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公開処刑。

わたしは、田舎の小さい町に生まれ育った。
でも、その町は、地形的にそこしか平地が無く、
狭い隙間に、JR、新幹線、高速道路、国道二本が、
ひしめき合って通っている。

古い時代には関所があった場所だ。

新幹線の、「イエロードクター」などは、
今は鉄オタの人たちが大喜びするけれど、
わたしたちにとっては、時々見かけるものであった。

交通の要所であったため、
小さい町なのに、大きな工場がいくつかあった。
地方から、若い人たちが、住み込みでやってきていた。

母もそのうちの一人だ。

若い人が多かったので、小さい町ながら、
映画館があった。
パチンコ屋も、ボーリング場も、スケートセンターもあった。

わたしの両親は結婚の時に家を出て、
「貸し間」暮らしをしていた。
トイレと台所が共用。
お風呂はそれぞれが、自分の勤め先の工場で入って帰宅したそうだ。

そんな折に、山が切り開かれて宅地が造成され、
町営の住宅地が出来た。
すごい倍率だったそうだが、母がすごくクジ運を持っていて、
その住宅を引き当てて引っ越した。

6畳、4.5畳の部屋に、3畳くらいの台所。
お風呂と、男女別のトイレという小さな平屋だった。
でも、そこそこ庭もあり、濡れ縁もあって、
貸し間から比べたら天国だったと聞いた。

わたしはそこで生まれて育ったのだが、
小学生の頃に、建て増しをして、部屋が増え、
新しい3畳間に、
母の内職のミシンと、わたしの勉強机が置かれた。

わたしが小学5年生の時、ふらりと現れた一人の大工さんに、
台所を改装してもらった。
出窓になったり、窓も木枠からサッシになって、
薪だったお風呂は、石油で沸かす風呂になった。

ある時、学校の近くの消防署から、消防車が出動していった。
東の空に、煙が見えていた。
当時、火事や行方不明があると、
町内放送で知らされたのだが、
学校の窓から聞いていても、聞き取れなかった。

わたしは、その頃、不登校になっていた女の子の家に、
毎日、給食のパンと、プリントを渡しに寄っていた。
駅前の食堂のおばさんが、わたしを見つけて寄ってきた。
「あんたんとこ、火事やで。」
そう言われた。

でも、わたしは、信じなかった。
わたしは、そのオバサンが嫌いだったのだ。
いつも皮肉を言うので、わたしは、からかわれたと思って、
やんわり笑いかえした。

けれど、煙が見えたのは、明らかに、自分の家の方向だった。
もし本当だったら?

一緒に歩いていた友達が、早く帰ったほうがいいと言い出して、
わたしは、「もし火事じゃなかったら電話するね。」と言い残して、
走って帰った。

嘘じゃなかった。
わたしが、近道である田んぼのなかのあぜ道を走って帰ると、
近所のお姉さんがもう待っていて、
わたしからランドセルをはぎ取って、
家に連れて行ってくれた。

家の台所が、焦げて真っ黒になっていた。
その特有な匂いは、今も忘れない。
火は鎮火しており、
裏の家の縁側で、母が大泣きしていた。

家が火事になるなんて。
まさか自分の家だったなんて。

わたしは母の隣に座らされたが、母はわたしになど眼もくれない。
わたしも一人でひっそり泣いていた。

そこに、やっと父が帰って来た。
改築したばかりの台所が燃えたのだ。
石油のお風呂の不具合が原因だった。
父は、なんとも言えない表情で、燃えた家を見あげた。
隣家に類焼しなかったのが幸いだった。

近所のおじさんが駆けつけて、重たいプロパンガスのボンベを家から離し、
鎮火してもなお放水を続ける消防士の前に立ちはだかって、
「もうやめろ! 家が駄目になる!」と止めてくれたそうだ。

その時の担任の先生が、見にやってきた。
泣いていたわたしに対して、
「明日、ちゃんと学校に来るんやで!」と言い残して帰った。

家が燃えたのに、学校?

わたしは、近所の親しくしているお家に泊めてもらった。
仕方なく元気なフリをして、学校にも行った。
集団登校で、隣の子が、
石油のお風呂で燃えちゃったんだって、怖いねえって、
他の子に話しているのを聞いて、
ああ、本当に休みたかったって思った。

ちょうど3月の初めで、
わたしは、卒業生を送る会の、演奏の朝練習があった。
それにもきちんと参加した。
けれど、全員が、昨日の火事のことでわたしを見てるって思えて、
すごくすごく辛かった。

教室に入り、朝の学級会で、
担任はわたしを起立させた。
そして、昨日、わたしの家が火事になったことをみんなに知らせた。

その上で、わたしに、何か言えと言ったのだ。

なんという残酷なことを。

わたしは、子供ながらにそう思った。
これでは見世物ではないか。
なぜ、そうっとしておいてくれないのか。

わたしは、語るべき言葉がわからず、
「自分の家が火事になるなんて、びっくりしました。」とだけ、言った。
辛いの悲しいのなんて、言える立場ではない。
わたしは学級委員なのだから。

担任は、「火事やない。あんなんボヤや。」と言って、
わたしを座らせた。


この話を、理解できるのは、幼なじみのしーちゃんだけだ。
この担任は、化け物だった。
厳しいとか嫌いとかいうレベルでは語れない。
ヒステリックにわめき、吹っ飛ぶほど殴り、
理不尽な理由で廊下に立たせ、
全員の前で土下座をさせる。

小学生が、土下座をするような理由が、
何かあると思う?

わたしたちは、ひたすら怯えて学校生活を送った。
わたしもしーちゃんも運が悪くて、
6年間のうち、3年間も、その担任に当たってしまったのだ。

時々トイレで吐いてた。
親が許してくれなかったから学校に行くしかなかったが、
精神的に追い詰められていた子が何人も居た。

あれは、公開処刑だった。


家は、放水を止めてもらったおかげで崩落には至らず、
改装したばかりの台所とお風呂をまた直して、
そのまま住んだ。

火事のあと、数日は、近所の人や親戚が来て、
火事場の跡片付けをしてくれていた。
わたしはまだ子供だったし、
悲しみや恐怖を、親と分かち合うこともできなかったので、
お礼も言えなかった。

柴犬のゴンが来たのは、その一年後のことだった。

                                         伽羅moon3

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