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2017年5月

どちらにせよ潰れる。

わたしの病名は、双極性障害、
いわゆる「躁鬱病」である。

うつ病より、厄介なのは、「躁」になることがあるということだ。

実際、うつ病の人よりも、躁鬱病の人の、
自死率は高い。

ひたすら、鬱で、身動きが出来ないと、
死ぬ行動すら、起こせないからだ。



躁の時期に、もしくは、躁の気分の日に、
何かではしゃいでしまったり、
頑張ってしまったりすると、
その時はちゃんと楽しめているのに、
ドカン!と反動がやって来る。

実はわたしは、今、その反動の中に居る。

なので、更新が途絶えがちなのだ。



全然、何もやれない。

金曜日に友達が来てくれたので、
木曜日には掃除をしたのだが、
そのあとは、やれてない。

干した洗濯物も、外して畳めない。

夫のシャツにアイロンをかけることもできない。

こういうときに、「食」の手を抜いてしまうと、
死にたくなってしまうので、
どうにか、自分が食べるものを、作ってはいる。

あとは、ちまムギの世話のみ。

テレビも見れず、ただ横たわっている。



夕べから今日にかけては、11時間も眠った。

どうりでちまが、何回も起こしに来たわけだ。
腹ペコだよね。ごめんよ。

自分の体が動くうちに、夕飯を作ってしまう。
材料があったので、カレーを作った。
お米も研いで、ご飯も炊けるようにした。

出掛けたくなかったが、福神漬けが欲しかったので、
近所のスーパーに出かけた。
思いがけず、ポイント5倍デーだったので、
色々買った。

起きたのが遅かったので、もう、ムギに会いに行く時間だった。

階段を下りて行くと、
ムギはもう車の前に居て、ゴロンゴロンして喜んだ。

わたしは、勝手口から資源ゴミを入れたかったので、
「ムギ、ちょっと待っててね。」と言って、鍵をあけて、
中にゴミを置かせてもらった。

で、ムギ、いいよ~、おいで~、と言っても、
来てくれないので、
仕方なく、「おムギ様」をお出迎えに行った。

顔を見せて、ムギ、来て、と頼まないと、来てくれないのだ。
嫌な時は、プイっと横を向いてしまい、返事すらしない。


しばらく一緒に過ごした。
風の気持ちのいい夕方だった。

おかかも食べて、シーバも食べて、
ムギが車の前に行ってしまったので、帰ろうとした。

ムギは、こちらが立って近づくと、必ず逃げる子なのだ。
ここまで親密なのに、逃げる。

でも、今日は、すぐ近くを通ったのに、逃げなかった。



夕べ、夜中にムギに会った時、
ムギはゴキゲンだったにもかかわらず、
わたしの手を、アグーと、噛んだ。
何度も何度も、噛んだ。

猫がもし本気で噛めば、穴が開いて血が噴き出すのは経験済み。

ムギは、わたしを、試しているのだ。

どこまで、自分を許してくれるのか。
どこまで自分を愛してくれているのか。


「ムギ、ムギが噛んだって、ママはムギのママだよ。愛しているよ。」
わたしがそう言うと、ムギは力を抜いて、
全身をだらっとわたしにもたせかけた。


ムギは人間のようだ。
そうしてわたしの愛を確信したので、今日は逃げないでいる。

しゃがんで、じりじりとにじり寄り、
ムギをもしゃもしゃしてみたら、
クルッとお腹を見せてくれて、モフって~!と、甘えた。

ムギのリビング以外の場所で、お腹を見せて撫でさせてくれたのは、
初めてである。

さんざんモフモフしたが、やめてと言わないので、
わたしがやめた。
でも、そのまましばらく、へそ天してたよ。
すっかり、うちの子だね。



11時間も寝たのに、ベッドにいるちまを撫でていたら、
また、寝てしまっていた。
カレーを作った以外、何にもやれなかった。

明日一日、予定がないから、いい加減、掃除したいし、
洗濯ものも畳みたい。


厄介な病気だと、つくづく思う。

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大好き!カラオケ。

わたしが、いつから歌うことが好きなのか、
あまり記憶していない。

母はひどい音痴なので、子守歌を歌ってもらったことはない。

父は音楽は結構好きで、
やっと、ステレオを買えるような暮らしになった頃、
グレン・ミラーや、アルゼンチンタンゴや、
映画音楽のレコードを買って聴いていた。

わたしは、小学生の頃は、すでに歌は好きだったし、
少し得意な方だったかもしれない。

特に、ハモリが上手だったので、
同じクラスの、ボーイソプラノの男の子と、
各クラスを回らされて、
見本として、前に立って歌った。

中学生では、合唱クラブに入り、
ここでもとても楽しかった。
クラブ活動が終わっても友達と教室でハモり、
帰り道でも歌いながら帰った。

ステージで全校生徒の前で、二人でハモりで歌ったこともある。

小学生でもう洋楽(当時のグラムロック)を聴いていたので、
英語の歌も歌った。
発音も自然に覚える。

お風呂場だと、声にエコーがかかって、うまく聞こえるので、
わたしは毎日、お風呂で歌っていた。

母に、「なんで歌うの?」と聞かれたことがあったが、
変な質問だね。
好きだから歌ってるだけなのに。



カラオケの進化を、まさしく見て来た世代だ。

昔は、ママさんがいて、お酒を飲む、スナックに、
でっかいサイズのカセットのようなものを突っ込んで、
曲が流れ、
歌詞カードを見ながら歌う、というものしかなかった。

歌うためには、スナックに行くしかなかったのだ。

その後、レイザーディスクというものが発売になった。
大きな機材に、レコード大のディスクを入れると、
画面に、画像と歌詞が出る、という画期的なものだった。

同じころ、田舎では、列車のコンテナを道路に置いて、
中にカラオケの機械を入れて、数人で楽しむ、
いわゆる「カラオケ・ボックス」というものが、出来始めた。

東京でも、ゲーセンや、ボウリング場などに、
カラオケルームが、出来始めた。
その当時にやっと、通信カラオケが生まれたのである。

でも、当初は、通信回線が混んでいると、
曲が始まるまで何分も待ったり、
キーが変えられなかったり、曲数も、もちろん少なくて、
カラオケ代も、割高だった。



カラオケがあちこちに出来てからは、
とにかく、よく行った。
歌うことが大好きだった。

ママ友さんと、子連れで行ってたこともある。



スナックで勤めていたことがあったので、
結構たくさん、歌を知っている。
お客様からの要望もあるので、デュエット曲とかも覚えなくてはならない。

息子が、音楽好きだったので、
新しい曲は、息子に録音してもらって、聞いて練習した。
だから、年配のお客さんでも、若い人でも、
わたしは歌には付き合えた。


息子が高校生の頃、わたしの飲み仲間だったグループでは、
一次会で飲んで、そのあと、必ず、カラオケに行った。
もう、めちゃくちゃ楽しかった。

その中の一人は、
自分は音痴で、まったく歌えないけれど、
カラオケの雰囲気は好きだから楽しい、と言って、
一緒に来て、割り勘で払ってくれてた。

もう一人、歌は好きなのに、
「自分は下手だから。」と尻込みしている人がいた。
歌ってみてもらうと、決して、上手とは言えないが、
全然、下手じゃない。

聞いたら、昔、奥さんに、
「あなたは歌が下手だから、歌わない方がいいよ。」と
言われたのがきっかけだったそうだ。

わたしは猛然と反論した。

なんで、うまく歌えなくちゃいけないの?
お金もらって、歌う人は、そりゃ、うまくなきゃいけないけど、
わたしたちって、お金払って、歌ってるんだよ?

上手である必要なんてないし、歌いたい、好きな曲を入れればいい。
みんなそんなに、気にしてないよ。

自分が歌ってみて、ちょっとでも楽しければいいんだよ。

そもそも、あなたは、全然下手じゃないよ?


わたしが年上の男性に物を申せる立場にはなかったが、
意外に、「下手だと思ってる」人には、
こんな風に、単なる、思い込みの人が多いのだ。

ちょっとキーが合わなければ、落としたっていいんだし、
知ってる部分だけ歌ってもいいんだし、
そんなことは、誰にも制限される理由はない。

自由でいいんだよ。
楽しもうよ、とわたしは説得した。


それから、彼は、色々歌うようになった。
中には、声とすごく合っていて、うまい歌も出て来る。
わたしはそれをほめて、この歌を、持ち歌にするといいよって、
教えてあげた。


歌うって、本来、楽しい行為なのだ。
「縛り」が解き放たれたら、とても楽しい行為のはずなのだ。

仮に、もし、下手だとしても、
歌って楽しかったり、発散できるならそれがいいし、
逆に、この曲を歌えるようになりたい!って、
頑張ってみることも、また、楽しいと思うのだ。

大いなる自己満足で、いいのだ。

聴く方が好きな人もいる。
自分の好きな歌を、上手な人に歌ってもらって満足する人もいる。

それぞれが、思い思いに、楽しめばいいと思う。

わたしにとっては、それが、カラオケ。
大好き。

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最も大切なもの。

昨日は、友達が来てくれた。

今夜は、数年来のメル友さんと、
初めて、電話で、話した。


うつ病になって、
再婚して、
人間関係もすっかり変わり、
一握りの人としか、接触していないのだが、
今まで、失敗ばかり重ねて生きて来て、
ようやく、わかったことがある。



生きて行くうちで、最も大切なのは、
「人間関係」である。

人は人の中でしか成長できず、
人は人から救われる。



そしてその、人間関係の中で、最も大切なのが、
「距離感」である。

親しき中にも礼儀ありだし、
相手に、踏み込みすぎてはいけない。

夫婦でも、親子でも、相手は自分とは全く違う人格なのだ。
そこを尊重できない人とは、
一緒にいることは、できない。



そして、「距離感」のなかで、最も大切なのは、
「楽であること」、である。

いくら親しくても、疲れてしまう相手は、
無理をしていることになる。

この人だったら、寝起きに来られてもいいや~、とか、
ちょっと部屋が散らかっててもいいかあ~とか、
思える相手としか、親密にはなれないし、
関係性が持続しない。


そして、話は、降り出しに戻る。
「親しき中にも礼儀あり。」
これも、絶対に、守るべきことであると思っている。


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初めて自分の部屋。

わたしの実家は、
山の斜面を切り崩して造成した町営の住宅地で、
広さ・間取りはどこも同じ。

土地面積は43坪で、建った家は平屋。
6畳の和室、4.5畳も和室と押入れ、3畳のキッチン。
畳一畳分くらいのお風呂と、
男女別のトイレがあった。

それだけ。

なので、土地に対して建物が小さかったため、
だんだん、みんな、小屋を建てたり、部屋を建て増ししたりした。

わたしの父は、三交替勤務で、夜勤もあったので、
その間取りで、父が昼間寝ていると、
何にもしてはいけない。
話すことも禁止。

緊張して息を殺して暮らした。

やがて家の西側に建て増しされて、
6畳の和室と、3畳の洋室が出来た。
和室は、住み込みで働いていた祖母が、
週に一度、帰って来る時に寝る部屋。

3畳の洋間に、わたしの机と、母のミシンが置かれ、
母がミシンを踏んでいる横で、わたしは勉強をした。

母がミシンでの内職をやめて、働きに出て、
やっとその3畳間が、初めての自分の部屋になった。
小学校の6年だったかな。

嬉しかったなあ。

近所のおうちからもらった、二段ベッドの一段を入れて、
憧れのベッド生活。
机と、ベッドと、本棚と、飾り棚を置いたら、
床部分は全くなくなったが、
あの狭い部屋が、わたしはとても好きだった。

好きなロックミュージシャンにポスターを貼った。


高1の時に、祖母が仕事を辞めて同居することになり、
家を建て替えた。
その時にはもう、町営ではなく、宅地が払い下げになっていたので、
建て替えができるようになったのだ。

わたしの部屋は、別に望んでもいないのに、
8畳の洋間になり、掃き出し窓に、ベランダがついていた。

ベランダは、布団を干すのが目的なので、
親はバンバン入って来るし、
勝手に布団を干して、遊びに出掛け、
雨になったのに気が付いたのが遅く、
布団を濡らした時には、父に理不尽に怒られた。

その部屋で暮らしたのは17歳から23歳までと短かったし、
いくら、ノックしてよと言っても、
母は、「コン!ガチャ!」と入って来るので、
気持ちが安らぐことはなかった。

わたしはあの、狭い3畳間のほうが、好きだった。

わたしが結婚すると、すぐさま親は、
わたしの部屋にベッドを入れて、自分たちの寝室にした。

結婚しても、まだ、実家に自分の部屋がある人が、
うらやましかった。

最初の結婚でも、自分の部屋ってなかったし、
再婚しても、ずっと夫と一緒に居なくてはならず、
布団をぴったりとくっつけて敷かれる。

わたしが、夫がいない間に、20センチくらい離しておくと、
また、ぴったりとくっつけられる。

携帯もパソコンも引き出しも、見られ放題。
プライバシーなんてなかった。


明日、友達が来てくれるので、今日はちょっと念入りに、
掃除をした。
明日は使わないのに、コンロとかも磨いた。

初めて、ここを、わたしはわたしの住みかだと感じている。
すごく居心地が良くて、幸せだ。

だから、綺麗に保ちたいという気持ちになれる。

床も拭いて、トイレ掃除もして、
汗をかいたのでシャワーした。

それから、ベッドに居たちまとダラダラ過ごした。
ちまはわたしの胸に乗って、ゴロゴロ言った。


夕飯の支度をしてから、ムギに会いに行った。
庭にでもいたのか、一回呼んだら、すぐにやってきて、
くっついてゴロゴロ言ってくれた。

冬場みたいに、ひたすらくっついているわけではないけれど、
ムギはガレージと庭先を、自分の部屋と認識しているようで、
その範囲で、ちょこちょこ動いたり、
戻って来てくっついたり、
ゴッツンコして甘えて来たり、
またウロウロしに行ったりと、
まるで部屋にいるかのように、一緒に過ごした。

帰って来た夫にも、ちゃんと甘えてくれたようだ。

ムギが夫に甘えないと、夫のひがみがひどくて、
いちいち面倒なので、
ムギに、「パパだってムギを大好きなんだから、甘えてね。」と
入れ知恵しておいたのだ。

気まぐれさんだからね。
わたしにも寄って来ない日があるし、夕べも夜中は帰って来なかった。

明日は友達と、いっぱいやりたいことがある。
見せたいものとか、いっぱいある。
とても楽しみ。

自分の部屋があって、すごく幸せだ。

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みっちりとした一日。

夕べも、ムギは帰って来てくれなかった。
わたしの呼ぶ声が、聞こえていないはずがない。
でも、帰れない、もしくは、帰りたくない理由があるのだ。

悲しい気持ちで部屋に戻る。

寝付くときも悲しいので、気分転換に音楽を聴く。



サイレースのおかげで、寝つきは良くなって、救われている。
でも、日中もだるくて眠いので、
起きた時のセロクエルを勝手にやめた。

今日はカウンセリングの予定で、アラームをかけていたが、
午前中に、出張先の夫からメールが入った。

眠くて辛かったら、返事をしないのだが、
その時、ものすごく嫌な悪夢を見ていたので、
起きてメールのやり取りをした。

意外にすんなり起きられたので、そうだ、自由が丘に行こう、と
思い立った。

eccoというブランドの靴が、傷だらけになってダメになったので、
自由が丘の直売店に、行きたかったのだ。

もう7年くらい、履いたと思う。

夏場、サンダルも履くが、足がすごく疲れてしまうので、
やはり、靴を履きたい。
でも、今は安物の合皮のベージュの靴が一足あるだけ。
あとは黒と茶しか持ってない。

夏場になってるから、
サンダルとスニーカーしか置いてないかなとも思ったが、
他にも行きたい店があったので、とにかく、自由が丘に行った。

自由が丘は、線路が斜めに交差している街で、
わたしは、絶対に迷う。
けれど、eccoの店は、改札の真ん前のビルにあるし、
もう一軒行きたい雑貨屋も線路沿いなので、
勇気を出した。

eccoでは、女性の店員さんが、あれやこれやと出してくれたのだが、
わたしは、紐の靴は、カジュアルすぎて履かない。
サンダルは要らない。
黒い靴は間に合ってる。
薄い色のスリッポンを探しているだけなのに、
色々履かされて、
そのたびに、鏡を見せられて、
げんなりした。

醜い、太った体。
たるんだ顔。


じゃあもう、秋にまた来ますね、と帰ろうとしたら、
店長さんが、わたしを接客してくれていた店員さんに、
「この靴、中敷きを外せて広がること、話した?」と聞いた。
彼女は、その情報を知らなかったらしい。

わたしが唯一、これならば、と思った靴だったので、
中敷きを外してもらって履いてみたら、何とか入る。
異常にに甲高な足なので、大変なのだ。

まだキツイと言ったら、店長さんが、
「革を柔らかくするスプレーを使って、全力で伸ばすので、
お時間いただけませんか?」と必死。

その靴は、色もデザインも気に入ったので、買うことにして、
最大限、伸ばしてもらった。

ピンクベージュの、キルティング模様のスリッポン。
27300円…。
高い。

しかし、この前の靴は7年履いたし、その前の靴も、10年履いた。
だから、ここのは、丁寧に扱えば、長持ちする、いい靴なのだ。
もちろん、修理や調整もしてくれる。

全力で伸ばしてもらって、それを買った。

そのあと、ランチにパスタを食べて、行きたかった雑貨屋にも行けて、
そこから、カウンセリングに向かった。



カウンセリングでは、あまりにも自己肯定感が低いことを話した。

仕事で褒められたことは多々あれど、
性格的には、ほめられたことはなく、
自分でも、自分の悪意はよく知っている。
母と同じ狂気を持っていることも、知っている。

だから、抑えて生きてるけど、
そんなわたしを、好きだと思ってくれる人がいることが、
どうしても、信じがたいのだ。

性格的に、ほめられる箇所が、見つけられない。

とある面接で、最後の質問として、
「では、あなたの長所を言ってみてください。」と言われた時、
わたしは、固まった。
なんにも、思い浮かばない。
全く、思い浮かばない。
ああ、この面接、落ちたな、と思った。

落ちた。



言い方はきついし、人にも厳しいし、
優しくなんてないし、慈悲深くもないし、
全然、いいところがわからなくて、と話した。

そしたら、カウンセラーさんが、
「誰かに、ほめられたことはないの?」とおっしゃった。

ないのである。

能力をほめられたことがあっても、
性格をほめられた試しがないのである。
そう答えたら、カウンセラーさんが、探してくださった。

あなたは、文章の組み立てがうまいので、話が分かりやすく、
酷い仕打ちを受けたことを生かして、息子さんを立派に育てた。

時間や約束事をしっかり守るので、非常に信頼ができるし、
何よりも、とても、ピュアですよ。
そう言ってくださった。


うん。ピュアって、響きが素敵なんだけど、
これって、すごい、生きづらいのだよ。

ゼロか100で生きているので、
限りないグレーゾーンを漂いながら生きている人たちに比べて、
傷つきやすく、壊れやすい。

きっと、もっとグレーでいいんだろうにね。



帰って来たら、庭で、ムギが待っていた!
「ムギ! 来るから、待っててね!」と声をかけて、
急いでちまに餌をやり、急いでシャワーして、
ムギに会いに行った。

ムギは喜んで、ゴロンゴロンしてくれた。

ムギ、久しぶりだね。
会いたかったよ!

ウェットシートで体を拭いたら、真っ黒になった。
もう一枚使って拭こうとしたら、脚に乗ってくれた。
ムギ、こんなに真っ黒。
戦闘でもあったの?

綺麗に拭いて、ブラッシング。

お腹もペコペコだったらしく、おかかを要求。
食べて、すぐまたくっついてくる。

乗ってみたり、降りて座って、ゴッツンコしてきたり、
隣にゴロンと横になってくつろいだりして、
まるで部屋の中にいるように、一緒に過ごした。

2時間、一緒にいたよ。
帰る前に、抱き上げて、抱きしめて、「ムギ大好き!」と言って、
降ろした。

会えるとこんなに幸せなんだから、いつも会ってくれたらいいのにな。

勝手なこと言ってるよね。
ごめんよムギ。

夏になったら、乗らなくていいから、
こうやって、ダラダラ一緒に過ごそうね。


盛りだくさんな一日でした。

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寂しいってことがわかった。

わたしは、一人でいることが楽なので、
寂しさを、感じることがない。

小さいころは、親が平気でわたしを置いて、
遊びに行ってしまうような家庭だったので、
孤独ではあったが、
本を読んだり、イラストを描いたり、詩を書いたりして過ごした。

山に登れば、水晶も掘れた。
満天の星空には天の川が流れ、
星座表を持って、星座を探した。

一人で楽しむ術を知っている子供だった。



だから今は、テレビを見られるまで回復したし、
DVDも見られるし、本も読めるようになったので、
全然、寂しくなんてない。

でも、ただ一点、
すごく寂しいことがあるのを思い出した。

ムギに会えないことだ。


つい先日まで、毎日ムギに、会えていた。
夕方は、庭先や小屋の前にいてくれたし、
夜中は、留守でも、呼べば帰って来てくれていた。
ずっと、会えていたのだ。

それが突然、ムギが、素っ気なくなった。
小屋にいないし、庭に居て、呼んでも、なかなか来ないし、
来たと思っても、すぐに離れて行ってしまう。

夜中も留守が多く、
呼んでも呼んでも、帰って来てくれない。

その時が、例えようがないくらい、寂しいのだ。

もちろん、外に返した時点で、
いつでも会える猫ではなくなったのだから、
全面的にこちらの責任だ。

いくら床があって小屋があって、ベッドがあっても、
どこに行くかは、ムギの自由。
帰って来る来ないも、ムギの自由。

だから、帰って来てくれたときは、本当にいつもかも嬉しくて、
ありがとうねムギ、嬉しいよ、と伝えて来た。

気温が上がって、暑くなったら、
もう、くっついて過ごす必要もないので、
ムギはおやつをもらったら、さっさと庭先に行って、
ダラダラしている。
全然、隣に寄り添ってくれない。

冷たい風の中、ムギを毛布でくるんで、
二人で耐えていた真冬の方が、断然幸せだったよ。



今日も、夕方行ったが、ムギは留守で、
朝、夫にもらった餌にも手つかず。
呼んでも帰って来ない。


なので、一旦部屋に戻り、洗濯を回して、それからまた行ったが、
やっぱり帰って来ていない。

悲しい。

日曜日にムギのベッドを、夏物の、パイルのオープンベッドに替えて、
冬のドームベッドは洗濯機で洗った。

それが乾いたので、夫の和室の押入れに保管してもらおうと、
取りに行って、階段を下りてきたら、
ちょうどムギが、通りから路地に走って帰って来た。

「ムギちゃん!」と呼ぶと、ムギは元気に返事をした。

庭先でゴロンゴロンしたので、おいで!と誘って、
ムギにムギのリビングに来るように声をかけた。

でも、なかなか来ない。
来たと思ったら、ちょっとくっついていただけで、
すぐ離れてしまう。

つまんないよ。

あんなに、「離れたくない!」って、わたしにしがみついていたのに、
なんで突然、そんなにつれなくなっちゃうの?

寂しいよ。

群がって来る蚊に耐えながら、ムギを待っているのにな。

毎日会って、ラブラブしたいよ。
勝手なこと言ってるのは承知だけれど、
会えないと、本当に寂しい。

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辛かった仕事。

わたしは、仕事で成果を上げることでしか、
自分を評価する手段を持っていなかった。

だから、とても努力をしたし、
その成果は、いつもあげて来たと思っている。

でも、生きて行くために、合わない仕事をしていた時期もあった。


樹脂粘土を仕事としていて、
いろんなオファーが来るようになり、
仕事としては、とても魅力的だった。
わたしは、思った色をすぐに作り出すことが出来たし、
デザインは無尽蔵に湧いた。

しかし、お教室をやるために
高い家賃の部屋を借りていたため、
日々の暮らしは、回っていかなかった。
開業資金として、区から借りた借金の返済も苦しかった。

だから、ずっとバイトをしていた。
仕事を成立させるための仕事。
バカみたい。
食えない仕事は、ただの趣味だと言われたが、
当時は、仕事依頼は次々に来ていた。
ただ、生活を維持できる金額を稼げなかったのだ。


バイトは、どれも、辛かった。
思い出したくもない。

ファミレスの厨房では、よくパニックになり、
固まってしまい、
ランチのラッシュ時は、地獄だった。
ファミレスは、ディナーよりも、ランチタイムのほうが、
圧倒的に客が集中して、辛い。

ある時、手のひらに、大やけどをした。
でも、もう、ランチラッシュが始まっていたので、
持ち場を離れて、手を冷やすことなんて許されない。

辛くて辛くて、涙が出た。

しかも、その夜は、粘土の仕事で、
どうしてもイラストを描かなければならない日だった。
わたしは、氷の入った袋を握りながら、
泣きながら、描いた。


夜のスナックの仕事も、辛かった。
相手は、理不尽な酔っ払いばかりである。
バカみたいに真面目なわたしに、勤まるわけがなかった。

それでも、時給のほかにもらえるチップもあったので、
我慢して働いた。


銀座での仕事も辛かった。
名刺やハンコを安く早く仕上げる店だったのだが、
経営者が、狂気的だった。

狭い店内には、数々の機材が動いていて、
その輻射熱で、ものすごい暑い。
でも、経営者が、エアコンを入れてくれないのだ。

わたしは、汗だくになって接客し、印鑑を彫り、
パソコンに文字を打ち込んでいた。

汗だくでレジを打っているとき、
ある中年の奥さんが、
「あなた、可哀想に。こんなに暑いのに。」と同情してくださった。

チラシ配りの作業もあり、地図を持たされて、区画を指定され、
毎日、どこかしらに、チラシを入れて歩く。

時期は真夏で、
場所は銀座。
着飾って日傘を差している人をすり抜けて、
汚いエプロン姿で、
ポストにチラシを入れていく。
銀座だけでなく、有楽町や築地にまで行った。

わたしは、毎日、辛くて辛くてたまらなかった。
今まで、感じたことにない、異質な苦しみだった。

外も暑いが、店も暑くて、
わたしの体からはねっとりとした汗があふれ出し、
ちょっと濃い色の服を着てると、
汗が、塩を吹いて、
服が、マーブル模様になった。

わたしはそれが恥ずかしくて、せっかく銀座で働いているのに、
一度も、デパ地下にも寄らず、
毎日、小走りに地下鉄の階段を駆け下りて、帰った。


その職場で、決定的に精神をやられ、
わたしは、だんだん、仕事に行けなくなっていった。
激しい頭痛、発熱。
天地のわからなくなるような、激しいめまい。

ついに、電車に乗ると、吐きそうになった。

途中の駅で降りて、ホームの椅子で、袋を口に当てて、
伏していた。

もう、無理だ。
もう生きていけない。



わたしは、こんなわたしでいいと言ってくれた、夫に、
救ってもらうことにした。



今はもう、働ける状態にはない。
障害者手帳も2級になった。

料理もできなくて、自分が食べるものを細々と作るだけ。
部屋を綺麗に保ち、
猫たちがすこやかで、気分よく過ごせるように気を配る。

少ない友人と、ちょっとだけ接している。

親のことはもう、諦めた。



しーちゃんから、メールをもらった。
あなたのことが、大好きです。
いつでも側にいます、と書いてあった。

わたしは泣いた。

甘えてもいいんだね?

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どうして泣いてはいけないのか。

わたしは、泣くことを、禁止されていた。

泣くと、怒られるのだ。
だからいつも、こっそり、声を殺して泣いた。

どうしたの?と優しく聞いてくれたり、
慰めてくれる母ではないと、
幼いながらに、わかっていたのだ。


また、小学2年生の時の話だが、
一年生には、学級委員がないが、2年生からは、
クラスに、男女一名ずつ、学級委員が決められる。

立候補がなければ、選挙で決めていたが、
小学2年で、選挙が行われたかどうか、記憶にはない。

でもとにかく、わたしは、学級委員だった。

みんなの手本とならねばならず、
みんなを統率して、意見をまとめねばならなかった。

わたしは、自分の器の小ささに気が付いていなかったので、
そこから、中学3年までの間、
毎年学級委員だった。
無理を重ねていた。



小学2年のときですら、しっかりせねば、と
わたしは緊張した学校生活を送っていた。

ある時、休み時間に、ブランコに乗っていて、
わたしは漕ぎすぎて、後ろ向きに、落ちてしまい、
したたかに頭を打った。

幸い、血は出なかったが、
あまりにも痛かったので、わたしは、思いがけず、
泣いてしまったのだった。

7歳の女の子がブランコから落ちて、
痛くて泣く。

これは、別に、変わったことでもなんでもないと思う。

でも、わたしは、自分が泣いてしまったことを恥じた。
学級委員なのに、泣いてしまった!
泣いたのがばれたら、お母さんに怒られる!

けれど、その時、周りにいた同級生の子たちが、
「大丈夫?」
「痛いの?」
「保健室に行く?」と、
口々に、心配して、慰めてくれた。

そのことに、わたしは、びっくりした。

痛いときに、泣いてもいいの?



わたしは、痛くても辛くても、泣けば怒られたので、
泣くことが罪悪だと、思わされていたのだ。
泣いたことで、周りの子が優しくしてくれて、
それがとても、びっくりしたことだったし、
嬉しかった。


わたしの母は、自分自身が、不安でいっぱいの人である。
だから、わたしが、何か厄介ごとを持ち込むことを、
ひどく嫌っていた。
相談にのってくれる人ではなく、
慰めてくれる人ではなく、
優しくされた記憶もない。

その後も、泣いたら怒られるのは変わりなかったので、
わたしは常に、ひっそり声を殺して泣いた。



また、母は、わたしが昼寝をすると、怒った。

小学生でも、中学生でも、
体調が悪かったり、具合が悪い日だってある。
疲れてる日もある。

わたしが、学校から帰って寝ていると、
仕事から帰って来た母が、怒りながらわたしを起こすのだ。
「親が働いて帰って来てるのに、寝てるとはけしからん。」
という、理由だった。

働きだした時も、休みは日曜日しかなく、
毎日が残業で、ヘトヘトだったため、
日曜日はぐったり寝ていた。
すると、ノックもなく母が入って来て、
「いつまで寝とるの!」と怒る。

夜は夜で、「いつまで起きとるの!」と怒る。


幸せだった経験が、少ないなあとしみじみ思う。


もちろん、もっとひどいご家庭はあるし、
下には下があるけれど、
わたしは、幸せを感じたことが少なかった。

早く家から出たかった。

家出も考えた。

その時は、車をもう持っていたので、
毎日、ちょっとずつ、必要なものを積んで行き、
それが満杯になったら、
朝、「行ってきます」と言って、出勤するフリをして、どこかに逃げる。
そして、家には帰らない。
そんなことを、夢見ていた。



今のこの部屋は、天国だ。
泣くのも、歌うのも、眠るのも、自由だ。

綺麗に保って、ていねいに、幸せに暮らそう。

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悲しかった工作。

小学生の時の、
楽しい思い出が、すごく少ない。

わたしが集団生活に合っていないことも理由だし、
6年間のうち、1・2.5年の時に、
最悪な担任に当たってしまったせいだ。

貴重な子供時代の、3年間を、めちゃくちゃにした、
狂気の担任だった。

これは、同じ経験をした人にしか絶対にわからないので、
ここには書かない。

とにかく、その、狂気の担任を、いかに怒らせないで済むかを、
わたしたち子供は、最優先で考えて行動した。

楽しいわけがない。



小学2年生の時だったと思う。
工作の授業で、「舟」を作る、という課題があった。

小学生のお道具箱には、ハサミとノリと定規くらいしか入っていないので、
それぞれ、使えるものを、自宅から持って来るように言われた。

母に言うと、透明の、塩ビのケースを渡された。
プチトマトが入っているような、丸い形だった。

水が浸入しないように工夫する必要もあるし、
バランスが取れてないと沈没してしまうという、
難易度の高い工作だった。

わたしは、セロテープが使いたかった。
本体が透明なので、セロテープで貼りたいのだ。

けれど、うちには、文房具らしきものは、一切、なかった。

セロテープも、ホチキスも、なかった。

そして、必要なら買ってあげようという気も、
親は持っていなかった。

父が、押入れの引き出しから、
緑色と黒の、ビニールテープを出して来て、
これを使え、と言った。

当時、父は、工場の電気関係の部署で仕事をしており、
そのビニールテープは、工事用の、絶縁テープだったのだ。
それしか、なかったのだ。

さすがに、黒は嫌だったので、緑の絶縁テープを持って、
翌日学校に行った。

みんなは、セロテープやホチキスを持っていた。

わたしが作った不格好な船は、
ほぼ全身が、緑色になった。
「舟に名前を付けて旗を立てなさい。」と言われ、
わたしは、つまようじに小さい三角の紙を貼り、
名前は、思い浮かぶこともなく、
仕方がなく、見たまんま、「みどり号」と、書いた。



その日の放課後だったと思う。
わたしは、クラスメイトに呼び止められた。

その子の後ろで、泣きはらした目をしていた女の子がいた。
なんだろう?と思ったら、
女の子が、泣きながら、
「なんで、みどり号なの?」
と言った。



その子の名前は、みどりちゃんだったのだった。



わたしは、答えに困った。
わたしの家がいかに貧乏で、セロテープすら買ってもらえないと、
小学2年生で、説明ができるわけがない。
頭では、そういう内容がぐるぐるしているが、
上手に言葉にして、話せるわけがない。

しかも、わたしが作った「みどり号」は、見るも無残な、
へたくそで不格好な舟だった。
それに、自分の名前を付けられて、
みどりちゃんは、ショックだったのだと思う。

事実、みどりちゃんは、工作や美術が得意な子だったから、
余計に、恥ずかしかったのだと思う。

わたしは、返すべき言葉が、なかった。
謝ることも、出来なかった。
説明もできなくて、「なんで、って言われても…。」と言葉を濁し、
逃げるように帰った。


泣いていたのは、みどりちゃんだったが、
泣きたかったのは、わたしもだった。

なんでセロテープぐらい、買ってくれなかったのか、と、
悲しくて、一人でこっそり、泣きながら帰った。



わたしが大人になってから、
道具や文具に執着するのは、
この事件があったからかもしれない。

自分の道具は自分のものであり、
本当に気に入ったものを買い、
適切に使い、大切に保管する。

みどりちゃんには、悪いことをしたが、
泣きたかったのは、むしろ、わたしだった。
そして、それを聞いて慰めてくれる母ではないと、
すでにわかっていたため、
一人でこっそり泣いただけで、
わたしは、今日まで、このことを、誰にも話して来なかった。

甘えられる母親ではなかったのだ。
わかってくれて、なぐさめてくれる親ではなかったのだ。


悲しいことの多い、小学生時代だった。
走れば遅いし、泳げないし、自転車にも乗れないし、
絵は下手だし、人望もないし、
そんなわたしとずっと寄り添って来てくれたしーちゃんには、
心から感謝をしている。

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何様のおつもり?

毒母を持つ人にもいろいろあって、
幼少期にすぐ気が付いて、自立できるようになるまで我慢し、
高校を卒業するとすぐに、遠くに就職してしまい、
難を逃れる人もいる。

それでも、心に積もり積もったものは、とても重たいと思う。

親が年老いて、介護が必要になったときに、
わたしが子供の頃、あんなひどいことをしたくせに、
なんで介護なんて!、と、気付く人もいる。

その時には、その方の人生も終盤に向かっているので、
取り戻せない悔しさが大きいし、
介護をやらないわけにもいかないし、
すごく辛いと思う。

そして、わたしのように、
自分が子供を持ってみて、初めて、
子供って、こんなに可愛いし、守りたいのに、
なぜ、わたしの親は、あんなだったのか、と、
疑問を抱く人も、多いらしい。



もちろん、わたしも、ひどく未熟な親だった。
息子に当たってしまったこともある。
叩いたこともある。
全部、わたしが悪かったと思う。
一生反省する。

でも、精神的な虐待だけは、せずに済んだと思う。

辛くて泣いている時には、抱きしめて、一緒に泣いた。
それは、わたしが、母親から最もしてもらいたかったことだった。



父も、ある意味、母の言いなりだった。

わたしが18歳で働き始めて、
5月に、初めての給料をもらったのだが、
母が平然と、こう言ったのだ。
「月に使ってもいいお金は、2万円やで。」

勝手に決められたので、どうしてなのか聞いてみたが、
「お父さんだって、月に2万円やから。」
母はそう答えて、「ね~お父さん。」と、
父に同意を求めた。
父も、「そやな。」と答えた。

進学校にいながらも大学には行かせてもらえず、
働いた給料で、使える金額を勝手に決められ、
残りは、全部父に渡して、郵便局に貯金してもらうべし、と、
勝手に、決められた。

若い女の子が月に2万では苦しい。
服だって、化粧品だって買いたい。
わたしは特に、音楽にお金を使ったので、
常に、貧乏な状態だった。

それでも、高校の時の友人に会った時は、
見栄を張って、食事をおごった。
わたしは、働いてるから、と言って。
それは、意地だった。

自分の給料で免許を取り、
自分の貯金で車も買った。

友達から、旅行に誘われても、行けるわけがなかった。
日曜日しか休みはなく、
使っていい金額が月に2万円では、
旅行になど、行けるはずがない。

親のお金で大学に行って、親のお金で旅行に行こうという友人を、
わたしは、内心では、蔑視していた。



門限も、夜10時と決められていた。
20歳過ぎて尚、10時には家に帰らなくてはならない。
田舎のことなので、電車は、一時間に一本しかない。
それを逃すわけにはいかない。

宴会が盛り上がって来たころには、
わたしはいつも一人、帰るしかなかった。

親に抗議した。
なんで10時なのか。
なんで、話し合いもなく、勝手に10時と決めたのか。
そういうときは、母は父を必ず味方につけて、
「ね~、お父さん。」と、甘えた声を出す。

門限は、「うちは、そういう家庭なの。」と言われた。

わたしは、会社の寮に入ろうかと画策したことがある。
けれど、事前にバレて、絶対に禁止、と言われた。


月にいくら使おうが、自分が働いたお金なんだから、
いいじゃないか。
せめて、なぜ、話し合いが持たれないのか。

その日のうちに帰って来るのだから、門限が12時でもいいじゃないか。

20歳過ぎても、友達の家に泊まりに行くことも、
絶対に禁止だった。

何もかもが、がんじがらめで、
わたしは、家庭に安らぎを感じたことは、一度もない。

最初の結婚でも、嫁は奴隷以下だったから、
もちろん、安らぎも幸せもない。



最初の結婚をするとき、
会社を辞めて、
持っていた定額貯金の証書をすべて、父に渡した。
貯金は250万あった。

けれど、名古屋文化の、派手な嫁入りに、
そんな金額では足しにしかならないことはわかっていたので、
わたしは、一万円も持たずに、
全額、父に渡したのだ。
これしかない。
これで、あとは、頼みます、ということだ。

そこから、何かを買うときは、
例えば、下駄箱に靴がないまま荷物が相手方に入るのは、
恥ずかしいことなので、
靴を買うので一万円ください、というように、
理由を言って、お金をもらって、支度を整えた。



思えばわたしは、
貧乏しか、経験がないまま、大人になってしまったのだ。

原因は、わたしにはないのに、
いつもかも、苦しい生活だったのだ。

家庭は、あくまでも、父と母が勝手に築いたものであって、
わたしには無関係。
わたしの居場所など、どこにもないと、思って生きて来た。



親は、子より、偉いのだろうか?

わたしは、親に抑圧され制御され、脅されて育った。

それに慣れていたから、気が付くのが遅かった。

息子に出会えて、息子の清らかな気持ちに触れるたび、
ああ、この子の魂の格は、
わたしより、はるかに上を行っている、と感じた。

息子から、愛されること、必要とされること、
大事にしてもらうことを、学んだ。
とても優しくしてくれた。
ママの髪、綺麗、って言って、櫛で髪をとかしてくれた。
幸せだった。

親なんて、全然、偉くなんかない。
勝手に結婚して、勝手に子供を産んだだけだ。
そのツケが、子供に来てしまうって、どういうことだよ。

自分の子として生まれたが、
自分とは別の人間であり、持ち物ではない。

なぜあそこまで、抑圧されたのか、
わたしは、一生苦しい。
自分を許してくれる人と一緒に生きたい。



そのままでいいよ、生きていればいいよって、
言われたかった。

たかが親で、何が偉いのよ。
何様のつもりなんだ。

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こんな日もある。

とにかく、今は何よりも、早起きが辛い。

リウマチ内科の診察日だったので、9時半起き。
前夜は、いつもより早く行動をしていつもより早くベッドに入ったが、
寝られる時間帯は、決まっているようだ。

ちまに、起こしてね、と頼んでおいたのだが、
起こしてくれず、アラームのスヌーズで、やっと起きた。

血液・尿検査があるので、ユンケルも飲めない。

ふらふらと病院に行った。
近いだけがありがたい。
先生もイケメンで、優しいのに、
診察の時はわたしはいつも、もうろうとしていて、残念。

今日はなんだか、全部がスムーズだった。

前回から、診察室が別館に変更になったのだが、
別館は患者さんがすごく少なくて、施設も綺麗で、
居心地はいい。

ただ、スタッフさんが少ないので、待たされるわけだ。
処置室に、看護師さんがたった二人しかいないのだ。

でも、今日の看護師さんは、ベテランさんで、
すごく手際が良かった。
採尿も採血も、待たされずにすぐに呼ばれた。

血液検査の結果を見てからの診察なので、
一時間くらいは待つが、
眠くてもうろうとしていて、小説は頭に入らないので、
大好きな「家紋」の本を持って行って、眺めて待った。


「ヒュミラ」という、一本2万円の注射を打ってきたが、
残念ながら、効果はあまり出なかった。

手首と膝は、好転したが、指の痛みは去らず、
強く握りしめることは不可能だ。
ペットボトルの蓋を開けることも不自由だし、
寸胴鍋を洗うことも辛い。

一番痛いのが、指を使っているときではなくて、
関節を、ぶつけた時なのだ。
思わず、う~んと唸ってしまうくらい痛い。
自分を呪うくらい痛いのだ。

それでも、寝付けない苦しさとは比べ物にならないし、
月末の督促状に怯えなくていい今の暮らしは、天国だ。

今日から、新しい注射「シムジア」を始めた。
液量は、ヒュミラよりも多いので、痛みが強いかもしれない。

ヒュミラより、強い薬なので、打つのは、4週間ごと。

ただし、自己免疫を抑制する力も、より強いということなので、
くれぐれも、風邪をひいたり、
何かの感染症にならないよう、念を押された。

15分くらい、処置室で過ごして、
気分が悪くならなかったので、帰った。

意外にスムーズだった。
こんな日もあるんだなあ。
出来る看護師さんが一人いるだけで、こんなに違うんだと思った。


マクドナルドでランチして、夕飯を買って帰った。

さて、お昼寝お昼寝。

わたしが、着替えて、ベッドに入ると、
ちまが目をキラキラさせて、枕元に来る。

ちまは、なぜかいつも、わたしがお昼寝する時、
付き合ってくれるのだ。
毛布にもぐって来てくれて、ふわふわを感じながら、眠った。


アラームで起きて、ムギのところに行こうとしたら、
アパートの前の路地で、お姑さんが、どなたかと話していた。
出るに出られず、わたしは身を潜めていたのだが、
別れ際に、
「これも何かのご縁ですから、手続きはこちらでやっておきますね。」と、
相手の女性が言った。
お姑さんは、よろしくお願いします、と言っていた。

何かに、入会したのだろうか。
ちょっと心配なので、一応、夫に報告だけしておいた。

ムギは、何か怖いことがあったらしく、
裏の物置の上で、いつでも逃げられる体勢でいた。
わたしとわかると、寄って来て、
なにやら、一生懸命に訴える。
ムギ、そろそろ、日本語で話しなよ。

今日も暑くなかったので、脚に乗ってくれた。
ゴロゴロ言いながら、振り向いてニコニコしてくれる。
可愛い子だ。



ところで、夫の料理が、とても美味しい。
作り置きをしたときに、分けてくれるのだが、
どれも、絶妙に美味しいのだ。

わたしが、いかに不味い料理を作って食べさせていたかが、
よくわかった。
これは、いじけてるのでも何でもなく、
本当に、夫の料理が美味しいのだ。

夕べ、会った時に、お礼を言いがてら、
不味いもの食べさせていて、悪かった、と謝った。

そしてその理由も伝えた。

結婚したばかりの時、わたしが煮物を作った。
それを食べた夫と長女が、
「これで、もう少し薄味だったら、うちにも通用するね。」と
そう言ったのだ。

わたしが、美味しいと感じる味は、
この家では、濃すぎるということを言われた。

なので、家族の夕飯作りを始めた時、
わたしは、自分で、美味しいと感じる味に、
お酒や、水を足して、味を薄めて煮込んで出していた。

きっと、それで、まずかったんだと思う。

夫は、腕のいい料理人の息子だから、
直接、料理は教わっていないけれど、
DNAが受け継がれているのだと思う。

末っ子くんが、独り立ちしていくとき、交わしたメールで、
「夕飯は別に、ありがたいと思ってはいませんでした。」
と、書いてあった意味が、わかるよ。
美味しくないんだもんね。


わたしの母も、わたしの料理を、一切ほめたことはない。
というより、誰の料理もほめない人。
自分の自慢のみ。

だから、わたしは実家では、一切料理はしない。
今後は息子がやってくれるだろうから、いいんだ。

わたしは細々と、自分の食べるものを作って暮らす。
それでとても幸せ。

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眠れているの!

先日の診察で、
眠くて意識がもうろうとする中、
朝になってしまうまで、寝付くことができないことを話した。

その話は、2月からしている。

その後も寝付けず、朝の6時7時にやっと寝る。
夫からは、ド素人の正論で傷つけられ、責められ、
死ぬことを考えたと、話した。

そうして、睡眠薬が、変更になった。
長年、信頼していたハルシオンから、サイレースに変わった。

12年近く、うつ病で、睡眠障害だから、
サイレースを試した時期もあったかもしれない。

睡眠薬は、ずっと同じのを飲んでいると、体が慣れて、
効かなくなってしまう。

なので、定期的に変更するしかないのだ。

サイレースを信用はしていなかったので、
初日は、やはりセロクエルを足して飲んだ。

すると、めちゃくちゃ、眠れた。

なので、翌日から、足していたセロクエルをやめてみた。

とは言え、寝る前にセロクエルは200ミリ(8錠)飲んでいるので、
充分すぎるほど、多いのだが。

眠れた。
眠い、という感覚を、何年ぶりかで、感じることが出来た。

嬉しい。
ベッドに入って、ちまのお腹をぷにぷに触りながら、
眠くなるという、幸福感!

その後も、朝になってしまうことはなく、
順調に寝付いている。

サイレースで寝付けているので、
セロクエルの200ミリが多いのかもしれない。
起きる時、眠くてだるくて、大変なのだ。

ちまに、起こしてくれるよう頼んであるので、
わたしがもぞもぞすると、
ちまがわたしに乗って、ふみふみをしてくれる。

それが、ぴったりと、ピンポイントで、
膀胱をふみふみしてくれるので、
嫌がおうにも、起きる外はないのだ。



眠くなるって、幸せだ。

夜中、ムギを脚に乗せていると、
ムギもウトウトするし、
わたしもウトウトしてしまう。

でもまたいつか、サイレースも効かない日が来るんだな。


明日は、リウマチ内科の診察日。
採血して、検査結果を見てからの診察なので、
採血の後、一時間は待つ。

さらに、明日から、新しい注射に変更するので、
最初は、院内で看護師さんが打つ決まりだそうだ。
そのあと、アレルギーやショックを起こさないか、経過を見てから、
自分で打ってもいいですよ、となる。

朝から午後まで病院。
今、一番辛いのが、朝早く起きること。

帰って来たら、ちまと一緒にお昼寝しよう。
それを楽しみに、頑張ろう。

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待ちわびる瞳。

夕べは、ソファに座っていたら、
ちまがヒラッと乗って来て、
そのまま、膝に置いたクッションの上で丸くなり、
寝てしまった。

あまり抱っこをせがまない子なので、とてもいとおしく、
どかすことが出来なくて、
ブログを更新する時間が取れなかった。


夫が、ムギにあまり会えていない。

朝、小屋に居ても、眠いのだろう、知らんぷりだそうだし、
夜も留守が多いので、
夜の餌もキミがやってから帰ってくれと言われている。

でも、夫の土日にゆとりがあるなら、会えたらいいと思い、
土日はわたしは夜中だけにするから、それまで自由にどうぞ、と
夕方あげているおかかも渡して、
夫に託した。

そしたら、ムギ、おかかを食い逃げしたらしい。

おねだりをするときの鳴き方が特殊なので、
「ちょうだい。」は、すぐにわかる。

逆に、それが発せられる前に、食べ物を出してしまうと、
ムギは、愛情が優先の子なので、怒ってしまうのだ。

とにかく、タイミングが大切な子だ。

ちょうだい、と言われて、おかかをあげたら、
ムギ、ササッと食べて、走って逃げたそうだ。

ムギちゃん、それはダメだなあ。

そのあと、また勝手口から見たら、ムギが帰って来ていたので、
夫が出て行ったら、
ムギは逃げてしまったそうだ。

夫から、ムギは逃げてしまったので、あとはお願い、と、
メールが来た。
あとは、って、
わたしはもう、夕飯を食べ始めていたので、
夜の餌をやってくれたのかを尋ねたら、
餌もやってないとのこと。

なので、仕方なく、食事を中断して、
支度をして、降りて行った。



ムギは、車の前に居た。

降りて来るわたしを、見つめていた。

門扉に差し掛かると、開ける前にもうムギはキュンキュン鳴いて、
ゴロンゴロンとローリングしてみせた。

ムギ…。
車の前で、ママの玄関を、見上げて、
待っていたんだね。
ママまだかな、今日は遅いなって、待ってたんだね。

ごめんよムギ。
そうとわかっていたら、パパに頼まずに、
いつも通りにママが来たのにね。

いっぱい寂しい思いさせちゃって、ごめん。
いつもより2時間も待たせちゃってごめんね。

ムギは突進してきて、わたしに乗った。

ムギ。
会いたかったね。
ママ、ムギに会いたかったよ。
ムギもママを待っていてくれたんだね。
ママのお部屋を、見上げていたんだね。

待たせてごめん。
今日からはちゃんと毎日、ママが来るね。
待っていてくれたのは、嬉しいし、いじらしい。
ひたすら乗って、チャージしていた。
空腹だろうに、シーバも要求してこなかった。

昨日の夜中も、ムギは小屋に居て、
出て来て乗ってくれた。
いつもなら、「先にちゅーるくれ!」と鳴くのに、
一切要求せず、ひたすら乗っていた。

ずっと一緒にすごしていたいけれど、
朝になっちゃうのは嫌だから、
「ムギ、ちゅーる食べようか。」と誘ってみた。

すると、「食べたいけど、降りるのは嫌だ。」と言う。

なので、器にちゅーるを入れて、
脚に乗せたままのムギの口元に、差し出した。
下僕でいいのです。

そのあとまだしばらく乗っていたが、
「ムギ、ママそろそろ帰ろうかなあ。」と2回言ったら、
しぶしぶ、降りて小屋に入ってくれた。



もうすぐ結婚記念日なので、
土曜日、夫の大のお気に入りの、
隣町の居酒屋に行った。
地酒が充実しているので、夫は嬉しいのだ。

食べ物も、めちゃくちゃ美味しい。
店も静かで、気配りもよく、
アルコールを飲まないわたしに、温かいほうじ茶をくれる。
そのサービスが嬉しい。

刺身、焼き魚、煮魚、クジラの竜田揚げ、牛タン。
全部全部、美味しかった。

ちなみに、結婚して9年だよ。

帰りに夫がわたしの部屋に寄ろうとしなかったので、
至極、平和に終わった。

でも、夫のエネルギーって、すごく強いので、
3時間以上、一緒にいると、疲労する。
話は基本、遮られるしね。

距離を保っているから、持ちこたえている夫婦。
こんな夫婦でも、わたしには夫が大切だ。


今日は、ムギの小屋に、虫よけを吊るしてみた。
効果のほどはわからないが、
夏場は、ムギと、人間に、蚊が群がる。

ムギは全身、毛でおおわれているので、人間の被害が大きいが、
ムギだって、毛の薄い、耳を狙われていて、可哀想だからだ。
効果、あるといいなあ。

このあと、また行くけれど、待っていてくれるかな?
それとも、呼んだら帰って来てくれるかな?

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自助はむずかしい。

最近になってまた、「毒親」の本や、コミックを読んでいる。

最初は、自分の母が毒親なのだと確認するために読んだ。
今は、なんらか、対処法はないのかと、
すがる思いで読んでいる。

連絡を絶ってしまうことは、たやすい。

けれど、悲しいことに、わたしは、一人っ子なのだ。

親が死んだら、わたしはどんな心理状態でも、
絶対に行かなくてはならないし、
こんな精神で、こんな体で、
いったいどうやって、葬儀を進めればいいのか、まるでわからない。

父に聞いたら、「焼香順は書いてある」とのことだが、
そんなことはもう、どうでもよくて、
母の身内が、全員、とても遠い地方なので、
全員が、泊りがけで、押し寄せるのだ。

母は9人兄弟だから、一家から、二人来たとしたら、
それだけの人数を、家に、泊めなくてはならない。

葬儀を出すだけで大変なのに、家に親戚を泊めなきゃいけないなんて、
いったい、どうするつもりか。

実家は、すごく田舎なので、旅館はない。
揃って外食に行ける店もなく、
食材を調達するにも、隣町まで車で行かなくてはならない。

そもそも、数十人分の料理を、いったい、誰が作るのか。
数十人分の布団を、どこにどのように敷くのか。

その後始末を、いったい誰がやるのか。



一人っ子は、辛すぎる。
同じ立場で、分かち合える相手がゼロなのだ。

遠からずやってくる親の死に、
どうしたらいいのか、だれも回答をくれない。



毒母に育てられた人と、話してみたいと、
すごく強く思っていた。
そこでなら、「母が死んだら、楽になるんですかね。」って言えて、
ふふって笑えるのでは?と思ったのだ。

なので、ネットであらゆる言葉で検索をかけてみたが、
ヒットしないのだ。

何年か前に、開催されて参加した、というブログを見つけたが、
そのブログも、もう年々も更新されていない。

糸口が見つからない。

同じ境遇の人と、話せたら、
ああ、自分だけじゃなかったんだ、って思えて、
楽になるのではないかと考えた。

ネットでは情報が得られなかったので、
先日のカウンセリングの時に、カウンセラーさんに、相談してみた。

すると、「毒親」に特化した自助グループは、多分ない、とのことだった。

カウンセラーさんも、自分の経験ではなく、聞いた話らしいが、
一口に」「毒親」と言っても、
幅が広すぎるのだそうだ。

日常的に、暴力を振るわれていた人もいれば、
ネグレクト(無視されて世話をしてもらえない)の人までいて、
あまりにも状況が違いすぎるので、
誰かが境遇を話すと、「そんなのよりわたしのほうがもっと酷い!」と
反論する人が出て来る。

すると、勇気を出して話した人は、
二重にも三重にも傷つく羽目になる。

カウンセラーや、コンダクターが同席しても、
事態を収拾できなくなることが多いそうだ。

だから、存在しないのだ。

このネット社会で、いくら検索しても、
ヒットしなかったのは、そういう理由だったのだ。

なので、アダルトチルドレンの自助グループに参加して、
小出しにするしか、方法はないと言われた。



アダルトチルドレンだって、ピンキリだとは思うが、
中でも、母と娘の問題は、
問題が問題を産んでしまうくらい、根が深く、難しいのがわかった。

そして、やはり解決策はない。

母から、息子のお土産の件について、
「わたしは悪くない。自分がもらったものだから、自分が我慢しただけ。」と、
あくまでも息子の気持ちを無視した返事が来たので、
わたしは、二度と、返事はしない。

命より大切な息子の気持ちを踏みにじった、
その行為を一切許さない。

父から話が来れば、父には話すが、
母とはもう、一生会えなくていいと、覚悟を決めている。

それ相応の覚悟を持って、書いた手紙だったのに、
母のその態度をもってして、
わたしは、母を切り捨てることとした。



けれども、悲しいことに一人っ子だから、
葬式に、行かない選択肢は、ないのだ。
わたしの代わりになってくれる人はいないのだ。

お墓だって、どうしたらいいのかわからない。
何にもわからないままなのだ。


自助グループが難しいのはわかった。
わたしは、この苦しみを抱えて、解決策もないまま、生きて行く。

母の日が近いので、
どこに行っても、何を見ても、
母の日、母の日、と書いてあって、わたしはおかしくなりそうだ。

今年から、夫に、もうプレゼントはいいよ、
長い間ありがとうございました、とお礼を言って止めてもらった。

わたしの代わりに、夫が毎年、贈ってくれていたのだ。

わたし自身は、お嫁ちゃんに、
わたしは、一切プレゼントはいらないよ、
その分、会いたいな、って、最初にお願いした。

毎年頭を悩ませ、お金を使わせるなんて可哀想だもの。
会えれば、それが一番幸せ。



息子たちが、わたしたちに会ってくれるのは、
とても幸せだ。
見習いたいけれど…
修業が足りない模様。

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醜形恐怖。

わたしは、今、自分を鏡で見ることができない。

当然、写真を撮られるなんて、もってのほかだ。

これは何年も前からだ。
自分の醜い姿を、認めなくてはならなくて、
苦しいからだ。

何十キロも太ってしまい、
38キロだったころの姿は、見る影もない。

38キロだった時は、美しくなく、病的で、
別の意味で見たくないが。

38キロだったのは、印刷会社に入社して、
2年目くらい。

印刷の版のもととなる、「版下」を作る部署にいた。

まだ、世の中にパソコンというものが無かった時代だ。

線は一本一本、特殊なペンで引いていて、
文字は、一文字ずつ、写真植字というもので、打ち込んでいた時代。
まだ、活版印刷や、タイプライター部署も残っていた。

時代はバブルに向かっており、
仕事量が半端なく多くて、
毎日毎日、残業だった。

残業に入る途中で15分の休憩があり、
そこで、パンが一個支給されるのだが、
それを食べてしまうと、9時過ぎに帰宅しても、
もう、夕飯を食べられる気力は残っていない。

父が交代勤務で居ない夜などは、
頼んでもいないのに、母が夕飯を待っていて、
「帰りが遅い!」といきなり怒鳴る。

残業で、疲れ果てて帰って来て、
「遊んでるわけでもないのに、なんで怒られなきゃいけないのよ!」と
さすがに反論したが、
母は「だって一人暮らしみたいで嫌なんだもの!」と、
意味の分からないことを言う。

心が休まる場所がなかった。
帰宅して、お風呂に入ると、もう10時だ。
ヘトヘトなので、髪を乾かす気力さえなくなった。


仕事は好きだったが、忙しくて、過酷すぎた。
土曜日も仕事だったのだ。
月に一回だけ、土曜日が休みになったのは、
入社して、3年過ぎてからではなかったかな。

日曜日は、死んだように寝ていた。

結婚のために会社を辞め、
専業主婦となったが、すぐに息子に恵まれたので、
新婚早々、つわりとの闘い。

結婚後、一年半で、前夫が東京支店に飛ばされるまで、
わたしは、一度たりとも、
幸せを感じたことがなかった。

だから、今は、躁鬱病で死にたくても、
リウマチで痛くて、やれないことがあっても、
不幸ではない。
やっぱり、生きて来た中では、最も幸せなのだ。


去年、病気をして、
丸5日間という、壮絶な絶食も経験し、
体重が5キロくらい、減ったのに、
年末年始の帰省で、ものすごいストレスを受け、
帰って来てから、
過食が爆発した。

狂ったように、パンと、チョコを。毎日食べ続けた。
食べても食べても、足りなかった。
満足できなかった。

過食も、自傷行為の一つである。
でも、入眠障害と同じで、理解はされない。

努力が足りない、節制が足りないと、
批判されるだけだ。

わたしはたった4か月で、激しく太った。
痩せた5キロを取り戻してしまったどころか、
それを超えるくらいに太ってしまい、
去年の服が、きつくて辛い。

悲しい。


わたしの母は、わたしより、太った人だったのに、
わたしに対して、「そんなに太っちゃってどうすんの。」と言った。
いや、オマエもな!
と言いたかったが、老人になって、母はちょっとしぼんでしまった。

わたしは人生でマックス太っている。

その醜い姿を、見たくない。
写真なんて、とんでもない。

遺影は、息子の結婚式に留め袖を来た時のものにしてもらう。
あの時は、今より、ちょっとマシだったから。


小さいころから、母に、容姿をけなされていた。
世の中には、そのせいで、醜形恐怖症となり、
人前に出られなくなる人もいるそうだ。

母親の言葉とは、一生消せない、「呪縛」である。

その自覚を持たずに、無責任に、わが子をけなすとは、
どういう了見なのか、わたしには理解不能だ。

わが子なら、髪の毛一本にいたるまで、
わたしは可愛いし、いとおしい。

なぜ母にあんなにけなされなくてはならなかったのか。

今現在の、醜形恐怖は、
わたしが自己管理が出来なくて太ってしまったせいだが、
セロクエルを毎日250ミリも飲んでいると、
副作用として、太るのも、いたしかたない。

食べないよう、抑制をしたいが、
衝動を、我慢ができないのだ。

醜いわたし。
美容院に行っても、一切鏡は見ていない。
出掛ける時に、服装チエックもしない。
化粧は一切せず、髪も、後ろで縛っているだけだ。

とても醜いと感じる。
鏡が怖い。
写真が怖い。

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胸にせまる。

昨日は、マッサージに行った。

マッサージ師さんとは、メルアドも交換した仲だが、
日常的には、メールはしない。
お互いを信頼しているが、踏み込むつこりはないのだ。

それでも、月に2回しか会わないので、
最初はちょっとだけ話をする。

わたしが行っているマッサージ屋さんは、
3店舗あるそうだ。

でも、彼女は、この店舗の、働かない店長が大嫌いで、
他の店舗に籍を移し、
そこからの派遣で来ている設定になっている。

そこの店長、本当にひどくて、
裏でタバコ吸ってるか、誰かと電話してるか、
床で寝てるかなのだ。
彼女が怒るのは当たり前だ。

もとはマッサージ師さんだったらしく、
最近は自分の予約を取ってマッサージをするのだが、
聞いたところによると、
30分か、45分でしか、予約を受けないそうだ。
自分が疲れるからだって。

自動ドアは壊れたままで、手動だし、
お客様用のスリッパは100均のだし、
間隔を開けずに予約を入れてしまい、
マッサージ師さんが休憩を取れなかったりと、
問題だらけだったそうだ。

なので、嫌気がさして、彼女は、籍を置いている店に、
戻ろうと思ったらしい。
そこで、自分を指名して定期的に来ているお客さんに、
それとなく、リサーチをかけたそうだ。

すると、みなさん、自転車で行くから大丈夫よ、という
答えだったとのころ。

でも、そこで、彼女は、
わたしのことを考えてくれた。

話したことはないと思うが、
わたしは自転車を持っていない。
もし、あったとしても、運転はもうできない。

うつ病を発症してから、自転車に乗るのが怖くて怖くて、
もうずーっと、乗っていないのだ。

それを知っていたわけではないのに、
自分が、ここから異動したら、伽羅さんが来れなくなる、と
思った。
なので、踏みとどまることにしたのだと、言ってくれた。

それはもう、何か月も前の話だそうだ。

とどまることにしたからには、改善してもらわねばと思い、
店長が働かない件や、スリッパがひどい件や、
休憩を入れて予約を取ってくれないと、
手首のクールダウンが出来ない、など、
あらゆることで、一回、ブチ切れしたのだそうだ。

その結果、
スリッパが新しくなり、
店長が、ちょっとだけ働くようになった。
「きゃらさんが居なかったら、わたし、店をかわっていましたよ。」と、
言ってくださった。

そんなに深い関係ではないのに、
お互いに、踏み込みすぎないよう、気をつけているのに、
お互いに、大事に思ってるのだ。

わたしは彼女を全面的に信頼しているが、
わたしが、彼女に大切に思われていることを、
初めて知って、
胸に迫るものがあった。



目に見えるものだけが、事実ではないんだ。

多分、夫も、盾となり、
わたしを守ってくれていると思う。

だって、こんな後妻、いない方がいいもの。

今は母屋の家事をまったくしていないから、
きっと長女は、わたしを苦々しく思っているはずだし、
そういう話も実際、出ているかもしれない。

お姑さんは、当然、わたしのことが気に入らない。
末っ子くんに聞いたが、
彼らの前では、わたしをけっこう悪く言っていたそうだ。

でもそれらを、夫が多分、せき止めてくれていて、
わたしの耳に入らないようにしてくれてるんだと思う。

まずい料理を食べさせていたことも、反省している。
申し訳なかった。



わたしは、親に頭ごなしに決めつけられ、抑圧されてきたので、
「大切にされている」という、感覚を、味わったことがない。

最初の結婚では、嫁は家政婦以下の、奴隷だったので、
もちろん、大切にされた経験なんてない。

それを思うと、今、わたしは、何の役にも立っていないのに、
大切にしてもらえているなあと、
しみじみ思った。

ありがたいことだ。

自分が大切にされてると思えば、
死んでしまいたいって、思わずに済む。

睡眠薬が、ハルシオンからサイレースに変わったが、
いいかもしれない。
明け方になれば寝付ける。

3時までに眠れたら、かなり楽になるだろう。



今、付き合っている人は、本当に少ないが、
大事な人ばかりだ。
大切に思っている。

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わたしのマクドナルド。

高校生の時の話になるが、
わたしが行っていた高校は、バイトは禁止だった。

どのみち、進学校だから、みんな、バイトしている暇なんてない。

高校の3年の、三学期になると、
もう、授業らしきことは、行われなくなる。

今のようにセンター試験方式ではなかったため、
いろんな大学の入試が、いろんな日程で行われる。
受験生は、最後の追い込みなので、
塾に入り浸っていたり、受験だったりで、
もう、学校になんて、来ないのだ。

でも、わたしには、行くところがない。
あの家庭環境で、まさか家にはいられないし、
仕方なく学校に行くのだが、
来ていたとしても、クラスに数人しかおらず、
授業は行われず、
わたしは図書室に行ったり、当時付き合っていた男子と、
喫茶店に居たりした。

そこで、バイトをしようと思い立った。
担任の先生に、事情を話してみると、
「社会勉強ですからいいでしょう。」と許可をくれた。

当時、駅近くに出来たばかりの、マクドナルドに、
バイトの申し込みに行った。

店先での簡単なやり取りで、採用・不採用は、
すぐに家に電話する、と言われたのに、
電話がかかって来ない。

わたしは、乗り込んでいって、店の責任者に、顛末を話した。

最初に話したのはサブリーダーだったが、
その時は店長のすぐ下のマネージャーで、
わたしの説明を聞いて、
その場で、採用してくれた。

のちに、わたしが4月からは会社員となってしまうので、
期間が短いから採用したくなかったと聞いた。
けれど、電話が無かったので、乗り込んだわけだ。

すぐに、初日が来た。

オレンジ色のユニフォームを着て、
わたしは、「ドリンカー」を任された。

それは、土曜日のランチタイムだった。

初日が土曜日のランチタイムなので、
ごく簡単なことしか、教わる余裕がない。
注文票をうしろから覗いて、ドリンクを把握し、
決められたラインまで氷を入れ、飲み物を注ぎ、
蓋をして、カウンターに出す仕事だった。

まだ、マクドナルドが出来たばかりだったので、
ものすごい人数が押し寄せた。
大きな交差点に立っている店だったので、
その交差点にどれくらい人が溜まったかを見て、
指揮を取るマネージャーが、
ハンバーガーのパテを焼くコールをバックにする。

当時は、作り置きをして、10分したら廃棄というスタイルだったので、
廃棄が多いと、マネージャーの手腕が問われる。

わたしは、しっちゃかめっちゃかのカウンター内で、
仕事をこなし、認められた。

それからは、3月末まで、マクドナルドでバイトをした。

今、メニューに、「ハンバーガー」は、乗っていない。
でも本当は、100円で売っている。
赤字になるので、メニューに載せていないのだ。

当時は、ハンバーガーと、チーズバーガー、
フィレオフィッシュ、クォーターパウンダー、チーズクォーターパウンダー、
しか、なかった。
バイトしている途中で、チキンナゲットと、エッグマフィンが発売になった。

当時、ハンバーガーは、170円もした。
当然そのほかは、もっと高い。
なのに、時給が、430円で、交通費支給がなかった。

わたしは通学定期を持っていたので、それで電車賃は出たが、
時給430円では、食べたくても、
ハンバーガーなんて、買えなかった。

それなのに、当時付き合っていた男子が店に来て、
「おごってー。」と言ったので、
わたしは、嫌気がさして、避けるようになった。

三か月弱しか働かなかったので、微々たるお金だったが、
わたしはそれで、入社式に着るスーツを買い、
バッグや財布を自分で買った。

家が貧乏なのはわかっているし、
買って、と頼んで、渋られるのがすごく嫌だったからだ。


今はもう、駅前はさびれてしまって、マクドナルドも郊外型となり、
その店は残っていない。

けれど、親にけなされてばかりで、
自己肯定感が異常に低かったわたしにとって、
生まれて初めての、仕事であり、報酬だった。

わたしは、優秀であると認められ、
スーパーバイザー(地域担当の偉い人)が来店する日には
必ずシフトに入れられた。

就職する日が来て、辞める時、お別れ会をやってもらえた。


今もわたしは、マクドナルドが大好きである。
もちろん、モスバーガーのほうが、野菜もソースもたっぷりで、
いいのだけれど、
野菜と、大量のソースで、
ハンバーガーが、ぬるいのが、好きじゃないのだ。

マクドナルドの、安定した、ちょっとチープな感じが、
変わらずにずっと好き。

当時、高くて買えなかった、ビッグマックを、
時々食べる。

サンデーもあったっけな。
ソフトクリームに、ソースをかけるメニューなんだけれど、
チョコとストロベリーと、「ホットキャラメル」があって、
そのホットキャラメルのサンデーが、めちゃ美味しかった。

ナゲットも、今のような成形肉ではなく、
本当に、チキンの塊だったので、すごくおいしかった。
ソースの「マスタード味」は、むせるくらい辛かった。

懐かしいな。

わたしは、仕事でしか、自分を評価できない。
今の自分を評価できるものは、何もない。
居る意味もわからない。

ただ、この年齢で、母親が死んでしまったら、
息子にとっては、まだちょっと、早いかな?と思うだけ。
もし可能なら、お孫ちゃんも見てみたい。

是非に、とは思っていないよ。
子供を持とうが持つまいが、それは夫婦の自由だ。
他の誰かが口出しすべきことではない。

だから一切、何も聞かない。
デリケートな問題だからね。
気安く話題にしてはいけないのだ。

複数の子供を育てるのは、とても大変だからね。

猫も同じ。
わたしには、ちまとムギを、両方が納得する方式では、
やれなかった。

ちまは、お姫さま。
ムギは、小悪魔ちゃん。
相容れないのだ。

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すねる猫。

ムギは、本当に人間臭い、おもしろい猫だ。

一昨日の夜中、会いに行ったら、
ムギは留守だった。
夕方あげた、餌にも手を付けていない。

急に不安になり、ムギを呼び続けた。

いつもなら、例えば、2分に一回、くらいのペースで呼び、
ムギから、「ママ、まだ居る?」と声がかかり、
わたしが返事をすると、ムギが帰って来るシステムだ。

けれど、不安のあまり、連続して呼び続けた。

すると、しばらくして、ムギが無言で走って来て、
いきなりわたしの脚に乗った。
びっくりした!

連続して呼んでいたので、声を掛けるタイミングがなかったのか、
もしくは、「んもう~、やめてよ、恥ずかしい~。」
って感じ?
そっちの雰囲気だった。

でもとにかくムギが帰って来て乗ってくれたので、
二人でひっそりと、過ごした。

乗っていてくれるのは嬉しい。
もう昼間は暑いので、ムギはあまり乗らない。
脚の横に座るか、伏せしてピトッとくっつく。

夜中だから乗ってくれていて、リラックスしてくれてるんだ。

でも、3時になり、3時半になっても、ムギは下りない。
「ねえムギ、ママそろそろ帰ろうかなあ?」
そうささやいてみたが、無視。
わたしも、いくらでも一緒に居たいけれど、
ここで朝を迎える勇気はないのだ。

そこで、抱っこ作戦発動。

ムギを抱き上げて、胸に抱っこする。
軽く抱きしめて、ムギ大好き!って耳元でささやく。

ムギは、降りようとするので、その隙に帰る作戦なのだが、
ムギは、降りて、すぐさままた、わたしの脚にしがみついた。

うん。そうだよね。一緒に居たいよね。
それはわかるよ。ママも同じだよ。

でももう、明るくなって来ちゃうの。
パパ、起きて来ちゃうよ?

心を鬼にして、ムギを抱き上げ、胸に抱きしめて、
頭の匂いをすんすん嗅いだ。
ムギ特有の匂い。

ムギが身をよじったので、抱えたまま小屋に入れた。
餌も入れた。

ムギは少しだけカリカリと食べたが、すぐまた出て来た。
ムギ、ごめんね、ママ帰るね。
ムギを残して、わたしは部屋に帰った。



翌日の夕方。

降りて行くと、ムギは爪とぎの座面に座って、
門を見張っていた。
当然、目が合う。
「ムギちゃ~ん。」と呼んで、車の後ろに回ると、
ムギの姿は、ない。

車のタイヤの向こう側に、隠れているのだ。
隠れてると言っても、シッポがだらっと出てるから、
本格的に隠れているわけではない。

わたしが座って、落ち着けば、寄って来ると思い、
座って、呼んでいたが、
ムギは、一向に出て来ないのだ。

5分経っても、来ない。

おかしいなあと思って、わたしが体を移動して、
ムギを覗いた。
「ムギちゃん、ママ、会いに来たよ?」
するとムギが、「にゃあおうんん。」と鳴いた。

ムギ、完全にすねていた!

顔と鳴き声で、わかった。
ムギは明け方のことを、根に持って、いじけているのだ。
もっと一緒に居たかったのに、小屋に押し込まれた!と
思っているのだ。

だから、ちょっとだけ隠れて、
いじけてますって、伝えて来てるんだ。

にゃあおうううん、と鳴く。

「ムギ、ごめんよ。だってもう、朝になっちゃいそうだったからさあ。
機嫌直して、おいで。ムギおいで。」
と説得したら、
やっと、甘えた声を出した。

意地を張っていても、顔を見てしまったら、
やっぱり甘えたいのだ。

やっと出て来て、乗ってくれた。



ちまは、情緒が安定した、天使のような子なので、
すねたり、いじけたりするムギが、まるで人間の子供のようで、
すごく面白い。

今朝は、夫が会いに出ているのに、
小屋の中で、狸寝入りをしていたそうだ。

もちろん、パパが来てるのはわかっていて、
寝たふりしてる。
ツンツンしても、知らんぷりだったそうで、本当に面白い子。



今日は夕方行ったら、
小屋の前の敷物に、伏せして待っていて、
大きな声で延々鳴いて、待っていたアピール。

その後、わたしが座ると、コンクリでゴロンゴロンして、
見て見て、可愛いでしょアピール。

そのあと、ようやく、隣に来て座った。

冬場は、ひたすら乗ってくるまれて過ごしていたが、
暑くなったので、乗っても数分。
あとは隣で座っていたり、伏せしていたりする。

風の匂いを嗅いでいるムギは、気持ちがよさそうに見える。


夜中、また行くけど、会ってくれるかな?
呼んだら帰って来てくれるかな?

ちまは、腎臓病の療養食を、喜んで食べている。
いじらしい。
もらえれば、何でも嬉しいようで、
おかかやちゅーるをあげなくなったのだが、
特に不満は出ていない。

天使ちゃんだね。

ちまにはうんと長生きしてもらいたいので、
一緒に頑張ろうね。

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コンプレックスの罠。

わたしには、高校生の時には、
明確な夢があった。

小学生当時、わたしは、絵が下手だった。

だって、「運動会の絵を描きなさい。」と言われて、
あまりにも、漠然としすぎていて、
どの競技の、どの場面を、
どちらから見た絵を描けばいいのかなんて、指導はなく、
わたしはどうしたらいいのかが、まったくわからなかったのだ。

だから、すごく下手だった。

理屈で、落とし込めるものがないと、取り組めない。

中学生になると、図画工作は「美術」と名を変えて、
そこには、小学生当時にはなかった、「デザイン」の要素が入って来た。
わたしは、そこで初めて、能力を発揮した。

何かをモチーフとして、連続図案をデザインするテーマで、
わたしのデザイン画は、廊下に貼り出された。

そこでわたしは、気が付いたのだ。

「写生」だなんて、漠然としすぎていて、
わたしには、空間を切り取る才能がなかったが、
デザインは、行ける!とわかった。

小学生のころから洋楽を聴いていたわたしは、
大人っぽい色遣いを、
レコードジャケットから学んでいた。

写実は相変わらず苦手だったが、
デザインにおいては、毎回作品が貼り出された。

見抜いてくれた、美術の先生には感謝している。



大学には行かせないから、商業高校に行けと父から言われたが、
それだけは、勘弁してもらった。
簿記やそろばんなど、絶対にやりたくなかったのだ。

合格した高校は、有名な進学校で、
わたしのように、最初から、就職と決まっている生徒はゼロだった。

わたしは、テキスタイルデザイナーになりたかった。

でも、大学には行かせてもらえない。
せめて専門学校に行かせてほしい、
バイトするから、と頼んだが、
許可は下りず、
17歳にして、一人で自分の将来を決めることになった。

高校3年では、受ける大学によって、クラス分けがされる。
国立理系、国立文系、私立理系、私立文系、である。
自分に必要な授業を、選択していき、
その結果でクラス分けがされたのだ。

450人くらいいた、同級生の中で、
わたしは、国語系と英語は抜群に出来た。
いつも、20位以内には入っていた。

けれど、数学・理系は、まったくできず、壊滅的で、
400位くらい。

わたしよりできない人も、大学に行くんだなあ、と思った。

わたしは、相談できる先生も友達もおらず、
一人で、進路指導室にあった、求人票をめくり、
せめて、なんらか、クリエイティブな職種にと思い、
印刷会社に、申し込んだ。

面接のとき、会社の社長はじめ、役員の方から、
私立文系になら、楽に入れる成績なのに、
なぜ就職するのかと問われた。
なんと答えたか、記憶にはない。

その進学校から直接、入社する人物はそれまでいなかったので、
わたしは、ちやほやされて、合格した。



親の金で大学に行き、
親の金で免許を取り、車を買ってもらい、
親の金で、旅行に行く同級生を、
わたしは、見下していたかもしれない。

それは、コンプレックスだ。
本当は、うらやましいのかもしれない。



わたしのうつ病は、生まれ持った気質であると思う。

でも、それが発症する引き金は、
当時付き合っていた人の、逮捕だ。

わたしは、彼を救うことに必死で、
彼の罪状を、よく知らないまま、
裁判で、情状証人として、台に立ち、マイクで話した。

けれど、思い返してみれば、
東京拘置所の面会時間は、一日に一組のみ、
時間は、たった10分である。
彼の詳しい罪状を、問い詰めている余裕がないままに、
裁判を迎えてしまった。

国選弁護人にも、会いに行き、お願いをした。
いろんな肩書を持つ、偉い弁護士さんだった。
拘置所の塀の前でお会いした時、弁護人は、
彼は隠し事が多すぎる、とわたしに言った。

けれど、わたしも働かなくては生きて行けなかったので、
毎朝、拘置所に面会に行き、
そのあと仕事に行き、
帰って来たら、家事と、自分の破産の準備、
彼への手紙、と、寝る暇もなく、
充分な準備ができなかった。



そして、裁判で、検察官から、初めて、
彼の罪状を聞いた。

知らないことだらけだった。
冷静に聞けば、ありえへん!と切って捨てる相手だが、
当時のわたしは、一心不乱に彼を守りたい一心で、
きっと更生できる、わたしがさせる、と息巻いていた。

止めてくれる人ももちろん、いた。
弁護士Zも、
「別れなさい。あなたたちと、彼では、人間の次元が違う。」と
忠告してくれた。

今なら、それがわかる。
というより、わたしも、彼と同じではないかと、思うのだ。

彼は、簿記一級を持つ、会計の仕事をしている人だった。
自分の事務所を持っていた。
税理士事務所に勤めていた当時は、
資格を持つ人よりも仕事が早くて的確で、
ずいぶん、優遇されたようだ。
しかし、そこには、高卒・資格なし、という、
コンプレックスが隠れていた。

いくら仕事が早くても、税理士ではない。
そこで本人は、税理士以上の仕事をやってのけた。

そこが、闇世界とつながったのだ。

若いころから信頼して全面的に任せて下さっていた、
一番大切なお客さまの、個人の預金を、
勝手に引き出して、人に貸し、
その利益を得ていたのだ。

貸した相手が、ヤクザだったのだ。

ヤクザに金を貸し、ヤクザから利息を取る。
それが永遠に可能かどうか、考えなかったのだろうか。

そんなことをしなくても、彼の個人事務所は、
月に200万の収入があったのだ。

人の貯金を使って、
スナックのお姉ちゃんを全員連れて海外に行ったり、
ヤクザの新年会で、札束を投げたりしたのだ。

ヤクザに、「先生、先生」と呼ばれて、
悦に入っていたのだ。

なんという愚かな人なのだろうか。

ヤクザは、最初は、きちんと利息を払いに来ていた。
それは、常套手段である。

だんだん払わなくなり、
事業を始めるから、もっと出せと、付きまとうようになる。
立場が完全に逆転した。

貯金を使い込まれた人とは民事裁判をこっそりやっていた。
敗訴して、支払い義務が生じたのに、
一円も返せなかった。

なので、警察ではなく、東京地検の、特捜部が、逮捕したのだ。
それが、知らなかった、罪状だった。
彼も高卒で、家庭環境も、恵まれていなかった。
母親が早くに死んで、
母親の妹が、後妻に入った家の長男だった。

皮膚病を患っており、見た目も良くない。

コンプレックスだらけだったのを、
最初は、資格なしでも仕事できます!と、頑張っていたのに、
踏み外して、
他人の金をばらまいて、親分気分になった。
愚かな人だ。

能力は高かったかもしれないが、
人として、非常に幼稚で浅はかであった。



わたしの精神が崩壊し、
彼を捨てた時、
一緒に活動をしていた異性の友人から、
「失敗したのは、キミが甘やかしすぎたからだ。」と言われた。

その通りだと思う。

人は、罰では更生しない、愛情がないと更生できないと、
信じて頑張ったが、
そもそも、人に、人を、更生させる力なんてあるのか?

ないと思う。

ただ、共通して持っていた、コンプレックスに、
惹かれあっただけだったのかもしれないと思うのだ。




能力があって、それを認めてもらい、
それを職業に出来て、成果を出せる、だなんて、
わたしには夢のようにうらやましい話だ。


わたしは、美大にも、専門学校にも、行けなかったが、
働きながらたくさんのことを学んで、
次の職場に生かし、また次で学んで、また生かすことは出来た。

曲がりなりにも、本を一冊出すことが出来たのは、
唯一の、わたしの結果だ。



高校時代の目標が、「いい大学に入ること。」であって、
色々我慢して受験勉強をし、
大学に入り、
でもいざ就職の時に、希望の職業に、
みんなは、就くことができたのだろうか。
やりたい職業を、見つけられていたのだろうか。

大学に入ることが目標って、
なんか違う気がする。



夢を果たせなかった今回の人生だけれど、
次に生まれたら、やりたい仕事がある。

文化財の、修復。

いいでしょ?

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怒るにも気力が必要。

今日は、精神科の通院だった。

いつもは金曜日の受診なのだが、GWが入ってしまったので、
イレギュラーに、土曜日の診察となった。
13時までなので、午前中に起きて行かなくてはならない。

寝付けなくて、辛い。

眠れなくても、暗くして目を閉じて、
横になっていれば、体はやすまるだろう、と
夫を含め、シロウトさんは、思うだろう。

寝付けない日々を、経験したことがないから、
そんな、いかにも、マトモそうなことを言ってみるのだ。

体はヘトヘト、薬もいっぱい飲んで、フラフラ。
なのに、脳だけが覚醒していて、
目はランランしており、
寝付くことが出来ない。

何時間も、寝床で悶々としていて、
体が休まるはずがない。
いったい、いつまでその間違った正論を振りかざすのか。

ヘトヘトなのに、眠れなくて、何時間も経って、
空が明るくなったときの絶望感を、
知らないだろう。



午前中に起きなくてはならないのに、
夕べも寝付けなかった。

いろんな姿勢になってみる。
一番眠りやすい姿勢を取っている。
けれど、心臓の鼓動がドクドクとうるさく聞こえて、
その鼓動が、どんどん早くなって行く。

そんな音を聞いていたら、安らかに眠れるわけがない。

明け方、大事な、予備のハルシオンを2錠、飲んだ。


アラームで起こされたが、混乱して、
アラームが何から鳴っているのかがわからない。
携帯だと理解するまで数分かかった。

すごくしんどい。
辛い。
ユンケルを飲んで出かける。

日差しが強く、駅から病院までの徒歩15分、
新しく買った日傘を初めて使った。

到着してからの記憶が、ない。

診察を受けて、
寝付けないままであること、それがすごく苦しいこと、
先月は、死ぬことを初めて真剣に考えたことを、話した。

先生の決断は早く、
ハルシオンを、サイレースに変更された。

ハルシオンには、わたしは信頼を置いていたので、
残念だ。

うつ病とわかった時に、睡眠薬をありとあらゆるものを試した。
当時、唯一、効いたのが、ハルシオンだったのだ。
けれど、11年間ずっとハルシオンを飲んでいたわけではない。

睡眠薬は、長年飲むと、体が慣れてしまう。
なので、その薬で眠れなくなったら、
変更するしかないのだ。

マイスリーから、ハルシオンに戻った時、
結構効果があって、
さすがハルシオンと思って信じて来たが、
もう、どうにも、ダメだ。

死ぬことを考え始めてしまうようでは、
変更やむなしと思う。


病院に新しく入った事務の方が嫌いだ。

お金を払うとき、勝手に、領収書を畳むのだ。

一番最初は、えっ?と思ったが、指摘しなかった。
けれども、わたしは領収書を畳む習性はなく、
そのままの状態でクリップで留めて夫に渡すので、
すっごく、不愉快だった。

なので、次回からはきちんと言おうと思って、
彼女の手が、領収書を畳もうとするたびに、
窓口にの中に手を差し入れて、
「折らないでください!」と制している。

一回目は、きょとんとしていた。
なので、「折らないで。」と再度言った。

今日もまた、当たり前そうに、折ろうとしたので、
「折らないで!」と言ったら、ちょっとハッとしていた。

そもそも、領収書は、病院のものではなく、患者のものだ。
それを、なぜ、どういう権限で、彼女が折りたたむのか、
理解が出来ない。

来月は、「折らないで!」のあとに、
「そもそも、なんで折るんですか?」と聞いてみることにする。

今日は、怒りをぶつける気力もなかった。



いつも行っている近くの薬局に処方箋を出して、
ソファでウトウトしていた。

この薬局も、実は嫌い。
勘違い薬剤師がいて、口出ししすぎるのだ。
お喋りしていて、業務を進行していない。

他の薬局に代わりたいが、
ここまでの精神病薬を取り揃えている薬局は、
やはり精神科の近所じゃないと、無いと思うので、
我慢している。

今日は、わたしの薬が変更になったのに、
あろうことか、処方箋を見ないで、前の通りに、封入してしまったのだ。

だいぶ待った後で、
「睡眠薬、変更になりました?」と聞かれて、
そこから慌てて、「ハルシオンを抜いてサイレースに変えないと!」と
バタバタし始めた。

そんなこと、ありえないだろう?
でも、今日のわたしには、怒る気力もないので、
あとで告発すればいいやと思って、
ソファでぐったりしていた。



ランチをして帰って来た。
記憶が無い。
帰宅して、シャワーして、ちまと一緒に仮眠した。

疲れた。

とにかく、寝付けないことで、精神的に、ズタズタなのだ。

気力がないと、怒りたくても怒れない。
でも、わたしは、うやむやにはしないよ。

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幸せならばいいよ。

今日は、何も予定が無い。

昨日アマゾンで買った本が届いたので、
それを読んで過ごした。

そのあと、幼なじみのヒロミちゃんに手紙を書いていた。

夫が車で買い物に出入りしたが、
ムギは逃げずにムギのリビングにいるとのこと。
夫にも、甘えて抱っこされているらしい。

夫が、わたしの部屋のファンヒーターを片づけて、
扇風機と入れ替えてあげるから、
その間、ムギと過ごせば?と言ってくれたので、
ムギに会いに行った。

ムギは小屋に居て、毛づくろいをしていた。
暖房を外したので、日中でも小屋にいやすくなったようだ。

わたしが座って呼ぶと、小さく返事をして、
出て来て、乗ってくれた。

体を拭いて、ブラッシングして、撫でてチエック。
お尻もOK。

しばらく乗っていたが、おかかを食べたいと言って、
降りて座った。

食べ終えると、わたしをピョンと飛び越えて、
裏の土手を眺めている。

午後の日差しが、ムギを包んで、
まるでムギが光っているように見えた。

ムギは、首を伸ばして、風の匂いを嗅いでいる。

その姿が、なんだか、すごく、
幸せそうに見えた。


もちろん、大切なのであれば、
完全室内飼いで、面倒を見るべきと思う。
できるなら、そうしたかった。

でも、ムギは、部屋にいるとき、こんなにいい顔を見せなかった。
いつも、じっとりとした、すねた目つきで、
いつも、どこか不愉快そうだった。

ムギだって、家猫になるのは、目的だったと思うが、
ちまがいて、ちまが優先されて、
自分のご飯が一番ではなく二番目にしか出ないとわかると、
ちまを押しのけて前に出た。

それを制すると、いけない場所で、ジャアジャアとオシッコをした。

夫の部屋にいた時も、心を開かず、
いつも、タンスの上の段ボールの上にいて、
しらーっと、人間を見下ろしていた。

可愛いポーズをしても、
目の奥が、笑っていなかった。


でも、今日のムギは、幸せそうに見えた。

草を食べ、アヤメの鉢の水を飲み、
風に吹かれながら、庭でダラダラしている。

完全に、ここんちの猫だ。
お外だけれど、ムギはここんちの子なのだ。

愛情が足りているらしく、もうわたしには乗って来なくて、
庭でダラダラしていたので、
また夜に来るね、と言って、わたしは帰った。

でも、その後、また、パパに甘えたらしいので、
今夜は会えないかもしれない。

いいよ、ムギ。
ムギが幸せなら、それでいいよ。
ママは毎晩会いたいけれど、ムギの好きにすればいいよ。


「自由」とは、何にも代えられない、最も大切なものだ。

抑圧されて生きて来ているから、
わたしには、自由の重要性が、すごくよくわかる。
何をもってしても、失いたくないのは、自由だ。

ムギには、自由が似合っている。
毎日、欠かさず、愛情は伝え続けるけれど、
陽を浴びて、風を嗅いで、
生きていてほしいと思った。

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いじらいいよ。

ちまが、腎臓病になってしまったのは、
どうしてだろう。

美味しいものをあげすぎた?
甘やかして、
わたしが食べてるチーズを横から舐めるのを許してたから?

でも、去年の数値では、先生は問題視しなかった。
今、見返してみたら、3年前から、少しずつ、
クレアチニンの数値が上がっている。

基準値内とは言え、見過ごせない数値になり、
先生が、検査を勧めてくださったのだ。
高い検査だったが、受けて本当に良かった。

ごく初期なのかと思ったら、ステージ2に入っていると言われ、
気を引き締めた。

幸い、今年4月に、猫用の腎臓病の新薬が発売になった。
とても評判がいいらしい。
高いけれど、それを使って、進行を食い止める。

試供品で、腎臓用のフードを色々いただいた。
カリカリは、どれも、難なく食べてくれた。
ちま、食いしんぼさんだが、色々あげたいと思っていたのは、
こちらの勝手な思い込みであった。

ちまは、何をあげても、喜んで食べてくれるのだ。

シチュー缶と呼ばれている、缶詰のウェットフードを出してみた。
それも、難なく食べてくれた。

一回に、缶の半分を食べるので、
明日、もう半分を出してみて、ちゃんと食べたら、
ウェットは、安いパウチのではなく、
この療養食にしたい。

値段は張るが、お金でちまの命を買えるのであれば、買いたい。
夫に、お願いをしておいた。

何を出しても、喜んで食べてくれるちまが、
なんとも、いじらしい。



夕べ、夜中、ムギはまた留守だった。
会えないのか…?と覚悟して座り、
呼んで、待っていると、数分で帰って来てくれた!
嬉しい!
ムギ、いつも通りだね。
会えて嬉しいよ。

ムギは当たり前そうにわたしに乗り、
しばらくしたら小屋に入って、ちゅーるを要求。
食べたあと、また来てくれるかな?と思ったのだが、
出て来ることはなく、げんこつを舐めたりしている。

そのうちに、かわいらしい、ねんねのポーズになった。

なので、「ムギ、ママ帰るね。」と言って、
小屋に手を入れて、ムギの頭を撫でた。

すると、ムギがわたしの手を、両手で、ハシっと挟んだ。
真剣白刃取りか!

もういい、撫でるな、ってことなんだけど、
両手でぎゅーっと、手を押し返されることはあったが、
挟まれて拒否されたのは初めてだったので、笑ってしまった。

ムギは、本当に面白い子だ。



今日は美容院でシャンプーだった。
夕べ、寝付けず、朝にセロクエルを足してようやく寝たので、
起きるのがしんどかった。

終わってから、パスタ屋さんでランチして帰って来た。
シャワーして、さて、お昼寝するかなあ~と思っていたら、
夫から、帰宅した旨、メールが入った。

お寺の行事に行っていたのだが、飲み会が無くなったらしい。

じゃあ、買って来た陶器を、一緒に開封しよう、と言ったら、
夫が部屋に来た。

一つずつ、開けて行く、楽しい作業。

買ったものすべてに、作家さんのお名刺を入れてもらったので、
夫に、どれがどなたの作品かわかるように、
記録としての写真も撮ってもらった。

わたしも自分のガラケーで、撮った。
もう、今は、デジカメを使うことはない。

棚に、飾るスペースを作っておいたので、
あ~でもない、こ~でもないと言いながら、
ディスプレーした。
何回も何回も、置き直した。
まだ、明日になったら気が変わって入れ替えるかもしれないけれど、
とりあえず、いい感じに飾れた。

息子たちが来たら、見てもらおう。



夕方、ムギに会いに行ったが、今日は路地で引っ越し作業をしており、
うるさかったので、ムギは留守だった。

その隙に、夫と一緒に、
ムギの小屋の暖房を外した。

夜中はまだちょっと寒いんだけれど、
中はドームベッドだし、
風は吹き込まないようになっているので、もう大丈夫かな。

夫が、お隣の家の塀にいるムギを見つけて、呼んでくれた。

わたしが座って、スタンバイして、わたしも呼んだ。
ムギ、うるさくて怖いのに、帰って来てくれた。

ちょうど、引っ越しのトラックが出発したので、静かになった。
ムギはわたしに乗ってゴロゴロと言った。

ムギ、いつもと同じだよ。
ムギのペースを、乱さないようにするからね。

一時間ちょっと、一緒に過ごした。



猫たちがいてくれるから、生活に彩りがあるし、
気分も安定する。

なんでも喜んで食べてくれるちま。
呼ぶと帰って来てくれるムギ。
とてもいじらしい。

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パンのみでは生きられない。

昨日は疲れて、宵の口に仮眠した。
ちまが付き合って一緒に寝てくれた。

寝ている時に、息子からメールが来た。

先日、旅行に行って、そのお土産があるので、
GW明けに、行ってもいい日って、ある?とのこと。

どうせなら、GWに来てくれたら良かったのにな。

でも、すごく嬉しくて、わたしは飛び起きて、
すぐに夫の予定を尋ねた。

夫は、土日、結構予定をびっしり入れている。
日曜日なら、こんなに空いてる日があるけど、とメールしたら、
息子は、日曜日は家事の日なので、土曜日がいいと言う。

夫が、27日なら調節できると言ってくれたので、
その日でいいですか?と息子に聞いたら、
その日は、お嫁ちゃんが会議で出勤だから駄目だとのこと。

何回も夫にメールすることになり、申し訳が無い。
結局、夫と、息子たちの空いている日は、
6月10日だった。

まだだいぶ、先だけれど、
息子たちが来てくれることは、とても嬉しい。

自分が、自分の母と会うのを拒絶しているので、
もしも、わたしが、息子に会ってもらえなくなったら、
きっと絶望して、生きていられないと思うから、
息子が、会おうとしてくれることは、本当にありがたい。

見習いたいけれど、
もう、ちょっと、無理。

あれだけ、心血を注いで書いた手紙に、
母は、自分はあくまでも悪くないと、数行で弁明してきた。

息子の気持ちを、傷つけたことを、絶対に認めない姿勢だ。
もう、許すことは、できないよ。



夕べ、夜中、ムギは留守で、呼んでも帰って来てくれなかった。

このところ、ずっと、帰って来てくれて会えていたので、
会えないとなると、気持ちが真っ青になる。

しょんぼりして部屋に戻った。
夫に、朝、ムギに会えたら様子を教えて欲しいと、
お願いして、
ちまのシッポを借りて、眠った。



疲れていたので、しっかりたっぷり眠った。
何度か目が覚めたが、まだ、眠い、と寝た。
わたしの眠りが浅くなると、ちまが期待して胸に乗るのだが、
起きられない。
結局14時半まで寝ていた。

それだって、頑張って起きた。
ちまがいなかったら、夕方まで寝てしまうところだ。

陶器をたくさん買ったので、それらを飾るスペースが必要だ。

天然石ビーズなどをもらっていただいたおかげで、
押入れにはゆとりがある。
押入れに入れられるものは入れて、
本を移動して、
飾り棚と、書棚に、スペースを作った。

それから、キッチンのシンクを磨いた。

自分の夕飯を作って、
それからムギに会いに行った。

母屋は、通りから路地を入った、行き止まりの場所なのだが、
その路地で、隣のマンションのガキどもが、
しょっちゅう、ボール遊びをしている。

ドッジボールだと思うのだが、門扉に、バンバン、ボールを当てているので、
わたしは常々、怒り心頭だった。
ムギが怖がるのだ。

今日も7~8人で、ボールをバンバン当てていたので、
我慢できずに、
「年長者はだれ。」と聞いて、
中学生くらいの男の子に、
「前も言ったけど、ボールを、門に当てないで! 公園じゃないんだよ!」と
しっかり、怒りを伝えた。

怖がってムギがいられないのが腹立たしい。

ガキどもは、また続きを始めたが、
どうしたって、ボールが門に当たるので、
やめて解散していた。
何度でも言うよ。
公園で遊べ。



ムギはやっぱり留守だった。
あの騒ぎでは、いられるわけがないよね。
でも、呼んで、30分くらい、待ってみた。
ムギは帰って来なかった。

辛いので、一旦部屋に帰った。
待っていたいのだが、あてもなく待つのは辛い。
一時間後に、また行って、また呼んで待った。
19時まで、待ったが、ムギは帰って来てくれなかった。

きっとムギは、怒っているのだ。

昨日、朝に出掛ける時には、ムギはちゃんといた。
帰って来た時も、ちゃんといた。
わたしは顔を合わせて、話しかけたが、
力尽きて、宵の口に寝てしまったので、会いに行かなかった。

きっとそれを怒っている。

夫に、悲しい気持ちをメールして、
ムギが帰って来たら、教えてくださいと頼んだ。

仕方なく、夕飯を食べた。
全然美味しくない。
ムギに会えないと、世界は灰色だ。



食後、棚の整理をしていたら、夫が電話をくれた。
ムギと顔を合わせてしまい、もう鳴いて甘えているから、
急いで来て、と教えてくれた。

上着を羽織ってすぐに降りて行った。

ムギは、車の横にいて、きゅ~んと鳴いた。
甘えた声で鳴いて、こっち向きに、乗って来てくれた。

やっと、やっと、会えた。
ムギ、会いたかったよ。
昨日、来なくてごめんね。
今日は夕方来て、ずっとムギを呼んでたんだよ、
聞こえていたでしょ?

ムギはゴロゴロと喉を鳴らした。
ムギ、もう意地張らないでね。
呼んだら、帰って来てね。
ママ、ムギに会えないと、ご飯がおいしく食べられないよ。

ムギも寂しかったね。
明日からはいつも通りにに会おうね。

ムギは、「いつもと同じ」ということに、
すごく執着する子だ。
それを大事にしたい。



おかかを食べたり、シーバを食べたりしながら、
一時間、一緒に過ごせた。
ムギから降りて、庭に行ってしまったので、帰った。

人はパンのみにて生きるにあらず。
猫も餌のみで生きるにあらず。

会えないと、本当に寂しくて絶望する。
毎日会いたい。
勝手を言っているのは承知だが、毎日会いたい。

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楽しかった~。

今日は、一年に一回だけの、レジャー。

茨城県の笠間の、「陶炎祭」に行ってきた。


昔、樹脂粘土の仕事をしている時、
笠間の陶芸美術館の併設ショップに、
オリジナルの手作り小物を置いていたので、
ゴールデンウィークのこの時期、陶芸祭をやっていることは知っていた。

夫と結婚前に、笠間に行って、
陶芸体験をした。
ろくろを使うもので、わたしは、初めてだったが、
ここぞというところは、先生が手を貸してくれるので、
なかなか、味のある、小皿が出来た。
とても楽しかった。

去年、GWに入ってから急に、夫が、
笠間に行こうかと言い出して、一日休みを取って、行ってみた。

笠間の陶芸の丘公園に、200人くらいの作家さんが、
店を出している。
すごい規模だ。
一度にたくさんの作風に触れられるので、いい刺激になるし、
夫もわたしも、陶器は大好きだ。
楽しかった。



わたしは早起きが出来ないので、夫に10時出発でお願いしたが、
夕べは、寝る前に、ムギに会えたし、
ちまが隣で寝てくれたので、
すんなり寝付けた。

それで、なぜか、朝の8時20分に、ぱっちりと目が覚めた。
こんなことはまずないので、びっくりした。

夫に、いま目が覚めたので、予定より早く出られるけれど、と
メールしたら、
じゃあそうしよう、支度できたらメールして、と返事が来た。


ちまに餌をやり、吐かないことを確認しながら、
自分も支度をした。

予定より、一時間早く、出かけることが出来た。
高速を使っても二時間かかる。

到着して、出店で、それぞれ、好きなものを買ってお昼ご飯にした。

それから、夫に地図を見てもらい、
見落としが無いよう、全店舗、回る。

全部、とは言っても、ちらっと見ただけで、
興味を持つブースと、
まったくそそられないブースがはっきり分かれるので、
しっかり見る店は、20店舗くらいではないかな。

去年は、あまりお金がなかったのに、
息子たちが、ぐい飲みを集めているので、買ってやりたくて、
それに費やしてしまい、
自分のものを買う予算がなくなってしまった。

そのあとで、すごいツボの作家さんのブースに巡り合ってしまい、
わたしが釘付けになって、動けなくなっていると、
夫が、買ってあげようと言ってくれた。

マグカップと、絵皿を買ってもらった。
すごく気に入っていて、いい場所に大事に飾っている。

だから今年は、息子には買わず、
自分のために使おうと思って、お財布に使っていい金額を入れておいた。

だから、去年気に入った作家さんのものを、買うことが出来た。
それ以外にも、いろいろ買った。

断捨離して、持ち物を減らすとか言ってるくせに、
陶器と、文具は、見境がなくなるのだ。
わかっているんだけれど、好きでたまらない。

午後、大雨になった。
雷も鳴って、ひどい天気になり、お客さんが一気に減った。

わたしたちは、一年に一回のレジャーなので、
おいそれとは帰れない。
傘をさしたり畳んだりしながら、見て回った。

わたしは、予算を使い果たした。



最後に、夫が、戻ってもう一回見たいという作家さんのブースに行った。

もう、その作家さんの作品は、食器ではなく、美術品なのだ。
たまらなく、激しく、揺すぶられるものがある。

独特の色と文様。
値段も、すごく高い。
去年も、欲しかったのだ。
でも、高価で、買えなかった。

今年は、そこで買ってしまうと、他でまったく買えなくなるので、
一回目は、我慢した。

でも、夫がやはりもう一回見たいと言うので、戻った。

うーん。
すごくいい。
めちゃくちゃ好き。
揺さぶられる。
手に入れたい。

どれもすごくいい。たまらない。

わたしが、ブツブツ、ああ、いい、すごくいい、とつぶやいてたら、
夫が、自分も買うから、一個買ってあげようと言ってくれた!

嬉しい!

わたしは、赤に金色の渦の文様のビアカップを選んだ。

わたしは、陶器は、実用目的ではなく選ぶ。
だから、モノは、何でもいいのだ。
純粋にコレクションなので、その作家さんの個性が最も強いもの、
他の物とのバランスを考えて、選ぶ。

だから、お酒を飲まないのに、ぐい飲みやビアカップを買った。

夫に、一番欲しいものを買ってもらい、
すごい嬉しかった。
一番いい場所に飾る!

8000円だったが、桐箱なしでいいなら7000円でと言ってもらった。

お客さんがすっかりいなくなってしまい、
雨に濡れたし、気温が急に下がったので、寒がっていたら、
その作家さんの奥さんが温かいお茶を入れて下さった。
柏餅もいただいてしまった。

作品について、色々お話を伺えた。



帰りに、わたしは、どうしてもどうしてもラーメンが食べたいと、
夫にワガママを言った。

高速のサービスエリアで、醤油ラーメンを食べた。
美味しかった。

夜食のパンを買って、帰った。

朝の8時台から動いているので、わたしはもう、こと切れる寸前。
買ったものを、楽しく開封して写真を撮ってということは、
やれそうになかったので、
次に夫とゆっくりできる日に、一緒に開封することにした。

開封する楽しみは、後日に取っておいて、
帰宅して、ちまの世話をして、
とにかく仮眠した。
ちまが、一緒に寝てくれる。
いつも、お昼寝や仮眠の時は、付き合ってくれるよ。

ムギのことは夫に頼んだ。
ムギ、可愛い声で夫に甘えていたのが聞こえた。

このあと、夜中に会いに行く。
会えるかな?
最近は、ずっと、呼ぶと帰って来てくれている。
すごくいじらしくて可愛い。


本当に楽しい一日だった。

来年、買いたいものはもう決めている。
断捨離、しなくては。

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いつもと同じがいい。

夕べ、寝る前にムギのところに行った。
留守だったが、呼んだらすぐに走って帰って来て、
わたしが座るのを待っていた。

すぐに乗って来て甘えた。
夕方、ちょっと会っただけだから、寂しかったよね。

あちこちに目をこらし、耳を傾け、
警戒していたが、大丈夫とわかると、
ムギはわたしの脚の上で、眠ってしまった。

そんなムギを、降ろせない。
動かないようにじっと気をつけた。

でも、3時半になってしまったので、ちょっと動き、
ムギが目を覚まして伸びをしたので、ママ帰るね、と言ったら、
納得して、降りて小屋に入った。



夫が、ムギに甘えてもらえず、すねている。
「キミが夕方コンタクトしてしまうと、ムギはもう会ってくれない」とか、
「ムギはもう僕から離れました。」とか、メールしてくるので、
ならば、土日祭日は、わたしが行かないで、
夫がゆっくり会えばいいと思い、そのようにメールしておいた。

でも、ムギにはムギの気持ちがあるから、
どうにもならない。

今日は、夕方、行かないで我慢したのに、
結局、「いつもどおりにしてくれ。」と夫に言われて、
わたしも、ムギも、寂しい思いをしただけの結果になった。

このあと、会いに行くけれども、会える保証はいつだって無い。
一回一回を大事にしたいので、
もう、今後は、毎日わたしは夕方と夜中に行く。

そのほうがムギだって安定するだろう。

せっかく築き上げて来た信頼を、失うのは嫌だ。



昨日は、午前中から動いたので、
午後、ちまとお昼寝をしたのだが、
いつもの過ごし方じゃないと、体が、着いてこない。

夕べ、ムギが寝てしまったので、3時半まで乗せていた。
なので、わたしが寝たのは4時半くらいだろう。

アラームをかけないで、寝たいだけ寝た。

でも、調子が悪くて、まだ眠くて仕方がない。
ここで寝てしまうと、夜、眠れなくなるので、必死に耐えた。

ちょうど夫が来て、パソコンのことを教わったので、
寝ないで済んだ。

でも、教わったが、全然理解できず、言われた方法では何もやれなかった。

夫は、いつも不機嫌で怖いので、
もう聞かない。
このままでいい。



親の顔色ばかり見て育ち、
結婚したら夫の不機嫌に振り回され、
アパートでの、この暮らしがなかったら、
わたしは入院するしかないだろう。

メル友さんからメールが来て、
伽羅姉は、日ごろ、寂しくないの?と質問された。

わたしは、まったく、寂しくない。
本当に、心から、寂しくないのだ。

それは、もちろん、ちまがいる前提だけれどね。
ちまがいなければ、もう人生が終わりでいい。

やりたいことは色々あるし、
テレビを見られるようになったし、本も読めるようになったので、
毎日、全然、時間が足りない。

ムギが入院していて、面会に二時間費やしていた頃、
母屋の夕食を二品、作っていた時期がある。
いったいどうやって時間と気力を捻出していたのかが、
全く、思い出せない。
すごく無理をしてしまったと思う。

その時に増えた薬が、今もまだ、減らせていない。
むしろ、頓服としてセロクエルを飲む頻度は増しており、
悪化してしまったとわかる。



静かに穏やかに、ひっそり生きて行ければいい。
全然、寂しくない。
ちまとムギに時間を使いたい。

旅行とか、行きたくない。
いつもいつも、同じ暮らしでいい。

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