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わたしの守護霊。

数年前、最初のカウンセラーさんが急死なさってしまい、
もうどうしたらいいかわからず、
宙ぶらりんだった頃、
どなたかのブログで目にして、
インド人のヒーラーさんのセッションを、受けてみることにした。

英語でしかお話しされないとのことだったので、
専任の通訳さんもお願いした。

紙に、生年月日と名前を書いただけで、
わたしが座っていると、
長い水晶のお数珠を持ったヒーラーさんが現れて、
何も言わずにしばらくわたしの後ろをご覧になっていた。

わたしは、一言も発しない。
ヒーラーさんが受け取ったメッセージを、
ただ一方的に、聞かせていただくだけ。

あなたには、お兄さんがおられますね、と聞かれ、
いいえ、と答えると、
おかしいな、見えるんですが、とのことだった。

母が堕胎した子供は、男の子だったということだ。
わたしのそばにいるらしかった。

わたしを守ってくれているのは、父方の祖父だとのこと。


祖父は、わたしが生まれる前にもう亡くなっており、
母方の祖父も亡くなっていたので、
わたしには、「おじいちゃん」の経験がない。
けれども、とにかく祖父が守ってくれているそうだ。

前世は、江戸時代の江戸の、武家の娘で、
今の父が、その時も父で、
今の息子が、その時も息子だったそうだ。

江戸時代、わたしは結婚して二人の子供がいたが、
言葉の使い方がきつく、人に嫌われることが多かった。
48歳で亡くなった、とのこと。

今生では、父親は90歳近くまで生きる。
その後数年、母親の面倒を見なくてはならない。

息子さんは、28歳か29歳で結婚をする。
あなたは、孫を抱くことができる。

78歳が、天寿である、と教えてくれた。


いろんなことを話してくださって、最後に質問はないかと聞かれたので、
わたしの息子は、長生きできるでしょうか、と尋ねた。
そうしたら、大丈夫、80歳近くまで生きられる、と言ってくださった。

一番知りたいのがそこだったので、
わたしは安堵して、セッションを終了した。


会ったこともないおじいちゃんが、わたしを守ってくれているのは、
きっと、父と母が、祖父の法事を、きっちり務めて来ているからだろう。
祖父は早くに亡くなり、父が長生きしているために、
祖父の、50回忌までを務めあげたのだ。
偉いと思うし、それを感謝して、祖父がわたしを守ってくれているなら、
わたしは間接的に、親に感謝をしなくてはならない。

おじいちゃんがどんな人だったかは、
父からと母から聞いた話でしか知らない。

戦前に、満州鉄道の社員として満州に渡り、
祖母が子供を抱えてそれを追って行ったと聞いている。

従姉の母(わたしの叔母)は、末っ子で、
満州で生まれた。

満州鉄道に勤めていれば、安泰だったのに、
辞めて、事業を始めて、失敗したと聞いた。
けれど、そこに至るまでは家は裕福で、
外食に行ってコース料理も食べたそうだし、
中国人の雇人もいたそうだ。

日本が負けた途端、
中国の人は、こらえていた憎しみを爆発させ、
日本人からひどい略奪をしたため、
満州から、日本に帰ることが、いかに大変だったかは、
藤原ていさんの著書や、宮尾登美子さんの著書で読んで知っている。

父に、帰って来るのに、ひどく苦労をしたのかを尋ねたら、
雇人だった中国人が、実は、中国側の、スパイだったそうだ。
ところが、祖父は、人が良くて、雇人を大事にいていたらしく、
それに感謝していたスパイが、
こっち経由でなら帰れると、誘導してくれて、
大した苦労をせずに、日本に降り立ったとのことだった。

ただ、日本に帰って来ても、
故郷を捨てて満州に行ったわけだから、
住む家にも困り、最初は多少の苦労があったらしい。


祖父は終戦後、働くことをせず、
事業を起こしては失敗し、借金まみれになったそうだ。
田んぼも山もあったそうだが、祖父が全部売ってしまい、
働かないので、父が闇市で物を売って、
兄弟を養っていて、それで就職が遅れ、
いい働き口がなかったとのことだった。

だから、父は優秀なのに、工場の三交替勤務をしていたのだ。

やがて父は家を捨てて母と結婚し、
その後、祖父はガンになり、他界した。

なので、わたしも従姉も、おじいちゃんを知らない。


従姉が、「ねえ、おじいちゃんの誕生日って、知ってる?」
と聞いて来た。
そういえば、考えたこともなかった。
法事をやるから、命日は5月だと知っているのだが、
おじいちゃんの誕生日に、思いをはせたことはなかった。

先日、従姉が帰省した時に、
おじいちゃんとおばあちゃんの話になり、
聞いてみたら、なんと祖父の誕生日は、
9月6日だったことが、判明した。

従姉は、腑に落ちた、と言っていた。

わたしは、12月の6日が、誕生日なのである。



誕生日には、意味があると思う。


わたしが、息子を産むとき、
予定日が12月の1日だったのだが、
全く何の兆候もなく、もう3,000グラムを超えているので、
あまり大きくなりすぎても、という医師の判断で、
病院に都合のいい、月曜日に入院して、
陣痛促進剤を打った。

しかし、何も起こらない。
なので、もう1本、打った。
それでも、まったく陣痛は起こらなかったのだ。
それが、12月の、9日だった。
そして、一晩経って、翌10日になったら、
朝の6時に、陣痛が始まった。

その時、わたしは、ひどく後悔をした。

ああ、この子は、最初から、12月の10日に生まれる子だったのだ。
余計なことをしてしまい、申し訳なかった!と悔やんだ。

わたしの父は2月10日生まれで、母が3月10日生まれなのである。

だから、10日に生まれることになってたんだ!と
陣痛に耐えながら、そう考えて、大変申し訳なかった。

その日の夕方4時過ぎに、
へその緒を首に二重に巻かれて、
緑色になってしまった息子が、誕生した。

前世でも、祖父と孫という深い関係だったのだから、
息子が10日に生まれて当然だと思う。



息子が、彼女が出来た、と話してくれたのは、
彼がまだ、24歳の時だった。

彼女について聞いてみると、
同じく一人っ子。
同じく血液型B型。
そして、誕生日はわたしと同じ6日。
隣町で生まれ育った子。

そう聞いて、ああ、この子はもう、
結婚する女性と出会ったんだな、とわかった。

そうとしか、考えられなかった。

一人旅を、始めたばかりの彼女と、
一人旅を、始めようとした息子が出会い、
一人同士が、二人、という単位になった。

4年、付き合って、息子は予言通りに、
28歳で結婚した。



予言では、孫が生まれることにはなっているが、
わたしに示唆されたことを、わたし自身が実行しなかったことにより、
実現していないこともあるので、
予言は決して絶対ではない。

選択は、常に、自分が行うのだ。



祖父の話に戻るが、
祖父は、洋食屋さんの料理人だったそうだ。
これは、知らなかった。

洋食屋でコックをしていた時に、
ウェイトレスをしていた祖母と知り合い、
多分、当時(大正時代)としては珍しい恋愛結婚をした。

全然知らなかった。

祖父は、もらわれっ子だったそうだし、
祖母は、自分の母親が再婚した時の連れ子だったので、
境遇にも、感じるものがあったのかもしれない。

そうかあ。
そうだったんだね。

会ったことのないおじいちゃんに、わたしは話しかけた。

おじいちゃん。
せっかく守ってもらってるのに、
両親とうまくやれてなくてごめん。

どうしたらいい?
夢に出て来て、教えてよ。

                                                伽羅moon3


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