感涙にむせぶ。
従姉の娘ちゃんの結婚式は5月だった。
わたしが当日、突然写真係を仰せ付かり、
プロのカメラマンさんの邪魔をしないよう、
隙間から、いっぱい写真を撮った。
後姿や、
リングピローや、
お料理のすべてを、撮影した。
従姉は働いて家事も全部やっているので、
全然余裕がなくて、
写真をプリントする時間も取れなかった。
わたしでさえ、いろいろ不具合があったので、
やっと9月になって、アルバムが作れたのだ。
それの、豪華版を作って、従姉に送った。
今日、届いて、すごく喜んでくれているメールが来た。
やはり、いくら画素数が良くても、
デジカメの画面で見るのと、
写真プリントで見て、ほかの写真と見比べたりできるのとでは、
ずいぶん違うと思う。
すごく喜んでくれて、
わたしは、嬉しかった。
こんなことなら、もっと早く手をつけてやってあげれば良かったよ。
夜、ムギのところで、ムギとくっついて夜風にあたっていると、
また従姉からメールが来た。
旦那さまが、帰宅してすぐにアルバムに気づき、
見入っていたそうだ。
デジカメのデータとして見ていた時は、
もちろんこのアルバムよりも枚数は多く、
綺麗に見れていたはずなのだが、
我々はまだ、紙媒体の時代の人間である。
こんなに沢山撮ってくれていたの?とびっくりされたそうだ。
こんな場面あったっけ、覚えてないね、とも話したそうだ。
夫婦で繰り返し見て、盛り上がったらしい。
わたしも、息子の結婚式を経験したので、わかっていた。
当事者は、役割や気遣いなどがあって、
式や披露宴を、全体的に見ている余裕がない。
それに、彼女は食べられない食材が多く、
着物で苦しいせいもあって、
ローストビーフ以外は、食べられなかった。
わたしは、カメラマンさんが撮影できない、お料理の写真もすべて撮り、
アルバムに入れて、隣のメモ欄に付箋を貼り、
なんという名前の料理だったかを書いた。
付箋にしたのは、アルバム内で写真を移動してもいいように。
それも喜んでくれた。
娘ちゃんのいい表情を、いっぱい撮れたとも思ったので、
喜んでもらえて、本当に嬉しかった。
そして、次の一行を読んで、
わたしは、こみ上げて来て、泣いた。
「伽羅ちゃんが居てくれて良かった。」と、
旦那さまが言ってくれたそうだ。
居てくれて良かった。
居てくれて良かった…。
泣いていると、ムギが振り向いて心配そうな顔をした。
わたしは、感激して泣いていたのだ。
わたしは今、
すぐに死ぬわけでもないような病気をかかえ、
消耗した精神は元には戻らないまま、
夕飯作りを放棄している。
身体は、頑張れば何とかなるはずだと思う。
でも、心が、頑張れないのだ。
買出しに行き、
灼熱の西向きのキッチンで煮物をし、
お姑さんが変な行動を起こさないよう、
夕方6時までには煮物を持って行き、
盛り付けて、証拠写真を撮り、
食べる人に、写真付きのメニューメールを送り、
帰って来て、寸胴鍋を洗う。
それが、どうしても、やれそうに思えないままなのだ。
誰の役にも立っておらず、
医療費かかりすぎと言われ、
誰からも一切感謝されず、
消費のみをしている、お荷物な自分。
存在意義なんてグラグラだ。
生きててもいいよって証明がどこにもない。
猫たちが、甘えてくっついて来てくれるから、
この子たちのために元気にならなくちゃ、とは思うけど、
今のわたしには、「夫のために頑張らなくちゃ。」という
気力はもうない。
どうせ死なないと思われているし。
だけど、本心では、平気じゃない。
誰だって、人に信頼されて、何かを任せられたら、
嬉しいだろうと思う。
自己肯定感が満たされる。
その、自己肯定感が、なくて、辛かったらしい。
思いがけず、泣けてしまったことで、それを知った。
わたしは、息子が、この世に居てくれたら、それだけで嬉しい。
父がまだ生きていてくれて、それも嬉しい。
でも、そんなふうに、無条件で嬉しいと思ってもらえるのは、
少ないのだ。
大概の関係性は、
これをしてくれるから、これをしてあげる、という見返り主義。
ただシンプルに、
存在をありがたがってもらえることなんて、
なかった。
まさか従姉の旦那さまの言葉に、
泣くとは思わなかった。
感涙、とはこういうものだと思った。
あのアルバムは、
沢山の幸せを生み出してくれた。
任せてもらえたことに、とても感謝する。
ありがとう。
生きてて良かったよ。
伽羅
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