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黄昏どきは。

あまり、自由に遊んだことがない。

ド田舎育ちなので、公園とかもなかった。
稲刈りが終われば田んぼを駈け巡り、
小川で魚を捕まえ、芹やつくしを摘み、
裏山に上って水晶を掘り、
沼でザリガニ釣りをやるような子供時代だった。

雪が多い土地だったので、沢山積もると、
近所のお兄ちゃんたちが、カマクラや滑り台を作ってくれた。

春になると、田んぼ一面に
レンゲの花が咲いた。
美しい光景だった。

でも、店も何もなく、買い物には不自由だったし、
大人になっても、飲みに行くとかは、難しかった。
車でしか暮らせない地域だからね。

東京に来て、わたしは楽しかった。
水が合うとはこのことか、と思った。

田舎に帰るのは絶対に嫌だった。
不自由さを知り尽くしているからだ。

夫も含め、リタイヤ後は田舎暮らしを、だなんて、
言う人がいるが、
不便さを知らないからそんなことを気軽に口にするのだ。

わたしは、東京を離れない。
だって、江戸人だったんだもの、ここに居て当然だ。

今の暮らしでは、わたしの帰宅時間を決め付ける相手はいないが、
夕暮れ時になると、
心が落ち着かなくなる。

娘時代は、両親が異常に厳格で、
20歳過ぎても、門限は10時と、相談もなく勝手に決め付けられていた。
電車が一時間に一本しかないから、
宴会に出ても、盛り上がり始める頃には、
もう帰らなくてはならない。
とてもつまらなかった。

楽しい記憶は少ない。

黄昏どきになると、今も気が急くのは、
小さい息子を一人で待たせているという、
あの頃の焦りの記憶だ。

一人でおとなしく、漫画を読みながら、
わたしの帰りを待っている息子。

早く帰って安心させなきゃ、
早く帰ってごはん作らなくちゃ。

わたしはいつも駆け足だった。

でも、家に帰って、息子を抱きしめ、
一緒にお風呂に入って抱き合い、
それはそれで、充分に幸せだった。

愛すること、愛されることを、
教えてくれたのは、息子だ。


愛でもって、受け止めると、幸せなのに、
執着をしてしまうと、人は苦しくなる。

不安定な地位のため、相手を縛りつけようとするのは、
自分の首を絞めることになるのだ。

執着は、愛着とは別のものだ。

わたしも、ムギに執着していた頃は、
軽く錯乱していたと思う。
ムギを探して、朝になるまで母屋の庭をうろついた。

猫が、自分の思うとおりになるわけがない。
ムギにはムギの気持ちがあってのことだ。

そう、猫にだって感情はしっかりある。
人の魂と、どれほど違うだろう?と思うくらい。

夕べは、夕方、わたしのトイレで、無理にムギを脚から降ろしたので、
夜中にも会いに行った。
ムギは庭にいたのか、すぐに来てくれて、
すぐにまた、脚に乗ってきた。

そしてそのまま動かなくなった。
ムギちゃん。ママ、嬉しいけど、どうしよう?
新聞配達のバイクが来ちゃったね。

このままだと朝になっちゃって、パパ起きて来ちゃうね。

仕方がないので、また、降りてもらった。

部屋に帰って行くわたしを、ムギがじっと見つめている。
切ない。

夕暮れ時に、気がせくのは、
今は、猫たちが待ってる、って思うからだ。
早く行ってあげなくちゃ。
早く抱っこしてあげなくちゃ。

息子には、もう、お嫁ちゃんがいる。
帰って来たら、お嫁ちゃんがいて、
毎日一緒にご飯が食べられるのだ。

良かったなあ。
結婚できて、本当に良かったよ。
幸せでいてね。

                                          伽羅moon3



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