまとめたが、母屋の物置に入れに行って、
ムギと会ったら、知らんぷりは出来ないので、
玄関の内側に置いておき、朝、夫に出してもらえるよう、
お願いをした。


ただでさえ、夫は忙しくて時間もなく、
お姑さんのことで、ストレスも多いので、
煩わせてはいけないのに、
結局お世話になってしまった。
申し訳ない。

お姉さんにも、介護は気にしなくていいけれど、
あなたが倒れたら、弟が困るから、体、気をつけてねと、
言われていたのに、迷惑をかけてしまった。


夕べは夜中の1時に寝て、
今日は、空腹なちまに何度か起こされたが、
お昼の12時半くらいに、どうにか起きられた。

それは、すごく嫌な夢を見ていて、
これからどうやって生きて行けばいいの?と思った時、
そうだ、わたしはもう、再婚していて、
生きて行くのに困っていないんだった!と気が付いた。
それで目が覚めて、ちまにも起こされたのだ。

夫のお昼休み中だったので、メールしてムギの様子も聞けた。

ムギは夫にしがみつくように甘えていて、
夫は、降ろすことをためらい、
でも遅刻してしまうし、と悩んでいたそうだ。

ムギに寂しい思いをさせてしまった。

なのでちまに餌をやってすぐ、ムギに会いに行ったが、
留守で、呼んでも帰って来なかった。

またあとで来ようと思って一旦帰り、
洗濯をして、夕飯の煮物を作った。

具合が悪くなった時、ちょっとゾクゾクしたので、
風邪を引くのかと思って、
葛根湯とビタミンCを飲んでいたのだが、風邪ではなかったようだ。

先週、あまりにもいろんなことがありすぎたから、
精神的に、疲労したのかもしれないなと思った。

体の疲れでさえ、翌日にではなく、翌々日に出て、
なかなか回復しないような年齢になっているので、
精神の疲れは、もっと深くて、後から酷いかたちで現れることもあるだろう。

わたしは、親と接触すると、もう絶対に壊れる。
着信があっただけで、あんなことになってしまうのだから、
もう会うことはないと覚悟している。

けれども、親の方は、自分たちが悪いだなんて、一ミリも思ってないので、
いざとなれば来るだろう、と気軽に考えていると思う。

わたしは、死に目に会わない覚悟すらしているというのに。


16時にまたムギのところに行ってみた。
まだ留守。
呼んで待っていると、ムギのあの、ものすごい可愛い声が、
わたしを呼んだ!
「なーん!」
「あっ、ムギちゃん!」
「なーん!」
「ムギ~。」
「なーん!」
「ムギ~。」

何回も呼び合って、ムギがだんだん近づいて来て、
帰って来てくれた!
感激!
ムギは車の横を通って、すぐにわたしの脚に乗った。

ああ、ムギちゃん、久しぶり…。
ごめんね、来れなくて。ママね、具合悪くて寝てたの。

体に触れると、草の実だらけだった。
手で取り除いてから、ウェットシートで拭き始めると、
シートがみるみる黒くなった。
ムギがすごく汚れていたのだ。
まるで土の中にいたように、汚れていたので、
シートをどんどん換えて、体を拭いてやった。

ごめんよ、ムギ、ママが来なかったから、汚れたままだったんだね。

何もやれてない自分だけれど、
猫たちのことは、ちゃんとわたしがしないと。

ブラッシングして、体を撫でて、ひざ掛けでくるんだ。

ムギのベッドの中の敷物も交換した。

天気予報を見ると、どんどん寒くなってくることがわかった。
最低気温が、ひとケタと言う日も出てくる。
ムギの小屋に、もう一段階、暖かさをプラスしよう。

45分間くらい乗っていて、足りたのか、ムギから降りた。
夜中にまた来るからね、と約束して、
わたしは部屋に戻った。

自分で作った煮物と、炊きたての新米で美味しい夕飯。

しかし、昨日はめちゃくちゃ寝たなあ。
疲れていたんだなあ。

ある意味、体の疲れより、見えない分、疲れ方が激しいかも。

でも、しっかり寝込んだのは、久しぶりだった。


明日は精神科通院なので、行けそうになって良かった。

夫に迷惑を掛けないように、気をつけて暮らそう。

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甘えの構造?

昨日、ダウンコートが着れなくなって、
新しいのが買いたいのだと、書いた。

でも、ちゃんとしたいいコートは、当然高い。

わたしは、高くても品質のいいもの、気に入ったものを買って、
長く使いたい。

だから、鞄も、本革のを買って使いまわしている。

でも、一人で、コートに5万出す勇気が出ないのだ。
働いてもおらず、消費だけしているお荷物のわたしが、
そんな高いものを買うなんて、世間さまに許してもらえない、と
思ってしまう。

ならば、夫が買ってくれたらどうだろう。

これは、単純に、すごく嬉しいことで、
罪悪感も持たずに済んで、
わたしの精神状態には、すごくいいのではないか?と思った。

ダメかもしれないが、夫に、
お誕生日プレゼントとして、ダウンコートを買って欲しい、
土曜日、時間があったら、一緒に行って見立てて欲しいと、
お願いしてみた。

ダメなら、ダメって、言ってくださいね、と書いた。

結婚当初は、誕生日にバラの花束をくれたりした。
もちろん、そんなことをされた経験はないし、
バラは好きだけれど、
花束って、最も状態のいい時期の物を渡されるよね。
そこからは、衰退していくのを、世話するだけになってしまうのだ。

そのことが辛くて、もう花束は要らない、と遠慮した。

その後は、豪華な夕食に連れて行ってもらっている。
物をねだるのは、久しぶりだ。

今年は帰省もしないから新幹線代いらないし、
お年玉も、今年から、いいですよって遠慮したから、
年に一回、おねだりしてみてもいいよね。


夫からは、いいですよ、買いましょうという返事は来なかったが、
土曜日は午後予定があるので、落ちあえるのが16時半くらいになるが、
それでもいいか?
あとは、ばあさんの飯を、
娘たちのどちらかがやってくれるかどうか、
聞いてみないとわからない、という返事が来た。

買ってやらない、とは書いてなかった。

そもそも、大きいサイズしか着られない体型になったので、
売ってる種類がすごく少ないと思うし、
その少ない選択肢の中から、着られて、
気に入るものが、あるのかどうかもわからない。

いくらくらいまでなら買ってもらえるのかもわからない。

けれど、夫に拒否されなかったことが、
わたしの心を落ち着かせてくれた。
甘えを受けてもらえたことで、安定したような気がする。



わたしは貧しい育ちで、それが子供心にわかっていたので、
無理なおねだりは、絶対にしなかった。
どうせ、ダメだ、無理だ、必要ない、と言われて終わり。
傷つく。
それがわかっているから、自分から、おねだりしたことは、
本当に少ない。

どうしても!とねだったのは、
カセットテープレコーダーと、ヘッドホンぐらいだ。


お雛様だってうちは、ない。
一人娘なのに、お雛様もないの?と言われたことがあった。
近所の親しいお宅には、当時で既に珍しかった、御殿造りの、
七段のお雛様があって、自慢の品で、
わたしはうっとりと眺めさせてもらった。

いい加減大人になってから、何でわたしにはお雛様がなかったの?と
聞いてみたら、
「アンタ、欲しがらへんかったやんか!」と言われた。

そう、母は、すべてをわたしのせいにする。
次の子供を産めなかったのは、
アンタを産んだ時に死にそうになったからや、と言われ、
幼い心に傷がついた。
でもこれは嘘。
父が二人目を望まなかったそうだ。

うちの母は、今でこそ老人になって肉が落ちたが、
とても太った人だった。

なんでこんなに太ったの?と聞いた時には、
アンタを産むために仕事辞めて、
アンタの食べ残しを食べたからや、と言われた。
幼い心に傷がついた。


お雛様、欲しかったに決まってるじゃないか。
でもそんなものが買ってもらえる状態の家ではないって、
幼心にわかっていた。

だから、タンスの引き出しを、少しずつずらして開き、
そこに持っていたありったけのビニールの人形を並べて、
「お雛さまだ~。」と喜ぶフリをしていたのに。


最初に結婚した夫は、ものすごいケチだった。
新婚旅行で、ハワイに行き、
みんながブランド品を山のように買っているのに、
わたしが、何を欲しがっても、「そんなもん要らん。」と言われて買えず、
他の新婚夫婦の旦那さんが、奥さんに、
「どう? 何か欲しい物ある?」と優しく聞いているのを耳にして、
思わず泣いてしまったくらい悲しかった。

帰り、空港の税関で、他の新婚夫婦に比べて、
極端に荷物が少ないことで止められて、
本当に新婚旅行かどうか、怪しまれて調べられたのだ。

他の新婚夫婦は、持って行った大きなトランクの2倍くらいの、
お土産やらブランド品を積み上げて、
税関を通っていた。
わたしたちは、トランクに、紙袋一つが増えただけだったのだ。
運び屋なのではないかと、疑われた。

帰りの新幹線の中で喧嘩になり、わたしは泣いた。
とても惨めだった。


必要だから買うものとは別に、
欲しいから買う、というものが、あるのだ。
無くても生きて行けるけれど、あったら心豊かに暮らせる、
そういう買い物って、あるのだ。

夫が、「ダウンコートなんて必要ない。買わない。」と
言わなかったことで、
わたしは既に、ちょっと幸せになっている。

もし気に入ったものが無くて、今年買えなくても、
買ってもいいよって思ってもらえたことは、
忘れないと思う。


貧乏はね、心が荒むんだよ。
夫は貧乏の経験がないから、知らないと思うけれど、
本当にね、ギスギスするんだ。

わからないかもしれないけれど、
もう、あんな気持ちは、味わいたくはない。

なにもシャネルやエルメスが欲しいと言っているのではないので、
叶ったら嬉しいな。

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物欲がねえ…。

何の反動かわからないが、
今、一杯、欲しいものがあるのだ。

今年になって、帰省の時の多大なストレスにより、
大過食をしてしまう数カ月が続き、
その結果、見たことのない体重になってしまった。

食べて、運動はしないのだから、太って当たり前だ。

だから、お気に入りの、水色のダウンコートが着られない。
窮屈で、死にそうになるのだ。

美容師さんにその話をしたら、
伽羅さん、時々痩せるから、取って置いたらいいじゃないですか、と言う。
確かに、具合が悪い時は、仕方なく痩せたよ。

ドライマウスで、食べられるものが限られてた頃とか、
去年、胆石が詰まって、膵炎をやって、
胆のうを摘出して、はめていた管を抜いた。

最初の5日間の完全絶食が辛すぎて、
普通に食べられるようになるまで、だいぶかかった。
その時には数キロ痩せたけど!

だけどそこから、言えないくらい、数キロ太って、
もう足の指の爪切りも難しいし、
靴下を履くのだってしんどい。


そんなわけで、綺麗な色のダウンコートが欲しいのだけど、
大きいサイズって、あまり種類が無いし、
売っている店も少ないし、
色数も少なくて選べない。

今は軽い鬱状態にあり、買い物とかに出られないので、
ネットを徘徊しているが、
コートは、来てみないと、いくら大き目サイズを買っても、
腕回りだけきつくて無理、とか、
余計に太って見えちゃうとか、
そういうことが多いので、実店舗で買いたい。

でも、実店舗だと、5万くらいする。
一生着られるとは思うけど、そんなに出す勇気がないよ。


他にも、かかとの角質を削るリムーバーとか、
顔をそるシェーバーとか、
ハンディタイプの簡素な掃除機とか、
欲しいんだけど、
買いたいものがありすぎて、どれを優先すべきかわからない。

お年玉ももうもらえなくなったし、
お誕生日に、夫に、どれかおねだりしてみようかなあ…。


物欲がありすぎて、困ってる今のわたし。

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見捨てないで!

色々なことが、いっぺんに起きてしまった火曜日。

寝起きに、起きた大事故とは、美容師さんからのメールだった。

先日「少数精鋭」というタイトルで、
わたしにとっての大切な美容師さんのことを書いたが、
もう本当に、彼女じゃないと、ダメなのだ。

いつも感謝していたし、色々差し上げて来ていたし、
話もいっぱい聞いてもらって、聞いて、
二人で一杯笑って、
楽しく過ごしていた。

けれども、そのメールの内容は、
「今の店を辞めようと思います。伽羅さんのことは、一生担当させていただくつもりでしたが、申し訳ありません。」
という話だったのだ。

寝耳に水とはこのことだった。

店長さんと彼女の二人しかいない店なので、
店での待遇とか、給料の話とか、
一切、聞いたことがなかった。
彼女も、愚痴を言わないで来た。

だから、もうすぐに辞める、と決まっているメールだったので驚いた。

わたしと居る時は笑っていたけれど、
実は、雇用状況がひどくて、店長もひどい、ということを、
そのメールで初めて知ったのだ。

まず、時給制ではなく歩合で、たった35%しか、もらえてないそうだ。
なのに、長く店にいることを強要され、
店ばかりか、ビルの廊下や階段の掃除までやっていたのに、
時給は派生せず、ただ働き。

彼女は、小学生のお子さんが二人いるが、
ご自分のお母さまと同居しており、
お母さまが、子供たちの帰りを待っていてくれたり、
家事も手伝ってくれるので、頑張って働いて来れていた。

けれど、どう考えても給料が安く、
交渉しても、ならばもっと客を連れてくればいいとか言われ、
この条件が嫌なら別にいてもらわなくても、という店長だそうで、
次々に、美容師さんが辞めて、
彼女一人になってしまっていたのだそうだ。

一軒家の住宅ローンもあるし、今後お子さんにもっとお金がかかるし、
もう限界だ、と思って、
店を変わることにしました、と書いてあった。

そんなにひどい状況だったなんて、全く知らず、
しょっちゅう会っているのに、愚痴も聞いてあげてなくて、
わたしは申し訳がなかった。

それで、知り合いが開いた、カラー専門の店に行こうと思います、
明日、面接に行ってきます、とのこと。

待って、カラー専門店、ってことは、
もうわたしのシャンプーは、してもらえないってこと?

わたし、どうすればいいの?

わたしは、彼女の人柄と、シャンプーの技術に、惚れぬいているのだ。
水恐怖症のわたしは、うつ病になってから、髪を洗えなくなり、
いつもベトベトだった。

再婚してからは夫が洗ってくれたが、
強めにやって、というと、爪を立てるので、頭皮に傷がつく。

アパートに越してからは、お風呂が狭すぎて、
しかも追い炊きもついてないので、無理になり、
やがてわたしは、彼女と出会い、
シャンプーのために、美容院に通うことになった。
当時は、シャンプーが1,000円だったので、安いものだった。

彼女がスタイリストに昇格し、店を変わったので、着いて行った。
シャンプー料金は、二倍になったが、
それでも他の店よりは安くて、
とにかく、がっしがしと、3回も洗ってくれて、
こまめに耳は拭いてくれるし、
ブローも丁寧にやってもらえて、
その間、お喋りをして、わたしの楽しみの一つだったのだ。

だから、彼女を失うなんて、考えられない。
どうしよう、困った、どうすればいいの?

でも、彼女が今の店で、そんなに冷遇されてると知ったからには、
店をかわるのは、賛成。
でも、わたしのシャンプーも、
そのカラー専門店で、どうにかやらせてもらえないか、
聞いてみてもらえないですか?と、
泣きついた。

そして、わたしが、あまりにも、「あなたじゃないとダメなの」って、
言いすぎて来たから、
店を辞める決意が揺らいで、長く苦しめたんじゃないかと、
反省もした。
追伸として、その反省もメールした。

そしたら、彼女から、
今、ひとりなので、ちょっと電話で話せますか?とメールが来たので、
もちろんOKした。

わたしが謝ると、彼女は、全然そんなことないです、
伽羅さんがいてくださったから、頑張って来れたんです、
でもあまりにも条件が悪いから、と言ってくれた。

それで、わたしからの嘆願メールを読んで、思いついたことがあって、
それは、店を掛け持ちする、ということだそうだ。

新しい店に籍は移して、
今の店の予約が入った時だけ、出稼ぎに来る。
彼女が出稼ぎに来たとしても、店長には65%も入るのだから、
問題ない、という。

そして、美容師というのは、店を掛け持ちして良い、と、
決められた職業なのだと教えてくれた。

だから、そこを着地点として、面接に行って相談してきます、
せっかくスタイリストになって、カットもパーマもやれるのに、
一日中、カラーだけやってるのもむなしいですし、と
折衷案を考え出してくれた。

わたしは、心から安堵して、
思わず泣いてしまい、
ごめんね、わたし、あなたじゃないとダメなの、と言ってしまった。

翌日、面接が終わったらメールします、と言ってくれた。


そしてそのあと、薬局の注射問題やら、
親からの着信やら、号泣やらの、一日が終了した。

水曜日に面接に行くと言っていたのだが、
美容師さんからは、メールが来なかった。
きっと、疲れが出て、寝てしまったんだろうなと思って、
こちらからはメールはしなかった。

木曜日に、どのみち、シャンプーの予約をしていて、会えるので、
場合によっては、ひそひそ話ができるかもしれない、と思い、
予約時間に、美容院に行った。



わたしはいつも大体5分前には到着する。
ビルの3階なのだが、ビルの階段で、美容師さんが、わたしを待っていて、
小さい声で呼んだ。

すると、昨日は、ちょっと色々考えなおして、
そしたら熱が出て、早く寝てしまったんです、ごめんなさい、と
言われた。
相当、心が疲れてるんだろうね。可哀想に。

それで、あのあと、色々考えなおして、
やっぱり、カットもパーマもやりたいので、求人を検索して、
別方面にある、知らない美容院に、行ってみたそうだ。

彼女の家からは、今の店に行くのと、通勤時間(自転車)は
変わらないとのこと。

地域に根差した、地域密着型のお店で、
すごく料金が安いそうだ。
カットも、カラーも、2,000円以下でやっているそうだ。
シャンプーと、ブローが別料金になっていて、
合計すると、今より、150円くらい高くなりますけど、
カットとかカラーが安いので、トントンだと思います、とのこと。

簡単な説明を受けて来たそうだが、
予約も受けるし、予約なしの人もどんどん入れるので、
お待たせしてしまう場合が出てしまうかもしれないんですけど、
と恐縮していた。
そんなのはいい。

わたしは、彼女を失いたくないのだ。

で、働ける日数や時間を聞かれて答えたら、
そんなに沢山働けるなら、正社員で採ってあげられるよと、
言ってもらえたそうだ。
それは、いい話じゃないか。
彼女は、そこで採用されたら、掛け持ちはしないとのこと。

ただ、わたしは、今、降りているターミナル駅から、
更にバスに乗らないと行けない住所になるので、
ちょっとだけ、不便だけれど、それにもすぐ慣れるだろう。


マッサージ師さんに続いて、美容師さんまで、
こんな大きな変化があるなんて、
ビックリの年になったが、
わたしにとっては、かけがえのない人たちなので、
絶対に失うわけにはいかないのだ。

でも、マジで、美容師さんの最初のメールを読んだ時には、
「わたしを見捨てないで!」と思ってしまった。


階段でひそひそ話してから、何食わぬ顔で、普通に入店して、
「こんにちわ~。」と言っておいた。


最終的な面接と契約が、昨日だったのだが、
無事に採用されました!とメールが来た。
うんうん、良かった。

マッサージ師さんも、美容師さんも、
技術力が高く、人柄もすごくいい。
良い職場環境で、実力を発揮して働いてもらいたいと思う。

心から応援する。
そしてずっと着いて行く。

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ほらね、ちゃんとおかしい。

(昨日の続きです。)

ムギのところから帰って来ると、わたしは玄関で服を脱ぎ、
帽子やネックウォーマーを外し、
手を石鹸で洗ってから、部屋に入る。

ちまへの、せめてもの心遣いだ。

ムギのところに行くときは、「ちょっとムギちゃん見て来るね」と、
言ってはいるが、やはりムギ臭をあからさまに部屋に持ち込むことは、
ちまに悪いので、そうしている。

で、部屋に入って、カーディガンのポケットから携帯を出して、
テーブルに置いた。
すると、ランプがチカチカ光っている。

あれ? おかしいな。
音もバイブも鳴る設定にしてあるのに、
何も気が付かなかった。

開けて見ると、着信があったというお知らせが、
ショートメール経由で来ていた。

調べたら、わたしの親からの着信だった。

な…なに?

何で、急に、電話?
どっちか、死んだの?


お正月以来、わたしは一切コンタクトをしていない。
当然、電話なんてありえない。

わたしが、魂を削って書いた手紙を、無視されたのだから。
親がわたしを、切り捨てたのだ。

わたしも、この手紙は、相当の覚悟を持って書いているので、
これを受け入れられない、理解できない、
もうお前なんて要らない、ということであれば、
粛々とそれを受け入れます、と書いた。

それに対して、父からはノーリアクション。
母からは、「あれはわたしがもらったお土産だから。」と、
自分を正当化する短い手紙が来たが、
わたしは、無視した。

そして半年間泣いて、
ひっそりと、「娘」を、降りたのだ。

だから、気軽には電話してはこないと思っていた。
だから、死んだのか、と思ったのだ。

時計を見たら、ちょうどぴったり、17時45分だった。
夫の終業の時刻である。
すぐに夫に電話をした。

夫が、「はい?」と出てくれた。
わたしはもう、既にパニック状態である。
「あのね、今ね、実家から着信が続けて2回も入ってた。
わたし、実家からの電話は、着信拒否にしてるから、鳴らなくて、
今画面で見て知ったの。」

すると、夫は、自分には電話はかかって来ていない、という。

夫にかかって来ていないということは、
死んだわけではなさそうだ。

けれど、明らかに絶縁しているこの状態で、
いったい何が起きて、いきなり電話なんてしてきたのか、
悪いけど、あなたが電話して、聞いてもらえる?と、
夫にお願いした。

終業後、本当ならすぐに着替えて駅まで走って、
電車に乗るはずなのに、うんわかった、いいよ、と
夫は快諾してくれた。


ムギと長くいて、空腹だったので、食べようと思って、
パンを温めてたのだが、
一気に具合が悪くなり、ガクガクして、吐き気もした。

なんなんだろう。
なんでいきなり電話なのよ。


15分か20分くらいして、夫から、メールが入った。
走って電車に飛び乗ったそうだ。
一本、見送ったらしいが、次の電車には走って乗ったとのこと。

なんだったかと言ったら、
伯母(父の姉)が、意識不明になり、招集されたのだが、
呼びかけたら意識が戻った、という話だって、とのこと。

なにそれ!

いや、誤解しないで欲しいのだが、
わたしは伯母のことは好きだ。
お世話にもなった。
再婚の時にも、お祝いをくれた。

その伯母は90歳で、そろそろ危ないということは、
時々会う、都内の従姉から聞いて、知っていた。
(その従姉の母親ではない)

だから、危篤になったとしても、ああそうか、もうダメなのかと、
悲しい気持ちにはなる。

でも、意識不明だったけど、目を開けた、って話で、
何で、電話を気軽に掛けて来るのか!

わたしは、腹立たしかったし、夫にも申し訳なかった。

帰りの電車の中から夫がメールをくれて、
お葬式には行けないってスタンスでいいよね?と聞いたら、
僕がそのようにもう伝えたよ、とのこと。

なんてありがたい!!

わたしは、この人と結婚して、本当に良かったと思った。

庇となり、盾となって、守ってくれているのだ。
ありがたくて涙が出た。
もう力が抜けて、レトルトカレーで夕飯にしてしまった。

夜、資源ごみの分別があるので、母屋に行った。
夫は歯磨きをしており、
わたしがゴミを分別して袋を縛った。

そして、夫が階段に座って、あらためて、どういう話だったのか、
どういうニュアンスだったのかを、聞かせてもらった。

電話をかけて来たのは、父だったそうだ。
夫が掛け直して、話したのも、父だったそうだ。

とにかく、伯母が意識不明になって、朝、招集された、とのこと。
その伯母は、若いころにガンになり、何度も手術していて、
肺も半分ないのか、四分の一無いんだったか、
とにかく、満身創痍の人なのだ。

叔父は早くに亡くなっており、教員をしている一人娘(従姉)のために、
人生をささげて生きて来たような人だ。
ついこの間まで、車の運転もしていた。
パワフルな人だったが、90歳にもなったし、
さすがに体に限界が来たのだろう。

呼びかけたら、意識が戻ったので、帰って来たのだが、
その段階で、わたしに電話をしてきたということは、
お前、葬式には出るだろうな?という、圧力だと思った。

夫もそれはすぐにわかって、
お葬式には、行けません。と、はっきり言ってくれたそうだ。
ありがたいことだ。
で、その時、父の反応はどうだった?と聞いたら、
「そやろなあ。」みたいな雰囲気だった、とのことだった。


話の途中だったが、わたしはもう壊れそうになり、
階段に座っていた夫のオマタめがけてハイハイで頭を突っ込み、
激しく叫びながら、号泣した。

抑えようがなかった。


ああ、わたしには、生まれてこのかた、
「これ」をさせてくれる人が、いなかったのだ、と、
わかった。

涙とか、鼻水とかより、叫び声がすごかった。
わたしはこれを、50年、封印して生きてきたのだ。

泣くことを禁じられていたからだ。

なんでなの?
一人っ子なのはわたしのせいじゃない、親の勝手な都合なのに、
なんでわたしに責任があるの、
どうしてこんなに苦しめるの、
わたしの何がいけないの、と、
わめきながら、泣いていたように思う。

夫は、黙ってわたしの頭をはさんで、背中をさすってくれていた。

そして、もう娘たちが帰って来るから、おいで、と
自分の部屋に連れて行ってくれて、布団を敷き、
そこに乗らせてくれた。

まだしばらく泣いていた。

葬式になんて行く必要ないのに、なんでそんなにこだわるの?と
夫は不思議がった。

わたしは、親に洗脳されて育っている。
面子ばかり気にする親に育てられた。

叔父(父の弟)が亡くなった時も、母から電話が来て、
わたしは、行ける自信がない、と言ったのに、
同じ東京に住んでいる、従姉の〇〇ちゃんが来るのに、
あんたが来られへんでは、成り立たん。と言われた。
それで、無理をして、行ったのだ。

うちの親は、父の父(祖父)の法事を、50回忌まで務め上げている。
それは偉いと思うし、本人たちも、誇りだろう。

けれど、何の為かと言ったら、
親戚の手前、面子なのだ。

ただ、手厚く法要された祖父は、
わたしの後ろについてくれているそうだ。


夫とは色々喋った。
親として、子供に聞かせてはならない話ってあるよね、とか、
いやいや、うちの母だって酷かったよとか。

夫の長い留守中に、お姉さんとお会いして、
色々お話したことも、詳しく話せた。

お姉さんは、親の介護はわたしたちで手分けしてやるから、
あなたは、弟の話し相手になってくれてたらいいのよ、
でも、倒れられると困るから、大事にしてねとおっしゃってくださったのだ。

最後は、お姑さんが隠れてビールを飲んでいるカメラ映像を見て、
二人で笑った。


泣き腫らして、遮光土偶みたいな顔になった。
けれど、あんなに叫んで泣いた経験は、
生きて来た中で、多分ゼロだったと思う。

裁判所で、求刑が、思ったより重く、
もう私たちにやれることが何もないと、絶望した時も、
激しく泣いたが、
裁判所なので、大声をあげることは出来ず、
数時間、ベンチに座って、ひたすら泣いた。


あんな涙とは違う。

わたしは、辛い育ち方をしてきた。
今も、親と絶縁している。
褒められた生き方ではないのは、わかっている。

わたしはそれをわかっているが、
親たちは、自分たちに間違いがあったこと、
わたしや息子を傷つけたことを、全く、1ミリも、理解していない。

絶対に許さない。
自分にされたことについては、蓋をして、生きて行く手立てがある。
しかし、
わたしの、命よりも大切な息子の、美しい気持ちを踏みにじり、
しかもそれを説明しても理解しようともせず、
善人ぶっている親に、
わたしは怒りと絶望を消すことはない。


翌日、運よく、カウンセリングだった。
短い持ち時間の中で、上手に話せた。

旦那さまが、非常にいい意味で合理的な方で、
良かったですね、と言ってくれた。



葬式には行かせない、香典はちゃんと出す、と言ってくれた夫。
心から感謝している。
結婚して、本当に良かった。

わたしは今、生まれて初めて、守られて生きている。
ありのままの、おかしいわたしで。

夫が言ってくれた。
ほらね、いくら取り繕っても、キミはちゃんとおかしいんだから、
無理しないでいいんだよ。って。

ちゃんとおかしい。
うん、そうだよね。

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怒涛の幕開け。

昨日、火曜日は、起床したその時から、もう、大変なことが起こって、
その、一番最初の出来事については、まだ結論が出てないので、
追って、書くことにする。

月曜日は、結局、丸一日、ムギに会えなかった。
姿さえも見かけることがなかった。
呼んで呼んで、無駄だとわかっていても諦めきれず、
何十分も待ったが、
夕方も、夜中も、ムギは帰って来てくれることはなかった。

とても寂しくて、不安で、何も楽しく感じられない。

ただ、夫がいてくれて、朝のムギがどうだったかを、
メールで教えてくれる。
小屋で寝ていて、シッポ振るだけで、出て来なかったよとか、
小屋に居て、ちゅーる食べたらちょっと出て来てそばで過ごしたよとか、
教えてもらえているので、ああ、元気に生きてるならいいか、と思う。

夫の留守中は、わたしの目しかないので、すごく緊張した。
ムギになにかあったら、一人でどうにかするしかない。
会えなかったら、心配で寝付けない。

外の世界には危険がいっぱいなんだから、
やはりムギのことは、夫と二人で見て行かないといけない。


昨日は、起きてすぐ、ムギのところに行ってみたが、
天気が良くて暖かいので、小屋にいる理由もなく、
呼んでみたが、帰っては来なかった。

なので、部屋に戻ってトーストを食べて、
預けっぱなしになっていた、リウマチの注射を取りに、
薬局に行った。

手元にまだ一本あったので、出かけるついでの日でも良かったのだが、
つい忘れて帰って来てしまうので、
わざわざ、そのために、出かけたのだ。

リウマチの診察で、指の関節の痛みがどうしても取れず、
炎症の数値も下がっていないことを憂いて、
先生は、思い切って、月に一回だった注射を、2回にしましょう、
そしてそれを2カ月間、やってみて、
それでもダメだったら、別のアプローチを考えさせてください、と
おっしゃった。

注射が、一本、2万円もするものだとご存知だから、
苦渋の決断だと思った。
わたしは了承した。

夫にも報告して、お金かかってごめんなさいと謝った。


ヒュミラという注射を打っていた時は、
あまり効果が見られなくて、
より強い、シムジアという注射に変えた時、
ガクンと、痛みが減ったのだ。
これはいけるかも!と思ったのだが、
その後は横ばいだった。

シムジアは、本来は、月に2本打つ注射だが、
一本で効果が見られたため、一本でしばらくやってみたが、
ダメなようなので、二本になったというわけだ。

次の診察が12月末になったので、4回分、4本の処方になった。

注射は高いし、使っている人がいないので、
わたしの行きつけの調剤薬局には、置いてない。
なので、処方箋を預けて、取り寄せてもらい、
翌日以降、取りに行っている。
今回は本数が増えたので、受付で、処方箋を渡す際に、
受付の人に、
「今まで、シムジアが月に一本でしたが、月に二本に増えました。
なので、今回は、四本になります。」とお願いしておいた。
間違いがあってはならないからだ。
だから、まさか問題が発生するなんて、思ってもみなかった。



薬局に入って行くと、責任者の方がたまたまトイレから出て来て、
わたしを見ると、白衣を着直して、
カウンターに戻り、わかってますよ、って顔をしたので、
わたしは黙って待っていた。

すると、奥で何か揉めている。

呼ばれたのでカウンターに行くと、
注射が、一本しか来ていないと言うのだ。
一本しか取り寄せなかった、というのだ。

どうしてそうなるの?
わたし、変更があったので、処方箋を渡すときに、
注射が増えました、今回は4本になります、って、言いましたよ?
と、思わず語気が荒くなった。

すると、その責任者の方はわたしのカルテを見せてくれて、
受付の人が記入したメモを見せてくれた。

そこには、「注射が4回分に変更になった。
一本を4回使用」、と書かれていた。

…バカじゃないの?

一本の注射を、4回使いまわすなんてこと、ありえるわけがないじゃない。
受付の人は薬剤師ではないので、
知識がないにしても、
わたしが、言ったとおりに、「増えました。今回は4本。」と、
書いてくれさえすれば良かったのに、
真逆の解釈をして、そんな馬鹿なメモがしてあるのだ。

そして、処方箋を読んで、発注するのは、薬剤師の仕事。
プロの薬剤師が、そのメモをうのみにして、
一本の注射が4回分、で、いいと思って発注するだなんて、
そんなことが許されるの?
っていうか、ありえる?

わたしのほかに、シムジアをそこで買っている患者がいないそうだが、
しろうとの一般知識としても、すでにおかしい話なのに、
プロである薬剤師が、なぜそこの部分に、疑問を持たないのか、
そこが、問題なんですよ?と、わたしは静かに怒った。


実は、この薬局では、前のヒュミラの注射の時にも、
ものすごいミスをされて、
危うく命に関わるところだったことがあるのだ。

ヒュミラを打っていた当時、
途中、ヒュミラの注射が、成分はそのままで、液体量が少なくなり、
注射器も小さくなるし、痛みも楽になるように、改善された。

でも、ドクターはそのことをまだ知らなかった。
また、薬量は同じなので、一本と指定するだけだから、
ドクターは知らなくても構わない。

で、薬局に行って、ヒュミラをお願いすると、
変更で、薬液が半量のものしかなくなってしまったので、
一本の処方ですけど、二本出しますね、と言われた。

だから、値段も二本分に増えますって言われた。

おかしくない?
量が減ったのに、値段はそのままなの?
それを、二倍、打たなくてはならないの?


わたしは、何か、どうにも腑に落ちなくて、
じゃあ、その二本は、一度に二本打つのか、
それとも、月に一回打ってたのを、月に二回に分けるのか、
どっちなんですか?と聞いた。

そしたら、一度に二本だと思います、と言うのだ。

わたしは、納得が行かなくて、渋った。
でも、わたしの主治医は、他の大学病院から出向して来ているので、
もう病院を出てしまい、捕まらなかったらしい。

わたしが、一度に二本だなんて、納得が行かないと言い続けると、
じゃあ、製薬会社に聞いてみますか?と言われたので、
最初からそうしろよ!と思って、そうしてください、とお願いした。

そこで、やっと、ヒュミラという注射に、改善がされて、
液体の量だけが減って、薬量は同じ、効能は同じであることがわかった。

だから、処方箋通り、一本で間違いなかったのだ。
ヒュミラの変更を、薬剤師が知らなかっただけなのだ。

わたしは、激怒した。
これ、ものすごい強い薬なんですよ。
もしも、一度に二本打ったら、死ぬかもしれないんですよ?
なんで、確認もしないで、気軽に、一度に2本で、って言えるの!
と、めちゃくちゃ怒った。


翌日、取りに行くと、責任者の人がわたしを待っていた。
名刺を渡されて、どういう経緯で間違いが起きたかを、
正直に説明してくれて、平謝りだった。
注射器の箱には、「薬量そのまま、液体が半分で楽になりました。」と
ちゃんと書かれていたのだ。

無知は、仕方がない。
改良されたことがまだ伝わっていなくて、知らなかったのは仕方がない。
けれど、一日で二本打つのはおかしくないか、と
患者が疑問を感じるように、
あなた方、プロの薬剤師が、先に、それは変だなって、
どうして疑問を感じないの?と、わたしは怒った。
プロ意識に欠けてる。
これでわたしは死んだかもしれないですよ、と言った。

その件については、会議で全員が知識を共有し、
疑問があったら必ず確認する、と約束してくれたから、
ずっとそこに通っているのだ。

なのにまた、こんな、プロ意識に欠けた失敗。


注射は、今この一本を持ちかえれば、事は足りますが、
そういう問題じゃないでしょ?
この前も言いましたよね、まず、疑問を持つことが大事だって。

責任者の人は、明日、お届けに伺います、と言ったが、
そういうサービスの問題じゃない、
明日は出かけるから、帰りに寄れるのでいいです、
とにかく、会議を開いて、問題点を共有してください、と
強く言って、一本だけシムジアを持って帰って来た。

そのためだけにわざわざ出かけたのに、
本当に腹立たしかった。



怒ったので汗だくになったが、帰宅したらもう16時だったので、
急いでムギのところに行ってみた。
お姑さんがデイサービスに行っている日なので、
17時半には、ガレージの勝手口に帰って来てしまうのだ。

ムギは、居てくれた。
喜んで近づいて来て、文句を言う。
いやいや、ママ、何回も来たけど、帰って来なかったのは、
ムギのほうじゃない?と言っておいた。

喜んでくれて、何も欲しがらずに、ただひたすら、
わたしに乗ってゴロゴロと言っていた。
ムギのふっくらとした体のフォルムがいとおしい。
可愛い。

そのまま17時を過ぎた。
ごめん、ムギ、もうすぐおばあちゃんが帰って来るの。
知らないおじさんが、おばあちゃんを連れてここに入ってくるから、
ママ、会いたくないの。
ごめんね、と言って、おかかをやり、抱き上げて抱きしめて、
そっと降ろして、部屋に走って帰った。


そして、そのあと、事件が起きたのだ。


長くなるので、続きはまた明日書きます。

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大号泣。

今日は、起きた時から、すごく大変なことが連続して起きた。

夜になり、
最後は、たまらず、階段に座っていた夫のオマタに頭を突っ込んで、
大号泣した。

耐えて、耐えて、耐えて来たのだ。

何十年も。

わたしに何の責任があるの、
わたしのせいで一人っ子なんじゃない、親の勝手な都合なのに、
なんでわたしの責任にされるの、
どこまで頑張ればいいの、
もうわたしは何十年も頑張ったんだよ、
頑張って、頑張って、頑張ったけど、
ダメだったのは、わたしが間違っているの?

そりゃあ、許すことのほうが正しいよ。
許す心は、崇高だよ。
でもね、許せないことがあってもいいんじゃないの?
そこは絶対に許せない、っていう信念として持っててもいいんじゃないの?

親として、絶対にやってはいけないことって、あるんだよ。
もちろん、親だって最初は未熟だよ、
でもね、娘を、自分の母親代わりに据えてはいけない。
子供に聞かせるべきではない話って、
いっぱいあるんだよ。


こんなに泣いたのは、久しぶりだった。
声を出して泣き喚いた。

そう。
これがわたしの、本来の姿。

夫以外には見せないけど、
これが、わたし。

今日は起きた時からいろんなことが起こって大変で、
今夜はヘトヘトなので、
また、順に追って書きます。

夫と結婚して、わたしは救われたと思います。
感謝の気持ちでいっぱいです。

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ただひたすらのグレー。

今テレビでやっている、女性刑務所のドラマを見ている。

まあ、かなり誇張されているし、ちょっとこれはないよね、ってことも、
知ってるだけに、気になるところではあるけれど、
わたしが思うのは、刑務所では、犯罪者は、
更生しない、ということだ。

出所したら、なんらかの仕事に就けるよう、
作業を教えてもらえたり、資格が取れたりすることは、いいと思う。
けれども、なんじゃこれは!みたいな、作業も当然あって、
日本国内で、最も安い時給で、モノが作られている。

時給は、数十円なのだ。

それでも、拘置所に比べたら、
刑務所は、全然楽だと思う。

まず、人と話す機会がある。
窓があって外が見える。
作業が与えられて、毎日働ける。
外で運動したり、みんなで慰安ショーを見たり、
映画を観たりできる。

クリスマスにはケーキが、お正月には簡素なおせちが出る。

わたしから見たら、刑務所なんて、昭和の学校みたいなものだ。


ホリエモンこと、堀江貴文さんが言っていた。
東京拘置所にいる期間が、最も辛かったと。

そう、刑務所は、拘置所から比べたら、
気楽なものなのだ。

わたしは、東京拘置所しか知らないが、
おそらくは、あそこが、日本一厳しく、
日本一強固な拘置所だろう。

それは「要塞」と呼んでいいと思う。

まず、拘置所に入れられると、個室しかない。
全く話し相手がいない。

そして、窓はあるが、はめ殺しである上に、浮いた隠し板で覆われていて、
隙間から、光がちょっと見えるだけにすぎず、
天気も、気温も、季節も、何も想像のしようがない。

取り調べが終わり、本人が罪を全部認めるまで、
誰とも接見・面会は出来ない。
取り調べは、一日に何時間も行われる。
最長で3週間の拘留と、接見禁止が認められている。

面会が禁止なので、基本は誰も来ない。
着の身着のままで、寝る時もそのまま。

しかし、実は接見禁止中でも、差し入れが可能であった。
わたしは途中でそれを知った。
急いで暖かい下着を差し入れた。

そこに拘留されていると、誰かが知ってくれて、
しかも、わざわざ、あの荒涼とした、小菅という地に足を運び、
差し入れをしてくれないと、
着替えすらないというわけだ。


取り調べが終わり、罪状が決定すると、
やっと面会が解禁になる。
ホームページなどでは、一回30分以内、と書かれてあったが、
実情は、たった10分だった。

抗議したが、この東京拘置所は、多くの面会人が来るため、
刑務官の時間を回せないので、
10分が限度だと言われた。
容疑者自身は、やることもなく、暇を持て余しているのに、
面会は、一日に一組のみ、
時間はたった10分なのだ。


東京拘置所は、一面が、ただひたすら、グレーであった。

記憶しているのは、あの冷たいグレーだけなのだ。

入館するのは厳しく、
バッグはロッカーに入れて鍵を持ち、
そのほかに持って面会したいものがあれば、
ゲートで全部トレイに出して、手帳は中まで入念に見られる。

それが済むと、長い長い、グレー一色の廊下を歩いて行く。
窓はあるが、足元に、ちょこっとはめ殺しのガラスがあるだけで、
全く、外は見えない。

長い廊下を歩いて、エレベーターホールに着く。
そこは屋上がヘリポートとなっているらしく、
エレベーターが円形のホールに並んでいる。

受刑者によってフロアが分かれているらしく、
わたしが行っていたのは8階だった。

たまに、誰かと乗り合わせることもあるが、
誰も、決して、口を開くことはない。

わたしのように毎日行っていると、やはり毎日来ている人を覚えるが、
決して、声を掛けて話すことはない。

エレベーターを降りたホールには窓があったが、
面会室に向かう廊下は、窓がなく、また一面の冷たいグレー。

面会室にも、全く窓はない。

仕切りのアクリル板が天井までを区切っていて、
テレビのように、真ん中に通話用の穴があるわけではなく、
真っ平なアクリル板の下の方がちょっと隙間になっていて、
下から声が聞こえる。

刑務官は、容疑者のすぐ隣のデスクに陣取り、
会話を筆記具で、記録している。

たまに、口を挟むこともある。


裁判が結審して、刑が確定するまでは、
「容疑者」であって、まだ「受刑者」ではない。

容疑者には、作業も与えられず、運動も屋上で一人きり、
網で囲まれた空間で、見張られながら、15分体を動かすだけ。

テレビと同じで、刑務官のことを「先生」と呼ぶ。



裁判が終わって刑が確定すると、
容疑者は、「受刑者」となる。
その期間は、まちまちで、人によるし、拘置所の都合にもよる。
ある朝、突然言い渡される。

受刑者になると、頭髪を、丸刈りにされる。
長さは、5分刈りと3分刈りがあったそうだ。

女性の場合はどうなるのかは知らない。

そして、面会は、月にたった一回だけになってしまう。
差し入れてあったものは、すべて、領置(一時的な没収)となる。
食品や花は、捨てられてしまう。

受刑者になると、簡単な作業を与えられる。

街で配るティッシュに広告の紙を挟み込んだり、
箱の芯になる紙を折ったりというような、
至極簡単な作業である。

拘置所に居る間は独居なので、作業が終わってしまうと、
一人で待つしかない。


やがて、全国の刑務所に、振り分けられる。

事前に知らされることはなく、ある朝、グループに分けられて、
護送バスなり、新幹線なりで、
刑務所のある街に送られる。

拘置所から、刑務所に行ってしまったことを、
外の人は、知ることは出来ない。

刑務所に入って、色々と調査があり、
部屋とか、作業とかの配置が決まってから、
やっと、一通の簡単な通知を出すことを許可される。
この刑務所に、入りました、という、一行だけの書類。

同時に、刑務所から、身元引受人に対して、
本当にあなたは身元を引き受けますか?という、
問い合わせの書類が来る。

それで、あの地方のあの市の刑務所に入ったんだなとわかる。


刑務所では、処遇が決まっていて、
階級が上がるごとに、可能なことが増えて行く。
わたしが知っているのは、刑務所法が改正される前のことなので、
古い知識だけれど、
最初が4級で、手紙を出せるのは、月に2回。
もらうのは何通でもいいが、出せるのが2回だったと思う。

面会は、月に一回。
刑務所にもよるが、拘置所みたいに10分で終わりということはなくて、
30分くらい会えた。

本人の行いが良く、作業態度や実績が見られると、
3級に上がれる。
すると、手紙は月に4通になり、面会も月に2回が認められる。

2級になると、月に4回の面会ができ、
1級になると、仕切りのない、個室で、
刑務官抜きで、二人で面会ができる。


拘置所とは比べ物にならないほど、外が丸見えだ。
とはいえ、刑務所なので高い木立で外界からは見えず、
お堀もあって、外からも見えにくくなっている。

門を入って行くと、古い昭和の鉄筋の小学校のような雰囲気で、
拘置所の、あのグレー一色の陰鬱な感じが全然ない。

建物に、普通に窓があって、格子がはまっているだけなのだ。

面会のさいの、持ち物検査などなく、
堅牢なゲートもなく、
面会室のドアには窓さえあった。


作業は、まずは簡単な物からあてがわれるが、
のちに、その人の適正に合わせた職場に変えてもらえるようだ。

基本は雑居で、
朝の起床から点検までの短い時間などは、
どうしても小競り合いが生まれて、新参者はいじめを食らうが、
一人入ってくれば、今度はそいつがターゲット。

作業の種類によって、食事の量が決められており、
力仕事をする人は多くもらえる。


外の世界で働いて、
ストレスによって体を壊し、大量の血を流しながら、
新幹線代を稼いでいたわたしに比べて、
中にいる人は、イキイキとし、つやつやとして見えた。

階級が上がって、月に2回、面会が許可されるようになったとき、
月に2回、ちゃんと来て欲しいと言われた。

…その、新幹線代を、どうやって稼げと?


わたしは、糸が切れて崩れ落ち、
坂を転がるように、どこまでも落ちて行った。

こころも、からだも、既に限界を超えていたのだ。



あの当時、東京拘置所は、長い工事をしていた。
まだまだ、建物を八方に伸ばしていたし、
地面も、仮り固めのガタガタのアスファルトで、
工事現場を、歩道橋で渡って、建物に向かっていたのだ。
今はもう、完全に完成しただろう。

駅は、「小菅」という、日比谷線の駅一つのみ。
高架の駅で、いつも風がごうごうと吹き荒れており、
売店もなく、そこもまた、グレー一色の、荒んだ駅であった。

駅を出て、首都高に沿って、延々と道を歩く。
拘置所の正門と、面会の門は違う場所にある。
正門の前を、門番のおじさんに頭を下げて通り抜け、
角を曲がって、また延々と、塀に沿って歩き続ける。

門を入ると駐車場で、それを迂回して歩き、
歩道橋を渡って建物の入り口に入る。

向こう向きに、ソファがずらりと並んでいて、
面会を申し込む窓口、差し入れのものを買う売店、
売店で買ったものではない物や、現金を差し入れする窓口。

自動販売機が2台。


その光景を、見たことがない人は、
幸福な人だ。

限りなく、ただひたすらのグレー。

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まさかの「家紋」。

初めて、マッサージ師さんと、プライベートで会った。

わたしは、人間関係には、もう失敗したくないので、
すごく慎重になっている。

躁転していたとき、わたしはたくさんの人と交流し、
そして人を傷つけることもした。
沢山失敗をして、どうにもならず、
夫に尻ぬぐいをしてもらった。

あれから、自分が躁鬱病であったことが判明した。
躁状態のときには、わからないのだ。
まるで、治ったかのように頭がクリアになり、
アクセサリーのデザインだっていくらでも浮かぶし、
寝ないで作業していた。

ミシンを買ったりして、縫物に挑戦したり、
ヤフオクも、マメに出品したり買ったりしていた。

しかし、やがて、坂を転がり落ちるように鬱の大波が来た。

それでようやく、ああ、躁鬱病だったんだと、
自分で気が付いて、医師に申請した。


あれから病院も変わって、いいドクターに出会えて、
4か月間、毎週通院して薬を微調整し、
今はどうにか、「軽い鬱状態」に、抑えてもらっている。

躁鬱病は、鬱の時は何もできないのだが、
躁状態になると、危険なのだ。
やたらと高揚し、万能感が生まれ、攻撃的になる。

それを抑えるための薬を飲んで、生きている。

わたしの奥深くに埋めてある怒りは、半端なものではない。
そこに触れないように、今は生きている。
いつか、向き合って膿を出さなくてはならないのかどうか、
それは今は、わからない。

ただ、自分が正気でなくなった時に、この口から、
どんなひどい言葉が出てしまうのかを考えると、
空恐ろしい。




人間関係で失敗するのはもう、嫌なので、
一番頻繁に会って、一番話をしている美容師さんとも、
プライベートでは会わない。
会わない方がいい、と感じるのだ。

でも、今回の、マッサージ師さんの一件では、
わたしからの言葉に背中を押された、ぜひ聞いて欲しいと言われたので、
思い切って、会ったのだ。

結果は…

すごく、すごく、楽しかった。
いいのだろうか、と心配になるくらい、楽しかった。

彼女がこの町の店から、本来契約している店に移動することになり、
そうなった、酷いいきさつを聞いてあげるために会ったのに、
のっけから、和の色の話や、着物の柄の話や、
「家紋」の話で、盛り上がってしまった。

わかる?
好きな家紋を、言い合うんだよ?
それをお互いが、知ってるんだよ?

彼女が、「伽羅さんが一番好きな家紋は何ですか?」と聞いたので、
「わたしはね、丸に抱き茗荷、です。」と答えたら、
彼女がちょっと飛び跳ねた。
「次は?」と聞かれたので、
「菱にのぞき片喰」と答えた。
あとは、裏ねじり梅とかもたまらない!って話した。

で、あなたは?と聞いたら、ダントツで、「違い鷹の羽」とのこと。
うん、あれはカッコいいよね!
あとは、「九曜」と、「六文銭」」が好きとのこと。
わあ、渋い好みだなあ~!と笑っていると、
彼女が真顔になって、
「実はわたしの実家の家紋、「丸に抱き茗荷」なんですよ。」
と言った。

すごくない?
何千種類もあるのに、そこが一致する?

しかも誕生日を教えたら、
彼女の旦那さまのお母さまと同じだという。

ああ、この人は、江戸で一緒に生きてた仲間なんだなあと、
しみじみ痛感した。

今生でまた巡り会えて、本当に嬉しい。



コーヒーを飲んで、チーズケーキを食べて、
コーヒーのお代わりをしながら、
3時間、喋った。

肝心な話も聞いた。
もう、店長のバカさ加減に、開いた口がふさがらなくて、
わたしは激昂した。
彼女は、怒ってくださってありがとう、と言っていた。

そんな店、彼女が抜けたら、あっけなく潰れる。
間違いない。

よく、そんな環境で、今まで頑張れましたね、
本当にお疲れさま、と伝えた。

そして、彼女のマッサージ技術で、特に優れていると
わたしが思っている施術を伝えた。

隣のベッドで、知らない人が施術されてるので、
「あ~、そこそこ!」とは言いにくくて、今まで、心の中で、
「あ~、そこそこ。気持ちいい~!」って思ってたの、って言ったら、
じゃあ、新しい店舗では、声に出して言ってくださいね!とのこと。
なるほど、これが効くのね、と、励みになるそうだ。

あとは、彼女の家のワンちゃんの話とか、
うちのちまムギに話もちょっとした。

名残惜しかったが、3時間で解散した。

また会いたい。

でも、ゆっくり、少しづつね。
失敗しないよう、踏み込みすぎないよう、慎重に。


わたしは、働けない。
でも、働いている人をほめたり、ねぎらったりすることができる。

どうしてそんな風に言ってくれるんですか?と
彼女に聞かれた。

わたしがね…
そういうことをしてもらえずに、育ったからなの。
褒めてもらえないばかりか、けなされてけなされて育ったの。

だからね、自分は、そうはなるまいと、
思いながら生きているんです。

お互いに、目がうるうるした。

楽しい一日だった。



夜遅くなって、長い出張を終えた夫が、部屋に来た。
ヘトヘトになっていた。

話を聞き、飲み物を出して座らせて、
みかんをむいて、差し出した。

明日、一緒に夕飯を食べる約束をした。

夫が、「ありがとうね。」と言って帰った。


言葉は、形としては、残らない。
体の疲れも、肩こりも、言葉で消すことはできない。

でも、言葉には、力があって、
それが人に、心を伝えるんだよ。

わたしは、言葉を大事に生きて行く。

ああしかし、家紋談義、楽しすぎた。

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少数精鋭。

若いころは、そんなに好きじゃなくても、
単なるお付き合いで、人とつるんでいたりしたけれど、
わたしは本当に、人間関係の失敗が多すぎて、
どれほど、人を傷つけたかわからない。

もちろん、こちらも苦しんでいるのだけれど。

仲が良くなって行くときは、嬉しくて、
わたしは馬鹿みたいにその人に心を開いてしまう。

すると、相手も同じようにして、
ずけずけとわたしに入り込んで来る。

すると、そこで、違和感や不快感を感じ始め、
耐えるのだが、耐えるにも限度があって、
わたしは逃げ出す。

そうやって、ずいぶんと失敗を延々、繰り返して来た。

仕事柄、付き合わなくてはならない相手なら仕方がないが、
そうでない限り、もう、交友関係を広げない覚悟で、
再婚して引っ越した。

誰もわたしのことを知らない街で暮らし、
誰とも挨拶を交わさなくて良くて、
わたしは、この街にひっそりなじんだ。

住み始めて9年になるが、
挨拶をするのは、夫の床屋さんと、
歯医者さんと、マッサージ屋さんと、
佐川急便のおじちゃんくらいだ。
増やしてない。

アクセサリー作りをしていた当時は、それなりに、
お客さまや、クリエイターの方たちと交流をしていたが、
躁鬱の、躁が終了して、作れなくなってからは、
誰とも連絡をしなくなった。

全部切り捨てて、
わたしのまわりに、今残っているのは、
わたしが生きて行く上で、どうしても、付き合っていたい人のみ。


美容師さんが、そのうちの一人。
まだ35歳なんだけれど、話がとても合う。
ツボが同じで、いつもずっと喋って、笑っている。
辛い時には泣かせてももらった。

再婚してここに来て、どこの美容院に行ったらいいかわからず、
再婚前に行っていたのと同じチエーン店に行った。
値段が明朗で、そんなに高くなかったからだ。

でも、鬱の状態がひどかったので、
わたしは誰とも話さず、雑誌も読めず、
ただ、ぼんやり座っていた。

そんなある日、まだ研修中の彼女と出会った。
ヘルプに入ってくれて、シャンプーをしてくれたのだ。
わたしは、心の中で、「おおお!」と叫んでいた。

素晴らしいシャンプーの技術を持っていたのだ。

美容院と言うところに通い始めて30年、
こんなにうまい、そして力強いシャンプーをしてくれる人は、
一人もいなかった。
求めていたのは、これなんだ!
わたしは感動して、彼女の名を尋ね、名刺をもらった。
初めてお客さんに名刺を渡した、と言っていた。

四十肩になって、もともと大嫌いだったシャンプーができなくなり、
わたしは彼女を指名して、シャンプーに通うようになった。
毎回、話がすごく楽しくて、
彼女が、スタイリストとして資格を取るのを見守った。

やがて、彼女が、違う店に移る、ということを、耳打ちしてくれた。
場所は、駅の反対側だという。
わたしは、「着いて行く。」と即答した。

引き抜いて来たお客さんは、前のサロンの値段でいいと、
言われていたそうで、
今もお値打ちにやってもらっている。

シャンプーの技術にほれ込んだのがきっかけではあったが、
今では、生きて行く中で、大切な人材なのである。
かけがえのない人なのだ。


そして、いつも指名しているマッサージ師さん。
華奢な女性で、綺麗な声で、
そして素晴らしい技術を持っている。

そのマッサージ屋さんが出来るまでは、60分6000円という、
高いマッサージに行っていたのだが、
「一番力の強い人をお願いします。」と頼んでやってもらっても、
わたしの強情な筋肉は、ことごとく指を拒み、
相手は力任せに揉むので、
翌日の揉み返しがひどく、楽になりにいったはずが、
ちっとも楽になれない日々だった。

そんな時、近所に安いマッサージ屋さんが出来て、
チェーン店でもないし、怪しくて、なかなか行けなかったのだが、
値段が半額だったので、行ってみた。

その頃はマッサージ師さんが数人待機してて、
最初は、おばあちゃんとおばちゃんの中間ぐらいの人に当たった。
全然、こっちの要望を聞いてくれなかった。

次は男性で、腕はまあまあだったが、なんというか、
真剣さが感じられないのだ。
通り一遍のことをやっときましたよ、みたいな冷たいムード。

次は、ガタイのいいメガネのオバチャン。
今のところ、この人が一番マシかなあ…。

6000円のところに行ったところで、楽になるわけではないので、
わたしはこの、3000円のマッサージに、
時々通った。

そして、次に出会ったのが、今、指名しているマッサージ師さんだった。
華奢な人で、
こんなんで、わたしのこの、「柔道家ですか?」と聞かれた筋肉を、
果たしてほぐせるのだろうか?と思った。

そしたら、その人は、すごく高い技術を持っていたのだ。
すごい!
この人だ!


指だけでなく、手のひらの「たなごごろ」という箇所や、
その細い肘を巧みにツボに命中させ、
体重をうまくかけて、骨と筋肉の隙間を離してくれる。

ところどころでは、完全に乗ってくれて、
その体重が、気持ちいい。

25年、マッサージに通っているが、
こんな技術を持った人はいなかった。

わたしは、次からは、その人を指名するようにし、
時間も、60分から90分に増やした。

物腰は柔らかく、声も綺麗で、技術は確か。
やっと出会えた、と思って通っていた。

ところが、一昨年くらいだったか、
店の雰囲気が非常に不穏になっていることに気づいた。
店長と言われるおっさんが、全然、仕事をしてないのだ。

来たと思ったら、外でタバコを吸い、外で電話をかけていて、
店の電話が鳴ると、施術中のマッサージ師さんが出なくてはならない。

ちょっとずつ、私語を交わすようになってきた頃だった。
頼んでも買ってくれないので、お客様用の眼鏡立てを自分で買ったんです、
スリッパだって、ひどいでしょう、と彼女は言っていた。

これは、まずい。
わたしは、この人を失いたくない。
もしも辞められてしまったら困る。

なので、次の予約の日に、小さい手紙を黙って手渡した。
「もしも、なんらかの事情で、辞めるとか、移るということがおきたら、
絶対に知らせてください。」
そう書いて、携帯の電話番号を書き添えておいた。

そして次の予約の時に、彼女から、メルアドを書いたメモをもらった。

とは言え、しょっちゅうメールし合う仲になったわけではないのだが、
去年の夏、わたしが胆石で入院したこと、
このあと手術を控えていることなどを話した。

病院についての見解が一致していて、
そうですよね、あの病院、やばいですよね。
転院して手術は正解だと思います!と言われた。
彼女も、わたしが手術を受けた病院に通っているそうなのだ。

入院の時にはね、着物の柄の本や、
江戸時代の風俗の本を持って行くの、と言ったら、
なんと彼女も、生粋の江戸好きだとわかり、
話が盛り上がって、
入院中、お見舞いに行く!と言い出したので、
それは固辞した。

けれど、そのことがきっかけで、本の貸し借りをしたり、
いろいろ雑談するようになったのだ。


彼女は、この店の店長を信用しておらず、
チェーン店であと2店舗あるそうなのだが、
違う店の社員として登録をしていて、
その店から、派遣で、ここに来ている、という契約だと言っていた。

本当は、本来の店に戻ろうと思ったのだが、
この街で、指名してくれる人が増えて、
実際のところ、彼女が稼ぎ頭であるし、
わたしが、病気で自転車に乗れないのも知っていて、
戻ることを、一度、踏みとどまってくれたことがあったそうだ。

けれど、今回、入っているビルの老朽化で取り壊しが決まり、
違うテナントに移転することになったのだが、
その際に、あの、働かない店長と、また何やら悶着があったらしい。

わたしは、
あなたの技術は素晴らしい。それを正当に認めてくれる場所で、
思い切り働いて、技術を発揮すべきだと思います、と
メールをした。


それが背中を押した形になったようで、契約をしている店に戻るそうだ。
遠くなるけれど、行けない距離ではないので、
わたしは彼女に着いて行く。

そして、彼女を失ったこっちの店は、
多分、すぐに潰れる。

彼女が、会って話を聞いて欲しいと言って来たので、
明日、お茶をすることになった。

彼女もまた、わたしの人生において、とても大切な人なのだ。
マッサージ師としての技量ももちろんだが、
その人柄に、わたしたちは癒されている。


こんなふうに、今、わたしが付き合っているのは、
人数は少ないけれど、
少数精鋭なのだ。
大切で、代わりのいない人なのだ。

そして出来れば、働いてもいないわたしが、
彼女たちの心に、なんらか、支えになれたらいいなと願う。
働けない。
でも、働いている人を応援することは出来る。

かつてわたしが、仕事に誇りを持ち、勉強を怠らなかったように、
今付き合いのある人たちは、向上心と、
思いやりにあふれた人なのである。

                                         伽羅moon3


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会えるだけでいい。

昨日は、ムギとすれ違い続けて会えず、
何も手に付かず、すべて上の空で、一日が終わった。

パソコンを閉じて、いつも行っている午前2時に、
ムギのところに行った。

どうかどうか、ムギが帰っていますように!

胸が張り裂けそうだ。

懐中電灯で照らしたら、ムギが小屋に入っていた!

ムギちゃん!!

ああああ、
やっと、やっと、やっと会えたよ…。

わたしは感動を胸に、静かに座った。
ムギが小さく、きゅ~と鳴く。

ムギ、やっと会えたね。
会いたかったよ。すごくすごく会いたかったよ。
ママ、何回も来て、何回も呼んでたの、知ってるよね。

手を入れて撫でたが、ムギはお腹を見せてくれない。
でも濡れてもいないし、背中に多少、草の実がついてるだけで、
異常はなさそうだ。

ムギ、お腹すいたでしょう、ちゅーる、あげるね。

そう声をかけて、ガラスの小さい器にちゅーるを絞って、
小屋に差し入れてやった。

ムギはすぐに首を伸ばして、美味しそうに舐めた。

食べ終わったので、器を引き取ると、
お礼のつもりか、ムギが出て来て、わたしの脚に乗ってくれた。
体を素早くチエックする。
軽くブラシをかけて、寒いので、ムギ用のひざ掛けでくるんだ。

ムギ、ムギ、本当に会いたかったんだよ。
ママ、何回も来たんだよ。
心配だったよ。辛かったよ。
ムギ、会えて嬉しいよ。

ムギはゴロゴロと言い出した。

そのまま、30分ほど乗っていたが、ムギから降りて、小屋に戻った。

明け方、冷えるらしいので、ドームベッドにはひざ掛けをかぶせてあるし、
ベッドのはじっこには、カイロも入れてあるから、
ムギ、ぬくぬく、おやすみね。


ムギに会えて、本当に良かった。
これで会えなかったら、わたしはノイローゼ状態になり、
眠れなかっただろう。

夕べはコトンと寝付いた。


早めに起きて、昼間ムギを見に行こうかなと、
何度か思ったが、
ムギは、会ってしまったら、ちょっとだけね、では済まない子なのだ。
100かゼロの子だから、
もし会うなら、十分に付き合えるだけの余裕を持っていなくてはならないし、
余裕がないなら、むしろ会わないほうがいい。

今日はシャンプーに行ったのだが、
お姑さんがデイサービスに行く日なので、
帰っていらっしゃるのは、17時半から18時くらいの間だ。
もうお迎えのヘルパーさんは雇っていなくて、
デイサービスの送りの人が、家の中まで連れて行ってくれて、
リビングの椅子に座らせてくれるらしい。

わたしはちょっと100均とかユニクロで買い物をして、
お弁当を買って帰った。
ちまに餌をやり、自分はシャワーした。

そして、長丁場を想定して、オニギリを一個食べると、
着替えて、18時に、ムギのところに行った。

ムギは、留守だった。
しょんぼり…。
餌は空っぽだ。

わたしは座って、いろんなものの配置を万全にして、
ムギを呼び続けた。

猫は、犬とは比べ物にならないくらい、耳がいいから、
そんなに大声で呼ぶ必要はない。
きっと自分のテリトリーの最前線にいても、
わたしが呼ぶ声は、聞こえてるはずだ。

ムギは、帰ってくるつもりがあるときは、10分以内に帰って来る。
それ以上は、帰って来られない、なんらかの事情があるってこと。
だから、長く待っても仕方がないのだ。


けれど、ムギは10分経っても帰って来ない。

今までのデータで、そう、わかっていても、わたしはどうしても会いたい。
どうせ、部屋に帰ったって、何も手に付かない。
食欲だってわかないし、ちまに優しくしてあげることも無理だし、
ムギに会えないのなら、わたしは何もできない。

ムギ、ムギ、お願い、帰って来て!

1分に一回のペースで、ムギ!と呼び続けた。
そして、18時半になって、諦めかけた時、
ジャリっと音がして、
ムギが裏から、帰って来たのだ!

ムギちゃん!
お帰り!

わたしが喜ぶと、ムギはコンクリでローリングして、
可愛いポーズを見せてくれた。
そのあと、まっすぐに、わたしの脚に乗って来てくれた。

ムギ、会いたかったよ。
ママ、ずっと呼んでたの、聞こえてたよね。
忙しかったの?
帰って来てくれてありがとう。
会えて嬉しいよ。
すごくすごく会いたかったよ。

しばらく体を撫でて、おかしいところがないかをチエックして、
いつもと同じだよ、と声をかけて、
ウェットシートで体を拭き、
ブラッシングしてから、
今日は寒くないので薄いフリースを掛けた。

しばらくしたら、降りて、座って、ゴッツンコして来たので、
「おかかあげようね。」と言っておかかをあげた。
シーバも食べると言うので、シーバも手から食べた。

ちょっと離れて行って、アヤメの鉢の水を飲み、
戻って来て、また乗った。

二人でラブラブしていたら、誰かが帰って来たので、
懐中電灯を消して、気配も殺した。
そしたらその人物は玄関ではなくガレージに入って来た。

わたしもびっくりしたが、暗闇にわたしが座っていたので、
向こうもびっくりした。
お姉さんの娘さんだった。
お姑さんのお世話に来てくださったのだ。

前回は、そうとは知らず、ヘルパーさんを頼んであったのかと勘違いし、
失礼をしてしまったので、謝って、
お礼も言っておいた。

ムギは飛び上がって一瞬逃げたのだが、
遠くには行かず、この人は大丈夫な人、と知ってるようで、
彼女が家に入ると、すぐにまたわたしに乗って来た。

結局、ムギが足りて、自分から降りるまでの一時間半、
乗せていた。

チャージが済んだらしいムギは、庭に出て行って、
月明かりに照らされて、ゴロンゴロンしていた。
たまらなく可愛い。


可愛すぎて、会えないと切ないのだ。
苦しむのだ。

ちまは、猫として、天使ちゃんレベルで、可愛い。
まっすぐな子で天真爛漫で、あどけない。

ムギは、猫の形をした、男の子だ。
その行動も思考も、人間となんら変わりがない。
多分、何回も猫として生まれ変わって生きて来ているのだろう。

すねたり、いじけたり、怒ったりもするし、
会いたかった!って頭をゴリゴリ押し付けてくることもあるし、
静かに過ごしているときに、
ムギ、可愛いね、ムギ大好き!って言うと、
聞いた途端にゴロゴロと言い始める。

完全に言葉を理解しているとしか思えない。
時間だってわかる。
神秘的だ。


ムギと充分過ごせて、満足した。
この後も、また行ってみるけど、小屋でぬくぬく寝ていてくれたらいいな。

季節に合わせて、小屋の状態を整えているので、
小屋で過ごしてて欲しいのだ。
また、会ってラブラブしたい。
会えるだけでいいよ。


                                          伽羅moon3


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