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合わせられないこと。

家の風習や、生活習慣で、
あまりの感覚の違いに、
どうしても、合わせられないことって、ある。

物理的にとか、金銭的にとか、
説明がつくものは、説明すればいいのだが、
(理解されるかどうかはまた別として)
きちんとした理由がなくても、
やってしまうことや、やれないことって、あるのだ。

それとも、健常な人には、ないのかな。

生理的にダメ、ってのは、
もう、理論ではないので、説明もつかないし、
恐怖感については、前世の記憶まで繋がってるから、
理解されなくて、しんどい。

わたしは、水が怖い。

多分、溺死したことがある、くらいに怖い。

子どもの頃、狭い風呂場で、
頭からお湯をザバザバかけられて、髪を洗われる時、
わたしは毎回、生きるか死ぬかの恐怖と戦っていた。

狭いんだからしょうがない!と母は取り合ってくれなかったが、
あるとき、同じ狭さの近所のお宅で、
そこんちのおじさんにお風呂に入れてもらった。

おじさんは、正座して、わたしを膝に仰向けに寝かせ、
美容院みたいに、顔にお湯がかからないように、
洗ってくれた。

怖くなかった。

こんな方法が、世の中にはあるじゃないか!と思った。

わたしは、とにかく、顔が濡れるのが怖いのだ。

息子が生まれて、髪を洗うときは、
もちろん、おじさん方式を選択した。

今は、顔を洗うことも、髪を洗うことも、出来ない。

恐怖心に打ち勝てないのだ。

うつ病になるまでは、必死にやっていたが、
うつ病になったら、「素」の自分が出る。
怖くて髪を洗えなかった。


夫を再婚したとき、
大人6人の家族なので、
お風呂に入るのだってすごい大変だった。

当時は、夕食後にまず末っ子くんが入り、
お姑さんが入り、
そのあと、時間短縮のために、毎日夫とわたしが、
一緒に入っていた。

でないと、夜中になってしまうからだ。

お風呂が空いたと声がかかるまで、
夫はイライラして待っていた。

夫は10時半には寝たい人なので、
大家族で暮らすことは、色々大変なのだ。

わたしは、顔を石鹸で洗うとき、
シャワーから、お湯が出ていないと、怖くて洗えない。
何かあってもすぐにお湯で泡を洗えるような状態でないと、
怖いのだ。

でも、一緒にお風呂に入っていると、
そのことを、夫にとがめられる。

キミは、食器洗いの時と、
歯磨きの時は、ちゃんとお水を止めてやるのに、
なんで顔を洗うときには出しっぱなしなのか。
もったいないじゃないか、と責められた。

わたしから見れば、
浴槽からお湯を洗面器で何杯も体にかける夫が、
もったいなのでは?と思っていたが、
それは、全部、体にかかっているのだから正しい、
キミのは無駄だ、もったいない、とのこと。

そう言われても、
そうじゃないと、怖くて、洗えないんだ、って言っても、
なんの説得力もない。

ただ、怖いから出していないと嫌なんだ。
その気持ちについては理解を得られない。

一挙一動を見張られていて、
一緒にお風呂に入るのは苦痛だった。
だからたまに、今日は入らない、って言うと、
風呂に入らないだと?みたいに、めちゃ驚かれる。

苦痛なのだ。ただただ、苦痛なのだ。

毎日6人が使って、びっしょりになる、
お風呂前の足拭きマットの替えがないことも、
ちょっと信じられなくて、
それは夫に訴えて、買って増やしてもらった。

わたしが夫と結婚すると言ったとき、
母は反対した。
あんなきちんとした人と、うまくやれるはずがない、と言った。

ある意味、それはそうだったかもしれない。

でも、じゃあわたしがトコトンだらしないかと言えば、
そうでもない部分だってある。

人によって、気になる箇所が違うのだ。
結婚生活とは、それをすり合わせることが大変なのだ。

優先順位とか、頻度とか、
決まりごとじゃなくて、おのおのの、感覚で、
こうでありたい、ということを、
すり合わせて近づけるのは、非常に骨が折れる作業だ。

もう、この歳になると、
そういうことをやるのもしんどい。

若い頃なら、二人で話し合ったり、
譲り合ったりして、ルールを構築していけるのだろうが、
もう、無理だ。

静かにしていたいときに、テレビを延々見たい配偶者だったら、
きっと、すごいしんどいと思う。

わたしは持ち物にはすごい執着があるので、
勝手に使われたくないし、
自分のものではないものが、手元にあるのは落ち着かないし、
(だから、何かを借りるのは好きじゃない)
非常に、気難しいと思う。

まだ、母屋には、わたしのものが残っている。
何かの時に夫にキレられて、
慌てて、荷物を引き取ろうとしたら、
次の時には、別に場所が空いてるから構わないよと言われた。

どっちが本音なのかわからないが、
とにかく、引き取って、処分していかねばと思う。

アパートに越してもうすぐ8年だから、
その間、使わなかったものは、もう処分すべきだと思う。

けれど、高いところに段ボールが乗っていたり、
雑誌は紐で縛らなくてはならなかったりと、
一人で出来ないことばかり。
夫のお世話にならなくてはならない。

けれど、今後は、生活の規模を縮小して、
いわゆる「終活」を始めたいと思うので、
夫にお願いして、手伝ってもらうしかない。

一人では生きていけないのだ。
でもなるべく、世話をかけたくはない。
一人で頑張れることは一人でやりたい。

ひっそりと生きていきたい。
それが願い。

                                            伽羅moon3




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