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大変な日になった(2)

母屋のリビングは二階にある。
階段を上がっていくと、トイレの前で、夫が、
お姑さんを両腕で抱えている。

どうしてもトイレに行きたいと言ったらしく、
リビングの床にへばっていたのを、夫が抱きかかえて、
トイレに連れて行こうと試したらしい。

しかし、お姑さんは、左足が動かない、
痛い、立てない、と言っている。

トイレは無理そうだ。

夫は、近所の、血圧と狭心症でかかっているクリニックに、
連れて行くと言う。
外科もちゃんとあるとのこと。

でも、わたしは、それには賛成しかねた。

今いるのは、二階で、階段は、途中で直角に曲がった形。
いくらお姑さんが軽くても、
痛がっている人を、どうやって一階に降ろして、
どうやって車に乗せて、
行ったはいいが、そのあとどうなる?
二人の力で、どうにかできそう?
あのクリニックで、対処してくれる?


わたしはくるくると考えた。

4年前、お姑さんの胆石が胆管にはまり、
胆のうが腫れあがった時、
そのクリニックでは対処できず、結局、救急車で、
都立病院に回されたのだ。

今回も、まず、同じことになるだろうと思った。
しかも、前回は平日だったが、今日は日曜日だ。

「無理だよ。無駄だと思う。都立病院に行こう。救急車、呼ぼう。」
わたしは、強く提案した。

あのクリニックに行けば、
提携している違う病院に回されるかもしれない。
それよりは、救急車に乗って、都立病院で、とお願いしたほうが、
絶対にいいと思ったのだ。

いいね、そうするよ。
救急車、呼ぶからね、と勢いつけたのは良かったが、
生まれて初めてなので、まず、番号が思い浮かばなかった。

109と押してみたが、つながらないので、夫に聞いたら、
119だよ、と言われた。

火災ですか、救急ですか、と聞かれ、
救急だと伝え、住所と夫の名前を言った。
お姑さんの状況も話した。
家は、路地を入ったどん詰まりのコンクリート建ての家で、と
説明をしたら、
「大丈夫です、もう画面で映像を確認しました。」とのこと。
すごい時代になったものだね。

お姑さんを廊下に静かに寝かせて、
二人で入院の準備をした。

4年前に一式買ったのに、下着が見当たらない。
とりあえず、明日でもいいので、見当たったものだけエコバッグに入れた。

夫が診察券や保険証、お薬手帳とお薬一式を用意した。

救急車から電話がかかって来た。
もう到着するらしい。
サイレンが聞こえている。
夫が家の前の道まで迎えに出た。

救急車と消防車が来ていた。

隊員さんが次々にあがって来て、4人、いらした。
簡単に説明を聞いたあと、担架にくくりつけて、
お姑さんを救急車に運んだ。

二人まで一緒に乗れると聞いたので、夫と二人で救急車に乗った。
わたしは、人生初の救急車。

車内から都立病院に、受け入れ要請をしてくれている。
受け入れてもらえるらしく、発車した。
噂には聞いていたが、とても揺れて、乗り心地は悪かった。

お姑さんは、しっかりしており、
騒ぐこともなく、落ち着いている。
大正生まれと書いてあるのを隊員さんが見てびっくりし、
「大正ですか!」と二度見していた。

救急搬入口から入れられ、お姑さんはストレッチャーに乗ったまま、
夫への聞き取り。

夫がスーパーに行っていた一時間くらいの間のことだったので、
誰も状況を見ていないのだ。

転んだのか、ただ立ち上がっただけなのか、
本人の答えが、聞くたびに変わるので、
聞き取りはちょっと難航した。

家の間取り、家族構成まで聞かれて、それからやっとレントゲン。


お姑さんは、左の大腿骨の付け根を、骨折していた。

手術するしか治す方法が無い箇所らしい。
手術は簡単で、40分ほど。
ボルトで留めるだけとのこと。
ただ、この土日で、救急搬送されてきた患者さんが溜まっており、
月曜の朝の、医師・麻酔医・看護師・病棟との合同カンファレンスで、
誰を優先的に手術していくかを、決めるとのこと。

同じ骨折をした人が、他にも2名、もういるそうだ。

お姑さんが、90歳という高齢で、
認知症外来にも通っているのを知り、
手術が遅い日程になり、寝かせておく日にちが長くなれば、
ボケが進行する可能性が高いのは、充分に考慮してくれるらしい。

入院をした日が最も元気があり、だんだん衰えて来る。
それは考慮して決めると言っておられた。

どちらにせよ、月曜日に夫に連絡が入るまではわからない。


このまま入院なので、夫は書類を色々書く。
わたしは、必要と思われるものを、院内のコンビニで買って来た。

あたふたしているので、買い物が一回では済まず、
何回もコンビニに行った。

個室と4人部屋とどちらにしますか?と聞かれて、
夫が、個室の方がいいかな、と言った。

個室の値段が18000円なのは、もちろん知っている。
わたしの時は渋ったのに、おかあさんには、しぶらないんだな、と
ちょっと悔しかった。
わたしはたった4泊5日だったのに、お姑さんは最低二週間と言われてる。
それでも個室をしぶらないんだ?と思った。


でも、今日のところは、外科の病棟では、
一番奥の4人部屋しか空いてないらしく、
このあと、いろんな処置もあるので、
脳外科の個室に入ってもらえないか、と聞かれて、
夫は快諾していた。

手術がいつになるかはまだわからないが、
手術までは、多分個室のままだろう。

病室が決まり、準備が整って、移動。
導尿の管を通すので、感染症予防にオムツがいると言われて買いに行った。

導尿管も、点滴の針も、なかなかうまく行かないようで、
わたしたちは廊下に出されて待っていたのだが、
ご飯でも食べて来てくれと言われた。

でも、夫がスーパーでお寿司パックを買って冷蔵庫にいれてあるので、
帰宅してそれを食べねばならないので、
甘いコーヒーを飲みながら、談話室で待っていた。

しばらく経って、やっと両方成功したらしく、
呼ばれたので行って、
今度は、お姑さんに何か食べさせなくてはならない。

本人は、食べたくないと言い張るが、
夫は、いつもそうやって食べないから、
骨折なんてことになったんだぞ、と言い、
お稲荷さん一個と、海苔巻き一個と、
キウイを食べさせた。

しばらくいたが、本人がまったく動けないので、することもないし、
二人でタクシーで帰った。
10時過ぎていた。

娘ちゃん二人はお出かけだったが、
次女ちゃんは帰宅していたらしい。
3階の部屋にこもっている。
長女はどこまで行ったのか不明だったが、帰って来たのは11時近かった。



手術したら、もう翌日から、歩くことを勧められる。
わたしも、看護師交代の17時を過ぎたら、
手数が減るから、今のうちに立って!と言われた。
それは、卵巣を摘出した時のこと。
麻酔の後遺症で吐いていたので、辛かった。

胆のうを取った時は、吐かなかったので、早く立ったし、早く歩いた。
ちまがあまりにも不憫で、とにかく最短で帰る!と決めていて、
必死に食べて必死に歩いた。



都立病院は、救急病院なので、
長く入院していることはできない。
術後、一週間で抜糸で、そのあと一週間のうちに、
次に入院するリハビリの病院を探して紹介してくれるそうで、
それに従ってくださいと言われた。

合わせて、一か月以上、かかるだろう。


でも、お姑さんがいなければ、
言い方は悪いが、家事は格段に楽になる。
みんなのストレスも少し楽になる。

お姑さんの認知症が進行しないように、
話し相手が必要だと思うのだが、
わたしに、それが勤まらないのだ。

お世話することはいとわないが、話し相手は無理だ。

でもとにかく、協力して、頑張るしかない。
わたしは夫のケアをしてあげたいと思う。


ということで、大変な一日でした。

                                               伽羅moon3
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