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気持ちが豊かになる暮らし。

わたしには、毎日メールをする人が2人いる。

相手からは、来たり来なかったりだが、
わたしが自由にメールさせてもらえているので、
すごく精神的に救われる。

彼女たちも「妻」という立場なので、
ちゃんと料理を頑張っているのだが、
二人とも、うつ病仲間なのだ。

二人とも、子供はいなくて、
家にはそれぞれ、猫と犬がいる。

働くことこそ適わないけれど、
きちんと家事をやっている。
調子が悪くても、頑張っている。

偉いなあって、いつも感心している。

掃除や洗濯も大変だが、
やっぱり、食事作りは、一番大切だと思う。

旦那さまの好みを把握し、
食材を上手に買ってストックし、
リクエストに答えられるような準備をしてあるのだ。

すごいと思う。
「あったかいおうどん。」と一言言って、
味つきのお肉と、新鮮な野菜が入った肉うどんが出て来るなんて、
なんて幸せな旦那様なんだろう!

そんな奥さんが、欲しいよ。

彼女たちとは、今日何を作ったとか、
何を食べたとかいう話題が必ず出て来る。
たまに、写真も来る。

すると、いわゆる、「飯テロ」をされて、
どうしても、どうしても、
それが食べたくなってしまうのだ。

ちょっと前までは、そうは思っても、
作る気力が無く、体調も思わしくないので、
テロされて終わりだったが、
今年に入り、調子がいいときに、豚汁を作って食べた。
寸胴で作ったから、毎日丼一杯食べても、
五日間あった。

でも、それに、ほうれん草のおひたしを添えたり、
焼いたお餅を入れたりした。
卵焼きも、飯テロされて、何年ぶりかで作ったりして、
すごく、心が豊かになった。

それで土曜日には、とうとう自分のためだけに、
カレーを作ったのだ。

好きなルーで、好きな具材で、
隠し味にお醤油を少し入れて、
甘めの福神漬けも添えた。

すごくすごく、満足だ。

食べることって、重要だね。
日々の元気の元になるし、
人生の彩りだと思う。

彼女たちは、旦那様のために、よく頑張っている。
働いていることと同等か、それ以上に、
有意義で大切な役割を担っている。

わたしも、自分の生活を豊かに保つために、
なるべく自分で作ろうと思う。

部屋の掃除も、溜めないで、ちょこちょこ、ささっとやろう。


今日は、夫とドンキホーテに買い物に行った。
ムギの「ちゅーる」と、身体を拭くウェットシートが欲しかった。
わたしが徒歩で行ける店には、
ムギが一番くいついた「海鮮ホタテ味」が売ってないからだ。

わたしが使っていた、
大きな中華炒め鍋も、コーティングがはがれて、
めちゃ焦げるようになったので、
買い換えた。

サイズダウンして、
ガスコンロ専用のを選んだら、
軽くて安いのが売っていた。
これで充分だ。

帰って来て、買ってきたものを仕分けして、
キッチンマットの掃除をしていたら、
夫からメールが来た。
ムギ、待ってるみたいだよって。

それで、明るいうちに、会いに行った。

待っていてくれて、わたしが座るより早く出て来ちゃって、
コンクリの上でローリングして喜んでくれた。

身体を拭いて、
お尻のチエックをして、
ブラッシングして、
ふんわり毛布をかける。

元気そうで、毛並みはツヤツヤだ。

ムギは、何かを欲しがるでもなく、ただ、乗っている。
途中、体勢を変えてこっち向きになり、
アゴの下にあるわたしの手を、
あぐ~と甘噛みしてみたり、舐めてみたりした。

余りにも何も欲しがらないので、
「ムギ、おかか食べる?」と聞いたら、
ふうぅん、と言って降りた。

食べたいし、乗っていたいのだ。

食べてからまた、お尻をこちらに向けて乗った。



ちまがまだ、子猫だったころ、
わたしがトイレに入ると、
必ず付いてきて、ジャンプして膝に乗り、
喋ったり歌ったりしてやると、
喜んで、20分でも30分でも、乗っていたものだ。

オバチャン猫になって、もう、トイレに見に来ても、
見ただけで帰ってしまう。

でも、一人用ソファを買ってからは、
ここにわたしが座っている時は、
基本的に、リラックスしていると知ったようで、
ソファに居る時には、ジャンプして乗って来る。

ソファ、買って良かったな。
ちまが更に可愛い。

ムギも喜ぶかと思って、
ムギを脚に乗せてる時に、
小さい声で、ムギちゃんの歌(替え歌・即興)を歌ってやったら、
ムギがびびって、ドン引きした。

あはは。そうか、怖かった?
ママ、イカレちゃったと思ったみたいだったので、
やめておいた。

息子が小さい頃、
「おかあさんといっしょ。」と、
「みんなのうた」と、
「ひらけポンキッキ!」の歌の本を買って、
いっぱい、歌ってあげた。

わたしは多分、毎日歌っていたのではないかな?

新幹線にも酔ってしまい、絵本を見ることが出来なかったので、
膝に抱いて、耳元で、小さく、
歌を歌って過ごした。

お盆の時期などは、
他の席にいたよその子供たちが、
わらわら集まって来てしまったこともあった。

ビデオなどを買ってやれる余裕がなかったので、
息子が本のページをめくり、
その歌をわたしが歌う毎日だった。

わたしが聴いていた音楽を息子も好きになり、
「クイーン」などは、
息子は働き出してから、CDを大人買いしていたものだ。


料理も音楽も、
豊かな暮らしには必須。

貧しかったゆえに、共有できたことも、あったかもしれない。

ちまにはまた、歌ってあげよう。

                                           伽羅moon3




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