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2017年9月

暗転。

昨日、お姑さんが、棒を突破して、外に出てしまったと聞き、
わたしの心も、暗転した。

夜中には、誰にも遠慮なくムギに会えるが、
会える確率は、6~7割かな。
まあ、真冬になれば、小屋に入っている確率が増えるので、
出て来てくれなくても、会う確率は多くはなる。

夕べは3回くらい呼んだら、帰って来てくれて、
ふたりでひっそり、ラブラブ過ごした。
脚に乗って来てくれたので、小さいフリースを掛けて、
あったかくして、一緒に過ごせた。

でも、夕方は、ムギを呼ぶのはやめよう。
お姑さんに聞こえて、出て来てしまうものね。


ちょっと持ち直してきていた気持ちが、また憂うつになって、
わたしよりはるかにきっと、夫の方が憂うつだろうけど、
わたしも憂うつで、怖いのだ。

夢見が悪くて、悪夢ばかり延々と見て、
なかなか起きることが出来なかった。
お腹がすいたちまが、一生懸命に起こしてくるのだが、
もう、体が、脳が、心が、重たくて、起き上がれない。

でも、命を抱えているのだから、
ちまとムギの面倒はわたしがしっかり見ないと。

どうにか起き上がって、ちまに餌をやった。

辛い。
しんどい。
怖い。


お姑さんの面倒を見ていないくせに、
こんなことになってしまう自分が、恥ずかしくて、申し訳なくて、
辛いのだ。

きっと、周りの方は、そこまで悪く思っていないと思いますよ、と、
しーちゃんがメールをくれた。

そんなわけないよね?と思う。
なんであの人だけ何もやってないの、働いてもいないくせに、って、
思われてるよね?

じゃあ、何ならできるかを、ずっと考えているけれど、
夫のシャツのアイロンかけと、宅配便の受け取りくらいしか、
やれてないのだ。

今後、夫は出張の予定が入っており、
その場合、長女が一人でやるのは大変だろうから、
夕飯に、一品作ろうか?と聞いてみたら、
返って面倒だよ、長女の気持ちになってみろよ、と
言われた。

それで、考えてみたのだけれど、やはり、わからないので、
それならいっそ、何もしないほうが面倒をかけないのなら、
何もしないことにする。
ただし、わたしのを面倒持ち込むこともしないつもりでいないといけない。

体に何かあれば、一人で救急車に乗れるよう、
日ごろから、準備をしておこう。



どうにか起きて、でも、このままだと夜になるまで寝てしまうと思い、
辛い自分にムチ打って、
床をクイックルで掃除した。
キッチンのシンクとその周辺を、クレンザーで磨いた。
干しっぱなしだった洗濯物を外して畳んで、引き出しにしまった。

よく頑張れたと思う。
かといって、誰の役にも立っていない。
わたしなんか、いない方がマシだ。


今日はヘルパーさんが帰るのが早い日なので、
そーっと母屋の庭を覗いて、
お姑さんがいないのを確認してから、
早めに、ムギに会いに行ってみた。
ムギはもう、車の前に座ってスタンバイしており、
わたしが行くと、大きな声で何回も鳴いて、何かを訴えて来た。

車の後ろのムギのリビングに向かうと、
勝手口に、見知らぬスニーカーがあった。
ヘルパーさんだと、自転車があるはずなので、
どなたか来ているようだ。
夫にメールして聞いてみたら、お姉さんが来てくださってるとのこと。

そうか、昨日、お姑さんが出て行ってしまったから、
お姉さんが来てくださってるんだね。
二階の換気扇から、肉じゃがの美味しそうな匂いがしていた。

ムギは喜んで、ラブラブしたが、いつ、お姉さんが、
勝手口から出ていらっしゃるかわからず、
わたしは、申し訳なさ過ぎて、合わせる顔がないので、
懐中電灯もつけず、暗闇でムギと、ひそひそ声で過ごした。

それでも、恐怖に打ち勝てず、ムギには悪いけど、
早めに切り上げて、帰って来てしまった。
ちょうど佐川さんが配達早めでもいいか?と電話をかけてきたので、
その足で、荷物を受け取った。


小さいころから、子供らしさのなかった自分。
父が三交替勤務で、夜勤もあり、昼間寝ていることがあったので、
とにかく、親の顔色ばかり見てしまう子供だった。

親しい近所のお宅の方に、どこかに連れて行ってもらっても、
わたしははしゃいだことがなく、
じーっと黙って座っているので、
「大人しいね。」とよく言われた。
大人同士が話している時に、
口をはさんではならないと躾けられていたので、
黙ってるよりほか、どうしたらいいのかがわからないのだった。

今、一人暮らしだから、どうにか精神が持っている。
大家族だなんて、絶対に無理だったのだ。
お姑さんには、籍を入れるなと言われ、
次女ちゃんは泣いて抵抗したのだ。
夫は毎日不機嫌。
そんな家庭に組み込まれて、安らぐはずもない。

今、ベッドにしどけなく寝ているちまを見ると、
人生で今が一番わたしらしいと感じる。
一人でいることに、寂しさを感じることはゼロだ。

むしろ、家族の中にいることが、
わたしには、とてつもない孤独だった。

また、すい臓が痛む。
これは、精神的な痛みなのかな。

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なんてもったいない!

子供の頃や、若いころに、
わざわざ行った場所が、実はとても貴重な場所で、
当時、そんな知識も何もないままに見ただけなので、
何もわからないまま、帰って来た場所の、
なんと多いことか。

あ~、もったいないなあ。

わたしの実家は、京都に日帰りで充分行ける立地に会ったので、
朝早い、普通列車に乗って行けば、
どの施設ももう開館していた。
車の免許を取ってからは、行こうと思えば、
どの社寺にでも行けた。

そうでなくとも、遠足や、修学旅行では、
気楽に京都や伊勢に行き、
貴重なものを、いっぱい、見ているはずなのだ。

けれど、その頃は、歴史に興味もないし、
寺の作りとか、神社のそれぞれの神様とか、
全く知らないまま、なんとなく見て回り、
あそこのあれはすごい良かったな~とかいう、
思い出がないのだ。

何てもったいない!

京都には何回も行っている。
清水寺、八坂神社、平安神宮、西芳寺、南禅寺、仁和寺、石山寺、
寂光院、曼珠院、詩仙堂、二条城、嵐山、保津川、宇治の平等院…。

こんなに行っているのに、どれもちゃんと覚えてないのだ。
ちゃんと見てないのだ。

今のわたしなら、知識があるので、
建物の装飾の飾り一つ一つを見るだけでもきっと楽しめるし、
苔や竹や紫陽花をもっと愛でられる。

テレビで、お寺や神社を見ると、
若い人には、まだもったいないし、小学生がお寺を見ても、
しょうがないんじゃないか?とさえ思う。

歳を重ねたからこそ、わかる良さって、あるね。

京都のみならず、伊勢神宮にも、熊野神社にも、
高野山にも、わたしは行っている。

今の知識を持って行ったら、きっとじっくりじんわり、
楽しめるのだろうなと思った。

でも、旅行は無理。
朝、起きられない。その理由だけで、もう全然無理。
だからいいんだ。
ああ、行ったことあるのにな~と思いながら、
テレビで画面を見る。


今日はお姑さんはデイサービスに出ていたので、
お出迎えをしてくれた介護ヘルパーさんが帰ってから、
ムギのところに行こうと思って、
何回も外を確認したが、ずっとヘルパーさんの自転車が止まっていて、
なかなか行けなかった。

数回目に見たら、やっと帰られたので、ムギに会いに行くと、
夕べ夜中に会えていないので、ムギはもう、
爪とぎに座ってこちらを見つめてた。

雨だったので、ビニールに入れていた敷物や座椅子を出し、
つけっぱなしの勝手口の明かりを消して、
座って、さあ、ムギちゃん、いいよ、おいで、というタイミングで、
帰り道の夫からメールが来た。

なんと、お姑さんが、勝手口から外に出てしまった、というのだ。
お姑さんが家に戻るのと、
わたしが降りて来たのがスレスレのタイミングだったらしく、
スマホで監視カメラを見ていた夫が、そうメールして来たのだ。

お姑さんの、脱走対策は、
わたしから見たら、足りてなくて、
二階の階段の降り口に、棒を一本渡しただけ。
その棒は跳ね上げ式だが、もちろん、仕掛けがあるので、
簡単に上がるわけではない。

それまで、お姑さんは、つかんで揺らしたりしていたらしいが、
棒をあげることを諦めて、
今日は、棒の下をくぐって、階段を降りて、外に出てしまったそうだ。

お姑さんは小柄で、体に悪いところはなく、
むしろ敏捷なので、
棒一本、軽々突破したわけだ。

一回、外に出てしまったら、
絶対に、今後、毎日、出る。
だって入院前は、毎日出てたんだもの。
一日に何回も出ていたんだもの。
そりゃ、出ちゃうよ。

勝手口の鍵は、外から開けるのは難しくなっているが、
内側からは、カチャっとひねるだけ。
玄関だって、外から入るのは無理だが、
内側からは、簡単に出られる。

棒一本で、足りるわけばいよね、と思っていたけれど、
手を出さないわたしは、口も出さない。

ただし、明日からもお姑さんは、毎日出るはずだ。
これは間違いないと思う。

来週、お姉さんにも来てもらって、ケアマネさんと会議するそうだが、
日曜日から、夫は出張でいなくなる。

どうするんだろう。

今後は、夕方行って、もしムギが居なくても、呼ぶのはやめよう。
ムギじゃなくて、お姑さんが出て来てしまうもの。
そのかわり、ムギが返って来るまで、何回も見に行こう。

わたしの中の不安がまた一気に膨らんだ。
夕べは、安らかに眠れて、今日は気分良く起きられたのにな。
また、どんよりだ。

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いらなかったの?

わたしは、息子からもらったものは、
ほとんど保管してある。
一番最初にもらった母の日のプレゼントのハンカチも、
大事に持っている。

部屋には息子や、
息子たち夫婦の写真を飾り、
もらったものも飾っていて、
いくつになっても息子が可愛くてたまらない。

けれど、わたしの実家には、わたしのものは、ほぼない。

泊まるときのパジャマしかない。

写真の一枚も飾られておらず、
あげたものも飾られておらず、
思い出の品物なんて、何一つ、残っていないはずだ。

一人娘が結婚しても、
その部屋をそのまま残している家は多い。
わたしのいとこも、娘ちゃんの部屋はそのままで、
娘ちゃん夫婦が泊まるときに使ってもらっているようだし、
息子のお嫁ちゃんにも、自分の部屋はそのままあるようで、
年末年始は、
息子が田舎に帰省し、お嫁ちゃんはご実家で両親と年越しをする。
そういうの、自由でいいなあって思う。

うちの場合は、わたしが嫁に行った途端、
わたしの使っていた洋間は両親の寝室に変えられ、
わたしが、おいおい持って来ようと思っていたものは、
全部捨てられてしまっていた。

春に結婚したので、冬物のダッフルコートとか、
毛皮のコートもあったし、
気に入っていた白いキルティングのブーツなんかも、
置いて出たら、
すぐさま、全部捨てられていた。

この差は、何なんだろうね。

うちの両親にとって、
わたしって、必要だったのだろうか?
もしかして、要らなかったんじゃないの?
いてもいなくても良かったどころか、
いたことで、よけい大変だったんじゃないの?

わたしが、自己肯定感を持てないでいるのは、
両親から、居てくれて嬉しいとか、
産まれて来てくれてありがとうとか、
そういう気分を、感じたことがないからだと思うのだ。

とにかく、厄介ごとを家に持ち込まないで!
問題を起こさないで!
煩わせないで!、という、ピリピリとした緊張感しか、
家庭にはなかったのだ。

実際、家にいるとくつろぐとか、
親に何かを相談するとか、
弱みを見せて泣くとか、
甘えるとか、
そういうことが、一切、出来なかったのだ。

辛い時に、抱きしめて頭を撫でてくれる親ではなかったのだ。
より、いっそう、責められるので、
わたしはずっと、秘密主義者だった。
体調が悪くても、そう言うと、さらに怒られるので、
言えなかった。

全身にじんましんが出たり、血圧が下がりすぎてしまうために
立っていることが困難だったり、
パニック障害も高校生で発症していたし、
働いている時も、いまなら、うつ病の症状の一つだよねってことが、
いっぱい、起こっていたのだが、
わたしは親には言わなかった。
言えなかった。
もっと酷いことを言われるからだ。

寄り添ってもらった経験なんてない。
いつも責められる。
だから、黙っている。

けれども、20歳過ぎても、門限は勝手に10時と決められており、
友達のところに泊りに行くのさえ、禁止だった。

母が昔話を繰り返しして、いかに大変だったか、
いかに自分が頑張って偉かったかを言うのだが、
わたしが、「あのとき、こうして欲しかったのに。」とでも言おうものなら、
「しょうがないやない。大変やったんやから。」で、おしまい。

だったらさ、なんで、産んだのかな。
なんでわたしを産んだのよ。
産んでおいて、なんで全部わたしのせいにするのかな。
だったら、兄みたいに、殺せばよかったじゃないか。
可哀想な兄は、きっと命日も覚えてもらえておらず、
その存在はわたしのまわりにあると言われた。



ひたすら、自己肯定感が欲しくて、
がむしゃらに働いた。
自分を必要としてもらいたかった。
認めてもらいたかった。
仕事に対する愚痴は言いたくなかった。

でも、まだ、土曜日も仕事だった当時、
体重も38キロしかなかったヘトヘトのわたしは、
次々と体調を崩す。
毎日残業で、病院にも行けない。
親には不調を話せば、さらに怒られる。

膀胱炎になり、排尿が辛くて血尿も出て、
それでも親にも言えず、仕事も休めず、
ある夜、薬局に駆け込んで、膀胱炎に効く薬を下さい、と言った時、
よほど、わたしが切羽詰まったように見えたのか、
よほどやつれていたのか、
薬局のオバサンが、赤の他人なのに、
「ああ、可哀想に、そんなになっちゃって。辛いね。」と、言ってくれた。

その一言を聞いた時、わたしはその場で泣き崩れた。


今も思う。
ただ、優しくされたかっただけなんだよって。
貧乏でもいい。
大学に行けなかったのも、仕方がない。
でも、せめて、家が安らげる場所であったとしたら、
わたしは、発病してなかったと思うのだ。

本当は、わたしなんて、いらなかったんじゃないかと、思う。

たまたま出来てしまって、
二回も堕胎するのが、後ろめたくて産んだんじゃないの?

一人っ子である理由も、
わたしが尋ねた当時は、
「アンタを産んだ時に、お母さんが死にそうになったからや。」と、
わたしのせいにされてたのだ。

お母さんはなんでそんなに太ってるの?と聞いた時も、
アンタが出来て仕事を辞めて、
アンタの食べ残しを食べたからや、と言われた。

責任が、全部わたし。

生まれなければ良かった。
そう、思うこともあるよ。うつ病だからね。

わたしが再婚して、一人で帰省してた時、
母はわたしに、こう言った。
「アンタ、自殺とかやめてや。この年になってそんな嫌な思いをすんのは嫌や。」
と言った。

苦しんでいるわたしに寄り添うどころか、
あくまでも自分だけが可愛い母。

実家では療養にならないとわかって、
わたしは東京に戻って来た。


許せないわたしは、確かに心が狭いと思う。
お姑さんのオムツを、毎日換えている夫は、偉いと思う。

でも、わたしは、母と言う人が、嫌いだ。
あの人は、卑怯だ。
卑怯な人が最も嫌いだ。

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「賢者の贈り物」。

来月の頭に、息子たちがまた遊びに来てくれる。

少し料理を作って、あとはまた、お寿司を取ろうと思う。

前回、来たときに、ちょっといいランクの握りを頼んだのだが、
彼らにお寿司の開封と並べるのをやってもらい、
わたしがキッチンで煮物を温めたりしていると、
何やら、笑い声がしている。

「なになに、どうしたの。」
彼ら二人の会話は、非常に面白いので、
わたしは聞きたくてたまらないのだ。

(だから夫に遮って欲しくないのだ。)

何を話していたかというと、
握りには、「ウニ」軍艦も入っていた。
それを、お嫁ちゃんは、息子がウニ好きだから、
あげたいのだそうだ。

もちろん、お嫁ちゃんだってウニは好きだけど、
貧乏でめったに食べて来なかった息子の育ちとは違うので、
より、ウニ好きな息子に、譲りたいのだそうだ。

でも、ただあげると、自分のが一貫減ってしまうので、
何かと交換しよう、と言ったら、
息子が「ん~、じゃあ、カッパ巻き?」と答えたので、
「それじゃ等価交換にならないよ~。」と、
お嫁ちゃんが笑っていたのだった。

彼らは二人でいると、本当に楽しさを共有しようとするし、
実際に、よく笑う。
話を聞いていると、面白くて、
わたしはなるべく口を挟まないよう、黙って聞いているのだが、
時々、お嫁ちゃんが面白いことを言うので、
ブッと吹いてしまう。

結局、お嫁ちゃんは息子にウニをあげたかったので、
あげてた。
それで、ちまが欲しがって隣で見つめているので、
早めにお寿司を食べてしまおうって感じになっちやって、
中トロを食べたお嫁ちゃんが、
「あ~、失敗した~。中トロ、美味しい~。最後にすれば良かったー。」
と、嘆いた。

夫だけが兄弟のいる、末っ子で、
わたしも息子もお嫁ちゃんも、一人っ子なので、
好きなものは最後に食べる派なのだ。

兄弟が多い人は、取られてはいけないので、
好きなものから食べて、他の人のを狙うらしい。

お嫁ちゃんのその言葉を聞いた時、
まだ、中トロを食べていなかった息子が、
「じゃあ、中トロ、あげるよ。食べる?」と聞いた。
するとお嫁ちゃんは、
「ええ~、いいよ、美味しいから食べなよ~。」
と断っていた。


その様子を結構よく思い出しては、わたしはニマニマする。
ほほえましくて、たまらなく心がほっこりする。

そして、必ず思い出す、昔読んだ物語を思い出すのだ。

外国の物語で、若い夫婦のクリスマスの話だ。
若くして結婚したが、二人は貧しくて、
お互いにクリスマスプレゼントをあげたいのだが、
現金がなかった。

妻はつややかな長い美しい髪を持っており、
夫はそれも好きだった。
夫は、その美しい髪をとかす、いい櫛を、買いたかった。

それで、夫は、たった一つの高い持ち物であった、
祖父からもらった、懐中時計を売って、
櫛を買った。
懐中時計は、鎖が切れて無くなっており、
使いにくいし、何よりも、妻に櫛をプレゼントしたかったのだ。

そして、クリスマスの夜、夫が櫛を持って帰宅すると、
先に家に帰って来ていた妻を見て、言葉を失った。

妻は、あの美しい長い髪を、ばっさりと切ってしまっていたのだ。

妻は、自慢の髪を切って売って、
夫の、大切な懐中時計の、鎖を、買ったのだった。

けれど、懐中時計はもう手元になく、
櫛で溶かすべき美しい長い髪も、もうなかった。

お互いに、自分の一番大切なものを売って、
相手へのプレゼントを買ったのだった。

さっき調べたら、これは、「賢者の贈り物」というタイトルだそうだ。

賢者というよりは、自分より相手を思うことが出来る、
最高なパートナーの話だとわたしは思った。

息子夫婦がなんでも分け合ったり、譲り合ったりしている姿を見ると、
いつもこの物語を思い出す。

彼らは、とても正しい結婚が出来たのだ。

息子があの会社に入ることになったのも、
お嫁ちゃんと出会うための布石だったのだ。

わたしは、人生において、仕事の閉める割り合いの多いタイプだと思う。
それは、中学生で、すでに夢を絶たれたからだと思う。
自力で、デザイナーになる、やれる、と思って、
やってきた。
どの仕事も、無駄ではなかった。

でも、息子の人生においては、仕事がメインではないようだ。
お嫁ちゃんと出会って結婚して、
一人どうしだったのが「二人」に変わり、
二人で歩む人生を楽しむことが、息子の生きがいなのだと思う。

自分の好きなものを、相手にあげようとする心は、
とても神々しいと感じる。
二つあるからあげるのではなく、
一つしかないけど、相手の方が、それをより好きだから、
あげたい、と思う気持ちは、
本当に美しい。

わたしは彼らを見ていると、うっとりする。
いい結婚が出来て、本当に良かった。
感謝する。

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連れて行ってね。

8月の半ばから、ずっと調子が悪い。

お姑さんの退院が迫り、夫に、協力を求められ、
わたしがやらないなら、俺が会社を辞めることになるんだぞと、
わたしにとっては、脅迫とも聞こえる言葉を言われて、
潰れた。

やって当たり前だとは思う。
だって、お姑さんの持ち物であるアパートに住まわせてもらってるんだもの。

でも、どうせすぐ潰れることもわかっていた。
でも、その、潰れた姿を夫がその目で見るまでは、
わたしがやるしかないのだと、
カウンセラーさんにも、精神科の先生にも言った。

もちろん、二人は大反対。

でももし、夫が会社を辞めたら、
わたしに対する、経済的制裁が始まるのはわかりきっている。

今だって、全然何にも贅沢してないのに、
これ以上の切り詰めは、もう嫌だ。

家族全員が、お金持ちなのに、
わたしだけ、極貧の暮らしを強いられるのは嫌だ。
もう、貧乏には、ほとほと疲れた。


夫は単に脅しただけであって、
会社を簡単に辞めることなんてないだろう。
夫は、自分が就きたい職業に就くことが出来た、
世の中の、たった1%の、人なのだ。
出張も多いが、常に飲み会がセットになっているので、
出張も大好き。

いくら、嘱託で、給料が安いと言っても、
会社を辞めて、工事現場で光る棒を持つおじさんになるわけがなく、
単なる、モラハラだ。

仕方がない。夫は非常に優秀な人材なのだ。
わたしみたいに、ペット以下の存在ではない。

わたしは、一円も稼がず、単なるお荷物として存在し、
夫の心を癒すこともなければ、
何かの助けになることもない。

いても、いなくても、変わりがない存在なのだ。

と言うより、大量の医療費を消費している、厄介者だ。
夫の望んだ結婚生活は、何一つ、実現に至らなかった。
申し訳なく思う。


小さい息子を育てているとき、
わたしは、それまで生きて来て、
自分という人間を、ここまで必要とされたことはなかった、と
気が付いた。
息子は全力でわたしの首にしがみついて寝ており、
目が覚めたときに隣にいないと、必ず泣く。

わたしは、自分が親から、子供として歓迎されていないことを、
本当に心の底から知ってしまった。
嫁として気に入られていないことも十分知っていた。
妻としては、奴隷扱いされていることにも気が付いていた。

けれど、息子がわたしを必要とし、
居なければ寂しがり、
そして息子は、わたしにとても優しかった。

わたしは、親からは優しくされたことがなく育ち、
姉も兄もおらず、
前夫から守ってもらったこともなかったので、
息子がわたしに優しく接してくれた時、
人に優しくされるということは、こんなにも嬉しいことなのか!と、
驚愕した。

わたしはあまりにも、知らなさ過ぎた。

わたしに、「やさしさ」を教えてくれたのは、
息子だったのである。

息子は思慮深い子で、その場の空気を読んで、
今、自分がこうすべき、ということが、出来る子だった。

聞こえないふり・見ないふりも出来たし、
よそのお宅で出された食べ物に、誰も手を付けないでいると、
自分がいくしかないか、と、無理して食べるような子だった。

わたしは、息子が小さいころから、息子の意見は尊重した。
幼稚園を決める時も、近所にある幼稚園3つを二人で見て回り、
キミはどこに行きたい?と尋ねてみた。

4歳児には4歳児なりの、感覚があるだろうと思ったのだ。
わたしは親に頭ごなしに何もかも抑圧されてきたので、
それはするまいと思っていた。

息子は、3つの中から、ちゃんと自分の意志で選んだ。

あの園は、バスで行かなくちゃいけないから嫌だ。(酔う)
もう一つの園は、運動場が広すぎて、怖いから嫌だ。
ボクはあの、小さい木のおうちがある、小さい幼稚園に入りたい、と
自分の意見を言った。

それでそこに入れたのだった。


今、抑圧されたわたしの人格は、暴れたがっている。
心の中がざわついているのだ。

実際、お姑さんが退院していらして、
介護ヘルパーさんを雇っているので、
わたしは、何もしなくていいことになったのだが、
あ~良かったとは、もちろん思えない。

ヘルパーさんに出くわさないよう行動する。
お姉さんには合わせる顔がないので、来ていらっしゃる日には、
お帰りになるまでムギのところに行かないような、
隠遁生活を送っている。

夫は、オムツ交換から始まる一日で、
どんなにか大変だろうに、
仕方がないよ、自分の親だから、と言っている。

夫は、ヘルパーさんが出入りする勝手口と、
お姑さんが座っているリビングの場所を映し出すカメラを設置して、
スマホで、管理している。

大変だな…。
管理するほうも。監視される方も。
どっちも嫌だよね。


わたしはちまに、あるお願いをした。

猫には特殊能力があるので、お願いをすると、
命と引き換えにそれを叶えてくれる、という説があるので、
わたしは何も頼んで来なかったのだが、
とうとう、ちまに、頼んだ。

ちま、ママね、ちまが居ない人生なんて、もう要らないから、
ちまが死ぬときには、ママも連れて行ってね。
それで、あっちの世界でも、また仲良く暮らそうよ、って。

もう、ママ、疲れちゃった。
90歳まで生きるだなんて絶対に嫌だから、
ちまと一緒に死にたいよって、頼んだ。

ちまは、ムギと違って、何も話さない。
だから、わかってくれたのかどうかは、わからない。

でも、天使の猫ちゃんだから、きっと聞き届けてくれるよね。
そうしてね、ちま。

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ミスをする土壌。

先月、精神科の薬をもらっている薬局で、
考えられないミスをされ、
しかもそれが、二回目だったから、
わたしは烈火のごとく怒った。

怒りが激しすぎて、先月はブログに書けなかったのだ。

よくあるように、病院の近くには調剤薬局があり、
総合病院ならいくつもあるが、
わたしが行っている精神科のクリニックの近所には、
一軒しかない。

それで、要は、きちんと提携をしていて、
クリニックのカウンターには薬局の案内図が置かれていて、
暗に、そこに行ってくれ、ということになっている。

わたしも、種類の多い処方なので、
地元の行きつけの薬局だと、
ここまで精神科に特化した品数は揃えてないだろうから、
クリニックの近くのその薬局に、
最初から、通っていた。


特に問題はなく、20分ほどでいつも薬が出来上がり、
もらって帰って来ていたのだが、
去年の春に、ベテランのオバチャン薬剤師さんが一人いなくなり、
わたしと同世代くらいの、やや若めのオバチャン薬剤師と、
二人体制になってしまった。

ちょうど、感じが良かった受付の事務のお姉さんも、
いなくなってしまった。

そうしたら、それまで20分で出来て来ていた薬に、
40分も50分もかかるようになってしまった。

そこは、住宅街なので、時間をつぶせるカフェや商業施設はない。
薬局で待つしかないのだ。

新しく入った人が、時々いるのだけれど勘違い薬剤師で、
医者でもないくせに、患者の話を延々と聞き、
薬の説明を必要以上に長くし、
そのくせこっちの話を聞いてないので、
わたしは腹が立って、その薬局のデータを出している会社に、
クレームを入れた。

返事のメールが来たのも数週間後だった。

わたしは、今年に入って、寝付けなくて苦しんでいて、
5月に、睡眠薬を変更してもらった。

眠れてないので、フラフラの状態で病院に行っている。
二回乗り換えて、徒歩15分の、片道一時間半もの道のりだ。

処方箋を出して、ソファに座って、ぐったりしていた。
やっと呼ばれそうだな、と思ったら、奥で急に、
「サイレースになってる!」という声が聞こえて、
薬剤師が、わたしに、「睡眠薬、変更になったんですか?」と聞きに来た。
「そうですよ、処方箋見ればわかるでしょ。」と答えると、
「すみません、すぐに作り直しますので、もう少しお待ちください。」
と言われたのだ。

まさか、処方箋を見ないで作ってしまうとは思ってなかったので、
ビックリしたし、腹も立ったが、
もう、本当にボロボロの状態で、
そのときは、怒ることすら無理だった。

なので、6月からは、処方に変更があるときは、
受け付けで、「お薬の変更があります。」と言って、
自衛することにした。

その時、若い薬剤師さんが居て、あ、新しい人だ、と思い、
じっくり見ていたら、
非常に手早くてテキパキしており、無駄もなく間違いもない。
ああ、良かった、と思い、
薬を受け取るとき、「あなたが入ってくれて最高。手早いし正確ね。」と
耳元でささやいておいた。


ところが、先月、行くと、その若い薬剤師さんがいなくて、
また、仕事ののろいオバチャン二人になっているので、
受付の女の子に聞いてみたら、
あの若い薬剤師さんは、派遣さんで、もう来ないとのこと。

がっくりだ。

待合室は満員で、わたしの前に精神科で診察を終えた二人の患者さんが、
まだ、待っているという状況だった。

わたしはきちんと、「お薬に変更があります。」と伝えて、
仕方なく座って待っていた。

わたしの二人前に診察を終えた人が呼ばれ、
オバチャン薬剤師が、「具合はいかがですか?」と聞いたもんだから、
その人は、病院でもう、充分にしゃべったであろう症状を、
また一から喋り出した。

すると、薬を作ってるのは、あの勘違い薬剤師一人だ。

イライラしながら待った。
暑い中、体調の悪い中を、やっとの思いで通院しているのに、
なんだこの薬局は!

だいぶ待って、わたしの前に診察を終えた人が終わって、
次がわたしのだな、と思っていたら、
また、奥で、「100ミリになってる!」と騒ぎだした。

正直、この時、「またやりやがったな?」と思った。

オバチャン薬剤師がカウンターに出て来て、
「伽羅さん、セロクエルが100ミリになったんですか?」と
聞きやがった。
わたしは、カッチーンと来た。
「ええそうですよ。処方箋にかいてあるでしょ。受付の時も、
わたしちゃんと、変更がありますって、声かけましたよね!」

するとか薬剤師が、ありえないことを言ったのだ。
「すみません、もう今までので作ってしまったので、今からやり直します、
お待ちください。」

ちょっと待て!
わたしは立ち上がって声を荒げた。
「作ってしまったって、どういうこと? あなた方は、処方箋を見ないで、
封入をやってしまったってこと?」

すると、
「ええ、お薬の種類が多いので、あらかじめ用意しておかないと、
お待たせしてしまうので。」と、
正当化しようとしたのだ。
「わたし、変更ありますって、声かけましたよ?
そもそも、処方箋確認しないで、作っちゃうって、どういうことなの!」
「だからあらかじめ、用意しないと、お待たせしてしまうので。」
「だとしても、封入する前に、何で処方箋を見ないのよ!」

わたしは怒りでブルブル震えた。
他のお客さんもずっと待っているのに、
こんな失態が許されていいわけがない。

わたしは一旦座って、確認事項を頭の中でぐるぐる考えた。

他の人の薬が先に出て行き、
10分ほど待たされて、やっと呼ばれた。

わたしは、許すつもりはなかった。

処方箋を見ないで、薬を作って、封入(分包)までしてしまうなんて、
これはあってはならないことだ。
二度と起きてはならないことだ。
きっぱり非難して、その危険をしらしめないと、
命に係わる事故を起こしかねない。
しかも、言い訳ばかりで反省の色がない。

わたしは立ち上がってカウンターに行き、
そのオバチャン薬剤師に、静かに聞いた。
「もう一回、確認しますけど、こちらの薬局では、
処方箋を見ないで、薬を封入してしまうんですね。
そういう方針でいつもやっているということでいいですか?
だったら、処方箋、必要ないってことですか?」

するとオバチャンはこう言い訳をした。
「お薬の種類が多い方が多いので、あらかじめ、症状の安定している方の分は、
準備しておくんです。じゃないと、時間がかかってお待たせしてしまうので。」

「じゃあ、100歩譲ってですよ、あらかじめ準備するのをよしとしましょう、
ならばなぜ、封入する前に、処方箋を確認しないんですか?
わたしは、変更があることは伝えたのに、それも無駄ですね?
そもそも、症状が安定しているって、どうして薬剤師さんが決めるんですか。
わたしは5月から毎月、ずっと変更ありですよ。」

「でも、処方箋を見てから作り始めると、例えば一時間とかかかりますよ、
そっちがいいんですか?」
「それって、ある種の脅迫ですよ? 遅くなるのはそちらのスペックの問題です。
さっきみたいに、医者気取りで症状を一から聞いてたら、手が止まるでしょうよ。
そもそも、わたしが言っているのは、なぜ封をする前に、
処方箋を見ないのか、ってことです。
見ない処方箋なら要らないってことですか。
あなた方は、時間短縮のためにあらかじめ用意してるっていいますが、
確認せずに封入までやってしまった結果、
わたし個人の時間を無駄に使ったんですよ?」

「そんなことはありません。待たせないために、準備をしていたんです。
変更があったら、そこから抜いて入れ替えた方が早いからです。」
「でも、実際は、確認もしないで封入までしてしまったんですよね?
そのせいで、わたしの時間を無駄にされたんですよ?」

「じゃあ、次からは一時間待たれますか?」

わたしはまたブチギレた。
「あなたたちじゃ話にならない! 本部に電話するから、電話番号書いて!」
紙を出して渡すと、新しいほうの薬剤師が、
「電話はわたしたちがしますので。」と言う。
「あなた方がして、何になるのよ、わたしがかけます。書いて。」

そう言って、わたしは経営者の携帯番号を書かせて、
帰り道ですぐに電話をかけた。


わたしは、非常に怒っているが、
間違ってはいないし、感情に振り回されての怒りでもない。

処方箋を見ないで薬を作ってしまう薬局があっていいのか。
これは、わたしだけの問題ではなくて、
社会的大問題だ。

経営者は出なかった。
ほどなくして、折り返しかかって来たので、
わたしは名乗ったうえで、先ほど起きた事例をあげ、
これが、そちらさまの通常の方針ということでよろしいですか?と
尋ねた。

相手は女性だったが、いえ、とんでもございません、と
平謝りだった。

今回のミスだけでなく、二回目であること、
薬のミスは大問題だけれど、
医者でもないのに、症状の安定している患者であると
勝手に判断していたり、
医者でもないのに、症状を延々と聞いて、業務に支障がでていること、
受け付けで、変更があると言ったところで伝わらないことなども、
すべて丁寧に、静かに話した。

しかし、この状態が改善されずに、また同じことをするなら、
社会的大問題だと思います。とも伝えた。



もう、あまりにも腹が立って、その日は帰ったら寝込んでしまった。
疲れ切ってしまった。
具合が悪くて病院に行っているのに、
なんで患者がこんな仕打ちをされるのか。
絶対に許さない、と思っていた。


で、今日も精神科に行って、
自分の怒りのコントロールが効かなくなることがあるので、
ここ一番に飲んで効く、強い鎮静剤を、くださいとお願いした。

即効性があるのは、リスパダールの液体ですが、と言われたが、
前の病院でそれを出されて、飲んで、
呂律が回らなくなるくらいに効いたのだが、
薬害で、脚のムズムズが出て耐えきれず、
それを止める薬がさらに出て、それにより、ひどいドライマウスになり、
一年くらい、苦しみぬいたことを話した。
副作用レベルではない。
薬害だ。

先生は慌ててカルテの一ページ目に書いておられた。

それで、ワイパックスが処方された。

ワイパックスも、前の病院で、通常の頓服として飲んでいた。
このクリニックに変わってから、
良くないからと言われて、セロクエルに移行させられたのだが、
そうか、ワイパックスは、強すぎる薬だったのか。

けれど、常に怒りを制御して生きて来ているので、
なにかで綻びが出来て、その裂け目から怒りがあふれてしまうと、
もう歯止めが効かない。
失神するくらいの強い鎮静剤が欲しかったのだ。

そうか、ワイパックスだったか。

自宅にはまだ、捨てずに取ってある。
どうしてもの時は、それを飲んで失神すればいい。


薬局に行き、「お薬の追加があります。」と声をかけて、
処方箋を出すと、
受付のパソコン周りにオバチャン薬剤師さんが群がり、
処方箋を確認して、それから薬を作っていた。
今日は空いていたし、オバチャンが3人になっていたので、
すぐに出来た。
みんなわたしの機嫌を気にしていて、「雨、すごいですね~。」とか
声をかけて、様子をうかがっている。

間違いがなく、改善されていれば文句はないので、
にこやかに、帰って来た。
めっちゃブラックな客にリストアップされてるけどね!



けれど、世の中、許してもいいことと、
許してはならないことって、きっぱり、あると思うのだ。

自宅の近所の薬局でも、リウマチの注射で、
大事故になるところだったことがある。
それは、責任者がすぐに出勤してきて、対応に当たり、
説明し、誠実に謝罪してくれたので、即、許した。

その後もそこに行っているが、その責任者の人が、
「あんなことがあったのに、まだ来ていてくださってるんですね。」と
喜んでくれた。
間違いは、二度目、起きなければそれでいいのだ。
誰だってミスはする。

ただ、ミスをしてしまう土壌を、許しておくことはできない。
わたしはそう考えて生きている。

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つい弱音が出る。

リウマチの診察日だった。

午前中の診察で、毎回尿検査・血液検査をしてから、
その結果を見ながらの診察なので、
一時間前には到着していなくてはならず、
苦手な、朝に起きるということが必要になる。

ちまに、明日アラームが鳴ったらママを起こしてね、と
頼んでおくと、
アラームと同時にわたしに乗って、
息が出来ないくらい鼻を舐めるか、
もしくはあちらを向いて、膀胱をフミフミしてくれるので、
嫌でも起きられる。

帰って来て、お昼寝する時は、絶対に一緒に寝てくれる。
ちまはわたしのナースちゃんでもある。


今日もちまに起こしてもらって、
ちまも餌を吐かずに大丈夫そうだったので、
予定より早めに病院についた。

春から、担当の先生が別館勤務になって、
別館は、外科と口腔外科と皮膚科しかないので、
患者さんも少ないし、精算とかも待たされないので、
気に入っている。
待合室も広々していて、すごく空いている。

今日はいつもの尿検査・血液検査のほかに、
6月の検診でひっかかった、「胸部大動脈蛇行」について、
診てもらうのに、胸のCTと、
あとはリウマチの検査として、手のレントゲンもあった。

全部サクサク終わって、待合室に戻り、
いとこにメールして、
そのあと持って来た本を読んで待つつもりだったのだが、
けっこうすぐに呼ばれた。

レントゲンの結果、手の指の変形には至ってないとのこと。

でも、わたしは、ちょっと投げやりになっていた。

どうせ治らない、と、思っていたのだ。
だったら、もう、これくらいでいいじゃないでしょうか、と、
先生に言ってしまった。

辛いのだ。

痛みがあることは、もちろん、物理的に辛い。
重いものを持つことも辛いし、
鍋を洗うことも辛い。
大きなものを持てない。
文字もうまく書けなくなり、
「書体」というあだ名があったほどのわたしの文字は、
ひどいものになってしまった。


夜中に、一人で、お腹に注射を打っている時、
とても、悲しい気持ちになるのだ。

こんな高い注射を打っていても治らない。
わたしの中にある、怒りを吐いてしまわなければ、
何もかも治ることはない。

だったら、もう、このままでもいい、と
思ってしまったのだ。


「そもそも、皆さん、治るんですか?」と聞いてしまった。
わたしの精神的な病も治ることはないし、
リウマチだって、注射を変更した時はグッと効果があったが、
それも頭打ちになってしまった。

高い治療を受け続けていることについて、
夫に引け目を感じる。

もうやめたい。もうこれでいい。

でも、イケメン先生は、優しく諭してくださった。

諦めるには若すぎること。
今、治療をしてしまわないと、年を取ってから怪我をしやすくなること。
変えた注射はまだ3回しか打ってないので、結論を出すには早いこと。
症状が安定したのち、尚、半年は治療を続けなくては、
リウマチは治らないこと。


それは今までも言われて来た。
知識としては、頭に入っている。
でももう、なんか、辛いのだ。

しょんぼりしているわたしを見て、先生は、
「じゃあ、あと2回、注射を続けさせてください。
それで、数値を見て、改善がされなかったら、また薬を変えましょう。」
とおっしゃった。

診察に来るのも辛そうとわかったのか、
次回は8週後でいいと言ってくれた。


胸部大動脈蛇行については、専門の先生の見解が、
今日はまだ取れないが、
腫瘍があって、それを回避した蛇行ではないのはわかるらしく、
最終的な結論は8週後で充分だと思います、とのこと。

体の内臓だって、人それぞれ、形が違うように、
わたしの大動脈が、長いのかもしれないしね。

診察を終えて病院を出たら、まだお昼前だった。

お蕎麦屋さんとかに行こうかなあ、と考えたが、
お蕎麦一枚で千円くらいするし、
パスタも千円もするし、
やっぱりマックでいいやと思って、
マクドナルドで食べて、帰りに夕飯のお弁当を買って帰宅した。


ちまがお出迎えしてくれたので、餌をやって、
一緒にベッドでお昼寝をした。

昼寝、すっごい、疲れた。

睡眠薬なしで寝ると、わたしは毎回ひどい夢を見る。
今日は、バスケ部の仲間として、(なんでバスケ?)
松岡修造さんと、松岡茉優さんが家に来て、
意識不明で入院していた仲間の意識が戻ったから、
今夜はうちに泊まって、明日一緒にお見舞いに行こう!、と
大騒ぎになった。
勝手に出前は取るし、そんなときに限って両親が旅行から帰って来て、
寝たきりの祖母もいて、
わたしは大パニックを起こしたまま、
アラームで目覚めた。

つ…
疲れた…。

松岡修造さんと、松岡茉優さんの明るい前向きな感じに、
付いていけないのだ。
起きたらヘトヘトだった。

ムギに会いに行くためにアラームで起きたのだが、
ムギはなかなか帰って来ず、
夜9時に行って、やっと会えた。
抱っこして、匂いをスハスハした。


早起きして、リズムを崩すと、てきめんに体調が悪くなる。
明日は一日、ゆっくりしよう。
金曜日は、これまたしんどい、精神科の診察日。

夫の頑張りを考えれば、
これくらいのことで、弱音吐いてちゃいけないけど、
生きてくのはしんどいねえ。

                                          伽羅moon3

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長生きしたくない。

先週の金曜日に、お姑さんが、帰っていらした。

骨折して緊急入院したのが、6月4日だったから、
丸々三カ月もの入院&リハビリだったということだ。

わたしも、そんなことにならないよう、怪我をしないよう、
細心の注意を払って暮らさなければ、と思った。
自分が入院してしまったら、猫たちの面倒を見れない。
それが一番困るから。

お姑さんは、体には全く悪いところはなく、
きわめて元気。
食欲もあるそうだ。
リハビリの順調で、階段の上り下りや、お風呂のふちをまたぐ、
みたいなことも可能だと言って帰された。

その時に、自力でトイレに行けるが、たまに失禁もあるので、と、
オムツで帰って来たそうだ。

その言葉通りなのかと思っていたのだが、
実際に暮らしてみると、
もう、全オムツ生活じゃないと、無理なようだ。
わたしもさっき、夫から軽く聞いただけなので、
深くは立ち入っていないが、
夫は朝、まずお姑さんのオムツを替えることをしなくてはならないそうだ。

すごく気の毒な気持ちになった。
夫は退職して、今は嘱託勤務なので、
早朝、自分でやっていた仕事はもうやめたが、
朝ご飯を作って、お姑さんに食べさせなくてはならない。
ゴミ出しをして、庭の花に水をやって、
ムギにも朝ご飯をあげて、もちろん会えればラブラブしたいだろう。

通勤時間が一時間半もかかるので、
夫は7時半には家を出るのだが、
いくら5時に起きても、こんなに用事があると、
忙しすぎて大変だ。

オムツだけでは受け止めきれないので、敷きパッドも併用しているのだが、
昨日は、オムツだけみつかって、パッドが行方不明で、
長女と捜索したら、押入れから出て来たそうだ。

せっかく新しく買ってあげた、肘付きの椅子も無残なことになったらしく、
夫がわたしのところに来て、
捨てていいような丸い平たいクッションあるかい?というので、
押入れから探してもらって、持って行ってもらった。

寝たきりで、オムツ交換ならば仕方がないのだが、
本人が動き回るので、厄介なのだ。

昨日、夫としみじみ話したのだが、
これが赤ちゃんならば、3年もすれば自力でトイレに行くから、
それまでの辛抱だって、我慢できるけれど、
あと何年生きるのかわからないし、希望は持てないよねって。

わたしも、ムギを部屋に入れた時、
ムギが故意に、いけない場所でオシッコをジャアジャアするのだと知って、
これが赤ちゃんなら、あと3年、と我慢が出来る、
でもムギのことは可愛いから長生きしてもらいたい、
すると、あと10年も15年も、
こうして毎日、オシッコやられるの?と思った時、
心から絶望したのだ。

だから、すごくよくわかる。

世話をしている夫は、すごく偉いと思う。
大変だし、辛いと思う。
だけど、「俺は赤ちゃんのころ、やってもらったんだからな。」と言って、
頑張っている。

すごいな。偉いなとしか、言いようがない。

やはりわたしには、お世話は無理だ。

何か後方支援で、できることをやろう。

テレビで、長生きするためには、なんて番組をやっているけれど、
わたしは、本当に、長生きには興味がない。
長生きしたくない。
大事な息子に、迷惑かけたくない。
疎まれたくないから、惜しまれるくらいで死にたい。

うちの両親は二人とも、
命に係わるような病気になり、手術をして、
乗り越えて長生きしているが、
お姑さんは、胆のうを摘出した以外、
どこも悪くなくて、体は元気なのだ。

9月生まれなので、もうすぐ91歳になられるが、
何か楽しみはあるのだろうか。
デイサービスに行き始めたので、その日が楽しみになればいいけれど。

わたしは絶対に長生きしたくない。
70代で死にたい。息子に迷惑かけたくない。

夫の精神がもつのか、心配だ。
色々わかってルーティンになれば大丈夫だよ、と言っていたが、
それでも心は辛いことが多いだろうと思う。

老人一人を介護するのに、こんなに人手がかかるとは、
知らなかった。
本当に大変だ。

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こうして生きて行く。

わたしは、小さいころから、睡眠のコントロールが出来ない。

赤ちゃんの頃は、良く寝て、寝てばかりいて、
非常に手のかからない赤ん坊だったそうだ。

けれど、保育園児時代、わたしはもう、
睡眠については悩みがあった。

わたしの町では、なぜだかわからないが、
4歳児は保育園に行き、
5歳児は、小学校の付属幼稚園に入る習わしだった。

母親は、当時、ミシンで内職をしていたはずだが、
母親が働いていない家庭でも、
子供は一年間は保育園に入れた。

よその地方では知らないが、その町では、
お寺が、保育園を経営しており、
東にあった寺の保育園は東保育園で、
西にあった寺の保育園は、単純に、西保育園といった。

わたしは東保育園で、送りには母が行っていたが、
お迎えというものはなく、同じ方面に帰る子どもを、
先生が送って行った。

わたしは、保育園で、たびたび、お漏らしをした。

それは、お絵かきとかをやっていると、
いつ、中断してトイレに行けばいいのかわからず、
それ以前に、中断するということが、すごく苦手だったので、
お絵描きをしていると、いつも漏らしてしまうのだ。

しょっちゅう漏らすのだから、母も学習して、
替えのパンツを持たせてくれればいいのに、
わたしはその寺の娘の、大きなパンツを借りてはかされて、
帰ってくるたびに、母に、「またか。」と言われた。
そればかりか、よその子の親に、
うちの子またおもらしして、ミナヨちゃんのパンツ借りてたわ、と
言いふらすのだ。

思うに、中断することができないのは、
なんらかの発達障害だったのではないだろうかと思う。

保育園では、まずい給食と、吐きそうな脱脂粉乳が出た。
実際、みんなその脱脂粉乳には、よく吐いた。

そのあと、強制的に、お昼寝の時間がある。

講堂で一斉に子供たちが寝るのだが、
わたしは、いつも全然寝付けない。
他の子たちがすやすや眠っているので、身じろぎもせず横たわり、
やがて、ようやく眠りに入った頃に、
起きるための音楽が鳴り響くのだ。

寝付いたばかりで、その曲で叩き起こされるのだから、
わたしはその曲が大嫌いだった。

それが、「トルコ行進曲」であったことを、
小学校の高学年になって知ったが、
やはり、いやーな気持ちになり、今も聞いたら、嫌な気分になると思う。

そんな風に、小さいころから寝つきが悪かったのだ。

小学生になってもそれは治らず、
ある、決まったルーティーンをしないと、絶対に寝付けなかった。
朝起きることが、とても苦手だった。

唯一、自転車に乗れるようになった、中一になる春休みに、
朝、5時に起きて、ゴンを起こしてた。
ゴンは小屋に居て、寝ぼけまなこで出て来て、
それでも嬉しそうにニコニコする。

自転車の前カゴに、ゴンを乗せて、
中学校までの通学路を練習した。

わたしはずっと自転車に乗れず、
近所の親しかったおじさんがある日、わたしを乗せてグランドに行き、
さあ、乗って見ろと言ってわたしを乗せ、
はあはあ言いながら後ろを押して、
手を離すと、「いいからただ漕げ!」と叫んだ。

何年も親に練習させられたが、わたしは乗れるようにならず、
そのおじさんは、一瞬で、わたしを乗れるようにしてくれたのだった。

カゴに入れると、ゴンは暴れることもなく、
風を受けて、気持ちよさそうに、乗っていた。
ゴン。
あの時、二人で、幸せだったね。
たった三年しか一緒に居られなかったけど、
一生忘れないよ。


うつ病になって、治る人は、
うつ病になってしまったなにか明確な出来事や、
対人関係があって、
そこから抜け出せる人に限られると思う。

そうではなく、わたしのように、生まれ持ってうつ体質であるならば、
治ることは望めない。

このまま生きて行くだけのことだ。

前も向かないし、立ち上がって走り出すこともしない。
明るい未来もない。

でも、それでいい。
こんなわたしでも、子供を授かり、いい子に育って、
幸せな結婚をしてくれたのだから、
別にもう、これ以上、望むことはない。

この部屋で、愛おしい物たちに囲まれて、静かに生きて、
静かに死んでいく。
それだけのことだ。

それを後ろ向きだとは考えないし、
自分にはこれが合っている。

さあ立て、前を向け、歩き出せと言われても、
そんな芸当はできない。

前進するだけが人生ではない。
とどまっていることも、別にいいじゃないか。
わたしはそう思う。

だから一生、ゴンを思えば、泣くのだ。

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どうかこのまま。

わたしが起きる気配を、ちまはよく知っている。

わたしは暑がりなので、まだエアコンをつけて寝ているが、
ちまには多分ちょっと寒いのか、
寝る時にはベッドに居てくれるけれども、
起きると、キャットタワーの箱に入っている。
ふかふかの敷物を敷いてある。

そこから飛び出して来て、わたしによじ登り、
胸に乗って顔を舐めるか、
お尻をこっちに向けて座って、
膀胱をフミフミするか、どちらかをやって、
完璧に起こしてくれる、とってもいい子だ。

今日のちまは、元気そうだったので、
大丈夫かな~?と思いながらも、
お薬を入れた、缶詰を与えてみた。

喜んで食べて、吐かなかった。

良かった。

それ以上、欲しがらなかったので、
わたしは予約通り、シャンプーに出掛けた。

終わって、週末、ヒキコモリができるように、
スーパーで買い出しをして帰って来た。
手がちぎれそうだよ。
液体を買うと、しんどいなあ。

野菜ジュースは、ネット通販で安い所を見つけたので、
大量に購入した。
でも、牛乳とかは、買いだめできないので、仕方がない。
お茶も、今はペットボトルでは買っておらず、
頂き物の茶葉を使って、耐熱ガラスのボトルに入れている。

帰って来たら、ちまは元気にお出迎えしてくれた。
ご飯食べる?と聞いたら、食べるというので、
通常の半分量を、やった。

食べ終えると、とことことやって来て、
「足りないんですけど。」っていう。
またすぐあげるから、今日は、少しづつにしようね。

でも、そのあと、欲しがらなくて、催促にも来ない。
欲しがらないならあげない方がいいようなので、
このまま寝るかな?

お水も飲んでいるし、オシッコも出ているので、
何か重篤な病気ではないと、思いたいのだが、
このまま食欲不振が続いたら、
やっぱりもう一回、胃カメラをやるしかないと思う。


夕べはもう、ヘトヘトで、
ムギのところに行くのは諦めた。

でも、燃えるごみを出してもらうために、
母屋の裏の物置に入れておく日だった。
けれど、ゴミを持って行って、もしムギに遭遇したら、無視はできないし、
かと言って、付き合える気力はなく、
ちまから離れたくなかったので、
ゴミも、諦めて、キッチンもそのままで、
へばって寝てしまった。

そうしたら、今朝、夫が、部屋に入って来て、
部屋のゴミを集めて袋に入れて、持って行ってくれたのだ。
夫は、朝はいっぱい用事があって、
ムギの世話もあって、忙しいのに、来てくれたんだ…と
もうろうとしながらも、「アリガトウ。」と言って、また気絶した。

お昼に起きてみたら、なんと、食器洗いまで、やってくれてあった。
夕べはお弁当を食べたので、食器も少なく、
鍋やフライパンはなかったが、
起きて、キッチンが綺麗になっていて、
本当に、救われる気分になった。
ありがたいなあ。

世の男性は、家事をしてくれる奥さんを、もっとねぎらって欲しい。
料理を作るだけでも大変なのに、
食器洗いして、ゴミ出しして、本当に奥さんって大変。


ちまがこのまま、元気を取り戻してくれればいいのだが、
まだ食欲が戻ってないので、要注意だ。

ムギの頭のハゲは拡大してきているし、
明日、とうとう、お姑さんが帰っていらっしゃるので、
不安。

                                              伽羅moon3

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もう限界。

昨日の夜中はムギに会えず、
部屋に戻って来て、寝る前の餌をちまに与えて、
わたしはキッチンで洗い物をしていた。

水を止めて、ふと気が付くと、ちまがちょうど床に吐いた。

夜中の餌で吐くことは、すごく珍しいので、おかしいなと思った。

近寄って見ると、吐いたものがほとんど液体で、
お昼過ぎに与えた缶詰の具が入っている。

え?
ってことは?
そう思って、ラグを見ると、ラグの上に大量に吐いてあった。

またラグだよ…。

わたしはうんざりした。

以前は大きいラグを敷いていたが、
ムギを部屋に入れた時に、じゃあじゃあオシッコをされて、
もうきれいにする手段もないので、
お気に入りだったのに、捨てたのだ。

今は、テレビの前に、小さいラグがあるだけで、
他は全部、フローリングである。

だから、ちまには、常々、「床で吐いてね」と言い聞かせてある。
吐く前に察知するのは難しい。
食べた後、じーっとそばにいられるわけもないし、
大体が、一回目は食べてすぐに吐くので、間に合わない。

ほぼほぼ、フローリングなのに、吐くときに、わざわざ、布の上に行く。
それは小さいラグか、わたしのベッド。

吐くと、続けて何回か吐くので、小さいバケツを持って待機する。
ちまがえづきだしたら、
バケツを口元に持って行って、そこに吐いてもらう。

ラグで盛大に吐いてあったことで、すでにイラついていた。
そこを掃除している間に、えづきだしたので、
バケツを持ってすぐに差しこみ、
バケツの中身をトイレに捨てて、バケツを洗っていると、
これでもかと言わんばかりに、ちまはわたしのベッドに吐いた。


耐えて耐えて耐えていたが、わたしはブチ切れた。
ちまを捕まえて仰向けに抑えつけ、
「なんでわざわざベッドに吐くの! 床で吐いてって、いつも言ってるでしょう!」

ちまはわたしの腕に蹴りを入れて逃れて、部屋中を走り回って逃げた。
オシッコをちびり、ウンコをまき散らしながら逃げた。

わたしはもう、ブチギレしているから、止められない。

ちまを引きずり出して、人間用のトイレにぶち込んだ。

このままだと、ちまを殺してしまう。
隔離しよう。

トイレはすごく広いので、猫用のトイレと、
お水と、スープを入れて、ドアを閉めて明かりを消した。

わたしの腕からは大量に血が流れていた。
流水で良く洗い、オロナインを塗って、
滅菌ガーゼを包帯代わりに巻いて、
頓服を、1シート丸々飲んだ。

もう無理。
もう限界。


今日はカウンセリングだ。
カウンセリングで吐き出して来ないと、死んでしまいそうだ。

アラームで起きると、
わたしがアラームで起きることを知っているちまが、
トイレで、「出して~。」と鳴いていた。
起きて行って、トイレのドアを開けると、飛び出して来て、
部屋に入り、わたしの顔色を見た。
「ちま、大丈夫だよ。ママ怒ってないよ。」
そう言うと、ちまはホッとしてベッドに登った。

朝の薬を混入して、缶詰を与えた。
久しぶりの食事だ。
美味しそうに食べた。



わたしはカウンセリングに行かなくてはならなかったので、
数十分後に、少量だけ、カリカリを与えた。
食べる様子をそばで見ていた。
問題なし。

それで、出かける支度をしていたら、
ちまが、また吐いたのだ。

うそ…。

確かに、よく吐く子ではあるが、今日は十分にブラッシングもしてやったし、
また吐くなんて、おかしい。

今日は床に、2回吐いた。
ちまはまた怒られると思って、ソファの下に隠れている。

わたしは床を拭きながら、「ちま、ママ怒ってないよ。」と声をかけた。

心配だけれど、わたしの精神はもう限界を迎えている。
カウンセリングに行かないと死んでしまう。
まだ吐く可能性はあったが、時間がギリギリだったので、
わたしはちまを残して出かけた。


カウンセリングで、のっけからもう、わたしは泣いた。
猫を虐待しました。
天使ちゃんなのに、怒りを抑えきれなくて、叩きました。
もう、どうしたら自分をコントロールできるのかがわからないのです。

そう言ってしばらく泣いた。

スイッチはわかっている。

一つは、お姑さんが帰って来ることだ。

わたしは、何もしなくていいと、言ってもらえた。
免除してもらえた。
なのに、ものすごく憂うつで恐怖なのだ。
こんなことを言うと、実際に面倒を見る夫に申し訳がない。

でも、当初夫が考えてした対策を、
夫が実行する気がないことがわかって、
わたしは一気に鬱になった。

母屋は、二階だけで生活すべてができる。
だから、お姑さんが、不用意に階下に降りて来たり、
勝手に外に出て行ってしまわないよう、
二階の階段の降り口に、柵をつけると言っていた。

でも、柵をつける案は、立ち消えになっている。
お姑さんは、いつでも、庭に出て来て、
また、ムギを追い回したり、奇声を発したりするようになる。

インターホンも昼間はならないようにする、と言っていたのだが、
その話も、まだどうするとも決めてないとのこと。
もう、金曜日にはお姑さんは帰って来てしまうのに。

夫一人で、大変だと思う、すごく大変だよね。
だから夕べは、介護用の椅子の組み立てを手伝った。

けれど、もう、わたしのことを誰だかわからなくなっている人が
帰って来るのは、恐怖でしかない。

何もしなくていいんだから、いいじゃないかと
言われることはわかっている。

でも、この不安感が、わたしの精神を異常にしている。


もう一つ、スイッチがある。
吐かれると、わたしは頭に血が上って我を忘れるのだ。

わたし自身が、吐く子供だった。
家には車がなかったので、乗せてもらうとしたら、
全部人さまの車。
必ず酔って吐く。
そして、毎回、母に怒られる。

わたしは子供ながらに、こう思っていた。
母親なんだから、いい加減に学習しろよ、と。

母は外面だけがいいので、車に乗せてもらうと、
お喋りに夢中で、わたしのことなんて何も考えない。
必ず吐くとわかってるんだから、対策をしろよと、思っていた。

わたしは、自分が免許を取って車を運転するようになるまで、
新幹線でも、気分が悪くなった。

そして息子も、そういう子供だった。

わたしは学習したから、常に息子には、
気持ち悪くなったら言ってね、袋あるからね、と
言い聞かせているのに、
息子が黙って吐くと、脳が沸騰して、めちゃくちゃ怒った。
だから言ったじゃないの!
なんで吐くって言わないの!


「吐く」という行為が、わたしのスイッチでもあるのだ。


カウンセリングを終えて、ちょっとだけ気分転換に、
ソフトクリームを食べて、一軒、雑貨屋を見て買い物をし、
デパ地下でお弁当を買って帰った。

日暮れが早くなってもう暗くなってしまった。

これからちまの世話をして、スープをやって、吐かないか見てて、
元気があるか、下痢はしてないかなど、様子を見て、
それからシャワーして、ムギのところにいって、
そのあとようやくお弁当か…と、どんよりしていた。

帰ってみると、ちまはもう一回吐いてあったが、床だったので、
いい子だったねと褒めた。

チューブ入りのちゅ~るを買って置いたので、
お皿に少量絞り出し、スープで溶いて、
とろみのあるスープを出してやったら、
喜んで飲んだ。

床を掃除していると、夫から帰宅したメールが入り、
ムギに呼ばれたので、世話をしてくれるとのこと。
すごく助かった。ありがたい。



しかし、ちまが二日も続けて吐いたってことは、見逃してはいけない。
様子をしっかり見て、食欲がなかったり、
また吐くようなことがあれば、
病院に連れて行く必要がある。

しかも、胃カメラをやらなければ、意味がない。

木曜日は休診なので、金曜日、わたしがちまを背負って、
山手線に乗り、行きつけの病院に行くしかないか。
でも、駅からは遠いので、タクシーを使わせてくださいと、
夫にお願いした。

夫は、タクシー代を異常なほどけちる人なので、
許可してもらわないと、乗れないのだ。

午前中に連れて行って預けて、
午後胃カメラをやってもらい、
夜、迎えに行くしかない。

金曜日は、夫は朝からお姑さんの退院で忙しく、
室内に手すりをつける業者さんもその日に来るので、
全く時間がない。
だからわたしが行くしかない。


スープのあと、ちょっとおやつを与えた。
ちまは喜んで食べた。

吐いてはいない。
しかし、そのあと、もう何時間も経つのに、
一切欲しがらない。

これは多分、おかしい。
ちまは食いしん坊で、ムギと違って、餌で騙せる子なのだ。
それなのに、ねだって来ないのは、明らかにどこかおかしい。


ムギの面倒は、もう一度夫が見てくれた。
ものすごく助かった。
もう気力がなかったのだ。

ベッドで休憩していたら、キャットタワーに居たちまが、
急いでやって来て、一緒に寝てくれた。
機嫌は悪くないし、ぐったりもしていない。
お水も飲んでいて、オシッコも出た。

明日一日、しっかり様子を見よう。
なにせ、ちまはもう8歳で、シニアの域に達している。
充分に気をつけなければ。


わたしの精神はもうボロボロだ。
ちまが心配すぎるので、今夜はムギに会いに行くのをやめる。

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スイッチが入れ替わり。

三日間、ヒキコモリをした。
夫と多少の接触をした以外、ずっと部屋にいた。
沢山眠った。

こういう期間がわたしにはもっと必要だとわかった。

なんだか、今年は辛すぎて、
最近は精神的にもズタズタで、
ろくなものを食べていない。

ヒキコモリ三日目にして、ようやく、
オニギリと、お味噌汁が作れた。

コンビニのおにぎりがおいしくない。
よりふんわり握りました、とかうたってるけど、
それって、コメを減らしましたってことだよね。
ご飯がすかすかで、海苔だけ紙みたいに硬くて、
バランスが悪すぎて食べられたものじゃない。

自分で握った、みっちみちの固いお握りがわたしは好きだ。

やっと、食事らしいものを食べた。

洗濯もやれた。
掃除は、またいずれ。


わたしのやる気スイッチが、他のものに入れ替わってしまった。

直接は知らない猫の死を聞いただけで、
ゴンやムギを思って、号泣してしまう。

昨日のブログ記事、
わからないかもしれないが、
わたしは声をあげて泣きながら書いた。

年十年も頑張っても、決して報われないことがあるのだと、
そう思うと、やりきれなくて、
とても辛かった。

わたしが、吐きながら母の話を聞き続けた
あの時間を返してくれ。



大切なものを亡くした悲しみは、
一生消えないと思う。
忘れる必要もないし、一生悲しいままでいい。
それでいいじゃないか。

なぜそれを、みながよってたかって、
前を向けだの、立ち上がれだの、歩き出せだの言うのか。

ずっとそこで足踏みをして泣いていてもいいじゃないか。

悲しいことは、悲しいままでいいのだ。



ゴンを失った悲しみがあったから、
去年、ムギの命を救うことができたのだ。

夜中に小屋の中に倒れていたムギ。
倒れていたのが、小屋の中で、本当に良かった。
どこかよそで、力尽きなくて、小屋に入ってくれていたから、
異常に気が付くことができた。

呼んでも、ゆすっても、小さく、「ううう…。」としか鳴けなかったムギ。
真冬なのに、小屋の外に脚も尻尾もだらりと出ていて、
肉球は冷たくなり、
顔に触れたら、吐いたのかよだれかで、ぐしゃぐしゃだった。
今朝から全く食べていない。
絶対にこれは異常。

時刻は午前2時。

朝まで様子を見る?
でも、様子を見たからと言って、良くなる要素が、今、見える?
しかも明日は、行きつけの動物病院は休診だ。

夫に、ムギの様子がおかしいとメールだけして引き上げるか、
夫を叩き起こそうか、
数秒、迷った。

でも、このままでは、ゴンの二の舞になる、と
わたしは直感した。

夫を起こして、ムギがおかしいと告げると、
まだ4時間しか寝ていない夫は、
「でも、ムギはムギの意志でそこにいるんだし。」と言った。
死んでも仕方がない、という意味だ。

わたしは、部屋に戻って、大事に持っていた、
夜間救急の病院に、電話をした。
ムギの症状を伝えて、アドバイスをもらおうと思ったのだ。

けれど、話し始めたら、急に体がガクガクと震え出して、
息もうまく吸えず、途切れ途切れにしか、話せなかった。
ガクガクに震えた。
その時わかった。
ムギはいま、もう、死の瀬戸際に居る。


救急病院で電話に出た女性医師は、
あくまでも、診ないとわからない、と言いながらも、
「呼びかけて、反応がないとなると、それはもう、緊急事態です。」
と、はっきり言った。

わたしは夫のところに戻り、泣きながら、
「ムギ、危ないって。もう、緊急だって。」と伝えた。

そうだ、もうムギは死んでしまうのだ。


夫は無言で飛び起きて、着替えを始めた。
わたしは過呼吸を起こしてブルブル震えていた。

ムギを失いたくない。
ムギを失いたくない。
まだたった一年しか一緒に暮らしてない。

キャリーにムギを入れ、抱きかかえて、車で病院に連れて行った。

全部の信号で赤で止まってる気がした。
早く、
早く!
ムギが死んでしまう。


病院に着いてわたしだけ車を飛び降りて、
インターホンを押すと、建物の2階から、
もう病院のスタッフさんが駆け降りて来た。

わたしから無言でムギを奪うと、階段を駆け上がりながら、
「冷たい!!」と叫ぶ声が聞こえた。

ムギはすぐに診察ベッドに寝かされ、
両側からドライヤーの強風を当てられて、温められた。
わかっていたら、毛布でくるんでカイロを入れて連れて来たのに。
「人慣れしていますか?」と聞かれても、わからなかった。
一応カラーをつけられて、ムギはたくさんのスタッフに囲まれた。
二人がドライヤーで温めて、そのほかの人は、
管をつけたりする作業に入った。
わたしと夫は、診察室の外に出された。

途中、ドクターが出て来て、
「あとでまた詳しく説明しますが、このままだったら、あと数時間の命でした。」
と言われた。


やっぱりそうだ。やっぱりそうだったんだ。
あのまま、ムギを小屋に置いて、わたしが寝てしまったら、
翌朝、冷たくなったムギを、夫が発見することになっていたのだ。



しばらく待って、診察室に呼ばれた。
銀色のお皿に、なみなみと、赤いドロドロの液体が入っていた。
「これだけの量の血尿が、入っていました。」
それは、人間の大人の2~3回分はあったと思う。

助けられると思います、と言われた。
なので、明日の朝に、移せる、
24時間体制の病院を探してくださいと言われた。
ここはあくまでも、夜間だけの救急施設なので、
置いてはおけないのだ。

ムギを預けて一旦帰宅して、病院を探して、決めた。
夜がしらじらとあけていた。

携帯を握ったまま、座っていたが、いつの間にかウトウトしたようで、
電話で起きた。
救急病院からだった。

ムギの命は、山を越えた、助かると思います、という報告だった。



別の病院に入って、ムギは20日間、入院した。
毎日毎日、面会に行って、一時間も二時間も一緒に過ごした。
面会を終えて引き渡すとき、
ムギは毎日ぺしゃんこになって、いやーんと鳴いた。


ムギを助けられて良かった。
ゴンの二の舞にならなくて本当に良かった。
ゴン、ありがとう。ムギちゃん、危ないよって、教えてくれたんだね。
ムギね、ゴンと同じで、3本脚なんだよ。お揃いだね。


一年後の、今年の検診で、ムギは、お外で生きてる子なのに、
どこも、何にも、悪いところがなかった。
すごいことだと思う!

確かに、ムギを見ていると、いつも気を張っていて、
安らぐ時間は少ない。
ムギと同時期に、一斉に現れたノラ猫たちが、
今もムギをねたんで、場所を狙っているのだ。
だからムギは毎日警備に忙しい。

ストレスも恐怖も多い。
人も怖い。カラスも怖い。

でもね、ムギ、ムギは一人じゃないんだよ。
パパとママが一緒にいるからね。
いっぱい愛情をチャージして、生きる力に変えてね。
いいご飯もあげる。
心の栄養になるおやつもあげる。
毎日ちゃんと会いに行く。

夜中にムギをこっそり胸に抱いてること、
二人の秘密だよ。

死なないでねムギ。大事にするからね。
お願いだよ。

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失敗だけど仕方がない。

病は気から、というのも、一理あるし、
どんな病気でも、休まないと治らない、と、
しみじみ思う。

でも、心の傷は、休んでも治らない。
なぜなんだろう?

この人生、失敗した。
息子にまた親子として出会えて育てさせてもらえたことは、
本当に幸福なことだったが、
父のもとに、また娘として生まれたのに、
関係性を悪化させたままのお別れになる。

そこが失敗だ。

でも、そもそもが、母のような人を野放しにした、
父にも問題がある。
だからしょうがない。
わたしはわたしで、もう、何十年も頑張った。

それを、わかってくれる人は、いるだろうか。
本当に、すごくすごく、頑張ったのだ。
必死に何十年も、母が変わってくれることを祈って、
話を聞き続けたのだ。
毎回吐いたり気絶したりしながら、頑張った。

もう無理だよ。
もう頑張れないよ。
そんなことなら、母より早く死んだ方がマシだ。

どんな時でも、自分が中心で、
自分が悲劇のヒロインであることを演じる母親。
わたしは、その道具に使われた。

もっと、もっと早くに、「毒親」という本に出会っていたなら、
ああ、うちの母は典型的な毒母なんだ、とわかったのに。
そしたら全速力で逃げたのに。



こんなわたしが育てたのに、
息子には、人を許す力がある。

初めて、人に優しくされると、こんなに嬉しいんだと
気付かせてくれたのは、息子だったのだ。
初めて、泣いているわたしの頭を抱いて、
よしよししてくれたのは、
他でもない、まだたった一歳半の、息子だったのだ。


誰も母の本性に気が付かないまま、
わたしはどんどん悪者にされていく。

本当に何十年も頑張ったんだってことを、
誰かに理解してもらいたい。
本当は大声を出して泣きたい。



ゴンが死んだとき、ゴンを抱きしめて、
大声で泣けば良かったのだ。
学校になんて行かなければ良かったのだ。
可哀想なわたしのゴン。
ごめん。本当にごめん。守ってやれなかった。
サヨナラもありがとうも言わせてもらえないまま、
埋めるのに立ち会わせてももらえず、
冷たくなったゴンをたった3分撫でて、それがお別れになってしまった。

たった一人の同士だったのに。
たった一人の仲間だったのに。
誰にも、ゴンが死んだ話をできなかった。

わたし自身が、泣くことを許されていなかったのだから、
話せるわけがなかった。

手元に、何一つ残っていない。
写真もない。
ゴンの毛もない。歯もない。
何一つ残っていない。

ごめんよゴン。
まさかたった3歳で死んじゃうなんて、思わなかったんだよ。
まさか、食べなくなって三日目で死んじゃうなんて思わなかったんだよ。

家には車も無くて、父は三交替勤務で不規則で、
郊外にある動物病院に連れていけなかったんだよ。


わたしはきっと、
親が死んでもこんなに泣かない。
それは、想定内の順序だからだ。

ゴンを守れなかった悔しさ、
埋葬に連れて行ってもらえなかった恨みは、
一生続く。


ゴンときちんとお別れができていたら、
ここまで恨むことはなかった。
肩を抱き合って一緒に泣ける母娘であったら、
こんなことにはならなかった。



わたしは、ガンになったら、手術はするが、
抗ガン剤は受けない。
必要ない。

死ぬことなんて別に怖くもないし、
お墓に住むわけでもないし、
またいずれ、転生してくるだけだ。

今、自分の手元にある、大切な命を、
ただ、大切にする。

ちまと、ムギが、元気で長生きできるように、
わたしは自分の力を使う。

息子とお嫁ちゃんが、ずっと二人で幸せであるように、
心から祈るし、やれることがあるなら、何でもする。

息子は、本当に可愛い。
お嫁ちゃんも、とても可愛い。

ちまも、ムギも、めちゃくちゃ可愛い。
わたしの宝物。

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精神の知覚過敏。

わたしたちのような生き物は、
言わば、「精神の知覚過敏」であると言えるだろう。

人が傷つくことを平気で口にする人は、
自分が何かを言われたら、倍返しで反撃して来るか、
もしくは、全然気にならなくて、スルー出来るという、
特殊能力を持っているに違いない。

そういう、強く鈍い人がうらやましい。



わたしの母は、いつも誰かを標的にして、
自分に仲間をつけて、
標的を攻撃して生きて来た。

わたしの悪口を、父に吹き込み、
父の悪口を、わたしに吹き込むのだ。

必ず、どちらかを味方につけておく根回しをしてから、責める。
卑怯な人だ。
父がいなくなって、盾になってくれる人を失ったら、
今度は親戚に、わたしの悪口を言いふらすに違いない。
今ももう、すでにやっている。

二人の子供なのに、
父にわたしの悪口を言うだなんて、どういう神経だか、
気が知れない。

わたしを守ってくれたことがない父にももう失望した。

過去の話をしても、
「大変やったんやから、しょうがないやろ。」としか言わない。
そんなに大変だったのなら、
わたしを産まなければよかったじゃないか。
兄のように、殺してしまえば良かったじゃないか。

わたしには何の罪も責任もないのに、
一人っ子だからこうじゃなくちゃと、押し付けられ、
よくよく聞いたら、あんたたち親の都合で一人っ子なんだから、
あんたたちの始末は、自分でつけなさいよ。

わたしは、もう知らない。
いないものだと思ってもらえばいい。
二度と会わなくても全く平気だ。


わたしは、耐える時は必死に耐えるが、
耐えられなくなったら、二度目はない。


人の話をスルー出来る能力を持った人が本当にうらやましい。

今の鬱状態はちょっと重たい。
隣町にシネコンが3つもあって、ほんの数十分で映画館に到着できるのに、
その気力が湧かないのだ。

見ておかなければ、と思う映画があるのだが、
時間を合わせて起きて出かけて、
帰りは、ちまムギが待っていると焦って、
汗だくになって走って帰って来る、
その気持ちが辛くて、数時間を要するお出かけが出来ない。

料理も全然ダメで、
食材は、今は豆腐と人参と玉ねぎしかない。
人参も、いつ買ったものか記憶にない。
レトルトも、賞味期限が切れている。



去年は、壮絶な絶食のせいで、
わたしはこの時期、ひたすら、「汁」を飲んでいた。

絶食も、一日目・二日目くらいは、
カレー食べたいとか、ナポリタン食ってやるとか思ったのだが、
そこを過ぎると、何でもいいから、
味のするものが欲しかった。

一回目の緊急入院で、胆管に管をはめる手術後、
麻酔が効かなかったせいで、わたしが暴れたのがいけなかったのか、
膵炎を起こして、激しい痛みに襲われた。

あんなに、麻酔が効きませんからね、と言ったのに。

こっそり点滴が増やされていたので、調べたら、
膵炎の薬だった。

痛み止めを打ってもらうと痛みが遠のき、空腹が襲って来る。
そのあと、また、痛みが襲って来る。
その繰り返し。

うちの夫は、病気になったことがなく、入院経験もないので、
説明したってわからないらしいが、
相当に、辛い入院だった。

完全に精神もやられた。

だから、胆のうの摘出の時は個室にしてくれと頼んだのに、
「ガンでもないくせに。」と言われた。
夫は、決して口にしてはいけないことを、言ってしまったのだ。

たった5日の、わたしの個室を渋ったのに、
お姑さんが骨折して、2~3週間の入院が必要となったとき、
個室にしようかな、と迷ったのを見て、
男は全員がマザコンかよと思った。



ダメだ。
神経が過敏になってしまっている。
この状態で人と接するのは危険だ。

過食してたころは、罪悪感があったし、
みるみる太って行き、
怒りどころではなかったが、
節約をすると、怒りスイッチが入ってしまうらしい。

とにかく今は、誰とも接触せずに、
静かに、療養しよう。
映画は残念だが、DVDになるのを待とう。

指がすごく痛んで字を書くことが難しくなっている。

怒りが静まらないとダメだ。
どうにかしないと。

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病は怒りから。

「病は気から。」という言葉が古くからあるが、
これは、うつ病の人に使うと、とんでもないことになる。

気の持ちようでどうにかなるだろ、
前向きに生きれば治せるだろ、と、
聞こえてしまうのだ。

そんなことを言われてしまったら、生きる気力を逆に失くす。
絶対に言ってはいけない言葉だ。

前向きになれないから、発症したのだ。
前向きであることのみが、美談なのか?



けれど、一方で、体の病気で、
「気」から、なってしまう病気があるのだと、
わたしは自分でわかってしまった。

自分の中に居る、怒りに震えて立っている少女を描いた時、
すごく自然に、
そうそう、こんな風に下を向いて顔なんて全然見えない角度なのに、
その顔まで、怒りで肩が上がってしまっている。

わたしが、証明写真を撮ると、必ず肩が上がって写るのは、
その怒りが写っているのだ。

そうそう、こんな風にいつも拳を強く強く握りしめて、
かたくなに耐えているから、
リウマチになって、指が痛くて開かないんだ。

少女を描きながら、わたしはわたしの病の原因が、
自分の「怒り」にあることに、とても納得した。

開いて立っている足の指までが、
怒りで、くの字に曲がっている。



すべての病気が科学的に判明できるものではない。
それは、「気から。」、つまり、ストレスによって引き起こされるものが、
おそらくはほとんどだと思うからだ。

怒りで体中を震わせており、
その子が暴れないようにきつくロープでがんじがらめにしていて、
わたしの実物の体は、金属かと思うくらい、硬いそうだ。

マッサージ師さんが言っていた。
塩ビじゃなくて、金属のパイプを押しているような硬さです。って。

夫からは、無理を言って、月に2回、マッサージに行ける予算を、
もらっている。
でも、一回分は生活費に含まれているのだが、
二回目の分は、ずっと「特別加算」のままである。
だから、本当は、二回目は、ぜいたくだ、ということだ。

それでも、安いところをみつけて、
体を理解してくれ、話も合う、素敵なマッサージ師さんと出会えて、
月に2回行っているが、
このところの疲れは、もう追いつかない。

背中が、亀の甲羅になっているのがわかる。
脚も辛い。首も痛い。辛い辛い辛い。

とてもじゃないけれど、何もできない。

昨日、マッサージに行ったが、今月は、もう、月末までは、
体がもたない。
わたしは来週にももう一回、予約を入れた。
とにかく、体をどうにかしないと、何もできないのだ。

でもそれだと予算はオーバー。
どこを切り詰めるか。

まずはパン屋に寄ることを禁止した。
食パンも、スーパーの安売りになっているものにする。
これで、数千円、浮くはずだ。

年明けからの、激しいストレスによる過食で、
わたしはパン屋のパンに膨大な金額をつぎ込んだ。

箱に入ったチョコはもう買わない。
お肉も食べなくていい。豆腐か卵でいい。
野菜も腐らせてるから、
安売りの野菜ジュースでいい。

来月は息子たちが来るから、
お寿司を取ってやりたい。
その分は残しておきたい。


そうやって、節約して、マッサージ代を捻出しようとしているのに、
夕べ、酔って帰って来た夫が部屋に来て、
「指、痛い?」と聞く。
「痛いよ。」
当たり前じゃないか。リウマチで、指の痛みが治らなくて、
病院に通って、薬を飲み、高い注射を自分で打ってるんだから。
「肩、揉んで欲しいんだけど。」
夫は、酔うと必ずこれを言う。

わたしが思うに、酔った時の夫は、姿勢が悪すぎる。
一次会からガバガバ飲んで、一次会でもう、
頭を下に垂れて、寝てしまう。
寝ないにしても、首が前に出て来て、目が座り、
すごく姿勢が悪くなる。
だから、酔ってると、肩が痛むのだ。

あなたには、月の予算なんてなくて、いくらでもお金を出せるんだから、
マッサージに行けばいいじゃない、と以前言ったら、
「行ったことないから嫌だ。」
幼稚園児か。


とにかく、わたしはいま、生きていることで必死なのだ。
そしてその「必死感」を見せないようにすることに、
必死なのだ。

頼むから、地雷を踏まないでくれ。
頼むから、あの子を出させないでくれ。

お金で買えるものは、
物でも時間でも労力でも、全部買ってくれ。

頼む。
刺激しないでくれ。

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風がふいている。

何かを達成したわけでもないのに、
わたしはいま、抜け殻になって、何も手につかない。

療養しなくてはならない身なのに休んでない、と言われるくらい、
いつもかも、何かをずっとやっていたのに、
今は体がただただしんどくて、
どうすることも出来ない。

どういうことなんだろう。
何が起きているんだろう。

去年は体が痛くて苦しくて、
気持ちもズタズタになり、苦しい一年だった。
でもそれは、体の病気が絡んでいたから、
目に見える形のものだったから、
理解されて、同情や同調をしてもらえた。

だから、乗り越えて来られた。

でも、今のわたしのこの不調の由来がわからないのだ。


わたしの中に存在する、ものすごい怒りをたたえた少女は、
出て来る隙を狙っている。

正直、それに適した相手がいたら、
わたしはその狂気をぶつけてしまうだろう。

今はそばに誰もいなくて、
天使のちまちゃんしかいないから、
狂気をぶつける相手がいないだけのことなのだ。


わたしは、誰かと一緒にいてはいけない。
絶対に一人で居なくてはならない。

あの子の怒りを鎮められる人は存在しない。

わたしはもしも、親がわたしになにかを謝ってくれたとしても、
聞き入れることなく、
そのことについて、もっともっと強く激しく、
責め苛むだろうと思う。
それだけの狂気をわたしは常に隠し持っている。

これを出してしまったらもうおしまいだ。
今、うまく行っている人間関係も全部おしまいだ。

わたしをはけ口にしたずるく汚い母をずっと批判してきたが、
同じ狂気が、わたしにも存在していることを、
わたしは知っている。

だから、母のようにはなるまい、と
ひたすらに、自分をぐるぐる巻きにして生きて来た。

それが苦しい。
はみ出してしまいそうなんだよ。
正気ではいられなくなってしまいそうなんだよ。


この強い抑圧が、わたしのやる気をもいでしまったのか。

料理も一切できないでいる。
冷蔵庫でどんどん野菜を腐らせ、
今は空っぽで、野菜ジュースが入っている。

なんだろう、体のことをちゃんと考えて、
夏場でも温かいものを飲んだり、
ちゃんと湯船に入ったり、
体にいいものをバランスよく食べたりする人には、
きっとこういう狂気がないんだと思う。

わたしは、それどころではないのだ。

そうだ、それどころではない、というのが、今の気持ちだ。
今、書いていてやっとわかった。

生きてるだけで精一杯なんだよ。
もし裂け目が出来たら、そこからマグマが噴火するみたいに、
あの子が出て来てしまう。

そしたらもうおしまいだ。
精神病棟の個室に、拘束される道しか残ってない。

今、わたしは、崖っぷちに立っている。

風が吹いている。

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寝ても寝ても疲れてる。

去年は病気で大変な思いをしたのだが、
明確に、体の病気だったから、説明もしやすかったし、
壮絶な、麻酔の効かなかった手術とか、
壮絶な、4人部屋での5日間もの完全絶食とか、
言えば伝わる。

けれど、精神由来の体調の悪さは、
同じ病気の人でないと、絶対に理解が得られない。

寝付けない苦しさ一個をとってみても、
寝られないなら起きて何かやってればいいじゃん、とか、
人間、いつかは寝られるもんだよとか、
簡単に言われるけれども、
自分の心臓の鼓動だけが大きく聞こえて、
どんどん外が明るくなって行ってしまう、あの、
なんとも言えない、申し訳なさとみじめさと焦りは、
経験しないとわからないと思う。

わからないなら、わからないでもいい。
批判をしないで欲しい。
アドバイスも無用。
そんなことで解決できるなら、苦しむ人なんていなくなるよ。
そんな簡単なことじゃない。


今年は、年末年始の帰省からもう、
精神はズタズタ。
異常な過食に走って、食費にどれほどの金額を投入したか。

お姑さんのことが決まって、何もしなくていいと言ってもらえて、
一応の決着はついたのだが、
そのあと、気分が良くなるどころか、
体調がぐらぐらになって、起きていられない。

ソファに座ってテレビでも見たいし、
録画したバラエティもたまる一方なのに、
見ていることができないくらい、調子が悪いのだ。

一昨日は朝まで寝られなくて、
朝になってからやっと寝て、昨日起きたらもう16時だったのに、
体調は悪いままで、
とても起きてはいられず、ムギのところに行くのは諦めて、
23時半にはまた寝てしまった。

今日、起きたのは朝の10時。
本当はもっと寝ていられたが、ちまが可哀想だったので、
起きて、餌をやった。

自分も空腹を感じたのでトーストを食べた。
そして、明日には必要と言われているので、
夫のシャツにアイロンをかけた。



こんなに寝たのに、体は楽になっていない。
わたしに何が起きているんだろう?

出掛けなくてはいけないので、ドリンク剤を飲んで出た。
このところの不調で毎日飲んでいる。
買って来ないと。

今日も涼しい。
ムギのベッドにフリースを敷いておいて正解だった。

夕方、ムギのところに行ったら、
ムギは小屋の中のベッドで、ねむねむしていた。
可愛い。

座ったら、鳴いて、出て来てくれて、
脚に乗って来た。
ムギ、寒いね。大丈夫?

けれどニュースで見たら、明日からは残暑で30度近くになるという。
体調、崩すよね。
夫は学会で出張。
夫の留守は嫌いだ。
やることが物理的に増えるのは構わないが、
何か起きた時に、夫がいないと、本当に困る。

ムギのこと、お願い、って言えないから、
自分が頑張らないといけない。



夫は忙しそうにしている。
お姑さんが帰っていらしたら、介護ヘルパーさんが家に出入りするのだが、
玄関が、テンキーの鍵なので、知られたくない。
なので、勝手口から出入りしてもらうのだが、
勝手口は、ムギのリビングに面している。

そんな奥まで、知らない人が入って来た経験がないので、
ムギがどんなに怖いだろうと思うと、
可哀想で、気が気ではない。

勝手口には防犯カメラを設置していた。
でもまだ、手すりなどの工事も残っている。
夫一人で奮闘している。
学会で、地方に行って、ちょっと息抜きしておいでね。


このあと、ムギのところに行く。
小屋に入っててくれたら嬉しいな。

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なんだかズタボロ。

わたしの夫は、仕事が早く、スペックが高い。
器用になんでもこなすし、料理も上手だ。
わたしがかなうことなど、一つもない。



夕べ、雨で、座椅子や敷物を袋に入れてあり、
その状態では会えないだろうとは思ったが、
たった一回でも、後悔はしたくないので、
パラパラと雨が降る中、ムギのところに行ってみた。

雨だし、寒いから、小屋に居てくれればいいのに、
ムギは留守で、
どこにいるのかもわからないので、
ダメ元で、床に座って、何回か、呼んでみた。

すると、意外なことに返事があって、
ムギがどこかから帰って来てくれたのだ。
「ムギ、ちょっとガサガサするけど、待っててね。」と声をかけて、
袋から座椅子と敷物を出して、
いつものように座って、「さあ、おいで。」と言ったら、
寒かったのだろう、ムギは脚に乗って来た。

今年の異常な気象で、この時期にこんな寒さ。
小さいフリースを用意してあったので、
それをムギに掛けて、ムギを守った。

ちゅーる食べたいと言って座ったので、
肩にフリースを掛けてやり、
ちゅーるを食べさせて、また脚に乗った。

そのあと、雨が強くなって吹き込んで来たので、
ムギは避難したため、帰って、寝た。



今日も涼しい。
わたしは何カ月も思っていたことをやっと実行した。
床の拭き掃除。

いつもはクイックルでゴミを取り除き、
クイックルのウェットで拭き掃除もするが、
たまに何かをこぼして、雑巾で床を拭くと、
結構、雑巾が黒くなるのだ。

去年の夏にリフォームが終わった際、夫が拭き掃除をしてくれて、
それ以来、クイックルでしか、掃除していない。

来週、友達も来るし、今日も涼しいからと、
意を決して、雑巾がけをした。

引き戸のレールは、小さいホウキで掃き出してゴミを外に出し、
隅々まで、丁寧に雑巾をかけた。
腕の筋肉がつった。

でも、ずっとやりたかったことなので、気分はスッキリした。



母屋では、次女ちゃんのお誕生日会が開催されるらしく、
一人暮らししている末っ子くんも来るとのこと。
夫は嬉しそうだった。

お寿司を取ったらしいのだが、夫が、わたしの分も
頼んでくれたという。

食べられないネタがあるので、きちんとネタ変更までして、
届けてくれた。

その際に、夫が作った料理もくれたのだが、
どれもちゃんと美味しくて、
これじゃあ、わたしの料理がおいしくないわけだ、と納得した。

ちまが大騒ぎするのはわかっていたので、
冷凍してあるホタテを解凍しておき、
一緒に夕飯を食べた。
ちまはすごく喜んでいた。


夕飯後、どうにも眠くなり、
変な態勢で寝ると体が痛くなるので、
ベッドで仮眠した。
ちまがぺったりと寄り添ってくれる。

一時間半で起きたかったのだが、
どうしてもどうしても起きられず、
眠くて眠くて、結局3時間も寝てしまった。

たかが拭き掃除をしただけで、こんなに疲れるなんて、
歳を取ったなあと思う。
なんだか、体調が、ズタボロなのだ。



今日は夕方、夫が車で買い物から帰って来たら、
ムギがいたようで、「ムギいるよ。」と教えてくれたので、
すぐに降りて行った。

どこかから、呼ばれたのだが、どこにいるのかわからず、
とりあえず、座椅子と敷物をセッティングしてから、
探しに行ったら、
ムギはアジサイの木の根元にいて、
わたしを見つめていた。

ムギちゃん、ここにいたの。
出ておいで。

ムギは嬉しそうにやってきて、
いっぱい色々食べた。
もうこんなに涼しくなっちゃったから、頑張って食べて、
冬毛をはやさないとね。

そのあと、脚に乗せたら、しっとりおさまって、
小一時間、一緒に過ごせた。
夏は過酷だったので、秋はいいねえとムギと話した。


仮眠から起きたけれど、体がしんどくて辛い。
夫のパワーはすごいなあ。

来月、息子夫婦が来てくれることになった。
すごく嬉しい。
またお寿司を取って、料理をすこしやろう。

会えるって、嬉しいね。
会ってくれる息子に感謝だ。

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助かった。

夫が出張先の富山から、
名物のます寿司を買って来るとメールが来た。
食材がなかったので、
近所に買い物に出た。

今日は肌寒いので、せめて具沢山のお味噌汁をと、思ったのだ。




夕べ、夜中、あきらめ気味にムギに会いに出た。
きっと隣の屋根に来ていて、
いじけながら待ってるんだろう。
呼んでもきっと来てくれない。
何日間、根競べになるかなと思いながら降りて行ったら、
ムギは、庭に居て、わたしを待っていたらしく、
ムギから声をかけてきてくれた。

ムギちゃん!
いたの?
嬉しい!
ムギ、わかってくれたの?

すぐにムギのリビングに行って、ラブラブした。

ね、ムギちゃん、こっちの方が、断然いいでしょ?
ここで二人でラブラブして、ちゅーる食べるほうが、いいよね?

ムギに会えて、本当に嬉しかった。
今夜はきっと、安らいで寝られると思った。


けれど、全然、眠れなかった。

外が明るくなってきてしまい、
よくよく考えたら、わたしは寝る前の薬を飲み忘れていた。
慌てて飲んで、これで寝られる、と思ったのだが、
一向に眠くなることはなかった。

どうしよう…。

どこかに行く用事もないし、起きてみる?

しかし、寝付けないからといって、
じゃあ、元気で起きていられるかと言ったら、
全然無理なのだ。

体には薬が効いていてフラフラ。
しんどくて倒れそう。
なのに、神経が興奮していて、寝付けないのだ。
ものすごく具合が悪い。

仕方がなく、予備の薬から、睡眠薬だけを4錠抜き出して、
それを飲んで、朝の9時くらいに、ようやく寝付けた。



わたしが年に一回か多くても二回、行楽に行きたいと言うと、
夫は、
「どうせ君は寝付けないんだから、朝の6時出発な。」と
無茶なことを言うのだ。

寝付けないことが、どれほど精神的に辛いか、
寝付けない体調がどれほど悪いか、
いつでもどこでも誰といても眠れる夫には、
絶対に理解してもらえない。

だからもう、行楽には行きたいって言わないことにする。


今日は夕方ムギに会えて、ゆっくりラブラブできた。

夫の帰宅に合わせて、お味噌汁を作って、
枝豆を茹でた。
この体調では、それが限界。

夫はスーパーでお惣菜を買って来て、
500のビールと、日本酒を飲んだ。
わたしは、食べ終えたらもう倒れそうにぐったりだ。

食器とか鍋とか、洗うのは本当にしんどい。
水が嫌いだから余計に苦痛でたまらない。

そしたら、珍しく、夫が、洗い物をしてくれた。
わたしが手抜きしている、シンク磨きもやってくれた。

すごい助かった。
しんどくて、何もできないから、もう全部、明日にしょうかと
思っていたくらいなのだ。


睡眠を一回失敗すると、あとに響いて、
数日、具合が悪くなる。
低気圧も近づいているし、体調は絶不調だ。

夫がやってくれて、本当に助かった。

生きていくって、しんどいねえ。

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役に立たない嫁。

病院のケアマネさんを連れて、
先日、夫が家に帰って来た。
どういう間取りかを、ケアマネさんが見るのだ。

お姑さんも、一時帰宅。

お姑さんは6月初旬に入院したので、
久しぶりの我が家だ。

階段を登れるか、お風呂の浴槽にまたいで入れるか、
そういうことを見た上で、
どういう暮らしぶりがいいかを、
ケアマネさんと、夫と、お姉さんと、長女とで、
話し合いがされた。

介護認定の面接のときは、
お姑さんは当然まだ歩けない状態だったし、
一番状況がひどい時だったので、
「要介護4」が出された。

夫のお兄さんが、脳梗塞で倒れて、
まだ、足元もおぼつかなく、言葉も出ない状況でも、
「要介護3」だということを考えると、
来年、また、面談があったら、
お姑さんはもう、「要介護4」は取れないだろうとのこと。
階段の上り下りも出来るし、
お風呂の浴槽にも、入れそうだったとのこと。

念のため、お風呂場に一か所、手すりを追加。
二階の、階段の降り口に、転落防止に、
バーを設置することになったそうだ。

そして、ケアマネさんが、家族の表を見て、
「奥さんがいるんじゃないですか。」と驚かれたそうだ。

緊急の連絡先は夫になっており、
二番目はお姉さんになっていて、
わたしの話題は一切出ていなかったので、
いないものだと思われていたのだろう。

奥さんがいらっしゃるなら、とケアマネさんは当然思っただろうが、
夫が説明するよりも前に、お姉さんが、
「その人は、精神の病気なので、何もできません。」と
言ってくださったそうだ。

なので、わたしの存在はないものとして話が進み、
デイサービスへの送り出しとお迎えも、
介護ヘルパーさんを頼む、ということになったとのこと。

でも、デイサービスも、週に二日くらいしか出せそうに無いらしいので、
行かない平日は、ずっと一人、ってことになるため、
やはり介護ヘルパーさんをお願いして、
一日に一回、様子を見てもらうことにする、と
夫が話してくれた。

だから、キミは何もしなくていい。
そう言ってくれた。



デイサービスから帰って来たときの、お出迎えをやってくれと
言われてから半月あまり、
わたしは既に、
予期不安で潰れていた。

カウンセラーさんは当然断固反対。
精神科医からも、もちろん、お姑さんとの接触は禁止、と
言われていたが、
お姉さんの手前、とか、
娘ちゃんたちの手前、とか、
夫には夫の立場があるだろうから、
潰れるとわかりきっていても、
潰れるまではわたしがやるしかない、と思い詰めており、
毎日、すごく具合が悪いままだった。

わたしは、自分がおかしいことを知っている。
正気じゃない。
だから、お姑さんの狂気は、わかるだけに、ものすごく怖いのだ。

こっちがおかしくなってしまう。
わたしは、話を聞き流す力を持っていない。
全部まともに受け止めてしまう。
毎日毎日、お姑さんの話を聞いていたら、
こっちの気が狂う。

夫も、そしてお姉さんも、理解、もしくは諦めてくださって、
わたしに負荷をかけないような選択をしてくださった。

それを聞いて、
わたしは、お姉さんに申し訳なくて、夫の前で泣いた。


再婚が決まった時、顔合わせの会で、
着席したらご挨拶を、と思っていたのに、
わたしが支度をしていたキッチンにお姉さんがなだれ込んでいらして、
「嬉しいわ!」と、言ってくださったのだ。

その時、わたしは、それを言葉通りに受け止められなかった。

自分の大切な弟に、伴侶が出来たことを喜んでくださったのか、
その時すでに80歳だったお姑さんの代わりになる人が来たと、
喜んでくださったのか、
わたしには、判断できなかった。

でも、今はわかる。
弟に、伴侶が出来て、嬉しいと思ってくださったのだ。

けれども、大家族での暮らしに着いて行けず、
夫とずっと一緒にいることもむずかしく、
別居になってしまい、
夫にも、お姑さんにも、何もしてあげられていない。

申し訳ない、本当にごめんなさいと、わたしは泣いて夫に謝った。

別にばあさんの世話をさせるつもりで結婚したんじゃないんだから、
いいんだよ、と夫は言ってくれた。

でも、わたしの親の時は、
絶対に夫に助けてもらわないと、なにも進行しない。
なのにわたしは、何も役に立てない。

何か一品、料理しようか?と聞いたら、
余計にややこしいから不要だと言われた。
じゃあ、洗濯は?やろうか?と聞いたら、
今は長女が、自分のやれる時間帯に回してるから、
それで大丈夫、
室内干しに変えたし、シーツとかは土日に洗うよ、と
言ってくれた。


じゃあ、せめて、わたしは、夫の気持ちを支えてあげよう。
寄りそってあげよう。

それも、自分の体調が思うようにいかないので難しいが、
夫に優しく接しよう、と思った。

お姑さんは、15日に退院してくるそうだ。
一緒に行こうか?と聞いたら、
朝9時にはもう病室を出てくださいと言われてるから、いいよとのこと。
すぐに次の人を入院させるんだろうね。

介護ヘルパーさんが出入りすることになるから、
一番の受難者は、ムギになる。
知らない人が入って来るから、きっと怖いだろう。
ごめんよムギ。


昨日の夜中、ムギに会えなかった。
呼んでも呼んでも、帰って来なかった。
きっと、諦めきれず、お隣の屋根にいたんだと思う。
耳がいいから、気配がわかるだろうし、
ちまの鳴き声も聞こえてるはずだ。

窓を開けて、ムギちゃん!って呼んでやりたかったが、
ぐっとこらえて、寝ることにした。

でも寝付けなくて、
朝、夫から、ムギがいま朝帰りして来たよとメールが来て、
やっとホッとして、眠った。

もう屋根では会えないんだってこと、
ムギが理解してくれますように。
切ないけど、ぐっと我慢。

                                            伽羅moon3

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