« 食べることは尊厳。 | トップページ | 感動の「!」マーク。 »

緑色になりたい。

うつ病と診断が下ったとき、
わたしは、とても安堵した。
秋の終わりの頃だった。

頑張れなくなった自分。
血を流し続ける身体。
激しい頭痛や発熱、天地がわからなくなる目まい。

どんな仕事に就いても、絶対に結果を残せていたのに。
誰よりも頑張って覚えて、
信頼を勝ち取ってきたのに。

電車に乗ると、気分が悪くて吐きそうになる。
いっぱいいろんなことを考えてぐるぐるしているのに、
心が、つらくてつらくて、動けない。

寝付けなくて朝になり、
罪悪感で自分を責める。

全部、自分が頑張ってないからだと思って、
ただ自分を責めていた。

けれど、
そうじゃなかった。
正式に、
病気だったのだ。

良かった。
ここにたどり着くまで、一年半も、病院を流浪した。
これで、必要な治療が始められる。
治療すれば、回復する。

それを受け入れて、
薬をしっかり飲んで、
だんだん、治していけばいい。
そう思った。

けれど、その時、まだ結婚を決めてなかった夫には、
激しく責められた。
「君は診断を受けてから、急に病人ぽくなった。」
「寝られないんじゃないんでしょ、いつかは寝るんでしょ。」

わたしは、わたし自身がこの現実を受け止めないで、
一体だれが引き受けてくれるのかと反論した。

一年半、血を流し続け、
ようやく結論にたどり着いたところなのだ。
少しのんびりしててもいいじゃないか。


うつ病患者は、
もれなく、頑張ってしまった人の集団である。
キャパシティを超えたことに気づかず、走り続けて、
崩壊してしまった人だ。

だけど、それは、目に見えない。
辛いの、って泣いたって、誰だって辛いよと言われる。
眠れないと言えば、じゃあ起きてればいいじゃんと言われる。

緑色になりたいと、
心から思った。

それなら、どんなに心が痛んでいるのか、見ればわかるよね?
だけど病気なのに、頑張ってしまうから、
その堂々巡りで、回復が遅れていく。

理解してくれと言うのが、無理なのかもしれない。
そうだ、無理なんだ。
人は、経験したことがなければ、それを知ることはできない。
できることは二つ。

想像すること。
想像できなくても、受け止めて寄り添うこと。

出産などには、だいぶこれらは浸透してきている。


わたしの夫は非常にスペックの高い、
優秀な人材だ。
なんでも出来る。料理だって上手だ。
回転が速く、行動力もある。
いつもフルスピードで動いている。

けれど、想像すること・寄り添うことが、できない。

今までわたしは、期待しては裏切られ、
期待しては失望し、を繰り返して来た。

本音は、こうなんじゃないの?と思い当たる。
でも、夫はなかなかそれを認めず、
さも理解があるフリをしている。

本音は全然違う。
お昼まで起きないわたしをだらしなく思って不快。
レジャーとは、朝6時に出発するものなんだ!と言ってのけた。
その心を変えることは、できなかった。

惚れて惚れて、一緒になった大切な奥さんを、
治せない病で、失った夫。

奥さんを病気で亡くしているから、
病気に対して、優しくしてくれる、と
わたしは勝手に期待して結婚した。

でも、それがなかった。

ずっとずっと、不思議だった。
何でなんだろう、何故心配じゃないんだろう、
なんでもっと寄り添ってくれないんだろう。

具合が悪いです、とメールすれば、
「そう言えば僕に会わないで済むからですね。」と仮病扱いされ、
暗い部屋で、丸まって寝ていると、
隣に座って色々話をする。

わたしは、不思議だった。
ひょっとしたら、わたしが、死なない病だから、
だから心配じゃないのかな?と思い始めた。

躁うつ病でも(心はともかく)体は死なないし、
リウマチでも死なないし、
胆のうが胆石で一杯でも、別に、死には直結しない。


リウマチ内科の先生が胆石を発見してくれて、
石が大きいから、胆のうは摘出かもしれませんね、と教えてくれたとき、
わたしは夫に、
もし手術になったら、今度は個室に入らせて欲しい、とメールした。

卵巣摘出の手術で、懲りているからだ。

夫からは、
「共済から降りる金額全部くれるならいいですよ。」と返事があった、
そんなのもちろんだ。
夫が掛け金を払ってくれているのだから。

卵巣摘出のあと、夫が見直して、
共済の内容を変えた。
入院一日目からお金が下りるようにして、
金額もアップした。
それはもちろん、一円残らず使ってもらう。

ところが、
精神科を併設した病院に転院するにあたって、
念のため、個室に入りたいことを確認すると、
夫は金額を口にして、しぶった。

だって、卵巣のときは4人部屋だったんだよね、って言った。

そうだよ、それが失敗だったから、辛すぎたから、
今度は個室にしたいって、お願いしてるんじゃないか。

すでに、8日間も入院して、
身体も、精神も、ボロボロな状態だ。
なおさらもう、大部屋は無理だ。
これ以上、頑張れなくなった状態なのだ。

ゆうべ、手術の日程について、口論となった。

わたしは、あの痛みの恐怖を忘れていない。
人工の管を一時的に入れたが、それはとても細くて、
胆汁で、毎日、少しずつ、狭くなっていく。
だから、可能ならば早めに摘出したい。
でも、別にそう言ってるわけではなかった。

アパートの工事の日程や、
夫が地方に行く留守などを考えるべきと言われた。
でも、手術が優先されないのかと、聞いてみた。

夫はキレた。

そしてとうとう、本心を言葉にした。

何十年もかけて出来た石があるからって、
いますぐ胆のうがどうこうはならない。

ガンじゃあるまいし、手術なんて急ぐ必要なんかない!
来月で充分だ!


出ましたね。
やはり、そうでしたか。
ガンじゃないもんね。
死なないもんね。
だから、工事や自分の出張が優先で当たり前なんだね。

もう、怒りも悲しみも、感じなかった。

心が、さーっと、さめていった。

そうね、死なないもんね。
どんなに精神が今、疲労して磨り減っているか、
外からは見えないから、わからないよね。

傷がつくのは、身体だけじゃないんだよ。
「無理解」という刃で、メッタ刺しにされて、
血を流しているんだよ?


本当に、体が、緑色になればいいのに。
そしたら、誰にだって、ああこの人、心の調子が悪いんだって見えるのに。

別に、夫を嫌いにはならない。
接し方も変わらない。
何も変えない。

だけど、孤独になるのはわたしではない。
わたしは決して、一人ではない。

                                            伽羅moon3

 いつもお読みくださり応援ありがとうございます。クリックお願いしますclover

|

« 食べることは尊厳。 | トップページ | 感動の「!」マーク。 »