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2016年9月

とうとう入院。

明日、とうとう入院の日だ。

前の病院を退院してから一ヶ月近くあったのに、
あっという間だった。
忙しかった。

いつまた、痛くなるかわからないので、
退院してきてからすぐに、入院の新しい荷物を作り、
常に診察券やお薬手帳を持ち歩いていた。

無事に、予定通り、入院の日を迎えられる。
良かったよ。

個室を要望してあるが、
取れているのかどうか、それは行ってみないとわからない。

今日は麻酔科での面談があった。
久しぶりに朝に起きたので、すごくしんどかった。
麻酔科に行き、血圧・脈拍を計ったら、
血圧は高めで、
脈拍は、135もあった。

この前、124で医者にびっくりされたので、
今日の麻酔科の先生も、ちょっとびっくりしていた。

だいたいいつも、90~100くらいです、
今日はちょっと多めですね、と言っておいた。

いろいろ問診され、説明を受けた。
外科に寄り、主治医にも会ってきた。
特に問題ないので、金曜日の朝、8時半には、
病室を出発しますよ、とのこと。

いよいよ手術。
怖いのは、麻酔の副作用の吐き気だけ。
痛みは、日一日と軽減するので怖くはない。

早い段階で、吐き気止めを点滴に入れることも可能ですから、と
慰めてもらった。


帰宅して、うっかり昼寝をしないよう、
掃除をしてシャワーして、洗濯もした。
明日の朝、乾いていたら、畳んで片付けてから出掛けたい。

ちまとムギに、説明した。
ちまを抱っこして、話し始めると、
ちまは、楽しくない話だとわかるので、、逃げようとする。
ちまちゃん、ちゃんと聞いて、と言って、
懇々と説明する。

ムギに会えたときにも、明日からしばらく来れないことを説明した。
でも、ムギを捨てたんじゃないよ、
ママが入院しておうちに居ないから、
来れなくなるんだよ。
帰って来たら、すぐに会いに来るね。
そう言うと、ムギは振り返ってニッコリしてくれた。

前の入院のときも、10日間も会いに行かなかったのだが、
ムギは怒ることもなく、喜んで会ってくれた。

ちまの心が心配。

寝る前に、もう一回、説明しておこう。


退院のときは、タクシーを使うつもりなのだが、
明日はバスで行くつもりでいる。
雨だと厄介だな。
荷物持って傘さして、は大変だ。
傘も干せないし、捨ててもいいような折りたたみ傘で行くか。

あまりひどい雨だったら、仕方ない、
夫に非難されても、タクシーを使おう。

今夜ふと、考えてみた。

「胆石くらいじゃ死なない、ガンでもないのに。」と言った夫の言葉。

あれに、怒るのは、エネルギーの無駄遣いだ。

なぜなら、それが夫の本心だからだ。

シンプルに、本心を言葉にしたに過ぎない。
言い間違いでもなく、
思ってもいないことを口にしたわけでもない。

だったらもう怒ってもしかたないよね。
そう思ってる人なんだから。

万が一、わたしが先に死んだら、
彼は二回も妻を送る羽目になる。
その時に初めて、後悔をするだろう。

今後、夫が、胆石や腎臓結石で苦しんでも、
そうよね~痛いのよね~、知ってるわあ。
でも、死なないからね~って、言ってあげられる。

自分に返ってくるものだと思う。

わたしも、使う言葉には気をつけて生きよう。
言霊、という言葉があるくらいだからね。

ちまのために、一日でも早く帰って来られるよう、
努力する。

ではみなさま、行ってまいります。
しばらく、更新をお休みいたします。
また無事に、お会いできますように。

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悲しくなってきた。

毎日予定でびっしり。
疲れる。

でも明日、手術を受ける病院の麻酔科に行ったら、
明後日には入院になる。

何日間、留守にするか、今はまだわからない。

ちまと離れるのが寂しくて、
だんだん悲しくなってきてしまった。

ムギは、お外だからどこにでも行けるし、
パパ大好きなので、
基本、夫さえいれば大丈夫な子だ。

夕べ、遅くに二回目ムギに会いに行ったら、
ちゃんと待ち構えていてくれて、きゅんきゅん鳴いた。

手から餌をもらってお腹いっぱい食べたのに、
車の横で、なにやら怪しげな動きをしているので、
ライトで照らして見たら、
バッタさんを、ちょいちょいしていた。

ムギ、ムギはもうお腹いっぱいなんだから、
見逃してあげなよ~、と言ったのだが、
ムギは、ぱくっとくわえて、
パリパリと音をさせて、食べてしまった。

ワイルドだねえ~。

こんな感じなので、ムギは大丈夫。
しばらく会いに行かないでいて、
また受け入れてくれるかどうかは、わからないけれど。


ちまは外を知らない。
わたしが居なくなると、この部屋で、一人ぼっちだ。
果てしなく寂しいだろう。

この間の入院は、
まさか、ちょこっと帰ってくることすら
許可されないとは思っていなかったので、
ちまには説明しておらず、
急にママがいなくなってしまう、という経験をさせてしまった。

ちまは、もうママは帰って来ないんだと思い、
必死に夫になつき、
舐めたことなんてなかったのに、夫を舐めた。

切ない。
どんなに寂しかったし不安だっただろう。
ごめんよちま。

退院して帰ったときの、
「本当にママなの?」っていうあの驚きの目、
忘れられないよ。

今回は、きちんと説明してから家を出る。
ちまは、話せばわかる。
ムギをお風呂場で療養させるときも、
事前に、何回かにわけて、説明したり、
お願いしたりした。

だから、ムギがいることはわかっていたが、
その間、ちまは、何も言わず、我慢してくれた。

でも、ストレスで、
真っ黒だったはずの背中に、白髪が出てしまった。
ちま、ごめんね、いっぱい我慢させちゃって。

ベッドの横に、小さいチェストを置いて、
そこに、ちまのゴージャスベッドを置いてある。
高さがちょうど良くて、
そこで寝ると、わたしの顔の隣で寝ているかんじになる。

最初ちまは、それに気付かず、
キャットタワーの箱の中とかで寝ていたが、
2~3日して気が付いたらしく、
それからは、毎日、隣で寝てくれている。

手を伸ばすと、もふもふする。
幸せだ。


息子にメールをした。
部屋にベッドが来たことを写真つきで説明し、
明後日入院で、金曜日手術だよ~と伝えた。

その際に、息子のラケットを見つけたことも書いた。

買い換えてあげなくてごめん。
バスケ部に入れてやれなくて、本当にごめんね、と書いた。

すると、帰宅途中だったのか、すぐに返事が来た。

ベッド、よさそうだね。人生で初ベッド?
部活は、今だから言うけれど、3年になってからは、
練習なんてしないで、部室で遊んでたんだよ。
今思うと、バスケ部って柄でもなかったから、
これで良かったよ。

そう書いてあった。

そっか。
そうだったか。
練習しすぎでボロボロだったわけじゃなく、
適当に気を抜いて、過ごしていたんだね。

バスケやれなかったことを、根に持ってもいないんだね。

良かったよ。
切ないけど、ちょっと楽になった。
ありがたい子だ。

息子には、
高校入試のとき、
すべり止めの私立入試も受けさせなかった。
受けるだけで何万もかかるから、受けさせてやれなかったし、
どのみち、私立には行かせられない。

「もし、公立落ちたら、僕、どうなっちゃうの?」

そう聞かれた。
どんなにか、不安だっただろう。

わたしはつとめて明るく言った。
大丈夫、きっと受かるよ。
でも、もしダメだったら、
大工か寿司屋になりな。
手に職があることは誇らしいことだよ。

寿司屋になったら、ママ、毎日行ってあげるよ!
と言うと、嫌だ~と笑った。

実際には、どの高校でも、二次募集というのがあるから、
最悪は、どこかには入れるよ。
そこには、そこなりの人生が開けるんだから、
心配しなくて大丈夫。

そう励ましたのだった。

でも、合格発表のときは、
わたしはフローリングに正座して、待っていた。
ドキドキした。

早めに買って持たせた初めての携帯から、
息子が家電にかけてきた。
「受かってた。」
そう聞いたときは、力が抜けた。
「良かったね! おめでとう!」というと、
息子は、「ありがとう。」と言って照れた。


大学に行けないので、普通科の高校に入ってもしょうがない。
だから、手に職が付く学校に入れたのだ。

本当に幸いなことに、
息子は学校をいたく気に入り、
「学校に住みてえ。」と言ったくらいだ。

親としても、その学校を、充分に楽しめた。
いい学校と、いい先生に巡り合えた。


何事もなく、
このうつくしい部屋に、無事に帰って来られますように。
ちまと一緒に寝る日が、一日でも早いよう、
術後は努力する。

でも、吐き気には勝てない。(苦笑)

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とんでもない勘違い。

怒りを抑えて暮らしているので、
時々、心の中で、下品に毒づく。

そういう自分は嫌だけれど、
人に当たるほうがもっと恥ずべきと思うので、
必死に耐えている。

怒りは、我慢したゲップが吸収されるようには、無くならない。

ずっとずっと、心に住み着いている。
無くなることはない。
解決の方法もない。

だから何年もカウンセリングに通って、
何回でも同じことを吐き出し続けているのだ。

前進しなくてもかまわない。

けれどこのところ、ちゃんとカウンセリングに行けてないので、
心に澱がたまっている。

それが、つい、出てしまうこともある。

今日は精神科に通院だった。
先月、急の入院で行けなくなり、
夫に薬だけもらってきてもらった。

今月は、予約日が手術日となったので、
日にちを変更してもらい、今日行って来た。

簡単にだが、今回の経緯を話した。
「それはひどい。辛かったですね。」と言っていただいた。

身体の痛みはやがて消えるが、
傷つけられた精神は、戻らないのだ。
治せないのだ。
このままなのだ。

紹介状をその場で書いてくださった。
でも、いつもより数百円高いだけだった。

厄介なのが、薬局。

もちろん絶対に、ではないが、
「暗に」提携している調剤薬局さんが近くにあり、
最初からそこで薬をもらっている。

いい薬局さんだったのだが、
この春に、ベテランの薬剤師さんが一人いなくなってしまい、
代わりに入って来た人が、とんでもない勘違いな人なのだ。

病院は、かなりジプシーしたので、
時々、こういう勘違い薬剤師さんがいることは知っている。

それまで、すごくスムーズで、
待ち時間もいつも15分か20分だったのに、
それが今は、平気で50分とか一時間とか、待たされる。

先々月なんて、散々そうして待たせておいて、
薬の在庫がないから、今日は渡せないと言われたのだ。

あると思うから何十分も我慢して待っているのに、
散々待たせて、無いです、とはひどすぎる。

そのときは、我慢した。

でも、今日はわたしにも怒りがたまっているし、
どうにも我慢がならなかった。

その新しい薬剤師さんは、若い人ではない。
多分、50歳くらい。

とんでもなく仕事が遅くて、
さらに、「勘違い」をしているので、
たちが悪い。

小さな調剤薬局で、常連さんしか来てないのに、
「粉薬ですが、飲めますか?」とか聞いて、
いつもこれです、って言ってるのに、
最初にお水を口に含んでから飲むといいですよ、なんて言って、
完全に無視されていた。

どうやら、ここの常連さんは、
みんな気が付いているらしい。

順番を抜かして、
湿布だけの人が先に呼ばれる。
でも、その人も、ずいぶん、待っていたらしくて、
既に怒りモードだった。

湿布の張り方はですね、と説明を始めたので、
お客さんがさえぎって、
わかってるわよ、初めてじゃないんだから。何度も来てるのよ、と言った。
それで、袋は要らない、ここに入れるから、と言っているのに、
「袋にお入れしますね。」と言って袋を出した。
それにお客さんはキレて、
「あなたね、ちゃんと人の話を聞きなさいよ! 余計な説明ばっかりしてて。
ちゃんと人の言葉、聞きなさい! 要らないって言ったでしょ!」
と怒っていた。

うんうん。
わたしもそう思う。
わたしも、袋は要らない派なので、
そう言ってるのに入れられると腹が立つ。
しかも、薬と、領収書と、お薬手帳と、自立支援の証書を、
全部袋に入れるので、さらに腹が立つ。

それぞれ、しまう場所が違うので、
一緒にぐちゃっとされると、異常にイラつくのだ。
どうせやり直しになるから、無駄なのだ。

今日はとうとう、一時間も待たされた。
遠いから、明日また来ますとも言えないし、
時間を潰せるカフェすらないし、
ひたすら薬局で待ってなくてはならない。

早く診察が終わっても、意味が無い。
これでは、学生の帰宅に巻き込まれて、
電車で座れない。

やっと呼ばれてカウンターに行くと、
お薬手帳を開かれて、
「こちらの薬はどうされましたか?」
と、指差す。

それは、胆石で入院した病院を退院するときに、
出された肝臓の薬だ。
「どうされた、って、別に問題ないでしょう?」
とわたしが答えると、
「飲み合わせというのがありますので、」と言った。

わたしはキレた。
「ちゃんと見てください。8月31日に、14日分、出された薬ですよ?
とっくに飲み終わってるじゃないですか!」
すると、その薬剤師さんは、
「でも、そのあとまた違うお薬とか飲まれたら、飲み合わせが、」と言いやがった。
「何か飲んだら、ここと、ここの間に、ちゃんとお薬のシールが貼られるでしょ?
そのためのお薬手帳でしょ?」

何様のつもりだ。
自分が患者の薬を管理しているつもりになっている。
腹が立つ!

だけど、結構いるんだよね、こういう薬剤師さん。

余計なことを大きな声で質問してきたり、
医者の評判を吹聴してきたり。

完全なる勘違い。

あんたのそういうところが原因で、
待ち時間が長くなってるんだよ!と、
言いたかったが、それは我慢した。

だれでもそうだが、
自分の領分を越えてはいけない。
その、いい具合が、わからない人がいっぱいいる。
どんどん間を詰めて来られると、
わたしは拒絶して逃げる。

いい距離感というのが、絶対に大事なのだ。
それは、家族でも同じ。
親子でも、夫婦でも、相手は自分ではないのだから、
踏み込みすぎてはいけないし、
巻き込むのもいけないと思う。

ひとりひとりが、精神的に自立した上で、
ほど良い距離で、付き合うのが、一番いいとわたしは思う。

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はじめての楽園。

もう、余命のほうが圧倒的に短いので、
今後は、減らす人生にしていかないといけない。

今回の部屋のリフォームは、とてもいい機会だった。

この部屋に越してきてからの7年間で、
一度も見なかったものや、
ひたすらに溜め込んでいたものや、
詰め込みすぎて、なんだかわからないものたちを、
全部見た。

そして処分できるものは処分し、
残すものについては、
置き場所や配置をしっかり考えて、
パズルのように組んで収納した。

今はまだ、それが終わったばかりなので、
どこに何があるか、わかっている。
しかし、この記憶が、いつまでもつか、自信がない。

なので、引き戸を開けると、重ねた箱の面に、
何が入っているのかを書いた付箋が貼ってある。
そうでもしないと、
また「あれがない。あるはずなのに。」と
一人で大騒ぎになるからだ。


わたしが、今最も求めているものは、
心が安らぐ部屋で、
くつろぐこと。

誰とも会わなくても平気。
会話なんてしなくても平気。
ちまが居てくれるから、寂しくない。

長年の夢だった、
シビラのベッドカバーとクッションカバーが届いた。
嬉しい。
トイレとベッドは、シビラにしたかったのだ。
すごく素敵。

和風のものと混在しているが、
わたしは、シビラの色使いは和風だと思っているので、
ミスマッチだとは感じない。

この部屋で、ゆっくり療養して元気になろう。
ゆっくり、心の傷を癒そう。


夫は、歳を重ねてから、
頻繁に、クラス会とか同窓会に出掛ける。

結婚当初は、
とにかくわたしと出掛けたくてたまらず、
自分の趣味にわたしを連れ出していたのだが、
わたしが持ちこたえられなくなり、はっきり断ると、
ようやく自分で相手を見つけてライブに行ってくれるようになった。

ファンではないアーティストのライブに行くのは、
相当に辛いのだ。

健常な人で、好奇心の旺盛な人なら、
それを楽しむ心の余裕というものがあると思うが、
わたしには、そんな余裕は無い。

興味がないものを、勧められたり見せられたりするのは、
はっきり言って、苦痛でしかない。

だから、夫が女性と二人で出掛けようが、
わたしはそれを歓迎する。
興味のある人同士で行くほうが断然楽しいに決まっている。

夫は、
キミは避けてるみたいだけど、同窓会とか行けばいいのに、と言った。

わかってないなあ。

夫は引っ越ししたこともないし、
姓が変わったこともないから、
同窓会のお知らせが来るんだよ。

何回も引っ越ししているわたしとは、まずは事情が違う。
姓だって三つ目。

それに、
同窓会に出席できる、うつ病患者さんを、
わたしは知らない。
そんなことが出来る人がいるのだろうか?
いないと思う。

居たとしても、それはただ、平気なフリをしているに過ぎず、
実に苦しいはずだ。

わたしだって、表面で、それを見せてないから、
夫婦であるのに、夫はわたしの病を理解しない。

複数人と話すなんて高度な技は、不可能なのだ。
同居が無理なのは当然だ。

人と会うときも、わたしは一対一でしか会わない。
三人はもう無理。

ただ、若いときは、自分のそういう特性にまだ気づいていなくて、
人間関係、かなり無理をしていた。

学生のときは、気の合う仲間とのみ、つるんでいればいいが、
就職すると、そうはいかない。
気の合わない人と、いかにうまくやって行くかが、
キーになる。

ストレスの多くは、仕事そのものより、
人間関係にある。

わたしは同窓会になんて興味は無い。
会いたい人は他にいるし、
残された時間も、もう限られている。

みなさんと仲良くしている時間はないし、
好きではないものをしぶしぶ見る時間も惜しい。

どこに、重きを置くかは、人それぞれだ。

わたしは、気持ちのいい部屋に、
今は心を注いでいる。

わたしの初めての「楽園」だと思う。

ベッド、気持ちいいよ。
なかなか起きられないくらいだよ。

もうすぐ手術で、胆のうを失うけど、
この部屋がある限り、きっと乗り越えて行ける。

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飾ることの喜び。

部屋をリフォームしてもらって、
元は食器棚だった書棚を、部屋の中心に据えた。

完全に、飾り棚として使う。

今までしまいこんでいて、飾れなかった粘土の作品も、
初めて日の目を見た。

夕べ、酔った夫が遅くにやってきて、
ディスプレィや照明について、意見を言って行った。

酔っているときのほうが、感性が敏感なのだそうで。

その意見を取り入れて、
限界までに本を減らした。
一回、大きな段ボールで買い取りに出したのだが、
また思い切って一箱捨てることにした。

自分の余命を考えると、
もう一回読みたいと思う本しか置けないことがわかった。
時代が古すぎて、もう読めないだろうなというものを捨てた。

作り付けの書棚の棚板をまた外して、
本の高さギチギチに組んで、あるだけの本を全部収納した。

飾り棚には一冊も本を入れず、
空間を広く取って、
ガラスが見栄えがいいように変更し、
今後、買い足せるように、マグカップのスペースに余裕を持たせた。

満足の行く、仕上がりになった。

わたしは、自分の部屋をもらった11歳の頃から、
飾り棚を持っている子供だった。
やはりガラス瓶が好きで、
海に行くと、泳げないし濡れるのも嫌いなので、
綺麗な石や貝殻を拾うことに熱中した。

それを何回も引っ越ししながら、持って来ていたのだ。

今回は、大幅に捨てた。
半分くらいは、捨てたり、
いいものに関しては、美容師さんのお子さんにもらっていただいた。

飾ることは、間引くことなので、
ギチギチ派のわたしには難しい。

でも、人生の集大成が出来たような感じがする。

ガラス。
陶器。
粘土。
以上のものをそれぞれ飾った。

すごくいい仕上がりになったので、
早く友達や、息子夫婦に見てもらいたいと思う。


月曜日から、予定がびっしり。
木曜日の午前中に入院で、
金曜日が手術。

最短で翌週の火曜日退院だが、
麻酔の副作用で吐くわたしは、
翌日のお昼ご飯を食べられるとは思えないし、
吐き気で、立ち上がることも難しい。
だから、火曜日退院は、難しいと思っている。

もちろん、努力はするけれど、
吐き気だけは、どうにもならない。

手術当日、フットポンプをつけられ、
色んな管が入っている身体で、
寝ているだけでもしんどいのに、
その身体で吐くのは、本当に辛い。

仰向けで吐けるわけもなく、
吐き気が来ると、様々な不都合や傷の痛みに耐えて、
上体を起こして下を向き、
おえええ~、となる。
傷なんて開いてしまうんじゃないかと思うような強烈な吐き気。
あれが最も辛い。

あれさえ無ければなあ。
痛みは、薄紙をはがすように一日一日軽くなっていくから。


飾り棚は、照明をもうひと頑張りだが、
一旦これで完成。

退院して動けるようになったら、
また照明を仕入れて、きっちり完成させよう。

不思議なもので、部屋の中に、綺麗な場所があると、
部屋全体を、綺麗に保ちたい気持ちが生まれる。

それはとてもいいことだ。
自分も気分がいい。

ベッドになって本当に楽だ。
嬉しい。
手術のあと、頑張って、早くこの部屋に帰って来よう。

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30倍の狭き門。

今朝、手術をする病院の主治医から電話があった。

入院前に、麻酔科で診察を受けて欲しいとのこと。
わたしが、精神科の薬を沢山飲んでいること、
胃カメラでの麻酔が効かなかったこと、
リウマチの治療を一時中断しており、
すでに、痛みやこわばりという症状が再発していること…。

多分、麻酔の副作用で、吐くことも含めて、
事前に面談をして欲しいということだろう。

来週のいつなら来られるか聞かれた。

木曜日にもう入院するのだが、
月曜日は、リフォームの立会いと、精神科の通院。
火曜日は、マッサージとシャンプー。
どちらもギチギチだ。

水曜しか空いてないのですが、と言ったら、
入院前日だけれども、それでも、ゆっくり面談してもらいたいので、
では水曜日に来てください、
終わったら外科に寄ってくださいと言われた。

丁寧で、ありがたい。
患者本位で考えてくれていることがひしひしと伝わる。
いい先生に出会えて本当に良かった。

お電話をお借りしてお尋ねしたら、
手術当日は、わたしが朝イチだそうで、
オペ出しは朝の8時半だそうだ。
これは、ずれ込みようがないので、夫も午後の計画が立てやすいだろう。


ずっと根を詰めて色んな作業をしてきたので、
今日はちょっと、ゆっくりしようと思った。

パソコンには、メールが数百件たまったままになっている。
それを確認しながら、削除しようと思って、
メール画面を立ち上げ、一番最初に戻した。

わたしがパソコンを持ったのは、2005年。
11年前、今の夫に、もらった。
そのときからのメルアドなので、そのときからのメールが残っていた。

自分の送ったメールが添付されたまま帰って来ているメールもあり、
その当時、自分がこんなことを書いていたのかと、
驚くような内容もあった。

でも、一番衝撃的だったのは、
ちまの件だ。


ちまは、夫が見つけた猫だ。

何かで言い争いになり、わたしはパニックを起こして、
過呼吸で倒れているその横で、
夫はわたしのパソコンをしれっと開いて、
「この子どう? 可愛いよ?」
と言ったのだ。

わたしの発作になんて、興味はもうなくなっていた。

お腹のぽっこりとした、小さい子猫だった。
白地に、サバトラ柄で、(一番近いのは、牛柄、だと思う)
ピンクのお鼻には焦げ茶色のぶちがあった。

可愛かったが、
見た目というより、なにか、性格的なことに、とても惹かれた。
何故、それがわかったのか、今となってはもう覚えていない。

問い合わせをしてみると、
返事が来たのだが、
ちまは、なんと、倍率30倍の、超人気子猫ちゃんだったのだ。

すごい数の問い合わせが殺到したそうだ。

見る目のある人が沢山いたってことだ。

だから、最初は、お譲りできると確約はできませんが、
会うだけ会ってみますか?
それでもいいですか?という応対だった。

わたしは、
ちまちゃんの幸せが一番ですので、そのことを優先させてください、
もしご縁が繋がらなかったとしても、
ちまちゃんの幸せを祈ります、と返事してあった。

幸い、早い段階で、会わせてもらうことが出来た。
保護主さんのマンションの、集会室で会ったのだが、
子猫が二匹居て、
扉を開けたとたんに寄って来たほうが、ちまだった。

すっごくちいちゃかった!

こんなにふわふわで、ちいちゃい生き物を、
初めて見た。

わたしが座って、ちまに挨拶すると、
ちまはまず、わたしの、長い前髪に飛びついて来た。
天真爛漫で、人見知りをしない、明るい猫のようだった。

もう一匹の三毛猫は、ちょっとオドオドしていたが、
ちまが、次に、あぐらをかいた夫によじ登り始めると、
競うように、二匹が夫の膝のなかにもぐった。

ちまが勝って、ちまは夫に登り、
腕の上に乗って、うとうとし始めた。

「かわいい…。」
そう言って微笑む夫のその様子を見て、
保護主さんは、この夫婦にちまを託そうと決めてくれたのだ。

その場で、即決してくれた。

30倍の確率を勝ち抜いたのだ。

そうして、「ねこ型天使ちゃん」であるちまは、
名前も、そのままで、うちのお姫様になってくれた。

ちま、という名前は、
保護主さんが、ブログで募集した仮名で、
「チビ+タマ」で、ちま、という由来らしかった。

わたしたちは、あずきちゃんとか、
みかんちゃんとか、考えていたのだが、
譲ってもらえると決まった帰りの車で、
声に出して呼んでみて、
あの子には、「ちま」が一番似合う!と一致したのだった。

見た目どうこうより、
ちまはやはり、性格が可愛い。
フレンドリーで明るくて人懐っこくて、
物怖じせず、いじけることも怒ることもない。

いつもシッポをピンと立てて、
ご機嫌なにゃんこだ。

あれから7年以上が経った。

もうちまは、膝にジャンプしてこなくなったし、
ねこじゃらしでも遊ばなくなった。
おっとりと暮らしている。

今年になって、お腹がゆるくなり、ずいぶん心配したし、
何回も高い検査を受けたが、
4ヶ月経って、やっと落ち着いて来た。

初めての下痢のときは、
お尻からお水が出て、
ちまは、「これ、どういうこと…?」と、
トイレの中で、立ち尽くしていたよ。

治って良かった。

今は、わたしのベッドの横に設置した、
ふかふかのゴージャスベッドで、
毎日一緒に寝ている。

一時は体重が6.5キロある大きなねこになったが、
今は5.4キロくらい。
でも、顔がちいちゃいので、身体とアンバランスなんだよ。

お嫁ちゃんが、「ちまちゃんに会いたい。」と言ってくれるくらい、
ちまは可愛がられている。

天使ちゃんだからね。

そうかあ。
倍率30は、すごかったなあ。

ちまがうちに来てくれて、本当に幸せだ。

ちまは、パパに、取り入ったんだよね。
決定権があるのはこの人だ、ってわかったんだよね?
必死によじ登って、もう一匹の子猫に勝ったんだもんね。


誰とも会わず、誰とも喋らなくても、
わたしは平気。

少し部屋を整え、
日によって、ガラスを磨いたり、
ガスコンロを磨いたり、
クイックルかけたりする。

自分の分だけの、
少量の料理を作り、
好きな音楽を小さく流しながら、一人で食べる。

こういう暮らしが、わたしは大好きだ。
わたしにはこれが合っている。
大人数はとてもじゃないけど、無理。

ちまと二人で、静かに暮らす。

これが最上の幸せ。

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こころがうつくしい。

わたしは、わたしの心が美しいとは思えない。

何年もカウンセリングで吐き出しているのに、
怒りが消えない。
後悔もなくならない。

でも、うつくしい心を持った人のことは、わかる。

息子の魂は、うつくしいと思った。
わたしとは比べようも無い、高い次元の魂だと思った。

その息子が、初めて、
「彼女が出来た。」と話してくれたとき、
ああ、それはもう、結婚に至る運命の人なのだと、
瞬時に思った。

名前、境遇、誕生日、血液型、
何をたずねても、やはり運命の相手なのだと思えた。

お嫁ちゃんに初めて会ったのは、
東日本大震災の次の週。

わたしは横浜での個展の初日に被災し、
ギャラリーで泊まらせてもらった。

個展は、翌週の週末に、延期してまたやらせてもらったが、
震災当日に来る予定だった人が多く、
震災の悲惨さが辛くて、
あまり人は来なかった。

土曜日に、息子が当時彼女だったお嫁ちゃんを連れて来た。

正直に言うと、
そんなに美人でもないし、
見た目に惹かれたわけではないのが逆に理解できた。

控えめで、優しい声で喋り、
礼儀正しく、
緊張している様子が、初々しかった。
パールのペンダントを欲しがってくれて、
息子は、給料日前でお金がないというので、
もらうつもりもなかったが、そのペンダントを、
わたしがお嫁ちゃんを座らせて、つけてあげた。

帰るときに見送っていると、
何回も振り返って、頭を下げていた。

4年も付き合って、彼らは結婚した。

仲がいいというのは、こういうことなのか、と
びっくりするような夫婦になった。

二人は、「きょうだい?」と聞かれるくらい、似ている。
ソウルメイトとは、そういうものだ。


夫と再婚するとき、
次女は、人見知りが激しいので、
他人が家庭に入ってくることを嫌がって泣いたそうだ。
親の前で、本心を出して泣けるなんて、とてもうらやましい。
お姑さんも、わたしを良くは思わなかった。
一緒に住んでもいいが、籍を入れるなと言った。

でも、長女だけが、
「パパと結婚してくれてありがとう。」と言ってくれた。

彼女は、息子と同い年だが、
彼女一人が、パパの孤独に気づいていたのだ。

だから、家事がまったくできないわたしでも、
パパには居た方がいいと思ってくれたのだと思う。

彼女は、先妻さんにそっくりだ。
見た目が、見分けがつかないくらい、似ている。
同じ優しさも持ち合わせている。

それを、理解した存在がある。

ムギ。

夫が出張で留守のとき、
朝は、長女がムギに餌をやってくれている。
ゴミ出しもお願いしていて、わたしはすっかり甘えている。

先日書いたように、
ムギは、「状況」にすごく執着する猫だ。

小屋の前に決まった敷物があり、
そこに座椅子を置いて、わたしたちが座らないと、
ムギは寄ってこない。
立っている足元にじゃれつくなんて、絶対にしてこない。

だから、多少の雨風でも、その状態を作らないと、
会ってもらえない。
敷物が無いと、来ない。
先日は、敷物が湿っているので、バスタオルを敷いたら、
その感触がいつもと違うから嫌だといって離れてしまったくらいだ。

夕べ、雨だったけれど、
状況を作って、ムギに会えて、
そのあとも雨がひどくなる予報だったので、
わたしは夜中に敷物と座椅子を、室内に片付けた。

朝、長女が餌をやってくれたとき、ムギは小屋にいただろうかと、
気になってメールで聞いてみた。

すると、
ムギはちゃんと小屋に入っていたらしかった。
良かった。夕べから今朝は冷えたからね。

そして、長女が餌をお皿に出していると、
ムギが近付いて来たという。

そして、彼女の手から、餌を直接食べた、と
返事が来た。

ええ?
ウソ!
そんなことってある?

にわかには信じがたかった。

だって、片付けてある敷物と座椅子を、長女は、出していないのだ。
それら無しで、ムギはおねえちゃんに近寄って行ったという事だ。

それ…
すごくない?
すごいよね?
すごいよ!!

びっくりした。
ムギ、何もない状態で、お姉ちゃんに寄って行ったのだよ。

夕べ夜中に、ご飯はいっぱい食べた。
だから、食べることだけが目的ではないと思う。

おねえちゃんが時々世話をしてくれて、
おねえちゃんはやさしくて、
おねえちゃんはボクのことが好き、って
ムギは、気づいたのだ。

すごいよムギ。
ムギに、家族が増えて、嬉しいよ。
おねえちゃんがやさしいこと、わかったんだね?

動物の心は、ごまかせない。
邪念なく、人を見るので、純粋な判断だと思う。

ムギにはわかったんだね。
ムギ、もう一人、甘えられる人ができて、良かったね。

長女には、それがどんなにすごいことかをメールしておいた。


ムギが夫の和室にいるとき、
わたしは、罪悪感で辛すぎて、
ほとんど、ムギのところに行けなかった。
行くとお姑さんが来て毎日同じ話をされることも苦痛で、
脚が遠のいていた。

その時期には、ただの一枚も、
ムギの写真を撮っていない。

わたしの代わりに、長女と末っ子くんが、
ムギの世話に参加していてくれた。

それを覚えていると思う。

ムギはいつも、たんすの上にある段ボール箱の上から、
しらーっとわたしを見下ろしていた。

寄って来てはくれなかった。

自分を捨てた人だと思って見下ろしていたと思う。
わたしは、自分のことが恥ずかしかった。
安易に、ちまと三人で暮らせると思って、浅はかだった。
激しく悔やんだ。

それからムギがお外に出て行き、
ガレージを選び、
夫が床を張り小屋を置いて、
ムギは、「うちの外猫」になった。

器量がいいし、声も可愛いし、
きっともっといい飼い主さんに出会えると思うのに、
ムギは自分の意思で、ガレージに置いた小屋に居てくれている。

その生活になって一年が過ぎた。
ムギは毎日頑張っている。

そして、おねえちゃんが味方であること、
自分を可愛いと思ってくれてることを、
しっかり理解したのだ。

長女も、うつくしい魂の持ち主だからね。
ムギには見えるんだよね。


夫の長い出張のとき、
わたしは重圧で心がしんどい。
何かあったら、わたしがちまムギを守らなくてはならない。

でも、長女が加わってくれた。
ムギが安心して甘えられる存在になった。
ありがたい。
とても嬉しい。

ムギ良かったね。家族が増えたんだね。
ずっと仲良くしていこうね。

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悲しいラケット。

部屋がリフォームされて、
ベッドの導入にあわせて家具の配置も全部変えた。

この機会にと、押入れの奥や、クローゼットの上の棚を、
全部見た。

捨てられるものは捨てて、
使わないけど、捨てるに惜しいものは、
一応取って置く。

クローゼットの上の棚の、
一番端の、一番奥に、平たい箱があった。
わたしはそれを、手織物のキットだと思っていた。
確か、簡易機織りを持っていたのだ。

そう思って開けてみると、
中から出てきたのは、
卓球のラケットだった。

息子の、中学生の時のものだ。

ここにある、ってことは、
息子が独り立ちをして引っ越したあと、
残していった物の中から、わざわざチョイスして、
再婚の時に、持って来たということだ。

そして、アパートに越してきた時にも、
持って来て、でも、一番奥の、一番端に、自分が入れたということだ。

記憶になかった。

ビニールのケースから出してみた。

欠けているし、ゴムもはがれていて、ボロボロだった。

そうだよね。
買い換えてあげた記憶がないから、
3年間、これ一本だったんだよね。

そしたら、過去の記憶がよみがえってきて、
泣いてしまった。


息子は、中学に入って、部活を選ぶとき、
バスケ部に入りたいと言った。

しかし、わたしは、それを叶えてやれなかったのだ。

当時、諸事情で、極貧だった。
わたしは昼も夜も働いていた。

資料を読むと、バスケ部は、
ユニフォーム代、靴代、お揃いのカバン代などで、
最初に、5万くらいかかることがわかった。

その、たった5万を、出してやれなかったのだ。

わたしも、親に理解されず、夢を断たれた身なので、
辛かったが、
息子には事実を話して、
ラケット一本だけあればいい、という、卓球部にしてもらったのだ。
靴も学校の体育用の靴で良かった。

スポーツショップに行って、
一番安いラケットを一本と、ボールを2個か3個買った。
それだけ。


部活が始まり、初日に、息子が帰ってきた。
部屋に様子を見に行くと、息子が泣き出した。

「ボク以外、全員が経験者だったよ。ボクだけ玉に当たらないんだよ。」
そう言って、涙をこぼした。

ああ、何ということだろう!
やりたいバスケをやらせてやれず、卓球部に入れたら、
こんな辛い思いをするなんて。

わたしは息子の肩を抱いて、
「泣いていいよ、ママしかいないんだから、泣いていいよ。」
と言って泣かせてやった。

そしてわたしも、親として、思いを叶えてあげられないことが辛くて、
一緒に泣いた。

泣かせてもらえなかったわたしの少女時代。
苦しかったので、
息子には泣かせてやろうと、思っていたのだ。

でも、こんなことで泣かせてしまうなんて。
申し訳なくて辛かった。

お互いに泣き止んでから、
座卓で、二人で練習をした。
息子はその安いラケットを持ち、
わたしは小さい下敷きを使って、ボールを打ち合った。

しっかり玉を見ていてね、
見ていれば、必ず、当たるようになるからね、と
励ましながら練習した。

2~3日、練習したと思う。

そのうち、息子は、辛そうではなくなってきた。

夏休みも、毎日休まずに、部活に行っていた。
毎日、お弁当持ちだ。

わたしが繰り返しブログ記事に書いている、
「エビのシッポ」事件は、
この年の夏休みのことである。

食材も買えずに、貧しいお弁当だった。

息子は、一日も休まずに、部活に参加した。

しかし、あまり上達はしなかったらしくて、
ずっと、補欠だった。
試合の日も、大雨で、カッパを着て、他の学校まで遠征したが、
やっぱりずっと、補欠だった。

担任の先生が、卓球部の顧問だったので、
保護者面談の時に、
真面目に頑張ってくれているのに、
試合に出してやれていなくてすみません、と言われた。

息子は、試合に出られなくても、
腐ることなく、
毎日部活に行っていた。

偉いと思った。
本人も、自分が上手ではないことはわかっているだろう。
やりたかったバスケでもない。

でも、腐らず、諦めず、放棄せずに、
三年間、休まずに続けた。
それは、すごいと思う。

わたしは、ラケットを撫でながら泣いた。

こんなにボロボロだったんだ。
途中で買い換えてあげれば良かった。
下手でも、毎日頑張っていたのに、
こんなラケットだったんだ。


わたしは、グラフィックデザインをやることが夢だったが、
そんな言葉すら知らない親に阻止された。

だから、息子の辛さはわかるし、
それでも腐らずに行き続けた彼は、偉いと思う。

結果は何も残せなかったかもしれない。
記録としての結果はなかったかもしれない。

でも、わたしの心に、
頑張っていた息子の姿が、はっきりと残っている。

多分、それを一生忘れないために、
わたしはこのラケットを持って嫁に来たのだ。

偉かったね。
頑張ったね。
ママ、見ていたよ。わかっていたよ。

ちゃんと真面目に取り組む姿、他の場面でも知っているよ。

わたしは息子を誇りに思う。

ラケットは、大事に取っておく。

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嵐の夜の辛いこと。

雨がすごかったが、美容院だったので、
お昼に出掛けた。

夫に商品券をもらったので、
それで何か食べて、何か買おうと思っていたのだが、
セリアで物色しているときに、メガネを落として踏んだ。
ぐにーって曲がってしまった。

仕方なく、zoffに直行。
気に入っているフレームなのだが、直せないなら、
商品券はメガネでおしまい。

でも、小さいネジを取り替えてくれて、フレームは復活した。
視力が変わってしまって見えにくいので、
度数を変えてレンズを入れてもらった。

その間に遅いランチをした。
余りにも食べたいものがありすぎて迷いに迷った。

メガネを受け取り、スーパーで食材を買った。
駅に行くと、すごい大雨なのがわかった。
ムギは、どうしているだろう。
ちゃんと小屋に入っていてくれるだろうか。

帰宅して、シャワーして、ちまに餌をやり、
ちまトイレを掃除していたら、背後でちまが吐いた。
あらあら、と振り向くと、
やられた!
新品のベッドに吐かれた。

用心してシーツは二枚かけているが、すぐにはがさないと大変。
そうこうしていると、二回目吐きそうになっていて、見ると、
これも新しいラグで吐こうとしているので、
ちょっとお尻を押して、床で吐いてもらった。

ラグは、何度も吐かれて、捨てて、買ったばかりなんだよね。


雨がものすごいことになっていた。
ニュースを見たら、これからがもっとひどくなると言っていて、
これではムギが可哀想だ。
何とか保護して、浴室に連れて来よう、と思った。

大雨の中、わたしが行くと、ムギから声をかけてきた。
ムギちゃん,いるのね?
夫の部屋の押入れから、ムギのキャリーバッグを出して、
ムギのリビングにスタンバイ。

ムギは、すごく、「状態」に執着する子だ。

小屋の前に、ちゃんと敷物があり、
わたしや夫が、その前の座椅子に座らないと、
来ない。

わたしたちが立っていると、来ない。
座ったとしても、敷物が無いと、来ない。
昨日は、敷物が湿っているので、バスタオルを敷いたら、
その感触がいつもと違うから嫌だと言って離れた。

だから、雨が吹き込む中、「いつもの状態」を作って、
「ムギおいで。」と、何回も呼んだ。

わたしが来たときは、ムギから声をかけてきて、
助けて!って言ってるような声だったのに、
待っても待っても、もう声も出さず、出て来てもくれない。
多分、物置小屋の下にでももぐっているのだと思うが、
待っても待っても来てくれないので、
泣く泣く諦めて、部屋に帰った。

こんなひどい天気のときに、保護してやれないなんて。
ふがいない。
辛い。
こんなことなら、昨日からちゃんと天気予報を見て、
ゆうべのうちに、夫に連れて来てもらえば良かったよ。

ムギ、ごめんよ…。
濡れてない?
小屋にご飯入れたからね…。

ご飯を炊き、
汚れたシーツを洗濯機にかけ、
大根の煮物をしながら、
ベッドにあがってクッションにもたれて、
わたしは辛くて泣いた。

ちまが飛び乗ってきて、抱っこをせがんだ。
濡れた顔を舐めてくれる。

ベッドの横に、小さいチェストを持って来て、
その上に、ちまのゴージャスベッドを設置した。
リフォームして、ベッドを導入することが決まったときに、
考えた配置だ。
そのチェストには、小さい市松人形を飾ってあったが、
ガラスケースだし、地震が怖いので、飾り棚に組み込み、
チェストにはちまのベッドを置いたら、
高さがちょうど良くて、一緒に寝てる感があるんじゃないかと思ったのだ。

ちま、今夜そのことに初めて気が付いて、
喜んでゴージャスベッドで寝ている。

夜中になって、雨が小降りになった。
台風、きっと行っちゃったんだ。
わたしは大量のタオルを抱えて、ムギのところに行った。

ムギは、ちゃんと車の下にいて、呼びかけて来た。

ムギのリビングの床をタオルで何回も拭いて、
敷物と、座椅子を設置して、ムギを呼ぶ。
なかなか来ない。

来たと思ったら、文句を言われた。
あのひどい雨の中、出来たのは、小屋に餌を入れるだけだった。
助けてくれなかった、と思ってるんだろう。

敷物を交換したら、一番好きなのじゃなくなったからって、
嫌がった。
だってムギ、洗濯もしなくちゃだもの。

ちょっとだけ撫でられて、「何かくれ!」というので、
開封したばかりのおかかをやった。
それを食べたら、プイッと居なくなってしまった。
しばらく待っていたが、帰って来ないので、わたしも部屋に帰った。


荒天の時は、保護して浴室に入れてやりたい。
でもそれは、わたしの罪悪感を減らすためだ。
ムギがそれを望むかどうかは、別次元なのだ。

無理に連れて来て、また外に放して、
それでムギが怒ってしまった経緯があるので、
無理はできないし、ムギが望んでいるわけではないことを知っている。

でも雨の日や、雪の日は、辛い。
ムギのほうはもっと辛いのに、ちゃんと居てくれている。

ムギほどの器量の猫なら、きっと飼いたい人がいると思うが、
ムギがガレージを選んでくれた。

精一杯のことをしてやりたい。
台風の日は辛いよ。

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こんなところにこんなものが。

ベッドで初めて寝た。
ちょっと硬いんじゃ?と思いつつ眠った。

気持ちいい。
しっかり点でホールドしてくれている感がある。
何度か目が覚めたのだが、起きられない。
気持ちよく眠れた。
落っこちなかった。

お昼ごはんにトーストを食べて、
あとはいつでもすぐ食べられるように、ポトフを作った。
退院してすぐに作ったのがポトフだった。
コンソメと塩と胡椒。
沢山入れた玉ねぎから甘みが出て美味しい。

そうしておいて、いよいよ、ベッドの引き出しに取り掛かった。

まずは、最も気がかりだった、「非常用」物資のまとめ。
徐々に買い揃えたため、色んな場所に保管されていて、
いざという時に、何がどこにあるかわからないようでは、
意味をなさないので、
まとめたかったのだ。

ベッドには、深くて奥行きもある大きな引き出しが二杯ある。
その一つを使って、非常用品を収納した。

食品は、同時期に買ったらしく、
どれも今年の春から夏で賞味期限が切れていた。
もう少し長持ちする、料理っぽいものを次は買おう。

絶食してわかったのだが、
体が弱っている時に、クリーム玄米ブランとかを食べるのは無理だ。
旨みのある、汁が必要だ。
ブラン系はおやつとして消費して、
また非常用の、汁や料理を買い揃えよう。

引き出しは満杯になった。
まだ猫用品とかは用意してないから、全然足りない。

この建物が無事で、室内で被災したとしたら、
しばらくは暮らせるようになっているが、
持ち出すとなると、容易ではない。
地震、どうか、家にいるときにして欲しい。

もう一つの深い引き出しには、
わたしの大きなトートバッグを3つと、
ショルダーバッグなどを収納。
今までは、クローゼットの引き出し箪笥の上にバッグを保管していた。
服と重なって、使いづらかった。
しかも、ちまがもぐりたがって、
鞄入れの袋をボロボロにされる。

これで、鞄も安全。
クローゼットにも空間が生まれて、物を出し入れしやすくなった。

押入れの奥の奥も全部出してみた。
こんなところに、なぜこれをしまったのか?
わからないし、記憶にない。

収納場所を変更しないと。

布類も全部、把握して、一まとめにしようと、
部屋に広げているときに、夫が来た。
あまりの乱雑さにびっくりしたようで、
「これ、入院までに終わるの?」と聞かれた。
うん、今夜中に終わるよ、と言ったら、
それにも驚いていたけど。

雑にしまっていたため、
しわが付いてしまった風呂敷たちにアイロンをかけたい。
掃除機も。お針箱も、アイロンも、簡単に出せるようになった。
でも、今夜はもうここでストップ。

ブレーキが壊れているから、気をつけて、
自分でストップをかけないと、潰れてしまう。
ちょっとだけ、学習したでしょ?

でも、空き箱を使って、
ベッド用のゴミ箱を作ったり、
リモコン入れを作ったりした。
作るのは大好き。
しかし、老眼が進んでいて、
若いときには難なくこなせた作業に手間がかかるようになった。

アクセサリー作りは、辞め時だったと思う。
リウマチも発症してしまったので、ちょうどいい引き際だったと思う。


500色の色鉛筆は、
飾り棚では、ディスプレィできないことが判明した。
白い、作り付けの棚を使うしかない。

作り付けの棚には、本のすべてを、
すごく綺麗に並べることが出来て、
気に入って、ご満悦だったのだが、
家具の配置上、二段分を、ちまのトイレスペースに取られた。
なので、以前より収納力に劣るのだ。

今日、家具の中の引き出しをだいぶ空けたので、
そこに、カタログや、道具類を片付けて、
書棚をまた一から組みなおす必要が出た。

あ~あ、すごくきっちり綺麗に並べたのにな。
500色、恐るべし。

明日以降、またコツコツやっていこう。

今夜は大雨が降っている。
夕べは、ムギは小屋に入ってくつろいでいたが、
今夜も入っていてくれるだろうか。

会えないかもしれないけど、このあと見に行ってみる。
涼しくなって、小屋の中のベッドの敷物を、
タオルからフリースに替えてあげたほうがいいかもしれない。

今日の朝から、夫が出張で留守になる。
ムギのことを思うと緊張する。
守ってやらなくちゃならないからね。

ちまは、わたしがベッドの上で、クッションを背に座っていると、
ピョンと飛び乗って、くっついて来る。
ちまも、ベッド気に入ったね。
一緒に寝ようね。

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とうとうベッドがやってきた!

工事が終わって、足場が外れるまでは駄目だよと言われていたが、
リフォーム工事は、遅れており、
わたしの入院の日にも終了しているかどうかわからない。

ベッドがどれくらいまで分割されるかを聞いて、
もう買ってしまったら?と夫が言ってくれて、
足場をくぐって、
ベッドがやってきた。

数十年ぶりのベッドだよ。
嬉しいよ。

色だけは譲れない、と思って、
建具やテーブルと同じ、濃い焦げ茶色のを買うつもりだったのだが、
ベッドに登って洗濯物を干す設定で、
もう部屋に竿が通っているため、
強度に不安があって立てないベッドは、
諦めるしかなかった。

だから、ちょっと明るい茶色になってしまった。
部屋の中に、いろんな茶色が氾濫してしまい、
そこは本当に残念。

でも、通販で買うのは余りにも怖いので、
ニトリも見たが、いいのがなくて、
近所の島忠で購入した。

搬入には二人来て、
一人が下の通路でパーツを組み立て、
それをもう一人が持ち運んできて、
部屋の中で、静かに組んで行った。

わたしの部屋は、
公道から私道に直角に入り、
そこから直角に曲がってアパートの下に来て、
また直角に曲がって急な階段を登り、
そしてまた直角に玄関に入る、という、
超難関な場所である。
だから、分厚い、折れ曲がらないマットレスは、搬入は無理だ。

買ったのは、西川の「Air」という布団。
今までの「ムアツ」の進化系だ。

一番グレードの高いのをと考えていたのだが、
店の人に、
「それは、アスリートが使うレベルですよ。」と、
暗に止められた。

なので、真ん中のレベルのにしたが、
レギュラーとハードで迷っていると、
店員さん2名と、夫の計3名が、
「ハードでしょう。」と言う。
ええ?
確かに重たそうでしょうが…。
ハードに決定。


今日は、
ほかに始めてしまったことがあったので、それを先に終わらせて、
ベッドに着手。

ベッドを拭いて、しばらく放置し、
湿気を取ってくれる炭入りの伸びーるマットをセット。
それから、布団を広げる。
思ってたよりも厚みがある。
くっ。
これに一人でカバーとシーツをかけるのか…。
でもそれをやらねば寝ることが出来ない。

必死にカバーとシーツをかけた。
汗だくになったので、シャワーした。

すっきりしたので、寝てみた。
ちまがジャンプしてすぐにお腹に合流。

うん。
ハードだね。
めちゃ「点」で支えてる感があるね。
これで身体のコリが解消されるならいいなあ。
期待しちゃう。

収納型ベッドなので、深くて大きな引き出しが二杯、
平たい引き出しが二杯、ついている。
一つには、非常時用のものをまとめて入れる予定。
今は、あちこちに散在していて、
非常時にちゃんと出して使えるか不安な状態だからだ。

あとは、わたしの普段使いの、大きなトートバッグを収納。
同じ形のバッグを、色違いで4色持っている。
それを収納できる深さであることは、買うときに試したので大丈夫。

かなりな収納力なので、押入れがすっきりして、
どちらもゆとりが生まれて使いやすくなるはず。

残念なのは色だけ。
実際にベッドに上がって、洗濯物を干してみたが、
ベッドは、たわむことも、きしむこともなかった。
引き出しが桐材なので、新品のたんすのようないい匂いがする。

恋焦がれていたベッドが、とうとうわたしのところに来たよ。
嬉しい。
大事に、一生使う。

ちまは、最初は恐る恐る嗅いでいたが、
軽くジャンプして乗ってくる。
ちま、これからずっと、ここで一緒に寝るんだよ?

北の窓にぴったりくっついて寝ることになるのだが、
新しい窓は、二重サッシで、断熱効果が抜群。
しかも、シャッターがついているので、
窓を開けるつもりはないから、
シャッターを下ろしておけば、断熱すごいんじゃない?

シャッター、要るかなあ?と思ってたけど、
付けてもらって正解だ。

早く退院して、飾り棚を綺麗にディスプレーして、
息子たちや、友達に来て、見てもらいたい。
飾り棚用のLEDライトも購入。
楽しみだな。

夕方、ムギと一時間ぐらい一緒に過ごした。
夕べは、約束してたのに、ムギは留守で、
呼んでも呼んでも帰って来なくて、会えなかったのだ。

可愛いから、もう一軒、おうちがあるのかもね。
ムギにはムギの事情があるんだよね。
でも、行って会えないと本当に寂しくてがっかりする。

もちろん、居てくれることが当たり前とは思っていないよ。
居てくれることに、毎日感謝してる。

このあと、ゴミを置きにガレージに行くので、
ひょっとしたらまた会えるかな。
夕方、おかかはやったので、今度はスープにしようかな。

ベッド生活、
スタートです。
まさかわたし、落っこちないよね?

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しつけの役割。

しつけは、小さいうちに始めないといけないと思う。
特に、食べるときのしつけが出来ていないと、
たったそれだけで、彼女に振られることだってある。
わたしはそう思って、息子にしつけをした。

前夫は、もうあきれるぐらいにしつけのなされていない奴だった。

わたしが一人でバタバタして夕飯を作り、
テーブルに運んで並べ始めると、
前夫は、一人で勝手に食べ始めてしまうのだ。

おいちょっと待て。
食卓に全員が揃ってから、(たった3人)
「いただきます。」と言ってから食え。
「いただきます。」とは、
食材に対してと、作ってくれた人に対して言うべき言葉だ。

わたしは、息子より先に、夫をしつけなくてはならなかった。

大食いでデブだったので、
一人分ずつ分けたお皿があると、
わたしの皿から、さっと盗む。

外食なんかに行くと、大食いなのですごい金額がかかる。

冷凍庫の氷を使い、
なくなると、製氷皿の氷まで使い、
なんと、その空っぽの製氷皿を、
空っぽのまま、冷凍庫に戻すような奴だったのだ。

考えられない!

しつけてもしつけても、追いつかなかった。

息子にも、食事のときの注意はいっぱいした。
マナーがなってなくて、
そのせいで女の子に振られてしまったら、
それは親の責任だと思うからだ。

食べるときのふるまいには、
明らかに、人格が現れる。
だから、一緒に食事をして不愉快な人とは、
結婚してはならないと思う。

自分が息子を育てる勢いで、夫をしつける意思があれば別だが。

わたしが息子に口うるさく言うと、
だらしがない前夫は、
「食べるときくらい、好きにさせてやれ!」と言いやがった。
「あなたみたいになっては困るから、今からしつけるのよ!」と
わたしは正面から反論した。

くちゃくちゃと音を立てて、
人の皿から盗むような男になっては大変だからだ。

わたしがたまに出掛けるとき、
「じゃあ行ってきます。お願いします。」と言うと、
「早く帰って来いよ?」と言う。
あのねえ、とわたしは向き直り、
あなたが、遊びに出掛ける立場だとしたら、
早く帰って来いよ、と言われるのと、
たまにだからゆっくりして来い、と言われるのと、
どっちが気分がいい?

ぐうの音も出ない。
それはそのはずだ。

そんなしつけを延々続けた。

脱いだら脱ぎっぱなし、
使ったら使いっぱなし、
開けたら開けっ放し。

何かをお願いしても、絶対にやってくれない。
仕方なく他の人に頼むと、
何で他人に頼むんや!と言う。
お前がやらないからだろうが!
とは言わないにしても、
あのねえ、あなたが、会社で、これコピーしてって頼んだとするよ、
はい、ってやってもらえるのと、
えーって言われるのでは、どっちが気分がいい?

ほとほと疲れて離婚した。
理由なんて一つや二つじゃない。
何百とある。

息子には、前夫のようにだけはなって欲しくなかったので、
人から何かを頼まれた時に、
もし、それができないのであれば、
出来ない理由を、きちんと伝えて断るように、としつけた。

それぞれが得意なことをやり、
補い合っていくのが人間関係だからね、と教えた。

幸せは、人からはもらえない。
自分が幸せだと思った、その自分の中に、
幸せはあるものなんだよ、と教えた。

貧乏だったけど、息子はそのとき、
「じゃあボクは幸せだ。」と言ってくれた。

反面教師が身近にいたので、
息子は、頼みは断らない子になった。

今は、なんでも率先してテキパキやって、
お嫁ちゃんに、頼られているらしい。

良かったよ。
いい結婚が出来て、本当に良かった。


食べることは、生きることなので、
一緒に食べているときに不愉快だと、
その人とは暮らせない。

外食だけだと見抜けないことも多いが、
品がある人を、ちゃんと見極めて欲しい。

じゃないと、子供より、夫をしつけるのは、
すごく骨が折れるし、嫌になる作業だよ。

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天使ちゃん・小悪魔ちゃん。

わたしが緊急で入院してしまい、
突然帰ってこなくなったママを、
ちまは、死んでしまったと思ったらしい。

パパには抱っこされたがらず、
舐めたことなんてなかったのに、
必死に夫になつき、甘え、
抱っこされると、夫の顔を舐めたらしい。

もう、パパにすがるしか生きる道はないと思ったのだろう。

ちまは言葉がわかるので、
ちゃんと説明すれば理解してくれるのだが、
ちょっと病院行って来るね、と言ったきり、
わたしが帰らなかったので、
どんなにか不安で寂しかっただろうと思う。

胸が痛む。

だから、退院して帰った時、
出迎えることもなく、
文句を言うこともなく、
ただただ、わたしを見つめて、
ママなの?
本当にママなの?
という目をしていた。

かわいそうな思いをさせた。
次はちゃんと説明してから入院する。

毎日、寝るときは足元で一緒に寝てくれる。
起きたときはいないので、
わたしを寝かしつけてくれているらしい。

お腹に乗られ、いっぱい舐められながら起きる。
おねだりもすごい。
夕べ、小さい牛肉を焼いたら、
「おにくちょ~だい!」と言ってきかなくて、
しかたなく、一度口に含んで胡椒やガーリックを吸って、
小さくしたのを与えた。
離乳食か。


ムギとは、やっといい関係を築いていたのに、
ムギを夜中撫でていた時に痛みが始まって、
その翌日からは、会いに行けなかった。

退院したのは木曜日だったが、
ムギに会いに行く気力が出ず、
せっかくラブラブな関係になれたのに、
一から築き直しか…と思っていた。

でも、ムギは、忘れていなかったし、
ちゃんと待っていてくれた。
日曜日の夜中に行くと、ムギは待っていてくれた。
可愛い声で鳴いて、くっついて来て、
いっぱい甘えてくれた。

良かった。ゼロになっていなかった。
10日間も会いに行かなかったのに、文句も言わず、
怒ってもいなくて、
ただ喜んでくれて、いっぱい甘えてくれた。
嬉しかったなあ。

それから、毎日夜に会おうね、って約束しているのに、
呼んでも呼んでも、ムギが帰って来ない夜がある。

そう遠くにいるとは考えにくい。
外にいれば、声は届いているはずだ。
実際、帰って来てくれるときもあり、
だいたい5分くらいで帰ってくる。

だから、呼んでも呼んでも帰って来ないときは、
何か、事情があるのだ。
何十分待っていても、そういう日は帰って来られない何かがあるんだ。

おととい、会えなくて、
寂しくて、心配だった。
そういう夜は、辛い。

昨日は、車の前でもう待ち構えていてくれた。
歓喜してごろんごろんと転がるムギ。

きゅんきゅん鳴いて、くっついてくる。
寂しかったよって鳴いている。

だってさ、約束すっぽかしたのは、ムギだからね?
ママは約束どおり、会いに来たのに、
ムギって呼んでも帰って来てくれなかったんじゃ…

ムギ、全部を言わせず、
くるっと仰向けになって、悩殺ポーズをしてみせる。
この世で一番可愛いポーズだ。

もう~。

それをされてしまったら、もうメロメロだよ~。

ムギちゃん。
小悪魔ちゃん。
こうすれば人間様がイチコロだって、
よーく知っててやってるね?

去年の冬、パパにもこのポーズを見せて、
まんまと餌をもらう身分を手に入れたんだもんね?

もう~。ムギっち、しょうがないなあ~。
今度からはママが呼んだら帰って来てよ?といいつつ、
わしゃわしゃ撫でて、メロメロ。

わたしが夕飯を作っていないので、
夫がやっている。
夫の時間を作り出すために、わたしがムギと過ごす。

一時間でも二時間でも、
ムギは密着している。

わたしは自分の飲み物と、おやつも持って来ている。
長期戦だからね。

ムギは夏場はあまりカリカリを食べなくて、
ずいぶん痩せてしまっていたが、
食欲の秋が到来したらしく、
一緒にいる間に、「何かくれ!」を、
二度も三度も、発動する。

最初は、一日で一番のお楽しみ、おかかをやる。
嬉しそうに食べて、まだお皿の回りを探している。

また密着して過ごし、
二度目の「何かくれ!」では、
大好きなシーバというカリカリをあげる。
夏の間は、半分も食べられないくらいだったのに、
今は一袋を完食できる。

三度目、「何かくれ!」があると、
Cdといういつものカリカリをやる。

それが終わって、ムギがパトロールに出たタイミングで、
じゃあまた明日ね、と立ち上がって帰る。

このタイミングを逃すと、
エンドレスに突入だから。

ムギは、車の横に立って、
帰っていくわたしの姿をずっと見つめている。

切ない。

ムギだって、お部屋の子になりたいはずだ。
それを狙って、夫に近付いたはずなのに。

今夜は、小雨だった。
ムギは、ちゃんと小屋に入っていてくれた。
小屋を使ってくれると嬉しい。

ムギ、お外でごめんね。
でも、これ、ムギだけの小屋だからね。
寒くなったら、あったかいベッドに替えて、
また暖房も入れてあげるからね。


天使ちゃんと小悪魔ちゃんに囲まれて、
とても幸せ。

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感涙にむせぶ。

従姉の娘ちゃんの結婚式は5月だった。
わたしが当日、突然写真係を仰せ付かり、
プロのカメラマンさんの邪魔をしないよう、
隙間から、いっぱい写真を撮った。

後姿や、
リングピローや、
お料理のすべてを、撮影した。

従姉は働いて家事も全部やっているので、
全然余裕がなくて、
写真をプリントする時間も取れなかった。
わたしでさえ、いろいろ不具合があったので、
やっと9月になって、アルバムが作れたのだ。

それの、豪華版を作って、従姉に送った。
今日、届いて、すごく喜んでくれているメールが来た。

やはり、いくら画素数が良くても、
デジカメの画面で見るのと、
写真プリントで見て、ほかの写真と見比べたりできるのとでは、
ずいぶん違うと思う。
すごく喜んでくれて、
わたしは、嬉しかった。
こんなことなら、もっと早く手をつけてやってあげれば良かったよ。


夜、ムギのところで、ムギとくっついて夜風にあたっていると、
また従姉からメールが来た。

旦那さまが、帰宅してすぐにアルバムに気づき、
見入っていたそうだ。

デジカメのデータとして見ていた時は、
もちろんこのアルバムよりも枚数は多く、
綺麗に見れていたはずなのだが、
我々はまだ、紙媒体の時代の人間である。

こんなに沢山撮ってくれていたの?とびっくりされたそうだ。
こんな場面あったっけ、覚えてないね、とも話したそうだ。
夫婦で繰り返し見て、盛り上がったらしい。

わたしも、息子の結婚式を経験したので、わかっていた。
当事者は、役割や気遣いなどがあって、
式や披露宴を、全体的に見ている余裕がない。

それに、彼女は食べられない食材が多く、
着物で苦しいせいもあって、
ローストビーフ以外は、食べられなかった。
わたしは、カメラマンさんが撮影できない、お料理の写真もすべて撮り、
アルバムに入れて、隣のメモ欄に付箋を貼り、
なんという名前の料理だったかを書いた。
付箋にしたのは、アルバム内で写真を移動してもいいように。

それも喜んでくれた。
娘ちゃんのいい表情を、いっぱい撮れたとも思ったので、
喜んでもらえて、本当に嬉しかった。

そして、次の一行を読んで、
わたしは、こみ上げて来て、泣いた。

「伽羅ちゃんが居てくれて良かった。」と、
旦那さまが言ってくれたそうだ。

居てくれて良かった。
居てくれて良かった…。


泣いていると、ムギが振り向いて心配そうな顔をした。

わたしは、感激して泣いていたのだ。

わたしは今、
すぐに死ぬわけでもないような病気をかかえ、
消耗した精神は元には戻らないまま、
夕飯作りを放棄している。

身体は、頑張れば何とかなるはずだと思う。
でも、心が、頑張れないのだ。

買出しに行き、
灼熱の西向きのキッチンで煮物をし、
お姑さんが変な行動を起こさないよう、
夕方6時までには煮物を持って行き、
盛り付けて、証拠写真を撮り、
食べる人に、写真付きのメニューメールを送り、
帰って来て、寸胴鍋を洗う。

それが、どうしても、やれそうに思えないままなのだ。

誰の役にも立っておらず、
医療費かかりすぎと言われ、
誰からも一切感謝されず、
消費のみをしている、お荷物な自分。

存在意義なんてグラグラだ。
生きててもいいよって証明がどこにもない。

猫たちが、甘えてくっついて来てくれるから、
この子たちのために元気にならなくちゃ、とは思うけど、
今のわたしには、「夫のために頑張らなくちゃ。」という
気力はもうない。
どうせ死なないと思われているし。

だけど、本心では、平気じゃない。
誰だって、人に信頼されて、何かを任せられたら、
嬉しいだろうと思う。
自己肯定感が満たされる。

その、自己肯定感が、なくて、辛かったらしい。
思いがけず、泣けてしまったことで、それを知った。


わたしは、息子が、この世に居てくれたら、それだけで嬉しい。
父がまだ生きていてくれて、それも嬉しい。

でも、そんなふうに、無条件で嬉しいと思ってもらえるのは、
少ないのだ。
大概の関係性は、
これをしてくれるから、これをしてあげる、という見返り主義。

ただシンプルに、
存在をありがたがってもらえることなんて、
なかった。

まさか従姉の旦那さまの言葉に、
泣くとは思わなかった。
感涙、とはこういうものだと思った。

あのアルバムは、
沢山の幸せを生み出してくれた。
任せてもらえたことに、とても感謝する。

ありがとう。
生きてて良かったよ。

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見えるものだけが事実じゃない。

昨日は、病院での、
手術前の説明があったので、
夫に一緒に行ってもらった。

とてもていねいで、わかりやすく説明してくださったし、
何より、わたしが話すとき、
主治医はわたしの目をしっかりと見て、
ただの一回もさえぎらず、
話し終えるまで、黙って聞いていてくれる。

このことは、決して当たり前ではない。
この姿勢にわたしは打たれる。

精神科との連携、リウマチの薬の開始など、
すべてをトータルで進行してくださる。
安心してお任せしようと思える先生だ。

術前検査では、
肝機能の、γ-GTPが3桁で、高いことだけがネックで、
あとは全く問題ないとのこと。
良かった、心電図も引っかからなかったんだ。

わたしはもう、お酒をやめる。
別に飲まなくても平気だ。
酔っ払うほど飲むことは最近ずっとなかったし、
飲んで気が晴れるわけでもないし、
飲む理由はゼロだ。

あとはやはり、脂っこい食べ物は控えたほうがいいとのこと。

入院になってからここまでずっと、
から揚げすら食べていない。
大好きな揚げ物を、体が欲しないのだ。
だから、多分我慢できると思う。

ムギにもキミにも、すごい医療費がかかるよ、と
夫には嫌味を言われた。
ムギは、お金で、命を救えたのだからいいじゃないか。
なぜ今、そういうことをわざわざ言うか、理解しかねる。

夫が用意してくれたヘルシーな夕飯を食べたのだが、
胆のうが無理をしたらしく、具合が悪くなってしまい、
しばらくの間、横になっていた。

ちまが喜んでお腹に乗ってくるのだが、
細い足が、胆のうやすい臓を直撃して辛い。

こんな風に、具合が悪いことは、誰も知らない。
いちいち言わない。
言ってもなにもどうにもならない。

けれど、世の中、
見えているものだけで構成されていると思うのは、
大間違いだ。

見えないところでの努力や我慢、
見えないけれど、激しく無理をしている、
そういうことが、沢山あるのだ。
うつ病患者には、特にそれが多いのだ。

夜、時間を費やすつもりで、ムギのところに行った。
ムギは待っていてくれた。
くっついてきて、離れない。
ひたすら、くっついている。
毛づくろいのときも、くっついたままだ。

後悔しないように、ちまムギとは過ごそう。
結局二時間近く、ムギと過ごした。


今日は久しぶりにカウンセリングに行けた。
少ない時間で、
どんなにひどい仕打ちを受けて、
どんなに憔悴したかを話してきた。
すっきりした。

何も、正解なんてない。
人生には、正解はないのだ。
選択があるだけ。

カウンセリングは、正解を出してくれる場所ではない。

むしろ、正解がなくて苦しい胸のうちを、
だらだら、いつまでも、話してもいい場所だと思う。

繰り返し話すことで、淀みが減ったり、
痛みが和らいだりすることがある。
それで充分、楽になれるのだ。

帰りにロフトに寄った。
もう、来年の手帳が勢揃いしていたので、
吟味して、厳選して、来年の手帳を買った。

ちまムギのことを、毎日書き込めるような、
そういう手帳が欲しくなったのだ。
数百ある手帳の中で、わたしの要望を満たしてくれたのは、
たった一冊だった。

表紙が無地で、透明カバーが付いているので、
好きなシールでカスタマイズしようと思う。

明日は、出掛けない。
ちょっと休む。
洗濯をして、父に手紙を書き、
また猫たちとゆっくり過ごそう。

もうすぐベッドが来る。
楽しみだ。

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後悔しない生き方。

ストッパーがついていないので、
わたしは、やりすぎる。

今日動けるからといって、
明日もまた動ける保証がないことは、
自分が一番わかっている。

だから、動くと決めている日には、
限界を超えるくらい、ぎっちり予定を詰め込む。

ゼロか、120%かの、どちらかしかないのだ。

月曜日は、起きて、すぐに夫とメールをやりとりし、
ムギの無事を確認し、
室内リフォームの予定を決めた。

美容院に行って髪を染めるのだが、
駅に行くまでの間に、
マッサージ屋さんに寄った。

指名しているマッサージ師さんが一人の時間帯だと知ってるからだ。
前に頂き物をしたことがあるし、
先日は、お見舞いねって30分も長く揉んでくれた。
ちょこっとしたお礼がしたくて寄ったのだ。
手ぬぐいの生地で出来た小さなコースターを二枚差し上げた。
コースターはいつも使う派らしくて、喜んでくださった。
次回の予約をした。

それから、パレットプラザに行き、
従姉の娘ちゃんの結婚式の写真を選んで、
プリントをお願いしておいた。
帰りに寄って受け取る。

美容院に早めに到着して、娘ちゃんのアルバムを見てもらった。
生花にも料理にさえも興味津々で見てくれた。
可愛いでしょう~、って、自慢した。

髪を染めてもらいながら、色んな話をして楽しい。
時々、笑い転げる。彼女の手が止まってしまう。

終わって、夫に頼まれたものをハナマサで買い、
スーパーで、粗大ゴミの券を買い、
区役所に行った。
マイナンバーカードを交付してもらったのだ。
5年で更新しなくてはならないらしいが、
その時期に、何かお知らせは来ますか?と尋ねたら、
来ないそうだ。
なんという片手落ちの制度。
運転免許書のほうがずっと親切じゃないか。

その時点でもう空腹だったので、長崎ちゃんぽんを食べた。
久しぶりに、色んな種類の野菜を食べて美味しかった。


夕べは、ムギに会えなかったのだ。
時間を作って行ったのに、呼んでも呼んでも帰って来なくて、
わたしは、その前日、会いに来なかったことを激しく後悔した。

ムギは外の猫だ。
いつ、どこで、なにかがあって、会えなくなるかわからないのに。

もう後悔することがないよう、
毎日を生きていこうと思った。
なので、夕方、腹ごしらえをしておいて、
ムギとの時間を作り出したのだ。

帰り道、ベーグルを買い、
写真を受け取り、
飲み物を買って、やっと帰宅。

つ…疲れた…。

でもわかってる。
ストッパーはない。
止められない。

ちまに餌をやり、自分はシャワーして、
少しだけ休憩。
外が暗くなってから、ムギのところに行った。

ムギ、待っていてくれた。
車の前に居て、わたしが門扉を開ける前にもう鳴いた。

鳴いて鳴いて、車の前でくるんくるんと転がって、
自分のリビングにわたしを誘導する。
激しく鳴いて、寂しかったと訴える。
だって、夕べはムギが留守だったんじゃん。

すぐにそばに来て、盛大にゴロゴロ言いながら、
激しくゴッツンコをする。
ライトで照らして、耳の傷を見た。
左耳に、くっきり歯型がついていた。
可哀想に。痛そうだね。
ムギ、頑張って闘ったんだね、偉いよ。

しばらく一緒に過ごすと、「何かくれ!」と言う。
おねだりの時の声はすごく変わっているので、すぐにわかる。
おかかをやった。
喜んでしゃくしゃく食べた。

すぐに戻ってきて、脚にぴったりくっつく。
身体を拭いたり、ブラッシングしてやる。
外猫だけど、ツヤツヤだよ。

しばらくして、二回目の「何かくれ!」
大好きなシーバをやったら、手から、一袋完食した。
そのあとちょこっとパトロール。
ちょうど夫が帰宅した。

そのあと長女も帰って来た。

ムギはわたしのところに戻ってきて、またぴったり密着。
もう話すこともなくて、夜風に吹かれて、
ただ一緒にいた。

すると、本日三回目の、「何かくれ!」
なので、いつものCDと言う餌を手からやったら、
それも二回食べた。

夏場はあまり餌を食べなくて、痩せてしまって心配だったが、
このごろはシーバを一袋一気に食べるし、
ちょっとふっくらとした。

そこに夫が登場したので、
バトンタッチして部屋に帰った。
二時間弱、一緒に過ごした。
水筒は持っていっていたが、トイレが限界だった。

ムギはまだ、ママを待ってるようだと夫からメールがあった。
ムギ、また明日必ず行くからね。


簡単に調理をして、遅い夕飯を食べた。

それから、従姉の娘ちゃんの結婚式アルバム作り。

見やすいように、多少順序を入れ替えながら、
90枚以上の写真を、綺麗なブルーのアルバムに収めた。

料理の写真も全部撮ってあった。
偉いぞ自分。
従姉は、ほとんど何も食べられなかったので、
その料理がなんであったのかを、付箋に書いて貼っておいた。

あの日は、いい、一日だった。
一生の記念に残る日だ。

アルバムを任せてもらえて嬉しかった。

働いていないわたしたちは、
他人から、評価してもらったり、感謝されることが、ない。
働いていれば、仕事で成果をあげれば、
それなりの評価や給金がある。
それを持たないから、人に任せてもらうと、頑張っちゃう。

発送できるように、きちんと梱包までやって、
そして本日は終了。
よく動きました。
頑張れました。

自分で自分を褒めるよ。

こんな風な、フルスロットルな日が続くと、
それは躁転となって危険だから、
明日の予定は、一つだけ。
あとは、猫たちに時間を使う。

後悔がないように。

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それでもバラ色と思う。

父から手紙の返事が来た。
わたしたちは、こんな時代に、
「文通」という、アナログなことを開始したのだ。

父と母はいつもかも、くっついて一緒にいるので、
父にだけコンタクトを取るのが困難だったのだ。

わたしは父と母に手紙を書き、
それぞれを違う封筒に入れ、
二通を一つの封筒に入れて出している。

父宛のは、「親展」扱いである。
でも、もう母のことは、悪く言わない。
父は知っていたからだ。
その上で、わたしを受け止めてくれた。

もうこれで、思い残すことはない。
父が生きているあいだに、本音でやり取りができて幸せだ。

今回の手紙には、辛い思いをして可哀想に、とあった。
いますぐに行って話しを聞いてやって、
なぐさめてやりたいけれど、もうそれはかなわない、と書いてあった。

父はもう、86歳なのだ。
生きているあいだに、あと何回会えるかわからない。
片手くらいの回数で終わってしまうだろう。

だから、その隙間を、手紙で埋めるつもりでいる。
こんなオバサンになってもなお、父に甘えたくてたまらず、
可哀想に、と書いてもらえただけで、わたしは癒される。
無条件で存在を受け入れてもらえる幸福感に満ち満ちる。


丸五日間という絶食で、
わたしは色々学んだ。

「衣食住」という言葉がある。
「食」は命にかかわる。
人間としての尊厳にかかわる。
精神的にも、おかしくなっていくとわかった。

極限状態になると、
大好きな霜降り和牛なんて思い描かない。
味のついた旨みのある「汁」が飲みたいと思う。

着る物だって、暑さ寒さをどうにかしのげれば、
デザインなんてどうでもいい。

でも、退院してきて、「食」が足りると、
わたしは「住」にこだわり始めた。

わたしは、旅行に興味がない。
田舎の風景なんて見飽きてるし、
お風呂が嫌いだから温泉に興味ないし、
朝早くに起きて、朝食ビュッフェを楽しむこともできない。

だから、一生、どこにも行かなくて全然平気だ。
むしろ、どこにも行きたくない。

だから、自分の居住空間にはこだわる。
このアパートに越してくる時も、
かなりこだわった。
カーテンだって、一級の遮光・遮熱・遮音のものだ。
色も水色でお気に入り。

今日も押入れの中を整理した。
空き箱が二つ出た。
粗大ゴミに出すものも引っ張り出してきて、
もう、申し込んだ。

手術までの期間、予定はびっしりだ。

今日は色鉛筆にも取り掛かった。
頂いたセットを、一本ずつ拭いて、カッターで削った。
500色の色鉛筆は、
まずは付属の色見本長に色を塗ることがスタートだった。

ひたすら、丸の中を塗りこむ作業をした。
ただ、丸を塗っているだけなのに、すごく楽しい。
デビッド・ボウイを聞きながら、丸に色を塗る。


いろんなことが起きるし、
人間関係も、うまく行ってるとは言えないけれど、
わたしは、今が人生で最高に幸せだと思う。

どう考えても、今が一番幸せなのだ。

夕べは、よっぽどベッドが嬉しかったのか、
興奮して眠れず、朝方になってやっと寝た。

この世で最も憎い人の夢を見る。
それは前夫の母親。

夢から覚めて、安堵する。

今はこんなに素敵な部屋があって、
来週からはベッドに寝られる。

すい臓がまだ痛いし、
リウマチがどんどん悪化してきていて、
握れないし、膝が曲がらない。

それでも、どう考えても、
今が一番幸せなのだ。

お付き合いをしているごくわずかな人々は、
心が通う人ばかりだ。

マッサージにも行ける。
カウンセリングにも行ける。

身体の痛みは、いずれ消せる。
でも、傷付いてしまった心は、簡単には戻らない。

それでも今を幸せだと感じることができる自分こそが、幸せだ。


また父に手紙を書く。
いい年をして、わたしは、父に甘える。
インナーチャイルドを癒してもらう。

前世、江戸時代でも親子だった父。

指がこわばり、ペンを握るのが難しくなってきた。
早く返事を出そう。

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人生最後の部屋。

フェリシモの、500色の色鉛筆が最初に出たとき、
わたしは貧しくて、買えなかった。
色鉛筆がものすごく好きで、
当時は粘土の仕事にも使うので、
欲しかったのだが、あきらめた。

わたしが再婚してから、その500色の色鉛筆が、
再販になった。
ここで手に入れないと、もう一生出会えない、と思い、
申し込んだ。

毎月、25本ずつが送られてきて、20ヶ月かかって集めた。

でも、飾る場所がそのときはなくて、
箱に入れたまま、立てていた。

部屋をリフォームしてもらい、飾り棚が中央に来て、
わたしは、飾る内容を一変して、
色鉛筆を、すべてディスプレィしようと思った。

10代の頃から集めて飾っていたものは、
捨てたり、
美容師さんのお子さんたちにもらっていただいたりした。

みんながどんな風に500色を飾ってるか、ネットで調べて、
無印良品の、アクリルのペン立てをたくさん購入した。

色鉛筆は、まだ他にも持っている。
「色辞典」というシリーズのものは、だいぶ使い古したが、
素敵な色が揃っている。

他にも、頂き物の色鉛筆があるはずだった。
息子が子供の頃に使っていたセットも持っているはずだ。
それを探すために、押入れの中を、全部見た。

ううう。

…天然石のアクセサリー作りをやっていたので、
それにまつわるものが6割がた占めている。
いずれ処分するのだが、
捨てるには惜しいので、もらってくれる方を探す予定。

一応、おしゃれな箱にきちんと分類されて、
押入れに、隙間なく収納されている。

色鉛筆は、一番奥の列の、
一番下の箱の、
更に、一番下にあった。
これはもう、探すというより、「発掘」だった。

これで色鉛筆を飾れる。

午後、夫と一緒に、わたしのベッドを見に行った。
入院前に、下見しておきたかったので、同行を頼んだのだ。

わたし一人では、既に二回見に行っていて、
多分これで決まりだなって思っているベッドがあった。

収納が二段ついていて、部屋の色にぴったりな焦げ茶色のがあって、
これに、「Air」という布団を合わせるつもりだった。
「Air」についても、西川産業にメールで直接相談してあって、
だいたい絞ってあった。

でも、店員さんに、それらを総合的に考えてもらったら、
このベッドで、布団がAirだと、
ベッドに立つ時の強度がない、とわかった。

それはだめだ。
なぜなら、わたしは洗濯物をベッドに登って干す、という設定で、
もう竿を、高い位置に通してもらってあるからだ。
立てないのは駄目だ。

そこで、違うベッドを見てみる。
収納と、頭のところのコンセント付きの宮は必須。

すると、2万ほど高くなるけれど、
収納がしっかりあるのに、構造が強固で、
立っても大丈夫なベッドがあった。
引き出しは、内桐で品質もいい。

ただ、焦げ茶色が、なかった。
部屋に、いろんな茶色があるのが嫌なのだが、
ここは、強度を無視するわけにはいかない。
これなら立てます、Airでも大丈夫です、と言われた。

なので、そのベッドに決めた。

夫が、どれくらい分割して運ぶのかを聞いてくれた。
マットレスがあると無理だが、
ベッドフレームは、かなり分割するので、問題がなさそうだった。

リフォームは、進行して、廃材がすっかりなくなり、
通路は広くなっている。
足場があるだけだ。

これなら運べるから、もう頼んじゃいなよと、
夫が言ってくれた。
嬉しい!
退院した時に、ベッドだと、かなり楽なのになって思っていたのだ。

すぐに寝具売り場に行って、Airを試した。
一番ランクが高いのは、アスリートが使うようなレベルらしかった。
一番安価なのは、今使っているムアツと変わりが無い。

なので、真ん中のランクのものにした。
これは、丸めて運べるので、
足場があっても搬入できる。

来週の日曜日に、搬入してくれることになった。

嬉しい。
かなり嬉しい。
すごくすごく嬉しい。

わたしのベッド経歴は短くて、
11歳くらいのときに、近所の人に、
二段ベッドの一段をもらったのが始まり。
その後、実家を建て替えて、ベッド生活になったが、
23で結婚して家を出てからは、
ずーっと布団。

わたしはベッドが大好きなのに、
恵まれなかったのだ。

とうとうベッドがやって来るよ。
しかも体がしんどいときに、来てくれるよ。

リウマチの治療をストップしてから半月が経ち、
指の関節が痛くなり、こわばってきた。
膝も痛くなってきた。
食器洗いがちょっと怖い。
字もうまく書けなくなってきた。

だから、なんだかベッドが本当にありがたい。
嬉しいよ。

わたしの、人生最後の部屋。

こうして、少しずつ仕上がっていくのはとても幸せだ。

綺麗に、大事に住もう。
好きなものに囲まれて、ゆっくり生きていこう。

ありがたいことだとしみじみ思う。
早く息子たちを呼びたい。
いろいろ、見てもらいたい。

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30年越しの約束。

入院までのスケジュールを、
きちきちに詰めている。

それらすべてを予定通りにこなしてから、
入院して手術を受けたい。

今日はまず、歯医者を予約した。
手術前に、口腔のケアをするのが、この2年くらいで決まったらしく、
一箇所、詰めたものが取れてしまっていたので、
今のうちに治してもらおうと思った。

3時においで、と言われたので、
それまでに、と思い、パレットプラザに行った。
従姉の娘ちゃんの結婚式に、5月に参列したのだが、
わたしが撮った写真のデータをもらっておきながら、
まだプリントしていなかったのだ。

息子の結婚式の写真もここでプリントして、
素敵なアンティーク調のアルバムを見つけ、
それに入れて一冊にしてある。
娘ちゃんのも、同じので色違いのアルバムを買って、
二人分、並べたかったのだ。

一番仲がいい従姉。
というより、彼女としか付き合ってない。
お互い一人っ子だし、お互いに一人子供を生んだ。

わたしが東京に来るのが嬉しかったのは、
彼女が都内に住んでいたからでもある。
すごく心強かったし、
引っ越してからは毎日のように電話で話し、
東京の西と東で遠かったが、
しょっちゅう会った。

わたしより少し遅れて彼女に娘ちゃんが生まれて、
その時に、約束したのだ。

お互いの子供が、結婚するときには、
お互いに出席しようね、って。

兄弟がいないから、親族席が少ないのはわかっていた。
姉妹のつもりで付き合ってきた。


そしてわたしの息子が結婚し、
今年、彼女の娘ちゃんが結婚した。

二人とも、とても祝福された結婚だった。

当たり前ではない。
結婚しない人が増えている中で、
最高の相手と出会えて、結婚できるって、
もう今は、全然当たり前じゃない。

息子たちは、古い重厚な建物で式を挙げた。
柿渋色の柱と、赤い絨毯が印象的だったので、
アイボリーのアルバムにした。
表紙に写真が一枚入るが、
階段の踊り場で手をつなぐ二人を上から撮った写真を入れた。

娘ちゃんは、
淡いミントグリーンにお花を散らしたカラードレスが印象的だったので、
それを表紙に入れたくて、
ターコイズブルーのアルバムを選んだ。

歯医者の帰りに受け取り、
家に帰ってすぐに、写真をアルバムに入れていった。
ピンボケなのもあってそれは省いた。
料理の写真も、全部撮ったはずなのに、
メインのローストビーフがない。

撮り忘れて食べたか、プリントし忘れたか。

アルバムが出来て、それが余りにも素敵なので、
携帯で写真を撮り、添付して、従姉にメールした。

すると、彼女から、いいなあ~とうらやむ返事が来た。

彼女のところには、わたしが撮った写真以外、
まだ娘ちゃんたちからはデータが来てないと言うのだ。
彼女は働いていて、家事もしており、
旦那さまの家事援助はゼロだ。
だから、時間がない。

こんな風にやってる時間が取れないのだ。

なので、もし良かったら、アルバム作って、送ろうか?と聞いてみた。
わたしは、いまなら時間が取れるし、
二時間もあれば出来てしまう。
やってあげたくなった。

そうしたら、嬉しい~、作って~!と返事が来た。
しかも丸投げである。

わたしは、嬉しかった。

信頼されて、何かを託されるって、こんなに満たされるものなんだ?
ってびっくりした。
結婚式の当日に、急に、写真お願いって言われたのも、
嬉しかった。

もちろん、ぼやぼやしてられなかったけれど、
すごい張り合いがあって、楽しかった。

30年以上前に、
彼女の結婚式が東京であって、
わたしたちは田舎から上京して出席した。
わたしは写真が趣味で、一眼レフのいいカメラを持っていた。
そこで、彼女の結婚式の写真を撮影したのだ。

そしてその娘ちゃんの写真も、わたしが撮った。

30年。
いいことのほうが少なかった。
でも常に、彼女はわたしの隣に居て、
どんな状況でも、味方であってくれた。

人生の支えである。

久しぶりに、息子の結婚式のアルバムも出して、
二冊、並べて、じっくり見返した。

嬉しくて、涙が出た。
なんて幸福なんだろう。

見詰め合って微笑んでいる息子。
幸せそうな姿は、今も全然変わっていない。

30年前の、彼女との約束を果たせて、
心から嬉しかった。
あんなに祝福されて、いい笑顔でいる子たち。

自分の子の、笑顔にまさる幸せはない。

親として、最高に最高に、幸せだ。
もうこれで、悔いはない。

子どもが最高の伴侶を見つけて結婚できた。
わたしは、子どもとして、父にも受け入れてもらえた。
これで充分に幸せである。

従姉もわたしも親バカで、
自分の子を、めちゃ可愛いと思って疑わない。
いいじゃないか、親ぐらい、そう思っていても。

可愛いから育てられたし、
可愛い子に、来てもらえて幸せな人生だった。

ただただ、幸せに、微笑んでいて欲しい。
わたしたちの願い。

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わたしに孤独はない。

退院してから、いつもの美容室にシャンプーに行った時、
肩や背中をマッサージしてくれた馴染みの美容師さんが、
「伽羅さん史上で、最も固いです!」と言った。

わたしは、膵炎でお腹が痛くて、
気がついてなかっただけで、
緊張と恐怖で、体が、コリ固まっていたのだ。

なので、これまた馴染みのマッサージ師さんにメールで説明し、
肩甲骨までと、
腰から下で、と頼んで、マッサージに行ってきた。

彼女にも、メールして状況は伝えてあった。
わたしの顔を見て、
彼女は、涙ぐんだ。

「本当に、辛かったですね。まだ終わりじゃないけど、お疲れさま。」
そう言ってくれた。

店長さんが出掛けて二人きりになったので、
病院でどんなことが起きたかを話した。
そしたら、彼女の旦那さまも、同じ病院で非常に不愉快な経験をして、
今、彼女は、わたしが転院する病院にかかっていると言う。
なんというシンクロ。

二人きりなので、内緒で、
「これお見舞いにね。」と、時間を長く揉んでくれた。
お尻とかがすごく疲れていたことがわかった。

4人部屋の辛かったことも話した。

気管支炎がまだ治っておらず、咳をしていたわたしは、
その咳が、同室の方に申し訳なかった。
他人の咳でも、聞けば苦しい感じがするだろう。

西向きの病室で、窓側のベッドの方は、鬼のように暑いらしく、
クーラーが入っていたが、
わたしが咳をするので、
「クーラー、寒いですか?」と聞きに来られてしまった。

寝るとき、大量の睡眠薬を飲んでいるせいもあって、
わたしはいびきをかいているらしい。
それも申し訳なかった。

内視鏡を突っ込んで管をはめた日は、
夜中に吐いてしまって迷惑をかけた。

膵炎を起こして、苦しんだあとは、
だんだんお腹の張りが減るに連れて、
オナラが出る。
これも、申し訳ない。
でも、これを出さないと楽になれないのがわかっているので、
もう開き直って、出すしかなかった。

すごく暑くて、でも窓側の人が何も言わないのに、
クーラー頼んではだめかしらとか、
洗面台を使うタイミングとか、
カーテンの隙間が異常に気になって何回も直すとか、
神経がすり減って、疲れ果てた。

必要以上に気を張って、はきはきと対応し、
にこやかに微笑んでお礼を言いまくり、
いくら痛みを訴えても、慣れるまでしかたないですね、とかわされ、
果てには、実は膵炎を起こしていたのに、
誰からもそれを伝えられず、
ひっそり点滴が足されていて、自分で気づいたのだ。

もう沢山だ。
もう耐えられない。

けれど、健常な人は、こんなことは平気なの?


夫の本心を知って、
わたしは肝が据わった。
期待したから、がっがりするのだ。
もう期待することをやめればいい。

お願い事は、今までそうしてきたように、
丁寧に、言葉を選んで、お願いをする。
どうしても夫でなくてはならない場合だってあるからだ。

けれどわたしは本来は、頼みごとは嫌いだ。

前夫が、ひどいモラ夫で、何を頼んでも、絶対にいいよと言わない。
わたしは、
「すみませんけど、これが自分では出来ないので、お願いできますか?」
みたいに、丁寧に頼むようにしていた。

2歳の息子が、真似して、
「か~ちゃん、ちゅみまちぇんけど。」と言っていたくらいだ。

でもそれは逆に、相手をのさばらせてしまった。
いつもかも断られて、あっそう、じゃあもういいや、って、
友達に頼んだりすると、
「何で他人に頼むんや!」とキレられる。
あなたがやってくれないからでしょう?と言ったら、
「1回断られたら、もう一回頼め!」とぬかしやがった。

絶対に離婚すると決めた原因の一つだ。

だからわたしは、
もし何でも一人でできるなら、一人でやりたい。
相手の顔色をうかがって、びくびくして、
下手に出ればのさばられて。
そんなの、真っ平だ。

でも、ただ、背が低いというそれだけのことでも、
自分では出来ないことってあるのだ。
誰かに頼らざるを得ない時って、本当は、あるのだ。

その手を必要として、お願いしている相手を見下し、
1回断られたらもう一回頼め、だなんて、
とんでもないモラハラ夫だった。

一人でやれるなら、なんだって一人でやるよ。
でも、出来ないことだってある。

リウマチの治療ストップしたため
もう、指の関節が、痛くなってきた。

握る力も減っている。

一人前、食べてしまうと、
すい臓はまだ痛み、具合が悪くなるので、
少しずつ分けて、回数を多く食べている。

忙しい夫に、迷惑をかけないようにするので精一杯だ。
なるべく、頼み事を少なくすることが目標。
自分のことを自分でやる。

入院は一人で行く。
荷物はあるけれど、バスが病院のまん前まで行くから、大丈夫。
手術には、家族に立ち会ってもらわないと仕方がないから、
夫に休んで来てもらう。

退院は、手術方式により、
また、経過により、日にちが決まっていないので、
タクシーで一人で帰れる。
それ以外の面会は特に不要。
わたしは夫にこう伝えた。

誰も面会に来なくていい。
たとえば、苦しんで吐いているときに、
一緒に苦しんで分かち合ってくれるなら別だが、
それはありえないのだから、
誰も来なくていい。

一人でいい。

全然、孤独じゃない。
全く平気。

わたしには、心配してくれたり、
涙ぐんでくれたり、
一緒に泣いてくれる味方がいる。

それで充分だと思っている。

 

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感動の「!」マーク。

今日は転院先の病院に行った。

家の近くのバス停から、バスで15分。
3年前に入院して手術を受けた病院なのに、
わたしは、何一つ、覚えていなかった。

その光景に、全く見覚えがないのだ。

どういうことだろう。
あのときだって一人で受診し、
一人で入院したのだから、
覚えていないのがおかしい。

記憶から、消されているのかもしれなかった。

初診受付をしてから、外科に行った。

ふんふん、このソファの独特な配置にはかすかに見覚えがあるような。
番号札をもらって待つ。

どんな先生だろう。
怖くないかな。
高飛車じゃないかな。
話し合いが出来る人かな。

こればっかりは、「運」だ。
予約を取った日、曜日、時間が違えば、
違う先生に振り分けられるのだから。

ここで「運」を使ってくれよ!と、
自分に言いたかった。

呼ばれて入ると、
多分まだ40代前半?で頭がつるっとした男性医師だった。

紹介状の画像を見ながら、丁寧に説明してくださった。
よくわかった。
そして、自分の見解を述べられた。

やはり胆のうは残さないほうがいいので摘出。
ただ、まだ胆のうが腫れておらず、そうすると、
他の臓器との癒着がないかもしれないので、
だとしたら腹腔鏡での手術が可能だと思われること。

わたしももちろん、摘出ということでお願いをした。

さて、手術の日程だが、
もちろんわたしは早くしたい。
あの痛みは、恐怖だからだ。

しかし、それより大切なことがある。
個室に入れること。

わたしが個室に入りたいと言うと、
この病院は(公立なので)、儲け主義の個室が非常に少ないらしい。
だから、期待に添えるかわからないと言われた。

夫にはしぶられたが、
わたしにはもう、大部屋に耐える力が無い。

お金だけの問題なのなら、お金で買えばいいだけではないか。
それ以外に不可能な問題であれば仕方が無いが、
お金で買えるものは、買えばいいだけのことではないか?

先妻さんの命が、もしお金で買えたら、
夫は全財産投げ打ってでも、絶対に買ったはずだ。

わたしには、「自分のお金」と呼べるものは一円も無い。
少し持っていた郵便貯金は、
卵巣の手術の前に、息子にあげてしまった。
だから本当に、一円もない。

だから買うことはできない。
夫がどうしても出してくれないのなら、
わたしは父に頼んででも、個室に入るつもりだった。
誰かに借金を頼んだっていいと思っていた。

退院してきた病院で、どんなことがあって、
今どういう精神状態なのか、
そして3年前、卵巣を摘出する手術のとき、
初めてだったので、何も知らなくて、
全く眠れず、二日間吐いて、同室の人に申し訳なさすぎて
非常に心が辛く苦しかった経験を話した。

わたしが話している間、
先生は、ただの一度も、
話をさえぎらなかった。
相槌をうちながら、ちゃんと聞いてくれて、
最後、話し終わるまで、全部聞いていてくれた。

これって、全然、当たり前ではない。
すごいと思う。

患者の声になんて耳を貸さない医師が多いのだ。
さえぎってばかりいて、会話が成立しないことがどんなに不愉快か、
わたしは日常的によく知っている。

説明し終えて、
もうあれには耐えられないので、個室にはこだわりたいのです。
なので、手術を急がずに、
第四週ではいかがでしょうか、と尋ねた。

第三週は、夫が留守なので無理なんです、と付け加えた。

すると、「そこまで待ってくれるなら、何とかできるかもしれません。」と
答えをくれて、
手術は30日の金曜日に決まった。
あっけなく決まった。
でも、なんだかその日付は嬉しい感じがした。

入院は前日29日。
今日は時間ありますか?と聞かれたので、
はい、充分あります、と答えると、
では、術前検査を全部してしまい、入院予約もしてしまいましょう、
とのことだった。

もちろんもちろん、
「ついでだから、大腸の内視鏡も、」なんて言わないよ?
血液・尿・レントゲン・心電図・肺機能、それと口腔外科でのお勉強。

どの科に行っても、すごくスムーズで、
何のミスも滞りも起こらない。
看護師さんもスタッフさんも、みんなキビキビしているのに、
とても優しくて柔らかい。

なんという差だろうか。

全部の検査をさらさらと終えて、また外科で待っている時、
ああ、あっちの病院はあんなに辛かったんだと思って泣いた。
まだ、心は傷ついたままなのだ。

また呼ばれて、家族への説明を来週にしたいと言われた。
その時に、今日の術前検査の結果を見て、
問題があれば処置するとのこと。

そして、今入ってる、人工の管だけれど、
抜かなくてはならず、
それには、内視鏡手術が必要になるんです、と
申し訳なさそうに言われた。

ああ、恐ろしい内視鏡。
またあれを?
わたしがうなだれると、先生は、
「今、いっぺんに考えるのはやめましょう。
急ぐ話でもないので、また退院のときにでも相談しましょう。」
そう言ってくれたのだ。

なんて優しいの?

この先生となら、頑張れると思った。
信頼してお任せしようと思った。

入院手続きをしたら帰っていいですよ、と言われた。

いい先生だ。
運がいい。ツイてる。
転院して本当に正解だよ。

この病院の精神科にかかる必要はなく、
今言っているクリニックの、「情報提供書」をもらってくれればいいとのこと。
診断書まではいかない、経緯がわかるのものだそうだ。

電話して頼んでおこう。

そして、入院受け付けに行くと、
もう書類は上がってきていて、すぐに話がすすんだ。

個室が希望なんです、と伝えると、
では個室が取れない場合はどうされますか?と聞かれた。
聞かれても困る。
個室ありきで、手術の日程を遅くしたのだ。

すると、係りの人がもう一回書類を見て、
「あ、先生から要望出てますね。」と言った。

わたしが書類を覗き込むと、そこには、
「精神疾患につき、強く個室を希望!」
と書かれてあったのだ。

「!」

病院内の、公的な書類に、「!」のマークが、鮮やかについていた。

わたしは静かに感動した。
こんなことってある?

わたしの希望は個室一本に絞られた。

もちろん、高い。
死なないわたしにとって、贅沢だと思われているのも知った。
でも、では一体誰が、わたしの心を守るの?

もう、自分で自分を守るしか道はなくなったのだ。

わたしは、たった一個の「!」に、心を救われた。

転院バンザイ。

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緑色になりたい。

うつ病と診断が下ったとき、
わたしは、とても安堵した。
秋の終わりの頃だった。

頑張れなくなった自分。
血を流し続ける身体。
激しい頭痛や発熱、天地がわからなくなる目まい。

どんな仕事に就いても、絶対に結果を残せていたのに。
誰よりも頑張って覚えて、
信頼を勝ち取ってきたのに。

電車に乗ると、気分が悪くて吐きそうになる。
いっぱいいろんなことを考えてぐるぐるしているのに、
心が、つらくてつらくて、動けない。

寝付けなくて朝になり、
罪悪感で自分を責める。

全部、自分が頑張ってないからだと思って、
ただ自分を責めていた。

けれど、
そうじゃなかった。
正式に、
病気だったのだ。

良かった。
ここにたどり着くまで、一年半も、病院を流浪した。
これで、必要な治療が始められる。
治療すれば、回復する。

それを受け入れて、
薬をしっかり飲んで、
だんだん、治していけばいい。
そう思った。

けれど、その時、まだ結婚を決めてなかった夫には、
激しく責められた。
「君は診断を受けてから、急に病人ぽくなった。」
「寝られないんじゃないんでしょ、いつかは寝るんでしょ。」

わたしは、わたし自身がこの現実を受け止めないで、
一体だれが引き受けてくれるのかと反論した。

一年半、血を流し続け、
ようやく結論にたどり着いたところなのだ。
少しのんびりしててもいいじゃないか。


うつ病患者は、
もれなく、頑張ってしまった人の集団である。
キャパシティを超えたことに気づかず、走り続けて、
崩壊してしまった人だ。

だけど、それは、目に見えない。
辛いの、って泣いたって、誰だって辛いよと言われる。
眠れないと言えば、じゃあ起きてればいいじゃんと言われる。

緑色になりたいと、
心から思った。

それなら、どんなに心が痛んでいるのか、見ればわかるよね?
だけど病気なのに、頑張ってしまうから、
その堂々巡りで、回復が遅れていく。

理解してくれと言うのが、無理なのかもしれない。
そうだ、無理なんだ。
人は、経験したことがなければ、それを知ることはできない。
できることは二つ。

想像すること。
想像できなくても、受け止めて寄り添うこと。

出産などには、だいぶこれらは浸透してきている。


わたしの夫は非常にスペックの高い、
優秀な人材だ。
なんでも出来る。料理だって上手だ。
回転が速く、行動力もある。
いつもフルスピードで動いている。

けれど、想像すること・寄り添うことが、できない。

今までわたしは、期待しては裏切られ、
期待しては失望し、を繰り返して来た。

本音は、こうなんじゃないの?と思い当たる。
でも、夫はなかなかそれを認めず、
さも理解があるフリをしている。

本音は全然違う。
お昼まで起きないわたしをだらしなく思って不快。
レジャーとは、朝6時に出発するものなんだ!と言ってのけた。
その心を変えることは、できなかった。

惚れて惚れて、一緒になった大切な奥さんを、
治せない病で、失った夫。

奥さんを病気で亡くしているから、
病気に対して、優しくしてくれる、と
わたしは勝手に期待して結婚した。

でも、それがなかった。

ずっとずっと、不思議だった。
何でなんだろう、何故心配じゃないんだろう、
なんでもっと寄り添ってくれないんだろう。

具合が悪いです、とメールすれば、
「そう言えば僕に会わないで済むからですね。」と仮病扱いされ、
暗い部屋で、丸まって寝ていると、
隣に座って色々話をする。

わたしは、不思議だった。
ひょっとしたら、わたしが、死なない病だから、
だから心配じゃないのかな?と思い始めた。

躁うつ病でも(心はともかく)体は死なないし、
リウマチでも死なないし、
胆のうが胆石で一杯でも、別に、死には直結しない。


リウマチ内科の先生が胆石を発見してくれて、
石が大きいから、胆のうは摘出かもしれませんね、と教えてくれたとき、
わたしは夫に、
もし手術になったら、今度は個室に入らせて欲しい、とメールした。

卵巣摘出の手術で、懲りているからだ。

夫からは、
「共済から降りる金額全部くれるならいいですよ。」と返事があった、
そんなのもちろんだ。
夫が掛け金を払ってくれているのだから。

卵巣摘出のあと、夫が見直して、
共済の内容を変えた。
入院一日目からお金が下りるようにして、
金額もアップした。
それはもちろん、一円残らず使ってもらう。

ところが、
精神科を併設した病院に転院するにあたって、
念のため、個室に入りたいことを確認すると、
夫は金額を口にして、しぶった。

だって、卵巣のときは4人部屋だったんだよね、って言った。

そうだよ、それが失敗だったから、辛すぎたから、
今度は個室にしたいって、お願いしてるんじゃないか。

すでに、8日間も入院して、
身体も、精神も、ボロボロな状態だ。
なおさらもう、大部屋は無理だ。
これ以上、頑張れなくなった状態なのだ。

ゆうべ、手術の日程について、口論となった。

わたしは、あの痛みの恐怖を忘れていない。
人工の管を一時的に入れたが、それはとても細くて、
胆汁で、毎日、少しずつ、狭くなっていく。
だから、可能ならば早めに摘出したい。
でも、別にそう言ってるわけではなかった。

アパートの工事の日程や、
夫が地方に行く留守などを考えるべきと言われた。
でも、手術が優先されないのかと、聞いてみた。

夫はキレた。

そしてとうとう、本心を言葉にした。

何十年もかけて出来た石があるからって、
いますぐ胆のうがどうこうはならない。

ガンじゃあるまいし、手術なんて急ぐ必要なんかない!
来月で充分だ!


出ましたね。
やはり、そうでしたか。
ガンじゃないもんね。
死なないもんね。
だから、工事や自分の出張が優先で当たり前なんだね。

もう、怒りも悲しみも、感じなかった。

心が、さーっと、さめていった。

そうね、死なないもんね。
どんなに精神が今、疲労して磨り減っているか、
外からは見えないから、わからないよね。

傷がつくのは、身体だけじゃないんだよ。
「無理解」という刃で、メッタ刺しにされて、
血を流しているんだよ?


本当に、体が、緑色になればいいのに。
そしたら、誰にだって、ああこの人、心の調子が悪いんだって見えるのに。

別に、夫を嫌いにはならない。
接し方も変わらない。
何も変えない。

だけど、孤独になるのはわたしではない。
わたしは決して、一人ではない。

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食べることは尊厳。

泣きながら、ゆっくりゆっくり、おかゆを舐めた。
肉じゃがと、皮をむいたきゅうりの塩もみ、
柔らかく煮たキャベツもあった。

肉じゃが、普段毎週自分でも作っているのに、
こんなに美味しいと思ったことがなかった。
野菜も、ちゃんと野菜の味がした。

膵炎が、再燃する。
まだズキズキ痛いんだもの。
でも、もう、これ以上の飢餓状態に耐えたくなかった。

吐くかもしれないので、全体の三分の一くらいは残した。
5日ぶりの食事。
美味しかった。とても美味しかった。

食べるという行為は、栄養補給だけが目的ではない。

今は点滴が優秀だから、
きっと点滴だけでも、命をつなぐことは可能なんだろう。
けれど、それは、生きている喜びから、はるかに遠い「生」だ。

自分の口から食べることが、
こんなに、心にも体にも重要だなんて、
初めて実感した。

食べると言う行為は、
人間の、尊厳である。

5日間の絶食で、体重は2キロ減った。
もっと減っていて欲しかった。
心のほうのダメージが、2キロどころではないからだ。
たった2キロだったよ、と馴染みの美容師さんにメールしたら、
「牛肉換算にしたら、めっちゃ高価ですよ!」と返事が来て、笑った。

午後、熱が上がった。
でももう、そんなことはどうでも良かった。
胃が、喜んだのがわかった。
心にも栄養が染み渡った。
作ってくれた人への感謝の気持ちさえ浮かんだ。

夕飯も、またお粥と、いわゆる「軟菜」という、
口当たりが柔らかくて消化のいいもの。
何だろう、病院食なのに、すごくすごくおいしいのだ。
この病院は、食事が豪華だ。
軟菜なのに、お粥以外のおかずが4品付く。

絶食のせいで、味覚が研ぎ澄まされてしたのかもしれないが、
素材の味がわかって、本当においしかった。

絶食の最初のほうは、ナポリタン食べたいとか、
カレー食べたいとか思っていたが、
後半、気持ちまでがやつれてくると、
何でもいい、温かい、汁物が欲しかった。

コンソメスープ。お味噌汁。

たまごとか、おとうふとかを、
薄味で煮たものとかが欲しかった。


翌日は、友人が、はるばる、ちまのシッターに来てくれた。
自分の猫をお留守番させて、遠いのに、来てくれたのだ。

その友人が、鍵を取りに病室に来る前に、
朝の回診で、主治医が、
「膵炎、あとは日にち薬だから、明日退院するかい?」と聞いてきた。
わたしは承諾した。

もちろん、痛みはあるし、微熱は続いていたが、
この病院では、手術前検査を受けないと決めていたので、
さっさと去るのがいい。

まだ体がしっかりしてないから、荷物を持って歩いて帰るのはしんどいが、
まさか徒歩10分の退院のために夫を休ませられず、
わたしは一人で帰ることにした。

なので、友人が来たときに、
エコバッグに荷物を半分くらい移して、
それを持ち帰ってもらうことが出来た。

友人は1回、ちまに会っている。
ちまは、フレンドリーな子だから全然心配ないけれど、
彼女を覚えているだろうか。
報告が来るのが楽しみだった。
そして、その日は、夫が日帰り出張で、
帰りが夜11時くらいになってしまう日だったので、
彼女がシッターに来てくれて、本当に本当に助かった。

ちまは、わたしの椅子の上に居て、
一瞬固まったが、
すぐに鳴いて、餌を用意していたら、催促してきたという。

そのあと、ラグの上に投げ出した彼女の足に、
ピトッとくっついている、ちまの写真が届いた。

ああ。
ちまちゃん。
よかったね。よかったね。寂しかったもんね。

わたしはとても安らいだ。
入院して初めて、心の安寧を感じた。

廊下に貼ってある、献立表をしげしげと読んでいたら、
主治医が、「食べてるかい?」と笑いながら通り過ぎて行った。

4時くらいに、彼女が病室に来た。
ちまの動画を見せてもらった。
彼女の目の前で、大また開いて、お腹を舐めるちま。
リラックスしている。
嬉しそうに目が輝いていた。


そして木曜日、朝ごはんをキレイに平らげて、
退院の準備をして待っていた。

8時半からそうして待っているのに、
病院を出られたのは、11時前だった。

とにかく不手際ばかりで、いっぺんに事が済まないのだ。
わたしの持参薬は、一粒ずつにバラされて、
個包装され、日付が打たれて渡された。
膨大なかさになってしまったため、
薬のためだけに、エコバッグを開かなくてはならなかった。

腹立たしいばかりだ。

荷物を下げて、病院を出た。
すごい日差しだが、両手がふさがっているので日傘もさせない。
銀行に寄り、スーパーに寄って少し食料を買って帰った。


ちまは、喜んで、ガラスの扉まで迎えに来るだろうか。
それとも、フンフンと文句を言うだろうか。

気が付けば、8日間も入院していた。
ちまとこんなに長く離れたのは初めてだった。

玄関から入った。
お出迎えはない。

引き戸を開けて、部屋に入ると、
ちまはわたしの椅子の上に寝ていた。
わたしを見て、きょとんとしていた。

ちま、ママだよ。
帰ってきたよ。

膝まづいて、お鼻にちゅっとして、お顔を挟んだが、
ちまは、ただただ、わたしを見つめている。

「ママなの?」
「本当にママなの?」
目がそう言っている。

そうか、ちまちゃん。
ママ、何も説明しないで、ただ、ちょっと病院行って来るね、って
出て行ったきり、ずっと帰って来なかったから、
ママ死んじゃったって、思ってたんだね。

必死にパパに甘えて、抱っこをせがんで、
舐めたことなかったのにパパを舐めて。
ちまも必死だったんだね。

ごめんよちま。寂しかったね。
辛かったね。
ママも寂しかった。ちまに会いたかった。
辛かったよ。


その日たった半日で、わたしはちまを甘やかし、
夫と食べた夕飯の、鱒鮨を、ちまは舐めるようなイケナイ子になった。
パパに抱っこされたら、いやーんって鳴いて降りた。
なんてゲンキンなの?

お粥を6回食べたので、
お昼に、蒸しパンを買ったのだが、
強烈に甘くて、気分が悪くなった。
味覚が過敏になったのだ。

でも、夫の出張土産の鱒鮨は、おいしく食べられた。

食べると、またすい臓が痛むので、
背中にクッションを当てて、布団の上で家具によりかかる。

自分の部屋、自分のトイレ。

静かな空間。

頑張って声を出さなくてもいい。
不必要ににこやかにしてなくていい。

本当に辛かった。
磨り減った。

もう、次は絶対にこんな思いはしたくない。
もう次に、耐えられる精神状態にない。

それは、外からは見えないが、
自分でははっきりわかる。

しかし、外からは見えないのだ。
想像してもらうことも、無理なのだ。

精神の病の辛さは、
精神が辛いことではない。
理解されないことこそが、最も辛いことなのだ。


長くなるので続きます。

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命のメーター。

開腹手術を避けられるかもしれないというのは、
わたしには、希望だった。

卵巣を摘出したとき、腹腔鏡手術だった。
開腹の経験がないので、比較できないが、
一番外側の傷の痛みは、
そんなに耐えがたく苦痛ではなかった。

今回の、検査と言う名の、麻酔のない「手術」のほうが、
ダメージが大きく、
わたしは、体だけではなく、
すでに精神が磨耗していた。

人を信じる気持ちすら、失った。

うつ病患者は、
うつ病であるのに、
頑張ってしまう、可哀想なひとたちだ。

ハキハキと受け答えをし、
震える手を悟られないように字を書き、
にこやかにお礼を言いまくる。

それは、すべての人が怖いからだ。
必死に、自分で自分をガードしている状態なのだ。

だから、
ナースコールなんて押せない。
そんな申し訳ないこと、できない。
わたしごときのために、わざわざ作業を中断して、
ベッドまで来てもらうなんて、頼めるはずがなかった。

だからわたしがナースコールを押したのは、
「この点滴が終わったら、絶対にコールしてね。」と言われた、
その1回だけだ。

どんなに痛くても、熱で苦しくても、
着替えたくても、聞きたいことがあっても、
ナースコールなんて押せなかった。

常に気を張って、検温とかに来たときに、
一つずつ、お願いをする。
すみません、お手すきのときに、氷枕を交換していただけますか?
こんな風に。

いろんな人がひっきりなしに出入りする病室では、
患者同士のプライバシーも何も無い。
4人部屋では、自分はこんなに暑いけど、
クーラー頼んでは駄目かしら、と気を使って汗だくになる。
隣のベッドの患者さんの情報も筒抜け。

飢餓状態でテレビも見られず、
痛みと熱に襲われて、記憶がところどころしか残っていない。

健常な人でも、入院は辛いだろう。
そして、うつ病患者が、普通の病棟の、
大部屋に入ると、
こんな風に、精神を削り、磨り減っていく。
命のメーターがどんどん下がっていく。


麻酔の効かない「手術」のあと、
号泣して、過呼吸を起こしたことはもちろん伝わっている。
だから、空腹というより、飢餓状態なのに、
精神科の薬が運ばれてきて、飲むように指示が出ていた。
なんと、リウマチの薬までもが降りてきた。

空っぽの胃に、大量の薬を流し込む。
そうしていないと、保てない。
実は、そうしていても、もう保てていない。

リウマチの薬は、こっそり隠し持った。
こんなときに、免疫を下げるこの薬を、飲んでいいわけがない。


主治医は、精神科を併設した総合病院への、転院を勧めてきた。

はーん。
怖くなったのね。

この病院には、精神科がない。
だから、絶食状態のときに、薬を点滴に処方してくれる医師がいない。
術後の絶食期にも、精神科の薬を摂取したほうがいいでしょう、
と、主治医は言った。

手術だけなら、自信はある。
でも、あのような状況に対して対応はできないから、
出て行ってくれと、言っているのだ。

しかし、術前の検査は受けていいと言う。

肺の機能。心臓の状態。
手術に耐えられるかを調べる必要があるので、それをやりましょう、
そうですね、ついでだから、大腸の内視鏡もやっちゃいましょう、
どうせ全身麻酔なんだから、ついでにやってしまえば、いっぺんに済みますよ。

こいつ…。
こいつは一体何を言ってるんだ?
わたしは耳を疑った。

うつ病患者を、知識と判断能力の無いやつだと、
完全に見下している。

大腸の内視鏡検査は、
それだけのために、入院する人がいるような検査・手術である。
ついでに、のレベルではない。
何を言ってるんだこいつ…。

空恐ろしくなった。

何リットルもの下剤を飲み続け、
出たものを全部看護師に見てもらい、
そののち、お尻から、内視鏡を入れるのだ。

大体、体勢が既に違うじゃないか。

わたしは決めた。
精神科どうこうじゃない。
ここにいると、絞り取られる。
心を壊される。
逃げなければ。

夫はにこやかに話を聞いていた。
ふむふむと、理解のある様子で聞いていた。

そして、説明が終わって、病室に戻ってくると、
夫は、「じゃ。」と言って帰ろうとした。

ちょっと待ってよ、と言うと、
なんでだよ、メシの支度があるんだよ、と言った。

まだ5時過ぎだ。
一体どんな豪華ディナーを用意するつもりなのか。

こんな気持ちで終われない、ちゃんと話し合おう、と
わたしは夫に言った。

だって、夫は平日はもう来ない。
いつ、相談するのよ。
今話さないで、いつ決定するのよ。

主治医が勧めてきた総合病院は二つだった。
一つは、今、お姑さんが認知症外来でかかっている大学病院。
電車で12分ほど。駅から徒歩が少々。
もう一つは、わたしが3年前に、卵巣を摘出した病院だ。
ここは、一時間に3本だが、家の近くのバス停から、バスで20分。
病院の前がバス停である。

どちらの病院になっても、
平日は夫は来られない。
わたしが通いやすいことが大事になる。

術前検査も、
わたしはそっちで受けたいと伝えた。
大腸の検査なんて、やってる場合じゃない。
そんな精神力も体力も、もう使い果たしたのだ。

いろいろ想定して話し合った結果、
卵巣の手術をした病院に転院する、と決定した。

そうだ、それがいい。
そうすべきだ。

それで夫は帰って行った。
このチャンスに話し合わないで、いったいどうするつもりだったのか知らない。

翌朝、回診のときに、
転院するので紹介状をお願いしますと、きっぱり言った。
術前検査も、そちらで受けます。
だから、今回のものだけでなく、
7月にこちらで受けた胃カメラの画像もつけてください。

主治医は、わかった、と言って出て行った。

そのあと、またやって来て、
膵炎がどうなるか見たいから、今日のお昼から食事出すからね、と言った。
食べることによって、治まりつつある膵炎が、
また再燃する場合があるので、それを見たいと言った。

実に、5日間もの、絶食だった。

お粥と、
小さく粉砕された、肉じゃがが、目の前に来た。

この病院に入って、初めての食事。
嫌いなお粥。

スプーンですくって、口に含むと、
それは、何よりも、甘かった。

わたしは、スプーンを握って、
泣いた。


長くなるので続きます。

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卵の中の砂漠。

息子が帰ると、
わたしはまた泣き出した。

わたしは心の中で父を呼んだ。
おとうさん。
おとうさん。
辛かったよ。
怖かったよ、
痛かったよ。

誰一人、寄り添ってくれなかった。

わたしは、無条件で愛してくれる父の胸で泣きたかった。
無条件で受け入れてくれる人に甘えたかった。

夕方また主治医が来た。
「管を入れたけどね、まあ、月曜日にご主人に説明するから。」
わたしを無能扱いしているのか、
詳しい説明は何もなかった。

内視鏡による検査、としか聞いてなかった。
だから、その検査が終われば、ご飯が出ると思って、
耐えたのだ。

しかし、食事のめどはまだ立たないと言われた。
どういうことなのかわからない。
肝機能は戻ったのだから、
絶食の必要性がどうあるのかがわからなかった。

しかし、それはすぐにわかった。

わたしは発熱し、腹痛を起こした。

カメラで見ただけで、こんなことになる?
わたしは疑問を感じて、看護師さんが来るたびに尋ねた。

お腹がパンと張っていて苦しく、
押されなくても痛む。
どの看護師さんも、
「胃に空気を送り込んだから、しばらく張りますよ」と言う。
痛みについては、
「管を入れたので、違和感は仕方ないですけど、慣れますよ」と言う。

熱が38度を超えたので、氷枕を頼んだ。
解熱剤は断った。
何か、意味があって発熱しているのだから、
ただ熱を下げても意味が無い。
というか、熱を出してしまわなくてはならないと思ったのだ。

しかし、腹痛には耐えかねた。
土曜日は胆のうあたりが痛み、
その後胃の真ん中が痛み、
痛みは左に広がって、弱まる気配がない。

こんなことになるかもなんて、一切聞いてない。
検査が終わるまでは絶食だ、と言われただけなのだ。

痛み止めをひっきりなしに要求し、
痛みが治まると、飢餓状態でイラつき、
痛くなるとうんうんうなり、痛み止めが効いてるあいだにウトウトする。

左のお腹が耐えがたく痛くなって、
初めて、ある看護師さんが、
「手術したからね、仕方ないのよ。」と言った。

「手術」という言葉を、使ったのだ。

いや、聞いてない。
そんな話は一切聞かされていない。
けれど、カーテンの向こうで、「痛みがひどいようです。」と、
報告しているのが聞こえた。

毎朝、6時前に欠かさず採血しに来ているのにもかかわらず、
お昼過ぎにまた採血に来た。
「今朝もやりましたよね?」と聞くと、
「今度はセイケンなので。」と言葉を濁して、
わたしの大事な血を採っていった。

そのあと、しばらくすると、
単なる輸液だった点滴に、
初めて見る違う点滴がぶら下がった。

薬名を読んで、検索すると、
それは「膵炎」の治療薬だった。

くそっ。
そういうことか。

しれ~っと採血に来て、
しれ~っと点滴増やしやがった。
もちろん、一言の説明もなしだ。

そんなことってある?

ガラケーで読めるサイトは限られていたが、
途切れ途切れに、
内視鏡で胆管を見たあとに、膵臓炎が起きる可能性が、
低くないことが書かれてあった。

そんなリスク、聞いてない。
それ以前に、何らかの「手術」になるなんてことも聞いてない。

そして、膵炎になってしまったので、と、
誰一人、言わないのだ!

なんという恐ろしいことだろう。
会議で、口裏を合わせているとしか思えない。

夫に説明をする、と約束した月曜の午後になっても、
わたしは膵炎で、まだ熱があり、痛みに苦しみ、
当然のように絶食が続いていた。

約束の時間をだいぶ過ぎてから、
主治医の説明に、会議室に呼ばれた。

先に立って部屋に入った主治医が、さらっと、
「膵炎になっちゃったからね、すいませんね。」
と、言いやがった。

わたしは、「いいですよ別に。」と答えた。

やっと真実が明かされる時が来た。

画面を見ながらの説明が始まった。

リウマチ内科に来た日のCTには、胆管の先に、
胆石が停止したような画像が見られた。
しかし、その日のうちに、その石は落ちたのだろう。

ただし、詰まっているあいだに肝機能が悪化してしまったということだ。

今回のカメラでの「手術」について、語られた。

わたしの胆のうの写真が写った。
よくわからなかったが、それはまるで砂漠のようなものだった。

1センチを超える大きい石が、7個。
それ以外には、小さいものが、推定で200個あります、
と言われた。

ん?
200?
ええ?
200?

わたしがドン引きしていると、主治医は、
自分がまだ若い医者の時に、
最高で800個を数えた経験がありますよ、と笑った。
しかし、200というのは多いほうですと言われた。

そりゃそうだろうよ!

胆のうは、通常は鶏卵大の臓器である。
そこに、1センチの石が7個と、
200粒の小石が詰まっているのだ。

可哀想な胆のう。
食事をするたびに、必死で胆汁を絞り出して、
苦しかっただろう。
食後の具合の悪さは、胆のうの具合の悪さだったのだ。

しかし、これだけの量と大きさは、
10年以上かかって育ったものと思われ、
逆に今まで、よく何も起きませんでしたねと言われた。

再婚してからは毎年、
健診を受けて来たのに、
オプションの腹部エコーを、わたしは避けて来ていた。
ただ、脂肪肝が写るだけだと思い込んでいて嫌だったのだ。

その間に、順調に石は育って、
卵のなかを満杯にした。

今回の「手術」とは、
これらの石が、もしまた、胆管に出てきたときに、
すみやかに腸に流すための、
人工的なシャント(管)を胆管にはめ込んだのだ。
その際に、膵臓を傷つけて、膵炎を発症した。

その管はあくまでも暫定的なものでしかないので、
こんなに石が詰まっている胆のうは、摘出するしかないとのこと。

そりゃそうだよね。
これを持って生きてくのなんて怖すぎる。

幸い、痛みが治まっても受診したことで、
発見が早く、
胆のうそのものは、まだ腫れ上がってはいなかった。
そうだとすると、
他の臓器との癒着も、していないかもしれない。
こんなに密集しているところで、それならばラッキーだ。

癒着していなければ、開腹しなくても、
腹腔鏡での手術が可能だと思われる。
自分にはその自信はあると、主治医は言った。

しかし、本題は、この先にあった。

長くなるので続きます。

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悶絶、号泣。

入院して、いったいわたしは、
夜9時の消灯で眠れるのか?と不安だった。

寝る前の睡眠薬は、絶対に必要です!と頼んだので、
一式、渡してくれた。
それを9時過ぎに飲み、
わたしはあっけなく寝付いた。

具合が悪かったのだろう。

目覚めたら、夜中の3時だった。
いつもわたしが寝る時間帯だ。

退屈だが、スマホではなくガラケーなので、
ネットを見ることも出来ないし、
だるくて何もできなかった。

朝6時前に、採血に来る。
そのあと、体温・脈拍・血圧の測定がある。

日勤の看護師さんたちが挨拶に来て、
外科の先生方の回診があり、
朝ごはんが食べられないわたしにも、
温かいお茶が配られ、
病院着の替えが配られ、ゴミ集めの人が来て、
掃除の人が来て、看護師が来て、薬剤師が来て…。

病室にはひっきりなしに誰かが出入りしている。
気を抜いていられない。

朝9時に、シャワーどうですか?と言われた。

そうねえ。
本当はこの金曜日がシャンプーに行く日だった。
このあと、自分がどうなるかわからないので、
今日のうちに、洗うしかないか、と決心した。

主治医が休みなので、この日は何も検査がないのだ。
なので朝一番に、点滴の手をビニールでくるんでもらって、
髪を洗った。

いつも洗ってもらっているから、勝手がよくわからない。
左手はビニールでくるまれているし、
どれくらいシャンプー使うかもわからないし、
ちゃんと流せたかもわからない。

顔が濡れて、恐怖に陥る。
わたしは水恐怖症なのだ。
でも、顔を拭くことも出来ない。
コンデショナーをつけたが、髪をタオルで拭き始めたときに、
あれ、流したっけ?とわからなくなる。

もういいや…。
だるいよ。疲れたよ。

着替えて病室に戻り、貸してもらったドライヤーで乾かす。
立ってるのがしんどい。
(今思えば椅子を持って行けばよかった)
しかも、ドライヤー暑い。

結局、終わった頃には汗だくになった。
シャワーの意味なんて何もないじゃんね?

疲れ果てて、横になっていた。
友達や息子に、入院した旨メールをして過ごした。

ご飯の時間になると、
「お食事が参りました。今からお配りいたします」と、
いちいちアナウンスが流れる。
いい匂いがしてくる。
うらやましい。
お腹が減った。

退屈だから、午後はテレビでも見ようとした。
夫が買ってくれたテレビカードを差し込む。

駄目だった。

世の中の情報の、約半分は、食べ物のことなんじゃないの?
って思うくらい、おいしそうな画像の連発。
辛くて見ていられない。

空腹にはいつ慣れるんだろうか。

戦争で南方に生かされた兵士さんの死因は、
その三分の二が、餓死だったのだ。
撃たれて死ぬより、むごいではないか?
人間としての尊厳が保たれない。
食料を与えずにはるかかなたの戦地に送り込んだのだ。
その罪の大きさに、あらためて愕然とした。

夜は、10時過ぎには寝られた。
土曜日は、朝9時から、内視鏡カメラの予約が入っているので、
朝の6時以降は水も禁止になった。

ところが、待てど暮らせど、呼んでもらえない。
二時間経っても三時間経っても、呼ばれない。
わたしは苛立って、再三、催促をした。
9時からだって言うから、
薬も水も飲まずに耐えているのに、
もう午後じゃないですか。
だったら、飲んでて良かったですよね?

空腹と渇きでわたしはイライラした。

しかも、やっと入院手続きに来られた夫が憤慨している。
連帯保証人が、2名、必要だというのだ。
しかも、住所が違う、働いている人限定。

いまどきなんだこのシステムは!と、夫は怒鳴って来たらしいが、
こうなったら、息子を呼ぶしかなかった。

メールをすると、「最寄り駅は?」と返事が来た。
すぐに来てくれるとのことだった。

その後、午後の二時半になってようやく、
内視鏡カメラに呼ばれた。

胃カメラの部屋とは違って、手術室のような部屋だった。

わたしには、胃カメラの際の麻酔程度は、効きませんからね、と
再三再四、念を押してあった。
この病院で胃カメラをやってるのだから、
どれくらいの量、麻酔を使ったのかわかってるはずだ。

直前にも念押しした。
すると、麻酔は種類を変えたから、寝ている間に終わります、と言われた。

マウスピースをくわえ、
うつぶせに寝かされて、点滴から麻酔が入れられた。
「どうですか、ぼーっとしてきたでしょう。」
わたしは、首を横に振った。

だめだ。効かないんだよ。

管が入れられ、盛大におええええ~!とえづく。

空気を送り込むので、空洞になっている胃は、
簡単に通過する。
十二指腸から、
胆管、すい臓まで、管は達する。

激しい痛みに、わたしはうめいて暴れた。
悶絶である。
「どうしたの? 足でも痛いの? 足さすってやって。」
と、的外れな指示が飛ぶ。

何かの部品が不具合らしく、助手さんが新品を出そうとすると、
「お前、コストかかってんだからな!」と怒号が飛ぶ。
コストは今、そんなに重要か?

もだえ苦しみ、30~40分の内視鏡が、やっと引き抜かれた。
おええええ~!

苦しかった。
死ぬかと思った。
体がガクガクしている。

ストレッチャーが隣に来た。
看護師さんたちが、わたしを移そうとしたが、わたしは自力で乗れた。

「本当に、麻酔効いてなかったんだ…。」
誰かがそう言ってびっくりしていた。

それを聞いた途端、
わたしは急に泣けてきた。

効かないからって、再三、言ったよね?
あんなに苦しんでのた打ち回ったよね?

涙があふれて耳に入り、
今度は引き付けるみたいに泣きじゃくって、
ストレッチャーで運ばれながら、わたしは声を挙げて泣いた。

看護師さんたちは、
「泣いてるの?」
「何で泣いてるの?」
「泣いても笑っても、一日は一日だよ?」
「さあ泣かないで。」
と言う。

誰一人、わたしに寄り添ってくれない。


痛かったのは、体だけじゃないんだよ。
「無理解」という刀で、メッタ刺しにされたんだよ。

過呼吸を起こして、全身がしびれ、逆に動けなくなった。

みんなには着けられる酸素の管がすぐにはずされ、
ベッドに転がるように移動した。

涙が止まらない。

孤独だ。

タオルを顔に当ててひっくひっく泣いていると、
聞きつけた主治医がやってきた。

「精神薬、ちゃんと飲んで、精神を保ってもらわないと駄目だからね。」

検査が遅れたから飲めなかったんじゃないか!
あんなひどいことされて、正気でいろってほうが無理だよ!

わたしは、息子に、
「検査から戻って病室にいます」とメールした。
「今向かっています。」と返事が来た。

やばい。
今、息子に会ったら、また号泣してしまう。
しかも、来るのは息子一人だから、
何年ぶりかの二人きりだ。

やばいやばい、泣いてしまう。

恥ずかしいわけではない。
でも、わたしは、親と子の立場が、入れ替わることは良くないと思っている。
弱味を見せてもいいが、
すがってはいけない。
だから、号泣したりしたくないのだ。

やがて息子が一人でやってきた。
椅子を出して座って、近くに来てもらった。

涙はぴたりと止まった。

なにやら、袋を提げていて、そこから、
「これ…お見舞い…。」と出してきた。
「やさしい大人の塗り絵」と、クーピーペンシルのセットだった。
封をといて、中を見せてくれた。

色鉛筆は、確か沢山持ってたから、クーピーにした、と言った。
すごく嬉しかった。

保証人のところに記入し始めたので、
間違えないようにねと言ったら、もう間違えていた。

父親譲りの下手な字で記入してくれて、
ちょっとだけ一緒に居てくれた。
5月に会って以来なので、実家に帰省したときのことなどを聞いた。

30分もしないで、「じゃあねー。」と帰って行った。
握手した。
しっとりと温かい手のひらだった。


長くなるので続きます。

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緊急入院でした。

胆のうに石があって、
それが痛みの原因だったとわかったが、
摘出するにしても、まずは消化器外来を受診しなくてはならない。

わたしは翌日25日の、午後一番の予約だった。

多分入院になるので、前夜、
入院用に荷物をだいたいまとめ、
ちまの餌や薬もわかりやすくして、
「ちま、ママちょっと病院行ってくるよ。」と
頭を撫でて、出掛けた。

ひざが、ガクガクする。
カバンが重たい。
いっぱい寝たのになあと思いながら、
徒歩10分で到着。

予約時間ピッタリに呼ばれた。

痛みは、前日よりもはるかに薄くなっていて、
強く押されたら痛い、ぐらいになっていた。

消化器外来の先生は、うーん、うーん、と困っている。
「あのですね、肝機能がですね、ちょっとマズイことになってるんですよ。」
肝機能?
昨日の、血液検査の結果を見て困っているようだった。

γ-GTPの値が、
一桁、上がっていると言う。

わたしはその、γ-GTPの値は、
正常な人が二桁のところ、いつも三桁で、
要注意宣告を受けている。
沢山の抗精神薬と、リウマチの薬を飲んでいるので、
肝臓は、解毒に必死だ。
だから、一桁多い、三桁なのだ。

ところがそれが、四桁に跳ね上がっているのだという。

「この状態は、もう内科の範疇を超えますので、
手術を前提として、外科の常勤の先生とセッションしたいのですが。」
そう言われて、一旦待合室に出された。

その後、次の患者さんが呼び込まれることはなく、
しばらくして、また呼ばれたので入室した。

「非常に危険な状態なので、今日、入院して欲しいんです。」
そう言われた。
今日か。
「わかりました。じゃあ、一旦帰って、入院の荷物を取ってくるので、」
と言うと、
「それは許可できません。もう動かすことはできないので、
このまま外科に移動になります。」

「近所なんですよ。徒歩10分なので、荷物だけ取ってきます。」
そう言ってみたが、許可が下りず、
車椅子が運び込まれて来た。

歩いては駄目なようだった。

外科に連れて行かれ、外来の外科医から、
現在の自分の危険な状況を図解で聞かされた。
医者は最初に、最悪のケースを説明するののであるが、
胆管に胆石が詰まって、その結果、肝機能障害が起きた。
このままだと肝臓内で悪い菌が繁殖して、
それが血管内に回ると、「敗血症」になり、
その結果、「多臓器不全」となり、死に至ります。

これが、放置した場合の、最悪の筋書きだそうだ。

即入院となった。

胆石が動いたのは事実で、
また胆管に、胆石が詰まっては大変だからなのだが、
今はとにかく、肝臓を救わないと、
何も手を付けられないようだった。

幸い、この日は、夫が北海道出張から帰ってくる日だった。
荷物を持ってきてもらうことが出来るし、
ちまの世話を頼める。
ラッキーではあった。

即入院となって、担当の外科医は、
MRIを受けさせてから、病室に上げるよう指示をしたらしい。

けれど、MRIには、30~40分かかるし、
それを順番待ちして済ませると、
午後5時の、看護師の交代時間になってしまう。
すると、病室に入れてくれる手がなくなり、
ER(救急外来)の部屋に入れられてしまうらしかった。

広い部屋に、ベッドだけが並び、
機材が所狭しと並んだ恐ろしい部屋だ。

たまたまわたしの車椅子を押していた看護師さんがそれに気づき、
指示を無視して、看護師長と話しをつけてくれて、
わたしはまず、病室に入れてもらうことが出来た。

検査なので、4人部屋の、ちょっといいほうの部屋にした。
そのベッドに横たわり、
あらゆる聞き取り調査が行われた。
沢山の書類にサインもした。

そのあとで、MRI検査に行った。

戻ると、しばらくして、病棟の主治医が来た。
背の高い、威圧感のある人だった。

胆石も心配だが、とにかく今は、肝臓を守る必要がある。
今日から当分絶食とする、と言われた。

当分って、どのくらいでしょうか?と聞くと、
まだわからないけれど、土曜日に、カメラを通す内視鏡検査をやるから、
それが終わって結果が出るまでの、
最低三日間。と言われた。

脂・糖・乳を完全に遮断して、肝臓を回復させるとのこと。

三日も絶食したことないよ…と思ったが、
幸い、水とお茶は飲んでいいと言われたので、
夫に、買い置きのお茶を持ってきてもらい、
薬を飲むとき用に、水も自販機で買った。

まだ、このあと、なにがどうなるのか、
何もわからなかった。
ただ、わかったのは、
肝臓がすごく悪くなっていて危なかったってこと。

そして、
夫に仮病扱いされた、「食後の気分の悪さ」が、
ぎゅうぎゅうになっている胆のうが、
胆汁を出そうとして、無理をしていたのが原因だったとはっきりした。

胃にポリープはあったが、胃には原因がなく、
胆のうがもう限界を迎えていたのだった。

長くなるので続きます。

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