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聞いておけばよかった。

わたしは、宗教には興味がなく、
家で、法事とかが執り行われていても、
下働きで台所に居るのが役割だったから、
お経も聞いてないし、説法も聞いてない。

授業で習う歴史にも興味はなく、
地理は好きだったが、歴史は苦手で嫌いだった。

21歳の頃に見た映画で、初めて「輪廻転生」というものを知った。
気になって、原作本も読んだ。
それそのものは、大した作品ではなかったのだが、
「輪廻転生」というものは、妙にしっくりとわたしのなかに納まり、
そうか、当然そうだよね、と
信じるようになった。

でも、まだ、スピリチュアルブームでもなかったので、
わたしは詳しくは学ばないまま、結婚して、息子を産んだ。

息子がまだ、ハイハイをしていた頃に、
前夫の転勤で、東京に来て、初めてのマンション暮らしになった。

ド田舎の、村制度の窮屈な空間で生きていたわたしには、
天国のような暮らしだった。

夫さえ送り出してしまえば、息子と二人きりだ。
誰にお断りを入れる必要もなく、
好きな時間に、好きなところに出掛けられる。
日曜日には朝寝も出来る。

マンションだったので、鍵一か所かければ、
平気で出かけられる気軽さも、嬉しかった。

夫の親からいじめられていたわたしは、
解放感にひたり、息子もイキイキと育っていった。

住んでいたのは14階建ての大きなマンションの、13階だった。
ベランダが広く、見下ろすとマンションの公園が見える。
方角によっては、東京タワーも、富士山も見えた。

息子は高いところが大好きで、
わたしが洗濯物を干すときに、着いてきたがるので、
まずはベランダの床を雑巾がけして綺麗にし、
息子と一緒に、洗濯物を干した。
立てるようになり、ちょっと言葉の出始めた息子が、
お手伝いのつもりで、かごから洗濯されたものを、
「ハイ。」と言いながら手渡してくれる。
逆に時間がかかって迷惑な場合もあったが、
二人で楽しく、作業をした。

息子は、喋り始めるのが遅かった。
でも、こちらの言うことは、全部伝わっているようで、
大好きだよ、って言うと、嬉しそうにキャッキャと笑った。

ぽつぽつと、喋れるようになった頃、
2歳くらいかな、
朝、起きて、小さい椅子に座らせて、朝食にパンを出すと、
ポロポロと、泣くことが増えた。

どうしたの?と聞くと、
「とびたいの。」
と、答える。

飛ぶと言うことが、どういうことかわかってるような口ぶりなのだ。

わたしは、否定もせず、肯定もせず、
「そうなの? とびたいの?」と聞くと、
息子は、
「おちょら(おそら)、とびたいの。」と言って、
泣くのだった。

毎日ではないがそんな期間があって、
言葉を自由に発することが出来るようになると、
だんだん、飛びたいとは言わなくなった。


その後、わたしは、輪廻転生の本を読んだり、
前世の記憶というものを知ったりしていった。

その中に、「胎内記憶」を持っている子供の話が出始めた。
お腹の中にいた時のことを、覚えていると話す子がいるらしい。
生まれてくるとき、苦しかったけど、早くママに会いたかったよと、
言う子もいるらしい。

そして、胎内どころか、空に住んでいて、
神様らしき人と、仲間とで暮らしていて、
地上を見ていて、
あの人のところに行こう、と決めて、ママのお腹に入ったんだよ、と
言う子もいることを知った。

しかし、胎内記憶も、前世の記憶も、大体が、
ちゃんと話せる3~4歳になると消えてしまうものらしく、
もう、息子は小学生になってしまっていたので、
残念、わかっていれば尋ねてみたのに、と思ったものだ。

そしてふと、
言葉をまだ、うまく話せない息子が、
毎朝、泣きながら、「とびたいの。」と言っていたのは、
本当に、飛んでいたからこそ、言えたのではないかと、
思った。

まだ当時、生まれる前の記憶が残っていて、
わたしを選んでお腹に来るまでは、
自由に飛び回っていたのかもしれない、と思い始めた。

人間の子供としての生活、辛かったのかなあ。
わたしは未熟な母親だったからなあ。
きっとお空を飛び回ってた時、とても幸せだったんだと思った。

聞いてみたかったな。
天使ちゃんだったころのこと。

息子しか産めなかったので、
もう、胎内記憶や前世の記憶を聞く機会はないが、
もし、お孫ちゃんに恵まれたら、そっと聞いてみようと、
もくろんでいる。

わたしは、前世、誰だったんだろう?と思っていたら、
仏教を知っている人から、
誰だった、のではなくて、ずーっと、自分なんだよ、と
教えてもらった。

バブル後に開館した「江戸東京博物館」に行って、
日本橋界隈の風景を眺めた時、
わたしは、なぜか、「いや、これは違うな。」と感じた。
すごい違和感を感じたのだ。

長屋は、瓦葺きなどではなくて、板で、
上に重しの大きな石を乗せてたんだよね、と
そいういう下町の光景を、高台から見下ろしている視線が、
自分の中にあったのだ。

わたしは歴史に興味がなく、勉強もしていないし、
勉強しても覚えられなくて、歴史のテストはさんざんだった。
でも、何かの資料に、そういう、板の屋根の光景でも見たのかな、と
考えてみたのだが、
何度考えても、自分の目で見た光景のように思うのだった。

江戸時代と一言で言っても、三百年も続いたのだから、
そのうちの、どの時代かによって、板葺きだったか、
瓦が普及したのかも違うだろう。
地域差もあったと思う。

でも、のちに、わたしが江戸時代に江戸で生きていたことを知り、
あの光景は、やはり自分の魂が見た光景として、
刻まれていたんだとわかった。

それを知ってから、わたしは江戸に興味を持ち始めた。
歴史には相変わらず、うといままだが、江戸っ子の粋な風俗や、
文化については、大いに興味がある。

歴史ある地名が、無くなってしまったことは惜しい。
粋な名前がいっぱいつけられていたのに
今は神田にちょっと残っているだけだ。
もったいないなあ。

次に生まれても、また息子と出会いたい。
出来ればもう一回、母親役をやらせてもらいたい。
今度はもう、ヒステリックになったりしないから。
約束するから。

                                                伽羅moon3


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