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たたえている悲しみ

以前カウンセリングで、わたしは自分の中に血の滝を見ました。
あまりの裂傷にたじろぎおののいて、わたしはパニックを起こしました。

カウンセラーの誘導でこちら側に戻って来られました。
それ以来その滝には行っていません。

けれど、森の奥に滝があることを、わたしは知りました。
知っているという安心感はあります。

そして今夜気がつきました。
悲しみをたたえているみずうみも存在することに。

今夜はカウンセラー無しです。一人で戻ってこなくてはいけないので、記事に書きます。

          ++++++++++++++++++

うつ病の人に限らず、誰もが心の中に悲しみを持っていると思います。
うつ病になって、わたしの場合ですが、痛み・苦しみ・焦り・焦燥などに意識を奪われ、静かに湛えられている悲しみをおろそかにして来たような気がします。

もういいんだ。そう思いながら見ないフリをしてきましたが、本当は悲しいんだということをそろそろ認めてやらないといけないようです。

認めることで、少し楽になるはずだから。
決して消えないし、何をもっても解決はできないかもしれないけれど、ただ「この奥に悲しみを持っている。」と知り、認め、受け入れることで、一歩進めるはずだから。

          ++++++++++++++++++

ずっと上り調子で、回復を実感している通りわたしは良くなって来ているので、発作も最小限に留められたけれど、自分のことをわかっているようでやっぱりまだいろいろ過信しています。

人の意識は、その9割が『無意識』のうちにあるのだそうです。
そう、わかっている『意識』は氷山の一角。
「意識不明」という身体状況であっても、9割の「無意識」で人は生きていると思います。
五感の中で最も鋭敏なのは聴覚で、傍から見たら「意識不明」に見えても、耳は聞こえており、無意識のなかで認識している。わたしはそう思うのです。

だから大切な人がもし意識不明になっても、わたしは耳元でささやき続けようと思っています。
身体の反応は無くても、きっと意識には届いている。そう信じます。

2009_4_29_hitachikaihinkouen_037共通の楽しみを持った人とは親しくなれます。
そして共通の悲しみを持った人とは、もっと親しくなれます。
なぜでしょうね。

                                            pencil伽羅moon3

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コメント

appleオモダカさん。
オモダカさんの中には川があるんですね。
戦時中に多く聞かれた話ですが、人は死ぬときに「おかあさーん」と呼ぶことが多いそうです。口では「天皇陛下万歳」と言わなくてはならなくても、心の中の叫びは「おかあさーん」なんですよね。その瞬間子供に返るのでしょうね。わたしも息子の名前ではなく「おかあさん」って言いそうです。

applesiyubeさま。
大変申し訳ないのですが、当ブログ、相互リンクをさせていただいておりません。ごめんなさい。

appleマハロちゃん。
お父様を亡くされたことは本当に悲しいですね。もっともっと親孝行したかったですね。
そうですか、お父様声を聞いてらっしゃったんですね…。愛おしい娘や奥さんの声を、最後まで聞いていたと思います。
それから情報ありがとう。行って見ますね。

appleふくちゃん。
ふくちゃん、いっしょうけんめい元気そうにして明るく振舞っても、わかるひとにはわかってしまうってことですね。
いろんな苦痛は時が段々に癒して薄れさせてくれるけれど、「寂しさ」だけはどうしようもないと聞きます。
伯父さんの件、やっぱり…って感じですね。きっと待っていたんですね、兄弟を。
ありがとう。

投稿: 伽羅 | 2009年5月22日 (金) 13時51分

私の中には悲しみよりも寂しさの何かがあるようです。
よく人に「さみしいんでしょ?」と訊かれますから。

寂しさも悲しさも同じフィールドに存在してるものなんでしょうけど。


人間、最後に残る感覚は聴覚。
だからどんなことがあっても死の床に就いている人の側でその話はしてはいけないと言われました。
最後の最後まで励まして生きることを願わなければいけないと。
昔、伯父の臨終の際、彼の兄弟が急遽かけつけ声をかけた瞬間、意識が無いはずなのに
すーっと涙を流した姿を思い出してしまいます。

投稿: ふく | 2009年5月21日 (木) 20時53分

そう。
私の父、意識が戻らないとき・・。
私たちが行って、かしましく話をしていると、父の目に力が戻りました。
言葉も出てこないし、もちろん動いてもくれないけれど、確かに目が違うんです。

きっと私たちの声を聞いていたのだと思います。
私たちの声にすこしでも反応してくれたこと、とても嬉しかった。

だから、耳元でささやくこと、とっても大切だと思います。


あと、「ほぼ日刊イトイ新聞」というウェブサイトで「センチメンタルテリトリー」という世界のことをやってます。
悲しんでいい場所のお話。
私はとても好き。
伽羅さんも、きっと、たぶん、好きになってくれると思います。
ペタ。

http://www.1101.com/store/T/2007/intro/index.html

投稿: マハロ | 2009年5月21日 (木) 09時32分

突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://sirube-note.com/counsellor/

もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/counsellor/link/register/
今後ともよろしくお願い致します。
LwUEq4LA

投稿: sirube | 2009年5月21日 (木) 08時34分

伽羅さんの心の奥には「かなしみをたたえているみずうみ」があるとのことです。
そうしたものを持っている人もいるし、そうでなく平和に暮らしている人もいます。
どちらがいい、悪いという問題ではありません。
その人の持って生まれた運命としかいいようがありません。

ちなみに私は心の中に「海に向かって滔々と流れる大きな河」をもっています。
人は死ねば母なる海に帰るのだと思います。
死期が迫ったら一艘の舟に乗せられて海は流され、母のもとに帰りたいというのが、私の願いです。
ジム・ジャーメシュの映画「デッドマン」にそういうシーンがありました。
まさに理想の最期でした。

投稿: オモダカ | 2009年5月21日 (木) 02時55分

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