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2015年8月

本当は言いたくなかった。

土日、ほとんど寝て過ごしていた。
夫とちょっと会っただけ。

あとは、眠っているか、
寝てるか起きてるかわからないまま横たわっていた。
完全にうつ状態。


金曜日に投函した手紙が、
土曜日にもう母に届いたのか、
それとも月曜日に届くのかはわからない。

書いてしまった内容、
本当はもちろん、言いたくなんてなかった。
憎むことは苦しいし、
憎まれるのはもっと苦しいし、
できることなら、わたしだっていい娘ぶって、
墓場まで持って行きたかったよ。

でも、あのまま耐えられたかと聞かれたら、
やはり、もう無理、と思う。
お正月の時点でもうオカシクなって帰ってきたのだ。
だから電話を拒否していたのだ。

父が心臓の手術をするからどうしても電話で話したいと言われて、
しぶしぶ母との電話を再開した。


母は、いったいわたしを何だと思ってるのだろう。

わたしも、曲がりなりにも人の親だが、
ただひたすら、息子の幸せを願い、
その邪魔をしないよう、
重荷にならないよう、
気をつけたいと思っている。

母は今更わたしを、味方に付けたかったのだ。

あんなに言葉でののしっておいて、
今更、味方になんてなるはずないのに。

とにかく、
母は、失敗をした。
取り返しのつかない、大きな失敗をした。

誰だって失敗はする。
わたしなんて毎日何かしら失敗する。

だから、そのことは、もう責めないことにする。

その代わり、もう話さない。
話は聞かない。

自分を、いい人だと断言し、優しいと褒められていると言い続けている人だ、
きっとお友達が多いだろう。
その人たちに、愚痴を聞いてもらえばいい。

わたしは、おしまい。
お役御免だ。


問題は、息子にどうお願いするかだ。

母を悪く言うことは、避けたい。
彼にとっては、いいおばあちゃんだと思うからだ。
幻影でもいいから、いいおばあちゃんだったと、思ってもらいたい。


でも、どうしてわたしがもう母と話せないのかは、
伝えなくてはならない。

その上で協力を仰ぎ、
わたしの代わりに、帰省してもらわなくてはならない。

マンションを買ったばかりの彼らに、
精神的重荷を背負わせることは、避けたいのだが、
どう伝えればいいだろうか。

夫には、メールで伝えるようにと言われている。
夫が、来月実家に行ってくれるので、
それまでに、息子の意見を聞いておきたいと言っている。


自分の子ども。

自分の命に替えて守りたい、この上なく大切な存在。
いとおしくて、可愛くて、素晴らしい存在。


なぜわたしは、けなされ続けなければならなかったのか。
可愛い子どもではなかったのか。

母を糾弾するような話は、手紙に書きたくはなかったが、
それほど根が深く、
何十年もわたしが血を流し続けていることは、
いい加減、知ってもらわないといけない。

覚えていないかもしれないし、
覚えていても多分保身に走る人。

だから、言っても無駄だ。
けれど、言っておきたかった。
たった一例だけれど、
深く深く傷付いた魂のままで生きてることを、伝えたかった。


夫が行ってくれても、
母は保身するだろうな。
二度とは謝罪しないだろうな。

父はいつも、母の味方なので、
夫とは決裂するかもしれない。

あんなにいつも一緒にいて、
あの母の毒に気がつかないだなんて、
父は幸せだと思う。

その分、全部わたしに投げつけられてきた。


可哀相だったね。
子どもなのに、泣いて甘えたいのに、
泣くことすら許されなかったよね。

子どもだった自分を、抱きしめてやりたい。
いっぱい、いっぱい、辛かったね。


もう頑張れないくらい、ボロボロだね。
自分を「いい人」って言う人に、
本当にいい人、いるのかな。

わたしは友達なんて2人か3人いれば充分だ。
本音を話せる相手が少し居ればそれで幸せだ。

決していい人なんかではなく、
前向きでもなく、
努力家でもなく、
頑張り屋でもないわたしだけれど、
自分の子どもを傷つけるなんてことは、
一生しないよ。

どんなときも、味方になる。

わたしを選んで生まれてきてくれた尊い魂なんだもの。

なんだか、
もう、悲しくて、
自分がひどいことをしているみたいに思えて、
辛い。

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悪夢の連続。

もう何週間も、ずっと悪夢を見続けている。

たいていが、
どうしても学校に行かなきゃいけないのに具合が悪いとか、
お金が無くなってもうどうにもならず、
働かなくちゃいけないのに、働き先がないとか、
そんな風に追い詰められている夢だ。

すごく焦る。
息子をどうしよう、どう育てよう、と焦る。

後半、ああ、これは夢なんだから起きよう!と思って起きる。

そして、現在の自分の状況を思い出す。
ああ、良かった…と、ものすごく安堵感に包まれるのだ。


息子は無事に大人になって結婚し、
わたしは、夫に守られている。

そして起きたわたしのお腹にちまがやってきて、
本格的に起こしてくれる。
至福の時間だ。


しかし、今日の悪夢は怖かった。

わたしは、何か見てはいけないものを見てしまった。
それで、「追われる!」と思い、
逃げ惑うのだ。

街なかを、ありとあらゆる路地を、
ひたすら、見えない敵から逃げまくる。

けれど、とうとう行き止まりに入ってしまった。
敵が来れば、絶対に殺される。

後ろを振り向くその前に、
ああっ!と叫んで、目が覚めた。

ああ、夢だった。

あれ、お腹がふわふわしている。

寒かったのか、ちまがわたしと、炊き枕の隙間に挟まって寝ていた。
そのふわふわに、心から安堵する。


夫には、手紙を早々に出してしまったことを、少しだけとがめられた。
夫は穏便に済ませてくれる予定だったらしい。

すみません…。
でももう、耐えられませんでした。

夫はわたしの実家に行くのが憂うつだろう。
申し訳ない。


起きて、パンを食べた。
リウマチの薬が増えたので、更にだるい。

夕飯に、一品作ることを約束したのだけれど、
とてもじゃないけど起きていられなくて、
17時にアラームをかけて、
また布団で横になっていた。

起きて、料理を一品作って、持って行った。
それ以外は夫が用意してくれたので、
持ってきてアパートで一緒に食べた。

特に話し合いは無し。


母への手紙は、「親展」にしておいたので、
果たして父が読ませろと言ったかどうかわからない。
内容的には、母は父には読ませたくない内容だろう。

けれど、それでも父がわたしを責めるのであれば、
もう、それでいい。

最後は、大事なのは夫婦だからね。
子どもなんて居なかった設定で今後を生きたらいい。


夜、テレビで怖い話をやってたんだけれど、
自分の悪夢がいつも相当に怖いので、
一話だけ見て、チャンネルを変えてしまった。

怖い人生はもう終わりにしたい。


わたしは、子どもを授かって本当に良かったなー。
息子が、苦労を承知でわたしを選んでくれて、
本当に嬉しい。

これからは、息子たちの幸せを祈りながら生きてく。

悪夢は、何かのお薬と関係があるのだろうか。
いろんな薬をいっぱい飲んでいる。

気持ちのいい目覚めをしたいものだ。

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母に宛てた手紙。

母から手紙が来たのが、
夫が出張に行った日だったので、
またなんでこんなタイミングに…と恨めしく思った。

手紙には、一応謝罪の言葉があった。
それは生きてきたなかで、生まれて初めて聞いた「ごめんなさい」だった。

戦時中で小学校もロクに行けず、
字を書くことをひどいコンプレックスにしている母が、
手紙を寄越したことに対しては、評価をする。
(上から目線ですが)

しかし、よくよく読むと、
わたしの傷を思いやってではない。
「自分の神経がどうにかなってしまいそうなので。」
と書いてある。

ただ、自分が許されて楽になりたいだけなのだ。
わたしには、そう読めた。


もちろん、もう、わたしは許さない。
わたしが、言葉として発するのは、
決定事項だけである。

そこに既に迷いはない。
もう、元には絶対に戻れない。
発した言葉は、永久に残る。

それを、思い知っているわたしが書いた手紙なのだから、
それが最後通告と取られていい。

その覚悟なしに、
いたずらに、親を否定したりすることはしない。

我慢の限界が来たのだ。
いまわたしは静かにしているが、
実際は脳内ブチ切れ状態なのだ。

死ぬまで会わないことを前提に、母を批判した。
覚悟は出来ている。


夫に母の手紙を見せて、相談してから…と考えたのだが、
とにかくわたしは酷くブチ切れているので、
もう我慢辛抱できなくなった。

リウマチで傷む手にボールペンを握らせて、
一気に返事を書いた。


手紙をくれたことに対するお礼を述べた。

そして、
お母さんは、何にもわかっていないのですね、と続けた。

わたしは今回、傷ついたのではないのです。
もう何十年も、傷付き続けているのです。
血まみれのその精神に鎧を着せて、
頑張って頑張って、お母さんの愚痴と、悪口と、自慢話を、聞き続けたのです。

どこの世界に、
母親が子どもを堕した話を聞きたがる娘がいますか。
どこの世界に、
自分の両親の「夫婦生活」の話を聞きたがる娘がいますか。

お正月明けに、わたしは二つ、忠告したはずです。
覚えていませんか。
一つは、
もうお父さんとはあと5年しか一緒にいられないのだから、愚痴をやめること。
もう一つは、
わたしが何歳になってもお母さんの子供であることには代わりがないのだから、
話す内容に気をつけてくれること。

それを、無視しましたね。
わたしは、決壊しました。
元には戻りません。

お母さんは、悲しい人にハグをして、背中を撫でて、
泣かせてやって、優しい人だと褒められているといつも言っていますね。

ならばなぜ、たった一人の娘に、それをしてくれなかったのでしょう。
わたしはそんなに可愛げのない娘でしたか?

わたしは子供の頃、週末になると熱を出していましたね。
いつも怒られていました。
親戚の家族と、伊豆に旅行に行った時も、
わたしは熱を出しました。
そしてお母さんに怒られましたね。

夕飯のあと、みんなで熱海の街を散歩していて、
集団の一番後ろをとぼとぼと歩いていると、
叔父さんが、見かねて、おんぶしてくれました。
そのときお母さんがさっと寄って来て、
「優しくなんてせんといて!」と、叔父さんに怒鳴りましたね。
覚えていませんか?

もっともっといっぱいありますが、この一例だけにします。
いくら今、騒いでも、わたしの時間は戻りません。
言えば言うほど、同じ土俵になってしまいます。

今後のことは、夫と相談して決めます。

それから、息子たち夫婦には、絶対に、
愚痴や自慢話をしないでくださいね。
あの子達は、わたしの最高の宝物です。

お手紙本当にありがとうございました。
では、体調に気をつけて。



これが、手紙の内容である。

本当はもっともっと書きなぐりたい。
ゴンが死んだとき、なんでわたしを待たずに二人だけで埋葬に行き、
意義を唱えたわたしが怒鳴られなければならなかったのか、
全然納得行ってない。
ゴンはたった一人の「同士」だったのに!

だけど、一例だけにしておいた。

いくらまくし立てても、母は保身に走るだけだ。
あなたのたった一人の娘は、
そんな育ち方をして、
こんな大人になってしまいましたよ。

これが望みでしたか?


夫と再婚すると言ったときにも、猛反対をした母。

一説によると、母親と言う生き物は、
自分の娘が、不幸なのは嫌なのだが、
自分より幸せなのはもっと嫌なのだという。
それは無意識下の内にあるのだという。

「あんなきちんとした人のところに行って、勤まるわけがない!」
そう母は言って反対した。
「じゃあわたしがこのまま一生一人でいたほうがいいと、お母さんは思ってるの?」
と言い合いになった。

わたしが口に出したことは、もう決定事項だ。
相談などするつもりはない。
だけど、前もって会ってもらい、泊まってもらった夫の人柄の良さは、
よくわかっているのに、意味不明な反対をする。

うつ病のわたしをもらってくれるんだよ?

父が「結婚したらいい。」と言ってくれて、事は治まった。

まあ、もちろん、わたしは、母の言うとおり、主婦なんて務まらなかった。

でも、夫と結婚できて、幸せだった。
これは、人生で、最高にラッキーな事件なのだ。
それでいいじゃないか。
夫婦の形なんて、100組いれば100通り。



夫が、来月学会に出席する。
そのときに、合間を使って、わたしの実家に行ってくれることになった。

当初は、ただお父さんとちょっと飲む目的で行く、と言ってくれたのだが、
こんな事態になってしまい、
夫には、すごく不愉快な役割をさせてしまうことになった。
申し訳なく思う。

夫はわたしの代わりに、ずっと両親に贈り物をし、
自分は出張の帰りに寄ったり、
帰省するときにはお小遣いを持たせてくれたりと、
一生懸命、とりなして来てくれたのに、
結果が出せなくて、ごめん。

もう、お父さんと、決裂してしまってもいいよ。
わたしは、夫に任せる。



あの、主治医の、ドクターストップには、
心が救われているんだ。

過呼吸の発作を起こしながら、
「貧乏の最中にも親の法事を続けてきた立派な親なんです」、と言ったら、
「お子さんをこんな風に育ててしまって、それは立派な親でも何でもありません!」
そう言ってくれた。

そうなのか。
他人が見れば、そう見てもらえるんだ。


もう、自分を責め続けるのをやめよう。
決別してもいい。
その覚悟があって、返事を書いた。

あとは夫に任せよう。

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わたしは自慢に思うよ。

わたしには、楽しかった子ども時代が思い出せない。

物心ついたときには既に、
母は怖い人になっており、信用できない大人だった。

熱を出しては怒られ、
怪我をしては怒られ、
とにかく、いつも怒られていた記憶なのだ。

保育園時代、
保母さん付き添いの集団下校だったのだが、
帰り道、田んぼに落ちてしまった男の子がいて、
伝令が行って、
その男の子のお母さんが、走ってやってきた。
そして泥だらけの男の子を横抱きにして、
走って家に帰った。

その光景を見て、
4歳のわたしは、うらやましかった。
いいなあ、お母さんにあんなに大事に抱っこされて。
わたしが落ちても、母は迎えにこないだろうし、
怒られるだけで、
抱っこなんてしてもらえないよなー。
そう思っていたのだ。

同じ頃、土手に可愛い花が咲いていて、
母に花の名を尋ねた。
「ママコノシリヌグイだよ。」と答えてくれた。
意味がわからず、さらに説明を求めると、
めずらしく母が説明してくれた。

ママコというのは、本当の子どもではない子のことで、
ママハハは、その子が憎いので、
「ママコノシリヌグイ」の、トゲのある葉っぱで、お尻を拭いてやるんだよ、と。

4歳のわたしは、合点がいった。
そうか、わたしは「ママコ」なのだ。
だから毎日こんなに辛く当たられるんだ、と思ったのだ。

一歳半の記憶があるのに、
二歳、三歳の記憶がない。
すっぽりと抜け落ちている。

写真を見ても、わたしはちっとも笑ってない。
全然可愛くない。


保育園に一年行き、
小学校の付属幼稚園に一年行った。
その頃の記憶は鮮明だ。

いい思い出は、ゼロだけれど。
なにせ、集団行動が苦手で、
正義感は強すぎて、
摩擦ばかり起こしていた。

小学生になって、しーちゃんと出会った。
幼稚園時代から、存在は知っていた。
同じ苗字だったからだ。
ありふれた苗字ではない。

一年生になって、同じクラスになって、
すぐにわたしたちは友達になった。
離れられなくなった。
しーちゃんは、ものすごく可愛い子だった。
性格も穏やかで優しくて、
大好きになった。

小学校では、辛いことが多かったけれど、
しーちゃんのおかげで何とか乗り越えられた。

しーちゃんも、わたしも、
学校で辛かったことを、家では言えない子どもだった。

わたしの場合は、母に言うと、輪をかけて更に怒られるから。
しーちゃんは、お母さんが心臓が悪くて、ペースメーカーを入れていた。
小学生のころから、お互い家事をやっている子どもだった。

母がやさしく受け止めてくれないことを知っていたから、
辛いことがあっても、
いじめられていた時期も、
わたしは母には言わなかった。

言えなかった。

けれど母は、わたしの机の引き出しの全てを見ていた。
プライバシーなんてゼロ。

家庭は、安全基地でなくてはならない。
泣いて逃げ込める場所でなくてはならない。

母は、自分が大変だったから、
わたしが問題を持ち込むことを酷く嫌った。
もちろん味方にはなってくれない。

ただただ、自分が大変だったから、
わたしのことは押さえ付け続けたのだ。


もちろん、母がどんなに大変だったか、頑張ったかは、
もう何十年も聞かされているから、理解している。

それでも、たった一人の娘を、
どうして抱きしめて泣かせてくれなかったのだろう。

他人にはすごく優しくて、
悲しい人をハグして背中を撫でて、泣かせてやって、
優しいねと感謝されていると、ずっと自慢している。

それを、なぜわたしにしてくれなかったのだろう?
そんなに可愛くない娘だったのだろうか。


わたしは、息子を抱きしめて泣かせてやった。
高校生になるまで、息子は泣いた。
誰にも言わないよ、ママしかいないから、泣いていいよ、と抱きしめた。
ガラスのハートを持った息子が、愛おしかった。
常に、そして一生、味方でいようと決めていた。

その息子が、立派に大人になって、
素敵なご縁を自分でゲットして、
結婚して、
マンションまで買った。

わたしは、幸せだ。

そう、わたしは最初の結婚で息子を得た。
東京暮らしを手に入れた。
母から逃げ出せた。
ものすごくラッキーだった!


もう、いま、母に罵詈雑言を浴びせても、わたしの時間は戻らない。
母もどうせ改心しない。

自分が清く正しく生きてきたと豪語する人には、
太刀打ちできない。
何を訴えてみても、大変だったんやからしょうがない、と言われておしまい。


でも、こんなダメなわたしだけれど、
息子のことは大好きだ!
自慢の息子だ!
恥ずかしくなんてない。
素晴らしい子に恵まれてわたしは幸せだ。

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あるなら正解を教えて。

リウマチ内科の診察日だった。
おそらく、リウマチと言う病も、
ストレスなしでは語ることが出来ない病気なんだろう。

残念ながら、少し悪化した。
きちんと薬を飲み続けているのに、
両手とも、グーが出来ない。

お盆で帰省している間に、
膝も痛くなってしまった。

肝臓への負担が気にかかるけれど、
リウマチは、初期にきちんと叩いておかないと悪化するのだそうで、
お薬が一錠増えた。

夫にもらった「霊芝」を飲んできたが、
肝臓の数値は改善せず。
高い薬なので、やめることになった。

外食して、帰宅して、
タオルケットにくるまって眠った。

途中、出張中の夫から何度もメールが来たが、
起きられなかった。


今日はお姑さんが何だかハイテンションで、
家と外とを何往復もしている。
母屋の玄関ドアは、開閉時にものすごい音がするので、
わかるのだ。

水曜日だから夕飯はパスの日だけど、
ムギを世話しに行かなくてはならない。

でもお姑さんと出会ってしまうと、
「あれ? 居るのに何で今夜は夕飯ないの?」になってしまうので、
出来れば会いたくない。

出かけたようだったので、その隙にムギの部屋に行った。

ムギは声を挙げて、寄って来てくれた。
抱き上げて、脚の上に乗せると、
喜んでゴロゴロ言う。
指を舐めてくれたりした。

さて、ご飯をやって帰ろう、と思ったら、
間が悪いことに、お姑さんが部屋に来てしまった。
ムギは即座に逃げて、
「ハーッ。」と威嚇した。

あああ、まったく、懐かなくて嫌な子だねえ、とお姑さんは嘆く。

いやあ、あんな風に叩かれたり音を出されたり、怒鳴られたりしたら、
そりゃ、絶対懐きませんよ、とは、口が裂けても言えないわたし。

ムギは夫が居ないと食欲がない。
寂しいのだ。


戻って来て、郵便受けを見ると、封書が届いていた。

字は父の字だったが、差出人は母の名だった。

いや~な気分になる。
こういう日に限って夫がいないなんて。

はあぁーとため息をつきながら開封。

そんなつもりじゃなかったのだけれど、
今回、伽羅子を傷つけてしまってごめんなさい。
調子にのって喋りすぎました。
反省しています。

そう、書かれてあった。

母から手紙をもらったのは、生まれて初めてだ。
鉛筆で、一生懸命に書いた様子が伺えた。


母から、ごめんなさいという言葉をもらったのも、
生まれて初めてだ。
これまでどんなに訴えても、
決して謝ることをしなかった人だ。

手紙をくれた勇気は、立派だと思う。
字のかけないコンプレックスをおして、書いてくれたのだから、
そこは充分に評価する。

だけど、母は全然わかっていないのだ。

わたしは、今回、傷ついたのではない。

子どものころから、もう何十年もずーーっとずっと、
傷つきまくっているのだ。

何十回カウンセリングで話しただろう。
何十回こうしてブログに叩きつけて来ただろう。

でも、傷は癒えない。
それどころか、会うたびに着実に増え続け、
耐性を無くしてるわたしは、
すでに心も体も、蝕まれている。


それを、鎧で固めて、
決死の思いで、帰省したのだ。

わたしは本当は行きたくなかった。
息子たちがお盆には行けなくて、9月の連休にすると言っていたから、
わたしもそれに合わせようと思った。

じゃないと、一人では持ち堪えられないことが予測できたからだ。

でも夫のすすめで、一人で帰省した。
初日からバズーカ砲で撃たれ、
連日何時間も愚痴と自慢を延々聞かされ続けた。

そうしてわたしは、決壊した。


わたしが、長く長く、傷ついていることを、
親には理解してもらいたい。
同調も同情もされないのはわかっている!
でも、知って欲しい。

だから、母がわたしにどんな酷い仕打ちをしたかを、
本人にぶちまけたい。

それを聞く勇気を持てない親なら、
もう死ぬまで会えなくてもよしとする。


とりあえず、夫が帰って来て、
シラフで話せるまでは、保留にしておこう。

心が乱れる。
母の手紙には、
「このままだと自分の神経がおかしくなるので書きます。」とあった。

そう、つまり、わたしの傷を思いやってるわけではないのだ。
自分が拒否されたことだけは理解して、
それが苦しいので、
なにか突破口が欲しくて手紙をよこしたのだ。

だから、迷う。

全てぶちまけて、いい気味だ!と思うか、
何も語らず、静かに二人の前から消えるか。

ぶちまけたところで、もうこれ以上は謝らないだろう。
わたしも、スッキリした気分になれるわけではない。

でも、決まっているのは、
もう戻れないということだ。

ダムは、決壊した。


夜中、またムギを見に行った。

ちょうど長女が世話をして、撫で終わったところだった。
せっかくなので、ムギを抱いてくる。

ムギに対しても、正解がわからない。
ムギの本心がわからない。
泣けてくる。

正解というものがない場合、
何を指針に、わたしたちは物事を決めていけばいいのだろうか。

自分の心を守ることも大事。

それをおろそかにして、
数年間、耐えに耐えて、母の愚痴と自慢話を聞き続けた結果、
母は、間違えた。

わたしは永遠にあなたの子どもなのだよ、と忠告したのに、
子どもに対して、話すべきことではないことを口走った。

思えば子ども時代から、ずーっと母の愚痴を聞いていた。
わたししか居なかったから。

交替勤務で父は留守がち。
ターゲットはわたし一人。

ようやく来てくれた「同士」だったゴンも、
たった3年で死んでしまい、
わたしはその埋葬にも連れて行ってもらえなかった。

そしてまた一人になり、
母の標的はわたし一人。


苦しい。
もう頑張れない。
でも、最後に、どう去っていくのがいいのか、
正解がわからない。

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一人じゃない。

今回だけでなく、
前回、お正月の帰省でも、
わたしはズタボロになって帰って来た。

そこでムギと出会ったのだ。

最初一ヶ月くらいは、ムギは必死に夫にすがっていた。
夫が餌付けした猫なのだ。

寒風吹きすさぶ中、ムギはいつも車や物置の陰で、
夫を待っていた。
すぐそばに寄って来てはお腹を見せ、
「敵意はありません、ご飯をください。」と訴えていたのだ。

それにわたしも呼ばれるようになり、
触らせてくれるようになり、
名前を付けて、
わたしが呼んでも、ムギが来てくれるようになった。

それで一気にヒートアップしたのだ。

三本脚のゴンの姿を重ね合わせていた。
お別れを言えなかった柴犬のゴン。
たった一人の同士だったのに。

1月、2月と、わたしは、調子が悪いからとメールして、
母に電話をしなかった。
実際、心はボロボロだった。

でも、父が心臓の手術をすることになり、
なし崩し的に電話するようになってしまった。

そして今回、いつもより一泊多い帰省。
一日目から、母の猛攻撃がスタートした。

何十回も聞いた恨み話、
子として絶対に聞きたくない親の事情、
自信満々の自慢話。

ああ、吐き気がする。

このところ体調も悪い。


ムギはトイレ失敗が続いているので、
昨日、夫はトイレを一回り大きいものに変えて、
部屋のレイアウトを変えてあった。

ムギが慣れないと思うから早めに様子見に行ってやって、とメールが来て、
それでどうにか起きて、ムギを見に行った。

まだトイレは使ってなかった。
座椅子にいたので、抱き上げて抱きしめて30分くらい過ごした。


その後はどうにも調子が悪くて、起きていられない。
体まで、母の毒にやられた。

17時にアラームをかけて、ぐったりと横たわっていた。

それからご飯を炊いて、
おかずを作って、
母屋に持って行った。

今日食べる人は、夫とお姑さんだけ。
お姑さんは夜はご飯を食べない。
おかずだけでいい。
なので、夫のご飯だけなので、炊いて持って行ったのだ。

母屋に行って、炊飯器を見たら、空っぽだった。
料理を盛り付けて、ご飯を置いて、
お姑さんに、説明をしにいった。

今日はご飯を炊いて持って来たので、
おかあさんは、何もしなくても大丈夫です、と伝えた。
それが5時45分頃。
はい、わかりました、助かります、と言っていた。

またムギを見に行った。
ちゃんとトイレを使ってあった。
褒めてやって、またしばらく抱っこしてきた。


夫が帰って来て、夕飯を食べたあと、
メールが来た。
「お米が研いであった…。」

なんで??

本人に聞くと、5時半に研いだと答えたそうだ。
もちろんそれは嘘。
わたしは確認して、空っぽだったので、
5時45分に、ラップに包んだご飯を置いたのだから。


先日は、全員分のご飯炊いてくださいね、とお願いしたのに、
寝ていて、
炊くどころか、お米を研いでもいなかった。

ああ、伝え聞いただけでもなんだかこんなに腹立たしいのに、
じかに接している夫のストレスは、いかばかりだろう。
どのストレスよりも、大きいだろう。

その上でムギのことを抱えている。
通勤だって、片道一時間半かかるのだから、
疲れてるに決まってる。
出張も多い。


夫がわたしの精神的負荷を理解して協力してくれてるように、
わたしもなんらか協力しなければ。

今のところ、週5日の夕飯作りと、
ムギの世話。

お姑さんの話し相手は、無理だな…。
潰れてしまう。

お姉さんが、時々来てくださるといいのだけれど。
お孫さんを預かったりと、いろいろお忙しいみたいだ。


夫のストレスが減るといいのだけれど。
わたしは、まめにメールをして様子を知らせるようにしている。
たまにしか会わないからね。

一人じゃないよってことを、
お互い、信じあえたらいいなと思う。

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不正解な子ども。

心が暗いから、
体調も悪い。

寝つきが悪く、寝起きも悪く、
階段を登っただけでゼイゼイする。

多分うつ状態なのだと思う。


ずっと考えている。
これからどうしようか。

親とぶつかるのは恐ろしい。
もちろん、全部ぶちまけてやりたい、という気持ちはある。
わたしがどんなに辛い思いをしてきたか。

でも、母にとっては、
そんなこと、どうせ取るに足りないことなのだ。
自分が正しく必死に生きてきたから正解で、
わたしは不正解な子ども。


病気が悪化したからと言って、
静かにフェイドアウトすることがいいかな。
親には真実を知らせないまま、
静かに、去る。

どっちがいいのだろう。


今日は買い物に行って、夕飯を作った。
お姑さんが部屋にこもってらしたので、
ノックをしたが、返事がない。

扉を開けて、声をかけると、
本格的に寝てらした。
夕飯を持ってきました、と言って説明し、
ご飯を炊いてくださいね、とお伝えしたのだが、
完全に寝ぼけていて、
「はい、行ってらっしゃい。」と言われた。

なので、夫にその件も含めてメール。
帰宅したら、お姑さんはまだ眠っていて、
当然ご飯もなかったそうだ。

うーん。

わたしは夕飯のあと、
具合が悪くなって、
眠った。

夜中に起きて、いまこうして書いている。
体が痛い。
心も痛い。

本当に頑張れない、ダメなヤツだ。


でも、精神科の主治医が言ってくれた言葉が支えになる。
「お子さんをこんな風に育ててしまって、それは全然立派な親ではありませんよ!」
そう、怒ってくださったのだ。

ずっと共働きで、
親の法事を全部やって、
おばあちゃんを家で介護して家で看取った。
そんな人は、はたから見たら、きっと立派なんだ。

でもそのしわ寄せは、全部わたし。
八つ当たりされ、
何十年もずっと愚痴を聞かされ、
抑え付けられ、
全然楽しくなかったわたし。


恩返しにと、頑張って何年も愚痴を聞き続けてきたが、
60年分もの悪口を毎日毎日聞かされては、
わたしの精神がもたない。

わたしが心を病んでること、
なんで忘れちゃうの。

それを切り札にするつもりはなくて、
なるべく、普通に振舞ってきたけれど、
それがダメだったのだ。


いまのわたしは、真っ暗だ。

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天罰が待っている?

夕べは寝付けなかった。

夫と一緒に買い物に出たかったのだが、
寝たのが朝で、起きたら午後3時だった。
ダメダメな自分。


母は、わたしを可愛がったと言いはる。
しかし、どうしてだか、
わたしには全くその記憶がないのだ。

「怒られずに済んだ。」と安堵している場面は、
ところどころ思い出せるのだが、
外でいじめにあっても、母には言えてない。
学校でどんなに辛いことがあっても、
母には言えてない。

言えばその何倍も怒られることを、知っていたからだ。

辛い気持ちを持っていく先がなかった。
泣いたら、叱られた。
だからいつも声を抑えてこっそりと泣いていた。


母はいつも、器用な自分と不器用なわたしを比べて、
わたしをせせら笑った。

「あんたの絵は探さんでもすぐわかる。一番ヘタな絵を見つけるだけや。」
「あんたの運動会は、写真撮りやすいなあ。いつもドベ(ビリ)やからなあ。」
「あんたの脚は曲がってるしかっこ悪いなあ。」

母は、小学校しか行ってないが、
運動も出来て、勉強も出来て、なんでも器用にこなし、
人気もあったと言う。

わたしは、勉強はできたが、
走れば遅いし、
水が怖くて泳げなかったし、
縫い物や編み物も覚えられなかった。

人格的にも多分問題があって、
人望もなかった。

母はいつもわたしを怒っているか、
バカにしているか、
抑え付けているかのどれかだった。


精神が弱くて、毎週、土曜日になると熱を出した。
親戚と旅行に行った週末にも、熱を出した。
わたしは母にものすごく怒られた。
みかねて、叔父がそれを止め、
おんぶをしてくれた。
「優しくせんといて!」
母は、叔父に、そう怒鳴った。

小さい頃の、楽しい思い出なんて何もない。

安全基地がなかったからだ。

しーちゃんがいたから、わたしは持ちこたえたのだと思う。



「親を捨てる」ということについて、
考えるのは恐ろしい。

罪悪感で、おかしくなりそうだ。

やっぱり、わたしさえ、我慢していれば、
事は丸く治まるのでは?

いやいや…
もう二度と母とは話したくない。
壊れてしまう。


どうしよう…。
きっと正解なんてない。
いい子ぶって自分が潰れるか、
悪人になって、親を切り捨てるか、
二択だ。


わたしは、お正月明けに、
母に、二つのことを直接忠告してあった。

一つは、
父とはあと5年しか一緒に居られないんだから、
もう愚痴は言わないこと。

もう一つは、
わたしは何歳になっても母の子供なので、
話す内容に気をつけてくれること。

そう進言したのに、
それをさえぎって、
「いやいや、だってこっちだっていっぱいいっぱいだったんやから。」
と答えた。

そして今回の、
愚痴と悪口と、自分自慢の嵐。

子供を堕胎した話なんて、聞きたくない!
親の、夫婦生活の話なんて、聞きたくない!
もしも父が、母がわたしにここまで話してると知ったら、
激怒するだろう。


母には、他人を理解しようと言う気はない。
もっとわたしを見て、もっとわたしを評価して、もっとわたしを褒めて!
そう、言い続けているだけの人なのだ。
他人の心なんて、実はどうでも良くて、
ただただ、自分がいかに優れているかを、
自慢したいだけの人なのだ。


両親が、貧乏の最中に、
先祖の法要を全てやってきたことは、偉いなと思う。

わたしの代で、それを全て、やらなくなる。

結果、息子に悪い事が起きないかと、それが心配。


わたしがもし、息子に捨てられたら…

悲しくて気がふれるかもしれないが、
それで息子が楽に生きていけるのなら、
良しとしよう。

彼らの幸せが最も大切だ。
天罰なら、わたしが受ける。

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こんな恐ろしいことを。

ゆうべ、具合が悪くて早々に寝たのだが、
夜中過ぎに起きてしまい、
ブログ記事を書いて、ネットを眺めていたら、
明け方、また眠気が来た。

薬をあさって、適当に飲み下して、
夫に、
「今からまた寝ます。起きたらメールします。」とメールをしておいた。

そしたら、夫が来てくれた。

帰省から戻った日にも会っているが、
その時は、母の毒にやられたことを話さなかったので、
今回初めて話す。

「ごめんね。あなたがわたしの両親に対して、一生懸命やってくれてるのに、肝心なわたしが頑張れなくなった。」
そう謝ったら、泣けてきてしまった。

夫は、
「それとこれとは別だよ。でも、今回せめてもう一日早く帰って来れば良かったね。気がつかなくてごめん」
と言ってくれた。

「もう、行けないかもしれない。」
と言うと、
「いいよ、行かなくて。ただ、葬式をどうするかだけだな。」
とさらっと答えた。

主治医が言ったように、息子たちに帰省してもらおう、
その代わりに、新幹線代の一部は僕が負担するから、とも言ってくれた。


そのあとは、意識が朦朧として、何を話したかは覚えていない。

でも、夫は、
「そう言わずに行きなよ。」とは言わなかった。
わたしの心を守ってくれるようだった。

安心して、眠った。


まだまだ、夫といろいろ話さなくてはならない。

親と縁を切るということは、恐ろしいことなのだ。
特に向こうが田舎住まいで、親類やご近所付き合いが多いから、
そこも考えなくてはならない。

もう帰省しないということは、
親戚の、葬式にも、行かないということなのだ。

相当な覚悟を持たなくてはならない。


もし、わたしが、自分のたった一人の息子に、
「もう二度と会いたくない。」なんて言われたら、
きっと狂って死んでしまうだろう。
想像するだけで恐ろしい。

それを今、自分は行おうとしているのだ。

罪深いことだ。
罪悪感でどうにかなりそうだ。


でも、主治医は、
その罪悪感を持ってしても、
関係を断ち切ったほうが、
わたしの精神は安定してかなり良くなるはずだ、と言っていた。

それも夫の理解あってこそだ。


自分のお母さんを好き、って人が、うらやましい。
夫などは、物で殴られたことだってあるのに、
母親を、ごく普通くらいに好きだと言う。

どうしてみんな、そんなことを言えるの?

わたしは、耐えられないよ。
小さい頃から、けなされて怒られて蔑まれて、
褒めてもらったことなんて一度もない。

階段から転げ落ちたら、
その不注意さに怒りを爆発させて、
怪我をしているわたしの頭を殴った人なのだ。

いつもいつも不機嫌で、
怒ってばかりいて、
「問題起こさんといてよ、いい子でおってよ。」と
繰り返し繰り返し脅された。

母から早く逃げたくて、結婚して家を出た。
だから、その結婚は失敗でも良かったのだ。
わたしは東京に出てこられたし、
息子を得られたし、
その息子は、立派に成人して、結婚して、
マンションまで買った。

すごい。
すごいよ。
偉いよ息子くん。

わたしを選んで生まれてきてくれてありがとう。


母との不仲を、息子はうすうす感づいてはいる。
かいつまんで話して、
理解してもらうしかない。
細かいことは話さないが、多分彼は、同調はしないから大丈夫。


夫が、来月、もし学会に行ったら、実家に寄ってくれる。
それまでに話をまとめなくてはならない。
息子たちも、9月の連休に、帰省するので、
それまでに話をしなくてはならない。


親を捨てるのだ。
こんな恐ろしいことを、わたしはしようとしている。

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過呼吸発作再発。

長いお盆休みのあとなので、
完全予約制なのだが、
精神科は、混んでいた。

しばらく待つ。
しかし、あの、猛暑に比べれば、ずいぶんマシになった。


しばらく待って、診察室に呼ばれた。
わたしは、「薬の処方は同じで大丈夫なんですが、」と前置きをして、
お盆に帰省して、
毎日数時間、
母の愚痴・悪口・自慢話を
延々と聞かされたことを話した。

それは、親として、子供に話すべき内容ではないだろう、ということまで
言われたと話した。

話しながら、辛くて苦しくて、泣けて来た。


主治医が出した結論は、
「ドクターストップ」
だった。

ストレス源からは、離れることしか方法はない。
もう、今後は一切帰省をせず、
息子さんたち夫婦に任せるように、と言われた。

わたしはそれを聞きながら、泣けて泣けて、
でもあの子達に重荷を背負わせたくないと思ったら、
急に過呼吸の発作が出て、
タオルを口に当てた。

苦しい。
ちまが来てからは、
発作、出なかったのに。


貧乏を克服して、親の法事を50回忌まで務めた、立派な親なんです、と言うと、
「お子さんをこんな風に育ててしまって、それは全く立派な親ではありません!」
主治医はそう言ってくれた。

お母さんの二面性を、お父さんがご存じないことは、
最もタチが悪いので、
もう、お母さんには近づいてはいけません。

覚悟が要りますが、
縁を切ることが必要です。

わたしは必死に口をタオルで覆いながら、
泣いて泣いて、
医者のその言葉を聞いていた。


体がじんじんして、
フラフラになったので、
少し待合室で休ませてもらってから、薬局に行った。

朦朧とする。

また15分歩いて、駅までたどり着き、
混んだ電車に乗り、
ヘトヘトになって帰って来た。


夫と、話し合わなければいけない。
主治医は、息子さんにも、ごく簡単に説明しておいたほうがいい、とおっしゃった。


帰宅して、シャワーして、夕飯食べたら、
もうなんだか、疲れてしまって、
睡眠薬を一式飲んで、寝てしまった。

そしたら、夜中の一時半に目が覚めてしまい、
今こうして書いている。


好きで一人娘に生まれたわけではない。
わたしには何の責任もない。

悪化して、入院していることにでもしてもらって、
すべて、不義理をすることにしようかと思う。

疲れ果てた。

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おそらく、再起不能。

どっぷりと鬱状態。

結局わたしは、
何一つ成し遂げられないんだなあと、
情けなく思う。


夫が、帰省前にちゃんとお小遣いをくれて、
お土産を買えたし、
回転寿司にも連れて行ってあげられた。
そうやって、いつもいつも、わたしの両親を大事にしてくれてるのに、
肝心のわたしが、頑張れなくなってしまったのだ。


何年か前、父と話した。
本当は苦手だけれど、
それしか、親孝行できないから、
わたし、頑張って、お母さんの愚痴、聞くね、と。

父も、そうしてやってくれ、と言っていた。
わたしは、頑張るつもりでいた。

その時点では、決して嘘じゃないのだ。

だから、月に2~3回は電話をして話を聞き、
年に二回は帰省させてもらって、
ひたすら我慢して母の愚痴と自慢話を延々と聞いた。

耐え切れず、吐いてしまった日もあった。

でも、去年は息子の結婚のこともあったし、
いつかきっと話そうと思っていたゴンのこともあったので、
すごく頑張って、母の話を聞き続けた。


でも、
40年分の思いを吐き出して、
ゴンを埋めに行くとき、自分も一緒に行きたかったのに、とようやく伝えたのに、
謝罪どころか、
あんたはそうやって親を恨んだんか、と一蹴された。

わたしの頑張りは、
徒労に終わった。

うつ状態に陥り、
帰宅した日に、
同じ3本脚の、ムギと出会ったのだった。


ゴンのことがあってから、三ヶ月ぐらい、母に電話をしなかった。

でも父が心臓の手術をすることになり、
なし崩し的にまた電話するようになった。

今回の帰省は、息子たちとまったく絡まないので、
わたし一人が標的となった。

毎日毎日、
数時間ずつ、
母の愚痴と苦労話と自慢話を、聞かされ続けた。

それは、子供に話すべきことじゃないだろう!と
何度も思った。
自分の子供に対して、
夫婦生活の話をするなんて、
この人はどうかしてる!と思った。

母は、わたしを味方に付けたいかのごとく、
毎日延々と愚痴を話し続けた。


わたしは、
もう、
再起不能だ。

夫が一生懸命、親によくしてくれて、
間を取りもってくれているのに、
わたし自身が、崩壊した。

夫に、申し訳ない。

結局、わたしってば、
「頑張る。」なんて言って、
もちろん頑張るんだけれど、
やっぱり精神がおかしいので、
頑張りきれなくなってしまうのだ。

夫に、嘘つき呼ばわりされるが、
嘘じゃないつもりでも、
いつも結果が出せないので、
ダメな人間として烙印を押され、
信用してもらえない。



今日は、全員が夕飯を食べることになっていたので、
3時頃から、
丹精をこめて、カレーを作った。
わたしは、自分が作るカレーが一番好きだ。

途中で鍋を分けて、
母屋用には、スパイスを加えて少し辛めに仕上げた。

シーフード入りサラダも用意した。

ところが、お盆休み中に、
長女がカレーを作ったらしく、
またカレー?というムードになってしまった。

長女が作るときはカレーが多いから、覚えておいてね、と夫に言われ、
落ち込む。

もう、自分の存在意義すらグラグラだ。



情けない自分。
大嫌いな母。
グラグラな存在意義。

おおげさではなく、
ちまがいなかったら、
わたしは即刻おかしくなっている。

誰か助けて!


あああ、苦しい。
心から、辛い。

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こんな無様なわたし。

カウンセリングだから、
カウンセリングで先生に話してから、
と、思って昨日からぐっと我慢を続けていた。

けれど、
出かける前に、
それは突然、決壊した。


わたしは母にスラスラとメールを送った。

もうこれで、二度と生きて会えなくても仕方がない。
それくらいの決心はあった。

「今回は、いつにも増してお母さんの話をたくさん聞きました。正直言って、もうお腹がいっぱいです。お母さんが、清く正しく生きてきたことはよくわかりました。
でも、わたしは何歳になっても、お母さんの子供なのです。
子供に対して、話すべきではない内容があるとは思いませんか? 
両親の間の生々しい話は聞きたくないです。

わたしは心が健康ではありません。お母さんにとっては、お父さんは他人で夫ですが、わたしにとっては肉親で父親なのです。

心を休ませるため、しばらく連絡しませんが、悪く思わないでください。すみません。
まだまだ暑いので、気をつけてくださいね。」

(原文のまま。)



わたしには、一歳半からの記憶がある。
その頃には、もう母は、「信じてはいけない大人。」であり、
自分を傷つける人であった。

けれど、今回母から、初めての話を聞かされた。
つまり、その記憶以前の話だ。

わたしは母に対して後追いがひどく、
トイレに入っても、お風呂に入っても、
ドアの前でぎゃんぎゃん泣き続け、
父にまったく懐いていなかったのだという。

父がそれに腹を立て、
「お前が子供をいいように手なづけた。」と責められたのだそうだ。

それで母はわたしに辛く当たることを選択した。
そうすれば、父が、「そんなに怒らんでも。」とか言ってかばってくれるし、
怖い母から逃げて、父のほうに行くと思ったそうだ。

その結果が、
こんな無様なわたしの完成だ。


わたしは幼少期、母の実の子ではないと思っていた。
可愛くないからこんなにひどいこと言われたり、
つねられたりするのだと思っていた。

そう母に伝えたが、
母は、謝るどころか、
父の独裁者ぶりを延々と話して止まらなかった。

聞きたくない、夫婦間の話まで聞かされた。

それは、子供にするべき話じゃないでしょ!
墓場まで持って行きなさいよ!


初日から毎日数時間、
自分がいかに辛い状況を我慢して頑張って来たか、
自分がいかに偉いか、
自分がいかに人に尽くして感謝されているか、
いかに人気があるか、
いかに優しいと評判かを、
延々と聞かされた。

数時間ずつ、
4日間。


最後の日は、
わたしはもう、座っていることも不可能になった。


そうですか。
そんなにご立派でしたか。

そしてそんな子育てをして、
こんな子が出来上がり、
親を恨むなんていう子こそが悪者だと言い、
いまだにその手でこの首を絞め続けるのですか。


カウンセラーさんにメールを読んでもらった。
「わたし、ひどいですか?」
そう尋ねた。

「いいえ、もう、こうしないとあなたが壊れます。これでいいんですよ。」

そう言ってもらって、
わたしは号泣した。


メールして、
すっきりしたわけではない。
後味が悪い。
罪悪感に責め苛まれる。
ずっと苦しい。

だけど、もう、誰にも助けてはもらえないのだ。
自分の心が崩壊するのを、自分で縛りつけておかなくてはならない。


短いメールで、母が理解したとは思ってはいない。
でも、わたしはもう無理なんだ、と、伝えたかった。
何年も、頑張った。
一生懸命、電話して、話を聞いた。

もう駄目だ。
もう頑張れない。

酷い娘と言われても、
わたしはもう、頑張れない。



もうすべてすべて、
わたしの代で終わりにしよう。

息子には、母の悪口は言わない。
愚痴もこぼさない。
両親が死んだら、家はすぐに壊して更地にして売ろう。
お墓もなくそう。

息子には何も、引き渡さない。
いい思い出だけ、持っていてもらうことにしよう。


素晴らしい親と、
出来損ないの娘。
もうそれでいい。

生きて二度と会えなくても、もう仕方がない。

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恐怖が登ってくる。

母の呪縛が怖ろしい。

もう、帰りたくない。
後悔してもいいからもう会いたくない。
今は本気でそう思っている。

実家にいる間は、どうにかこうにか頑張ったが、
帰宅して自分に戻ったとき、
母に呪いをかけられたかのようだ。

恐怖が、じわじわと登ってくる。

どんどん苦しくなってくる。
水が喉元までせり上がって来て、
溺れる寸前のような恐怖。


わたしは何の因果であの母親を選ばなくてはならなかったのか。
こんな歳になってまで、
なぜ、苦しまなくてはいけないのか。


母は、わたしが自分の子供であることを忘れている。
わたしは一生あの人の子供なのに、
聞きたくない話を何時間も延々聞かされる。

それは、母親が子供に対してするべき話ではないよ?

毎回、毎回、
話はグレードアップしていく。
聞いているだけで、
わたしは苦しくなる。

どんなに反論してみても、
決して母は謝らない。
自分がいかに正しく生きてきたかを、
呪文のように繰り返す。

溺れてしまいそうにわたしは苦しい!

もう嫌だ。
もう嫌だ。
本当に嫌だ。

正しく生きてきたという人とは、
わたしは一緒には居られない。
その手に持つ剣で、
わたしをこじ開けて、進入してくる。

何ヶ月もかけて治した傷口が、パックリと割れる。


いくらわたしがオバサンになっていたとしても、
親の、夫婦の、生々しい話なんて、
一生聞きたくなかったよ。

そもそも、わたしは母の味方になんてなれないよ。

ああ、いやだ。
気分が悪い。
どうしよう。

何度も、もう聞きたくないと、メールしようかと悩んだ。
でも、とりあえず明日カウンセリングだから、
そこで話してから、態度を決めよう。

あと何回会えるかわからないから、帰省をするのだが、
それすら、しんどい。


わたしだって、息子には会いたい。
だから、親がわたしに会いたいのは想像がつく。
だから、我慢して行っている。

けれど、このままだと、わたしが壊れちゃう!


もういいよ、もう充分でしょ、
そこまで自分の生き方を肯定し、自慢し、
何時間も何日間もわたしに吹聴すれば、
気が済んだでしょ。

もう解放されたい。
もういやだ。
心が壊れそうだよ…。


今日は夫が出張なので、ムギの世話もした。
久しぶりに会ったのに、ムギはちゃんと返事をして、
寄って来て甘えてくれた。
一日に3回、見に行った。

長女も末っ子くんも、ムギを撫でられるようになったそうだ。

ムギ、ムギは可愛いよ。


ムギのところから帰って来たら、
ちまがまた、文句を言った。

抱っこすると、舐めてくれる。
ちまがいなければ、わたしは本当にオカシクなる。


ああ、わたし、これからどんな心持ちで生きて行こう?
泣けちゃうよ。

親の呪縛は、何よりも怖ろしい。
もう会いたくない。
誰か助けて…。

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文句言うお猫さま。

お盆の帰省から、無事に帰宅。

疲れた!

まず、行くときは、乗る新幹線の時間を完全に間違えて覚えていて、
品川に向かっている途中でやっとそのことに気がついた。
全然間に合わない!

いつも、何度も切符を見るし、
それだけじゃなくてメモにも乗り換え時間などを書いて、
ちゃんと持っているのに、
なぜだか今回はそれを見ないで、記憶だけで行動していて、
大失敗した。

夫に慌てて電話。
来た新幹線の自由席に乗るしかないよ、と教えてもらった。
せっかく指定席を買ってもらったのに、
わたしってば申し訳ない。

このお盆休みのさなか、しかも始発じゃない品川で、
自由席に座れるのか?と不安だったが、
目をこらして入線してくる列車を見ていたら、
けっこう空席があったので、乗って、座れた。

夫にメールをして、乗り換え時間を調べてもらう。
こういうとき、夫は絶対にわたしを怒らないし、
とても素早くて親切だ。

無事に最寄り駅まで父に迎えにきてもらって、
実家に帰れた。


初日の夜は、夜中1時過ぎまで母の話に付き合わされた。
内容はまた追って書くとする。

翌日14日には幼なじみのしーちゃんと会い、
15日には両親と回転寿司に行き、
16日は何もせずにもう体も心も苦痛で限界で、
17日になって、やっと帰宅。

ところが、前夜からの大雨で、ローカル線が間引き運転になっている。
乗る予定だった電車は運行中止。
次のに乗っても、新幹線には間に合わない。

あああ~。
帰りもこんなかー。

窓口で、新幹線の切符を遅いものに変更。
そしたら、情報もなく、駅員さんも不親切で、
その新幹線は実は30分も遅れていた。

新大阪発の新幹線だけがじゃんじゃん来て、
わたしが買い換えた新幹線は、なかなか来ず、
ホームのベンチでパンを食べて待っていた。

やっと来て、乗車。
疲れて爆睡。

もうどこにも寄らず、何も買わず、
駆け足で帰って来た。


ちま~!
ママだよー!

ちまが、お出迎えしてくれた。
会いたかった!
ちま、会いたかったよ!

ひとしきり撫でると、おかかを要求するので、
ひさしぶりのおかかをお皿に出した。

食べ終わると、着替えているわたしに、
ちまが、うんうん鳴いて、文句を言う。

そう、まるで人が、
「うーん、まったくもう~。もう~。」みたいな抑揚で、
ちまは文句を言うのだ。

ごめんごめん。
長く留守にしてごめんね。

ちまはいっぱい舐めてくれた。

留守中、夫が掃除やら、シンク磨きやらしてくれたようで、
部屋は綺麗だった。
ちまのブラッシングもしてくれたようだ。

わたしはシャワーをして、
久しぶりに自分の布団で休んだ。

あああ~。
やっぱり自分の部屋っていいなあー。

夫が休みを取ってくれていたので、
夕飯を作ってくれた。
なので、夜までちまといっしょにウトウトした。


ところで、突然でびっくりしたが、
息子がマンションを買った!

買うつもりがあり、そろそろ資料集めたり、
見に行ったりしてる、と数日前にメールで知ったのだが、
お盆中に実家から、メールしてみたら、
「今日契約してきたよ。」とのこと。

わあ、すごいなあ。
今の賃貸マンション、まだ一年半しか住んでないのに、
どうしてこんなに早く決めたのかは知らないけど、
とにかく、しっかりと人生設計をして、
ガシガシと歩んでいっている。

お金ではもう助けてあげられないのは残念だけど、
すごいね、頑張ってるねって、褒めてあげたい。

お嫁ちゃんの実家に近いマンションで、
15階建ての13階、3LDKだそうだ。

中古マンションで、まだ人が住んでいるそうなので、
引越しは、年末くらいになりそう、とのことだった。

新婚旅行が余りにも楽しくて、
また行きたい~と二人とも言っていたので、
また来年行けばいいじゃない?
そういう人生もありだよね、とメールをしたのだが、
そのときにはまだ、マンション買うなんて言ってなかった。

わが息子ながら、すごいと思う。
偉いな。
どうか、隣人トラブルなどのない、平和な暮らしが出来ますように。


では本日よりまた通常運転です。

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必要なのは、「カナシミ」。

今日は水曜日でフリーの日だったので、
映画を観に行った。

さすが、夏休み、お盆休みで、
いつもはガラガラな映画館が、人で埋まっていた。

見たのは、「インサイド・ヘッド」

他にも見たい映画が順次公開されているが、
今日はとりあえずこれを見た。

全体的な感想としては、
ちょっと物足りない感じ。

脳内では、もっとものすごいことが起きてるはずでしょ?と
思ってしまう。

少なくとも、子供時代のハッピーを持っていないわたしには、
共感できない映画だった。

誰一人悪人が出てこない。
両親は愛に満ちていて、
決して主人公ライリーを怒ったりしない。
いじめっ子も登場しない。

メインとなるのは、
「ヨロコビ」と「カナシミ」の脳内での旅なんだけれど、
さすが「ヨロコビ」とあって、
考え方が前向きすぎて、
しかもそれを相手に押し付けすぎて、
非常に気分が悪い。

いっぽう、「カナシミ」は、
自分の存在意義がわからずに悲しんでいる。

その姿のほうが美しく感じた。

これは、わたしが健常者じゃないからだろう。

存在意義がわからず、
誰にも必要とされず、
思い出に触れたらそれを悲しい思い出に変えてしまう「カナシミ」は、
まるで自分のようだった。

ホント、存在意義がわからなくなっている。
わたしはうつ状態のままだ。


「カナシミ」は、
自分が悲しいから、
悲しんでいる人の気持ちに寄り添える。

そのことは、「ヨロコビ」には理解できない。



決して、「気のせい」などではないのだ。
頑張って上を向けば解決するわけではないのだ。
ハッピーエンドなんて、待ってないのだ。

それでも、それを抱えて生きて行く。
些細な言葉が心に刺さって血を流す。
そんなこと、誰も気にしてもくれない。

傷を隠してまた生きて行く。
傷口を広げられたり、
塩を塗られたりしているうちに、
愛されてるだなんて思えなくなってくる。


言葉にしなくても伝わる愛情とか、
本当の、見返りを求めない無償の愛とか、
あることは知っている。

でも、傷ついてばかりいると、
わからなくなってしまう。


わたしには、
無償の愛を授けてくれた、息子とちまがいるだけ恵まれている。
かれらは、特にわたしに何も望んでいない。
でもきっと、存在を、認めてくれている。

見返りがないと愛せないなんて、
きっとそれは、
執着であって、愛ではない。


明日から帰省する。
あと何回、親に会えるかわからないから、
我慢して行く。

また母の自慢話を、延々と聞かされる。

あの人は、恥ずかしくないのかな。
よくもまあ、ぬけぬけと…とわたしは呆れる。

今回は、時間がたっぷりあるので、
二人が死んだあとの家や仏壇やお墓をどうするかを、
相談してこよう。


ちまと離れることが寂しい。
ちまはわたしを、よく理解してくれている。
とても優しい。


では行って来ます。
しばらく更新をお休みします。

                                         伽羅moon3

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ムシャクシャする!

怒ってはいけないと、どこかで思って
抑えているから、
ムシャクシャするんだ。

ちゃんと、正当に、
その事柄だけをピンポイントで、怒ればいいのに、
立場の弱いわたしは、
抑えざるを得なくて、
非常にムシャクシャする。

平等って、ありえるのかよ…。

働いてないことは、
人間として認められないってことかよ。
その他いろいろ、
出来ないことや合わせられないこと満載だけれど、
それって人間失格なのかよ。

どうしても無理、ってこと、あるじゃん!

みんなそれぞれが、いろいろやりたくないことしながら生きてるんだから、
お前も我慢しろって、
それは正しい指導なのか?

そもそも、なぜいつもこっちが指導される側になるんだ。
わたしの案件には必ず一度はNOと言うくせに。

立場が弱いって悔しい。
弱みに付け込まれて、
常に攻撃にさらされる。

そこでは反論も泣く自由も与えられない。
なぜなら、
わたしには「力」がないからだ。
反抗すればするほど、不利になる。
また、脅される。
脅されると、愛されてるなんて思えなくなる。


ムギを夫にゆだねてから、
しばらくは、後ろめたくてその部屋に入れなかった。

もちろんムギも寄っても来なかった。

やっと、このごろ、
座ってから、おいで~と言うと、
寄って来てくれるようになった。
やっとのことだ。

それでも、一人でぽつんと夫を待っている姿を見ると、
可哀相で泣けてしまう。

ムギ、ごめん。
自由を奪ったこと、本当にごめん。
ムギ、本当はどう思ってるの?
ムギの本心が聞きたいよ。


ムギを放棄したことを、
わたしは非常に重い罪だと認めている。

夫が居ないときは、
もちろん世話をする。
夫が普通に帰って来る日だって、
このごろはちゃんと会いに行く。
夫が帰って来て少しでも楽なようにと、
トイレも掃除して来る。

だから、酔った帰りに、
自分がもうムギの部屋に入りたくなくて、
わたしに世話をさせるなら、
ストレートに、
「もう一回見に行って。」と言えばいいだけだ。

夫は猫アレルギーだから、
パジャマを着てしまったら、
もうムギと触れ合えないことよーくわかってる。

それをなんでまた、
「僕がやらなければいけないのでしょうね。」
なんて嫌味を言ってくる?

わたしには重い罪の意識がある!
一緒に暮らすことは無理だったけど、
ムギのことだって可愛い。
様子見に行くことぐらいするよ!
だって、ムギ、一人ぼっちなんだもの!
わたしのせいで!


弱いところを突いてくるその手法、
それが正しいと声高く言う人の手段ですか。

夫が先に死んでしまったら、
わたしは、この部屋に残れるかどうかもわからない。
保証をしてくれない。
すべては僕の気分一つですから、と言う。
これも脅し。

わたしには、行く場所なんてないのに。

家を持っていて、
子供とずーっと一緒に暮らせて、
面倒を見てくれる人がいるって、いいよね。
うらやましいよ。

わたしは、いかに息子に迷惑を掛けずに死ぬかが問題なのだ。
これは、とても難しい問題なのだ。


もう最近、精神状態がめちゃくちゃだ。
そしてそれを見せないようにひっそりと生きてく。

帰省…。
どうなっちゃうんだろう。

                                          伽羅moon3

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どうせ出来損ない。

日曜日は、起きてすぐにまた睡眠薬を飲んでしまうという失態をした。
おかげで一日を棒に振った。
記憶も残っていない。

こういう失敗をもうしないよう、気をつけないと。

最近いろいろ忘れる。
ちまに、その日最後の餌をやったかどうか記憶になくて、
またやってしまっていたり。
(ちまが500グラムも太っていたため判明。)

今夜も洗濯をしていたことを忘れて、
夜中過ぎに干した。
しわしわだ。

洗濯機が、家の外にあるので、
気がつきにくいのだ。

こうやって、だんだんと色々忘れがちになっていくんだな。


今日は長女がもう夏休みに入っていて、在宅していた。
夕飯を食べる人を確認しに行ったら、
キッチンの床を磨いていた。

わたしにはきょうだいがいないし、
きょうだいを育てたこともないので、
全然わからないのだが、
不公平感、ってないのだろうか?

長女は、わたしばっかり、と思ってないだろうか。


わたしは、たまたま二人目ができないうちに、
前夫と不仲になって離婚したが、
次を授かったら産むつもりだった。

息子が余りにもやさしいので、
下の子にどう接してくれるのか、見たかった。

でも、息子は優しすぎて、気が小さくて、
言いたいことをずけずけと言える子ではなかったから、
下の子がもし居たら、
我慢の連続になってしまうと思った。

自分で望んでないのに、勝手にお兄ちゃんにされて、
お兄ちゃんなんだから我慢しなさい、というのは、
余りにも理不尽だと思い、
下の子が生まれても、
「おにいちゃん」とは呼ばせず、
むしろ息子のことのほうを優先してやろうと決めていた。

でも、結果、わたしの力では、
一人育てるのが限度だったな。


わたしの人生、恥じることが多すぎて、
とても書ききれない。

全然正しい生き方をして来なかった。

恥ずかしくて、後悔だらけで、
思い出すのも辛く、
絶対に若い頃になんて戻りたくないと思っている。


だけど、
間違ったことをしないで生きてきた人もいるだろう。

例えば今の夫。

自分は清廉潔白で、
一点の曇りもないからと、
攻め込んできた。

思い切り土足で踏み込んで来た。
だって自分は何も間違っていない、と言って。


自分の弱さに負けて、
うつ病を患って、
底辺に居るときのわたしには、
引っ張り揚げようと躍起になるその手が、ものすごく痛かった。

うつ病であるわたしこそが、
本当のわたしだったのに、
病名を告げられてから、キミはうつ病になった、と言われた。

違う、そうじゃない。

ずっとずっと、重い鎧を着ていたんだよ。

一年半もの間、原因不明の不調と苦しさに耐えてきて、
各科を回りに回って、
やっと、病名が判明した。
わたしはようやく治療を開始できたのだ。

静かに受け入れて、
悲しみを癒したかった。


常に正しく生きている夫から見たら、
わたしなんて出来損ないだろう。
多分、今もきっとそう思われている。
足りない足りないと言い続けられていて、褒められたことはない。

夫は早寝早起きで、
勤勉で、
家事もこなすし、
頼めばすぐに解決してくれるし、
だから間違ったことはせず、
自分には一点の曇りもないと言い張った。


生きて行くリズムが違う。
そもそも、本当に清廉潔白な人っているの?

自分がいくら正しいつもりでも、
その「正義」という刃で、相手を刺したら、
それは罪にカウントされるんじゃない?
それとも、ポイントが加算されるってわけ?


実家に帰省するのが憂うつ。
母もまた、清廉潔白を武器として、
わたしにそれを恥ずかしげもなく自慢し続け、
こちらが少しでも隙を見せたら、
そこから刀を差し込んでくるに決まっているのだ。

用心しないと。


そんなわけで、わたしは、人と接することが、今は嫌い。
自分を棚に上げて、
相手を攻撃したり、貶めたりする人が、
多いから。


そういう人は、大概、平等を履き違えている。
みんながみんな、同じことを出来るべきというのは、
真の平等ではない。

それぞれが、得意な分野で協力しあうことを、
平等というのだとわたしは思う。

押し付けの正義は要らない。
人は、自浄しないと、ランクアップしない。

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やってしまった。

ゆうべは寝付くのが遅かったので、
起きられたのは、午後2時だった。
でも、寝起きは良かった。

起きてすぐ、朝用の薬を飲む。
いま、夫が買ってくれた、肝臓用の漢方薬をあわせて飲んでいる。
小さな黒い丸薬が、15粒くらいかな。

それを飲んでから、精神科とリウマチのお薬を飲むのだけれど、
気がついたら、なぜだか、
就寝前のお薬一式を、飲んでしまっていた。

あああー、やっちゃったよ!

たっぷりの睡眠薬と、眠くなる成分を含んだ抗精神薬のセットだ。

でも、飲み込んでしまったものは、もうどうしようもないー。

わたしは軽く食事をして、すぐに夕飯の支度をした。
もう、眠くなってきて、意識が朦朧とする。
何を作っているのかわからない。

夫に事情を説明し、
こらからまた寝るので、
夕方、適当な時間に来て欲しいとメールした。

すぐに眠れた。


夕方6時半に夫が来て、
朦朧としながら起きて、
作ってあったものを温めて、
二人で夕飯を食べた。

食べ終わったあと、また眠くなった。

もう一日がズタズタだ。

また眠って、夜中の12時に起きた。
気分が悪い。

睡眠がこうしてズタボロになると、
体調もボロボロになってしまう。

しんどい。

さて、このあとまた寝付けるだろうか?

今夜はちまちゃんが何回も吐いた。
苦しそうで可愛そうだ。


話は変わるが、
夫は何かにつけて、
全部わたしのせいにする。

まあ、そういうこともあるさ、仕方ないよ、という考え方ではない。
必ず、誰かのせいであり、
たいていがわたしのせいにされる。

ちまが吐いても、
ムギがオシッコ失敗しても、
全部がわたしのせいにされた。

夫にとってわたしは、
単なるストレスのはけ口なのではないかと思うことがある。

夫婦って、そんなものなの?

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信用されていない。

わたしは、圧倒的に夫に信用されていない。
だから、経済状況も、何も知らされないのだ。

何でそんなに信用がないの?と聞いてみた。

そしたら、結婚生活が、言っていたのと全然違うからだそうだ。
わたしがやりたいと言って、
実現しなかったことがいっぱいあるからだという。

そう、それは事実。
わたしだって、嘘をついたわけではない。
わたしだって、あんな結婚生活になるとは、思ってもみなかったのだ。

家事ももっとやれると思っていたが、
完璧なスーパー主婦のお姑さんを前にして、
萎縮しまくり、
居心地が悪く、
代役を頼まれて、頑張って、また今度もお願いと期待されると、
それだけでもう、寝込んでしまうくらい鬱状態だったのだ。

そういう鬱の酷かったころを、夫は忘れている。

もっとべったりとした夫婦関係を望まれていたのに、
大家族の中に放り込まれ、
わたしの気分よりも、
家族の歯車に組み込むことを優先したのは夫だ。

夫は砂漠のような人だった。
いくら尽くしても、愛を伝えても、
決して満足するということがない。

次の日には、更に上を求めて来るのだ。
砂漠に水を撒いている気分になり、
わたしは金曜日の夜が恐ろしかった。

夫が帰宅する時間が近づくと、動悸がして気分が悪くなり、
家出したのもそういう理由だ。

そのときも、夫はわたしの気持ちなどどうでもよく、
日曜日に子供たちと外食する約束だから、
それまでには帰るように、というのが、第一声だったのだ。

きっと、もう、忘れてしまっているだろうが。


言われたとおり、わたしは全く、夫の理想にかなっていない。
何もしてあげられない期間がすごく長かった。

結婚しなければ、生きてはこれなかったと思うし、
結婚による環境の変化で、
鬱が悪化したこともまた事実だし、
これは、約束違反ではなく、
お互いの願いが、お互いに叶わなかったのだ。

わたし一人が裏切ったわけではない。

しかし、ムギのことを引き合いに出されると、
たちまちわたしは分が悪くなる。

絶対大丈夫だから、家に入れさせて、と頼んだくせに、
3ヶ月でギブアップして、白旗を揚げてしまったのだから。

そこを突かれると、返す言葉もない。

本当にわたしが甘かった。
反省しているし、後悔しているし、
夫にも、ムギにも、ちまにも、
申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

このまま外で可愛がろうよ、という夫の声に、
従うべきだった。
ムギが寒いのが辛くて、
ムギが雨で濡れてるのが辛くて、
不自由な脚で階段を駆け登ってくるけなげさに惹かれて、
わたしは冷静さを欠いていた。

心から反省している。



今夜は、夫と回転寿司に行った。
楽しかった。
いっぱい話をしたし、
地下街がリニューアルオープンしていたので、
帰りに冷やかして見て、
果物を買ってもらって帰って来た。

今年初めての桃。

息子とデートしていたころは、いつもデパ地下で買ってあげてたな~。

夫が、帰省の切符と、お小遣いをくれた。
その中からお土産を買って、
両親と回転寿司に行ったら、そこから払うようにと言って、くれた。
すごく嬉しかった。
もう、定年したのだから、いいのに、
わたしの両親を大事にしてくれる。


望んでいた形態ではないだろうが、
少なくともわたしは、今、幸せだ。
もちろん、結婚してよかったと思っている。

信用をされないのは、実績がないからだ。
やれることをコツコツやっていくしかない。

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まだ償えるだろうか。

わたしの都合で勝手に離婚し、
わたしの勝手で貧乏にし、
息子に、
好きなことをやらせてあげられなかったという、
後悔の念で、
わたしは長く苦しんだ。

今ももちろん、まだまだ苦しんでいる。

夫と再婚できて、
お小遣いをもらえたおかげで、
息子とちょっと贅沢なデートをして、
いいものを買ってやれる時期があったことを、
感謝する。

まだ間に合う?
償える?

そう尋ねたら、息子は、うん、と答えてくれたのだ。


それでも、今は親としての実力のなさを、
ふがいなく思っている。

もっと息子の役に立ってあげたい。
何かしてあげたい。

でも、お金ではもう助けてやれない。


じゃあ、どうしよう?


去年、お嫁ちゃんのご両親との初めての顔合わせの時、
わたしは、
最も伝えたかったことを述べた。

それは、お礼だ。

お嬢さんと、息子との結婚をお許しくださいまして、
ありがとうございます。


自己紹介のあと、真っ先にそれを伝えた。

お嫁ちゃんの、詳しい家庭状況は何も知らなかったが、
こちらは、離婚経験ありだし、
お嫁ちゃんは大学出てるのに、息子は高卒だし、
大事な大事な一人娘さんだし、
ひょっとして反対されたらどうしよう、と、
すごくすごく心配だったのだ。

だから、結婚を許してもらえたと聞いた時、
腰が抜けるくらい、安心したし、
嬉しかった。

だから、まずはお礼を伝えたかった。


でも、そのあとは、なんだか会話も弾んだかどうだかよくわからなかったし、
失礼なことを言ったんじゃないかとか、
気遣いが足らなかったんじゃないかとか、
もう、不安で不安でたまらなくなり、
数日後、息子と電話で話した。

「大丈夫だった? 何か、マズイことなかった?」
そう聞いたら、息子は、
「大丈夫だよ。っていうか、いろいろ、言ってくれてありがとう。」
と答えてくれたのだ。
「じゃあ、顔合わせ、成功だったって思っても大丈夫?」
「うん、成功だよ。」
そう言ってくれた。

お嫁ちゃんにはわたしがうつ病であることは伝えたが、
彼女はご両親には話してなかったようで、
わたしが働いていなくて、
当時、家事もしていないことについて、
うまくごまかせなくて、
どう思われたか、すごく心配だった。

息子と電話で話せて、やっとホッとしたのだった。


でも、わたしは、息子に、まだ返せていないと思っている。

だけど、もう何かを買ってあげたり、
ご馳走してあげたりするのは、
わたし一人の力では不可能。

ならば、どうしたらいいか。


これからの態度で、埋め合わせていけるのだろうか。

わたしは昔、息子を好き過ぎて、
絶対に嫁いびりをしてしまう、と考えていた。

ところが、
余りにも素晴らしい相手と出会って、
息子が積極的にそのご縁をたぐり寄せ、
そして結婚できたことが、もう幸せで幸せで、
お嫁ちゃんのことが可愛くて、
いびるなんてあり得ない。


今後も、お嫁ちゃんのことや、
いつかできるお孫ちゃんのことを大事に思うだけで、
足りるだろうか。
気持ちだけで、足りるだろうか。

何かしてやれる親は、幸せだ。
わたしも何かしてやりたい。

迷惑をかけないようにするのも大切なことだ。

まだ、今からでも、償えるかな。


それはムギに対しても同じきもち。

ムギが、外のほうが良かった!って、もし思っているなら、
お外に出してやりたい。

家猫になれて良かったと、思ってくれてるといいのだけれど…。

ちまには、辛い思いをさせた3ヶ月間のことを、毎日謝っている。
ちまは天使ちゃんだから、
いいよ、と尻尾をピンと立てて、答えてくれる。

ムギの本心がわからない。
どっちが良かったんだろう。

お外に、ベッドを置いてやって、
古いカシミヤのマフラーを敷いてやって、
そこにムギが入っているのを見ていたときが、
一番良かったような気がする。

自由を奪ってしまったこと、
良かったのかどうか、わたしには判断できない。

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悲しくてたまらない。

水曜日がフリーであることは、
わたしの精神の均衡を保つのに、
非常に意味のあることである。

夫に、
「(夕飯を)作れないのじゃなくて、作らない、んだよね?」
と嫌味を言われたが、
わたしは引き下がらなかった。

一日、休みがないと、続けていけないと感じていたからだ。

今は、カウンセリングか、
リウマチの通院でほぼ潰れてしまうけれど、
家人に会わなくて済む、
母屋に行かなくて済む、
ジャンキーな食事でもいい、
時間を気にせずに過ごせるのは、
この、水曜日だけなのだ。


夫はいつでも自由にわたしの部屋に出入りする。
だから、土日は気が抜けない。
本当にフリーなのは、水曜日いちにちだけなのだ。


しかし、
それでも尚、
時々、ひどく陰鬱になるときがある。

どこにスイッチがあるのかわからないが、
なにをやってもやるせない気持ちになってしまうのだ。

今日も、憂うつだ。
自分のしてきたことをひどく後悔し、
現在していることに対してはやるせなさを感じる。

淡々と、するべきことをするだけ、と自分で決めたのに、
なんというか…
報われない気分。

お金がないって、
悲しいことなのだ。
発散できない。


夫に頼まれて、夜遅い時間に、
ムギのお水を取り替えに行った。

もう、夫は寝てしまって会えないのに、
ムギは窓際に、ぽつんとしていた。

そのムギを見たら、
わああーってなってしまって、
思わずムギを抱き上げて、
抱きしめて、
ムギ、ごめん、ムギ、ごめん、とつぶやきながら泣いた。


ムギはきっと、毎日寂しいよね。
ノラでいたほうが、気ままで自由で良かったよね。

自由を奪ってしまって、
ごめん。
寂しいよね。
つまんないよね。


わたしが甘かった。
ちまと、ムギと、三人で楽しく暮らせると勝手に思い描いて、
ムギを家に入れた。

だけど、天使のちまちゃんは毎日怒ったり怯えたりして、
天使ちゃんじゃなくなってしまった。

ムギは、テーブルの上や毛布の上に何度もオシッコをして、
嫌がらせを繰り返した。

それに耐えて一緒に暮らしている人もいるのに、
わたしは耐えられなくなってしまった。

あのまま、外猫として可愛がっていれば良かったのに。


息子だって、天使のような子だったのに、
些細なことで感情が高ぶって、
ぶってしまったことを思い出すと、
自分だって最低な母親じゃねえか、と苦しくなる。

偉そうなこと言うけど、
わたしは本当にダメ人間だ。

もう今夜は悲しくてたまらない。                

紛らわす方法もわからない。

来世では、きっと綺麗な生き方をしよう。
また息子にめぐり合って、
今度は絶対に二度と叩いたりしないで、
抱きしめて抱きしめてもう一回育てたい。


悲しいよ。
まるでうつ病の初期の頃みたいだ。

                                            伽羅moon3

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純粋にお金が欲しい。

今日はカウンセリングで、
思いのたけを話して来た。

帰りにデパートに寄った。
大好きな、シビラの新作が出ていた。

エコバックと、化粧ポーチ。
すごくいい柄。
欲しい。

何度も手にとって、中を見て、迷う。

どちらも、高額なものではない。
2800円と、1800円だ。

だけど、いま、お小遣いがほとんどないわたしには、
難しい。

本屋でも何冊も文庫本を手に取り、
帯を読んで、
欲しい、と思った。
一冊600~700円程度。

でも、我慢した。
もう何ヶ月かしたら、
アマゾンで、中古で買おう。

働いている人は、毎日毎日大変だけれど、
自分のお金がある人って、いいなあ。
それぞれ節約してるかもしれないけど、
欲しいものを買える自由っていいなあ。
うらやましいよ。

なんだか最近、気分が「さもしい」のだ。

本も、CDも、DVDも、中古のものを買っている。
映画を観に行けるのは、障害者手帳で1000円で見られるから。

だけど、自分のお金がないということは、
とっても寂しいことなのだ。
ひねくれてしまいそう。


夫にいっぱいお小遣いをもらってた時期もあったが、
自分でアクセサリーを売ったお金とあわせて、
可能な限り、
結婚前の息子にあげてしまった。

だから、もう、わたしにはお金が無い。

マッサージに月に二回行きたかったら、
夫に申請して、
別にお金をもらわなければ行けない。

自分で働いてないし、
夫は定年になって嘱託になって給料はがた落ち。
だから精一杯切り詰めて計算し、
わたしの生活費も申請したのだけれど、
なんだか、とっても、気持ちがさもしい。

夫がいくら給料をもらっているのか、
ボーナスが出たのか、
退職金がいくらあったのかとか、
わたしは何一つ知らない。

夫がいくつの銀行に口座を持ってるかも、知らない。
なーんにも知らないのだ。


今日、用事があって息子にメールをした。
返事が帰って来て、
なんと、息子たち、
もうマンションを買うつもりらしいのだ。
もちろん都内で。

すごいなー。
わが子ながら、すごいと思うよ。

親から何も引き継ぐことなく、
自力でマンション買うんだもんね。

応援してやりたいな。
でも、わたしにはもう、なにもしてやれない。

してやれない親って、悲しいんだよ。

夫はきっと、そんな気持ちわからないだろう。
いまだにずっと、子供たちに「してあげている」親だから。
みんな一緒に住んでくれているし。
多分ずっと一緒に住んでることになると思うし。


今、純粋にお金が欲しい。
息子に、あげたい。
頑張ってるんだもの。

親がしっかりしてないから、
息子はしっかりしてるね。
どこに、どんなマンション買うのかな。
隣人トラブルがないことを心から祈るよ。
買ってしまったら、
簡単には引っ越せないもんね。

どうか、息子たちが平穏で幸せでありますように。

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八つ当たり!

「あたしンち」という漫画が好きで、
全巻持っている。

4人家族の話なのだが、
主人公はお母さんだと思う。

悪人ではないのだが、その「理不尽」な部分が、
わたしの母にそっくりで、
読んでは、そうそう、と頷いて、
ちょっと憂さ晴らしになったものだ。


わたしの母は外面(そとづら)が異常にいいので、
本人曰く、だが、
「誰からも、良い人と言われている。」
のだそうだ。

優しいねえと言われるといって、
いつもわたしに自分の自慢話を延々とする。

よくもまあ、こっぱずかしくないのか!と呆れるくらい、
延々、自分の自慢話。

よそで言ってないといいのだが。
恥ずかしい。


わたしの母は、非常に利己的で理不尽な人なのだ。
そして外面(そとづら)がいい。

当たる相手は、祖母か、わたし。

自分はおばあちゃんに優しくしたと、言い切っているが、
わたしには全然そう見えなかった。
キツい口調で、しかも常に上から目線。
悪口をわたしに吹き込み、
愚痴ばかり言っていた。

もちろん、祖母も褒められた人ではなかったが、
母も同罪だ。


わたしは、高校を出て、進学校だったのにひっそりと就職をして、
でも仕事は楽しかったし、
誰よりも頑張ったし、
誇りも持っていた。

そうしないと、わたしは自我を保てなかった。
否定ばかりされて育ったので、
仕事で認められることは生きがいだった。


毎日残業をした。
ヘトヘトになって、9時ごろにやっと帰り着く。

すると母が、
「遅い! 何やっとんの!」
とブチぎれる。

はあ?
仕事ですけど?

見ると、わたしを待っていて食事をしていない。
「ごはん待っとるのに、遅すぎる!」と怒っているのだ。

誰も待っててくれなんて頼んでない!

「何で待ってるのよ。勝手に食べればいいじゃない!」と言うと、
「そんなの一人暮らしみたいで嫌だ!」とわめく。

冗談じゃない。

腹が減って、勝手に不機嫌になっているのだ。
正当に仕事をして疲れて帰って来た娘に、
八つ当たりをしているのだ。

父が三交代勤務でご飯を一緒に食べられないのも、
他に子供がいないのも、
わたしのせいではない。
なのに、自分が優位だと思って、八つ当たりしてくるのだ。

わたしは何も悪くない。
上司に頼まれて残業をして、ヘトヘトになってやっと帰宅したら、
理不尽に怒鳴られるのだ。

そんな母の、いったいどこが優しい人なのか、
わたしにはまったくわからない。
みんな騙されてる!

他人事だから、良い顔見せて善人ぶってるだけで、
こいつは人の心を引き裂くヤツです!
油断してると、傷口にトウガラシを塗りこんできやがりますよ!


結婚する前の八つ当たりも酷かった。
多分、寂しくて不安定だったのかもしれないが、
だったら、素直に、寂しいなと言えばいいのだ。

毎日文句ばっかり言われて、理不尽なことされて、
たまに口答えしているのを父に見られて、
「お前、そんなことじゃむこうのお母さんにかわいがってもらえんぞ。」
と言われたこともある。

父は母の理不尽さに気づいていないのか?
こんなに何十年も一緒に居て、
なぜ、この二重人格に気づけない?


結婚した相手の母親は、
まあ、ひどいバカで、
語るのも汚らわしい。

一年半の同居で、東京に転勤になったから、
ほんとうに嬉しかった。


今の穏やかな暮らしでも、
わたしだって、虫の居所が悪いときがある。
お腹がすけば、誰だって不機嫌になる。

だからと言って、人に当たるのは最低だ。
わたしはそんな時は、人との接点を絶つ。


もうすぐ帰省だー。
息子たちとは一緒じゃないので、
わたし一人で立ち向かわなくてはならない。
また母の自慢話を延々聞かされる。

本気で憂うつだ…。

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なんだかとても自己嫌悪。

毎日、殺人的な暑さ。
お勤めのみなさん、お疲れさまです。

わたしの部屋のキッチンは西向きで、
わたしが起きる午後には、暑さがMAXだ。

この暑さの中で、料理かあ。

扇風機の風を浴びながら、あられもない姿で行う。

買い物に出たくない。
手段は徒歩しかない。
帰りには暑い中を重たい荷物を持って、
ひーこら歩いて来なければいけない。

ああ、いやだ。

今日は生協で頼んだものがいろいろ届いた。
でも、何故だか肉類を注文していなかった。

母屋に行くと、お姑さんは、自室にこもってらしたので、
夕飯を食べる人数を確認して、
冷蔵庫から、
鶏肉と人参をもらってきた。

6人家族用に買った、観音開きの大きな冷蔵庫は今はがら空きだ。
逆にわたしの小さい冷蔵庫はいっぱい。

鶏肉をゲットしたので、今日は買い物に行かなくて済む。
なんとか明日もしのぎたいが、難しいかな。
頑張って働いているみんなの活力になるような夕飯を作りたいから、
明日は諦めて買い物に行かなきゃダメか。


夫が出張で留守なので、ムギの世話をした。
暑いせいか、ムギは畳の上に平たくなっている。
抱っこして脚の上に乗せたら喜んでゴロゴロ言う。

撫でていたら、ムギが手を伸ばして、
わたしの手首をつかもうとした。
口が開いていた。
噛むつもりだったのだ。

ダメだよ噛んじゃ、とムギを軽くペシっとしたら、
脚から降りて行った。

夫は毎日ムギに噛まれている。
猫アレルギーがあるから、余計に腫れあがる。

ムギを抱くたびに、
「パパを噛んじゃダメだよ。」と言い聞かせているのだが、
ムギは言葉がわからないのか。

ちまは、すごく言葉がよくわかる猫だ。
(天使ちゃんだから当然ではあるが。)
先週、土曜日に手巻き寿司をしていて、
ちまは自分の分のホタテを食べ終わって、
大好きな人間用トイレでゴロゴロしていた。

夫がホタテを残していて、もう乾き始めていたので、
「これ、食べないの? じゃあちまにやってもいい?」
と聞いたら、いいよと言うので、
座ったまま、声が届くように、
「ちま~、パパがホタテくれるってー。」
と言った。

そしたら、すぐにちまはやってきた。
「おいで~。」だけでは絶対に来ない子だから、
ちゃんと言葉を理解しているのだ。

まったく、猫という生き物はずるいくらい可愛い。

だから、家猫になりたくて必死だったムギにころっと騙されて、
家に入れてしまった。
そしたら問題満載の猫だった。

その、問題だらけのムギを、
外に戻さずに母屋で引き取ってくれた夫の勇断はすごい。

ムギを可愛いと思えなくなってしまって、
外に返したいと言ったわたしは、
人間として最低だ。

だから、夫には頭が上がらない。

たまに可愛がるだけだったら、ムギは可愛い。
でもわたしはもう一緒に暮らせない。

二度と浮気をしないと、ちまに誓った。
なんであんなにムギに執着して、
家に入れたいと望んでしまったのだろう。
ちまという天使ちゃんがいるのに。

ムギを見るたびに、天使のちまちゃんが、シャーシャー言うのが辛かった。
カーペットや、テーブルの上や、
布団の上で、
わざとオシッコをするムギを、可愛く思えなくなってしまった。

器の小さい人間だ。

精神科の主治医に話したら、
「あなたはトラップにはまりやすい人間です。」と言った。
確かに、ムギがもし、3本脚でなかったら、
そんなに執着しなかっただろう。


寒風吹きすさぶ夜、抱き合って外でムギと過ごした。
あのままでよかったのに、
わたしは家に入れることに執着した。

その結果、誰も幸せにできない結果を招いてしまった。
ちまは天使のちまちゃんではなくなってしまい、
夫は面倒なことから逃げ帰るようになり、
わたしはどす黒い感情に支配され、うつ状態に陥った。

愚かなわたし。


子供も、息子一人でよかったのだ。
わたしには、きっと二人は育てられなかった。
そんな力はない。

三人も育ててる人はすごいな。

さて、後悔ばかりの人生だけれど、
また明日は明日の役割をちゃんと果たしましょう。

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恥の多い人生。

わたしは多分、パッと見は、障害者とはわからない。
まあ、ほとんど誰にも会わなくて、
会う人は、必ず事情を知った人だから、
そういうことになる。

でも、普段の思考回路の中では、
さすがうつ病、と思えるようなことを、
じくじくと考えているのだ。


後悔してももう仕方がないことを延々後悔し続け、
思い出すのも恐ろしい経験をたびたび思い出し、
自分が道を外れてしまったことを恥じに恥じ、
ああ、もう、どの過去にも、
絶対に戻りたくないと、
固く思うのだ。


それだけ、今が恵まれていて幸せだということだし、
それはそれでいいのだけれど、
繰り返し思い出しては、
自分を知らず、
無理ばかりしていたことを、
苦々しく感じて、ひどく悔しい。


わたしの救いは、息子だけだ。

あんないい子になって、
運命の相手と出会って、結婚して、
その結婚が幸せだと言う。

いまどき、都会では晩婚化が進み、
結婚にメリットを感じない若者が多くなる中で、
よくぞ出会って結婚してくれた、と感謝する。

息子を愛してくれて、結婚してくれたお嫁ちゃんは、
息子と全く同等に、
わたしの大切な人となった。


あんないい息子に恵まれて、
わたしはもっと清らかに生きなくてはいけなかったのに、
まことに恥の多い人生だ。

こういうことをグジグジ考えず、
今を一生懸命に清らかに生きることが大切なのだと、
わかっているけれど、
何かを思い出すたびに、
自分を恥じ、
息子に申し訳ない気持ちになる。

息子は、わたしを母として、
いったいどう捉えているだろうか?


息子が巣立って、わたしが再婚して、
まだ彼女が出来てないころ、
数ヶ月ごとにデートをした。

それは、貧しい思いをさせたことへの償いであり、
恥ずかしい母としての、償いでもあった。

息子に、
「今からでも間に合う? 埋め合わせできる?」
と聞いたところ、うん、と返事をしてくれた。

だから、ちょっといい食事をして、
高いコーヒーを飲んで、
帰りにはデパ地下で季節の果物や、お肉を買ってやった。

そして、二人で会うのはあともう何回かなあというときに、
「わたしを恨んでることがあったら言って。」と聞いてみた。

すると息子はしばらく考えて、
「ない。」
と答えてくれた。


わたしは何十年も親を恨んで生きているのに、
こんな素晴らしい息子をわたしは授けてもらったのだ。

だからもう、前を向いて歩いて行けばいいのに、
思い出しては後悔することを繰り返す。

うつ病だからなのかなあ。


次に生まれてくるときは、
もっと覚醒した魂で生まれて来たい。
そしてまた息子に出会いたい。

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ほぼ寝て過ごした。

アラームをかけて寝た。
一回目で起き上がれず、
二回目になってやっと起きた。

スヌーズ機能で5分後に起きたのだと思っていたら、
30分後だった。
お腹をすかせたちまが可哀想だった。

金曜日の夜に、リウマチの薬を2錠飲む。
幸い、吐き気という副作用は出なくなったが、
目まいやふらつきはある。

寝ていても脳がぐるぐるするし、
起き上がって歩くと、
ふらつくので、本人が一番びっくりする。

土曜日は夫が夕飯を作ってくれるというので、
ほぼほぼ、寝ていた。
夫は忙しかったらしく、
ムギの世話をして欲しかったみたいなのだが、
行けなかった。

夫の気配があるときは、ムギはわたしには寄って来ない。
だから、物理的な世話しかできない。

夫が留守だと、寄って来てくれるようになった。
でも、あまりの暑さに、
抱っこしていると、汗で、腕がムギの毛だらけになる。

週明け、夫はまた出張だそうなので、世話しに行かなくちゃ。


夫の用意してくれた夕飯は、美味しかった。
懸賞で牛肉が当たったので、
そのステーキ肉を焼いて持ってきてくれた。
やわらかくて美味しかった。

長女が牛肉を嫌いなので、
普段は夕飯には使わない。
でも金曜日、長女が外食だったので、
牛肉を買ってきて、すきやき風に煮た。
牛肉大好きなわたしにとっては嬉しい。


パソコンの調子が悪くて苦心していたのを、夫に言って見て貰った。
やはりどこか、おかしくなっているようだ。
日曜日にもう一回見てくれるとのこと。
こういうとき、夫は本当に頼りになる。


ここのところの暑さは尋常じゃないようだ。
とにかく、不用意に外に出ないことにする。
こんなことが、あと何年続くのだろう?
わたしは、もともと、夏が大嫌い。

水が嫌いだから、プールの授業のある夏は恐怖だったのだ。

とにかく、濡れるのが大嫌い。
顔を洗うのも大嫌い。
手がぬれてても気持ち悪い。
汗だくの自分が気持ち悪い。

早く秋になればいいのにな。

では明日からまた頑張ります。

                                             伽羅moon3

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家族と言う概念。

毎日なんて暑いのだろう。
出先から帰って来て着替え、
料理をしてまた汗だくになり、
シャワーをして、
料理を運び、
ムギの世話をして、
帰って来てまたさらに着替える。


こんな暑い中を通勤して働いてくれている家族のため、
わたしも頑張って夕飯を作る。

今まで甘えすぎていたのかもしれない。
お姑さんは、9月でもう89歳になるのだ。

そんな年齢まで、主婦をやらせてきてしまった。

だから、今はわたしが参加して当然。

わたしが出来ない日は、みんなそれぞれでいいと思う。
お姑さんの世話だけを夫がすればいいと思う。

しかし、夫には、
今まで何十年と続けてきた、大家族の概念を崩すことは出来ないらしい。

みんなそれぞれがやればいい、ではなくて、
誰かが責任を持って、
みんなの夕飯を用意する、という形式を望んでいる。

お惣菜を買ってくるにしても、
みんなそれぞれが自分の分を勝手に、ではなく、
誰かがみんなの分をまとめて買ってきて、
お皿に盛り付ける、という体勢を望んでいる。

わたしの見えない部分には、もう口も手も出さないことにしたが、
大家族の経験がごく少ないわたしには、
よく理解できない。


わたしの父は、三交替勤務を定年過ぎまで全うした。
朝帰ってくることもあり、午後出て行くこともあり、
だから、家族揃ってご飯を一緒に食べるという経験がすごく少ない。

父の目の届かないところで、
母は独裁者だった。


母が居なければ、当然自分で何かを食べなくてはならない。
田舎のことなので、スーパーもコンビニも何もない。
小さい頃は、母が昼休みに帰宅して何かしら用意してくれたが、
いつしかそれもなくなった。

それぞれが、個食だった。


夫の家庭は、子供たちがまだ学生の頃は、
日曜日の朝7時に、全員が揃って朝食をとるのだと言っていた。
わたしはその風習にドン引きした。

けれど、それが夫にとっての、理想の家庭の形なのだろう。

だからわたしが、
もうみんな社会人なんだから、
わたしが作らない日は、それぞれ勝手にでもいいじゃない?と言っても、
どうしても嫌なのだ。

家庭と言う形が見えなくなるのを彼は恐れている。

わたしが別居している時点で、
夫の理想も夢も木っ端微塵だが。

こんな夫婦だから、
「結婚っていいよ~。」と、
娘たちに勧めることも不可能。

でも、結婚だけが人生の全てではない。
娘たちがずっと一緒に住んでくれる人生だって、全然悪くないじゃないか。

現に長女は、結婚しない宣言をしているが、
その代わりパパの世話をする心づもりはしていると言っていた。
それもまた、いいじゃないか。


夫は、理想が高いのだろう。
だから執着をする。
気の毒なことに、わたしなんかと再婚したから、
理想の夫婦になれなくて、
定年の日に酔っ払ってわたしの部屋に来て、
「こんなの全然思ってたのと違う!」と毒を吐いた。

再婚して母屋に一緒に住んでいたころは、
わたしの気分などは二の次で、
家族の歯車にいかにわたしを組み込むかにただ必死だった。

6人もいれば、お風呂に入るだけで、
何時間もかかる。
夫はできれば10時半には寝たい人なので、
毎日機嫌が悪かった。

怒ってばっかりで、
付き合っていたときに外で見せてくれていた優しい笑顔が消えてしまった。

「なぜあなたは毎日こんなに不機嫌なの?」
そう聞いてみた。
せっかく結婚したのに、
少しも幸せそうじゃなかったからだ。

そうしたら、
「オレはいつもこんな感じなんだよ!」という返事が来た。

恋人としてじゃなく、夫としての自分をぜひ見て欲しい、
と言っていたのに、
実際は、わたしが思うようにならず、
常にイラついていたのだ。


わたしはわたしで、プライバシーの無さに疲弊していた。
どんどん言葉が減って行った。

そんな時に、アパートが空いて、
いまの暮らしがある。


お互いの概念が余りにも違うので、
そこは、責めることをせず、尊重しあわないといけない。


お姑さんは、もう当てには出来ない体になってしまった。
すごくしっかりとした方だったから、
夫にはそのギャップが大きすぎて、
今、ひどくストレスなんだと思う。

わたしには親がまだ二人ともいる。
今は二人で一緒にいるから、ボケてはいないが、
一人になった途端、何が起きるか想像すると怖い。


夕べ、行方不明になった肉じゃがは、今日の捜索でも出て来なかったそうだ。
どこに行ってしまったのだろう?

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