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つなぐのは自分。

生まれてくるときに、
今回、生きるにあたってのテーマがあって、
いつ、どこで、どんな人と出会うか、
大まかな青写真を持って、生まれるというのを、
わたしは何となく、信じている。

運命が決まっていて、その通りに進行するということではない。

あくまでも青写真であって、
出会いだけであって、
その出会いに、何を感じ、どう生かし、
どう繋いでいくのかは、その人生で自分で決めて行くことだ。

だから、「運命の人」と、仮に出会ったとしても、
その人と、結婚するとは限らないし、
一生いい友達でいられるかもしれないし、
もしかしたら、縁が絡んで、義兄弟になることだって起きる。

人は、本来、そういうことに対する「勘」を持っているはずなのだ。
ただ、情報が錯綜していて、それに気が付けなかったり、
失敗したりしてしまうことだって、往々にしてある。


大切なのは、
この人は、自分には大切な相手だとわかった時、
相手を大切にする、行動を起こせるかどうか。
そして、それを、持続できるかどうかなんだと思う。

若いころはわからずに生きていたが、
思い返してみると、決して偶然ではなく、必然として、
出会う人の多かったこと。

わたしは、人が苦手で、うまく距離を測れなくて、
失敗ばかり繰り返して生きて来た。

だから、もう、付き合う相手は、増やさない、
今後は縮小の方向で生きて行くと考え、
ブログにもそう、書いて来た。


ところが、「リカちゃん展」に行ったことで、
幼なじみのヒロミちゃんと文通が始まり、
一人、増えた。

そしてまた今日、増えた。



夕方、パン屋に併設のカフェで、コーヒーフロートを食べていたら、
メールが来た。

それは珍しい方からだった。

息子が、小学生になるとき、わたしが働いていたため、
学童保育に入れたのだが、
そこで、一番最初に、お友達になってくれた子の、お母さん。

今で言うところの、「ママ友」さんだった。

学童は、入学式よりも先に保育が始まる。
初日、息子は、たった一言も声を発せず、
部屋の隅っこに体育座りをして、
ただ黙って絵本を眺めていたと、連絡帳にあった。

心配だった。

ところが、その子が声をかけてくれたらしく、
入学式の時には、二人はもう、仲良しになっていた。

彼女は私より5歳年上で、公務員さんだった。
学童には、母親が働いている家の子が入っている。
つまり、共働きか、シングルマザーか、どちらかなのだ。

わたしはもう、離婚は決めていて働きだしたので、
どちらでもあった。

彼女はとても親切で、わたしの帰りが遅くなってしまうときは、
息子を預かってくれたし、
土日に遊びに行かせてもらっていたし、
地方の仕事の時には、息子を預かって泊まらせてくれた。

それ以外でも、お料理が上手だったので、
みんなを呼んでふるまってくれたり、
子連れでカラオケに行ったり、
旅行にも行った。

彼女が、息子が入った高校のことを、教えてくれたのだ。
それはいい、と思って、
わたしは息子が中学生の時から、
その高校を勧めるつもりだった。

だから、あらゆる意味で、今、息子が立派に大人になって、
結婚して幸せなのは、
彼女に助けてもらえていたからなのである。

本当に、数えきれないくらいお世話になったのに、
決してお礼を受け取ってくれなかった。



彼女は、長崎県の、五島列島の出身だった。
短大に受かり、東京に来て、初めて住んだ町が、
今、わたしが、住んでいる町なのだ。

その路線には、歌があって、
彼女がカラオケで、毎回歌うので、
わたしも歌詞をそらんじていた。

まさか、自分が、次にそこに住むだなんて、考えたことがなかった。
これもご縁。


そして、初めて、五島列島の出身だと聞いた時、
わたしは、小中学生の時の、ある同級生のことを思い出した。

小学3年生くらいの時、転校してきた女の子がいて、
その子が、確か、五島列島から来たはずだと思い出したのだ。

決して勉強ができるタイプの子ではなかったが、
作文がとてもうまくて、
自分が育った五島列島の美しい海についての作文を読んで、
海なし県だったので、そんな綺麗な海がある島から来たんだ、と
思いをはせたので、記憶に残っていた。

とても変わった苗字で、ハンコがなくて、
名簿の彼女の欄だけ、いつも先生の手書きだった。

それで、ママ友となった彼女に
わたしの同級生にね、五島列島から引っ越してきた子がいて、
変わった苗字で、「○○」っていう子だったんだけどね、と
話した。

五島列島は、文字通り、列島なので、島がいくつもある。

そうしたら、彼女が、固まって、
そしてこう言ったのだ。
「その子… わたしの、いとこよ…。」

二人して、ぶわっと鳥肌が立った。

そんなことって、ある?

東京で出会った人と、小学生に時に転校してきた、
中部地方の海なし県の、友人が、
いとこだっただなんて、そんなことが、あるの?

聞いたら、その苗字は、島でも珍しく、
数軒しかなく、引っ越して行ったのは、間違いなくいとこだと言う。

人のご縁とは、こんなに絡み合うものなんだ?と
心から驚いた。



やがて、荒波に飲まれてわたしはうつ病を発症し、
夫と再婚して、今の街に来た。
彼女が、五島列島から初めて東京に来て、住んだ町。
どの辺のアパートだったのかなあ、と
いつも思っていた。

年賀状と、メルアド変更の時しか、
連絡を取っていなかったので、今日のメールは、
あれ、どうしたかな?
息子くんが結婚とかしたのかな?と思いながら開いた。

すると、彼女は3月で、定年になったそうだ。
しかし、再雇用があって、なんと、今、
わたしが住んでいる町、
つまり、かつて自分が東京で初めて住んだこの町に、
働きに来ているというのだ!

ええ?
そんなことって、ある?

ああ、ご縁は、切れていない。
そう直感した。
わたしは、ここで、このご縁をつかめば、
また彼女との、子供抜きの、新しい関係が築ける。

23区の、端と端なので、通勤距離が長く、
ようやく慣れて、
もしかして駅前でわたしとばったり会わないかなと、
思えるゆとりが出来たので、メールしました、と書かれてあった。


嬉しい。
お世話になりっぱなしで、何のご恩返しも出来ていない。
でも、連絡してくれた。
会いたい。

わたしはすぐに返信を送った。

会いませんか?
また、一緒にカラオケ、行きませんか?
わたしは、薬で、どうにか安定していて、
今は、生きて来た中で、最も幸福な日々です、と書いた。

すぐに返事が来て、
わたしの幸福をたいそう喜んでくれ、
予定をすり合わせて、会うことになった。


覚えていてくれて、嬉しい。
わたしはすっかり太ってしまい、白髪になってしまい、
見る影もなくて、恥ずかしいのだが、
わたしにとって、大切なご縁を持った人だと思った。

縁は、自分でつかんで、育てないと、
意味をなさない。

ひとりひとりと、大切に付き合う。
静かに、ゆっくりと、ささやかに生きて行く。

それを、今は、とても幸福だと感じる。

                                               伽羅moon3

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