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終え方のさまざま。

わたしは、自分の人生は、
すでに最終ステージだと思っている。

このあと、何か激変することはないと思うし、
あってほしくない。
このまま、この部屋で、静かに生きていたいだけである。

死ぬときには、無駄な延命治療をしなくていいし、
何なら、別に一人で死んでしまって、
後日発見されても、
それを「孤独死」だとはとらえない。

むしろ、わたしの存在にとらわれず、
息子夫婦には、自分たちの人生を楽しんでもらいたい。

お正月に、息子にそんな話をしていたら、
母が、「なんでそんな寂しい話すんの!」と怒った。

へ?
寂しいって、何が?
「死」は、誰にでも必ず訪れる、唯一平等なものだよ?
それを語ることが、なぜ寂しいの?

母はもう、80歳を過ぎているが、自分の死にざまに、
不安を抱えている。
とんでもなく田舎で、徒歩圏内に商店はなく、
父が車に乗らなくなったら、食料の調達も難しいような、
土地柄だからというのもある。

隣町にはスーパーがあるが、駅まで20分歩き、
一時間に一本の電車に乗り、
隣の駅からスーパーまで歩き、
重たい荷物を下げて帰って来るのは、多分不可能だ。

ネット環境もないので、通販や宅配も不可能。

そんな親を、いったいどうしたらいいのか、
わたしは、何の案もない。

生きてくことが困難なのはわかるんだけど、
80歳を過ぎて、尚、死ぬ話がタブーって、どうなのよ。

実家は、物であふれかえっている。
収納場所が随所にあり、多分、本人たちももう、把握しておらず、
二階の、ハイハイしなければ入れない屋根裏収納など、
詰め込んだままで、どうしようもない状態だろう。

体が動くうちに、ちょっと整理して減らしてほしいと願ったら、
そんなことしてると、悲しくなるのよ、と言われた。

大量の物品を残される身にもなって欲しい。




年賀状だけの付き合いの人がいるが、
それもわたしは、縮小して、今は20人くらいしかいない。

わたしより年上で、定年を迎えたのに、
まだまだひと花咲かせます、って書いてあるパワフルな人もいれば、
同い年で、もう、老後に目を向けている人もいて、
人生の終焉って、さまざまだなあと思う。

わたしは、好きなものには囲まれていたいが、
全体としては、縮小に入る。




カラオケの番組が好きで、いつも見ているけれど、
若い人で、歌手や、ミュージカル俳優を目指している人も出ている。

とてもうらやましいことだね。

夢は、あったほうがいい。
叶えられなくても、努力してみることはいい。
夢がないより、ずっと豊かな人生になると思う。

親が、その夢を後押ししてくれるなんて最高に幸せだし、
トライできるって、素晴らしい。

就きたい職業に就ける人なんて、1%しかいない。
でも、「天職」と「適職」は、また違う。

わたしは、否定され、けなされて育って来たので、
仕事で結果を出すしか、自分を肯定する要素がなかった。

だから、どんな職場でも、精一杯働いた。
結果は残せたと思っている。




わたしが中学生の頃は、なりたい職業がいっぱいあった。
やりたいことは、すべて、「職業」だった。

専業主婦になれるとも思っていなかったし、
自分が母親になるなんて、考えたこともなかった。

高校に入ったころには、はっきり、
「テキスタイルデザイナー」になりたい、という夢があった。
デザインが好きだが、自分が立体には向いていないことがわかっていた。
ある面積のデザインを起こし、
それをつなげていくことによって、壮大な文様になる、
服地や、壁紙や、タイルのデザイナーになりたかった。

本当にピンポイントの、夢だったのだ。

周りの友達は、全員が大学に進学する子だったので、
どの大学に入るのかが、至近の夢だった。

けれど、わたしは、大学には行かせてもらえないと、
最初から決まっていた。
そんな子は、その進学校には、一人もいなかった。

だから、テキスタイルデザインなんて言葉を知ってる人もおらず、
わたしはわたしで、みんなは何を目指して大学に行くのか、
不思議だった。

ただ、たった17歳で、
自分の職業を決めなくてはならなかったわたしに対して、
みんなには、4年間という、猶予期間がある。
その間に、好きなことに出会えるかもしれない可能性がある。

その猶予が、うらやましかった。




デザインなんてものに知識がなく、
専門学校に行かせてくれという願いは親に却下され、
わたしは、せめて、クリエイティブな仕事がしたいと思い、
印刷会社に入った。

同級生たちは、みんな、親のお金で大学に行き、
親のお金で、旅行に行っていた。

わたしは、自分のお給料で、車の免許を取り、
自分の貯金で車を買い、
友達に会えば、
「わたしは働いてるから。」と、ご飯をおごった。

彼女たちのほうが、よっぽどリッチだったのに、
わたしには、意地があったのだ。



夢を叶えることなく、結婚して、すぐに息子が生まれ、
東京に来た。

でも、デザイン事務所で働くチャンスを経て、
自分もクラフトの仕事をした。

それで食べていけないなら、
仕事ではなく、趣味にすぎない、と悪口を言われたが、
わたしは、色彩感覚が優れており、デザインも無尽蔵に湧いた。

でも、食べて行けなくて、
常に、バイトしながらの暮らし。
昼も夜も働いていた。

最後、ボロボロになりながら、本を一冊出して、
わたしは、病に倒れた。



だからもう、いいんだ。
充分、頑張った。
もう、今更、親にけなされることもないし、
可愛い息子は、いい子と結婚できて、幸せになった。

良かったと思ってる。

付き合っている、ごく少ない友人を大切にして、
ささやかに生きてくことが、幸せなんだよ。
願いはそれだけ。

                                               伽羅moon3

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