三つ目のグラス
春に叔父が亡くなったとき、喪服が窮屈でボタンが止まらなかったわたしは、夫に頼んで通販で安いアンサンブルを買っておきました。
結婚記念日に、豪華な真珠のネックレスも買ってもらいました。
それはきっとそのうちやってくる叔父や叔母の葬儀に使うのだろうと思っていました。
こんなに早く、こんなに悲しい別れに使う時が来るとは、もちろん思ってもみませんでした。
人の死はどんな死もある意味突然ではあります。
自殺以外はすべて寿命ですと、気功の先生には言われました。
けれど早すぎる。突然すぎる。奪われてしまったという悲しみは一層つのります。
++++++++++++++++++
お通夜の会場の前で、遠く祭壇の上の彼の顔写真を見ながら、わたしは震えていました。
とうとう顔を見て認める時が来てしまった。
係りの人に「お顔を見せていただくことはできますか?」と聞いてみると、「はい、いいですよ!」と元気な返事が戻って来ました。
わたしは夫に支えられ、係りの人について祭壇に辿り着きました。
綺麗なお顔でした。
わたしの涙がボトボトと音を立てて棺に落ちました。
涙に遮られてだんだんお顔が見えなくなりました。
何度も、何度も呼びかけました。何度も何度も。
この人を失ったことが悲しい!
わたしは吊り橋の手すりを外されてしまったようなものです。
このぐらぐらの橋をどう渡っていくのか、わたしにはまだ想像もつきません。
++++++++++++++++++
焼香を済ませて部屋の外に出ると、弔問客の列は斎場の玄関まで延々と続いていました。
お顔を拝見したくて早くに行ったわたしたちは部屋の中の椅子に座れたのですが、その弔問客の数には驚きました。
お清めの席で、同じテーブルだった人たちはカウンセラー仲間のようでした。
よく笑う人だったわよね。
そうね笑顔が印象的よね。
しかしよく飲むヤツだったよな。
ワインがお好きでね、氷を入れて飲むのが好きだったわよね。
でも、早すぎる…。
わたしたち夫婦は黙ってその会話を聞いてお清めを軽く済ませ、お先にと挨拶して辞しました。
わたしは、すべての事をカウンセラーに話して来ました。
でも、彼のことを何も知らないんだという事を知りました。
いっぱいお仲間がいらして、お付き合いもなさっていて、楽しい時間を過ごされていたんだ…。
わたしは彼を何も知らないということが寂しく感じました。
帰るときにもまだ弔問の列は続いていました。
家に帰って喪服を脱いで、床にへたり込んで泣きました。
夫が布団を敷いて寝かせてくれました。
わたしはしばらく泣きました。
通夜から帰宅したとZにメールすると、彼女が電話をくれました。
女神の声を聞いてわたしは一層泣きました。
日曜日に会おうと言ってくれました。
夕飯は夫がスーパーに行って色々買って来てくれました。
ワインの小さいボトルも買って来てありました。
わたしでもきっと同じことをしたでしょう。
グラスを三つ用意しました。
わたしが治ってクライアントじゃなくなったら、3人で飲みに行く約束でした。
それが叶わずに逝ってしまわれました。
三つ目のグラスにもワインを注ぎ、私たちは献杯をしました。
++++++++++++++++++
お葬式にも行きたいと思っているのは、可能なら棺を見送りたいと思ったからです。
出来れば棺に花を入れたい。
親族でも友人でもないわたしがそんなこと出来ないかもしれません。普通、出来ません。
出来なかったらもちろん諦めます。
でも棺を見送るために、行って来ます。
わたしの、生涯にたった一人のカウンセラー。
心から、お慕いし、頼りにしておりました。
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コメント
温かいいたわりと励ましのお言葉、本当にありがとうございます。
支えられました。
おひとりずつにレスつけられなくてごめんなさい。
また来てお言葉くださいね。お待ちしています。
ありがとう
投稿: 伽羅 | 2009年7月 9日 (木) 01時38分
ななさん、コメントありがとうございます。もう、書くのはやめようと思ったのですがななさんが書いてくださったので、少しだけ・・・。
私は攻撃したつもりはなかったのです。でも、みなさんには、そう受け取られてしまったようですね。実は、知人がうつっぽくなってしまったので、何か私にできることはないかなあーと、調べているうちにたどりついたブログでした。(こちらには日本のような心療内科や、精神科はないのです。科としてはありますが、日本ような治療はしていません)
攻撃するつもりはなかったのですが、あまりにも違う環境にいることに、驚いたので、つい疑問を書いてしまいました。でも、KYでしたね。ホントすいませんでした。私は自分が海外に住んでるからといって、それが特別なことだとも思っていません。ちなみに、私も昔の恋人が大麻所持で捕まったこともありますし、自分も数年前に癌の手術を受けています。(幸いなことに今は完治していますが)
うつの人を拒絶なんてしてませんよ。するつもりもないです。でも、世界は美しいもので溢れています。みんな一生懸命に生きています。余計なことをいってスイマセンでした。ななさん、ありがとう。
投稿: LUCIA | 2009年7月 8日 (水) 13時40分
伽羅さん、コメント欄お借りしますね。
LUCIA さんへ。
私もうつ未経験者です。うつ病のことなど全くわからない私がコメントしていいのだろうかっていつも思いながら、でもいつも偉そうなことを書いています(笑)
でも伽羅さんは、恐らくは私のコメントに傷つきながらも、コメントを書いて欲しいと言ってくれます。私はここで色んなことを学びます。認識していなかった自分の気持ちに気付くことも多いです。
誰にも頼らず一人で頑張っているあなたの心が、人を頼る人に対して苛立つのは、もしかしたらあなたの心の中に押し込めて我慢している「頼りたい」という気持ちが泣いているのかもしれません。って勝手にそう思いました。分かったようなことを書いてごめんなさい。
うつであってもそうでなくても過剰な相手への攻撃は弱さゆえ。心を防御するため。私はそう思います。それが善か悪かはまた別の話ですが。
どうか今回のことで「うつ」を拒絶しないでくださいね。
一生懸命生きてる人はどんな人も美しいです。頑張ってください。
投稿: なな | 2009年7月 8日 (水) 09時55分
私のKYなコメントのせいで、みなさんを不快な思いにさせてしまって本当にすいませんでした。特に伽羅さん、大変な状況の上に、さらに傷つけるようなことを・・・そんなつもりはなかったのですが、してしまったようですみませんでした。
うつ病という病気がどんなものであるかも、経験したことがないモノに、言う筋合いはなかったのですし、コメントなんてするべきではありませんでした。でも、別に弱い人間が甘いとか、甘い人間が悪いとか、そんなことを言うつもりはなかったのです。まあ、何より私のようなものがこのブログに来てはいけなかったのでしょう。スミマセンでした。でも、みなさんが辛い思いをしながら、一生懸命に生きているように、私も一生懸命に生きています。ほんとうにスイマセンでした。
もうこの件については、コメントは書きませんし、書かないで下さい。お互いに忘れましょう。本当にすいませんでした。
投稿: LUCIA | 2009年7月 8日 (水) 06時09分
伽羅さん
とにかく自分を大切になさって
つらいけど忘れないで記憶をあたためるのが
そして伽羅さんに笑顔がもどるのが
カウンセラーさんの喜ぶこと
焦らないで
みんな味方だから
投稿: R | 2009年7月 8日 (水) 00時08分
伽羅さん、まずはおなかに食べ物をいれて、
ぐっすり眠ってくださいね。
LUCIAさんへ
ご自分でも書いていらっしゃる通り、「書いてある事」だけで私に判断して欲しくないということですよね。それと同様に、伽羅さんだって、このブログに書いてある事だけを読んで、「甘えだ」、「周りへの感謝の気持ちが足りない」と非難されるのは不本意なのでは?と思います。
私が、あなたに対して「相手の気持ちをおもんばかった方が良いのでは?」と感じたのは、もっと率直な言葉で書くと、「空気を読め」という言葉になります。今は、伽羅さんの状況を思い遣って、LUCIAさんの自己主張は抑えた方が良いんじゃないかな?と思ったまでです。「空気を読む」というのは、海外では通用しない考え方かもしれません。
伽羅さんがブログ開設当初に自分の事を「姫」と書いていたのは、(大体事情を察していますが)、聞くほどの理由でもないかとおもいます。たぶん。気力が回復したら、答えてくれるかもしれません。
投稿: よっしんぐ | 2009年7月 7日 (火) 23時31分
私のたった一人の恩師は59歳で亡くなりました。
遺言により家族だけの密葬となりお別れをすることができませんでした。
いまでもそれが心に残っています。
伽羅さんへ。悔いのないようにお別れをしてきてください。
投稿: オモダカ | 2009年7月 7日 (火) 22時19分
LUCIAさんへ。
わたしもうつを患ってますが・・・確かに、うつ患者に心の弱さや甘えがあるのは事実だろうと思っています。でも、順番が逆なんです。弱さや甘え故にうつになったのではなく、うつになったが故に他人に優しさやら人間的な関わりを欲するのです。感謝云々の問題ではないのです。ここは純粋に伽羅さんが自分の心情を吐露し、失礼な言葉で表現すれば、読んでいる他人に同情されるための場なのです。同情してもらって、共感してもらって・・・心癒すための場なのです。そういう場に「世の中への感謝」云々を期待する方がおかしいと思いませんか?
自分は自分を客観視しようと思っていますが、多くのうつ患者にはそんな精神的余裕がありません。どうしても被害者意識が強くなり、記述も自己中心的になります。ですが、このようにブログなどを通じて同情し合う、共感し合うコトがうつからの快復の大きな足がかりになっているのは事実なのです。
もちろん、そうした「傷のなめ合い」からはいつか脱却しなければなりません。しかし、伽羅さんはまだそういう段階にないのです。また、ブログ本文を読んでいただければわかると思いますが、頼りにしていた人を亡くしたばかりでもあります。LUCIAさんのご指摘は、ちょっとタイミング的に、伽羅さんにとっては酷ではないかと思います。
日本になぜ、うつ病患者が多いのか、は、何もこのタイミングで伽羅さんに聞くようなコトでもないでしょう。興味がおありなら、日本にいるご家族から本でも送っていただいたらいかがですか?そんなコト聞かれても、伽羅さんには答えようもないと思いますよ。
繰り返しになってしまって恐縮ですが・・・うつの治療では、他人にできるだけ甘え、自分では何もしない、という段階が確かにあるのです。LUCIAさんが好む・好まないに関わらず。。。それがお嫌いだというのであれば、ここに立ち寄らないのが一番かと思いますよ。
第一に、空気を読んでください。精神的にダメージを負った人にかけるようなコメントではありませんよ。
何か議論をお望みなら、どうぞ私のところへ来てください。いくらでもお相手します。あなたは質問する相手を間違っています。
投稿: 小鉄 | 2009年7月 7日 (火) 13時28分
よく、がんばりました。
ちゃんとご飯食べててえらいね。
いい子ね。
私も、父が亡くなってから色々知りました。
もっと近くにいてあげればよかったと悔やみました。
でも、後からでも知ることができたんです。
父の近くにいた人たちの口から。
それは幸せなことでした。
後からでもいいんです。
思い返せば、その時にその人がいるのです。
いいお話を聞けましたね。
お花、入れることができますように。
投稿: マハロ | 2009年7月 7日 (火) 12時59分
よっしんぐさんへ
確かに、このような状況野中で、私のコメントは無神経だったと思います。
私のコメントのつけ方が悪かったし、きづかいが足りなかったのだとも思います。
不快な思いをさせてしまいスミマセンでした。
ですが、海外に住んでいるからといって、人を思いやる気持ちを忘れたわけではありません。この点については、あなたがブログ主さんを援護するのと同様に、私の今の状況やおかれている環境をしらない人から、非難される覚えはありません。海外に住んでいるからこそ、日本のいい面も悪い面も見えることがあるのです。うつ病についても、わたしなりに調べました。
今は状況的に無理なのかもしれないですが、私はブログ主さんからのお返事を
聞きたいです。特になぜ「姫」なのか、その理由を知りたいです。
投稿: LUCIA | 2009年7月 7日 (火) 11時38分
伽羅さん、カウンセラーさんのお顔を見られて良かったですね。彼はご自分の人生を全うされたのですから、魂の上では早い死が悲しいこととは限らないのかもしれませんよ。たくさんの人々に慕われ感謝され、いい思い出と笑顔を想い浮かべながら見送ってもらえるのだから、きっと彼はステップアップして良い世界へ行かれるのでしょう。
今は悲しくて辛くて涙が出てしまうでしょうけれど、最後は「ありがとう」と見送ってあげてください。
伽羅さんは手すりを失ってしまったけれど、揺れる橋の上でちゃんと立っています。伽羅さん自身の力と周りの人の支える力で。今はそれだけで十分です。渡っていけるのか不安になるのは「橋を渡っていきたい」という意思があるからだろうから。歩けるようになるまでは立ち止っててもいいんですよ。ゆっくり行きましょう。
投稿: なな | 2009年7月 7日 (火) 09時45分
少しまえに 天童荒太さんの「悼む人」という本を
読みました。亡くなった人に添う。その人がどのような
人生を送ったかということに 主人公は想いをはせる、、、という。
主人公は縁もゆかりもない人に対しても そうするのです、旅をして。
私は伽羅さんのカウンセラーさんの生きてきた時代を想い
(私も40代後半で)カウンセラーさんのご冥福をお祈りします。
きっとすばらしいひとだったんでしょうね。
伽羅さんの悲しみは想像のつかない程の大きさかと思いますが
どうか少しづつでも はい上がってくださいね。ゆっくりでいいと思います。
投稿: おーち | 2009年7月 7日 (火) 09時41分
LUCIAさんへ
海外で暮らすうちに、相手の気持ちをおもんばかることも忘れてしまいましたか?あなたが意見を書き込むのは自由ですが、わざわざ、
「気に触ったらごめんなさい」
と、ご自身で書くような内容を、大切な人を失って悲しんでいる人に伝える意味とは?読み手は、ブログにいつどんなコメントを書こうと自由という権利を持っていますが、モニターの向こうには生身の人間がキーボードを叩いていることを忘れないで欲しいと思います。
伽羅さんの場合は、自分で何もしないのではなく、「誰にも頼らずにがんばってきた」から、今の状態があるのではないでしょうか?LUCIAさんは、海外で一人頑張っていらっしゃるようですが、例えば、一度にあなたのキャパシティーをオーバーするような出来事が降りかかってきたら、LUCIAさんだってうつ病になる可能性だってあるのです。
日本にはうつ病の人が多いことを疑問に感じているのであれば、まず、うつ病とはどういった病気なのか、症状なのか、病気そのものをご自分でお調べになり、仮説の元に意見を投げかけてみるのが筋なのでは?と思います。伽羅さんにだって、答えようの無い質問かと。個人的には、日本人のメンタリティと、明治維新以降流入してきた欧風文化・生活様式との倦怠期なのではないか?とも思います。うつ病にもいろいろなケースがありますし、一概には言えませんけれど。
投稿: よっしんぐ | 2009年7月 7日 (火) 07時53分
カウンセラーとクライアントという立場。
それ以上でもそれ以下でもなかったけれど、こうなって気付くのはクライアントはカウンセラーの何も知ってはいない。クライアントは今まで自分に起こった出来事を話し、時には涙して優しく聞いてもらえる。そんな間柄…。
まだワインで乾杯出来る日が来ていなかったことが、悔やまれますね。
葬儀にも参列されるのなら、本当に最後のお別れをしてきて下さい。
伽羅さんを助けてくれて、カウンセラーに会うのを楽しみにさえしていた伽羅さん。
どうかこのまま、深い谷底に堕ちて行かないで。それが今の私の願いです。
投稿: non | 2009年7月 7日 (火) 03時29分
なんとなく最初から(全部ではありませんが)読ませていただきました。
色々ものすごく大変だったのは解ります。普通では体験しないような出来事ですものね。でも、なんとなくですが私はあなたの弱さと、甘さを感じてしまいました・・・。(気に障ったらゴメンナサイ)今、私は海外で一人で暮らしています。ここでは助けてくれる人は誰もいません。日本に家族はいますが、日本からでは何かあっても何もできない状況です。頼れるのは自分しかいません。日本の常識では考えられないことが日々起こるのが現実です。日本では、うつ病の人が凄く多いと聞きました。それに純粋に興味があります。私から見れば、とても恵まれている環境にあるのに、なぜ人に感謝をしないのか、わかりません。人に感謝をしない人間や、人に頼ることばかりを考えていて、自分では何もしない人間は、私は好きではありません。あなたは自分のことを「姫」と呼んでいますが、それはどうしてでしょうか?教えて欲しいです。
投稿: LUCIA | 2009年7月 7日 (火) 02時46分