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2015年11月

たまには歩かないと。

金曜日は神経が興奮していて、
朝方まで寝付けなかった。

土曜日のお昼ごろ、ちょっと目が覚めて、
ちらっと携帯を見たら、
夫から「起きてる?」というメールが入っていた。
数十分まえのもの。

本当はまだ寝ていたかったが、
「今起きた。なあに?」と返信すると、
「散歩に行かない?」
というお誘いだった。


夫は、わたしと一緒に過ごす時間が少ないことを嘆いていた。
紅葉を見に行ったり、
博物館に行ったり、
散歩したりしたいのだと言っていた。

なので、眠かったけど、
「いいよ。今からパン食べて、支度したら行くね。」と返事をした。
もうずいぶん長く、一緒に散歩とかしていない。


わたしが住んでいる地域は、平地で坂がなく、
とても住みやすい場所だ。
しかし、電車で二駅ほど奥に行くと、
台地が迫ってきていて、
結構な坂道になるのだ。

そっち方面に歩いた。
ボロボロだけど、一番足に合っている靴を出して履いて来て良かった。
ゆっくりゆっくり坂を上ってゆく。

台地の上は、大邸宅が多かった。
人さまの家を見たり、植物を見たりしながら、
色々喋る。

夫と、こんなに話をしたのは久しぶりだ。
話すって、大切だな。


疲れてしまったので、郷土資料館に入って、
しばらくの間休憩をした。

足が痛い。
わたしの足のに合う靴というのは、
まず、ない。
いつも我慢して靴を履いている。

ウォーキング用のスニーカーでさえ、
痛くなるのだ。
歩くのに適していない足なのだ。
これは父方の遺伝。


夫が、夕飯は回転寿司に行こうと言ってくれたので、
また頑張って歩く。

繁華街にさしかかって、いろんな店を見て歩くのも楽しい。

初めての店だったから、どうかな、と思ったけれど、
高くもなく、まあまあ美味しかったので、
お腹一杯食べた。

わたしがリウマチになってお酒をやめたので、
外食費は少し安くなっている。

サーティワンに寄ってアイスクリームを食べ、
クロワッサン鯛焼きを買って帰って来た。

鯛焼き、美味しかった。
クロワッサン大好きだから。

それでテレビを見ていたのだけれど、
疲れが出てしまって、もう眠くて眠くて。

さっさとちまの世話をして、歯を磨いて、
薬を飲んで寝たらいいのに、
それすら出来ないくらい眠くて、
座椅子に座ったままちょっと寝てしまった。

お腹がすいたちまがしきりに起こしに来る。

やっとのことで、這うように起きて、
ちまの世話をして、薬を飲んで歯磨きをして、
どさっと寝た。


日曜日、眠りが浅くなって、脚にちまが乗って寝ているのがわかった。
嬉しいから動きたくないのだけれど、
寝返りを打ちたくて、動いた。
でもちまは一緒に寝ていてくれた。

午後一時くらいまで眠っていた。
良く寝た。


今日はちまと一緒に過ごそう。
ちまがお布団の上で丸くなって寝ていたので、
わたしも寄り添って、
ちまを撫でたり話したりする。

こういう時間、少なくなっちゃってたよね。

なんだか、毎日夕飯作りに追われていて、
のんびりだらだらする時間が無かった。

だから夫も寂しいし、ちまも抗議をするんだね。


もう、12月になるね。
12月は、自分の誕生日と、息子の誕生日がある。
わたしは夫に、希望を叶えてもらった。
次の土曜日に、しゃぶしゃぶを食べに連れて行ってもらうのだ。

わーい、牛肉!

わたしは牛肉が大好きなのだが、
家計を考えて、牛肉は買わないようにしている。

だから、食べられるのが嬉しい!


口座にお金が無くて、大変苦しいことを訴えた。
通帳を見せて、窮状をわかってもらった。
夫は、12月分、多めに現金を入れてくれた。

助かった。
ありがたい。
大事に使おう。


リウマチの状態は相変わらずで、
指が痛くて、物を持つ時や、
何かの蓋を開けるときとか、
鍋を洗うときとかが、辛い。

でも、ただ痛いだけなので、
心はそんなに辛くない。

心が病んでる痛みを充分知っているから、
理由のはっきりした体の痛みは、
しょうがないなって思えるよ。

人は、希望を失ったときが、一番痛いのだ。

わたしには、息子たちもいるし、
ねこたちもいるし、
守ってくれる夫がいるし、
すごく幸せだと思ってる。

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ちまの抗議活動。

運転免許書の更新に行って来た。
所轄の警察署にあるセンターだ。
バスで行ってバスで帰って来た。

わたしはもう、運転はしないが、
パスポートを持たないので、
顔写真付きの身分証明書として便利だからだ。

センターに入るや否や、職員のおじさんが駆け寄ってきて、
はいハガキ出して、免許書出して、こっちに来て、とまくし立てる。

わたわたしていると、
カウンターの内側に入って、こっち来て、これ書いて、と急かされて、
もう、そのスピードに着いて行けない。

なんだか慌てて書類書かされて、視力検査もわちゃわちゃで、
写真撮るのもいきなりで一回きりだし、
それが終わったらすぐ講習、と、
めまぐるしくて、すごいストレスがたまった。

無事にあたらしく免許書を交付されて、
バスに乗って、
スーパーに寄って食材を買い、
帰宅したら服を脱ぎ捨てて夕飯を作った。

ストレスがかかったので、菓子パンをかじりながら、
料理をした。

しかも、ちまが、超うるさいのだ。

小さい頃は抱っこが好きだったが、
今は抱っこをせがまないし、
逆に、抱っこしててもするっと逃げてしまう。

ご飯もおやつも、あげているのに、
抱っこではないし、いったい何を要求して鳴いているのか、
わからない。

6時までには夕飯を持って行きたいし、
そのあとムギに時間を割いてやらなくちゃいけない。

ムギは、すごく愛情に飢えてる子なので、
一時間でもずーっと膝の上に乗ってる。
そうしてからじゃないと、ご飯を食べないくらいだ。

だから、ムギのことは、片手間ではできない。
それなりに防寒して、餌も持って、
一時間あてる準備で臨む。

ちまはきっと、
それを怒っているのだ。
玄関先で、ムギと会う時用の服は脱ぐし、
手も石鹸で洗ってから部屋に入るのだが、
きっとちまは、「ムギ臭い!」と、
怒ってるんだと思う。

ちまにとっては、
自分の聖域を侵しに来たヤツだから、
きっと根に持ってる。

ムギは、強い子だから、大丈夫だ。
ゆうべ、小屋の中の、
ムギのベッドを入れ替えた。

小屋だから、当然屋根も壁もある。
その中に、平たいベッドを入れてあったのだが、
昨晩から、それを、ドーム型のベッドに入れ替えたのだ。

これで、隙間風も平気だし、
暖房の熱も逃げないし、
入り口が更に狭くなって、安心できる住まいになったと思う。

ちゃんと入ってくれるか、気に入ってくれるか、心配だったが、
今日会いに行ったら、
昼間も夕方も、ちゃんと中に入っていた。

これで、寒さ対策はOK。
風の強い日は、小屋の外で抱っこ、というのが辛くなるけど、
ムギの寒さは、防いでやれる。

夏の暑さや蚊の対策のほうが、問題かな。

ちまは、きっと、わたしがムギ対策をしてるのを、
やっかんでいるのだね。

ちまはお姫さまなのだから、そんなに怒らないでよ。
今日はあまりにもあーんあーん鳴くので、
もう、何なのよ!と怒ってしまった。
ごめんちま。


息子たちが、購入したマンションに、引っ越した。
天気が晴れて良かった。

夜になって、ふと、息子におめでとうとメールをしたら、
ちょうど仕事の帰り道だったようで、
「ありがとう。今、新居に帰宅中です。落ち着いたら呼ぶね。」
そう返事があって、嬉しかった。

息子は仕事が忙しくて休めず、
お嫁ちゃんと、多分向こうのご両親とで、引越しをしたのだろう。

きっと楽しい引越しだったろうなあ。
希望に満ちているものね。
お嫁ちゃん、疲れただろうな。
大丈夫かな。

いつになるかわからないけれど、
呼んでもらえるのを、楽しみにしていよう。

すごく楽しみ。

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「満足」を渡せない…。

夫のお兄さんが、
脳梗塞で倒れてしまった。

最初は数日様子を見て、できるようになったら手術を、
という感じだったらしいのだが、
様子見もしていられない状況に陥り、
大手術になった。

その手術のあと、違う箇所からまた出血をして、
再手術となってしまった。

60代半ばである。
まだ若い。
亡くなってしまうには惜しすぎる。

昨日は夫も様子を見ていたようだが、
今日はさすがに、お姑さんとお姉さんと一緒に、
病院に行って来たそうだ。

予断を許さない状況で、
ICUの病室で、沢山の管に繋がれている。
頭蓋骨は一部切り取って手術をしたので、
仮止めの状態。
顔も手も足も、
ひどくむくんでいて、
言われてもお兄さんだとはわからないくらいだったとのこと。

全体的に血管がもろくなってしまっているので、
安心材料がない。
幸い、喫煙しないので、肺の機能は良くて、
自力呼吸を補助する程度で、
息はできているそうだ。


なんとか助かって欲しい。

わたしはお兄さんとは、なじみが余りない。
でも、去年、お姑さんの米寿のお祝いを親族でやったとき、
わたしの向かいに座ってくれて、
ほぼほぼ初めて話をした。

こんなわたしの前に座るなんて嫌だろうに、と、
申し訳なく思っていたのだが、
お兄さんは、ちょこちょこと話しかけてくださった。
優しい方だった。

娘さんが二人いて、孫は6人もいる。
今年の春に退職して、
先日家族一同で、お誕生日会をしたばかりだそうだ。


もしも自分の息子が、生死の境を彷徨う事態に陥ったら。
わたしなら取り乱して泣き喚くだろう。

でも、お姑さんには、そういう激しい感情が見られなかったそうだ。

年を取るということは、そういうことなのだと、
夫は教えてくれた。

先妻さんが亡くなる直前、
腎臓の病気で入院していた先妻さんのお母さんを、
許可をもらって連れてきて会わせたそうだ。

娘が死にかけてるというのに、
泣くこともなく、取り乱しもせず、
お互いに話がかみ合わないまま、
たまたま出た病院食を食べて、お母さんは帰ったそうだ。

年を取るって、どういうことなの?

豊かな感情を、失ってしまうことなの?
それは、楽なの?


わたしは、息子やお嫁ちゃんを失うくらいなら、
当然自分が先に逝きたい。
いくらでも命なんて差し出せる。

長生きしたおかげで、
息子の死に遭遇してしまうなんて、
わたしには耐えられない。絶対に、絶対に、嫌だ。


息子たちは、明日、買ったマンションに引越しをする。
夫が、「新居祝い」として、
銀行でおろして来た札束を、わたしにくれた。

立つくらいの大金だ。

お祝いをしてくれるとは聞いていたので、
すごく洒落た、箔押しの金封を用意しておいたのだが、
金額があまりに多くて、
封筒がパンパンに膨らんだ。

わたしは、泣いた。

ありがたくてありがたくて、泣きながら夫にお礼を述べた。

わたしにはしてやれないことだ。
そして息子は、心の中で、自分の実の父親と、決別している。
それがわかっているから、夫は思い切った金額を、
用意してくれたのだ。

本当にありがたい。
金額の問題だけではなく、
そういう心持ちを持った人と結婚できて、わたしは幸せだ。
息子も、きっとすごく感謝するだろう。
一生忘れないでいてくれるだろう。

もちろんわたしも、一生忘れない。



夫は、自分の人生には、「満足」がない、と嘆いた。
それをわたしからもらいたい、と言った。

でも、残念だけど、満足は、人からはもらえないのだ。

わたしが、夫の望むことを、何一つ叶えてあげてないのは、わかる。
申し訳けない。
朝6時に起きて、紅葉を見に行くことが、わたしにはできない。
同じ布団で絡まりあって眠ることも、できない。

出来ないことだらけだ。

わたしは、夫には「満足」は渡せない。

「満足」は、自分で感じるしか方法がないからだ。


わたしは、夫のおかげで、とても満ち足りている。
でも、申し訳ないが、
田舎育ちで、紅葉にも興味がないし、
わたし好みの映画に付き合わせたら、
きっと希望のない結末に夫は失望するだろうし…。

わたしは、一人で行動することに関して、
何のためらいもない。
だから、恥ずかしいことだけれど、夫の気持ちに寄り添えなくて、
すまないと思う。


これからは、夫となるべく話をたくさんしようと思う。
人と話すことは、間違いなく心を豊かにする。
わたしは、夫と話すことは好きだ。

満足には程遠いとは思うが、
話す機会をもっと増やそう。
そうしよう。

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お願い摘まないで。

わたしは中学生の頃、
とても沢山の夢と、
それに伴う可能性を手に持っていた。

将来、やりたいなと思うことが全て仕事であり、
(いい結婚をするという選択肢はなかった。)
そのいずれの夢も、
自分の努力次第で、手に入れられると思っていたのだ。

文章を書くのが好きだから、エッセイストになりたい。
デザインを考えるのが好きだから、グラフィックデザイナーになりたい。
英語が好きだから、通訳や翻訳もいいな。

きっと、どれかに、なれるだろうと、
わたしは漠然と思っていたのだ。


ああ、かわいそうな子供。


余りにも無知であったために、
夢は叶うことなく、
次々と摘まれてしまった。


わたしの家は、貧乏だった。
だから、大学には行かせられないと宣言された。

そうすると、選べる職業も、少なくなる。
わたしは英語をまず諦めた。
高校に入っても、英語の成績は常にトップクラスだったが、
これを職業にするには、大学に行かなくては無理だろうと考えたのだ。

エッセイストも、諦めた。
これは、大学に行かなくても、沢山本を読み、
沢山の経験をし、
日々、小さなことでも観察を続ければ、
いつかは本を出せる日が来るかもしれないと、
一旦、諦めた。

でも、唯一、
デザインだけは、諦め切れなかった。

布地のデザインをする、テキスタイルデザイナーになりたかったのだ。

同じ高校生で、
はっきりとこんな職業に就きたいと夢を持ってる人はいなかった。

進学校だったので、
とりあえずはみんな、大学に合格することが、
目標の人ばかりだったからだ。

わたしはスケッチブックに、いろんなデザイン画を描いた。
それを見せて、
両親に、デザインをやりたんだと訴えた。

美大は無理なので、
バイトしながら専門学校に行きたい、と何度も願い出た。

しかし、両親は、
わたしの芽を無造作に摘んだ。

そんな、食べていけるかどうかわからんような世界はあかん。
あんたは体が弱いからバイトしながらなんて無理や。
公務員試験を受けや。

そう言われて、
わたしは、
涙をこぼした。


余りにもわたしは無知で、
論破する知識も、
もちろん貯金すら、持ってなかった。
何の知恵もなかった。

親がNOと言ったら、
もう、夢はそこで、ついえるしかないのだった。


周りの友だちはみんな大学に行き、
そこで4年間もの猶予期間を与えられ、
その間に、自分の将来を決めることができる。

そのことが、本当に羨ましかった。
わたしは17歳で、
就職を選ぶ道しか、与えられなかったのだ。


もう少し、自分に何らかの知識や知恵があったなら。

でも、東京とは違って、専門学校すら近隣の市にはないような
ど田舎では、
もう働くしかなかった。

わたしは、同期の誰にも負けない成績で入社試験を突破し、
誰よりも日々たくさん勉強して、
仕事で認められた。

仕事では、容赦なかったので、
わたしは嫌われていた。



息子に恵まれて幸せだったが、
母子家庭になったことで、
大学へは行かせてやれなくなった。

だから、普通科の高校ではなくて、
デザイン系の特殊な学校を受けさせた。

息子には、デザインの基礎能力があったからだ。

積み木の積み方、
ブロックの組み立て方、
絵の描き方、
何気なく撮った写真。
それらのものから、
この子には平面を構成する能力が高い、と感じとった。

だから、印刷関係の仕事に就けるように
仕向けた。

息子は無事に合格し、
就職して、
何度か会社を替わったが、
今は生涯の伴侶を得て、
幸せな人生がスタートしている。


わたしの夫は、
自分のやりたい仕事が出来ている、幸運な人だ。
大学院まで行って専門知識を磨き、
入社試験では、
模範解答を上回る文章を書いて合格した人だ。

すごく、幸せなことだと思う。
好きな仕事に就ける人なんて、そうそういない。
何が好きかすらわからないまま、人生を終える人だって多い。

前夫は、
いくつか受けて、たまたま一つだけ合格した大学に進学し、
いくつか受けて、たまたま一つだけ合格した会社に入り、
志がなかったから、やりたくもない営業をやらされて、
成績は散々で、上司からもすごく嫌われていた。

彼は、何が好きなのか、何が向いているのかを、
知らないまま死ぬ人だ。

わたしは、息子をそんなふうにしたくなかった。
ここが得意だというのを見抜いて、
そーっと誘導して、
あの高校に入れたのだ。

でも幸い、その3年間は、
息子にとっての宝物のような期間になった。
学校に住みたい、とまで言っていた。


わたしはと言うと、その後、樹脂粘土のクリエイターとして、
本を一冊出した。

そしてうつ病を発症した。


これで、良かったのだ。
一度は、クリエイターになれたのだ。

息子は、幸せな結婚をした。



今、子育てをしている方が、もし読んでいたら、
お子さんを、良く見てあげて欲しい。
誰にだって、きっと、得意なことがある。
優れてる部分や、好きでしょうがない事柄がある。

もし、事情が許すなら、
親の手では、その芽を摘まないでやって欲しい。

どうせ無理、って言われてしまうと、
まだ世間の狭い子供は、
踏み出す力を失ってしまうのだ。
それはとても悲しいことだ。

どうか、良く見てあげて欲しい。
お願いだ。

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最後の願い。

わたしは自分でもわかってるけど、
性格が悪い。
優しくない。

でも、努力すれば変われるんじゃないかと、
けっこう真剣に考えてて、
最近まで、努力をしていたつもりだった。

でも、どうやら、
努力と、我慢を、履き違えているみたい。

わたしが何年もやってきたことは、
単なる「我慢」で、
努力になってないから、
自分を変えられないし、
結果、相手を変えることも不可能で、
そしてわたしは疲れ果ててしまった。


これから、どうやって生きていこうか…。
どんな心持ちで、生きて行けばいいのか、迷う。

わたし自身は、残念な人格だけど、
ただ一つ、出来たのは、
負の遺産を息子に背負わせなかったことだろうか。

連鎖を自分のところで引きちぎり、
息子を褒めて育てた。
意見を尊重した。
いつも、大事だよ、愛しているよと言い続けてきた。


もう、それしか、道はないのだろうと思う。
逆に言えば、それがわたしの使命だったのかもしれない。

息子たちはやがて子を持つだろう。
多分、一人しか産まないだろうと思う。
その子にまで、いい風が吹きわたるように、
わたしはわたしの想いを、
息子とお嫁ちゃんに伝え続ける。


地球は変動期に入って、
これからは災害がもっと増えていく。
わたしたちは、もう別に死んでもいいのだが、
息子たちは、子を持って、
そしてその子を守って、
生き続けてくれなくては困るのだ。

夫婦が、最小の単位だ。
だから、夫婦で助け合って行かないと、
生き抜くことは出来ない。

幸い、息子も、お嫁ちゃんも、
心の綺麗な人間だ。
だから、きっと生き延びられると信じている。


生きているうちに、
わたしが息子から教えてもらったことを、
出来る限り、お嫁ちゃんに伝えたい。

それがお孫ちゃんにも巡っていってくれたらいいな。


わたしは、努力だと思い込んで、
無駄な我慢をしすぎてしまったので、
これからは、ほんの一握りの人と関わるだけで、
静かに生きて行きたい。

もともとが、決して心穏やかな人種ではないので、
穏やかに暮らしたいというのが、
最後の願いだ。

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終わりにしようね。

起きてから夫にメールをして、
話をしに来てもらった。

昨日の夕飯の時に、
お姑さんに、話してくれたそうだ。

でも、一項目目ですでに、ムスーッとされてしまい、
あとの三項目は、多分シャッターが降りていたと思う、と言っていた。

いや最後に、、「ムギに近づくな。」と言ったら、
「行ってないわよ。」と答えたそうなので、
実はちゃんと聞こえていたはずと思う。

すぐに忘れてしまうかもしれないが、
その時はちゃんと聞いていたと感じた。

夫は、ちゃんと頭を下げて、
「すまなかった。」
と謝ってくれた。

わたしは嬉しかった。
ちゃんと、お姑さん伝えてくれたことも、
ちゃんと代わりに謝ってくれたことも、
嬉しかった。

だからわたしも、
「ありがとうございました。」
とお礼を言った。

夫がここまでしてくれて、
それでも何も変わらないとしても、
努力してくれたことを、誠意として受け止められる。

これでもしダメなら、
「まったくもう、困ったよねえ。」と、お互いに愚痴ればいいのだ。

自分ひとりが苦しんでると思ったから、
わたしの怒りは収まらなかったのだ。

わたしは病んでるから、やはり、健常な人よりもダメージが大きい。
しかも夫が出張で留守で、
長女は電話に出てくれない。

あの日、お姑さんを抱えて、
本当にわたしは、辛かったのだ。
そして疲れ果ててしまったのに、
みんなが全く知らん顔だったことで、
怒りを消せなかったのだ。

夫がちゃんとお姑さんに言ってくれて、
わたしには謝ってくれて、
本当に嬉しかった。

親しき仲にも、礼儀ありだと思う。

だから、もうこの件は、これでおしまいにしようね。

わたしはこの先、お姑さんを避けるけれど、
そのことは、ごめんなさい、だ。


わたしは、シラフの夫と話すことは好きだ。
楽しいと思う。
ずっと話してたい。
音楽のこと、映画のこと、本のこと、料理のこと。

でも、飲んで酔ってくると、
だんだん目つきがおかしくなり、
頭が下がってきて姿勢が悪くなる。

そうなってしまうと、わたしの好きな夫は隠れてしまう。
残念。


今日買い物に行って、
夫はお姑さんに、わざとウィスキーを買って来て与えたそうだ。
隠れて飲んでるのはわかってる、
堂々と飲め、ということかな。

わたしは今後もまた、淡々と夕飯を作り続けるだけ。
それでしか家庭に貢献できないから、
多少体調が悪くても、頑張る。

しかし、今はほんとうに具合が悪い。
マッサージに行かないと、寝込んでしまいそうだ。
背中が痛くて、息をしてても苦しい。


先日、お嫁ちゃんにメールをした。
まあ、わたしが普段思ってることをつらつらと書いて、
あなたは無理しないで、息子にうんと甘えなさいね、と書いたのだ。
あなたの存在そのものが、彼には愛おしいのだから、
何も無理しなくていいのですよ、と書いた。

今日になってメールが来て、
もらったメールは嬉しくて、
家でも会社でも、何度も読み返したと書かれてあった。

引越しを少しずつ始めたそうで、
13階の部屋からの風景写真が、添付されていた。

息子は高いところが好きだから、
気分のいい、引越しになるだろう。

足手まといになるから、手伝いには行かないけれど、
幸せな引越しであるよう、
心から祈ってる。

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おかしい者どうしですか。

夫と、話し合いをした。
まずは実際にどういうことが起きたのかを、
もう一度詳しく説明した。

夫はちょっとだけ、すまなかったね、と謝った。

けれど、わたしの怒りは理解できないと言った。
迷惑を掛けられたと感じるのは、
やはり他人だからだろう、とのこと。

前にもお姑さんは、お風呂で倒れているそうだ。
その時も、酩酊まではいかないが、
アルコールは入っていた。

すごい音がしたので、長女に見に行かせると、
お姑さんが倒れていて、
お風呂場のドアが割れていたそうだ。

しかし、本人は、倒れてなんかいない、と言い張ったそうだ。
ドアが割れてるのにだよ?

だから、家族にとっては、
おばあちゃんが倒れることなど、
大した事じゃないのだ。

特に迷惑だとも感じないし、
飲まなきゃいいのにとも思わないし、
ましてや、怒るなんてことは想定外だったみたいだ。


つまり、お姑さんはボケてておかしくて、
わたしは、性格が悪いか、
病気でおかしいか、ってことらしい。

おかしい者どうしだから、しょうがないそうだ。

いくら言ってもどうせ実行してもらえない、と夫は言う。
だから、倒れてわたしが世話をしたんだからな、とは
説明してないという。

わたしは、それは、納得がいかなかった。

たとえ忘れてしまうのであっても、
ちゃんと言って伝えて欲しい。
よくよく説明した結果、
それでも何も変わらないとしても、
努力はして欲しい。

それが分かち合うということだからだ。

わたしは、項目を4つあげて、
お姑さんに伝えて、と夫にお願いをした。

・覚えていなくても、倒れたという事実はある。

・隠れて酒を飲んでいることは、家族全員が知っている。

・体に悪いから、すきっ腹にアルコール摂取をするな。

・ムギに近づくな。(ムギはお姑さんを嫌い)


夫は、きちんとメモを取って、
夕飯の時に話すと言ってくれた。

それでも、効果がなかったら、それはそれで仕方がない。
でも、どうせ無駄だからといって、
黙って作り笑顔をしていることは、
どうしても嫌だった。

夫が、分かち合ってくれて良かった。
怒りすぎてごめんなさい、と、わたしも謝った。


「家族の中の孤独」という本を二度目、読んだ。

親から何らかの精神的虐待もしくは迫害を受けた子は、
必ず、心か体に不調をきたすと書かれてあった。

そしてそれは、次の世代にまで引き継がれてしまうともあった。

親から認められなかったり、
親が力で迫害していたり、
脅していたりすると、
子供は親しか頼れないので、
必死に演じるのだそうだ。

親は絶対的で、
家庭だけが社会だからだ。

それが、思春期にさしかかってくると、
暴力やイジメや登校拒否や、
アレルギーや、精神的な異常となって現れるらしい。

肯定されない子供は、人を愛する方法がわからない。
なぜなら、自分をも愛していないからだ。

自分を大切に思わない人が、
他人を大切に思えるはずがないのだそうだ。


親に迫害を受けた子供の人生は、
真理に気付くまで、ずっと秘めたる怒りに支配される。

根源が、怒りであると気付いたら、
やり直しをすればいいのだが、
40歳を過ぎると、時間が足りなくて、難しいらしい。


わたしは子供のころからずっと孤独だった。
ここは両親の家であって、
自分の家ではない、と感じていた。

最初の結婚の時も、何も希望が持てなかった。

でも、夫と再婚して、
わたしは孤独ではなくなった。

カウンセリングにも行かせてもらえて、
長い苦しみから、ほんの少しずつ、這い上がって来ている。

でも、性格が悪いのは、治せないみたいだね。

背中が痛い。
指が痛い。
息が苦しい。

全部自分のせいなのだろうか。

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普通にしか見えない。

人とはわからないものだ。
外見だけでは、やはり判断は難しい。

わたしが、心を病んだままであることは、
見た目、わからない。

接しても、わからない人にはわからない。

でも、知ってる人が見れば、
挙動で、
不調を理解してくれる。


夫は、わかっているつもりです、とメールの返事をよこしたが、
カウンセリングで声をあげて泣いている姿を見ていないから、
この苦しみを、理解しているとは思えない。

でも、夫と共有するしか方策がないので、
話し合うことになった。

夫ももちろん、お姑さんへの強いストレスを抱えている。
その話を聞けば、
わたしは夫に共感し、ともに怒り、
同調する。

今回、誰一人としてわたしの心に寄り添ってくれなかったから、
わたしの怒りは制御不能になったのだ。

実害がなかったら、
みんな、他人事。


わたしも、自分が病んでいることを、思わない日もある。
楽しいと感じる瞬間には、
忘れることもある。

けれど、
何か事が起こった時、
持ちこたえられなくて、潰れてしまうのだ。

それはあっけなく、無残に崩壊する。


わたしの精神の病は、
結局、アンガーコントロールが出来ないことに
その根源があるのではないだろうか。

兄弟がいないから、喧嘩の経験がない。
両親は強大な権力を有しており、
ただ服従を迫られるだけで、
親子喧嘩すら、経験がない。


お姑さんだって、89歳にしてはきっとお元気そうに見えるし、
わたしの母も82歳だが、
せいぜい70歳ぐらいにしか見えない。

母は一見ほがらかで社交的なので、
まさか陰で人をおとしめてるとは、
気づかれないだろう。

見た目では、わからないものなのだ。
わたしの病だって、誰もわかってくれてない。


でも、もうけっこう良くなったなーと、
自分では思っていて、
精神科で減薬を申し出てみても、
「その精神状態ではまだ無理です。」と言われてしまう。

確かに、炎症反応は増えていないのに、
リウマチを患った指の痛みが増していて、
物をつかむ時にすごく痛い。

呼吸も苦しくて、
心には暗雲が立ち込めていて、
全然晴れない。


カウンセリングで思い切り吐き出して、
泣いたことで、
わたしが何に怒り、何を求めているのかは見えた。

文章に起こさないと自分では理解できないタイプなので、
夫に心情をメールした。


話し合って、いい結果が出ればいいのだけれど。
共感して、同調して、分かち合ってくれたらいいのだけれど。

酔って覚えていなからって、
やってしまったことは、帳消しにはならない。
無罪放免で、
被害者だけが泣きを見るなんてあり得ない。


夕方、作った夕飯を母屋に届けて、
器に分けて盛り付けて、ラップして、
そして逃げるように去っていく。

ムギのところに行くと、
ムギは嬉しいのか、声をあげて寄って来てくれる。
居てくれて嬉しい。
待っていてくれて嬉しい。

ムギを抱いて、しばらく癒されてから部屋に戻る。
部屋ではちまが察して鳴いている。

すぐに着替えてちまを抱っこすると、
ちまは舐めてくれる。

ねこたちが居て、本当に助かっている。

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自分を呪った時。

今日は都内に住んでいる従姉に会った。

息子の結婚式に出てくれたのだが、
彼女の娘ちゃんも、幸せな結婚をした。

色々いっぱい、話があった。

彼女の母が、わたしの父の妹である。
その、叔母が、職場で母と友達になり、
実家に連れて行ったところ、
父が見初めて、結婚に至ったわけだ。

だから、叔母にとっては、
友達が、兄嫁になったのだ。


自分を基準としてしか判断をせず、
他人を自分より劣っているとみなし、
陰口ばかり叩くわたしの母。
自分の娘も、妹も、
容赦なくけなし、貶める。

母は心から自分を偉いと思っていて、
他人から褒められちゃってしょうがないと自慢するのだ。

だれも、母の毒に気づかない…。
わたしは孤独だった。

しかし、前回従姉に会った時、
叔母が、母の毒に気づいていたということを教えてもらえた。
わたしは、すごく、救われた!

彼女は口が堅いので、なかなか内容までは聞き出せないが、
友達なのに、陰では、母が悪口を言いまわっていたらしいと聞けた。

でも叔母は、兄嫁だし、おばあちゃんを見てもらっているので、
耐えに耐えて、付き合って来たそうだ。

母は絶対に叔母を褒めない。
自分の妹ですらけなす人だもの、
父の姉妹を良く言うはずもない。

叔母と会って話すことは叶わないかもしれないが、
我慢してくれてありがとうと、言いたい気持ちになった。


母の毒は、実に強烈だ。

息子が、小学生の5年くらいのとき、
こんなことがあった。

わたしの両親が人付き合いが多いので、
そのおかげで、息子は、毎年、
沢山のお年玉をもらえていた。

だいたい、7~8万。

半分は貯金して、半分は分割してお小遣いに当てていた。

年末にまず息子を帰省させ、
わたしは年明けに帰省していた。
電話は毎日かける。

その年の元旦に、電話をかけた。
母が出て、息子に替わった。
お年玉をたくさんもらえたと言うので、
「良かったね。いくらになった~?」と尋ねた。
「6万円。」と息子は答えた。
ありがたいことだ。

息子と話し終えて、母が電話に出た。
「お年玉、ぎょうさんもらったで。7万にもなったわ。」
母はそう言った。
「そう? 息子は6万だって言ってたけどな。」
わたしは何気なくそう言った。

すると母がいきなり牙をむいたのだ。

「7万や! あんたがいつもお金お金って言っとるから、こんなウソつく子供になったんや!」


わたしは母の剣幕にびっくりした。
突然ブチ切れられて、わたしはぽかんとした。

事実を確かめたくなって、もう一度、
息子に電話を替わってもらった。

「おばあちゃんがね、7万だって言うんだけど、どうなのかな。」
わたしは息子にそう聞いた。

すると息子は、
ちょっと待ってね、と言って、
「ママ、ごめんね、ボク数え間違えてて、7万あったよ。」
と、そう言ったのだ。


あああ!

わたしは声を挙げそうになった。

なんということをしてしまったのだろう!
息子がごまかしたり、ウソをついたりするはずがないじゃないか!

ほんの一瞬、母の放った毒にやられた自分を、
わたしは瞬時に激しく呪った。

「ごめん…。謝るのはママのほうだよ。ごめんね。ごめんね。」

わたしは泣きながら息子に謝った。
自分の愚かさが心から憎かった。

「うん、いいよ。」
優しい声で、息子は許してくれた。


わたしは息子を傷つけた。
とんでもないことを質問してしまった。
母の毒に気づけなかった。
わたしは、このことを思い出すと、
今も泣ける。

今日は、従姉も、一緒に泣いてくれた。

人を許すという、美しい心を、この子は持っている。
わたしなんかと比べものにならない崇高な魂だ。
わたしは自分を猛烈に恥じた。


大人になってから、
わたしに対して、恨んでいることがあったら言って欲しいと、
息子に聞いたことがある。

してしまったことは消せない。
でも、心から謝罪して、傷を埋めたいと思ったからだ。

しかし息子は、
「ん~。」としばらく考えて、
「ないよ。」
そう言ってくれた。

「ん~。」の間に、きっといろんなシーンを思い浮かべたに違いない。
けれど、
息子はわたしを許してくれたのだ。


二度と息子を傷つけないと誓った。
してしまった愚かな行為は忘れずに、
反省を続けようと思った。


子育ては、子に育てられるということだ。
子は親の所有物ではない。

子育ては、やり直せないかもしれないが、
その代わり、子育ては永久に続く。
子供が大人になってからもだ。

だから、取り返せると、わたしは信じたい。

今はもう、最愛の人ができて、結婚して、
マンションも買って、
自分の力でザクザク生きている息子。

わたしは、誇らしい。
のろけるお嫁ちゃんのことも大好きだ。


従姉は、お母さんの毒からは逃げるしかないんだよ?
と言ってくれた。

帰省のことで心が揺れていることを見透かされた。

もう充分頑張ったから、あとは自分の幸せを考えてね、と言ってもらえた。

肉親に、こんな人がいてくれて、
わたしは嬉しい。
とても大事に思う。
誇らしくて心強い。

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もう心が死んでしまう!

こんなに辛い二週間は無かった。

途中、担当カウンセラーさんの居る曜日に、
急遽カウンセリングを入れてもらおうかと思ったのだが、
リウマチ内科と、精神科通院があったので、
二週間待つしかなかったのだ。

わたしの口から言葉が噴出した。

お姑さんが倒れた時、
これはもう、死んでしまうのかもしれない!と
自分がパニックになりそうなのを、
必死な思いで、体を抱きかかえ、
頭は痛いか、吐き気はあるか、名前は言えるかと質問を繰り返した。

トイレに行くというので、抱きかかえてトイレに座らせて、
終わったらまた抱きかかえて、ベッドに寝かせた。

もう自分は汗だくだ。
夫は出張だし、末っ子くんは懇親会の幹事だと言うし、
長女は電話に出ないし。

救急車を呼んで、同行しなくてはいけないかもしれない。

どんな思いで、お姑さんを抱えていたかを、
誰も知らない。

結局、その日は長女が夕飯を普通に食べさせ、
お風呂にまで入れて、
寝たというのだ。

そして、出張から夫が帰って問いただしたが、
本人は、全く覚えていないという。
だから、謝罪も一切なし。

覚えていなくても、ことの顛末は夫から聞いただろうから、
迷惑かけてごめんなさい、ぐらいあってもいいだろう?

それが無理なら、せめて代理で夫から、
謝罪があってもいいだろう?

本人は翌日にはケロッとしていた。
当たり前だ。
ただ、「酔っ払って寝ていて、寝ぼけて転んだ」だけなのだから。

酔っ払ってただけだと?

それに遭遇して、振り回されたわたしは、
怒りにうち震え、それを抑えるための力を使いすぎて、
心は死にそうになった。

リウマチを患っている指はぎしぎしと痛みを増し、
背中もまな板みたいに固くなって、
息をすることも苦しい。

わたしだけが、当事者なのだ。
他はみんな、傍観者。

誰もわかってくれない。
誰もいたわってくれない。
誰もねぎらってくれない。


怒りを噴出させたあと、
今度は悲しくなって、泣けて来た。

こんな自分、嫌だ。
穏やかでいたいのに、
怒りの炎を燃やし、煮えくり返り、
恨んでいる醜い自分が、たまらなく嫌だった。

「どうしたら、この怒りを手放せるのか、教えてください!」
わたしはそう言って、号泣した。

わたしがこんなに苦しんでいることを、誰も知らない。
全員が、ひとごとなのだ。

健常な人なら、忘れられることかもしれない。
でも、わたしは、このままだと心が死んでしまう!


カウンセラーさんは、しばらく泣かせてくれたあと、
「ご主人と、その出来事を共有するべきですね。」
と言った。

あの事件のあと、もちろん夫とは会っている。
でも話題に登らぬよう、避けて来た。
わたしの怒りがすさまじいからだ。

でも、カウンセリングで泣いて泣いて、
やっと自分の心の全容が見えた。

正直なところ、わたしは、醜い。

でも、それがわたしなのだ。
怒りも、恨みも、呪いも、持って仕方がないのです、と言われた。
それが普通の人間なのですと。


帰宅してから、夫に、長いメールを送った。
本心を書いた。

こんなにわたしの心と体が壊れていることを、
あなたも、子供たちも、お姑さんも、
誰も知らない!
と書いた。


怒りを手放すのは難しいことだそうだ。

わたしは、自分の母ともうまくやれないし、
お姑さんも苦手だし、
夫とも、ずーっと一緒にいると苦しいし、
どうしたらいいかわかりません、と泣いた。

でも、とりあえず、今夜夫に本心を伝えた。

酔っ払いの面倒は見られません。
顔を合わすことも無理です。
感謝はしていますが、もう無理です。

心と体が壊れてしまいます。


今、この状態で、
「正解」がないことは、わかっている。
脚力もあるし、お金も持っているお姑さんが、
自由にアルコールを買いに行って、
日中、誰も居ない間に、
思う存分、飲むわけだ。

それを止める力は誰にもない。

だけど、飲み方は、選べるよね?
夕飯の時に遠慮なく飲めよと、言ってあげてください、と書いた。
すきっ腹にアルコールだけを摂取するのはやめろ、と言って下さいと書いた。

忘れてしまうことは、
認知症だから、これは仕方がない。

でも、飲む時は、絶対に、正気だよね?

本当に、もう、耐えられない。
酔っ払いに振り回されるなんて、耐えられない。


しばらく、休みが欲しくなっちゃった。
疲れきった。

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ちいさな脳だけど。

午前中に、指名のマッサージ師さんは休みだと、
店から電話がかかってきた。
がっくり…。
彼女じゃないと、ダメなのだ。

なので、じゃあ来週にします、と電話を切った。
月曜日から水曜日までしか彼女はいないから。

美容院とか、歯医者とか、
マッサージ師さんは、
もう、決まった人じゃないと嫌。


しかし、目は覚めてしまったし、
吐き気がするほど背中が凝って痛いし、
これでは寝たきりになってしまう、と思った。

それで、近所に新しく出来た、
チェーン店のマッサージに行ってみることにした。
とにかくこの体を何とかしないと、
動けなくなってしまう。

行ってみたら、幸い一人空いていて、
施術してもらうことができた。

もちろん、来週までの応急処置に過ぎないけれど、
なんとかこれで、乗り切ろう。

コンビニでサンドイッチを買って帰って来た。
でも、食べたらきっと寝てしまう。
今日は全員が夕飯食べる日だし、
先に夕飯を作ってから、サンドイッチを食べて、昼寝をした。

体調が悪い時は作らなくてもいいよと、
夫は言ってくれたけれど、
「体調が悪くて作れません。」と、
お姑さんに言いに行くことのほうが、よっぽど辛いのだ。

だからもう、必死。
わたしは、相当頑張っている。


昼寝をしていて、浅い眠りなので、いっぱい夢を見る。
母が登場して、
「さようなら。」とわたしに言った。

後味の悪い目覚めだった。

帰省しないことを、きっと非難するだろう。


夕飯を持って行って、
それからムギのところに行く。
ムギは小屋の前で、伏せをして待っていてくれた。
嬉しそうに声をあげて、くっついて来た。

ムギが待っていてくれると本当に嬉しい。
どこかに行ってしまっていて、呼んで呼んで、
帰って来てくれる時も、すごく嬉しい。

昨日も夕方、一時間一緒に過ごしたが、
今日も餌を新しいのに替えたり、
ブラッシングをしてやったり、
おなかモフモフしたりして、一時間過ごした。

これは、ムギはノラじゃないよ、
うちの子なんだよ、としっかり思ってもらうためだ。

きっと、あの小さい脳みそで、いっぱいいろんなこと、
考えて感じていると思う。

あそこに居てくれるだけで、ムギには感謝する。

ちまは、ムギ臭を感じて、ちょっと怒っている。
ごめんねちま。
ちまはお姫さまだからね、と抱っこする。

ちまは雨も寒さも暑さも風もないところで、
のんびり暮らしている。
飛び切りの美人ねこではないかもしれないが、
わたしには天使ちゃんだ。

もう6年以上、ずっと一緒にいるので、
子供で例えたら、一歳半くらいの言語は理解していると思う。

ご飯食べる?と聞けば、あーんと答えるし、
ただ、おいでーと言っても来ないのに、
「パパがホタテくれるからおいでー。」と言うと、
遠くに居てもちゃんとやって来る。


わたしは長く犬派だった。
猫の魅力を知ったのは、40歳過ぎてからだ。
勤めていた人形屋に、すごく可愛い猫がいて、
ツンデレで、抱っこもさせてくれない子ではあったが、
魅力にとり憑かれてしまったのだ。

キラキラしたガラスのような目、
ちいちゃいお鼻、
ピンクの肉球。

袋に入っててびっくりしたり、
レースのカーテンに爪が引っかかって取れなくなって、
救出したこともあった。

犬は、近所の犬でも可愛がれる。
でも、猫は絶対に「自分の猫」が欲しいと、強く思うようになった。

密着して、一緒に寝られる猫が欲しかった。


ちいちゃい脳で、
猫はいっぱいいろんなことを考えて感じている。

神秘的で、愛おしい存在だ。


明日がやっとカウンセリング。
こんな長い二週間はなかった。
辛く苦しい二週間だった。

怒りとは、ここまで人を疲弊させるものなのだと、
身を持って知った。

夫には申し訳ないが、
わたしはもう、酔っ払ったお姑さんの面倒は見ない。
ただの酔っ払いに、あんなに振り回されただなんて、
悔しくて思い出すのも腹立たしい。
                   
明日カウンセリングで思いのたけ話して、
怒りを手放す方法を教えてもらおう。

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ヘトヘトだよ。

今日は髪を染めるので、
いつもより早い時間に美容院に行かなくてはならなかったのだが、
すっかり忘れていて、
遅刻してしまった。

体の痛さも尋常じゃなく、
明日のマッサージの予約を入れたのだが、
指名しているマッサージ師さんが、体調不良で休んでおり、
明日も出てこられるかわからない、という返事だった。

明日、電話をもらうことになったが、
がっくり来た。
あの人じゃないと、だめなのだ。
なんとか元気になって、来て欲しいなあ。

髪を染めて、綺麗になったが、
すごく疲れていて、気力もないので、
夕飯に、コロッケと唐揚げを買ってしまった。

帰宅して急いで、葉っぱのサラダと、
キャベツ炒めだけ作って、
母屋に持って行った。

お姑さんが、今日は一人で浅草に遊びにいったと話しかけてきた。
お姑さんは、浅草の生まれだ。

先週、お姉さんと出かけたことで気力が出たのか、
今日は一人で行けたという。

やっぱりお姉さんの力、すごいな。

盛り付けを終えて、ムギのところに行くと、
ムギは待ちわびていた。
すぐに寄って来て、くっつく。
可愛い。

今日はもう、何にもやる気が出ないから、
しばらくここに座っていよう、と思って、
ムギの小屋の前に座っていると、
ムギは時々ご飯を食べたり、
時々パトロールをしたりするものの、
結局一時間、一緒にくっついて過ごした。

部屋に居た時のように、ブラッシングをしてやった。
喜んでいるように見えた。
わたしの手を、舐めたり、甘噛みしたりした。

ムギはあちこちにお出かけするので、
太い尻尾には草の実が付いている。
それも綺麗に取り除いた。

アパートに戻る時、ムギが寂しそうにお見送りしてた。

帰って来て、ご飯を食べたら、
もう起きていられなくて、
洗い物もできなくて、
とりあえず、眠った。

具合が悪い時は、夕飯作らなくていいんだよ、と
夫はメールに書いてくれてたが、
夫が早く帰れる時なら甘える。                
でも今夜は飲んで帰ってくることが決まってたので、
お姑さんが不自由しないようにと、頑張ったのだ。


夜中12時過ぎに起きたが、
もう、体はヘトヘトだ。
しぶしぶ、食器や鍋を洗う。
指が痛む。

怒りって、こんなにも人を疲弊させるんだなあと、
しみじみ思う。
安らかに暮らしたい。

淡々と、粛々と、暮らしたいのだ。

別に行きたいところもないし、
猫たちが居てくれて充分癒しはあるし、
わたしが出来うる最大限のことを今やっているので、
これを長く持続させたいと思う。

あああ。疲れたなあ。
マッサージ行きたいよー。

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理想の朝ごはん。

わたしが息子にしてやれなかったことは沢山あるが、
「理想の朝ごはん」というのを、
一度も出してやれなかったことが、
申し訳なかったなと思っている。

息子は、和定食の朝ごはんに憧れていたのだ。

ご飯、お味噌汁、焼き魚、漬物、海苔、納豆、
みたいなラインナップ。

これは、わたしには不可能だった。

いろいろ要因はある。

まず、わたしは朝、起きられない。
今も昔も、すごく早起きが苦手なのだ。

最初の結婚で、同居の時、妊娠した体で、
朝6時までに起きなくてはいけないことが、
辛かった。

東京に来てからは、魚が高すぎて、
買えなかった。
お弁当には時々小さな焼き鮭を入れたりしたが、
肉なら安物でもアレンジして一品になるのに、
魚は単価が高くて、
貧乏な我が家では買えなかったのだ。


それと、わたし自身が、
そのような朝ごはんを食べた経験がない。

わたしの育った家は、
三交替勤務の父を中心に回っており、
三人が揃って朝ごはんを食べられる日は、皆無だった。

母はお茶漬けみたいなものをかき込んで仕事に行き、
わたしはトースト一枚、という暮らしだったのだ。

お味噌汁も、出てこない。
酒を飲む父に献立は合わせられており、
つまみにならない料理は、一切出ないのだ。

だから、味噌汁も、カレーも、出てこない。
父が食べられなかったから、酢の物も、食べたことがなかった。

だから、息子が憧れた、朝定食は、
経験がなかったから、作ることができなかった。


母は、自分が料理がうまいと自慢しているが、
実は魚もおろせない人である。

わたしが母から教わった料理も少ない。
特に野菜料理は不足していて、
あっても、キャベツを茹でてからし醤油で、とか、
キュウリを塩もみとか、
カリフラワーを茹でてマヨネーズとか、
そんなものばかりだった。

煮物などをじっくりやるようになったのは、
母が仕事に行かなくなってからだと思う。


わたしの息子は、
なぜだかわからないが、とても料理が上手い。

いずれ一人暮らしをする、と言い切っていたので、
練習のために何か作ってみたら?と勧めたことがある。
すると息子は、
「ボクは料理は出来ると思う。根拠はないけど自信がある。だから今はしない。」
と返事をした。

へー、と聞いていたのだが、
実際一人暮らしを始めて、まもなく自炊男子になったし、
そして次には、お弁当男子にまでなったのだ。
教えたこともないのに、天ぷらまで揚げると言っていた。

実際に招かれて、手料理をご馳走になったが、
どれもすごくおいしくて、びっくりした。

お嫁ちゃんは、同僚やお友達に、
「料理ができる旦那さんっていいなー。」と、
うらやましがられているそうだ。

そう、イマドキ男子は、料理くらいできないと、
結婚は難しいかも。


家事なんて、どっちがやってもいいじゃないか。
共働きなのに、奥さんにだけ負担がかかるのは、
おかしいと思う。

出産だけは、女性しかできないので、
せめて家事は、夫がもっとすべきだと思う。

お嫁ちゃんが妊娠したら、
ものすごく大事にするように、
息子には言って聞かせるつもりだ。

昔の人は、妊娠なんて病気じゃないから、と冷たかったが、
ヒトがヒトを産むのは、壮絶なことなのだ。
だから大事に大事にしなくてはならない。

まあ、あの息子なら、大丈夫だと思うけどね。


先週は、心が怒りにとらわれて、気がつかなかったが、
ものすごく体が痛い。
リウマチも痛くて鍋を洗うのも一苦労。
背中もバキバキにこっていて、
痛みで憂うつになっている。

マッサージに行くしかないか。

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猫モノは、もう駄目。

わたしが飼っていた犬は、
柴犬だった。

生まれつき、左後ろ足が欠損していて、
処分されてしまうところを、
お願いして、もらった犬だった。

そのせいか、大きくならず、
今で言う、「豆柴」だった。

本当に可愛い、わたしの大切な同士だった。

たった3年で亡くして、埋葬にも連れて行ってもらえず、
わたしはずっと心に傷を負っていた。

だから、犬が出てくる映画は、駄目だった。
前夫と付き合っているときに、
「南極物語」を見に行ってしまい、
そのあとの喫茶店でずーっと泣いていた。

犬だけれど、
わたしにとっては、大切な大切な命だった。

だから、同じく3本脚のムギが現れたときに、
ゴンを重ね合わせてしまったのだ。

最初にムギは夫を狙って懐いたのだが、
最後のほうは、わたしのアパートのドアの前まで、
階段を駆け上がって来てくれるようになっていた。

不自由な脚で、急な階段を駆け上がって来てくれる姿は、
本当に感動もので、
それでわたしはどうしてもムギを手に入れたくなってしまったのだった。


今夜、夫と、
中島みゆきの「夜会」2014を見た。
数日前に、買ったものを、届けてくれたのだが、
たまたま、わたしは、その前々日くらいに、
テレビで特集をやっていたのを、ちらっと見た。

たった数分見ただけで、泣けてしまった。
愛猫と別れるシーンが放送されたからだ。

それを、夫が買っていたことにちょっとびっくりした。
今夜、出張から帰って来たので、
一緒に見た。

ネタばれになるので、詳しくは書けないが、
やはり、猫と別れるシーンではボロボロ涙が出た。

夫がムギを外に出す時、
どんなに辛かっただろう。

一回見て、もう一回見始めたのだが、
夫が眠くなって帰ったので、
そのままもう一回一人で見た。

もう、大泣き。

だめだー。
もう、猫モノは、平常心では見られないよ。


見終わって、ちまを抱きしめて顔をうずめ、
それからムギに会いに行った。

雨なのに、ムギは、留守だった。

小屋の前に座って、
ムギ、ムギ、と呼び続ける。
きっと声が聞こえる範囲には居るはずだ。

でも、帰って来ない。

諦めかけたとき、
きゅーんと鳴きながら、ムギが帰って来てくれた。

体がしっとりと濡れていた。
ムギ、雨なのに、どこに行ってたの、
ムギ、帰って来てくれたの、
ムギ、ママの声聞いて帰って来てくれたの、
と言いながら、タオルで体を拭いた。

するとムギが、脚に登って来てくれた。

寒くないようにすかさずフリースを掛けてやる。

捨てたのに、居ついてくれてるムギが、
心から愛おしい。
なんとけなげなんだろうと涙が溢れる。

ちまは雨に濡れた経験はない。
様々な人の善意に命をつながれた猫だ。

ムギは、3歳くらいだろうという予想だが、
いつ、脚を失ったのかはわからない。
でも、きちんと手術されているらしかった。

不自由な脚で、必死に居場所を確保したんだ。
ムギは、けっこう、強い猫だ。
そしてとても甘えっ子さんだ。

この子たちとの別れが来るなんて、
考えたくもない。
絶対に嫌だ。
失いたくない。

わたしたちにとっては、
決して「たかが猫」ではない。
同じく魂を持つ仲間だ。

来世でも絶対にまた出会いたい。
一緒に生きて行きたい。

一生懸命、大事にする。
一生大事にする。
だから死なないで…。

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晴れない!

通っている心療内科のクリニックまで、
片道一時間半。

遠いし、徒歩が長くて疲れる。

今日はムギの世話をしていて、出発が遅れた。
クリニックに着くと、
金曜日午後の顔見知りの患者さんが、
すでに4人待っていた。

予約時間は設定されているが、
基本先着順に診ているらしく、
今日は一時間も待った。

はじめて、クリニックに備え付けの本を読んで待った。

やっと呼ばれて、
まずは血液検査の結果の用紙を見せた。
アレルギーの薬を抜いたことは効果があったみたいで、
肝臓の数値は下がっていた。

だから、本来なら、次にはまた何かを減薬したいところだったが、
お姑さんのことが尾を引いていて、
すごく精神的に不安定で、
指も痛くなってしまったことを説明したら、
その状況では減薬は無理ですね、と言われた。

残念だな。
何か減らしたかったのに。
わたしの気分は一向に晴れない。

精神科医にする話じゃないと思いながらも、
聞いていただいたのだが、
気持ちは晴れ晴れとはしない。

クリニックに行く日は、夕飯を作らないので、
せめて、と思い、
体にどうこうは考えず、
好きなものを買って来て食べた。

シャワーして洗濯もした。


なんだか、年末が近づくにつれて、
どんどん不安定になってくる。

帰省しないと決めているのだが、
ではこちらに居て、どうしよう、と不安なのだ。

できれば、普通に、ひっそりと息をひそめて過ごしたい。
誰とも会いたくない。

夫は元日は朝から日本酒を飲んで酔っ払うので、
それも嫌だし…。

どこかに逃げ出したい気分。

帰省しない罪悪感で潰れそう。


ああ、なんて気分が重いんだ…。
どうしたらいいのかわからない。

憂うつだよ…。

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許されたい。

怒りを持っている自分を醜いと思う。
できることなら、怒りはシューッと吐き出して、
すみやかに手放してしまいたい。

でも幼い頃から押さえ付けられて来たわたしは、
蓋をする癖が抜けない。

だから何十年も怒っている。
これでは、嫌いな母と同じではないか。


怒りは手放したい。

それが不可能なら、
怒っているわたしを、許して欲しい。

怒るだけの理由があったからなのだ。


今日は仲良し美容師さんに話を聞いてもらい、
かなり落ち着いた。
そんなん怒って当たり前ですよ、と同調してくれたからだ。

そう、「同調」が欲しいのだ。

一般に、男性は、同調をしてくれない。
解決策を考えてくれちゃったりする。

そうじゃないんだよ、
そうか、それは怒って当然だよねえ、
大変だったねえ、と、
同調してほしいのだ。


わたしの母は、決して同調してくれない人だった。
ちょっとでも愚痴を言おうものなら、
「わたしなんてもっと、」
と、すぐ話を持って行ってしまう。

だから、離婚することを、言わずに、事後報告にして、
連絡を絶っていた。

母の言うことなんてわかりきってるからだ。

守ってくれない親と話しても意味がない。
傷口に塩を塗られるだけだ。

わたしは、息子に出会うまでの人生、
とてもとても孤独だった。


息子は、人生で最大のわたしへの贈り物だ。
可愛かった!

こんな未熟な人間のところに生まれてきてくれて、
本当にありがとう、と思う。

彼から、真実の愛と、優しさと、人を許す尊さを教わった。
育てさせてもらえて、幸せだった。


自分が、自分の母と同じ事をしていやしないかと、
ひどく気になる。
貧乏や離婚は仕方ないにしても、
彼の心を傷つけてはいないだろうか、
否定したことはなかっただろうか、と、
今も気にかかる。

貧乏のさなかだったが、息子に、
「幸せって、幸せだと思う人の心の中にしかないんだよ。」
と教えたら、
「じゃあボクは幸せだ。」
と言ってくれた。

そう言ってもらえた、わたしのほうがよっぽど幸せだった。


わたしは今、怒っているわたしも、許されたい。
いくらなんでも、そりゃ怒るよ、って思ってもらいたい。

怒りながらも、それをどうにかしようと、
一人でもがいているんだもの。

カウンセリングは来週。
待ち遠しい。

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心因性疼痛。

リウマチ内科の通院日だった。
血液検査を先にして、
難しい哲学の本を読んで待つ。

診察室に呼ばれると、先生は明るい顔をしていた。
肝臓の数値が、低くなったのだ。
リウマチのお薬を、週6錠から5錠に減らした結果だ。

精神科方面では、まだ抗うつ薬などはやめられず、
単にアレルギーの薬だけを抜いたことを説明した。

そして、多分ストレスからだと思うけれど、
いま、とても指の関節が痛くて、
グーもできなくなってしまっていることを話した。

触診をしてもらたが、特に腫れが大きくなってはおらず、
血液中の炎症反応も、増えてはいないと言われた。

このストレスについて、まだカウンセリングで話せてなくて、
抱えたままで苦しいので、解決がつかないと言うと、
では、カウンセリングを受けて、また一ヵ月後に、
様子を見ましょう、ということになった。

指は痛いけど、薬は増やさなかった。

やはり、
心因性の、疼痛だったのだ。

心の痛みは、体を痛めるのだ。


お昼ごはんにマクドナルドに行き、
夕飯のお弁当を買い、
帰宅してから、
お昼寝をした。

すごく疲れてて、あっという間に寝付いた。

でも、睡眠薬を飲まないで寝ると、必ず悪夢を見る。
夢の中に母が出てきて、
すごく可哀相な母を演じていた。
夢の中で、これはわたしは、
やはり帰省しなくてはいけないのではないか?と考えたくらいだ。

具合が悪くて、なかなか起き上がれず、
ちまにバリバリされて起きたら、もう夜の8時だった。

内科の先生だが、
心因性の痛みであることを認めてもらい、
ちょっと安心できた。                  

金曜日、精神科の通院なので、相談してこよう。

なんだか、心底、疲れている。
気持ちも晴れないし、
体も重たいし、
楽しいことがない。

まあ、うつ病なんだから、それで普通なのかもしれないけど。

年末が近づいて来ていることを、ひしひしと感じる。
歳を越すことは、大変だ。
辛いなあ。

指が痛いし。
何か、気持ちが晴れるようなこと、ないだろうか。

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拒否反応。

わたしが、自分の母に、何を欲しかったかと言えば、
ただ、「優しくしてほしかった。」
この一語に尽きる。

傷を負っている娘に罵声を浴びせ、
傷口に塩を塗りこめてた人なのに、
自分は誰にでも優しい、と言い張る。

祖母を在宅で看取ったが、
それはすごく偉かったと思う。

でも、じゃあ祖母に優しかったか?となると、
答えはNOだ。

夫の母親に対して怒鳴り散らしていたわけだ。
わたしは、到底できそうにない。

それを知ってる人は多分わたしだけなので、
母は、自分はお婆ちゃんに優しくしたと、言ってのけるのだ。
面の皮の厚い人だ。


わたしは、優しくされたかった。
思いは、それだけだ。

辛い時に泣ける胸が欲しかった。


では、わたしはと言えば、
残念なことに、全然、優しくない。

一番欲しいものを、自分は持ってないのだ。

どうやって入手したらいいかもわからない。

息子が小学生の6年生だったかな、
うちに出入りしていたお嬢さんが、息子に、
「ママ、優しい?」と質問した。
すると、息子はすかさず、「うん。」と答えた。

その姿をわたしは後ろから見ていたのだが、
とても嬉しかった。

なぜなら、わたしは自分が優しい人間ではないことを、
その時既に知っていたからである。

息子は、ガラスのハートを持った子だった。

どうしてしまうと傷付く、ということは、
わたしはたっぷりと経験していてわかっていたので、
それをしなかっただけなのだ。

自分がしてもらえなかったことを懸命にしてやり、
自分がされて辛かったことを徹底的に排除した。
ただ、そうしただけのことだ。

息子の心を守りたい。
息子の命を守りたい。
そのことが何よりも大切なことだったので、
もしも登校拒否をしたら、
絶対に学校には行かせない、と決めていた。

生きていてくれさえすればいいから、
自分が守り抜くと決めていた。

幸い、息子は登校拒否にもならず、
穏やかな雰囲気を持っていて人ともトラブルにならず、
なんとか学生を乗り切った。

社会に出てからは、苦悩していた。
その頃にはもう、愚痴もこぼしてくれなくなって、
ただ見守るしかなかったが、
今はもう、安心だ。

彼は一人じゃなくなった。


息子と離れるときは、辛かった。
バスタオルでは間に合わず、タオルケットを抱え込んで、
泣きじゃくった夜もあった。

親離れはたやすいが、子離れは、辛いものだ。


わたしは、今、自分が苦しい。
すごく苦しい。
自分と向き合うと、すごく苦しい。

なぜ、望んでも欲しても、
自分に「優しさ」が与えられないんだろう。

そのことが、悲しいのだ。

こんなトゲトゲの心は久しぶりだ。
心の真ん中に、真っ黒でトゲトゲしたストレス球があるのがわかる。

それと向き合うと、
母屋のリビングの匂いがしてきて、オエっとなる。
すごい拒否反応が出てしまっているのだ。

本当なら、しばらく休むべきなのだが、
その選択肢は、ない。
休むことも同じかそれ以上に辛く苦しいとわかっているからだ。

だから、きっと夫が喜んでくれるはず!と思い込んで、
夕飯を作る。
作ることは、苦ではない。

とにかく、母屋に、行きたくないのだ。

心の中が、「行きたくない」で支配されてしまっている。

こんな自分をどう扱ったらいいのか、わからない。
カウンセリングは来週だし、
金曜日、精神科の通院なので、
主治医に相談してみようか。


なぜわたしには、「人を許す優しさ」がないのだろう。
一番それが欲しいのに、
手に入らない。
一番遠くにいる人物だ。

優しくなりたい。
ただシンプルに、優しい人になりたい。

苦しい。

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仏の顔も三度。

「仏の顔も三度。」という諺がある。

これは、詳しく説明すると、
「いくら仏さまでも、顔を撫でるという無礼なことを、三度続けてやれば怒りますよ。」
という意味だ。

実際の仏さまは、
もちろん深い後慈悲で包んでくださるので、
そんなことはないとは思うが、
仏さまの顔を撫でる、という無礼を、
三度もやっては、
いくらなんでもお怒りになりますよ、と、
いさめる言葉だ。


わたしは何で今回、こんなに怒ってるんだろうなあ~と、
冷静に考えてみた。

穏やかに生きていきたいのだ。
感情的になりたくないのだ。

だから、怒ってる自分が嫌なのだ。

うつ病を発症して、
もう押さえ込む蓋がなくなっていて、
わたしは、すぐにシャッターをおろしてしまう。

だから、中でどんなに炎が燃え盛っていても、
シャッターを閉じて、暮らさなければならないわけだ。

苦しいよ。

数日で、急に起きられなくなって、
急に指の痛みが激しくなって、
まだリウマチの薬を飲んでなかったときくらいに、
指が痛くて、
鍋を洗うのにも苦心する。

心の痛みが、体に痛みとして訴えているのだ。


お姑さんがやった、お酒での失敗で、
迷惑をこうむったのが、
三度目だった。

一回目は、卓球のあとの宴会でアルコールを摂取して、
昏倒して吐いて、
救急車で運ばれた。

お仲間の方がお二人、付き添ってくださっていた。

夫は酔っ払っていて、そんなのほっとけよ、と言ったのだが、
他人が付き添ってくれてるのに、ほっとけるはずがないだろうが。
わたしは長女を連れて病院に迎えに行った。

お仲間の方に、本当に申し訳なかった。
その後、お姑さんがちゃんとお礼やお詫びをなさったのか、
わたしには知らされていない。
わたしへの侘びもないからだ。

二回目は、今年の春に、
昼間、誰もいないのをいいことに、
お姑さんがビールやらウィスキーやら飲むようになり、
何も食べずに飲むものだから、なんだか具合が悪くなって、
入院したいと言いはじめた。

わたしが病院に連れて行って入院させ、
書類を書き、下着やら洗面具やら用意してまた病室に行き、
その後毎日お見舞いに行った。

自分が入院したいと望んだのに、
三日目には、もう退院したいと言い始めて、
先生の許可が下りたらですよ、と言い聞かせていたのだが、
ある夜、電話がかかってきて、
明日どうしても退院すると言い張る。

仕方なくまた病院に行って、
婦長さんに相談して、
埒が明かないので、婦長さんから、
お姑さんに説明してもらって、思いとどまらせた。

それでわたしは自分の具合が悪くなり、
お見舞いにもう行けなくなった。

退院には夫が休んで立ち会った。

わたしはその時から、家族の夕飯を作ることになった。

夫は定年前後で精神状態が荒れており、
ムギを家に入れたら、わざといけない場所でオシッコばかりするし、
食べたくないと言うお姑さんに食べてもらえるような料理を考えたり、
今年の春は本当に大変だった。

そして自分はリウマチになった。

そして三度目が今回。
今回は、慌てて救急車を呼ばなかったから、大事にはならなかったものの、
本人は酔ってたことは隠してるし、
覚えていないから、
お礼もお詫びも無しだ。

これが、階段落ちだったら、どうしたんだよ。
ただじゃすまないよ?


穏やかに暮らしたいから、
カウンセリングにも長く通わせてもらってるわけだけれど、
もう、酔っ払っての迷惑には、耐えませんよ。

健康な人と違って、
わたしには、心に、体に、実害が生じるのだ。

そこを夫や長女には、理解してもらわないと、困る。
実際、リウマチは悪化してしまったし、
心もすさんでいる。


夜中にこっそり、ムギに会いに行く。
絶対に誰にも、邪魔されない。
夕べはムギが甘えっこモードで、
結局小一時間を一緒に過ごした。

猫たちが癒してくれてる。

だけど、四度目は、わたしはもう、見ないフリをするよ。
そうでも思ってないと、精神がもたないもの。

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怒りの矛先。

わたしには兄弟がいないので、
喧嘩をしたことがない。

親は圧倒的な強さでわたしを潰して轢いていくので、
親子喧嘩すら介在しない。

前の夫とも、喧嘩はしなかった。
数年で見限って、離婚すると決めていたから、
無駄に喧嘩などする必要はないと思っていた。


わたしは、唯一、喧嘩できたのが、
夫だったと思う。

夫はやたらと地雷を踏み、
爆破スイッチを押しまくる人だったのだ。

自分から好きになった相手だったら、
わたしはそれまでのようにただ押し黙るが、
夫に対してだけは、
怒りを抑えきれず、
ひどい喧嘩を何回もした。

つまり、夫だけに、
わたしは自分の本性を見せたわけだ。


感情的であることを嫌い、
理不尽を呪い、
人とぶつかることを避けて避けて、
溜めて溜めて溜め込んで、
わたしはうつ病を発症した。


今も、夫はよく地雷を踏む。
その時は、わたしはすかさず怒る。

きちんとその時に、怒っておかないと、
怒りを引きずって、
あれもこれもと、腹が立ってしまうからだ。

怒りのエネルギーとは、すさまじい。
人を鬼に変えられる。

だから、怒りを感じたときには、
その事柄について、きちんと正当に怒り、
そして怒りを手放すことが必要なのだ。


ここまで、わたしは、理論では習得できている。

だから、今回のこの怒りの矛先を、
どこにも向けられないことが、
腹立たしくて腹立たしくて、
体が震えるくらい、怒っている。

結婚相手になら、怒ってもいいが、
まさかその親に、
怒るなんてできないだろう。

わたしには引け目がある。
このアパートに住まわせてくれているのは、
お姑さんなのだ。

だから、わたしはお姑さんを怒ってはいけないのだ。

それが悔しくて、
今日もまだ、怒りに打ち震えている。


わたしが怒っているのは、ただ一点だ。

飲むなとも言わない。
忘れるなとも言わない。

人に迷惑をかけるような酷い飲み方をするな、
ということだけだ。


だけど、言ってもどうせ無駄だし、
第一わたしには、言う権限も与えられていない。
わたしには、権利がない。
人として、屈辱的だ。


今までずっと、ただのお荷物だったから、
家族の夕飯を作るようになって、
わたしは少しだけ、楽になった。

将来のある子供たちの、
食の安全を守ってやりたいとも思ったし、
別の棟に住んでても、
夫が帰宅したらわたしの料理が食べられることは、
喜ばしいのではないかと思っている。

何度も言うように、
感謝されなくても、美味しいと言われなくても、
わたしは夕飯作りは、苦ではない。
だから続ける。

それはいいんだけれど、
もう、お姑さんの顔が見たくないのだ。

これは本当に困った。
どうしたらいいんだろう。

土日、顔を合わせないで済んだが、
また今日から夕飯を運べば、会うことになる。

礼儀は尽くしてきたつもりだけれど、
今度ばっかりは、
わたしも怒りの納める先がなくて、困っているよ。

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困った。顔を見たくない。

認知症は、病気だから、しょうがない。

わたしだって、病気だから、
たくさん頑張れないのは仕方ない、と思う。

リウマチで指が痛いから、
瓶の蓋の開け閉めにだって苦労してる。
これも病気だから、仕方ない。
別に不満はない。

だけど、酔っ払いは、病気じゃない。

どんなにお酒が好きでも、
飲み方は、選べるじゃないか。

春に入院騒ぎを起こしたばかりなのに、
また、何も食べずにビールだけ飲んで、
倒れて、
慌てさせて、
迷惑かけておいて、
覚えてないからって、一言の謝罪も無しだ。

もう、倒れてたって見ないフリするからな。
どうせまた隠れて飲んで酔っ払ったんだろ、って、
思うからな。


顔を見たくないよ。

一緒に住んでる時から重圧で、
監視されてる気がして、
話をするのも嫌だったけれど、
またそれが再発した。


夕飯を持っていくと、リビングに居て、
何かしら飲んでいて、
話しかけてくるのだが、
わたしは最近ずっと、
「そうですか~。」
一本でやり過ごして来てた。

「足腰が痛くてねえ。」
「あら、そうなんですか~。」
「医者に言ったのだけど、薬もくれないのよ。」
「あらー、そうなんですね~。」
「わたしは生まれた時は病弱で長生きできないって言われたのよ。」
「へえ、そうなんですねー。」
「でも、姉妹が全員50代で死んじゃって、わたしだけ残って、もう死んでしまいたいわ。」
「あら、そうですか~。」

こんな感じでかわして、
逃げてくる。

優しく話を聞いたりしたら、
いつもかも亡くなった先妻さんの話に行き着くし、
もう、聞いてない新しい話題はないし、
繰り返しばかりで、ただ苦痛なので、
逃げ帰って来るのだ。

料理は決して苦ではないのだが、
母屋の二階に行って、お姑さんと会わなくてはならないのが、
たまらなく苦痛。


困ったな。
どうしよう。
持って行って盛り付けてくるだけだから、
ほんの10分くらいのことだけれど、
玄関に入って、テレビが大音量で聞こえると、
気持ちが暗ーくなる。


ああ、嫌だなあ。
どうしたらいいんだろう。

隠れて飲むの、しかも酔っ払うほど飲むの、
やめてもらえないかな。

倒れたのが畳の上だったから良かったものの、
もし階段落ちでもされて、
この年齢で骨折でもしたら、
あっという間に、
寝たきりの痴呆老人が出来上がってしまうよ?

そうなったときに、どうするのよ。


夫が何を言っても、言ったとおりにはやってくれないし、
やってほしくないことは何故かやるし、
だから、夫にきつく言ってもらってもダメなんだろうな。

あああ。
わたしは自分の母からも逃げて、
お姑さんからも逃げたくて、
なんてダメなんだろう。

カウンセリングまでまだまだ日にちがあるし、
解決策は見いだせない。

心がどんよりしたままだ。
あー、嫌だなー。
すごく憂うつだ。

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むかつく。

夕べは、疲れ切ってしまって、
逆に朝まで寝付けなかった。
ちまが心配して、ずっとくっついてくれていた。

予定よりも早く目覚めた。
調子が悪い。

こんな日は早く夕飯を作ってしまって、
また寝よう。

ドリンク剤を飲んで、母屋に行って、
夕飯を食べる人を確認した。

リビングにお姑さんが居たので、
「おかあさん、大丈夫ですか?」
と声をかけた。

すると、半分くらい振り向いて、
「はあ~ん?」
と言われた。
手にはマグカップを持っている。
死んだ目をしている。

またウィスキー飲んでるな、と思い、
わたしは何も言わずに、そのまま出かけた。
はあ~ん、って何だよ。


夕飯を作って持って行ったら、
お姑さんは部屋で寝ているようだった。
もう会いたくないので、声をかけずに家を出て、
ムギのところに行った。

ムギは小屋の前で待っていて、
わたしの膝によじ登ってきて甘えてくれた。

昨日はお姑さんのことで大変で、
ムギを構ってやれなかったので、
ムギ、完全にすねていたのだ。

抱っこしてラブラブ過ごしていたら、
お姑さんが家の中から出てきた。
起きて、夕刊を取りに出てきたらしい。

お願い、来ないで!と願ったのに、
お姑さんがムギに近づいて、
ムギは逃げてしまった。

お姑さんは、
昨日はどうも、でもなければ、ごめんでもありがとうでもない。

「わたしな動物はなんでも赤ちゃんの時から育てて懐いたのに、この子はなつかなくて可愛くないわね。」と言った。

ムカッとして、
「この子はノラだったんだから仕方ないです! 赤ちゃんの頃から育てれば誰にだって懐きます!」
と、声を荒げてしまった。

せっかくムギとラブラブしてたのに。

しかも、昨日どれだけの騒ぎだったのか、
まったく覚えていないのだろう、
けろっとしている。

救急車呼ばないとダメかしら、
夫がいないからわたしが同行するしかないし、
何かあってはいけないからと、着替えて母屋にずっと待機してたのに。

結局、酔っ払ってぶっ倒れただけかよ。
ああ、バカらしい。

何回同じ事をすれば気が済むのか。
人に迷惑がかかる飲み方をなぜするのか。

この調子で、毎回、
「狼がくるぞー!」と叫ばれても、
もうわたしは駆けつけないぞ。


疲れたから寝ます、と夫にメールをしておいた。
それは、寝てるから邪魔しないでくれ、という意味なのに、
夫は帰宅してガチャガチャとわたしの部屋に入ってきて、
冷蔵庫に何か入れた。

多分出張のおみやげだな、と思ったが、
疲れてるんだから、邪魔しないでくれよ、と思いつつ、
そのあとはウトウトとしか出来なかった。


仕方なく起きて、夫にメールした。
お姑さんは、昨日のことを全く覚えてないらしい。

夫がガツンと言ってくれたのならいいのだが、
結局、わたしだけ振り回されて、
疲れ果てただけじゃないか。
何なんだよ。
馬鹿馬鹿しい。

もう本当に酔っ払いは嫌だ。
むかつく。


お姑さんには多大な恩義があるから、
これからも無碍にはできないが、
もう振り回されるのはごめんだ。

疲れるんだよ。

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ああ、びっくりした。

今日はどこにも行かないので、
ゆっくり眠って、
ムギと小一時間一緒に過ごして、
夕飯を作りながら、洗濯もした。

いつも通り、6時少し前に、
母屋に夕飯を運んだ。
玄関もリビングもお姑さんの部屋も真っ暗だった。

お姑さんは、寝ているんだろうと思いつつ、
料理を盛り付けて、器をゆすいでいたら、
気配がして、それから、
お姑さんの部屋から、ドターッという大きな音がした。

びっくりして飛んでいくと、お姑さんが、倒れていた。

うわわ、これは大変だ!

うーん、うーんと唸っているので、
これは、脳の血管が切れたな、と思った。

駆け寄って、声をかけると、聞こえてはいる。
「おかあさん、どうされました?」
「頭、痛いですか?」
「気持ち悪いですか?」
「目まい、しますか?」
と聞くと、いずれも、横に首を振る。

「失礼なことをお聞きしますけど、ご自分のお名前、言えますか?」
と聞いてみた。

すると、うーんうーんと言うだけで、首を横に振る。

あああ、どうしよう、こんな日に限って夫は出張で留守だ。

お姑さんを抱えながらなおも質問を繰り返す。
二度目、「お名前、言えますか?」と聞いたら、
なんとか、答えられた。

言えた。即死ぬことはなさそうだ。

すると、とにかくお手洗いに行きたいと言う。
なので、抱きかかえて起こして、
じりじりとトイレまで移動。

座らせると、
「大丈夫、大丈夫。」と言うので、
見てるのも悪くて、軽くドアを閉めた。

終わったようなので扉を開けて、また抱き起こして、
じりじりと、部屋に連れて行く。
小柄で痩せた人で助かったが、
わたしは既に汗だくだ。

ベッドに寝かせると、「寝てれば大丈夫だから。」と言う。
いやいや、そうはいかないでしょ。

夫に電話をするが、出てくれない。
留守電にもならないので、用件を吹き込めない。
仕方なくメールして、電話してほしいと書いた。

長女に電話をしてみたが、彼女も出ない。
会社にかけるにしても、電話番号を調べなくてはならないし。
とりあえず、おばあちゃんが倒れたので連絡して欲しいとメールした。


わたしはどこにも出かけないのをいいことに、
めっちゃ部屋着だし、汗だくだ。
救急車を呼んで同行するなら、準備をしなくちゃと思って、
一旦部屋に戻った。


するとやっと夫から電話がかかってきた。
早口で状況を説明して指示を仰ぐ。

もし病院に連れて行くとなっても、この時間では、
逆に救急車のほうがいいだろうとのこと。
その前に、ためしに血圧を計ってくれと言う。
180を超えるようなら、救急車を呼んでくれと言われた。

長女に連絡がつかないことを話したら、
会社のメルアドがわかるからメールしてみるとのこと。

着替えて、出かける準備をして、母屋に戻った。
お姑さんは、ベッドで静かに寝てらしたが、
「すみませんが、血圧だけ計らせてくださいね。」と言って、
ベッドの下から血圧計を出した。

その時、テーブルの下に、ビールの缶を見つけた。
グラスもあった。

血圧は、142と77で、大丈夫そうだ。

すると、夫からメールが行ったのだろう、末っ子くんが電話してきた。
状況を説明して、とりあえず血圧は大丈夫なので様子を見ると伝えた。

彼は、よりにもよって、今夜の懇親会の幹事なのだという。
なので、様子見で大丈夫なら、幹事なので行かなくてはとのこと。
もしもどうしても大変なことになったら、電話いれるから、
行ってちょうだいと話して、切った。

そのあと、長女が、今から急いで帰りますとメールしてきた。
職場が移転してしまったので、一時間半かかるという。
それまでわたしが母屋に居ることにした。

ゴミ箱を確認すると、ビールの缶がもう一個あった。
キッチンをよく観察すると、今朝、ご飯を食べたのは末っ子くんだけで、
お姑さんは、何も食べた形跡がない。

ははーん。

すきっ腹に、ビール2本、ぶちこんだね?

お姑さんは卓球をやる人なのだが、
何年か前も、卓球をやって、水分補給をせずに、
いきなり宴会でアルコールを摂取して昏倒し、
救急車で運ばれたことがあるのだ。

その時は、夫はベロベロに酔っ払っていて使い物にならなかったので、
わたしと長女とで病院まで迎えに行った。

以来、とにかく水分補給には口を酸っぱくしているのだが、
日中、誰もいないので、
自分で自分のビールを買いに行っては、
何本か飲んでいるのだ。

わたしがリビングで待機していると、
お姑さんが、またトイレに起きて来た。
かなりしっかりしてはいたが、手を貸そうとしたら断られ、
終わったあと、部屋の扉も閉められてしまった。

酔って倒れたこと、わかってるのかもしれないね。

とにかく、何かあったらすぐ対処できるようにと、
わたしは出かける体勢で、リビングにいた。

8時に長女が帰って来たので、
何とか頑張って夕飯を食べさせて欲しいとお願いして、
わたしは戻って来た。

しばらくして長女から連絡があり、
お姑さんは、夕飯も食べられたし、お風呂にも入れて、
今から寝るとのこと。

良かった。
あああ、疲れたー。

でも、飲酒を止めることは出来ないし、
子供じゃないから食事を口に運ぶこともやれないし、
なんと言ってももう89歳だ。
何が起こってもおかしくない。


放置して死んでても、べつに構わないからね、と、
夫は言ってくれる。
夫のお父さんは、朝、布団の中で静かに冷たくなっていた人だからだ。
苦しまずに逝ったのだろう、乱れた様子はなかったそうだ。

だから、プレッシャーを感じなくてもいいよと言ってくれる。

今日はたまたまわたしが行っているときに倒れたので、
見過ごせなかっただけで、
本当に血管が切れて倒れたとしても、
わたしは夕方しか行かないから、気づけないかもしれない。


夫が留守って、やっぱり不安だなあ。
地震のときも離れ離れだったし、
居てくれないと、困ると心から思った。

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憐憫。

カウンセリングに行った。
息子たちが来てくれて、
嬉しくて、楽しくて、幸せだったことを、
詳しく話した。

そして、息子たちが帰ってしまってから、抜け殻になり、
寝込んだことも話した。

それくらい、会いたかったのだ。
それくらい、会えて嬉しかったのだ。


だから、母親が、子供に会いたい気持ちは、理解する。
わたしの母も多分わたしに会いたいのだろうと思う。

でも、そこには、「条件」が介在する。

自分の話をただただ聞いてくれること、という条件。

わたしは、それしか親孝行ができないと思いつめて、
何年間も、必死にその役割を果たして来た。

わたしが変われば相手も変わる、
きっと悪口ばかりじゃなくなる日が来ると、
わたしは信じて毎回頑張った。

しかし、母は、
ただひたすら、60年分の、愚痴と、悪口と、自分の自慢話を、
繰り返し繰り返し、吹聴し続けた。

逃げ場をなくして、わたしはついに決壊した。


お盆以来、一言も声を聞いていないが、
今、彼女に対して湧く感情は、
「憐憫」
である。

かわいそうな人だ。

本人が言うとおり、さぞ我慢して頑張った人生だったろう。
本人が言うとおり、他人には優しくして信頼されて人気もあるのだろう。

しかし、それは、本人談だ。

せっかくそんなに頑張ったのなら、
人の悪口をあんなに言わなければいいのに。
自分より劣っていると発見するやいなや、
それが娘であろうと妹であろうと、
彼女は容赦なくさげすむ。

これでは、頑張った成績が、上がってこない。


わたしは、未熟な人間だ。
ただ、そのことは、知っている。

彼女は、自分が他人より優れていると思い込み、
それ以下の人を、
「できない人」とか、
「普通じゃない人」
と分別している。

一度、親しくしている近所の人のことを、
「あの人、変わっとるで。普通やないわ。」
と言ったことがある。

わたしは、
「普通ってなに。誰がその普通を決めてるの。」
と言ってやったことがある。
すると、ハッとして、彼女は黙った。

なんであんなふうに人を見下すようになってしまったのだろう。

わたしは、今は、彼女が可哀相だ。
せっかく頑張ったと自慢できる人生らしいのに、
その口で、功績を全部汚しているではないか。


わたしが親だったら、教えてやりたい。
夫の長女が言った、「妹は年下だし妹なのだからそれで良い」という、
潔い言葉を教えてあげたい。

出来ることをみんなが少しずつやりあって、
世間は成り立つのであって、
全員が優れている必要などないのだよと、
教えてやりたい。

いくら我慢したか努力したか知らないけれど、
自分の汚れた言葉でそれを帳消しにしてしまっていることに、
なぜ気がつかないの?
と教えてやりたい。


可哀相だ。
誰も、教えてくれる人はいなくて、
彼女は、変わることはもうできない。

たった一人の娘に嫌われて、会ってもらえないのだ。
本当に可哀相だ。


もうわたしには、力は残っていない。
親なんて、一生親で、恩義があると思ってるだろうから、
まさかわたしの言葉に耳を貸すわけもないし。

子供は、育てさせてもらうものなのだ。
持ち物ではない。

親にさせてくれるのが、子どもなのだ。


母と、もううまくやれない、とメールしたわたしに、
返信してきた息子の言葉に、
自分が元気で生きていることが親孝行だと勝手にそう思っているので、
母上も、もうそれでいいんじゃないかな。と、
わたしを解き放ってくれる一行があった。

ありがたかった。

わたしも、恨みを解き放つ必要がある。

まだまだ、時間が必要だ。

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「雪の華」

昨日の歌つながり。

今日は祝日だったけど、夫は出張で、
夕方早めに帰って来た。

富山出張だったので、ますの寿司を買ってきてくれた。
アパートで一緒に食べた。

食べながら、たまたま歌番組を見ていた。
それが引き金になって、好きな歌の話とか、
わたしが最近観て、がっくりした映画の話とかをした。

YOU TUBEの使い方を教えてもらった。
夫が古いスピーカーを持ってきてくれて、
パソコンに繋いでくれて、
ユーチューブで古い音源を捜して聴くことができるようになった。

夫が、「ムギが待ってるから。」と帰ってから、
わたしは一人でいろいろ検索して、
気分よく一緒に唄った。

またカラオケ行きたいなあ。


今日、あらためて再認したのだけれど、
わたしには、どうしても歌えない歌がある。

音階や難しさの問題ではない。

今夜もトライしてみたのだが、
どうしても、どうしても、
泣いてしまって歌えなくなるのだ。

それが、
中島美嘉の、「雪の華」。


これは、夫と付き合っていた頃に流行っていたので、
二人で飲んだあと、カラオケに行くと、
いつも唄っていた。

ところが、しばらくして、いつからか、
『甘えとか弱さじゃない、ただキミを愛してる、心からそう思った』

このフレーズが来ると、
どわっと泣き出してしまって、
歌えなくなったのだ。


わたしは、求婚してくれる夫を、
ずいぶん待たせた。
何度も求婚してくれたけれど、
ずいぶん待たせた。

決心がつかなかったのだ。

再婚しようねって約束していた相手が逮捕されるという、
まあありえないことを経験し、
支える、待つ、と肩肘張っていたくせに、
体を壊して、心が折れて、
結局役割を放り出してしまった。

そんなわたしが、夫のような人の妻になっていいのか。
何よりも、わたしはこの人に、
ただ甘えているだけなのではないだろうか?と、
ずっと自問自答していたのだ。

甘えだけで結婚はできない。
もちろん、保護は欲しかった。
体もめちゃくちゃになっていて、うつ病の診断もされて、
働くことが難しくなって、
生きてくことそのものが、もう、難しくなった。

でも、もう一人で生きていけないから、という理由だけで、
結婚に踏み切っていいのかどうかと、
わたしはずっと悩んでいたのだ。

弱ってしまって、甘えたくて、
それでする結婚なら、彼にとっては正しくないと思っていた。


それがあるとき、
この「雪の華」を唄いだしたときに、
例のフレーズで、どっと涙が溢れ出して、
わたしはマイクを置いた。

次の曲を探していた夫は、え?という顔をして、
不審そうに、もう一度、「雪の華」を入れた。

そして、歌わずに、ただ二人で歌詞を読んだ。

夫は、全く同じ箇所で、泣いた。


わたしは、この時に、
ああ、わたしはこの人に対して、ちゃんと愛情を持てている、
と、はじめて理解したのだった。

その後、結婚を決心した。


結婚してから、うまくいかないことのほうが多くて、
今は別居婚だけれど、
わたしは、夫のことが好きだ。
シラフのときなら、話しててとても楽しい。

今夜も、いろいろ一緒に歌を聴いていて、
歳の差が6歳以上あるので、
ピークは違うけれど、
好きな歌の傾向は似ていて、
楽しかった。

こんな生活形式で、夫は不満だろうけど、
わたしは、夫と結婚して幸せだ。

だから、逆に今でも、
「雪の華」が唄えないのだ。

苦しかったわたしを救い上げてくれた夫。
ただ、わたしが甘えるだけではなく、
人として、尊敬もできるし、愛情も持っている。

その思いが込み上げて、
今夜もまた、
歌えなかった。
「雪の華」。

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歌が好き。

わたしは誰に似たのか、
とても歌が好きだ。

聴くこともだし、
自分で唄うことも大好きだ。

小学生の時からずっと、合唱をやっていた。
ハモれると、最高に気持ちいい。

わたしが自宅で粘土の教室をやっていた頃、
集まった人たちが、どういうわけか、みんな、
カラオケが大好きだった。

だからお教室に関係なく、よく一緒にカラオケに行った。

最高で、6時間唄いっぱなしって経験もある。
唄うことが大好きなのだ。

ジャンルは多岐にわたる。
宇多田ヒカルから美空ひばりまで歌う。

息子が高校生の時に出来た、
先生と親との親しいグループでも、
飲んだあとはいつもカラオケに行った。
楽しいグループだった。


少女のころ聴いていた洋楽も、
今あらためて聴いてみてる。
いつまで経っても、いいものは変わらない。
歌は変わらない強さを持っている。

匂いで、その時のことを思い出すと同じように、
歌も、聴いていた当時の自分をとてもくっきりと思い出す。


人は多分、17歳くらいから、20歳くらいまでに聴いていた歌を、
一生唄うような気がする。

息子は、歌がうまいらしい。
お嫁ちゃんがそう言っていた。
親子でカラオケに行ったことはないから、
死ぬまでに、息子の歌を一度聴いてみたいな。


今の住まいは、アパートと呼んでいるけれど、
一階にひと家族、
二階にわたしが住んでいる。
最小単位の、たった二戸のアパートだ。
だから、隣の人とか、上の人とか、いないので、
夜中に音楽をかけて、唄うこともある。

今夜は、マイケル・ジャクソンのベストを聴いている。
日本のファンの投票で選ばれた楽曲が詰まっている。
わたしが19~22歳くらいの時に聴いていた懐かしい曲。

マイケルは、白人にならなくても良かったのに。
鼻をすこしいじって、すらっと痩せてた頃が一番カッコ良かったのに。
早く亡くなってしまって惜しいことだ。


今日はムギとうまく行かなかった。
夕方、ムギを膝に乗せている時に、
わたしの手がすべって、携帯をムギの頭の上に落としてしまった。
コツンと音がしたから、きっと相当痛かっただろう。
逃げ出して、戻って来てくれなかった。

夜中に会いに行った時は、小屋から出てきてくれず。
でも、湯たんぽを温めて入れ直したかったので、
無理矢理湯たんぽを取ったら、
出て行ってしまって、戻って来なかった。

抱っこして、また色々話そうと思ってたのにな。

明日は会えるかな。

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抱きしめたい!

夫が出張の前乗りで、日曜日から出かけた。
よって、ムギのお世話はわたしがやる。

起きるのが遅いので忙しい。
ちまの世話をして、
自分もパンを食べて、
冬装束にして、ムギのところに行く。

ムギは、5分10分で終われる猫じゃないから、
30~40分一緒に過ごす前提で行くのだ。

ムギは、待っている。
待っているその姿を見ると、たまらなく切なくなる。

ノラにされたのに、ちゃんとガレージに居る。
夫かわたしが行くのを、待っている。
小屋の中に居るならまだしも、
小屋の前で寒いのに待ってるけなげな姿を見ると、
たまらない。

抱きしめてやりたい。

でも、ぎゅうってすると猫は嫌がるから、やらない。
膝に上ってくるのを待って、フリースを体に掛けてやって、
ただ、くっついて、一緒に過ごす。
ムギは何も要求しない。
ただ、わたしとはくっついて居られればいいようだ。

アパートに戻ると、今度はちまが待っている。
手を石鹸で丁寧に洗い、玄関先で着替えて、
ちまのもとに戻る。
でもちまは、くんくん嗅ぐ。
ムギの存在を匂いで感じ取っている。

だから、ちまは抱っこさせてくれない。
たまに飛びついて来ても、数分で降りてしまう。

待っている存在というのは、何とも切ない。


息子が幼稚園に入った時から働き始めて、
毎日毎日、息子を待たせる立場になった。
一分でも早く、と自転車を飛ばして迎えに行くが、
もう誰も居なくなった園庭のベンチで、息子は一人でぽつんと待っていた。

小学生になって学童に入れたが、
待たせてしまうことも多かった。
息子はいつも、静かに、漫画を読んで待っていた。

夕刻になると気が急くのは、
このときの気持ちが今も消えないからだ。
息子が一人で待っている、早く帰らなくちゃ、と、
陽が沈み始めると焦る。

貧乏だったから、働くしかなかったけれど、
来世でもしまた息子に恵まれたら、
今度は、待たせたくない。

子育ては、一生続く。
だから、今からでも、巻き返せる。

だけど、小さかった頃のあの切なさを含んだ可愛らしさは、
取り戻せない。

息子がたどたどしく、
「抱っこしてちょうーらい。」と求めてきたら、
いつも手を止めて、抱きしめた。

数分で息子は落ち着いて、
離れてまた一人遊びをする。


息子が小学生の時に、約束したことがある。
「今はまだ、ママのほうが大きいから抱っこしてあげるけど、キミがママより大きくなったら、その時にはママを抱っこしてね。」
うん、いいよ、とその時は言っていたが、
わたしを追い越した頃には、思春期に入っており、
抱きしめてくれるわけがなかった。

息子のことが、恋しい。
抱きしめたい。

スキンシップは惜しまずやって来たとは思うが、
こうしてすっかり大人になってしまうと、
もっともっと、
抱きしめておけば良かったと悔いる。


息子のことが、大好きだ。
抱きしめたい。

同じものを食べて美味しいと言い合い、
テレビを一緒に見て同じタイミングで笑い、
同じ音楽を共有した、
あの暮らしが、とても懐かしい。


いま、小さいお子さんを育てている方が、
もしこれを読んでいたら、
お願いしたい。
いっぱい、抱っこしてあげて欲しい。

いつまでも、「抱っこして。」とは言ってはくれないのだ。
長い人生の、ほんの4分の1くらいしか、一緒には暮らせないのだ。

だから、「忙しい」とか、「あとで」とか言わないで、
ぜひ手を休めて、
座って、抱きとめてあげて欲しい。

受け止めてくれる人がいると思うだけで、
子供はきっと真っ当に育つ。

逃げ場を持たなかったわたしからの、
心からのお願いだ。

可能なうちに、
いっぱい、
抱きしめてやってください。

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寒さに備えて。

いよいよ寒くなってきた。
今日からムギの小屋に、湯たんぽを入れた。
レンジで5分温めて、袋に入れるタイプで、
10時間の効果がある。

材質が固いので、ベッドの真ん中に置いたら寝心地が悪いだろうと思い、
奥に置いて、畳んだタオルで高さを調整し、
上にまたタオルとフリースを敷いて、冬のベッド完成。

電源があれば、ホットマットがあるのでそれを敷いてやれるのだが、
とりあえず今のところはこれで行く。

昼間、ムギが小屋に居たので抱っこして過ごした。
30分でも40分でも、ずっと膝の上に乗っている。
キリがない。

夕飯は、夫が手巻き寿司の用意をしてくれた。
なので、夕方ムギを構ってる時間がなくて、
アパートに来た。

食べて、飲んで、喋って、
夜遅くに帰って、ムギを見たら、
作ってあげた床の上に、わざわざウンチがしてあったそうだ。

ムギ、怒ったんだね。
パパ居るのに、遊んでくれない!って。
ちまのところに行っちゃった!って、怒ったんだね。

ムギは自分だけを見てて欲しい猫だ。
だから、ちまとはうまくやれなかった。

今、ムギが快適に過ごせるように、
夫と一緒にいろいろ考えている。
ムギが部屋に居るときは、
危険は少なかったが、
なんだか幽閉しているような気分がして、
いつもかも、ムギに対して申し訳なかった。

今、外に出してしまって、更に申し訳ないのだが、
ムギを見ていると、好きな時間に好きなところへ出かけて、
寒くなったら帰って来て、
お腹がすけばちゃんと餌もあるし、清潔な水も飲めるし、
勝手な思い込みかもしれないが、
いい表情をしている気がする。

部屋に閉じ込めている時は、
なんだか、じっとりとした顔をしていたから。

もちろん、家猫であったほうが、圧倒的に安全だ。

でも、ムギがノラだったのには、理由があるように思う。
欠損している後ろ足は、多分事故か何かによるもので、
ちゃんと治療がなされているそうだ。


寒くなってきたせいか、
わたしは、指の痛みが強くなっている。
我慢できないほどではないが、
我慢する必要もないので、
わざと、痛たたた…と、声に出してみる。

今年から、ムギの面倒を外で見る、という設定で、
防寒具を色々買い揃えた。
人間も、ムギも、寒さにやられないように、
気をつけて可愛がる。

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