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辛かった仕事。

わたしは、仕事で成果を上げることでしか、
自分を評価する手段を持っていなかった。

だから、とても努力をしたし、
その成果は、いつもあげて来たと思っている。

でも、生きて行くために、合わない仕事をしていた時期もあった。


樹脂粘土を仕事としていて、
いろんなオファーが来るようになり、
仕事としては、とても魅力的だった。
わたしは、思った色をすぐに作り出すことが出来たし、
デザインは無尽蔵に湧いた。

しかし、お教室をやるために
高い家賃の部屋を借りていたため、
日々の暮らしは、回っていかなかった。
開業資金として、区から借りた借金の返済も苦しかった。

だから、ずっとバイトをしていた。
仕事を成立させるための仕事。
バカみたい。
食えない仕事は、ただの趣味だと言われたが、
当時は、仕事依頼は次々に来ていた。
ただ、生活を維持できる金額を稼げなかったのだ。


バイトは、どれも、辛かった。
思い出したくもない。

ファミレスの厨房では、よくパニックになり、
固まってしまい、
ランチのラッシュ時は、地獄だった。
ファミレスは、ディナーよりも、ランチタイムのほうが、
圧倒的に客が集中して、辛い。

ある時、手のひらに、大やけどをした。
でも、もう、ランチラッシュが始まっていたので、
持ち場を離れて、手を冷やすことなんて許されない。

辛くて辛くて、涙が出た。

しかも、その夜は、粘土の仕事で、
どうしてもイラストを描かなければならない日だった。
わたしは、氷の入った袋を握りながら、
泣きながら、描いた。


夜のスナックの仕事も、辛かった。
相手は、理不尽な酔っ払いばかりである。
バカみたいに真面目なわたしに、勤まるわけがなかった。

それでも、時給のほかにもらえるチップもあったので、
我慢して働いた。


銀座での仕事も辛かった。
名刺やハンコを安く早く仕上げる店だったのだが、
経営者が、狂気的だった。

狭い店内には、数々の機材が動いていて、
その輻射熱で、ものすごい暑い。
でも、経営者が、エアコンを入れてくれないのだ。

わたしは、汗だくになって接客し、印鑑を彫り、
パソコンに文字を打ち込んでいた。

汗だくでレジを打っているとき、
ある中年の奥さんが、
「あなた、可哀想に。こんなに暑いのに。」と同情してくださった。

チラシ配りの作業もあり、地図を持たされて、区画を指定され、
毎日、どこかしらに、チラシを入れて歩く。

時期は真夏で、
場所は銀座。
着飾って日傘を差している人をすり抜けて、
汚いエプロン姿で、
ポストにチラシを入れていく。
銀座だけでなく、有楽町や築地にまで行った。

わたしは、毎日、辛くて辛くてたまらなかった。
今まで、感じたことにない、異質な苦しみだった。

外も暑いが、店も暑くて、
わたしの体からはねっとりとした汗があふれ出し、
ちょっと濃い色の服を着てると、
汗が、塩を吹いて、
服が、マーブル模様になった。

わたしはそれが恥ずかしくて、せっかく銀座で働いているのに、
一度も、デパ地下にも寄らず、
毎日、小走りに地下鉄の階段を駆け下りて、帰った。


その職場で、決定的に精神をやられ、
わたしは、だんだん、仕事に行けなくなっていった。
激しい頭痛、発熱。
天地のわからなくなるような、激しいめまい。

ついに、電車に乗ると、吐きそうになった。

途中の駅で降りて、ホームの椅子で、袋を口に当てて、
伏していた。

もう、無理だ。
もう生きていけない。



わたしは、こんなわたしでいいと言ってくれた、夫に、
救ってもらうことにした。



今はもう、働ける状態にはない。
障害者手帳も2級になった。

料理もできなくて、自分が食べるものを細々と作るだけ。
部屋を綺麗に保ち、
猫たちがすこやかで、気分よく過ごせるように気を配る。

少ない友人と、ちょっとだけ接している。

親のことはもう、諦めた。



しーちゃんから、メールをもらった。
あなたのことが、大好きです。
いつでも側にいます、と書いてあった。

わたしは泣いた。

甘えてもいいんだね?

                                            伽羅moon3
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