« 「呼応」というテロ。 | トップページ | 「ヤレ」という言葉。 »

ほとばしる狂気。

夕べ、インナーチャイルドの絵を描いた。

普段はイラストなど今は描かないし、
人物など描かないのに、
いつも脳内にある絵なので、スラスラと描けた。

ズタズタの白い服を着て、
両足を開いて立ち、
口元しか見えないくらい、うつむいているのに、
怒りで肩が上がってしまっている。

手は固く握りしめており、
足の親指も、怒りのあまり、くの字に曲がっている。

絵には描き添えなかったが、
ゴゴゴゴ…と後ろで炎が燃え盛っており、
怒りの激しさを物語っている。


その右に、壁にもたれて、無気力に脚を立てて座っている、
もう一人の子がいて、その子は黒い服を着ている。

力なく座ってやや上を向いて、口は半開きで、
手にも力は入っておらず、
不自然に曲がったままだ。


この二人が、セットで、わたしのインナーチャイルドなのだ。


カウンセリングに行って、カウンセラーさんに、絵を渡した。
「説明なしで、この子の感情は伝わりますか?」と聞いた。

すると、カウンセラーさんは、ちゃんと怒りを見抜いた。

と言うより、しばらく前から、すでに
この子が見え隠れしていたというのだ。

ものすごい怒り。
なのに、当のわたしは、物分かりがいいふりをしている。
悪く言えば、ここに来てまでも、いい子ぶってる、
本当はすごい怒りをためてるんじゃないの?と、
心配していたというのだ。

マッサージ師さんが、体に触れて、見抜いたと同じで、
やはり、本職のカウンセラーさんには、嘘もごまかしも
通用していなかった。

厄介なのは、わたし自身も、なかなか、気が付かないということだ。

怒りを抑え込んで、封じ込めることを繰り返してきた人生なので、
そういう癖が、ついている。

そして、もっと厄介なのが、
自分の怒りを刃にして、斬りかかってくるような、
感情的な人間にはなるまいと必死に自分を律しているからである。

理論・理屈ぬきで、その時の気分で、
八つ当たりしてくるような感情的な人間を、
わたしは、軽蔑している。

だから、感情をぶつけられて、あおられても、
絶対に、感情で返すことはしない。
そこは必死なのだ。
ああ、いいですよ、と諦めて、シャッターを自分でガラガラ降ろし、
壁に寄り掛かって、
無力に時を過ごす。

誰とも接することなく、誰とも話さず、
空を見て過ごすのだ。

もちろん、実在するわたしは、鍋を磨いていたり、
録画したバラエティを見ていたりするので、
誰にも、気が付かれることはない。



理不尽な怒りに対して、感情を返してしまったら、
相手と同じ土俵に立つことになる。
それでは、同じ種別の人間じゃないか。
軽蔑しているタイプの人間に、わたしもなってしまう、ということだ。

それをしたくないために、
怒りに震えている白い子を、縄できつく縛って、
シャッターを下ろして生きている。
しんどいよ。
苦しいに決まっているよ。

だってわたしには、相手以上に、怒りの感情があって、
それはもう、「狂気」と呼べる類いのものであって、
絶対に、出すわけにはいかないのだ。

それを見せてしまったら破滅なのだ。


でも、感じ取ってしまったから、
しかもサラサラと絵に描いてしまったから、
もうその存在を、無視することは出来ない。

インナーチャイルドワークをやりたい、と言ってみた。


けれど、カウンセラーさんにはこう言われた。
「あなたには、無理です。知的レベルが高すぎて、
子供に戻って、やり直す作業は出来ません。」

これは決して自慢で言っているのではないことを、
ご理解いただきたい。

わたしが、最初のカウンセラーさんが急死なさってしまい、
苦しんでいた時、
今のカウンセリングルームを見つけて、
飛び込んで、面接してもらい、
「病院も紹介してください、すぐにお願いします!」と
必死の形相で伝えた。

その時にかかっていた医者はヤブだった。
心情を話せる相手でもなかった。
夫ともうまく行っていなかった。
何もかもに、行き詰まっていた。

そして紹介された病院に通うようになり、
3か月後くらいで、わたしはなんだか明るくなり、
ちょうどその時に、あらゆる心理テストを受けたのだ。

その結果が、のちに聞いたのだが、
その病院に通っているすべての患者さんの中で、
ではなく、
医師や心理士すべてを含めた中で、
最もIQが、高かったというのだ。

病院内では評判になっていたそうだ。

しかし、そのあと、わたしはものすごい下降線をたどり、
ようやく、うつ病でもなく、
統合失調症でもなく、
「躁鬱病」であったことが、判明したのだ。

心理テストを受けた時は、
その躁の、真っただ中にいて、
どの問題も容易く見えて、
万能感まで味わった。

その躁時代に、わたしは、色々やらかしてしまい、
夫に尻ぬぐいをしてもらった。
人間関係も失敗して破綻し、
下降の一路をたどって、長い鬱に入った。


だから、知的レベルが高すぎる、と言われても、
今はそれが邪魔で、
インナーチャイルドワークは出来ないというのだから、
皮肉なものだ。

カウンセラーさんは、色々見抜いていた。

傾聴型のカウンセリングなので、ほぼ私が話して終わるのだが、
「ご両親やご主人以外に対しても、とても怒っているでしょ。」と
言われた。

それは、もちろん、ある。
でも、それを言っても、だれにもどうすることもできないので、
心を固くして、耐えて来ていた。



では、どうしていったらいいでしょうか、と尋ねた。

カウンセラーさんは、
では今後は、毎回、この怒っている白い子の気持ちを、
実際に言葉にして、出してみましょうとおっしゃった。

いつもわたしは、心の中で、
口汚く、ののしっている。
そしてそれが、人として恥ずかしい。

けれど、言葉にして出してしまうことによって、
少しづつでも、怒りを手放していかないと、
心配しているように、いつか暴走しますよ、と言われた。

試しに、言ってみてください、
わたしは、あなたからどんな汚い言葉が出ても、驚かないし、
逃げないし、もちろん軽蔑もしないし、離れないです、と
言ってくださった。


それでも、言うまで、少し時間がかかった。

わたしは、今も尚、重たい鎧を着て、
自分を縛っている。
その体で、ハードルを飛ぶのは、非常に怖いし、難しい。

何分か経って、ようやく、言葉にした。
カウンセラーさんは、共感を示してくれた。


ここでの秘密は絶対に守られ、わたしはあなたが何を言っても、
動じることはないので、
これから毎回、この絵を出して、
この子の怒りを、言葉に変えて出してみましょう、
ということに決まった。

わたしが原画を持ち、
カウンセラーさんに、コピーしたものを持っていてもらった。


言葉にして出したら、スッキリするのかと言えば、
決してそうではない。
そんな簡単なことではない。
猫たちが待ってるのでなかったら、
わたしは夜遅くまで、ふらふらと街を歩いて、
バーにでも行って、
少しの酒を飲みたいくらいの気持ちなのだ。

誰とも会わず、誰とも話さず、ふらついていたいような気分になる。


かわいい猫たちが、わたしを待っていてくれるので、
胸に抱きしめて、
耳元で、本音を囁く。
ナイショだよって言って、ヒミツの共有をする。



こういう方法で、わたしは今後、
自分の怒りと向き合う日を作る。

この子をなくしてしまうことは無理だそうだ。
けれど、少しずつ、顔をあげて、肩が下がるように、
やって行ってみる。


カウンセラーさんには、
「あなたの知的レベルを有効にする何かをやると、
もろさを支えられますよ。」と言われた。

わたしは、相撲取りの、千代の富士を思い出した。
ウルフと呼ばれた横綱。

彼はスピードもあり、技も巧みで、強かったが、
肩の関節を脱臼する癖がついてしまっていて、
力士生命が危うかった。

関節の弱さは、どうすることもできない。
わたしの膝も、同じだ。

そこで千代の富士は、周りの筋肉を鍛えに鍛えた。

関節を守るための、筋肉の鎧を、
身にまとったのだ。

そういうことだ、と理解した。

心が弱いからと、逃げてるだけじゃなくて、
強く出来る部分で、それを包み込む。
自分で、自分を、守る手段を、身に付けなくてはならないのだ。
うん。
やってみよう。

わたしにも、何か道はあるはずだ。

                                              伽羅moon3

 いつもお読みくださり応援ありがとうございます。クリックお願いしますclover

|

« 「呼応」というテロ。 | トップページ | 「ヤレ」という言葉。 »