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2017年8月

事の重大さ。

今日はカウンセリングだった。

お姑さんが来月、帰っていらっしゃること、
デイサービスに通いだしたら、
わたしが、その帰りを待って、バスから引き取って、
家に入れて部屋に入れることをやることになった、と話したら、
カウンセラーさんは、ものすごくビックリして、
そんなことは、絶対に無理です!、
わたしがカウンセラーとしてストップをかけるし、
精神科の先生に話しても、当然ドクターストップですよ、と
早口になられた。

わかってる。
無理だってことは、わかってる。
もう12年もうつ病をやってるんだから、
どうしたら自分が潰れるかなんて、わかってる。

それでも、やるしかない、そういう選択をせざるを得ない状況なのだ。


カウンセラーさんは、「旦那さま、来てくださらないかしら、
わたしからお話しましょうか?」と言ってくださったが、
夫がカウンセリングに行ってくれることは、もうない。

以前、頼まれて、会社を休んでカウンセリングに行って、
文句言われて、それで金を払わされるんだぞ、
そんな馬鹿な話があるか!と
ものすごく怒っていた。
だから、もう、行ってくれるわけがない。

カウンセラーさんにはこう言った。
夫は、聞く耳を持たない人です。
人の意見は聞きません。
また、自分以外の誰も、信じていない人です。
なので他人の意見は、聞き入れません。

夫は、わたしを、障害者だと認めていません。
そもそもが病人であるとも思っていません。
何がどうなると潰れるとか、考えません。
自分の立場が優先なんです。

お姉さんの手前、娘ちゃんたちの手前、
わたしが一切手を貸さないことが彼にとっては恥じなのです。
わたしの気持ちや体調よりも、
その場にわたしを組み込むことの方を、優先する人ですから、
いくら、カウンセラーさんが心を尽くして話してくださっても、
徒労に終わるだけです。


わたしがそう言うと、しばし絶句されていた。

「じゃあ、どうするつもりなの?」
そう聞かれたのでわたしは現在持っている答えを伝えた。
「わたしがやります。そして多分、潰れます。
わたしが吐いて倒れてる姿でも見ない限り、夫は諦めないと思うので。」

お姑さんは、「要介護4」だ。

最高ランクが5なので、
もうこれは、しろうとが乗り切れる状況ではないですよ、
ましてや、病人であるあなたが世話をするだなんて、
あまりにも無謀ですよ。

事の重大さに、気付いていらっしゃらないんですか?
と聞かれた。



実際に、連れて帰って来てみないと、
おそらくは、わからないと思う。


施設に入れることは無理なんですか?とも聞かれた。
施設に入れることが、夫の選択肢には今はない。
世間体も悪いし、
亡くなった先妻さんの代わりに、頑張ってくださったのに、
ボケたからと言って施設か、という、見えない聞こえないバッシングに、
夫は怯えている。

家族が沢山いるのに、施設か、と思われたくないだろう。

キミがデイサービスからのお迎えをやってくれないなら、
俺が会社を辞めなきゃいけないんだからな、と、
脅された話もした。

カウンセラーさんは、何も辞めなくても、
もう、「要介護4」なんだから、
いくらでも介護ヘルパーさんを頼めるでしょう、
プロがやるべき仕事ですよ、
家族の心が壊れてからでは遅いんですよ。

あなただって、まだ一か月先のことで、
今もう、ここまで具合が悪くなっちゃってるじゃないですか。
そう言ってくれた。


それでも、わたしは、自分が倒れるまでは、
やらなくてはならないんだろうと思っている。

お姑さんの持ち物であるアパートに、
お姑さんのお金でリフォームしてもらって住まわせてもらっているのだ。

もちろん、夫は、請求されて、
お姑さんに対して、家賃を払って来ていた。

お姑さんの一階部分の家賃収入や、年金には一切手を付けずに、
一緒に生活し、何かを買ってやり、
いつの場合の入院、手術代も、
お姑さんの札束には手をつけず、夫が支払って来ている。

だったら、もう、いいじゃないですか、と言われたが、
わたしには、田舎に、年老いた両親がまだ生きている。

親が死んだら、どんな状況であっても、わたしが行って、
中心とならねばならないし、
その場合は、夫に常に隣にいてもらって、支えてもらわないと、
絶対にできないのだ。

自分がお姑さんに関して、何も頑張ることをせず、
でもうちの親の時はよろしくね、だなんて、言えるわけがない。
夫の力が絶対に必要なのだ。


そういう話を全部して、
そんなわけなので、わたしの心も、わたしの体調も、
優先順位は、低いんですよ、仕方がないんです。
彼にとってはわたしは、障害者ではないんですよ、と
話してきた。


やるだけやって、倒れてしまって、
わたしが廃人になっても、夫は困ることはないだろう。
今だって、接触は少ないし、
料理をしてあげてもいないし、
夫は、わたしがどうであろうが、特に問題はないのだ。

だから、倒れるまで、やるしかない。
倒れた時にやっと、ドクターから夫に話してもらうしかない。


カウンセリングを終えて、
今日は雑貨屋巡りをする気分にもなれず、
お弁当だけ買って帰るつもりでいたら、
急に、体がガクガク震え始めた。

ヤバい。
キレた。
わたしは慌ててマックに入り、ハンバーガーを食べて、
甘いシェイクを飲み、
非常用に持っているチョコも食べた。
手がブルブル震えて、ボロボロこぼしながら食べた。

わたしは、具合が悪いときは、その姿は夫には見せない。
理解されないのに、見せるだけ、余計にみじめだからだ。

こんな風にブルブル震えているわたしを、
夫は見たことがないだろう。
だから、病人であるという認識はない。


見えない病気って、本当に辛いね。
調子の悪さによって、顔が緑色になれば、と
ずーっと願っている。

見えているものだけが事実ではないのだ。

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ギフト。

気持ちがどんよりとしていて、
何もやりたくない。
体を動かすのもしんどい。

心が重たい。
楽しいことが、思い浮かばない。

「寝逃げ」という題名は、12年も書いているこのブログの題名に、
何度も上がったことだろう。

現実世界が辛いので、寝ることに逃避するのだ。

今日は、人として、もうダメでしょ、ぐらいの時間まで寝てしまった。
ちまが起こさずに、寄り添ってくれていたので、
不調を見抜いているらしい。



起きたら、空腹だった。

辛くても、腹は減るのだ。

コーヒーと、コンビニで買ったパンを食べたら、
もうぐったりして、座っていることもできなくなった。

ベッドに倒れこむと、ちまが、慰めてくれるように、
胸に乗って来た。



メル友さんから、メールをもらった。
彼女も自分の不調と闘っているのに、
わたしのことを心配してくれて、メールをしてきてくれたのだ。

この先、会うことはない人と思うので、
全部、本音を書いた。
それを受け止めてもらえて、少し、救われた。


昨日はそうめんを茹でて食べただけだった。
こういう時に、食事をおろそかにすると、余計に悪くなる。

最近調子が優れず、料理らしきことができない。
どんどん野菜を腐らせてしまうので、
もう、野菜ジュースに頼ることにした。
ドラッグストアだと60円台で買えるので、
買いだめして来よう。

でも今日は、炊いたご飯が食べたかったので、
お米を研いで、お揚げとワカメとねぎのお味噌汁を作り、
解凍した、一口大の豚肉を焼いた。

質素でもいいから、ちゃんと食べないと、
どんどん心は荒んでいく。


息子夫婦が、13・14日に、帰省してくれた。
父が、息子に何か言うのではないかと、わたしは心配でたまらず、
落ち着かなかった。

今日、息子に、何も嫌なことはなかったか?とメールしたら、
「大丈夫。いつも通り、楽しかったよ。」と返事が来た。

なにもなかったようで、良かった。
息子が傷つくことだけは避けたい。

そして夜になってから、
お嫁ちゃんが、メールをくれた。
彼女のほうからくれることは珍しいので、
どうしたかな?と思ったら、
わたしの実家で、二日間、どんな風に過ごしたかが詳しく書いてあり、
おじいちゃんも、おばあちゃんも、元気そうでした、とあった。

さらに、「おばあちゃんとケータイの番号を交換しました。
これからはメールのやり取りができるので、楽しみです。」
と、書かれてあった。

最後にわたしの体調を気遣う言葉で締めくくられていた。


この子は、わたしにとっての、「ギフト」だと思った。
嬉しくて泣いた。

息子が生まれて、あまりの可愛さに、
絶対にマザコン男に育ててやる!と思っていたのに失敗し、
絶対に嫁をいびってやる!と思っていたのに、
余りにも可愛らしいいい子が来ちゃって、
いびるどころか、もう、可愛くてたまらないのだ。

人さまの娘ちゃんなのに、どうしてこんなに愛おしいんだろう。

わたしにとって、息子は、
世界で一番愛している、命より大切な存在だ。
いつも書くように、息子を救うためなら、
わたしは微笑みながら死んでいく。

でも、その大切な息子を、幸せにできるのは、
わたしではない。
お嫁ちゃんなのだ。

この性格のいいお嫁ちゃんと結婚出来て、
息子は本当に幸せなのだ。
それがよくわかる。
二人は親の前でもイチャイチャする。
それすらほほえましくて、わたしは彼らをずーっと見ていたい。

息子はわたしの天使。
お嫁ちゃんは、わたしに与えられた「ギフト」なのだ。


お嫁ちゃんには、
詳しく話すことはしないけど、
わたしとおばあちゃんは、もう無理なので、
よろしくお願いします。
ありがとうね、とメールをしておいた。

息子夫婦の間で、どういう会話がなされるのか、
それとも、お互いがお互いに黙っているのか、
それはわからないし、どちらでもいいけれど、
とにかく、わたしのまわりは、天使ちゃんだらけなのだ。


わたしが、頑張ろうとすると、誰もが止めるけど、
自分の状態がどうであれ、
頑張らなくてはならないときって、あるよね。

愚痴を言わず、しっかり頑張ろう。

わたしは、生きて来た意味がわかった。
「負の連鎖を断ち切る」ためなのだ。

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覚悟せねば。

土曜日、夫と一緒に夕飯を外食して、
お姑さんの話を聞いた。

体の回復は極めて順調な仕上がりで、
階段もしっかり登れるし、
卓球もやれるそうだ。

お姑さんは、先妻さんがいらっしゃる頃、
一家に主婦は二人要らない、と引退宣言をされて、
60歳で、卓球を始められた。

以来、30年近くやって来られた。
シニアの部で何回か優勝もしていて、
わたしが嫁に来たときも、週に3回は卓球に行っていた。

だから、足腰も丈夫で、
浅草の育ちだから、話し方もちゃきちゃきしていて、
認知症であることは、よくよく話を聞かないと、
見抜くことができない。

前回の面談では、もうすでに、だいぶ認知症が進行していたのに、
見抜いてもらえず、
「要支援」の、1だか2だかしか、認定されなかった。

手術した病院にいるうちに、もう一回面談を受けたら、
もう、「要介護4」となっていた。
ちなみに、「要介護5」が一番重いらしい。


けれど、今回骨折で入院し、
家に一人でいる時より、はるかに色んな人と喋るわけだし、
特に、リハビリ専用の病院に移ってからは、
部屋こそ、巨大な個室だけれど、
食事はホールでみんなで食べるので、
あんなにバカにして嫌がっていたデイケアとかに、
行かせることが出来そうだ、と夫は言う。

またヒキコモリになる前に、この流れで、通えるようにしたいそうだ。
人と喋ったり、一緒に何かをすることが、
嫌なことではないんだと、お姑さんも知ったようだ。

けれども、デイケアに行くと言っても、
「要介護4」の人が、自分で時間を見計らって、
着替えたり準備をしたり、出来るはずがない。
誰の服でも着てしまうようだし、
歯磨きとかもできてないらしいのだ。

つまり、デイケアに行くには、支度をしてあげて、
送り出してあげる、家族が必要だということだ。
バスは通りまでしか来てくれず、路地には入って来られないし、
家の中まで迎えには来てくれないものね。

そこで夫が、
朝は、キミには無理だろうけれど、例えば午後の4時とかに、
バスで帰って来た時に、
お出迎えして、家に入れて、部屋に連れて行くというのを、
やってもらえるか?と聞かれた。

それはもちろん、わたしがやるべき仕事だろうと思う。

夫は、そうじゃないと、俺が会社を辞めなきゃいけなくなる、と、
かぶせて来た。

プレッシャーに潰れそうだ。

けれども、お姑さんの持ち物であるアパートに、
お姑さんのお金でリフォームしてもらって住んでいる身だから、
それくらい、やって当然だと思う。
自分でも思っているし、他の家族全員が思っている。


お姑さんはお金持ちだが、
今の、入院費、手術代、すべて夫が払っているとのこと。
それは、自分のお姉さんや、お兄さんの奥さんには、
言っておいてもいいんじゃないかな?

先妻さんが病気で亡くなられて、お姑さんが主婦に復活して、
子供たちのことを夫と育てて来たのだから、
普通のおばあちゃんとは、また違う。
きっと、夫は、
母親を使うだけ使っておいて、ボケたら施設に入れるのか?という、
見えない非難を恐れているようにも感じる。


もう、お姑さんは、住所はわからないし、名前も書けなくなったそうだ。
家に連れて帰って来て、出入り自由にしたら、
徘徊になってしまうのは明らかだ。

だから、わたしも、頑張るしかない。
時間を色々調整して、デイケアから帰って来る時間帯に、
居るようにしなければならない。
夫が会社を辞めるのは、絶対に、良くないからだ。

けれど、多分、みんなが、疲れ果てる日が来るように思う。
お姑さんは、元気で、体には悪いところがない。
まだまだ充分な寿命がある。


わたしの祖母は、96歳まで生きた。
後半はさすがに寝たきりになったが、最後まで、ボケなかった。
在宅で、両親と、父の姉弟妹が交代で世話をして、
家で亡くなった。

いつまで生きるのか!という悲鳴が上がったくらい、
壮絶で、ピリピリした現場だったようだ。
全く耳が聞こえなくなったので、わたしは最後の夏、
チラシの裏に、
「仕事があるから、帰るね。」と書いて祖母に見せた。

その数日後、息子(当時小学生)が帰る時には、
窓越しに、手を振って、別れたという。

その二日後に亡くなった。

本当に介護は、大変だと思う。
子供が数人いても、それぞれの家庭があるし、
親が長生きしてるということは、子供ももう、
老齢にさしかかっているということだ。
体もしんどい。


今月中に、病院からケアマネの人が家を見に来て、
実際にどういう暮らしを着地点としてリハビリを終了するかが、
決まるとのこと。

今の段階で、考えても仕方がないことだが、
やはり、どんよりしてしまう。

正解がない分、みんなが疲労する。
うまい着地点がないものかと思うのみだ。

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13センチ。

お姑さんが入院しているので、
日中に、母屋に入ることがしやすくなった。

お姑さんは動物的なカンの良さで、
いつもわたしの存在を嗅ぎ分けて、
ムギとひっそり過ごしていても、必ず邪魔しに来るので、
取りに行きたいものがあっても、
母屋には、入れずにいたのだ。

書斎のデスクの引き出しの中身を持ってきて、
全部整理した。
9割、要らないものだった。

和室のクローゼットからも、
息子のぬいぐるみや、縫ってくれたエプロンなどを、
持って来ることが出来た。

幼稚園に入って、初めて持って行ったお弁当箱も取ってあり、
その中の、桐の箱に、息子の乳歯がちゃんと保管されていたのを見つけて、
わたしは泣いた。
そうだよ、捨てるわけがないじゃないか。
たった一人の、命よりも大切な息子の、乳歯。

初めて使った手袋や、愛用していたサスペンダーも出て来た。

息子が一緒に寝ていた、「ももた」というぬいぐるみは、
今、わたしと一緒に寝ている。

そして、絶対に、靴もあるはずなのに、と思っていた。
息子の、ファーストシューズを、わたしが捨てるはずがない。
どこかにあると思うのだが、
クローゼットからは出て来なかった。

どこにあるんだろう。
もう一度見たい。触れたい。
手元に置いておきたい。

でも、どうしても思い出せず、探す先ももうないように思っていた。



今日、母屋では、夫と長女が、
母屋の巨大なシューズクローゼットの整理をしていた。
ずっと大家族で暮らして来た家庭なので、
下駄箱、というレベルではない。
大きな壁面のシューズクローゼットだ。

入れられる量がすごいので、歴代の靴がいっぱい入っており、
捨てるという選択肢を選んで来なかったようなのだ。

そこに、持ち主のわからない靴があるので、
キミのじゃないか、見に来て欲しいと夫から電話があり、
行ってみると、
すでに、捨てる靴は大袋に入っているようで、
残すか、捨てるか、しかも誰の靴なのか、というものが、
20足ほど並べられていた。

わたしには、見覚えのある靴が一足だけあった。
アシックスの、ウォーキング用の紐の靴だ。
アシックスの専門店で買った覚えがある。
まだ新品同様だったので、それを引き取ることにしたが、
他のは全部わたしの物ではなかった。

むしろなぜ、そのウォーキングシューズを残して引っ越したのか、
わからない。
歩きたくなかったのかな。
アパートに越すときは、土曜日に仕上げが終わり、
すぐさま翌日日曜日にとりあえず引っ越したので、
積み残しはいっぱいあった。

お姑さんが居ないあいだに、あと、どこに何を残してあるか、
だいたい把握できたので、良しとしている。

靴を一足抱えて、じゃあこれだけいただいて行きます、と
帰ろうとしたら、夫が、待って、もう一つ、と声をかけた。

何だろうと思ったら、
わたしの、息子の靴が入った箱が、一番下の段にあったよと、
見つけてくれたのだ。

あああ!
そうだったのか!

本当は、クローゼットで、ももたと一緒に保管したかったのだが、
靴だから、悪いかなと思って、
シューズクローゼットの、一番下に、
入れたのだと思う。
息子の名前がわたしの字で書いてあり、
赤ちゃんの時のくつ、と書かれていた。

箱を開けると、ファーストシューズと、
実際、歩くようになって履いた靴2足の、
合計3足が、入っていた。

初めて履いた、ちいちゃな白いふわふわの靴下も、入っていた。

こんなところにあったんだ…。

わたしは、人の引き出しを勝手に見たりすることは嫌いなので、
母屋のシューズクローゼットも、全く見る機会がなかった。

31年前の、息子の靴。

もっと小さいかと思ったけれど、
一年で思いのほか、赤ちゃんって大きくなるようで、
ファーストシューズは、13センチだった。
イエローオーカーの、伸縮性のある靴。
まだちゃんと歩けないときの靴。

そのあと、ほどなくして歩けるようになり、
買った靴が、ミキハウスの白地に赤と紺の靴と、
白黒のギンガムチエックで、ミッキーマウスが入っている、
ジッパーをあけて履く靴だった。

よく覚えているよ。
この靴を履いて、公園に行ったんだよね。
はっきり、覚えているよ。


部屋に持って帰って来て、ひとしきり触って、眺めて、
新しい箱に入れ替えて、
息子の物を保管している箱に、収納した。

誰も、分かち合える人がいなくて残念だけど、
息子が次に来たら、見せてあげよう。

こんなに、ちいちゃかったんだよ。

そしてわたしは、キミの思い出をこうして大切に、
持ちながら生きているんだよって、見せよう。


わたしの両親は、わたしに関するものは、一切持ってないと思う。
わたしに対して、思い入れがないのだ。
息子の写真は、わたしが写真立てに入れたのを持参したので、
無理くり飾ってはあるが、
わたしの写真なんてないし、何もかも全部捨てただろうと思う。

可愛い靴を手に入れられて、今夜はかなり幸せだ。
良かった、見つかって。捨てるわけがないもの。

大事な靴の宝物。

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ちまの腎臓。

手のひらに乗るサイズで、うちに来たちま。
最初から、全く人見知りもせず、新しい家に怯えることもなく、
キャリーから出てきたら、すぐに探検を始めたちま。

「ちま」という名前は、仮名だった。
保護主さんが、預かった時に、ブログで名前の募集をした。
届いた名前を全部紙に書き、折りたたんで瓶に入れ、
彼女の旦那さまが、一枚引いた。

そこに書かれていた名前が、「ちま」だったのだ。
一昔前に、よくあった名前の、
「チビ」と「たま」から、一文字ずつ取ったのが由来だそうだ。

こうして、ちまはちまとして、募集がかけられた。

性格がとにかく良くて、人懐っこいので、
ものすごい申し込みが入り、
募集は一日ちょっとで打ち切りになった。
倍率は約30倍だった。

そのちまを、うちがゲットできたのだ。
本当に幸運だった。

名前は、「みかん」か、「あずき」にしようと思っていた。
けれど、実際にちまに会ってみて、
譲ってもらえると決まって、その帰り道、
車の中で、声に出して、子猫を呼んでみた。
「みかーん。」
「あずき~。」
けれども、しっくり来ない。
「ちま」という名前が、あの子にはぴったりすぎるほど、ぴったりなのだ。
なので、これは珍しい例になるけれど、
ちまは、ちまという名前のままで、譲っていただいた。


ちまはものすごく可愛かった。
猫じゃらしに向かって手をパーにして、大ジャンプをしたし、
背中を向けるとすぐに背中に飛び乗られ、
わたしのTシャツは、すぐに穴だらけになった。

わたしがトイレで座っていると、暇そうに見えるのか、
必ずついてきて、ジャンプして膝に乗り、
そのまま赤ちゃん抱っこで、
ちまちゃんの歌を延々何十分も歌って育てた。


そんなちまも8歳になった。
猫は7歳からがシニアの入り口だというので、
去年から、毎年検診を受けることにした。

今年の3月、血液検査で、
クレアチニンという物質が、まだ、基準値内とは言え、
高めの数字になったのを先生が気にして、
一度、念のため、詳しく外部検査に出してみませんか?と
すすめてくださった。

その時に病院で採取した血液をそのまま流用できるとのことだったので、
夫が承諾して、検査に出してもらった。
猫シスタチンの検査ということだった。

すると、結果は、シスタチン数値が高く、
ちまの腎臓は、すでに腎不全が始まっていることが判明した。

病院内の血液検査だけでは、見抜けないものだった。
しかも、まだ、ごく初期なんだろうなと思ったら、
すでにステージ2だということがわかった。
ショックだった。

しかし、ラッキーなことに、4月に、
猫用の、腎不全の薬が、発売になったばかりだった。
とても評判がいいらしく、うちもちまに、すぐにそれを飲ませることになり、
食事も、おやつは一切無しで、
苦いお薬を食べさせるために使っていたウェットの餌も、
腎臓病の子が食べるシチュー缶に切り替えた。

サンプルでもらったシチュー缶は、
それまで食べていたウェットとはあまりに様子がちがったので、
食べてくれるか心配だったが、
ちまは喜んで食べてくれて、
お薬も混ぜて与えることに成功した。

それまであげていた、おかかもちゅーるもやめた。
腎臓用のフードで、シーバに全くそっくりなのがあって、
それをやったら、異常に喜んだので、
夫に頼んで、それをちまのおやつとして買ってもらった。

こうして療養生活に入り、
6月にまた、血液検査に出して調べてもらった。

その結果を、土曜日に聞いたのだが、
3月に、13.7あったシスタチンの数値が、
なんと、4.5まで、下がっていたのだ!
劇的な回復だった。
減り続けていた体重も、持ち直して、ちまは元気。

腎臓の、ダメになってしまった部分はもう治せない。
そういう薬ではない。
けれど、これ以上悪化することを、止めることができる。

酷くなってしまえば、皮下点滴を行わなくてはならないが、
ちまはまだ8歳なのだ。
いずれ、そういう日が来るにしても、今はまだ早すぎると思ったので、
本当にホッとした。
ありがたい。


病院が午前中だったので、
ホッとしたらもう、何かを食べる気力もなく、
帰って来て、ちまと一緒にバタンとお昼寝をした。
わたしがお昼寝をするときは、ちまは必ず、寄り添ってくれる。
良かったよちまちゃん。
長生きしようね。
ママ、ちまのこと、大事にするからね。

早く見つけてもらえて良かった。
ちょうど薬が発売になった時期で良かった。

愛おしい、天使のちまちゃん。

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サクラも生きてた。

木曜が、ドラッグストアのポイント3倍デーなので、
在庫がなくなった、洗濯用洗剤類、台所用・お風呂用洗剤、
洗口液、キッチンペーパー、ラップなどを買い込んで来た。

徒歩なので、液体を大量に買うと手がちぎれそうだ。
水曜日ほど熱くなかったので、救われた。

行く途中、線路のガード前の、細い道に、
キジトラ猫が、ちょこんと座っていた。
え?
ムギ?

ムギ! ムギなの?
と声を掛けてみたが、返事がない。
ちょこんと座ってこちらを見ているので、近寄ってみた。

ムギと全く同じ顔立ち。
すごく可愛いキジトラ。

でもそれは、ムギじゃなくて、サクラだった。

一回りちいちゃくて、すごい顔が可愛くて、
耳にカットした跡があって、それを桜猫と呼ぶらしいので、
わたしたち夫婦も、この子を「サクラ」と呼んでいた。

2年半前のお正月明けに、
この地域に、一斉に、ノラ猫が出現した。
合計、7匹。

サクラは、先鋒だ。
いわゆる、「美人局(つつもたせ)」の役割である。
飛び切り可愛らしくて、人懐っこいので、サクラに寄ってこられたら、
おそらく、誰でも、骨抜きにされる。

わたしが、実家に帰省していて、
家に帰って来た時、
夫が庭で、サクラに、だしを取ったあとの鰹節をやっていたのだ。
そう。夫は一撃でノックアウトされたのだ。

サクラは本当に可愛くて、お腹を見せて、きゅるきゅると甘える。
たまらん。
「ねえ、この子、避妊してあるし、飼おうよ。」と言って、
わたしが洗濯ネットを持って、降りてきたら、
サクラは、すすす~っといなくなってしまった。

それを、アパートの階段の下で、じーっと見ていた猫がいた。

それが、ムギであった。

翌日から、あのちいちゃい可愛いサクラではなく、
ムギが庭かガレージに居ついて、
夫が出るたびに、シャーッとは言いながらも、
近寄って来て、
手の届かない絶妙な距離で、お腹を見せ、
敵意はありません、餌をください、とねだるようになった。

そのあと、サクラは来ていない。
完全に、あれは作戦だったのだ。

ムギが三本足だとわかって、夫が、
「今日もあの三本足、来てたよ。」というので、
今日も、というか、ほぼほぼもう、庭にいついているので、
わたしは勝手に名前を付けて表現することにした。

だって、三本足、だなんて可哀想な呼び名だもの。
くしくも、わたしが実家で、三本足のゴンが死んだとき、
なぜわたしを、埋葬に連れて行かなかったのかと、
泣いて帰って来た後だったから、余計にだ。

長い名前をつけてもどうせ省略するので、
簡潔な名前がいい。
ごま。
まめ。
ムギ。

うん。「ムギ」がいい。枯れたキジトラの色合いが、
実った麦みたいでぴったりだと思い、
わたしは、姿を見かけるたびに、「ムギ!」と呼んだ。

ムギはすごく頭が良くて、すぐに状況を把握できる。
名前もすぐに覚えて、わたしにもだんだん懐いて、
3月に入るころには、わたしがアパートの玄関から呼ぶと、
庭の茂みの中から、ひょっこり顔を出して見上げ、
「ムギ、おいで!」と餌の袋を振ると、
勇気を振り絞って、階段を駆け上がってきてくれたものだ。

本当に可愛くて、いじらしくて、しかも3本脚なのに一生懸命生きてて、
わたしはムギにメロメロになり、
現在に至る。



ムギのほかに、サクラと、あとはマメと名付けたキジトラ。
ぶちのある白猫、黒白のハチワレ、茶トラ、サビ猫。
この7匹が、突然現れた猫の集団だった。

子猫が増えることはなかったので、
きちんと避妊・去勢されてある猫たちだと思われる。
ひそかに、そういう善行を行っていた人が、近所にいたのだろう。

その人が、亡くなったか、引っ越ししたか、
とにかく何かが起きて、一斉に野良になった。


そのあと、ムギが小屋暮らしになると、それをねたんで、
かつての仲間が、毎晩交代でムギを襲いに来て、
ムギは毎晩毎晩闘い続けて、
雪が降った後の2月の寒い夜に、
小屋の中で倒れていたのだ。

今思い返しても震える。
動けなくなっているムギ。
冷たい肉球。よだれでぐしょぐしょの顔。

朝まで待っていたら、死んでいました、と、
救急病院のドクターに言われた。
良かった、本当に良かった。
ムギを救えて本当に良かった。

春になるまで、ムギはお風呂場で静養させたが、
その間も、ノラ猫たちは、つるんで、ムギを探して歩いていた。


サクラとは、最初に会ったきり、遠目で、あれはサクラかな?
ぐらいにしか見てなかったので、
久しぶりにまじまじと観察した。

間違いない。
サクラは、ムギの妹だ。

顔立ちが、全く同じなのだ。

キジトラって、見分けがつきにくい。
全身、柄だし、全員、柄だし。
でも、マメというキジトラがムギのところに通って来ていて、
おこぼれを頂戴してたときに、
同じキジトラでもこんなに顔が違うんだ、とわかった。
マメは、顔のパーツが中心に寄っていて、可愛くないのである。

ムギは飛び切りの可愛さなんだとわかった。
そしてサクラは、一回り小さくて、顔が、ムギと見間違うほど同じ。
しっぽの縞模様の感じもまったく同じ。

話しかけたら、サクラが返事をしてくれたが、
声もムギと似ていた。
マメの声は違うし、鳴き方の特徴も、サクラはムギにそっくりだ。

そうか。
サクラ、ありがとうね。
ムギは、うちを選んでくれて、小屋で元気にしているよ。
たまには会うの?
サクラ、元気そうだね。可愛いね。

そう言うと、サクラは一声鳴いて、立ち上がって、
しっぽをピーンと立てたまま、通りに向かって歩き始めた。
道を隔てて、1ブロック先の家のガレージに入って行った。

首輪はされてないから、サクラは飼われていない。
でも、ちゃんと居場所があるようだ。
とても元気そうだった。
あの小悪魔ちゃんぶりだったら、
人間をだまして餌をもらうなんて、サクラには容易いことだろう。

サクラ!
元気でね!
長生きするんだよ!

後姿を見送りながら、声を掛けた。

サクラが生きてて良かった。
元気そうで良かったよ。

ムギ、時々会ってるのかなあ。
サクラになら、餌をわけてあげてもいいよ。

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本当にあるんだねえ。

昔、少女漫画で、
激しいストレスから気絶したり、記憶喪失になったり、
なんてシーンを読むと、きっと誇張して描いてあるだけで、
そんなことなんて、本当には起きないんじゃないか?と、
思っていた。

わたしは記憶力が良すぎて、一歳半からの記憶があり、
それを忘れることが出来なくて、
苦しい。
でも、子供時代は、人と比べることがなかったので、
自分が特殊であることに、気が付かなかった。


うつ病を発症していながらも、
わたしは、なんとか、いい娘を演じたかった。
自分さえ我慢して努力を続ければ、
いつか母も変わってくれる、
愚痴を言いつくしたら穏やかになってくれる、
辛かったわたしの気持ちに寄り添ってくれる、と信じて、
何年も、何年も、頑張った。

けれど、母は、治まるどころか、エスカレートし始め、
話には尾ひれがついてどんどん大きくなっていき、
褒められた自慢を聞くと、
わたしは実家で、簡単に、吐いてしまうようになった。

食当たりとか、お酒の飲みすぎの時のような、
苦しみがあるわけではなく、
なんかちょっと、ムカムカするなあと思ってトイレにはいると、
簡単に、だーっと、吐いてしまうのだ。

それが、母によるストレスなんだと、気が付くまでだいぶかかった。

激しいストレスにさらされると、気絶することも、経験した。

健常な人は、相手を怒鳴って、済むのかもしれないが、
それが出来ないわたしの場合は、
自動的に、スイッチがオフになってしまうのだ。

ただ、これは、はたから見ると、寝ているのと、気絶しているのとで、
区別がつかないので、理解してもらえない。

精神を守るために、脳が自動的にストップをかけるのだ。
そうしないと、持ちこたえられないのだ。


今日はリウマチの診察日だった。
先月よりも、良くなっている。
でも依然、炎症反応は出ていて、手の指だと、
小指と、人差し指に痛みが強く残っている。
全部の症状が消えても、その後半年間は、
同じ治療を続けなくてはならないということなので、
道のりは遠い。

リウマチの先生だけれど、内科系のリウマチの先生なので、
主治医となっていただいて、色々相談に乗ってもらっている。
前回は、ひどい湿疹が出て痒みが強かったので、
ステロイドの塗り薬を出していただき、とても助かった。

今回は、6月に受けた検診で、
胸のレントゲンが引っかかったので、相談した。
胸部の大動脈蛇行、と書いてあり、要検査となっていたのだ。

先生はすぐにわたしのレントゲン写真をデータで呼び出し、
「ああ、確かに蛇行してますね。じゃあ、次の診察日に、CTを撮りましょう。」
と言って、すぐに予約を入れて下さった。

どういう場合にこうなるのですか?と尋ねたら、
腫瘍などがあって、血管がそこを通れず、蛇行する場合があるとのこと。
ただ、一概に腫瘍と呼ぶけれど、悪性である可能性は低いことを
教えてくださった。

そろそろ、手のレントゲンも見てみたかったので、
一気に撮ってしまいましょう、と予約を入れてくださった。

イケメンだし、誰に対しても優しいし、
とってもいい先生で、助かっている。

今のところ、精神科の主治医も信頼しているし、
カウンセラーさんのことも信頼して安心しているので、
いい環境だと思う。


帰宅して、お昼寝をしたら、ちまがずっと隣に寄り添っていてくれた。
夜、寝る時は一緒じゃないことも多いのに、
なぜか、わたしの具合が悪いときと、
お昼寝の時は、絶対に一緒に寝てくれるのだ。
ちまは、天使ちゃんだね。
看護師さんだね。


昨日・今日とムギにも会えているし、外でムギと過ごすと、
暑くてしんどいけれど、
ムギだって全身毛むくじゃらで暑いのに頑張って生きてるんだから、
ママも頑張るよ。

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怒るべき場合もあるけれど。

前にも書いたが、渡辺直美さんが好きなので、
彼女が主演しているドラマを見ている。

ドラマは、まだちょっとハードルが高くてしんどいので、
一期に1本だけ、見ている。

ファッションデザイナーの彼女が、
離婚してもイキイキと息子くんとポジティブに生きている姿が、
まぶしい。

わたしたちにとって、「ポジティブ」という言葉は、呪わしいが、
わたしが実際離婚した時は、
ちょっと頑張って、ポジティブ演出をした。

それはもちろん、自分がしたくてした離婚だったし、
ひどい夫と、それより更にひどい夫の親と離れられて、
わたしは幸せだった。

離婚を決意したのは、実はその数年前で、
わたしは、働き始めて、ほんのちょっとでもいいからと、
貯金をし始めた。

息子と二人での生活スタートが、
決して、みじめであってはならない、と決めていたからだ。

ママと二人でもこんなに楽しい、
何なら二人の方が断然楽しい!と
感じてもらえるように、努力をした。

二人で鉄板焼きをしたとき、息子が、
「ちょっと寂しいね。」とつぶやいたので、
そんなことないよ、お父ちゃんがいたら、大食いだから、
こんないいお肉買えなかったんだよ?
楽しい楽しい!、と盛り上げた。

仕事だって、引っ越しの一日だけ休んだだけで、
頑張って行っていた。
いろんな手続きは、朝イチに、区役所まで自転車でかっとばして、
仕事に間に合うように済ませて、戻って来ていた。

その時期、そういえば、左膝、故障したっけな。
提出する書類が色々あるので、
毎日区役所などにカッ飛ばしていて、
膝を痛めて、しばらくサポーターをしてたことを思い出した。

その当時はまだ太ってなかったのに、
もともと、左ひざが弱いのかもしれない。


息子と楽しく暮らすために色々工夫したが、
時には、厳しく、怒らなくてはならない場合もある。

そこを甘やかしてスルーすると、
育ちが悪くなり、将来、モテなくなる、と思ったのだ。
親のしつけや親の責任で、モテなくなったら、
それは親が悪いんだもの。

だから、食事のマナーには、厳しく言い続けた。
これは小さいころから教え込んだので、
前夫は、「食うときくらい、好きにさせてやれ。」と言ったが、
わたしは、
「その結果、あなたみたいになっちゃったら困るから、しつけてるのよ!」
と怒鳴った。

前夫は本当にしつけがなっておらず、
くちゃくちゃ音を立てて食べるし、
人の皿から勝手に盗むような男だった。
しかもものすごい大食いで、外食したって、一人分では足らない。
マクドナルドに入ると、
「ワシ、ハンバーガー、違う種類のを3個。」とか言うのだ。
お前の安い給料で、よくそんなことが言えるな!と思った。

あとは、とにかく、息子の肌には気をつけた。

小さいころには、蚊に刺されないよう、こまめに虫よけスプレーをしてやり、
思春期になったら、ニキビ面にならないよう、
高い「クレアラシル」を買い与えて、綺麗な肌を目指した。
冬場、乾燥して粉を吹いていたときには、クリームも買ってやった。

あとは、前夫が身長の低い人だったので(わたしもチビ)、
中学生の頃は、高いけど、カルシウム入りのビンの牛乳を、
取って飲ませ続けた。

その結果、息子は170センチになることができて、
けれども、足のサイズが、28センチにもなってしまった。
って、そっちに???
28センチの靴は、本当に少なくて、選ぶ楽しみもなく、
両国に行かないと買えないのか?と思ったほどだ。

足が大きくなるスピードはすごかった。
買った靴が、まだ新しくて、充分履けるのに、
足がぐいぐい伸びて、履けなくなってしまうのだ。

あれには参った。

でも、おかげで、肌のトラブルはなく、ニキビ面にもならなかった。

息子の結婚式の時の、ウェルカムボードに、
二人の、初めて会った時の印象が書かれてあり、
お嫁ちゃんが、「肌がきれいだった。」と書いてくれてあったのを読んで、
ひとりガッツポーズをした。
わたしの努力は、実ったのだ。


食事のマナーは大切だ。
貧乏と、貧乏くさい、とは、また違う。
ケーキのまわりについているフィルムをはがして、
わたしたちは、フォークで、ツピーっとクリームをすくって舐めたが、
息子には、
「もし彼女が出来て、二人でケーキを食べる時は、まず彼女を見なさい。
彼女が、ツピーを、やらない人だったら、やっちゃダメ。
ただし、彼女が、やる人だったら、すかさず自分もやりなさい。
彼女が、アイスのフタを舐めたら、自分も舐めなさい。」と教えた。

お嫁ちゃんは、「え? やりますよね?」っていう子だった。

良かった。


とにかく、わたしにも、感情で怒ってしまった失敗は多々あるが、
息子が幸せになってくれて、
また遊びに行かせてね、って言ってくれる子で、
本当に幸せだと思う。

それだけでもありがたいよ。
幸せだ。

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とろとろねむる。

ヒキコモリ、三日目。
ムギのところに行く以外、全く外出していない。

体が疲労していたらしく、最初はちまに起こされても、
なかなか起きられなかったが、
翌日は少し早めに起きられたし、
今日もちまに起こされる前に、起きることが出来た。

暑い中、出かけていることは、思っているより疲れたのだろう。

食欲もあまりなくて、
起きてしばらくは、何も食べられない。

今日も、起きて一時間半くらいしてから、
小さいパンをやっと食べた。

そしたら、だるくなってしまって、
ベッドに横になって、友達にメールしようとしたら、
眠たくなってしまった。

うんもういいや、寝よう、と思って、
明かりを消してタオルケットにくるまって、
ウトウトした。

ちまが、もぐりに来てくれたのだが、
わたしがタオルケットにくるまっていて隙間がなく、
入れなかったようで、
うとうとしている間、ずっと隣に添い寝していてくれた。

ちまは、わたしの具合が悪い時とか、
お昼寝のときは、いつも必ず、一緒にいてくれるのだ。
天使ちゃん。

夢の中でずっと、ケーキが食べたいと思っていた。
それがなかなか、食べられる状況にならないのだ。
夢でもいいから食べたかった。

とろとろ眠って、夕方になってしまった。

台風の余波で、雨が降り始めてしまったので、
急いでムギのところに行ったのだが、
ムギはもう、濡れない秘密の場所に隠れてしまったようで、
ずっと呼んで待っていたが、なかなか来てくれなかった。

雨が降り出す前に会いに来なくちゃいけなかった。

でも、小降りになった時に、ムギが可愛い声で鳴きながら、
車の下をくぐって、来てくれた。
ムギちゃん! 会えて嬉しい!
体は、表面がちょびっと濡れてるだけだったから、
濡れない場所をちゃんと知ってるんだね。

タオルで拭いて、おかかをやった。

時々、ざあーっと雨が強くなる。
ムギは怖さを知っているので、そうすると車の下に隠れる。

じゃあムギ、ここにシーバ置くから、食べなね、
ママ帰るよ、と言ったら、
ムギが「それはヤダ。」と言って出て来てくっついた。

手からシーバを食べて、また雨がひどくなったので避難。

わたしは、残ったシーバを車の下に差し入れ、
敷物と座椅子をビニール袋に入れて重しを置き、
ムギのものが色々入っている箱にも、
ビニール袋をかけておいた。

夜中は、雨がすごかったら来ないからね、と
ムギには言っておいた。


なんだか、だるくて、何にもしたくない。
低気圧が近づいて来てるんだから、しょうがないか。
何にも出来ないとはいえ、夕飯を作って食べたんだから、
いいとしよう。

ちまが寄り添ってくれて、幸せだった。
ムギも、雨が怖いのに、帰って来てくれて、会えて良かった。

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聞いておけばよかった。

わたしは、宗教には興味がなく、
家で、法事とかが執り行われていても、
下働きで台所に居るのが役割だったから、
お経も聞いてないし、説法も聞いてない。

授業で習う歴史にも興味はなく、
地理は好きだったが、歴史は苦手で嫌いだった。

21歳の頃に見た映画で、初めて「輪廻転生」というものを知った。
気になって、原作本も読んだ。
それそのものは、大した作品ではなかったのだが、
「輪廻転生」というものは、妙にしっくりとわたしのなかに納まり、
そうか、当然そうだよね、と
信じるようになった。

でも、まだ、スピリチュアルブームでもなかったので、
わたしは詳しくは学ばないまま、結婚して、息子を産んだ。

息子がまだ、ハイハイをしていた頃に、
前夫の転勤で、東京に来て、初めてのマンション暮らしになった。

ド田舎の、村制度の窮屈な空間で生きていたわたしには、
天国のような暮らしだった。

夫さえ送り出してしまえば、息子と二人きりだ。
誰にお断りを入れる必要もなく、
好きな時間に、好きなところに出掛けられる。
日曜日には朝寝も出来る。

マンションだったので、鍵一か所かければ、
平気で出かけられる気軽さも、嬉しかった。

夫の親からいじめられていたわたしは、
解放感にひたり、息子もイキイキと育っていった。

住んでいたのは14階建ての大きなマンションの、13階だった。
ベランダが広く、見下ろすとマンションの公園が見える。
方角によっては、東京タワーも、富士山も見えた。

息子は高いところが大好きで、
わたしが洗濯物を干すときに、着いてきたがるので、
まずはベランダの床を雑巾がけして綺麗にし、
息子と一緒に、洗濯物を干した。
立てるようになり、ちょっと言葉の出始めた息子が、
お手伝いのつもりで、かごから洗濯されたものを、
「ハイ。」と言いながら手渡してくれる。
逆に時間がかかって迷惑な場合もあったが、
二人で楽しく、作業をした。

息子は、喋り始めるのが遅かった。
でも、こちらの言うことは、全部伝わっているようで、
大好きだよ、って言うと、嬉しそうにキャッキャと笑った。

ぽつぽつと、喋れるようになった頃、
2歳くらいかな、
朝、起きて、小さい椅子に座らせて、朝食にパンを出すと、
ポロポロと、泣くことが増えた。

どうしたの?と聞くと、
「とびたいの。」
と、答える。

飛ぶと言うことが、どういうことかわかってるような口ぶりなのだ。

わたしは、否定もせず、肯定もせず、
「そうなの? とびたいの?」と聞くと、
息子は、
「おちょら(おそら)、とびたいの。」と言って、
泣くのだった。

毎日ではないがそんな期間があって、
言葉を自由に発することが出来るようになると、
だんだん、飛びたいとは言わなくなった。


その後、わたしは、輪廻転生の本を読んだり、
前世の記憶というものを知ったりしていった。

その中に、「胎内記憶」を持っている子供の話が出始めた。
お腹の中にいた時のことを、覚えていると話す子がいるらしい。
生まれてくるとき、苦しかったけど、早くママに会いたかったよと、
言う子もいるらしい。

そして、胎内どころか、空に住んでいて、
神様らしき人と、仲間とで暮らしていて、
地上を見ていて、
あの人のところに行こう、と決めて、ママのお腹に入ったんだよ、と
言う子もいることを知った。

しかし、胎内記憶も、前世の記憶も、大体が、
ちゃんと話せる3~4歳になると消えてしまうものらしく、
もう、息子は小学生になってしまっていたので、
残念、わかっていれば尋ねてみたのに、と思ったものだ。

そしてふと、
言葉をまだ、うまく話せない息子が、
毎朝、泣きながら、「とびたいの。」と言っていたのは、
本当に、飛んでいたからこそ、言えたのではないかと、
思った。

まだ当時、生まれる前の記憶が残っていて、
わたしを選んでお腹に来るまでは、
自由に飛び回っていたのかもしれない、と思い始めた。

人間の子供としての生活、辛かったのかなあ。
わたしは未熟な母親だったからなあ。
きっとお空を飛び回ってた時、とても幸せだったんだと思った。

聞いてみたかったな。
天使ちゃんだったころのこと。

息子しか産めなかったので、
もう、胎内記憶や前世の記憶を聞く機会はないが、
もし、お孫ちゃんに恵まれたら、そっと聞いてみようと、
もくろんでいる。

わたしは、前世、誰だったんだろう?と思っていたら、
仏教を知っている人から、
誰だった、のではなくて、ずーっと、自分なんだよ、と
教えてもらった。

バブル後に開館した「江戸東京博物館」に行って、
日本橋界隈の風景を眺めた時、
わたしは、なぜか、「いや、これは違うな。」と感じた。
すごい違和感を感じたのだ。

長屋は、瓦葺きなどではなくて、板で、
上に重しの大きな石を乗せてたんだよね、と
そいういう下町の光景を、高台から見下ろしている視線が、
自分の中にあったのだ。

わたしは歴史に興味がなく、勉強もしていないし、
勉強しても覚えられなくて、歴史のテストはさんざんだった。
でも、何かの資料に、そういう、板の屋根の光景でも見たのかな、と
考えてみたのだが、
何度考えても、自分の目で見た光景のように思うのだった。

江戸時代と一言で言っても、三百年も続いたのだから、
そのうちの、どの時代かによって、板葺きだったか、
瓦が普及したのかも違うだろう。
地域差もあったと思う。

でも、のちに、わたしが江戸時代に江戸で生きていたことを知り、
あの光景は、やはり自分の魂が見た光景として、
刻まれていたんだとわかった。

それを知ってから、わたしは江戸に興味を持ち始めた。
歴史には相変わらず、うといままだが、江戸っ子の粋な風俗や、
文化については、大いに興味がある。

歴史ある地名が、無くなってしまったことは惜しい。
粋な名前がいっぱいつけられていたのに
今は神田にちょっと残っているだけだ。
もったいないなあ。

次に生まれても、また息子と出会いたい。
出来ればもう一回、母親役をやらせてもらいたい。
今度はもう、ヒステリックになったりしないから。
約束するから。

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「ヤレ」という言葉。

つらつらと、昔のことを考えていて、
印刷会社にいた時のことを、思い出すことが多い。

わたしは、仕事が、好きだった。
働くことが好きだった。
当時は日曜日しか休みがなく、
朝の8時から仕事だったし、
日本がバブルに突入していく寸前の時代だったので、
仕事量は多く、
毎日残業で、体はヘトヘトだったけれど。

疲労して、毎日、体調不良で、げっそりと痩せ衰え、
「はたちの献血キャンペーン」の車が会社に来て、
20歳を迎える社員全員が献血をするのだが、
わたしは、体重が足らずに、車の前ではじかれた。


それでも、仕事ができる方だったし、
認めてもらえて、評価もされていたし、
コツコツと、モノを作り上げていくその仕事が、
わたしには合っていた。

入社して、次の年に、
自分で貯めた貯金で夜間の自動車教習所に通い、
自分の貯金で中古車を買った。

小さなその車は、わたしのもう一つの部屋のようで、
運転も好きだったし、
音楽を聴きながら、走ることは楽しかった。



印刷会社には、「ヤレ」という、言葉が存在している。

もう、今の時代は、言わないのかなあ。
簡単に言えば、「印刷ミスのまま、仕上がってしまった印刷物」
のことである。

もちろん、専門の校正部門があって、
二度も三度も、校正がなされ、「校了」と言って、
これでもう、OKです、というサインがなされないと、
印刷には回されない。

けれども、「ヤレ」は、いろんな理由で、起きる。

まずは、校正部門が、文字の校正に特化した部門であることだ。
校正の人間は、印刷の仕組みを知らない。
知ろうという努力をしていない。
だから、色分けのために必要で引いてある一本の線が、
原稿にはないのに、と
戻されて来たりする。

逆もまた然りで、
必要なものが、抜けていても、校正の人間は、
それを見抜くことが出来ない。
なぜなら、印刷の仕組みを知らないまま仕事をしているからだ。
文字に間違いがないか、
文章におかしな点はないかだけを見ている。


その結果、とんでもない「ヤレ」が発生してしまうことがあるのだ。

ある時、何かの商品の、値段が、すっぽりと、
落ち抜けたまま、印刷が仕上がってしまった。

新聞に折り込むチラシなので、
翌日夕方には、各新聞店に、届いていないといけないものだ。

その時はもう、大変だった。

工場では、値段のシールを超特急で印刷し、
帰ろうとする社員をとにかく足止めして、
朝までに、この量のチラシに、このシールを貼って来い、と
押し付けられるのだ。

それがまだ、定時上がりの5時台ならマシだ。
会社でみんなで作業して、男性が夜中まで残ってやればいい。

けれど、残業を終えて、帰ろうとして、
駐車場から車を出し、工場の脇の細い道を国道に向かって走っていたら、
前方で、工場長が、手脚を広げて道をふさいでいるのだ。

そして無理やり、車にチラシとシールを積まれ、
貼って、明日持って来い、と言う。

とにかく、みんなで必死になってやった。

あれは、残業代とか、出てないよね?

他にも「ヤレ」は時々出て、
マジックで塗りつぶすような簡単な作業もあれば、
山のように写真を渡され、明日までに切り抜いて来い、みたいな、
今だったら考えられないようなことが、
時々あった。

なんか、すごく懐かしい。



まだ、営業マンがポケベルを持っているだけで、
携帯電話なんてなかった時代。
マッキントッシュがまだ出る前の、手描きの時代。

バブルにむかいつつあって、会社の売り上げは、右肩上がりで、
御用納めの日には、総売り上げが発表され、
役員から、社員みんなが感謝されて褒められ、
やったね!という高揚感を共有できた時代。


わたしが、そういう印刷時代の最後を知っている年代だと思う。

今はパソコンさえあれば、
素人でも印刷物が出来る時代になった。


「ヤレ」という言葉の語源は、「破れ紙」という説もあるが、
印刷ミスには本当にさまざまな種類の失敗があるので、
実際には不明である。

文字抜けなどは、シール貼りでしのげたが、
写真の上に違う柄が乗って印刷されてしまったりすると、
刷版を作るところから、全部やり直しになる。

わたしの部署は、色、写真、文字の書体(フォント)、
すべてを指定する職場だったので、
印刷の工程を把握していないと、できない部署だった。

だからわたしは休み時間には、隣の部署に行って、
教えてくれる人に尋ねて回って、知識を増やした。

部署内に保管されている、インレタ(インスタントレタリング)の種類も、
すべて頭で覚えていた。

高校時代の友達は、全員進学しており、
会おうと言われても、わたしには日曜しか休みがなく、
旅行に行こうと言われても、
そんな体力など、残ってはいなかった。


でも、楽しかった。
自分で働いて、お給料をもらって、
頑張れば評価が上がってボーナスに影響する。
わたしは、愚痴を言える相手もおらず、
ただただ、働いて、自己肯定をし続けた。

認められたかった。役に立ちたかった。反映されたかった。

そんな時代を、懐かしく思う。

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ほとばしる狂気。

夕べ、インナーチャイルドの絵を描いた。

普段はイラストなど今は描かないし、
人物など描かないのに、
いつも脳内にある絵なので、スラスラと描けた。

ズタズタの白い服を着て、
両足を開いて立ち、
口元しか見えないくらい、うつむいているのに、
怒りで肩が上がってしまっている。

手は固く握りしめており、
足の親指も、怒りのあまり、くの字に曲がっている。

絵には描き添えなかったが、
ゴゴゴゴ…と後ろで炎が燃え盛っており、
怒りの激しさを物語っている。


その右に、壁にもたれて、無気力に脚を立てて座っている、
もう一人の子がいて、その子は黒い服を着ている。

力なく座ってやや上を向いて、口は半開きで、
手にも力は入っておらず、
不自然に曲がったままだ。


この二人が、セットで、わたしのインナーチャイルドなのだ。


カウンセリングに行って、カウンセラーさんに、絵を渡した。
「説明なしで、この子の感情は伝わりますか?」と聞いた。

すると、カウンセラーさんは、ちゃんと怒りを見抜いた。

と言うより、しばらく前から、すでに
この子が見え隠れしていたというのだ。

ものすごい怒り。
なのに、当のわたしは、物分かりがいいふりをしている。
悪く言えば、ここに来てまでも、いい子ぶってる、
本当はすごい怒りをためてるんじゃないの?と、
心配していたというのだ。

マッサージ師さんが、体に触れて、見抜いたと同じで、
やはり、本職のカウンセラーさんには、嘘もごまかしも
通用していなかった。

厄介なのは、わたし自身も、なかなか、気が付かないということだ。

怒りを抑え込んで、封じ込めることを繰り返してきた人生なので、
そういう癖が、ついている。

そして、もっと厄介なのが、
自分の怒りを刃にして、斬りかかってくるような、
感情的な人間にはなるまいと必死に自分を律しているからである。

理論・理屈ぬきで、その時の気分で、
八つ当たりしてくるような感情的な人間を、
わたしは、軽蔑している。

だから、感情をぶつけられて、あおられても、
絶対に、感情で返すことはしない。
そこは必死なのだ。
ああ、いいですよ、と諦めて、シャッターを自分でガラガラ降ろし、
壁に寄り掛かって、
無力に時を過ごす。

誰とも接することなく、誰とも話さず、
空を見て過ごすのだ。

もちろん、実在するわたしは、鍋を磨いていたり、
録画したバラエティを見ていたりするので、
誰にも、気が付かれることはない。



理不尽な怒りに対して、感情を返してしまったら、
相手と同じ土俵に立つことになる。
それでは、同じ種別の人間じゃないか。
軽蔑しているタイプの人間に、わたしもなってしまう、ということだ。

それをしたくないために、
怒りに震えている白い子を、縄できつく縛って、
シャッターを下ろして生きている。
しんどいよ。
苦しいに決まっているよ。

だってわたしには、相手以上に、怒りの感情があって、
それはもう、「狂気」と呼べる類いのものであって、
絶対に、出すわけにはいかないのだ。

それを見せてしまったら破滅なのだ。


でも、感じ取ってしまったから、
しかもサラサラと絵に描いてしまったから、
もうその存在を、無視することは出来ない。

インナーチャイルドワークをやりたい、と言ってみた。


けれど、カウンセラーさんにはこう言われた。
「あなたには、無理です。知的レベルが高すぎて、
子供に戻って、やり直す作業は出来ません。」

これは決して自慢で言っているのではないことを、
ご理解いただきたい。

わたしが、最初のカウンセラーさんが急死なさってしまい、
苦しんでいた時、
今のカウンセリングルームを見つけて、
飛び込んで、面接してもらい、
「病院も紹介してください、すぐにお願いします!」と
必死の形相で伝えた。

その時にかかっていた医者はヤブだった。
心情を話せる相手でもなかった。
夫ともうまく行っていなかった。
何もかもに、行き詰まっていた。

そして紹介された病院に通うようになり、
3か月後くらいで、わたしはなんだか明るくなり、
ちょうどその時に、あらゆる心理テストを受けたのだ。

その結果が、のちに聞いたのだが、
その病院に通っているすべての患者さんの中で、
ではなく、
医師や心理士すべてを含めた中で、
最もIQが、高かったというのだ。

病院内では評判になっていたそうだ。

しかし、そのあと、わたしはものすごい下降線をたどり、
ようやく、うつ病でもなく、
統合失調症でもなく、
「躁鬱病」であったことが、判明したのだ。

心理テストを受けた時は、
その躁の、真っただ中にいて、
どの問題も容易く見えて、
万能感まで味わった。

その躁時代に、わたしは、色々やらかしてしまい、
夫に尻ぬぐいをしてもらった。
人間関係も失敗して破綻し、
下降の一路をたどって、長い鬱に入った。


だから、知的レベルが高すぎる、と言われても、
今はそれが邪魔で、
インナーチャイルドワークは出来ないというのだから、
皮肉なものだ。

カウンセラーさんは、色々見抜いていた。

傾聴型のカウンセリングなので、ほぼ私が話して終わるのだが、
「ご両親やご主人以外に対しても、とても怒っているでしょ。」と
言われた。

それは、もちろん、ある。
でも、それを言っても、だれにもどうすることもできないので、
心を固くして、耐えて来ていた。



では、どうしていったらいいでしょうか、と尋ねた。

カウンセラーさんは、
では今後は、毎回、この怒っている白い子の気持ちを、
実際に言葉にして、出してみましょうとおっしゃった。

いつもわたしは、心の中で、
口汚く、ののしっている。
そしてそれが、人として恥ずかしい。

けれど、言葉にして出してしまうことによって、
少しづつでも、怒りを手放していかないと、
心配しているように、いつか暴走しますよ、と言われた。

試しに、言ってみてください、
わたしは、あなたからどんな汚い言葉が出ても、驚かないし、
逃げないし、もちろん軽蔑もしないし、離れないです、と
言ってくださった。


それでも、言うまで、少し時間がかかった。

わたしは、今も尚、重たい鎧を着て、
自分を縛っている。
その体で、ハードルを飛ぶのは、非常に怖いし、難しい。

何分か経って、ようやく、言葉にした。
カウンセラーさんは、共感を示してくれた。


ここでの秘密は絶対に守られ、わたしはあなたが何を言っても、
動じることはないので、
これから毎回、この絵を出して、
この子の怒りを、言葉に変えて出してみましょう、
ということに決まった。

わたしが原画を持ち、
カウンセラーさんに、コピーしたものを持っていてもらった。


言葉にして出したら、スッキリするのかと言えば、
決してそうではない。
そんな簡単なことではない。
猫たちが待ってるのでなかったら、
わたしは夜遅くまで、ふらふらと街を歩いて、
バーにでも行って、
少しの酒を飲みたいくらいの気持ちなのだ。

誰とも会わず、誰とも話さず、ふらついていたいような気分になる。


かわいい猫たちが、わたしを待っていてくれるので、
胸に抱きしめて、
耳元で、本音を囁く。
ナイショだよって言って、ヒミツの共有をする。



こういう方法で、わたしは今後、
自分の怒りと向き合う日を作る。

この子をなくしてしまうことは無理だそうだ。
けれど、少しずつ、顔をあげて、肩が下がるように、
やって行ってみる。


カウンセラーさんには、
「あなたの知的レベルを有効にする何かをやると、
もろさを支えられますよ。」と言われた。

わたしは、相撲取りの、千代の富士を思い出した。
ウルフと呼ばれた横綱。

彼はスピードもあり、技も巧みで、強かったが、
肩の関節を脱臼する癖がついてしまっていて、
力士生命が危うかった。

関節の弱さは、どうすることもできない。
わたしの膝も、同じだ。

そこで千代の富士は、周りの筋肉を鍛えに鍛えた。

関節を守るための、筋肉の鎧を、
身にまとったのだ。

そういうことだ、と理解した。

心が弱いからと、逃げてるだけじゃなくて、
強く出来る部分で、それを包み込む。
自分で、自分を、守る手段を、身に付けなくてはならないのだ。
うん。
やってみよう。

わたしにも、何か道はあるはずだ。

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「呼応」というテロ。

わたしには、親しい感情を持って付き合っている人が、
5人くらいいる。

美容師さんや、マッサージ師さんのように、
その用事の時間内だけ、という相手もいるが、
心を開ける相手であるので、
信頼しているし、親しみを感じている。

会ったことのない、メル友さんもいる。

会えない距離ではない。むしろ近いのだが、
多分、会わない方がいいように思う。

人間関係は、距離感がすべてである。
そこを見誤ると、関係が破たんする。

親しく交流している人とは、
どこかしら、何かしら、共通点があるものだ。
まるっきり同じものを好きではないとしても、
お互いがお互いのフェチを認め合うことができるような、
理想的な関係。


人間には、「食べる」ということは、とても重要だ。
食べることは、体だけでなく、心をも作る。

食べることを大事にしている人に
わたしは惹かれる。


きちんと作って、食べたいものを食べると、
過食しない。
好きなものを充分食べられたら、そのあとも過食しない。

食べるものが満たしてくれるのは、空腹だけではなく、
心の渇望も、満たしてくれるのだ。

貧乏で、大したものを食べてないのに、太っている人は、
渇望が満たされておらず、
それが肥満に繋がっているとわたしは思う。


メールのやり取りで、よく、今日は何を作って食べたとか、
今日作った料理はこれでとか、
今日食べに行ったものがこれ、とか、
写真が飛び交う。

写真抜きで、言葉だけの場合もある。

でも、仲のいい相手だと、気持ちがシンクロしてしまって、
どうしても、どうしても、
自分もそれを食べたくなってしまう。
これを「飯テロ」と呼ぶのだそうだ。

食べることに重きを置いている人が集うと、
この「飯テロ」は多発する。

わたしも、やったり、やられたり、している。

それってちょっと楽しいのだ。



飯にしぼらず、他の事でも、呼応してしまうことがある。

わたしのメル友さんが、新しくカウンセリングに通っているのだが、
その話を聞くと、
わたしの中に封印されている、インナーチャイルドが、
姿を現してくるのだ。

居るのは知ってる。わかってる。
でも、なるべく見ないようにして数年が過ぎた。

そろそろ、対峙すべき時が、来ているような気がするのだ。

わたしの脳内には、一つの絵柄がずっとあって、
この間からずっと気になっている。

抑え込みすぎていて、苦しそうなのだ。

なので、今日は、脳内のそのシーンをイラストにしてみた。

いつもの風景なので、たやすく描けた。

描きながら、
そうそう、こんな風に肩を怒らせて、上に上げている。
だから、肩こりが治らないんだね。とか、
そうそう、こうしていつも強くこぶしを握っている、
だからリウマチになって、治らないんだねと、
理解が進む。


今日、マッサージだったのだが、マッサージ師さんに、
「また何かありましたね。すごいこってますよ」と言われた。

わたしは、インナーチャイルドが怒りに震えてるからだとわかったが、
健常な人に説明したら、気持ち悪いかもしれないので、
やめておいた。

インナーチャイルドは、
肩幅くらいに脚を開いて立っており、
顔が見えないくらいにうつむいているのに、
肩が不自然なくらい、吊り上がっていて、
それが体の、コリと痛みの正体だ。

手の指を固く握りしめており、
足の親指も、怒りでくの字に曲がっている。
それがリウマチの正体だ、と
描きながら、理解した。


わたしの病はすべて、「怒り」」から生まれたものなのだ。
だから、怒りから手を放し、
すべて解放してやらないと、わたしは治らない。

けれど、それには、それに特化したカウンセラーさんが必要だ。

今のカウンセラーさんは有能だし、
傾聴型なので、わたしには合っている。
一緒に抜け出しましょう~!と、鼓舞されたりすると、
わたしは潰れるし、
アサ―シオンというワークも、
必死にやりすぎて、完璧を目指すあまり、逆効果であった。


わたしも、そろそろ、怒りを手放したい。

そうしないと、楽になれない。

明日、カウンセリングなので、描いた絵を持って、
相談してくる。

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喧嘩をするわけにはいかない。

わたしにはきょうだいがいないので、
喧嘩の体験がない。

理不尽な母には反抗したが、いずれの場合も、
父が母を擁護するので、喧嘩にさせてもらえない。

父が、母の暴言をとがめてくれたのは、
人生で、たった2度だけだ。

それ以外は、母がどんなに理不尽で感情で怒っていても、
反抗するわたしが悪い、と父にたしなめられた。



父は、母に、よほど惚れているのだろう。
娘の心、娘の命などどうでもいいのだ。

わたしなら、息子を救うためなら、
こんな命なんて、簡単に差し出す。
息子を救えるのであれば、わたしは微笑みながら死ぬだろう。

子供とは、そういう存在なのだ。
そしてわたしは、自分の両親からしたら、
そいういう対象ではなかった、ということだ。


わたしは、わたしの少女期が、可哀想でたまらない。

今はもう、インナーチャイルドとの交信はしていないが、
癒されていなくなったわけではないし、
彼女らが救われたわけではない。

今、対話をしていないだけのことなのだ。


わたしには二人のインナーチャイルドがいて、
一人は脚を開いて立っていて、こぶしを固く握りしめ、
うつむいて、震えている。

怖いのではない。
「怒り」に震えているのだ。

わたしは、彼女が暴走しないように、強く、ロックをかけている。

彼女を本気で怒らせたら大変なことになるからだ。

だから、わたしは、喧嘩をしない。



せんだって、何があったのか知らないが、
酔っぱらって、もう夜も遅くて眠い夫が、
突っかかって来た。

理不尽にあおって来るので、
「酔っ払いとは関わりたくないです。」とメールしたら、
「僕だって関わりたくないです。」と言って来た。
「何を言うか、そっちからメールしてきたんじゃないですか。」と
たしなめたら、
「ではもう、メールしません。」と
幼稚園児みたいなことを言いだしたので、
「あ~ハイハイ、お好きにどうぞ。」と返して、
わたしもメールをやめた。

どれくらい続けるんだろうな~と様子を見ていたが、
数日で、夫が部屋にやって来た。
別に、それはそれ、あれはあれ、なので、
どうでもいいよ。


夫は、本当は、言い争って、喧嘩がしたいのだ。

年が離れて生まれた末っ子で、
お母さんは内職に忙しく、
7歳年上のお姉さんのスカートの端っこを持って、
遊びに行くお姉さんに着いて行っていたそうだ。

だから、構ってちゃんなのだ。

甘えたくてたまらないのだ。


わたしは、精神的には、自立している。
夫に甘えたいと思ってはいないし、
出来れば、用事を頼むこともしたくない。
自分でできることなのであれば、自分一人で完結したい。

甘えたい欲求がないので、何日会わなくても、
メールを交わさなくても、別に孤独は感じない。



喧嘩は絶対に、してはいけないのだ。
インナーチャイルドが暴走する。
そうなったら、わたしには止められない。

だから、喧嘩をせず、ああそうですか、いいですよ、と
自分でガラガラとシャッターをおろして、
閉じこもる。

その方が楽だもの。
もう一人のほうのインナーチャイルドは、無防備に座って、
人生を投げているので、
そっちに寄せて生きている。

その子は、わたしがちょっと頑張ると、喜ぶ。
シーツが洗えたとか、
掃除が出来たとか、
桃が食べられたとか、
そんなことでも、その子は喜ぶ。


でも怒っているほうの子は、一生涯怒っているので、
わたしは、その子を抑えて生きて行かなくてはならない。

そのためには、害になるものから、離れるしかないのだ。
それしか手段がない。

怒りを解き放って無くすまで、付き合ってくれるカウンセラーさんとは、
今は出会っていない。



怒りをコントロールするのは、人としての役割だ。
自分の機嫌が悪いからといって、人を巻き込んではいけない。
自分の定規で、人を計ってもいけない。

自分が怒ってるなら怒ってるで構わない。

それを刃に変えて、相手を刺してはならないのだ。


ちょっと前に、「ヒメアノール」という映画を見た。

一か月980円で、DVDが4枚見られる会に加入していて、
自分が見たいと思った映画を登録しておくと、
そこから順に、2枚ずつ送られてくる。
見終わったら、ポストに投函するだけでいいので、
貸出期限が気になって困ることがなく、
わたしには、合っているシステムだ。

数十枚のDVDを登録してあるので、
はて、どんな映画だったっけ、
何でこれを見たいと思ったんだっけ、と
忘れていることが多い。
ずいぶん前に登録した映画だったのだ。

最初のシーンで、ムロツヨシさんと、濱田岳さんが出て来たので、
ああ、喜劇だっけか、と思いながら見たら、
とんでもない映画だった。
いい意味でね。
殺人シーンもあるのでR15指定だった。

残虐なシーンも多かったのだが、
最後にほんのかすかな、光明の差す映画だった。

とても良かった。
ハッピーエンドではないのに、とても良かったと思う、
わたしの感覚はどうかと思うが、
インナーチャイルドがシンクロしてきて、
見終わったあと、涙がボロボロ出た。



とにかく、わたしは、大人として、
怒りはコントロールすべきと考えて生きている。
感情的になることを、心から恥じている。

苦しい生き方だ。

わたしをはけ口にして、言いたい放題だった母や、
喧嘩を吹っかけて来る夫の方が、
きっと楽だろう。

母と同じにはなるまい、という思いで、自分を律している。

だから、ボケるわけにはいかない。
タガが外れて、彼女が暴走したら、なにもかもおしまいだ。
ボケる前に、体に死んでもらわないといけない。

                                               伽羅moon3

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