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2010年12月

リバース再び。

昨日の夜中にまた具合が悪くなった。
ざわざわとして背中が痛くなり、胃がムカムカとした。
胃薬を飲んで、就寝前の薬一式を飲んで布団に入ったが、眠れない。
一向に眠くならない。
やがて時間は4時になり、わたしは夫のPCにメールをした。
5時前に、目覚めた夫からメールが来てすこしやり取りをして、ちょっと眠くなった。
かすかにうとうととしたようにも思う。
けれどおなかはぎゅるぎゅると不快な音を立て続け、むかつきも治まるどころか強くなってきた。

だめだ…。

わたしは起き上がった。
今日は髪を縛る余裕もなくトイレに這いずっていった。
上と下とどっちが先か?
まずは思いっきり下した。自分が管になったように感じた。
どうしちゃったの、いったい何のサインなの、と思いながら座っていると今度は強烈な吐き気が襲ってきてわたしは逆を向いてひざまづいた。
滝のようにもどした。
こんなに体の中に水分があるんだと驚くくらいだった。
そして座ったり逆を向いてひざまづいたりを繰り返して、 小一時間トイレに立てこもった。
ねこたちが心配して見に来てくれるが撫でる余裕もない。

ひとしきり吐いたらすっきりした。
喉を胃酸にやられてひりひりと痛かった。
かすれ声でわたしは夫に電話をした。
夫がやってきてわたしにホットはちみつレモンを作ってくれ、ねこたちの世話をしてから家事をやってくれた。
それを眺めながらわたしはようやく眠りに入った。

熱はない。他に何の症状もない。
ウィルス性のものではないように思う。

多分わたしは自分が思っている以上に疲れ果てているんだろう。
こんなに予定を詰め込みすぎてはいけなかったんだ。
そんなことができる体ではないんだ。
カウンセリングでも話してきたのに。どうも自分を過信しているふしがあると。

目覚めると午後の2時を過ぎていた。
ちょうど夫が買い物から帰って、わたしにバナナやポカリスエットの粉や整腸剤やドリンク剤を買ってきてくれたところだった。

…明日の帰省…。

わたしは苦しかった。
行けるかどうか自信が持てない。
新幹線に乗って、乗り換えて、そこからまた極寒の地へ一時間。
一人で、荷物を持って、行ける自信を失った。
でも、夏にも帰っていないわたしを、母は異常に楽しみに待ってくれている。
きっとわたしの好きな料理も用意しているに違いない。
会えない悲しさと落胆は、わたしも息子で経験しているから見に染みてわかる。
無理を承知で行くか。
なんということはないのかも知れないけれど安全をとってやめるか。

行く苦しさと行かない苦しさは同量で、わたしはうなだれていた。

吐くのも下すのも、わたしのうつ病の症状にもともとある。
精神的負担で戻してしまうのだ。
同じ精神的負担なら、実家の狭くて寒くてタイル貼りのトイレは厳しい。
けれど行かなければ母は必ず今回は泣くだろう。

夫に決めてもらうことにした。
僕の正直な意見を言っていいの?と前置きしてから夫は言った。
「やめなさい。」

わたしは頷いた。
その場で夫から父に電話してもらった。
母の落胆に接することが辛かった。
案の定母は泣いていた。
会えない辛さは身を持って知っている。わたしだって実家で息子に会ってゆっくり一緒に過ごすことを楽しみにしていたのだ。一緒の部屋で寝ることを楽しみにしていたんだ。
それを諦めたのだから気持ちはよくわかる。

けれど、この部屋を出ていく勇気が出なかった。
辛い。申しわけなさでわたしはまた吐くかもしれない。

息子に会いたかった。手に触れたかった。いろいろ喋りたかった。息子を見たかった。
同じように母も辛いだろう。

詰め込みすぎたわたしのせいだ。身の程知らずとはこのことだ。

バナナを食べたわたしのおなかはまた妙な音を立て始めている。
辛い年の瀬になってしまった。
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これがわたし。

人の言葉に過剰に反応してしまう。
けれどとりあえずフタをする習性。
感情は穴の中で腐敗し膨張し、フタを押し上げて出てきたときには醜い塊となってしまっていて、それでようやく自分はあの時嫌だったんだと気がつく。
そのときにはもう膨張した負の感情は消すことができなくなっている。
何年も、何十年も、わたしはそのことにこだわり恨み続ける。

愛し合っている仲であっても、許せないことがある、という考え方をわたしは持っていなかった。許せないことを持ったまま共に生きていくなんてことが可能なんだろうかと不思議だった。
でも、年をとるのは悪くない。
完全な関係性など人にはないんだと知った。
決定的に嫌でなく、それよりも好ましいと思う部分が多ければ、一緒にいられる。
いろいろめんどくさくなる。忘れっぽくなる。これもいいことだ。


今日は今年最後のカウンセリングだった。
しかもわたしがラストだった。
規定の時間を過ぎてからわたしとカウンセラーはちょっと雑談をした。
カウンセラーとクライアントだから、友だちにはなれない関係だけれど、わたしはいい人にめぐり合ったのだと思った。
安心して話せる。決して責められない。わたしの側に立って一緒に模索してくれる。
薬では治らないわたしの精神の病気。
カウンセリングとの両輪とすると言い、あの担当医を外すことに彼女が頑として同意してくれなかったのだから、医師のことも信じて治療してみよう。

とても生きづらいのだもの。
ぐるぐる縛られていて、でも縛ったのは自分の歪んだ認知なのだと薄々わかっている。
わかっているのにほどくことができずに痛くて苦しい。

前の夫は、思いつきでひどい言葉を吐き、それを咎めると、「お前は言葉にこだわり過ぎや。聞き流せ!」と言った。
そんな理屈ってありか?
そっちは言いたい放題暴言吐いて、それを咎めると聞き流せないお前が悪いって、そんな理屈ってアリか?
思えば結婚したのは前夫が25歳だった。若い夫婦だった。
今、息子が25歳になり、わたしにはまだ8歳にしか見えない息子の同じ年のときに前夫は結婚して翌年父親になったのだ。
子供じゃないか、25歳なんて。
横暴で我侭なところを男らしいと勘違いしていた。
愚痴も聞いてもらえず決してわたしをかばってくれたりしなかった。
10円単位で節約して暮らしているのに、新宿からタクシーで帰ってきたりした。
息子を流産しそうになったときにも、息子が肺炎で命が危ないときにも、一緒に病院に行ってはくれなかった。

わたしは一生恨み続ける。
「うちの息子がいったいどんな悪いことをしたと言うんや!」と向こうの父親がわたしの父に電話をしてきた。
はい、浮気はしてません、痴漢をしたり風俗に行ってただけ。
賭け事もしてませんって? パチンコで負けるたびに八つ当たりされてましたけどパチンコって賭け事じゃないんですかね?
年末インフルエンザで寝込んだわたしの枕元に仁王立ちになり「こんなときに風邪なんかひきやがって」って言いましたよね。
何かを頼むと必ず「なんでワシがそんなことせなあかんのや」と言うから、頼まずに苦労していると、「一回断られたらもう一回頼め!」ですと?
何様ですかあなたは。
わたしは一生許せない。
それが再婚して手のひらを返したように子煩悩で奥さんを守る旦那さんになったのは、本当にいい奥さんだったからでしょうね。

「最初の結婚はカルマでした、もう何も気にすることはないです。」
インド人ヒーラーさんに言われた言葉の一つ。
わたしは、前世で早くに亡くした息子をもう一度産むために結婚をしたのだ。
だからそれでいいんだ。息子を無事に産むことができたから。

道を間違えてはいない。
これでいいんだ。
うつ病にもなるべくしてなったんだから、いいんだ。これが本当のわたし。

もう「役割」を果たすことはできない。「演じる」こともできない。
むき出しのちっぽけな自分を寒風にさらして生きていくしかない。
そのちっぽけな自分を抱きしめて生きていこう。
頑張れたときは自分で褒めてあげよう。
障害者手帳を持ち、精神病院に通うわたしは、世間で言うところの「普通」ではない。
でもこれがわたし。本当のわたし。
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脳は知っている。

人は普段、「脳」のことなんてあまり意識していない。
たとえ頭が痛くても、それでも脳のことについてあまり考えない。

うつ病は自分と向き合い真実の自分を突き付け、脳の存在をたびたび認識させてくれる。

人には意識と無意識がある。
意識しているのは氷山の一角のようなもので、無意識の領域が9割がたかもしれない。
自分で自分はこうだと思う、それが意識。けれどその自分が真実ではないことを無意識のほうは悟っている。

わたしはもっと頑張れるといつも思う。けれど無意識下ではそれが無理だということが知れ渡っている。
一割の「意識」が誤認していることを止めるために、「無意識」は脳に指令を出す。
そしてなんらかの症状を出させてわたしを止めに来る。

          ++++++++++++++++++

無理をしすぎた。
控えめにしたつもりだったが、往復3時間かけての画廊通いはわたしの体と精神を疲弊させた。
最終日の前日、すでにそのことを薄々感じて、最終日は搬出だけに行くことにし、しかも夫に頼んで車で連れて行ってもらった。

けれど夜中わたしは仕事をしていた。
年内に納めたいものがあってその制作をし、撮影をしていた。
起きて撮影の続きをして、それから準備をして搬出に出かけた。
人に手伝われるのが嫌いなので夫には時間つぶしをしてきてもらい、わたしは一人で片づけをしていた。
ディスプレーグッズを片付けて後は売り物のアクセサリーを、という時点でわたしは軽いパニックを起こして泣きそうになった。
本当は、それらがもともと入っていた袋に元通り納めて、種類・ジャンル別にまた分けて袋に入れ、箱にきちっと詰めて行きたい。
でもそれをするには空き袋を全部並べて現物と照らし合わせていかなければならない。
そんなことをしている時間がいろんな意味でないことなんてわかっている。

こうしたい、と思うようにやれない。理屈では理解していても感情がイヤダイヤダをしている。だからパニックを起こす。
わたしは必死で諦めて、袋に書かれている文字は見ないようにして、とにかくしまい始めた。そこへ、約束した時間を潰してきてくれた夫が現れた。
わたしは一人でやりたい気持ちも諦めて、夫に片付けるのを手伝ってもらった。
見る見る台の上が空いて片付いてゆく。
なんで呼ばないの、と夫に言われたが、本心は一人でやりたいしできると思っていた。
でもそんなことしていたら画廊にも夫にも迷惑をかけてしまう。人道的にそれはやれないことなのだ。

ぱたぱたと片付けは終わって、挨拶をして画廊を出た。
夫に、売上金でディナーをごちそうすることになっている。
DMを作ってくれて、制作に忙しくしているわたしの部屋の家事をしてくれて、搬出にも来てもらった。ささやかなお礼だ。

折れた前歯は翌日開院前に歯医者に駆け込んで、仮歯を入れてもらった。でも、使っちゃいけない歯だと言われた。
わたしはステーキを2センチ角くらいに切り刻んで奥歯で食べた。

帰宅して夫に荷物を運んでもらい、それでお風呂に入って寝れば良かったのにわたしは仕事をした。
それから髪を染めて洗った。
月曜は片道1時間半の道のりを病院に行くはずだった。

午前中診察を終えたらそのまま病院で、コンビニで買っておいたパンかおにぎりを食べて、午後からは心理テストを数種類受ける予定になっていた。
病院に缶詰になる月曜になるはずだったのだ。

髪を乾かす頃手がぶるぶる震えて来た。
薬切れ…。
あれっ、わたし夕飯後の薬って飲んだっけか?
記憶をさかのぼるが飲んだシーンを思い出せない。レストランで水で飲んだっけ。車に乗ってからお茶で飲んだっけ。帰ってきてから水道水で飲んだっけ…。
どれも、そうであったような、なかったような…。

まあいいか、もう寝るし。
よくやる方法だけれど、寝る前の薬一式から睡眠薬だけ残してほかの抗うつ剤やアレルギーの薬を先に飲んだ。
それから髪を乾かして病院に行く準備を整えて、そうだ、燃えるゴミの日だからゴミをまとめて…。

なんだか具合が悪くなってきた。気持ちが悪い。背中が痛い。
ああ、もう3時半だ…8時半には起きなきゃいけないのに…。
わたしは残しておいた睡眠薬を飲んで寝ることにした。

(なぜこんな無茶をするんだろう。書いていてあきれてしまう。本当にバカだ。)

睡眠薬を飲もうとしたが、見当たらない。
分包の袋を切って睡眠薬2種だけ残して他を飲み、その睡眠薬は何かと何かの隙間に立てかけておく習性だから、台所にあるはずなのだ。
それがどこを探しても見当たらない。
そんな馬鹿な。ねこはこっちには来ないように戸を閉めてあったからねこは関係していない。どこかに挟んだ。マグとコップの隙間か、お菓子箱とお茶缶の隙間か…。
でも見当たらない。
もしかしてゴミをまとめているときに一緒に捨てた?
ゴミ袋も開けてかき回して探した。
ない。ない。
わたしはマットをめくり床にはいつくばって探した。トイレも、リビングも。
どこにもない。
落ちていてねこが食べたりしたらどうしよう…死んでしまうのではないか…。
でももう寝なきゃ…病院行かなきゃ…今年最後だし薬出してもらわなきゃ…。

わたしは新しく睡眠薬を飲んで、ついでにソラナックスとアモキサンも飲んで、布団に入った。そして薬が見当たらない顛末を夫のPCにメールをした。起きたら見に来て欲しい。どこかに落ちていないか・猫たちが無事でいるかを見て欲しいと。

さあ寝なきゃ。早く寝なきゃ。
でもなんだか具合が悪く、全身がざわざわして、吐き気がする。
やな感じ…。
また起き上がって、胃薬を飲んだ。疲れているのに食べ過ぎたかもしれない。
薬漬けだな…。

けれど、吐き気はどんどん強くなってきた。
わたしは諦めた。だめだ、これは。きっと吐くんだ。
起き上がって髪を縛って靴下を履いて、よろよろとトイレに行って座り込んだ。
思いっきりリバース。
息継ぎする暇も与えてもらえず身をよじって苦しんだ。

わかったよ。
わたしが悪かったよ。
そんなに無理をしてはいけない体なんだってわかったよ…。


トイレを掃除して、うがいや歯磨きをやりなおして、薬も全部吐いただろうから念のためパキシルだけ飲み直して、ようやく布団に戻った。
病院は違う先生でもいいから起きてみて行けたら行こう。心理テストは延期してもらおう。
夫にまたメールをして、わたしは疲れ果てて眠りに落ちた。

夫はメールを読んでビックリして懐中電灯を持って朝来てくれたそうだ。台所の隅っこなどを照らして、ゴミ袋も見てくれたそうだが、薬は見当たらなかったとのこと。ねこたちは元気にしており自分は気持ち悪くならなかったので、わたしの精神的なリバースだったと思うとメールが入っていた。

11時ころ目覚めて、わたしは病院に電話をしてまず心理室のカウンセラーを呼び出してもらった。事情を説明し、これから起きて行くというと、彼女は必死でわたしを止めた。
そんな体調でこんな遠くまで来てはいけない。担当医に指示をもらうように、と言われて、今度は担当医に電話をして説明をした。

前のことがあるからだろう、それでも来いとは言わなかった。電話診療という形をとって、薬を送っていいかを事務所に聞いてみると言ってくれた。
前例がないそうだ。

この前まで通っていた心療内科は簡単に薬なんて送ってくれたのだが、今行っている精神科専門病院は、重症の人が行く病院なので、そんな危ないことはしたことがないらしい。
ほどなく許可を取って薬は送ってもらえることになり、心理テストは新年に延期することになった。
わたしは薬を飲み、ぬるいコーヒーを飲み、マドレーヌを一個食べて、また眠りに入った。
昏々と眠って目が覚めたらもう暗かった。

しっかり眠ったおかげで体はしっかりしていたし心理的にも平穏だった。
良かった。ストップをかけられたんだな。
わたしは気が付かないから「こいつを止めろ」と指令が来たんだ。
脳は、知っている。
黙っているけれど知っている。

今夜は夫とまた外で食事をしてビールも飲んで、たい焼きを買って食べながら帰ってきた。もう無理しすぎないよう、ゆったりしよう。
またリバースさせられないように。

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笑うしかないけど笑えない。

うつ病になって以来放置していた歯の治療をいま夫の支えでどうにか始めたところだ。
歯医者が・歯の治療が怖くて、予約をすると具合が悪くなって行けないという状態だったため、放置した結果ひどいことになってしまっている。

今日は画廊に行かないで一日ゆっくりするぞー!と思って夕べは夜更かししていたのだけれど、ちまに起こされて午前中に起きる羽目になった。
ちまに起こされちゃあしょうがない。

で、しばらくPC眺めていつものようにバーチャルショッピングなどしていたら夫からメールで「歯医者に行けそうかい?」。
行ったほうがいいことはわかっていたし、体調も精神状態も今日は悪くなかったので、頑張って行くことにした。
わたしは電話ができないので夫が昼休みに電話をして予約を取ってくれる。

昨日夫が部屋を掃除し、洗濯までやっておいてくれたので大助かりだ。
歯医者の時間まで、休んでなくてやっぱりわたしは仕事をしていた。

わたしの歯の診療は、治療というよりもはや「工事」に近い。
余りにもすごい大工事で涙があふれてしまった。いい年をして恥ずかしい。

一時間ぎっちり治療してくれた。左の下部分がやっと終わって前歯に移行した。
欠けた前歯が虫歯になっていて、かなり削り取られた。



そしてさっき、その前歯が…
ボキっと折れた。

あはー。折れたよ。
なんということだ。あと二日(土日)接客があるのに…しかも月曜は一日精神科病院に居なくてはいけないから、火曜日まで歯医者に行けない。
ニッとわらってみたら、悲しくなるくらいマヌケな顔だった。

あーあ。
でもまあいいか。生きてれば。
笑っちゃうなマヌケで。歯抜けババアだよ。
明日明後日は、お客さんの前では笑わないようにしなくちゃ。

太ってるけど、まあいいかー。
白髪だし前歯ないけど、まあいいかー。
生きてればいいやー。(脱力orz)
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遅すぎることはない。

出展の画廊通いの合間を縫って今日はカウンセリング。
あまり何も考えずに行くのだけれど、今日は何を話すことになるのかなあ~と思いながら研究所に行った。

ただ儀礼的に「どうですかー?」と聞かれても、どうもこうも答えようがなかった心療内科に3年我慢して通ったが、ようやく転院も決まって決意も定まり、わたしを取り巻くプロジェクトは発進した。
心理テストは可能な限り受けたいと言ってある。
先週までに簡単なものを既に2種類受けて提出してある。

今日は、「この一週間どうでしたか?」と聞かれ、「忙しかったです。」と仕事で出展している話から繋がって、過去のクラフトの仕事のことに話は及び、そしてとうとう、わたしは“付き合っていた人が逮捕された”という過去、つまりうつ病の発症の大きな引き金ともなった出来事について話すことができた。
毎週通って、4ヶ月が経過しようとしている。ついに話すことができた。

警察ではなく東京地検の特捜に逮捕された大きな事件であったこと、彼の借金の連帯保証人にされていたこと、彼の弟が弁護士の名と電話番号を告げて携帯を変えてしまったこと、自己破産では事件がらみだったため裁判所の管財人がついたこと。救いは弁護士Zとの出会いがそこにあったこと…。

それまでに仮面ウツの症状は山のように出ていたけれども、3ヶ月間拘置所に朝一番で毎日通い、それから仕事に行き、夜は自己破産の手続きの準備や、それが終わると拘置所の彼に向けて毎日手紙を書いてという暮らしを続けた。
無理を重ねているわたしの体はギシギシと軋んでいた。不正出血もずっと続いていた。
やがて彼がどこかの刑務所に送られて連絡が取れない一定時期に、わたしは大出血を繰り返し、通っていた近所の婦人科の治療ではもう何の改善も見られなかった。
知人に紹介されて最新機を備えた真新しい産婦人科クリニックへ行って調べてもらうと、通常胡桃大の卵巣は鶏卵大以上に腫れ上がり、生理前でも1センチ程度という子宮内膜は2.2センチにまで達していた。
卵巣膿腫と子宮内膜増殖症で、両方の卵巣と子宮を全摘出という可能性があり、うちでは手に負えないと、その場ですぐさま大学病院を紹介された。

悲しかった。どうして次々と困難は襲い掛かってくるのだろう。
3ヵ月間毎日拘置所に通い詰め、彼の荷物を預かって整理し、公判では彼の情状証人として法廷に立ち、体の不調をおして働き続けて…。
子宮も卵巣ももう使わない。必要ではない。けれど女として余りにも悲しすぎるではないか。彼が刑務所に行っている間に子宮も卵巣も失うなんて悲しすぎるではないか…。

泣きながら話すと、カウンセラーも涙をぬぐっていた。
なんて過酷で壮絶なの。よく生きてきましたね、と彼女は泣いてくれた。

大学病院で名医に出会い、摘出手術は幸いにまぬがれたものの、体の不調は止まらず、一年半の間その大学病院の外科と小児科を除く全ての科を放浪した。
やがて眠れなくなり、天地がわからなくなるめまいに襲われ、内科、耳鼻科を経て精神科に回されたときには、症状が強くなってから1年半が経過してしまっていた。
わたしはその場でうつ病と診断された。問診表に記入しているときからわかった。涙がぼとぼとと落ちた。わたしの精神は壊れている。体じゃなくて心が壊れていたんだと…。


「人生において、そういう選択をしてしまう何かが、あなたの深いところにあるかもしれません。月曜日に主治医の先生と会議してきたんですが、せっかくプロジェクトチームができたので、ロールシャッハまでやってみたらという話が出たんだけれどどうかしら。」
カウンセラーは目を赤くしたままそう提案してくれた。
ロールシャッハとは深層心理を解明する心理テストのことを指す。
「受けたいです。可能な限りの分析と治療を受けたいです。」
わたしは喜んでその提案を受けた。
それにはもう一人選任の心理士が加わるという。
日取りを決めて、今日のカウンセリングは終わった。29日が水曜日なので年内の最終カウンセリングが受けられるという。
カレンダーの最後のページの最後の一行は、これで一日の隙間もなく埋め尽くされた。
27日月曜は午前が精神科の診察で、午後が心理テスト。
ロールシャッハは、年明け早々に予定が組まれた。

幼い頃から苦しかった。「生き辛かった」という言葉が一番近いだろう。
わたしは常に器以上のことを期待され、また、自分も自分の器を勘違いしたまま生きてきてしまい、全身にゆがみとズレが生じて精神を病んだ。

今、夫の理解と我慢のおかげで、わたしはようやく自分という人物に対峙できる。
本当にそれは願ってもいないことで、ありがたいことだ。

遅すぎるということはない。
たとえ最後の数年のためだと仮定しても、わたしはこうすることを選ぶだろう。
何にも、遅すぎるといことはないのだ。
                                          伽羅moon3
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忙しい病人

「忙しい病人」とは、Zがわたしをさして言う言葉である。
療養しつつ創作を、ならいいのだが、今は画廊に通う間を縫って精神科通院やらカウンセリングやら歯医者やら、そのまた合間にねこのワクチンだの免許の書き換えだの(←これはまだ行けてない。)洗濯やらオークションやらぎっしり予定が詰まっている。

今日は歯医者に一人で行けた。
お昼に夫が「歯医者行けそうかな?」とメールをくれたので、もちろん行きたくなかったけれど予約を取ってもらって、行くことができた。
とても優しくしてもらった。来週も行こう。頑張ればなんとか一人で行けると思う。(今のところは…。)

わたしは、本当にみなさまから良くしていただく。
どうして? と思うくらい。不思議なほど良くしていただく。
わたしは誰かにこれほどのことをしてあげたことがあるだろうか?といつも反省する。
よっぽど物欲しげに見えてるんじゃないかなと反省する。
昔友だちに、「ねえ、なんでそんなにしてくれるの?」と聞いてみたことがあった。
イベントにすごい差し入れを持ってきてくれて、手伝ってくれたりするからだ。
「なんで、ってー。なんでかなあ。でも伽羅ちゃんすごく頑張ってるし喜んでくれるからー。」
と彼女は笑っていた。
その彼女にも未だにしてもらうばかりで、なにもお返しができないでいる。
しーちゃんにも、ふうちゃんにも、Zにも、そしてほかの方たちにも、してもらうばかりでわたしは甘えっぱなしだ。

受けた恩を、その人に返せればいちばんいいのだけれど、多分それができない。
わたしはわたしで、できることを一生懸命にやるしかない。
何かで恩を返そうと躍起にならないで、みなさんから受ける恩を糧にして、自分自身を磨いていくことが大事なのかもしれない。
自分を磨いていって、もしわたしの病が軽くなったり、仕事で光を浴びたりするようなことがあったら、きっとみんなは喜んでくれる。
そうありたいと心から願う。

病気のわたしにでも、できることがなにかある。
わたしのお客さまたちはときどき怒りながら品物を見ている。
「もう、なんで? 欲しいものばかりで困ります!」
粘土をやっていたときの古いお客さまが来てくださって、やっぱりわたしの作る物を好きだと言ってくださる。とても不思議。材料も作っている物も違っているのに、好きだと言ってくださる。
その人たちがもっと喜んでくれたり、困ってくれたりするよう、わたしはわたしの中にあるものを磨いて発信していこう。

診察と平行して、心理テストをスタートしている。
あるテストの設問は、たとえば「もし戻れるなら、わたしは」とか、「わたしはよく人に、」とかいうように、文章の冒頭句が書かれてある。それに続けて思いついたことを書くのだ。それを心理士さんが判定して病気だけでなく性格由来があるかどうかを医師とセッションしてくれるというプロジェクトだ。
幾つもの設問に文章を書きながら、自分で、わたしは常に、そして一生「発信者」でありたいと思っていることがわかった。それは文章でもいいし、アクセサリー作りでもいい。
生み出す側であり続けたいと思っているのだ。

うつ病になったからこそ、わかったことや得たものも多い。
失った物は、きっと本当には要らなかったものたちなのかもしれない。
いま、わたしを囲んでくださっている人たちからは、わたしは大きな愛を感じる。
共通した記憶を感じる。
わたしにもきっと何かができる。そう感じるようになった。

年明けからパキシルを減らし、終には他の薬と入れ替える作業に入る。
苦しむことが増えると思う。
苦しいときは苦しいと書き、嬉しいときは創作に打ち込み、合間に時々倒れて、それすらわたしは発信し続けて行こうと思う。

「銀の靴」は、もうすぐ第1000話を迎えます。
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重いよ、あんず~。

出展中の画廊に土日はお店番に行く。
その合間の5日間、わたしは休みなく用事をこなし、何かしらの仕事をしている。
月曜は精神科通院。火曜は家事と発送と制作。水曜カウンセリングと制作。
木曜は、午前中にあんずのワクチン接種に行った。

起きたときウツウツだったので、行こうかどうしようかぎりぎりまで迷っていた。
着替えて、あんずを追い詰めて捕まえてキャリーに入れて片道徒歩20分…。

明日にしようか…。
でも…。

ちまだったら土日に夫に「行ってきて」と頼めるのだけれど、あんずは夫になついていないので捕まえることは不可能だ。
あんずはおそろしく凶暴なねこで、容赦なく攻撃してくるから、捕まえるのに血まみれになることも覚悟しなくてはいけない。平日自分で徒歩で連れて行くしかないのだ。

えい、行っちゃおう。そしたら楽になる!

週明けは詰まっている用事をどう片付けようかともう泣きそうだったのだ。
自立支援の変更届に役所に行くのは止めて郵送にした。
洗濯もした。発送もした。宿題をやってカウンセリングにも行ったし制作もいっぱいした。
後は歯医者と、運転免許の更新と、あんずのワクチン。

ケージに逃げ込んでぎゃあぎゃあ鳴くあんずを引きずり出して無事にキャリーバッグに入れることが出来た。
日ごろ態度の悪いあんずに「お外の子になる!?」と脅しているのだが、捨てられると思ったのかあんずはキャリーの中で固まっていた。

それから着替えて支度をする。ワクチン代は確か4300円だったよな。
キャリーに入っているあんずをちまが上から攻撃している。これこれやめなさい。

ショルダーバッグに最低限のものだけ入れて斜めがけにし、あんずの入ったキャリーバッグも斜めがけにした。
お…重い…。
スレンダーな子なのになんでこんなに重いんだ…。
よろよろと階段を下りて、時間に間に合うよう最速力で歩いた。
ギリギリまで悩んでいたから急がなくてはならなくなった。はあはあ、ぜいぜい。

あんずは鳴かずに黙って揺れていた。
病院に着いてバッグを下ろしたときだけ「まーうー」と鳴いた。
「凶暴なあんずのほうです。」
獣医さんは一年ぶりのあんずを覚えていた。なにせ、薬を飲ませる器具を食いちぎって壊した伝説の持ち主だからだ。
相談の結果、キャリーに入れたままバスタオルで養生し、すばやく注射することに成功した。
そのままキャリーを閉めて、会計をして、ふらふらよろよろと帰って来た。

あんず、見た目は痩せているけど筋肉質。5.5キロ。
「この子は力が強いでしょ。」
触りながら獣医は言った。そりゃあもう。すごいですよ。噛まれてぽっかり脚に穴が開いて血が噴き出したこともあるし、手の甲には引っかかれた傷跡がもう消えません。
さすが、ノラ生活を生後5ヶ月まで生き抜いただけのことはある。だけど怖いとお漏らししちゃうビビリなねこでもある。
弱いからこそこんなに凶暴なんだ。そうしないと怖いから。

そう、本当に強いものは騒いだり暴れたりしない。

帰ってきてキャリーを開けるとあんずはホッとした顔をしてケージに入った。
「捨てられずに済んだ…」とでも思ったのかも。
わたしはヘトヘトに疲れて、また毛布にくるまってどろどろと眠った。
本当に疲れた。あんず、重いよ…。

夕方まで眠ってしまい、それから仕事を始めて、久しぶりに朝まで。
明け方の冷え込みってすごい。
夜明け前が最も暗くて寒いと言うけれど、本当にそうだ。

     +++++++++++++++

夫には理解されないとわかっているのについ、メールの表面的な優しさに騙されて本心を打ち明けて、理解しようともしてもらえずに突き放された。
失敗した。気を許したわたしがバカだった。相手は酔っ払いじゃないか。
しかもわたしのうつ病を理解していない人だとわかっているじゃないか。
やさしくされると嬉しくてつい、「こんな風に考えてしまうの。きっとそれは片寄っているんだってわかるけれど、そうとしか考えられない状態なの。」なーんて打ち明けたら、
「そう思うなら、どうぞそうしてて下さい。」
…そんな言い方ありかよ。
そんな突き放し方ありかよ。
いやいや、騙されたわたしが愚かなのだ。理解されるはずはなく、同調も同情もされることがないと、わかっていたのに。
酔っ払いはホントに嫌いだ。ああ、いやだ。
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隠し持った狂気

昨日は洗濯ができたしシャワーもできた。郵便局や銀行にも行けて、夜はピアスやストラップをいっぱい作った。頑張れて嬉しかった。

しかし休んでいる暇がない。今日はカウンセリング。
このところカウンセリングに行っても病院や主治医についての相談に終わってしまって、気持ちや出来事を話す機会がなかった。
一昨日の診察の結果、この病院に通おうとようやく決意したので、今日は久しぶりに話ができた。

来週は出展中のギャラリーのお店番に結構行くのでカウンセリングはお休みしようかと思ったが、これだけ心の澱が溜まってしまうことを踏まえて、休まずに毎週行くことにした。
幸い年末29日までやってくださるそうでありがたい。

「結構しっかりと意見や疑問点を言えましたよね!」
カウンセラーは月曜日の診察(会議?)のときのわたしの様子をそう言った。
カウンセリングで2回にわたってその話をし、ブログでも書いて自分の気持ちを整理し、怒りを静めたからこそ論理的に話せただけなのだ。

受けたものについて、「それはイヤ!」と、その場ですぐ投げ返せればいいのに、わたしは一旦受けて心の中にしまって、よくよく考えたらそれはイヤとか無理とかがわかって、負の感情を増幅してから投げ返すことになってしまう。余計に相手を傷つけることになる。
喧嘩したくない・相手の不機嫌を見たくないがために、一度は受け止めて、しまいこんでしまう習性なのだ。
それを変えない限りわたしは人と密接にはなれず、密接になりたいとも思わない。

何度も今回のようなチャレンジを繰り返して、徐々にすぐ言い返せるようになっていきましょう、とカウンセラーが言ったとき、それにはいったい何年かかるんだろうとすこし暗澹とした。

そのあと、わたしは自分の隠し持っている狂気について話をした。(それについてここに書くことはできない。)
カウンセラーはわたしを軽蔑することもなく冷静に聞き、こう言った。
「こうあるべきとか、こうじゃないといけないんだ、と思いすぎてあなたがこれからもずっと苦しむのなら、そのストレス源を離すことは逆にいいことだと思いますよ。それも視野に入れていいんじゃないかしら?」
と意外な言葉をくれた。
わたしは本来なら軽蔑され非難されるべきであるのにもかかわらず、わたしの精神を守るためにストレス源を遠ざける手段は選んでもいいのだと言ったのだ。

そういう手もある…。
そう思うだけで少し救われる気はした。

年明けからパキシルを減らす治療に入るわたしは、今パキシルで抑えられている自分の狂気が出てきてしまうことを恐れている。醜い自分になりたくないのだ。
けれど多分わたしの抑えている狂気はこらえきれず出てきてしまうだろう。
その時期をいったいどうやりすごしたらいいのか、わからない。

息が止まって苦しくなるまで叫んで叫び続けて、泣き喚いたあと、ふいに可笑しくなって笑ってしまう自分にも遭遇した。
壊れてる。あたし壊れてる。

毎日そんな自分だったらわたしは自分を維持できない。
肝臓を守るために避けて通れない減薬。それに伴って現れるわたしの醜い本質。
向き合うために、やはりわたしは一人がいい。
すべて受け止めて抱きしめて無条件に愛されることはないのだから、
やっぱりわたしはひとりがいい。

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大プロジェクト

先週のカウンセリングで、カウンセラーはあの精神科医に診ていただくことの意義をわたしに説き、同席するから・後押しするからもう一回行ってみましょう?と勧められ、わたしも納得した。
それで今日その担当医の診察を受けに行って来た。

診察というよりも会議だった。
わたしは疑問点を伝え、希望も伝えることができた。
パキシルをやめていく必要性は理解したし同意する。というかそうしないと本当に肝臓がまずいことになってしまい、向精神薬を使えない体になってしまうからだ。
けれど、それは様子を見ながらじっくりやって欲しいと頼んだ。
先生は肝臓の数値だけ見ていて、わたしという人間の精神を見ていない気がします。
そう言うと、まず肝臓が悪化することを急いで防がないといけないので優先した、その後で心理テストなどを希望ならするつもりがあったとのことだった。

カウンセラーを交えて会議をした結果、とりあえず年内はわたしが希望した処方で行き、無理はしないということになり、わたしは心理テストを希望した。
医師は、パキシルを15にまで減らした作用をアモキサンではカバーできず狂気を帯びてしまったわたしの説明に頭を抱えた。
「これは、こちら側で方針を相談しましょう。」
担当医はカウンセラーにそう告げた。今後減薬と薬の入れ替え、それに伴い現れるわたしの狂気と発作。それにどう対処していくかを医者とカウンセラーがセッションしてくれるのだ。これが、カウンセラーが力説して引かなかった「両輪」である。

MAX40を飲んでいたパキシルでわたしの肝臓は障害を起こしている。
20に減らした結果、数値は見事に下がったので、肝機能障害は薬由来だと判断できると医師は言った。でもそれでも数値は「高い」に*マークが付いた状態なのだ。
何とかしないといけない。
わたしをめぐる困難なプロジェクトは、やっと再スタートをした。

早速診察の後、心理指導室という名の部屋に案内された。
ペントハウスだ。
といえば聞こえがいいけれど、屋上に設置されたプレハブだった。
けれど中は暖かくホッとする雰囲気に満ちていた。
そこで心理テストをやっていると、カウンセリングの研究所の所長さんがいらして、わたしは久しぶりにご挨拶をした。
わたしのカウンセラーから逐一報告や相談がされているので、所長さんはすべての経緯をご存知である。
カウンセリングで何でも言いなさい。思ったこと感じたことをそのまま話しなさいよ。我慢は必要ないんだよ。
そうおっしゃってくださった。
カウンセラーは今後の診療方針を担当医とこのあと会議することを報告していらした。
そう、カウンセラーのバックにはこの所長さんも居るんだ…。
わたしは自分の治療が、大きなプロジェクトに感じられた。
恵まれている。もう、遠いなんて文句を言わずに(遠いけど。)、少しでも治すために通おう。医師を、カウンセラーを、そして所長を信頼して素直に話をしよう。

わたしにはやりたいことがある。
生きて息子の幸せな姿を見たいという強い希望もある。
精神も守るべきだが肝臓をやられてしまっては適切な精神治療ができなくなる。

来年の仕事はもう秋まで決まっている。
治療し減薬しながら頑張ろう。
できることを頑張るのは、わたしにとっては必要なことなんだ。

心理テストは数種類受けて、病人しての病状だけでなく、人として性格由来があるかも診てもらう。今日一種類やって、一個は宿題で持ち帰って来た。
再来週また受けに行く。
そんなふうにしてこの年は暮れてゆく。
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《今日のオマケ》
2010_137今日のちまちゃん。
大好きな可愛い口元。
犬張子に似ています。
(ねこなのに。)
Anyus_favorites_items_191これが犬張子。

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おしり痛ってえ~!

あの翌日母からメールが来て、無事にお通じがあったそうだ。
そう、8日の夜にメールがあった。
わたしは嬉しくてホッとして、「開栓記念日だね!」とメールを返したが、その後どうなったか聞いていない。

明日(日付では今日)から長丁場の出展で、忙しくしていた。
今日は搬入に行って来た。
遠いと思っていたが、精神病院に行くよりもずっと早かったし、大きな街でいい風情だった。
140点もの作品をディスプレーしてきたのだが、なぜかいまお尻がめっちゃ痛い!
お尻じゃなくて、大腿骨がはまってる部分が痛いのかもしれない。
足が抜けそうだ。
誰かー。お尻踏んでー。

15日間の画廊での出展。
土日祝日はお店番に行く。説明してお勧めしないと売れないから。
お客さまにDMを出した以上は居るべきだから。
お客さまに会いたいから。

26日まで頑張ります。
今日はディスプレーに4時間半かかって、ヘトヘト。
立ったりかがんだりしゃがんだりしたからこんなに体が痛いのかな…。
運動、してないからなあ。

もうだめ。寝る。
明日は初日でお店番も初日です。
頑張ります。
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また入院

風邪が回復して、いっぱい寝たおかげで気力もチャージできて、昨日は制作をかなりのスピードで進めていた。
止まらない。止められない。まだ作りたい。

夜になって作りながらふと、熱がでたことに関連してつらつらと考え事をしていた。
幼稚園児のとき、わたしは扁桃腺の除去手術をされている。
イマドキは、扁桃腺にも重要な役割があるので切ったりしないのだが、週末になると熱を出し、扁桃腺が腫れて高熱になるわたしは、そのころは流行っていた除去手術をうけたのだった。
幼稚園児だからもちろん自己選択件はない。親が決めたことだ。

手術を受けた病院は白いモルタル作りの低層の病院で、たしか桜の時期だったように思った。病院の外の風景がとても明るくて、花びらがはらはらと舞っている様子をなんとなく覚えていたのだ。
術後は一泊の入院だった。
生まれて初めてベッドに寝るわたしは、そのことが嬉しいフリをしてはしゃいでみせた。
そこへ近所の親しくしている家のオバサンが来て、当時としては効果だった人形をお見舞いにくれた。
座っているカーリーヘアの人形で、背中にあるリング付きの紐を引くと喋るしかけになっていた。セリフは4~5種類会ったように思う。
「はじめまして。あたしミコちゃん。どうぞよろしくね。」

ベッドの上に上がろうとしたときに看護婦さんが迎えに来て、部分麻酔で手術は行われた。口を大きく開けさせられ、メスやハサミが入ってなにか処置されるのをわたしは一部始終見ていた。血があふれて気持ち悪かった。

手術のあとは畳敷きの快復室でしばらく横になっていた。
血を飲んではいけないというので、口の中に血が溜まると、母をつんつんしてちり紙に吐き出す。それが治まるまでその部屋にいた。
執刀は院長先生だったが、その娘が同じ幼稚園児でみちこちゃんといった。みちこちゃんとは親しくはしていなかったが、好奇心丸出しでお見舞いに来てくれた。
喋れないわたしに代わって母が応対していて、わたしは何度も母をつんつん突いて血を吐き出した。

記憶はそこまでである。

それでもわたしは週末になると熱を出し、母に怒られた。
緊張と疲れで発熱したのだろうといまならわかってやれる。
学校がきつかったんだね…。がんばらなくちゃいけないことばっかりだったものね。


そんなことを思い出してふと母にメールをした。あれは春だったよね?と。
よくおぼえていますねそのとおりです。と平仮名ばかりのやり取りを2回くらいしたとき、こんな返信が来た。
「おかあさんいまにゅういんしてます ちょうへいそくです」

なんということだ。昨日誕生日おめでとうとメールをくれたのに今日は入院しているってどういうこと!?
聞き返すと、夜中に閉塞をおこして救急で入院したのだそうだ。
いまぜっしょくちゅうどうなるやら。と返事が来た。

母は59歳のときに大腸がんで横腸をすべて切っている。40cmもの長さだ。
だから流れが悪くなり吐いたりするようなことはたびたびあった。
それが腸の閉塞にまで至ってしまったのだ。
どんなに痛かったことだろう。

手術の必要があるのだろうか。どうなるんだろう。
けれどわたしには電話ができない。この時点で既に大泣きなのである。
息子に知らせて、おじいちゃんに電話して様子を聞いて、とたのんだ。

わたしの誕生日に、また母が入院…。
二年前はひどい不整脈で倒れて救急で入院したのだ。その病院から父が「誕生日おめでとう。あのなあ、じつはおかあちゃんがな、」という話だったのだ。そのときはお見舞いに行き、後日手術になってそれがうまくいき、ペースメーカーは避けることができた。

今回はわたしに、これが虫の知らせというのか、とにかく病院のことばかりが思い出された。熱をだしたから思い出したのだろうと考えていたけれど、高じてメールをするに至って事実を知ることとなった。

ほどなく息子からわたしを気遣うような明るいメールが戻ってきた。
「本人と電話したけれど、痛みがなくなってきたから手術は避けられるみたいだよ。きっと大丈夫だよ。」
父がまだ付き添いでいて、実家に誰も居なかったのか、息子は携帯に電話をして本人と話せたらしい。
こんな時は息子頼みだ。
様子を聞いて少し安心した。
けれど涙で見えなくて、制作はもう終わりにした。

何年か先、母はわたしの誕生日に死ぬのかもしれない。
超難産で母子ともに生命が危ういようなお産だったそうだから。
兄弟がいないわたしは、それを一人で受け止めなければならない。
一人っ子は、苦しい。
息子にはそんな思いをさせたくないと思う。
                                             伽羅moon3

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責められないことの安らぎ

誕生日に熱があって寝て過ごしているけれど、それはとてもありがたく、幸せなことだとしみじみ思う。
具合が悪いときに心置きなく寝ていられるなんて恵まれた人は、そういないはずだから。
わたしも、生きてきて始めての安らぎである。
本当にありがたいと思う。

週末になると決まって熱を出すわたしは、幼稚園児のころに扁桃腺を除去された。
部分麻酔だったから、口の中にハサミやメスが入っていって血があふれるのを、今でも記憶している。
けれど親の期待とは裏腹に、それでもわたしは週末に熱を出す子であり続けた。
働いていた母親は怒った。やっと休みやのになんでまた熱出すの!

…おかあさん。
わたしには、やっと休みだから熱が出せたんだと思いますよ。
わたしはやはりある種の人格障害で、適応障害で、集団生活がとても辛かったんだと思うんです。
だから土曜日の「半ドン」が終わると、気が緩んで熱が出たのだと思いますよ…。

わたしは具合が悪いと怒られる人生だった。
母親がそうで、結婚した夫もその家族もそうだった。
年末にインフルエンザの高熱で唸っているとき、「こんな時期に風邪なんかひきやがって」と、枕元に仁王立ちになっていた前夫。
小さな息子を置いて、一人だけ夕食を食べに行ってしまった男。
わたしは同じマンションの友達に助けてもらった。

離婚してからは具合が悪くてもどうにかしなきゃいけない生活。
自分で選んだ道だけれど、なかなか安らぐことまでは出来なかった。
それでも、寝込むことを責める人がいないだけ幸せだった。
厳しくてもわたしは精神的なものを選んだのだから。

今は本当に安らぎを感じることができる。
誰にも侵略されず誰にも責められることなく寝込んでいられるなんて、なんと恵まれたことだろう。幸せすぎて泣きそうだ。

日付が変わってすぐメールをくれた友だち。息子からもおめでとうメールが来てわたしは幸せだった。覚えててくれたんだ。出勤途中にメールくれたんだ。嬉しい。ありがとう。
お昼にラーメンを食べてまた布団にもぐりこんで眠る。
熱はまだあるけれど、咳は止まった。
誰もわたしを責めない。ねこの世話さえできていればいい。ねこたちは順にわたしに撫でられにやってくる。可愛い泣き声でわたしを見上げる。

この安らぎを与えてくれているのは夫である。
感謝の心でいっぱいだ。
こんな安らぎの人生を与えてもらって幸せだ。

明日からの一年、わたしの人生は光にあふれたものになると感じる。
うつ病だけれど。精神障害者だけれど。
幸せの価値はそんなことは関係ないんだ。
存在を許され責められないという安らぎ。
それがわたしの幸せである。
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熱が出た出た。

土曜日何もできないで一日休んで、今日はもう良くなったかと思ったのだが、朝起きてねこの世話をしてワークスブログをUPして朝食を食べて、すこし仕事をした。
けれどどうにもだるくて辛くて、結局ふとんをまた敷いて突っ伏して寝ていた。

お昼過ぎに、これではいかんと思い直して風邪薬を飲んで、ちゃんと毛布をかけて寝なおした。夕方までまた眠ったら、熱が出ていた。

風邪をひいて熱を出すなんて久しぶり。
ヒキコモリだからあまり風邪をひかないでいたのだ。
気温も熱い寒いが激しいし、遠くまでの通院で疲れたりしていたのだろう。
でも、出展前日とかじゃなくてよかった。
いまなら、制作は諦めて(けっこう作ったし)とにかく体を休めれば、インフルエンザでもない限り搬入日までには治るだろう。

熱が出てからのほうがいっそ少し楽になって、わたしは夫と誕生日ディナーに出かけた。
美味しい近江牛を食べられる居酒屋に行った。
以前来て、わたしがとても気に入って、そこにまた行きたいと頼んだのだ。
歩いて行けるところは気も楽。
でも前回ほどガツガツ食べなかったのはやっぱり熱があるからだなあ。

帰ってきてねこたちの世話をして、息子にメールをした。
わたしは、自分が具合が悪いと息子が心配になりいつもメールをする。
元気。大丈夫だよと返事が来て安心する。
周りが元気でいてくれたらいい。自分が辛いのはかまわない。
仕事にだけ穴だけあけなければいいや、明日も寝ていればと思える幸せ。

いつも12月に風邪を引くので数年気をつけていたのだけれど、自律神経のバランスが壊れているのか、更年期?なのか、寒さがわからない。
薄物一枚着ているだけで、毛布にくるまって寝ていたりした。
夫が心配して厚い毛布を運んできて足してくれた。
あったかい。
そうか、わたし寒いってことを感じてなくて体を冷やしたんだな。
着るものも一枚足してみたら暖かい。

いいじゃない? 誕生日に寝込んでいてクリスマスには仕事に行っているなんて。
そういうの好き。

もうちょっとばりばり作る予定でいたけれど、強制的な休養。

受け入れて、今夜ももう寝ましょう。
暖かくしてね。

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強制的な休養

木曜日に痛みを感じた喉が、金曜日に咳に変わり、今日は風邪だか喘息だかわからないが気管の深いところから出る咳と体の痛みに変化した。

金曜は病院に行って、遠くて疲れて、早く寝て早く起きて仕事しよう、と夜8時前には寝てしまった。最近変なリズムである。
昼間温かかったので油断していたのだが、ちまが「寒いよ~。いれてー」と肩口を叩いてもぐってきたので目が覚めたら、すごく寒かった。

ファンヒーターをつけたら狭い部屋はすぐに暖まり、起きて仕事するつもりがどうにもまた眠くて、何も掛けずに布団に突っ伏して寝てしまった。
次に起きたのが朝の6時。
よく寝たなあ~と気分よく仕事を始められるはずなのに、深いところから咳が出て腹筋を使う。体の節々が痛い。
風邪かな…。マスクして出かければいいのに面倒でサボったからだ。やだなあ。

夫にまた歯医者に連れて行ってもらうはずだったが、咳は出て欲しくない時に限って必ず出るものだ。
アパートに来てわたしの咳の音を聞いた夫は、「(歯医者)やめといたほうがいいね。」と言ってしばらくさすってくれた。

月曜がわたしの誕生日なので、この土日にどこかへ食事にいこうと夫が言ってくれていて、サラリーマンの夫にしてみれば土曜日のほうがいいだろうと、行く店も決めたのだが、だるくて痛くて眠くて仕方がない。
明日にしてもらってわたしは日中をうとうとと眠って過ごした。
家事は夫がやってくれた。

ねこが寄ってきたらねこをかまい、抱きついてきたら(これはちま。)抱き上げて座ってぼーんやりする。
久しぶりだな…休むのって。
先週は心が荒れていて、こんなにほっこり休んだんじゃなかったもの。
休むって、こうしてねこを抱いてぼーんやりすることなんだな…。


金曜日、担当医が外来ではない日にこっそり病院に行って来た。
金曜午後の担当はまた女医さんだった。
とても空いていてほどなく呼ばれ、診察室に入ると、医師は必死にカルテを読んでいるところだった。
わたしは、風邪の前兆だったのかなんだか腹が立っていて、矛先が違うので必死に抑えはしたが、無理な減薬でおかしくなり来れなくて今日やっと来た・申し訳ないですがわたしの言うとおりの処方で薬を出してくださいませんかと頼んだ。
医師は、わたしの担当医を丁寧でとてもいい先生ですよと褒めてかばった。
「多分そうだと思います、が、それを確認するに至りません。ただ猛スピードでパキシルを減らされましておかしくなりました。」
「パキシルを減らすのは難しいのよねえ。」
「みなさんそうおっしゃいます。なのになぜこんなスピードで減らされたのでしょうか。難しいのであればもっと時間をかけて慎重に行われて然りではないでしょうか。」
「う~ん、でも肝臓の数値がねえ。保護する薬を飲んでいて3ケタというのは、これは怖いから急いで減らしたい気持ちはわかるわ。」
わたしは無表情で怒りを必死にこらえながら反論した。
「ではどちらが『死』に近いとお考えですか? その数値は死に直結ですか?」

医師は体の向きを変えてわたしを見た。
「…死にたくなっちゃったの?」

「死にたくなんてありません。ただ、死んでしまう気持ちは理解できました。」

わたしはパキシルを15から20にしてもらった。それでも30が20に減ったのだからとりあえずの減薬にはなっているのだ。
アモキサンは一日30で充分です、それで落ち着いていますから30に減らしてください。
わたしは、残っていた薬を組み立てて飲んでいたのだがそれで調子が良かった。なのでその量で処方をお願いした。
「そして、次回いつ来られるかわかりませんから、薬は一週間と言わず可能な限りください。」と頼んだ。
「余分がないというのは、恐ろしいことです。」と付け加えると、医師は「そうね。」と言ってカレンダーで日にちを数え、この内容だと最大18日分出せますからそうしておきますね、と言ってくれた。
すみません、ありがとうございます。ご面倒をおかけしました。と帰ろうとしたら、看護師さんが採血が待っていてまた血を3本採られた。

この病院にこのまま通うのか、また変わるのかわからないので自立支援の申請ができない。診察代・薬代、それにカウンセリング代と大きな出費で痛い痛い生活である。
カウンセラーがどのように話してくれるのか、そして担当医はどういう反応を示すのか。
来週になればわかる。

怒りを抑えていても、わたしが激しく怒っていることは精神科医にはわかっただろう。
わたしはうつ病なのではなく、ただの性格異常者なのかもしれないという思いが頭をかすめた。Zそうメールすると、あははと笑った返信が届いてちょっと安心した。
健常者の夫も友達もいるし、だいじょぶか…。

強い風が吹き返す中を速攻帰って来た。
そして寝たら風邪をひいていた。
怒りはおさまった。薬のバランスもいい。
風邪は、脳が出した体への強制的な休養の指令のような気がする。
わたしは指令どおり一日おとなしくしていた。仕事をせずに布団に横たわって過ごした。

明日は回復しているといいな。
お誕生日ディナーにいけるといいな。
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引き出された怒り

カウンセリングでわたしは、病院を替わりたいと言ったが同意してもらえなかった。
普段感情を抑えて生きているあなたが、そこまで怒っているのだからこれはいいチャンスです、ぶつけて乗り越えてみましょう、とカウンセラーは言った。

そして、もっと深い怒りがある気がするとも言った。
わたしは「安楽な方法で来い」という医師の言葉に最も過敏に反応して怒ったのだが、それは発火点であって、実はそれまでの診察に不満があったのではないかと質問された。

質問されて考えた。

そうだ、わたしは不満だったのだ。
欲求が満たされず毎回もやもやのまま帰ってきたのだ。

紹介状なしで受け入れてくれたことには感謝する。
けれど同時に、紹介状がないということは、わたしの詳しい病状についての資料もないということだ。
初回、カウンセラーが一緒に入ってくれた診察で、わたしはごく簡単に説明をし、現在の状態や心理状況も話した。
それだけである。
その主訴だけで、二回目からは減薬の話しかしていない。
話そうとしても「それはカウンセリングで話してね。」とシャットアウトされた。

わたしは医者とおしゃべりしたいわけではない。
主訴だけで判断するのは、初めて診る患者にとってどうなのか、ということだ。
うつ病患者には多分思い込みが激しい人が多い。一方向からしか物事を考えられず柔軟なものの見方・考え方ができないことが多いと思う。
もちろんわたしはその最たるもので、被害妄想もある。
と思っている。
つまり、主訴にすぎないのだ。本当は被害妄想ではなく真実を見極めているかもしれない。

なぜ、心理テストをしないのか。

これがわたしの中に大きくふくらんでいた不満だった。
主訴と血液データだけで、減薬することのみの診療となり、医師はわたしを診ていない。
わたしの性格や病状や不安や緊張を見ていない。
わたしのことをなにも知らず、知ろうともせず、減薬だけ進行されてわたしはおかしくなった。
それを恨みに思っているのだ。

その結果わたしはいつものようにフタをして逃亡しようとした。
薬をくれるだけでいいから、怒らなくて、近くて行きやすい医者を紹介してくれと言った。
けれどもカウンセラーはわたしの本当の怒りを聞いて、わたしに同調してくれた。
それはそのとおりであると。
彼女はその病院で心理・性格診断を担当しているのだ。
決まった曜日にあの病院に行き、入院患者さんの心理を診ているという。そしてもちろん外来から依頼があれば、新患さんのテストもやるという。

わたしは、治療をやり直したいと言ったはずだ。
心理テストはいつだろう、毎週頑張って来ているがいつになったらやってもらえて、減薬の話が終わり、わたしという患者を見てくれるのだろう、と心待ちにしていた。
なのに無茶な減薬でわたしはおかしくなり、やっとのことで電話をしてみれば不誠実な対応だ。

どうせ医者なんてそうなんだ。何百人もいる患者のひとりにしかすぎない。覚えているわけもないし興味もない。その日来た客をさばくだけで手一杯なんだ。
ならもう、わざわざあの病院に行く必要はない。
そこらの診療所でも同じことだ。

わたしはそう考えたらしかった。

病ではなく患者を診て欲しかった。
新患なのだから、どういう経緯で発症したかとか、どういう主症状があるかとか、今のうつ状態はどの程度で、強迫性障害や適応障害はどのレベルなのか。それをちゃんと診て欲しかったのに、医師はわたしと向き合うことをせず、薬辞典とにらめっこしているだけだった。

期待して、頑張って遠くまで通っただけに、わたしは落胆し立腹した。
だからもういい!と逃亡を企てたのだ。


ようやくわたしの真の怒りは引き出され、本当はどういう診療を望んでいたかが見えた。
いきなり減薬に次ぐ減薬で、しかも二回目の減薬はわたしが難色を示したのにも関わらず決行され、そしておかしくなり、なのにその対応策は準備されてもいなかった。
寝てないんです、外になんか出られませんというわたしに、ただ「来るように」と繰り返すだけだった。

カウンセラーが月曜日にこの話を担当医にしてきてくれるという。
果たしてどういう反応をする医師なのか。
それを見てから、病院は考えましょうということだったのだ。

脳内が整頓されるまで時間がかかる。
自分の怒りすらよく理解できていない。
薬なしでは生きていけない。
けれど薬で心は治らない。
うつ病という病・肝機能障害という症状だけを診るのではなく、わたしという患者を見て欲しい。
それがわたしの望みだとようやくわかった。

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逃亡許可されず。

わたしは言い返せない。
本音をぶつけ合って争うなんてできない。
とにかくその場が平穏に済めばいいと思っている。
だから平気なフリをしたり、黙り込んだりする。

実際は平穏なんかじゃあり得ない。
いったん穴に放り込んでフタをしてやり過ごすが、一人になるとそのフタが外れて醜い中身が出てきてしまう。
怒りでドロドロの溶岩がふつふつ言いながらあふれ出してくる。
心は嵐になり、わたしは大概それを薬で押さえ込む。

泣き叫べばいいんだ。
本当はそうすればいいんだ。

けれど泣くことは罪悪だと育てられた。
だからいつも隠れてひっそりと泣いた。
泣き喚いて駄々をこねれば良かったんだ。
いい子で居てね、しっかりしてね、出かけてはダメよ、5時には帰って来なさいよ…。

「大人しい子だね」とよその人に言われても、比較する兄弟を持たない自分にはわからなかった。
ただ、感情を抑え言いたいことが言えない子供は、そのまま大人になってしまった。
生きていくために媚び続ける自分。それを嫌悪する自分。

嫌なことを都度嫌だと言わず、蓋をしてフタをしてなんでもないフリを続けて、すると相手は増長してますます踏み込んで上から物を言う。
やがて耐えられなくなったわたしは、理由を告げずその相手を避け、逃亡する。
しっかりとシャッターを足元まで降ろしてしまう。
だから過去の自分が全部嫌いだ。
好きなのは、なんと、拘置所に必死で通っていた馬鹿な3ヶ月間の自分だけだ。
騙されていたとしても、陥れられたのだとしても、そのことに気がつかず「愛だけが更正の道である」と信じて走り続けていた3ヶ月間の自分。
自慢はできないが、そこだけが人生でちょっぴり輝いている。
変な話だ。



カウンセリングに行って来た。担当医に対して不信感を持ってしまったので、もう行くことはできない。新しい病院を紹介して欲しい。もう話なんて聞いてくれなくていいから、薬だけ暮れる医者で構わないから、近いところで紹介して欲しいと頼んだ。
カウンセラーはウンと言わなかった。
わたしの怒りを引き出して吐き出させた。
わたしは思い起こして小さく身震いしながら担当医への恨みを口にした。
被害妄想かもしれないし、過敏すぎるのはわかった上で言います、と前置きしてわたしは怒りを話した。

なぜ初診の患者にたいして心理テストを行うこともなく、いきなり急いで減薬をし、無理な減薬で潰れて眠れなくなり精神不安定となり病院へ行けないと電話したわたしに、「何か安楽な方法で来い」などど言うのか。安楽な方法とはなにか。

毎週カウンセリングと通院できつかった。
4時間しか眠れなくてきつかった。
わたしは減薬のスピードの速さを懸念したが医者に対して反論はできず、押し切られた結果おかしくなった。その状態で、一睡もしてなくて電車になんか乗ったら発作を起こして倒れるに決まっている。
カルテにはパニック発作と書いてあるはずだ。

たっぷり不満と不信を言葉にした。
けれどもカウンセラーは、更なる転院はダメだと言った。
怒りが湧いて出たのはチャンスだという。それを相手にぶつけて乗り越えることで関係が築かれていくのだという。

医者相手にに噛み付くなんてとてもできないと言うと、カウンセラーが代わりに伝えてくれることになった。そしてそれを聞いた担当医の言動によって、決めてもいいのではないか。と言われた。
あなたは苦しくなるといつもシャッターを降ろして逃亡してきた。ずっとそうやって生きてきた。
今回はチャンスです。あなたの立場で伝えてきますから、手を携えて一緒に向かってみましょう、と。

そこまで言われては承知するしかなかった。
逃亡は許可されなかった。

                                          伽羅moon3にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ心がささくれているわたしに応援clearお願いいたしますthunder

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