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二重に傷付く。

わたしの母は、
わかりやすく言うと、
怪我をして傷心で帰宅した娘を、
不注意だと言ってひっぱたくような、人である。

そんなひどい人なのに、
誰もその実態を知らない。
よそ様の前では、親切で頼れる、「いい人」なのだ。

そしてそれを、恥ずかしくもなく、
「いい人やなあって言われてね、」と、自慢するような人だ。

この人は、おかしいと思う。


小学生の時、
学校で、理不尽な扱いをうけて、
何の罪も犯していないのに、
怒られたり、立たされたり、していた。

それはわたしが、学級委員だったから。

要は、「見せしめ」である。

学級委員をやっているような女の子が、
廊下に立たされている。
他のクラスから、ワイワイと見に来る。

でも、わたし自身は、何も罪を犯していない。

あんな辛いことはなかった。

そして、その翌日に、家庭訪問がある。
なので、どうせばれてしまうと思って、
わたしは親に、話さざるを得ない。

傷付いている自分。
そして、わたしをののしる母親。

言うも地獄、
言わないも地獄だった。

給食を吐いていたのは、この時期だ。


父はかつては、ヘビースモーカーだった。
わたしが高校一年の時の、父の誕生日に、
母からお金を渡されて、
駅の売店で、洋モクをカートンで買ってくるように言われた。

わたしは電車通学をしていたので、
帰りに、駅の売店に立ち寄り、
「ケントを1カートンください。」と言った。

すると、販売員の若い女の子が、隣の子とひそひそと話し、
「学生さんには売れません。」と言った。

わたしは、当然高校の制服を着ている。

ガーンとなった。
ショックだった。
わたしは、その街ではトップクラスの、優秀な学校に行っていた。
販売員の子は、多分同世代で、
中学を卒業して働いていると見えた。

この高校の制服を着て、
自分が喫煙するために、
わざわざ、売店で、1カートン、買うわけがないだろう!

「父の誕生日で、頼まれたんです。」
わたしはそう言ってみた。

しかし、それは無視された。

屈辱的だった。

これ以上はどうしようもないので、
わたしは帰りの電車に乗った。
悔しくて、情けなくて、傷付いて、
わたしはボロボロと泣いた。

家に帰ると、母が先に帰宅していて、
わたしに背をむけて、台所にいた。

タバコ、高校生には売れないって言われた。
わたしがそう告げると、
母は、振り向きもせずに、
「なんや!」と、怒鳴った。

「そうやったら、姉ちゃんに頼めばよかったわ!」
そう、吐き捨てた。

姉ちゃんとは、親しくしているお宅のお姉さんのこと。
お姉さんは二十歳になっていた。

わたしが、傷付いていることになど、
全く考えも及ばない。
そんなことは眼中にない。
言ったとおりのお使いをやれなかった娘に、
「なんや!」と、怒鳴る人なのだ。

二重にも三重にも傷付き、
わたしは部屋にこもって、声を殺して、泣いた。


働き出してから、自分の貯めたお金で、
夜間の自動車教習に行き、免許を取り、
自分のお金で、中古車を買った。

ある時、不注意で、前に停車していた車に、
ぶつかってしまった。

それは、ものすごくショックなことだ。

幸い、軽くあたっただけだったので、怪我もなく、
自分の車がちょっとへこんだ。

でも、話し合いとかで時間がかかり、
いつも帰る時間より大幅に遅くなった。

わたしは母に電話をした。
ちょっと事故っちゃって、と言った途端、
母は、電話口で、
「何やっとんの!」と、怒鳴った。

わたしは、言葉を失った。

こんなに傷付いているのに、
誰一人、守ってくれない。
誰一人、同調してくれない。


息子が生まれて、その愛おしさにビックリしていた当時、
自分の母の仕打ちが、
あまりにも、ひどくないか?と
どんどん疑惑が湧いてきた。

もし、わたしに、息子から電話が入り、
事故っちゃった、と聞いたら、
わたしは何よりもまず、
息子の無事を確認するだろう。

怪我をしたのか、怪我をしたならどの程度なのか、
今、どこにいるのか、
相手の人はどうだったか、など、
まず、最初に、気にするべきことは、こっちだろう?

わたしは、怪我したかなんて聞いてももらえず、
「何やっとんの!」と怒鳴られ、
傷口に、塩ならまだしも、唐辛子を塗りこめられ、
ずたずたの状態で帰った。


誰にでも、そういう態度をする人であるなら、
文句はない。
そういう人なんだな~って諦めがつく。

けれど、他人様にはどうやら優しくしてあげてるらしく、
「優しいねえって言われるのー。」
「いい人やねえって言われてるの。」
「これこれこうで、いつも感謝されてるの~。」
と、わたしに大自慢大会。

それを、わたしは何年も必死に聞いていて、
ついには、お正月のたびに、
吐いたり、下したりするようになってしまった。

もちろん、アルコールなんて、チューハイ1本くらいのことだ。
酔うわけがない。
ん~なんか、変だな、と思ってトイレに行くと、
苦しくもなく、だーって吐いてしまうのだ。

あれは、拒絶反応だったのだ。


わたしは、相手の気持ちを、二重に傷つけることは、
するまいと思って生きてきた。

もちろん、いっぱい失敗はしている。
人間関係を、うまく構築できない性格なのだ。

失敗はしてきたけれど、
それなりに、息子の心を守る必死さは、
ずっと持っていた。

出来ないこと、苦手なことを責めない。
容姿をからかわない。
ひどい言葉を使わない。

これらは、わたしがずっと、親にされ続けて来たことだ。

わたしは、自転車に乗ることも出来ず、
泳ぐことも出来ず、
走れば遅くて、背も低く、
そんなわたしを、両親は、家で、
「ビリ、」と呼んでいた。

別称として、ビリ、と呼ばれていたのだ。

あんたは、脚が遅くて、いつもビリやから、
写真撮りやすいわ~、と言われていた。

絵も下手で、工作においてはひどいもので、
「あんたのは、わかりやすいわ、一番ヘタなんを見つけたらいいんや。」
と言われた。

自覚もあったので、反論することもできなかった。

隠れ蓑になってくれる姉もおらず、
理不尽さを分かち合える弟もおらず、
たった一人の同士だったゴンは、3年で死んでしまい、
わたしは、ひたすら、孤独で、
いいはけ口として、利用されていたのだ。


ムギの今回のワクチン、
最も重要視したのは、
「いかにムギの心に傷を付けないか。」ということだった。

去年はこちらが未熟すぎて、
ムギを傷つけてしまい。
ムギは、怒って、何ヶ月もわたしを避け続けた。

これはムギが悪いんじゃない。
ムギの気持ちを考えず、
人間の都合だけで行動してしまった、こちらが悪かった。

だから、今年は、絶対にそれを避けたかった。

一ヶ月前から、夫と相談し、
方針を決め、
病院の担当のドクターにも相談して予約した。

夫とは、何度もシミュレーションを重ねた。

退院して、その日の夜中には、
ムギはもう、わたしに乗ってくれた。

病院は辛かったし怖かった。
でも、ママが悪いんじゃないと、わかってくれたのだ。

作戦は、成功した。

ムギは、その後も、恐怖心と闘いながら、
必死に、克服して、
甘えてくれるようになった。

今日も一時間半、一緒に過ごせた。

相手の気持ちを、軽んじてはいけない。
それが、猫でも犬でも。
彼らには、彼らの気持ちがちゃんとあるのだ。


親が、自分の子供を守れず、
それどころか、二重に傷つけるだなんてこと、
絶対にしてはならない。

傷付いて帰って来たら、
抱きしめて、
一緒に泣いてやれる親でないと、
家庭は安全に機能しない。

逃げ込める場所がないと、人はダメになる。
わたしのようになってしまう。

社会的に、母がどんなに立派かは知らないが、
母親としては、
いけない人であった。

残念に思う。

                                            伽羅moon3




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