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2015年10月

どうしてもしんどい。

肝臓の数値がマジでヤバイので、
リウマチの薬を一錠減らし、
アレルギーの薬をやめた。

残念だが、現状の週5錠では、
指の関節が痛む。

アレルギーの薬をやめたので、
あちこち痒い。

だけど、もう、薬は増やしたくないなあ。

リウマチの薬を飲む日は、どうしてもだるい。
気合が入らない。


金曜、夫が出張で留守だったので、
起きてからムギを見に行った。
いつもなら早朝に餌をもらえるのに、
わたしがあげられるのは午後だから、
お皿は空っぽで、
ムギも留守だった。

ムギー!
と大声で二回呼んで、座布団に座って待っていたら、
ムギが帰って来てくれた。

嬉しい!

すぐにくっついてきて甘える。
ムギは、餌よりも、触れ合い重視なのだ。
充分にスキンシップをして、安心すると、
餌を食べ始める。
手から食べるのも好きだ。

結局、小一時間一緒に過ごした。
ムギ、寂しいんだね。
膝の上に乗せて、毛布をかけて、ただ、二人でぼーっとした。

ちまに申し訳ないので、
玄関で服を着替えて部屋に入る。
手を入念に洗う。
「ムギ臭い。」と思ってはいるだろうが、
せめてもの気遣いだ。

夫は早く帰って来た。
いつものように、6時前に夕飯を持って行ったら、
お姑さんが、何故だか一皿作ってあった。

まあ、わたしが作ったものとかぶらなかったので良かったが、
書斎にいた夫に、
「おかあさん、なにか料理作ってあったよ。」と伝えると、
ええ~、と嫌な顔をした。

自分も夕飯を食べて、テレビを見ていたのだが、
もうだるくてだるくて、
テレビを消して、少し寝ることにした。
見たいテレビが深夜にあったので、アラームをかけた。

すぐに寝入ったのだが、
お腹の空いたちまにばりばりと起こされて、
「眠いのよ~!」とわめいてしまった。

わたしって、
自分のしてることを中断させられるのが、異常に嫌いなのだ。
特に、睡眠を妨げられるとすごく機嫌が悪い。

かわいいちまちゃんなのに、
もう~!って、怒ってしまった。

未熟だなあ、わたし。
ちっとも変わってないじゃんね。
保育園児のころ、お絵かきが楽しくて、中断できなくて、
おもらししてたっけな。

とにかく、だるくてだるくて、なかなか起きられなかった。

リウマチの薬、週に5錠では、正直不足なんだと思う。
でも、これくらいの痛みなら、何とか耐えられる。
じゃんけんでグーを出せないくらいのことだ。

だから薬は増やしたくない。


来週は、夫が続けて出張だから、
ムギのケアをちゃんとしないと。
寒くなる予報なので、寒さ対策が必要。
レンジで温めるタイプの湯たんぽがあるので、
それを夕方小屋に入れてやろうと思う。

ちまが焼きもち焼かないように、気をつけなくちゃ。
かわいいお姫さま。

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きょうだいって、何なの?

息子たちは、多分一人しか子供を持たないだろう。
そんな気がする。

だって、一人っ子同士の結婚だもの。
兄弟を知らない相手同士。
兄弟の必要性が、わからないと思う。

3人育てて初めて子育てを理解できるとか言うけど、
それは兄弟の良さを知っているからそう言えるのであって、
知らない人に、響く言葉ではない。


夫は自分が三人兄弟の末っ子で、
先妻さんもやはり、そうだった。
末っ子どうしの結婚。
だから、子供を3人持つ、ということは、ごく当たり前だったという。

わたしの父は4人兄弟だが、
母は、9人兄弟だ。
そのうち、女は4人で、母が次女。

時々電話したり、荷物のやり取りをしたり、
病気の時には看病もしくは見舞いに来たり、
会いたがっている姿を見ている。

でも、母は、自分の姉妹のことですら、
わたしに悪口を言う。

なんで?
わたしには皆目わからない感情。

母はとにかく自分が基準の人なので、
自分以下と思う相手を、容赦なく非難する。
そこには自分の妹も含まれる。

わたしはこんなにやってるのに、あの子はなにも出来ないとか、
わたしが言わないと何もやれないとか、言う。

でも叔母は、母の影で、ずいぶん地味に助けてくれてたよ?
ごぼうの千切りとか、人参のササガキだとか、
食器洗いとか、地味で面倒なことは全部やらせて、
喝采を浴びるのはいつも母のみだ。

母の基準は、間違っている。

自分より出来ない人を、あからさまに、見下している。
面倒な部分を押し付けてる事実は隠して、
自分だけライトを浴びる。
自分は優しかったとか言い張る。

それは全く平等ではない。

自分が苦手なところをお互い補い合って、
いろんな人が力を出し合うのが、平等ではないか。


わたしは、夫の長女に聞いてみたことがある。
次女ちゃんは、家事ができない。
やろうともしない。
何かを話し合って決めるったって、
わたしが根回しして、まず長女に音頭を取らせて、
子供たちを動かさなくてはならない。

次女ちゃんのことを、長女は日ごろどう捉えているのか、
教えてもらった。
これは、わたしに姉妹がいないからわからないから、教えてもらったのだ。

すると、長女が言うには、
だって、彼女は、二歳も年が下の妹だから、
出来なくても別に構わない、と言ったのだ。

なんという潔い答えだろう。

この話をわたしの母に聞かせてやりたいよ。

妹は一生妹なんだから、お姉ちゃんに甘えててもいいんだね?

この答えには衝撃が走った。
長女ちゃん、素晴らしいな。
わたしは、ひょっとして、
「わたしばっかり大変。」と思ってるのではないか、心配だったのだ。

そうか、姉妹って、本当はこっちが正解なのか。
もちろん、家庭によって様々だとは思うが、
だって妹だからいいの、という、簡潔な答えに、
わたしは限りない家族愛というものを見せてもらった。


一人っ子には、話し相手がいない。
親は、圧倒的権力を持った岩盤である。
ふざけてたつもりが、マジ切れされて、
蹴られたこともある。
遊び相手が居ない。

だから、ゴンの存在は、わたしの唯一無二の救いだったのだ。

初めて、自分と同等の、仲間が出来たのだから。
ゴンだけが、わたしの救いだったのに、
あっけなく死んでしまって、
更には埋めに行くのにも連れて行ってもらえず無視されて、
わたしはやはり、一生恨み続ける。



夜、ガレージに行くと、ムギが小屋に入っている。
座布団に座って呼ぶと、出てきて、膝に登ってきてくれる。

ムギを抱きながら、わたしはゴンのことを思う。
まだ、悲しい。
40年経っても、まだ泣ける。

冬の夜に、外に出て、縁側に座って、
ゴンを膝に抱きながら、星を見上げて過ごしたっけ。
天の川も、星座たちも、そりゃあ綺麗に見られたよ。

ゴンだけがわたしの味方だった。
ゴンだけが、わたしの同胞だった。


兄弟がいることのメリットは、わたしにはわからない。
でも、兄がいてくれたら、とよく思った。
自分に向けられる視線が分散してくれたら、と思った。
背負っているものが重たすぎた。

親が年老いてきた時に、
やはり兄弟はいたほうがいいのかもしれない。

でも、理解を超えているので、
わたしは息子夫婦に、何人か産んだら、なんて、気軽には言わない。
一人でも恵まれたらそれでいいんじゃないかと思う。

わたしの周りには、
気持ちの綺麗な人がいっぱい居る。
それに、かわいすぎるちまちゃんと、
けなげすぎるムギがいる。

大事に生きて行こう。

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境界線が大切。

わたしの母は、
わたしをけなしたりさげすんだりするのに、
過干渉でもあった。

引き出しは全部勝手に見られていた。
でも、他の家庭の母親を知らないので、
仕方ないのかと思っていた。

高校生の時に家を建て替えて、
二階建てになり、わたしには8畳の洋間が与えられた。

その部屋に、ベランダが付いていたので、
父はいつも気を遣いながら布団を持ってやってきたが、
母はお構いなしにいきなりドアを開ける。

ノックしてよ、と言い、
ノックしてください、と張り紙をしても、
コン、ガチャ! と開ける。
何の意味もない。

このプライバシーの無さが、すごくすごく嫌だった。

本気で家出を考えたことあった。


わたしは、人との距離感が、うまく掴めない。
だからいっぱい失敗をした。
手痛かったのは、幼稚園のママ友時代だ。

その相手は、
思ったことをそのまま平気で口にするし、
けなすし、子育てに口を挟んでくるし、
電話していても、ちょっと気に入らないとガチャンと切るし、
わたしは完全に人間不信になって、
その後一年、ママさんの誰とも口を聞けなくなった。


人と深く関わりすぎると、必ず、失敗をする。

それは、自分の失敗なのかどうかは明確ではないが、
垣根を越えて、ズカズカと入り込んで来られるようになると、
わたしは固いバリアを張ってしまう。

これ以上は来ないで!

そう感じて体も心も拒否体勢になるのだ。


わたしは、もともとあまり人のことに興味がない。
だから、夫の引き出しが見てみたいと思ったこともない。
留守中に、夫の書斎に入ることもない。

息子とは、信頼関係があって、
お互いに絶対に見ない、という信頼があったから、
携帯も、財布も、隠したことは無かった。
わたしと息子は、
人と人としても、気が合ったのだ。

同じ音楽を聴いて、同じ本を読んだ。

一緒に暮らしてる時、
同じタイミングで笑って、
幸せだった。


人との距離は本当に難しい。
本音で付き合える人って少ない。
わたしに至っては、実の母親とうまくやれない。

もう、関係を再構築する気はない。
最近、「私は私・母は母」という本を二度目読んでみた。

世の中には、困った母親と、
それに苦しみながらも捨てることができず、
耐えている娘が多い。

母親にその自覚がないので、
治してもらうことは不可能なのだ。

だから全力で逃げる。

情けない人生だけれど、逃げる。
距離を保たないと、潰れてしまう。

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うんざりする過去。

普段、わたしは嫌な記憶にはフタをしているので、
このごろはあまり鬱にはならない。

でも、ちょっと思い出すと、
恨みがましい気分が込み上げてきてしまう。
ああ、浄化することは無理なんだ、と思う。


土曜日に、息子たちと飲んでた時、
東京に出てきた時のわたしたちの貧乏具合を、
お嫁ちゃんに明るく話してみた。

給料の手取り額が月11万で、
そこから前夫はタバコ代・昼食代・飲み代として、
4万持って行く。
残された7万で、水道光熱費を払い、
新聞代、NHK代、前夫のビール代を払うと、
4万ちょっとしか残らない。

それで暮らさなければならなかったのだ。

お嫁ちゃんは、その金額に、
えええ~っ!とびっくりしていた。


前夫の家は農家だったが、
転勤が決まった時、姑は、
「あ~あ、東京に行ったらお米も買わなあかんから大変やなあ。」と言った。

びっくりした前夫が、米だけは頼むよ、と言って、
何とか米だけ送ってもらっていたのだ。

しかし、意地の悪い、頭の悪い、姑だった。

輪をかけて、前夫も、酷いヤツだった。
息子が肺炎で死ぬかもしれないという入院に、
付き添ってくれと頼んだら、
「なんでワシが行かなあかんのや!」
と言いやがった。

それまで、いっぱい、いろいろ耐えてきたが、
この一言が決定打となって、
わたしは密かに離婚を決意した。
こんな父親なら、いっそ居ないほうが幸せだ。


息子を授かるためだけの結婚とはいえ、
希望のない、苦しい結婚生活だった。
だから東京に出てこれた時、
わたしはこれがチャンスだと思ったのだ。

なぜなら、新婚当時、田舎で同居していたわたしが、
愚痴をこぼすと、
前夫は、聞いたりとりなしたりしてくれるどころか、
「同居が嫌なら出て行け!」
と言ったのだ。

だから、それを粛々と実行するのみ。

もう恨むのはやめようと思うのだが、
つい、思い出してしまった。


久しぶりに息子たちに会って、
その所作をつぶさに眺めたけれど、
二人とも、実によくできている。

トイレお借りします、といい、自分のハンカチで手を拭き、
アパートではお茶を出しただけなのに、
「お茶ご馳走様でした。」と言う。

居酒屋を出る時には、ざっと食器をまとめ、
椅子をきちんとテーブルの下にしまってから通路に出る。

しぐさに品があって、大変喜ばしい。

翌日には二人それぞれから、
ちゃんと夫にお礼のメールが届いている。

当たり前っちゃ~当たり前のことばかりかもしれないが、
そういう「品」を持ってなかった人と結婚していたので、
二人の所作に、なんだか見とれてしまう。


前夫のことも、前姑のことも、
離婚した後のわたしの生き方も、
わたしにとっては、辛い過去だ。

しかも、自分で選んだことなので、
嫌な出来事や、自分の愚かさや、
言われた酷い言葉を反芻すると、
なんだかうんざりする。

もういい加減、前だけ見て歩こうよ。

わたしの母は、60年分の愚痴と悪口をあんなに言い続けて、
今、ほんとうに幸せなのだろうか?

もう母は、気がつかないまま、死ぬのだろうか。
わたしは、黙って世話を出来るだろうか。


とにかく今は、体調を崩さずに、出来ることをコツコツやりましょう。

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子に恵まれる奇跡。

わたしは結婚してすぐに息子を授かった。
でも、それは、必然があったから。
息子を授かるための結婚でしかなくて、
前夫とは縁がないと言われた。

今は亡くなってしまったが、
わたしを可愛がってくれていた伯母に、離婚したいんだと話したら、
それは辛いね、別れていいよ、泣きなさい、と
泣かせてくれた。

その上で、
誰の子でも自分の子は可愛いから、
離婚までにまだ間があるのなら、
もう一人産んだら、と言っていた。

わたしはもう夫婦生活が嫌だったので、
それは実現しなかったが、
実の母に話せないことを伯母に聞いてもらい、
いいよ、別れなさい、と言ってもらえたこと、
忘れない。


息子は、病弱で、心も繊細で、
ガラス細工のように扱わなければならない子だった。

よく笑い、よく泣く子だった。
わたしが泣いていると、一緒に泣いてくれた。

そんな息子に恵まれて、わたしは幸せものだ。


土曜日、お嫁ちゃんがトイレに行った隙に、
父親と連絡は取ってるのかと息子に尋ねた。
すると、自分からは一切しないが、
お盆前に電話があって、来ないかと言われたそうだ。

お盆にはもう帰れないのだと伝えたそうだが、(会社の都合)
いいかげん諦めて欲しいよ、と言っていた。

息子は、気持ちの中では、
父親と縁を切ったのだ。
だからもう、関わりたくないのだ。

田舎で生まれて東京に来たことは内緒なんだと言っていた。
自分のプロフィールから消した過去なのだそうだ。

前夫だって、すごくいい人と再婚できて、
子供にも恵まれて、幸せなはずだ。
ただ、田舎なので、男の子に恵まれなかったことが、
堪えているみたいだ。

あの、「家を継ぐ」って風習、
わたしには理解しがたい。

不謹慎だが、
わたしはお仏壇や、お墓の大切さも、理解できない。
両親が死んだあと、いったいどうすればいいのか困る。

息子には決して引き継がせたくないから、
わたしの代で、ないものにしてしまいたいのだが、
何をどうするったって、
全部、夫の厄介になるしかないのだ。

これは申し訳ない。

親には、生きてるうちに少し整理してくれと頼んだのだが、
それをしていると、悲しくなるので、
死んでから業者に頼んでくれと言うし。


わたしは、息子には絶対に迷惑をかけたくない。
長生きして、頭だけボケて、疎ましがられるようにはなりたくない。
そんなことなら、70歳くらいまで生きられれば充分だ。

息子は、自分の力で、強さを身につけ、
自分の力で、出会ったご縁を引き寄せて結婚し、
自分の力で、マンションを買った。

その人生の、邪魔をしたくないと思う。

息子は羽ばたいて行ったのだから、
迷惑を掛けたくないよ。

あんないい息子に育ってくれて、
わたしみたいな母親なのに、これは奇跡だ。

息子夫婦が、どうか生涯別れることなく、
幸せに生きて行ってくれますようにと、
ただそれを願う。

でも、
とっても会いたいから、
お嫁ちゃんに、また会ってねと何回も言っちゃった。

ただ、時々会えるだけでいいんだ。
それですごく嬉しいんだ。


わたしの母は、母の日の物品を常に要求していたけれど、
一度も喜んではくれなかった。
捨てられたことも、返されたこともある。
再婚して、夫が鉢植えの花を贈るようになって、
初めて喜んだ。

わたしは、なーんにも要らない。
息子夫婦が、健康で、幸せで、
仲良く生きて行ってくれたらそれで充分。

恵まれたことが奇跡なのだから。

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しあわせすぎて腑抜けになる。

土曜日、息子たち夫婦がやって来た。
6月に会って以来だから、すごくすごく久しぶり。
駅まで迎えに行った。

午前中に用事が出来たと言っていたのだが、
二人とも、ジャケットを着て革靴を履いていた。
聞いたら、司法書士さんのところに行っていたという。

そう、二人は突然マンションを購入して、
年内にはそのマンションに引っ越すのだ。


家に着いて、まずはムギの居場所を見学。
ムギは出払っていて留守だったが、
ガレージの奥に、立派なリビングがあるのを見てもらった。

それからアパートに来て、
ちまちゃんとの再会。

ちまは、天使ちゃんだが、
猫としての見た目は、特別可愛いわけではない。
でもお嫁ちゃんは、
「可愛い、可愛い、可愛い、可愛い。」と、
壊れたオルゴールみたいに繰り返しては、
ちまを撫でてくれた。

ちまは人好きで、フレンドリーな猫なので、
誰誰? なになに? とテーブルに登ってきて、
愛想を振りまいた。

ちまが居ると場が華やぐ。

お土産で持ってきてくれた、卵の殻に入ったプリンをいただきながら、
積もりに積もったお話し全開。

夏に広島に一泊で行ったそうで、
お土産をくれた。
宮島で、オジサンに写真を撮ってもらったら、
それを専門に?している名物オジサンだったようで、
ポーズだの構図だの変えながら何枚も撮ってくれたそうだ。

「きょうだい?」と聞かれたという。
そう、息子とお嫁ちゃんは、よく似ている。

それから、
マンションを購入することになった話を聞いた。

やはり二人とも、買うのは何年か先、と考えていたようだ。
今の住まいでも、子供部屋に当てられる部屋はあるし、
まさかこんな急に買うとは思っていなかったそうだ。

でも、いずれは買うからと、とある内覧会を見に行ったら、
室内の説明よりもローンの話ばかりされて、
3時間も拘束されてしまってすっかり気分を害したのだそうだ。

そんな愚痴を、お嫁ちゃんが自分のお母さんに話したら、
こんなチラシが入ってたわよ、と、
実家の近所のマンションの間取り図を見せられ、
何だか気になったので、行ってみたら、
すごく気に入ってしまったのだって。

だから、たった一時間で、契約しちゃったんだって。

15階建て、555室ある、大型マンションだ。
築7年で、コンシェルジュも在沖する、立派なマンション。

資料を持ってきてくれたので、ゆっくり見せてもらった。
住むのは、13階で、3LDK。

今の住まいだって、お嫁ちゃんはまだ一年ちょっとしか住んでないので、
自分たちでも、事の成り行きに、びっくりしてるそうだ。

お嫁ちゃんの実家のすぐ近所で、
建物が見えると言っていた。


いろんなことを一杯話して、
夕方からは、隣町の、カジュアルな割烹に移動した。

お刺身やらカマ焼きやら茸天ぷらやら色々頼み、
夫と息子は、二人で日本酒を酌み交わしていた。

息子の小さい時の話をいっぱいしてあげた。
究極の貧乏生活の話も楽しく聞かせてあげた。

すると息子が、
貧乏暮らしが、すごく役に立っていると言ってくれた。

安い食材で料理を作る手立てだとか、
何を我慢してどこにお金をかけるのかとか、
そういったことに、ちゃんと役立ってると言った。

マンションは、35年ローンだそうで、
二人で頑張って働こうね、とお嫁ちゃんは言っていた。
お小遣い制になり、節約モードが開始になっているそうだ。

楽しい時間はさらさらと過ぎていってしまう。
時間が止まればいいのに!って思う。
息子に触りたい。
髪を撫でたい。
でもじっと我慢。


11月末には引越しするそうで、
年内はもう会えないと言われた。

本当なら、わたしが帰省しれば、
また大晦日を一緒に過ごせて幸せなんだろうけれど、
わたしは帰らないから、
息子たちに会えるのは、年が明けてからか…。

お嫁ちゃんに、
「子供を育てて、子供を手放さないと、きっとわからないと思うんだけど、会いたいのよ。プレゼントなんて何にも要らないから、また会える機会を作ってね。」
とお願いしてしまった。

わたしにとって、息子たちに会えることが、
一番幸せなんだもの。


息子たちを駅に送って、歩いて帰る道すがら、
夫と色々話した。

息子に、引越し祝いを出してくれるという。
いくらぐらいがいいかな?と聞かれたので、
思い切って、10万お願いできたら…と答えた。

そしたら、夫は、もっと沢山してあげると言ってくれた。

わたしは感激して、思わず泣いた。

子供に、してやれない悲しさは、わたしはもう嫌と言うほど味わっている。
食べたいものも買ってやれず、
旅行にも連れて行ってやれず、
ずいぶんと我慢をさせた。

先ほど、生うにを頼んで、出てきたが、
わたしは、もちろん自分も大好きだけれど、
息子が食べている姿を見られるだけで、幸せだったから、
ずっと顔を見てた。

結婚の時に、
わたしは持っていたお金を全部息子にあげたので、
もう何も買ってやれない。

だから夫が、お祝いを出してくれると聞いて、
その気持ちに感激したのだ。


夫にはこの先、親のことでいっぱい迷惑かけちゃうのに、
息子にしてくれるということが、嬉しかった。
本当にありがたい。

結婚式の時、息子が自分の父親を精神的に切って、
夫を頼ったのも正しい。


帰って来て、夫が飲みに来るのかとしばらく待っていたが、
来ないので、
わたしももうなんだか、抜け殻になってしまって、
夕べは11時に寝た。

ずーっと楽しみにしてたイベントが終わってしまったので、
腑抜けになってしまったのだ。

夜中一度起きてちまに餌をやり、
そのあとまた眠って、
日曜の午後3時まで、延々と眠った。


楽しかったなあ。
また会いたいなあ。
幸せだったなあ。

可愛い、いとおしい、息子とお嫁ちゃん。
わたしのたからもの。

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子に会える喜び。

子どもは、もう、中学生くらいになれば、
親のことなんて、日常、あまり思い出さない。
でも、お弁当を開く時って、
作った母親のことを、思い出すのでは?と思い、
高校生になった息子に質問してみた。

すると、日中は母親のことなんて忘れてるが、
お弁当を開く時だけは、思う、と答えが帰って来た。

冷凍食品も使った、決して自慢できるお弁当ではなかったが、
思い出してくれるならと、
毎朝作った。
貧乏なりにいろいろ工夫した。


息子が最初の会社に入って、
二年ぐらい経って、
夜勤が増えだした。

日曜の夜7時に出かける息子を見送るのは、
なんとも切なかった。

あるとき、息子がふっと、
「あ~、弁当食べたいな~。」と言った。
わたしが作るお弁当が食べたいと言うのだ。

夜勤で、精神的に疲れて来ていたのだと思う。

わたしは、夜勤明けで息子が食べられるように、
お弁当を作るようになった。

昼過ぎに起きてきて、
ぼーっとしたまま、それを食べる。

やがて勤務が夜勤ばかりになって、
息子は体調を崩した。

白髪が増え、
ひどいめまいで、大学病院に連れていったこともある。

夜勤は、人を蝕むのだ。

わたしは父が三交替勤務だったから、
夜勤の時の不機嫌さは知っている。
思うように寝られないのだ。
わたしも母も、息をひそめて夜勤の一週間を暮らした。

やがて息子は転職して、
夜勤からは解放された。

でも、腸が弱くて、ストレスがたまると、
腸炎を起こす。
本気で救急車を呼ぼうかと思ったこともあるそうだ。

ごめん、健康に産んであげられなくて。


でも今は、仕事で疲れても、
帰ればお嫁ちゃんが居てくれるから、
きっと幸せだろう。

土曜日、久しぶりに息子たちに会える。
すごく嬉しくて、
すごく楽しみ。

親とも、子供たちとも、一緒に暮らせている夫には、
きっとこの気持ち、わからないだろうと思う。

子供に会えるのは、嬉しいんだよ。
楽しみなんだよ。


わたしは、最初に結婚してからずっと、
お正月には帰省してきた。

再婚してから何年目かに、
ものすごいお腹の壊し方をして、
大晦日に帰省できなくなった。

すると、先に帰省していた息子からメールがあった。

「おばあちゃん泣いてたから、また機会作って来てあげたら。」
そう書いてあった。

それでお正月の二日に、何とか帰省したのだ。
何ヶ月も楽しみに待ってるのに、
行けないと連絡が来て、涙する気持ちはよくわかる。
わたしだって、明日息子に会えなかったら泣いてしまう。

母は、そんなにわたしに会いたかったのなら、
なんであんなに人の悪口や、自分の自慢話ばかりしたのかなあ。
それが毒であること、
本人は、今もまだ、気づいていない。

可哀相に。
毒を吐き続けた結果、
因果が自分に回ってきたのだ。

母は確かに頑張った人なのだろうが、
それをあんなに自慢しては、
プラスマイナスゼロどころか、
逆にマイナスだ。

謙虚であり続けなければ、と心新たにする。
決して母のようにはなるまいと思う。


今日はいっぱい掃除をした。
息子たちに会えるのが、
本当に楽しみで仕方がない。
ありがたい。

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本当のムギの話。

実は、9月の連休の時に、
ムギを外にリリースした。

人として恥ずかしくて、
罪悪感がすごくて、
自分たちも苦しくて、
今まで、書けなかった。


連休の三日目、母屋に夕飯を運び、
夫の部屋に顔を出して、ゴハンできたよ、と言ったら、
夫が、
死んだ目をしていた。

そして、力なく、
「ムギをリリースする…。」
そう言った。

夫のその死んだ目は、
ムギをわたしの部屋に住まわせてしまった時の、
まさにわたしの目だった。
だから、すぐ理解ができた。

ムギは、強い猫だ。
気に食わないと、あからさまに、嫌がらせに、
絶対にされたくない箇所に、オシッコをたっぷりする。

わたしの部屋に居た時は、ちまをうらやんで、
どれだけやられたかわからない。
それを横目で見て、夫は「あ~あ、大変だねー。」と、
帰って行ったのだ。

しかしわたしが死んだ目になってムギをケージに閉じ込め、
うつ状態になったのを見かねて、
夫はムギを引き取ってくれた。

その英断で、わたしは少し楽になった。
でも、夫は猫アレルギーなのだ。
ムギと一緒の部屋で寝て、喘息を起こした。

それで、書斎の家具を動かして、自分は書斎で寝て、
ムギは広い和室に、一人でぽつんとしていた。
なんだか、ムギにも夫にも申し訳なくて、
ずっと苦しかった。

ムギは、夫が居ることを知って、なのに来てくれないとなると、
わざと畳や、ひどい時にはタンスの上にまで、オシッコをしたという。
わたしはそれまで、そんなに酷いとは知らされていなかった。

だから、リリースに、賛同した。

そして自分を激しく責めた。
あの時わたしさえ、我慢して、家に入れなかったら、
こんなことにならなかったのに!

結局誰一人として幸せになれなかったじゃないか。
わたしは自分の罪をあらためて呪った。
そして、ムギを抱きしめて号泣した。

次の日、夫が、心が痛んでまだ外に出せないとメールが来た。

わかる。わかるよ。
だってムギの可愛さは、わたしが一番良く知ってるもの。

でもね、世の中には、
どうしても、どちらかしか選べない場合というのがあるのだよ、と
夫に返事を返した。

翌朝、夫は、和室の窓から、
ムギを外に出した。
泣きながら、体を押した。
ムギはびっくりして、家に戻ろうとした。
でも、夫は泣きながら、窓を閉めた。

ムギは日中、鳴きながら家の周りに居たらしい。
でも、夜には居なくなって、夫はまた泣いていた。


ムギはもともとこの辺のノラだ。
土地勘があるし、仲間もいるだろうし、知恵もあるから、
生きていけるとは思う。

でも、捨てておいて勝手だけれど、
できれば、そばに居ついて欲しかった。

だから家の周り三箇所に、餌と水を置いた。
ムギは、それをちゃんと食べて、家の近所に潜んでいるようだった。

庭にいたり、隣の家のひさしにいたり、
エアコンの室外機にいたり、塀の上を歩いてたり、
そんなムギをたびたび見かけた。

ムギが室内で暮らしてる間、
ガレージには、小柄で変な柄の、コゲという猫がいて、
餌だけやっていた。

ある時、そのコゲを、ムギらしき猫が追いかけている姿を夫が見た。

その後、コゲはいなくなり、
ムギが、ガレージに居るようになった。

すぐにベッドを置いて、餌と水もガレージにだけ置くことにした。
なんとかムギが居ついてくれたらと心から願っていた。

ある時、夫が犬小屋の写真をメールしてきた。
これをガレージに置いたらどうだろうか、という。
手作りなので高額で、54,000円もした。
けれど、わたしは、これでムギが居てくれるのならいいじゃない!
そう答えて、すぐにわたしが申し込みをした。

手付金もすぐに振り込んだ。
半月ほどかかるらしい。

涼しくなってしまったので、
夫はムギのベッドをビールの箱の上に上げて、
周りを段ボールで囲った。

そうしたら、ムギは、ちゃんとそこに居るようになってくれた。

夜中にそーっと行って、ムギが居ると、
捨てられたのに恨みもせずに、ここに居てくれてると思うと、
けなげで、いじらしくて、
ムギを撫でながらやはり号泣した。

わたしたちは必死にムギの世話をした。
スキンシップもいっぱいした。
一旦ははずした首輪には、わたしの番号を書いて、
また首にはめた。


寒くなって来て、ムギが震えてるというので、
小屋の催促をした。
そしたら予定より三日も早く送ってもらえて、
すぐに夫は組み立てて、その中に、
使っているベッドを仕込んだ。

そしたら、ムギが、すぐに小屋に入ってくれたそうだ。
気にいってくれたのだ!
入り口が小さくて、ひさしが付いているので、
中は暗くて、まるで穴倉みたい。

窓も付いていて、夏場は開けることができる。

夫は更に、ガレージのコンクリートの上に、
床を作った。
プラスチック製だけれど、まるで室内みたいな雰囲気になって、
夫が床にあぐらをかいて座ると、
ムギが甘えて寄って来て、
家に居た時と同じように、膝に登ってくるようになったのだ。

ムギは、また、
うちの子になってくれた。
本当にけなげで、いじらしくて、可愛くて、
たまらない気分になる。

毎日会えるかどうかわからないハラハラ感があるので、
行って、ベッドに居てくれると、
ものすごい感謝の気持ちが湧き上がる。

わたしにも、登ってきて、抱っこされてくれるようになった。
嬉しくて嬉しくて、
ムギが飽きて、もういいよ、と離れるまで一緒に過ごす。


今日は、夕飯を持って行って、
さあムギちゃんとのラブラブタイム、と思ってドアを開けたら、
小屋は空っぽで、ムギは留守だった。

最初は、庭か物置の下にでも居るのかと思って、
小声で呼んでいたが、
居ないみたいなので、思い切って大声でムギー!と呼んだ。

それでも、いない。
不安になる。

しかたなく、床に座ってみんなへ夕飯のメニューのメールをしていたら、
キューンと鳴き声がして、
ムギが家の裏から現れた。

ムギー!
お帰りー!

すごく嬉しかった!
わたしの叫び声を聞いて、どこか遠征先から、帰って来てくれたのだ。

ムギは、すぐにわたしの膝によじ登ってきて、
そのまま抱っこさせてくれた。

幸せだ…。


本来なら、
一度保護して家に入れた猫を外に返すなんて、
良くない。
人として恥ずかしいと思う。
だから、ずっとこのブログでも、書くことが出来なかった。

もちろん、家の中で生きてたほうが、
安全だし、長生きもできると思う。
それを願ってムギを拾ったのだから。

でも、どうしても、どうしても、
みんなが幸せにはなれなかった。
辛くて悲しかった。
このまま飼う選択も、外に返す選択も、苦しかった。

熱心な保護・譲渡活動をしている方から見たら、
わたしたちの行動は、お怒りを買うかもしれない。

でも、わたしと夫は、
今やっと、ムギを心から愛している。
寒くないように、必死で工夫する。
安心して暮らせるよう、毎日毎日、ムギのことを考える。

ただ餌をやってるだけではない。
たまたま場所がガレージになっちゃったけれど、
それは、ムギがコゲを追い出して、
自分でチョイスしてくれた場所なのだ。

だから、ムギは、うちの子だ。
大事な飼い猫なのだ。

外でごめんね、ムギごめんね、と、毎日思うけれど、
ムギは半分野生に戻って、ネズミをハンティングしたりしてるし、
気分によって、居心地のいいところに出かけているようだ。

昔は、外飼いという飼い方があった。
それと同じと思って、自分たちを励まして、
一生懸命、ムギに尽くす。
大事にする。

何度も何度も泣きながら、選んだ道だけど、
ムギが、ガレージを、選んで勝ち取ってくれたのだ。
けなげだよ、ムギ。
ありがとうね、居てくれて。

ムギの存在に、心から感謝をする。

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週一日のフリーダム。

毎週、水曜日が来ることを楽しみにしている。
この日だけが、わたしの唯一のフリーな日なのだ。

一週置きにカウンセリングが入っているし、
リウマチ内科もたまたま水曜日なんだけど、
カウンセリングでは発散できるし、
行き先が都会なので、いろいろ見て回れる。
お弁当も選び放題。

リウマチ内科の日は、午前中に起きているので、
午後、お昼寝をしてまったりする。

何も予定のない水曜日なら、映画に行く。

誰にも、何にも縛られず、
気ままにできるこの日が週に一日あるだけで、
他を頑張れる。

だから、水曜日は誰とも接触したくない。
一人であることを、満喫したいのだ。
もちろん、ねこたちの世話はするけれど。


土曜日に息子たちと会えると思うと、
本当に嬉しい。
同じ東京に住んでるのだから、
欲を言えばもっと会ってくれてもいいじゃないか~と思うのだが、
親が恋しがるほど、子どもは親のことなど考えていないので、
これは仕方がない。

わたしがこれほどに、息子たちに会いたいのだから、
母も、わたしに会いたかっただろうと推測する。

でも、あの人は完全に踏み外した。
親として、間違えた。
だから、わたしは心を鬼にして、自分の精神を守るしかない。


干渉されるのが、嫌いだ。
だから自分でできることは、なるべく自分で頑張らないと。

部屋の掃除も、自分で出来るようになった。
以前は夫が日曜日とかに掃除機をかけてくれてたのだ。
それはありがたかったが、
同時に、苦しくもあった。
だから今、料理も出来て、掃除も出来ることが、
自分でも誇らしい。


今日はカウンセリングに行って、思い切り喋って来た。
帰りにロフトに行って、来年の手帳を買った。
伊東屋に行って、カレンダーのことを尋ねたら、
フェアは、来月中旬からだという。

お弁当を買って帰って来て、
お風呂に入って、お風呂の掃除もした。
明日はまた洗濯をしないと。

たまに人が家に来るっていいね。
普段やらないようなところを掃除するから。

お嫁ちゃんは、またちまちゃんと遊ぶのが楽しみです、
とメールに返事をくれた。
ちまはフレンドリーな猫なので、
こんなとき、とても場が華やぐ。

ちまは天使ちゃんだね。

夜、ムギに会いに行くと、
男の子なのに、
キューンと高い声で鳴いて、寄って来てくれる。
可愛い。

ムギが飽きるまで、くっついて、撫でて、喋っている。
30分くらいすると、もういいよ、と言うように、
ムギは離れる。

さて、また次の水曜日まで、頑張りましょう。

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しつけは二人分。

前の夫は、決して悪人ではなかった。
ただ、いい人でもなかった。

離婚の原因だって、一方的に向こうが悪かったわけではない。
わたしは、ただひたすらに、
自由が欲しかった。
東京での暮らしを、手放したくなかったのだ。


前夫は兼業農家の長男で、
家を継ぐ、と本人が言っていたのに、
仕事ができずに、本社から、東京支店に飛ばされたのだ。
5年程度、という約束だったが、
地方の企業が東京に進出したところで、
東京の人を雇える術もなく、
帰る期限はどんどん延長された。

わたしはひっそりと離婚の意志を固めていて、
密かに準備もしていたので、
あとは、東京から実家に戻る、ってことになった時点で、
離婚を切り出すつもりだった。

実際は関係性が悪くなって、
まだ前夫が東京にいる間に離婚が成立したのだが。



前夫は、まったく躾のされていない、
見苦しく困った人だった。

夕飯を作ってテーブルに並べ始めると、
何も言わず、一人で勝手に食べ始めてしまう。

わたしは、息子以上に、
この男を厳しくしつけなくてはならなかった。

全部がテーブルに乗って、
全員がテーブルに着いて、
ちゃんといただきますと言ってから食べること。

いただきますとは、食料と、作ってくれた人への感謝として言うこと。

人のお皿の食べ物を黙って盗まないこと。

氷を使い切ったら、トレイに水を入れること。

脱いだものは洗濯籠に自分で入れること。

雨が降り出して、洗濯物を入れるときには、
床にどばっと重ねないで、
カーテンレールにハンガーをかけてくれること。

人が出かける時に、「早く帰って来い。」と言わないこと。
頼みごとを断る時には、その理由を述べること。

飲みに行って終電逃したからといって、
8千円もかけてタクシーで帰ってこないこと。
(それだけあれば一週間余裕で暮らせる)


食べる時には口を閉じて、くちゃくちゃ音をさせないこと。
スープを飲む時には。ずるずる音を立てないこと。

ああ、もう、きりがない。


わたしは息子の食事マナーにも厳しくあたった。
だらしがない前夫は、
「メシの時ぐらい好きに食わせてやれ。」と言いやがったが、
「あなたみたいになって、そんな食事マナーで彼女に振られたら、それはわたしの責任になるから、ここは絶対に厳しくする!」
とわたしは断言した。

食事マナー。
決して、たかが、ではない。
これが原因で振られることだって起こりうるのだ。

息子が大きくなってからは、
将来彼女が出来たら、という仮定で、よく話をした。

ケーキに巻いてあるセロファンについた生クリーム。
わたしたちは当然フォークでツピーっとこそげて舐めるが、
付き合ってる彼女が、もしそれをやらなかったら、
やってはいけない。
ただしもし彼女がやったら、すぐさま同じようにやりなさい。

結婚式は、お嫁ちゃんの晴れ舞台なのだから、
彼女がやりたいようにやらせてあげなさい。
そこで悔いが残ると、一生取り戻せないからね。


息子は、わたしよりもはるかに上手に箸を使えるし、
上手に綺麗に魚を食べられるし、
とてもいい彼女が出来て、
彼女が望む、いい結婚式を挙げた。

そして、彼女の実家のすぐそばに住む選択をした。


良かったんじゃないかな?
わたし、いい躾、できたよね?


わたしはもう働いていないので、
人から評価されることが、すごく少ない。

母親にひたすら否定されて育った身としては、
評価をもらえないことは、少々辛いのだ。

だから、今日は料理をすごく頑張った。
きんぴらごぼうを、めちゃ丁寧に作った。
生協で届いたごぼうだから鮮度も良かったけれど、
均一に千切りして、それにすごく時間がかかった。

でも、均一に切れていると、仕上がりがすごくおいしいのだ。

あとは、肉団子のいっぱい入った野菜スープ。
これもいい味加減に出来た。
自分で食べて、おかわりが欲しかった。
最近、自分の作るものに飽き飽きしていたので、
今日はよくできた。

夫から、おいしかったよとメールをもらった。
嬉しい。


ムギがムギ臭いので、ムギの敷物を全部交換して、
洗濯をした。

キッチンの大掃除をした。

服が入っている引き出しを更に整頓した。
頑張った。

もうすぐ息子たちに会える。
嬉しい。
可愛い。

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言葉は生きている。

今日は髪を染めたので、
仲良し美容師さんと、二時間みっちり喋れた。
すごく楽しかった。

彼女は美容師さんだから、他の仕事の経験がないが、
わたしの職歴を聞かれたので、
つらつらと思い出しながら挙げてみた。

多いわあ。
すごく沢山の職場で働いてきた。

最初の結婚で専業主婦になり、
息子が生まれて、東京に転勤になって、
貧しかったけれど、
息子の一番可愛い時期は見逃したくなかったので、
幼稚園に入るまでは、働かずに一緒に過ごした。

そして、幼稚園に行っている時間帯だけ、
働きたいと思い、
募集をしていた近所の看板制作の会社に行ったら、
時間が短いけれども、
わたしには技能があったので、すぐ採用になった。

しかしそこは、イジメの巣窟だった。

わたしは、結婚前、印刷会社で働いていたが、
男女比が半々の課だったので、
女の怖さを、知らなかったのだ。

影では言われてただろうけど、
わたしは仕事によって認められることだけを求めていたので、
あまり、気にかけなかった。

だから、女性ばかりの職場の恐ろしさを、
その会社で初めて知ったのだ。

わたしは世間知らずだった。
子どもを産んで育てた経験のある主婦さんなら、
きっと事情を汲んでくれると思っていたのだ。

ところが、逆にねちねちと嫌がらせをされ、
働きたいのなら子どもは保育園に入れなさいよ、と言われた。
皆さんより早く帰るわたしのことが、気に食わなかったのだ。

しかし、わたしは、その時間帯でよい、という条件で採用された。
別に何も悪いことはしていない。
仕事もちゃんと出来た。

けれど、最初から、制服を与えてもらえず、
一年で、いびり出された。

お局さまと、パートのおばちゃんと、両方に嫌われ、
もう居続けることは不可能だった。

幼稚園くらいの男の子は、しょっちゅう病気をする。
息子は肺炎にもなって、入院もした。

風邪をひけば、そのあと中耳炎になり、
そのあと結膜炎になり、
たんなる風邪が、治癒に二週間ぐらいかかってしまう。
風当たりが酷くなって、
結局そこには一年しか居られなかったのだ。

そこからもわたしは途切れることなくバイトを掛け持ちしながら、
貧しい生活を支えた。


いろんな職業をやったけれど、
最も幸福だったのは、雛人形を売る仕事だった。

お客さんが、全員、幸福な人だから、
幸福オーラをいっぱい浴びた。

初日からぽいっと店に出されたので、
誰かに何かを教わっている暇はない。

わたしは雛人形の歴史から、色や文様の名前、
生地の見分け方、家紋の種類、
様々なことを必死に勉強した。

だんだんと専門知識も増えて行き、
お客様の予算さえ読めるようになった。
お客様の目線を見て、
その人に見合った勧め方のコツも身についた。

いじめる人もいなくて、
逆に一目置かれるようになり、あてにされて、
わたしは充分に頑張れた。

あの3年間は、本当に幸福な職場人生だった。
うつ病に飲み込まれなければ、
再婚後も続けるつもりだった。


いろんな仕事をしてきたけど、
人に寄り添い、人を幸福に出来る職種って素晴らしい。

「これを、あなたから、買います。あなただから、買います。」
と言われた時の感動を、
わたしは死ぬまで忘れないだろう。


いま、わたしはもう働けない。
でも、仕事としてではなくても、
人を幸福な気持ちにさせることは、可能だと思うのだ。

料理をすることもその一つ。

わたしは、言葉を使い、心をこめて、
相手を幸せにしたいと思っている。

言葉は、生きている。
だから、人の心に届くのだ。

使い方を間違えると、
取り返しがつかなくなる。

ねこにだって、言葉は通じる。
そこには、心が介在するからこそだ。

そんな関係を、自分の周りに構築していきたい。

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一気に進行。

ゆっくり眠ることができた。
ちまは、昨日の点滴が効いたのだろう、
元気になった。

でも、今日はご飯は少しだけ。
お薬を混ぜて少しずつ与える。

ちまは顔がちいちゃいので、わかりにくいのだが、
実は6キロ超えの大きめにゃんこなのだ。

ベッドに暖房をいれてやったのが気に入って、
最近だいたいベッドで寝ている。

わたしは、
ゆっくり寝たが、起きてからはフルスピードで稼動。

もう、衣替えをしなくっちゃ。

ハンガーに掛けてあるものの位置を入れ替え、
引き出しの中も入れ替える。

夏物で、まだ洗濯してないものをまとめて洗う。

夫が分解してくれた扇風機を拭き清める。
夫が箱に入れてくれたので、
入れ替わりにガスヒーターを出す。

そして、掃除機をかけた。
これはわたしにとってすごいこと。
掃除機、大っ嫌いなのだ。
心にも、体にも、すごい重労働。

でも今度の土曜日、息子たちが来てくれるから、
頑張って、やった。

クイックルワイパーだけでは取り切れない隅っこの埃も吸った。

汗をかいたので、シャワーを浴びた。
それから洗濯物を干す。

夕飯を作って、夫と食べた。
夫は風邪を引いている。
喉の弱い人で、
すぐ風邪を引いてしまう。
土曜日までに治ってて欲しいな。

衣替えと掃除が出来たことは、
気分がいい。

ただ、何かの副作用かもしれないのだが、
口の中が、マズイ。
へんな味がしていて、気持ち悪い。

四六時中何か飲んだり、
飴をなめたりしている。

ドライマウスの時も辛かったなあ。
食べられるものが限られてしまったし、
口が渇くって、
思っている以上にすごく不快なことだった。

あれも薬の副作用。
たった三日飲んだだけの薬で、
三ヶ月余り、ドライマウスには苦しめられた。

心の不調は辛いが、
些細な体の不具合も、辛いな。


ちまは、少量の餌でも今日は文句を言わない。
いつも、逆にあげ過ぎていたのかな。
6キロは重たい猫だし、
少し減らしてみよう。

ちまも、ムギも、元気で長生きしてくれますように。

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天使のちまちゃん。

いつもなら昼過ぎまで寝てるわたし。
でも、ちまのことが気になって、10時に起きた。

夜中、いっしょにくっついて寝ていたようなので、
体調的には、多分悪くはないとは思ったが、
心配で仕方なかった。

見ると、夜中にカリカリを食べてあった。
オシッコも、してあった。
よかった!

でも、起きてから、あらたにカリカリを出してやると、
食べない。
食い意地がはった子なのに、やっぱりこれはおかしい。

なので、夫に電話をして状況を説明し、
病院に連れて行ってもらうことにした。

病院に電話すると、夕方5時の予約が取れた。

なので、わたしはもうひと眠りした。


キャリーバッグにちまを入れると、
行きの車の中ではいつも反抗して鳴き続けるのだが、
今日は鳴こうともしない。
やっぱり元気がない。

ちまに何かあったら大変だ。
ちまの居ない生活なんて考えたくない。

病院に着くと、すぐに呼ばれた。
信頼している先生に、昨日の嘔吐が酷かったことから、
全部、細かく説明をした。

すると、血液検査をしてくれることになった。

爪を切ってもらい、
体温はいつもと同じくらいで38度。
脚の血管から血を抜く。

なかなか血が注射器にたまらなくて、
「これはけっこう脱水症状を起こしてるかもしれませんね。」と言われた。

血液を検査器にかけてから、
丁寧に触診と、聴診器での診察をしてもらった。
腫れているところなどはないとのこと。

血液検査の結果が出た。
やはり、少し脱水症状が見られるけれども、
それ以外は全部正常値だった。

良かった!

胃腸が荒れているかもしれないので、
お薬を入れた点滴をしてもらった。

ちまは、頑張った。

ちまは、わたしにとっての天使ちゃんだから、
本当に何かあっては困るのだ。

胃腸のお薬を出してもらって、帰って来た。
帰りに、ちまの、スープ状の餌を買ってきた。

今日は絶食で、と先生に言われたのだけれど、
お腹がすいたちまがもう、うるさくてうるさくて、
仕方なく、スープだけ、やった。

それでも、今も背中をバリバリやられながら書いている。
お腹がすいて辛いらしい。

今夜はこれでおしまい、ごはんもうないの!
と、ちょっと強く言うと、しばらくは静まるのだが、
また、欲しがってバリバリされる。


ちまには、うんと長生きしてもらわなくてはならない。
20歳までは頑張って欲しい。
大事にするから、頼むよ、天使ちゃん。

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ぶち壊しだよ。

夫は、シラフの時は、
本当にいい人だ。

気持ちもわかってくれるし、いつも守ってくれる。
結婚して大正解だったと思っている。

それが、
酔うと、ぶち壊しなのだ。

残念で仕方がない。


今日は忙しかった。

精神科通院の日だったので、それなりの時間に起きて、
ちまに餌をやって、自分が食事してたら、
ちまが吐いた。

ちまは、月に3回くらい、吐いちゃう子なのだ。

心配で、内視鏡検査もしてもらったが、
特に問題となる箇所は見つからなかった。

だから、そういう子なのだと思って接している。

吐く前のえづいてる声が聞こえたら、
すぐに顔の前にお盆を差し出して、そこに吐いてもらう。

でも今日は、それを処理している間にも吐いたりして、
吐くものがもう水分のみになるまで、
計6回くらい吐いた。

苦しかったようで涙が出ていた。

心配だが、わたしも病院に行かなくてはならない。
カリカリはしばらく嫌かな?と思い、
ウェットの餌をお皿に出して、
これ食べててね、と言って出かけた。

ちょっとムギのところにも寄って、
スキンシップしてから出かけた。


病院で、先生に、肝臓の数値を見てもらい、
何か薬を減らしたいんですが、と相談した。

わたしの今の症状では、入眠障害が一番強い。
もう、躁状態にはならなくなったので、
デパケンを減らすのがいいかなあと考えていた。

しかし、主治医は、わたしの精神状態を、楽観視してくれなかった。
デパケンは減らせないと言われた。
減らすなら、入眠用に飲んでいるセロクエルの量を減らしたいとの事。
それには、わたしがはいと言わなかった。

セロクエルを200ミリ飲んでいるが、
それでも寝付けず、朝になってしまうこともあるからだ。

そこで、苦肉の策で、
アレジオンをやめることになった。

これは、もう9年飲んでいる。
アレルギーの薬だ。
うつ病が認められた頃から、体のかゆみが酷くて、
かきむしって血だらけになり、
医者に頼んでずっと出してもらっている薬だった。

それをやめることになった。
どうしても辛いときは、市販薬を買って飲もう。


それから急いで帰って来た。

ちまのことが心配だし、
宅急便の受け取りや支払いがあるし、
今夜も夫が飲み会だから、ムギの世話もしなくちゃいけないし、
お風呂に入って洗濯したいし、
お腹はすくし、
とにかく駆け足で帰って来た。

ちまは、大好きなのに、ウェットの餌を、食べていなかった。

ショック。
いつもかも、食欲旺盛の子なのに、
大好きなウェットに口をつけてないなんて。

おかかをやったら、それは食べた。

しばらくして、擦り寄って来たので、カリカリをやった。
でも、食べない。

ちま、どうしちゃったの?
お腹すいてるんじゃないの?
カリカリ、嫌なの?

わたしは不安に駆られた。

わたしの犬だったゴンは、食い意地の張った犬だった。
拾い食いもするので、散歩の時には目が離せなかった。

そんなゴンが、元気をなくして、
食べなくなって、
病院に連れて行かなくちゃねえ、と言っているうちに、
あっけなく、死んでしまったのだ。
その間、たった二日間。

だから、油断はできない。
ちまに何かが起きてるのかもしれない。

わたしは、飲み会中の夫に、事情を説明するメールをした。
このままちまが食べなかったら、
明日、病院に連れて行って欲しい、とお願いをした。

やがて飲み会を終えた夫から返信が来た。

「ちまに寂しい思いをさせていませんか。」

それを読んで、わたしはブチ切れた。

何を言うか。
自分は酔っ払うと、
ムギの相手がもうしんどいから代わって、と、
しょっちゅうわたしを呼び出しておいて、
それを棚に上げて、
寂しい思いをさせてないかだと?

ムギを触ったあとは、いつだって念入りに石鹸で手を洗ってから、
ちまを触るよ。
それって最低限の心遣いじゃないか。
でも、服とかにはきっとムギの匂いがするだろう。
ちまが感じてないわけがないのだ。

ムギの相手をしろとしょっちゅう言うくせに、
ちまに寂しい思いをさせていませんかだと?
どの口が言ってるんだ!


別に頼まれなくたって、わたしだってムギも可愛いから、
昼間と夕方、いつも様子を見に行ってるよ。

それに加えて、夜も頼まれれば行くよ。

だけど、わたしにとっての天使ちゃんは、ちまなのだ。
ちまを一番に考えてるのが当然だ。

だからこそ心配になって、
状況を説明して、丁寧にお願いをしているのに。

これだから酔っ払いは大嫌いだ。
ああいやだ。
仕事に行かなくなったら、
夫は毎晩深酒して絡んでくるのだろうか。


ちまには、かつおバーをやったら、それは食べた。
カリカリも、新しく出しなおして設置した。
夜中に食べていてくれないかな。

天使のちまちゃん。
心配だよ。

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泣いてくれる友人。

わたしの数少ない友人。
彼女の話によると、今年で知り合ってちょうど20年だと言う。

でもわたしたちは、
もっともっと長い友達のように感じあっているのだ。

彼女とは、新宿で、電撃的に出会った。

樹脂粘土の仕事を始めたばかりの頃、
わたしは作った作品を、
アート系が集うフリーマーケットで売っていた。

新宿のとあるビルの前の公開空地でやってたマーケット。
わたしは作品を陳列した台の内側に、
一人でぽつんと座っていた。

人通りなどなくて、
暇だった。

すると、そのビルからカップルが出てきて、
急に方向を変えると、
わたしのブースにすっとやってきて、
わたしを見ると、彼女がにこにこ笑ったのだ。

わたしはその瞬間、
この人知っている人、と感じた。
でも、どこで会ったんだっけ?

そう思っていると、彼女が自分の名詞を出して、渡してくれた。

知らない人だった。

え?
どういうこと???

なんでこんなに親しいオーラが出ているの?

少し言葉を交わしただけで、
彼女はいきなり、
「これと、これと、これと…。」
と、買うものを指定し始めた。

わたしは面食らった。
いきなりビルから現れて、すいーっと近寄ってきて、
そしていきなり買うという。

彼女が選ぶ様子を、彼氏は、にこにこしながら見ていた。

それが最初の出会いだった。

その後、どこかに出展する機会があるたびに、
DMを出した。
彼女たちはよく来てくれて、
よく買ってくれた。

彼女はクリエイティブな仕事をしてる人で、
わたしの作るものに惚れたと言った。
追っかけになります、と言ってくれた。

やがてわたしは広い部屋に引っ越して、
樹脂粘土のお教室を開いた。

彼女は生徒としてそこに来るようになった。
彼女のセンスや技術は素晴らしくて、
教えるがわであるこちらが、インスパイアされることがたくさんあった。

どんどん親しくなった。

そこで、彼女には、
若いときに一人で産んだ娘がいることを聞いて知った。
諸事情でまだ一緒には暮らしていなかったが、
とても苦労をした人だった。

一緒にお芝居を見に行ったり、
カラオケも大好きで、
よく一緒に行った。

やがて彼女らは結婚して、
娘を引き取って、
新たにもう一人娘さんを授かって、
教室には来なくなった。

でも、イベントの時には手伝いに来てくれたし、
相変わらずカラオケにはよく行った。

出会った時小学生だったわたしの息子を、
ことのほか可愛がってくれていた。



東日本大震災のとき、
わたしは横浜で、初めての個展を開いていた。
それは、天然石のアクセサリーの個展。

初日に花が届き、会場が華やいで、
お客さんもいっぱい来てくださった。

彼女もさっそく来てくれた。

そこで、あの大地震が起こったのだ。

わたしの個展は、あっけなくついえた。

駅がシャッターで閉鎖され、行く宛てもなく、
わたしたちは、そのままギャラリーで、一緒に夜を明かすことになった。
ギャラリーのオーナーのご好意で、
毛布を買ってきてもらえて、
幸い停電にもならなかったので、
わたしたちはそこで一夜を共にした。

彼女がいたから、乗り越えられた。
それは、一緒に夜を明かした全員がそう言っていた。


昨日、本当に久しぶりに、会った。
何年ぶりだか、わからない。
出展先に来てくれたことはあったが、
プライベートで会って、ランチしながら話すなんて、
もう最後いつだったか思い出せない。

お互いの子どものことなどを一杯話した。
息子の結婚式の時の写真アルバムを持って行って、
見てもらった。

彼女は、泣きながら、見てくれた。

小学生だったのにね、立派になったね、
ああでも、面影があるね。
そう言って、涙を拭きながら見てくれた。


最初に出会ったあの時、
彼女には、わたしの居るブースが、光って見えたのだそうだ。
導かれるように近寄ったら、すごくいいものが並んでたから、
と言ってくれた。

大震災のときは、
彼女の家はマンションの6階なのだけれど、被害甚大で、
本棚や食器棚が倒れて散乱していたそうだ。
家にいたら、怪我をしていただろうと言っていた。

わたしから買ったものは、旦那さんがすぐにかき集めて、
壊れた部分を接着して、
またあらたに飾りなおしたと今回初めて聞いた。


久しぶりに、
本当に久しぶりに、二人でカラオケに行った。
わたしがうつ病になって、
音楽も聴けなくなって、
しばらくカラオケどころではなかったので、
すごく楽しめた。

喉が痛くなるまでいっぱい歌った。

まだまだ話したいことがいっぱいあったけど、
また必ず会おうねと約束して別れた。


わたしには、友だちは少ない。
でも、これで充分。
彼女は苦しかったわたしをいつもいつも助けてくれてきたし、
彼女はわたしの言葉に救われることがあったという。

一生付き合っていける友達って、そんなにはいない。
でも彼女は、
確実に、その一人だ。

会えて良かった。
また必ず会おうね。

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肝臓がやばい。

久しぶりのリウマチ内科の通院日。
最初に血液検査がある。

その結果が出てから診察室に呼ばれるので、小一時間待つ。
マイナスな生き方をするススメの哲学本を読む。

呼ばれて診察室に入ると、
先生が難しい顔をしていた。

血液検査での、肝臓関係の数値が、
軒並み悪くなってしまっていて、全部に#マークがついていた。
今までもじわじわ悪くなってはいたのだが、
#マークまでついたのは初めてのことだ。

前回、指の痛みが取れず、薬を一錠増やした。
その結果、痛みからは解放された。
指を曲げて、グーが出来るようになった。

本当は、良くなってからしばらくは、薬は現状維持で行きたいそうだ。
しかし、肝臓が、やばいことになっている。

苦渋の決断で、お薬を一錠減らすことになった。
その代わり、来月また診察を受けて報告をする。

アルコールを一切やめたのに、
どんどん肝臓が悪くなっていく。

金曜日が精神科の通院なので、
血液検査の結果を見てもらって、
減らせる薬がないか、相談してこよう。

精神状態は、おおむね安定している。
悩みは、入眠障害だ。

何か、薬を減らさないと、本当にまずい。
夫に、「死ぬ順番を守ってもらわないと困る。」と言われた。

それはそうだ。
それを約束に結婚したのだから。
妻を二度も見送る人生なんて嫌だろう。


ところで先日、わたしは夫におねだりをした。

シンプルな、オーブントースターが欲しいとお願いした。
電子レンジでトーストを焼くと、軽く10分くらいかかるし、
しかもおいしくない。

お餅はガスのグリルで焼くが、
張り付いて見張っていないとすぐに垂れてしまう。

樹脂粘土の仕事をしていたときに使っていた、
すごく素敵で高価な、
イタリア製のコンベクションオーブンがあるのだが、
それでトーストをしようと思うと、
余熱に20分も必要だ。

馬鹿馬鹿しくて、それをいさぎよく捨てて、
シンプルな、ただ、焼くだけのオーブントースターが欲しかったのだ。

夫は、気前よく、すぐにネットで買ってくれた。

そして、わたしのオーディオ環境が悪いことを伝えると、
しょうがないなあと言いながら、
コンポーネントステレオも、買ってくれたのだ。

トースターは4000円くらいだったが、
コンポは3万円ちょっとした。
でも、すごくスタイリッシュで素敵なのを見つけて、
これがいいとおねだりしたら、買ってくれた。

二つともすぐに届いて、
今日夫が手早く設置してくれた。

夫はすぐにやってくれる。
そこが好き。

早速コンポでCDをかけてみた。
すごい!
いい音!
今までのは何だったの?
わたしは嬉しくて嬉しくて、
夫にいっぱいお礼の気持ちを伝えた。

すると、夫は照れて、
「安上がりだな。」と言った。

いやいや、定年になっちゃって、収入も少ないのに、
こんなに買ってもらって、すごくありがたいよ。

そりゃわたしは、ブランド物も欲しがらないし、
旅行にも行きたがらないし、
お酒も飲まないし、
食材も倹約はしてるけど、
そのご褒美をもらったみたいで、すごく嬉しかった。


オーブントースターでは、唐揚げを焼いてみた。
あっという間にカリカリにあたたまった。
嬉しい。
これでトーストもピザもおいしく食べられるだろう。
ありがたい。

ちまの見晴台兼ベッド置き場として買ったチェストにコンポを置いたので、
ちまのベッドを床に下ろして、
ホットマットを入れて暖かくしてやった。

抱っこして、ベッドに寝かせてやったら、
あったかいことを理解したらしく、
座椅子を占領しなくなって、気持ちよさげにベッドで寝てる。

そういえば、
病院から帰って来て、お昼寝をしていたら、
ちまがぴったりくっついて寝ていてくれた。

いい季節になった。
猫には秋冬が似合うよね。

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続かなかった習い事。

うちは貧乏で、
大学には行かせないって決まっていたのに、
何故だか、色々習い事をさせられた。

させられた、というのには、
自分でやりたくて、
望んでやったものが一つもないからだ。

小学生の時、
習字とソロバンと、オルガンを習っていた。

習字だけはまあ、苦痛ではなかったが、
ソロバンと、オルガン(ピアノではなく、オルガン。)は、
自分に合ってなくて、苦痛で仕方がなかった。

土日が習い事で埋まってしまって、
休めない。

算数が大の苦手だったので、
ソロバンは最も苦痛でしょうがなく、上達もしなかった。
オルガンは、これは母が気づいていなかったのだが、
身体的欠陥があって、絶望的に向いていなかったのだ。

わたしは、手をパーにしても、
指がちょっとしか開かない。
その差は一般の人に比べたら、歴然としている。
だから、音感がなかったわけではないが、
キーボードを弾くことは、とても困難だった。

貧乏で何も買ってもらえなかったのに、
なぜ、あんなに習い事をさせられたのか、わからない。

結局、ソロバンとオルガンは割りと早い段階で辞めさせてもらって、
習字だけ、6年生まで続けた。


中学生になると、塾に行かされた。
これは平日の夜だったので、
すごく疲弊した。
だから、これも頼んで辞めさせてもらった。


大人になって、習いたいことが一つだけあった。
それは、英会話。
わたしは、ロックを聞いてた小学生だったので、
英語の発音はすごく良かった。

高校生の時に、リーダーの授業で当てられて、
教科書をすらすらと読んだときには、
拍手が沸き起こったくらいだ。

何も目的はなかったが、
外国人の先生に、本格的に英語を習ってみたいと、思っていた。


息子には、ちょっと無理をして、
英会話教室にだけ行かせた。

小さい頃からスイミングに連れて行ってる親が多かったが、
わたし自身が水が大嫌いで泳げないので、
息子をスイミングに、とはとても考えられなかったのだ。
怖がることがわかっていた。

やはり息子はわたしに似てしまい、
小学校の6年までは泳ぐことができなかった。

水の恐怖を心底知っているので、
息子から「今日はもぐれた。」とか、「今日は目を開けられた。」とか、
報告を聞くたびに、全身全霊で、褒めた!
すごい、もぐれたなんてすごい!
そう褒めると、息子は少しずつ、頑張った。

そして25メートルをどうにか泳げるようになったとき、
これで、息子の命の危険が一つ減った、と、心底安堵した。

英語だけは、この先絶対に得なので、
習わせたかったのだが、
当の息子が、
「いいよ~、ボク外国人になるわけじゃないから~。」と拒むので、
様子を見ていた。

やっとやりたいと言いはじめたので、
ネイティブの先生がいる英会話教室に入れた。

でも、聞き取る力は身についたようだったが、
話せないままだった。

使っていた路線が空港に行く線だったので、
時々、声をかけられて質問されたらしいが、
問われてることは理解できても、
答えになる英語が出てこない、と言っていた。

息子は社会人になって、一度、
外資系の会社に勤めたことがある。
ファーストネームで呼び合うのだと言っていた。
子どもの頃に習った英会話、生きないかな?と期待したのだが、
息子は、その社風にどうしてもなじめなかったようで、
転職して、今の会社に入った。

中学生のころは、周りの男子は進学塾に行っていたので、
息子も、塾に行ったほうがいいのかな、と言ってきた。
わたしは、授業をきちんと聞いて、
自宅で復習さえしていれば、大丈夫、と言って、
塾にも行かせなかった。

当時最も貧乏だった時代だからだ。
でも、塾に行かなくても、
息子はちゃんと高校に合格して、
自分で人生を切り開いて来た。


大人になって、自分に必要だと真に思った時に、
習い事をすると楽しいし、身につくと思う。

わたしは、用途はないけれど、
英語が喋れたらなと思う。
最後働いていた時は、外国人のお客さんがけっこう来たので、
みんなわたしがさばいた。
あの時、もっとすらすらと話せていたら、
自分の人生、更にいい思い出が出来てただろうなと思う。

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不要な学歴もある。

わたしは高校受験の時、
最初から、大学には行かせない、と断言されていた。

家が貧しかったからだ。

わたしにはなりたいものが沢山あって、
そのための能力もあると信じていたので、
15歳で、夢を諦めることは、辛かった。

就職に有利なように、商業高校に行けと父は言ったが、
女子ばかりの高校生活や、
算数が大嫌いなのに、簿記やそろばんをやらなくてはいけないことが
どうしても嫌で、
普通科に行かせて欲しいと頭を下げた。

本当は、県内に、デザイン科を持っている高校があったのだが、
遠くて通うのが大変だからと却下された。

父の許可を得て、普通科の高校に入った。
そこがまた、その地方では歴史のある進学校で、
ナンパさえもしてもらえないくらい、敬遠される学校だった。

当然、勉強の出来る人ばかりが集まり、
進学希望率は100%。

一学年、420名くらいのマンモス校だった。

進学校だけあって、授業も宿題も、きつかった。
一年の時なんて、
大嫌いな数学が、一週間に7時間もあった。

わたしは必死に勉強はしたのだが、
どうしても、どうしても、理解ができない。

得意分野の、国語や英語では、
学年のトップ10には必ず入っていたのに、
数学や物理は、お尻から数えて何番目、という結果だった。

担任に呼び出されて、勉強のしかたをレクチャーされる。
わたしは、国語や英語は、家では勉強したことがなかった。
授業だけで充分テストはいつも満点に近い点が取れた。

しかし数学は、どれだけ必死に取り組んでも、
本当に理解ができない。
先生にも、友達にも教えてもらったが、
15点とか20点取るのがやっとだった。


高校二年になると、受ける大学を見据えて、
教科を選ぶことになり、
それぞれのクラス分けがなされる。

もちろん全員進学希望なので、
国立を目指す人、理系の人、私立文系の人、といったように、
クラス分けがなされた。

わたしは適当に、嫌いじゃない教科を選んで、
多分私立文系のクラス?に入った。

しかし、就職することが最初から決まっているわたしは、
特異な存在だった。
この進学校にわざわざ来て、就職ってそれどういうこと?
ってことなのだ。

わたしは、17歳でまた、夢を今一度捨てなければならなかった。

デザイナーになりたくて、
バイトしながら専門学校に行きたいと言っても、
当時すでにパニック発作を持っていたわたしは、
それすら許可されず、
一人で、進路指導室の、求人票をめくっていた。

誰も、味方なんていなかった。
学校の力添えもなかった。

印刷会社の求人票を見て、そこを受けに行った。
ペーパーテストは、中学生程度の知識を問うものだった。
後に聞いたら、大卒者・高卒者のなかで、
わたしがトップだったらしい。

面接では、高校の学業の成績に触れられ、
これほどの学力があるなら、
私立の文系になら行けるのにどうして?と尋ねられた。

わたしは簡単に、家の方針で、と答えた。

合格して、専務が菓子折りを持って、
入社をお願いしに来てくれた。


わたしは大学に行ってないから、
大学のことは何も知らない。

学びたい分野があって、その道に沿った学問が出来るのなら、
それはすごくうらやましいと思う。

でも、特に何になりたいという夢もないのに、
ただ、なんとなく大学に行ってる人を、
わたしは、うらやましいと言うよりは、
当時は見下していた。

高校の同級生は全員が大学生で、
親のお金で旅行に行ったりして楽しく生きている。

彼らは、社会に出るまでの、4年間という猶予を与えられている。
わたしのように、17歳で夢を諦めなくてもよくて、
4年間、じっくり考える猶予があるのだ。
その部分には嫉妬した。

だから、わたしは遮二無二仕事を頑張った。
誰よりも多く残業をこなし、
昼休みも休まずに、仕事のことを教わりに、
他の課を回って過ごした。

だから同期のなかでも、群をぬいてボーナスも良かった。

仕事で評価されることでしか、
自分を認められなかったのだ。


やがて、いい大学に行った友人たちも、
普通に結婚して、家庭におさまったりする。

特にやりたい職業に就いたわけではなかったらしい。
では何のための大学だったのか。
その学歴は、どこで必要だったのか。

18歳で社会に放り出されると、
そりゃ過酷なことがいっぱい待ってる。
嫌味なオバサンや、セクハラ満載のオジサンともやっていかなくてはならない。

旅行したり合コンしたりする余裕なんてない。
働くだけの毎日だ。
当時は土曜日も仕事だったのだ。

のんびりキャンバスライフを楽しんだ人もいただろうが、
学びたかったことをきちんと学んで、
その分野に就職した友人もいた。
彼女らのことは、尊敬したが、
わたしは、18歳から働いているほうがもっと偉いんだ、と思わないと、
崩れてしまいそうだった。


世の中は、特殊な仕事をするのでない限り、
中学校程度の学力があれば、生きては行ける。

大学は、学びたいことをより詳しく学ぶための、
専門であってほしい。

なんとなーく大学に進学して、
たまたま受かった企業に就職して、
なんていう人生、もったいないと思う。


わたしは、仕事が好きだった。
人から正当に評価されたからだ。

親に否定ばかりされて育ったから、
仕事を頑張るしか、生きて行く杖はなかった。

学歴って必要なのかと、今も疑問に思う。
必要はないのかもしれないが、
自分の人生について、ゆっくり考えられる4年間は、
やはり有効に使ってもらいたいと切に願う。

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だいすきだった。

わたしの実家は、
人口9千人ほどの小さい町だ。

それでも交通の要所だったことで、
大きな紡績工場や、その他の工場があって、
小さな町なのに、
昭和40年代には、映画館も、
パチンコ屋も、ボウリング場もあった。

町には古くからの部落と、
あたらしく山を切り崩して作られた住宅地とが混在していた。

わたしの父は長男だが、諸事情あって家を捨てて、
母と結婚して、台所・トイレが共同というアパートにしばらく住んだ。

その後、町営住宅の申し込みに当たり、
今の場所に引っ越して、わたしが生まれた。

わたしが中学生になった頃、
町営住宅の売り渡しが行われ、
土地が自分たちのものになった。

祖母と同居する話が持ち上がり、
わたしが高校一年のときに、
家を建て替えて、二階建てにした。


町営住宅だった当時は、建て増しをして、
祖母の部屋と、わたしの部屋が作られてあった。
わたしの部屋は3畳で、
もらいものの二段ベッドの一段と、
机と、本棚を置いたら、
ベッドの上しか座る場所はないくらい狭かった。

でも、その狭い部屋がわたしはすごく気に入っていた。


同じ住宅地に住んでいて、
仲良くしていた家族がある。
わたしと同い年の男の子と、4歳上のお姉さんがいた。
わたしはその家族が好きで、
いつも入り浸っていた。

おじさんは子ども好きで優しくて、
わたしを自分の子どもと同じように扱ってくれた。

お風呂にも入れてくれた。
母と違って、頭からお湯をぶっかけるようなことはせず、
膝の上に仰向けに寝かせてくれて、
顔が濡れないよう、やさしく洗ってくれた。

映画にも、食事にも、買い物にも、連れて行ってくれた。
おじさんのことが大好きだった。

おばさんも裏表がなくて常に静かで優しかった。
おばさんは起用でセンスが良く、
わたしのベストやマフラーや、お手玉を作ってくれた。

まるで張り合うように母も作ってくれたが、
母のは、センスが悪すぎて、恥ずかしくて使えなかった。
おばさんは、ちゃんとピンクの毛糸でマフラーを編んでくれたのだ。

お姉さんにはいろんなことを教わった。
憧れのお姉さんだった。


わたしは働きだして、一年半後に、
車の免許を取ろうとして、夜間教習に通っていた。
もちろん、自分で稼いだお金だ。
働いて、仕事が終わってからの教習で、
なかなか大変だった。

そんな中、おじさんが、倒れた。

胃癌だった。

既に進行しており、みるみるうちに弱って行き、
一時退院したが、結局また病院に戻った。

わたしは、毎週必ずお見舞いに行った。
「おっちゃん、もうすぐ免許取れるから、そしたら乗せたるからな。」

そう励ますと、おじさんは、
「いやや…。」と言って少し笑った。


おじさんは小さくしぼんでしわくちゃになり、
わたしの免許が交付される二日前に、
死んでしまった。

まだ、たった50歳だった。

わたしは泣いて泣いて、
3日も会社を休んでしまった。

今思い出しても、泣けてしまう。
大好きだった。
おじさんもわたしのことを大好きで、
息子と結婚してずっとそばに居てくれと言っていた。

犬のゴンが死んだ時と同じように悲しかった。


おばさんは、40代で未亡人になってしまった。
会社勤めをしていて、
定年になったらやりたいことがいっぱいある、と頑張っていた。

なのに、定年になったその年に、
リウマチを発症してしまった。

今みたいにいいお薬がなかったので、
どんどん進行して、
今はもう、ほとんど歩けない。

お姉さんも、わたしの同級生の息子さんも、結婚に縁がなく、
3人で暮らしている。

わたしは息子が生まれたあと、帰省するたびに、
おじさんのところにお参りに行った。
おじさんは子どもが大好きだったから、
きっと可愛がってくれたことだろう。

わたしの親と違って、
優しいおじさんと品のいいおばさん。
わたしは、すごくうらやましかった。
おばさんの作る料理も、美味しくて手が込んでいて、
大好きだった。


わたしの両親は、今もそのお宅に行っている。
おばさんが、動けないから、お喋りに行っているのだ。

なのに、母はずっと、影で悪口をわたしに吹き込んだ。
だったら、付き合うのをやめればいいのに。
陰口たたきながら付き合うなんて選択肢、
正直すぎるわたしには、考えられなかった。

わたしは今も、自分の母が、あのおばさんみたいだったら、と思う。
わたしにとって、自分の母は、脅威でしかなかった。
やさしくされたことなんて思い出せない。


もう帰省しないとなると、
おばさんのお葬式にも行けない。
ごめんね。
来世でも、また会いたい。

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しみこんでる貧乏。

考えてみたら、お金に困らなくなったのは、
再婚してから数年間だけだ。

子供の頃は貧乏な家庭で育ち、
ほとんど何も買ってもらえなかった。

最初の結婚では、前夫の両親と祖父との同居だったが、
親は2万円しかくれなかった。
光熱費は出すから、それ以外は前夫の給料でやれと言われた。

すぐに妊娠したので、
レジャーに行くこともなかったし、
田舎なのでそんなにお金を使うような場所もなく、
少しは貯金もできた。

結婚して一年半で、
仕事の出来なかった前夫は東京支店に飛ばされ、
わたしたちの東京生活が始まった。

毎日がすごく自由で、
自由こそが幸福なんだと実感した。
わたしが欲しかったのはこれなんだ、と思った。

しかし、地方企業の給与体制では、
東京で暮らすのは苦しかった。

住んでいたマンションは社宅扱いで、
家賃を引かれると、手取りはたった11万だった。

そこから、前夫がタバコ代と昼飯代として、
4万持って行く。
弁当を作らせてくれと頼んだが、
営業職で、昼にどこにいるかわからないからと断られた。

残り7万で、水道光熱費、電話代、新聞代、NHK、ビール代を支払い、
残ったわずか5万弱で、毎月暮らさなければならなかった。

だから、飲み会のあと終電を逃して、
7000円もかけてタクシーで帰って来る夫をわたしは罵倒した。
それだけあれば一週間は暮らせるんだよ!

外食も出来なかったし、
夫はすごい大食いだし、
息子は出始めの高いブドウを指差して欲しいと泣くし、
本当にあの頃の貧乏は体にしみている。

公園で知り合ったママさんたちはみんな年上で、
余裕のある暮らしをしていた。
一緒にスーパーに行ったりすると、
780円もするイチゴをさらっとカゴに入れて買う。
うらやましかった。

東京は出かけるとものすごくお金がかかる。
たまに、後楽園遊園地でやるヒーローショーに
連れて行くのがやっとだった。

服や靴は、ボーナスの出たときにしか買えなかった。

それでも、わたしは、息子と二人で一緒に居たかった。
保育園に預けて、自分が働くことは、したくなかった。

最初にハイハイをするのを見たのも自分だし、
最初に歩く姿を見るのもやはり自分でありたかった。

人生の中で、最も愛らしい時期を、
一緒に過ごせないのは嫌だったので、
貧乏に耐え抜いた。


息子が幼稚園に入ってから、
わたしはその時間帯だけという条件で、
働き始めた。
手に職があったので、そんな条件でも採用されたのだ。

しかしもちろん、
短い時間しかいなくて、仕事の出来るわたしは、
壮絶なイジメにあって、
一年しか居られなかった。
女の職場は、恐ろしい。
女の敵は女なんだと思い知らされた。

職場を替え、時には掛け持ちしながら、
息子の居ない時間帯だけ、働いた。

すごく貧乏で苦しかったけれど、
息子との時間には替えられない。
だから、後悔はない。


今になってみたら、
もっともっと、いっぱいいっぱい、
スキンシップしておけば良かったと思う。

もちろん、息子とわたしとで一対一なので、
お昼寝も抱き合ってしたし、
お風呂にも抱き合って入った。

抱っこして~と言われたら、
手を止めて、きちんと抱きしめた。

かわいかった。
わたしの息子。


貧乏を経験してるから、
わたしは安い食材で料理ができる。
お姑さんがやってらしたときは、
大きな海老の天ぷらとか、
牛肉のしゃぶしゃぶとか、あったけど、
現在はすごく貧乏メニューだ。

だから今、食費が安く抑えられていると夫が言っていた。
それ、わたしの努力の賜物なんですよ?


わたしは、この部屋にちまと一緒に暮らせたら、
それで充分幸せ。
もちろん、たまには牛肉もお寿司も食べたいけれど、
今は幸せだなと感じることができて、
満足だ。 

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食べられない自慢。

どうも老人には共通の自慢があるらしい。

病気自慢(飲んでる薬の多さ自慢)。
体の痛いとこ自慢。
眠れない自慢。
そして食べられない自慢。

これらは、人の悪口を吹聴するものではないので、
特に被害はない。

でも、よく観察すると、
いやいや、そんなことないでしょ、ってことが多い。

老人になると、話題が乏しくなっちゃうのかな。

わたしの母なんて、
かれこれ60年分の愚痴と人の悪口と、
自分の自慢話。

もうあれを聞かなくていいなら、
多少の犠牲には目を瞑ろう。


お姑さんは、春に、何故だか食べられなくなって(本人談)
入院したいと言って、わたしが連れて行って、入院した。

そしたら翌々日には退院したいと言いはじめた。
入院は退屈だというのだ。
そりゃそうだろう。

わたしは振り回されて具合が悪くなり、
退院については、婦長さんから説得してもらって、
退院時には、夫に行ってもらった。


もうあんな面倒なことは嫌なので、
夫が一生懸命、お姑さんに食べさせている。

夕飯をきちんと人数分器に盛り付けて来ているので、
お姑さんが「食べた。」と嘘をついてもばれるのだ。
夫は、部屋から連れてきて、自分と一緒に食べさせているらしい。

夫、大変だな。
ストレス多いだろうな。

お姑さんは、
「食べられない、食べたいものがない、食べたくない。」
と、毎日言う。

レパートリーが少なくてすみません、でも、
少しでもいいので召し上がってくださいね、とわたしは言って帰る。

今日は煮物と豚の生姜焼きを作った。
持って行って盛り付けていたら、
お姑さんが話しかけて来て、
スーパーに、ペットボトルのキャップを持って行ったとのこと。
袋にいっぱい溜まっていたからね。

で、手ぶらでも悪いので、シメサバを買ったのよ、と見せてくださった。
「これを切って、ご飯を炊けば大丈夫ね。」と言っていた。

なので、今夜のメニューと言う家族へのメールには、
二品以外に、シメサバがあります、と書いて送った。

ところが、末っ子くんと、夫が帰宅して、
あらゆるところを探したのだが、
シメサバが無いというのだ。

ええ?
だって、魚の半身くらいの大きさがあったよ?

それが消えるって、どゆこと?


考えられる答えは一つ。
お姑さんが、食べた。
以上。

わたしは、いつも必ず、18時前に夕飯を持って行っている。
そうしないと、お姑さんが、
今日は夕飯ないのかしら?と思って、
何かを解凍し始めたりするからだ。

でも家人が帰宅するのは、一番早くても夫が20時。

一人で食べる時間は充分にある。

実際、9月に二回、家族で外食をしたのだが、
お姑さんは、しっかり、全部、食べていた。

そう、あれは老人特有の、
「食べられないアピール」だったのだ!


以前、鍋一杯の肉じゃがか忽然と消えた事件があった。
わたしが、少し多めに作ってしまったので、
器に分けずに、母屋の鍋に直接移しただけで帰った日だ。

夫が、今日は肉じゃが~と思って帰ったら、
鍋の中が、カレーだったのだ。

???

まさか、肉じゃがに、カレー粉ぶっこんだか?

しかし、野菜の切り方で、夫は見分けることができる。
それは間違いなくお姑さんの切り方だったそうだ。

冷蔵庫に、ほんの少しだけ、
タッパーに入った肉じゃがが発見された。

この事件は、長く謎だった。
夫は翌日も、ゴミ箱の中まで捜索したのだ。

これでわかった。

お姑さんは、ちゃんと食べられるんだ。
肉じゃがを食べ過ぎてしまい、
ハッとして、これはヤバイと思って、
あわててカレーを作ったのだろう。

ただ、老人としては食べられないほうが優しくしてもらえるので、
食べられないアピールをする。
これは、わたしの祖母で実証済み。
祖母は誰も居ない日中に、大量に食べていて、
老人になっても、太った人だった。

でもまあ、良かった。
お姑さんがちゃんと食べてくれるのなら、それはそれでめでたい。


こんなことなら、もう死んでしまいたいわ、とおっしゃるたびに、
「そうですか~。」
と返事していたら、さすがに言わなくなってきた。

昨日カウンセラーさんに聞いたのだが、
認知症には、人と話すことが効果的らしい。

ただ、老人同士の話って、
お互いに一方的に話していて全然かみ合っていない。
聞く耳は持たないのだ。

それでも、話をする相手がいたほうがいいらしい。
お姑さんに、近所にお友達はいらっしゃらないんですか?と聞いてみた。
そしたら、いないとのことだった。

姉妹も全員亡くなってしまっているし、
話し相手を見つけるくらいの気持ちで、
デイサービスとかに行ってみれば楽しいんじゃないかなあ。

お姑さんは、そういうものに強い偏見をもっているので、              
難しいけれど。

カウンセラーさんのお父さんは、
やはり偏見があったのだけれども、
デイサービスに行ったらだんだん気に行って、
掛け持ちして通って、元気でいたとのことだった。

何も、折り紙や体操や歌を、強制されることは一切ないのだそうだ。

近所にお友達がいないなら、
デイサービスも手段だと思うのだけれどね。

こういう話は、お姉さんからしてもらうしかないだろうな。

わたしは、長く続けるために、
今のこの、最小限の家事を頑張ります。
自分の具合が悪くならないよう、日々気をつけます。

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誠意が通じない場合。

わたしは、お姑さんを尊敬している。

こんなわたしなのに、悪く言われたことがないからだ。
嫌味も言われないし、意地悪されたこともない。

それって、世の中で、全然当たり前のことではないのだ。

最初の結婚の姑が、それはもう酷かったので、
そこは見る目はあると思う。

アパートをリフォームしてくれて、わたしを住まわせてくれてる。
本当に感謝している。

だから、話をするときは、常に敬語を使う。
話すときには膝をついて姿勢を低くする。

せっかく息子が再婚した、楽になれるかも、
と思っただろうに、
全くの役立たずの嫁で、
さぞがっかりなさっただろうと思う。

それでも、夕飯を持って行ったら、
毎晩きちんと「助かったわ。」と言ってくださる。
これくらいのこと、やって当たり前なのに、
お礼を言ってくださるのだ。


だけれど、困ったことがある。

認知症があって、話した内容を、覚えていてくれないのだ。

もしくは、夫が、「やるな。」と強く言ったことを、
何度もやったりする。

それは、強く何かを言われたということだけが印象として残っていて、
でも何のことだったかを覚えていられず、
また同じ事をしてしまうのかもしれない。

例えば、やってはいけない、印鑑の入れ替えなどを、
やってしまっているらしい。

大事な実印が外に出ていて、
亡くなったお父さんの印鑑が大事にケースにしまわれていた、とか言っていた。

やるな、と強く言ったら、
しばらくして、またやったらしいのだ。


今困っているのは、ムギ問題。

お姑さんの自慢は、自分が動物好きで、
犬も猫も鳩も、赤ちゃんの時代から育てた経験がある、ということ。
だから、ムギが懐かないことが、理解できないみたいなのだ。

残念なことに、ノラだったムギはちまと違って、フレンドリーじゃない。
警戒心が強い。
自分にとってメリットのある相手にしか懐かない。

ムギは、大きな声を出したり、
パンパン叩いたりするお姑さんのことが、
すごく苦手なのだ。
だから必ず逃げてしまう。

なので、もういいよ、と思うのだが、
見に行くと、
人間用のご飯におかかをかけたものが置いてあったりする。

今日もわたしがムギを撫でている時に持っていらしたので、
キャットフードを適量与えているので、ご飯は必要ないこと、
どんな風にわたしと夫がムギを世話しているのかを、
ゆっくり説明した。

わたしは、最大の誠意を持って、
丁寧に説明した。

だけど、お姑さんの顔を見ると、
ああ、聞いてない、と感じるのだ。

自分が次に何を喋ろうかを考えているだけで、
わたしの言葉は届いていない。

結局、お姑さんがムギの脚に無理矢理触って、
ムギは逃げてしまった。


どうしよう。
いくら誠意を持って説明しても、相手の心に届かないということは、
すごくしんどい。

どうしたらいいのかわからない。

うつ病の脳も、まあひどいもんだが、
認知症の人の脳内が、どうなっているのか
わからないので、
どう対策したらいいのかが全くわからないのだ。

なるべく全てのことを、夫にメールで報告するようにはしているが、
告げ口してるみたいな気分になって、
報告しないで飲み込むこともある。


長生きすることは喜ばしいことだけれども、
解決策がまったく追いついていないのが日本の現状だと思う。

お姉さんが母親の状態を冷静に見てくださっているので、
そこは幸いだ。
夫はお姉さんに会うと、
いっぱい愚痴を聞いてもらうのだと言っていた。


誠意だけでは、事柄がうまく進行しなことがある。
上手な嘘とか、方便とか、
なんらか駆使して、
暮らしていかなくてはならない。

どこかに正解はあるのだろうか。

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罪を憎んで…。

戦後70年ということで、
今年の夏は、戦争関連の番組が多かった。

それらをかなり録画しておいたので、
ちょこちょこ見てきている。

知らないことばかりで、
これでは外国の方に何も語れないなあと思う。

わたしが今までで特に興味を持っていたのは、
戦時中のことよりも、敗戦直後のことだった。

ロシア軍の侵攻、
満州からの引き上げ、
シベリア抑留など。

特に、父が満州からの引揚者だったので、
そこには興味を持って、
藤原ていさんや、宮尾登美子さんの実体験の本も読んだ。

父の父(祖父)は、妻子を残して満州に渡った。
満州鉄道の社員になったからだ。

しかし便りも疎遠になり、
危機感を抱いた祖母は、
子ども3人を連れて、満州に乗り込んだのだ。

幸い祖父と合流できて、
まあまあ裕福な暮らしをしていたらしい。

満州と言う極寒の地でのエピソードを、
父はおもしろく語ってくれた。

終戦前には、祖父は満鉄を辞めてしまっていたらしい。
父は満州で一番と言われた学校の寄宿舎におり、
敗戦を聞いて、危険を感じて友達と抜け出して逃げて、
列車を乗り継ぎ、家族に会えたという。

日本の敗戦後、
その日から、中国人による仕返しが始まった。
今までこき使っていた使用人や近所の人が略奪をしていった。

それはそうだろう。
中国人は、日本人に殺意を持って抑えて暮らしていたのだから。

だから、満州からの引き上げは、
困難を極めた。

ところが、父の家は裕福で、中国人の使用人がおり、
なんとその使用人は、実はスパイだったのだが、
余りにも親切にしてもらっていたため、
逆に、逃げるルートを教えてくれたのだという。

そのおかげで、父たちは、そんなに苦労をせずに、
帰国できたらしかった。

ただ、満州で一番の学校に通っていて、
そこを出れば官僚、というコースだったはずの父は、
帰国後、一家を養うことに翻弄されてしまった。

祖父はまだ40代だったはずなのに、
長男である父に全てを任せて、
自分は賭博などをして過ごしていたという。

戦前まで、
日本人の平均寿命は50歳ちょっとだった。
だから、40代で、もう隠居してしまったわけだ。

だから父は、非常に頭が良かったのに、
闇商売に手を染め、一家を養っていた。
そういう経緯で、
学歴もなく、就職が遅れ、
三交替の工場勤務にしかありつけなかった。

戦争があったから、満州国などというものが出来、
敗戦したから、中国人に仕返しをされた。

実際、日本は、
唯一の被爆国として、原子爆弾の撲滅を訴えていくべき立場にある。

けれども、
日本は、敗戦国であることを主張するあまり、
自国の残虐行為に、目を向けていない。


第二次世界大戦のことを詳細に話せる人はもう少なくなった。
軍人として生き残った人は、
固く口を閉ざす。
とてもじゃないけど、言えないのだ。

南京大虐殺は、あった。
中国との意見はすれ違ったままだけれど、
事実としてあったのだ。

兵隊でもなく、ただの農民で、
日本兵が来たからと言って旗を持って歓迎しに行ったら、
縛られて殺された事実があるのだ。


罪を憎んで人を憎まず、と言う言葉。

これは、かなり、難しい。
自分の息子がもし殺されたら、
罪はもちろんのこと、相手を恨んで憎んで、
地獄に引きずり込もうとすると思う。
許せるわけがない。

戦争をした相手国や、
侵略をされた相手国や、
沖縄で犠牲になった一般の人や、
息子を殺された人に、
罪を憎んで国を憎むな、と言っても、難しいだろう。

ドイツのように、自国の罪を白日に曝して、
反省の態度を続けてくるべきだったのではないか。


自分に当てはめて考える。
罪を憎んで人を憎まずになれるかどうか。

息子に何かあったら、絶対にそうはなれない。
息子を過去に傷つけた自分のことでさえ、許さない。

ではわたしは母を憎まずに生きていけるだろうか。

それが、大いなる山である。

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誕生日などの話。

夫と再婚することが決まった後の、
お姑さんのお誕生日会に、
わたしは呼ばれて、
お姉さんや姪っ子さんにも初めてお会いした。

お姉さんは、再婚を、すごく喜んでくださった。
わたしに対して、とても好意的だった。
とても優しい方なのだ。

でも、そのときのわたしは、複雑だった。

再婚したって、
わたしは、先妻さんの代わりには全然なれないことが、
わかりきっていたからだ。

末っ子くんがまだ高校生だったが、
大人になっている子供たちが、
わたしを慕ってくれるとは思っていなかったし、
最初の結婚のような熱烈に幸せな生活を、
夫に提供できるとも思っていなかった。

何よりも、お姑さんに取って代わって家事がやれるとは、
まったく思えなかったので、
お姉さんには、すごく申し訳がなかった。

きっと、母親を楽にしてくれる相手が来たと期待しただろうに。

楽に、どころか、厄介者を背負い込んだだけだ。

でも、お姑さんは、誰に対しても、
わたしを悪く言わなかった。
親戚に、お嫁さんが来たんだって?良かったねえと言われても、
ちっとも良くないわよ!とは言わず、
黙って微笑んでいたらしい。

出来た方だなあと思う。

お姉さんは、今でも変わらず優しい。
わたしが別居して、おかあさんの面倒などみていないことを承知で、
それでも優しくしてくださる。

ありがたいなあ。
恵まれているなあ。


話は戻って、
そのお誕生日会の日にわたしは初めて、
次女ちゃんにもプレゼントをあげた。
お姑さんと同じ月の誕生日だったからだ。

それから8年間、
子どもたちにはずっと、誕生日プレゼントをあげてきた。

それを、今年からやめた。

お小遣いがなくなったから、という理由もあるけれど、
子どもたちは、してもらうことに余りにも慣れきっている。

自分たちがしてもらってるから、じゃあ自分たちもしてあげよう、
という気概がまったくないのだ。

だからわたしが仕方なく裏で手を回す。
夫の還暦・定年のお祝いも、
夫が言い出す前にわたしは先に手を回していた。
そうしないと、全然動けない子たちなのだ。

今年のお姑さんの誕生日会についても、
わたしが裏で手配した。

あなたたちの時はパパが全部やってくれてるんだから、
おばあちゃんの時は、子どもたちで相談して、
その総意を持ってパパと相談してください、と3人にメールした。

そしたら、長女が統率を取る前に夫に自分の予定だけメールしたので、
話がややこしくなってしまったのだ。


わたしが言わなくても、そろそろ、自分たちで動いてくれないかなあ。
なんでもパパに任せる時代は、もうおしまいだよ。


わたしの誕生日は、
多分子どもたちは知らない。
気にもならないだろう。

もちろん、息子にだって何もしてもらわないので、
特にどうして欲しくもないのだが、
わたしのはいいけどさ、
パパとおばあちゃんのは、やってくれよ、と思う。

嫁には行かない、ずっとこの家に住むっていうんだから、
誕生日とか記念日とか、
大事にしあっていけたらいいのにね。


ところで、息子たちが、遊びに来てくれることになった。
まだまだ先だけれど、
6月以来、会っていないので、すごく嬉しい。
自分の子どもなのに、ごくたまにしか会えないのは寂しいな。

また、コツコツ掃除を重ねて行こう。
楽しみ。

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残酷な反面。

わたしには、絶対的安心感、というものが無い。
もともと、備わっていない。

それは、機能不全な家庭に育ったからだ。
泣いてすがれる相手が居なかったからだ。

息子を授かっていなかったら、
わたしは「無償の愛」というものを知らずにいた。

息子は、優しくて、ドライだ。
愛情は深いと思うが、
サラッとしている。

上手に親離れしたし、
上手に愛情は受け止めてくれた。

だから、息子たちのことは、信じていられる。
あの二人なら大丈夫、と信じられる。



わたしは、我慢をする。
それは、事を荒立てたくないから、
気がつかないフリをするのだ。
だから、もとが我慢強いわけではない。

決壊したら、相手を傷つける。
残酷なのだ。


今、わたしが頼れるのは、夫だけなのだが、
夫はそんなことは百も承知なので、
時々わたしを揺さぶる。

夫は、弱弱しいわたしを、好きなのだ。
だからずっと「手元に置きたい。」という言葉で、
求婚していたのだ。


夫は酔うとタチが悪い。
日ごろ口に出していない愚痴を並べたり、
何の力もお金もないわたしの将来を脅したりする。

うつ病のわたしより、はるかに後ろ向きな発言をする。

それに翻弄されて困るわたしを見たいのだ。
弱いわたしを好きだったからだ。


確かに、夫が結婚してくれたから、生き延びられた。
息子の結婚式にも出てくれて、
親の面倒も見てくれて、
本当に感謝している。

夫は、素晴らしい人なのだ。

なのに、
酔うと、すごく残念な人になる。
酔っ払いの夫とは、絡みたくない。
わたしも、自己防衛のために、
凶暴にならざるを得ない。


もう、嫌なのだ。
さらっと優しくありたいのだ。
静かに暮らして行きたいだけなのだ。

自分の残酷さを露呈したくない。



今日はまた悪夢にやられて、汗だくになって起きた。
ちまが、ママ起きた!と騒ぐので、
ご飯をやって、
服を脱ぎ捨てて、
もう少し眠った。

起きてパンを食べて、
久しぶりに掃除をした。

けっこう埃が取れた。
普段、部屋では裸眼で過ごしているので、
埃を見逃しているみたいだ。

雑巾がけは、使い捨てのものが、
悪い念も捨てられるのでいいらしい。
クイックルワイパーのウェットで拭き掃除。

それから、撮り溜めた番組を見て過ごした。

まだまだ、知らなくてはいけないことがいっぱいあると感じた。

夜遅く、酔った夫からのメールに、
キレてしまった。

心穏やかに暮らせるよう、
わたしはわたしで、心配りをしているのだが、
それは形として目に見えず、
残らないので、
認識してもらえない。

なんでもね、距離って大事なんだよ。
相手の間合いもあるんだよ。
人でも猫でも、それは同じこと。


絶対的信頼があればね、
距離が開いていたって、不安じゃないはず。

心穏やかに、静かに生きて行きたい。
そして、できれば迷惑は最小限で、静かに死にたい。


川島なお美さんの葬儀、
拍手で送り出していたのを見て、
これはいいなあと思った。

みんなそれぞれが頑張って生きた。
別れは悲しい。

でも、泣きながら、故人の人生に拍手をして、
送り出せることって、素晴らしいんじゃないかな、と思った。
これから、はやるかもしれない。


わたしは限られたことしかやってない。
それは、うつ病を発症することによって、
制限がかかったからだ。

自分の脳が、自分の体に、
「NO!」
という指令を出したのだ。

それまでは、手帳が真っ黒なほど予定がはいっていないと、
嫌だったのに。

だから今は、ほとんど誰とも会わないし、
出かける場所も決まっている。

それで充分。

家事も、自分のことはなるべく自分でやって、
家族には夕飯を作ってと、最低限だけど、長く続ける。

波風立てたくない。

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ジャンクフード!

わたしが作る料理は、
野菜が中心の、ヘルシー路線だ。

始めてからもう七ヶ月になるけれど、
実は、自分が作る料理に、飽きている。

レパートリーが少ないので、
週に一回は肉じゃがだし、
週に一回は大根の煮物だし、
里芋とかを食べたくても、
アレルギーがあって自分で皮をむけないから、
食べられない。

いや、実はわたしは、野菜が嫌いなのだ。
肉と炭水化物で生きて行きたいのが本音だ。

だけど、多分、予算的に、
牛肉を買ってもいいムードはないし、
お刺身とか、エビとかホタテとか食べたいけど、
高いしなーと諦めている。

なので、使う肉も、
豚コマか、鶏肉。

だから、自分の料理に飽き飽きする。

このごろは、たまに、家族の分だけ作って持って行って、
自分はお弁当や、コンビニ飯を食べることもある。

油鍋がないので、揚げ物ができない。
だから、カウンセリングの帰りには、
メンチカツとか、春巻きとかをよく買う。

お昼をマクドナルドに行って、
ミスドでポンデリングを買って、
夜はパスタとか食べたい。
カップ焼きそばとか、無性に食べたい。


今夜は夫が急な飲み会になり、
夕飯を作る必要がなくなった。
お姑さんだけなんとかすればいいので、
テイクアウトのお寿司屋さんで鉄火巻きを買って、
持って行って置いてきた。

わたしは、コンビニ飯!
炭水化物オンリー!

ビバ! ジャンクフード!


毎日そればかりだと体に悪い、というだけだから、
たまにはこうして、気を抜いて好きなものだけ食べたい。

だから、次女ちゃんがわたしの夕飯を食べずに、
自分で買ってきて食べる気持ちは、よくわかるのだ。

土曜日も夫は飲み会で留守だそうだ。
よし。ジャンク決定。
しかもヒキコモリ!


しばらく掃除をしていないから、
掃除でもしようかなー。
撮りためた録画も見たいなー。

ゆっくり過ごしましょ。

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コンプレックスが多すぎる。

わたしは、心も決して褒められたものではないけれど、
身体的に、ひどい容貌をしていて、
コンプレックスだらけだ。

唯一、目が大きくて、
まつげが長くてカールしている。
自分で、好きだなと思えるのはそこだけだ。

あとは全部嫌だ。

美人じゃなくても笑顔が愛くるしい人は好かれると思うのだが、
「笑うとすごく顔が崩れるのね。」と言われてから、
笑顔も封印していたこともあった。

一番痩せていたときは、38キロしかなくて、
二十歳の献血キャンペーンで、献血車に送り込まれたときも、
体重が足りないからと、降ろされた。

低血圧で、自律神経はめちゃくちゃで、
そんな体で毎日10時間働いていたから、
家に帰ったら夕飯を食べる気力も湧かず、
お風呂に入って、
鏡台の前でよく寝落ちしていたっけ。

痩せていたせいか、老けて見えて、
まだ高校生のころに、
「お子さんは何人?」と聞かれたりした。


東京に出てきた頃、
わたしはまだ24歳で、
世間はバブルの時期だった。

わたしは髪を長くしてソバージュにし、
タイトな服を着て息子を連れ歩いた。

第二次ディスコブームだったので、
友人とディスコに行ったこともある。
家でユーロビートを聴いて、
息子と踊った。


年齢とともに、どんどん太っていって、
毎年服が入らなくなった。

今はもう、見るも無残な限りだ。

30代から白髪になり始めて、
今は歳の割りに圧倒的に白髪が多い。
月に一回、根元だけを染めてもらっているけれど、
美容師さんに聞いたら、
七割がた白髪だそうだ。

すごく汗もかくので、お化粧も出来なくなった。

足は幅広の甲高で、はける靴を探すのにも一苦労。


夫と付き合っているころは、
ちゃんとバッチリお化粧して、マニキュアして、
スカートはいていたのにね。

見る影もない。

なんでこんな体に生まれたかな。
もうちょっと、
何かしら、
いいところが欲しかった。

老眼も始まったし、
膝は痛いし。


今日はお腹が痛くて痛くて、
辛かった。

ちまは、わたしの目が覚めるまでは寝かしておいてくれる。
けれど今日は寝たまま痛みで唸っていたので、
起きたと思われて、ガシガシ起こされた。

なんとか必死に夕飯だけ作って、持って行った。
頑張れわたし。

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さよならリカちゃん。

天然石のアクセサリー作りをやめて、
工房を閉鎖してから、
母屋の書斎にあった、わたしの書棚を持ってきてもらった。

本当は食器棚として、使っていたものだった。
北海道のミズナラの木を使ったもので、
すごく気に入って、
当時の自分には高価で、分不相応だったけれども、
一生使う、と決めて買ったものだ。

だから、再婚の時に、大事に持って来た。
半分を書棚として本を綺麗に並べ、
半分は、ディスプレーに使っている。

子供の頃からずっとコレクションをしてきたものが、
飾られている。
小石一つにも、
貝殻一つにも、
全部思い出がある。


そのディスプレー棚の真ん中の一番いい席に、
リカちゃんが、座っていた。
白いドレスを着た、リカちゃん。

再婚して、うつ病が悪化して、
実家に戻った時に、
母にねだって買ってもらったものだ。

「リカちゃん買ったら、うつ病治るんやな?」と聞かれ、
わたしは、うんと頷いて、買ってもらった。


小さい頃に発売されたリカちゃん。
もちろん、わたしは買ってもらえない。

わたしは毎週土曜日に、
お友達のヒロミちゃんちに行って、
貸してもらって遊んだ。

ヒロミちゃんちは裕福だったので、
リカちゃんも、いずみちゃんも、ワタルくんもあった。

わたしは、自分が買ってもらえない境遇であることを、
子供心に察していたので、
欲しがらなかった。


うつ病のひどい頃って、
胸の真ん中に、トッゲトゲの真っ黒い重たい球がある。
すごく苦しい。
痛い。

でも痛すぎて、自分を苦しめているその真っ黒な球の正体が、
まったくわからない。

思い出せばトゲが刺さって痛むし、
無視しようとしても、重くて重くて、
どうしようもなく苦しいのだ。

わたしは、欲しかったものを手に入れたら、
少しは楽になるのでは?と安易に思った。

それには、自分で買うのではなく、
やはり親に買ってもらわなければ、意味がないと思った。

そうして買ってもらい、
一番いい場所に鎮座したリカちゃんだったが、
書棚をアパートに上げてもらってから、
その存在が、とてもうっとおしい。

白いサテンのドレスを着て、
ブーケを持って、
椅子に腰掛けているリカちゃんが、
すごく目障りなのだ。


だから、リカちゃんを排除したかった。

でも、ただ見えないところに片付けて、
ディスプレー品をバラけるのは、
なんだか違うと思った。

この書棚の、主役が欲しいのだ。


わたしはカウンセリングの帰りに、
デパートや雑貨屋さんを何度も巡って探し回った。

もはや、南部鉄瓶でもいい、とまで思ったくらいだ。
カラフルで素敵なものが出てたから。

でも、買うには至らなかった。


お盆に帰省して、しーちゃんとランチして、
それから雑貨屋めぐりをしていたときに、
あ、これ欲しい!と思えるものに出会った。

布で出来たウサギさんが、着物を着て立っている置物だ。

そうだ、わたしは和風のものが欲しかったのだ。
そして、リカちゃんに取って代わる、
主役が欲しかったのだ。

大正風の、いい着物を着ていた。
値段を見たら、25000円もした。

あきらめた。


それが今日、映画を観に行って、
駅ビルの雑貨屋にふらっと入った時に、
そのウサギさんより、一回り小さいのを見つけたのだ。

値段は、5400円。
あ、これなら何とか買える。
わたしは即決してカードで買った。

嬉しかったので、帰りにしーちゃんにメールして、
あのウサギさんの小さいのを買えたよ、と報告した。


帰宅して、早速リカちゃんを外に出した。
もう、何も感じない。
いや、むしろ母に買ってもらったものが、センターにいることが、
嫌悪だった。

引き出しにしまいこんで、
ウサギさんを、置いた。

もう、なんだか、ぴったりだった!

嬉しい。
これで、違和感がなくなる。

いいものに出会えて幸せだ。
今度、お嫁ちゃんが来たら見せよう。


リカちゃんにはサヨナラ。
わたしの真ん中には、今はもう、黒い塊はない。

ちいちゃい、光る玉がある。
それを磨きながら、これから生きてく。

                                          伽羅

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