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2017年6月

見逃さなかった。

昨日は夕方、ちゃんとムギに会えた。
夜また来るからね、
ママが呼んだら、ちゃんと帰って来てね、と、
ムギに約束して部屋に戻った。

そして、約束通り、毎日の日課で、
夜中の2時に、ムギに会いに行く。

最近は留守にしていることも多く、
呼ぶと走って帰って来てくれたりする。

でも、呼んで待っていても、帰って来てくれない日も多い。
冬場は、小屋の中にいる確率が高かったので、
ちょっと寂しい。



夕べも、行ったら留守なので、呼んで待っていたが、
帰って来ないので、
仕方なく、夫に報告メールを送って、部屋に戻った。

ただいま~と言いながら部屋に入ると、
部屋の隅っこの、ドレッサーの椅子に設置した、
小さい夏用ベッドにいたちまが、
椅子の背に、アゴを乗せていて、とても可愛かった。

ちまちゃん、かわいい~!
わたしはキャッキャ言いながら、ガラケーで写真を撮った。

そして、そのあと、そろそろ寝るから、
窓のシャッターを閉めよう、と思って、
東の窓を開けた。

わたしの部屋は、北と南と東に窓があるが、
北はベッドサイドだし、
お姑さんの部屋の真ん前なので、開けることは全くない。
南側は、前のマンションの通路の正面にあたるので、
お互いが丸見えになるので、あまり開けない。

東側も、お隣の家がすぐそばに迫っているが、
ちょっとこちらの部屋の方が前方にあるため、
あちらのベランダから、覗かれる心配はない。

なので、東窓だけを、透明なガラスにしてあり、
起きたらシャッターを開けて、カーテンも開けて、
レースカーテンも、キャットタワー部分は開けておく。

そうすれば、ちまがキャットタワーから、外が見られるのだ。



お隣の家の屋根には、
ムギが来ていることがある。

多分、ノラ時代から、使っている場所なんだと思う。
屋根に後付けされたサッシのベランダには、下に隙間があり、
そこに入れば、雨風を防げるからだ。

今までも、ムギが来ていたことが、3回ある。

一度は、呼んだら寄って来て、庇に降りて、
ジャンプしたらわたしの部屋に入れるくらいまで来たので、
来ちゃったらどうしよう、と思ったくらいだ。

そう言うことがあるので、寝る前まで、シャッターは開けている。

でも、夕べは、もし隣の屋根にいたら、
わたしがムギのリビングで呼んだ声が、
聞こえないわけはないので、まさか、居ないよね?と思いつつ、
窓を全開にして、ちょっと目をこらして、見つめた。

すると、ベランダに掛けられた、すだれの下から、
シッポが出ていた。

暗い色の、しましまシッポ…。


ムギだ!

ムギが、来ていたのだ。
でも、「ムギ! ムギ!」と、何回呼んでも、
まったく反応がなく、微動だにしない。

まさか…具合が悪くて、ママに助けを求めに来たの?

わたしは焦って、シーバと言う餌をキッチンから持ってきて、
お隣の屋根に、投げた。
カランコロンと、音がする。

すると、ムギが動いて、すだれの下を通って、
こちらに顔を向けた。
「ムギ!」
お花のついた、スエード調の首輪をしているので、完全にムギだ。
「にゃあ~。」
ムギは返事をしてから、シーバを拾いながら食べて行った。

ムギ…。

ママに会いに来ていたんだね。
いつから、そこにいたの?
寂しくなっちゃって、会いに来たの?

ママ、さっき、ムギのお部屋で、ムギのこと呼んでたの、
聞こえてたでしょ?


ムギは、わたしに会いに来ていたのだ。
この窓だけが、唯一、会える場所なのだ。


ムギには、「階段登って来て、オデコで、玄関、ゴンゴンしてくれたら、
ママわかるから、来ていいよ。」と言ってある。

でもムギは、わたしの声がする、明かりがもれている窓の外に、
ずっといたのだ。

切なくて、切なくて、
どうしたらいいのかわからなかった。

ちまも、顔を出して、ムギを見た。

すると、ムギは、一声鳴いて、塀に降りて、物置に降りた。

わたしはちまにもおやつをあげて、
すぐ外に飛び出した。

ムギは、アパートの前の細い通路に立っていた。
「ムギ、ムギのお部屋に行こう? 行って、ちゅーる食べよう?」
そう、声をかけて、手で、おいでおいでして、
わたしが先に、ムギのリビングに行って、座った。
「ムギおいで~。」
そう呼ぶと、ムギが、鳴きながら近寄って来た。
そしてわたしにくっついて来て、「会いたかったよ。」と甘えた。


ムギちゃん。
ムギちゃん。
会いに来ててくれたんだね。
気が付くのが遅くてごめん。
ずっと待ってたのね?

ママ、ボク来たよ!って鳴いてくれたら、ママ聞こえるのに。
なんで黙って、隠れてたの?

切ないよう。


ムギは、キジ猫なので、色が暗い。
暗闇では、判別が出来ない。
でも、用心深く屋根を見たので、シッポを発見出来たのだ。

ムギはきっと、わたしとちまが、じゃれている声を聞いていたはずだ。

シッポだけ、出しておく、というのが、
ムギの、ムギなりの、精一杯の表現だったのだ。

見つけられて良かった。
気が付かずに、シャッターを下ろしてしまっていたら、
ムギの心は、もっと傷ついたよね。

身を潜めて、ママが見つけてくれるのを、待ってたんだね。
ムギ、切ないね…。



会いに来てくれてありがとう。
次に来た時は、ママ来たよ!って、呼んでね。

ムギはゴロゴロ言いながら、ちゅーるを平らげ、
パトロールに出掛けて行った。

切ない夜だった。

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何のための大学なのか。

わたしには、明確な将来の夢があったのに、
家が貧乏だったせいで、
最初から、大学に行ける可能性は、ゼロだった。

高校を受験する時、どうせ大学には行かせないのだから、
すぐ職にありつける、商業高校に行けと、
親に言われた。

そろばんが大嫌いだったわたしは、それだけはどうしても嫌で、
父の前で、畳に頭をつけて、
「普通科に行かせてください。」と頼んだ。

高校に入ってからの、芸術の選択科目で、
わたしは美術を選択し、
立体は、ダメだったが、デザイン能力を認められ、
美術の先生に、目をかけてもらえた。

作品の提出後、みんなには返却されるのに、
わたしには戻って来なかったので、
美術準備室に、聞きに行くと、
先生が、戸棚から、わたしのポスターを出した。

それは、特別に、パネル貼りがされてあった。
もちろん、わたしにだけだ。
とてもいい作品だったからね、と言ってもらえて、
本当に嬉しくて、
わたしはますます、グラフィックデザイナーか、
テキスタイルデザイナーになりたくなった。

通っていたのは、進学校だったので、大学に行かない子はゼロだ。

なので、将来何になりたいか、という夢を、明確に持っている子は少なくて、
どこの大学に入れるか、ということが、学業の目的だった。

わたしは、デザインを学びたいから、
大学が無理なら、せめて、専門学校に行かせて、
ちゃんとバイトして学費も稼ぐから、と
親に掛け合ったが、
デザインとは何ぞやすら、知らない親には、
そんな食うて行かれへん仕事に就かせることは出来ん、と
にべもなく、あしらわれた。

当たり前のように大学に行ける子たちが、妬ましかった。
やりたい職業もないくせに、
バイトしなくても、行きたい大学に行かせてもらえるなんて、
本当に世の中は、不公平だと思っていた。

今思えば、大学にとりあえず入れたら、
4年間もの、猶予が与えられる。
そこで、ゆっくり、自分がやりたい仕事を考える時間もできるわけだ。
それは本当にうらやましいことだった。

わたしはたった17歳で、自分の就職を、
自分で決めるしかなかったのだ。

誰にも頼らず、誰にも相談できず、
進路指導室に来ていた求人票を自分で見て、
願書を出したのだ。


わたしの友達にも、躍起になって勉強していた子はいる。
あらゆる楽しみを我慢して、
もしくは我慢させられて、
いい成績で、いい大学に入った子もいる。

でも、では彼らが、就きたかった職業に就けたのか。

それは、99%、無かったと思う。

4年間も考える猶予があったのに、
やりたい仕事もわからず、
なんとなく受かった会社で、営業マンの日報管理をしていた友人。
あんないい大学を出て、
その仕事で良かったの?

高校2年の最初の頃は、明るくて、大きな声で笑って、
人気者だった男の子も、
受験が近づくとナーバスになり、
雑談もしてくれなくなり、
大学を出た後、銀行員になった。

銀行員になりたくて、若い時期を、あんなに暗くして過ごしたの?
それで良かったの?


もちろん、友人のなかには、「化学」が好きで、
そういう会社に入って研究員になる、と言って、
理系の大学に入り、女性ながら、
地方の大きな化学会社に入った子もいた。
あっぱれだなあと思った。
素晴らしいよね。

ご理解のある親御さんで、うらやましい。

夫も、なりたかった職業に就けた、恵まれた人である。
夫ほどの人なら、大学院まで出してもらった甲斐があったと思う。



仕事だけが人生ではないけれど、
取り戻せない若い美しい時間を、受験に費やし、
あらゆることを犠牲にし、
結局、事務職を少しやって、お見合いで結婚して、
って聞くと、大学って、何のために行ったんだろうなあ、て思う。

わたしも、息子には大学に行かせてやれなかった。
もらえる養育費が18歳までだったし、
その後、わたしの収入では、大学に行かせてはやれない。

だから、即戦力として技術を身に着けられる高校を勧めたのだ。

「大学、って、ちょっと、行ってはみたいんだけどね。」
息子がボソッと言ったとき、
わたしは、同じ境遇なので、気持ちはよく分かった。

ごめんね、と謝ってから、
「大学はね、やりたい職業があって、
それに必要な知識を学びに行くところだよ。
だから、なんとなく、行ってみたい、って気持ちで行くところじゃないよ。」
と、答えた。

幸運なことに、息子は入った高校をたいそう気に入り、
学校に住みたいとまで言った。
同じく、高校を出たら就職する仲間と、
楽しく学校生活を過ごしてくれた。

今も、仲良く行き来している。

わたしは、やってみたいことのすべてが、「仕事」だった。
褒められることなく育ってしまったため、
自己肯定感が全くなく、
仕事で、成果を上げることでしか、
自分を認める方法を知らなかったのだ。

だから、今の、働けない自分は、本当はちょっと悲しい。
得意分野があったのに、生かせないことは、ちょっと悲しい。

次の人生では、きっと仕事で成功しよう。
きっと満たされる仕事をしよう。

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自己防衛。

わたしは、親のせいで、一人娘だ。

母が産んでいれば、兄がいたはずなのだ。
霊視してもらって、それはわかっている。

母はまるで、自分が悲劇のヒロインのように、
産ませてもらえなかったのだと、
わたしという、自分の娘に対して、
堕胎した話をした。

そんな話を、聞きたい娘が、どこに存在するか!

わたしの母は、相当な「構ってちゃん。」なのだ。
非常に幼稚で、自分のことしか考えられない。

自分のことでいっぱいいっぱいなので、
「問題を起こさないで!」
「困ったことを持ち込むのはやめて!」
「見ている前で泣くな!」
と、わたしを育ててしまった。

わたしには、甘えられる母が、いなかったのだった。

わたしに、兄さえいれば、
どんなにか、楽だろうか。

「娘を降りる」と決意し、
カウンセリングで宣言してから、
わたしの、暴力的な、過食は治まって来た。

けれど、一人娘のわたしが、娘を降りてしまうことなど、
本当は、実現しないと、わかっている。
わたしが親の葬式を出さねばならないからだ。

母を憎んでいたことなど、おくびにも出さずに、
明るくて友達の多い人でした、とか言って、
送り出さなくてはならないのだ。


でももう、本当に嫌だ。
会いたくもない。
死に目になんて会いたくもない。

されたこと、言われたこと、何もかも、忘れられない。
その苦しさを、理解してもらうこともできず、
わたしが悪役を引き受けることに決めたのだ。

母にズタズタにされた自分を、
今の、満たされた生活の中で、
どうにか、くるんで、抑えつけてあるけれど、
それは、一生消えることはない。


人には、言っていいことと、いけないことが、あるのだ。

その区別が出来ない人とは、付き合いたくない。

もののはずみで、とか、
売り言葉に買い言葉で、とか、
酔った勢いでとか、
怒りのあまり思ってもいなかったことが言葉に出てとか、
わたしは、そんなのは一信用しない。

思ったことがあるから、言葉に出てしまうのだ。
そっちこそが本心なのだ。

もう、嫌だ。
本当にもう無理だ。

残念だが、世の中には、
頑張っても報われないことが、存在する。

何のために、この境遇で生まれることにしたのか、
我ながら、不思議だけれど、
わたしは、息子には、絶対に同じことはしない。

夫は盾となりわたしを守ってくれている。
ありがたいと感謝している。

でも、その夫からも圧力はある。

自己防衛するしかないと思っている。

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時間がないのは変わらない。

土曜日は、お昼から、夜まで、
ずっと夫と一緒に過ごしたので、疲れてしまった。

夫はいい人だが、圧力の強い人である。

ちょっと気を許すと、ぐいぐいねじ込んで来る。
その圧力に耐えきれなくなるのだ。

夕飯をわたしの部屋で一緒に食べたいとのことだったので、
録画していた、動物番組を流しながら、食べたのだが、
夫は、テレビ番組に対して、非常に懐疑的な人で、
こんなのは全部、ヤラセに決まってるとか、
文句ばっかり言いながらなので、こっちも楽しくない。

かといって、テレビを消して話をすれば、さえぎりまくる。
その自覚も本人にはない。

だから、密着して過ごすのは、3時間ぐらいがいいのだ。
6時間も一緒にいると、
わたしは疲弊してしまう。

夫は、夜9時にもなると、もうウトウトしてしまう人なので、
わたしも疲れて、ベッドに横になり、
「悪いけどもう帰って。」と夫に言った。

はっきりした言葉を使わないと理解してくれない。
やんわり言っても、理解してもらえないので、
言い方がきつくても、これはもう、仕方がないのだ。


ベッドで、一時間半、ぐったりと休んでから、
やっと、食器洗いに取り掛かれた。


働いてもおらず、家事もあまりやっていないわたしを、
夫は、時間があると思っているらしい。

働いていないし、通勤してないし、
家族分の料理もしてないし、
一見、暇そうなのだろうが、わたしには、まったく、暇な時間は無い。

むしろ、よくまあ、家族の夕飯を作ってたなあと、
不思議でたまらない。
相当に無理をしていたということだ。

録画してあるバラエティや映画も見たいし、
ちまをゆっくり抱っこして過ごすこともしたい。
ムギともいっぱいラブラブしたい。

リフォームしてもらった時、本はかなりの量、処分して、
死ぬまでに、もう一回読みたい本を残したのだが、
全然、まだ、読んでない。

その状態で、夫が、お寺から勧められて良かったと思った本などを、
どんどん持って来る。

自分で選んだ本を、読み返す時間すら、まだ作り出せていないのに、
夫がいくら、良かったと思っても、
わたしにも好みがあるし、全然、読む時間が作れない。

そんなに、暇じゃないんだよね。
暇そうに見えるのかな。



夕べは、食器洗いを終えたら、
ちまがキッチンに来て、ジャンプして、抱っこをせがんだ。

小さいころはよく、そうやってジャンプして、
長い時間、抱っこしていたものだが、
オバチャン猫になってからは、珍しいので、
ただ、ちまを抱っこして、しばらく過ごした。

膝に乗せたクッションの上でリラックスして、
だらんと寝ているちまを、降ろすことなんて出来なくて、
夕べもまた、ブログが書けなかった。



今日は、年に一回の検診だった。

最初が、子宮頸がんの細胞診だった。
痛くて、怒りが湧きそうな痛さだった。
ちょっと乱暴なんじゃないの?とイラついた。

婦人科、嫌だけれど、マンモグラフィーにも慣れたし、
バリウム飲むのにも慣れた。

それより、体重の大増加が嫌だった。
腹回り計測だって、絶対にメタボに決まってるし、
それが一番嫌だった。

体重38キロだった頃もあったので、
自分がここまで太ることになるとは、思ってなかった。

母は、「そんなに太っちゃって。」となじるが、
母だって、わたしが子供の頃は、すごく太った人だったのだ。
なのに、よくそんなこと言えるよね。

周りを見回しても、血のつながった叔母は、
全員が太っている。
だから、仕方がないんじゃないの?

わたしは一日にセロクエルを225ミリも飲んでいる。
満腹中枢を麻痺させる副作用の大きい、強い薬だ。

お正月明けから、ストレスで、
狂ったように、パンとチョコを食べ続けた。
自分で、その欲求を抑えることができないのだ。

食欲は暴走し、
去年、文字通り、身を削る思いで減った体重が、
戻ってしまったどころか、はるかに超えてしまった。


しかし、先日のカウンセリングで、
「娘を降ります。」と発言したところ、
その、異常な過食が、治まって来たのだ。

少なくとも、チョコに関しては、
食べない日もあるくらいだ。

パンは、起きた時にトーストを一枚食べ、
夕飯の後、夜中12時くらいに、何かのパンを食べる。
それで、済むようになってきた。

過食のストレスは、明らかであった。


ちょっと、体重を減らしたい。
4~5キロでいい。
でも、運動は大嫌いだし、食事で制限するしかないよね。

夫は、会社の人が、それで痩せたというヨーグルトドリンクを、
だいぶ続けて飲んでいたが、
先日の検診では、「肥満」扱いで、
体重にも変化がなかったそうだ。

トクホのお茶は高いし、
どうしようねえ。

とにかく、ストレスは、イコール太る、であることがわかった。
食べすぎない自分がありがたい。
食べたくて食べていても、ずっと罪悪感がすごくて、
辛かったのだ。

このまま、過食が、治まって欲しい。

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もしも逆だったら。

昨日、連絡をいただいた旧知のお友達から、
朝、メールが入っていた。

わたしと会う日は、午後休みを取っちゃうから、
ゆっくり会いましょう、って。

嬉しい。
そうしたら、ドリンクバーのあるレストランに行って、
食べて、ゆっくり話をして、
そこから3時間カラオケしたって、まだ夕方だもんね。

わたしは手帳を見て、
自分の空いている日を、連絡した。

仕事終わりで、すぐに返事が来て、
来週は旅行と飲み会があるのでダメだけど、
会えるとなったら、早く会いたくなっちゃったので、
再来週、会いませんか?って、書いてあった。

わたしもすぐにOKした。

カラオケ友達が、今はいなくて、
行くとしたらずっと一人カラオケ専門店か、
夫とちょこっとだけ、って感じだったので、
歌が大好きな人と一緒に行くことが、
何年振りだろう?って感じで、わくわくする。



よく、勇気を出して、メールくれたなあって、思った。

年賀状と、メルアド変更の時だけの付き合いになってたのだが、
去年、彼女はご家族にご不幸があって、
年賀状を失礼します、とハガキが来たので、
お悔やみのメールだったか…ハガキだったか…
出したんだよね。

お返事があって、人生まだまだひと花咲かせます!って書いてあり、
その前向き加減とか、パワフルさが、
わたしには無理…
わたしはもう、人生を縮小する、と考えていたのだ。


そのあと、3月で、彼女は定年になったわけだ。
再雇用されて、赴任先が、
自分が東京で初めて住んだこの町。
わたしが再婚して住んでる町。

通勤が遠くて、大変だったようだが、
やっと慣れて、わたしを思い出して、
駅前とかでバッタリ会えないかしら?と思ってくれるようになり、
メールしてみてくれたのだ。

とても、ありがたい。


わたしが精神を病んでいることは、ちょこっと年賀状やメールで、
知らせた。
詳細については、書いてない。

ただ、息子が結婚した時、
彼女にいっぱい助けてもらえたからこそ、
息子がちゃんと大人になれたのだから、
報告とお礼のメールはした。



さて、もし、立場が逆だったら、どうだろう?と考えた。

自分が健常者で、
元気に働いていて、
海外旅行にも何度も行っていて、
60歳過ぎてもまだ働けていて、
まだ旅行に行ったり、飲み会を企画したりと、
パワフルに生きていたら、
精神疾患を抱えて、引きこもっている旧友に、
会いたいとメールしたり、できるだろうか?


わたしなら、できないと思った。

精神疾患といっても、いったい現在、どういう状態なのか、
わからないわけだし、
かといって、根掘り葉掘り聞くことははばかられるし、
そしたら、めんどくさいから、
関わらないことにしちゃうんじゃないかなあ。

精神疾患には本当に色々な症状があるので、
果たして会えるのか、まともに話ができるのかすら、
わからないじゃないか。

これは彼女が読んでないブログだから書くけど、
彼女に会えるのは嬉しいし、楽しいに決まっているが、
そのあと、数日、寝込むことも、わたしは覚悟しているのだ。

もう、そういう病気なんだから、仕方がない。
それでも、会いたいと思ったのだ。

人との付き合いを極限まで減らして、と考えていて、
親とも会わないと決めたばかりなのに、
ご縁がすう~っと降りて来た。

わたしはそれを捕まえた。


すべてさらけ出して話すつもりはないけれど、
(内容がヘビーすぎるから。)
今がとても満ち足りて幸せだということを、伝えたい。

彼女のおかげで、
息子は幸せな結婚が出来たと言ってもいいくらいだ。


ちょっと前のカウンセリングで、
わたしは今後の人生を、
お礼行脚をしていく、と話した。

今まで生きて来た中で、お世話になった方に、
お礼を伝えて行きたいと思っているのだ。

娘を降りるとか言ってるくせに、反比例だけど。



今まで、赤の他人なのに、わたしを救ってくれた人が、
大勢いる。

連絡が取れる方には、
きちんとお礼を伝えて生きて行こう。


わたしは、自分の、長所がわからない。

でも、できれば、誠実に生きて行きたい。
暮らしはささやかでいい。
旅行とか、行きたくない。
時々夫と居酒屋に行くだけで充分だ。

数少ない友人と、深入りしすぎない付き合いをしていきたい。
それが願いだ。

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つなぐのは自分。

生まれてくるときに、
今回、生きるにあたってのテーマがあって、
いつ、どこで、どんな人と出会うか、
大まかな青写真を持って、生まれるというのを、
わたしは何となく、信じている。

運命が決まっていて、その通りに進行するということではない。

あくまでも青写真であって、
出会いだけであって、
その出会いに、何を感じ、どう生かし、
どう繋いでいくのかは、その人生で自分で決めて行くことだ。

だから、「運命の人」と、仮に出会ったとしても、
その人と、結婚するとは限らないし、
一生いい友達でいられるかもしれないし、
もしかしたら、縁が絡んで、義兄弟になることだって起きる。

人は、本来、そういうことに対する「勘」を持っているはずなのだ。
ただ、情報が錯綜していて、それに気が付けなかったり、
失敗したりしてしまうことだって、往々にしてある。


大切なのは、
この人は、自分には大切な相手だとわかった時、
相手を大切にする、行動を起こせるかどうか。
そして、それを、持続できるかどうかなんだと思う。

若いころはわからずに生きていたが、
思い返してみると、決して偶然ではなく、必然として、
出会う人の多かったこと。

わたしは、人が苦手で、うまく距離を測れなくて、
失敗ばかり繰り返して生きて来た。

だから、もう、付き合う相手は、増やさない、
今後は縮小の方向で生きて行くと考え、
ブログにもそう、書いて来た。


ところが、「リカちゃん展」に行ったことで、
幼なじみのヒロミちゃんと文通が始まり、
一人、増えた。

そしてまた今日、増えた。



夕方、パン屋に併設のカフェで、コーヒーフロートを食べていたら、
メールが来た。

それは珍しい方からだった。

息子が、小学生になるとき、わたしが働いていたため、
学童保育に入れたのだが、
そこで、一番最初に、お友達になってくれた子の、お母さん。

今で言うところの、「ママ友」さんだった。

学童は、入学式よりも先に保育が始まる。
初日、息子は、たった一言も声を発せず、
部屋の隅っこに体育座りをして、
ただ黙って絵本を眺めていたと、連絡帳にあった。

心配だった。

ところが、その子が声をかけてくれたらしく、
入学式の時には、二人はもう、仲良しになっていた。

彼女は私より5歳年上で、公務員さんだった。
学童には、母親が働いている家の子が入っている。
つまり、共働きか、シングルマザーか、どちらかなのだ。

わたしはもう、離婚は決めていて働きだしたので、
どちらでもあった。

彼女はとても親切で、わたしの帰りが遅くなってしまうときは、
息子を預かってくれたし、
土日に遊びに行かせてもらっていたし、
地方の仕事の時には、息子を預かって泊まらせてくれた。

それ以外でも、お料理が上手だったので、
みんなを呼んでふるまってくれたり、
子連れでカラオケに行ったり、
旅行にも行った。

彼女が、息子が入った高校のことを、教えてくれたのだ。
それはいい、と思って、
わたしは息子が中学生の時から、
その高校を勧めるつもりだった。

だから、あらゆる意味で、今、息子が立派に大人になって、
結婚して幸せなのは、
彼女に助けてもらえていたからなのである。

本当に、数えきれないくらいお世話になったのに、
決してお礼を受け取ってくれなかった。



彼女は、長崎県の、五島列島の出身だった。
短大に受かり、東京に来て、初めて住んだ町が、
今、わたしが、住んでいる町なのだ。

その路線には、歌があって、
彼女がカラオケで、毎回歌うので、
わたしも歌詞をそらんじていた。

まさか、自分が、次にそこに住むだなんて、考えたことがなかった。
これもご縁。


そして、初めて、五島列島の出身だと聞いた時、
わたしは、小中学生の時の、ある同級生のことを思い出した。

小学3年生くらいの時、転校してきた女の子がいて、
その子が、確か、五島列島から来たはずだと思い出したのだ。

決して勉強ができるタイプの子ではなかったが、
作文がとてもうまくて、
自分が育った五島列島の美しい海についての作文を読んで、
海なし県だったので、そんな綺麗な海がある島から来たんだ、と
思いをはせたので、記憶に残っていた。

とても変わった苗字で、ハンコがなくて、
名簿の彼女の欄だけ、いつも先生の手書きだった。

それで、ママ友となった彼女に
わたしの同級生にね、五島列島から引っ越してきた子がいて、
変わった苗字で、「○○」っていう子だったんだけどね、と
話した。

五島列島は、文字通り、列島なので、島がいくつもある。

そうしたら、彼女が、固まって、
そしてこう言ったのだ。
「その子… わたしの、いとこよ…。」

二人して、ぶわっと鳥肌が立った。

そんなことって、ある?

東京で出会った人と、小学生に時に転校してきた、
中部地方の海なし県の、友人が、
いとこだっただなんて、そんなことが、あるの?

聞いたら、その苗字は、島でも珍しく、
数軒しかなく、引っ越して行ったのは、間違いなくいとこだと言う。

人のご縁とは、こんなに絡み合うものなんだ?と
心から驚いた。



やがて、荒波に飲まれてわたしはうつ病を発症し、
夫と再婚して、今の街に来た。
彼女が、五島列島から初めて東京に来て、住んだ町。
どの辺のアパートだったのかなあ、と
いつも思っていた。

年賀状と、メルアド変更の時しか、
連絡を取っていなかったので、今日のメールは、
あれ、どうしたかな?
息子くんが結婚とかしたのかな?と思いながら開いた。

すると、彼女は3月で、定年になったそうだ。
しかし、再雇用があって、なんと、今、
わたしが住んでいる町、
つまり、かつて自分が東京で初めて住んだこの町に、
働きに来ているというのだ!

ええ?
そんなことって、ある?

ああ、ご縁は、切れていない。
そう直感した。
わたしは、ここで、このご縁をつかめば、
また彼女との、子供抜きの、新しい関係が築ける。

23区の、端と端なので、通勤距離が長く、
ようやく慣れて、
もしかして駅前でわたしとばったり会わないかなと、
思えるゆとりが出来たので、メールしました、と書かれてあった。


嬉しい。
お世話になりっぱなしで、何のご恩返しも出来ていない。
でも、連絡してくれた。
会いたい。

わたしはすぐに返信を送った。

会いませんか?
また、一緒にカラオケ、行きませんか?
わたしは、薬で、どうにか安定していて、
今は、生きて来た中で、最も幸福な日々です、と書いた。

すぐに返事が来て、
わたしの幸福をたいそう喜んでくれ、
予定をすり合わせて、会うことになった。


覚えていてくれて、嬉しい。
わたしはすっかり太ってしまい、白髪になってしまい、
見る影もなくて、恥ずかしいのだが、
わたしにとって、大切なご縁を持った人だと思った。

縁は、自分でつかんで、育てないと、
意味をなさない。

ひとりひとりと、大切に付き合う。
静かに、ゆっくりと、ささやかに生きて行く。

それを、今は、とても幸福だと感じる。

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娘を降りる。

哲学者の、中島義道さんの著書に、
「人生を〈半分〉降りる」という本がある。

わたしはそれを持っているので、読んだはずなのだが、
しっかり内容を覚えているわけではない。

ただ、概要は、
死に向かっていくだけの人生(年齢)になったのだから、
自分にとって、ためにならないこと、不要なことは、
思い切って切り捨て、
世間と妥協せず、自己中心の態度を持つ、ということが、
軸だったように思う。

今度機会を見て読み返してみるが、
一回読んだだけで、読み返したい本をいっぱい持っているので、
いつになるか、わからない。

けれど、とにかく、
わたしは、「娘」としての自分を、捨てる覚悟が、
ようやく出来た、ということだ。


何年、いや、何十年も悩み苦しんで来た。
けれど、苦しんでいるのは、わたしだけで、
親は、ちっとも苦しんでなんかいないのだ。

わたしが一人っ子なのは、わたしに原因がない。
親の都合だった。
なのに、なぜ、その責任を、
わたし一人が背負って、あえいで苦しんで生きなければならないのか。
納得が行かない。

わたしには、他に、役割がある。
妻とか、息子の母親とか、お嫁ちゃんの姑とか、
猫たちのママとか。

もうこれからは、そっちを大事にして生きる。

昔からそうだったように、
父と母でタッグを組んで、鉄壁のスクラムで、
わたしをなじればいい。
そして、どうぞ二人で完結してください、と
今のわたしは思っている。
「親を捨てる」と言うと、いい感じじゃないけれど、
もう、耐えきれずに、こちらが、娘を降りるのだ。

死んでからしか会えなかったとしても、
それでその時に後悔して自分が悲しかったとしても、
それを、受け入れる、覚悟をした。


その話を、カウンセリングで、してきた。
夫に事情を話し、「親族の葬式になんて行く必要はない。」と
言ってもらえたことなども、合わせて話した。

夫が、田舎暮らしを経験したいみたいなので、
夫が税金を払ってくれるのであれば、
家はとりあえずは壊さずに残す。
夫が住みながら、ちょっとずつでも整理してくれたら、
ありがたい。

それが終わったら、家は取り壊して更地にし、
町に寄付をして終わりにする。

あとは、問題は、「墓じまい」だけだ。



従姉の母にあたる、わたしの叔母だけは、
母のブラックな面を知っているので、
わたしは、それだけでも、すごく救われているのだ。

手の汚れる仕事ばかりを他人にやらせ、
さもすべてわたくしが頑張りましたの!みたいに演じる母。
ヘドが出る。

自分の母親を好きな人が、うらやましい。
自分の母親に、優しくされた人がうらやましい。



今日は暴風雨だったので、デパートも閑散としていた。
割り引きになったお弁当を買って帰り、
急いでシャワーして、急いでムギのところに行った。

もう、丸一日、会えていないのだ。
夫が会えていて、写真を送ってくれるので、安心できるが、
会いたくて急いで行った。

もう雨はやんでいた。
ムギは、車の後ろの、ブロックに座って、わたしを見ていた。
ムギちゃん!
声を掛けると、嬉しそうに、大きく鳴いた。

夫に頼んでビニールに入れてもらってあった、
ムギのカーペットと人間の座椅子をセッティングして、
座って、呼んだら、
嬉しそうに鳴いて、すぐに隣にくっついた。

ムギ、ムギ、やっと会えたね。
会いたかったね。会いたかったよ。

背中を撫でると、お腹を出してくれて、
モフってよいぞ、というので、いっぱいモフモフした。

そのあと、わたしの脚に乗って来て、すっぽりはまった。

わたしは、ひどいO脚なので、その隙間に、
ムギのお腹がすっぽりはまるのだ。

体を拭いて、ブラッシングして、傷を見て、
お尻から何か出てないかを確認して、
あとはラブラブ過ごした。

ムギは時々振り向いて、ニコニコする。
可愛い。
会いたかったね、ムギ。
一日に、一回は、会うことにしようよ。



途中、夫が帰宅したが、
さすがに疲れているはずで、
今日はお姑さんの病院に行かなかった。

夫は、片道一時間半もの通勤をしている。
働いて、通勤して、家事をやるだけで、もうヘトヘトだろう。

わたしが部屋で、買って来たお弁当を食べ、
ソファに座ったら、ちまがすかさず乗って来た。
膝にのせているクッションに丸くなって、
可愛いポーズでくつろいでいるので、
何もできなくなった。

ちまも、ムギも、本当に可愛い。
二人がいてくれて、とても幸せだ。


息子にとって、いい母であるよう、
お嫁ちゃんにとって、優しい姑であるよう、
心がけて生きて行く。

親を、反面教師として、
やられて嫌だったことは、絶対にやらない。

わたしについてくれてる、おじいちゃん。
ごめんね。
お父さんとも、もう、無理みたい。
でも、恨んだり、嫌いになったのではないよ。

娘という、重荷を、降ろしただけ。
ごめんね。

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フェチ話。

みんないろんな「フェチ」である。
人には言わないだけだったり、
性的なことだったら公にしにくかったりするだけで、
「理由なく、ものすごく好き。」というものが、
誰にでも、一つや二つ、あるのだ。

それは、理由なく、何でかわからないけれど嫌い、と
同じことなので、特別変わったことではない。

従姉と会った時に、その「フェチ」の話になった。
わたしは、結構なフェチを持っている。
まあ、敢えて書かないこともあるけれど、
書けることだけで言えば、匂いフェチ、そして「色フェチ」である。

匂いは、好きなのは、
龍角散とか、太田胃散の匂い。
あとは、息子の頭の匂い。
ちまの首筋の匂い。
新品の瓶のインスタントコーヒーを開けた時の匂い。
喫茶店の匂い。
チキンライスの匂い。

もう、息子を嗅ぐことは出来なくなったが、
一緒に暮らしているときは、息子の頭に顔をうずめ、
スハスハして、「あ~いい匂い。」とわたしが言うと、
息子は「洗わなきゃ!」と言って風呂に行ってしまった。
ちえっ。ちょうどいい感じの匂いになってたのに。

「色フェチ」に関しては、
これは一種の職業病でもあるけれども、
印刷会社に居る時、版下を作り終えて、
コピーを撮り、それに、色指示をする作業が、
快感だった。

世界を征服するかのような、達成感。
わたしが決める、この色一つで、
印刷物に命が吹き込まれるんだ!って、そういう感じ。

だから、粘土をやっていた時、
プロの方からも、まずは色をほめられた。

わたしの脳内はフルカラーで出来ており、
自分の脳内で、色を探し、決め、
その色を、忠実に作り出すことが出来た。

たった12色の絵の具を渡されれば、
わたしは多分、どんな色も作り出せると思う。


また、日本の色というものが大好きで、
街のあちこちを眺めて歩きながら、
ああ、あれは「錆納戸」。
ああ、あれは「甕覗き」ね。
これは「桜鼠」
これは「利休茶」じゃないかしら!
などど、すべてのモノを色で判断し、
色で覚えていることがわかった。

だから、夫が冬に、黒のダウンコートを買った時、
何で黒なのよ!と怒った。
あの店に、夫に似合うオリーブグリーンのがあったので、
勧めるつもりだったのに、
黒なんか着られたら、買い物で、ちょっと離れてしまったら、
見つけられないではないか。

自分の好きな色も、かなり厳密なので、
だから、人から物をもらうのが、苦手なのだ。
好みの色じゃないものを、持ちたくないから。

今は働いてないから、色鉛筆を飾ってうっとりしているだけだけれど、
街を歩いているときは、看板のない住宅街だったら、
走っている車の色を、
もし、明日、警察で尋ねられたら、
どこまで正確に伝えられるかを、シミュレーションしながら、
歩いている。

白い車だけど、敢えて言うなら、バニラカラーだわ、とか、
紺色だったけど、江戸紫に似た紺ね、とか、
妄想しながら歩いている。



従姉は「数列フェチ」である。
数字が綺麗に並んでいるのを眺めると、
「いいわあ~。」と、うっとりするそうだ。
うむむ。理解不能。

電話番号とか、車のナンバーとか、
人の誕生日とかの、数字が並んでいることが、
たまらなく好きらしい。

昔の友達の電話番号も、今も覚えてるそうだ。

数字が好きっていうのは、聞いたことがあったので、
それで会計事務所に就職したんだと思う。
でも、決して、数学が得意なのではなく、暗算も遅いのだそうだ。
これは初耳だった。


フェチって、不思議だね。
明確な理由がわからないから。
でも前世とかが深くかかわってることが多いと、
江原先生がおっしゃっていた。


今日はマッサージの日だった。
施術中に、寝てしまうのがもったいないので、
その「フェチ」話をしたのだ。
そうしたら、彼女は、「肌ざわりフェチ」だと教えてくれた。

特に、タオルに関しては非常なこだわりがあり、
これじゃないと!というのがあるそうで、
わたしは、「泉州タオルが好きで使ってる。」と言ったら、
彼女も、断然、泉州!ですよね!って言ってた。

今治タオルの、あのふわふわ感が、どうにも信用できない。
泉州タオルの吸収力はすごくて、
バスタオルなんて要らない。
フェイスタオル一枚で、充分、お風呂上がりの体が拭けるのだ。

彼女は、着るものも寝具も、全部綿100%じゃないと嫌だそうだ。
それはわかる。
わたしもできればそうしたい。
ただ、ポリエステルが入っていればアイロンかけなくて済むし、
乾きも早いので、取り入れてるのだが、
彼女は、フリースも大嫌いで、絶対に着ないとのことだった。

以前、猫のワッペンをいただいたお返しに、
手ぬぐい生地で出来た、小さいコースターをペアで差し上げた時、
とても喜んでくださったのは、
綿100%だったからだろうなと思う。

あとは、お互いに江戸が大好きなので、
江戸の風俗文化の話をして、
楽しくマッサージが終了してしまった。


今日は、商店街で買い物をして、帰宅して洗濯をした。
まだ、掃除には至らない。
だんだん、埃が舞い散り始めた。困った。

夫も疲れている。
ムギは最近、暗くならないと帰って来なくて、
わたしは夕方、会えてない。
夜中には会えているので、幸せだよ。二人きりの時間。


明日はカウンセリングだ。
娘を降りる話をしてくる。

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いまだ怯える夢を。

精神的に疲れているので、
何にもできない。

起きて座っていることもしんどく、
掃除も、もう一週間、出来ていない。

息子たちが来る前に、徹底的にやったので、
汚れが目立つことはなく、
時々、ちまの毛や私の髪が落ちているくらいだが、
無心になって、床を雑巾で磨けたら、
きっとスッキリするだろうなあと、思ってみたりする。

日用品のストックも無くなって来た。
本当は、日曜がポイント3倍デーだったので、
ドラッグストアに行くつもりだったのだが、
大雨だったので、諦めて、家でダラダラした。



寝付けるようになって、本当に助かっている。
死にたくなるくらい、寝られなくて、苦しんでいたのだ。

死ぬ前には、どうしたって寝れるよ、と
知識のない健常な人は言うが、
そうじゃない。
寝られないと、人は死ぬ。

深い鬱の人は死ねないが、
わたしたちのような、双極性障害の人は、一番危ない。
自分で動けるからだ。

死は、計画的には訪れない。
いきなり、引きずり込まれることが多い。



予定がなかったので、アラームを掛けずに寝ていた。
夢を見ていた。

カレーの入った鍋をかき回しているのだが、
具の入っていない、カレーなのだ。
けれども、夢の中でわたしは考えている。
今夜は、カレーを息子に食べさせられる。
けれど、もう、明日からの食材が何もない。

もちろん、お金が無いから、食材を買えない。
どうしよう。息子に何を食べさせたらいいんだろう。
しかも、もうすぐ月末が来る。
家賃を払わなくてはならない。
でも、どうやってお金を集めたらいいのか。

仕事の依頼は来ている。
やらなければならない。
でも、その間、バイトに行けない。
食べて行くお金が入らない。

どうしよう、
どうしよう、と
わたしは苦しんでいた。


そこで目が覚めた。

しばらく、わたしは、現実がわからなかった。
自分がどこにいるのかがわからなくて、怖かった。

恐る恐る、目を開けると、白い天井が見えた。

ここはどこ?
わたしはいま、どこにいるの?


ちまが乗って来て、わたしはやっと、
そうか、わたしは、再婚したんだ、と気が付いた。

自分で自分をほめたかった。
なんという、いい選択をしたんだろう!
夫のおかげで、今は、もう、働けないのに、
食べることに困っていないじゃないか。

毎月の家賃の支払いや、督促状に怯えることもないんだ。

そうだ、息子は結婚して、マンションも買ったんだった。

ああ、なんという安堵感。

わたしは、なかなか起き上がれないくらい、安堵し放心した。



わたしが夫と結婚する、と言った時、
母は、反対した。
理由が、あまりにもチンケなので、わたしは猛烈に反論した。
その時にはすでに、自分の母が毒母であることを、
知っていたからだ。
「あんたは、あんなちゃんとした人のところに行って、
うまくやれるはずがない!」
母は声を荒げてそう言った。

まあ、これは、ある意味、お姑さんのことを考えれば、
当たっていなくもない。

けれども、
「じゃあ、お母さんは、わたしがこのまま一人きりでいた方が、
幸せだって思うわけ?」
と、わたしが問い詰めると、
「そうは言っとらん! あんたには無理や!」
どエキサイトした。

わたしには、わかっていた。

母は、非常に、幼稚な人である。

自分の娘が、不幸なのは、さすがによしとはしないが、
娘が、幸福になることも、実は、嫌なのである。
そういう人なのだ。

すでに、そのことについては、文献で知っていたので、
わたしは堂々と反論した。

それを割って入って、父が、
「結婚したらいいやないか。ええ人や。」と言ったのだ。


夫は、初めて会った時から、
わたしと結婚することしか、考えていなかった。
うつ病だと診断されても、別にゆらぐこともせず、
何度も何度もプロポーズしてきた。

わたしは、もう、庇なしでは生きていけない体になっていたので、
まだ、結婚は考えてはいなかったが、
夫を実家に連れて行き、両親に会わせた。
幼なじみのしーちゃんにも会ってもらった。

父の目から見れば、
夫の人柄は、申し分ないはずだった。
父が気に入りさえすれば、わたしはそれでいいと思っていた。

夫は見栄えがいい。
ハンサムという意味ではなくて、
身長も別に高くないし、ちょっと太ってるけれど、
笑顔がとても、いいのだ。
布袋様とか、大黒様みたいな、ああいうイメージ。
だから、見た目で得をすると思う。

父が許可してくれたので、
わたしたちは再婚した。

ちなみに、お姑さんも、反対だった。
財産目当てと思われたのだ。
今もって、どんな財産があるのかを、わたしは知りもしないのに。


母の懸念どおり、わたしは、家族とはうまくいられず、
アパートに移り住んだが、
今は、人生で、最も豪華な部屋で、幸せに暮らしている。

床が見えない、3畳間も、
それはそれで、好きだったけれどね。


支払いに怯える夢は、
ずっと見る。
あの当時、一切、電話には出られなかった。
いつもかも留守電なので、
母に折り返し電話すると、
「電話にも出られんような、やましいことがあるんか!」と怒られた。

母の電話が何よりもストレスだったのに。


夫には、柔軟な思考がある。
田舎にありがちな、「ねばならない」に縛られることなく、
今も、わたしの気持ちを、尊重してくれている。
どちらが正しいとか、間違っているとか、そういうことではなく、
伴侶として、尊重してもらえていることは、
とても幸せに思う。

病状が重く、けれど、何かの折には、頑張りすぎてしまう癖も、
わかっているので、
お姑さんの見舞いに行く必要はないと言ってくれている。

そして、夫は、毎日ちゃんと、行ってあげている。

わたしがメールで、
「今日も病院に行くんですか?」と聞くと、
「帰ったら車で行って来ます。」とか返事が返ってくるのだが、
それを、夫は、ちょっと誤解していて、
わたしの入院の時には、来なかったくせに、
母親の時は、行くのか?と、
尋ねられているように感じていたそうだ。

そう感じてただなんてわからなかったので、
ごめんごめん、そうじゃないよ、と否定した。

全然、まったく、そんなことは思ってなくて、
逆に、仕事して、片道一時間半の通勤して、
もう空腹だろうに、帰って来てすぐ車で病院に行ってあげて、
本当に偉いなあ、とわたしは思って聞いていたのだ。

毎日働いて通勤して家事をするだけで、
きっとヘトヘトだろうに、
頑張ってて偉いなあって、心から思っている。

ひがむなんて、とんでもない。

わたしが緊急で入院した時は、
夫は出張中だったし、
その次の土日は、どちらの宴会も、
夫が幹事だったから、休めないことなど、わかる。
わたしは壮絶な絶食と、
麻酔の効かない管入れの手術と、
その後の膵炎の痛みで、意識ももうろうだった。

やっと主治医から説明を聞いて、
精神科のある病院に転院してはどうか、と意見されたときに、
話し合おうとしたら、
夫が「俺はメシ作らなきゃならないんだから!」と、
何かにつけて、メシがメシがと言うので、
胆のうを摘出する手術の時は、もうお見舞いに来ないで欲しいと伝えた。

わたしはびっちり万全に用意して、
一人で入院して、退院も一人でするから、
お見舞いに来る時間があるなら、メシを作れば、と
思ったからだ。

ちまも不憫だったので、わたしより、ちまと過ごしてあげて欲しかった。

だから、来ないで、と言ったのは本心だので、
毎日お母さんの時には行くからって、
ひがむわけがない。
本当に偉いなあと、思っているのだ。


病院の手続きミスで、お姑さんがリハビリ病院に転院するメドが
まだ立っていない。

もともと、足腰の丈夫な人だから、
リハビリは多分順調にこなして行くだろう。

今日は介護認定の面接があったそうだが、
どうだったかを聞いたら、お姑さんはもう、
誕生日を覚えていなかったそうだ。
介護認定が下りるといいんだけれど。


とにかく、夫のおかげで、静かに穏やかに暮らしている。
怖い夢を、いつまでわたしは見るのだろうか。

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努力も我慢も実らない。

大晦日の、「かもめの玉子事件」を、
わたしは直接夫に話してはいなかった。

多分、ブログを読んでいると思うので、
それで概要を知ってくれていればいいし、
辛すぎる時期に、話すのは嫌だったし、
意見されることも嫌だったので、黙っていた。

一人で、何とか、自分の怒りを抑え込めないだろうか、
なんとか、いい箇所にソフトランディングできないものかと、
カウンセリングを重ね、
従姉や友達に聞いてもらい、
模索を続けていた。

けれどわたしの精神は暴走し、寝付けなくなり、
大量のセロクエルを流し込んで、朝の6時7時にやっと寝る生活。

ストレスと、セロクエルの主要な副作用で、
大過食を引き起こし、
毎日、狂ったように食べ物を押し込んでいた。

気持ちが悪くなったり、お腹が痛くなっても、
過食は止まらない。

去年、病気をして、せっかく減った体重は簡単に戻り、
戻るどころか、それ以上になり、
人生で、今が一番、太っている。

醜い自分を見たくなくて、美容院ではずっと下を向いている。
ドレッサーなんか、要らない、捨てたい、とすら思っている。



土曜日、美容院に行く支度をしていたら、
夫が出先から、「今日、夕飯一緒にどうですか?」と
メールして来た。

多分、わたしが従姉に会った日のブログを読んだのだろう。

わたしも、もう、夫に話して、泣きつくしかないと考えた。
なので、一緒に食事することにした。

従姉に会って聞いた話から始めて、
ことの概要を、話した。
そういうわけで、お父さんも怒ってるのが本当なら、
わたしはもう、帰省できないし、
親族の葬式に行って、実家に泊まることもできない、と伝えた。

すると夫は、
「葬式になんて、行く必要はどこにもない。」
とはっきり言った。
「キミの気持ちを大事にしない親の顔を立てるべき理由なんてないし、
キミは、健常者じゃないんだから、葬式になんていかなくていい。
うちのばあさんの葬式にだって、いっそ出なくていい。」
そう夫は言った。

そして、わたしがまた、違う場面の母の話をすると、
「キミはいつも、お母さんのことを悪く言うよね。その通りだと思うよ。
でもね、そんなお母さんの言動を、とがめることもせず、
キミの味方にもなってくれないんだから、お父さんも、同罪だよ?」
そう言われた。


実は、これはもう、夫から何回も言われていたことだ。

わたしが、ちがう、父ならもっと客観的に見てくれる、
父なら理解してくれる、と
期待をしていた。
認めたくなくて、夫の言葉を聞かないでいたのだ。

でも、わかった。

夫の言う通りだ。

理不尽に怒る母を、たしなめてくれたことなど、一度もない。
八つ当たりでわたしを怒鳴る母を止めて、
わたしをかばってくれたことなど、一回もない。

二人は、いつもかもタッグを組んでいて、
二人がかりでわたしを叱り、責め、押さえつけて来たのだ。

あんなに自我が強い父なのに、
実は、母の演技に騙され、いいように言いくるめられている。
陰で、母が父を、どんなふうに言っているのかを知らずに。
真っ黒な母を見ないふりをして、父は生きている。

娘が犠牲になろうが、そんなことは、どうでもいいのだ。
一人しかいない孫の愛情なんて、どうでもいいんだ。


ならば最後まで二人きりでいればいいよ。

わたしは、降りる。

夫が、行かなくていいんだと言ってくれたから、
もう、誰の葬儀にも出ない。
親の顔を立てる義理ももうない。


わたしがズタズタになっていることを、夫は察していたので、
母の日のプレゼントも、どうする?やめようか?と
聞いてくれた。

母の日アレルギーで倒れてしまうわたしに代わって、
夫が9年間、ずっと花を贈り続けてくれていたのだが、
「もういいです。長い間、ありがとうございました。」と返事をして、
夫には、やめてもらった。


でも、親当人の葬式には、行かないってわけにはいかないし、
どうしようねえ、と夫と頭を抱えた。

わたしは、両親ともが亡くなったら、
さっさと業者に任せて家を空っぽにし、
更地にして、寄付をするつもりだった。

コンビニですら、車で隣町にまで行かないとないような、
田舎の、築40年の家が売れるわけがないし、
税金を払うのは嫌だから、
町に寄付してしまおうと思っていたのだ。

けれど、夫は、田舎暮らしがしてみたいので、
家は置いといて欲しいと言う。

夫が畑でもやりながら住んで、ちょっとずつ、
整理してくれるのであれば、
それもいいんじゃないか?と思った。

夫の好きにさせてあげよう。

しかし、父が長男であるため、
墓の問題が残る。

まさか、両親が死んで、墓に入った途端に、
墓を無くしてしまうわけにはいかないだろう。
とは言え、息子には絶対に迷惑をかけたくないので、
わたしの代で、どうにか、墓を無くしてしまわなくてはならない。

本当に、兄がいればなあと思うよ。


夫と、話して、良かった。
この人に着いて行こう。
ねばならない思考を持っていない柔軟な人だ。

夫という屋根に守られて、ひっそり生きて行こう。


わたしには従姉もいるし、可愛い息子夫婦もいるし、
充分すぎるほど、幸せだ。
過去を振り返っても、仕方がない。

許せないことは、絶対に許せないし、
許す必要もない。

わたしは、娘と言う立場を、
降りる。

いくら努力しても、我慢しても、
実らないものは実らないのだ。



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わたしの守護霊。

数年前、最初のカウンセラーさんが急死なさってしまい、
もうどうしたらいいかわからず、
宙ぶらりんだった頃、
どなたかのブログで目にして、
インド人のヒーラーさんのセッションを、受けてみることにした。

英語でしかお話しされないとのことだったので、
専任の通訳さんもお願いした。

紙に、生年月日と名前を書いただけで、
わたしが座っていると、
長い水晶のお数珠を持ったヒーラーさんが現れて、
何も言わずにしばらくわたしの後ろをご覧になっていた。

わたしは、一言も発しない。
ヒーラーさんが受け取ったメッセージを、
ただ一方的に、聞かせていただくだけ。

あなたには、お兄さんがおられますね、と聞かれ、
いいえ、と答えると、
おかしいな、見えるんですが、とのことだった。

母が堕胎した子供は、男の子だったということだ。
わたしのそばにいるらしかった。

わたしを守ってくれているのは、父方の祖父だとのこと。


祖父は、わたしが生まれる前にもう亡くなっており、
母方の祖父も亡くなっていたので、
わたしには、「おじいちゃん」の経験がない。
けれども、とにかく祖父が守ってくれているそうだ。

前世は、江戸時代の江戸の、武家の娘で、
今の父が、その時も父で、
今の息子が、その時も息子だったそうだ。

江戸時代、わたしは結婚して二人の子供がいたが、
言葉の使い方がきつく、人に嫌われることが多かった。
48歳で亡くなった、とのこと。

今生では、父親は90歳近くまで生きる。
その後数年、母親の面倒を見なくてはならない。

息子さんは、28歳か29歳で結婚をする。
あなたは、孫を抱くことができる。

78歳が、天寿である、と教えてくれた。


いろんなことを話してくださって、最後に質問はないかと聞かれたので、
わたしの息子は、長生きできるでしょうか、と尋ねた。
そうしたら、大丈夫、80歳近くまで生きられる、と言ってくださった。

一番知りたいのがそこだったので、
わたしは安堵して、セッションを終了した。


会ったこともないおじいちゃんが、わたしを守ってくれているのは、
きっと、父と母が、祖父の法事を、きっちり務めて来ているからだろう。
祖父は早くに亡くなり、父が長生きしているために、
祖父の、50回忌までを務めあげたのだ。
偉いと思うし、それを感謝して、祖父がわたしを守ってくれているなら、
わたしは間接的に、親に感謝をしなくてはならない。

おじいちゃんがどんな人だったかは、
父からと母から聞いた話でしか知らない。

戦前に、満州鉄道の社員として満州に渡り、
祖母が子供を抱えてそれを追って行ったと聞いている。

従姉の母(わたしの叔母)は、末っ子で、
満州で生まれた。

満州鉄道に勤めていれば、安泰だったのに、
辞めて、事業を始めて、失敗したと聞いた。
けれど、そこに至るまでは家は裕福で、
外食に行ってコース料理も食べたそうだし、
中国人の雇人もいたそうだ。

日本が負けた途端、
中国の人は、こらえていた憎しみを爆発させ、
日本人からひどい略奪をしたため、
満州から、日本に帰ることが、いかに大変だったかは、
藤原ていさんの著書や、宮尾登美子さんの著書で読んで知っている。

父に、帰って来るのに、ひどく苦労をしたのかを尋ねたら、
雇人だった中国人が、実は、中国側の、スパイだったそうだ。
ところが、祖父は、人が良くて、雇人を大事にいていたらしく、
それに感謝していたスパイが、
こっち経由でなら帰れると、誘導してくれて、
大した苦労をせずに、日本に降り立ったとのことだった。

ただ、日本に帰って来ても、
故郷を捨てて満州に行ったわけだから、
住む家にも困り、最初は多少の苦労があったらしい。


祖父は終戦後、働くことをせず、
事業を起こしては失敗し、借金まみれになったそうだ。
田んぼも山もあったそうだが、祖父が全部売ってしまい、
働かないので、父が闇市で物を売って、
兄弟を養っていて、それで就職が遅れ、
いい働き口がなかったとのことだった。

だから、父は優秀なのに、工場の三交替勤務をしていたのだ。

やがて父は家を捨てて母と結婚し、
その後、祖父はガンになり、他界した。

なので、わたしも従姉も、おじいちゃんを知らない。


従姉が、「ねえ、おじいちゃんの誕生日って、知ってる?」
と聞いて来た。
そういえば、考えたこともなかった。
法事をやるから、命日は5月だと知っているのだが、
おじいちゃんの誕生日に、思いをはせたことはなかった。

先日、従姉が帰省した時に、
おじいちゃんとおばあちゃんの話になり、
聞いてみたら、なんと祖父の誕生日は、
9月6日だったことが、判明した。

従姉は、腑に落ちた、と言っていた。

わたしは、12月の6日が、誕生日なのである。



誕生日には、意味があると思う。


わたしが、息子を産むとき、
予定日が12月の1日だったのだが、
全く何の兆候もなく、もう3,000グラムを超えているので、
あまり大きくなりすぎても、という医師の判断で、
病院に都合のいい、月曜日に入院して、
陣痛促進剤を打った。

しかし、何も起こらない。
なので、もう1本、打った。
それでも、まったく陣痛は起こらなかったのだ。
それが、12月の、9日だった。
そして、一晩経って、翌10日になったら、
朝の6時に、陣痛が始まった。

その時、わたしは、ひどく後悔をした。

ああ、この子は、最初から、12月の10日に生まれる子だったのだ。
余計なことをしてしまい、申し訳なかった!と悔やんだ。

わたしの父は2月10日生まれで、母が3月10日生まれなのである。

だから、10日に生まれることになってたんだ!と
陣痛に耐えながら、そう考えて、大変申し訳なかった。

その日の夕方4時過ぎに、
へその緒を首に二重に巻かれて、
緑色になってしまった息子が、誕生した。

前世でも、祖父と孫という深い関係だったのだから、
息子が10日に生まれて当然だと思う。



息子が、彼女が出来た、と話してくれたのは、
彼がまだ、24歳の時だった。

彼女について聞いてみると、
同じく一人っ子。
同じく血液型B型。
そして、誕生日はわたしと同じ6日。
隣町で生まれ育った子。

そう聞いて、ああ、この子はもう、
結婚する女性と出会ったんだな、とわかった。

そうとしか、考えられなかった。

一人旅を、始めたばかりの彼女と、
一人旅を、始めようとした息子が出会い、
一人同士が、二人、という単位になった。

4年、付き合って、息子は予言通りに、
28歳で結婚した。



予言では、孫が生まれることにはなっているが、
わたしに示唆されたことを、わたし自身が実行しなかったことにより、
実現していないこともあるので、
予言は決して絶対ではない。

選択は、常に、自分が行うのだ。



祖父の話に戻るが、
祖父は、洋食屋さんの料理人だったそうだ。
これは、知らなかった。

洋食屋でコックをしていた時に、
ウェイトレスをしていた祖母と知り合い、
多分、当時(大正時代)としては珍しい恋愛結婚をした。

全然知らなかった。

祖父は、もらわれっ子だったそうだし、
祖母は、自分の母親が再婚した時の連れ子だったので、
境遇にも、感じるものがあったのかもしれない。

そうかあ。
そうだったんだね。

会ったことのないおじいちゃんに、わたしは話しかけた。

おじいちゃん。
せっかく守ってもらってるのに、
両親とうまくやれてなくてごめん。

どうしたらいい?
夢に出て来て、教えてよ。

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恐ろしい人。

今日は、半年ぶりに、従姉に会った。
同じく都内には住んでいるが、彼女が今、働いているので、
なかなか会えないでいた。

仕事は好きだし楽しいのだが、通勤が疲れるとのこと。
大変だなあと思う。
家事も100%、彼女がするのだ。
旦那さまは腰痛持ちなので、雪が積もれば雪かきですら、
彼女一人でやる。

彼女は、父の妹の娘で、
お互いに一人っ子。
そしてお互いに一人、子供を産んだ。

わたしが、前夫の転勤で東京に来ることが決まった時、
ものすごく喜んでくれて、
それまでは毎週一通ずつの文通だったのだが、
東京に来てからは、しょっちゅう電話で話した。

お互いの子供が大きくなると、二人で会えるようになった。

そして、お互いの子供が、同じく、一人っ子さんと結婚した。
なんという巡り合わせ。



息子たちが来たときの楽しい話をしたり、
彼女が先日帰省した時の話を聞いた。
お互いに、親が高齢なので、
葬式とか、家の始末とかを、やらねばならないけど、
しんどすぎるよね、と話した。

お互いに一人っ子なので感覚はわからないが、
姉妹よりは、少し距離があるので、
ちょうどいい関係かもしれないと思っている。

お互いの小さいころから行き来していたし、
お互いの親のこともよく知っているし、
話も早い。


彼女の母親(父の妹・わたしの叔母)と話したらしいのだが、
わたしの母は、伽羅が何かを誤解しちゃって怒ってて、
連絡もしてこないんだ、と愚痴ったそうだ。

お父さんも怒っちゃってるしねえ、と言ったそうだ。
それで叔母が、「兄ちゃん(父のこと)は、なんで怒ってるの?」と聞いたら、
母は急に話をうやむやにしたらしい。



わたしは、絶縁されても仕方なし、という、
相当な覚悟で、あの手紙を書いた。

恐怖に手が震え、リウマチで痛む指で、
7枚にわたって、息子の気持ちを踏みにじったんですよ、と
怒りを伝えた。

その、命を削るような、手紙に対して、
父が何一つ、言って来ないのは、不思議だった。

母からのみ、さらっと返事が来て、
こう書いてあった。

「あれは、わたしがもらったお土産なので、
わたしさえ我慢して、先方さんに持って行けば、
息子の顔が立つと思ったまでです。」


そこには、息子を思いやる愛も感謝も、何もなかった。

しかし、父から、何のアクションもない。
あの、命を削る、震えた手で書かれた手紙を読んで、
父は何も感じないのだろうか。
「お父さんも怒っちゃって。」と、母は叔母に言ったらしいが、
それが本当で、
父が、母と同様の受け止め方をしていて、
母親をなじったわたしに対して、怒りを持ったとしたら、
それは、本当に、残念だ。

父も、母に劣らず、激情型の人ではあるが、
筋道は通っている。
母のように理不尽に、気分で怒鳴るわけではない。

だからわたしは、父が、どうか冷静に、客観的に、
その事実を読んで欲しいと願って、
二人宛に、手紙を出したのだ。

本当に父も読んでくれたのだろうか。

そしてその結果、母と同感で、わたしに対して怒っているのだろうか。

もしそうであれば、
わたしはもう、
生きて父と会うことは叶わないだろう。

息子と二人の楽しい新幹線も、
楽しい大晦日も、
一緒の部屋で寝られた幸せも、
あれが最後になるだろう。


叔母は従姉に言ったそうだ。
「兄ちゃんは、すごく純真だから、〇〇ちゃん(母)の言うことを、
全部真に受けて、その通りにしている。
すごく愛していて、来世でも夫婦になりたいらしいけれど、
○○ちゃんは、裏ではひどいからね。」

この叔母は、母と同じ職場で働いていた友人だったのだ。
若いころからの母の裏表を、
唯一、知っている人物だ。

母のずるさ、汚さを、知っていてくれる貴重な人なのだ。

母は、例によって、うまく演じて、言いくるめて、
父を味方につけたに違いない。

父は、客観的に、判断することが、できなかったということだ。
孫の、おばあちゃんへの愛情に、無理解だったということだ。


それならばもう、仕方がない。

わたしは、父が好きだ。
もっと色々、話を聞きたかった。
父が作る餃子も、もっと食べたかった。

でも、もう、おしまい。

わたしは、命よりも大切な息子の心を踏みにじる相手は、
何があっても、誰であっても、絶対に許さない。


自分の体力・気力がどんどん衰えて、
わたしなんか、ストレスで不眠になり、
セロクエルをザラザラとカクテルのように飲み続け、
その副作用で、尋常ではない過食に襲われ、
醜く太り、死にたくなり、
もう、自分がただ何もせず、猫たちと生きてるだけが精一杯なのに、
このあと、親の葬式と、
実家の始末と、墓の始末が待っている。

そんな気力はもう、どこにもないよ…。

でも、息子を煩わせることはしたくないので、
わたしがやるしかないのだが、
一人で、いったいどうしろというのだろうか。

生きてる間に、決めておいてよ。
誰か助けてよ。



従姉とは、楽しい話もいっぱいした。
笑った。
彼女がいるから生きていられる。

でも、帰って来て、シャワーして、ソファに座って、
父がわたしに怒っていて、もう二度と会えないのかもと思ったら、
単純に悲しくて、涙が出た。

冷静に、客観的に、とらえて欲しかった。


どす黒い母。
その恐ろしさを、父は知らないのだ。

知らないまま、死ぬのが幸せだ。
可哀想に。
裏であんなにひどいこと言われてるのに。


例え親でも、夫婦のことは夫婦だけで完結すべき。
父が、母の味方にしかつかないのであれば、
もう、諦める。

とても悲しい。

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食生活の話。

子供にとっては、
家庭というものが、最初の「世界」だ。

学校に行くようになれば、学校内でのグループとかが出来るし、
クラブ活動や部活という世界も加わる。

けれど、幼いうちは、本当に自分の家庭しか知らないから、
そこで経験したことしか、
やれないのだ。


わたしの父は、工場の三交替勤務だったので、
揃って朝ご飯を食べるという風習が、全くなかった。

わたしに出される朝食は、マーガリンを塗ったトースト。
多分、牛乳くらいはあったと思う。

ご飯と、お味噌汁と、焼き魚、みたいな朝食は、
ただの一度も、経験がない。

まず、味噌汁などが出ない。
これは、父が酒飲みで、味噌汁を作ったところで、
つまみにならないから、というのが理由だ。

同じ理由で、カレーも、出たことが無い。
これも、つまみにならないからだ。

息子が小学生の頃、
「ご飯に味噌汁に焼き魚、っていう朝ご飯がいい。」と
要望して来たのだが、
その当時、最も貧乏で、一切れ200円もする魚が、
買える状況になかった。

しかも、そういう朝食を、経験したことがないので、
作る要領も、まったく想像できないのだ。

息子が高校生になり、弁当を作るようになって、
やっと、どうにか、弁当とはかぶらない何かで、
朝食らしきものを出せた。

それまでは、恥ずかしいし申し訳が無いが、
パンと牛乳という朝食しか与えられなかった。

牛乳は、宅配の、カルシウム入りのいいのを飲ませたが…。


人の味覚は3歳までにほぼ決まるそうだが、
確かに、食べたことが無いものは、作りようがない。
仮に、レシピを見て完成したとしても、
その味が果たして正解なのかの判断がつかないからだ。

夫と付き合っている時、
煮込み料理はしますよ、とメールのやり取りをしたら、
「いいですね。僕もトマト煮込みとかが好きです。」と
返事が返ってきた。

なにそれ。
トマト煮込みって、なに?
どんな料理?

一度も食べたことがないわたしはポカーンとした。

トマトを煮込む料理なの?
それとも、何かをトマト味で煮込むってこと?

その前年くらいに、伯母が亡くなって、
お葬式の後、お供え物をみんなで分けた。
わたしに、トマトの缶詰が来たので、なにこれ?と聞いた。
従姉が、「トマトのホール缶だよ。」と答える。
いや、そう書いてあるのは読めるんだけど、
どうやって、どんな時に、どう使うの?と聞いたら、
彼女はびっくりしていた。

そして、黙って、果物の缶詰と取り替えてくれた。

トマト煮込みって…。

わたしの言う「煮込み」は、醤油味か、味噌味なのだ。


わたしの実家は、父の三交替に徹底的に合わせた暮らしだった。
食生活も、父が食べられないもの、
つまみにならないものは、一切出て来ない。
だから、酢の物の作り方さえ
最近まで知らなかった。

今は、味がついた、三杯酢とか土佐酢とかが売ってるから容易いが、
当時は、父がすっぱいものが食べられないため、
食卓に、酢の物が登場したことがない。
だから、作り方も知らないし、正解もわからなかった。

お漬物、味噌汁、カレー、チャーハンなどが出ない家だった。

当然、トマト煮込みが出るはずなどない。
そしてわたしは、今もまだ、作ったことが無い。


そんなわたしに育てられたのに、息子の味覚は豊かで、
手料理がとても美味しい。

手伝わせたことはない。
忙しいときに、かわりにやってよと言っても、
自分には、根拠はないが自信はあるので、
一人暮らしになったら、自分で作るんだ、と言っていた。

その通りになり、ついにはお弁当男子にもなった。

お嫁ちゃんも、息子が作る料理が大好きで、
料理ができる旦那さん、いいねえって、
お友達や同僚に、うらやましがられるそうだ。

わたしも、料理は嫌いなのではない。
ただ、育った環境がそんなだったので、
レパートリーがすごく少ないのだ。

それに、夫の家は薄味が好みらしいから、口に合わないようだし。

また、息子たちが来ることがあったら、
何かを作ろう。
もちろん、すごく疲労するけど、食べさせたい。

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踏み込まない領域。

息子たちが帰って、
わたしはベッドで放心状態になりながらも、
彼らと話したことを、反すうしていた。

帰り際に、お嫁ちゃんが、
「またうちにも来てください。」と言ってくれた。

多分、彼女は、社交辞令ではないと思うのだ。
裏表のない、素直な性格の持ち主だから、
きちんと考えてから物事を言うはずだし、
実現しないことをあやふやにいう子でもない。

付き合いは短いが、そういう子だと、わかる。
だから、信頼しているし、可愛く思っている。


わたしとしては、年に4回会えたら嬉しいな~と思っている。
そのうち、実家で会うのは計算外で。
でも、3回くらいしか無理かな?

息子は土曜日しか出たくないと言うし、
土日は夫は結構予定を入れているからね。

でも、わたしの気持ちとしては、
彼らの家に行くのは、年に一回で良くて、
あとは来てもらったほうが、ちまにも会えるし、
わたしも嬉しい。

それに、もしも、彼らに子供ができたりしたら、
お嫁ちゃんの妊娠期間でしんどい時とか、
赤ちゃんが生まれて、外に出られない時とかが、
来るかもしれない。

そうなったら、こちらから行くので、
それまでは、ずっとこっちにおいでよ、というのが本音だった。

お嫁ちゃんにそれを伝えようと思って、
メールをした。
すごく楽しかったこと、お土産、どれも嬉しかったこと、
いっぱい食べてもらえて嬉しかったことを書いた。

そして、今度は来てくださいって言ってくれてありがとう、
でも、今後、あなたたちが出づらい時期が(例えば、二人が子供に恵まれるとかね。
でも決して、子供がいるべきとは、思っていないですよ。)来るかもしれないので、
ずっと、こっちに来るパターンでもいいんですよ、
と、書いた。

すると、夜中に返事が来た。
「子供がいるべきと、思っていないと書いてくださって、
とても気が楽になりました。」
という、一文が書いてあった。

彼女は、プレッシャーに苦しんでいるのだとわかった。


3LDKの、大きなマンションを購入したのだから、
きっと、子供を持つ夢はあると思う。

でも、彼らは、まずは二人で二人を楽しみたいと言っていた。
それは結婚したばかりの頃だ。
いずれは欲しいけどね、と言っていた。

その質問は、結婚したばかりだったから、
許されるものだ。
わたしではなく、夫が聞いた。


夫は、自分が三人兄弟で、
三人兄弟の人と結婚し、
三人の子供をもうけた。

だから、「子供は3人いて当たり前。」と思っている人だ。
そこは、非常に押しつけがましい。

末っ子くんが独立して行くとき、
付き合っている彼女さんが年上だと知った途端、
すぐ結婚して、すぐ子供作らないと!と力説し始めた。

わたしは、わたしの息子ではないが、
夫の説教を全力で止めた。

それは、当人同士だけの問題であって、
親が口出ししてはならない域なのだ。

末っ子くんも、結婚はするかもしれないが、
子供を持つべきと、考えてはいない、と答えていた。

酔っていたから、夫は覚えていないだろう。


そりゃあ、子供が3人いたほうが、いいのかもしれない。
それはわたしには想像もつかない。

しかし、子供の人数とか、
もっと言えば、子供を欲しいと思うかどうかなんて、
それは、夫婦二人の問題なのである。

他人がとやかく言うべきではないし、
むしろ、親こそ、プレッシャーを与えることは、
絶対にしてはならないと、わたしは思う。


結婚の意義は、
一人ずつであった二人が、「二人」という単位になり、
それを「家庭」とする。
色々共有したり、協力したりして、一緒に生きて行くことを選ぶ。
それが、結婚の意義なのだ。

じゃなかったら、わたしたち夫婦だって、結婚した意義がなくなる。


お正月、実家で息子夫婦と一緒だった時、
お嫁ちゃんがコタツの上に、
堂々と、基礎体温計を置いていた。

欲しくて使っているのか、
まだ欲しくなくて使っているのか、
どちらかなんだと思ったが、
もちろん、そこには絶対に触れない。

踏み込んではならない域なのだ。

でも、今回のお嫁ちゃんのメールからは、
プレッシャーを受けている感じが読み取れた。

付き合っていると、「結婚するの?」と聞かれ、
結婚したら、「子供はまだなの?」と聞かれ、
40歳も過ぎてしまったら、「なんで子供を持たなかったの?」になる。

大きなお世話だ。

結婚して、4年になるので、多分周りから、
子供はまだ?と聞かれたりすることが増えたのではないだろうか。

まだ欲しくないのに、と思っているのか、
もしくは、欲しいけどまだ出来ないんだよって思っているか、
どちらであるかはわからない。

でも、わたしは、そこには決して踏み込まないと決めている。


結婚は、二人がそれぞれ、幸せであることが、まず大前提だ。
それが無い結婚には意味はない。

子供は、いたらいるだけの、喜びがあふれている。
同時に、同じ量の、大変さと煩わしさが存在する。

一人っ子同士が結婚した息子たちが、
複数の子供を望むとは、わたしは考えていない。
というか、あんなに幸せなのであれば、
別に子供がいなくても、充分幸福な結婚であり、
幸福な家庭ではないか。

そこで完結しても、いいではないか。


わたしは、お嫁ちゃんに、
子供は、いたらいるだけの喜びがあるけれど、
同じだけ、大変さと煩わしさがあるよ。
結婚したなら子供を持たなくては、なんて、思う必要は全くないよ。
わたしは、一切踏み込まないので、
授かるときは授かるものさと、
気楽に構えていてね、とメールを返した。

あなたたち二人の結婚は、あなたが「楽であること」が、
最も大切なことだと思っています。
だから、ご実家の近くにマンションを買ったのもいいことだし、
家事は全部、息子がやっていいんですよ、
どうか楽に生きてくださいね。

わたしはそう書いて、送信した。



わたしは一人っ子で、一人しか子供を育ててない。
複数の子供がいる家庭を、まったく想像できない。
再婚して、母屋に住んでいるときは、
5人が全員、別々のことを、遮りながら喋るので、
わたしの脳は混乱して、
食事のたびに、汗びっしょりになり、ヘトヘトになった。

それに、末っ子くんや、息子たちだけが頑張っても、
今後、日本の人口は明らかに減少する。
そんなことはもう、わかりきっている。

子供を持つことが、結婚の意義ではない。
一緒に過ごして、楽しかったり、楽であったりしたら、
それが一番いいではないか。


親子だからこそ、入ってはいけない領域が、あるのだ。

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あっぱれである。

昨日の続きです。


そのあと、夫と行った居酒屋で出されて、
一目惚れした、有田焼のぐい飲みを、
息子に渡した。

「水晶彫り」という技法で、本体に穴がぽこぽこ開いていて、
その部分は透明な焼き物なのだ。

穴をあけるのは手作業で、透明な釉薬を何度もかけて焼くので、
穴のところが透明なのだ。
文様が青海波だったし、藍色だから、
彼らの好みには絶対に合うだろうと思い、
予算、はるかにオーバーの高級品だったが、
蔵元から買った。

二人は珍しそうにさんざん眺めていた。

それから、先日、笠間の焼き物祭りで買って来たものを、
見てもらった。

天然石のビーズや金具や道具、
更には作品も全部あげてしまったのだが、
ちょっとしたチャームなどを残しておいて、お嫁ちゃんに見せたら、
ウサギのついたバッグチャームをもらってくれた。

あとは、先日友達が来た話になり、
シールの交換会をやったんだよ、と話し、
お嫁ちゃんに、わたしのシールコレクションを見せた。

そしたら、お嫁ちゃんも、文具やシールが大好きで、
「ミドリ」という文具メーカーに、就職したかったのだそうだ。

会社の説明会に行ったら、
ものすごい人数と熱気にやられ、
断念したと話してくれた。

ウサギのシールに目をとめていたので、
それも含め、和風のシールを色々分けてあげた。


そうこうしているうちに、デリバリーのお寿司が来た。

牛スジ煮込みの鍋に火を入れ、卵焼きを切った。
卵焼き、うまくできていて、白身がマーブルになっていて綺麗だった。

前日に、急きょ買った長皿に盛りつけた。

この日のために、取り皿とか、蕎麦猪口風の食器とかを、
買い揃えて来ていたのだ。
二人とも、食器には敏感で、これ可愛いね、と認めてくれた。

テーブルに乗りきらないくらいの大宴会のスタート。

暑い日だったので、夫と息子はまずはビールを。
お嫁ちゃんには大好きな「ゆずッシュ」を。
わたしは、ノンアルコールのカクテルで、乾杯。
あああ、幸せだなあ。

今日だけは、ちまも、たんぱく質解禁日。

ちまにかつおバーをあげたり、カットしたホタテをあげたりするのを、
息子夫婦は楽しみにしているので、
それをやらせてあげた。

途中で交代して、動画も撮って、
ちまのおかげで、みんなが楽しい。


まずみんな、牛スジ煮込みを食べた。

柔らかくて美味しく出来ているようだ。
辛い物が好きな夫と息子には、
チューブの「生七味」を渡して、
煮汁にちょっと溶いて食べると美味しいと思うよと伝えた。
二人とも、気に入って使っていた。

卵焼きは、息子にとっては、9年ぶりの味。
どう? 思い出した?と聞いたら、ふむふむと頷いた。
お嫁ちゃんも食べて、「おいしい~!」と喜んでくれた。

良かったよ。
「数とか気にせずに、好きなだけ食べていいよ。」と言ったら、
「本当ですか~?」とお嫁ちゃんが喜んだので、
息子のお皿にも乗せてやってね、と慌てて頼んだ。

お嫁ちゃんは華奢な子で、初めての会食の時などは、
本当に少ししか食べなかったのだが、
決して小食ではないことがわかった。

お寿司の、ウニだけは、息子が好きだからとあげていたが、
あとは一人前ペロッと食べ、
別に取った、アナゴの押し寿司も息子と二人で食べ、
枝豆まで、もりもり食べていた。
カシューナッツを最後に出したら、それも食べた。


お嫁ちゃんの誕生日祝いは、先週やったそうで、
お昼は、ウナギを食べに行ったそうだ。
関東風・関西風の、両方のウナギが食べられる店だって。
ええ~。関西風、食べたいよ~。

夜は、いろんなものを盛り付けた、お子様ランチみたいな、
豪華なワンプレート。
息子が全部手作りしたとのこと。
写真を見せてくれたが、
真ん中に手作りハンバーグ、周りに、エビフライ、唐揚げ、
オムレツ、サラダがぐるりと盛り付けられていて、
ハンバーグにはケチャップで、ハートマークが描かれてあったよ。

誕生日当日は、息子は花束を買って帰って来たそうだ。
う~ん。
わが子ながら、あっぱれである。

本当に愛していて、大切にしていて、
二人で、幸せなんだなと、しみじみ嬉しかった。

旅行の写真は、全部、イチャイチャしてるか、
食べてるかだし、
親の前で、イチャイチャしてるし。(笑)


ちまはもみくちゃにされて、
時々、後ろ向きになって、シッポをばっさばさ振って、
もうやめて~、とは言っていたけれど、
そもそも、人が好きで人見知りしないので、
ホステス役を、頑張ってくれた。

夜9時に、彼らは帰って行った。



夫は酔ってノックアウトだし、
わたしも、もう、食器洗いとかは無理、と思い、
お皿の汚れをざっとお湯で流した後、洗い桶に付け込んだ。

ベッドでちまと、放心状態。
一ミリも動けない。

すごく頑張った。
喜んでもらえた。
楽しかった。

わたし、頑張ったよね。

夫もよく動いてくれて、助かった。


夜中1時に、やっと起き上がって、
ホタテを持ってムギに会いに行った。
ムギは車の前で待っていた。

ホタテをあげると、よーく噛んで、味わって食べていた。
ちまとは大違い。

食べ終わると、また警備に出掛けて行った。


息子たちは、今流行っている、無煙ロースターを買ったそうで、
今度はうちで焼肉しましょう、と帰って行った。

可愛くて愛おしい、息子と、そのお嫁ちゃん。
わたしは幸せ者である。

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すっごい頑張れたと思う!

息子夫婦が来ることが、
今のわたしにとっては、最も大きな、楽しみなイベントだ。

日程はいつも、一か月前とかには決定するので、
当日に向けて、徐々に準備をしていく。

何を食べさせてあげるか。
何をプレゼントするか。

何を見せるか。何を話すか。

どういう順序で事を運ぶか。

わたしの脳内で、綿密に予定は組みあがっている。

それなのに、自分の気力・体力が、
追いついていないのだ。


わかってる。
無理をすれば、失敗するか、潰れる。

けれど、母親として、
手作りの料理を、息子に食べさせたい気持ちは大きい。

息子が23歳の時に、同居を解散した。

息子は念願の一人暮らしを始め、
わたしは再婚した。

一度、息子の部屋に行って、料理を作ってきたことがあるが、
その一回きりだった。

あとは、わたしには、料理を作れるような状況になく、
ずっと外で会って、ちょっと豪華な食事をしてきた。

息子が結婚してからは、夫を含め、いつも4人で会った。
彼らの部屋に行ったときは、息子が手料理をふるまってくれ、
それ以外は、ちょっといい居酒屋とかに行き、
夫がごちそうしてくれていた。


前々回、会った時は、うちに来てくれたので、
お寿司を取って、
わたしが、大根と豚バラ肉の煮物を作り、
夫が芋煮を作ってくれた。

その時は、料理をする自信がまだなくて、
いろんなおかずも入った、「寿司御膳」を取ったのだが、
ボリュームが多すぎて、全員、残した。

なので、次に来てくれることがあったら、
お寿司は握りにして、
もうちょっと料理を頑張りたいな、と考えていた。

なので、牛スジ煮込みと、白菜の和え物と、卵焼き二種、
枝豆、ナッツ、などを候補にあげた。

当日は、お昼12時に起きて、卵焼きを焼くだけ、という
プランで進行し、その通りに準備して、
ヘトヘトになって、寝た。



12時に起きれば充分なのに、どういうわけか、
朝の9時に目が覚めて、そのあと、全然眠れない。
6時間しか寝ていない。

大量の鎮静剤を飲んで寝る6時間なので、
薬が抜けないのだ。
でも、興奮しているのか、もう寝ることが出来ない。
仕方なく起きて、また簡単に掃除をしたり、
準備を続行した。

途中でもうへばってしまい、ユンケルを飲んだ。


夫は、お昼前に、お姑さんの食事の介助に行くつもりをしていたが、
「やっぱり今日は行かない。疲れました。」とメールが来た。

お姑さん、入院した日は超元気だったし、
点滴で水分が入っている間は、まあまあ調子が良かったらしいが、
点滴が外れて、水分を自分で飲んでくれる人ではないので、
一気に、おかしくなってしまったそうだ。

夫の精神的な疲労も、ピークだろう。
土日は子供たちに行ってもらって、
今夜は、飲んで楽しもうよ、と返事を返した。

そして、慎重に、卵焼きを作った。

卵焼きは、液体の時に舐めてみても、
出来上がりの味がいいかどうか、味見にはならない。

面倒で、何年もできていなかったのだが、
今年になって、メル友さんに、飯テロされたりしたりすることが増え、
卵焼きの写真にテロされて、
どうしてもどうしても、自分が作る卵焼きが食べたくなり、
何回も何回も作った。

最初は、調味料の感覚がつかめず、失敗ばかりだった。
わたしは5種類の調味料を入れて作る。

巻くのも難しく、火加減も難しく、
うまくできるようになるまで、半年かかった。

プレーンと、みじんに刻んだネギを入れたのと、2本、焼いた。
ネギは白い所が美味しいのだが、見た目も重要なので、
青い所との中間くらいの部分を刻んで入れた。

何とか、うまくできた。
切り分けるのは、食べる直前にしよう。


午後2時半に、息子たちがやってきた。

お茶菓子に、プリンを買って来てくれた。
(プリン率が高い。)
「飲み物、何にする? あるのはね、冷たい生茶、グリーンダカラ、
オランジーナ、水道水、熱い日本茶。」
わたしがそう言ったら、息子が食い気味に、
「オランジーナ!」と返事をした。
びっくり。
「キミもオランジーナ好きなの?」と聞いたら、そうなんだって。
なので、冷蔵庫から出して、ボトルで渡してあげた。
他の3人は冷たいお茶。

可愛い容器に入った、いろんなプリンを買って来てくれた。
4人が違う味をそれぞれ選び、回して、ちょっとずつ、味見をした。
そういうことを、嫌がらない子なのだ。

それから、高知に行ったときの、お土産をくれて、
行ったときの写真も見せてくれた。

お土産は、夫には日本酒の小瓶3本セット。
わたしには、柚子のハンドクリームと、
「ミレービスケット」をくれた。

この、「ミレービスケット」、高知の会社なのだそうだ。
知らなかった。
わたしが子供の頃、好きで、よく食べていたなじみのお菓子なのだが、
東京には売っていなくて、
「しるこサンド」も売ってなくて、
ミレービスケットも、しるこサンドも、西日本の食べ物であり、
東京にはないんだと初めて知った。

一昨年かな、「おかしのまちおか」という店で、
ミレービスケットを見つけた。
買って食べたら、懐かしくて美味しくて、
しばらくハマって、毎週買っていた。
夫にも食べさせてあげたことがある。


マツコさんの番組で、
マツコさんが、銀座の高知物産館で、ミレーを爆買いしたのを見て、
お嫁ちゃんが買ってみたら、美味しかったので、
本場、高知で買って来てくれたのだ。
小袋に分かれていた。
食べたくて、すぐに開けたら、
持って来た二人も、ああ、美味しいといって、
小袋ひとつ、食べてしまったよ。

お嫁ちゃんには、先日お誕生日だったので、
デパ地下で買った、可愛いアイシングのクッキーをあげた。
息子には、大好物の水ようかんをあげた。
お嫁ちゃんは、「可愛すぎて食べられない~。」と喜んでくれて、
息子は、
「わーい。和菓子に飢えてるから嬉しい。」と喜んでくれた。

お嫁ちゃんが、あんこが食べられない子なのだ。
息子は羊羹、饅頭、どら焼き大好きなのだが、
自分しか食べないものを買う子ではないはずなので、
会える時には、最近、ずっと色んな店のミニ羊羹をあげている。

わたしが子供の頃、
わたしは、父から、お小遣いをもらったことなんてなかったのに、
わたしのいとこ(父の弟の娘たち)に、お小遣いをあげたのを見て、
わたしは、寂しくて悔しくて、
こっそり泣いた経験がある。

それがあるから、片方だけに、何かを過剰にあげることはしない。

同じものをあげることが平等ではないので、
いつも、それぞれ、何をあげようかなあと、
デパ地下で迷っている。
とても幸せな時間だ。



長くなるので、続きます。

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いかん、潰れた。

息子たちが来る日を明日に控えて、
綿密に、一日のスケジュールを組んであった。

マッサージの予約をしてあったので、行って、
帰って来てからまずは、寸胴鍋に大量にお湯を沸かし、
牛スジを一度、茹でこぼしてから、切り分ける。

大根とこんにゃくを切って、
それらをまた、水から煮始める。

煮込んでいる間に和え物を作って、
クイックルをやって、と
計画していた。

夕べは、ムギに会えなかったが、
サイレースのおかげですんなり寝付いた。


起きて、薬を飲み、
うるさくまとわりつくちまの薬を用意して、餌に混ぜて与える。

そのあと、自分のコーヒーを入れてパンを用意していたら、
わたしのベッドで、ちまが吐いてしまった。

頭にきた!

吐いちゃうのは仕方がないけど、床で吐いてって、言ってるでしょ!
ちまに怒鳴ってしまった。

綺麗に畳んだタオルケットにどっさり吐かれて、
大損害だ。

リセッシュしてみたが、
匂いに過敏なわたしには耐えがたく、
仕方なく洗濯することにした。

でも、明日は息子たちが来るので、明日までに乾いてないと困るのだ。

リフォームの時に、外の物干し竿は取り払ってしまい、
完全室内干しなので、
こんなにいい天気なのに、外には干せない。

しかも、マッサージの予約時間が迫っているので、
脱水が終わるまでを待つことが出来ない。

仕方がないので、洗濯機を回したまま、出かけた。

今日はマッサージ中、寝なかった。
寝てしまうと、気持ちいいのを感じないうちに終わってしまうので、
損した気分になるのだ。

すぐ家に帰って、まずタオルケットを干した。

真ん中に小物干しをはさんで膨らませ、
空気が通るようにし、
エアコンをドライ設定にし、サーキュレーターを回して、
風が行き渡るようにした。

リセッシュも、吐いたあとで飲むちまのスープも、
少ししかなかったので、
ホームセンターに行って、買い物をしてきた。

それでやっと帰って来て、
まずは寸胴鍋に、なみなみのお湯を沸かした。

計画より、はるかに遅い始動になってしまった。
しかも、大量に料理をするのは久しぶりで、
うまくいくかどうか、不安だ。


料理を終えて、牛スジ煮込みはことこと煮ながら、
大量の鍋やボウルやざるを洗って、
疲れ果てた。

それがもう、18時過ぎだったので、急いでムギのところに行った。

今日は夫は、早退せず、帰りにお姑さんの病院に寄って来るらしく、
車はあったのに、
ムギは、待てど暮らせど帰って来ない。

耳を噛まれていたから、抗争が勃発中なのかもしれない。

小一時間待っても帰って来ないので、わたしは部屋に戻り、
しばしベッドで、放心状態。
ちまが乗って来て甘える。

もうずっとこうしていたいけど、ムギに餌を出してくるのを忘れたので、
20時にまた行って、呼んで待ってみたが、
帰って来ないので、餌を小屋に差し入れて、戻って来た。

今夜の食事は、冷凍のピラフ。
明日、ごちそうだからもう、これでいいや。

テレビを見る気力もなく、
またベッドで大の字になり、放心。

息子に食べさせたくて、頑張ってしまった。
失敗した。
やりすぎだった。

今のわたしには、もう、数種類の料理が出来る力はないのだ。


二時間ほど放心して、
どうにか起き上がって、床にクイックルだけして、
トイレ掃除をした。

明日は、起きたら、パン食べて、あとは卵焼きを作るだけにする。
無理して、体調がおかしくなったら、
せっかく会えるのに、楽しめないもんね。

でも、卵焼きは、最近、何回も作って、
コツをつかんだので、作りたい。

わたしの玉子焼きには、調味料が数種類入っているので、
複雑な味だ。
息子にぜひ、思い出してもらいたいのだ。


今夜は早めに休もう。
明日がいい一日になりますように。

どうにか準備は整ったよ。

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準備準備。

息子たち夫婦が来ることは、
わたしにとっては、年に数回の、一大イベントだ。

結構早くから予定をすり合わせるので、
来る日までにはいつも一か月とか日にちがある。

日程が決まってからは、
わたしの頭の中はもう、息子たちのことで一杯だ。

何を飲むかな、何を食べさせようかな、
何を見てもらおうかな、何をあげようかな。

毎日毎日、考えて、
ちょっとずつ、揃えて行く。
お札がひらひら飛んでいく。
でも、来てくれるのはすごく嬉しくて、幸せでたまらない。

先日、お嫁ちゃんの誕生日があった。
当日、お祝いメールをしたら、夜中に返事があり、
メールもらえて嬉しかったこと、
先週、早めに、息子にお祝いしてもらった様子が書かれてあった。

お昼はうな重をごちそうになり、
夜は、お子様ランチみたいな、プレートディナーを作ってくれたそうだ。
ああ、楽しそうだなあ。
息子、やるじゃん!
すごくお嫁ちゃんのことを愛していて、大事にしているのがわかる。

お嫁ちゃんも、
息子と一緒に居る時は、いつもかも楽しくて、
結婚できて本当に良かったです、って書いてくれてあった。

親として、本当に幸せだ。


わたしは、息子を溺愛するあまり、
絶対に嫁いびりする!と思っていたのに、
お嫁ちゃんが、裏表のない、素直な、可愛い子で、
大好きになってしまった。

よそのお嬢さんだったのに、大好きになるなんて。

でも、最愛の息子を、幸せにしてくれているのは、
このお嫁ちゃんなのだから、
わたしが好きになれて良かった。

息子が好きになって結婚したのであれば、
それがどんな女性であろうと、口出しできないところだが、
わたしは、お嫁ちゃんを好きで、喜ばせたくてたまらない。

わたし自身は、本当に至らない人間で、
二人の姑さんから、悪くしか思われていないが、
わたしが、お嫁ちゃんを好きになれて、本当に嬉しい。

楽しそうに話している二人の会話を聞くのは、楽しい。

一人っ子どうしの結婚で、
独りぼっちだった二人が出会って惹かれあい、
一人ずつから、二人、という単位になり、
それは、喜びが二倍どころか、三倍にも五倍にもなる。

良かったなあ。
本当に息子が彼女と結婚できて良かった。



今日は起きたらいい天気だったので、
スーパーに食材を買いに行った。

帰宅してから、土曜日に飲むものを、冷蔵庫に保管。
単身用の小さい冷蔵庫なので、立体的に組み合わせないと、
全然入らない。

苦労してどうにか収めた。
明日の午後にはもう料理としてしまうので、
冷蔵庫は空くと思うが、料理、うまく行くか、心配。
でも、頑張る。

そのあとは、食器の断捨離と、整頓を行った。
何年も使っていないラーメン鉢などは捨てて、
もしかしたら使うかも、ぐらいのものは、
シンクの上の棚に上げた。

食器棚を持っていなくて、シンクの下の、大きな引き出しにしか、
食器を収納できないので、
どうしたら入るか、まるでパズルだ。

引き戸のレールなどを、ホウキで掃除した。
洗濯物も、全部畳んで片づけて、
ハンガー類も、クローゼットに押し込んだ。

明日は煮込み料理をしながら、クイックルをかける。

当日は、起きたら、卵焼きを作る予定。

23歳で息子と離れてから、
一度も作ってあげていない。
多分もう、味も忘れてしまっただろう。
でも昔、母の味は?と聞かれたら、「卵焼き」だ、と
言っていたので、ぜひ、思い出してもらいたいのだ。

楽しみ過ぎて、寝付けないかも!

本当に嬉しい。
ありがたいことだ。

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経験にまさる知識なし。

月曜日は、お姉さんが病院に行って下さり、
午前中から夕方の手術説明まで、
ずっと居て下さったそうだ。

やっぱり、娘にまさるものはないのだねえ。
よく、一日中、一緒に居て下さったなあ。


わたしは、性質上、ひどく生真面目に話を聞きすぎて、
その話が段々違ってくると、
相手を、責めたくなる。

「聞き流す」力を、持っていないのだ。

だから、酔った客が二件目に来るようなスナックで、
わたしは、生真面目すぎて、クビになった。

バカになれる女じゃないと使えない、と言われた。

わたしは、客の好みを覚えたり、
いつも歌う歌を覚えておいて、カラオケにさりげなく入れたり、
気持ちよくデユエットしたりしてあげたが、
バカにはなれなかった。
向いてない仕事だった。


わたしが、自分の母の話が嫌いなのは、
同じ話のはずが、どんどん尾ひれがついて、
大げさになっていくことを、許せないからだ。

その話、前に聞いた、と言えば、
「何回喋ったっていいだろうが!」と怒鳴られる。

はいはい、いいですよ。
じゃあ、毎回必ず、同じ話にしてくれませんかね。
なんでどんどん尾ひれがついて、
自分がヒーローみたくなっちゃってくのかな?

愚痴を聞くのもまあ、大変っちゃ大変だけど、
そこはお互い様だし、
とにかく、
「自慢話」ほど、ヘドが出るものはない。

一番嫌いだ。

わたしを抱きしめて背中を撫でてくれたことなどないくせに、
他人にそれをやってあげて、
「あんたは優しいなあって褒められるんの~。」と聞かされる、
娘の気持ちを考えたことがあるか。



今日、夫は病院から呼び出されて、
会社を早退したそうだ。
麻酔医からの説明と、同意書へのサインが必要で、
呼ばれたそうだ。

お姑さんの手術は、明日の午前中と決まったが、
高齢(90歳)なのと、それなりに体にガタが来ているらしく、
全身麻酔は危険との判断で、
下半身麻酔で行くそうだ。

脊髄に麻酔を打っていく、あれだ。

わあ、あれ、キツイんだよね~。

わたしも胆のうの摘出の時に、まず、背中に、
痛み止めを流す管を通すので、脊髄に麻酔を打って行った。

胎児のように丸くなって!と言われるが、
太ってお腹が出ているわたしには苦しい。
看護師さん二人に、がっちりと技を決められて、
まず、麻酔を打つための麻酔を打ち、すかさず麻酔を打つのだ。

背骨の隙間全部にこれをやる。
二往復、やって、それだけで40分くらいかかった。
ううっ!とエビ反ってしまうのを、がっちり固められ、
それが終わって、仰向けになった時には、
本当に楽だったし、一秒で意識がなくなった。


こういう話を、夫にもしているし、
ブログにも書いているので、読んで知っているとは思うが、
聞くのと、経験するのとでは、大違いだ。

所詮、経験のない人のは、空論に過ぎない。
経験に勝る知識はない。


わたしは明日は予定通りカウンセリングに行く。


入院した日は、お姑さんは、イキイキしておられた。
普段、誰とも話さず、一人でリビングに座って、
ただぼんやりしているのだから、
優しい看護師さんに囲まれて、ちやほやされて、
すごく嬉しそうだった。

とても90歳には見えませんねえ、と言われ、
もう、こんなことなら、死んでしまいたいわ~と言い、
そんなことおっしゃらないでくださいよ~って、やり取り。
あれ、仕事だからできるけど、
家族として毎日言われてた時は、こっちがしんどかった。

お姑さんは浅草育ちの人で、ちゃきちゃき話すので、
一見、ボケているようには見えない。
一瞬だと、わからないと思う。

でも、ここはなんという病院なの?と、
15分置きに聞くし、
なんなら今日は、病院とも思っていなかったらしい。

4年前に、この病院で、胆のうの摘出を受けている。
わたしと違って、お姑さんは、
胆管の出口にすっぽりと石が綺麗にはまっており、
胆のうが腫れて、癒着も起こしていた。

なので、開腹手術になった。

結構大き目な傷がお腹にある。

入院して、点滴の針やら、導尿管を入れるのに、
部屋の外に居てくれと言われて、夫と二人で廊下にいたのだが、
看護師さんに「以前はどこを手術なさったの?」と聞かれていた。

わたしと夫は、興味津々で、聞き耳を立てて答えを聞いた。
「あのねえ、肋骨が、腐っちゃってね、お腹を切って、
肋骨を取ったのよ~」

一個もかすってねえ!

突っ込みどころ満載で、笑いをこらえた。
看護師さんも、どう返事をしたらいいかわからず、
だまーっていたのがおかしかった。


わたしがお見舞いに行ってもいいけれど、
日ごろ、まったく、接触してないので、
話しすることがないんだよね。

何かお世話があれば、するけれど、
話し相手が、一番できない。

夫を支える、後方支援に回りたいなあ。
でも、お姉さんには、よろしくと言われてしまっているし、
自分がつぶれない限度が、
わたしには自分で全然わからないので、
どこまでやればいいのか、何をやったら誰が助かるのか、
それがまだ見えていない。



夕べ、夜中、ムギは留守だったが、
呼んで待っていたら、しばらくしてゆっくり歩いて帰って来た。

最近、素っ気ないので、おやつ目当てか?と思ったが、
意外に、くっついて甘えて来た。

ちゅーるを食べたあと、一周してきて、
ちょこんと座り、わたしの膝を見つめているので、
「ムギ、のんのしな?」と言ったら、
そーっと、乗って来た。

夜中はまだ肌寒いから、くっつくとあったかい。
脚に乗って、まったりしてくれた。
久しぶりだね。
いとおしいムギちゃん。

でも、3時半を過ぎて、もう新聞も来ちゃったし、
明るくなって来ちゃうから、
ムギ、ママ帰るよ、と言ったが、無反応。

じゃあ、ムギ、抱っこさせてね。

そう言って、ムギを抱き上げて、胸に抱きしめた。
そしたら、ムギが「ゴロゴロ!」と言い始めてしまった。

作戦は、失敗だが、
ムギは抱っこされて、それを喜んでくれている。
この手を離すことなんてできないよ。

ムギを抱きしめて、ムギ大好き、ってずっとささやいた。

20分ほどで降りたので、わたしもやっと部屋に戻った。

最近のムギはツンツンツン・デレ・ツンツン、って感じ。
でも、抱きしめた時の感覚、忘れないよ。

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見える病はいいよね。

このブログを長年書いていて、
きっと何度も同じことを書き続けていると思う。

骨折の人は、いいよね。
画像で、骨折していることが見られて、
痛さを想像してもらえて、
誰にも、責めらず、無理せよと追い立てられない。
(リハビリはまた別のこととして。)


ガンになっちゃった人は、不幸だよね。
でも、いいよね。
みんなに同情してもらえて、優しくしてもらえて、
ガンになったことを、誰にも責められない。

見える病気、治る病気は、うらやましい。


わたしたちのような、精神疾患を持った人が、
いくら、声を挙げても、
受け入れてもらえることは、ない。

こんなご時世になり、情報が簡単に入手できる世の中でも、
偏見にさらされ、忌み嫌われる。

どうしても寝付けなくて苦しんでいると、
どうせ寝ないんだったら起きてれば?と言われる。

それが、どんなにひどいことを言っているのか、
自覚はゼロだ。

気持ちが落ちていて、誰とも会いたくないことや、
やる気が出なくて、清潔を保てないことや、
働けないことを、ずっと、責められる。

社会から責められるのも辛いが、
家族に責められると、死にたくなる。



うつ病は、その実態が見えない。

わたしは、躁鬱病だから、躁状態になるときも、もちろんあって、
そしてそこあと、必ず、大きな鬱が襲ってくる。
飲み込まれる感覚だ。

けれど、躁状態を見た人は、
ああ、けっこうやれるんじゃん、平気そうじゃん、と
勘違いする。
その後、大鬱に飲み込まれているときは、
誰ともコンタクトしないので、
見えないのだ。

見えない病の恐ろしさは、理解されないことにある。



昨日も書いたが、夫がお姑さんを個室に入れようとしたことは、
すごくショックだった。

18000円かかることは、もちろん知っている。

たった5日の入院のわたしの時に、
お願いをしたのに、
いくらかかると思ってるの、死ぬわけでもないのに、と
夫は言葉で言ってしまったのだ。

先妻さんは、死の病だったから、個室だった。
でも、わたしは、たかが胆のうを摘出するだけだから、
個室がもったいなかったのだ。
ガンでもないのに、と言われた。

わたしが個室を望んだのは、
胆のうを摘出するからではない。

この、精神を守るために、どうしても、個室しか無理と、
判断したからだ。


卵巣を取った時に4人部屋で、ものすごく辛い思いをした。
経験したからこそ、個室にしたかったのに、
卵巣の時は、4人部屋だったじゃないか、と言われた。

そうだよ?
それで、無理だと学んだからこそ、頼んでいるのに。


たった5日のわたしの入院には、個室を渋ったのに、
実の母親となると、それが、最低で二週間、と言われているのに、
18000円もする個室を取ろうかとしている夫に、
わたしは、本当に、びっくりした。

前夫が、
「嫁の代わりなんかいくらでもおる。親の代わりはおらん。
だから、親のほうが大切じゃ。」と言ったのも、
わたしの、たくさんある、離婚原因の一つだった。

それを思わず、思い出してしまった。
男の人って、実はみんなそうなの?

前夫との離婚の話し合いの時に、それを持ち出すと、
お前は言葉にこだわりすぎる、聞き流せ、と言いやがった。

じゃあ、言いたくて言った者勝ちで、
言われたほうは泣き寝入りしろと言うのか。

あなたは、「嫁の代わりなんていくらでもおる。」と言ったのだから、
どうぞ、そうなさってください、
親御さんをお大事にね、と言って、
わたし前夫を捨てた。



使う言葉の重みが、違う人とは、
一緒に生きて行くことは、出来ない。

売り言葉に買い言葉で、
思ってもいない言葉が出ちゃうなんてことは、絶対にありえない。
思ったことが、かすかにでせよ、あるからこそ、
口から出てしまうのだ。

言葉を軽んじる人とは付き合えない。



夫は今日は大事な会議があったそうで、午前中出勤し、
午後は帰って来て、忙しくしていたようだ。

わたしは、ムギに会えたのが遅かったのと、
風邪をひいてしまったので、
ちょっとゆっくり寝た。

お姑さんの手術は、水曜日に決まったそうだ。
わたしは、カウンセリングなので、カウンセリングに行きたいと伝えた。

お姉さんは、水曜日は都合がつかないらしく、
手術日は、夫が一人でまた、待つ役割になる。

夫は、手術はおろか、入院の経験もないので、
いつも見守る係。

卵巣の摘出から3年で、わたしは胆のうを摘出したが、
手術台が、テンピュールになっていた。
本当に、医療はどんどん進化をしている。

わたしは、今月は年に一回の検診がある。
また、胃にポリープがあると言われるだろうが、
胃カメラはもう、やらない。

そろそろ、もう片方の卵巣も気にかけたほうがいいですよと、
去年言われたのだが、
まあ、しばらく、いいや。

                                                伽羅
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大変な日になった(2)

母屋のリビングは二階にある。
階段を上がっていくと、トイレの前で、夫が、
お姑さんを両腕で抱えている。

どうしてもトイレに行きたいと言ったらしく、
リビングの床にへばっていたのを、夫が抱きかかえて、
トイレに連れて行こうと試したらしい。

しかし、お姑さんは、左足が動かない、
痛い、立てない、と言っている。

トイレは無理そうだ。

夫は、近所の、血圧と狭心症でかかっているクリニックに、
連れて行くと言う。
外科もちゃんとあるとのこと。

でも、わたしは、それには賛成しかねた。

今いるのは、二階で、階段は、途中で直角に曲がった形。
いくらお姑さんが軽くても、
痛がっている人を、どうやって一階に降ろして、
どうやって車に乗せて、
行ったはいいが、そのあとどうなる?
二人の力で、どうにかできそう?
あのクリニックで、対処してくれる?


わたしはくるくると考えた。

4年前、お姑さんの胆石が胆管にはまり、
胆のうが腫れあがった時、
そのクリニックでは対処できず、結局、救急車で、
都立病院に回されたのだ。

今回も、まず、同じことになるだろうと思った。
しかも、前回は平日だったが、今日は日曜日だ。

「無理だよ。無駄だと思う。都立病院に行こう。救急車、呼ぼう。」
わたしは、強く提案した。

あのクリニックに行けば、
提携している違う病院に回されるかもしれない。
それよりは、救急車に乗って、都立病院で、とお願いしたほうが、
絶対にいいと思ったのだ。

いいね、そうするよ。
救急車、呼ぶからね、と勢いつけたのは良かったが、
生まれて初めてなので、まず、番号が思い浮かばなかった。

109と押してみたが、つながらないので、夫に聞いたら、
119だよ、と言われた。

火災ですか、救急ですか、と聞かれ、
救急だと伝え、住所と夫の名前を言った。
お姑さんの状況も話した。
家は、路地を入ったどん詰まりのコンクリート建ての家で、と
説明をしたら、
「大丈夫です、もう画面で映像を確認しました。」とのこと。
すごい時代になったものだね。

お姑さんを廊下に静かに寝かせて、
二人で入院の準備をした。

4年前に一式買ったのに、下着が見当たらない。
とりあえず、明日でもいいので、見当たったものだけエコバッグに入れた。

夫が診察券や保険証、お薬手帳とお薬一式を用意した。

救急車から電話がかかって来た。
もう到着するらしい。
サイレンが聞こえている。
夫が家の前の道まで迎えに出た。

救急車と消防車が来ていた。

隊員さんが次々にあがって来て、4人、いらした。
簡単に説明を聞いたあと、担架にくくりつけて、
お姑さんを救急車に運んだ。

二人まで一緒に乗れると聞いたので、夫と二人で救急車に乗った。
わたしは、人生初の救急車。

車内から都立病院に、受け入れ要請をしてくれている。
受け入れてもらえるらしく、発車した。
噂には聞いていたが、とても揺れて、乗り心地は悪かった。

お姑さんは、しっかりしており、
騒ぐこともなく、落ち着いている。
大正生まれと書いてあるのを隊員さんが見てびっくりし、
「大正ですか!」と二度見していた。

救急搬入口から入れられ、お姑さんはストレッチャーに乗ったまま、
夫への聞き取り。

夫がスーパーに行っていた一時間くらいの間のことだったので、
誰も状況を見ていないのだ。

転んだのか、ただ立ち上がっただけなのか、
本人の答えが、聞くたびに変わるので、
聞き取りはちょっと難航した。

家の間取り、家族構成まで聞かれて、それからやっとレントゲン。


お姑さんは、左の大腿骨の付け根を、骨折していた。

手術するしか治す方法が無い箇所らしい。
手術は簡単で、40分ほど。
ボルトで留めるだけとのこと。
ただ、この土日で、救急搬送されてきた患者さんが溜まっており、
月曜の朝の、医師・麻酔医・看護師・病棟との合同カンファレンスで、
誰を優先的に手術していくかを、決めるとのこと。

同じ骨折をした人が、他にも2名、もういるそうだ。

お姑さんが、90歳という高齢で、
認知症外来にも通っているのを知り、
手術が遅い日程になり、寝かせておく日にちが長くなれば、
ボケが進行する可能性が高いのは、充分に考慮してくれるらしい。

入院をした日が最も元気があり、だんだん衰えて来る。
それは考慮して決めると言っておられた。

どちらにせよ、月曜日に夫に連絡が入るまではわからない。


このまま入院なので、夫は書類を色々書く。
わたしは、必要と思われるものを、院内のコンビニで買って来た。

あたふたしているので、買い物が一回では済まず、
何回もコンビニに行った。

個室と4人部屋とどちらにしますか?と聞かれて、
夫が、個室の方がいいかな、と言った。

個室の値段が18000円なのは、もちろん知っている。
わたしの時は渋ったのに、おかあさんには、しぶらないんだな、と
ちょっと悔しかった。
わたしはたった4泊5日だったのに、お姑さんは最低二週間と言われてる。
それでも個室をしぶらないんだ?と思った。


でも、今日のところは、外科の病棟では、
一番奥の4人部屋しか空いてないらしく、
このあと、いろんな処置もあるので、
脳外科の個室に入ってもらえないか、と聞かれて、
夫は快諾していた。

手術がいつになるかはまだわからないが、
手術までは、多分個室のままだろう。

病室が決まり、準備が整って、移動。
導尿の管を通すので、感染症予防にオムツがいると言われて買いに行った。

導尿管も、点滴の針も、なかなかうまく行かないようで、
わたしたちは廊下に出されて待っていたのだが、
ご飯でも食べて来てくれと言われた。

でも、夫がスーパーでお寿司パックを買って冷蔵庫にいれてあるので、
帰宅してそれを食べねばならないので、
甘いコーヒーを飲みながら、談話室で待っていた。

しばらく経って、やっと両方成功したらしく、
呼ばれたので行って、
今度は、お姑さんに何か食べさせなくてはならない。

本人は、食べたくないと言い張るが、
夫は、いつもそうやって食べないから、
骨折なんてことになったんだぞ、と言い、
お稲荷さん一個と、海苔巻き一個と、
キウイを食べさせた。

しばらくいたが、本人がまったく動けないので、することもないし、
二人でタクシーで帰った。
10時過ぎていた。

娘ちゃん二人はお出かけだったが、
次女ちゃんは帰宅していたらしい。
3階の部屋にこもっている。
長女はどこまで行ったのか不明だったが、帰って来たのは11時近かった。



手術したら、もう翌日から、歩くことを勧められる。
わたしも、看護師交代の17時を過ぎたら、
手数が減るから、今のうちに立って!と言われた。
それは、卵巣を摘出した時のこと。
麻酔の後遺症で吐いていたので、辛かった。

胆のうを取った時は、吐かなかったので、早く立ったし、早く歩いた。
ちまがあまりにも不憫で、とにかく最短で帰る!と決めていて、
必死に食べて必死に歩いた。



都立病院は、救急病院なので、
長く入院していることはできない。
術後、一週間で抜糸で、そのあと一週間のうちに、
次に入院するリハビリの病院を探して紹介してくれるそうで、
それに従ってくださいと言われた。

合わせて、一か月以上、かかるだろう。


でも、お姑さんがいなければ、
言い方は悪いが、家事は格段に楽になる。
みんなのストレスも少し楽になる。

お姑さんの認知症が進行しないように、
話し相手が必要だと思うのだが、
わたしに、それが勤まらないのだ。

お世話することはいとわないが、話し相手は無理だ。

でもとにかく、協力して、頑張るしかない。
わたしは夫のケアをしてあげたいと思う。


ということで、大変な一日でした。

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大変な日になった(1)

ちまが、腎不全のステージ2になっているとわかり、
すぐに療養食に切り替え、新発売の薬を飲ませ始めた。

そのあとの検査に行く。
しんどいけど、午前中に起きて、車で病院に行った。

ちまは、お利口に、採血を受けた。
血管が細いので、なかなか血が取れなくて大変なのだ。

院内で簡単な検査をしてもらい、
専門機関での詳しい検査にも出してもらう。

待合室で待っていると、先生が、明るい声で、
「数値、下がってますね! 基準値内ですよ。」
と喜んで教えてくださった。

前回、クレアチニンという数値が、2.2.だった。
それは、ギリギリ、基準値内ではあったが、高い数値であるそうで、
長年の経験と勘で、先生が、検査を勧めてくださったのだ。

今日はそれが、1.4にまで下がっていた。

2.2のとき、もっと初期だと思ったのが、
実はステージ4まである中の、ステージ2になってしまっていることがわかった。

ちまは、アレルギー体質なので、餌を一気に変更してしまうのは、
危険がある。
でも、たんぱく質を減らすことは出来る。
苦いお薬を飲ませる(食べさせる)ために使っている、
カルカンというウェットを、腎臓用のシチュー缶に置き換えられたら、
すごくいいのにと思って、
試供品でいただいたのを、試した。

そしたら、ちまは、大喜びでそれを食べた。
なので、カリカリはそのまま。ウェットは変更。
おやつのちゅーるも禁止、という生活を始めた。

いざ、やめてみると、ちまは意外に執着はなく、
もらえさえすれば、なんでも喜ぶことがわかった。

腎臓用のカリカリも、何種類かいただいて、
それを、おやつ代わりに出してみたら、喜んで食べる。

一昨日、違う種類の試供品を出したら、
それは、嗅いで、振り向いて、「うえぇ…。」って顔になった。
食べられないらしい。

なので、それはすぐに封をして、「嫌い・食べない」と記入。
嫌なものを食べさせるのは嫌だから。

試供品の中に、大好きなシーバと同じ形のものがあった。
それを出してやったら、狂喜乱舞して、もっとくれ!と催促した。

今後は、それをおやつにすると、ちまも嬉しいね。
パパにお願いして、買ってもらおうね。

ちまがまだ8歳なのに、腎不全にしてしまったこと、
悔やんでいたけれど、
ちょうどいいタイミングで、猫用に開発された腎不全の薬が出て、
それを飲むことができたので、
これ以上の進行を、止めることが出来そうだ。

そう思うと、とても嬉しかった。
ちま、良かったね。お薬、頑張ったもんね。
このまま、長生きしようね。


帰って来て、ちまには餌をやり、
わたしは着替えて、
ちまとくっついて、お昼寝をした。
掃除…
洗濯…、と思いながらも、疲れが出て、
夕方まで寝てしまった。

起きて、ちまに餌をやり、自分はカップ焼きそばを食べた。

ムギのところに行こうと、準備していると、
夫から電話がかかってきた。

聞くと、おかあさんがどうやら転んで、怪我をしたっぽくて、
動けなくなっている、
クリニックに連れて行こうと思うんだけど、娘たちはいないから、
手伝って欲しい、とのことだった。

うんわかった、着替えてすぐに行くね、と
わたしは電話を切った。


長くなるので続きます。

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ハードル、ないの?

夕べはちょっと寒かった。

夜中、ムギは留守で、呼んでも呼んでも帰って来ない。
30分待ったが、悲しい気持ちで部屋に戻った。

こんな肌寒い夜こそ、小屋でのんびり寝ていて欲しいのに。

自分が寝る時もちょっと寒かったので、
洗濯して片づけたのを使いたくなかったが、
ハーフケットを体にかけた。
ぞくぞくしたので、念のため、
風邪薬を飲んで、寝た。

リウマチの注射を強いのに変更したので、
とにかく、感染症にかかってはならないのだ。


寝ている時に、夫からメールが入った。

寝ぼけまなこで読む。

夫は、年に一回の人間ドックに行っているが、
検査の後、その病院のレストランで食事して時間を潰し、
結果をもらってから帰って来るシステム。

ところが、今年は、
「大江戸温泉物語」のチケットをもらったそうだ。
当日限り有効なので、自分が帰ったら、一緒に行きませんか?
と、書いてあった。


いやいや…。

それは、どうしたって無理だろう。

ひとまず、わたしはこのところ、ずっと体調も、
気分もすぐれず、
引きこもっている。

今日、風邪気味であることを、知らないのはもちろん当たり前だが、
わたしにとって、「お風呂」のハードルが、いかに高いか、
夫はすっかり忘れているのだ。

まあ、わたしも、いちいち、報告しないけれどね。

自分で髪を洗うことが恐怖でできなくなり、
今はチケット制の安い美容院で、
月に6回、シャンプーしてもらっているのだ。

顔を洗うことも、実は困難で、
ふき取り化粧水でふき取る生活。

そんな生活なのに、温泉施設に行くなんて考えたら、
まずは、下着変えなくちゃ、と思うし、
何を持って行かなくてはならないかとも考えるし、
そもそも、わたし、浴槽に入れない、ってことに気が付いた。

そう、わたしは浴槽につかってることが、出来ないのである。
「お風呂でリラックス」
とか、考えることも不可能だ。

なんで体を沈めた状態で、リラックス?
いったい、それのどこが楽しいの?
何にいやされるの?


だから、わたしは、一切、浴槽に入っていない。

真冬でも、シャワーのみだ。

実家に行くと、浴槽が用意されてあって、
「ゆず湯になってるからね。」とか言われるので、
仕方なく、入ってはみるけれど、
真冬の極寒の実家のお風呂でも、
浴槽には、2分もつかっていられない。

苦しくなる。

それくらい、お風呂のハードルは、高いのだ。


温泉施設になんか行ったら、たくさんの浴槽があって、
薬湯とか、ジェットバスとか、寝湯とか、露天風呂とかあって、
そんなのに、たとえ1分ずつでも入ったら、
もう、ヘトヘトになる。

しかも、タオルで巻いた髪が蒸れて痒くなる。
でも、自分では洗えない。

楽しくないどころか、
拷問に近い。

それを、どう説明したらいいか、悩んだが、
具合が悪かったのでそのまままた寝てしまった。

夫の「帰りました」メールで起きて、
やっと、お断りのメールができた。

絶対に納得してないとは思うけどね。



以前、一回行ったことがあるのだが、
それはわたしが普段、あまり入浴ができていなくて、
「垢すり」をしてもらいたくて、
垢すりを受けてもいいんなら、行く、と言って、
一回行ったのだ。
目的はそれだけだった。

裸になるなら、ムダ毛の処理とかもしなくちゃいけないし、
そうなったら、
お風呂の前に、まずは自宅でシャワーしなくちゃならないじゃんか。

ハードル、高すぎるんだよ。
絶対無理だよ。

健常な人には、「ハードル」って、ないの?
どうなの?


結局夕方まで寝ていて、
いつもの時間にアラームかけて、ムギに会いに行った。

ムギは庭にいたが、あまり喜んでもくれず、
むしろ、ちょっと不満げだった。

ムギのリビングに座って呼んでも、全然来てくれないので、
お迎えに行った。

車の下にいるムギのしっぽをちょいちょいして、
お願いして、やっと来てくれた。

それで、「今ムギと一緒にいます。」と、夫にメールをした。
そうしたら、夫が、自分が外に出て、ムギを呼んで、
それでムギが帰って来てくれたんだけど、
キミの玄関が開いたので、自分は家に入ったんだ、とあった。


なんでこの時間?

少し前、夫が、あまりにもムギに会える時間が少ないとひがむので、
じゃあ、土日はわたしは、夜中だけにするから、
あなたが好きな時間に会えば?と遠慮した。

ところが、ムギがあまりなつかず、全然思うようにならないので、
「もう、土日もキミがいつものようにやって。」と言われたのだ。

だから、いつも行っている、
17時半~18時に行くんだけれど、
そのこと、忘れちゃってるのかな。

ムギがわたしに素っ気なかったのは、
パパに会うつもりで帰って来たら、
ママだったからかもしれない。
おやつだけ食べて、あとは全然そばにいてくれない。

あんなに抱き合った夜もあったのに、
ムギちゃん、ツンデレがすぎるよ。


明日はちまを病院に連れて行く。
いつもより早起き。
でも、帰ったら、ちまとくっついてお昼寝するんだ。
ちまの血液検査をして、腎臓の薬が効いているか診てもらう。
頑張ろうね。

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クレームは言い、いい時は褒める。

わたしは、自分はクレイマーだと思う。
プロとして、意識の低い仕事を許せないからだ。

買ったものに不具合があれば、消費者相談室に、
その不具合のものとレシートをつけて送る。

店でも、不当な扱いを受けたら、きちんと言う。

でも、逆に、すごくいい対応をしてもらえたら、
その人をすごく褒めてから帰る。


わたしが行っている精神科のクリニックは、
住宅街にあって、
近所に小さい薬局があって、
まあ、いわば、提携している。

精神科の薬を、あれだけ種類と量を揃えている薬局は、
多分ほかではないと思うので、そこに寄って、帰る。

最初の頃は、特に困ったこともなく、
20分くらいでお薬が出て来て、
問題もなかった。

薬剤師さんは、年配の人が二人と、
感じのいい受付のお姉さんがいた。

ところが、去年の春に、
ベテランの薬剤師さんが一人いなくなり、
わたしと同世代くらいの薬剤師さんが入った。

受け付けのお姉さんも移動になったらしく、
新人さんになった。

そしたら、トラブル続出で、
薬が出て来るまでに40分も50分もかかる。

しかも、新しく入った人が、
薬を出して来て、要らん説明をしたり、
患者の方がよっぽど詳しいわ!と思うようなことを、
延々、話す勘違い薬剤師だった。

たまに居るんだよね。
医者より偉いと思ってる人。

その人は、患者がもういい、と言ってるのに、他の薬はどうだとか、
副作用がどうだとか、
完全に、勘違いした厄介な薬剤師さんなのだ。

袋は要らない、と言ったそばから、
薬も領収書もいっしょくたに袋に入れているし、
他の患者さんでも、すごく怒っている人がいた。
「袋はいらない、って、たった今、言ったでしょ!
余計なことばっかり喋ってないで、ちょっとはこちらの話を聞きなさい!」と、
怒鳴っている年配の奥様もいた。

全くその通りだと思って聞いていた。



先月、眠れなくて、死にたくなって、
睡眠薬が変更になった。

そんなのは、処方箋を見ればわかるので、わたしは別に何も言わず、
お願いします、と処方箋とお薬手帳を渡した。

そしたら、あろうことか、処方箋を見ずに、
いつもの処方で、一包化してしまったらしい。

作り終えてから気が付いたようで、
「お薬、変更になったんですか?」と、質問された。
その時点で、もう30分くらい待ったあとだ。

あり得ないよね?
ヤバいよね?

その日は、GWのせいで、午前中の診察だったので、
明け方にやっと寝たわたしはもうろうとしており、
怒る気力も出せなかったが、
今回は、受付の人に、
「処方が変わってるので、今度は間違えないで作ってください。」と言った。

すると、新しい受付のお姉さんは、機転が利く人で、
前回何かあったらしい、と感じたのだろう、
はい、すみませんでした、と受け取って、
きちんと奥の薬剤室に、伝えてくれていた。

今日は人が多いなあとは思ったが、
若い薬剤師さんが、一人、増えていた。

非常にてきぱきした感じの人だった。

わたしの時もその人が持ってきて呼んでくれた。
余計なおしゃべりは一切せず、変わった薬の部分だけを確認し、
素早く目の前で、数の確認をした。

袋に、入れますか?と聞かれて、はい、と答えた。
領収書やお薬手帳はどうしますか?と聞かれたので、
あ、それは別でもらいます、と答えた。

動作も手早く、無駄がなく、かといって、事務的でもなく、
大変スペックの高い人だった。

お会計を済ませてからわたしが話しかけた。
「新しく入られたんですね。」
すると彼女はにっこりして、そうです、と答えた。
「あなたの仕事ぶり、とても素晴らしいです。おかげで早く帰れます。
ありがとう。」
わたしは彼女にそう言って、お世話さま~と言いながら、出た。


仕事ができる人って、大好き。
いいなあ。
これで、ストレスが減ったよ。
彼女が辞めないでいてくれたら助かるな~。



ムギは、夕べ、夜中にわたしと別れてから、
ずーっと留守だった。
朝、夫にもらった餌に全然手をつけていない。

わたしは、ムギに会えなければ、何もできない気分だったので、
ずっとムギを呼び続けて、40分、待った。

やっとやっと、ムギが帰って来た。
車の横でグルングルンと回って、喜んでいる。

なのに、食欲がまさっていて、食べるだけ食べたら、
ぷいっと車の前に行ってしまい、
全然、そばに来てくれない。

お出迎えに行っても、来てくれない。

昨日はあんなに愛し合ってたのに。
つれないよ。

猫って、本当に気まぐれ。
ムギってわがままっ子だよ。

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魂で抱き合う。

この間、なぜだかわからないけれど、
ムギはわたしの愛情を試した。

機嫌が悪かったわけではなく、呼んだ声を聞いて、
走って帰って来てくれて、甘えたのだ。

わたしが撫でていると、ムギが大きく口を開いて、
わたしの手を、アグーと噛んだ。

もろろん、本気じゃない。

猫が、あの牙で本気で噛めば、
丸く穴が開いて、そこから血が噴き出すのだ。

ムギは、場所を変えながら、何回も、アグーと噛む。


ムギは、まるで、子供が親の気持ちを試すように、
恋人が恋人の気持ちを試すように、
噛んでみたのだ。

わたしはムギに愛情を試された。

好きに噛ませておいて、ムギが口を離した後、
「ムギ、ムギが噛んだって、ママはムギのママだよ。
ムギのこと、愛しているよ。」
と伝えた。

ムギは体の力を抜いて、全身をわたしに預けた。



今日、やっと体調が復調し、出かけることが出来た。
シャワーもできた。

ムギに会いに降りて行くと、
ムギは番犬のように、母屋の玄関前に座って待っていた。

呼ぶと喜んで、すぐに寄って来てくれた。

朝もらった餌はほとんど残っていなかった。

体を拭いてやり、ブラッシングをしようとしたら、
ムギが座った。

何か欲しいとき、ムギは座る。
わたしを見上げて、首を伸ばして、ゴッツンコしてくる。
ニコニコ笑っている。

本当に、部屋に居た時は、ムギのこんな笑顔を、
見たことが無かったよ。

ムギは、何かもらいたい時、座って、
右手と左手と、交互にちょっと力の入れ方を変えて、
ちょっとだけ、左右に揺れる。

すごく可愛くて、その姿を見ていたい。

でも、腹ペコらしいので、おかかをあげた。
器をわたしが手に持って、ムギに捧げる。


食べると一周してきて、また戻って来て、脚にもたれてダラダラしたり、
今度はシーバが食べたいと言って、またゆらゆらしたり。

そんなことをしていて、一時間経ったので、
わたしもちょっと疲れて、
「ムギ、ママ帰るよ?」と声をかけたら、ダメだと言うのだ。

コトンと横で、お腹を見せて寝転がり、
「お腹をモフってもよいぞ。」と言う。

なので、ありがたく、モフモフさせてもらった。

背中の毛は、ごっそり抜け替わって、ザラザラした手触りになったが、
お腹の毛は柔らかくて、お腹もタプタプしていて、
気持ちがいい。

でも、一向に、「もうやめろ。」と言わないので、
最終手段に出た。

ムギ、抱っこしちゃうよ?

ムギを両手で抱き上げて、
わたしは座椅子にもたれて体育座りになり、
ムギを胸でしっかり抱いた。

こうすれば、嫌がって降りるので、その隙に帰るつもりだった。

ところが、抱っこされたムギが、
突如、ゴロゴロ言い始めた。

あれれ。
これは、喜ばせてしまったではないか。



ムギは嫌がることもなく、身じろぎもせず、
ただ、わたしの胸にしっかり抱きしめられて、
頭に顔を埋められて、すんすん匂いを嗅がれている。

そんなムギを、降ろすことなんてできなかった。

何にも聞こえなくなった。

電車の音も、人の声も、車の音も、
何も聞こえなくなった。

この世に、ムギとママと二人きり。
体が密着していて、
魂で、抱き合っている気分だった。

きっとムギも、そう感じたよね。
じーっと抱かれていた。

部屋で飼っているときだって、
こんなに抱っこなんてさせてくれなかったよ。


ムギを抱きしめて、暗くなっていく空を見つめていた。
ムギの匂いをいっぱい吸った。

ムギ。
ママ、今夜のことは、一生、忘れないよ。
大好きだよムギ。



7時20分くらいに、足音が近づいて来て、
門扉が開いた。
この時間だと、夫だ。

ムギは、ピョンと降りて、
なにもしてないですよ~って感じで、夫を出迎えに行った。


部屋に戻って、服を脱ぎ、顔を拭いてから、ちまに会った。
試供品でいただいた、腎臓ケアの餌の中に、
シーバそっくりなのを見つけたので、
それをあげたら、めちゃくちゃ喜んで食べた。

ちまはこのところ、ずっとわたしのベッドで一緒に寝てくれている。
わたしの調子が悪いとき、いつも一緒に寝てくれる。

その餌、いいねえ。
パパに頼んで、買ってもらおうか。
ちまだって、おやつ、欲しいよね。



相手は猫だけれど、たまたま、猫の形をしているだけ。
魂でつながることができる。

まだ子供で、力がなく、ゴンを救えなかったこと、
今もずっと悲しい。

ムギには、「お外の子なのにね!」って驚かれるくらい、
長生きして欲しい。

いっぱい愛を伝えるね。

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ああ、もう、この脳!

お姑さんは90歳で認知症だが、
だれだって90年も生きてたら、認知症になるんじゃないの?

わたしの脳は、認知症ではないけれど、
もう、言葉が、出て来なくて、あきれる日がある。

結構本も読めるように戻ったし、
ブログ記事だって、毎日更新できた。


書くことが無くて、困った経験なんてなくて、
毎日書きたいことだらけで、
長くなってしまったり、
はて、昨日あんなに、翌日書こうと息巻いていたのに、
なんだったっけ?となることが増えた。



調子を崩して丸4日、寝込んだ。

猫は一日20時間寝るとか言うけれど、
もう、猫レベルで、寝ても寝ても回復せず、
ずっとほとんど寝て過ごした。

今日になって、どうにか自分を叱咤して、
洗濯をして、干しっぱなしだったのを畳んで、
また干して、
夫のシャツにアイロンをかけることが出来た。

やっとだよ。

いつもなら、預かるとすぐにやるんだけれど、
今回のダウンは、深かった。

うちの夫は、頼み事をすると、すぐにやってくれる。
その場でやってくれたり、即日手配してくれたりする。
そういうところが好きだし、見習いたい。

見習いたいのと、
あとは、わたしは、人の物が自分の部屋にあることが好きじゃないので、
即日やって、渡すようにしているのだ。

アイロンかけが、ずっと出来なくて、とても辛かった。



ほぼ毎日書いているブログなのに、
もう、脳が混乱しすぎて、
何を書けばいいのか、わからなくなった。
話題はいくらでもある。
ただ、「スランプ」だったのだ。


しかもだよ?
この「スランプ」という、言葉が全然出て来なかった!
もうだめだ、わたしの脳!

タ行の言葉で、4文字で~と、思い出そうとしたのだが、
今、文章を書き始めて、やっと脳が動き出して、
思い出したら、
タ行、一つも入ってねえ!


リフォームの時に、かなり断捨離して、
国語辞典と、漢字辞典を捨てたことを悔やんでいる。

手紙を書くときに、うろ覚えの日本語が、どうだったかを、
思い出せない。
国語辞典、文字が大きいのを、買おう。

ずっと古くから引き継がれてきたことを、
れんめんと、でよかったのか、いや、めんめんと、であるのかが、
わからない。

一個前のガラケーには、辞書が内臓されていたので、
それで調べることができたのに、
今使っているガラケーには、辞書が入っていないし、
お誕生日アラームもついてないので、
不便だ。

でも、スマホにする必要性は感じてないので、
まだこれを数年使うのだな。


今日は頑張って早く起きて、家事をしたのに、
アイロンが終わったら、力尽きてしまい、
またベッドに戻って、夕方まで眠った。
ちまがもぐってきて、一緒に寝てくれた。

そろそろ、復活したいところだ。

最低限のことでいいので、自分のことをしっかりやりたい。
今日は掃除もできなかった。


いつの間にか、もう6月だ。

年末の帰省で潰れてるうちに、
半年も経過してしまった。

もったいないよ。

もうすぐ、息子夫婦が遊びに来てくれる。
とても楽しみ。
可愛い子たち。

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