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2015年9月

どうなっちゃっていただろう。

再婚して、わたしは心底救われたのだけれど、
急激な環境の変化には着いて行けず、
病状は悪化してしまった。

薬が二倍になり、
わたしは、ほぼ、寝たきりだったのではなかったかな。
実はあまり記憶がはっきりしていないのだ。

そう、うつ病の悪かった頃は、
記憶がまばらなのだ。

もちろん家事は出来なかった。
お姑さんに全面的にお世話になっていた。

わたしは、怖くて、
二階のリビングに上がって行けず、
夫に買ってもらった水筒に、
氷と水道水を入れてもらい、
それを飲んで部屋で過ごしていた。

完全に水分不足で、膀胱炎にもなった。

夫が買ってきてくれるパンを食べて日中をしのいでいた。
時々おやつも買ってきてくれた。

小さい冷蔵庫を買ってもらってからは、
ヨーグルトやジュースなんかも入れられるようになって、
水分不足からも解放された。

でも、ほとんど出かけることなく、
ただ引きこもっていたなあ。

お姑さんがお昼ご飯を食べない人だったので、
お昼にキッチンでレトルトカレーでも食べたいと思っても、
気が引けてできなくて、
ずっと引きこもって、夫が買ってきてくれるパンを食べていた。

この、アパートに越してくるという選択肢がなかったら、
あのまま、わたしはどうなっちゃっていただろう?


近所にスーパーが出来て、
そこへは行けるようになった。

それまでは、混んでいるスーパーが駅前にあるだけで、
わたしはそのスーパーが怖くて行けなかったのだ。

今も苦手で、行かない。

こうして今、曲りなりにも家族の食事を用意できるまでになって、
良かった。
レパートリーは少ないし、
味付けも日によってマチマチだし、
どうだ、今日は美味しいだろう?という日は少ないけれど。

子どもたちの帰りは遅くて、
11時ごろのことが多い。

夫は通勤に片道一時間半かかるのだが、
それでも、夫の帰りが一番早い。

夫にとっては、全然結婚した意味がないかもしれないが、
少なくとも、わたしを幸せにはしてくれた。

あのまま母屋で暮らしていたら、
わたしはどうなちゃっていただろう、と思う。

今まで生きてきた中で、今が一番幸せだ。

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安らぎのある部屋。

わたしは本当に、世間にうとかった。

自分の家庭が、ちょっと普通じゃないことには、
うすうす感づいていたけれど、
だからいつでも裏表なく優しいよそのお母さんには、
心底憧れた。

そう、わたしが欲しかったのは、
単に「優しい家族」なのである。

帰るとホッとできる家とか、
プライバシーの守られる部屋とか。

そんなものは全然縁がなかった。

いま、この歳になってようやく手に入れた。
まあ、夫はいつもいきなり鍵を開けて入室して来るので、
気は抜けないし、
引き出しとかも全部どうせ見られてる。


思えば子どもの頃からそうだった。

母はいつのまにか、ごく当然のように、
わたしの引き出しを全部見ては詰問した。

わたしは、自分にはそういう習性がないので、
土足で平気で踏み込んでくる人の意識がわからない。


まあ、とにかく世間知らずのまま大人になってしまったわけだけれども、
働き始めて、
次の年に、自分で車の免許を取って、
自分で車を買った頃、
母のことがどうしても嫌で、
家出の計画を練ったこともある。

自分の車に、毎日ちょっとづつ物資を載せて、
いつか、朝、行って来ますと言って、
家出しようかと思っていた。

家に帰っても全然安らがないし、
わたしは残業してるほうが性に合っていた。
定時で終わっても、
帰ればこき使われるだけなので、
すぐには帰らなかった。


結局、結婚で家を出て、
転勤で東京に出て、
離婚で、ようやく自分の部屋が持てた。

父は、離婚した後、
帰ってくればいい、と言ってくれたが、
わたしには最初から、もう二度と田舎に戻る考えなどなかった。

わたしには東京の気楽な暮らしが合っている。


今、住んでいる街で、
挨拶をするのは二人しかいない。

歯医者さんと、夫の行っている床屋さん。

あとは全員、知らない人だ。
あああ、幸せだ~。


街にはファストフードも一通り揃っているし、
外食できる店もいっぱいある。
便利な立地で、気に入っている。

今まで住んだ中で、一番好きな街だと思う。

わたしは基本だらしないので、
人目を気にせずに居られるこの部屋がパラダイスだ。

だから、母屋に行って、家事をするということは、
不可能なのだ。

お姑さんがリビングに陣取っている状態で、
キッチンで料理なんてできっこない。

あくまで、わたしはここが居場所。
その上で、出来る限りのことをする。


寒くなってきたら、ちまが一緒に寝てくれるようになる。
楽しみだな。

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騙されたこと。

わたしは、頑張れなくて、
思っていたように出来なくて、
結果、相手を騙したようになっていることが多い。

非常に不本意なのだが、
騙されたって夫に言われたりすると、キツい。

だって、
こうなってしまうとは、思ってなかったんだもの。
誰だって、環境を変える時には、それ相応の覚悟をするよ。
でも、頑張ってもついていけないことだって、
そりゃああるよ。

夫は、言ったことは即実行する人なので、
こんなヤワなわたしを理解できないかもしれない。


でも、少なくともわたしは、今は幸せだ。


今日はお姑さんの89歳のお誕生日で、みんなでランチに行った。
鉄板焼きのお店で、わたしも大好きなお店。
ランチのコースだからお値打ち。

誰もお酒を飲まなかったから、安く済んだし、
子どもたちがお金を出し合ってくれたそうだ。

ごちそうさま。

帰宅して、お昼寝をした。

睡眠薬を飲まずに寝る眠りの時は、
大概が悪夢の繰り返しだ。

今日は、騙されそうになった夢を見た。

わたしは知り合いに喫茶店のようなところに連れて行かれて、
髪にエクステをつけられ、
露出の多い服に着替えさせられ、
座らせられると、隣に見知らぬおじさんが二人座った。

その人が、わたしの前に、札束を重ね始めた。
軽く、500万くらいは積まれた。

知り合いの女性は、わたしに紙を差し出し、
保険に入るように言った。
ペンを持たされた。

ダメだ、騙される!
どうやって逃げよう?

そこで、ああこれは夢だと気がついて、
ええい!と起きた。

そばにちまが居て、心底ホッとした。



母子家庭だったころ、
息子を学童に入れていたのだが、
学童だから、共働きの家庭か、母子家庭かのどちらかだった。

そこで、若いのに、ひどく憂いを帯びた、
薄幸そうなママさんに出会った。
母子家庭で、二人の女の子がいて、
歳も、ひどく若かったから、
十代で子どもを産んだのだと思う。

彼女の別れた夫も若くて、
ギャンブル狂だったそうだ。
水道まで止められて、近所にもらい水までしたという。

離婚が成立してからは彼女は働いていて、
実家の援助もあって、どうにか暮らせていたようだった。

学童で、5家族くらいのグループが出来て、
そこで彼女と親しくなった。
一緒に飲んだりカラオケに行ったりもした。

あるとき、「いい話があるのよ。」と言われた。
「シェイプ効果のある下着なんだけど。」
そう言われたわたしは、ピンと来て、
「わたしならお金ないから、無理だよ。」と、断った。


それからも普通に付き合っていて、
あるとき、電話があって、知り合いが来てるから、
一緒にカラオケに行こう?と誘われた。

彼女の家に行くと、
その知り合いというのが、下着の販売をしている人だった。

恐ろしく口の立つ人で、わたしがアワアワ言っている間に、
採寸までされて、
下着セットの申し込みをさせられた。
判子は持ってなかったので押さなかったが、
カラオケに行く話にもならず、
そのまま返された。


わたしは帰宅してから、悩んだ。
これは、騙されたのではないか?
友達だと思っていたし、カラオケだと思ったから行ったのに、
契約が進んでしまった。

どうして、わたしを騙すのか。
同じ母子家庭で苦しいのは一緒なのに。

わたしは理解に苦しんで、
学童のグループの人で、共働きの人に、電話して相談をしてみた。

そしたら、
「そんな契約、しちゃだめだよ、それ騙されてるよ。」
と言われた。
そして、その人が、彼女のところに行って、話をつけてきてくれることになった。

だから、それでわたしは助かった。


故意に人を騙したことがなかったわたしは、
ショックで、落ち込んだ。

友達のふりをして、人を陥れる人って、居るんだ。

彼女が苦労をしてきているので、
みんな好意的に見てたのに。

なんだか呆然としてしまった。


そんな記憶が、今日の夢に出たのかもしれない。

悪夢は、いつも、
お金がなくて何とかしなくちゃ、という恐怖を連れて来ている。
そして、目覚めて、
夫に養ってもらってることに、心の底から安堵するのだ。

綱渡りの人生だったからね。


今は本当に恵まれて幸せだ。
安心して暮らせることがこんなに安らかなことだと、昔は知らなかった。
                                         
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あれから一年。

息子たちが、昨年結婚式を挙げてから、
早くも一年が経った。

去年は転院もしたし、薬の調整がなかなかうまくいかず、
体調に自信がなくて、
息子がせっかく誘ってくれたのに、
和装の写真撮影のときに、見にいけなかった。

あの精神状態で、
お嫁ちゃんのご両親と3人で過ごすなんて、
とてもじゃないけど無理、と思ったので、
すごく残念だったのだけれど、諦めた。

撮影日の当日は雨だったそうだが、
やがて晴れて、いい写真が撮れたと言っていた。

4月に転院して、7月になるまで、
片道一時間半の道のりを、
毎週毎週、通院した。
雨か、暑いかで、体も心もしんどかった。


丁寧にお薬を調整してもらったおかげで、
今は容態は安定している。
特に辛いことがあれば、カウンセリングで話した後でも、
もう一度話すこともある。
的確な言葉をいただく。

いいお医者さまと出会えて良かった。


ドクターストップって、
すごく効力があることなんだよね?

セコンドがリングに白いタオルを放り投げて、
無理矢理、試合終了にするのと同じだね。

あの主治医のドクターストップがあったから、
わたしは倒れないでいられた。
カウンセラーさんからのストップだけではまだ足りず、
もっと頑張らなくては、と思ったかもしれない。


わたしは気がつかないうちに、
母から様々な刷り込みをされて育った。

だから、わたしも、嫌なヤツだった。

そのことに、わたしは気がついていた。
自分をいい子だと思ったことは一度もない。

だから、いじめを受けていたときも、
理由は納得していた。
わたしは嫌われてることを充分知っていた。

高校生になってしーちゃんと離れると、
わたしの尻拭いをしてくれる人がいなくなり、
友達作りは難しかった。

修学旅行のときに、
わたしの言葉遣いがキツイから、傷付く人がいるよ、と
教えてくれた友達がいた。

離れて行かずに、敢えて言ってくれたことに、
今も感謝している。

多分わたしの口調は、母のようだったのだと思う。
もちろんブラックのほうの母。

大人になって、働くようになって、
結果を残せても、
男の人にモテても、
わたしには、親友が出来なかった。

それはわたしの性格が悪いからだ。

それをわかった上で尚、
付き合ってくれている少ない友人には、
感謝する。


いま、人生で最小限の世界で生きている。
夫とも会わず、ちまとしか喋らない日もある。

それでもわたしは幸せでいっぱいだ。


息子に繰り返し教えてきたことがある。

幸せは、人からもらう物ではないのだということ。
幸せは、自分の心の中にしかない。
自分で幸せだと思える人だけが、幸せなのだと。

当時ゆるい反抗期だった中学生の息子は、
「じゃあ僕、幸せだ。」
と言ってくれた。

貧乏のど真ん中で、
貧しい食生活だったのに、そう言ってくれた。


そんな息子を持てたことは、
最大に幸せなことだ。

結婚一周年おめでとう。
心の中で、盛大にお祝いしてるよ。

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抱き合う季節。

抱っこのブームがまた今年もやって来た。
嬉しい。

いくら冷房をかけていても、
猫だって暑いのか、
夏の間は、ちまはほとんど寄って来ない。

それがここ最近、
足元にジャンプしてきて、
抱き上げてもらうのがちまのブームみたいだ。

小さい頃は、わたしがトイレに座っていると、
やってきて、膝にジャンプしてきて、
そのまま何十分でも抱っこされて、
わたしは子守唄のように、
ちまちゃんのテーマソングをいくつも唄った。

寒い時はお尻が冷えたっけな~。

今はもう、そんなにべったりとはしてくれないけれど、
抱っこを要求する回数が増えると、
秋になったなあ~と嬉しい。
(わたしは秋が一番好きなのだ)

ゆうべも寝付けなくて悶々としていたら、
お腹に乗ってくれて、
手の肉球を、ほっぺにぎゅむーっと当ててくれた。

こころが安らぐ。


心の中には、悲しいことでいっぱい。

でも、自分で選んできた道だから、
誰のせいにもできない。

息子が立派な大人になって、
素晴らしい結婚をしてくれただけで、
本当に幸せじゃないか。

息子が生きていてくれる。
幸せに暮らしてくれている。
それが最大の幸せだ。

たまにしか会えないけど、
嫌われてなくて、
会った時は楽しくて、
メールすれば返事をくれて、
すごく幸せだ。


息子がまだ赤ちゃんのころ、
お昼寝のとき、
わたしの首に両手を巻きつけて、
べったりくっついて寝ていた。

わたしはその指をそーっとはがして、
急いでその間に近所のスーパーに行ったものだが、
毎日、わたしに抱きつかないと眠れない息子が
本当に愛おしかった。

こんなに愛されたことは、生まれてから一度もない、と思った。

親にも、
その当時の夫にも、
それまで付き合った誰にも、
わたしはこんなに愛されてはいなかった。


だからちまが甘えて飛びついて来ると、
胸の奥がきゅうっと鳴る。
いっぱいちまの香りを嗅ぐ。


東京に来たのは、秋だった。

マンションの近くにある公園の芝生広場には、
イチョウの黄色い葉っぱが落ちていて、
息子は元気よくハイハイしては葉っぱを拾った。

幸せな東京暮らしの始まりだった。

毎日抱き合ってお風呂に入った。
一生分のスキンシップはしたと思う。


でも、
まだ今も、
息子の頭を抱えて撫でたい。

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イライラする!

気圧の変動のせいか、
ザワザワしたり、
イライラしたりすることがある。

できるだけ、やり過ごせるよう、過ごすのだが、
今日はちょっと尋常じゃなくイラついていたので、
仕方なく、頓服を飲んだ。

飲めば効くが、
だるくてしんどい。

それでも買い物に行って、
みんなの夕飯を作った。

子どもたちだけなら、「ごめん、勝手に食べて。」と甘えられるのだが、
お姑さんに、夕飯を用意しないと、
あとあと困るのはわたしだから、
頑張った。

食べられないと言って食べなくて、
ビール飲んで夕飯おしまいにして、
それで具合が悪くなって入院すると言って、
入院させたと思ったら退院すると言い出して、
わたしは振り回されて潰れてしまった。

もうあんなことにはされたくない。

お姉さんも、お孫さんのお世話で忙しいみたいだから、
あまり頼ってもいけない。
ここは、うちのみんなで協力して、
お姑さんの健康の維持を考えなくてはならないのだ。


何とか夕飯を作って持っていくと、
お姑さんは、出かけていた。
リビングではテレビが大音量で流れており、
こんな夕方、雨の中をどこに行ったのだろうと思っていると、
盛り付けてる最中に、帰っていらした。

えっ、その服装で出かけたの?
と思うような格好で、
しかも手ぶらで帰って来た。

何か食べるものを買おうと思ってスーパーに行ったのだけれど、
食欲がなくて、何も買わないで帰って来たという。

わたしがやれますから、大丈夫ですよ、
明日も作りますから心配ないですよ、
と説明した。

ちゃんと6時前にいつも夕飯を運んでいるのに、
なぜ、買わなきゃと思ったのかな。

食べたいものが何もないのよ、
食べられないのよ、と言う。


そのあとは最後に、必ず、
「こんなことならもう死んでしまいたいわ。」
と言うのだ。

最初の頃こそ、「そんなことおっしゃらないでください。」と、
優しく応じていたのだが、
なにせ今日はもう、イライラしてるしダルい。

「あら~、そうなんですか。」
わたしは顔も見ないでそう答えた。

お姑さんは黙った。
今後もこれで乗り切ろう。


お姑さんは、わたしの母と違って毒になる人ではない。
人の悪口を吹き込むような人ではない。

わたしには返しきれない恩義もある。

だけど、正直、わたしは子供の頃から、
お年寄りという生き物が嫌いだった。

接し方がわからない。

子どもも嫌いだった。
いや、今もまだ、お年寄りと子どもは嫌いだ。


ああ、イライラする。
こんなときは、美味しいものでも食べて、
楽しいことを考えよう!


先週の土曜日、夫と横浜に出て外食をしたのだが、
食事のあと、夫は店をふらつくのが好きみたいだ。

なんで見て回るの?と聞いたら、
「何か欲しいものがあったら、買ってあげようかと思って。」
と言われた。

びっくりした。

夫が定年退職して、嘱託になってから、
わたしはカツカツの生活をしているので、
自分のお小遣いというものは、
5千円にも満たないくらいだ。

食費だって、抑えなければと思い、
牛肉は買ってないし、豚だってコマばかりだし、
エビなんて買えない。

今はもう、以前みたいに気軽には本も買えないし、
結婚前からずーっと続けていた、子どもたちへのお誕生日プレゼントも、
今年から廃止した。

なので、夫の言葉は、どこまで本気だかはわからないが、
嬉しく感じた。

もちろん、マネキンが着ている服はわたしは入らないし、
靴も全滅だし、
買ってもらえるものは何もなかったけれど、
気持ちが嬉しかった。


ということで締めくくろう。
明日はヒキコモリをする。

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後悔をする覚悟。

母という病気は厄介だ。
子どもを自分の所有物だと勘違いしている。
自分より弱い生き物なので、
はけ口にしてくる。
そしていつまでもその役割を押し付ける。




連休中、ずっと具合が悪くて、
夕飯を作る以外はほとんど寝ていた。

少しだけ起きていられた日は、よそさまのブログを読んだりした。

すると、
実の母親と、縁を切っている人がけっこういることを知った。

相手を変えることは絶対に出来ない。
だから、もう、逃げるか離れるかしか、ないのだ。
それしか自分の心を守ることはできない。

わたしの場合、困るのは、
母が誰にでも毒を吐く人なら味方も居ようものだが、
裏表が激しいので、
気がつかなくて、
いい人だと思っている人が大半だということだ。

だから、多分、わたしが悪者にされる。

このことは、悔しいが、仕方がない。

二つのことを、同時に得るのは無理なのだ。
何かを選択したら、
何かは諦めなければならない。

どっちも頑張れば手に入ると思って、
わたしは、必死に耐え続けて来たけれど、
とうとう諦めるときが来てしまったようだ。


母と絶縁しなければ、わたしの精神は崩壊する。
そして、母と絶縁したということは、
父に、もう生きては会えないかもしれないということなのだ。

これは、相当な覚悟である。

その覚悟を持って、母に手紙を書いたのに、
父に隠したまま、いったいこのあと母はどう説明するつもりなのだろう。



去年の大晦日に息子と二人で揃って帰省して、
正座をして、頭を垂れて、
今までのことを、丁寧にお礼を述べた。

父はそのことが嬉しかったといって、
お嫁ちゃんに話しながら泣いていた。

あれで、もう終わったんだと思おう。
あれが最後だったんだ。
きちんとお礼を述べられたのだから、それでもう、いいとしよう。


人は母親を選んで生まれてくるそうだ。
それを知ったとき、わたしは心から息子の選択に感謝をした。
こんな未熟なわたしところに来てくれて、
この上なく優しく接してくれて、
母親にならせてくれて、
本当にありがとうという思いだ。

逆に、自分の母を選んだのも、自分なのだと思うと、
やはり考えずにはいられない。

なぜ、こんな人を選んだのか。
自分のたった一人の娘をけなし、怒鳴り、脅し、嫉妬し、
ただの一回も褒めてくれない親を、何故わたしは選んだのか。


魂の修行と言えばそれまでだ。

修行だと思ったから、
自分が変われば、相手も気がついて変わってくれるのではないかと考えて、
わたしは必死に努力をした。

月に何回も電話をかけ、
そのたびにお腹を壊し、
帰省したら、何時間も父や親戚や近所の人の悪口を吹き込まれ、
自分がいかに優しくて信頼されているかの自慢話を、
延々と聞き続けた。

それを、何年も繰り返し、やった。


だけど、
諦める勇気も、必要だね。

もう、これ以上は無理だ。
母は、超えてはいけない一線を超えてしまった。


相手は、やっぱり、変わってはくれなかったよ。

もう、あの場所からは旅立とう。
自分を守ってやらなくては、壊れてしまう。

だから、二者択一をした。


母は、自分を優秀だと思っている。
その自分だけが判断の基本で、
それと同じことが出来ない人を見下している。
自分の妹のことさえも、悪口を言う人だ。

平等なんて、そんなものじゃないんだよ。
みんながみんな、同じことを同じようにできることが、平等ではない。

そこにあの人は気がついていない。

みんな、それぞれが、出来ることを持ち寄って、
補い合うのが、
真の平等なのだ。


こういうことを教えてくれたのは、
親ではない。


わたしはもう、母と同じ土俵には降りない。

ここは愚痴吐き場であるから、
何度も同じ話をしてしまい、申し訳ない。


何かを捨てるときは、もちろんものすごい痛みを伴う。
それでも、捨てるしかないときがある。

一生その痛みを持って生きて行けばいいのだ。
忘れる必要もない。

そう、覚悟している。
後悔することはわかりきっている。
後悔しても仕方がないと、覚悟を決めたのだ。

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猫の寿命。

寝る前に、できるだけちまにそばに来てもらって、
話をしてから寝る。

ちまは、今6歳だ。

猫の寿命は、長く見ても、20年は、ない。

わたしの寿命はどうだろう。
まだ20年後は生きてるだろうか。

自分の親たちほど長生きしないことはわかっている。

今のご老人が、たまたま長生きなだけで、
今後の日本人が、ずっと長寿世界一を取り続けるとは思わない。

ただ、老人の人口割合が増えるのも、
子どもが減るのも、
人口の集中化が起こるのも、
人口全体が減ることも
起きることだ。


夫は、わたしの両親が死んだら、
田舎のその家に住みたいと二度目言った。

何も店もない、
車なしでは過ごせないような田舎だ。

自給自足をしたいと言う。

わたしは真っ平だ。
歳を取れば取るほど、
都会に住んでいたほうが便利だと思う。
田舎暮らしは、もうたくさん。


わたしは、死ぬまでちまと離れたくない。
ちまが死ぬのなら、わたしも死にたい。
ちまの居ない暮らしなんて、考えたくない。

でも、20歳まで頑張って生きてくれたとしても、
あと14年しかない。
わたしはまだ、60代だ。
その歳で死ぬのは、ちょっと早いかなとも思う。

お孫ちゃんを見たいからだ。
お孫ちゃんの成長を見るのは、
さぞかし楽しいだろう。


そんなことを、ちまと話す。

ママ、ちまの居ない暮らしなんて考えられないから、
死なないでね、と毎晩お願いする。

ちまに、極力ストレスを与えないようにして、
体調もチェックして、
病院にも定期的に通って、
長生きしてもらうのだ。


ムギと同居させた3ヶ月間、
ちまには、本当に申し訳ないことをしてしまった。

天使のちまちゃんだったのに、
シャーッなんて言ったことがない穏やかでフレンドリーな猫なのに、
ムギを怖がり、恐れ、嫌い、怒り、
毎日毎日、シャーシャー言って、パンチしていた。

ムギはノラだったから、そんなことは平気で、
嫌がらせに、いたるところにオシッコを撒き散らした。

夜中、
寝ているわたしの体によじ登ってきて、
ジョーッとされたときには、
わたしの堪忍袋の緒が切れた。

カーペットもダメにされ、
毛布も捨て、
買い換えたその毛布にやられたのだ。


ムギは、あのまま外で可愛がっていればよかったのだ。
家に入れてはいけない猫だったのだ。

ちまに多大なストレスを与え続けたことを、
本当に申し訳なく思う。


もう絶対に、
ほかの猫を家に入れたりしない。

だから、ちま、
長生きしてよね。
お願いだよ。
ずっと一緒に居たいよ。

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泣いた。

世の中には、理想論がある。
誰だって、理想を持っている。

うまくいけばいいなと思う。
そしてうまくいくよう、つとめる。


だけど、どうしても、どうしても、
超えられないものってあるんだ。

どうしてもどうしても、かなえられないことって、あるんだ。

昨日は、いろいろ悲しくて泣いた。

わたしは、誰も幸せにできないのか。

自分の無力さに失望する。


わたしって、そんなことの繰り返しの人生。
誰からも、肯定されない。


結局、何も成し遂げられてないじゃん。
頑張るつもりでスタートするのだけれど、
頑張れなくなってしまって、
挫折して、心も壊れて、
成し遂げられない。


そんな自分を責めていると、
カウンセラーさんは、
息子さんをいい大人に育てたという実績があるじゃないですか、
と言ってくれる。

人が人を育てるということは、
一大事業だ。

多分、人生において最も大きな事業だ。

そして、それには終わりはない。
わたしはまだまだ、これからも、
息子とお嫁ちゃんには、愛を伝え続けて行く。

それしか、わたしに出来ることはないから。


今頃、息子たちは実家に帰省中。
楽しく過ごせてるといいな。

母への手紙には、
わたしに話していたような、悪口や、自慢話は、
絶対に息子夫婦にはしないでくれと書いた。                  


連休中だが、家族の食事を作っている。
夕べは、キンピラごぼうを、丁寧に丁寧に作った。
明日も頑張ろう。

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久しぶりのいい夢。

土曜日は、美容院で髪を染めた。
終わって夫と待ち合わせて、
横浜まで出た。

本当は気に入った回転寿司屋さんが川崎にあったのだが、
潰れてしまったという。

なので横浜まで出て、新規開拓をした。

しかし、残念。
これはもう、珍しいくらいに、まずかったのだ。

お寿司を食べて、「まずい」ってあまり無かったので、
びっくりした。

カウンターの中に職人さんが立っているのに、
出てくる握りは、型抜きしたシャリで、
シャリの味がすごく薄い。

ネタは握ってなくて乗っているだけ。
食べ辛い。
そして、軍艦巻きの海苔は、紙のように硬い。

夫に、
「せっかく連れてきてもらって申し訳ないんだけど、ここ、マズイから、もう出よう。」
と言って、出ることになった。

それから駅ビルの蕎麦屋に入って食べなおした。

お寿司、楽しみにしてたのに、残念だ。


金・土とリウマチの薬を飲むので、
疲れが出やすい。
土曜日は帰って来てから何も出来なくて、
睡眠薬一式を飲んで、
11時半には眠ってしまった。


このところ、ずーっと悪夢に苦しめられているのだが、
昨晩の夢は、楽しかった。
夢にマツコさんが出てきて、友達になれて、
楽しくて笑った。

その自分の笑い声に気づいて目覚めたのだが、
また眠った。

合計で14時間も寝た。

ああ、いろいろ疲れていたんだなあ。
脳が怒ったり悲しんだりと、ずっと忙しかった。


今日から三日間、家族の夕飯を作る。
本日は4人分。

食後、やはり疲れてしまって、
後片付けを始めるまで、一時間もうだうだ休んだ。

寝すぎて血行不良になっているのだ。
沢山寝た翌日に、マッサージに行くと、すごく調子が良くなるのだけれど、
きっとお目当てのマッサージ師さんはお休みだと思うので、
諦める。

連休中、特に予定はない。
淡々と夕飯を作るだけ。


今夜もまた、楽しい夢を見たい。

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最後に笑顔で。

精神科の通院の日だった。

片道一時間半の道のりは疲れる。
でも、今日はあまり待たずに診ていただけた。

先月は、精神が崩壊して、
母にメールをしてしまったことを話した。
どんなことを話されたのかを言っているうちに、過呼吸の発作を起こしてしまい、
ドクターストップがかかって、
母とは接触しないようにと言われた。


今日は、その後、母から手紙が来たのだが、
どうしてもその手紙が謝罪には思えず、
夫に相談する間もなく、返事を書いて母を責めたことを話した。

夫が実家に行ってくれたのだが、
両親からはわたしについて何も話が出ず、
母が父に隠していること、
なので夫が帰宅してから、ダダをこねて、
「今後の連絡は僕にください。」と母にメールをしてもらったことを話した。


主治医の意見は、こうだった。

子どもを精神的に虐待して支配していた親は、
絶対に反省などしません。
謝罪も、表面的なもので、本心ではありません。
だから、離れるしか方法はありません。

けれど、お母さんが、もう死ぬ、という最後になったら、
行って、笑顔で世話をしてあげなさい。
最後だけでいいです。

そうすることによって、あなたの立場がお母さんよりやっと上になり、
あなたが、楽になるからです。

それまでは、罪悪感もあるかもしれないけれど、
距離を置くしかないです。
最後だけ、面倒を見てあげなさい。


わたしは、頷きながら、また泣いた。

悪いことをした、わたしを虐待してきた、という自覚のない母には、
改心の余地はない。
諦めるしかない。

主治医が言うように、最後はお世話をしよう。
そのときにはもう、恨み言を言ってはいけない。


帰宅して、ムギの世話をして、
食事をしたら、
疲れて起きていられなくなったので、寝た。

夫が11時過ぎに、やっと出張から帰って来た。
すごくすごく疲れていた。
部屋に来てもらって、マッサージをした。

リウマチの薬を増やしたから、
多少のマッサージくらいは出来るようになった。

今日から連休。
夫が少しでも休めるよう、わたしが頑張ろう。

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剥奪されていたもの。

少女期のわたしから、
母が剥奪していたものがある。

女の子らしさ、である。

わたしには、お姫さま願望があった。
よく、ドレスを来た少女のイラストを描いた。

それは、実際のわたしが、
女の子らしいものを、絶対に着せてもらえなかったからだ。

髪も伸ばしたかったけれど、
絶対にダメだった。
ふわっとしたスカートをはきたいと思っても、
絶対に買ってもらえなかった。

従姉からのお下がりで、一度、フリルのついたスリップをもらった。
リボンもレースもついていた。
「パーティドレスだ!」とわたしは喜んで、
それを大事にした。


極端なショートヘアと、
地味なズボン姿で、
わたしはずっと、男の子に間違えられていた。

よく遊びに行っていた家のおじさんが、
学校の制服を着ていたわたしを見て、
「女の子だったのか!」
と驚いたこともある。

(珍しく制服のある小学校で、女子は、こげ茶のプリーツスカートに丸襟のブラウス、同じくこげ茶の襟なしの上着という格好だった。男子は紺色なので一目瞭然。)


それくらい、女らしさを禁じられて来ていた。
レース、フリル、リボン、花柄、ピンク、赤。
わたしに無縁だったもの。

それらはわたしの少女時代にはまったく与えられず、
いつも男の子のような服装でいることを命じられていた。

あんたにはフリルもピンクも似合わないから。

これが母の言い分。


母は、非常に嫉妬深い人である。
父が伯母(父の姉)に優しくすると、わたしの耳元でその悪口を言い、
水をはじいてバスタオルなんて要らないと言った
わたしの肌にさえ嫉妬した。

わたしを、女らしくさせたくなかったのだろう。


大人になってからはわたしは常に髪を伸ばして長くしている。
スカートをはかなくなったのも、
ほんの、ここ数年のことで、ずっとスカート派だった。

もう今は、
フリルもリボンも着けないが、
髪にはいつも飾りを着けていた。
アクセサリーもしていた。
マニキュアもしていた。

女性らしくあることにこだわっていた。
少女期に、味わえなかったからだ。


もうさすがに今はすっかり、
飾らなくなった。
服も無地のほうが多いし、アクセサリーはまったくつけない。
髪は長いが、綺麗な色のゴムで縛ってるだけ。


なんだか、可哀相だったな。
男の子に見られること、すごく嫌だった。



今日は平和な一日だった。
夫が出張で、ムギの世話をした。
ムギ、可愛い。
ガレージに居ついたノラ猫のコゲちゃんと話もできた。
幸せだな。

明日は精神科通院の日。
前回、母のことを話して、過呼吸の発作を起こして以来だ。
その後のことを話して来よう。

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恐ろしい洗脳の事実。

カウンセリングに行った。
話すことが満載。
わたしの時間の後のひとが今はいないらしく、
いつもちょっと多めに話させてくれている。

夫が実家に行ってくれたのだけれども、
母が父に、隠しているようで、
話の口を切ることができずに帰って来たことを報告した。

そして、夫に、このまま静かに、
連絡を取らない・電話には出ない・帰省しない、という姿勢でどうか、と言われたが、
わたしはどうしてもそれでは嫌だとダダをこねて、
夫に、
「今後の連絡は僕にしてください。」
とメールをしてもらったことを話した。

その結果、夫にも、Z嬢にも、
性格悪いね、と言われたことも告げた。


もちろん、わたしは性格がいいだなんて思ったことはない。
自分の長所が、まったくわからないのだ。

けれど、親しい人に、性格悪いねと言われると、
ちょっと応える、とつぶやいた。

すると、カウンセラーさんが、
「じゃあ、例えばどういうことが人の長所って言えると思いますか?」
と質問してくれたので、
「例えば、明るいとか、面倒見がいいとか、人に優しいとか、友達が多いとか、努力家であるとか、忍耐強いとか…ですかね。」
そう答えた。

わたしは、一切その中に含まれない。
全く一致しない。

だから、長所を述べよと言われても、固まるばかりなのだ。

するとカウンセラーさんが思わぬことを口にした。

「今おっしゃったことって、すべて、お母さまの、刷り込みですよ。」

わたしはハッとした。
そうだ!
まさしくそうではないか!

母がいつもかも会うたびごとに、
自分の長所としてあげつらい、それによって賞賛を浴びたと、
自慢し続けている内容そのものではないか!


驚いた。

わたしは小さい頃から母にそういう話を聞かされ続けて来たことによって、
それらのことこそが、人としての長所であり、
それに当てはまらない自分はマイノリティーなのだと思い込んでいたのだ。

カウンセラーさんは、
「性格が明るいことは、長所ですか? 反面で人を傷つけているかもしれませんよ。暗いことは短所でしょうか? それは物静かな個性ですよ。」
と言った。


母の言葉とは、人生における呪縛であると、
わたしは繰り返し書いてきたが、
まさにこの刷り込み現象が、呪縛の一部なのだ。



そして続いて、わたしはもっと恐ろしいことに気がついてしまった。

わたしは自分が子どもを持ってみて、
自分の子が他人さまに褒められると、とても嬉しかった。
だから、母もそうかな?と思い、実験をしてみたことがある。

それは最初の結婚をしているときのこと。
両親が遊びに来ていたときのことだ。

ろくな食生活をしてこなかった前夫だったので、
わたしが作る料理を、美味しいと言って沢山食べる人だった。
それで母に、
「昨日ね、肉じゃがおいしいねって言ってくれたんだよ。」
と言ってみたのだ。

喜んでくれるかな?と期待した。

ところが、母の反応は理解を超えていた。
「わたしなんてね、この間里芋を煮て、お父さんに『絶賛』されたのよ?」

母は、わたしを否定して張り合ったのだ。

それどころか、
「あんたが作ったオムレツ、バサバサででまずいなあってお父さん言っとったよ。」
と付け加えた。

なんなんだこれ?

その時はよくわからずに、もう二度と料理の話はやめよう、と思い、
それ以後は帰省しても、一切料理を作ることを放棄した。

あんな後味の悪い思いをしたくなかったからだ。


自分の子どもは、可愛い。
もう無条件に可愛い。
ひょっとして親バカ?と思っていたので、わたしは、
当時のひどい姑が、「可愛い顔しとるねえ。」と言うまで、
固く口を閉ざしていた。

あのひどい姑が言うのだから、事実可愛いんだ、とホッとした。


自分の子どもは無条件に可愛いと思うのだけれど、
母は違った。
わたしの容姿をけなし続けた。
運動神経が悪いことや、不器用なことも、
延々とけなし続けた。

何故なんだろう。
なぜ、自分の子どもをけなすんだろう。

それはわたしの、永遠のテーマだった。


それが、今日、紐がほどけるように、理解したのだ。

そうか、あれは、『洗脳』だったのだ、と。

母は自分より弱い立場の人間をそばに置きたかったのだ。
そこをはけ口にしておきたかったのだ。

だからわたしをけなし続けて、自己肯定感を剥奪し、
自分の配下に置こうとしたのだ。

そうして、父や祖母や親戚や近所の人の悪口を、
わたしに吹き込んだ。
子どもだったわたしには判断能力がなく、
母の言葉を鵜呑みにしている時期もあったし、
大人になってからは、ことごとく反発をした。


相手をけなして自信を奪い、配下に置く。

ちょうどテレビで、洗脳の番組を見た後だったので、
この説には自分でも驚いたが、しっくりと来た。


父は、怒るとすごく怖い。
マシンガンである。
だから、母は父に怒られないようにするために、
保身に走り、
子どもの気持ちというものを痛めつけて従属させた。

なんという恐ろしい。
わたしはぞっとした。


もう、離れないと駄目になる。
わたしは未来を見て歩かねば。

カウンセラーさんが言ってくださった。
「あなたには、息子さんをあんないい大人に育てたという実績があるじゃないですか。仕事柄、いろんなお母さんの話を聞きますけれど、お子さんの心を大事に育ててる人って、少ないんですよ。」


わたしの人生におけるたった一つの成果。

それは、母に受けた虐待を、息子に対してしなかったこと。
抱きしめて泣かせてやれたこと。

それ一つしかない。
あとは全て、努力が足らず、忍耐力もなくて、頓挫してしまった。


弱い、ダメな人間であることは、自分で認める。
夫を失望させていることも認める。
返す言葉がない。

だから、感謝しながらこれからを生きて行こう。
そうするしか他に道はない。

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具合悪すぎ。

鬱の波は消えてなかった。
今日は体調が崩れた。

買い物をしている間から、変な汗が出てきて、
気分が悪い。

帰宅したら、お腹がキリキリと痛む。
帰って来てからで良かった。
吐き気を伴うくらい痛い。

でも、夕飯作らなきゃ。
今日は昨日と同じで、みんなが食べる。

しかし、トイレへの往復。

食事を作る手だから、
その都度、殺菌石鹸で念入りに洗う。

そしてまた5分ともたずにトイレに通う。


もっとちゃんとしたものを作りたかったのだが、
簡単なものを2品しか作れなかった。

お腹の具合が悪くて、味見してもよくわからない。


フラフラしながら、母屋に持っていく。
こんな体調のときにお姑さんに話し込まれたらキツイな…。

でも、今日は、話し込まれなくて済んだ。

盛り付けして、
ムギの世話をして、
みんなにメールをして、
夫には具合が悪いことをメールした。


戻って来て、ちまに餌をやり、自分は食べずに寝た。

悪夢の繰り返しで、3時間くらいで目が覚めた。
ちまもお腹がすいたという。

ちまに餌をやって、自分も夜中に夕飯を食べた。
まずい。
全然美味しくない。

こんなものを食べさせて、家族に申し訳ないなあと反省する。

連休中は、なるべく夫が休めるよう、夕飯頑張ろう。


食べたあと、また具合が悪くなった。
気持ち悪い。

太田胃散を飲んだ。

まだ気持ち悪い。
もう一回飲んだ。


明日はカウンセリングなので、またいっぱい話して来よう。
夫がわたしを、性格悪いと言いながらも、
理解し、協力してくれていることは、心からありがたい。

今週は精神科通院もある。
しっかり話をしてこよう。

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一気にうつ状態に。

いま、ひどく鬱状態。

起きた時から、ちょっと調子が悪かった。
でも、今夜は夕飯を5人前作るので、
4時から、なんとか踏ん張って、3品作った。

母屋に持っていくと、お姑さんが自分の部屋から出てきて、
お礼を言ってくださる。
お礼を言われるほどのことじゃないので、いいのに。

日中誰とも話さないので話したいのか、
キッチンの出入り口を塞いで、話されてしまう。

盛り付けをしながら、はあ、いいえ、とか適当に聞くように心がける。
じゃないと、しんどくなるから。

「もう何をするにも億劫で、こんなことなら早く死にたいわ。」
と毎回言われるのだが、
それに対して、「そんなことをおっしゃらないで、」と返事することもやめて、
「はあー、そうなんですか~。」と聞いておくことにした。

でも、今日は決定打を浴びてしまった。

「もう、何もしたくないから、あっちに(アパートに)いないでこっちに来て、
全部やってちょうだいよ。」


これは、わたしにとって、
言われると相当にキツイ言葉なのだ。


わたしは何も答えず黙っていた。
「それは無理です!」と言いたかったが、
黙っておいた。


このアパートのリフォームは、お姑さんがやってくださった。
「あなたが住むのだから、あなたの好みにしなさい。」と言ってくださった。
だから、すごくすごく恩義を感じている。

その頃はまだお姑さんも82歳で、比べ物にならないくらいお元気だった。

完璧な、スーパー主婦さんだった。
アパートに移る前は、
わたしは母屋の一階に引きこもっており、
前夜夫が買ってきてくれたパンしか食料はなく、
水筒に水道水を入れてもらって、それで夜までしのいでいた。

二階にあるリビングには行きたくなくて、
ひたすら引きこもっていた。
水筒の水も、夫に頼んで入れてもらっていた。

そして、夜になると、お姑さんの作ってくれた夕飯をいただいた。

大勢でいただくときには、大音量でテレビが流れ、
全員が一斉に喋り、
わたしは誰の話を聞いたらいいか混乱し、
手元をいつもお姑さんに監視されている錯覚に陥り、
食事時間がとても辛かった。

汗ぐっしょりになった。


最初の頃は、夫と自分のものの洗濯をしていたが、
水も電気も無駄なので、一緒にやらせて欲しいとお姑さんに言われて、
それすらお願いしていた。


本当に、見事なまでに、
嫁として、何一つ、役に立っていない。
むしろ、人数が増えただけ、邪魔だったろう。

申し訳ない結婚だ。

アパートに移れて、静かに自由に暮らせるようになって、
わたしはだいぶ良くなった。


今、料理を頑張れるのは、
無理をしていないからだ。

これが、毎日欠かさず、とか、
昼も夜も、とか、
そんな予定になってしまうと、潰れる。

水曜日をフリーにしてもらっていることで、かなり頑張れるのだ。

今、お姑さんは、毎日の洗濯とアイロンかけをやって下さっている。
それと、ご飯(白飯)の管理まではわたしは出来ないので、
おかずだけ届けて、ご飯は炊いてくださいね、とお願いしている。

そこまで奪ってしまうと、本当にボケてしまうかもしれない。


わたしは、できるだけ、母屋に行きたくない。
行っても長く滞在したくない。
だから、お姑さんがキッチンの出入り口を塞いで話し始めてしまうと、
すごく困るのだ。

聞き流すよう努力はしているが、
「こっちに来て全部やって。」
と言われることは、正直、鬱の大きな材料になる。


自分のキッチンで作っているから、こなせているのだ。
それ以外は無理。

申し訳ないけど、その要求は飲めない。


料理することは決して苦ではないので、
このままのペースで長く頑張ろうと思っている。

明日、起きたら、鬱の波が去っていたらいいのだけれど。

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性格悪い。

とうとう、Z嬢にまで、性格悪いなあと言われてしまった。
はあぁ。
そうなんだろうなあ。
自分でも自分の長所、全然思いつかないもの。

そんなわたしなのに、もらってくれた夫には感謝する。

今日はすごく久しぶりに車で一緒に買い物に出た。

わたしは、靴が買いたかった。
ずっと履いてきた黒い靴が、内側がベロベロになってしまい、
靴を脱ぐことがある場合には、
恥ずかしくて履いていけなくなった。
欲しかった布地のスリッポンを買えた。

夫は作業着を買って、帰宅してから、
自分でミシンを使い、裾上げをしていた。

夫は何でも自分で出来る人なのだ。



主治医は、お母さんと接することをきっぱりやめれば、
あなたはかなり楽になるはずです、と言い切った。

本当にそうなるかどうかは、まだわからない。
罪悪感に勝てるかどうかもわからない。

でも、静かにフェイドアウトだけするのも悔しくて、
夫にメールを送ってもらった。

そこんところが、わたしの性格悪いところ。

でも、いつもかもいい人だと自分の自慢をする人よりは、
マシな気がする。


お盆の帰省も、もちろんずっと頑張るつもりで行ったんだよ?
けど、初日から、夜中1時半まで延々と悪口を聞かされて、
もう、吐きそうだった。

事実、実家に居る間、わたしは極端に食事量が減る。
白飯などは一切受け付けない。
間食もしない。

母の愚痴でもう吐きそうだからだ。
実際、吐いたこともある。



長い目で物事をちゃんと見られたら、
わたしは愚かだということになるだろう。

頑張るつもりは、いつだってあるのに、
頑張れたためしが無い。

強い力も、魅力も、持ち合わせていないってことだ。

自分が変わるって、すごく大変なことだな。


とにかく、今は目の前の役割を、コツコツこなそう。
夫が楽になるよう、夫の愚痴は聞いて、
料理も頑張って、
ムギのお世話もなるべくわたしがする。
          
ムギは、部屋に行くと、最近は喜んで、
キャッキャと鳴いて寄って来てくれる。
夫がアレルギーでさえなければ、このまま暮らせるかもしれないけど、
夫の猫アレルギーは重篤なので、
今後のことをまた考えなくては。


本当にダメダメなわたし。
だけど、明日からも出来ることを頑張ろう。

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気持ちは晴れないよ?

ゆうべ寝る前に、
吉村昭氏の著作、「関東大震災」を、
読み返していた。

わたしは吉村氏の本を沢山持っているが、
最初に買ったのが、この本だったのだ。

その圧倒的な情報量に驚かされたのだった。
それでファンになった。

関東大震災は、大正12年9月1日に起きた、
相模湾を震源とする大地震だ。
東京だけでも、10万人以上の人が亡くなった。

だから、9月1日が「防災の日」になっているのだ。
子どもが小学校の時は、引き取り訓練があって、
仕事を休まなければならなかった。


陸軍被服廠跡地での大惨事については先日の記事で書いたが、
それをまた読み返して、
心が震えたまま寝付いたのだ。
大震災は、また、必ず来る。

そこに今朝の地震!

わたしの寝ている足元に立っている書棚がガチャガチャと揺れ動き、
わたしは跳ね起きて、床に四つんばいになった。

「とうとう来た!」
本気でそう思った。

ちまは、テーブルの下に入って身を縮めていた。
揺れが治まったら、まずちまをキャリーに入れなくては。


しかし、幸いなことに、揺れは短く、余震も来なかった。
テレビでNHKのニュースを見ていると、
夫が様子を見に来てくれた。

母屋は、鉄筋作りの堅牢な建物で、
地震では多分潰れない。
でも、一階にいて、けっこうな揺れを感じたらしく、
見に来てくれたのだった。


テレビを消して、わたしはまた眠った。

今日は夫は夜まで留守だというので、
お姑さんの夕飯が用意されているかを確認して、
ネットで時間を調べて、映画を見に行った。

平日とは違って、混んでいた。
すごく面白かった。
こんな痛快な映画を観たのは初めてだ。

お弁当を買って急いで帰って来て、ムギとちまの世話をした。


夫からのメモに、
「お母さんから、わかりました、と返信があったよ。」と書かれてあった。
ゆうべ、夫がメールを出した時には、返事は返ってこなかったのだ。

これで、わたしの本気度が伝わったことだろう。

でも、決して、いい気分ではない。
人を恨んだり憎んだりする気持ちは、
自分の首をしめるようなものだ。
すっきりしない。

でも、もう我慢も限界を超えてるし、
何年も、何十年も我慢したんだから、
もう、いいよね。

最後までいい娘でいたかったけれど、
残念ながらそれは叶わなかった。

多分わたしを責める声のほうが大きいだろう。

それでも、もういい。
疲れたよ。
吐きそうなんだよ。

ずっと一生、気分は晴れないが、
仕方がない。
母には、自分がしたことの代償を受け取ってもらおう。

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我慢の時代は終わり。

夫が、出張から早く帰って来た。

千疋屋のケーキを買ってきてくれた。
それを食べながら、実家での様子を聞いた。

車で駅まで迎えに来てくれたお父さんはご機嫌だったそうだ。
夫は、まずはわたしとの話を先にしてしまって、と考えていたようだが、
お父さんは終始ご機嫌だし、
母は一切わたしの名前を出そうともしないので、
さてどうしたものか、と考え込んでしまったようだ。

しかし、向こうが知らぬ振りをしている以上、
それは当然父がこの状態をまったく聞かされてないということになる。

それなのに、言い出すことはどうしてもはばかられて、
夫は、言わないことにして、
飲んで帰ったとのことだった。


夫が嫌な思いをしなかったことは良かった。

しかし、わたしは釈然としない!

わたしが、もう死ぬまで会えなくても仕方がないとまで思い詰めて、
大きな覚悟を持って、手紙を書いたのに、
それをなかったことにしようとしている。

そのうち氷も溶けるだろうと楽観しているに違いない。

そんなの卑怯だ。
傷つけられて来たわたしの心をなんだと思っているのか。


夫は、キミが連絡をしないで、
向こうからメールが来ても電話が来ても無視すればいいだろう、と言う。

わたしは、メールが来るかもしれないと怯えて暮らすのは嫌だ。
電話でなんて絶対に話したくない。

わたしは「拒絶」している!ということを、知らせたかった。


だから夫に頼んだ。
夫から母にメールして欲しいと頼んだ。

「今後は僕に連絡をしてください。理由は、わかっていますよね?」
って書いて、と頼んだ。

夫は、「キミは嫌な性格だねえ。」と言った。

そんなのわかってる。
わたしは別に、一度だって、いい人だったことなんてない。

母みたいに、自分を自慢し続ける人が大嫌いだ。

わたしは、自分の自慢なんてない。
息子がいい大人になったのは、
それは息子の持っている魂がもともと素晴らしいからだ。


連絡を拒否して、年末に帰省しないとわかったら、
そこでお母さんはやっとお父さんに話をするだろうから、
ほおっておけばいい、という夫に、
嫌だ、そんなの嫌だ、と駄々をこねた。


傷つけた本人が今、どういう気分で生きてるか知らないが、
少なくとも、わたしが今度ばっかりは本気なんだぞということを、
知ってもらいたい。
自分の罪について、一度考えてもらいたい。

夫は仕方なく、母にメールをしてくれた。
無事に東京に戻りました、
昨日は飲みすぎました、
今後は何かあったら連絡は僕にください。と。


これで母はわかるはずだ。
夫は、何も言わなかった。触れなかった。
でも一切を聞いて知っていますよ、ということを。


夫がメールを送ってくれて、
わたしはようやく、納得した。


思い起こせば、去年の大晦日、
息子と二人で新幹線に乗って、
息子が買ってくれたお弁当を食べて、
幸せだったな。

息子と二人で正座して、両親に今までのお礼をきちんと述べて、
そしたら父が、後で来たお嫁ちゃんにその話をしながら泣いた。
ちゃんとお礼を伝えて良かったな。

息子と一緒に大晦日を過ごせて、
一緒の部屋で眠れて、
幸せだったな。


でも、ゴンのことは、謝罪してくれなくて、
それどころか、古い話を持ち出したと責められて、
傷付いて帰って来た。


あれで終わりにしておけばよかった。
お盆に帰省しなければ良かった。


でも、わたしがいい子ぶって、黙って我慢する時代は、
もう終わった。

終わったんだ。

もうわたしはいい子なんかじゃない。
嫌なヤツでけっこう。

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いったいどうするつもりなの。

夫が、出張の合間に、実家に行ってくれた。

嫌な思いをしているのではないかと、日中気になっていた。
申し訳ない。


ところが、夜になって、驚愕のメールが来た。

わたしの話題が、一切出なかった、というのだ。

えええ?
どうゆうこと?

そう、一切話が出なかったから、
夫からは、何も伝えることができなかったのだという。


母は、自分の罪を、父に隠している。
隠し通せると思っている。
そのうち、氷が溶けると思っている。

はあ?

わたしは、もう、生きて会えない覚悟をして手紙を書いたんだよ?
それを、いつまでも父に隠し通せるとでも思ってるの?

一体このあと、どうするつもりなんだろう。
何もなかったことにするつもりでいるのか。


どんな気持ちで今日夫と話したんだろう。
何を話したんだろう。
よく平気でいられるな。


あきれ果てる。
どうするつもりだ。

夫が帰って来たら、様子を聞くつもりだけれど、
わたしがいざ、
帰省しない・親戚のお葬式にも出ない、となったら、
母は父に、どう説明するつもりなんだろうか。

甘く見てる。
舐められてる。

わたしは、二度と母の話など聞きたくないのだ。
だから、そのために、父にもう会えなくっても仕方がないとまで、
思い詰めてるのに。

そしてその罪悪感で苦しんでいたのに。


だけど、夫から話を切り出すわけにはいかないのは、よくわかるし、
今後のことはまた、相談しよう。

すごくバカにされている感じがする。
不愉快だ。
いったいどうするつもりでいるのか。

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長所を教えてあげよう。

わたしは、あるときに受けた面接で、
「では最後に、あなたの長所を言ってみてください。」と言われ、
固まってしまった経験がある。

長所…。

まったく思いつかなかった。
自分をセールスしなければ、受からないのに、
わたしは固まってしまって何一つ思い浮かばなかった。

苦し紛れに、
「我慢強いところですかね…。」と、言ってはみたものの、
今思えば、
長く我慢を強いられる人生であっただけで、
わたしは全然我慢強くなんてない。

そこを頑張ってしまったから、
うつ病を発症したのだ。


子どもは、大人が思っている以上に大人を見ている。
一人っ子ならなおさら、
親の感情に振り回されるので、
常に顔色を伺っている。

だから、必然的に、
言ってはいけないことや、望んではいけないことを、察するのだ。

そういうことを、親はわからないといけない。


わたしは、近所のお宅にあるお雛様がうらやましかった。
すごくうらやましかった。
でも、買ってもらえる環境にないことはわかりきっていた。
だから、自分が当時持っていた安物のビニールの人形を並べて、
無邪気なフリをして遊んでみせた。

子供の頃、大阪で万博があって、
大阪には充分日帰りでいける土地柄だったので、
多くの子が家族で行っていた。

でも、うちは行けない、ということを、よくわかっていたので、
もちろん行きたいとも言わなかった。

学校とは野蛮な所で、
「万博に言った人~?」と手を挙げさせられ、
あまりにも大勢が挙手したので、
びっくりして、わたしも嘘をついて挙手した。


テレビも、長い間うちだけ白黒だった。

子供心に、満たされず、辛い思いをしていた場面は多いのだ。

それを、親は勝手に、
「あんたは欲しがらなかったから。」とか、
「あんたは行きたがらなかったから。」とか言ってのける。

言える雰囲気じゃないことを察していたんだよ?

どこまで非道な親なんだろうと、わたしはがっくり来る。


子供の頃に、親に、長所を教えてもらった子どもは、
それを糧に、頑張って生きていける人になる。

わたしは、一度も褒められたことがない。

だから、長所は、と聞かれたときに、
とっさの言葉すら出なかったのだ。

実は、今でもわからない。

自分は人よりも劣っていると思っている。

だから、従姉と話していて、
「あの時、こう言ってくれたこと、すごく嬉しかったんだよ。」
なんて言ってもらえると、
すごく嬉しくて満たされる。


一つでもいいから、
何か性格的に、自信が持てることがあったら、
もっと生きやすいのにと思う。

夫も、酔えばわたしを責めるし、
褒めてくれるのは、従姉だけだ。


いま、お子さんを持つ方がもしこれを読んでくださっていたら、
ぜひ、実行してほしい。

子どものいいところを、褒めてあげよう。

もちろん、子どもは社会的には未熟なので、
道を教えたり、時には叱ることも必要だけれど、
親からきちんと「肯定」された子どもは、
いい大人になる。

わたしは親バカなので、
息子の声から爪の形まで、ひたすら褒めて育てた。
だって全てが愛おしかったんだもの。

言葉遣いや、食事のマナーなどには厳しくしたが、
それは、その教えをしないがために、彼女に振られたら、
教えなかった親の責任だと思ったからだ。

息子はわたしの親バカを見抜いていて、
「ママ、いつもほめてくれるね…。」と照れていたが、
親が褒めないで、世の中のいったい誰が褒めてくれる?


わたしには、自己肯定感がなかったので、
仕事に打ち込んだ。
成果は出せたが、性格を褒めてくれる人は居なかった。

仕事は出来ても、ヤナヤツだったかもしれない。


こんなわたしだけれど、慕ってくれて甘えてくれる、
ムギやちまには感謝だ。

夫には迷惑をかけてばかりで、申し訳ないと思っている。

今日、夫が実家に行ってくれる。
どういう話になるかわからないが、
夫にゆだねることにする。

                                          伽羅moon3

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一人居た!

ゆうべは体調が悪くて、
わたしにしては早い、11時くらいに薬を飲んで眠った。

火曜日は従姉とランチの予定だった。
早く目が覚めたので、ちょっとだけ時間を繰り上げて、早く会った。

わたしが親族で付き合っているのは彼女一人。
本音で話せる数少ない人物だ。

ブログを読んでくれているので、説明なしで、わたしの状況をわかってくれている。
もうじゅうぶん頑張ったよ、だからもういいよ、と言ってくれた。

罪悪感と、まだわたしが戦っているのを見透かされた。


よく考えてみれば、
わたしは母からのみ苦労話や自慢話を延々聞かされていて、
外から母を見ている人の意見を聞いたことがない。

母が言うには、自分は誰にでもよく尽くして、
優しくて、頼られる、いい人なのだそうだ。

夫も、まあ、傍からみたらそういう人なんだよ、と言う。
父はもちろん、絶対的に母の味方。


母は、自宅でおばあちゃん(父の母)を看取ったが、
それを自慢にしている。
やさしくしたと言い切る。

でも、わたしの記憶のなかでの母は、
つねに祖母を怒鳴り、
悪口をわたしに吹き込んでいる。

父の母親に対して、タメ口どころか、上から物を言い、
怒鳴っていたのだ。
それが、優しい嫁だったのだろうか?

やることをやってあげていれば、口の利き方なんてどうでもいいとは思わない。

おばあちゃんも、多分に問題の多いお年寄りだったが、
ずっと悪口を吹き込まれて来たわたしは、しんどかった。
それに、おばあちゃんはわたしには優しかったのだ。


果たして母が本当にいい人なのか。
なぜその毒に誰も気がつかないのか。
なぜわたしだけがいじめられたのか。

そこにわたしは苦しんでいる。
他人に優しくできる余裕があるのなら、
たった一人の自分の子に、なぜ優しくできなかったのか、
まるで理解を超えている。

そんな話を従姉に聞いてもらっていた。

すると、従姉が、重い口を開いた。
うちの母親は、ブラックな面を、実は知ってるよ、と。

彼女の母は、わたしの父の妹である。
わたしにとっての叔母。

その叔母が、母と職場が同じで、友達になり、
実家に連れて行ったところ、父が母に惚れて、
結婚したのだ。

だから、叔母は、娘時代からの母をよく知っている。


叔母がなんと言っていたか聞きたかった。
「裏表があると言っていたよ。怒らせるとすごく怖いって。」

わたしは、この言葉に救われた!

いたんだ、気づいてる人が!

今まで誰も味方が居なかったので、わたしはすごく救われた。

ただ、祖母を世話してくれているという引け目があって、
叔母もあまり多くは語ってないようだった。
従姉にも、「もっと教えて?」と頼んでみたのだが、
彼女は口が堅いし、
「悪口になっちゃうから。」と、
それ以上は教えてくれなかった。


母は、全て保身なのだ。
自分は頑張った、自分は尽くした、自分は大変だった、
だから多少のことはしょうがないでしょう、と。


今後わたしは、親族の葬式にももう出られないからごめん、
と先に謝っておいたが、
従姉は、「呼ぶつもりなかったからもちろんいいよ。」と言ってくれた。


従姉と別れてバスで帰って来たが、
低気圧のせいか、心理的なものか、
昨日と同様に具合が悪くなってしまった。

でも、夕飯作りは休めない。

必死に二品作って持って行き、
ムギの世話をして、
戻って来てちまの世話もして、
夕方、寝た。

寝ながらも、具合が悪い。

夜中に、お腹のすいたちまに起こされて起きた。
自分も夕飯を夜中に食べた。

そしてまた具合が悪いので、このあと寝る。


とにかく、今日は収穫があった。
ブラックな母を知ってる人がいるというだけで、救われた。
こんな考え方をするわたしは、心がめちゃ狭いと思うけど、
わたしは自分を過大評価しない。

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首都直下型地震のこと。

寝違えた、というのは、首がほとんどだと思うのだが、
どうやら、背中を寝違えた。

右の背筋が、痛くて体を捻じれない。
困ったな。


金曜日と土曜日にリウマチのお薬を飲むので、
土日はどうしても体がだるい。

最低限のことしかできない。
時々、体を横たえて休む。



今週、夫が学会の合間に、実家に行ってくれることになった。
夫は淡々としていて、
特に憂うつでもない、と言ってくれた。

本来なら、お父さんとちょっと楽しく飲みましょう、ってことだったのに、
わたしが母と仲たがいしてしまったから、
なんだかすごく、申し訳ない。

母は、わたしに愚痴った内容が内容だけに、
夫に何も言えないだろうし、
どうなることか、わからない。

何か言ってきて欲しいことはあるか、と聞かれたので、
二つ頼んだ。

一つは、もし何か用事があれば、夫あてにしてくれること。
わたしは電話には出ない。

もう一つは、
これは両親が亡くなったあとのことになるが、
わたしには、自分のお金というものが一切ないので、
墓参りに行くといったって、
法事をやるといったって、
すべて、夫の財布からなのだよ、と
言っておいて欲しいということ。


だから、実質、
両親が死んだ後は、
法事も墓守も出来ない、ということだ。

貧乏のさなかにも、親はおろか、祖父母の法事まで務め上げた両親から見たら、
さぞ情けないことだろう。

だけど、わたしは自分の意思で一人っ子に生まれたのではないから、
諦めてもらうより他ない。

母が最初の子を産んでいればそれは男の子だったから、
仕方ないのだ。



話は変わって、
テレビで地震・防災の番組を見た。
東日本大震災以降、国としての取り組みも変わってきている。

あの震災の日は、家族がバラバラだった。
夫は出張で北海道。
わたしは個展の初日で横浜。
長女と次女は仕事。
唯一、末っ子くんだけが学生だったので在宅しており、
直後、奇跡的に電話がつながり、
ちまのことを頼めたのは心強かった。

次に起きるのは、首都直下型地震。

大正12年に起きた、関東大震災では、
10万人以上の人が亡くなった。
ちょうどお昼どきで、火を使っている家庭が多く、
火災が多く発生したため、と報じられている。

けれど、実は、死者10万人のうち、
4万人弱は、ある一箇所で亡くなっているのだ。

墨田区にある、陸軍省被服廠跡地。
今は東京都の慰霊堂となっているが、
当時は広大な平地で、避難するにはもってこいの場所だった。

そこへ、大八車に家財道具を積んだ人びとが殺到した。
周りからの火災がどんどん近づいて来て、
その広場で大規模な火炎流が発生して、
大八車やタンスが巻き上げられては落ちてきた。

それらがやがて火を吹いて、
更なる火炎流を産み、
人びとを巻き上げ、叩きつけ、
見上げんばかりの焦げた死体の山を築いたのだ。

その人数が推定3万8千人。
生き延びた人の証言は、地獄絵図だ。


地震になったら、余計なものは持たないで避難しなければいけない。
会社に居るときには、いまは会社にとどまることを推奨されている。


できれば、家族がバラバラじゃないときにと願う。
特に、息子たち夫婦のことは、心配だ。
地震に対して、特に備えをしていないと言っていたから。


わたしは、家にいたら、ちまだけを背負って避難しよう。
息子たちにも、二人でよく話し合うように伝えておこう。

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400円事件。

ゆうべ、寝る前に、
息子のことを色々思い出していたら泣けてきて、
寝付けなくなってしまった。


息子は結果的に、素晴らしい大人になってくれたが、
小さかった時、
もっともっと一緒にいればよかった。
寂しい思いをさせてしまった。

怒る必要のない部分で感情的になってしまい、
傷つけてしまった。
反省やら後悔することだらけだ。

もう一回、息子を育てたいよ。


息子が、小学校4年生の時のことだ。

わたしは樹脂粘土の仕事を始めていて、土日を留守にすることが増えた。
その土曜日も、仕事で遅くなるから、
コンビニで何か夕飯を買って食べてね、と、
息子に400円渡して出かけた。

400円あれば、サンドイッチにおにぎり一個、ぐらい買える。
息子は友達と公園で遊ぶ約束をしていると言っていた。


仕事が終わって、公衆電話から息子に電話した。
すると、元気がない。
「どうしたの?」と聞くと、
「お財布をなくしちゃった。」と言う。

公園で遊んでいるときに、落としたのかもしれないとのこと。
中には、わたしが渡した400円だけではなく、
自分のお小遣いも入れていたという。
それが1500円くらいだったというのだ。

それはしょんぼりするはずだ。
可哀相に。
わたしはなぐさめて、すぐ帰るからねと電話を切った。


そのころ息子のお小遣いは、
毎月一回、実家から送られてくる荷物に入っている、
おじいちゃん・おばあちゃんからの2000円だった。
小学生には高額。
だからわたしからはあげていなかった。

可哀相に、そのほとんどを無くしちゃったんだ。

わたしは急いで帰った。

当時住んでいた部屋は、長い廊下があった。

ただいまー、とドアを開けると、
部屋の奥に居た息子が、
わあっと泣き出して、走ってきた。

その体を受け止めると、彼は、
「ママごめんなさい、ママからもらったお金、無くしちゃった。」
そう、言ったのだ。


わたしは、びっくりした。

泣いて走ってきたときは、
自分のお小遣いを全部無くしたことがショックなんだな、とわたしは思った。

ところが、息子は違った。

わたしが渡した、400円を無くしちゃってごめんなさい、と
泣いて謝ったのだ。

なんてこの子は素晴らしいんだろう!

わたしは感激して、息子を玄関で抱きしめて、
一緒に泣いた。


もしわたしだったら、きっと自分の1500円のほうがショックなのに。

お金が無くなったので、家にあったカップラーメンを食べて済ませたと言っていた。


わたしは、大人としてのあり様を考えさせられた。
この子は、わたしが稼ぐ400円の重みを知っているのだ。


翌日、無駄だろうなと思いながらも、遊んでいたという公園に一緒に行き、
息子の財布を捜した。

見つからないので、これもまた、無駄だろうなと思いながらも、
交番に行って、手続きをしてきた。

財布は出て来なかった。



土曜日、次女の誕生日会として、
駅近くのステーキハウスで、6人が集合して祝った。

夫が、次女に、
「好きなもの頼めばいいよ、値段とか気にしなくていいからね。」
と言った。
「うん、気にしてない~。」
と次女は明るく答えた。

うらやましいな…。

わたしが再婚して、
息子が結婚するまでの間、
わたしと息子は年に何回か、デートをした。
その時は、夫からたっぷりお小遣いをもらっていたので、
「好きなものを好きなだけ食べなね。」
と言ってやれた。

貧乏生活ばかりさせていた償いだった。

でも、もうそれも出来ないんだな…と思うと、
寂しい。
夫がうらやましい。

わたしも、息子ともっと会いたい。


小さかった息子は、わたしに本当にたくさんの事柄を教えてくれた。
この、400円事件も、
一生忘れられない事件の一つだ。

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天使の頃の記憶。

人生において、最も不幸なことは、
子どもが死んでしまうことだと思う。

わたしは自分の命など軽んじていたが、
息子にめぐり合って、
何としてもこの子を守らねばと思い、
生への執着が湧いた。

子どもに先立たれることほど、不幸なことはない。

だからわたしは息子にはいくつかの禁止事項を出していた。

まずもって、自殺は禁止。
台風のときに河や海を見に行くこと禁止。
河の中洲でのキャンプ禁止。
バイク禁止。
アルコールの一気飲み禁止。

とにかく、母より先に死んではいけない。
それさえ守れるなら、あとは自由でよい。

わたしが死ぬ前にできれば来てくれて、
意識がなくなっていても、耳は聞こえているから、
耳元でささやいて欲しい。
そう頼んである。


自分の子どもが、元気で生きていてくれたら、
そんな幸せなことはないと思う。
それで充分ではないか。

だから、息子も、わたしに、
親に対してはそう思えばいいんじゃないかな、と言葉をくれたのだ。

もう頑張って愚痴や悪口や自慢話を聞かなくてもいいんじゃない?
と、言ってくれている気がした。


息子は、言葉が遅かった。
一歳半の検診では、ひたすらにギャン泣きで、
この子は障害を持っているかもしれないと言われたくらいだ。

でも、喋り始めると、次々と面白い言葉を生み出して、
いっぱい笑わせてくれた。


2歳のころ、息子は朝起きて来ると、
朝食のパンを見ながら、
「飛びたいの…。」
と言って、泣くことがたびたびあった。

なぜこんなに「飛びたい」を繰り返すのか、
そのときにはわからなかった。
だから、自分が息子をどんなふうになだめたのかを、覚えていない。


あれは、お腹に入る前の記憶だったのではないだろうか。


生前記憶を持った子どもたちの多くは、
2~3歳までしかその記憶をとどめていない。

多くの証言には、
いっぱい仲間のいる天でふわふわ暮らしていて、
地上のママを見つけて、
あのママのところに行こう、と決めて、
飛び込んでくる、というものがある。

胎内記憶を持っている子もいる。


当時のわたしには、そういう知識がまったくなかったので、
残念ながら、息子に、産まれる前の記憶を聞きだすことが出来なかった。

惜しいことをしたと思う。


でも、ロクに知識がなくて、
「飛ぶ」ということがどういうことかよくわからない二歳児が、
毎日「飛びたいの。」と泣いていたのだ。

今なら、
天使ちゃんだった頃の記憶だね、と受け止めてやれるのに。
惜しいことをした。

自分がどう対応したのか覚えていないけれど、
多分、抱きしめて、涙を拭いてやったぐらいだったと思う。


わたしがもっと覚醒していれば…。

後悔することがいっぱいある。
息子はちっとも悪くないのに、
イライラして怒ってしまったことがある。

その一つ一つを思い返しては自分を恥じ、
心から後悔する。

こんな未熟なわたしを選んで生まれてきてくれたのに、
怒ったりしなきゃいけないことなんて、
きっとそんなになかったはずなのに、
怒ってしまった自分を憎む。

どうか、息子の心の傷として残っていませんように。
もし、残ってしまっているのなら、
今から挽回できますように。


息子と、話したいなあ。
懺悔をしたい。

会いたいよ。


子どもとずっと一緒に住んでいる夫がうらやましい。

息子に、会いたいな…。

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あれで終了していた。

息子はやさしく、
また心境が変わることもあると思うからさ、と言ってくれたが、
今回は、わたしは相当の覚悟を持っている。

去年、
息子と一緒に大晦日に帰省して、
一緒にすき焼きを食べて、
一緒にダウンタウンを見て、
一緒の部屋で眠った。

そこにお嫁ちゃんが来て、
みんなで食卓を囲んだ。

とってもいい思い出だ。

そして、あれが最後でいい。


わたしは欲張りで、いろんなものを手に入れたくて、
八方美人を繰り返してきて、
自分で首を絞めてしまった。

何もかもオーライな人生なんてない。

いい息子に恵まれて、
頼れる人と再婚できて、
いいお嫁ちゃんが現れて、
それでもう、充分幸せだ。

毎晩、寝る前に、
ちまにそばに来てもらって、少し話をする。

ちまと初めて会った時のことや、
息子が小さかった時のことや、
その日にあったことを、
ちまに聞いてもらっている。

だからわたしは、少しも孤独じゃない。
満ち足りている。


テレビを見ていて、
マツコさんと有吉さんが、
自分の親の馴れ初めなんて聞きたくない、
ヘドが出る、と言っていた。

ああ、だからわたしはこの二人が好きなのだ。
心に持っている闇が同じなのだ。
大好きな博多大吉さんも、そう言っていた。
大吉さんもネガティブで好き。


自分の両親の夫婦生活なんて、
ホント、反吐が出るよ。
(今は自分のも無理だけど)

それを喋った母の罪は重い。

それを、身を持って知ってもらうのだ。
わたしはもう、話をしない。聞かない。
会いに行くこともしない。


すべてが万々歳なんてこと、あり得ない。
ただ、去年の年末だけは、息子と一緒に帰省できて、
すごく幸せだった。

二人で正座して、両親に改めてきちんとお礼を述べて来た。

あそこで終了したものだと思うことにしよう。


夫が、客観的に見たら母はいい人なんだよ、と言い切ったので、
なんだかむしろ、諦めがついた。

なんでみんな騙されてるの?
なんでみんなあの人の毒に、
あの人の二面性に、気がついてくれないの?って、
ずっと苦しかったからだ。

わたしだけがなぜこんなに苦しんでて、
あの人はいけしゃあしゃあと、自分を誇示して自慢話ばかりしてるの?

ずっと苦しかった。
この人は、恥ずかしくないのか、と怒りをずっと抑えて来た。

わたしのことは散々けなして傷つけて生きてきたくせに、
自分はいい子ぶって、
その裏表が大嫌いだ。

でも、客観的にいい人なのなら、もう、仕方がない。


どうしても、どうしても理解ができない。
なぜ、自分の子どもを、けなすのか。

グズ、チビ、ビリ、とわたしを呼んだ。
不器用で絵が下手で足も遅くて暗い、とけなしてばかりだった。

たとえそれが、全て言い当てていたとしても、
わたしには、それを子どもに投げつけて傷つけるその気持ちがわからない。

わたしは、サンドバッグだったのか?
わたしだけが、はけ口だったのだろうか。


その点においては、
わたしは、不幸だったと言うしかない。
自分に責任があったとは、どうしても思えないのだ。


繰り返し言うけれど、
子どもは自分が産んだからといって、
自分の所有物ではない。

いくら小さくて、物事がよくわかっていなくとも、
尊ばれるべき、一個の貴重な魂なのだ。


東京に来られたことは、本当にラッキーだった。
母から逃れられて、ラッキーだ。

だから、もう会えなくていい。


わたしはわたしが持っているものたちを、
大事に生きて行こう。

そう考えると、とても恵まれている。
感謝。

                                         伽羅moon3

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沈黙の涙。

夕べは寝付けなくて、
朝になってからセロクエルを4粒も飲んで、
数時間やっと寝た。

しんどい。
ドリンク剤を飲んで、カウンセリングに出かけた。

貴重なわたしのオフ日である水曜日。
有効に使いたいところだが、
疲れていて、ふたつのことは出来ない。


カウンセリングには、母から来た手紙を持って行った。
普段、字を書かない母が、
辞書を引き引き、頑張って書いてくれた手紙であり、
人生において、初めて、「ごめんなさい。」を聞けた手紙でもある。

読んでもらって、わたしはカウンセラーさんに聞いてみた。

「この手紙、謝罪ですか? わたしは猛烈に腹が立ったんですが、おかしいですか?」


そうしたら、カウンセラーさんは、ある一行を指差して、
「ここですね。」と言った。

そうだ。

母は、わたしを心配して、本当に悪かったと思って書いてはいない。

「このままだと自分の神経がおかしくなるので。」
と書いてあるのだ。

これがあの人の本心だ。

ただ自分が苦しくて、許してもらえる突破口が欲しくて、書いたのだ。

だからわたしはブチ切れて、
夫の帰宅を待たずに返事を書いて出してしまった。

その内容も説明した。
夫に、ちょっぴりとがめられたことも話した。


今後は、夫が窓口になってくれるのだけれど、
それには息子くんの協力が欲しいとのことだったので、
わたしは息子にメールをした。

キミにはいいおばあちゃんで、
おじいちゃんにはいい奥さんなんだけれど、
わたしに対しては、子供の頃からずっと、言葉の虐待をしてきました、と書いた。

その、わたしが息子に送ったメールをカウンセラーさんに見てもらった。

そして、それを読んだ息子からの返事も、
読んでもらった。


息子からのメールを読み終えて、
カウンセラーさんは、「まあ…。」
と言って、唇を噛んだ。

見ると、目に涙がいっぱい溜まっていた。

つられて、わたしも泣いてしまった。


「まあ…もう、本当に、なんていい息子さんなの?」
カウンセラーさんがそう言ってくださった。
嬉しかった。
「全部ちゃんと見てわかってるんですね。」
そう言ってくださった。


わたしもいっぱい失敗して、息子を叩いたり心を傷つけたことがある。
それは今も詳細に覚えていて、
心から申し訳なく思っているし、恥ずかしい。
一生反省を続けていく。

親バカだけれど、息子は本当に、気持ちの綺麗な子なのだ。

特出して何が得意とかいうこともない。
人生において、何か壮大なことを成し遂げる子でもない。

でも、限りなくやさしい。

人を、大事にできる。

愛する人を守る気概も持っている。


わたしは、
わたしには、無限の可能性があったはずだと思っている。

文章を書くのが好きなので、エッセイストになりたかったし、
英語も得意だったので、翻訳家になりたかったし、
平面デザインが好きだったので、テキスタイルデザイナーになりたかった。

それらは、一定以上の評価をいつも得ていた。

でも、高校受験の時に、
最初から、大学には行かせないと言われた。
せめてデザインの専門学校に、と懇願したが、
すべて拒まれて、仕方なく、就職した。

わたしには、やりたい仕事がいっぱいあったのだ。


でも、まさかと思っていた、「母親」になれた。
これは想定外だった。

自分が子どもを持てるなんて、思ってもみなかった。

胎動が、愛おしかった。


息子に恵まれて、良かった。
幸せな結婚をしてくれて良かった。

前を向いて、
息子たちの幸せを祈って生きよう。

母のことをいくら考えても、
憎しみしか浮かばないのであれば、
それは人生において大きなマイナスだ。


カウンセラーさんは、あの温厚な主治医が、
「お子さんをこんな風に育ててしまって、それは立派な親でもなんでもありません!」と、
怒ってくださったことに、大いに驚いていた。


ドクターストップを、ストレートに受け取りましょう。
親には、
わたしは東京で入院しているとでも思ってもらえばよろし。


わたしはここで幸せに暮らします。

                                          伽羅moon3

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人類史上、最も。

一ヶ月ぶりくらいに、マッサージに行けた。
指名している人は、華奢な女性なのだが、
体のあらゆる部位を使って施術してくれて、
それがすごく上手。

その人は、月~水しかいないので、なかなか予約が取れなかったのだ。

体調が、良くなった。
夕飯作りもサクサクできた。

肉じゃがを煮込みながら、
息子にメールを書いた。

母の悪口は書かなかった。
キミに対してはいいおばあちゃんだし、
おじいちゃんにとってはいい奥さんなんだけれど、
唯一、わたしにだけ、言葉での虐待をしてきました、と説明した。

これしか親孝行できないからと、
無理しておばあちゃんの愚痴や自慢話を何年も聞いてきましたが、
今回の帰省で、耐え切れなくなり、決壊しました。
精神科のお医者さまからもドクターストップが出ました。

だから、当分は帰省しません。電話も無理です。
夫が全面的に代わってくれますが、キミの協力をもらえるかな。

わたしの代わりに、年に二回、帰省してやって欲しいです。
夫が、交通費を半分負担します。

親戚のお葬式に、是が非でも出なくてはいけないという事例がもし発生して、
夫が行けないときは、代わりに行ってもらえますか?

マンションを買って、幸せな新婚生活を送っているキミに負荷を負わせることは、
本当に不本意なのだけれど、
どうか考えてみて、返事をください。

と書いて、夕方送った。


そしたら、多分、会社の帰りだろう、夜の早い時間に返事が来た。

わたしは恐る恐る携帯を開いた。
そして、号泣した。


この子は、やっぱりわたしの子ではなくて、
お預かりしてた天使ちゃんだったのだ!

素晴らしい言葉の数々が並んでいた。

いろいろ大変だったね。
自分は、行きたくて帰省しているので、今後も行きます。
だから、交通費は要りません。
今までも、こういう時期ってあったし、そのうちに心が変わることだってあるよ。
自分は、自分が元気で暮らしてることが親孝行だと思っているので、母上もそれでいいんじゃないかな?
おじいちゃんもおばあちゃんも、きっとわかってくれるよ。


息子は、知っていた。
わたしが、うつ病になって、母を憎んで、
一時期完全に連絡を取っていない時期があった。
再婚前だ。

息子に詳しく話したわけではないのだが、
ちゃんと見ていた。

夫が取り成してくれて、
わたしはまた帰省するようになったのだ。


息子と帰省が重なって、
一緒にテレビを見たり、
一緒の部屋で寝られることが、すごく幸せだったな。


息子は、確かにわたしが産んだ。
あの、どうしようもない男との子だ。

でもいつごろか、わたしは、
自分の子という感覚ではなく、
「天からの預かり物」だと感じていた。

子どもを私物化して傷付ける親が居る中、
わたしは、「息子の魂は息子のもので、親の分身などではない。」
と感じた。
「今は、赤ちゃん型なので、世話をしている。」
「この子が自分で自分の命を守れるようになるまで、お預かりしている。」
そう思っていた。

大人になって、自分で自分を守れるようになったら、
その命は息子本人に、
お返しするものだと思っていた。


もちろん、わたしは若かったし未熟だったから、
感情的になって、叩いたこともある。
深く反省している。
傷付くような怒り方をしたこともある。
これも深く反省している。

でもいつも、息子は許してくれた。
泣きながら謝ると、息子も泣いて、いいよ、と許してくれた。

この子は天使ちゃんだ、と思った。


わたしは自分の経験上、
「許す」という行為が、いかに難しく、
そして尊いものかを知っている。

わたしには、許すという度量がない。

でも、小さなこの男の子には、
人を許すという、ものすごい大きな優しさがあった。

その子にわたしは育てられた。
人類史上、最もわたしに優しかったのは、息子なのである。

人から愛されるって、必要とされるって、そして許されるって、
こんなに幸せなことなんだ!
それを教えてくれたのは、息子だったのだ。


やっぱりそうだ。
そのためにわたしのところに生まれてきてくれたんだ。

わたしは泣きながら、息子に返事を書いた。

心から愛しているよ。
キミはわたしの誇りだよ。
本当にありがとう、と。


息子からのメールは、夫に転送した。
夫は、あの子ならそう言ってくれるであろう解答が来たと言った。


わたしは、幸せだ。
守ってくれて、盾になってくれる夫。
優しい息子。
かわいいちまちゃん。

今、一生で一番幸せだ。

わたしは、天使ちゃんに巡り会ったのだ。             

                                         伽羅moon3

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孤立するとわからなくなる。

夫が、今度の学会の時に、
わたしの実家に行って話をしてきてくれる。

そこには、息子の協力、というバックボーンが欲しいので、
息子にメールで話を伝えて、
気持ちを聞いて欲しいと言われている。

今日は、まだ、どう書けばいいのか思いつかなかったし、
起きてからの体調もひどく悪かったし、
そんな中で夕飯を作ったので、
メールできなかった。

どこまで書こう?

下手に愚痴や悪口を書けば、
わたしも母と同罪になる。
それは絶対に避けたい。

でも、匂わせるだけで、果たして、
マンションを買ったばかりの息子の協力を、
今後得られるのか、不安になる。

結局夜になってしまい、
ぐずぐずしていると、夫がやってきた。

息子くんから返事あった?と聞かれたので、
まだ気持ちがまとまらず、メールできてないと答えると、
どう書けばいいかをアドバイスしてくれた。

それに伴って、ちょっと夫と話が出来た。

夫が客観的に見て、
母は、よく頑張った、いい人なのだそうだ。
父にとってはいい奥さんなのだそうだ。

わたしだけに、毒を吐き続けただけ、ということだった。

だから、息子くんには悪口を書いてはいけない、と言われた。
自分の精神が弱くて、おばあちゃんとうまくやれなくなって、と
そう書けばいいとのこと。

そうか。
他人から見たら、あの人はいい人なのか。


悲しいな。
そんな人が自分のたった一人の娘に対してだけ、
言葉で虐待を続けていた毒親だっただなんて。

残念だ。


夫は、裏表のない人だ。
わたしはそこが好きだ。
自分の得意なことも、不得意なことも、ちゃんと自分でわかっていて、
決して自分を過大評価しない。
そこがいいと思う。

わたしは裏表のある人が大嫌いだ。
普段仲良くしてて、裏では悪口言ってるなんて関係、
やめればいいのに、って思う。


わたしは、病気のせいで、
いまだに自分がわからない。
誰とも接することなく孤立していると、
善悪すらわからなくなる。

孤独は平気なのだが、
考えが偏りすぎてしまうのは、良くないな。

時々夫の意見を聞かなきゃ。


立派な業績を残した教育者が、
実は自分の子育てには失敗している例を知っている。

自分の子どもに対しては、感情的になってしまうのだ。


でも、子どもにとっては、「家庭」という単位が、
一番最初に体験する「社会」である。
そこが歪んでいると、
一般社会に出たときに、うまく乗り越えられない。
人間関係もうまく構築できない。

やはり、
泣いて帰れる家というものは、とても必要なものなんだと思う。


わたしが、それを与えられなかったから、
今もこうして深く傷付いているのだけれど、
息子を抱きしめて泣かせてやることは出来た。


夫の意見を聞いて、
納得はした。

そうか。母は、いい人なのか。

だけど、
ただただ、わたしは悲しい。
優しくされたかった。

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