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貧乏料理。

味覚の違いや、
食文化の違いを、
受け入れることは、しんどいことだ。

育った環境にもよるし、
もともとの味の好みだって違って当然。

夫の父親は、
優秀な料理人だった人だ。

だから、美味しいものをちゃんと知っている家族だし、
盛り付けも、一人前ずつ美しい。
何かが大量に盛られているということはなく、
ご飯のおかわりもない。

わたしは、すごく貧乏な家庭で育った。

更に、父が三交替勤務で、
朝に帰ってきたり、午後から出かけたりと、
揃って夕飯を楽しく迎えられることが少ない。

盆も正月も日曜も関係ない。

母もなんらかの形で働いていた。
だから、母が出す野菜料理は、
ほとんどが、切っただけとか、茹でただけのもの。

カレーも、登場したことはない。
これは、手間をかけてカレーを作っても、
それは、「酒の肴」にはならないためだ。

メニューは、必ず飲酒をする父に合わせてあり、
朝に味噌汁があったこともないし、
夕飯がカレーやオムライスだったことも皆無。

牛肉だって、
大人になるまで、年に一回位しか、食べさせてもらえなかった。

ピザやグラタンを食べさせてもらえたのは、
近所の親しいお家のオジサンが、
自分の子供と一緒にわたしを連れて行ってくれたからだ。



結婚して、兼業農家の家に嫁いだ。
野菜を買うことは絶対に禁止。
畑で取れたもののみ、使う。
夏になると、毎日、ナスが、
数十本単位で運ばれてくる。
ナス恐怖症になった。

親から渡されるのは、一ヶ月で2万円。
5人家族の食事を、これでまかなう。
もちろん、当時の夫の給料からかなり持ち出し。

安月給なのに、前夫はビールを飲み、
タバコを吸い、
パチンコにも行った。

たまに肉を買って焼くと、姑に、贅沢だと言われる。
お腹に息子がいたので、
わたしはたんぱく質を採らなくてはならない。

なので、誰も居ないときにこっそり、
お肉を焼いて食べた。

東京に転勤になり、
義家族とのストレスからは開放されたが、
手取りがたった11万の給料で、
そこから前夫は、昼食代・タバコ代・飲み会代として、
4万円持って行く。

残った7万で、ビールも粉ミルクも、買わなくてはならない。
もちろん、電気代・水道代・ガス代・新聞代がかかる。

紙おむつを買うゆとりなんて全くなかった。
果物を買うお金も無かった。

必死に安い材料で手作り。
いかに、安いもので、料理を膨らますことが出来るかが課題だった。
前夫はものすごい大食漢でいやしかった。
たまに外食に行きたいが、
一人分では足りないし、ビールも飲むというので、
ビールなんて、帰ってから飲めば安いでしょ!と
喧嘩になる。

息子はどんどん大きくなって服も要るし、
ブドウを指さして、買ってくれと大泣きした。
出始めの、800円もするデラウェアを、買えるわけがない。
800円あれば、3人が二日間暮らせる。

息子には責任がないのに、
随分、貧しい食生活を強いて、
申し訳なかった。

わたしが再婚してから、息子と会うたびに、
デパ地下で、牛肉や、マグロや、旬の果物を、
いつも買ってあげた。
貧乏、ごめんね、と言うと、
「役に立ってるよ。」と言って許してくれた。


再婚して、わたしは、、家族の料理というプレッシャーに負けて、
明日はわたしがやらなければと思うだけで、
寝込んだ。

いきなり6人分を、作ることは難しいし、
「味の好み」という、難関があった。

わたしの煮物を食べて、
夫と長女が、
「これがもう少し薄味なら、うちの食卓でも大丈夫だね。」
と話し合ったと、夫に聞かされた。

いきなりのダメ出しだった。

食材も、ビックリするような高価なものが出てきた。

霜降り牛肉でのしゃぶしゃぶ。
真鯛の塩焼き。
大きなエビの天ぷら。

わたしが知っている家庭で、取り扱ったことない食材ばかりだ。
夫の家庭は、窮したことがない家だった。
食費をケチる必要性が、まったくなかったのだ。

しかも亡くなったお父さんは料理人。
ハードルが高すぎる。

それでわたしは、作らなければならないときは、
前日に寝込んでしまうようになり、
お姑さんが作ってくれた夕飯をいただくだけの、
不要な生き物に成り下がった。


お姑さんの体調や、認知の具合が悪くなり、
作る料理が、
めちゃ塩辛いか、味がないかの、どっちかなんだよ、
しかもかなりの高確率で、「カレー味炒め」が出るんだよ、
と、夫から聞いていた。

それで、お姑さんが、入院した時に、
これはもう、そろそろ自分がやるべきなんじゃ?と
勝手に思った。

それで、頼まれてもいないのに、
勝手に始めた。

味が濃いといわれたので、
自分が美味しいなと思った味より、薄めて作っていた。
ある種のトラウマだ。

誰に感謝されるでもなく、
頼まれてもいないのに、
ムギが入院している最中も、
毎日二時間、面会に行きながら、
二品、料理を作っていた。

どうやっていたんだろう?
いつ、作っていたんだろう?

単身者用の小さい冷蔵庫で、
5人分の食材を、どう管理していたんだろう?

今はもう、もやがかかったように、思い出せないのだ。

少しでも安く仕上げるために(そんな必要なかったのに)
混んでいてごちゃごちゃしている、苦手なスーパーにも行っていた。

貧乏なわたしが作るので、
食費は、かなり低くなったとは言われたが、
褒められるでもなく、
喜ばれることもなく、
とうとう、
実は口に合わなかったと告白されて、
もう、笑えてしまう。

バカみたいだったね。


去年は、わたしはずっとずっと体調不良で、
夏に胆石が詰まって入院してからは、
夕飯を作ってあげてない。

自分の、丸5日間の絶食が、壮絶で、
戻ってきてからは、ひたすら、
「汁」を作って食べていた。

胆のうを摘出し、
胆管の管も抜去して、
ようやく普通の身体になれたが、
今も、すい臓がしくしく痛む。

これは、火曜日に、手術をしてくれた主治医に、
診察してもらって調べる。

段々と、自分のために料理するようになってきた。
今年に入っては、
豚汁をいっぱい作って、5日間くらい食べる。
何か、たんぱく質と、青物野菜を添える。

納得のいく、満足な食事だ。

今日はとうとう、自分のために、カレーを作った。
自分好みのカレー。
夫の家族は辛いのが好きなので、わたしのカレーは口に合わず、
朝ごはんでよくレトルトカレーを食べるので、
カレーを作るのは禁止だったため、
わたしは何年も作らず、
自分もレトルトカレーしか食べてなかった。


食を大事にするということは、
生きることを大事にするということだ。

手作りご飯の持つパワーはすごいと思う。
毎日、食事を作っている人は、
働きに行っている人と同等に偉い。

健康のためにバランス考え、
家計を考えて安いものを工夫して、
毎日料理をする。
これはとても大きな仕事だと思う。

メニューを考えながら、食材を買うところから、
料理はスタートしている。
本当に大変な労力だと思う。


昨日、ムギが、「ママ~。」と呼んだ。
はっきり、そう聞こえた。
会いに行って、小屋に居なかったので、
「ムギ!」と呼んだら、車の下にいて、
返事をして出てきたあと、
「ママ~!」と呼んだのだ。

本当は、もっと喋れるんじゃないの~?
猫のフリしてるだけなんじゃないの~?

ちまも、「マ・マ~。」と言うことがあるよ。
猫は、たまらないね。
可愛すぎる。

                                            伽羅moon3




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