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悶絶、号泣。

入院して、いったいわたしは、
夜9時の消灯で眠れるのか?と不安だった。

寝る前の睡眠薬は、絶対に必要です!と頼んだので、
一式、渡してくれた。
それを9時過ぎに飲み、
わたしはあっけなく寝付いた。

具合が悪かったのだろう。

目覚めたら、夜中の3時だった。
いつもわたしが寝る時間帯だ。

退屈だが、スマホではなくガラケーなので、
ネットを見ることも出来ないし、
だるくて何もできなかった。

朝6時前に、採血に来る。
そのあと、体温・脈拍・血圧の測定がある。

日勤の看護師さんたちが挨拶に来て、
外科の先生方の回診があり、
朝ごはんが食べられないわたしにも、
温かいお茶が配られ、
病院着の替えが配られ、ゴミ集めの人が来て、
掃除の人が来て、看護師が来て、薬剤師が来て…。

病室にはひっきりなしに誰かが出入りしている。
気を抜いていられない。

朝9時に、シャワーどうですか?と言われた。

そうねえ。
本当はこの金曜日がシャンプーに行く日だった。
このあと、自分がどうなるかわからないので、
今日のうちに、洗うしかないか、と決心した。

主治医が休みなので、この日は何も検査がないのだ。
なので朝一番に、点滴の手をビニールでくるんでもらって、
髪を洗った。

いつも洗ってもらっているから、勝手がよくわからない。
左手はビニールでくるまれているし、
どれくらいシャンプー使うかもわからないし、
ちゃんと流せたかもわからない。

顔が濡れて、恐怖に陥る。
わたしは水恐怖症なのだ。
でも、顔を拭くことも出来ない。
コンデショナーをつけたが、髪をタオルで拭き始めたときに、
あれ、流したっけ?とわからなくなる。

もういいや…。
だるいよ。疲れたよ。

着替えて病室に戻り、貸してもらったドライヤーで乾かす。
立ってるのがしんどい。
(今思えば椅子を持って行けばよかった)
しかも、ドライヤー暑い。

結局、終わった頃には汗だくになった。
シャワーの意味なんて何もないじゃんね?

疲れ果てて、横になっていた。
友達や息子に、入院した旨メールをして過ごした。

ご飯の時間になると、
「お食事が参りました。今からお配りいたします」と、
いちいちアナウンスが流れる。
いい匂いがしてくる。
うらやましい。
お腹が減った。

退屈だから、午後はテレビでも見ようとした。
夫が買ってくれたテレビカードを差し込む。

駄目だった。

世の中の情報の、約半分は、食べ物のことなんじゃないの?
って思うくらい、おいしそうな画像の連発。
辛くて見ていられない。

空腹にはいつ慣れるんだろうか。

戦争で南方に生かされた兵士さんの死因は、
その三分の二が、餓死だったのだ。
撃たれて死ぬより、むごいではないか?
人間としての尊厳が保たれない。
食料を与えずにはるかかなたの戦地に送り込んだのだ。
その罪の大きさに、あらためて愕然とした。

夜は、10時過ぎには寝られた。
土曜日は、朝9時から、内視鏡カメラの予約が入っているので、
朝の6時以降は水も禁止になった。

ところが、待てど暮らせど、呼んでもらえない。
二時間経っても三時間経っても、呼ばれない。
わたしは苛立って、再三、催促をした。
9時からだって言うから、
薬も水も飲まずに耐えているのに、
もう午後じゃないですか。
だったら、飲んでて良かったですよね?

空腹と渇きでわたしはイライラした。

しかも、やっと入院手続きに来られた夫が憤慨している。
連帯保証人が、2名、必要だというのだ。
しかも、住所が違う、働いている人限定。

いまどきなんだこのシステムは!と、夫は怒鳴って来たらしいが、
こうなったら、息子を呼ぶしかなかった。

メールをすると、「最寄り駅は?」と返事が来た。
すぐに来てくれるとのことだった。

その後、午後の二時半になってようやく、
内視鏡カメラに呼ばれた。

胃カメラの部屋とは違って、手術室のような部屋だった。

わたしには、胃カメラの際の麻酔程度は、効きませんからね、と
再三再四、念を押してあった。
この病院で胃カメラをやってるのだから、
どれくらいの量、麻酔を使ったのかわかってるはずだ。

直前にも念押しした。
すると、麻酔は種類を変えたから、寝ている間に終わります、と言われた。

マウスピースをくわえ、
うつぶせに寝かされて、点滴から麻酔が入れられた。
「どうですか、ぼーっとしてきたでしょう。」
わたしは、首を横に振った。

だめだ。効かないんだよ。

管が入れられ、盛大におええええ~!とえづく。

空気を送り込むので、空洞になっている胃は、
簡単に通過する。
十二指腸から、
胆管、すい臓まで、管は達する。

激しい痛みに、わたしはうめいて暴れた。
悶絶である。
「どうしたの? 足でも痛いの? 足さすってやって。」
と、的外れな指示が飛ぶ。

何かの部品が不具合らしく、助手さんが新品を出そうとすると、
「お前、コストかかってんだからな!」と怒号が飛ぶ。
コストは今、そんなに重要か?

もだえ苦しみ、30~40分の内視鏡が、やっと引き抜かれた。
おええええ~!

苦しかった。
死ぬかと思った。
体がガクガクしている。

ストレッチャーが隣に来た。
看護師さんたちが、わたしを移そうとしたが、わたしは自力で乗れた。

「本当に、麻酔効いてなかったんだ…。」
誰かがそう言ってびっくりしていた。

それを聞いた途端、
わたしは急に泣けてきた。

効かないからって、再三、言ったよね?
あんなに苦しんでのた打ち回ったよね?

涙があふれて耳に入り、
今度は引き付けるみたいに泣きじゃくって、
ストレッチャーで運ばれながら、わたしは声を挙げて泣いた。

看護師さんたちは、
「泣いてるの?」
「何で泣いてるの?」
「泣いても笑っても、一日は一日だよ?」
「さあ泣かないで。」
と言う。

誰一人、わたしに寄り添ってくれない。


痛かったのは、体だけじゃないんだよ。
「無理解」という刀で、メッタ刺しにされたんだよ。

過呼吸を起こして、全身がしびれ、逆に動けなくなった。

みんなには着けられる酸素の管がすぐにはずされ、
ベッドに転がるように移動した。

涙が止まらない。

孤独だ。

タオルを顔に当ててひっくひっく泣いていると、
聞きつけた主治医がやってきた。

「精神薬、ちゃんと飲んで、精神を保ってもらわないと駄目だからね。」

検査が遅れたから飲めなかったんじゃないか!
あんなひどいことされて、正気でいろってほうが無理だよ!

わたしは、息子に、
「検査から戻って病室にいます」とメールした。
「今向かっています。」と返事が来た。

やばい。
今、息子に会ったら、また号泣してしまう。
しかも、来るのは息子一人だから、
何年ぶりかの二人きりだ。

やばいやばい、泣いてしまう。

恥ずかしいわけではない。
でも、わたしは、親と子の立場が、入れ替わることは良くないと思っている。
弱味を見せてもいいが、
すがってはいけない。
だから、号泣したりしたくないのだ。

やがて息子が一人でやってきた。
椅子を出して座って、近くに来てもらった。

涙はぴたりと止まった。

なにやら、袋を提げていて、そこから、
「これ…お見舞い…。」と出してきた。
「やさしい大人の塗り絵」と、クーピーペンシルのセットだった。
封をといて、中を見せてくれた。

色鉛筆は、確か沢山持ってたから、クーピーにした、と言った。
すごく嬉しかった。

保証人のところに記入し始めたので、
間違えないようにねと言ったら、もう間違えていた。

父親譲りの下手な字で記入してくれて、
ちょっとだけ一緒に居てくれた。
5月に会って以来なので、実家に帰省したときのことなどを聞いた。

30分もしないで、「じゃあねー。」と帰って行った。
握手した。
しっとりと温かい手のひらだった。


長くなるので続きます。

                                           伽羅moon3

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