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2017年7月

伝わっていた。

わたしは、物わかりのいい母親を演じているが、
息子のことが、好きでたまらない。

可愛い。
見た目も好き。
しっとりとした大きな手、長くてまっすぐなまつ毛。

でももう、もちろん、誰にも言わないよ。
息子本人には、彼が小さいころは言っていたが、
中学生の「別に。」時代になったら、もう伝えなくなった。

小さいうちに、伝えたかったことは、
多分全部伝えられたと思う。


今は、親の役割は終わり、手を離れて、
大好きなお嫁ちゃんと仲良く暮らしている。
息子を幸せにしてあげられるのは、わたしではなく、
お嫁ちゃんなのだ。

大好きな息子を、大好きになってくれた子なんだから、
お嫁ちゃんが可愛いのは当然。
とっても礼儀正しく、でも明るくて自然体で、
いい子だ。


たまに、息子に、なぜに、ということなく、
メールする。

小さい頃、こんなことがあってね、可愛かったんだよとか、
今日は、幼稚園で使ってたお弁当箱を発見したんだよとか。

そしていつも同じしめくくりになる。

わたしは、母親として、未熟で至らない親でした。
正しい生き方を見せても来なかったし、
今も、親として正しい姿を見せてあげられていません。
でもね。
わたしは、キミのことを、世界で一番愛しているよ。

この世で、一番大切なのは、キミと、キミの心だよ。

わたしはもう、生きて両親には会えないと思うけれど、
そこに、何の後悔もないよ。
これでいいのです。

大好きだよ。可愛いよ。


面と向かって、言葉では絶対にもう言えないことを、
たまーに、メールする。

答えに困るので、息子からは返信はない。
うんでもなく、ありがとうでもなく、
ただ無言である。


来月、息子夫婦が、帰省してくれるので、
昨日、またちょっとメールをした。
もうおじいちゃんも、わたしを擁護はしてくれてなくて、
怒っちゃってるって噂だし、
おばあちゃんは、わたしの悪口を言いまわっているらしいです。

でもね、何の後悔もないよ。
死ぬまで会えなくて、平気です。
わたしにはキミがいるから。
大事だよ。
愛しているよ。



そしたら、思いがけず、今日になって、息子から返事が来た。

「そうだね。
人は、一つでも、大切なもの(人)がある人生なら、いいと思うよ。

自分はあまり深く考えないので、なるようになると思っているから、
もういいよ。

もちろん、今まで育ててくれた感謝は、忘れてないよ。

また遊びに行かせてね。」

こう書いてあった。
泣けたよ。

育ててくれたのは、キミのほうだよ。
至らない未熟な人間を母親にしてくれて、
どうしたらこの、ガラスのハートを守れるか、
必死に考えたのは、
キミがいつもわたしに優しくて、可愛かったからだよ。

育てさせていただいた、と思っているよ、とメールしておいた。
またいつでも遊びにおいで。


息子とわたしとでは、思考回路が違う。
こだわりも違う。
大切とするものも違う。

でも、わたしの思いは、理解はしてくれてた。
ちゃんと伝わっていた。


充分に愛された人は、充分に愛すことが出来ると思う。
そう信じたい。

神さま、
この上ない素晴らしい贈り物を、ありがとうございます。

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諦めなくて良かった。

わたしは、ムギに執着している。

可愛いとか、愛してるとかのほかに、
執着もしているのだ。

だから会えないときは、とても辛い。

まあいいか~とは、思えず、暗くなってしまう。


でもそれは、きっとムギだって同じように思っていて、
ムギが会いたいことだってあるだろう。
隣の家の屋根に来ている時は、明らかに、わたしに会いたい時だ。

他にも、アパートの階段を2~3段登ってるのを夫が見たことがあるようで、
ひょっとしたら、二階まで来ていることだって、あるかもしれない。

ムギがいくら会いたいと思っても、
わたしが出向いて行かなければ会えず、
逆にわたしが自分の都合で会いに行っても、
ムギが留守で、呼んでも帰って来れない日もある。


このところは、脅威になるものがないので、
大体庭やガレージに居る。

夜は警備についているのか、留守がちで、
呼ぶと、数分で走って帰って来てくれる。


でも、夕べはちょっと違ってた。

わたしが、カラーコピーを撮りに、コンビニに行こうとして、
夜中の12時に玄関を出たら、
ちょうど帰って来たのか、ムギが階段の下に現れたのだ。

お互いの顔が合って、「ムギちゃん。」と呼ぶと、
ムギは甘えた声で鳴いた。
 
「ムギ、階段、登って来れる? ここまで来れる?」と聞いたら、
行きたいけど行けないよ、怖いよ、という返事だったので、
玄関の内側にかけてある「ムギ袋」を手に取り、
降りて行って、ムギのリビングに行った。

会ってしまったものは仕方がない。
ムギもわたしについてきて、ムギのリビングに来たのだが、
わたしの履物が、いつものサンダル(偽物のクロックス)ではなく、
ちゃんとしたサンダルだったことに気が付き、
匂いを嗅いで、離れてしまった。

ムギは、「いつも同じ」であることに、異常に執着する子なのだ。

なので、仕方なく、
「じゃあ、ムギ、いつもの時間にママちゃんと来るから、待っててね。」
と言い聞かせて、
ムギ袋は洗濯機の上に置いて、コンビニに行った。

帰って来てしばらく作業をして、いつもの夜中2時に、
ムギに改めて会いに行った。

待っててね、と言っておいたのに、ムギは留守だった。

ムギは、「待っててね」という言葉を理解しているが、
ちょっと待たせすぎたのかもしれない。
お使いから帰って来たら、すぐに来てくれると思っていたのかもしれない。

なので、何回も、ムギを呼んだ。

パラパラと雨が落ちて来ていて、
風で門扉がギシギシ言うたびに、ムギかな?と聞き耳を立てる。

呼んで呼んで、20分待ったが、帰って来ない。

いくらテリトリーが広くても、
真夜中に「ムギ!」と叫ばれてるわけだから、
聞こえていないわけがない。
きっと何か、理由があって、帰って来られないのだ。

敵と対峙していて、膠着状態なら、帰って来ることは出来ない。

今夜は、会えないのか…。
コンビニから帰って来て、すぐに行ってあげれば良かった。

諦めて、立とうとしたとき、かなり遠くで、
ムギがわたしに呼びかけて来た。
あの感じだと、通りの向こう側だ。

ムギちゃん!と呼ぶと、さらにムギが鳴きながら、
走って帰って来てくれた。

ああ、良かった、会えたよ。
ムギ、遠くから帰って来てくれたんだね。
警備、大変だったの?
すぐには帰って来られなかったんだね?

ムギはゴロゴロと喉を鳴らしながら、わたしにピトっとくっついている。

ふと、匂う気がして、
シッポを持ち上げ、懐中電灯で、ムギのお尻を見てみた。

すると、やっぱり、そこから、草と、ウンちゃんが、出ていた。

ああ、ムギちゃん! 可哀想に!

草がちぎれてしまわないように、そーっと抜いた。
長い草が出て来て、お尻はスッキリした。
ウェットティッシュで、ちょっと拭いてやった。

ムギ、お尻、気持ち悪かったね。
辛かったね。
さっき会った時、しきりに鳴いたのは、これを知らせたかったからなの?
ママ、気が付くのが遅くてごめんね。
さぞ気持ちが悪かっただろうし、
男として、かっこ悪かっただろうと思うよ。

諦めて帰らなくて良かった。
待ってて良かった。
会えて良かった。
気付いてあげられて本当に良かったよ。


こういうことがあるから、ムギは夫と二人で見てあげないといけない。
普通の4本足のコなら、何とかできることが、
ムギには無理なことがあるのだ。

お尻がスッキリしたのが気持ち良かったのか、
ムギはゴキゲンで、二人で腹這いに寝そべって、
色んな話をした。

本当に、諦めなくて良かった。


今日から夫が出張で留守だ。
夕方、ムギのところに行こうとして、
郵便受けの郵便物を取り出そうとしてモタモタしていたら、
ガレージにいたムギがじれて、
「きゃ~ん。」と高い声で呼んできた。
「はいはい、今行くよ~。」

今日はいっぱいくっついて甘えてくれた。
餌ももりもり食べた。
お尻は綺麗だった。良かった。

夫が留守なので、庭の花に水をやっていると、
ムギがそれを変な顔で見ていた。
ママ、へたくそだな、と思ってたかもしれない。

遅くに帰って来る娘ちゃんたちのために、
玄関の外灯をつけて、リビングの窓のシャッターをおろす。

戻って来ると、またムギが甘えて来たので、
手からカリカリを食べて一緒に過ごした。

今夜もこのあと、会いに行くけれど、
いるかな?
呼んだら帰って来てくれるかな?

諦めずに待とう。

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とことんダメな日。

せんだって、膝を、やってしまった。

ムギは、人間が立って近づくと、絶対に逃げる。
こんなに親しくなったのに、それでも逃げる。

でも、お姑さんが入院して留守になり、
庭に出入りする人がいなくなると、
ムギは庭の真ん中で、ダラダラしていたり、
門扉のすぐ内側で、門番をしたりするようになった。

そういうときに会いに行くと、
庭の真ん中でローリングして喜びを表現してくれる。

その場合、「可愛いねえ~!」と大げさに愛でながら、
こちらがしゃがんで、その低い体勢で近づけば、
お腹をモフらせてくれることがわかった。

だいぶ、信頼を得たということだ。

なので、お相撲さんの稽古みたいに、
しゃがんで、じりじりと前に進むのを、やっていたら、
左膝を、やってしまった。


しゃがむと痛いし、正座も無理だし、
まっすぐ伸ばしていても痛い。
もちろん階段が辛いし、歩行も困難で、
立っていることもしんどい。

これは放置して治るタイプではないかも、と思い、
胆のうを摘出した病院に電話予約して、
整形外科に行った。

触診のあと、3方向からのレントゲン。

結果、「変形性膝関節症」だそうだ。
治る道はなく、痛みが治まったら、太ももの筋肉を鍛えるしかない、
と言われた。
ひどくしてしまうと、専用の膝サポーターを装着したり、
杖が必要になることもある、とのこと。

わたしは、ひどい0脚だ。
なので、その脚の形だと、どうしても膝や足首に負担がかかり、
悪くしやすいそうだ。

わたしが、歩くことが苦手で、立っていることも苦手なのは、
脚がひどい0脚だからでもある。
それは知っていた。

それから、半年で6キロも太ってしまったことにも、
もちろん、原因がある。

食べすぎた自分が悪いので、これは仕方がないけれど、
帰省のストレスで、ひどい過食をしていて、
やっと、父に理解されないことを自分が受け入れて、
娘を降りると決めて、
過食が治まったばかりなのだ。

本当に狂ったように食べていた。
毎晩お腹が痛くなるまで食べて、
色んな意味ですごく苦しかった。


病院を予約したと夫に話したら、自分が腰をやっちゃったときの、
薬用の湿布をくれた。
痛み止め成分が入っていて、効果があるそうだ。
ただし、貼った箇所は、紫外線を浴びないことが条件だそうだ。

貼ってみたら、確かに痛みは紛れたが、
ちゃんと知っておきたかったので、病院には行った。


脚がまっすぐで綺麗な人は、綺麗というメリットだけでなく、
疲れにくいというメリットも併せ持っている。
とてもうらやましい。



そんなこんなで、先週は、火曜日から土曜日まで、ずっと毎日、
出かける羽目になった。
わたしは、夏に弱いので、ばててしまい、
日曜日はもう、起きていられなかった。

宅配だけを受け取って、ムギのことは夫にお願いし、
ベッドで寝ていた。


夜になって、何か食べようと思い、
解凍してあった牛肉と、茄子を、フライパンで炒めていた。
塩・胡椒・ガーリックで味付けするつもりで、
それらの小瓶を並べておいた。

塩を少々。
次に、胡椒の小瓶を持って、ぐるぐる回してフタをあけて、
パッパ!と振ったら、
胡椒が、ドバーッと、フライパンになだれ込んだ。

一瓶、全部、入れてしまった。

…間違えた。
フタをくるくる回して開けて使うのは、ガーリックのほうで、
胡椒は、ピンとフタを跳ね上げると、
小さい穴が出現する仕組みだった。

具合が悪くてぼんやりしていたので、
間違えたのだ。

仕方がないので、具材をザルにとって、洗って、
もう一回炒めて食べたが、とてもまずかった。
あ~あ。
無理して作らないで、インスタントラーメンにでもしとけばよかった。
食べ終えてしばらくしてから、
遅くなると嫌になっちゃうから、食器やフライパンを洗った。
食器洗いのハードルはかなり高い。

ガスコンロも綺麗に拭いて、
使った台ふきんを、洗剤で洗って、ゆすいで、
漂白しようとして、洗い桶に水を張り、
水切りカゴの奥に置いてある、ノズルのついた漂白剤を持った。

そうしたら、なぜだかわからないが、
ノズルがボン!と外れて、
漂白剤を、ドバっとぶちまけたのだ。
「きゃあぁ~!」と思わず叫んだ。

胡椒どころの話ではない。
最もやっちゃってはいけないことを、やってしまった!

ちまが冷蔵庫の前にいたので、
「ちま! お部屋に入って!」と怒鳴って部屋に入らせた。

どうしよう、まず、何からやろう?

手の指の皮が溶けて来て、ヌルヌルし始めたので、
まずは石鹸で、何度も何度も、手を洗った。

それから、なぜだかはまっていなかったノズルキャップを、
しっかり本体に付けて、
漂白剤のボトルを念入りに洗った。

シンク周りを洗って拭く。

そのあと、膝も痛いのに、仕方がなく、
キッチンの雑巾がけをした。

キッチンマットは、ファブリックではなくPVCにしていたので、
そこには被害もなく、
床の色も、塗りではなく、木の色だったので、白くはならなかった。

おかげで、キッチンだけ、チリ一つなく、綺麗な床になった。

そのあとも、あちこち拭いて回り、
もう一度念入りに手を洗って、
ふと見たら、わたしが着ていたこげ茶のTシャツが、
オレンジ色の水玉模様になっていた。

脱いで、そのままゴミ箱に投入。


疲れ果てているのに、とことん、ダメな日はダメなんだなあ。

でも、腑に落ちない。

漂白剤のような危険なものを、蓋を閉めずに、
カゴの奥に置くことが不可能なのだ。

蓋が閉まっていなければ、持ち上げることが出来ず、
その、所定の狭い空間に入れることは不可能なのに、
なぜ、蓋が開いていて、ノズルが外れたのかが、不明である。

足元に、ちまがいないときで良かった。
次からは、もっともっと、慎重にことを行おう。

疲れちゃったよ。

でも、キッチンを雑巾で拭いたら、かなり雑巾が汚れたので、
今度、調子のいい日に、
部屋の方も、自力で雑巾がけしたいと思った。
いつも、クイックル頼みだけど、
人間ほどの力では拭いてくれてないからね。


そしてまた、月末でお金がない夢を見た。
いつまでこれに苦しめられるのだろう。

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天上界の果物。

わたしは、果物の中では、「桃」が最も好きだ。
猛烈に好きだ。

でも、桃は、高い。

今、お金に困っているわけではないが、
それでも、貧乏しか知らないわたしの人生において、
「桃」は特別な果物だった。

どんなに美味しいか知っている。
でも、買うことは出来ない。
桃を二個買ったら、3~4日は暮らせる料理が出来るからだ。


息子はブドウが好きで、初めて実家で食べてから気に入り、
次の年に、八百屋の店先に並び始めた、
出始めの高いデラウエアを、買って欲しいと
指さして泣いた。

けれども、買ってやれなかった。
780円もしたのだ。
その金額があれば、親子3人が3日は暮らせる。

泣いている息子の手を引いて、
わたしも辛くて泣きながら、帰った。

当時、知り合う人に、
こんなに貧乏な人はいなくて、
公園帰りに一緒にスーパーに行ったりすると、
平気で、5~600円する苺を買う。

わたしには、出せない金額だ。
だからもう、辛くて、息子も可哀想すぎて、
二度と誰かと一緒にスーパーに行くことはやめた。

息子が幼稚園の頃、仲良くしていたお宅には、
テーブルにいつも、山盛り、果物が置かれていた。
「うちは、お菓子代以外に、果物代が要るのよ~。」と
彼女はサラッと言ったが、わたしが黙っていると、
「あら? 果物、嫌いなの?」と不思議がられた。

そうじゃない。
日々、食べて行くことに必死で、果物に回すお金なんてないんだよ。


ずっとみじめだったし、わたしは我慢できるが、
息子が可哀想でたまらなかった。

たまーに、もう値引きされてひと房100円のデラウェアを、
冷蔵庫にポツンと入れておくと、
帰って来て見つけた息子は、わーいと喜んで食べた。

グレープフルーツは、丁寧にむいて、
キレイに実を取り出せたものを息子に食べさせ、
失敗したボロボロの部分をわたしが食べた。

桃は、汁がしたたらないよう、細心の注意を払ってむき、
カットして息子に出し、
わたしは、種のまわりの、すっぱい部分を吸った。
どんなカケラも拾って食べた。



再婚してから、息子に会うたびに、デパ地下に行き、
肉とか、お刺身とか、ウナギとか買ってやり、
その季節の果物も、必ず買ってあげた。

貧乏ごめんね、取り戻せてるかな、と聞いたら、
息子は、「うん。」と答えてくれた。
松屋浅草で買った黄桃、美味しかったね!


今、もちろん、生活には困っていないが、
桃を買う、勇気を持てない。

今でも、桃はとても高いのだ。

大好きなのだが、八百屋で眺めては、
ため息をついて、帰る。

そしたら、わたしの若い友人が、
叔母さまが果樹園をやっていらっしゃるとのことで、
頼んでくれて、今日、立派な桃が届いた!

B級品でいいので、と言っておいたのだが、
見事に大きくて美しい桃が、箱にびしっと入っていた。

幸せだ。
幸せだ。
息子にも食べさせてやりたいよ。

小一時間冷やして、さっそく一つ、いただいた。

果肉は固く、しっかりしていて、
わたしがこの前、値引きになってたのを買ったものとは、
まず、重さと感触が違った。

わたしの手には乗り切らないくらい、大きい。

汁が滴らないように、そーっとむく。

カットして、水色の器に入れて、
最初に、昔のように、種のまわりを吸った。

酸っぱい。
でも、このあと、本体部分を食べられる。

すごく味が濃くて、甘くて、最高に美味しかった。

わたしは、幸せすぎて、切なくて、
泣きながら食べた。



自分で、働いて、お金をかけて、高いものを買うのは、
いいことだ。
でも、こうして、人さまからいただくものには、
愛情もこもっている。

ありがたくて、うれしくて、美味しくて、
泣けた。


母屋にもおすそ分けをした。

娘ちゃんたちは、高いものをいただくことには慣れ切っているので、
こんなありがたみは、全然感じないだろう。

息子にあげたら、どんなに喜ぶか。
食べさせてやりたい。

でももう、息子は、きっと自分で買える。
その時に、桃がいかに貴重で大切かを、
あの子なら、わかって食べる。



「桃」は、古来、中国では、
豊穣を現し、天上界(天国)に実っている果実であるとされ、
大切に扱われてきた。

先のとがった、あの桃のモチーフが、
中国柄に多く登場するのは、そういうわけだ。


わたしと、急死なさったカウンセラーさんは、
わたしが当時働いていた、人形屋で出会った。
彼は、イギリスに住む姪の子供の、五月人形を、
探しに来ていたのだった。

海外に送れるものとなると、選べる範囲がぐっと狭くなる。
ガラスケースを送るのは無理である。

なので、わたしは、木目込み人形で、
ケースなしで黒い台座のついている飾りを勧めた。

海外に送る。
予算は2万円。
何か、オブジェクト的なものを、と言って
探していらした。

わたしがお勧めしたのは、2種類で、
一つは、「犬張り子」の上に、
紙の兜をかぶった男の子が乗っているもの。

もう一つが、美しいピンクのグラデーションで作られた桃に、
やはり紙の兜をかぶった男の子が乗っているもの。

犬張り子とは、平安時代から、子供の守り神とされています。

桃は、天上界に生る、最も高貴な果物で、
豊穣の象徴でもあります、と説明した。

彼は納得して、
では、他の店もちょっと見てきます、と言って出て行った。

けれども、わたしには、
彼が戻って来て、この店で買うだろうとわかった。

梱包の人が休みの日だったので、
わたしは自分で、海外に送れるような梱包を、
もう用意しておいた。
そうすれば、ここですぐに持ち帰れる。

一時間もしないうちに、その人は、やはり戻って来た。
そして、犬張り子と、桃で、迷ったが、
桃の方を買うと言ってくれた。

他の大店さんでは、ケースなしで、この作家さんの作品を、
売ってはくれないことを、
わたしは事前の調査で知っていた。
しかも、店員さんたちは、季節だけ派遣される素人さんで、
由来も柄の名前すらも知らないのだ。


梱包をしながら、少しお話したら、
職業が、心理カウンセラーさんなのだとおっしゃった。

今日はプライベートなので、名刺が…と言いながら、
財布に一枚だけ残っていた、ちょっと汚れた古い名刺をくださった。

そうやって出会った方だったのだ。


「桃」は、豊穣の証し。

ありがたく、ありがたく、いただく。

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けなげなうちのコ。

ちまは、情緒の安定した猫だ。
だからわたしと一緒に暮らしていられる。

いつも機嫌が良くて、シッポがピンと立っている。
撫でたり、すぐそばで寝転んで話しかけたりすると、
ゴロゴロ言って喜んでくれる。

怒ったことはない。
不平不満を漏らすこともない。
文句も言わない。

その代わり、ご飯ちょうだい、以外は、あまり話しかけてこない。

それに比べると、ムギはまるで、人間の子供のようなのだ。

こちらの言葉を確実に理解している。
ちょっと待っててね、と言えば、ちゃんとじっと待っていてくれる。

わたしの帰りが遅くなり、会いに行くのが遅れると、
盛大に文句を言う。

普通のお喋りをしてくれる時もある。
何を言っているのかは解明できないが、喋ってるので、
「へえ~、そうだったの。ふんふん、そうなのね~。」と聞いてやる。

ムギは怒る。
撫ですぎると、「ンギャ!」と怒る。
写真を撮られるのもあまり好きじゃなくて、
調子に乗って何枚も撮っていると、
「もういいだろ!」と怒る。

「いや~ん。」と鳴く。
これは、本当に嫌な時に鳴くので、
よくお姑さんと、それで会話していた。



「食べたい。」時の声も、特殊なので、よくわかる。

ムギの声は、高くて丸みのある、すっごい可愛い声なのだが、
「食べたい。」時だけ、低く「にゃー。」と鳴く。

敵がいるんだよ、というときの鳴き方も、もうわかった。

線路の電線に鳥が止まっていると、
「カカカカ!」と鳴く。

ふてくされて、いじけて、シッポだけ見えるように隠れてみたり、
かと思うと、嬉しさが極まって地面でローリングする。

ムギは、本当に面白い子だ。



でも、わたしには、二匹を同時に飼うことは、無理だった。
自分が未熟すぎて、全然うまくやれず、
ムギが部屋にいる期間は、誰一人として、幸せではなかった。

ちまは、一生懸命頑張ってくれたのだが、
苦労をかけたせいで、真っ黒だった背中に、
一気に白髪が出てしまった。

ムギも、楽しそうにはしてなかった。
幸せそうじゃなかった。

わたしはノイローゼになった。



わたしは、子供とお年寄りが嫌いなので、
自分が子供を持つということを、特に考えもせずに、
結婚した。
すぐ、息子を授かった。
だから、産んで育てられたが、
よくよく考えたりしたら、わたしには子育ては無理!って、
尻込みしたかもしれない。

そもそも、自分に兄弟がいないので、
兄弟を、どう育てればいいのかがわからない。

でも、もし息子の下に子供ができたら、
「お兄ちゃんなんだからね!」と、たしなめることは絶対にすまい、
そのために、「お兄ちゃん」ではなくて、
お互いに名前で呼ばせ合おうと考えていた。

息子のガラスのハートを、いかに下の子から守れるか、
不安だった。

でも、二人目を授かることはなく、
夫婦仲が悪くなって、離婚を決めた。



ムギには、夕方と、夜中寝る前に会いに行っている。
夕方は大体家の庭かガレージか、せいぜいお隣くらいにいる。

夜中は、真冬は小屋にこもっていることが多かったが、
今は小屋には入っていない。
小屋の窓は開け放ち、パイル地のベッドを入れてあるが、
どこかもっと涼しい場所を知っているのだろう、
小屋に入っていることはない。


夕べ、夜中、会いに行ったがやっぱり留守だった。
このところ、ムギのテリトリーを悠々と横切っていく、
図太い憎らしいノラ猫がいるので、ムギは警備に忙しい。

それでも、2~3回呼べば帰ってきてくれていた。

けれど、夕べは呼んでも呼んでも帰って来ず、
諦めて、夫に報告メールを打っていたら、
ガサガサガサ、と音がしたので、裏の土手を見やると、
土手の草の中を、掻き分けて降りて来る猫が見えた。
「ムギ? ムギなの?」

もちろん、ムギだった。

どうやら今夜は、線路の向こう側で、戦っていたらしい。

ずっとわたしが呼び続けていたので、戦いを一時休戦して、
帰って来てくれたようだった。
わたしにくっつきながらも、目はずっと土手を見ている。
予断を許さない状況らしかった。

なので、
「ムギ、じゃあさ、敵がまた来ちゃう前に、栄養補給しようよ。」
と提案して、ちゅーるを見せた。
ムギは、低く「にゃー。」と鳴いて欲しがった。

急いで器に絞り出してやって、
どうぞ、と置いたら、嬉しそうに舐めた。

軽い見回りをしながら、何度も甘えて寄って来る。
甘えたいし、でも敵が向こう側にいるし、
ムギ、大変だね。

夕方、シーバをやらなかったので、シーバもやって、
愛情と気力のチャージも終了。

ムギ、ママ帰るね、と言ったら、
ムギが先に立って歩いて、門の外に出た。

アパートの角の柿の木で爪とぎをして、わたしを見つめる。
「ムギ、階段登って、上に来てみる?」
そう聞いたら、ムギはシュタッと降りて、
一声、「にゃ~!」と元気に鳴くと、
角を曲がって通りのほうに走って行った。


けなげなかわいい子。
頑張ってね、と声をかけた。

ムギは、毎日、頑張って生きている。
とても尊いと思う。

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類は友を呼ぶのかの話。

昔から、「類は友を呼ぶ」という格言がある。
これは、良きにつけ悪しきにつけ、似た者同士が集まるものだ、
という意味である。

それは確かに、そうだと思う。

そして、その真逆もある。

凹と凸が、ぴったりと合うように、
全然違うタイプの人が、補い合って成立するパターン。
これも、おもしろい仕上がりになる。
音楽バンドなどは、こっちがいいのではないだろうか。



わたしが、樹脂粘土を仕事としていた時、
広い部屋があるマンションに越して、お教室も開いた。
教室は、好きな仕事ではなかったが、
制作を続けるために必要な資金を集めることが目的だった。

また、相手先が大手だと、
仕事を依頼する時に、
こちらから出向くのではなく、必ず、向こうから見に来るのだ。

本当にちゃんと、工房を構えてやっているのかどうか、
信頼して任せられるかを、視察しに来る。

そのために、高い家賃を払って工房と教室を開いたのだった。
生活は困窮し、苦しかった。
けれど、大手デパートから声がかかり、
本部から人がやって来て、契約し、
数年にわたり、そのデパートで仕事をもらえたのは、
その部屋を維持していたからであった。



教室を開いている時、生徒さんは全員女性で、
20代後半の人がほとんどで、たまに、40代以上の人もいた。

その頃、流行ったものが二つあった。

一つは、
「話を聞かない男・地図を読めない女」という本で、
初めて、「男脳」と「女脳」に、明らかな違いがあるために、
両者は理解し合えない、と書かれた海外の本だった。

男性の脳と、女性の脳は、そもそも、形が違う。
女性の脳は、脳幹という部分が太く、
右脳と左脳を太く繋げることが可能なので、
複数のことを同時にこなせる、という説明だった。

テレビのついた部屋で料理をしながら片手では電話で喋る、
それが女性には可能だが、
男性の脳は、左右の行き来が少ないため、
同時進行が難しく、
洗面所で、仁王立ちになって、ただ、歯を磨くことしかできない。

しかし、男脳は、窓のない部屋に閉じ込められても、
どちらが北であるかがわかると言う。
道路の両側の色が乱れた看板から、
行きたい店を探すことは出来ないが、
400メートル先を右折、と言われたら、その400メートルはわかる。

物が氾濫している冷蔵庫の中で、
男は、目の前にある、バターの箱を見つけることができず、
すぐに、おーい、どこだ?と妻を呼ぶ。

女は地図の見方がわからず、車の向きに合わせて地図をぐるぐる回す。

これらは、すべて、脳の形の差で決まる、ということだった。


その本には、「男脳・女脳テスト」がついていて、
自分が、男脳と女脳の、いったいどのあたりに位置するのかを、
調べることが出来た。

一緒に仕事をしていた男は、完全な「男脳」だった。
男脳の中でも、最も下に位置していた。
息子もまた、はっきり、「男脳」だった。

ところが、わたしは、どちらでもなかった。

男脳と、女脳の中間にある、細いグレーゾーンの中の、
一番、男脳に近い箇所だった。

女性らしさに欠けるのだろうか?と思った。
謎だった。

面白かったので、お教室に来る女性、みんなに、
このテストをやらせてみた。

データとしては8人分くらい集まった時に、
「おかしい。」という話になった。

全員が女性なのに、「女脳」の人が、一人も、出て来ないのだ。
全員が、グレーゾーンなのだ。

これ、おかしくないか?とみんなで話し合った。
もしかして、世の中、女脳の人なんていないんじゃないの~?と
笑ってた。

ところがその後、たった一人だけ、
めっちゃ「女脳」の子が出た。
びっくりした。

女脳の人は、ちゃんといるんだ。
じゃあ、わたしたちが、本来は、少数派なのか?


わたしが作る作品や雑貨の世界観に惹かれて、
お客様になり、生徒さんにもなった人たちなので、
どうやら、感性の似た人が、集合したらしい、と、
思うしかなかった。


また、その後、「動物占い」というものが、大ヒットした。

これは、生年月日を使って作り出した数字を、
12種類の、動物に当てはめて分ける、というものだった。

占いとは、霊感を持たない人がやる場合は、
はっきりと、「統計学」であるので、あながち外れでもないはずだ。

そして、この占いでも、不思議なことが起きた。

12種類も、動物が用意されているのに、
わたしと、相方と、息子は、全員、「コアラ」だった。

そして、お教室に来ていた10人くらいを調べてみたら、
「コアラ」と、「ひつじ」に二分されていることがわかった。
しかも、圧倒的に、コアラの優勢だったのだ。

12種類も動物があるのに、
同じ種類の人が、この場所に集まっているということになる。

統計学であるので、これについては、とても面白かった。



余談であるが、生まれた日の月の形を調べる本を持っていた。
生き物は、満月の夜に生まれやすい。
サンゴが、満月の夜に、大産卵をするのと同じように、
人間だって、満月には出産が増えるし、
真昼間に生まれる子より、夜中に生まれる子の方が多い。

これは、地球が、月の引力による、潮の満ち引きに、
あらゆる影響を受けているからだ。

わたしと、息子は、同じ月の形の日に生まれた。
27日月、という、三日月とは逆型の、細い月の日だった。


統計学は、面白い。
地質学も、面白い。
もっといろんなことを知りたいが、
残された時間は長くはないので、
今持っている本を、もう一回読み返すのが精一杯だろう。

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出会いは用意されてある。

人と人との巡り会いは、
本当に不思議なことが多い。

人格も生活も育ちも、何も知らないのに、
「一目惚れ」が起こるのは、
その出会いが、あらかじめ、用意されているものだからだ。

一目惚れ、という言葉が当てはまらないにせよ、
なんらかを、感じる相手って、実際に結構いるものだ。

それは、そこそこ、ご縁のある相手である。

出会いは、用意はされているが、それを生かすか無視するかは、
今生の選択による。

どちらがいいのかという、正解はないと思う。
それぞれの過程と結末がある。
それによって得る学びも、また変わって来る。


前夫とは、同じ会社で知り合った。
わたしは高卒で働いており、
前夫は、大卒で入社して来たので、
年は下だが、わたしのほうが先輩だった。

新入社員がまとまって廊下を歩いているのを見て、
ふと、前夫の顔に目が行った。

それはもしかしたら、好きなタイプの顔だったかもしれないが、
印象に残った。

その頃、わたしには、熱心に付き合いたいと言ってくれている男性がいた。
隣の職場の人で、家もわりとと近く、
3歳くらい年上だったと思う。

その人も高卒で働いていて、会社での評判は悪くなかった。
人柄も良くて、喋っていると、楽しいのは楽しいのだ。

でも、わたしは、恋人になることには、なにか、
抵抗があって、迷っていた。
返事もしないまま、たまに食事をしたり、
ちょっと飲みに行ったり、
ドライブして喋ったりするだけだったが、
あるとき、自分が持っている「違和感」の正体を知った。

わたしが、泣いていた時、こう言われたのだ。
「もう泣かないで。キミには涙なんて似合わない。笑って。」

その瞬間に、あ、この人とは、ダメだ、と悟った。


まず、恋人になったとしても、性的なことをする、予想が浮かばない。
人としては嫌いではないのだが、
男女の仲になることを、想像できないのだ。

それに、わたしに恋するあまり、性急で、
お姉さんの家に連れて行かれて、
すごい歓待されてしまった。
まだ小さい(一歳未満)の赤ちゃんがいたのだが、
3人は、その赤ちゃんをめぐってメロメロで、子供が大好き!という。

わたしは、赤ちゃんを触ったこともないし、
正直、子供とお年寄りは、嫌いだ。
なので、「可愛いでしょ! 赤ちゃん好きだよね?」とか言われても、
困る。
可愛くないし好きじゃないと、言えなかった。

そして、「キミには涙は似合わない。笑って。」と言われて、
ああ、この人とは無理なんだ、と理解した。


わたしは、非常に暗い人間である。
一人で何かをやっていることが好きだ。

親が泣くことを許してくれないので必死に耐え、
自分の部屋で、声を押し殺して泣いて生きているのに、
「笑って!」という人と、一緒に生きて行くことは無理、と
悟った。


それで、友達としてならいいけど、恋人にはなれない、と
返事をした。

そのあと、前夫と、付き合うようになった。

前夫は、わたしが泣いていると、黙って泣かせておいてくれた。
それで充分だった。

新入社員の群れの中で、ふと目が行ったのは、
結婚する相手だったからなのだ。

そしてそれは、単に、
息子を授かるためだけの、結婚であって、
他の意味はないのでもう考えなくていいと、
インド人のヒーラーさんに教えてもらった。


今の夫と初めて会った時も、わかった。

昼間から始まった飲み会の二次会で、
夫はもう、べろんべろんに酔っぱらっていた。
そうなると、どっしりと動かないタイプの人なのだ。

ところがその日、遠いテーブルに座っていながら、
わたしを見つめている視線に気が付き、
見ると、夫がわたしを見ていた。
わたしは、そのとき、こう感じた。
「こういう人って、わたしのことを好きになるんだよな~。」

上から目線だけれど、そう思った瞬間、
夫が立ち上がって、ヨロヨロしながらわたしのところに来た。

空いていた隣の席にどかっと座ると、
酔っぱらった目をして覗き込み、
「どうしてこんなところにいるの?」
と、聞かれたのだった。

どうして、って…。
わたしは別に、場違いな場所に居たわけではない。
いるべき場所に居たまでで、
初対面の人に、どうして?と聞かれても、答えようがない。

わたしは夫に名前を聞き、わたしも名乗り、
その後は、会う機会があれば、挨拶するようになった。

けれども、ベロベロに酔っていた夫には、
わたしのところに来て、話しかけた記憶が抜けている。

気になって、見ていたのは事実だと思う、と言っていた。


そのときは、わたしには、付き合ってる彼がいて、
その後、逮捕されてしまうのだけれども、
夫はわたしと付き合いたがっていた。
と言うよりも、最初から、結婚の話しかしなかった。

わたしにはそういうつもりはないから、
他にいい人を見つけなさいよ、応援するから、と
いつも言っていた。

でもそんなことが続いて、飲み会の席で、夫が、
明日、デートすることになった、今までアドバイスありがとう、と
一言言って、ガクッと首を垂れて、寝た。

そうなんだ、よかったじゃん!ってわたしは答えたのに、
悲しくなんてないのに、
夫は横で寝てしまっているのに、
わたしは隣で、ボロボロと涙を流していた。

何で泣くの?
なんでこんなに涙が出るの?
ストーキングされて、迷惑してたんじゃない。
喜んで送り出してあげたらいいだけじゃない?



わたしは、刑務所に通いながら、
激しい出血と戦いながら、
働きながら、
日々を生きていた。

やがてわたしの糸は切れ、
夫の庇護に入った。

そうして今の幸せな人生がある。



弁護士Zに初めて会った時も、不思議だった。

逮捕された人の弟さんが紹介してくれたのだが、
会うつもりがあったわけではなかった。
ただ、弁護士の電話番号を伝えたあと、
弟さんは、携帯電話を変えて、わたしから逃げた。

なので、一応、弁護士さんに電話だけでも、と思って、
翌日、拘置所の前で、電話をした。

あの時、なぜだか、ものすごい妨害電波が出ていて、
彼女の声が、途切れ途切れにしか聞こえなかった。

わたしが黙ると、ごうごうと音を立てる電波の向こうで、
「もしもーし! 聞いてるのー? もしもーし!」
と、必死に声を掛け続けてくれていることに、
何だかちょっと、心が動いた。
ちょっと会うくらい、会っておいた方がいいのかも、と思い、
職場に電話をして、今日は休むと伝えた。

一緒に活動してくれていた友人に、
弁護士に会ってみようかと思うけど、とメールすると、
一緒に行く、と言ってすぐに午後、休みを取ってくれて、
落ち合って、出向いた。

部屋に通されて、座って待っていると、
彼女が、さっそうと現れた。

その時、わたしは、ひどく動揺した。

ああ、同じ種族の人が来ちゃった、と、感じたのだ。

出来れば、こんなことになっちゃったことを、
知られたくなかった親戚が、来ちゃった、みたいな感じ。

うまく説明できないけれど、近しいがために、
嫌だなあと、いうのが、最初の印象だった。


そこでわたしが保証人にされているのは、
「腎臓売って金作って来い!」と言って誹謗を浴びた、
非常に悪徳な業者であって、今、あなたはとても危ない、
すぐに、自己破産の手続きに入る、
必要な金額は20万プラス30万で、無理なら分割でも、
と、サラサラ喋るので、
わたしは、「待ってください!」と制した。

その時、わたしには、別れるつもりなんてなかったし、
自己破産しようとして、来たわけじゃないし、
そもそも、50万なんて、たとえ分割でも払えるわけもない。

制しておいて、どうしたらいいかわからず、
わたしは下を向いて黙っていた。

あまりにも世間知らずで、非力だった。

そうしたら、一緒に行った友人が、
「お金はすぐに払えますから、手続きに入ってください。」と
言ったのだ。


そんなことになるまでは、ただの飲み友達だった。
まさか、お金を出してくれるだなんて、考えたことがなかった。

でも、彼のその一言で、即日手配がされ、
悪徳金融からの電話などは、すべて弁護士により、
制止されたのだ。


のちに、弁護士Zは、こう言った。

なぜだかわからないが、個人的にシンパシーを感じた。
あまりにも世間知らずで、弱弱しく、
これでは荒波を乗り越える力はないだろうから、
何とかしてあげないと、と、思ってくれたそうだ。

だから、本来は、わたしの自己破産だけを担当する弁護士だったのに、
色んな相談に乗ってくれ、
彼の裁判の時には、時間を都合して、傍聴しに来てくれたのだ。

判決の日にも、来てくれていた。
白いラメ入りのツィードのスーツを着ていた彼女は、
とても美しく、会話は明朗で、
わたしたちグループは、全員が彼女のファンになった。


こうして、周りの人たちの善意に救われ続けて、
今のわたしがある。

人とのご縁は、用意はされているが、
つかんで、育てるのは、自分の力なのだ。

感謝しながら生きて行くよ。

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不思議なことってあるもの。

この世の中には、こんなに色々進歩していても、
説明がつかない、不思議なことって、ある。

わたしが突然、ガラケーからガラホ持ちになったことは、
先日書いたようないきさつだったのだが、
その際に、不思議なことが起きていたのだ。

それは、ストラップの話。


今はスマホ全盛期で、ガラケーに付けられるようなストラップが、
まあ、売ってない。

わたしは、携帯を何台替えたか思い出せないが、
4台分ぐらいにわたって使っている、
お気に入りのストラップがあった。

デザイナーズの小物シリーズで、東急ハンズで買った、
「アンカー」という名前の、濃いオレンジ色のストラップだった。

その時使っていた携帯が黄緑だったので、その色に決めたのだ。

その後、携帯本体は、ピンクと黄緑を行ったり来たりしてきたが、
「アンカー」は、ずーっと使っていた。
指に挟むと絶対に落とさない形になっていて、
とても気に入っていたのだ。

けれども、10年以上使って、とうとう、丈夫なストラップ紐も、
擦り切れてしまい、いつ切れてもおかしくない状態だった。

でも、その時には世間はスマホ到来で、
携帯のストラップなんて、売ってなかった。
なので、仕方なく、以前、手拭い屋さんの福袋に入っていた、
手ぬぐい生地で出来た平紐のストラップに、付け替えた。



そしたら翌日、わざわざそこに、味噌汁をこぼした。

ベースがベージュだったので、そんなにひどいことにはならなかったが、
気分がすごい落ち込んだ。


去年の暮れ、カウンセリングの帰りに、和物を売っている雑貨屋で、
編んだ紐のストラップを見つけた。
すごく綺麗だし、平紐タイプだったので、
これはいい、と思った。

こんなものを売っているチャンスに巡り合えるとは。

二年前、実家の母が、最初につけてあげた紐のストラップが、
ダメになっちゃって、
何だが知らないキャラクターのをつけてるんだけど、
気に入らない、と言っていた。
その時にはもう、携帯用のストラップなんて売ってない状況だったから、
「もう、それで我慢しなよ。売ってないんだよ。」と
わたしは母に言ったのだ。

その場で、母に「携帯の紐ストラップ、欲しい?」とメールしたら、
「ほしいです。」と返事があったので、
一番派手な色のを一つ買った。

そして帰って来て、眺めて、うん、これはいい、と思った時、
はたと気が付いた。

わたしは、何で自分の分を買わなかったのか?と。

わたしも、味噌汁がしみ込んだストラップなんだから、
色違いで、あれを買えば良かったのに。
1,080円だったのに。

あ~あ。なんでだろ。
買えば良かったよ。

再来週、またあの店に行って、売れ残っていたらいいなあと、
思っていた。



そしたら、次の日に、まったく予告なしで、
友達から郵便が届いた。
何かを送るねとも言われていなかったので、何だろう?と見ると、
なんとそれは、紐型の、携帯ストラップだったのだ!

ええ? 
どういうこと?と、
一人で鳥肌が立っていた。

そうか。
そういうことになっていたんだね。

それは、紐を仕入れて、彼女が手作りしてくれたものだった。

合点が行った。

予感なんて感じなかったけれど、そういうことになっていたんだ。
わたしは非常に納得した。

不思議なことって、あるね。



けれど、この話は、ここで終わりではなかったのだ。

友達が作ってくれた、紐のストラップは、2色入っていた。
大まかに言うと、黄緑と、ピンクだった。

わたしが使っていた携帯は、黄緑であった。
でも、ピンクのほうのストラップにも、黄緑の糸が入っていて、
そっちでも似合う。

どうしようかな~と悩んだが、わたしは、友達に、こうメールをした。

「わたしは、スマホにはするつもりがなく、年を取ったら、シニア用の、
字がやたらでかくなるガラケーで行くつもりです。
でも、その時にはもう。黄緑色の携帯は、生産されないと思うの。
あって、ピンクだと思うので、ピンクは残して、
今回は黄緑を先に使うね。」

友達は、「また作ってあげるよ~。」と返事してきたが、
とにかく、黄緑の携帯に、ピッタリな黄緑の紐ストラップを、
つけて、ご機嫌だったのだ。


それが、12日に、家に帰って来て、
ムギのところに行こうとして携帯を手に取ったら、
ストラップが付いていなかった。
ええ?
今朝、鞄に入れた時にはちゃんとついてたのに!
何も乱暴してないのに、と思い、
鞄の中を探すと、携帯に通す方の、細い紐が切れていて、
ストラップは、鞄の中に落ちていた。

しょんぼりした気分になった。

でも、また作ってあげるよ、と言ってくれてたし、
じゃあ、ピンクのをつけるか、と思って、
ピンクのストラップを新しく付けたのだ。


そして翌13日。

わたしは、思ってもいなかったのに、
突然、携帯を機種変することになった。
そして、当初発売されていた黄緑は、売り切れでメーカにもなく、
パンフレットからも除外されていて、
選べたのは、ピンクだったのである。


わたしのものになった、ピンクのガラホに、
わたしは、ピンクのストラップ紐を、つけた。

あつらえたように、ピッタリで、
ああ、こういうことだったのか、と、合点が行った。


たかがストラップなのに、こんなドラマが裏で起きていたのだ。

不思議なことって、本当にあるんだよね。

これが、人との出会いになると、またグンと神秘的になる。


科学では説明できない「縁」が、
世の中をぐるぐると、回っている。

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少しずつ進捗。

13日は、東京のお盆で、
久しぶりに、ご住職が直々にお経をあげに来てくださるそうで、
わたしにも、予定をあけて、会っておくようにと夫に言われた。

これまでは、お仏壇がお姑さんの部屋にあるし、
お盆は平日で、夫は休みじゃないし、
お姑さんが執り行って来たのだが、
去年から夫が、長女も休ませて、やるようになった。

でも、本物のご住職ではなかったし、時間帯も午前中だったため、
わたしは免除されていた。

今年は幸い、いらっしゃるのが午後で、
さらに、お姑さんは入院中で留守。
しかも、久しぶりに本物のご住職が来てくださるとのこと。

それでわたしにも召集がかかり、
わたしは美容院の予約を変更してもらって、
参加することにした。

準備は全部、夫がやった。
お花も綺麗だったし、ほおずきを灯り代わりにご先祖様が来るらしく、
お仏壇に縄が掛けられ、ほおずきが3個、下がっていた。

お経は、ビックリするくらい短かったが、
わたしは正座ができないので、腰かけさせてもらい、お経を聞いた。



ご住職が帰られたあと、ちょうど長女がいて、都合がいいから、
先日の、葬儀の説明をしておいて欲しいと夫に頼んだ。

夫とわたしの間だけで了承がなされていてもしょうがない。
実際に、即、支払いが必要な場合は、
わたしにはお金がないので、子供たち3人で相談して、
先払いしておくように、と夫が伝えてくれた。

相続の際に、払った金額を差し引いてから、分ければいい。

夫の先妻さんのすぐ上のお兄さんも、突然死だったので、
先妻さんの一番上のお兄さん(故人)の奥さんが取り仕切って、
先に立て替えて払ってくれ、あとで精算したそうで、
長女は理解を示していた。

そして、長女にも聞いていて欲しかったので、
「あなたが急死してしまったあと、口座が凍結されている間の、
わたしの生活費のことなんだけど、」と
話を切り出した。

出したくなくて出さないのではなく、わたしには本当に、
現金が与えられていないのだと、
長女にも知っておいてもらいたかった。

あなたは銀行口座はいったいどこのを持っているの?と初めて尋ねた。
夫は数か所に分散しているらしく、
通帳もいっぱいあるようだった。

わたしの口座を開くときに、夫が裏の定期に、
50万入れてくれた。
そして、これは、使っていいお金じゃなくて、これだけの残高があれば、
休日や時間外手数料がタダになるから、
入れておくだけで、キミのお金ではないからね、と言われた。

なので、夫はとりあえずそれを使えば、と言うが、
あれはあくまでも、色々便利なので、入れてある金額であり、
お金と言う認識はわたしにはない。
使っていいものとも思えない。

今は、昔と違って、口座を開くのが大変になってしまったし、
仮に新しく開設出来ても、まとまった金額を下ろそうとすると、
振り込め詐欺じゃないですか?とチエックが入るし、
いろいろ、面倒だ。

結果、その裏の定期に、お金を足しておいてもらうことになった。
それだと、わたしの口座だし、
普段は絶対に手をつけないし、
面倒なやり取りが何もなくて済む。

そうしてもらうことになった。

とは言え、いったいいつ、やってくれるのかは、不明。

死は、病気だけでなく、もらい事故でも起こりうるので、
早く手配しておいてもらいたいのだが、
ここまで言ってもダメだと、別の手を考えなくてはならない。

安心させてもらいたいなあ。
使い込んだりしないのになあ。



お盆の迎え火を焚いた後、夫が、
auのガラケーのネットサービスが、終了してしまうという、
お知らせが来ていて、
お姑さんの古いガラケーを機種変してあげようと思うとのこと。

もう、携帯を使いこなせないとは思うが、
時々いじっているらしいので、
もう要らないよな、と取り上げてしまうのは可哀想だからと、
思ったらしい。
お母さんには優しいね。

それで書類を読んだら、当然、現在ガラケーのわたしにも
関係してくる内容だったし、
よく見たら、一通はわたし宛に来たものだった。

ガラケーで、ネットワークを使うのは、
毎日天気予報を見ること。
乗り換え案内を調べること。
お店の電話番号などを調べるなど、
多くはないが、ネットが全く使えなくなるのは困る。

なので、わたしも同行することにした。


平日だったので空いていて、すぐ窓口に案内された。

詳しくて、押しつけがましくない、感じのいい店員さんだった。


色々教えてもらって、結果、
お姑さんのも、わたしのも、ガラケーから、「ガラホ」に
機種変することになった。

形と操作は2つ折りガラケーのままで、
スマホの機能が追加されたものだ。

夫は、お姑さんが使わなくなったら、
自分が2台持ちして、使うからいい、と言って機種変した。
お姑さんのはすごく古くて、もう保証も部品もないのに、
ずっと保険も払って来ていたので、ゼロ円で新しいものが入手できた。

わたしのは、まだ3年弱くらいしか使っておらず、
本体のローンもまだ払い終えていなかった。

けれども、今のわたしのガラケーは、
上限まで毎月使われているそうだ。
通話はあまりしないが(問い合わせやクレーム以外使わない)
写真付きのメールを頻繁に送ったりもらったりするので、
そこにお金がかかっているらしかった。

ガラホは、なんと、家にいれば、家のWi-Fiが使えるとのこと。
つまり、家にいる時は、パケット料金がタダなのだ。

わたしの部屋でも、ムギのところに行っても、
Wi-Fiが繋がるように設定しておけば、
パケット代が安くなり、今現在よりも、結果的に、
安いくらいになるかも、というところに、夫が惹かれた。

ローンを払い終わるのは来年5月だったが、
その前に、ネットのサービスは終了してしまうし、
天気予報を見て、ムギの世話をどうするかを決めているため、
とにかくいつも最新の天気予報は見たい。
今後、一人でauに来て、色々説明されても、どうせ理解できないし、
夫にゆだねたら、今日、機種変してしまってもいいよと、
言ってくれた。

なのでお姑さんと同じ「ガラホ」に替えたのだ。

カウンセラーさんが、このガラホの黄緑に替えたばかりで、
その色が良かったのだが、
売り切れで、メーカーにももう在庫は無く、
パンフレットからも削除されていた。

色が白・黒・ピンクしかないので、
お姑さんのは白にして、わたしはピンクにした。

本当は、探すとき、黄緑が一番見つけやすい色なのだが、
ピンクも、内側がチョコレート色で、おしゃれだった。

こうして、形は携帯だが、
一応、スマホユーザーの仲間入りをした。

でも、ラインとかは怖いから、やりたくない。


嬉しいのは、高画質な写真が撮れることと、
いくらでも動画が撮れることだ。

ガラケーでは、動画は一回15秒しか撮れなくて、
ムギの動いている姿を撮りたくても、無理だったのだ。
早速、ちまやムギを撮りまくっている。


「鬱」の元である、お金の問題が解決されたら、
もう少し、浮上できると思う。


友達と、お嫁ちゃんと、従姉に、ガラホになった旨メールした。
使い勝手は似通っているので、そこそこ使えているが、
変換のキーが3か所もあるので、そこにまだ慣れていない。

古い携帯を手元に置いて、アラームとして使う。
ガラホには、アラーム設定が3か所分しかないので、
いちいち面倒だからだ。


一生ガラケーで行くんだ、と言ってたけど、
本当に思いがけず、アッと今にスマホユーザーになった。

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鬱のスイッチ。

ちょっとわかったことがある。

それは、わたしが鬱状態になるスイッチが、
「お金」にあるということだ。

ずっと貧乏しか知らず、裕福な暮らしをした経験がなく、
夫と再婚する寸前は、督促状の嵐だったので、
お金がないということは、わたしには、「恐怖」なのだ。


けれど、わたしは、夫に信用されていない。
全く信用されていない。
何かを買って来て欲しいと言われても、お金は渡されず、
後払いになる。

持たせたら、全部使ってしまうとでも思っているらしい。

夫の口座が、どの銀行にあるのかさえ、知らされていない。
もちろん、通帳も、見たことがない。

わたしには余分なお金は与えられておらず、
いざというとき、困ると思う。


夫が、自分とわたしの葬式のために「くらしの友」に入会したそうだ。
だから、死んだら、お寺と、この「くらしの友」に電話するように言われた。
だったら、お寺の電話番号もそこに書いておいてよと頼んだ。

死んでしまったら、口座は凍結されて、
相続が済むまでお金は下せない。

わたしには、まったくお金がないんだけど、お葬式代はどうするの、と
夫に聞いたら、
長女がお金持ちなんだから、出させればいい、とのこと。

だとしたら、もう、そのことは長女に伝えておいて欲しい。
夫が死んでから、わたしが言うと、
こじれるじゃないか。

葬式代がどうにかなっても、
わたしの、当面の生活費はどうなるのか。
まさかそれを、長女に頼むわけにいかないじゃないか。

使ったりしないから、ちょっとまとまった金額を、
わたしがわかるところに置いておいてもらわないと、
その日からもう困ってしまうではないか。


再婚するとき、
わたしは最初にそれは頼んであったのに。
私名義でちょっとまとまった金額の通帳を作ってくれと。
それを渡されなくてもいいから、
そうしておいてもらえないと、
こんな時に生活費の話?って、悪く思われてしまうじゃないか。

なんでこんなに、信用がなく、
安心を約束してもらえないんだろう?



とにかくお金に困る事態を想定すると、
わたしは、鬱状態になることが判明した。


けれど、夫はわたしを一切信じないので、
余分なお金は一切持たせてもらえない。
口座も、預金額も、なにも教えてもらえない。

夫は、自分以外、誰も信じないと言っていた。

わたしが死んでも、誰一人困らないが、
夫が急死したら、困る。
子供たちは、全員がお金持ちだから、何も困らないだろうが、
わたしはもう、その日から困ることになるのだ。

こういう不安が、鬱状態を引き起こしている。


夫が亡き後も、この部屋に住んでてもいい?と聞けば、
いいよとは絶対に言わない。
「それは僕の気持ち一つだから。」と、脅迫する。

この部屋に住んでいられるなら、保険金も少なくていいが、
夫の死後、娘ちゃんたちがわたしを追い出すようなことがあれば、
現金がないと、生きて行けない。

別に長生きしたいわけではないが、
自死すれば、息子の気持ちを傷つけるので、
病気になって治療をしない選択はするかもしれないが、
自発的に死んではならないと思う。

そうしたら、夫の死後、娘ちゃんたちに面倒をかけなくていいよう、
息子夫婦の重荷にならないよう、
今の内から、夫に手配しておいてもらいたいのだ。

病気だけでなく、事故で急死することだって、
起こりうるからね。


お金の話は、言いにくい。
稼いでいなくて、消費するばかりのお荷物だから、
言い出しにくいのだ。

だから、鬱になってしまう。



夫はわたしに、安心感を約束してはくれない。
いじめっ子タイプだ。
自分の気持ち一つで、どうにでもできるんだからな、と
脅してくる。

傍に置きたいと言って結婚したのに、
別居だから、安心は保証してくれないのか。

正直、わたしは自分の葬式になんて興味はない。
前の奥さんは、参列者が多くて、お経が何周しても、
焼香の人が途切れなかったと、
お姑さんが自慢げによく話していらした。

お気に入りの、自慢の嫁だったのだろう。

わたしのことは嫌っている。
財産目当てだと思われた。
どこにどれほどの財産があるのか、いまだに知らないのに、
目当てもなにも、あったもんじゃない。


庇護が欲しい。
安心が欲しい。

じゃないと、この鬱は、やはり一生ものになるだろう。

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暴落。

ムギと過ごすのは、
真冬よりも、真夏のほうが過酷だ。

真冬は、着こめるだけ着こんで、
ムギの小屋には電気が通っているので、ホットマットを入れ、
ドームベッドにはひざ掛けやバスタオルをかけて保温し、
床からも冷気が入って来ないよう、厳重に守る。

けれど、夏の暑さから救ってやる方法がないし、
人間も、防ぎ用がないのだ。
去年の夏、ムギは毛をものすごく捨てて小さくなった。
大丈夫か?と思うくらい、痩せて一回り小さくなった。

残り餌に向かって来るアリの行列、
たかってくるハエ、
行進しているナメクジ、
そして、夕方会いに行くと、ブワッと蚊が群がって来る。

ムギはほとんど毛でおおわれているので、多分被害はないが、
人間は、被害が甚大で、ちょっと憂うつなのだ。

夫によれば、ムギは、蚊取り線香がまずダメで、寄って来ない。
虫よけスプレーをかけてから行くと、
その匂いもダメで、寄って来てくれない。

今年、夫は、スイッチを入れると、
定期的にプシュ!と殺虫剤が噴出する器具を買ったが、
ムギは音にも匂いにも敏感なので、それもダメだったそうだ。

シャープから出ている、蚊取り機能付きの、
空気清浄機を置こうよ、と言ってみたが、
却下。

結果、蚊の襲来でやられるのが辛すぎて、
夫はムギの世話を放棄したので、
辛くてもわたしが行くしかない。



夕方はムギは、もらいたいものをもらって食べたら、
庭の真ん中に行ってダラダラしているので、
最近は待たずに、じゃあママ帰るよ、と帰ることにした。
一人待っていて、蚊の餌食になるだけだから。

でも夜中は、ムギはけっこう甘えるので、やっぱり行く。

夕べも留守で、3回ほど呼んだら、走って帰って来てくれた。

嬉しそうにしていて、
すぐにくっついて来てくれた。
体に異常がないか、撫でて調べる。
その時に、ちょっと匂うな、と思った。

ムギのお尻を触ったら、やっぱりそうだった。
お尻に、ウンちゃんが、一粒、くっついていたのだ。

ムギは野生の草を食べる。
以前、怪我で、お風呂場で保護してた時に、
あまりにも呼ぶので、何だろう?と行ってみたら、
お尻からウンちゃんが出ていた。

そーっと引っ張ると、すーっと、長~い草がついて出て来た。

一応、それは取っておいて、
夫にも見てもらい、虫じゃなく、草だね、ということになった。

お尻、気持ち悪かったよね。
人間だって、敏感なお尻に、何かがくっついてたら、
気持ち悪くて歩けないよ。


猫はとても体が柔らかいから、普通の猫なら、
自分でお尻を舐められる。
ちまのお尻が、汚れてたことは一度もない。

しかも猫には技があって、どうしてもお尻がすっきりせず、
気持ちが悪いとき、
後ろ足を前にピーンと伸ばした状態で、前足で進みながら、
お尻を床にこすりつけて、汚れを床に移すということが出来る。

ちまがやってる時、きゃあ~ちまちゃん、やめて~と言ってしまった。

しかし、ムギは、後ろ足が一本、根元から無い。
なので、バランスを取ることが難しく、もうちょっとなんだけれど、
自分のお尻を舐められないのだ。

なので、いつもウェットシートで、軽く拭いてやってるのだが、
夕方、わたしと別れてから、夜中の2時までの間、
いつ、ウンちゃんをしたのかわからないけれど、
その間、こんな気持ち悪い状態を我慢してたんだ、と思ったら、
不敏で、涙が出た。

ごめんよムギ、もっと早くに来てあげれば良かったね。
気持ち悪かったよね。

一緒に暮らしていたら、すぐに気が付いてあげられるのにね…。
ごめんよムギ…。



辛い気持ちのまま寝た。
寝付けることは幸いだ。
まだ、精神的にヘトヘトなのだ。

今日は、ちまが一生懸命顔を舐めて起こしに来ていたが、
起きてあげられずに、アラームの時間まで寝ていた。

気分がどんよりしている。

今日はシャンプーなので、出かけた。
美容師さんと、お友達に会ったときの話をして、
階段を降りて下に出た時、
ドッと、鬱の波が押し寄せて来た。

気分が暴落だ。

どうしたんだろう。
何がいけなかったんだろう。

商店街の中で、立ち尽くしていた。

八百屋でさんざん桃を眺め、
今月は、靴を買ってしまったし、飲み物代がかさんでしんどいから、
桃は我慢した。

頓服を飲んで、
キャベツとレトルトカレーを買って帰った。


部屋の中は、涼しくてカラッとしていて天国だ。
ちまちゃんという天使ちゃんも待っている。

ちまに餌をやり、自分はシャワーした。
夕飯は、昨日多めに作ったので、キャベツを切るだけでいい。
冷凍ご飯もある。

ちまとベッドでダラダラしたい。

でも、ムギが待ってる。
もしもまた、ウンちゃんが付いていたら、取ってやらなくちゃ可哀想だ。

自分のおやつも袋に入れて、ムギに会いに行った。

ムギはどこかから、わたしが帰宅したのを見ていたのか、
車の下に隠れており、呼んでも無視してた。

しばらく、なだめてすかして、やっと出て来て甘えた。
ムギ、すねるのやめて、素直になりなよ。

蚊の攻撃がすごい。

右手でムギのブラッシングをしたり撫でたりしてるので、
左手に総攻撃を受けている。
一日で20か所くらい刺される。
指を見たら、二匹とまってることもある。
でもわたしが不用意に動いたり、パン!とかやると、
蚊ではなくムギが逃げるので、わたしは耐えている。

もう刺されすぎて、腕も足も、水玉模様だ。



鬱状態で、何もやれない。

ムギのところからも早く帰って来て、
夕飯を食べて、
ぼんやりテレビを眺めていたら、ちまが乗って来て、
ちまを抱いてぼんやりしていた。

鬱の正体は、不明だ。

色々ある。

夫と、お葬式の話をしたこと。

お姑さんがあと少しで多分帰ってくるだろうということ。

明日はリウマチ内科の診察日だから、朝に起きなくてはならないこと。

木曜日はお盆で、住職さんにお会いしなくてはならないこと。
多分、お経も一緒に聞かなくてはならないだろう。


自分の親の葬式、どうするの?

わたししかいないのに、わたしがこんな状況で、
いったい何ができるの?
遠い話じゃない。
ここ数年でやらねばならないことで、
現実味を帯びている。

夫がもし、急死したら?
わたしは、夫から、何も知らされていない。
どの銀行にどれくらいお金があるのかも知らない。
通帳だって見たこともない。

急な葬儀になって、夫の口座が凍結されたら、
葬式代はどう払うの?
わたしの当面の生活費は、誰が出してくれるの?


自分が先に死んだ方が楽だよ。
お金もないし、誰にも迷惑がかからないもの。

そういう話って、もう、ちゃんとしておかなくてはならないと思う。


でも、憂うつでたまらない。


誰とも会いたくない。
猫と二人がいい。

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覚悟はしてたけど。

躁鬱病なので、
人並以上に、動ける日もある。

もともと、根が「真面目」過ぎて、
「ねばならない思考」に縛られている性格なので、
やらねばと思ったことは、必死にやる。

思いついたことも、行動しないと気が済まない。

けれども、その結果が、
潰れて寝込む、なのだ。

やったことが成功であろうがなかろうが、
楽しかったか辛かったのか、どちらも一緒。

どの道、潰れるのだ。



友達に会えて、嬉しくて、
カラオケにも行けて、楽しくて、
名残惜しいくらいだったくせに、
夜は脳が興奮したままで寝付けず、
翌日からは、体が鉛となって、動けない。

それがもう、わかっているから、会った後3日間は、
寝込んでいてもいいように計画してあったのだが、
一人暮らしとはいえ、夫がいるので、
夫が来て話し込まれれば、計画は狂う。

日曜日に、お姑さんのリハビリ病院に行って欲しいと言われ、
断れるはずもなく、一緒に行った。

最高気温が34度の日だったので、
電車ではなく、車を出してくれたのは助かった。
わたしはもうヨレヨレ状態だから、駅まで歩いて駅から歩くなんて、
無理だった。

お姑さんの豪華な個室のソファに座って、
同じ話を6回くらい真面目に聞いて、
リハビリに呼びに来られたので同行して見学し、
そらから帰って来た。

わたしはヘトヘトで、ベッドに倒れこんだ。
ちまが心配して、一緒に寝ようとしてくれる。

わたしの具合が悪いときは、ちまにはわかる。
そういう時、毛布や、今の時期ならタオルケットに、
ちまはもぐって来て一緒に寝てくれる。

タオルケットも掛けずに倒れていたら、
ちまが必死にスカートの中にもぐろうとしてくれたので、
タオルケットを広げて、入ってもらって寝た。

途中、宅急便の集荷が来て、起きて出して、
そのあと、また倒れて寝た。

目が覚めたら、もう夕方の6時半だった。

ろくに食べてないので空腹だった。
前の夜、夫が遅くまで部屋にいたので、食器洗いもやってない。
一週間の薬を組むのもやってない。

洗い物をしなければ、夕飯も食べられない。
それに今度は、夜7時以降という時間指定で荷物が来る。

夫にムギをお願いして、
食器洗いから始めた。

夫からは、蚊がすごい群がるとか、
ムギが庭でキミを待ってるとかメールが来るが、
それはいつもそうなのだ。

ワッと蚊が群がってあちこち一斉に刺される。
ムギは欲しいものをもらったら、庭に行ってダラダラする。
毎日の様子と変わりがない。

レトルトカレーと、枝豆で夕飯にした。
ああ、なんかちゃんと料理したまともな食事がしたい。

日曜日も具合が悪いまま寝た。



月曜日、予定はなかったのでアラームをかけてなかったが、
お腹のすいたちまが、必死に顔を舐めて起こしてくる。

午後の一時半に、どうにか起きたが、フラフラだ。

でももう、食材を買わないと。

レトルトも冷凍もあるけれど、心が干からびそうだ。

暑いのを承知でスーパーに行った。
飲み物や調味料や牛乳を買って、
手がちぎれそう。

日傘もさしたいし、すごい疲れて帰って来た。
シャワーして、涼しくした部屋で涼む。

何もしたくない。
本当は何もしたくないけど、料理はしよう。
じゃないと、心が荒むから。

掃除は、ハードルが高くて無理。

洗濯をして、干しっぱなしのを畳んで片づけないと。

3日、寝込むと覚悟してはいたけれど、
それを話すわけにもいかないし、
夫には夫の気持ちもあるし、仕方がない。



一人暮らしで本当に良かった。
家族の家事なんて、絶対にやれないよ。

誰もが、わたしが夫と再婚した時に、
家事の担い手が出来た、お母さんの世話をする人が来たと、
きっと思っただろうが、
わたしは、はなから、お姑さんには好かれてないし、
信用されてないし、
次女ちゃんからしたら邪魔ものだし、
別居してて、正解なのだ。

ここでどうにか、自分のことだけやって、生きてるのが精一杯。


ベッドに敷いてやったバスタオルの上で、
しどけなく寝ている、ちまのピンクのお腹が愛らしい。

夜中、呼んだら、
鳴きながら走って帰って来るムギがいじらしい。


息子が幸せに暮らしていて、幸せだ。


やりたいこと、いっぱいあるけれど、
何にも取り掛かれていない。
今日は料理と洗濯ができたことを、褒めよう。

しんどい病気だなあ…。
一生治らないんだとわかってる。
それは仕方がないことだけれど、
しんどい時も、多いよ。

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足りてないからこそ。

久しぶりのお友達に会えて、
その夜、わたしの脳は興奮状態だった。

毎日メールしている友達に詳細をメールし、
それでも飽き足らずに、
息子にも、キミのお友達のママに会ったよ、と
説明してメールを送った。


彼女の息子君は、とても恵まれていた。
大きな持ち家。
お金持ちだし、足りないものなんて何もない。

大学にだって、本人の意思がどうであろうが、
当然のように行った。

受験をくぐってないから、うちの子はダメよ、と
彼女は言っていたが、
結果は、大きな企業に合格して、
その業種に、別に興味はなかったようだが、
不平もなく、しかし、向上心もなく、
ただ行って、帰って来て、休みには一日家にいるそうだ。

小さいころはスポーツが出来て、社交的な子だったので、
なんだか、信じられなかった。

彼女の退職祝いの豪華なしゃぶしゃぶ屋での写真を、
見せてくれたのだが、
彼女と旦那さんは、スーツを着ていたのに、
息子君は、ジャージ姿で、目に覇気が全くなかった。



わたしは、しみじみ考えた。

わたしは、自分の都合で離婚をして、
その時は、暮らしていける展望があったのだが、
バブルがはじけて、
勤めていたデザイン事務所が、傾いてしまった。

もともとが、ご夫婦と、奥さんの妹さんでやっていた家内企業で、
正社員ではなかったので、
わたしは、切られた。

その時にはもう樹脂粘土を始めていたが、
仕事としては成立していなかったので、
わたしは昼といわず夜といわずバイトをしながら、
粘土の仕事をした。

いくらでも、仕事の依頼はあったのだが、
収入に即結びつくような仕事が少なく、
デパートで仕事をさせてもらっても、支払われるのは、翌月末である。
すると、その間、食いつなぐことが出来ないのだ。

だから、とても貧乏だった。
育ち盛りの息子を抱えて、安い食材をいかに膨らませられるか、
毎日が工夫と闘いだった。


その友人の息子くんや、夫の子供たちとは違って、
圧倒的な貧乏を、息子は経験している。
ケーキだって、果物だって、欲しくても与えられなかった。

足りないことの、辛さを知っている。

けれど、幸い、息子は、ふてくされることもなく、
足りないものを、補う努力を、する子だった。

わたしたちは、安売りのケーキをたまにしか買えなかったが、
ケーキ用の花柄のお皿をちゃんと出して、
日本茶を入れて、
ケーキをしみじみ眺めてから、大事に食べた。

100円の水ようかんを、冷蔵庫に入れておいてやると、
息子は、わーい、と喜んで、ゆっくり味わって食べた。
わたしは、その姿を見るのが、とても好きだった。


足りていない人生だから、
何が欲しいのか、何が必要なのか、
何が大切なのかを、きっと息子はわかっている。

だからこそ、あんなに人見知りで、
高校の入学の日に、
「誰とも喋れなかった…」と涙ぐんでたような子だったのに、
お嫁ちゃんと出会って、「この子だ!」と直感し、
先輩に頼み込んで、次回も隣の席にしてくれるよう、
手を回したのだそうだ。

そして、メルアドをゲットした。


泣いてばかりいた、引っ込み思案なあの子が。


それはきっと、足りないことを経験しているからこそだ。

もちろん、あんな貧乏を経験させてしまったことは、
わたしはいまだに、申し訳ないと思うし、
思い出せば今でも辛い。

けれど、無い場合はどうするか、工夫する力は身に着く。
欲しいものを手にしたときの喜びも、人一倍だ。

手にするために、努力をした。
それが、今の息子の、幸せを形成しているのだ。


「不足する」ということを、知らずに育ってしまうと、
足りているのだということに、気が付かない。
自分が恵まれた環境にいることに、気が付くことができない。

だから、何かに必死になってくらいつくような、
そういう頑張りができないのだ。

高いケーキをいただいた時に、じっくり眺めてから、
大事にいただく、という喜びを、感じられないのだ。


もちろん、足りている人生の方が、絶対にいい。
お金なんて、いくらあっても困らない。
好き放題、暮らせるなら、それでいい。

でも、わたしは、正直、
今のところは、自分の息子の方が、多分幸せだと感じた。

足りない尽くしの人生で、
最も大切な、人生のパートナーと巡り会い、
その手を離すことなく、
結婚することができた。
彼女が、息子の結婚式の写真を、さらっとしか見てくれなかったのは、
多分、辛いのだと思った。

今後は、息子たちの幸せな話をするのはやめよう。
かつては「ママ友」さんだったが、
今からは、個人としての友人関係だからね。


息子へのメールに、キミのお友達だったあの子は、
いい大学を出て、誰もが知っている大企業に勤めてて、
こういう仕事してるらしいよ、と書いた。

そして、キミには、いっぱい辛い思いさせて、
悪かったと今も思ってる、でもね、
足りなかったからこそ、満たされる喜びもわかるような気がするよ、
という話を書いて、送った。


その夜のうちに、息子から返事が来た。
小さいころに遊んだ子の近況を知ることが出来て、嬉しかった、
ありがとー、と書いてあった。

そして、今、あの友達は、どうしてるかな?とか
考えたりできるというのは、
自分が今、幸せだからなんだなと思いました。と、
書かれてあった。



そう。
そうだよ。

覚えてる?

「幸せってね、自分を幸せだと思う人の心にしか、
ないんだよ。幸せだと思える人だけが、幸せなんだよ。」
って、教えたよね。

その時、あんなに貧乏だったのに、
「じゃあ、僕は幸せだ~。」って言ってくれたよね。

与えてもらえるのは、「環境」でしかない。
幸せとは、自分の心が作り出すものなのだ。

キミが幸せでいてくれて、
わたしも母として、世界一幸せだよ!と、返事をしておいた。



わたしは部屋にいっぱい、息子の写真を飾っている。
もちろん、お嫁ちゃんと二人で写っているものも。

思い出になるものも、いっぱい取ってあるよ。

わたしの天使ちゃんだったんだもの!

絶対に、お嫁ちゃんの手を離してはいけないよ、とも、書いておいた。

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平たいプレゼント。

そのママ友さんとは、多分15年くらいは会ってない。

その間に、わたしは、付き合いだした人が逮捕され、
自己破産することになり、
拘置所に毎日通い、
裁判を経験して、
刑務所にも通った。

そしてうつ病を発症した。

それでもいいと言ってくれた夫と再婚した。

再婚して住んだ町が、
彼女が、東京に出て来て初めて住んだ町だった。
ご縁のある方なんだと思っていた。

それが今回、彼女が定年で、再雇用されて、
働き始めたのが、また、この町だったのだ。

長い通勤で、慣れるまで大変だったと思うが、
慣れて来た頃、駅前でわたしにばったり会ったりしないかと、
思い出すようになって、
勇気を出してメールをくれたのだ。

うつ病を患ったことぐらいは、伝えてあったが、
詳しい病状を話してもいないので、恐る恐る、メールくれたのだと思う。

ちょうど、もらった時期が良くて、
わたしも寝付けるようになり、死にたくなくなったので、
ああ、会いたい、また一緒にカラオケ行きたい!って、
すぐに思った。

ちょうど、パン屋のカフェでアイスコーヒーを飲んでたので、
すぐに返事をした。

思いがけず、まともな返事が来て、驚いたかもしれないが、
じゃあ会いましょう、予定をすり合わせましょう、となり、
トントンと会う日が決まった。

彼女は、半日休みを取ると言ってくれたので、
ランチするお店を探して予約し、
その日が来るのを楽しみに待った。

でも、この15年で、わたしは20キロも太り、
髪は染めてはいるが95%白髪。
化粧もしなくなり、髪は後ろで縛ってるだけ。
スカートもはかなくなり、チュニックにズボンという、
最も楽なスタイル。

当時は、髪を長くして綺麗にしていたし、
スカート履いていたし、
お化粧もきちんとしていた。

きっと風貌が変わりすぎていて、わからないと思い、
目立つ色のバッグを持って、それを知らせて、駅で待っていた。

人を待たせるのが嫌なので、早く行って立って待っていた。

彼女は、わたしのバッグの色を頼りに、背後から現れた。

わあ!、お久しぶり!
と言ったら、「何よ、そんなに変わってないわよ。」と
お世辞を言ってくれた。

彼女の方は、当時よりむしろ、綺麗にしていて、若々しく、
とても60歳には見えなかった。

ランチを予約した店に移動しながら、
どう?この町もすっかり変っちゃったでしょう?と話した。

わたしが嫁いで来たときは、まだ古い商店街が健在で、
古本屋さん、花屋さん、果物屋さん、蒲鉾屋さん、
履物屋さん、お肉屋さん、傘屋さんなどがあったのだ。

全部なくなっちゃって、どこにでもあるチエーン店ばかりになり、
風情はなくなった。

予約したイタリアンの店でパスタを食べながら、
フリードリンクなので、わたしはガバガバ水分を取った。

息子同士が同級生なので、
事前に、「もしご迷惑でなかったら、息子の結婚式の写真を、
見てもらえますか?」とメールしたら、
ぜひ見たいと言ってくださったので、アルバムを持参した。

それを見てもらったが、彼女はさーっと見て、
「いいわねえ、本当にうらやましいわ。」と言って、閉じた。
そして、「お嫁さんは、羨ましいだけだから、息子君だけの写真、
一枚くれる? 持って帰って、うちの子に見せるわ。」と言われたので、
和装で座敷に座っている写真を、一枚もらっていただいた。

彼女は、公務員だし、大きな持ち家もあって、
裕福だった。
わたしたちはよく、ごちそうにもなった。

息子さんは、当然のように大学に進み、
今は大企業で働いているそうだ。

でも、うちの子はダメよ、
大学も、推薦枠で楽して入ったから、受験乗り切ってなくて、
就職も全然活動しなくて、
大学4年の10月になっても、まだ決まってなかったんだから、とのこと。

でも大きい会社に採用が決まって、
ずっとそこに勤めているとのこと。
仕事が終われば帰って来て、
休みの日は、一日中家にいるのよ、彼女なんていないわ、と
嘆いていた。

息子たちは、今年32歳になる。
そろそろ結婚して欲しいと、思っているのだろう。
あたなの息子さんはいいわねえ、と言われたので、
逆に、何も話せなくなってしまった。

お嫁ちゃんがとても可愛くて、二人がすごく仲がいいのよ、とだけ、
話した。
そこでやめておいた。

彼女は、昨年、お兄様と、お母様を亡くされた。
お母さまは介護施設に入っていて、認知症がひどく、
独身だった長兄さんが、面倒を見てくれていたそうだが、
そのお兄さんが肺ガンで、先に亡くなってしまったそうだ。

お兄さんの余命を聞いて、兄弟姉妹でご実家に集まり、
いわゆる「汚宅」を整理したそうだ。

そうしたら、家はボロボロなのに、
ザクザクお金が出て来て、
うん千万、あったそうだ。

お兄さまとお母さまが続けて亡くなられてから、兄弟姉妹で、
相続したそうだが、
すごい金額が入ったわよ、と言っていた。

わたしは、自分の親とうまく行ってなくて、
でも一人っ子だから、葬式はわたしが出さなくてはならないし、
数年前に、やっと町にも互助会館みたいのが出来て、
そこには入会しているらしいんだけど、
わたしはもう、多分、帰省しないと思うから、
話し合えないんだよね、と相談した。

そしたら、地元に残ってる友達に相談してごらん、と言われた。
遠くから親戚が来るんだけど、どうしよう?と言ったら、
いまどきは、宿泊部屋を完備してるところも多いから、
友達に、調べてもらいなよ、とアドバイスしてもらった。

そうだね。
もう、親戚一同を、家に泊めるなんて、無理だから、
一度、しーちゃんに相談してみて、
その会館のこと、調べてもらおう。


それから電車に少し乗って、カラオケに行った。
彼女も歌が好きで、上手なのだ。
よく一緒にカラオケに行ったものだ。

わたしは、友達とカラオケ、というのが、すごく久しぶりなので、
嬉しかった。

3時間申し込んで、途中ちょっとお喋りしたりしたからだけど、
あっという間に時間が来てしまった。

名残惜しいけれど、彼女は、帰って炊事をしなくてはならない。
またいつでも声かけてよ、
半日休むくらい平気だからね、と言ってくれた。

そして、カラオケ代は払うと言ってくれた。

わたしは、そうやってずーっと甘えっぱなしで来てるから、と言ったが、
「いいのよ、わたし、すごい退職金も出たし、ボーナスも出たの。
遺産も相続したって言ったでしょ? だからいいの!」
そう言って、払ってくれた。

なんというか、「稼いでる。」とか、「お金あるから。」と言っても、
全然、嫌味がないのだ。
「男前」なのだ。
カラッとしていて、じゃあ甘えちゃおうかなあ~って、つい、甘えてしまう。

でも、彼女は昔から、そういう人だった。

彼女が頑張って働いて、もらったボーナスなのに、
わたしを豪華な食事に連れて行ってくれて、
カラオケにも行ってくれて、
いいのいいの、沢山稼いでるから!と笑ってる人なのだ。

だから、あらかじめ、プレゼントを用意していた。
こうなることを予想してたからだ。

会えると決まってから、悩んで悩んだ。、
まず、とにかく、仰々しいプレゼントだと、
受け取ってもらえない、とわかっている。

だから、「平たいもの」にしようと思った。
箱ものだと、恐縮されてしまうのはわかりきっている。

和物が好きだったら、手ぬぐいで出来たハンカチとか、とも考えたが、
洋風のコーヒーカップ&ソーサーを集めてる人だったので、
和物じゃないな、と考え直した。

きっとハンカチなんて、腐るほど持ってるだろうし。

お金持ちだから、何でも買えるし…
重複して持っていてもいいもので、
平たいもの…

そうだ、彼女は本を読む人だから、ブックカバーにしよう!
色は、グリーンが好きだから、
グリーン系の色で、ブックカバーを探した。

わたしは、自分が何冊か本を並行して読むので、
ブックカバーは3枚使っている。

きっと重複しても、嫌な感じは受けないだろうと思った。

北欧風で、ややくすんだグリーンのを見つけて買った。
薄い木で出来たしおりも買った。
わたしが作った、ストールピンも合わせて、
綺麗に包装し、今までと、今回のお礼を書いた手紙をつけた。

渡そうとしたら、「やだ、わたし何も用意してないわよ。」と言われたので、
平たいのをいいことに、
「違うの、手紙なの。手紙だから、帰ったら読んで。」と
懇願して受け取ってもらえた。

駅で別れて、しばらくすると、彼女からメールが来た。

電車に乗って、すぐに開封したらしい。
彼女は、通勤に、一時間半もかかるので、
スマホのゲームも疲れたし、本を買って読んでたんだけれど、
最近は職場の図書室の本を借りて読んでいるとのこと。

でも、本に、デカデカと職場のシールが貼られてるので、
それは隠したいし、
しおりも持ってなくて、レシートとかを適当に挟んでたそうだ。
何とかしたいな~と思っていたところだったので、
あまりにもタイムリーなプレゼントにびっくりです!と、
喜んでくれていた。

ああ~、良かったよ~。
何日も考えて、何店舗も回って選んだ甲斐があったよ。

使ってくださるみたいで、本当に良かった。
とても嬉しかった。


人間関係も、縮小しようと思っていたくせに、
幼なじみのヒロミちゃんと文通を始めたり、
こうしてカラオケ友達がまた出来たりと、
わたしの人生は、とても豊かだ。

周りの人に、すごく恵まれていると思う。
ありがたいことだ。

愚痴なんて言い出せばキリがないから、
楽しく付き合う仲間も、必要だね。
再会出来て、本当に良かった。

そして、息子が結婚出来て、
マンションも買って幸せに暮らしていることが、
どんなに恵まれているかが、よくわかった。

まだ話は続きます。

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闘うムギ。

夕べ夜中に、ムギに会いに行った。

留守だったが、数回呼んだら、静かに走って帰って来てくれた。
ゴロンゴロンして喜んでくれた。

ところが、さあ、ちゅーるを、というタイミングで、
敵が裏から来たらしい。

ムギがダッシュで走って行って、すぐ裏の砂利の上で、
ガルルルル!と、戦っている声が聞こえた。

人間がいるというのに、襲ってくるとは、なんという図々しいノラだ。

こうなってしまうと、ムギは朝まで、テリトリーを警備しなくてはならない。
せっかくちゅーるを食べようとしてたのに。

ちゅーるは生ものなので、出しておいてやることもできず、
カリカリの餌を少し足して、
心配だったけれど、わたしは部屋に戻った。

可哀想に、せめて、ちゅーるを食べた後だったら良かったのに。


午前中に起きて、ムギの小屋を見に行った。
念入りに見たが、どこにも血はついていなかった。

良かった。
怪我はしなかったようだ。
もちろん、圧倒的にムギが強いはずだ。
いい餌を食べて、寝るベッドもあって、
愛情もいっぱい受けているから、生命力がちがうと思う。

餌も減っていた。

一回帰って来て、食べて、休んで、
それからまた出かけたんだな、と安心して出かけた。

かつてのママ友さんと会うのだ。
ランチして、カラオケに行く約束。

今夜は疲れたので、また明日、続きを書きます。

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いじける・すねる。

夫が長期の出張で、留守にしている。

わたしは夫の代わりに、
帰って来る娘ちゃんたちのために玄関の外灯をつけ、
リビングのシャッターを下ろし、
庭の花に水やりをする。

そして、水やりがへたくそで自分も濡れ、
そのあと、たいがい雨が降る。(苦笑)


ムギは、パパが大好きだ。
大好きなパパに会えなくて、ムギは明らかに沈んでいる。
餌もちょこっとしか食べられない。
わたしの手からちょっと食べるくらいで、
あとは、食が進まないようだ。

昨日は、カウンセリングのあと、買いたいものを探していて、
帰って来るのが遅くなった。
それでも、ちまの世話だけして、自分はシャワーもせずに、
服を脱ぎ捨ててムギに会いに行った。

ムギは車の横でわたしを見ていて、門を開ける前にもう、
呼びかけて来た。

寂しかったね、ごめんよムギ。
遅くなっちゃったね。

餌に口もつけず、ただわたしを待っていたかと思うと、
可哀想でたまらなかった。

体を綺麗に拭いて、ブラッシングして、
おかかを食べて、手からシーバも食べられた。

ムギとしばらく過ごしてから、母屋の用事をこなし、
部屋に戻ってシャワーして、ちまに餌をやり、
自分が夕飯にありついたのは9時頃だった。


夜中、ムギに会いに行った。
留守だったので、呼んで待った。

すると数分で、鳴きながら走って帰って来てくれた。
愛おしい。
ちゅーるを食べて、しばらくくっついていたが、
手からすこし餌を食べた後、離れてしまったので、
「ムギ、ママもう帰るよ? いいの?」と声をかけた。

そしたら、ムギは慌てて戻って来て、くっついてきた。
ムギ、寂しいんだね。
パパに会えなくて、寂しいね。
ママだけじゃ足りないもんね。

「ムギ、抱っこしてもいい?」
そう聞いてみたら、意外にも、いいよって答えが来たので、
抱き上げて、胸にしっかり抱きしめた。

ムギ、寂しいね。
あしたも、ムギとママと二人だよ。
寂しいね。

ムギ、大好きだよ。
愛してるよ。
夜中にこうして抱き合ったこと、
ママは一生忘れないよ。

ムギの匂いを吸いながら、そうささやいた。
ムギが降りたので、また明日ね、と帰って来た。


今日は出かける時は、姿が見えなかった。

帰って来ても、庭でだらけておらず、いないのかなあ、と思ったら、
わたしが階段を上がっていくとき、
ムギの木のベンチに、三角耳のシルエットが見えた。
あ、ベンチでくつろいでるんだ。
「ムギ! あとで行くから、待っててね!」
そう声をかけて、部屋に入った。

ムギは、「待っててね。」がわかる子だからね。

ちまにとりあえずおやつをあげて、自分はシャワーをし、
慌ててムギに会いに行った。

ところが、ベンチにいないばかりか、姿が見当たらない。
おかしいな。
待っててね、と言ったら、待ってるはずなのに。

何度もムギを呼んだ。
そこらにいるはずだ。
でも、返事もない。
そんなはずないのに…。

わたしは、湿っぽくなったムギの敷物を取り替え、
お皿を濡れティッシュで拭いて綺麗にしていた。
ふと、「まさかね…?」と思って、車の下を、覗いてみた。


ムギが、いたのだ!
顔は向こうに向けて、体をぺしゃんこにして、
車の中央部あたりまで、深く入って隠れている。

「ムギ! ムギちゃん!」
呼んでも呼んでも、ムギはピクリともしない。
振り向くどころか、シッポすら動かさない。

わたしは怖くなって、車の横に行き、コンクリートに這いつくばって、
ムギを見た。
顔が合って、ムギが「にゃー。」と鳴く。

ムギ、完全に、すねている。

朝、パパに会えないことが寂しくてすねているのか、
わたしが、待っててね、って言ってから、
来るまでが遅いと思ったのか、
わからないけれど、とにかく、完全にいじけていた。

ムギ…。
寂しいんだね。
パパに会いたいんだね。

「ムギ、ママ、会いに来たよ。ムギ出ておいで。」
そう声を掛けると、返事はする。

で、わたしが定位置で座って待っていても、
ムギは全然来ない。

再び、コンクリの上をハイハイして行ってムギを覗き、
「ムギ、寂しいね。でも、今日もパパは帰って来ないよ。
ムギとママの二人だけだよ。ムギおいで。おかか食べようよ。」
と、精一杯、ムギを誘った。

ムギは、餌ではつられない子なのだ。
欲しいのは、常に愛情なのだ。

座椅子に座って待っていたら、ようやくムギが動いて、
近づいて来た。
隣のコンクリの上で、ゴロンゴロンとローリング。
きゃ~、ムギちゃん可愛い~!と賛辞する。
(賛辞しなくてはならないのだ)

そうして、やっとやっと、隣に来てくれた。
「ツン」が終わったら、今度は「デレ」である。
くっついて、お腹を見せて、モフれというのでモフモフし、
体を拭いて、ブラッシングして、全身を撫でて、
ようやくムギは落ち着いた。


大好きなパパに会えなくて、すねているムギ。

ママが来て、呼ばれてるのに、
本当はすぐに行って甘えたいくせに、意地を張って隠れてるムギ。

もうこれは、猫じゃないよ。
小さい子供だよ。

というか、夫に似ている。

「ねえ、ムギ、そんなに意地を張らないで、ママにもっと甘えな?」
そう言うと、ぐふぐふ言いながらスリスリして来る。

おかかを食べて、シーバも食べて、
しばらくくっついていたが、離れて行ったので、
「ムギ、ママお花に水やりするね。怖くないよ。」
と説明してから、花に水をやった。

わたしには、花を育てる文化がないので、
すごい面倒だと思うし、
夫は園芸が好きだけれど、忙しすぎて
花を愛でる暇なんてないのでは?と思ってしまう。


母屋に入って、リビングのシャッターを下ろし、
匂いがこもって臭いので換気扇を回しておいた。
外灯もつけて、ミッション終了。


それから洗濯して、ご飯食べて、洗濯干して…。
息つく暇もない。

美容師さんによく言われる。
休んでなくちゃいけない病気なのに、いつも何だか、
急いでるし、全然ゆっくりしてませんね、って。

わたしが動かないときは、「動けない」時である。
そういう時は、ベッドでちまと、ダラダラしている。

いくらちまと暮らしていても、ちまはもう、
猫じゃらしでは遊ばなくなったし、
抱っこも短時間でいいようなので、
あまり構ってあげてない。
でも、毎晩、ベッドで一緒に寝てくれる。
幸せだな。


夫からメールが来た。
ムギに会いたいよ、って書いてあった。
そうだよね、会いたいよね。
ムギだって、パパがいなくて憔悴してるんだもの。

夫は明日帰って来る。


わたしは、古いママ友さんと、会う。
どうかな、15年はお会いしてないと思う。

わたしはすっかり風貌が変わってしまい、
見つけられないと思うので、
鞄の色を教えておいた。
目立つ色だから。

古い書類に、わたしの証明写真が混じっていたが、
再婚した当初は、まだ、女性らしさがあった。
痩せてはいなかったが、小奇麗にはしていた。

今や、オバチャンどころか、オッサンみたいになっちゃったよ。

明日が楽しみ。

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督促状の恐怖。

少し前に、悪夢を見て、辛かったことを書いた。

本当に貧乏で、わたしは昼も夜も働いていたが、
一向に楽にならず、
公共料金や、仕事を立ち上げる時に借りた資金の返済が、
払えない時があった。

家賃は、不動産屋さんが近所だったので、
通い帳を持って、毎月払いに行くのだが、
どうしても、月末までに、用意できないこともあった。

粘土の仕事は、いくらでも依頼が来た。
けれど、それをやっている間の、
生活費が稼げないのだ。
振り込まれてくるのは翌月とか翌々月とかだからだ。

なので、不動産屋さんに行って、お願いをして、
来月の第一週までには払うので、と待ってもらったりした。

通帳は空っぽで、
「引き落としができませんでした。」というハガキがどんどん来る。

それを見るのが、本当に辛く苦しかった。

その当時から、月末の支払い日が近づくと、
わたしは不正出血を起こすようになった。

思えば、ストレスで、そうなっていたのだ。

そうとも知らず、お金もないのに、何か病気だったらどうしよう、と
わたしは、本屋で医学書を立ち読みして、一人青ざめていた。


付き合っていた人が逮捕され、
わたしの子宮と卵巣が暴走をしたのは、
激しいストレスからだった。

通常、生理前でも、10ミリ程度の子宮内膜が、
22ミリにもなっていますよと言われた。

普通はクルミ大の卵巣も、5.5センチを超えて、鶏卵大になっていた。

どちらも、助けることは無理でしょう。

そう言われて、わたしは、なすすべがなかった。



子宮と卵巣を摘出するような大きな手術をすれば、
その間、働くことは出来ない。
手術後、養生したくても、
働かなくては家賃が払えない。

付き合ってた人が、東京地検に逮捕されて、
自分は自己破産をするしかなくなって、
しかも、子宮と卵巣を取らなくてはならない。

親には、そんなこと絶対に言えない。

どうしたらいいの。
どうしたらいいの。


その時、詳しく事情を知らないながらも、
わたしが、手術しなければならないかも、と書いたメールに、
「誰か、頼れる人はいますか?」と返事をくれたのが、
今の夫だった。

頼れる人なんて、いない。
当時の仲間には、もう、自己破産に必要だった50万円を、
出してもらったあとだ。
これ以上、頼めるはずもない。

「頼れる人は、誰もいません。」
わたしが、そうメールを送ると、
「僕を頼りなさい。」
と、夫がメールをくれたのだ。


幸い、紹介してもらった大学病院の医長さんの見立てで、
これは、子宮にも卵巣にも、原因はないです。
何か、大変なことが、ありましたか?
例えば、3カ月前くらいに。

そう聞かれて、わたしは診察室でぼとぼと泣いた。


手術は免れたが、出血はものすごかった。
毎回、内診台に上がると、あたりが血まみれになり、
医者が、「うわっ!」と言ったくらいだ。

夜用のナプキンが、食べてるかのようなスピードで
ガンガン消費されていく。
通勤の二駅を、持ちこたえることが出来ず、
途中でトイレに駆け込む。

なにせ、原因を取り除けないので、
ホルモン療法も、一進一退だった。

接客業なのに、立っていることも難しかった。

それでも、働くしかなかった。



今日も夫の部屋に行き、
わたしが使っていたデスクの引き出しの中身を、
持ち帰って来た。

要らないものばかりだった。

ビリビリ破りながら捨てて行く。

再婚前の、督促状が、何通も出て来た。

これがわたしの、悪夢の元凶だ。

思い切り、ビリビリに破った。


夫に救われて、わたしは、督促状から逃れることが出来た。

すごい贅沢はしていないけれども、
満ち足りて、不足のない、暮らしをさせてもらえている。
猫と暮らす幸せも、味合わせてもらっている。

なんてありがたいんだろう。

督促状は、怖かった。
誰かにすがって、泣きたかった。
でも、すがるつもりだった人は逮捕されていなくなり、
わたしは発病して、
働くことも、無理になった。



もうこれで、悪夢を見なくなるだろうか。
この目でしっかりと見てから、しっかりと破いた。

恐ろしい、時期だった。

今は本当に、穏やかだ。

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どうして忘れていたんだろう!

夫が長期の出張に出かけた。

ムギの世話はもちろん、庭の花の水やり、
夕方になったら母屋のリビングのシャッターを下ろして、
帰って来る娘ちゃんたちのために、玄関の外灯をつけて、と
頼まれていた。

幸い、と言っては申し訳ないが、お姑さんが入院中なので、
いいよ、と気楽に引き受けた。
誰にも会わずに済むんだから、何てことはない。

用を済ませて、母屋から出る時に、
そうだ、和室のクローゼットに、
息子がお気に入りだったぬいぐるみが入ってる、と思い出した。
それを持って来ようと、クローゼットをあけた。

すると、思っていたよりも、残してあるものが多かったので、
とりあえず、半分ぐらいの量を持ち帰って来た。
「ももた」と名付けて、息子が一緒に寝ていたぬいぐるみ。
わたしが、高校の先輩にいただいた、手作りのお人形も。

それに、息子のお弁当箱も、あった。

幼稚園に行くようになって、初めて持たせた、お弁当箱だ。
ウルトラマンを可愛いキャラクターにした、
青い蓋でアイボリーの本体の、小さい容器。

あの日のことは、今も鮮明に覚えている。

グループで先生に付き添われて、マンションまで帰って来た息子を、
マンションの玄関で引き取り、
部屋に帰って、わたしがキッチンに立っていると、
息子が、黄色い通園バッグから、お弁当の包みを出して持って来た。
そして、こう言ったのだ。
「ママ、おべんとう、すごくおいしかった。ありがとう。」


たった4歳の子が、こんなことを言えたのだ。
誰も、そういうことを、教えてもいないのに。

わたしは感激して、しゃがんで息子を抱きしめた。



だからその、お弁当箱を、わたしは大事に保管してあったのだ。
忘れていた。

他に、探していた「へその緒」も見つけた。
こんな大切なものを、何で母屋に置きっぱなしにしたのか、
全然わからない。

旅行バッグの肩掛け紐なんかも見つけたので、
持って帰って来た。

へその緒は、もはやなんだかわからない物体になっていた。
いいんだ。誰にも見せない、わたしの宝物だから。

他には、母の日に息子が絵を描いてくれた布とか、
息子が縫ったのか、わたしの好きな色のエプロンも、
大事に保管してあった。

ちいちゃい毛糸の手袋もあった。
これは2歳くらいの時に使ってたものだ。
赤いサスペンダーもあった。
これはまだ、おむつをしていた頃に、
お出かけの時に着けてたもので、
革で出来たペンギンがクロスの部分に貼られている。
懐かしい。

初めて履いた、靴も、当然取ってあるはずなのだが、
それは見当たらなかった。
どこにしまってあるのだろう。


お弁当箱を、手に取ってみたら、重さがあり、
カタカタと音がした。
何かが入っている。

蓋を取って、中を見たら、
小さな桐の箱が、入っていた。

あああ。

もしかしたら!

わたしは、そーっと、小さな桐箱を開けた。
鼈甲の指輪をいただいた時の桐箱だ。

中には、息子の、乳歯が、入っていた。



あった…。
こんなところにあった。

何で、こんな大切なものを、今まで忘れていたの?
どうして今まで、探しに来なかったの?


数日前に、美容師さんと、乳歯の話をしたばかりだったのだ。
彼女には、小学生のお子さんが二人いて、
上のお子さんの乳歯が抜け始めていると話したのだ。

わたしも、自分の体験談を話した。
歯がぐらぐらで、抜けそうで抜けない時が一番辛かったらしく、
息子は、帰省して、いつもは食べられないお刺身を前にしたのに、
歯がぐらぐらで、痛くて噛めない、と泣いたのだ。

仕方がないから、細かく刻んで出したんだけど、
これじゃお刺身じゃないよって、また嘆いてた。

ある時、もう、辛すぎるから、ママ、抜いて!と言われた。
やだよ、そんな怖いこと出来ない!と断ったのだが、
息子は、食べるたびに痛くて辛すぎるから、お願い!と譲らない。

なので、仕方なく、ペンチを持ってきて、息子の口に突っ込み、
失敗は許されない、一発勝負だ!と気合を入れて、
バキッと、引っこ抜いたことがあった。

やりたくない作業だったなあ。

なーんて話を、したばかりだったのだ。



そうだよ、わたしが、息子の歯を、捨てるはずがないじゃないか。

わたしは、指を箱に入れて、息子の歯に触れながら、
号泣した。

息子の名を呼びながら、号泣した。

これは、わたしが、息子を育てた証しだ。

乳歯は、お腹の中にいる時に、
もう存在している。
わたしの中にいる時に、作られた歯なのだ。

言わば、わたしの、一部でもあるのだ。


可愛かった。
優しかった。
泣き虫だった。
綺麗な声をしていた。
すべすべしていて、半透明な肌だった。

自分の命より大切な、息子。



乳歯を撫でながら、息子が無事に大人になったことに感謝した。
そればかりか、結婚までできて、
二人で仲良く、幸せに暮らしている。

貧乏で貧乏で、いっぱい我慢させた。
スーパーで、大好きなブドウを指さして泣かれたが、
果物を買えるお金は、まったく無かった。
買ってやれなくて、本当に辛かった。

ちょっと生活が回りだすと、
わたしは、自分は我慢して、
ひと房100円のデラウェアを、時々買って冷蔵庫に入れておいた。
息子は、見つけると、わーい、と言って、
大事そうに食べた。



わたしの部屋には、息子の写真が何枚も飾ってある。
息子にもらったものも、大事に取ってある。
初めて母の日に買ってもらったハンカチも、
当然、大事に取ってある。

それは、確かに、わたしが息子を育てた証しだ。
それはわたしの人生の歩みだ。


わたしの母は、なぜ、
わたしからもらったものを、平気で捨てたりできたのだろう。
勝手に誰かにあげたり、
「こんなん要らんから、あんた持って帰り。」と言われたこともある。

どんなに頑張っても、いくら頑張っても、
喜んでもらえたことは、なかった。

わたしの写真など、どこにも飾ってはいなくて、
母は今、親戚に、わたしの悪口を、言いふらしている。



わたしには、こんなに愛おしい息子がいる。
そして、世界で一番愛おしい息子を、愛してくれて、
幸せにしてくれている、お嫁ちゃんがいる。

もう、それで充分だよ。
親から何かをしてもらうことを、期待しなければいいのだ。
もう死んだと、思えばいいのだ。


息子は笑いながらこう言うのだ。
「貧乏暮らし、役に立っているよ。」

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ブームが来ては去る。

躁鬱病なので、
軽い鬱状態を保つように整えられている。
躁状態の方が、危険が多いからだ。

でも、軽い上下は常にあって、日内変動もあるし、
何かしら事が起きると、うじうじずーっとそれに固執したりする。

「まあ、いいか。なんとかなるか。」って生きて行けたら、
どんなに楽だろう。

わたしの人生も生活も、
夫一人の「気分」によって、簡単に変えられてしまうので、
安寧は訪れることはない。

もうこれで安心、死ぬまでここにいてもいい、という、
安心が、わたしは欲しいのだが、
夫は、それは自分の気分次第だと言って、
約束をしてはくれない。

ただ一つの望みなのにな。


一人で暮らしていて、自分のことをやっているけれど、
どうしても、夫の力を借りねばならないことは多い。

何でも、自分でやれたら、気が楽なのに、
すみません、お願いします、ありがとうございます、の繰り返し。

もちろん、わたしは、
「親しき仲にこそ、礼儀あり。」と考えているほうなので、
そういうことを夫に伝えていることに抵抗はないが、
不機嫌にやられると、
ああ、自分でやれたら、こんなにビクビクしなくて生きていけるのに、
と思ってしまう。


体の調子も色々で、
今はだるくて家事もままならず、料理もできておらず、
エンゲル係数が高くなっている。

自分で作れば安上がりなのに、
よし、やるぞ、という気持ちになかなかなれず、
悶々とする。


今日もお昼頃に起きたが、
だるくて、何もやれない。
ちゃんとした食事がしたい、肉じゃがを作って食べたいと、
数日前から思っているのに、やれない。

古い本を持ち出して来て、ベッドに登って、
壁にもたれて読んだ。

リフォームの時に、大量の本を処分した。
死ぬまでに、もう一回読みたいと思った本を残した。
だって、大体、一回しか読んでないんだもの。

作家さん別に、綺麗に本棚に並べてある。
気持ちよく並んでいる。
そこから、選んで、読んでみるのだが、
すごく文字が小さくて、びっくりするのだ。
その本を買った当時は、老眼ではなかったので、
全く、苦にならなかったのに、今は読みにくくてたまらない。

弱い老眼鏡を、作ってはあるので、そろそろ出番かな。


今日は、本を読んでいる途中で、何かがフッと抜けた感じがあり、
よし、肉じゃがを作ろう!と動き始めた。

三つ葉を入れた卵焼きも作った。

自分の食べるものだから、自分の好みの味付けで。
ご飯も、炊きたてが食べたくて、お米を研いでセットした。


わたしは、一人でご飯を食べるのが好きだ。
寂しいとか、侘しいとか、感じたことはない。

卵焼きが絶品だった。
また息子たちに食べさせてあげたい。


不眠で苦しむ前はちょっとした料理ブームだった。
自分の中に、ブームがやって来て、そして変わっていく。

せっせと掃除をする期間もあったし、
ひたすら録画した映画を見続けていた時期もあった。

なんかちょっと、本を読みたいブームが到来。
名作は、何十年経っても、良さがしみじみと伝わる。


わたしは、若いころから、どういうわけか、
監獄、とか、刑務所、とかに興味があって、
そういう類いの本を、何冊も買って読んでいた。

まさか、それが、その後の自分の人生に、
大きくかかわって来るだなんて、誰が予想しただろうか。
不思議なことだ。

ただ、裁判に関しての知識がなさすぎて、
準備期間も短すぎて、
充分なことがやれなかった。
これは別に、あの彼の為、というわけではなく、
自分の役割として、非常に不十分であったと、
後悔が残っているということだ。

求刑5年、と聞いて、崩れ落ちて裁判所のロビーで泣き続け、
二時間ほど経って、救いが欲しくて、弁護士Zに電話をした。

彼女は、わたしの自己破産の担当弁護士であって、
事件には全く無関係だったのに、
わたしをほっておけなくて、
こっそり、裁判を傍聴しに来てくれていたのだった。
「あなた、とても立派だったわよ。」
彼女にそう言ってもらえたが、もう二度と裁判は開かれず、
あとは判決を聞くだけとわかったので、
わたしは、自分の不備を嘆いた。

彼女はこう言った。
「別れたほうがいい。彼は、あなたたちとは違う、低次元の人よ。」

今はもちろん、その意味はわかる。
あの時、わたしを支えてくれていた仲間は、
ものすごい、人格者ばかりだったのだ。


もう今は、会うこともかなわないが、
一生の恩人である。
わたしは一生忘れないで生きて行く。


吉村昭さんの、「仮釈放」という本を読み返したので、
こんなことを書きたくなった。

吉村昭さんの本が好きで、一番沢山残してあるが、
この「仮釈放」は、最も好きな作品の一つになる。
主人公に感情移入してしまい、
うん、うん、そうだよね、そうだよ!、と同調してしまうのだ。

わたしは、映画も本も、明るく楽しいものより、
暗く重たく、救いが無いものを好む。

だから、理解されない。
だから一人で見る。

しばらく、古本ブームが続きそう。
料理も、やれたらいいなあ。
自分で作る料理、わたしは好きだ。
夫たちの口には合わなかったようだが、わたしは好き。


エンゲル係数、低くしないと。

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どうなっちゃった?

どうにも、だるくて、何もできない。

汗をかくし、ムギの敷物も雨で濡れるので、
洗濯だけは一生懸命やっているが、
食器洗いがもう、嫌でたまらない。

掃除も、一週間に一回しか出来てない。

金曜日は、通院で疲れて、変な時間に寝てしまったし、
土曜日も、美容院から帰って来て、
ちょっと休憩、と思っただけなのに、夕方まで寝てしまった。

今日も、ちまが必死に起こしに来るので、
頑張って起きたが、だるくて辛い。

洗濯して、ちょっとパソコンで調べものをして、
あとは幼なじみのヒロミちゃんに手紙を書き始めた。

わたしの手紙は長いので、途中で中断して、
焼きそばを作って食べた。
枝豆も茹でたのだが、あまり食欲がなく、食べなかった。

そのあと、ちょっとだけ休憩、と思って、
ベッドに斜めになってたら、
案の定、眠ってしまっていた。

こんな時間に寝てしまうと、寝付けなくなると思い、
必死に起きた。

気候のせいもあるのかな。
梅雨時って、こんなにしんどかったかな。

けっこう6月って、体調を崩しがちだったなあ。
今は働いていないし、家事も自分のことだけやれればいいので、
まあいいや、で済むけれど、
働いていて家事をやってる人は、偉いね。
尊敬する。



メールどころか、ラインなるもので、
瞬時に言葉を伝えられる、今の時代に、
ヒロミちゃんと文通を始めた。
ゆったりとしたペースで、思い思いのことを書く。

マステで飾ったり、封かんシールに凝ってみたり。
わたしは文章をいっぱい書くので、
便箋はシンプルでいっぱい書けるもの。
封筒も、色はピンクだけれど、事務用のものなので、
記念切手を必ず使い、マステでアクセントをつけて、
季節に合った封かんシールを貼っている。

そういうことを楽しめるのが、手紙のいいところだ。

細く長く、続けたいと思っている。

子供時代、多感だった少女時代を一緒に過ごした友達は、
とてもいいものだなあと思う。



今週、会うことになった、かつてのママ友さんは、
わたしの変貌にびっくりするだろう。

その当時から、別に痩せてはいなかったが、
まだ11号サイズが着られてたし、
白髪も染めてはいたが、今はもう95%が白髪なのだ。
(染めてはいるけれど)

きっとすれ違ってもわからないと思うので、
目印を教えて待ち合わせするつもり。

ファミレスは、ランチタイムの予約は出来ないとのことだったので、
地元の美味しいイタリアンの店を、予約しておいた。
親切なお店で、席の希望まで聞いてくれた。

自分がすごく沢山水分を取るので、
ドリンクバーが必須なのだ。
そのイタリアンのお店は、機械が無いので炭酸ドリンクはないが、
ジュースやアイスコーヒーなど、7種類もあるので、充分。

お友達とカラオケに行く、ということが、
すごくすごく久しぶりなので、楽しみでたまらない。

その翌日から、寝込むことを前提にしてある。
寝込んでもいいから、会いたい。



けれど、このだるさは、どうしてくれよう。
減薬、すぐにしてもらえば良かったかな。
でも、過食が治まってまだ一週間くらいだったので、
急に、減薬は、難しいよね。
来月はきっと減らしてもらおう。

夕方、夫が、「ムギいるよ。」と教えてくれたので、
会いに行った。

最近のムギは、庭のど真ん中で、ダラダラしている。

お姑さんが居る時は、せいぜい、車の下だったのだが、
今は中央で、番犬のように見張っていたり、
ダラダラと転がったりしている。
お姑さんがいると、追いかけられたりするので、
今はムギもリラックス中だね。

じめじめしているので、ムギのベッドに敷いてあるタオルや、
小屋の前の敷物は、頻繁に交換している。
少しでも気持ちよく過ごしてもらいたいからだ。

オバチャン猫になったちまは、
大体、一日中、わたしのベッドに敷いてやったバスタオルの上で
寝ている。

しどけなく寝ている姿も可愛いものだ。
時々抱っこをせがむ。
起こしに来るときは、お腹に乗って、一生懸命に顔を舐める。
優しい起こし方だよ。


月曜日もヒキコモリの予定。
まだ食べるものもあるし、夫が飲料を買いだめしてくれてるので、
すごく助かる。
わたしの手では、一回に2ℓボトルを一本買うのがやっとだから。

いつのまにか梅雨入りしていて、
いつのまにか、7月になっていた。

すごいスピードで時間が過ぎて行ってしまう。
ついて行けない。

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本気で減薬したい!

今のクリニックに通って、もう4年が過ぎた。

前に紹介された病院が、コロコロ医者が変わり、
もう信用ならないね、ということになり、
カウンセラーさんが、よく患者さんを紹介すると言う、
個人のクリニックを紹介して下さり、
初日は、同行してくださって、
診察室にも一緒に入ってくださった。

とても慎重な、いい先生で、
4月に転院したのだが、
お薬を決めるまで、延々、7月までの間、
毎週毎週、通院していたのだ。

住宅街にひっそりとあるクリニックなので、
駅からは徒歩15分。
アップダウンもあって、梅雨時は本当にしんどかった。


ちょうどその年に、息子の結婚を控えており、
結婚式は9月だったのだが、
和装の前撮りが、7月だった。

和装をぜひ、写真に残したほうがいい!と強く推したのはわたしなので、
息子は、わたしに、何曜日なら見に来れる?と聞いてくれ、
わたしの空いている日に予約を入れてくれた。

けれど、まだ毎週通院して薬を調節中だったので、
自信がなかった。

息子とお嫁ちゃんは、写真を撮られる側だから、
二人はずっとどこかでカメラを向けられている。

その様子を、本当に、見たかったのだが、
お嫁ちゃんのご両親が、当然来られるので、
そうすると、ご両親とわたし、という3人で、
過ごさなくてはならない。

それに耐えられる自信が持てなかったのだ。

息子は、お嫁ちゃんには、わたしの病気について話していたが、
お嫁ちゃんは、自分の親には、話していなかった。

だから、普通の人のふりをしなくてはならない。

30分や一時間では済まないだろうから、
とてもじゃないけど、きっと無理だろう、
なんかおかしい、と思われてしまうか、
もしくは、頑張りすぎてしまい、数日寝込むか。

なので、とてもとても、残念だったけれど、
わたしは、行かない選択をした。

息子が、がっかりしていた。
和装、勧めてくれたのに。
見たがってたよね、と言っていた。
でも、あの時の状態では、耐えられなかったと思う。

一生に一度なので、本当に残念だった。

あとで、ロムでデータをもらい、夫にプリントしてもらったが、
お嫁ちゃんは、両親と手を繋いで笑顔で写っていたりして、
うらやましかった。
わたしも、息子との写真、欲しかった。

けれど、醜形恐怖を持っているので、
人さまの前では、写真の納まるのも、無理だったかもしれない。

結婚式当日は、ヘアセットは夜会巻きにしてもらい、
お化粧も、アイラインくっきり入れて、派手にしてください、と
頼んだ。
それくらい、日常からかけ離れないと、
普段の自分を鏡や写真では見ることはできないのだ。


あれから4年が経って、
薬はじわじわと増えた。

母屋の料理を始めて、ムギが入院してたあたりが、
わたしは最高におかしくなってた。

そして、去年の大晦日に帰省して、
また一気に悪化し、
朝になってもまだ寝付けないという状態が、5月まで続いた。

寝る努力をしていないと夫に責められ、
初めて、本気で、死ぬことを考えた。

自分でも驚いた。
こんなに、死にたいと、思ったことがなかったからだ。

5月の診察で、とうとう、死にたいですと口走った。

睡眠薬が、ハルシオンから、サイレースに変わった。
それで、寝付けるようになった。

死にたくはなくなった。

素人さんは、人は死ぬ前にはちゃんと寝れるんだから、
とか言うけれど、それは逆だ。

寝れないと、死ぬんだよ。

それを、覚えておいたほうがいい。

今回の診察では、
眠れていること、娘を降りると宣言したら、
過食が治まったことを話したら、
これで調子が上向いて来たら、寝る前のお薬を、
少し減らせるかもしれませんね、と言われた。

このクリニックで、初めての「減薬」だ。
本当に減らしたい。
200ミリ飲んでいるセロクエルを、半分にしたい。



夕べ、ムギのところに行く前に、
念のためまた、お隣の屋根を、確認した。

そうしたら、また、スダレの外に、
しましまの、シッポだけが、出ていた。

ムギが来ているのだ。
ムギ、ママに会いに来てくれたのだ!

一昨日、会いに来てくれた時、
ムギ、「ママ会いに来たよ!」って呼んでくれたら、
ママ、聞こえるから、呼んでね、と伝えたのだが、
この日は通院でヘトヘトになり、
夜の9時くらいから、夜中1時まで、眠ってしまっていたのだ。

だから、もしかしたら、ムギは呼んでくれたかもしれないが、
気が付くのが遅かった。

窓を開けて、「ムギ! ムギ!」と呼んでも、
微動だにしない。
シーバを投げても、動いてくれない。

体は全部隠して、シッポだけを、出してある。
それが、ムギの気持ちなのだ。

「ムギ、ママ今からムギのお部屋に行くから、ムギもおいでね!」
と、何回も念押しして、わたしは降りて行った。

ムギの小屋の前に座って、呼んで待つが、ムギが来ない。

なので、お迎えに行った。

アパートの前の細い通路に行くと、
ちょうどムギが塀に降りたところで、
顔が合って、にゃ~と鳴いた。

ムギ、おいでね! ママ待ってるよ!

そのあと、だいぶ経ってから、ようやくムギが、鳴きながら来た。

ツンデレの、「ツン」が終わって、
「デレ」モードになり、
ムギは、会いたかったよ!っとくっついて来て、
暑いのに、わたしの脚に乗って体を預けた。

うんうん。
ムギ、会いに来てくれて、ありがとうね。
気が付くのが遅くてごめん。
待ちくたびれちゃったよね。

ずっとムギを撫でて過ごした。

ちゅーる食べたい、と鳴くので、ちゅーるをあげた。
すると、まだ足りない、なんか欲しい、というので、
シーバは夕方食べたから、普通のカリカリだよ?と言って、
通常食べている、CDという餌を、手から一粒ずつ食べた。

そして、ムギはまた、パトロールに出掛けて行った。

生きていると、色々切ないことが起きるね。
ムギが会いに来てくれるのは嬉しくて切ない。
階段を上がって来る勇気があったら、
わたしの玄関前にも、ドームベッドを置くのにな。

今は外は雨で、ムギは隣の屋根には来ていないので、
このあと、わたしが会いに行く。

                                               伽羅moon3

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