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2015年12月

涙ポロポロ。

久しぶりにちゃんと寝付いた。
深く深く眠っており、
アラームが鳴った時には、心底びっくりして起きた。

年内最後の予定は、カウンセリング。
年末の、心が乱れる時に、カウンセリングがあって良かった。
もう、色んなことで心が乱れて、
先週は美容師さん相手に泣いてしまったくらいなのだ。

毎年、大晦日に帰省していた。
去年は、息子も大晦日になったので、
一緒の新幹線で帰った。

息子が東京駅で選んで買ってくれたお弁当を、
車内で一緒に食べて、
実家に着いたら、
正座をして、頭を下げて、
息子を一緒に育ててくれたことにお礼を述べた。


そして4人ですき焼きを食べ、
息子と二人でダウンタウンの番組を観て、
同じ部屋で眠った。

本当に幸せな一夜だった。

カウンセリングでは、
息子に会いたいのに、春まで会えないことが悲しくて、
ポロポロ泣いてしまった。

同じ都内に住んでいるのに、
年に2回とかせいぜい3回とかしか会えない。

購入したマンションは、
お嫁ちゃんの実家のすぐ近くなので、
あちらはきっと、自由に出入りしているだろう。

本音は、
わたしだって会って欲しい。
半日くらい、何とかならない?って思う。

でも、親に、会いたいとか寂しいとか言われて、
うとましく思った経験があるだけに、
それはもう、絶対に絶対に言えない。


わたしは、建前と感情に差がありすぎて、
それを埋めることができなくて、
苦しいのだ。

一人っ子どうしの結婚だから、
お嫁ちゃん寄りになって当然だと思ってるし、
お嫁ちゃんが、楽であることが最も大事だと考えているので、
息子が、実家近くにマンションを買ったことは、
非常に評価している。

そうあるべきだと考えている。

だけど、それはそれでいいんだけれど、
わたしにだって会ってよ、というのが、
しつこくは言えない本音なのだ。


わたしは息子たちから、
決して嫌われたくない。
我慢を重ねたとしても、
生涯、絶対に嫌われたくない。

だから、本音をぶつけることはしない。
すでに、何度か、
「この先、プレゼントというものは一切要らないから、かわりに会って欲しい。」と、
申し入れをしたのだ。

それでも会えないということだから、
黙って待つしかない。


因果応報だと思う。

わたしが親を邪険にしてるから、
自分も会ってもらえないのだ。

わたしさえ我慢して頑張って帰省すれば、
息子と会えるどころか、
同じ部屋で寝ることだって可能なのに、
自分が頑張れないから、
仕方がない。

でも、悲しくて、カウンセラーさんの前で泣いてしまった。


泣ける場所があるだけ、いいとしよう。
人と交わらずに過ごせる部屋があるだけ、幸せだ。

心が乱れるから、
静かに過ごしたい。

人の親になって、
子供を育てて、
その子供が完全に巣立ってみないと、
この寂しさはわからない。

息子がわたしの心を想像するのには、
まだ何十年もの歳月が必要なのだ。

もちろん、元気で、幸せに生きててくれたら、
充分すぎるほど幸福なことだ。

彼らが、二人で幸せであるように、
心の中で祈っていよう。

大晦日になってしまった。

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音の洪水。

いつも行く、マッサージ屋さんは、
本日年内最終日。

一週間前に予約をしておいたので、
お気に入りの担当の人に、じっくりやってもらえたが、
店にはひっきりなしに電話がかかってきていた。
マッサージ師さんは、休憩なしに頑張っているようだった。

終わって、スーパーとドラッグストアで買い物をして、
帰宅した。
夫が、夕飯は外食しようと言ってくれた。
とあるチェーン店の居酒屋なのだが、
初めて行った。

ここは、ドリンクも料理も、全てが280円均一だ。
今、勢力を拡大しているらしい。

しかし、おお、これが280円か、と思うものも少しはあったが、
だいたいが、「これで280円もするのか…」というものであった。
味が濃すぎて、
食材本来の味なんてわからない。
これはつい、飲み物が進んでしまうだろうなーと思った。

絶対にすごく儲かってるのだ。

日本語がちゃんとわかる店員さんは一人だけ。
夫が日本酒を頼んで、
熱燗か、冷やか、常温か、と聞かれるので、
常温、と言って、
ハイ、ジョウオン、と答えているのに、
冷やが来る。

一回目はクレーム出して取り替えてもらったが、
二回目からは諦めた。
通じないので仕方ない。

久しぶりに、夫といろんなことを話した。
それは良かったのだが、
満席になって、隣の男三人が、すごい大声で、うるさくて、
頭がキーッとなってきたので、
帰ることにしてもらった。

大声の男、大嫌い。
品がない。迷惑だ。


うつ病になってから特に、
音のうるさいのがダメになった。

音楽が聴けなくなり、
テレビも見られなくなり、
人が会話している中にいることも、しんどくなった。

夫と結婚して、しばらくは、
母屋で、夫の家族と同居していた。
夫と、お姑さんと、子供たち三人。

夕飯の時には、大きなテレビが大音量で流れており、
そこへ、五人の会話がどばーっと入ってくる。

お姑さんは、あきらかにわたしに向けて話をしており、
夫ももちろんわたしに話している。
その間に子供たち三人の会話がひっきりなしに飛び交い、
テレビの音と一緒になって、もう、濁流に飲まれそうになった。

夫の話をまず聞くべきと思うのだが、
お姑さんもお喋りで、無視することはできない。

夕飯のたびに、わたしは汗びっしょりになってしまう。
夫に頼んで、テレビの音量だけは、絞ってもらうのだが、
人の会話は防ぎようがない。

それに、これはもちろん病気由来なんだけれど、
常に、行動を監視されてる気分になって、
すごく辛くなってしまった。


なので、数ヶ月で、わたしは夫が帰宅するまでは、
リビングには行かないようになってしまった。

夫が帰って来るのは、夜8時半ごろ。
わたしは、夫に頼んで水を入れてもらった水筒と、
夫が買ってきたくれたパンだけで、
飢えをしのいでいた。

後半、ちっちゃい冷蔵庫を買ってもらうまで、
そういう生活をしていた。
テレビも音楽も本もダメだったので、
どうして過ごしていたのか、
今では不思議である。
うつが重くなっていたので、
記憶があまりないのだ。
手帳も空白であった。


おかげさまで、今は、調子が悪ければ、
何の音もしない部屋で、静かに過ごしていられる。
調子が良ければ、テレビも見られるし、
音楽をかけて唄うこともできる。

ありがたい生活になった。
感謝している。

恩返しができていないことが申し訳ないけれど、
結婚して良かったと心から思う。

夫の柔軟な思考力と、判断力あってこその生活だ。

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また憂うつに。

夕べはまた、寝付けなかった。
ちまが、察して来てくれて、
一緒に寝た。

だから、気分良く起きられない。
夫が休みだから、いつ来るかわからないので、
必死に起きる。

お昼ご飯を食べて、洗濯をして、
夕飯のポテトサラダを作り始めたら、
夫が来た。

金曜日に、「明日から母屋の食事の用意は不要だよ。」と
メールが来たのだが、
献立は話し合うことになり、
結果、みんなの分のポテトサラダをわたしが作ることになったのだ。

夫は、自分がやってもいいんだけど、と言ってくれたが、
もう始めてしまったので、自分で作った。

母屋には、次女ちゃんも末っ子くんも居るのだが、
家事をやるのは夫一人だ。

手伝おうとか、自分がメインでやろうとか、
まったく思わないみたいだ。
本当に夫が気の毒。


障害年金の申請が、余りにも煩雑なので、
プロの社労士さんに依頼をすることになった。
そしたら、ホームページでは一切触れられていなかったのに、
「事務手数料」を、最初に請求された。

夫が不機嫌になった。

もちろん、わたしだって、「ええ~?」と思ったのだが、
自分ではとてもやれないし、
すでにかなりの情報を流してしまったので、
頼まざるを得ない。

だから、夫が不機嫌になると、辛いのだ。
だって、結果、請求できませんでしたーってこともあり得るから。
そしたら、事務手数料を、無駄に取られて終わりになる。


何だかまた、憂うつになっちゃった。

夫が例年通り、お年玉をくれたら、
新しい枕を買いたいなーとか思ってたんだけど、
シュンとしてしまった。

気分が晴れないのだ。

障害年金のことも、
帰省しない自分のことも、
家事をしない母屋の子供たちのことも、
春まで息子に会えないことも、
なんだか、ずっしり。

30日にカウンセリングがあるので、助かる。
この年末のしんどい気持ちを、聞いてもらえる。

今夜もきっと寝付けないだろうな。
眠るのも、起きるのも、嫌だ。
なんだかとても憂うつだよ。

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ちょっと楽になった。

夕べは、悶々とすることなく、
すんなり寝付くことができた。
寝付けるって、何よりもわたしには素晴らしい。

指の痛みとかは、我慢すればいいだけだが、
寝付けないのは、精神的に苦しいから。

ちょっと、うつ状態が、楽になった気がする。


土曜日は、夫が手巻き寿司を用意してくれた。
夫は買い物に三箇所も行って、
ムギの相手もして、
お姑さんの世話もして、
一人で大忙しだ。

子供たちは、休みに入ったら、
どんどん自分の予定を入れてしまって、
ぜんぜん当てにならない。
自覚して欲しいのだが、全く無理のようで、
結果、夫だけが忙しい。

わたしは、ちまとのんびり過ごせた。
ちまは、フレンドリーでいつも機嫌のいい子だが、
ベタベタと甘えてくる子ではない。
なのに、今日はくっついて来て、
ただだらーっと一緒に過ごした。

ちまは、本当はこんな生活を望んでるのかもね。
わたしが、普段ぼーっとしてることなんてないから、
今日は特別に思って、
くっついて来たようだ。

何をするでもなく、
ただ二人くっついて、ぼんやり過ごせた。

このところ、障害年金のこととかで、
イライラしてたから、
ここに来てリラックスできて、
ちまとの関係も修復できて、良かった。


夫は夜、日本酒を持ってアパートの部屋にやってきた。
最近普段は、余り飲んでいないらしい。
今までは四合くらい、すぐに飲んでしまうのに、
グラス二杯分くらい残して、酔って寝てしまった。

夫は、酔うとわたしに批判的になる。
いつもは言わない愚痴みたいなもの?
そもそも別居してることから否定されるので、
わたしは困る。

お正月は、朝から飲むらしい。
また責められるかな。

夫と一緒に見るつもりの番組があったのだが、
寝てしまったので、
違う番組を見た。


夜中に夫が帰ってから、シャワーを浴びた。
夫は寒がりなのに薄着なので、
ガンガンにストーブを焚く。
厚着しているわたしはどんどん脱ぐのだが、
汗をかいてしまったので、夜中にシャワーとなった。

日曜日の夕飯は、夫が二品作り、
わたしが一品作ることになった。

子供たちは、どうせパパがやると、思っているのだろうな。
人数が多いと、
責任感が薄れる。
誰かがやると思うのだろう。

わたしなんて一人っ子だったから、
何でも強制的に、やらされてて、
大人になってからも、自由なんて、全くなかった。
窮屈で不自由な家だった。

自分の家と思ったことはない。
ここは両親の家で、わたしはオマケと思っていた。

居心地が悪かったので、早く結婚して出た。
まあ、悲惨な結婚生活だったけれど。
家を出たことだけは正解だ。


リウマチ内科の先生によると、
注射は、即効性があって、二週間ぐらい効果が持続するので、
三週間空いてしまう今回は、
お正月過ぎくらいに痛みが出るでしょうとのことだった。

けれど、副作用だけ強くて、痛みは消えず、
まだ年末なのに、指の関節は痛いままだ。

洗い物にはけっこう慣れた。
曲げると痛むわけだが、突き指みたいに、当ててしまうと、
とんでもなく痛い。これにはびっくり。


実家からは、何も連絡はない。
もちろんこちらからは一切連絡していない。
わたしが帰省しないこと、わかってるんだろうか。

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お礼を言いたい。

目が覚めて、ちまが上に乗っていると、
重たいのだけれど、やっぱり嬉しい。

こんなに可愛くて優しいのに、
辛く当たってしまった。
反省する。
ちまに甘えているからだ。

息子にも、辛く当たった経験がある。
これも息子に甘えてたからだ。
今だったら絶対にしないのに、
未熟な母親で、申し訳ない。

こんな親なのに、立派に育ってくれて、
ありがたい。
存在に感謝しなければ。


今日も出かけることなく、
あるだけの材料を使って、夕飯を作った。

夕方、鍋を抱えて持っていくと、
ムギが、小屋の前どころか、
車の前まで出迎えていて、
にゃ~っと鳴いた。

ムギ、ごめんね、待ってて!
すぐ来るからね!

肉団子スープを母屋の鍋に移し変え、
サラダを盛り付けて、
慌ててムギのところに行った。

にゃあにゃあ鳴いて、ムギは待ち焦がれていた。

寂しいよね、ムギ、寂しいね。

抱っこしてフリースでくるんで、
いろいろお喋りする。

夫にメニューをメールしたら、
明日からは母屋の分は夕飯作らなくていいよ、と言ってもらえた。

わたしは、力が抜けた。
年内は、これで終了。
みなさん、食べてくれてありがとうございました、
そう思った。

食べてくれる人がいるからこそ、
料理は作れるのだもの。

自分一人だったら、料理なんてしない。
する意味がない。

早めに休みに入らせてもらった。
ちょっと、疲れているので、
休養しよう。

働いてるわけでもないのに休養だなんて図々しいが、
働いていなくても、
心が何かしらで疲れてしまうこともある。

今は、リウマチの治療で、体がしんどい。
金曜・土曜は飲み薬も入るので、
だるいし、手足が重たくて上がらない。

リウマチ、早く治りたい。
薬の副作用ってホント辛い。
注射は一回では効果は現れないみたいで、
相変わらず、指の関節は痛いままだ。


今日はちまにうーんと優しくできた。
録画した番組を見ていると、
ちまがちょっと抱っこされにやって来る。
ちまはいい匂いがする。

ムギからは、運動場のような香ばしい匂いがするよ。


春からスタートした、わたしの夕飯作り。
頼まれたわけでもなくて、
当てにされたわけでもないのに、勝手に感情で始めてしまって、
結果的に、お姑さんのボケが進行したのなら、
申し訳ない。
いっそ、手を出さなければ良かったのに。

まさか、迷惑になってしまうとは、考え及ばなかった。
先をちゃんと考えて行動しなければいけなかった。

なんだか、自分のダメさ加減を思い知った一年だった。
夫がいつも、寄り添ってくれてることがありがたい。

誰がいなくなっても、
僕がそばにいるからね、と言ってくれた。

夫がいるから、
料理、頑張れた。
結果的にもし、迷惑だったとしても、
手作りの料理を食べてもらえたことは、ありがたい。

結婚した意味もあろうかというものだ。


お疲れ様でした、自分。

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相当どうかしてる。

なんでこんな時期に、
こんな風にうつ状態になってしまったのだろう?

何もかもが、思うように運ばず、
心をわずらっている。

どうしよう。
どうしたらいい?

寝付けない。
サイレースをマイスリーに変更しても大丈夫と思ったのだが、
実際は、マイスリーでは入眠できてない。

毎晩、寝付けなくて、
新聞配達のバイクの音を聞いて絶望する。


目を覚ましたら、午後2時だった。
起きなければ、と思い、それでもなお布団で悶々としていると、
夫からメールが届いた。

夕飯作り、大変だろうから、
鶏モモを焼いたのを買ってくればいいよ、と、
書いてくれてあった。

そっか、クリスマス。

夫は、わたしが鬱状態なのを察して、
仕事中なのにメールをくれたのだ。
優しい。

でも、本当にうつ状態だから、
着替えて出かけることすら、億劫だった。
しかも、現金がもうないので、おろさないと買い物できない。
銀行に行くのも面倒。

なので、ある材料で煮物をして、
夫がお歳暮でいただいたハムを焼いて、
フライドポテトを作って、
夕飯とした。

夕飯を盛り付け終わって、ムギのところに行くと、
ムギは既に小屋の前に出て、待ち構えていた。
にゃ~っと激しく鳴く。

抱っこして、餌をやって、
抱っこして、40分くらい一緒に過ごした。

今日はイライラせずに、ちまに優しくできた。
ちまは、天真爛漫で、すごく性格のいい猫だ。
とても可愛い。
イライラして当たってしまうなんて、
わたし、相当どうかしてると思う。
こんなに可愛くて愛おしくて、
居なければ生きていけないのに。

反省する。

夫も優しく接してくれて、感謝だ。

いつもと違う年末で、心が穏やかでないのだろうか。
なぜ、こんなに状態が悪いのか、自分でもわからない。
カウンセラーさんにではなく、
美容師さんにまで聞いてもらって、
泣いてしまうなんて、
相当、病んでいる。

何にもできない。
どうしちゃったんだろう?

体調が悪いのは、リウマチの治療のせいかな。
脇の下が腫れてるように感じる。
手足がだるくて、上げられない。
口内炎もひどくて、自分の歯も、
歯ブラシも、凶器になってる。

口内炎、辛いなあ。
寝付けないのも、罪悪感が強くて、とても辛い。

気持ちも上がって来ないし、
後悔ばっかりしてるし、
反省ばっかりしている。

とにかく今は、「夫に申し訳ない病」だ。

全然役に立ってない自分が申し訳ない。
夫は、気にしなくていいよ、と言ってくれるが、
もうなんだか、すごく申し訳なくてたまらないのだ。

いつも年末、どうしてたっけ?

夫も風邪気味で調子が悪そうだ。
わたしに移さないよう、来ないでいてくれている。
リウマチの注射を打ったので、
風邪を引くと重篤化する恐れがあるからだ。

夫も、早く体調が戻るといいな。
今年もあとわずか。
お疲れさま。

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自分の良さがわからないよ。

夕べもまた、寝付けなかった。
完全に入眠障害が勃発している。
なので、アラームをかけないで寝た。

起きたら、午後2時だった。
多分朝まで寝付いてなかったと思う。
目が覚めても、布団から出るのが億劫で、
しばらくウダウダしていた。

ちまに餌をやり、焼きそばを作って食べた。
夫が、年賀状を作って持ってきてくれた。

両親にも、何か書き添えて出しなさいと言って用意してくれてた。

しばらく考えたのだけれど、
書きたいことが、あると言えばありすぎるし、
書きたくない気持ちも当然あるし、
結局、名前を書き添えただけで、出してしまった。

雨の中、ポストに行って出して来た。

ちまがまた、餌をねだるので、おかかをやった。
そしたら、猫ベッドの中で吐いてしまった。

わたしはかーっと頭に血が昇って、
「吐くなら欲しがらないでよ!」と、ちまを怒鳴ってしまった。
怒られたことがわかって、ちまは逃げ出して、シュンとする。
イライラが治まらない。
ちまは何度も吐くので、何回も始末をしなくてはいけない。

そのことにイラついている自分を、
これではまるで母と同じではないか、と気付いて、
愕然となった。


わたしは、弱い子供で、
毎週土曜日になると、熱を出した。
扁桃腺が腫れて、高熱を出す。
なので、幼稚園児の時に、
扁桃腺を切除する手術を受けさせられた。
一泊入院が必要な手術だった。

初めてのベッドに喜ぶフリをして、
近所のお宅から、お喋り人形をいただいて喜ぶフリをして、
わたしは、子供ながらに大変だった。

手術は局部麻酔だったので、
口を大きく開けさせられ、器具が喉に入ってくる様子を、
わたしは自分の目で見つめていた。

手術のあとはもちろん血が出る。
それを飲み込まないよう、
母が付いていてひっきりなしに唾を取らねばならないのに、
母はしょっちゅう他の人と話していて、
わたしをおろそかにした。

わたしのことより、よその人と話すことが大事なんだ、と感じた。

数日幼稚園を休んで復帰したが、
その時の暗い気持ちは今でも覚えてる。

そして、扁桃腺を切除したにもかかわらず、
わたしは、やはり土曜日になると、熱を出したのだ。

体が悪いのではなく、
精神がもたなくて、熱を出していたのだろう。
今ならそう思う。

けれど、自分が日曜日しか休みじゃなかった母は、
土曜日になるたびに熱を出すわたしを疎ましがり、
毎週毎週、怒られた。

扁桃腺の切除は、無駄だったのだ。
わたしが病んでいたのは、今も昔も、
ずっと、心なのだ。


そんなことを考えて、
わたしは、その母とまるでそっくりじゃないかと思ったら、
なんだか、生きてくことが、楽しくなくなった。
何もかもが嫌になってしまった。

嫌だ嫌だと思っても、親子だから似ているのか。
絶望的だ。
あんな母親にはなるまいと必死に思っていたが、
息子の熱が何日も続いた時だって、
やっぱりイラついた。
母とまるで同じじゃないか。

自己嫌悪で、自分が嫌で嫌で、
すごく凹んでいる。

結局、血は争えないのだろうか。
優しくしてくれた息子や、
いつも明るく接してくれているちまを見ると、
自分のふがいなさに、がっくりと来る。

心を病んだからこそ、できる生き方があると思ったのに、
感情に振り回されて、
自分で疲れてしまっている。


夫が、わたしを気遣って、今日一日フリーにしてくれた。
その間に、痛みを癒したかったのだが、
ちまに辛く当たってしまい、
凹んだ。

もう本当に、自分の良さがまったくわからないよ。

母のようにならない、というのを、
目標に生きて来たのに、
これでは何のために生きてるんだか、わからない。

超うつ状態。
今夜もきっと寝付けないと思う。

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思考と感情の隙間で。

ゆうべも寝付けずに朝になってしまった。
新聞配達のバイクが走り始めて、
カラスが鳴き始めて、
やがて電車が走り始める。

寝付けないことが苦しくて、さらに心を病んでしまうよ。

息子に当分会えないことがわかって、
実にショックみたいだ。
かなり、寂しいみたいだ。

もちろん、わかってる。
息子は、元気に幸せに生きててくれさえしたら、
それでいいのであって、
会えないくらいでいじけていてはいけない。

マンションだって、お嫁ちゃんの実家の近所に買ったけれど、
一人っ子同士の結婚なんだから、
お嫁ちゃんが楽であることが一番大事。

だから、その選択は、とても正しいと思ってる。

でも、「こう思うべき」という思考と、
「わかってるけど、でも。」という感情の隙間が、辛い。

本来はこう考えなければいけない、というのは、
わたしはすぐにわかる。
そして、そう考えるように、いつも頑張る。

だけど、常に、本心との間に隙間があるから、
そのズレが辛くなって、
頑張れなくなってしまうのだ。

親孝行するべき、と思って、
何年も頑張ってきたが、
実は非常に無理をしていたことがわかり、
崩壊してしまう。

息子たちにとって、
ものわかりのいい親でありたい。
ウザイと思われたくない。

だけど、本当は会いたい。
本心では、会いたい。
でも、言っちゃいけない。

その隙間を埋められなくて、
とても辛いのだ。


少し前に、夫が、
「どんなにまずくてもいいから、ばあさんに夕飯作らせておくべきだった。取り上げたからボケがひどくなってしまった。」
と言った。
それを聞いた時には、
もうすぐ90歳にもなる人に、やらせるのは、ちょっとひどくないか?
と感じたのだが、
よく考えたら、
お姑さんがボケて、一番苦労するのは、夫なのである。

現に、もうすっかり料理をする気力は失せて、
お姑さんの認知症は、進行したように思える。

わたしが、料理を取り上げてしまったせいだ。

料理を取り上げてしまうのなら、その後のことまでちゃんと考えて、
わたしがお世話すべきだったのに。

今、夫の言い分がよくわかる。
わたしは、誰かに頼まれたわけでもなく、
期待されてたわけでもないのに、
なんだか勝手にヒーローぶって料理をスタートして、
そしていざ、お姑さんがボケてしまったら、
介護もできない。

なんて自分勝手なことをしてしまったのだろう。

今になって、反省してももう遅い。
時間は戻らない。
お姑さんも、もう、料理ができるようにはならない。

夫に、心から申し訳ないと思う。
自分勝手に事を進めて、
責任は取らないという、ひどいことを、わたしはやってしまったのだ。

わたしが見て見ぬフリさえしていれば、
お姑さんが、退院してきてからまた、料理してたかもしれないし、
それが無理だとわかったら、
子供たちが動いたのかもしれないのに、
中途半端に手出ししてしまったから、
きっとすごく迷惑だと思う。

やるなら全部やれよ、とわたしなら思うだろう。
本当に申し訳ないことをしてしまった。

しかも、今更反省したところで、
取り返しがつかないのだ。

もっと、長い目で見て、考えて、相談して、
それから行動すべきだった。
あさはかなわたしは、その時の感情で、動いてしまった。

夫に謝罪したら、気にしなくていいよ、と言ってくれたが、
夫が一番の被害者なのだ。
申し訳ない。


もっと物事を長い目で見られる力があったなら、
こんなふうに失敗しないで済むのに、
わたしって本当にダメだ。

これからどうしよう?

今日は、辛いことが重なりすぎてて、
美容師さんに話していたら、ぽろぽろぽろぽろ泣けてしまった。

わたしさえ、頑張れたら、
うまく行くのに、
わたしさえ我慢したら、
うまく行くのに、
かき回すだけかき回して、責任を取らないわたしは犯罪者だ。

夫に申し訳ないよ。


年内にもう一回、カウンセリングがある。
そこで話してこよう。
この辛さ、乗り越えられるかな。

始めてしまったのだから、
責任持って、夕飯作り、続けないと。
頑張れわたし。

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因果は巡る。

完全にスランプだ。
夕飯がうまく作れない。
逆に、よくぞ今まで、二品作って来たなと思う。

今日は大根だけ煮て、
あとは唐揚げを買いに行った。
とてもじゃないけれど、思いつかなかったのだ。

人数が多いから、お惣菜を買うと、
すごく高くつく。
だから手作りしたいのだけれど、
どうしたらいいのか、思いつかない。

年末年始、わたしが夕飯を作らなくちゃいけない日が、
多分減るだろうから、
少し脳を休ませよう。


久しぶりにテレビを見た。
「有吉ゼミ」を見て、泣いた。

それが、多分坂上忍さんの、犬の話題で泣くと予想してたのだが、
何故かいきなり、塙三兄弟のところで、泣いてしまった。

塙さんちの三兄弟は全員柔道をやっていて、
その試合があるときは、家族で応援に行く。
まあ、テレビだからっていうのもあるんだろうけれど。

でも、そのシーンを見ていて、
わたしはなんだかすごく、
満たされていなかった自分の子供時代を思ってしまったのだ。

自分だって人の親なのに、
自分はまだ、子供であるような気持ちを持っている。
アダルトチルドレンとは、こういうことか。

親に応援してもらえる子供というのが、
すごくすごく、うらやましくなったのだ。

思えば、わたしは、親に応援してもらったことなど、
ないのではないか?
いいところを伸ばしてやろうとか、
得意なことをさせてやろうとか、
辛い時に寄り添って声をかけてもらうとか、
そういうことを、してもらったことがないのだ。

とにかく、親にとって都合のいい子供であることのみを、
ずっと要求されてきた。
辛いことがいっぱいあって、
学校や、会社に行きたくないことも何度もある。

でも、それを認めてもらったことはない。

とにかく問題を持ち込まないでくれ、
という圧力が強くて、
わたしはいつも本心は明かせなかった。
辛くても、不安でも、行きたくなくても、具合が悪くても、
甘える先はなくて、
黙って、耐えているしかなかった。

自分が、応援される子供だったら、どんなに良かっただろう。
そしたら、きっと、自己肯定感も持てたはずなのに。

応援してもらえなかったことが悲しくて、
その箇所で、不意に泣いてしまったわけだ。


ゆうべも寝付けなくて、朝になってしまった。
寝付けないと、色々考えて、
不安になって、余計寝付けなくなる。

朝になってやっと寝付いて、
また息子の夢を見た。

年が明けたら、会えるのだろうか。

息子に、メールしてみた。
返事は、日付が変わってから届いた。

仕事が忙しくて、年内は30日まで仕事だとのこと。
なので、大晦日に帰省すると書いてあった。

2月いっぱいは、このまま忙しいので、
落ち着いたら招待するから、
しばしお待ちを、と書かれていた。

ええ…。
春になるまで、会えないのか…。

わたしは、寂しくなった。
こんなに会いたいのに、春まで会えないんだ。

自業自得だね。

わたしが、心をやわらげて、帰省してあげれば、
そしてちょっと(かなり?)我慢をすれば、
息子に会えるのに。

ちょっと辛抱すれば、息子と一緒に年越しして、
同じ部屋で眠れるのに。

それを頑張れないから、
自分も息子に会ってもらえないのだ。

自分のしたことは、
自分に返って来るという、いい例だ。


でも、メールに返事をくれたことはありがたかったので、
すぐに返信をした。
しばらく会えないことは悲しいけど、
静かに待っていますね、と書いておいた。


東京に出て来たとき。

前夫の親が、わたしに向かって、
「わたしたちは寂しい。わからないかもしれないが、寂しいのだ。」
と言ったことがある。

わたしには、もちろん理解できなかった。

わたしのことを奴隷みたいに扱っておきながら、
いざ居なくなると寂しいといって当たられても、
わたしに責任があるわけじゃないし、と思った。

わたしは、窮屈で理不尽な田舎暮らしから解放されて、
すごく東京を謳歌していたから、
寂しいだなんて言われても、
はあ? 何言ってるの?
と思った。

だったら、一緒に住んでたころ、
もっと大事にしてくれれば良かったじゃないか。
そう思った。


でも、今はその寂しさが理解できる。

誰のせいでもなくて、
これは自分がまいた種なのだ。

息子はちゃんと自立した。
だから、会えなくなっても仕方がない。
あまり、会いたい会いたいと繰り返すと、
きっとウザイと思われる。

だから、物分りがいいフリをしておく。
あくまでも、フリだ。
本当は、いいじゃない半日くらい会ってよ、って思ってる。

春まで会えないとわかったら、
なんだかもう、力が尽きた。

ひっそりと、幸せを祈るしか道は残されていない。

子供たちと一緒に住んでいて、
いつも気配を感じていられる、夫が羨ましい。

わたしは、一人で住んでるから寂しいのではない。

ただただ、息子に会えないことが、
シンプルに寂しいのだ。
でももう、息子に言うのはやめよう。
応援する側に回らなくては。

理性ではわかっているけれど、
感情が追いつかないよ。
わたしの母もきっと寂しいだろう。

因果は巡ってしまうのだ。

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不眠の本当の辛さとは。

夫が出張の前乗りで、留守だった日曜日。

お昼過ぎに起きて、
パンを食べて、
それから、やりたかったことに取り掛かった。

障害年金の申請をしようと思っているのだが、
そのために、自分の曖昧な記憶と情報を、
整理して、一覧表にしたかったのだ。

発症が9年も前で、初診のカルテが残っていないため、
遡りで申請することは難しいが、
ダメだったとしても、年表にしておくことは、
いいんじゃないかと思っていたのだ。

夕飯をつくらなくてよかったので、
心置きなく、取り組めた。

当時の手帳をめくって、
その時の症状を記入し、
どの病院のなんという医師にかかったかなどを、
細かく記入していった。

手帳を、処理しないで取っておいて良かった。

わたしはいわゆる、「仮面うつ」というもので、
うつ病と診断されるまでの、約一年半、
主に不正出血の症状がひどくて、
産婦人科に長くかかっていた。

その主治医に、軽い精神安定薬などを処方してもらっていたのだが、
とうとう、起き上がれなくなり、
不眠になり、
目まいで天地がわからなくなり、
精神科に回してもらったのだ。

うすうす、精神を病んでいるのではないかと思っていて、
近くにある、心療内科などを、
調べ始めた時だった。

だから、診断が出て、うつ病です、と言われた時、
わたしは心底ホッとしたのだ。

ずっと、無理して頑張って生きて来た人生だったから、
頑張れなくなった自分に、ちゃんと理由がついたという、
そのことで、ああ、それでは仕方がない、
これから治療すればいいのだ、と安堵したのだ。

まずは、そんな自分を、真っ先に自分が認めてあげることが
先決だった。

当時、夫は、キミは診断されてから、急に病人みたいになった、と責めたが、
病気を特定できないまま、
ただ頑張り続けていたことが、
本当に本当に、しんどかったのだ。

だから、治療を始められるとわかったとき、
まずは自分が認めてあげないと、と思った。
眠れない自分も、
不摂生だと責めるのではなくて、
病気の一症状なんだと思うことで、
落としどころがあったのだ。

朝の5時に起きる夫と、
朝の5時にしか寝付けないわたし。

誰に聞いたって、
早寝早起きの人が正しいとされ、認められる。
朝まで起きてる者の言い分なんて、通らないのだ。

今でこそ、わたしが朝起きられないことを、
夫は認めてくれているが、
結婚してからもずっと責められていて、居心地が悪かった。

一昨年、夫と山形に旅行に行って、
本当に、もう、朝起きる旅行が苦痛なんだとわかってもらうまで、
わたしはずっと責められている気分で生きていた。

マイノリティーは、立場が弱い。
絶対に早寝早起きの人のほうが正しくて、
意見も通る。
わたしだって、たまに午前中に起きて行動すると、
時間が有意義に使えると思う。

でも、寝付けないのだ。

寝付けない辛さを、わかってもらうことはできない。

寝付けないと、悶々として、
あれこれ考える。
考えてしまうことによって、
また更に、寝付けなくなる。

夏場だと、外が明るくなってくる。
自己嫌悪に陥る。

いくら正当に、
夜寝て、朝起きることが正しいと言い放たれても、
反論すらできない。

不眠の本当の辛さは、実はそこにあるのだ。

それは、医者にもわからない辛さだと思う。


一覧表は、書き終えた。
これで、この表(6ページ)だけあれば、
最初からどうであったかが、一目でわかるようになった。

書ききれないこともある。
うつ病の一症状だと思うのだが、
皮膚のかゆみが酷くてずっと皮膚科に通っていたことや、
薬の副作用でドライマウスになり、すごく辛かったことまでは、
手が及ばない。

母との確執にも触れていない。
ここを書き始めたら、幼少期にまでさかのぼらないといけなくなる。

今は、
なるべくしてうつ病になったのだから、
少しでも、よりよく生きたいと思っている。
病気になったからこそ、わかったことや、
わかってあげられることが、あると思う。

そこを大事にしながら、
ゆっくりとでいいので、
回復していきたい。

長年かけて、じっくりと病気になってしまったので、
また長年かけて、じっくり回復すればいいのだ。

そう、あらためて思った一日となった。

ちまと二人で住むという部屋があることに、
心から、感謝する。

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ただじっと待っている。

寝付けない。
色々考えちゃって、なかなか寝付けない。

眠ると必ず夢を見る。
今日は、仕事をしていて、失敗した夢を見た。
嫌だ、こんなこと、と夢の中で思っていて、
ハッと、これは夢だ!と気付いた。

そこからまた寝直したら、
次にはまた、息子の夢を見た。

息子を、抱きしめる夢。

暖かくて、
しっとりとした肌。

これにも、ああ、夢だ…と気付いて、
悲しくなった。

息子を抱きしめたのなんて、
もう15年も前のことだ。
その後は、握手するか、髪に触れるか、
それくらいしか、させてもらってない。

もっといっぱい、抱きしめておけば良かった。

起きてから、とても寂しくなった。
息子に会いたい。
でも、少なくとも年内は会えない。
歳が明けて、じゃあいったいいつ会えるのか、
わからない。

寂しい。


もちろん、歩んできた道は、正しかったと思っている。
わたしが再婚をすると言ったら、じゃあ、と、息子が一人暮らしを始めたこと、
ちょうど良かったと思っている。

わたしは夫と結婚して良かったし、
息子も結婚できて、
マンションも買って、
本当に、これで良かったと思っている。

でも、会えない寂しさは、別に持っているのだ。
会いたい。
短時間でもいいから、会いたい。

握手でいいから、触れたい。

暖かくてしっとりとした肌に触れたい。
でもそんなこと思ってる母親、きっと気持ち悪いよね。
だから、言わない。
こっそり泣く。


子供たちと、ずっと一緒に暮らしてる夫が、
うらやましく思える。
いつも気配を感じていられて、いいなあと思う。

わたしは息子の声を聞くことすら、できないのだ。

息子は、息子だからもちろん好きなんだけれども、
人としても、好きだ。
いい子だと思う。

会いたいよ。


毎年帰省して、一緒に年越しをしてた。
でも、帰省は無理だ。
だから、仕方がない。
これはわたしに問題があるのだから。

いつ会えるのか聞きたいけれど、
仕事がすごく忙しいみたいだし、
引越しの片づけが終わって、
やっとダイニングテーブルを探し始めたと言ってたし、
せかしてはいけない。

ただじっと、会える日を待っている。

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グラグラで立っていられない。

今日は夫が、お姑さんの病院に付き添うため、
休みを取っていた。
もう、本人に何を話しても、
本人が覚えていられないのだから、
夫が出て行くしかない。

なのに、お姑さんは、二度も、
わたしに着いて来てくれないかと要請をした。
夫が休み取って予定していますよ、と言ってるのに、
あの子は怒ってばかりだから、とか言う。

わたしだって怒ってますよとは言えず、
顔を見て話すことも出来ず、
わたしは逃げてばかりだ。

今日、夫が病院に付き添って、
話をまとめて来た。
体には、悪いところは、無いそうだ。
薬の飲み方を、チェックしやすいように変更したとのこと。

その後夫は用事があって区役所に行ったが、
お昼前に、「起きた?」とメールが来た。

へ?
前の日のメールで、
お昼一緒に食べる?と尋ねたら、
時間が読めないから自分でするよ、と言っていたので、
まさか起こされるとは思ってなかった。

でも、午後のお出かけに付き合う約束をしたので、
結果そのメールで起きた。


最近、ムギといちゃいちゃしていない。
体調が整わず、ムギに会いに行く気力がわかないのだ。

ムギは愛情に飢えている子なので、
じっくり付き合う気力がないと、
逆にかわいそうなので、
おいそれとは行けないのだ。

すると、ムギのほうからやって来た。
起きて、東の窓を開けると、
お隣の家のひさしに、ムギが居て、
激しく鳴いた。
待ち伏せしていたのだ。

あまり明るいところで堂々とムギに会ったことがなく、
ムギは一見は、特徴を判別しにくい全キジ猫なので、
「ムギなの?」と聞いたら、
にゃあーと鳴く。

ちまが窓から覗くと、
ムギはちまにも何か訴えるように鳴いた。

さて、トーストでも食べましょ、とパンを焼き始めたら、
夫がやって来た。
一緒に昼ごはん食べることになってるでしょ?と言う。

そうは読めなかったので、
そうなの? ごめん、と言ってパンを追加して、
コーヒーを二人分作った。

色々喋りながら、ランチして、
そのあと、夫が行きたい美術展に、一緒に出かけた。

わたしたちは、東京の平たいところに住んでいるが、
今日の行き先は、「山の手」の台地。

駅から、長い上り坂と、急な階段とどっちがいい?と聞かれて、
迷わず上り坂を選択。

リウマチの治療をしているから、
体に力が入らないのだ。
足を上げ下げするなんて、すごく大変。
だから、階段なんてもってのほか。

思ってる以上に、体には影響が出ていて、
揺れる電車で立っていることもすごくしんどい。

夫は毎日、満員電車で、一時間半も通勤頑張ってくれてるんだよなあと、
感謝の気持ちになる。

長い上り坂を登って、美術館に到着したが、観覧客が多くて、
入場制限中。

でも、わたしの障害者手帳のおかげで、
本人と付き添い一人が無料になる。
高いチケットだったので、とてもありがたい。

人で溢れていたので、夫が見たいように見れたかわからないけれど、
また電車に乗って帰って来て、
夕方、回転寿司に行った。

電車で立っていて、すごく疲れたので、
回転寿司の待ち時間が、ちょうど良かった。


明日は末っ子くんの誕生日会だが、
わたしは欠席する。
おそるおそる夫にそう申し出てみたら、
「いいよ、全然オッケー。」と、
あっさり承諾してくれたので、すごくホッとした。

その代わり、夕飯作るね、と言っておいた。
子供たちはどうせ、誰もいないだろうから、
お姑さんの分と、3人分だけだ。


リウマチの治療も、立派な闘病だなあと感じる。
夫が、「ディズニーのチケットがあるんだけど行ける?」と聞いてきたが、
もちろん断った。
電車で20分立ってるだけでこんなにしんどいのに、
ディズニーなんて、無理。
1月いっぱいの券らしいのだが、もっと早くに、
誰かにあげれば良かったのに。

息子たちにあげたら、
その分、会える日が遠のいてしまうから、
それはやだな、と思う。

今朝、珍しく、息子の夢を見たのだ。
息子に会いたくて会いたくて、
近くの駅で、待ち伏せしてる夢。

息子に見つかってしまい、バツが悪い思いをしてた。

息子は、仕事がずいぶん忙しいのだろうな。
帰省さえすれば、会えるところだけれど、
わたしが帰省しないので、
いったい、次にいつ会えるのか、わからない。

息子に、とっても、会いたいなあ…。


体調が悪くて、このところテレビも見ていない。
座ってるのもしんどい。
横になる。

すると、ちまが喜んで寄って来る。
ただ、一緒に住んでればいいってもんじゃないらしい。
ちまにはわたしは甘えていて、ちゃんと向き合っていないのだ。
だから、何もしない状態のわたしがいると、
ちまは喜んで寄って来る。


リウマチのお薬は、飲み薬も平行している。
飲み薬は、金曜・土曜に飲むので、
週末はしんどい日が続く。

注射は、半年ぐらい続けたらすごく効果が出るらしい。
早めにやっつけてしまわないと、
脱臼とか、怖いから、頑張ろう。

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ちまが看病してくれてた。

やっぱりわたしは、危ない人間だ。
単なるうつ病だったら、「できない~。」と寝込んでしまうところを、
やっぱり気になって、
どうしても自分で動きたくなって、
失敗しちゃう。

せっかく夫がストップかけてくれてるんだから、
走らない、走らない。

夜、無理矢理、早く寝てみる作戦を実行。
そんなわけで、ブログの更新が途絶えました。


水曜日も朝に起きられたので、
予約の日ではなかったけれど、
夫の言いつけに従って、
リウマチ内科に行ってきた。

高い、注射を、受けていいから、
来月までなんて待っていないで、早く受けて来なさいと、
夫が言ってくれてたからだ。

病院に電話して申し込み、
その旨伝えてあったのに、
総合受付を一回通れとか、
予約日じゃないから問診表を書けとか、
いろいろ面倒だった。

それで2時間も待たされて、
空腹だし、本を持っていくのを忘れたので、
疲れた。

やっと呼ばれて、先生に、注射の許可が出たので受けたいと伝えた。
何種類か注射のお薬があった。
説明を聞いたが、
効果が長く持つものは、それなりに強いわけで、
その間に、インフルエンザなどの感染症にかかると、
重篤化することがあると言われて、
その薬は、やめた。

二週おきに注射するタイプで、
慣れてきたら、自分でも注射ができるものにした。

処置室で、注射を受けるのだが、
ショック症状などが出ないか、経過を観察してからじゃないと帰せないと言われ、
カーテンで仕切られた小部屋の椅子に座って、
二の腕に注射してもらった。

痛ーい!

思わずそう言ってしまったほど、痛かった。
しかも、まだなの?まだなの?と思うくらい長い。

こんな注射を自分でするなんて、無理ー!

こんなに痛いものだっけ?
血液検査のために、毎回腕に針を刺されていたが、
本物の注射の痛み、すごいよ。

30分ほど様子を見たが、大丈夫そうだったので、
お会計に回った。
血液検査なしで、2万円弱。

リウマチなんかになっちゃって、
夫に、申し訳ない。


時間はまだ早かったが、中途半端に帰宅すると、
出かけるのが嫌になるので、
そのままカウンセリングに向かった。
デパートで時間潰しをした。

カウンセリングを始めて、しばらく喋っていると、
なんだか、だんだんロレツが怪しくなってきた。

あれあれ?
体に力が入らないよ?

これは、副作用が出始めたと思い、
デパ地下にも寄らずに、
すぐに帰宅した。

汗をかいたのでシャワーして、
洗濯をして、
ご飯を食べたら、もう、起きていられない。

眠いわけではないのに、
関節がだるくて、体を支えていられないのだ。

だから、布団に入ってじっとしていた。

なんだか苦しい。
扁桃腺がある人だったら、
扁桃腺が腫れてる感じ。
(わたしは幼少期に切除されている)

これは、ひどくなったら死ぬかも、と思った。
窒息しそうなのだ。

すると、ちまが、わたしの上に乗って来た。
珍しいことだ。
いつもは自分のベッドでぬくぬく寝てるのに、
何かを感じたように、わたしに乗って、
ふみふみをした。

そしてわたしの上で、丸くなって寝た。

ちまちゃん、これは、看病してくれてるんだね?
きっとそうだよね?
ママが不調だとわかって、頑張って、って言ってくれてるんだね?

しかし、
ちまちゃん、6.3キロ…。
重たい…。


すると、夫も心配して様子を見に来てくれた。
しばらく一緒に居てくれた。
こういう時、心強いなと思う。

じゃああとはちまちゃん頼んだよ、と言って、
夫はムギのところに行った。

それが水曜日の夜。

夫が手配してくれて、木曜日、夕飯を作らなくていいようにしてくれた。
助かる。


今年ももうあとわずかになってしまった。
早いなあ。
わたし、この一年、どう生きていたっけ?
思い出せないよ。あまりの早さに。

木曜日もちまがお腹の上に乗って、
看病してくれていた。
重たいけれど、嬉しい。

ねこには、わかるのかな、飼い主の不調。

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危ない危ない。

障害年金を受給できるかもしれないと知って、
わたしの頭の中は、
もう満杯。

いつもより早く起きて、
初診の病院に電話して、カルテが残っているかを聞いた。

もう9年も前のことなので、
調べてはくれたが、
残ってないとのこと。

年金機構さんに電話をして相談してみると、
健康保険を使ったはずだから、
その記録なら、役所に残っているかもしれないと、
教えてくれた。

とりあえず今日はシャンプーの日なので、
美容院に行き、
終わってすぐ、区役所に行った。

健康保険は、その時に住んでいた区の扱いだとのこと。
次に、年金課に行って、
障害年金の申請をしたいと言ったら、
小部屋に通されて、
係の人が来てくれた。

いろいろ説明を聞いたのだが、
初診まで遡るとなると、
余りにも書類が煩雑で、
理解ができない。

わたしが病院を3回替わっているせいだ。

係の人はメモ紙に、色々書いて渡してくれたが、
正直、どうしたらいいのかわからない。

帰宅が五時半くらいになってしまい、
慌てて夕飯を作った。

お姑さんには、
今日はいつもより遅くなりますが、
必ず作って持って来ますから、と伝えておいたのだが、
夕飯を運んで行くと、
冷凍の餃子が、解凍されていた。

盛り付けしていると、いろいろ話しかけられた。
まだ、目を合わせることすら出来ないが、
話は、そうですか~と、聞くことができた。

ムギが待ち焦がれている。
夕飯を持って来たときに、ムギは玄関の近くに居て、
ムギから、にゃ~と声をかけて来たくらいなのだ。

ごめん、ムギ、待ってて!

盛り付け終わって、ムギのところに急いで行くと、
感極まって、「にゃ~わんわん。」と鳴いた。

夫が、ムギはたまにワンと鳴くよと言っていたのだが、
実際に聞いた。
あれは、待ち焦がれている時のワンワンらしい。

40分くらい、ムギと過ごして、
部屋に戻って、
古い手帳を引っ張り出した。

書棚を部屋に持ってきてもらったとき、
かなりな断捨離をしたのだが、
手帳は、迷った結果、まだ捨てないことにしたのだった。

だから、夫と出会う前のころからの記録がある。

ずっとたどっていって、
病んでいく様子を読み返し、付箋を貼って、
必要な項目を引き出せるようにした。

夫と結婚してからしばらくは、
何も手帳に書いてない。

何もできず、ただ引きこもって、寝ていたからだろう。

お薬手帳と照らし合わせて、
診察日などを全部新たに記入しなおした。

ご飯を食べ忘れていて、9時ごろにやっと食べた。

それからまた手帳と取り組んでいると、
飲み会から帰った夫から電話があった。

なんだか色んなことを聞かれるのだが、
ちっとも聞き取れない。
来てくれない?と言ったら、
来てくれよと言われたので、資料を抱えて夫の部屋に行った。

夫は、わたしが、
やりだしたら歯止めが利かないことを、よく知っていた。

9年前まで遡るという、膨大な作業を、
キミは自分でするつもり?と聞かれた。

カルテが残っていないとなると、
戦略が必要になってくる。

夫は、わたしに、ストップをかけた。

そんな作業を自分でできる人に、
障害年金なんておりません、と言われた。

確かにそうだ。
わたしは、お金が欲しくなってボルテージが上がってしまったが、
この作業は、自分では無理だと、
そこで気づいた。

それで、障害年金サポートをしてくれる事務所に、
お金を払って、依頼することにした。

じゃないと、キミ、潰れるよ?
と夫に言われた。
まさにそうなる寸前だ。

今夜は、手帳に全部を記入することだけやり終えて、
あとはまた明日。


疲れた…。
背中がバンバンに凝り固まってしまった…。
来週に、と思っていたけれど、
マッサージに行こう。

あまり詰め込むと、わたしは潰れるんだから。
危ない危ない。

夫はわたしのことをよく知っているなあと思った。
夫と結婚して良かった。

コツコツ、少しずつ、やりましょう。

                                          伽羅

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無知ゆえの罪。

わたしは、今でこそ、
スピリチュアルな分野に興味があり、
輪廻転生を信じているが、
その思考を知り、ああきっとその通りなんだ!と気付くまで、
長年を費やしてしまった。

もっと早くその思考になって、
因果応報を知っていたら、
もっと自己規制ができる人生だったろうに、
わたしは知らなさ過ぎて、
多くの罪を犯した。


今は、神社仏閣に、ほぼ行っていない。
若い頃は、親が行くのに付き合って、
多くの神社仏閣に行っていたのだが、
参拝の儀礼も作法も知らなくて、
そこがどんな由緒の神社であるかも知らずに、
ただ、観光の一環で行っていただけだ。

ちゃんと作法を守ってお参りをすれば、
神仏はご縁を繋いでくれるらしいのだが、
わたしはそういう生活とは縁遠い、だらけた日常を送っている。


最初のカウンセラーさんを亡くして、
宙ぶらりんになってしまっていたとき、
辛くて辛くて、何かにすがりたくて、
インド人のヒーラーさんに、見てもらった。

わたしは名前と生年月日を書いて渡しただけ。
なんの声も発しない。

ヒーラーさんは長い水晶の数珠を鳴らしながら、
わたしを見てくださった。

最初の結婚を悔いているようだが、
息子を授かるためだけの結婚だったので、
一切気にしなくていい、と言われた。

前世は江戸時代の江戸に住んでいた武家の娘で、
息子は、前世でも息子だった。
父は前世でも父だった。

父の気位が高いのは、前世、武士だったからだ。
わたしが異常に「江戸」を好きなのは、
江戸にまさに住んでいたからなのだ。

前夫の転勤という形をとり、
わたしは大好きな江戸に戻って来られたのだ。

そして、息子だけ抱きかかえ、
縁がない夫とは別れたのだ。

わたしの守護霊は、父方の祖父だそうだ。
放蕩三昧の祖父だったらしいが、
父が50回忌まで法要をしているおかげで、
わたしたちを守ってくれているらしい。

今生でのわたしは、48歳で、カルマ(業)を返し終わり、
あとは平穏な人生が待っていると言ってくれた。
息子は28歳か29歳で結婚し、孫も生まれると。
息子も長生きできると言ってもらえた。

その通り、息子は28歳で結婚した。


一番嬉しかったのは、
息子が長生きしてくれるという、そのことだった。

何も、わたしには大きな野心などない。
ただ、回りの人たちの心が健やかでいてくれたらいい。

わたし自身も、なるべく悪い「気」を出さないよう、
穏やかに暮らしたい。


障害基礎年金が受給できるかもしれないと知って、
わたしは、それを熱望する。
自分のお金がないということは、けっこう辛いのだ。
夫に頼めば、出してもらえる。
夫は根本がケチな人ではなくて、
倹約はするけど、ここぞというところには、
ポンと大金を使ってくれる人なのだ。

でも、CD買いたいからとか、本を新書で買いたいからとか、
いちいちお願いしにくい。
だから、自由に使えるお金が少しあったら、
かなり気持ち的に楽になると思うのだ。

夫は、リウマチの治療は、早いほうがいいから、
次回の診察まで待たずに、
注射を頼んで来たら、と言ってくれた。

健保から、半額ほどの補助が返ってくるし、
一生続ける注射じゃないんだから、
すぐにも始めたら、と言ってくれた。


本当にありがたい夫だ。
迷惑ばかりかけているのに。
夫の望むような結婚生活じゃないのに、
尊重してくれて、大事にしてくれる。


夫と初めて出会った時、
夫は離れたところから、まじまじとわたしを見つめ、
酔った足取りでわたしの隣に来て、座り込み、
「どうしてこんなところにいるの?」
そう、尋ねたのだ。

まるで、旧知の人と久しぶりに会ったような口ぶりだな、と
わたしは不思議に思った。

夫は、このやり取りを、一切覚えていない。

ご縁というものが確かにある。
残念だけど、切れてしまうご縁もある。

でもわたしは、今持っている少ないご縁を、
生涯、大事にして生きて行きたいと思っている。

もう、人を傷つけるような生き方をしないように。

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病院に行き忘れた。

金曜日の夜中、
いつもお薬ケースに薬を補填する。

そのとき、明日からの精神科のお薬がないことに気付いた。

ええ?

わたしはカレンダーを見た。

通院の確認をした。
でも、「病」という文字が書かれていない。

通院日を、カレンダーに、記入するのを忘れていたのだ!
その金曜日に診察に行かなきゃいけなかったのだ。

わああ、なんという失敗!

書き忘れていて、思い出すこともせず、
勝手に来週だと思い込んでたわたし。
なんてバカなんだろう!

仕方がない、土曜日の午前中に行くしかない。

しかし、夕べは、夫が、
「癒しに来てー。」とメールをしてきて、
夫の部屋に行って、午前2時過ぎまで話していたので、
寝ようとしたのは、既に土曜の午前4時だった。

その時間から寝て、
朝、起きて、電車に乗って二回乗り換えて、
さらに15分歩いて通院…。

む、無理…。

わたしは、夫の携帯に、
事情を書き込み、車で連れて行ってくれるようにお願いした。
そして10時にアラームをかけた。


夫は、お姑さんのことで、毎日ストレスにさらされている。
ボケてしまうくらいなら、早く死にたいね、と、
二人で話していたところだったのだ。

既にわたし、けっこうボケてるじゃないか!


土曜日の午前中に、夫が車で病院に連れて行ってくれた。
電車と徒歩だと、一時間半かかるのに、
車だと40分くらいで楽々到着した。

受付けで、昨日来られなくて、と話しかけると、
ああ、○○さんですね、と先に言われた。
この病院では、予約したのに来なかった患者を把握しているらしい。
ちゃんとしてるー。

待合室に居た人が全員終わってから呼ばれた。
完全に失念していて来られなかったと正直に話した。

そして最近の生活を報告し、
リウマチの現状も話した。
有効な注射があるのだが、それが月額4万越えだと話すと、
「あなたは障害基礎年金を受けられるんじゃないかと思いますよ」
と、急に先生が言った。

今までなんで教えてくれなかったの??

今日は夫が居るので、と言って、
夫にも診察室に入ってもらって、
障害年金の話を聞いた。

もちろん、診断書や沢山の書類は必要だけれど、
受給できれば、注射代が出せるし、
あなたのお金が少しでもあれば、精神的に楽でしょう、
と言ってくれた。


わたしは、うつ病と正式に診断されてから、既に9年が経過している。
その前、一年半、ありとあらゆる体の不調に苛まれていた。
特に不正出血は酷くて、
ほぼ毎日ずーっと激しく出血しており、
電車での通勤の、二駅間がもたなくて、
トイレに行くために途中下車したくらいだ。

卵巣は鶏卵大にまで腫れあがり、
子宮内膜は異常に厚くなり、
いつ大出血をおこしてもおかしくない状態で、
わたしは、摘出手術を念頭に、
紹介された大学病院に行ったのだった。

しかし、婦人科の素晴らしい先生めぐり合って、
これは、精神的なストレスからくる症状です、と見抜いてもらえた。

その婦人科の先生を主治医として、
婦人科の薬と、精神安定剤を出してもらって、働いていたのだが、
やがて、限界が来た。

激しい頭痛、発熱、全身の痛み、
電車に乗ると吐き気に襲われ、
天地がわからなくなるものすごいめまいに襲われて、
わたしはその婦人科の先生に、
耳鼻科経由で、精神科を紹介されたのだった。


仕事は辞めて、夫の世話になった。
もう、働くことは難しかった。
夫がいなければ、生きてはいけなかった。
息子におんぶすることなど、絶対に出来なかったと思うから。


初診から9年が経っているので、
もうカルテは残っていないかもしれない。
提出する書類は沢山あるが、
障害年金を受給できないか、トライしてみようと思う。


病院から帰って来て、
わたしはすぐお昼寝をしたのだが、
その間に夫は、わたしの初診日や、転院日などを、
当時送ったメールや、このブログの過去記事から、
割り出してくれていた。

夕飯も作ってくれた。
障害年金の書類も調べてプリントしてくれていた。


お薬は、サイレースという中期型の睡眠薬を抜いて、
マイスリーという入眠剤に変えてもらった。
最近は、一度寝付いたら、長く寝るので、
変更してもらったのだ。

これでうまくいったら、
次はセロクエルを減らしていくことにする。

夫に病院に連れて行ってもらえて、
すごく助かった。

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甘美な贅沢。

同じ歳の息子を持っているので、
久しぶりに、Z嬢にメールをした。

わたしの息子が誕生日を迎えて、30歳になったのだ。

すると、彼女が、
自分が息子をたいそう甘えさせていることを書いてきた。
息子を甘えさせるということは、
甘美な贅沢なのだと。

うん、そう思う。
わたしだって、もし息子と一緒に暮らせていたら、
辛い体に鞭打って、
頑張って料理を作って食べさせていたと思うから。

息子は、恋人なのだ。
だからいくらでも、甘やかしたいものなのだ。
死に目には、娘ではなく、息子に来て欲しいのだ。


30年前、田舎の産婦人科で、息子を産んだ。
初雪が降った火曜日だった。

その前日に、予定日を結構過ぎているし、
赤ちゃんも大きくなっているのでと、
陣痛促進剤を使った。

痛みは来なかった。
もう一回使った。
全然痛くならなかった。

日付が10日になり、朝の6時に、
突然それはやってきた。
ズーンという痛みに襲われたのだ。

その時、わたしは悟った。
ああ、この子は最初から10日に生まれるつもりだったのだ。
余計なことをして申し訳なかった、と心の中で謝った。

わたしの両親が、そろって10日生まれなのだ。

その日は父が仕事が休みだったので、
陣痛の間、付き添ってくれていた。
余りの痛さに、父の手を握って振り回して、
もうやめたい!と騒いだ。

父は、「仕方がない、がんばれ。」と、
ずっと手を握っていてくれた。

前夫は営業職だったので、お昼くらいにちらっと顔を出して、
生まれたあと、見にやって来た。

苦しんでいるさまは見られたくなかったので、それはそれで良かった。

午後になり、分娩室に移動することになったが、
歩いて行けと言う。
そんな無茶な…。
わたしは唸って這いつくばりながら分娩台に上がった。

やがて、赤ちゃんの心音に異常が見られて、
看護師さんが先生を呼びに行った。

「赤ちゃんが苦しんでるから、ちょっと切って、それから吸引するよ。」
と告げられた。

トイレをキュッポンするような器具で、赤ちゃんの頭が引っ張られ、
わたしには、看護師さんが馬乗りになって、
お腹を下に向けて、ものすごい力で押した。

地獄のように痛かった。
陣痛、甘く見てたよ。

しばらくして、体内から、
なにかすごい大きなものが、
ちゅるーんと、出た。

わたしはその事態にびっくりして、
「きゃああ~!」と叫んだ。
叫んで、怒られた。

それが息子の誕生だった。

へその緒が、首に二重に絡まっていて、
酸素が行かなくなって、心音が途切れたのだった。
だから最初は、泣かなかった。

しばらくして泣き始めたら、今度は泣き止まなくて、
看護師さんが珍しがっていた。

3305グラムの、大き目の男の子だった。

洗って、包まれた姿を、見せてもらった。
息子は、「赤ちゃん」ではなくて、
「緑ちゃん」だった。

しかも、吸引されたので、頭がひゅう~っと長い。
んんー。
お世辞にも可愛いとは見えなかった。

でも、触ってみたら、すごくやわらかかった。

予定日を10日も過ぎていたので、
髪は長くて耳を隠していたし、
爪も伸びていた。

陣痛が始まる直前まで、
お腹をボコボコ蹴っていたのに、
それがなくなってしまった。


妊娠中は、つわりが、辛かった。
吐かない日でも、体がだるくて、何もできない。

お腹が大きくなってくると、
つっかえてお風呂掃除とか難しいのに、
誰も何も手伝ってくれない家だったから、
しんどかった。

でも、胎動は、すごくすごく幸せだった。

最初は、ぷくぷくあわ立ってる感じだったのだけど、
だんだんポコポコし始めて、
ぐいーんと伸びをした足の形がわかる時もあった。

後期になると、内側から肋骨を蹴られて、
痛くて飛び起きたこともあった。

どこに行くのも、いつもいつも一緒だった。
胎動は、幸せな思い出だ。



わたしだって、自分に可能であったら、
いくらでも、息子を甘やかしていたかった。
わたしの作ったものを食べてもらいたかった。

でも、わたしたちは、別々に生きてくことを選択した。

寂しくて悲しくて、
いっぱい泣いた。

だから、夫が、子供たちを甘やかしている、
その気持ちはわからないではない。
わたしだって、子供たちをかわいいと思ってるからこそ、
夕飯作りを始めたのだから。


でも、もうちょっと、自覚を持ってもらえたらなと正直思う。
自分たちを育ててくれたおばあちゃんが、
もうボケてしまって、今後良くなることはないのだ。
パパにばかりしわ寄せが行っているのだ。

もうちょっと、積極的に、
関わってほしいのだが、
夫は子供たちに、言えないらしい。


30年、あっという間だったな。
息子は自分の足でしっかり生きている。
偉いと思う。

一回しか経験できなかったけれど、
胎動、
幸せだった。

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ちょっとまずい事態。

リウマチ内科の診察日だった。

指は、相変わらず痛い。
グーもパーもできない。
寸胴鍋を洗うときなど、声が出てしまう。
瓶の蓋も開けられない。

薬が足りてないのはわかっている。

診察室に入り、指が依然として痛いことを伝えると、
血液中の炎症反応もまた、依然として残っていると言われた。

今飲んでいる薬を、増やせば、
多分痛みは抑えられる。
一時期、週5錠だったのを、6錠に増やしたとき、
指の痛みは、軽減したのだ。

しかし、それと引き換えに、
わたしは正常な味覚を失った。

常に口の中がまずくて気持ちが悪い。
料理の味見をしても、いいか悪いかわからない。
常にまずくて不愉快なので、常時飴を舐めている。
それは、思っているよりも辛い状況だった。

だから、やはり5錠に戻したのだ。


初診からちょうど半年経ったが、
半年も経って、まだこの炎症が残っていて、
痛みがあることは、
ちょっとやばい状況らしいのだ。

先生は、
「リウマチを発症される中ではまだお若いので、
将来のことを考えて、今、治療してしまいたい。」とおっしゃった。

このまま、痛みを我慢して、
炎症を持ったままにしておくと、
年齢とともに、関節の変形が始まったり、
脱臼しやすくなってしまうのだそうだ。

怖いよ。脱臼。

今飲んでいるお薬、メトレートというのだが、
これが一番強いものなので、
これを増やすことなら簡単なんですが、と言われて、
わたしは副作用で困ったことをもう一度説明をした。

自分だけなら、毎日味の濃い、
ジャンクなフードを食べてればいいのだが、
家族の食事を作っている身としては、
味がわからなくなってしまうことは、致命的なのだ。

それでなくても原因不明で、今、料理のスランプに陥っている。


すると、先生が、では注射はどうですか?と勧めてきた。
自分で、皮下注射を行う治療だ。
糖尿病の人が、インシュリンを自分で打つようなことらしい。

これは効果が非常に高くて、
薬と併用することで、抜群の効果が期待できるという。

ただし、すごく高い。
3割負担の人でも、一ヶ月で4万2千円以上がかかる。

そんな高額な治療は、とてもじゃないが受けられない。
夫がもう定年退職をしていることを初めて先生に話した。

すると、加入している健保さんで、
高額医療の補填とかが可能かもしれないので、
一応パンフレットを持って、旦那さんと相談して、
健保に問い合わせてみてください、とのことだった。

今回は、弱いお薬が追加になって、
また一ヵ月後の診察となった。


キミは頭がおかしいんだから、
体の健康には気をつけてね、と
夫にずっと言われて来たのに、
リウマチになんかなっちゃって、
副作用が強くて強い薬も飲めないし、
高い治療を受けられるはずもないし、
どうしたらいいかわからない。

確かに、
ストレスを強く感じると、痛みは増すことがわかっているので、
自分の周りから徹底的にストレスを減らさなくてはと思う。

一番苦手なのが、人間関係だから、
接点を小さくするしかない。


もらったパンフレットを読んでいたら、
早期に効果のある薬で治療をしてしまうことが、
いかに大切かがわかる。

今、体が動くうちに、治療をしてしまわないと、
将来、体の自由が利かなくなり、誰かに迷惑をかけてしまう。

一ヶ月は、追加した弱めのお薬に期待して過ごしてみるが、
それでも炎症が消せなかったら、
メトレートを増やして、
おいしいかまずいかわからない料理に我慢してもらうしかないか。


ドライマウスという副作用の時も、相当辛かったが、
メトレートの副作用で口の中が常にまずいというのも、
じんわり辛かった。
薄味の煮物なんて、
オエってなっちゃうくらい、味を感じなくて、気持ち悪くて、
食べていられなかったのだ。

わたしは大量に飴を買い込んで、
四六時中舐めていた。


早く、治療しないと、と、心は焦るが、
注射は高すぎる。
健保さんに相談してみる。

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完全にスランプ入り。

昨日は、気分がすぐれず、
読書をして過ごした。

根を詰めてしまうので、
そのせいか、寝る前には背中が痛くて息苦しくなった。

マッサージの予約、しておけば良かった…。

そう思いながら寝て、
今日目が覚めたら、奇跡的に午前中だったので、
すぐに電話を入れると、
いつもの人に予約を取ることが出来た。

ねこたちに餌をやり、自分は食べないで出かけた。

指名している人は、
華奢な施術師さんなのだが、
体のあらゆる部位を使って上手にほぐしてくれる。

楽になって、マックで遅いお昼ご飯を食べた。
エビバーガーが美味しかった。

スーパーで買い物をして帰った。
休むと嫌になるので、早い時間に夕飯を作ってしまった。

しかし、実は、
料理、完全にスランプに入ってしまっているのだ。

その時時に安い食材を買って、適当に組み合わせて作ってきたが、
レパートリーが少ないので、
冬場は、毎週、大根の煮物と白菜の煮物が出ることになる。

白菜は、いつも同じ醤油味では飽きると思い、
鍋の素を使って味にバリエーションをつけているが、
今日、キムチ味にしたところ、
辛いものが食べられないわたしが味見しても、
この辛さでいいのかどうか判断が出来ず、
そのまま母屋に持って行った。

食べる人には、
「もしまずかったらごめんなさい。」とメールした。

わたしの体はジャンクを求めていて、
昼間、エビバーガーを食べた時にはおいしいと思ったのに、
自分が作ったものは、
ぜんぜん美味しくない。

困った。
完全なるスランプ状態だ。
どうしよう?

それに、夫の仕事の関係で、
ふいに、大量の野菜がはさまってくることがある。

それをどう処理したらいいか、軽くパニくる。


鍋を洗っていると指が痛くて泣きたくなるし、
どうやら、うつモードに入ってしまったようだ。

夫は日曜日から出張に出かけて、
今日帰って来たが、
やることが満載で、まだ風呂にも入れてない、と
嘆きのメールが来た。

夫が居ないと、
母屋の家事は、回らないのだ。
誰も何もしないから。
でも、わたしは料理以外には手が出せない。

だから、スランプでもマンネリでも、
夕飯は作り続けるしかない。
夫を手助けするにはそれしかない。


水曜日は、リウマチ内科の診察日。
夕飯作りはお休みの日なので、ちょっと一人でのんびりしよう。

マズイ料理を食べさせているのではないかと、
びくびくしている。
自分自身が、自分の料理に飽きているからだ。

困ったな、このスランプ。
どう乗り越えよう?

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なんだろうこの疲労感。

なんだか、すごく疲れている。
なんなんだろう?

夫が食べないとわかっていると、
夕飯作りにも、力が入らない。

レパートリーも少ないし、
食べたことない料理を作る気分にもなれないし、
出来上がった料理を自分で食べても、
ぜんぜん美味しくないし。

達成感がないのだ。

ちょっと、疲れた。
なんで、この時期に疲れてるのかわからないけれど、
なんだか、疲れてしまった。

どうしたらいいのか、わからない。

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お誕生日も終わって。

お誕生日祝いのメールを、
たくさんいただいた。

こんなに沢山の人が覚えていてくれることに感謝する。

母からもしメールが来たらどうしよう、と心配だったのだが、
来なかったのでホッとした。

夫は出張に行ってしまったので、
お誕生日をちまと二人で、
非常にだらしなく過ごした。


夫の子供たちは、
わたしの誕生日を知らないのだろうな。
結婚前から、わたしはずっと、三人には、
お誕生日祝いをあげて来たが、
今年からは、もうやめた。

自分のお小遣いがなくなったから、
余裕がないので。

末っ子くんも12月生まれで、
お誕生日会が開催されるが、
わたしは欠席させてもらうことにした。

夫が気を悪くするのでは?とビクビクしていたのだが、
夫は、全然気にしない!と言ってくれた。
良かった。


ムギは、寒くなってから、
あまり出かけないようだ。
朝、ちょっと日向ぼっこはしているらしいが、
小屋の中にドーム型ベッドを仕込み、
ホットマットを敷いた自分のお部屋がお気に入り。

それでも、会いに行くと、
小屋から出てきて、脚に登ってきてくれる。
寒くないよう、その体にフリースを掛けてやり、
一緒に過ごす。


これからの人生、
自分を嫌うような生き方はしたくないと思う。

自然体でいられたら、きっと楽だろうにね。
まだ、どこかで、
自分さえ我慢したらうまく行くの?と思う自分が居る。

それをしてはいけないと、
ドクターストップがかかっているのだが、
いろいろと、
心苦しい。

明日からまた、同じ生活が繰り返される。
しゃぶしゃぶ、美味しかったなあ~。
また来年も連れて行ってもらおう。

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本当にマイノリティー。

苦しいのは、
自分が自分を知らなすぎるからだと思う。
もっと客観的に自分を見て、
悪いところを認識した上で、
生き方を考えて選択していたら、
こんなに日々、苦しまなかったと思う。

わたしは余りにも未熟で、
未熟がゆえに、
自分は傷付き、
人を傷付けた。


わたしの生き方に大きな変化を与えてくれた哲学者の、
中島義道さんの本を、また中古で買った。
「ひとを<嫌う>ということ」
という本だ。

人を好きであるという気持ちには愛と感謝が溢れているのに、
人を嫌う気持ちは、
非道徳的で、不謹慎だと思う。
なのに、わたしは、恥ずかしいことに、
実に多くの人を嫌っているのだ。

その部分が、苦しかった。
恥ずかしかった。
どうにかならないのかと、ずっと考え続けていた。

その答えが載っている本に、
また出会えたのだ。


わたしは、自分の母親を嫌いだし、
お姑さんも苦手だし、
過去に遡れば、
別れた夫やその両親、
わたしを卑下したママ友や、
更には、ものすごくお世話になった恩人まで、
嫌いな人だらけなのだ。

これは、その人と関わっていた時期の自分をも嫌い、ということだ。

なんという恥ずかしい人生。

本気でわたしは、
世の中のマイノリティーらしい。


中島先生の本では、
人生は後ろ向きに生きててもよい、という教えをいただいて、
かなり楽になった。

今回のこの本も、熟読して、
生きやすくなるヒントを拾おう。


とりあえずのところ、
人が誰かを嫌うという感情は、
理由の如何にかかわらず発生するものであって、
それが非道徳的であるとか言って排他するべきでもなく、
ただ、静かに、
嫌って生きて行けばいいのだとあった。

そして、嫌った相手からは、当然自分も嫌われる。
それをよく知った上で、
冷静沈着に正視し、
凶暴に相手を攻撃することなく、
さらっと嫌って生きて行けばいいだけだ、と書いてあった。

「嫌う」ということから目を背けて、
未成熟なまま成長してしまうと、
嫌いな相手を抹殺したくなるらしい。

わたしが、追い込まれると凶暴になるのは、
わたしが、未成熟なままだからなのだ。

まずは、それがわかった。


夫は、とても柔軟な人だ。
「こうでなくてはならない。」という、
凝り固まった考えにとらわれることなく、
水のように生きている。

わたしは、多分そこが好きなのだ。

夫は、
自分の母親のことは、普通に好きだし、
父親(故人)は、もっと好きだったと言う。

うらやましい。

だから、嫌悪感に蝕まれて身もだえするわたしの激情が、
彼には理解できないのだ。
でも、それでもわたしを否定せず、
言い分を聞いてくれるのは、ありがたい。



日付が変わったので、
今日はわたしの誕生日。

夫に、しゃぶしゃぶをおねだりしていた。
専門店に連れて行ってくれて、
スパークリングワインで乾杯し、
一番高いお肉を食べさせてくれた。

おいしかった。
嬉しかった。
とても幸せ。

年を取ることが嬉しくない年代ではあるが、
わたしは老いることも死ぬことも、怖くない。

ただ、死ぬまでに、なるべく沢山学びたい。

もう、仕事で何か成果を残すことは出来ないので、
学ぶくらいしか、やれることがないのだ。

次回生まれてくるまでの間に、
なるべく沢山、学んでおきたい。


嫌いな人だらけの人生なので、
今現在、わたしが関わって生きている人たちのことは、
とても大好きで、とても大切だ。
死ぬまでずっと付き合っていたいと思える相手と関わっている。

住んでいる街も好きだし、
かわいい猫が二匹もいるし、
夫には大事にしてもらっているし、
とても幸福だ。

誕生日、ありがとう、みんな。

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インフルエンザの思い出。

わたしは今は、
めったに風邪を引かない。

出かけることが少ないからだと思う。
でも、冬装束で出かけて、電車に乗れば、
暑くて汗をかき、
それが冷えて風邪をひくきっかけになるので、
あまり厚着をせず、
電車に乗る時にはコートを脱ぐ。
マフラーも、すぐにはずすようにしている。

帰宅したら、うがい手洗いをしっかりする。
アルコールの除菌ジェルも、常に持ち歩いていて、
外出先で何かを食べる時には手に使う。


インフルエンザにかかったのは、
もう、23年も前のことだ。

わたしは離婚を決意していて、
資金を溜めるために、
昼・夜ともに働いていた。

無理がたたったのか、
年末の、クリスマス明けくらいに風邪をひいた。

当時は、インフルエンザの確定法がまだ無かった頃だ。
病院に行って、風邪薬をもらったが、
一向によくならず、
夜の仕事を休んだ。

熱がどんどん上がり、
関節が痛くて起き上がれなくなり、
状態は悪くなって行った。


前夫は、体だけは丈夫な人で、
風邪も引いたことがないので、
病人に対する思いやりのカケラもない人だった。

もう、帰省する準備をしなくてはならない。
今と違って、銀行が御用納めをしてしまうと、
現金をおろせなくなる。
新幹線の切符だって取りに行かなくちゃならないし、
やらなくてはいけないことがいっぱいあった。

前夫は、唸って寝込んでいるわたしの頭の上に立って、
「なんでこんな時に風邪なんか引くんや!」
と、怒鳴った。

息子が肺炎で死ぬかも知れないときに、
同行を拒んだヤツだから、
こんなに横暴でも、もはや驚かなかったが、
既に年末の休みに入っていた彼に、
「銀行に行ってお金おろして、新幹線の切符を取ってきて。」
と頼むと、
「なんでワシが行かなあかんのや!」
と怒鳴られた。

離婚するって決めてたけれど、
ひどい男だなあと、悔しかった。

わたしはほとんど何も食べてない。

仕方なく、
当時一番親しくしていた、同じマンションの友達に、
事情を話して、銀行と、切符と、
そして、サンドイッチと何か果物を買って来て、とお願いをした。

彼女はすぐ、用事を済ませて、
家に来てくれた。
もちろん、夫が家にいる。


彼女が帰ったあと、前夫はまた怒鳴った。
「なんで他人に頼むんや!」

お前が行かないからだろうが!

わたしは、無視した。
本当に、酷い夫だ。

寝室で、サンドイッチを食べていると、
息子が欲しがった。
なので、半分こにして食べた。

夫はまた、
「なんでそんなもん食べさすんや!」と怒鳴って、
息子を放置して、
一人でとんかつを食べに出かけた。


わたしはこの体調では帰省できない。
息子に聞くと、お父ちゃんと一緒に行く、というので、
わたしだけが残ることにした。

当時は年末年始は宅急便も休みで、
実家の母が、何か食べるもの送ろうとしたけどダメだった、と電話してきた。

夫は息子を連れて帰省して、
わたしは一人で年を越した。
同じマンションのそのお友達が、
食事を作っては持ってきてくれた。


あの時は、結局胃も悪くなって、
合計一ヶ月くらい、ずっと具合が悪かった。

今のように、インフルエンザだと診断されて、
薬も専用のものがあれば、
そこまでひどくならなかったのに。


前夫は、優しさと言うものを少しも持ち合わせていない人だった。
何様のつもりだったか知らないが、
一度頼んで断られたら、
二度目、頼め、と言われた。

そんな夫なら、居ないほうがいい。
要らない。
無用だ。

わたしは、そうして、母子家庭を選択した。


今、わたしは家族の食事を作っているので、
風邪を引かぬよう、菌を持ち込まぬよう、
気を使っている。

寝込めば夫に迷惑がかかってしまうし、
頭がイカレてるんだから、せめて体の調子だけは、
管理しないといけないと思っている。

しかし、あんな男の子供なのに、
いい息子が育ったものだと、つくづくありがたく思う。

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本心を言ってもいいものか。

怖い声色で、
「いい子でおってよ。」と
母親に脅され続けて育って、
わたしは、親に本心が言えない子だった。

ひどく傷つけられても、
親の前ではなく、
自分の部屋にこもって、
声を押し殺して泣いた。

言いたいことを言えば否定され、
泣いていても怒られる。
わたしは、必死に隠れた。
必然的に、
プライベートゾーンは広くなり、
人との距離のとり方も、わからないまま生きてきた。

だからトラブルの連続だ。


結婚する数ヶ月前の大晦日に、
夫に呼ばれて、この家に来て大晦日を過ごした。

その時は、まだ存命だった、先妻さんのお兄さんも来られてて、
夫はキッチンで立ち働いて、
わたしたち二人に、先に、年越しそばを用意してくれていた。

それを長女が手伝っていたのだが、
手違いが起きて、
年越しそばが失敗してしまった。

夫がキッチンで、長女を叱ったのだろう、
キッチンから長女が出てきて、
みんなの居るリビングのソファに脚を抱えて、
ぎゃあぎゃあと泣き出したのだ。

その時の長女は、22歳。

わたしは、あまりのことに、言葉を失った。

そして、
ああ、なんてうらやましいんだ、と心から思った。

親や妹弟が居る前で、
さらにはお客さんがいるその前で、
感情むき出しで、大声で泣きわめくその姿を、
わたしは、うっとりと、眺めた。


わたしなら、部屋に閉じこもって、声を殺して泣いただろう。
誰にも本心を明かせず、
発散も出来ず、
心に深い傷をただ残すだけだったろう。

親や兄弟の前で大泣きできる彼女を、
わたしは本当に、うらやましいと思った。


わたしは、本音で人と向き合えない。
怖いのだ。
ただひたすら、怖いのだ。

でも、それでは生きていけないので、
偽りの自分を仕立てて、
その鎧の中でひっそり生きて来た。

限界が来て、
鎧はもう、ところどころにしか、残っていない。

いい人ぶることにも疲れてるのに、
嫌われるのが怖くて仕方なくて、
感情をむき出しにして接することが、出来ない。

本心を言ったら、きっと誰もが、
わたしに愛想を着かすだろう。
心の中の声が、どす黒く響く。


夕方、夕飯を持って行って、
盛り付けしていると、
お姑さんがやってきて、
来週か再来週の金曜日、病院に同行してくれないかと言った。
医者が、本人に話してもらちがあかないので、
家人を連れてくるよう言ったらしいのだ。

わたしは激しく動揺した。

そんなこと、できるはずがない!
わたしの心はそう、全否定しているからだ。

けれど、自分さえ我慢すれば、
ことは丸く治まるのだろうか?と、
一瞬でぐるぐる考えた。

いやいや、
安請け合いをしてはいけない。
わたしには拒絶反応が出ているではないか。

それでとりあえず、
「じゃあ、○○さん(夫の名前)に聞いてみますね~。」
と答えた。

そうだ、これでいいんだ。

わたしはお姑さんの目を見ることも出来ない。
顔も合わさず、ただ、「じゃあ、聞いておきますね~。」
と、やわらかく答えて、その場を逃げた。

ムギのところに逃げ込んで、夫にメールをして、知らせた。
すると、運よくすぐに返事が来て、
夫が休みを取って同行する、と、
すでにお姑さんには伝えてあるのだという。

忘れてるんだ。

あああ、良かった…。

夫に、「キミが行ってくれ。」ともし言われたら、
どうしよう!と、
恐怖で一杯だったのだ。
助かった…。


お姑さんが倒れた一件は、
夫が、お姑さんに、ちゃんと
わたしの言いたいことを伝えてくれ、
その上で、
「申し訳なかった。」と頭を下げて謝ってくれたことで、
溜飲が下がった。
ありがたかった。

でも、事件は、無かったことにはなってない。
わたしはもう、お姑さんと接することが、
恐怖なのだ。

目を合わせることも出来なくなった。

夫はきっと、悲しいだろう。


わたしを受け入れてくれたお姑さんなのだから、
わたしがこんなことでは、
恩返しも出来ない。

心苦しい。
息苦しい。

カウンセラーさんは、
これ以上、ご自分に負荷をかけてはいけません、と言った。
ドクターストップ、並びに、
カウンセラーストップです、と言った。


たとえ夫とはいえ、
人との距離感がわからないわたしには、
夫に本心を言ってしまってもいいものかどうかわからないでいる。

夫に嫌われて、捨てられてしまったら、
生きていけないからだ。
息子に迷惑をかけることだけはしたくない。


まだまだ、毎日が手探り。
今後、もっと問題は増えてくるだろうに、
わたしは、何も、うまくやれてない。

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愛情は循環する。

結婚する前、
夫は、
わたしの存在そのものが愛おしいと言ってくれた。

でも、夫は、
結婚してからは、不満で一杯だ。
足りない、足りないと訴える。



愛情は、実は与えているうちが、幸せなのだ。

誰からももらえない、と不満を持つようになると、
もらえる愛情は比例して減っていく。

そして雪だるま方式で、不満は膨れ上がる。


わたしは、夫から愛されて大事にされていると思っている。
だからすごく幸せだし、
満ち足りている。

だから一人で行動することについて、
平気なのだ。
一人ぼっちじゃないからだ。


子供という生き物は、
3歳までに、その人生の親孝行をすべて終えるという。

また、子供は、15歳までに、
親からもらう愛情は全部もらい終わるとも言う。

だから、子供が孝行してくれないと嘆くのは、
本当は間違い。
3歳までのあの驚異的な可愛らしさで、
親孝行をもう、してもらったのだ。

そして、15歳までは、無条件に、
愛してやらなければならない対象なのだ。

その愛は、戻っては来ない。

けれど、愛情は、循環をする。
愛された子供は、愛することを知る。


そして、幸せに生きて行ってくれたらいい。
子供に先立たれるほど、不幸なことはないのだから、
元気で生きていてくれるだけで、
それは幸せなことなのだ。

でも、大好きだから、会いたいよ。
そう繰り返したいのを、
なんとかこらえている。

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人数関係なし。

日曜日の夕飯は、
わたしが夫との二人分を作って
アパートで一緒に食べる。

なにも、休日である土日まで、
子供たち(全員社会人)の食事を作ってやる必要はないと思うからだ。

更に、日曜日くらいは、3人のうち誰かがおばあちゃんの世話をして、
パパの負担を減らしてね、と頼んであるのに、
わざとか!と思ってしまうくらい、
みんな出かける。

結局、一昨日の日曜日は、わたしには言いづらかったのか、
夫がわざわざ用意して食べさせたのだ。
気の毒なことをした。

わたしは、子供たちのことは、好きだ。
いい子達だと思っている。

しかし、「してもらう」ということに、
慣れすぎていて、
全く危機感がない。

悪口は言いたくないのだが、
定年過ぎて、片道1時間半の通勤をしている夫に対して、
なんのいたわりもなく、
どうせパパがやるから、とでも思っているのだろう。

3人も居るのに、
誰一人、積極的に家事に関わって来ないのだ。
夫ばかりが大変になる。

だから、じゃあ日曜日はこれからはわたしが3人分作ろうか?と言ったら、
夫は、「悪いからいいよ。」と言う。
じゃあ子供たちに、相談しあって誰かがやれ、と言ったら?と言うと、
それも言いにくいという。

自分だってあの年頃のころは家事なんてやってこなかったし、
拒絶されても嫌だし、
長女にばかり負担が行っても可哀相だし、とか言う。

だって、あなたばかり大変じゃない、と言うと、
「キミはどうだった?」と質問された。

わたしは、一人っ子だ。

つまり、母が留守にする時や、
学校や会社が休みの時は、
必然的に、そう、強制的に、
家事をやらされてきた。

一人しかいないから、
わたしが家事をし、
わたしが父の世話をするしかなかったのだ。

一人っ子が恵まれてるなんて幻想を抱いている方は、
その考えは、捨てて頂きたい。
頼ったり甘えたり分担できる相手が、いないということなのだ。

そして、出来ていないと、怒られる。

わたしは小学生のころからアイロンかけをしていたし、
料理もしたし、草取りもしたし、
風呂の残り水で廊下の雑巾がけまでやらされていた。

母はずるい人なので、
面倒で嫌なことだけ、人にやらせて、
結果は自分がかっさらっていってしまうのだ。


この家の母屋では、3人も姉弟がいることで、多分、
「誰かがやるんでしょ。」みたいな空気感なのだと思う。

母親を失った可哀相な子供たちということで、
お姑さんが手厚く家事をやりすぎたのだ。

そして、その、育ててくれたおばあちゃんが、ボケて来たとなると、
全員が及び腰で、
真っ当に向き合わない。

今日は、洗濯機の中に、洗い終わって脱水された洗濯物が、
どっさりあったそうだ。
お風呂掃除も出来てなくて、
結局、帰宅した夫の仕事が増える一方なのだ。

これはちょっと、あんまりじゃない?


わたしも、やれることは頑張るけれど、
限界がある。
限界があるのは、全員が同じことなのだ。

だから、少しずつ、力を出し合って、協力すべきなのに、
自分がその場に居ない時のことは、
見えないものとする。

それが通用してしまっているのは、やはり良くないとわたしは思う。
なぜなら、夫の負担だけが増えてしまうからだ。

時間が足りないと、夫はいつも嘆く。
ムギと長く過ごすこともままならないので、
わたしが一日に二回くらいは行って、
夕方は、じっくり一時間、抱っこしてやっている。

ムギは愛情に飢えた子なので、
餌をやってればいいってわけではないのだ。


子供たちは(しつこいけど全員が社会人)、
毎週自由に出かけて遊んでいる。
育ててくれたおばあちゃんの窮状から目をそらしている。

夫は、言わなくていいよと言ったが、
今日は余りにも夫が気の毒で、
思い余って、子供たちにメールをした。

パパの負担がどのように増えているかを説明し、
せめて日曜日くらいは、パパを休ませて上げて欲しいとお願いした。
たとえば夕飯の時間帯に留守でも、
おばあちゃんの夕飯を用意しておくくらい、できるよね?と書いた。
買ったものでも、レトルトでも、なんでもいいじゃない、と。


嫌われてもいいや。
どうせわたしは母親代わりでもなんでもないので、
老後の世話をしてもらえるわけもないし、
今まで頑張って仲良くしようとしてきたけど、
3人も居て、このざまか、とさすがに頭に来たのだ。


これでも、何も変わらないのなら、
わたしがやるしかないのだが、
子供たちには、「協力する」といことに、
一度、真剣に取り組んでもらいたいのだ。

ひとりひとりは、とってもいい子なのに、
3人もいることによって、
誰かがやるっしょ、ってなってる。

それはおかしい。
もっとパパを大事にしてよ、とわたしは言いたい。


もちろん、今までも、何度も家事の分担については、
夫から子供たちへの提案なりお願いは、あった。

洗濯は、洗濯機に放り込んでおけば、
翌日、自動的に、
アイロンまでかかって畳まれているのが普通と思っている。

なので、休日にまとめて自分たちでやるとか、
出勤前に干すとか、
考えてみてください、と夫が訴えたのに、
誰も何も、動かなかったのだ。


一人暮らしになったら、とか考えられないのかな。
金銭面でもすごく楽をしているわけだから、
労働力の提供が、少しあってもいいんじゃないの?
いつまでも、パパが生きてるわけではないんだよ?

まあ、ここまでは書かなかったけれど、
わたしの本心はこんな感じ。


わたしは、夫の負担ばかりが増えているから、
怒っているのだ。
いい子達なんだってことは百も承知。

どうにかならないんだろうか。

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