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意義なんてない。

わたしは、胆のうの件で入院してから、
その後、
生きる気力を失っている。

体の傷は回復していくのに、
気持ちが、全く回復していかない。

それが不思議で仕方がなかった。

カウンセラーさんや、精神科の主治医に話しても、
心の回復にはしばらく時間がかかるから、
仕方がない、
焦らないように、と言われるだけ。

なぜ、回復することなく、
ずっと、死ぬときのことばかり考えているのかが、
わからないままだった。

帰省の新幹線で、息子に、
わたしが死ぬときはこうして欲しい、と伝えたら、
息子は、押し黙ってしまった。

受け止められない様子だった。

祖父母がまだ生きている今の状況で、
母親の死に際の話をされても、困ったのだろう。

孤独死が不幸だとは思わないから、
わたしに構わず、二人で幸せに暮らすんだよ、と言っても、
息子は黙ったままだった。

積極的に死にたいわけではない。
死んでしまうかも、という状況でもない。

ただ、何のために生きてるのか、
わたしが生きている意義がどこにあるのかが、
見えない。

もちろん、今までの経験値で、
何事もないように、表面をとりつくろって、
普通そうに生きていくことは可能だ。

でも、それは本当はしんどい。

それを塗り重ねて、うつ病を発症してしまったのだから、
ヨロイは脱ぎ捨てるべきなのだが、
ヨロイを着ていないと、攻撃してくる人が傍にいるから、
武装するか、
接点を減らすか、
どちらかしかない。

相手が変わらないのと同じように、
自分もまた、変わることができていない。
強くなれない。
聞き流せない。

いろんなところに、突っかかって、
よろよろと生きている。

でも、それって、実は、自業自得なのだ。


お正月3日の日に、幼なじみのしーちゃんと会った。

短い時間だったが、会えて良かった。

彼女と話しているときに、
わたしは、はっきりと、気がついたことがある。

なぜここまで、生に対して無気力になり、
頑張れなくなったかが、
わかった。

胆のうを摘出する入院の前に、
念押しのつもりで、病室は個室にしたいと夫に確認した。

それ以前に頼んだ時は、
共済からの払い戻し金を全部渡してくれるなら、いいですよ、
と、返信をもらっていたので、
単なる確認のつもりだった。

ところが、そこで夫に、
「18,000円もするんだよ?」と言われたのだ。

もちろん、知っている。

そこで色々食い違いが出て来て、
夫は、「ガンでもないのに。死ぬわけでもないのに。」
と、言ったのだ。

そう。
先妻さんは、死んでしまったが、
わたしは、その時点ではガンとは言われていなかったし、
死ぬ可能性も、ゼロに等しかった。
だから、そう言われた。

前回、卵巣のときは、4人部屋だったじゃないか、とも言われた。

そうだよ。
経験したよ。
だから、辛さ・苦しさを知っていて、
だから個室を取りたいってお願いしてるんじゃないか。


夫はそのとき、わたしの精神より、
目先のお金を大事にした。

そうなのか。
ならば、その、お金とやらと一緒に生きていけばいい。
お金とやらに、死に際を見てもらえばいい。
必要なのは、わたしの精神ではないってことだ。

お金があってこその、今の暮らしなのだから、
とても大切だし、
わたしだってそのおかげで生きさせてもらえている。

けれど、この出来事は、
わたしの人生を大きく変えた。

夫は、わたしが、手術を受ける病院に初診で行った日に、
「個室も可ですよ。」とメールをくれた。

共済から降りたお金も、受け取ろうとはせず、
貯金しておけばいいと言ってくれた。

でも、もう、事実は翻らない。
残念だった。


しーちゃんの旦那さまは、
夫と真逆な人である。

しーちゃんは、数回、入院やら手術をしているが、
いずれの時も、
「大変なんだから、個室を取りなさいよ。」と言ってくれている。

一泊しなくても帰れるかもしれない、
大腸のカメラの時でさえ、
「個室にしなさいよ。」と言ってくれたそうだ。

しーちゃんの具合が悪いと、心配なあまり、
そばに付いているらしい。

いやいや、一人で寝かしてくれよ、と思うこともあるそうだ。

しかし、これは、しーちゃんが偉いからだ。
彼女が、結婚してから、どんなに頑張ってやってきたかを、
旦那さまがちゃんと見て知っているからだ。

つまり、旦那さまの理解があるのだが、
それはもともと、しーちゃんがしっかり頑張って来たからこそ、
なのだ。

それに引き換え、
わたしは、何も頑張れていない。
誰かのために何かをしてあげていない。

働いてもおらず、家事も、夕飯をしばらく作っていただけで、
他には何もしてあげてない。
お誕生日プレゼントも、
結婚前からずーっと子供たちにあげてきたが、
それもやめた。

役に立っていないし、信頼もされていないし、
そもそも、必要でもない。

だから、仕方がないのだ。
これは自業自得。

わたしが家族の中心にいるような、頑張っている人間だだったら、
ガンでもないくせに、だなんて、
言われずに済んだだろう。

自分が頑張れていないから、
こういう事態を、自ら招いているだけのことだ。

だから、恨んではいけない。
仕方がない。
自己責任。


ただ、生きる気力を失うほどの、大事件だったのだと、
理解することが出来た。
今まで、何で頑張れないんだろう?と自分を責めていたが、
理由がわかっただけでも、よしとする。

頑張った人にはご褒美があるし、
頑張ってない人は、大事にされない。
これも仕方がない。

でも、ねこたちには、わたしが必要だし、
息子たちの幸せを、見ていたいから、
もうしばらく、生きててもいいかなって、思えるようになった。

死ぬときのことは、息子に頼んだから、
今後はもう、余生だ。

摩擦を減らして生きていく。
そこに意義があるのかなんて考えない。
意義なんてどうせない。


今夜は、リウマチの注射の日。

自分で消毒をして、注射を打つ。
何故だかわからないけれど、そのときだけ、
ものすごい孤独感に襲われるのだ。
とても辛い。

リウマチ内科の先生に、それを話して、
だから、術後の注射の再開が遅くなった、と伝えたら、
「ご自分で打つのが辛かったら、二週間ごとに来院しますか?」
と聞いてくださった。

いや、難しい作業ではないので、やれるんだけれど、
夜中に、一人、お腹を出して注射してるとき、
ひどく悲しいだけ。
何故だろう。

                                           伽羅moon3




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