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2011年3月

生きやすくあるための入院

この部屋の鍵は母屋にいくつもあって、家族の誰でもが部屋に入れる。
だからこそ、地震のときに末っ子と電話がつながって、「ちまのこと見てきて! お願い!」と頼むことができた。
散らかっている部屋だけれど、お姑さま以外には見られても恥ずかしいものではない。

もちろん夫も鍵を持っていて自由に出入りする。
それにまったく不満や嫌悪はないけれども、寝ている姿を見て「四六時中寝ている」と言われるのは本当に心外だ。

わたしは相当怒っていてこの言葉にこだわっていて、寝ることを罪悪に感じることが嫌で、今日は精神科でもこの言葉を持ち出して聞いてみた。
主治医は怒った。
「何を言ってるの、眠りが非常に大切なんだってわたし説明したはずよ?」
「そうなんですか? ならなんでそんなこと言うんでしょうか。理解していないんでしょうか?」
「んんん~。ちゃんと言ったのになあ。そのための薬だって。理解したように感じたけど? 通りのいいご主人だったわよ? 理解したいという気概があったように思ったわよ?」
「でもきっと不満があるんです。だから酔ったときにひょいっと本音が出るんです。」
「いやあ~、ご主人ね、特に不満が積もっているという感じでは無かったわよ。これといって特定の不満があるとか我慢を積み重ねているとか、そういう印象は受けなかったけどなあ…。なんでそんなこと言っちゃうかなあ。理解してもすぐ忘れちゃう人なのかなあ…。」
主治医まで悩ませてしまった。

夫が面談に来たとき、主治医はセロクエルの話をもちろんして、わたしという人間が過活動でスイッチをオフにできないこと・緊張が強くリラックスということができないことを踏まえて、質のいい眠りを提供して治療するための薬だと説明してくれたそうなのだ。

結局、なぜそんな事を言われなくてはならないのかを考えたがわからず、主治医はこう言った。これを言ったら相手がどんな気持ちで受け止めるかを考えるまもなく口にしてしまう人は往々にしているものだと。
「気にしないことですね。聞き流してください。」
「先生~。それができるのならわたし病気になんてなっていませんよ~。」
「ああ、そうねえ。」
主治医はころころと笑った。

「とにかく今あなたは大事な時期なの。この先、パキシルを減らして、ほかの抗鬱剤もできれば減らして、肝臓のお薬でさえ減らして、それで安定するようになったら、ここじゃなくてほかの街医者でもかまわないわよ。処方さえ変えないでくれたら。」
わたしがえっ?という顔をすると医者は慌てて言い繋いだ。
「でもそんなのはずっとずっと先のこと。パキシルをゼロにするのは大変なことなんだから。いずれは、ということね。」

見捨てられる不安感がわたしの顔に出たのを読んだようにそう言われた。
「とにかく、もう少し生きやすくならないと苦しいでしょう。そのための治療、そのための眠りなんだから遠慮なく寝てね。」

そして今週から、15ミリ飲んでいるパキシルを、15の日と10の日というように一日おきに減らしてみる作戦が始まる。もしおかしくなったら無理をしないで15を飲むこと。もし減らしてもおかしくならなかったら、次の週は10ミリで行ってみましょうということだった。

転院後すぐにパキシルを20にされ、立て続けに15にされたときはわたしは壊れた。
でも今はセロクエルが投入されている。強い頓服もある。
やってみよう、とわたしは思う。

わたしの部屋にはいつでも誰でも入れるけれども、願わくばわたしはこのアパートに
「入院」しているのだと思ってもらいたい。
治療のために、療養のために、そして生きやすくあるためにここに一人で入院しているのだと思ってもらいたい。
一般の健常な人の暮らしではない。
「四六時中事件」はもう終わりにするけれど、このアパートの名称をサナトリウムとすれば良かったかなと思うほどである。
                                            伽羅moon3

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寝ることへの罪悪感

カウンセリングに行って話しまくった。時間が来ても立ち上がったりお会計をしたりコートを着たりしながらずっとカウンセラーさんとのお喋りは止まらなかった。
カウンセラーとクライアントという関係でしかないが、それでもわたしとカウンセラーさんは相性がいいと思う。時々二人で爆笑する。
夫以外では一番沢山会っている人だ。本当に女性カウンセラーでよかったとしみじみ思う。

今日のカウンセリングでは話す事が多すぎて脳が沸騰した。
帰宅して買ってきたお弁当を食べたらめずらしく眠くなったので、素直に仮眠を取る事にした。けっして怠けているのでもサボっているのでもない。
脳の要求に素直に従ったまでだ。

けれど例え半同居でも、夫がいたらこんなことはできない。
去年の夏ごろはどうにも具合が悪くて夕方寝てしまい、夫か帰ってくる遅めの時間にどうにかこうにかおきてごく簡単な食事の用意をするのがやっとだった。
それを不愉快に思われていたのはわかっていたが、夫の我慢も限界だったのか「なんでこれから、っていう必要な時間に寝ちゃうの。」と言われた。
ちゃんと夕飯を作ってお待ちしていない事への不満だった。

今日のカウンセリングは、「四六時中寝ている。」と言われたことについての考察にずいぶん時間を使ってしまった。
わたしは四六時中寝てはいないと思うので、そう言われたことは心外で、責められているとしか思えない。けれど、それは認知の歪みであって、健常な人は違う受け止め方ができるのかどうかを知りたかった。

カウンセラーに聞いてみると、彼女の見解はこうだった。
その奥にどういう不満があるにしても、「四六時中寝ている」という言葉は、「一日中ほとんど寝ている」という意味に捉えられる。
だからあなたが責められていると感じるのは、この場合は認知の歪みではなく、正常な反応であると思うと。
そして「そんなことない。長い時間眠るけれども、四六時中ではない。」と反論ができたのは、大きな進歩であるということだった。

「それで、反論してみて自分の気持ちはどうでしたか?」
そう質問された。
「反論してみましたが、それでも夫は、いや四六時中だ、とまた繰り返したので、ぬかに釘って感じで、わたしは腹立たしいままです。怒りを溜め込んでいます。」
「そうよね、だってあなたはいま眠るためのお薬を処方されているんだものね。そうやって強制終了しないと、過活動の脳が休めないから、処方されてるのよね。」

夫は主治医に新しい薬のことを説明されなかったのだろうか。
有り余るエネルギーで過活動になって、神経が興奮しすぎて眠れないようなことを防ぐための、強制終了のお薬なのだ。スイッチを切って、脳を休ませるための働きを持つお薬なのだ。それで9時間眠れるとわたしは起きたときに鬱々としないですごく幸せなのだ。

夫の言葉は呪縛となりわたしはそれで自分を縛り始めている。
さっきまで仮眠を取っていたけれど、それができるのはいま一人暮らしだからだ。
夫がいたらそんな自由はない。
寝るとしたって「ごめん、ちょっと寝るね」と遠慮しながら、そう…寝ることに罪悪感を抱きながら小さくなって寝るしかない。

窮屈だ。療養のために自由に眠ることに制限がかけられてしまう。そんなの嫌だ。
仮眠から目覚めたときは激しく鬱々としてわたしは泣きながら起きた。
セロクエルなしで眠るとこんなに鬱々するのだ。
心には怒りや後悔が渦巻いた状態である。

動きすぎる脳を休ませるために、セロクエルという薬がわたしに処方されている。
過敏すぎて、緊張が強いわたしに出された薬である。
そしてそれは、統合失調の人にも出される薬である。

主治医の話によれば、わたしはラインの上に立っているという。
これは夫も聞いているはずだ。
もう一歩踏み出せば幻聴が待っているのだ。
そこへ進ませたくないと主治医は慎重に薬を出して二週間ごと様子を見てくれている。
眠りが必要なのだ。通常の睡眠では治療の効果が得られないときの「最終兵器」という言葉をどこかで読んだ。

その裏には不満があるのだろう。だからこそ酔ったときに不意に出るのだろう。
でもわたしは決して四六時中寝てはいない。長ければ9時間寝て、それ以外の時間はすべて活動している。転寝もしない。
セロクエルによってもたらされる眠りが、わたしの「治療」なのであり、それに対して罪悪感を持ちたくない。
堂々と寝ていたい。悪い事してると思いたくない。
責められるくらいならもうずっとこのまま一人がいいと思う。
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いつこんなに歪んでしまったのだろう。

さんざんわたしをけなして実家を悪く言って、文句たらたら言っておいて、「わかりました、すみません。そうします。」とわたしが答えると、前夫の母親はけろっとこう言った。
「いじめとるんやないんよ。教えてあげとるんやでね。でも伽羅ちゃんは素直でいいわあ。」

けっ。
んなわけないだろ。
倍の年になったわたしは思い出すたびに胸が悪くなり吐き気がする。
大嫌いな人間ベストファイブに確実にランクインしている前夫の母親。
いじめている自覚があるからこそ、いじめているわけではないと言い訳するのだ。
わたしは面倒だから、人と争うのが大嫌いだから、ぐぐっとこらえて笑顔でいい返事をしているに過ぎない。心の中は理不尽な要求に煮えくり返っている。

前夫は完全に親の言いなりでかばってはくれない。
自分の母親にはグチをこぼさないように父から言われている。
わたしは沸騰する怒りを、驚愕の言い掛かりを、どこでどう発散すればいいのやらわからずにただただ、耐えて耐えて日々を過ごしていた。
幸せになりたくてした結婚だけれども、幸せが待っているとは欠片も思うことができず、ひたすら時が過ぎるのを待っていた。

だから、仕事が出来ない夫が疎まれて本社から東京支店に飛ばされることになったとき、わたしは飛び上がって喜んだ。

結婚生活は不幸だったけれども、東京に引っ越してきたときのあの自由を得た喜びは何物にも替え難くわたしの記憶に刻まれている。

好きな時間に綺麗なお湯のお風呂に入れる!
出かける時許可を取らなくていいし嫌味も言われない!
日曜日は好きなだけ寝ていられる!
息子との時間をだれにも邪魔されず二人でラブラブできる!

激しい貧乏生活だったが(給料体系が田舎のままだったため。)それでも『自由』に取って代わるものはなにもなかった。

そう、わたしは「自由」がないと心が死んでしまう生き物なのだ。

けれどもこの認知の歪みは、生来なんだろうか。それとも不幸せな人生の経過で堆積して作られたものなのだろうか。

この歪みはまずいと思う。
この歪んだ認知で批判されたらいわれの無い悪評を買うことになってしまうではないか。

今の夫はとてもいい夫であることに間違いはない。
その証拠にわたしは今とても自由で、それゆえにとても幸せでいるからだ。
仮にも妻という肩書きの者を自由にしてやることができるなんて男として器量が大きいと思う。もちろんわたしは遊びには行かず当然浮気なんてものもできないのでそこは心配ないけれども。

男という生き物の多くは女に対して自分を自慢する。
自分がいかに頑張っているか優れているかを語って聞かせる。
過去に暁天したのは、自分のことを「これが僕の度量の大きさなんです」とのたまったヤツがいたことだ。そして貧乏生活にあえいでいるわたしに対して「僕はリッチです。給料もいいしボーナスも沢山出るから。」と言いやがった。
(そいつはある自治体の教育委員長になるだろう。そんなヤツなのに。)

そんなヤツに比べれば夫は無言実行・有言もちろん実行の、誠実な人だ。
わたしはスパイラルにはまり込んだり崖をすべり落ちそうなときは悪口雑言容赦ないけれども、さっき実はリスバタールを飲んで自分を鎮めたのだ。だから夫がいい人なんだということを言えるし素直に感じられる。
「四六時中寝ている」発言に納得したわけでは決してないけれども。

しかしいつ作られたのかわからない、このひどい認知のゆがみ。
明日のカウンセリングで話してこよう。
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崖を滑り落ちそうです。

セロクエルは本当によく眠れる。
質のいい眠りで、起きたときに鬱々した気分にならない。
ほっておくと軽く9時間は寝てしまう。
それがわたしには必要なのだと主治医は言った。
動きすぎる脳のスイッチを切って、休ませることが必要なのだと。

夫はその説明を聞かなかったのだろうか。
ふうちゃんと3人で飲んでいるときに「君は四六時中寝ている。」と言い放った。

四六時中というのは、わたしにとっては「見ればいつもかも寝ている」というイメージの言葉である。(みなさんはどうですか?)
だから反論した。
一旦眠ると長く寝るけれども、それは四六時中寝てるのとは違う、と。
けれども酔っている夫は引き下がらなかった。いや、四六時中だと言い張った。

わたしはそんな些細なことが許せない。
わたしと夫は睡眠時間が違い、生活時間帯が違うのだ。
もちろん夫の生活パターンのほうが世間さまから見れば正しい。
11時に寝て5時に起きる。素晴らしい。
わたしは夫が起きる少し前に寝て、今はセロクエルのおかげで9時間眠る。
つまり夫が起きてから何度か来てもわたしの寝ている姿しか見られない。
だから「四六時中寝ている」と言うのだ。
それは違う。
わたしは必要があって薬で眠らされているのだ。スイッチの壊れた脳を休ませる必要があって薬を入れ替えているのだ。それが治療なのだ。
なぜそれを責めるのかわからない。

そしてきっと「責めてなんかいない」と言うに決まっている。
わたしの被害的な認知の片寄りは、「四六時中寝ている。」=寝てばっかりいて駄目なヤツ。というふうにしか捉えない。ほかの考え方はできない。
いや、夫の本音はきっと責める気持ちなんだと思い込む。そうとしか考えられない。

ヤバイヤバイ。
「そうとしか考えられない」が、「そうなんです。」に変わったら、わたしは崖を滑り落ちるということだ。それを食い止めたいとカウンセラーも主治医も頑張ってくれてるのに。

もちろん、いつも言うように夫は素晴らしい夫だ。
こんなわたしを生かしておいてくれるだけでもなかなかできないことだ。
何もできず何もせず何も与えないわたしを、ちゃんと生かしておいてくれている。
そればかりか、来て掃除機をかけて食器を洗ってゴミの整理をして、日曜日なんかはたまっていた洗濯までしてくれてあった。
ありがたい、素晴らしい夫なのだ。

だから不平不満を言ってはいけません。そんな恩知らずなことはしてはならないのです、とわたしは考える。
けれども「四六時中寝ている」なんて言われれば、「責められた、責められた」と被害者になってしまうこの脳。

ほかにどんな捉え方があるというの?
健常な人はそう言われたらどう感じるの?
それは決して褒めてないよね?
よしとしてないよね?
だったらどう受け止めればいいの?
反論してみたけれど、夫は尚も言い張った。

わたしは必要があって薬で眠らされているのです。
本当なら寝たくない。ずっと仕事していたい。
だけど脳がいくら明晰でも、体は疲れるので、キリのいいところで薬を飲んで寝る。
しぶしぶ寝る。
セロクエルを与えられるまでは睡眠薬を2種類飲んでいても6時間しか眠れなかった。
今は9時間眠って、起きたときに鬱々していない。
その気分は春が来たかのようなのに。それなのに責められるなんて。

遅くまで起きていても、遅くまで寝ていても、昼寝をしていても、わたしは母に叱られた。
寝ていることを罪悪みたいに。
中学生の頃、一度聞いたことがある。
なんで昼寝しとると怒るん?
そしたら母はちょっと言いよどんだ。なぜなら理屈に合わずそれが理不尽な感情でしかないことに初めて気が付いたからだ。
親が働いて帰ってきたのに寝とるなんて許されへん。と母は言いつくろった。

わたしの呪縛。わたしをがんじがらめにする母と夫の言葉の呪縛。

それはわたしの脳が作り出している呪縛なの?
働いている親を持つ子供は、昼寝してはいけなかったの?

正解が欲しい。誰か答えて。
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こんなわたしにも友達がいる。

本当に人付き合いが下手で苦手だ。
それに今は激しく認知が歪んでいて、人さまに迷惑をかけてしまう。
なるべく人と接しないようにしようと思う。

けれども、わたしは人が嫌いなのではない。
うまくやれないだけなのだ。
嫌いではないのにうまくやれないのが辛いのだ。

人の心以上に温かいものはない。
人を最高に癒せるのはやはり人である。人の中でしか人は成長しないのもわかっている。
それでもわたしが人を怖いのは、自分が失敗して嫌われることが怖いのだ。
そして理解されずに傷つけられることが怖いのだ。

こんなわたしだけれど友達がいる。
こんなわたしを責める事をせず、説教することもせず、優しく気持ちに寄り添ってくれたり、時には頼ってくれたりもする。

わたしは正気と狂気の境界線に立っているというのに。
時にはこの歪んだ認知で異常なこだわりや頑固さを見せるわたしなのに。


今日はふうちゃんがアパートに来てくれた。
遠かったーと言っていた。
着物の構造を教えてもらいながら、実家からもってきた着物を二人で解いた。
大変な作業だ。
色々話しながら手を動かした。
それからわたしが買ったおもちゃのように軽い(安い)ミシンをセッティングして使い方を教えてもらった。
息子が小さい頃、ものを作りたい欲求があふれ出て、わたしは貧しい中から1万円のミシンを買い、巾着袋や息子のお砂場着を型紙なしで適当に作った。
小学生になると、音楽室に行くときのバッグや上履き入れや、劇の中で着ける衣装を縫ってやったりした。
Dscf1581_2いつしかミシンは押入れの奥の奥にしまわれ、結婚するときに捨ててきてしまった。
だからとても久しぶりで嬉しい。古布を使って何を縫おうか。楽しみ。
夜はふうちゃんと夫と3人で居酒屋に行った。
ふうちゃんはもともとは夫の友だちである。けれどわたしを可愛がってくれている。
わたしは甘えっぱなしだ。
今夜はわたしたち夫婦の仲を取り持ってくれた。

わたしの認知は歪みまくっている。そしてそのまま固まってしまっていて動かすことができない。ふうちゃんはそこを夫に説明し、そしてわたしが思っているようには夫が思ってはいないことをわたしに説明した。

家事もしない、働きに行く事もできない、夜のお相手もできない、精神は常に不安定。消費するだけの大きな荷物を抱え込んで、夫は不幸せなのだ、とわたしは思っている。
夫が望んだ、思い描いた結婚生活ではなく、わたしは役立たずでそれどころか足を引っ張るようなお荷物だから、夫はいつもかも我慢を重ねていて不幸だと思っているのだ、とわたしは思っている。

けれど夫はそうは思っていないらしいのだ。
残念なことにわたしの脳では「そうじゃないらしい。」ぐらいまでしか理解ができない。
なーんだ、違うんだ~♪  とはいかない。
お荷物にしか思っていなければ捨ててるでしょうよ、と言われてもピンと来ない。
ここの部分は相当~にアタマが悪い。
考え方や受け止め方を切り替える、ということができないのだ。
軽くアスペルガーが入っているとしか思えない。
ふうちゃんは一生懸命説明してくれた。そうじゃないんだよと。
わたしはぼろぼろ泣いた。
そうじゃないのならなんてありがたい事だろうと思った。そしてこんなに力説してくれる友だちを持ったことを幸せに思って泣いた。

なのにわたしの脳は切り替えスイッチが壊れていてそう簡単には切り替わらない。
言われていることが正しいと理解はできるのだけれど、感情が着いて来ないのだ。
本当に厄介だ。

こんなわたしを友だちとしてくれて付き合ってくれるのはこの上なくありがたい。
お互いさまだよとみんな言ってくれる。

わたしは役に立っているだろうか。
力になったり癒しになったりできているだろうか。
春なのに冷え込む夜である。
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抱きしめ方を知らない。

わたしは、愛してやまない息子を、抱きしめて抱きしめて一緒に生きてきた。
傷つきやすい繊細な男の子。優しくてクールな男の子。
いまだって叶うなら抱きしめて頭を撫でてやりたい。
ヤツがオッサンになっても、きっと同じことを思うだろう。

ちまのことも毎日抱っこする。
抱っこしてえ~と甘えてくることもあれば、抱っこさせて~と甘えることもある。
ふわふわしていてあったかい。いいにおいがする。肉球はお日さまの匂い。
ちまは天使。

弟を亡くして悲しみに沈んでいた父を慰めたこともある。
「弟が先に逝っちゃうなんて、悲しいね…。」
おでこに手を載せて気を送ると、父はすーっとひとすじ涙を流した。


なのに
自分の抱きしめ方を知らない。
一人で泣くしかできない。

ゆうべいっぱい泣いて泣いて、今日は立ち上がって浅草橋に仕入れに行った。
お財布が空っぽになるまで大人買いをしてきた。革紐なんてリールごと買った。そしたら安くなるから。
仕事する気力がまた湧いてきた。行くぞ。また走るよ。

でも、昨日の記事を読み返したらまた泣けてしまった。
ナルシストかもしれないけれど、辛かった・悲しかった自分をどう慰めてあげればいいのかわからないのだ。
人に甘えられないから自分で自分を褒めてやろうと思うんだけれども、それをやったことがないから、うまくできないんだよ…。

不器用で、苦手なことが多くて、でもどれに対してもわたしは頑張った。
頑張れば結果が出せると信じてた。
自転車に乗れるようになったし、単位が取れる程度に泳ぐ事もできるようになれたし、絵も描けるようになったし。

だから、罪を犯して刑務所に入るような人を支えて立ち直らせて一緒に生きていくだなんて夢物語を、本気で信じてできると思っちゃう。
よっぽどバカなのかと思ったけれど、どうやら思い込みが激しすぎるのは人格障害の一部の症状らしい。


売れる、って思わなきゃ、作品なんて作れないよ。芸術家じゃないんだから。
そこで希望を持って夢見ていなきゃ、作ることなんてできやしないんだよ…。
でも、人生思うようにはならない。
だから時々つんのめって転んですりむいて、砂を噛んで、一人で泣くんだ。

抱きしめ方を知らない。
慰め方を知らない。
わたしのトリセツはどこにあるんだろう…。
                                          伽羅moon3

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本当はすごく辛かった

カウンセリングに行ってきた。
もう心は破裂しそうだった。
本当にわたしの命綱だ。そして女性カウンセラーで本当に良かった。
夫に嫉妬されて止める羽目にはならないからだ。
素晴らしいカウンセラーさんだと思う。わたしは本当にラッキーだ。

わたしには、自分を評価する手立てがない。
自分の性格的長所を知らない。
自分に満足しない。
よくやったね、充分だよと許してあげることができない。

個展は、正直未消化でもやもやの裡に終わった。
わたしはすごくすごく頑張った。
作品をざくざく作り、心をこめてDMを出し、新作を毎日ブログにUPした。
ディスプレーには6時間かけた。
何も落ち度はなかったはずだ。
地震さえなければ…。

納得がいかない。満たされない。
思い描いていた初個展ではなかった。
天災のせいだから仕方がない。天災の前においてはわたしの初個展などとるに足らない微事にしかすぎない。

人からの評価を灯りにしてわたしは自分の輪郭を確認する。
認められなければ自分の存在価値などまるでわからない。
いてもいなくても同じ事だ。
だから、評価を受けるために頑張る。必要以上に過分に頑張る。
頑張れない自分など何の意味もないのだ。
(それは苦手な事に対して無理をする、ということとはまったく違う。)

頑張って頑張って、また頑張って…
でも思うような成果は出せなかった。
その事が苦しく悲しくやりきれない。
もう自分の存在価値も輪郭すらも見えない。

傍から見たら恵まれていて、ものすごい成功じゃなくても生活に支障はなくて、二度も三度も来て下さる方もいて、不平を言うほうが間違ってる。
そんなことわかってる!

心がついていかないんだもの。
満足できないんだもの。
自分の価値がぜんぜんわからないんだもの!
頑張ってがんばって頑張ったけれど、結果が付いて来ない。
じゃあといって頑張るのを止めることもわたしにはできない。
走っていないと死んでしまうマグロのようなものだ。

あふれ出す思いをどう噴き上げればいい?

カウンセラーはわたしの思いを共有すると言ってくれた。
なんという素晴らしいカウンセラーだろう。
慰めるではなく、諭すではなく、「共有します。」と言ってくれたのだ。
本当に女性でよかった。異性なら惚れてしまうところだろう。

エネルギーのやり場に困る。
わたしは新しく駅にオープンしたショッピングモールで、仕事に使うシールや紙やマステをオトナ買いした。
ユニクロで750円のTシャツを2枚買った。白檀と沈香のお香も買った。
200円引きのお弁当を買ってちまの待つアパートに急いで帰った。

ちまはちゃんと出迎えに来てくれる。
待っていてくれるのだ。
わたしは、地震のあと、泣いていなかったことに気が付いた。
ずっとわたしは耐えて頑張ってきたのだ。
弱音を吐かず、くじけず、腐らず、頑張ってきたのだ。

きっかけは友達からの「あんず報告」。
あんずはとても幸せに暮らしている。
けれどちまを大好きだったあんず。ちまを追って、ちまの真似をして、ちまを舐めてやっていたあんず。

わたしは声を上げて泣いた。
地震、本当はすごく辛かった。
それでも弱音を吐かず、くじけず、腐らずに必死に頑張った。
だけど結果が付いて来なかった。
わたしは大声で泣いた。
                                           伽羅moon3

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鬱々に鬱々なれば鬱々として

今日わたしは歯医者に行けただけでもすごい。
郵便局へ行って様々な支払いをしてきただけでもすごい。

でもほかは何もしていない。
鬱々としてPCの前にいるだけだ。
誰とも接したくない。カラ元気もだせない。
まったくメールの返事も出せずに夜遅くになってしまった。

ちまがようやく、いただいた新しいおもちゃですこし遊んだのが可愛くて寝転んで一緒に遊んでいるうちに寝てしまい、腕がしびれてしまった。

明日はカウンセリング。
頭洗わなくちゃ。
いやだよう。大嫌い。モノゴコロ付いたときから頭を洗われるのが恐怖だった。

友達のおうちにお泊りしてみんなでそこのお父さんとお風呂に入ったとき、友達のお父さんはわたしを含めてみんなをひざの上に順に寝かせて、顔にお湯がかからないようそーっと丁寧に洗ってくれた。わたしは幼心にカルチャーショックだった。
わたしの母はわたしが異常に濡れる事を怖がるのを腹立たしく思っていて、タオルを一本持たせると容赦なく後頭部からお湯を浴びせかけた。
わたしはいつもおぼれて死ぬのではないかという思いに怯えきっていた。

多分過去世で水死したことがある。
それくらい水が怖い。
母は泳ぎも達者だが父は泳げない。2歳で満州にわたったので泳ぐチャンスには恵まれなかったのも当然だ。
わたしは父に似てというより過去世の死因で水が異常に怖い。

だから髪を洗うのは命がけなのだ。
こんな鬱々とした日には、洗わなければもっとさらに鬱々して自分を責めるので、ぐわああ~っと頭をワシワシしてアレルギー反応を起こし、かゆくて死にそうにしておいて、頓服を飲んで風呂場に行く。
誰もいないからちまに「ママ頭あらうからねっ!!」と宣言して。

乾かし終わってぐったりである。
でもわたしは眠るのが好きじゃない。いつまでもぐだぐだ起きていたい。
バシバシ作品が売れるのならガシガシ作るんだけれどなあ…。
しばし量産はお休み。

そうそう、息子も水が怖くて泳げない派だった。5年生の臨海学校では「波打ち際派」だったのだ。
いくつまで頭を洗ってやっていたかなあ。覚えていないなあ。
もちろんひざに仰向けに寝かせ顔にお湯がかからないようそーっと洗ってやった。
息子はいつしか泳げるようになって、わたしはすごい勢いで褒めたっけ。
これで一つ、命を守れる手段が増えたと嬉しかった。

わたしの使命は、この子が命を自分で守れるようになるまで代わりにお守りすることだったから…。

地震の日もいち早く息子から「大丈夫?」とメールが入った。
わたしがメールするより先に、だ。
彼女にして、それからすぐにわたしにメールをくれたに違いない。
そのときはどう返事をしたのか覚えていないけれども、よく考えたら相手は大人になっているんだなあと思う。

息子の彼女はとびきり美人というタイプではなかった。そんな彼女に一目ぼれしたというのだから、運命的に出会ったに違いない。
どうかうまく行きますようにと願っている。

願う事だらけだ。
そうしながらわたしは底のほうで鬱々ともがいている。
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終わるのって嫌い!

個展は静かに再度開催され、静かに終わった。
やっぱり夫に返済することは叶わなかった。
でも少しでも楽になりたくて、借金の半分だけ返すと言ったら、夫はそれを二人の意思として今回の震災のために寄付をしようと答えた。
わたしは半分返済もして、当初思ったとおりに寄付もできることになった。
ありがたい。
明日郵便局に行って早速送って来よう。

個展をやってそれがわたしにどうプラスになるのか今はまったくわからない。
経済的に潤うほどにはならなかったが、GWの出展の高い出展料を確保する事ができた。
息子とは特別リッチな食事は無理だけれど、いつものデートくらいならできそうだし。

だけど、なんにしろ企画が終わってしまうのは嫌い!
どーしようもなく何にもしたくなく、かといってだらだらと休んだり遊んだりすることもできず、悶々とした一日を過ごした。
後片付けも嫌いだし。面倒だし。

震災がなければ…。

でも無事だったのだから文句を言ってはいけない。
わたしにできる事は一生懸命やった。
作品もいっぱい作ったし、毎日毎日それをブログで紹介した。

山のような在庫を、売る機会はしばらくないから、頑張ってショップに載せないと。
4月末の展示会(販売なし)のためのフォトブックにもトライして作らなくちゃ。
委託店舗に新作送らなくちゃ。
お直し頼まれているのをやって送らなくっちゃ。
その前に金具の仕入れに行かなくっちゃ。

忙しいんじゃん。頑張らなくちゃ!
減薬し続けるために病院は二週間に一回は行かなくちゃだし。
歯医者もあと少し頑張らなくちゃ。

ああでもだるいー。なんだか疲れたー。
頑張って仕事していないわたしは嫌い。いやだいやだ。
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返済は無理だけれど…。

先週だったら、と思う気持ちがゼロではないのが本音。
みんな出控えているのだろう。駅に降り立つ人すら少ない。
個展のお客さまは、土曜日だけれどお一人さまだけでした。
あ、息子が来てくれたけれどね!
彼女に会わせてもらえました!
色白で背が高くて華奢で、和風な、非常に感じのいいお嬢さんでした。
このままうまく行ってほしい!
心からそう思いました。

息子からお金は取れないので、売り上げには貢献なし(笑)。
もちろん、彼女の首や手首に色々着けて帰しましたけれどね。喜んでもらえて嬉しかった。
お給料日前の3連休はそりゃお金ないよね、息子にそーっと夕食代を握らせました。

そういう意味では幸せな日になりました。
そうそう、そう考えなくちゃね。
お客さまもゼロではなく1名さまあったわけだし、ゆっくり座ってお話できたのだから、良かったです、うん。

でも、もうそろそろ夫への返済をして心を軽くしたかったです。
借りてるって苦しい。
ちょっと無理になっちゃいましたー。
少し寄付をして、さまざまな出展料払って、金具買ったら、石を買う分は残らないかもしれないな。
ものすごい量作っただけに、ちょっとだけ…ちょっぴり…残念…。
先週、予定通りに開催できていたら、来られる人がいっぱいいてくださったので…。

申し込んでいたアートフリマからは落選通知が来ていたし凹む…。
恵まれた環境にあるのだから感謝しています。本当に幸せ。
でも自分にノルマを課してそれを遂行するために全力で疾走するわたしには、やっぱり震災は痛手だったです…。無事であること、喜ばなくてはいけないのは充分わかっているので、贅沢すぎる凹みですけれどね。

別に自分のものを何か買いたいとか言う気持ちはなかったです。石と金具があれば充分。ただ、返済をして寄付をして一万円のミシンを買って、息子とデートしたかった。
それだけ。

明日は来て下さる方がいらっしゃるので、薬を飲んでもう寝ます。
笑顔でお迎えすることが何より大切だものね。
ちょっぴり愚痴っちゃいました。スミマセン。
                                        伽羅moon3

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一日を無事に終えるしあわせ。

不安な心をかき消すように晴れ渡った朝、一週間ぶりにギャラリーに入った。
ギャラリーも昨日まで休業だったのだ。
初日にいただいたお花はやはり少し駄目になってしまっていたが、朝一番でスタッフさんが水をたっぷりやってくれていたので、少し持ち直した。
あの震災のあと、大きな揺れが何度もあったけれども、作品たちは無事だった。

一週間の間落ち着かず、作っているときしか落ち着かないのでまた沢山作り足してしまった。
ディスプレーをしなおしていると一週間前と同じようにオープン少し前に、粘土時代の古いお客様が元気に来てくださった。

それから一組、入れ違いにお一人、帰られてからわたしがそそくさとサンドイッチを食べた後でお一人、そしてそのお友達がお一人、と、不思議なくらい重なることなくゆったりと眺めて試したり、座ってお話したりしていただけた一日となった。

ありがたい。幸せだ。
再開催させていただけて本当に良かった。
帰りは、東海道線の人身事故の影響を受けて京浜東北線は遅れまくりの止まりまくりだったけれど、震災のときにくらべればなんでもない。
ちまが一人で待っているのが心配だけれども、心は幸福感でいっぱいだった。

なんとか寄付をしよう。一ヶ月も前に「寄付を」と思いついたのがある意味予感だったのかもしれない。だったらそのとおりに使おう。

明日は嬉しい事に息子が来てくれるという。
先週も来てくれることになっていたのだが、今週ならどうなのかわからなかったので敢えてこちらからは聞かなかったし、決まっていないことを口にしないタイプの子なのでギリギリまで黙っていたのだ。
夜になってメールが来て、彼女と一緒に来てくれるという。
わたしは嬉しくて嬉しくて今夜寝られるかどうかわからないくらい嬉しい。

一日を無事に終えられることの幸せをしみじみ感じる。
わたしを生かしてくれている夫、宝物の息子、天使のちま。
そしてわたしを支え応援してくださっているお客さまと友達。
制作室ブログを呼んでくださっているみなさま。
そして銀靴を読んでくださっているみなさま。
感謝の気持ちでいっぱいです。

今日一日ありがとうございました。
明日も笑顔で頑張れます。

Dscf1546制作室ブログ
「ストーンパルフェ・ワークス」
よかったらご覧くださいませ。

伽羅moon3












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大丈夫だよと言って欲しい。

明日から、個展の再開催。
日本はまだ揺れている。
わたしの心も不安でグラグラだ。
ちゃんと開催できるのだろうか。お客様は来て下さるのだろうか。
ひどい地震が起きないだろうか。お客様を帰宅難民にしてしまわないだろうか。

わたしはDMを出し始めたあたりで、売上金を寄付するつもりがあった。
それはもちろん一ヶ月も前のことで、まさか史上最悪の日に初個展の初日を迎えるなんて考えもしなかった。
ちまを譲ってくださった保護主さんは広く深く活動をしている方なので、その方に託してひとつでも多くの命が助かるよう、寄付をしようと思っていたのだ。

今その人は被災地の犬猫のための義援金を考えていらっしゃるようだ。
それにわたしも売り上げを寄付しよう。
もちろん、出展料や、4月・5月のイベントの出展料を残しておかなければいけないし、金具も買わなくてはいけないし、夫にしている借金もいっぺんに返して精神的に楽になりたいし…。
ミシンを買ってもいいかと聞いたら、「こっちに還元するのが先だろ」と言われてしまった。
ミシンなんて一万円で買える。直線しか縫わないわたしにはそれで充分だ。
けれど返済をしないと買いたいものも買えないことがわかった。

そんなに売り上げあがるかなあ…。
お客さまからは、「行けなくなりました。」という連絡のほうが多いのだけれど…。

明日大丈夫かな。ちゃんと開催できるかな。
ああ、だれかいい答えをください。
大丈夫だよ、ちゃんとやれるよという言葉が欲しい。

一生懸命この個展のために頑張ってきたのだもの、それをみんなに見てもらいたい。
ミシンが買いたい。
借金を返済してしまって楽になりたい。

もう心の中がぱんぱんです。昨日カウンセリングで吐き出してきたばかりなのに。

目いっぱい節電していて暗いし寒いので、今夜は早く寝よう。
明日は念のため面倒だけれど東急線で行こう。そのほうが安全な気がする。

救いはセロクエル。
悪夢に苦しめられてきたけれど、セロクエルにしてからすごく幸せな夢を見られる日が増えたのだ。今朝方はB'zの稲葉さんと松本さんとデートした。楽しかった。

では明日の支度を万全にして、今夜は早寝します。
明日から、無事に開催できますように…。
寄付して借金返済しても売り上げが残りますように…。
かなり自分勝手すぎる願いごと。
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見えない弱者

風邪をひいて自宅で仕事をしていたZからメールが来た。
彼女は普段飲まないせいもあるが、薬に極端に弱く風邪薬でヘロヘロになってしまう人なのだ。
昨日は遠い病院まで診察と投薬を受けに行き、今日はカウンセリングに行っていたわたしに「アクティブだねえ。」と書いてきた。
わたしは苦笑いをしてしまった。

今日のカウンセリングでまたひとつわかったのだけれども、度合いはともあれわたしは生来の精神障害者だったようだ。
自閉症に見られる症状を持っている。アスペルガーにある症状を持っている。
わかりやすく言えば、人格障害を持つわたしがうつ病を発症し、抗鬱剤では快癒せず、転院して徹底的に心理検査をした結果、人格障害が後ろ盾になっていることが発見された、ということだ。

わたしは子供の頃お勉強ができた。
だから親は気が付かなかったのだ。娘の人格に障害があるということに。
わたしは耐えに耐えて少女期を生きてきた。本当の自分を見せたら嫌われる・愛されなくなるという、いわゆる「見捨てられ不安」と戦いながら自分を演じ続けて来た。

けれども本当のわたしは薄いガラスで出来た、過剰に過敏なイキモノなのである。
我慢して耐えて耐えて、臨界点に達して自ら壊れたとき、わたしは自分の心の欠片を手にして相手をめった刺しにしてしまう凶暴性を持っているだろう。
そしてそれを見せてしまったら関係は終わり。
再構築などという言葉はわたしの中にはない。
だから物心付いたときから、親に愛されるために我慢して我慢して蓋をし続けて来た。

その蓋ももうガタが来ている。
中から有害物質が漂い出てきている。
腐敗した怒りが醜い形となっている。

ガスを抜かなくては蓋が吹っ飛んでわたしの中の妖怪たちが出てきてしまう。
怒りを、臨界点に達する前に小出しにすること。そう、うまくガス抜きをすること。
それが当面のわたしの課題だ。

話を戻そう。
Zからのメールを読んだとき、わたしにとってのカウンセリングは、人工透析のようなものなのだと感じたのだ。それをしないと死んでしまう。
もちろん薬も不可欠。
生きていくために自分で薬をもらいに行き、カウンセリングで有毒ガスを抜いてくる。
それは透析に匹敵するくらいの大事で、わたしにとっては命綱なのだ。


いままで生きてきて、幸いなことに避難所生活はしたことがない。
家が火事で半焼したときも近所の親しいおうちにしばらく居させてもらった。
今、もし避難所暮らしになったら。
わたしの精神は耐えられるとは思えない。
災害が、ではなくて、避難所暮らしのPTSDになってしまうだろう。
わたしのように、一見普通な者が避難所暮らしになって徐々に精神をさらに壊していったとしても、包丁でも振り回す事をしない限り誰にも気が付いてもらえない。

被災地では心のケアはどうしても後回しになる。
いわゆる「災害弱者」は目で見ればわかる。お年寄りだったり杖をついていたり、子連れだったり妊婦さんだったり。
けれどわたしのような精神弱者はきっとケアをしてもらえない。

薬を持たずに軽装で、ギャラリーの床に眠ったプチサバイバルな一夜。
わたしは友達が一緒じゃなかったら簡単に壊れていただろう。
その場では普通に振舞って気丈に頑張って、帰った途端廃人になったに違いない。

理解の度合いはいい。どんなに解いても健常者にはわかってはもらえないものだとわたしは思う。けれど、察して守ってくれる人がそばにいてくれないと、わたしたちは簡単に壊れてしまう。
そのときすぐに、ではなく、後になって砂山が崩壊するように壊れるだろう。
弱者だから特別扱いをして欲しいと言っているのではない。
自分が「見えない弱者」であることを認識して、自分の心を守るために出来る事をしないといけないと思うのだ。
それは人任せにはできない。理解されないのだから。
愛想がないように見えても我侭に見えても、自分を守れる手段を持っていられたらいいなとつくづく思う。

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不気味に静やかに。

昨日、まことに静かにひっそりと生理がやってきた。
先月までは始るまでの4~5日は精神が不穏になり体調も最悪であったのに。
間違えた薬を投与していたからだろうか。
今回は正しい薬を飲んでいるからか、個展だ・地震だと大騒ぎでそれどころではなかったからかもしれない。

わたしの精神も不気味に静かである。
普段は一切見ないためあっちを向いている古い古いテレビを引き出してつないで、割れる音でニュースを聞いていると、胸の真ん中がきゅーうっとするが…。

こんなときに、と思われてしまうかもしれないが、べつにわざわざこんなことが起きる時期をえらんだわけではない。わたしの力の及ばない大災害。
個展をやりたい。たった3時間しか開催していないのだ。
自分の力をセンスを見ていただく初めての個展の初日だったのだ。
すばらしく綺麗にまとまってディスプレーできたのだ。

この週末に再開催ということで告知もしてあるが、ギャラリーのオーナーは及び腰なのである。こんなときに電力を使うのもどうかとさえ言う。じゃああなたは電気を使わずにいるのですかと問いたいのをぐっとこらえている。

開催3時間で地震に見舞われてプチ・サバイバルな一夜を薬無しで過ごして、そのあと再開催についてオーナーとの間でやり取りがうまく行かず(向こうの言うことがころころ変わる)、わたしの精神はかなりなダメージを受けているはずなのだ。

なのに泣くこともなく妙に静かなのが不気味である。
相当に重い蓋をしてあるらしい。
水曜日、カウンセリングで吐き出してこないとわたしは破裂するかもしれない。

そんななか生理もひっそりと来て痛みもいまは感じていない。
ニュースの音声に疲れきってテレビを消した。
わたしは作品を作るより能がない。
けれどオーダーのものを作れる精神状態にない。

精神を病む人々もまた、災害弱者である。
いまこうして静かすぎる自分が怖い。
                                            伽羅moon3

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サバイバルな一夜

横浜で初めての個展の、初日の、お客様が沢山来ていただいている中で地震が起きました。
一階でしたが余りの揺れの長さに船酔いを起こしてしまったほどです。
揺れ始めた時はあら地震だ、としか思わずお会計などをしていたのですが、揺れはだんだんひどくなり大きくなり止ることなく、全員床にしゃがんで過ぎ去るのを待ちました。

そのあとすぐに出て行かれた方々は帰宅するのに非常に困難で大変な時間を費やされました。
来ていただいたせいでこんなことに遭遇させてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
また、動かない電車をあきらめて戻って来られたお客さまと、わたしの友人と、ギャラリーのスタッフは帰宅できなくなり、ギャラリーで一泊することにしました。
最寄り駅はJRですが、JRなんて駅にシャッター下ろしてしまい素っ気無い張り紙一枚という最悪の対応。
私鉄各社が頑張って復旧している様子を携帯から友人が確認してくれ、朝には何らかの方法で帰れるだろうと、床で寝ることにしました。

わたしはちまをひとりにすることが嫌でたまらないので、終わったら速攻帰宅するつもりで夜の薬を持っていませんでした。
薬がない。
それがこんなに不安だなんて。
でも、友人が居てくれたことがものすごく支えになり、実際彼女は頼りになり、帰れなくてご一緒したお客さまというのもこのブログを読んでいてくださっていて実はマイミクさんだったので、知らない人ばかりでがやつく避難所のようなことはなく、本来ならわたしが先に立っていろいろしなくてはいけないのに、気力が切れて先に横にならせていただきました。

その後ギャラリーのオーナーのご好意で毛布やクッションを夜中にスタッフさんとわたしの友人が買いに行ってくれ、おかげさまで毛布にくるまってクッションを枕に、たまたま持っていた睡眠薬を飲んで眠ることができました。
一人で電車に乗っているときじゃなくて本当に幸いでした。また、もし友人が一緒にいてくれなかったらわたしは確実にパニックを起こしていたと思います。
初めての個展で初日にこういうことが起きましたが、家族もねこも皆無事で、本当に幸せだと実感しております。

夫は函館に出張していてもう帰る寸前でしたが、函館にもう一泊の部屋が取れ、短い時間ながらもベッドで寝ることができました。
わたしの息子は目黒の会社から自宅マンションまで3時間半かけて歩いて帰宅しました。
N家は末っ子が家にいてくれたのでお姑さんも心強かったと思います。
たまたま電話がつながり、ちまのことを末っ子に頼むこともできました。ちまも無事で元気にしていると聞いて安心しました。
長女は会社から歩いて帰宅。次女は歩いて帰宅しようと頑張ったのですが夜中の寒さに耐え切れずまた会社に戻って一夜を明かし、翌日帰宅してきました。

わたしは夫が送ってくれた情報にしたがい、私鉄でお昼前に帰宅することが出来ました。
個展は、お客様の安全を考えて中止です。が、たまたま次に展示会が入っていなかったため、来週の土日に改めて開催できることになりました。

女四人で過ごしたちょっとだけサバイバルな一夜。
被災した方々に比べたら恵まれていました。けれど、忘れられない一夜となりました。

函館から夫が羽田に帰ってきたというメールを読んで、安心して事切れて眠ってしまったわたし。
家族が居てよかった。そしてみんな無事で良かった。
心から日々平穏であることに感謝の気持ちを持たなければと思います。

被災された方々のご心労・お疲れを思うと心が痛みます。もし自分が薬のないまま避難所に行くようなことになったら…と思うとぞっとします。
早く地震が収まることを祈るばかりです。
このブログをいつも読んでくださっている数百名の皆さまがご無事でありますよう祈ります。また、大切なご家族ご友人がご無事であることも重ねて祈っております。
被災された方々、ご家族を亡くされた方々に、心からお見舞い申し上げます。

もうこれ以上被害が拡大しませんように…。
東京でもまだ揺れは続いております。

                                          伽羅moon3

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早すぎる達成感。

明日からの個展を前に搬入に行ってディスプレーをしてきた。
大学生の末っ子を夫が手伝いに頼んでくれたので、重い荷物を持ってもらって(なにせ石ですから重い)、一緒に行った。
自分の息子だったらもし暇でもぜったいに手伝ってくれないだろうな。小さい頃は一生懸命やってくれたけれど。
末っ子に一緒に行ってもらって、本当に本当に良かった。
大変頼もしかったし心も和んだ。

ディスプレー台の配置を考え、どういう作品をどこへ並べるかを考え、布をかけ、ディスプレーグッズを置き、作品を出して並べてゆく。
途中青ざめた。絶対的に作品が足らない、と思ったのだ。
ギャラリーを一人で埋めることは大変なことだ。
壁も使わなくてはいけないし、人の目線や動線を考えながら配置していかなくてはならない。

いままでぎゅうぎゅうの出展が多かったので詰めてディスプレーすることに慣れてしまっていたのだ。
今回は自由に使っていいんだ。
ゆった~り配置すればいいことだ、と気が付いてちょっと落ち着いた。
末っ子はなかなセンスがよくて、頼んだことをきっちりやってくれるだけでなく、アイテムごと任せると、色の半分やデザインなどを考えてうまく並べてくれた。
ほぼ出来上がって先に帰らせたのだが、お礼を言うと「けっこう楽しかった。」と言ってくれた。なんていい子なんだろう。

そしてわたしの息子は、彼女を連れて個展に来てくれるという。
嬉しい。彼女に会わせてくれるのも嬉しい。楽しみだな。嬉しいな。

末っ子を帰してから細かいバランスを直したりして、閉店間際にディスプレーは完成した。
なかなか、いい。気に入った。
やった。やったよアタシ…。
すごい達成感があって気持ちいい。
ああ、でもそれは早すぎる。本番は明日からなのだ。気を抜いてはダメダメ。

足りなかったものを揃えて、お風呂に入って、今日は今日のうちに寝よう。
明日から頑張れるように…。

幸せです。
                                       伽羅moon3
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意外に重症??

11日(金)から3日間、個展を開催する。
今夜は準備の最後、値札をつけて作品を分類して、荷物を作った。
明日(日付は今日)、大学生の末っ子に荷物を持ってもらって、二人で搬入に行く。
頼むと快く引き受けてくれる優しい子だ。

わたしって…
自分が意識しているよりも重症なのかな。
正直わからない。
マトモなつもりしてるけれど、はたから見たらその考えヤバイんじゃない??というようなことが起きているのではないだろうか…。
ラインの上に立っていると主治医は言ったけれども、本当はもう片足入っていて、それで夫が呼ばれてカウンセラーさんと主治医からお話があったのか…?とか思ってみる。

幻聴は、声じゃなくて音楽やお経みたいな感じのものでなら、「ある。」。
幻覚は、んん、ちょっとマズイかも…。視界の端を黒いものが横切るんだけれど、あれは真っ黒くろすけ??

いや、今日は根を詰めたから疲れたんだきっと。
もうお薬飲んで寝よ。

個展情報:制作室ブログ「ストーンパルフェ・ワークス」 ここからご覧くださいませ。

ではおやすみんsleepy
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安全基地を切望する。

雪模様の月曜、夫は会社を休んで高速に乗って、わたしの心理検査の結果と考察を聞きに行ってくれた。
生憎の雪のせいで患者さんが少なく、心理士とは1時間半にわたって話を聞いたり話したりし、主治医にも会えて、病状と治療について話が聞けたそうだ。
雪が幸いしたと夫は言っていた。

人の性格は残念なことに変えることはできない。自分の性格もだし、ましてや他人の性格など変えられる由もない。
けれども変えられるものがある。
それが「認知」の仕方である。
程度の差こそあれ、これは障害者であるわたしにも、健常者である夫にも共通して言えることだ。
平易に言えば物事の捉え方・見方を変えることができるということだ。

検査結果でも大変顕著だったようだが、わたしの認知の歪みは並大抵ではない。
被害的・迫害的に物事を捉えやすいという特徴もある。
一般的なものの見方は少なく、独自の解釈をすることが多い。
(多分「ペンギンの開き」のような見え方がそうだったのではと自分では思う…。)

夫は、そうではないだろうかと薄々感じていたことが次々と論理的に肯定されてゆくことに、一種の満足感を得たと同時に、わたしが抱えている闇が想像した以上に巨大で手ごわいものであることをようやく察したようだった。

そして嬉しかったのは、「同じものを見て、同じように感じて共感できる相手ではないということがわかった。」と夫が言ってくれたことだ。
わたしは苦しかった。夫に誘われることが苦しかった。
興味のないライブに付き合うことが激しく苦痛だった。
それでも少しでも夫の希望を叶えたいと頑張ったが、もうそれをしなくていいと思うと、重いコートを一枚脱いだような開放感があった。

集合の図形の丸と丸が重なり合うことを求めて結婚した夫。
わたしは、お互い独自の世界があって、侵しあわず尊重しあってこそ、重なり合う箇所の充実度が上がると考えている。
その差が本当に苦しかった。
一緒に買い物に行って一緒に台所に立って、一緒にご飯を食べて一緒に片づけをして、一緒にお風呂に入って一緒に寝る…。
夫が求めていたそういう生活にわたしは耐えられなかった。
これからも無理だろう。
そういうヤツなのだと夫が認識しあきらめてくれたらわたしは本当に楽になれる。
その希望が出て来て、わたしは嬉しかった。

今の半別居生活も約束どおり一年で打ち切って元に戻すという暴挙にでるつもりもないことがわかった。
わたしの治療と療養を優先してくれるという。もちろんそのことについてはもう少し経ったら話し合うことが条件だけれど。

わたしは、順応力が極めて低い。それは心理検査のデータにも表れていた。
結婚して大家族暮らしになって大きく悪化したのはその低い順応力のせいだ。
誰が悪いわけではない。それがわたしの個性なのだ。
残念な個性だけれども。

どんなに言いたいことを言ってもわがままを言っても駄々をこねても、それでも愛されるという安全基地を持ったことのないわたしは、物心ついたころから偽りの自己を演じて生きてきた。自由な子供らしさがなかった。その部分を満たされなかったのだ。
家族の前で大泣きしたり真剣に喧嘩をするN家の娘たちを見ていると、ああこの子達はわたしのようにならないと安心する。ゆるぎない愛情を知っているのだ。

わたしにも安全基地が欲しい。
思い切り甘えたり駄々こねたりしたい。
感情的であることを最も嫌い、論理的であることを望むわたしの真の姿はそれである。
それを出せるようになるとはわたしは実は思っていない。
親はもう高齢であと何年生きていてくれるかわからないし、実は甘えたくてたまらないと言う夫には、その相手は望めないからだ。

わたしはどうなっていくのだろう。
まだまだ行く手はまったく見えていない。
時間を限られてしまうとわたしはそれに怯えて治療には専念できないと思われる。
面と向かって話し合って本音をぶつけ合うことは最も苦手とする分野である。
やはり、別居の期限が来ることは怖い。
何か、安心して治療に専念できるいい方法はないものだろうか。
夫は治療と療養を優先すると言ってくれたけれど、問題はわたしの側の認知にある。

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減薬が苦しいよ…。

帰りの車の中で吐きそうだった。
アパートまでもってくれ。帰ったら心置きなく吐こう。
そう思いながらやっとのことで辿り着くと、ちまが出迎えに来てすりすりと甘えた。

畳んだ布団の上に変な格好で倒れこんで、わたしは吐くのではなくワッと泣き出して、それが発作になってしまった。久しぶりのパニック発作だ。

パキシルはパニック発作にも効いているのだった。
20ミリを15ミリにしただけでこんなふうになってしまうのか。
毎日頓服が欠かせない。
今日は2回も飲んでしまった。舌が痺れるような苦さのリスパダール。

いよいよ今週金曜日からの個展を前に、今日は夫に車を出してもらってトルソーや額縁を先に搬入に行った。
その前に、去年二人展をやったギャラリーで作家仲間が個展をやっているのでそこへ顔を出した。
最終日で打ち上げパーティーの前だったので知った顔ばっかりだった。
みんなに挨拶をしていっせいに色々喋る。
二人展の相棒にも会えて今年の二人展についての打ち合わせをしたいと言われているのだが、その前後の話を何度聞いても理解ができない。

それもそうだし、自分の呂律が回っていないことに気が付いた。
喋りがスローで呂律が回っていなくて、言われたことが理解できない。
こんななのアタシ?
いつも一人でいてちまに話しかける程度だから、気が付かなかった!
カナリヤバイ!
これじゃまるっきり変な人だ!
多分今は喋るよりこうしてキーボードを打っているほうが早いかもしれない!
どうしよう、個展は接客が命なのに、呂律回ってないんじゃヤバイ!

作品はさくさく作れるのに…。文章もすらすら打てるのに…。

自分が個展をやるギャラリーに移動してトルソーなどを置かせてもらい、その帰りの車中で夫に片付け方のことを色々と責められた。手伝ってくれるからこそ、言いたいことがいっぱいあるのだ。
しかしかなりヤバイと思うのはここ。
「責められたように感じた。でもそうじゃなかったかもしれない。」なら、オンザライン。
セーフ。
でも今夜のわたしは違う。
明らかに責められて怒られた。
わたしのやり方やこだわり方がいけない・悪いと延々責められた。
どうしてもそうとしか思えない。
わたしが泣き出して夫は黙った。
夫はわたしが病人でありしいては障害者であることを忘れる。
しつこく責める、
としか思えない。どう考えてもそうだ。
ラインのあっち側にわたしは行ってしまった。

それで帰り道車の中で吐き気をもよおし、耐えに耐えて帰ってきて、パニック発作を起こした。パキシルを減らしているのだから気をつけなければいけないのに。
吐き気は胃のせいじゃなかった。
こらえた感情を吐きたかったのだった。


身近な人とうまくやれないわたしは、いったいどう生きていればいいのだろう。
もう、どうしたらいいのかわからない!
脳が沸騰する。言葉が出なくなる。心なんて開けない。そんな恐ろしいことできない。
甘えて抱きつけば服を脱がされる。
そうじゃないんだよ。
抱きしめて欲しいのに。体じゃなくて心を。
頭を撫でて欲しいのに。
でも
夫は父親じゃないから仕方ないか。
父親を求めてはいけないね。
ACのわたしはいまだに父のあぐらの中に帰りたい。
だけどこんな立派なオバサンになってしまって、いまさら80の父に甘えるわけにもいかない。わたしは誰になら甘えていいのだろう?
それとももう、誰にも甘えてはいけないんだろうか?

無条件で愛されたかった。
子供らしく駄々をこねたりおねだりしたり甘えたりしたかった。
できるんだろうか? 生き直すこと。
子供の頃の自分を喜ばせて抱きしめてあげることができるんだろうか?

減薬はやっぱりすごく大変だ。
主治医が今回慎重になっているわけがわかった。
減薬は苦しい。苦しい。お願い一人にして。
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適応障害との違い。

わたしは前回の診察で、不安障害という病名を告げられてから、それが適応障害の中の話だと勝手に解釈していた。
けれど、線一本先が統合失調症だと聞き、これは認識が違うかなと主治医に尋ねてみた。
「前の心療内科では適応障害ということを言われましたが、適応障害との位置関係はどうなりますか?」
「うん、あのね、あなたは適応障害ほど軽くはないです。」
へ?
わたしは目を丸くして主治医を見つめた。
「適応障害ってね、ある決まったシチュエーションに適応できなくて、でもそれ以外の場所では日常生活が送れるのよ。たとえば学校に行けない、会社になじめない、でも家では普通に暮らせるし出かけられるし友達にも会えるの。」

わたしは雅子さまを思った。雅子さまはせっかく決意をされて希望も持って皇室に入られたのに、バッシングが強く、ご公務がこなせないという適応障害になってしまわれたのだろう。
けれど、ご公務以外ではちゃんと暮らせていらっしゃるのなら、それはそれで良かったとわたしは安堵した。でもお友達に会えばまたバッシングされてしまう。
日本は、精神障害について本当に認識が遅れていると思わざるを得ない。

話を戻すが、つまりわたしは雅子さまより重症なのだと言われたのだ。
わたしは、ありとあらゆることに適応できない。
ある一定のシチュエーションでやある場所でではなく、大まかに言えば社会に適応できない。
そういうことらしい。

そうか、わたしは職場にも、家庭にも(これは自分の育った家庭も含む)、人付き合いに関しても適応できない異端児なのだ。

薬の入れ替えをするのは大変なことらしい。わたしは3種類もの抗鬱剤を処方された状態でこの病院に替わってきた。長くかかると主治医は言って唸った。
けれどももう入れ替えは始まっており、これからは本当に病状に合った治療が受けられる。もちろん生育暦と資質が深く関わっているわたしにはカウンセリングの併用が必須でもある。

それを受けることのできるわたしは本当に幸せだと思う。
自分がそういう精神的疾患であることを知らないまま苦しんでいる人が多いのではと察する。そういう人はどんなに苦しいだろう。
わたしは自分の障害を知り、それ対する治療が受けられる。
それで寛解するかどうかは保障はないけれども、とにかく幸せなことだ。

今朝も目が覚めたときにちいさいぐにゃりさんが来ていて動けなかった。
減薬しているのだからこれくらい仕方がない。これで済むなら軽いものだ。
昨日も今日も新しい頓服のリスパダールを飲んでいるけれど、そのための頓服だから気にせずに飲むことにしよう。
どんどん減薬が進むといいなと思うけれども、苦しいのかな。

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境界線の上にいる。

昨日は遠い精神科への遠征だった。
宵の口に寝て、早朝起きているので罪悪感がない。これで誰にも責められずに済む。
本当なら洗濯をしなければいけないところだけれど、翌日に回して化粧をして出かけた。

電車も怖くない。もう副作用は去って、薬は効果だけが実感できる。
待合室のはずれの廊下のソファに座って、わたしはひたすら廊下の壁を見つめていた。

火災用の非常ボタンや事務室のドアノブをただひたすら凝視していたわたしは、錯覚をおこした。
自分の左胸を触ってみた。
ない、面会の番号バッジがない!
どこに入れたっけ…と鞄を見て、わたしは現実に引き戻った。
タイムトリップを起こしていたのだ。
静岡刑務所の待合ベンチに居ると錯覚したのだった。それで番号バッジを探したのだ。

そういえばこの精神科単科の古い病院は、静岡刑務所と似ている。
受付の小さな窓。古びた真鍮のドアノブ。
何度も塗り重ねられている漆喰の壁。
落ち着かない待合室の人々…。

わたしはそれでも非常ボタンを凝視する行為をやめられず、頭の中で診察のシュミレーションを繰り返していた。
病院は混んでいて、わたしの主治医は診察が丁寧なので予約時間をはるかに過ぎてもまだ呼ばれなかった。わたしはシュミレーションに疲れ果ててしまい、様子がおかしくなったので、ソラナックスを飲んだ。
実はこのソラナックスも、もうわたしには効果が薄いことがわかっている。でもリスバタールを持ってこなかったのでとりあえず飲んで、またひたすら壁を見つめて待った。

ようやく呼ばれて、わたしは薬の話が最初のつもりだったけれど、主治医は心理検査の結果を踏まえてわたしの病状について話を振ってきた。
わたしは、「晴れていると責められて辛い。」という話をした。
こんなに晴れているのに、昼過ぎまで寝ているとか、布団も干さず洗濯もしていない、散歩にすら行かないと、責められている気がして辛い。だから雨が降ると心底ホッとするんですと伝えた。
「誰に責められている気がするの?」
「…夫や、夫の母や、自分の母や、世間さまに…。」
「それは、責められて居ると思う? それともそんな気がするだけだと自分で思う?」
主治医はゆっくりと注意深く質問をした。
「責められているとしか思えません。それが被害妄想なんだろうとは考えてみるけれど、でもそうとしか思えないんです。」

わたしはそのほかに「こうとしか思えない」と思っている事項について例を挙げて説明をした。
夫は大変我慢をしていて望んでいた結婚生活ではなく望んでいた妻にもなっておらず、夫婦生活も拒否され消費だけするわたしと結婚したことは意味がないと思う。不幸だと言ったことがあるけれど実はそれが本音なんだと思う、という話もした。
他にもいっぱいわたしの被害妄想はあった。

「今はね、そうとしか思えないとしても、それがもしかしたら被害妄想かもしれないという考えもあるんだよね? でもそうとしか思えないのを払拭できないんだよね?」
「そうです。」
「うーん。」
医者は声に出して唸った。

「あなたはね、今ギリギリのところにいるの。心理検査にもそれが出ていたんだけれど、線の上に立っているのよ。」
「線の中ではなく上ですか。」
「そう。被害妄想なんだろうな、と思っているうちは大丈夫。でもあなたは、被害妄想かもしれないけれどそうとしか思えない、だよね? そうとしか思えなくなってしまったら、それはもう違う病気なの。そうなるのを食い止めたいのよ。」
「違う病気とはなんですか。」
「統合失調症。」

幻聴が表れる病気だ…。
人に悪口を言われていると思い込んでしまう病気だ、という認識しかわたしにはない。
自分がその入り口に立っている…。
信じたくないわけではないのだが、信じられなかった。
けれど、心理検査でその兆候をいち早く知っていた主治医は前回から薬を入れ替える作業に入っている。そしてその薬は素人目にも明らかに効果的で、これならパキシルを抜いても大丈夫と思う。
頓服のリスバタールもよく効く。
わたしはラインの向こうには行かずに済むと思う。
こんな立派なプロジェクトチームに囲まれているのだから。

薬の副作用で気絶の連続だった10日間の話をすると、なんと医者はころころと笑った。
「そう、眠れたのね、それはよかった。」
「良かった…って、先生、気絶ですよあれは。一日の稼働時間が6時間とかしかなかったんですよ?」
「あらそう。でもあなたこんなに眠れたことある?」
わたしはふと思った。
具合が悪くて寝込んでいる以外でこんなにめちゃくちゃ寝たことはなかった。
睡眠薬を飲んでも6時間しか眠れていなかったのだから。
「あなたが飲んでいる睡眠薬はね、入眠を促すものだから、実は眠りは浅くしちゃうのよ。今度のお薬は気持ちを安らかにして深い質のいい眠りを助けてくれるから。あなたには必要なことなのよ。」

たしかに10日間の気絶のような眠りのあと、わたしは大変機嫌がいい。
これでいいのだ。そうか。
そして相談の結果、パキシル20を15に減薬することになった。
10にしてくれとわたしは言ったのだが、主治医は「危険だから。」と譲らなかった。

夕べからパキシルを15にした。
今朝6時前に目が覚めて起きようとしたら、ぐにゃりさんが来ていて起きられなかった。
仕方なくまたうとうと眠って7時半に起きた。
これくらいに起きていればあまり後ろめたくない。
洗濯もした。
わたしは、境界線を越えたりしない。今の生活であれば、きっと大丈夫。そう思う。

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思いがけず泣いてしまった。

昨日は夜中12時過ぎに起きてからずっと仕事をしていて、午後になってからカウンセリングに出かけた。ギリギリまで制作をしていたのですっぴんだ。

コートのライナーをはずしてしまったので、ストールを巻いて出かけた。
春になったと思ったら冷たい風が吹き上げてくる。
わたしは上機嫌だった。
制作は順調だし、同時進行の仕事も自分なりのプランを立てて手を着け始めた。
カウンセリングが終わったらすぐに帰って早く寝て、早寝早起きの生活パターンを作ろう。

カウンセリングでは、薬の副作用が取れて、精神はやや高めの位置でフラットに保たれており、希望もあって、ご機嫌です、と話した。
これから減薬が待っているという話になり、転院当初、いきなり減薬に次ぐ減薬で壊れてしまい、怒りの感情を持て余してしまったことなどをカウンセラーと思い出しながらおさらいをした。
あの時、カウンセラーの強い勧めでわたしは逃げることを止められ、怒りの感情を担当医にきちんと冷静に伝えることもでき、いまはその関係性を築いて行っている最中であることをお互いに再確認した。
そのことを、わたしはとても感謝している。あのとき逃げないよう強く止められたことに感謝している。おかげでわたしはちゃんとした病名もわかり、そのおかげで薬を変えていけることになった。きっと良くなると信じられるようになった。とても感謝している。

カウンセラーは、「怒りの感情をあなたはずっとずっと抑えながら生きてきたのよね。だから今後、怒りの感情が湧いたときがむしろチャンスなんです。主治医に対して冷静に伝えられたのだからそういう経験を積んでいきましょう。わたしに対しても、あれなんか違うぞと思ったり、わかってくれてないと怒りを感じたら、遠慮なく言ってくださいね。それがあなたの経験となって認知を変えていけるんです。」と言った。

わたしはピタッと止まった。

そして思いがけず涙がこみ上げてきてビックリした。
ここ、泣くポイントじゃないんじゃないの?
わたしはしばらく涙と戦ったが耐え切れずぼろぼろ泣きながら答えた。
「…言えません。」
カウンセラーに対して怒りなんて持つわけがないし、もし何かあったとしても、きっと言えない。その理由に自分は感づいてしまったのだ。
「言えない? 言いづらいかしら?」
「言えません…。いまわたしは先生をとても信頼していて頼りに思っています。支えです。もちろん立場はカウンセラーとクライアント以外のなんでもないかもしれないですけれど、わたしにとって先生はとても大事な人です。その大事な相手に対して怒りをぶつけたりできないです…」
「…どうして?」
「…怖いんです。」
「何が怖い?」
「嫌われることがです。」
わたしはそこに自分の本質を見てぼろぼろ泣いた。

「人と争ったり喧嘩しながら関係性を築いていくということを、わたしはしたことがありません。いつも逃げ出して来ました。人との関係が苦手なので、だからこそ親しくなれると嬉しくて舞い上がってしまうんです。そしていろいろあっても我慢して振舞って、やがて臨界点に達するとシャッターを下ろして逃げてしまう。その繰り返ししかやったことがありません。大事な人であればあるほど、相手に嫌われたくなくて機嫌が怖くて、怒りをぶつけることなんてできません…。」
わたしの、最も大きな課題がそこにあった。

心理検査でも顕著にでている。
FC=free child
自由な子供、という部分の点数が最も低い。
何を言っても、どんなふうにわがままを言っても、喧嘩しても駄々をこねても出来が悪くても、許されて愛されるという経験をわたしはして来ていない。
条件付きの愛情しか知らない。
思いっきり喧嘩して、謝って、それで前より関係性が良くなるなんて経験をしたことがない。
わたしは常に親の顔色を伺い、機嫌を損ねないように振る舞い、一人でこっそりと泣き、期待に背かないよう必死に生きていた子供だったのだ。

「だから、できません、そんなこと…」
わたしが泣くとカウンセラーは悲痛な顔をして言った。
「本当にそれは辛かったわね…。」


わたしの怒りや悔しさは一歳半の記憶からあってずっと消えないですべて溜め込まれている。
発散したことがないのだ。
いまも克明にそのシチュエーションや相手に言われた言葉を思い起こすことができる。
そして自分が失敗してしまったことも忘れることができない。
なんであの時あんなことを言ってしまったんだろう、何であの時きちんと反論しなかったんだろう…と。

すべての怒りを奥底にためたままわたしは生きている。
苦しい。とてもとても苦しい。
「長く掛かると思うけれど、ちょっとづつ吐き出していきましょうね。お薬の力も借りて、少しでも軽くなれるようやっていきましょうね…。」
わたしはただ泣いていた。

スイッチがどこについているのかわからない。
ご機嫌なんです、と言った次の瞬間にぼろぼろと泣く。
わたしは自分をわかっていない。自分ですらだまされてしまう。
胸の奥に大きな黒い塊を抱いて生きている。
それを溶かしていくことは可能なんだろうか。

新しい治療が始まっている。薬も有効に効いている。
カウンセリングを続けて、わたしはわたしを自由な子供にしてやりたい。
それしか解決の道はないと思うのだ。
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副作用の副作用。

セロクエルを投入してから2週間になる。
精神科医は、2週間経たないと効果を確認できないと言った。
そのとおり、飲み始めて10日間は副作用との戦いだった。
とにかく尋常じゃない眠気。寝入るというより「気絶」ということばのほうがふさわしいくらいだった。
急激に意識が薄れ、気が付くと数時間が経過しているといったサマだったのだ。
先週の金曜日から土曜日にかけてはほぼ24時間寝た。
起きていられなかったのだ。
けれどその日を境に副作用が薄れるのを感じ、薬が効果的に効いていることも感じることが出来た。
24時間寝たあとわたしはぶっ通し18時間仕事をした。
翌日は冷たい雨の中をバスに乗って役所に行った。
自立支援の更新の手続きに行ったのだが、そのバスのなかで、気が付いたのだ。
あれ? バスが怖くない。

わたしはパニック発作も持っているせいか、乗り物に乗ると不安感が増し、ソラナックスをたいてい飲んでいたのだが、バスが最も苦手で、短距離でも、乗るとやっぱりザワザワして飲まざるを得ないという状況だったのだ。それが、ちっとも怖くなかった。
精神状態は低いところでではなく、いい感じの高さでフラットに保たれており、役所に着いてからも変な人にならなくて済んだ。
長く起きていられるようになって、ああ、やっと副作用が抜けた…と実感した。
長い10日間だった。一人暮らしで本当に良かったと思う。主婦をやりながら薬の入れ替えはとても無理だ。

ただ、気絶するように眠っていた結果、生活の時間帯がさらにめちゃくちゃになってしまっている。
今は夜中の2時だけれども、多分夕方4時過ぎに寝て、さっき1時頃に目が覚めた。
夕飯は食べていない。このあと食べる食事を夕飯というのか朝食というのか。
薬も、昼間飲む薬は同じ組み合わせなのだが、一応「朝食後」・「昼食後」・「夕食後」と分包されてある。でも朝昼夜の区別なく体に合わせて生活しているため、薬も自分で時間を見て、6時間経ったら飲むように管理している。

かわいそうなのはちまで、ねこは気ままなんて嘘だった。
どうしてもおなかが空いたときはわたしを一生懸命起こすけれど、それ以外はわたしが寝ていると寝て過ごし、起きると合わせて起きて、ゴハンを食べたりトイレをしたりしている。
ちまの生活時間帯もめちゃくちゃだ。

薬の副作用は消えつつあるが、副作用の副作用はなんとか立て直して午前中に起きるようにならないと、個展を控えているのでこれは実に困る。
今日はこのまま起きて仕事をして、カウンセリングに行って、夜早くに寝て早朝に起きるという風に持っていけるかな。

それにしても、あのままあの心療内科に通っていたら…と思うとゾッとする。
転院できて本当に良かった。
いっぱい検査して本当の病名がわかって本当に良かった。
治療のために別居してもらって本当に正解だった。
わたしは良くなる気がする。寛解はしないかもしれないけれど、少なくともかなり良くなると思う。毎週カウンセリングに通い、遠い遠い病院に通う意義がある。
ありがたいことだとしみじみ思う。

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