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喧嘩をするわけにはいかない。

わたしにはきょうだいがいないので、
喧嘩の体験がない。

理不尽な母には反抗したが、いずれの場合も、
父が母を擁護するので、喧嘩にさせてもらえない。

父が、母の暴言をとがめてくれたのは、
人生で、たった2度だけだ。

それ以外は、母がどんなに理不尽で感情で怒っていても、
反抗するわたしが悪い、と父にたしなめられた。



父は、母に、よほど惚れているのだろう。
娘の心、娘の命などどうでもいいのだ。

わたしなら、息子を救うためなら、
こんな命なんて、簡単に差し出す。
息子を救えるのであれば、わたしは微笑みながら死ぬだろう。

子供とは、そういう存在なのだ。
そしてわたしは、自分の両親からしたら、
そいういう対象ではなかった、ということだ。


わたしは、わたしの少女期が、可哀想でたまらない。

今はもう、インナーチャイルドとの交信はしていないが、
癒されていなくなったわけではないし、
彼女らが救われたわけではない。

今、対話をしていないだけのことなのだ。


わたしには二人のインナーチャイルドがいて、
一人は脚を開いて立っていて、こぶしを固く握りしめ、
うつむいて、震えている。

怖いのではない。
「怒り」に震えているのだ。

わたしは、彼女が暴走しないように、強く、ロックをかけている。

彼女を本気で怒らせたら大変なことになるからだ。

だから、わたしは、喧嘩をしない。



せんだって、何があったのか知らないが、
酔っぱらって、もう夜も遅くて眠い夫が、
突っかかって来た。

理不尽にあおって来るので、
「酔っ払いとは関わりたくないです。」とメールしたら、
「僕だって関わりたくないです。」と言って来た。
「何を言うか、そっちからメールしてきたんじゃないですか。」と
たしなめたら、
「ではもう、メールしません。」と
幼稚園児みたいなことを言いだしたので、
「あ~ハイハイ、お好きにどうぞ。」と返して、
わたしもメールをやめた。

どれくらい続けるんだろうな~と様子を見ていたが、
数日で、夫が部屋にやって来た。
別に、それはそれ、あれはあれ、なので、
どうでもいいよ。


夫は、本当は、言い争って、喧嘩がしたいのだ。

年が離れて生まれた末っ子で、
お母さんは内職に忙しく、
7歳年上のお姉さんのスカートの端っこを持って、
遊びに行くお姉さんに着いて行っていたそうだ。

だから、構ってちゃんなのだ。

甘えたくてたまらないのだ。


わたしは、精神的には、自立している。
夫に甘えたいと思ってはいないし、
出来れば、用事を頼むこともしたくない。
自分でできることなのであれば、自分一人で完結したい。

甘えたい欲求がないので、何日会わなくても、
メールを交わさなくても、別に孤独は感じない。



喧嘩は絶対に、してはいけないのだ。
インナーチャイルドが暴走する。
そうなったら、わたしには止められない。

だから、喧嘩をせず、ああそうですか、いいですよ、と
自分でガラガラとシャッターをおろして、
閉じこもる。

その方が楽だもの。
もう一人のほうのインナーチャイルドは、無防備に座って、
人生を投げているので、
そっちに寄せて生きている。

その子は、わたしがちょっと頑張ると、喜ぶ。
シーツが洗えたとか、
掃除が出来たとか、
桃が食べられたとか、
そんなことでも、その子は喜ぶ。


でも怒っているほうの子は、一生涯怒っているので、
わたしは、その子を抑えて生きて行かなくてはならない。

そのためには、害になるものから、離れるしかないのだ。
それしか手段がない。

怒りを解き放って無くすまで、付き合ってくれるカウンセラーさんとは、
今は出会っていない。



怒りをコントロールするのは、人としての役割だ。
自分の機嫌が悪いからといって、人を巻き込んではいけない。
自分の定規で、人を計ってもいけない。

自分が怒ってるなら怒ってるで構わない。

それを刃に変えて、相手を刺してはならないのだ。


ちょっと前に、「ヒメアノール」という映画を見た。

一か月980円で、DVDが4枚見られる会に加入していて、
自分が見たいと思った映画を登録しておくと、
そこから順に、2枚ずつ送られてくる。
見終わったら、ポストに投函するだけでいいので、
貸出期限が気になって困ることがなく、
わたしには、合っているシステムだ。

数十枚のDVDを登録してあるので、
はて、どんな映画だったっけ、
何でこれを見たいと思ったんだっけ、と
忘れていることが多い。
ずいぶん前に登録した映画だったのだ。

最初のシーンで、ムロツヨシさんと、濱田岳さんが出て来たので、
ああ、喜劇だっけか、と思いながら見たら、
とんでもない映画だった。
いい意味でね。
殺人シーンもあるのでR15指定だった。

残虐なシーンも多かったのだが、
最後にほんのかすかな、光明の差す映画だった。

とても良かった。
ハッピーエンドではないのに、とても良かったと思う、
わたしの感覚はどうかと思うが、
インナーチャイルドがシンクロしてきて、
見終わったあと、涙がボロボロ出た。



とにかく、わたしは、大人として、
怒りはコントロールすべきと考えて生きている。
感情的になることを、心から恥じている。

苦しい生き方だ。

わたしをはけ口にして、言いたい放題だった母や、
喧嘩を吹っかけて来る夫の方が、
きっと楽だろう。

母と同じにはなるまい、という思いで、自分を律している。

だから、ボケるわけにはいかない。
タガが外れて、彼女が暴走したら、なにもかもおしまいだ。
ボケる前に、体に死んでもらわないといけない。

                                               伽羅moon3

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