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悲しみのドライヤー。

少し前、タレントでアナウンサーの高橋真麻さんの話に、
共通することがあって、深く共感した。

彼女は俳優の高橋英樹さんの一人娘だ。

話によると、ご両親はとても仲が良く、
道を歩くときは、真麻さんを真ん中にして手を繋ぎ、
3人で並んで歩いたそうだ。

けれど、道幅が細くなると、
二人は真麻さんの手を離し、
夫婦で手を繋いで、真麻さんを、
一人で歩かせたそうだ。

姉妹の居ない真麻さんは、それが寂しかったと
本音を洩らしていた。

そのことが、まったく同じで、共感したのだ。

わたしも、一人にされてしまう子供だった。

一人っ子だから、大事に育てられたんでしょ、と、
常に偏見にさらされて来たが、
一人っ子の理由は、単に貧乏だったからなのだ。

わたしはかなり小さい頃から一人で留守番をしたし、
小学生から家事をしていたし、
3人のときは、両親が並んで歩き、
わたしは一人だった。

わたしはまだ子どもで、心細いのだから、
どっちか、そばにいてくれればいいのに、って、
当時から思っていた。

両親の結びつきは固く、
どちらかが怒れば、どちらかが慰めてくれればまだ良かったのに、
わたしは常に、二人から責められた。

味方がゼロ。
逃げ場もなし。


わたしは、中学生になるまで、
女の子らしくあることを、徹底的に排除されてきた。

髪を伸ばすことも禁止で、
スカートもなくて、
色も赤やピンクは一枚も与えられず、
小学6年生でもまだ、男の子に間違えられていたのだ。

中学生になって、ちょっとだけ髪を伸ばし、
当時流行の、マッシュルームカットにした。
それだって、父の姉(わたしの伯母)が、
伸び放題の、荒れたわたしの髪型を不憫に思い、
泊まりで遊びに行っていた時に、、
美容院に連れて行ってくれたからこそなのだ。

でもその髪型には、ドライヤーが必要だった。
わたしは、ドライヤーを持っていなかったのだ。

父は工場勤務だったので、会社で入浴してからの帰宅。
母は、天然パーマでベリーショートという髪型なので、
家にドライヤーがなかった。

あるとき、母が仕事で、父が休みの日、
ドライヤーを買ってやろうと言われて、
町に一軒しかない電気屋に連れて行ってもらった。

当時、種類もなくて、
店主の説明を聞いていて、
わたしは、風量調節が出来て、噴出し口も取り替えられる、
オレンジ色のが欲しくなった。

父に、どうする?と聞かれたので、
このオレンジのがいい、と答えたら、
父は即座に、こんな高いものはあかん、と言った。

あとに残ったのは、
いまでこそ、「カーキ」色って名前で呼ばれるけど、
いわゆる、軍隊系の色で、何の調節も出来ないもの。

オモチャのピストルみたいなイメージ。

そんなのなら、要らない、と思った。
こんな薄汚れた色のものを持つのは嫌だと
12歳の少女は思ったわけだ。

だけど、もう、家には、タオルドライか、扇風機の二択。

結局、父は、その、安いカーキ色のを買った。

なんで連れて行ったんだ、と恨んだ。

あの、綺麗なオレンジ色のを知らなくて、
これを与えられたら、仕方なく使ったのに、
連れて行かれて、どうする?って聞かれて、
欲しいものを指差したら、それはあかん、と言われ、
こんな色のものを持たされて。

ひどい仕打ちだと思った。

家に帰って、わたしは、こっそり泣いていた。

母が仕事から帰宅して、父がちくったらしく、
母がわたしの部屋に来て、
「なんや、気に入らへんのか!」
と、怒った。

わたしは、自分に嘘をついて、
首を横に振るのがやっとだった。

12歳の少女に、軍隊の色、気に入るわけがないやろ!って思った。
母が、
「お父さん、せっかく買ったったのに、あんたがふてくされてるって言うてる。」
と、わたしを責める。

もう、この世に、救いはないのだと思った。

「買ってもらったんやから、喜ばなあかん。いい子でおってや!」

わたしは黙って、うつむいて、
声を立てずに静かに泣いた。


そんなわたしの、同士が、ゴンだったのだ。
ゴンだけが、わたしの救いだったのに、
たった3年で、死んでしまった。

ゴンの死は、ペットの死にとどまらず、
わたしは、唯一の味方を、失ったということだったのだ。

悲しい思い出。
もっともっと、いっぱいある。
いくらでもある。

そんな生活を、
「大変やったんやから、しょうがない。」と切り捨てられる。
わたし、何か悪いことをしたの?
わたしの、何がいけなかったの?

母はよく、自分の姉妹の娘(わたしのいとこ)を引き合いに出し、
あの子ら、こんなにいい子やで、と言った。

わたしは心の中で、
「おばちゃんら、こんなに優しいで。」と
反論していた。

ドライヤーの件は、ごく象徴的な、わかりやすい話で、
こんな風に、両方の親から、いっせいに責められて、
わたしはいつも、追い詰められていた。

誰にもわかってもらえなかった。
味方がいなかった。

父や母が、社会的にどれだけ立派でも、
娘を、こんなことにしてしまった責任がある。
それは、精神科の先生も、わたしに言ってくださった。
けれど、それに、彼らは気づいていない。

わたしは、今も、苦しんでいる。

そんなに大変だったのなら、
なぜ、子供を持ったのか。
欲しくて持ったというなら、何故その大変さを、
子供に背負わせたのか。

帰省を控えて、
心が乱れる。

                                           伽羅moon3




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