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初めて自分の部屋。

わたしの実家は、
山の斜面を切り崩して造成した町営の住宅地で、
広さ・間取りはどこも同じ。

土地面積は43坪で、建った家は平屋。
6畳の和室、4.5畳も和室と押入れ、3畳のキッチン。
畳一畳分くらいのお風呂と、
男女別のトイレがあった。

それだけ。

なので、土地に対して建物が小さかったため、
だんだん、みんな、小屋を建てたり、部屋を建て増ししたりした。

わたしの父は、三交替勤務で、夜勤もあったので、
その間取りで、父が昼間寝ていると、
何にもしてはいけない。
話すことも禁止。

緊張して息を殺して暮らした。

やがて家の西側に建て増しされて、
6畳の和室と、3畳の洋室が出来た。
和室は、住み込みで働いていた祖母が、
週に一度、帰って来る時に寝る部屋。

3畳の洋間に、わたしの机と、母のミシンが置かれ、
母がミシンを踏んでいる横で、わたしは勉強をした。

母がミシンでの内職をやめて、働きに出て、
やっとその3畳間が、初めての自分の部屋になった。
小学校の6年だったかな。

嬉しかったなあ。

近所のおうちからもらった、二段ベッドの一段を入れて、
憧れのベッド生活。
机と、ベッドと、本棚と、飾り棚を置いたら、
床部分は全くなくなったが、
あの狭い部屋が、わたしはとても好きだった。

好きなロックミュージシャンにポスターを貼った。


高1の時に、祖母が仕事を辞めて同居することになり、
家を建て替えた。
その時にはもう、町営ではなく、宅地が払い下げになっていたので、
建て替えができるようになったのだ。

わたしの部屋は、別に望んでもいないのに、
8畳の洋間になり、掃き出し窓に、ベランダがついていた。

ベランダは、布団を干すのが目的なので、
親はバンバン入って来るし、
勝手に布団を干して、遊びに出掛け、
雨になったのに気が付いたのが遅く、
布団を濡らした時には、父に理不尽に怒られた。

その部屋で暮らしたのは17歳から23歳までと短かったし、
いくら、ノックしてよと言っても、
母は、「コン!ガチャ!」と入って来るので、
気持ちが安らぐことはなかった。

わたしはあの、狭い3畳間のほうが、好きだった。

わたしが結婚すると、すぐさま親は、
わたしの部屋にベッドを入れて、自分たちの寝室にした。

結婚しても、まだ、実家に自分の部屋がある人が、
うらやましかった。

最初の結婚でも、自分の部屋ってなかったし、
再婚しても、ずっと夫と一緒に居なくてはならず、
布団をぴったりとくっつけて敷かれる。

わたしが、夫がいない間に、20センチくらい離しておくと、
また、ぴったりとくっつけられる。

携帯もパソコンも引き出しも、見られ放題。
プライバシーなんてなかった。


明日、友達が来てくれるので、今日はちょっと念入りに、
掃除をした。
明日は使わないのに、コンロとかも磨いた。

初めて、ここを、わたしはわたしの住みかだと感じている。
すごく居心地が良くて、幸せだ。

だから、綺麗に保ちたいという気持ちになれる。

床も拭いて、トイレ掃除もして、
汗をかいたのでシャワーした。

それから、ベッドに居たちまとダラダラ過ごした。
ちまはわたしの胸に乗って、ゴロゴロ言った。


夕飯の支度をしてから、ムギに会いに行った。
庭にでもいたのか、一回呼んだら、すぐにやってきて、
くっついてゴロゴロ言ってくれた。

冬場みたいに、ひたすらくっついているわけではないけれど、
ムギはガレージと庭先を、自分の部屋と認識しているようで、
その範囲で、ちょこちょこ動いたり、
戻って来てくっついたり、
ゴッツンコして甘えて来たり、
またウロウロしに行ったりと、
まるで部屋にいるかのように、一緒に過ごした。

帰って来た夫にも、ちゃんと甘えてくれたようだ。

ムギが夫に甘えないと、夫のひがみがひどくて、
いちいち面倒なので、
ムギに、「パパだってムギを大好きなんだから、甘えてね。」と
入れ知恵しておいたのだ。

気まぐれさんだからね。
わたしにも寄って来ない日があるし、夕べも夜中は帰って来なかった。

明日は友達と、いっぱいやりたいことがある。
見せたいものとか、いっぱいある。
とても楽しみ。

自分の部屋があって、すごく幸せだ。

                                               伽羅moon3

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